今年もいよいよおしまし。
 大晦日、大つごもりです。

 今年の漢字は、夏の猛暑が印象深かったのでしょう、
 「」でしたが、
 私の今年の漢字は「」でした。
 春に母を亡くし、
 たて続けに弟も逝ってしまいました。
 家族を喪うということは
 こんなにもつらく、悲しいことだとは思いませんでした。

 昨夜、今年の話題曲だという
 植村花菜さんの『トイレの神様』という曲を
 初めて聴きました。

  トイレには
  それはそれはきれいな女神様がいるんやで
  だから毎日キレイにしたら
  女神様みたいにべっぴんさんになれんやで

 歌詞の一節です。
 この歌のおばあちゃんみたいに
 私の母も同じようなことを言ってくれました。
 「人に好かれるようになりや」。
 それが母の言葉でした。

  ちゃんと育ててくれたのに
  恩返しもしてないのに
  いい孫じゃなかったのに
  こんな私を
  待っててくれたんやね


 母の亡くなるときの情景が重なります。
 たくさんの孫が母の枕元で
 「おばあちゃん、おばあちゃん」って
 呼んだときのことが思い出されて
 涙がとまりませんでした。
 今日の紅白歌合戦でも
 植村花菜さんは、この『トイレの神様』を歌います。
 ぜひ、聴いてみてください。
 そして、皆さんが愛した人のことを
 思い出して下さい。

 2010年、私が読んだ本は231冊
 今年もたくさん読みました。
 たくさんの本に感謝します。
 そして、
 それらの本のなかで
 ベスト1をもしあげるとしたら、
 茨木のり子さんの詩集『歳月』としたい。
 この詩集も愛する人を喪った、心の絶唱です。
 私は母も弟も喪いましたが、
 茨木のり子さんが愛する夫を亡くして生きたように
 いつまでも母と弟とともに
 生きていくのだと思います。
 いつか、また、二人に会うために。
 それまで、本はずっと
 私とともに歩いてくれるはずです。

歳月歳月
(2007/02)
茨木 のり子

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 このブログをこの一年毎日読んでいただいて
 ありがとうございました。
 皆さん、よい新年をお迎えください。
 そして、来年も、
 本のある豊かな生活でありますように。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年もあと二日になりました。
  多くの人が今年の夏は暑かったと
  思い返しているのでしょうか。
  私にとっては、
  その暑い夏に「茨木のり子回顧展」に行ったのが
  なによりも思い出になっています。
  その茨木のり子が住んだ家の写真本
  『茨木のり子の家』を
  今日は紹介します。
  どうしてこうも立て続けに
  茨木のり子と出逢うのか
  自分でも不思議な気がします。
  なにかを指し示しているのかと
  思わないでもありません。
  でも、
  それが何なのか自分でも
  わからないのですが。

  じゃあ、読もう。
  

茨木 のり子の家茨木 のり子の家
(2010/11/26)
茨木 のり子

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sai.wingpen  夏の匂い 夏の音 夏の風               矢印 bk1書評ページへ

 夏、群馬に行った。
 新聞の文芸欄に掲載されていた、その記事は今もちゃんと残しているのだが掲載日を残していなかったのが悔やまれるのだが、詩人茨木のり子の回顧展開催の記事に誘われて土屋文明記念館に行った。この年(2010年)の夏を象徴するような暑い日曜だった。
 入り口側にあった作品展示「花の名」の一節に、それは「棺のまわりに誰も居なくなったとき/私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた」という言葉のつらなりであったが、不意に涙がこみあげた。
この春、亡くなった母、奇しくも母は茨木のり子と同い年だった、の棺のなかの顔を思い出した。あの時の悲しみはこうして言葉になり、人の心にはいっていくのだ。
 その時、詩のすごさを感じた。

 茨木のり子は2006年2月に亡くなった。それがここにきて、またブームに火がついたかのように、回顧展があったり関連本が出版されたりしている。この『茨木のり子の家』はいくつかの詩篇が収められているが写真本である。
 終の住処となった東京東伏見の詩人の家、正しくいえば茨木のり子が夫であった三浦安信と暮した家である、が対象となっている。
 この家で茨木のり子は夫の死後もひとりで暮らしつづけた。

 なかに、リビングの写真がある。そこに、代表作「倚りかからず」の詩にでてくる椅子、それは茨木のり子の人気を決定づけた作品で、そのなかに「倚りかかるとすれば椅子の背もたれだけ」と詠われたまさにその椅子、が置かれている。
 その椅子の現物を回顧展で目にすることができたのは、こうして家のなかの一部となった写真を見るにつけ、うれしいかぎりだ。夫安信のために購入された椅子だが、この回顧展で初めて家を離れたという。

 そして、「Yの箱」である。
 茨木のり子が夫の死後、ひそかに書きためていた詩の原稿がはいっていた箱である。この写真本にもそれは載っているし、回顧展では現物の「Yの箱」も、それはあまりにもどこにでもある普通の箱だ、目にすることができた。
 そのなかの詩はいくつかクリップどめされていて、一部はその錆で茶色く変色している、そのことさえも茨木のり子のこの詩篇たちへの愛着を感じずにはいられない。
 それにしてもなんという写真技術の発達だろう。写真の原稿は生のものとほとんど変わらない。

 夏。
 戦争があった夏。茨木のり子が「ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた」(「わたしが一番きれいだったとき」)その夏から、何度の夏が訪れただろう。
 茨木のり子は椅子に腰掛け、蝉の声を聴き、風がわたる気配を感じ、この家の住人として生きた。詩人の息づかいが、それはけっして激しいものではなく静かに深くであったろう、今でも残る、そんな家が、なぜか懐かしくもある。
  
(2010/12/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する『清冽』は
  詩人の茨木のり子さんの生涯をたどった
  ノンフィクション作品です。
  副題に「詩人茨木のり子の肖像」とあるように
  作者の後藤正治さんは
  丁寧に彼女の生涯をたどっています。
  茨木のり子という詩人を
  知りたいと思っている人には
  いい本だと思います。
  この本の表紙の
  茨木のり子さんの表情が
  とてもいいです。
  ごらんのとおり
  茨木のり子さんは
  とても奇麗な女性です。
  ちょうど宝塚の男役みたいな
  感じがします。
  書名の『清冽』は
  辞書でひくと
  「流れる水がきれいで、冷たい様子」と
  あります。
  茨木のり子さんは
  まさにそんな人だったのでしょう。

  じゃあ、読もう。

清冽―詩人茨木のり子の肖像清冽―詩人茨木のり子の肖像
(2010/11)
後藤 正治

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sai.wingpen  詩があるかぎり                     矢印 bk1書評ページへ

 人はどのようであれ、その全体など捉えられないものだ。どんなにその人の事跡をたどっても、その人の持つ奥底にまで行きつくことはないだろう。もしかしたら、当の本人さえもそのことを自覚できないのではないだろうか。
 では、詩人の場合はどうだろう。彼らの言霊は自らを語り、自身の奥底から発する地鳴りの音だ。語るべきは自分自身でしかない。だとすれば、詩人は書かれた詩こそすべてかもしれない。
 詩人茨木のり子の生涯に迫ったノンフィクション作家後藤正治氏の渾身の作品を読み終えて、作品の強さを感じながらもそう思った。茨木のり子はやはり彼女の詩が一番彼女自身を語っている。

 本書のなかで後藤氏は言葉を尽くして、何度も茨木のり子の全体に迫ろうとしている。例えば「終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁さである」と。例えば「自身に忠実に生きんとする姿勢の意思力である」と。
 そんな後藤氏の修飾を、茨木のり子は「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」(「倚りかからず」)」と一蹴し、「ひとりの男を通して/たくさんの異性に逢いました」(「一人のひと」)とかわす。
 逃げる陽炎を追いかけるように、どこまでいっても詩人においつけない。

 書名のとおり、詩人茨木のり子は、「清らかに澄んだ水」のような人であったのだろう。後藤氏はその流れにそっと手をさしいれて、すくおうとした。けれど、「清冽」な詩人はとどまることはない。
 だから、たぶん、おそらく何度でも私たちはその淵に戻ってくるだろう。
 茨木のり子とは何者であったのかと。茨木のり子の詩に揺さぶられるたびに。

 「その人のことを思いつづける人がいる限りその人は生きつづける」とよく云われる。
 茨木のり子が書いた父の姿や母の振る舞い、夫のなにげない言葉、そして自らの人生は、詩として残された。
 詩人はそのようにして、私たちのなかで生きつづける。何度でも立ち上がる言葉として、何度でもその人生を生きつづける。茨木のり子はそのような詩人である。
  
(2010/12/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日あたりが
  今年の仕事納めという人が
  多いのではないかな。
  そこで、今年最後のビジネス本の紹介です。
  私は大学の学科を選ぶ際に、
  人間を知りたいと思うことが
  ありました。
  だから、本当は文学部に行きたかったのですが
  文学部では就職は厳しいといわれて、
  経済と法律どちらにしようか迷いました。
  それでより人間に近い方ということで
  法律の方に進んだのですが
  (もっともまるで勉強しませんでしたが)
  社会に出た会社にはいってみれば
  経済の行為というのは
  とても人間的な学問だと
  思いしらされました。
  特に今日の『社会の見える化』(長尾一洋)の書評に
  書いたように
  会社とは人間の集団なのです。
  だから、とても人間的なのです。
  そういうことを
  働きだして30年以上経って
  思うのですから、
  人間って面白いものです。

  じゃあ、読もう。

社員の見える化社員の見える化
(2010/06/04)
長尾 一洋

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sai.wingpen  「社員」は人間です。                  矢印 bk1書評ページへ

 私は、著者のいう、会社の「社員」は土地・建物・設備・工場といった「資産」と同じ、という考え方に組しません。何故なら「社員」には感情があるからです。叩けば痛いといいます。欲望もあります。悩みもあります。「社員」は何よりも人間なのです。
 確かに、「社員」は会社の利益に多大な影響を及ぼします。優秀な「社員」はたくさんの利益を会社にもたらすでしょうし、劣った「社員」は損害を与えるかもしれません。
 だからといって、感情をもたない土地や建物といった「資産」と同列に考えていいのでしょうか。「社員」は人間だからこそ、面白いし、難しくもあるのです。

 「社員の見える化」が必要なのは、そういった感情をもった人間だからだこそです。本書のなかでは、「能力」「心」「価値感」を見える化することだと書かれています。それはけっして「資産」の有効的利用という観点ではなく、公平に評価をすることであり、成長を促すということでなければなりません。
 「社員」は不公平であってはいけません。成長をとめてはいけません。会社は「社員」を成長させることで、利益を生み出すと考えるべきです。

 そして、「社員」は自ら進んで「見える化」をすべきです。
 見えない「社員」に会社はどんな評価もしないでしょう。そのことで不満をもってはいけません。「見える化」の努力をしない自分自身を責めるべきなのです。
 つまり、「社員の見える化」とは、会社と「社員」の双方に必要な技術だといえます。会社とは、感情をもった人間の集団だから、面白いのです。

 もし、双方が見えないとすれば、これほど不幸なことはありません。暗闇を手さぐりで求め合うようなものです。双方が傷つくのがオチです。
 「見える化」とは、そういう暗闇のなかの一筋の明かりなのだということを、会社も「社員」も知るところから始まります。
  
(2010/12/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日も昨日につづいて
  村上春樹さんの異色本の紹介です。
  昨日は絵本の翻訳でしたが、
  今日はドイツで出版された本の装丁を
  つかった『ねむり』です。
  これは村上春樹さんの短編一篇だけを収めた本ですから
  造りとしては贅沢なものです。
  『1Q84』で大ヒットした新潮社からの出版ですから
  「春樹さん、大ヒットありがとうございます。
  ついては、春樹さんが作りたい本があればつくりますよ」
  みたいな話があったかなかったか知りませんが、
  こういう本が作られ、書店に並ぶというのは
  村上春樹さんだから許される
  贅沢かもしれません。
  ちなみに、この本の、
  日本語でのタイトルは漢字の『眠り』です。
  今日は400字書評
  お楽しみ下さい。

  じゃあ、読もう。

ねむりねむり
(2010/11/30)
村上 春樹

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sai.wingpen  覚醒した暗闇                     矢印 bk1書評ページへ

 多分この本の読み方は、オリジナルな版とのちがいを読み解くというのが正しいのかもしれない。それで、1989年の村上春樹と2010年の村上春樹を比較し、作者の心情の変化や表現方法の多様化を書くべきなんだろう。しかし、きっと誰かが、どこかで、それはするだろうから、ここではしない。
 ここで書いておきたいのは、これがドイツの出版社で出されたものだということだ。この本にはカット・メンシックという人が描いたイラストレーションが多数収められている。作者はその絵を「とても新鮮」だと感じた。きっとそういう読み方を作者である村上春樹自身が感じたのだろう。
 このドイツの出版社はもともと美術書を出していたところらしいが、絵による想像の喚起は作者そのものも刺激するということだ。だとしたら、読み手である我々もまったく新しい作品に出会えるということでもある。それこそ、この作品に書かれた「覚醒した暗闇」のような気がする。
  
(2010/12/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

   クリスマスは終わりましたが
  まだツリーはそのままじゃないですか。
  ツリーを片付ける気分で
  今日もクリスマスの絵本を
  紹介します。
  『急行「北極号」』という作品です。
  村上春樹さんが翻訳されていますから
  読んだ人も多いかもしれません。
  なにしろ、村上春樹さんを大好きだという人は
  たくさんいますから。
  表紙をごらんになればわかりますが
  この絵本のなかの
  雪がとってもうまく表現されています。
  細やかで、つめたく、
  外の冷気まで伝わってきそうな
  雪です。
  原作者のオールズバーグの巧さに
  感心します。
  この本に赤いリボンをかけたら
  もうりっぱなクリスマスプレゼント。
  一日遅れのプレゼントというのも
  しゃれていていいかもしれません。

  じゃあ、読もう。

急行「北極号」急行「北極号」
(2003/11/10)
クリス・ヴァン・オールズバーグ

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sai.wingpen  小さな銀の鈴                矢印 bk1書評ページへ

 村上春樹さんにはたくさんの翻訳本もあります。そのなかにはクリスマス関連の本も数多くあって、この絵本もそのひとつです。
 原作はアメリカで1986年に出版されたもので、原作者であるオールズバークの絵本はこの本のほかにも村上春樹さんの訳で読むことができます。

 物語はクリスマス・イブの真夜中。一人の少年がサンタのやってくるのを待っています。友達はサンタなんていないって言いますが、彼はそんなことはないと思っています。
 そんな少年の前に現れたのが、急行「北極号」です。なんと堂々とした車両でしょう。彼は急行「北極号」に乗って、遠くサンタに逢いにでかけます。もちろん、少年はサンタと出逢うことができます。だって、彼はサンタがいることを信じていたのですから。
 それどころか、サンタから特別に贈り物を、それはトナカイのソリについている小さな銀の鈴でしたが、もらいます。でも、この鈴の音はお父さんにもお母さんにも聞こえません。サンタクロースを信じている人にしか聞こえない鈴なのです。

 教訓めいているかもしれません。子供じみているかもしれません。それでも、オールズバークの絵はそのことを詩的に描くことで、温かなクリスマス絵本に仕立てあげました。こんな絵本を贈り物にもらえたらどんなにうれしいでしょう。
 信じるということ。それはクリスマスだけにかぎらず、日常のさまざまな場面で大切なことです。ところが、その大切さを私たちは忘れがちです。子供だった頃にサンタクロースの存在を信じたように、おとなになってもそれを思い出すこと。
 絵本は子供だけのものではありません。村上春樹さんという人気作家の手を借りて、たくさんのおとなたちに読まれることも悪いことではないでしょう。

 あなたには、まだ少年の銀の鈴の音が聞こえますか。
  
(2010/12/26 投稿)

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   メリー・クリスマス
 
  今日は、私からのプレゼントの一冊です。
  『サンタクロースっているんでしょうか?』。
  この本のことは
  私の娘たちがうんと小さかった頃、
  新聞のコラム欄で見つけました。
  残念ながらどの新聞だったか
  いつのことだったかは全然覚えていないのですが
  その記事を読んで
  近くの図書館に走って借りに行ったのを
  覚えています。
  そして、
  娘たちに読んであげました。
  娘たちには
  サンタはいるんだと
  いつまでも信じている子供で
  あって欲しかった。
  夢のようなものを
  大切にする人であって欲しいと
  これは今でも願っています。
  とっくに私はサンタクロースを
  やめてしまいましたが、
  その思いはまだサンタクロースのままかも
  しれません。

  じゃあ、読もう。

サンタクロースっているんでしょうか?サンタクロースっているんでしょうか?
(2000/11/27)
不明

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sai.wingpen  クリスマスの奇跡                     矢印 bk1書評ページへ

 副題にあるように、この本は「子どもの質問に こたえて」、アメリカのニューヨーク・サンという新聞社の記者が書いたものです。
 「子どもの質問」、それは八歳の女の子からのもので、「サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?」というものでした。それに新聞記者がどう答えたかは、この本を読んでもらうしかないのですが、この女の子に新聞社に訊いてみたらといったパパもなんと素敵なことでしょう。

 暖炉のある部屋。カウチに腰掛けるパパと女の子。新聞を読んでいるパパの胸にはいりこんで、女の子はこう訊ねます。「ねえねえ、パパ。サンタクロースって、ほんとうにいるの?」パパは新聞を読みながら、「そんなに疑うのなら、新聞社に訊いてみたらいいよ。新聞社なら本当のことを教えてくれるよ」って答えます。女の子の顔がぱっと輝いて、パパのひざからおりると、ママにいいます。「ママ、お手紙書くから、紙と鉛筆ちょうだい」
 この本にはそんなことは書かれていませんが、そんな光景がつい浮かんできます。
 実際にはパパはとっても困ったと思います。新聞社が八歳の女の子の質問に答えるとも思わなかったかもしれません。それなのに、新聞社はこうしてきちんと、わかりやすく答えてくれました。
そのことは、パパへのサンタクロースの贈り物だったかもしれません。

 この本は1897年に本当にあったお話です。もう100年以上も前のお話です。そういう時代だったからこういうことが生まれたともいえます。
 現代はあまりにもギスギスしすぎています。新聞にはたくさんの不幸が書かれています。本当はそれ以上の幸福な話が載ってもいいはずなのに。
 それでも、こうして今でも私たちは、幸福な話にふれることができます。パパと女の子と、新聞記者さんの温かい心にふれることもできます。
 これこそ、クリスマスの奇跡だと、思いませんか。
  
(2010/12/25 投稿)

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   今日はクリスマス・イブ
  そこで、今日紹介するのは
  クリスマス絵本の定番ともいえる
  『さむがりやのサンタ』。
  みなさんも一度は読んだことが
  あるのではないでしょうか。
  翻訳をされたのはすがはらひろくに(菅原啓州)さん。
  菅原啓州さんは児童書の出版社の
  編集をされていた人で、
  児童文学の石井桃子さんの
  担当編集者でもあった人です。
  今回何十年ぶりかで
  読んでみて
  娘たちと一緒に読んだことを
  懐かしく思い出しました。
  心にぽっと明かりがさしたような
  気分です。

  じゃあ、読もう。

さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)
(1974/10/25)
レイモンド・ブリッグズ

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sai.wingpen  読み継がれるクリスマスの絵本               矢印 bk1書評ページへ

 子供として読む。親になって子供と一緒に読む。孫と一緒に読む。また、その子とともに読む。絵本は、そういう読み方ができる貴重な出版物です。
 電子書籍がどんなに普及しても、絵本は紙の出版物として、これからも世代を超えて、受け継がれていくと思います。

 『さむがりやのサンタ』はそんな一冊といっていいでしょう。
 奥付をみると、1974年発行とありますから、もう30年以上も前に出版された絵本です。
 私も娘たちと一緒に読んだことがあります。娘たちは、そのあとも何度も読んでいました。
 娘たちが幼い頃頭になかに描いていたサンタクロースは、きっとこの「さむがりやのサンタ」のイメージだったのではないかと思います。
 恰幅がよく、真っ白なヒゲで顔じゅうつつまれて、赤いまん丸な鼻をして、真っ赤なコートを着た「FATHER」。(この本の原題は『FATHER CHRISTMAS』。それを『さむがりやのサンタ』とした訳者と出版社のセンスが光ります)

 サンタさんはとっても寒い国にいるのに、この絵本のサンタさんはとても寒がり。いつも「はやくなつにならんかねえ」と思っています。そのあたりが子供たちには面白いのでしょう。
 それに一晩中かけて、子供たちにプレゼントを配ってまわるサンタさんの苦労も愉快に描かれています。
 こういう絵本を読めば、サンタさんが来てくれると、誰もが思います。「早く寝ないと、サンタさん、来ないわよ」というママの声が聞こえそうです。

 こうして、一冊の絵本は読み継がれていきます。
 子供たちがおとなになって手にし、そして子供たちと一緒にまた読む。
 サンタクロースはいるんだって信じてたあの頃のことを、ちょっとばかりは思い出せるかもしれません。
  
(2010/12/24 投稿)

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  今日は天皇誕生日でお休みの人も多いのでは。
  いよいよクリスマスも近くなってきましたね。
  そこで、今日から連続で
  クリスマスの絵本を
  紹介していきます。
  それにあわせて、テンプレート(壁紙?)も
  クリスマスバージョンです。
  今日紹介する
  酒井駒子さんの『よるくまクリスマスのまえのよる』は
  児童書専門店「クレヨンハウス」で見つけた
  一冊です。
  ちょうど、この絵本の原画展までしていました。
  ちょっとしたクリスマスプレゼントでした。
  この絵本にでてくる男の子は
  3歳くらいでしょうか。
  とってもかわいい。
  子供の笑顔こそ
  神様がくれた宝物だと
  私は思うですが。

  じゃあ、読もう。

よるくまクリスマスのまえのよるよるくまクリスマスのまえのよる
(2000/10)
酒井 駒子

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sai.wingpen  サンタも喜ぶ笑顔                     矢印 bk1書評ページへ

 今日は「クリスマスのまえのよる」。ママにいっぱいしかられた男の子はサンタがこないかもしれないってとっても心配しています。そんな男の子の部屋によるくまがやってきました。
 よるくまは、「よるみたいに くろくって むねには おつきさまがひかってる」男の子のともだちです。

 酒井駒子さんの絵は黒い色がとても大切にされています。
 酒井さんの黒い色はいろんな色を生み出す宝箱みたいなもの。だから、この絵本のようにたくさんの黒が使われていると、男の部屋の暖かい明かりも、クリスマスツリーのきらびやかな色も、サンタの赤い洋服も、ママのやさしい胸のなかも、とてもひきたちます。
 みんなみんな、黒い色から生まれたのです。

 男の子はよるくまと一緒に、「クリスマスのまえのよる」の世界をのぞきます。たくさんの子どもたちが幸せな夢をみながら眠っています。
 だれの夢にもきっとよるくまが現れて、男の子と同じように、サンタの来るのを待っています。

 最後のページの男の子のなんと幸福そうな寝顔でしょう。サンタって、そんな顔に出逢いたくてやってくるのではないでしょうか。
  
(2010/12/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は冬至

   まだ母に冬至南瓜を切る力  大庭星樹

  私にも家族があります。
  故郷に戻れば、兄たちもいます。
  一応会社にも仲間たちがいます。
  それでも、
  いつかそれらが「無縁」になるような
  予感があります。
  そういう社会の構造があると思います。
  こうして毎日blogを書いていますが
  ネットの「縁」は希薄でしょう。
  そういう社会に生きている限り、
  私たち自身が「無縁」をどう受けとめるかが
  肝心です。
  今日紹介する一冊は
  今年話題となったNHKの番組『無縁社会』を
  まとめた一冊です。
  今年を振り返るという意味で
  みなさん自身が「無縁社会」を
  考えてみてはどうでしょう。

  じゃあ、読もう。

無縁社会無縁社会
(2010/11/12)
NHK「無縁社会プロジェクト」取材班

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sai.wingpen  新しい絆を求めて                     矢印 bk1書評ページへ

 今年(2010年)の流行語大賞にも選ばれた「無縁社会」。そのもとになったのが2010年1月に放映されたNHKスペシャル「無縁社会」です。本書はその番組を核にして、その後の反響で製作されたNHKの放送内容を補いながら、まとめられた一冊です。
 「無縁社会」とは、「つながりのない社会」「縁のない社会」といったことを指す造語です。単身世帯がかかえる「無縁死」という衝撃が大きな反響を呼びました。
 「無縁社会」は、身寄りのないことを指してはいません。たとえ身寄りがあっても、彼らはその縁をもてないでいます。
 従来、この国には「血縁」というつながりがありました。家や家族、親族といったつながりです。あるいは、「地縁」というつながりがありました。故郷や地元といった、その人にとっての場所的な拠りどころです。さらにいえば、「社縁」という、自分が勤める職場を介在としたつながりもありました。「無縁社会」はそれらのつながりを維持できない人々のありようです。

 本書のなかにたびたび出てくる言葉があります。それは「迷惑をかけたくない」という言葉です。この言葉が意味することは、「無縁社会」を考えるにあたってはとても重要に思います。
 この言葉の主語は明らかに「私」です。「無縁社会」に生きる人は自ら「血縁」「地縁」「社縁」に対し、「迷惑をかけたくない」という一言で「縁」を断ち切っています。
 「縁」とは一方的に「迷惑をかける」ことなのでしょうか。「縁」とは「迷惑をかける」だけでなく、「迷惑をかけられる」ことでもあるはずです。「迷惑をかけられる」側が「縁」を切ることは想定できますが、彼らはそうではない。「迷惑をかける」ことだけを気にします。つまり、「迷惑をかけられる」、そして「面倒をみる」ということを想定していません。これはどういうことでしょう。

 本書で紹介されている哀しくつらい「無縁社会」の現状をどう解決していくかという答えがそこにあるような気がします。
 「迷惑をかけられる」生き方を選択することで、「絆」を取り戻すことに、新しい「縁」のつながりになるのではないでしょうか。
 この本は新しい生き方を考える一歩を提供してくれています。
  
(2010/12/22 投稿)

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  今年の食べ物界のビッグニュースは
  なんといっても「食べるラー油」の人気でしょう。
  何しろあの流行語大賞にも選ばれるは、
  日本経済新聞社の「ヒット商品番付」にも選ばれるは、
  人気に火がついた感があります。
  私もいくつか食べましたが、
  これは!と舌鼓をうったのが
  食べるラー油
  専門学校が出している
  「食べラー油」。
  味がなんとも豊饒で、
  数ある商品のなかでも秀逸。
  「食卓☆きらり」というネットショップで
  手にはいりますので、
  興味深々、よだれたらたらの人はぜひ
  ご賞味あれ。
   食卓☆きらり」はこちらから。
  今日は、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの
  文春文庫最新刊です。

  じゃあ、食べよう。

おにぎりの丸かじり (文春文庫)おにぎりの丸かじり (文春文庫)
(2010/12/03)
東海林 さだお

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sai.wingpen  漫画家は礼儀正しいのです               矢印 bk1書評ページへ

 文春文庫での東海林さだおさんの「丸かじりシリーズ」が200万部を突破しました。そこで文春文庫は三ヶ月連続の文庫化という暴挙(!)に出たわけですが、その解説に現役漫画家を採用するというのもまた今回の特徴でもあります。
 その最後の回となるこの『おにぎりの丸かじり』では、東海林さんと同じ早大漫研出身でもあるけらえいこさんの登場です。
 まず、けらさんは何年も前に西荻の西友で東海林さんを見かけたという裏情報を暴露。ある賞の受賞式で東海林さんにこっそり打ち明けたところ、東海林さんは「ややアセった顔」をされて、その時の買い物の中身をたずねたといいます。「あの東海林さんが、そこを気にされないわけがない」と、けらさんは分析しています。
 この、「あの」という感じに、「丸かじりシリーズ」で延々と食べ物の極意を語りつづけてきた大学の大先輩への敬意があって、漫画家というのはたいそう律儀な礼儀正しい職業なものだと、変なところで感心してしまいました。

 そういう礼儀正しさは東海林さんにもあって、特に食べ物への礼儀という点では東海林さんに敵う書き手はいないのではないかしらん。
 どんなつまらない食べ物であっても、東海林さんは丁寧にその美味しさを描き、読者に食欲をもたらし、お店訪問もじっくりゆっくり観察していきます。
 きっと東海林さんだったら、西荻の西友で買い物しても、缶詰のラベルをついそろえてしまいそうな印象があります。

 そんなけらさんですが、食べ物について書かれた話は「ポルノ」に似ているという、奇抜な見解をこの文庫本の解説のなかで書いています。
 まあそういわれたらそんな感じがしないでもありませんが、東海林さんの場合はさしずめ正統派保健体育の講座ではないでしょうか。東海林さんはなんといってもマジメなんです。
 そして、そんな大先輩をたてるけらさんもなんとも礼儀正しい後輩漫画家なのです。
  
(2010/12/21 投稿)

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 村上春樹さんの代表作『ノルウェイの森』が
 ついに映画化されました。
 映画化されるということを聞いてから
 どんなに楽しみに待ったことでしょ。
 あの作品がどんな風に映像になるのか
 きっと多くの人が期待と不安で公開を楽しみにして
 いたのではないでしょうか。

 ついに
 私も先日映画『ノルウェイの森』を観てきました。
 ノルウェイの森
 監督は『夏至』などを撮った世界的に評価の高い
 トラン・アン・ユン監督というだけでも
 興味が増しますが、
 先に私の評価を書いておくと、
 ミスキャストの作品です、残念ですが。
 松山ケンイチさんが演じる主人公の「ワタナベ」は
 スチールではなかなかいい味だしていたのですが、
 映像だと少しばかり違和感が残ります。
 菊池凛子さんの「直子」はこれは完璧にイメージとは
 違いました。
 熱演は認めますが。

 あれだけ読まれた原作ですから、
 読者が自身のなかでそれぞれの『ノルウェイの森』の映像を
 もってしまっているのだと思います。
 その点では、映画作品としては
 少し不幸でしょうね。
 いっそう、舞台を海外に置き換えて
 外国人の俳優でそろえた方が
 入り込みやすかったかもしれませn。

 でも、こうして映画化された『ノルウェイの森』を読むと、
 これはけっして恋愛物語ではなく、
 生きることと死ぬことを描いた
 深い人間ドラマだということがよくわかります。
 トラン・アン・ユン監督も
 そういう撮り方を意識していたようにも思えます。
 だから恋愛映画を楽しみに劇場にでかけた人は
 かなり違和感があるのではないでしょうか。

 村上春樹さんの『ノルウェイの森』には
 たくさんの要素がつまっていると思います。
 それを、二時間少しの映像にまとめるのですから
 やはり少し無理があったのではないでしょうか。
 この映画を観てから、
 原作を読みなおしたら、
 また違う『ノルウェイの森』に
 出逢えそうです。

 じゃあ、観よう。  

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する絵本は
  ノンフィクション作家の柳田邦男さんが
  訳されています。
  柳田邦男さんといえば
  『マッハの恐怖』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し
  その後たくさんの素晴らしいノンフィクションを
  発表してきました。
  ノンフィクション全盛期の
  旗手の一人だったといえます。
  最近では
  絵本に関する著作もたくさん書いています。
  こういう先達がいると
  私のようにもう若くもない男性が
  絵本のことを書くことに
  抵抗がなくなります。
  おとなだって
  男性だって
  絵本のことを語っていいんです。
  柳田邦男さんは
  そう教えてくれています。

  じゃあ、読もう。

やめて!やめて!
(2009/11/19)
デイビッド・マクフェイル

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sai.wingpen  音に満ちた絵本                 矢印 bk1書評ページへ

 表紙が目をひきます。防寒服でまんまるになった男の子が「やめて!」と叫んでいます。男の子特有の高く裏返った声が聞こえそうです。
 この絵本には、表紙の「やめて!」のほかにたった三つの言葉しか書かれていません。それなのに、この絵本はたくさんの音に満ちています。

 どこの国の話でしょうか。表紙に出てくる男の子が一生懸命大統領に手紙を書いています。それはどこの国だっていいかもしれません。この国は世界のどこかに、いつの時代にも存在する国です。私たちの国からうんと遠いかもしれませんし、すぐそばかもしれません。どこであってもいいのです。ただ男の子のこの国は確かにこの世界に存在することにはちがいありません。
 男の子は大統領へ手紙を出そうと、おもてに飛び出します。空にはたくさんの戦闘機が飛んでいます。そして、大きな爆弾が丘の上に落とされます。
 本のなかにはどんな言葉もどんな音も描かれていません。でも、たくさんの嫌な音に耳をふさぎたくなります。ゴー、そしてドカーン。
 町には戦車が行き来し、兵士が走り回ります。戦車の重い音、兵士のザクザクという軍靴の音。叩かれる家の扉、男の悲鳴。家のなかでひっそりと息をする人々の心臓の音。
 男の子はそんな野蛮な音に満ちた町を通り、やっとポストに近づきました。そこに待っていたのは不良少年。男の子の胸ぐらをつかんで不良少年が殴りかかるその時、男の子は叫びます。
 「やめて!」
 氾濫していた音が消え、男の子の声だけが響いてきます。

 暴力や戦争に対して「やめて!」という勇気が必要なことを、ほとんど言葉をもたないこの一冊の絵本が教えてくれます。そして、その勇気が友情をうみ、町を平和にし、たくさんの笑顔をもたらしてくれることを。
 男の子の帰り道は、そんなやさしい音に満ちています。友だちになった不良少年の軽やかな走り音、くすくす笑い、自転車のペダルをこぐ音。
 どうか、描かれていない音にじっと耳をすませてみて下さい。
  
(2010/12/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  連日の忘年会にいささか
  疲れています。
  今働いているのは、
  今日の蔵出し書評に書きました
  世田谷池尻で、
  残念ながら学生時代に呑み歩いた
  ほとんどのお店はなくなっています。
  そりゃ、30年以上も昔ですからね。
  そういえば、
  あの頃も毎日呑み歩いていたものです。
  学生の身分でよく呑めたものだと
  今さらながら呆れます。
  今日の一冊、
  坪内祐三さんの『東京』は
  そんな懐かしい気分に浸らせてくれます。

  じゃあ、読もう。
  
東京東京
(2008/07/19)
坪内 祐三

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sai.wingpen  君の住む美し都                 矢印 bk1書評ページへ

 思い出のメロディーというのは日本の音楽が歌謡曲と呼ばれていた時代のものだと思っていたが、いつの間にか自分の若かりし日々の唄がそこにはいっているのには、ほとほと年を感じてしまう。
 マイペースが歌った「東京」(1974年)もそのひとつである。
 たまたま自分が好きだった女の子が東京に行ってしまったあとだったので、がなりたてるように何度もひとり歌った思い出が苦い。

 「東京へはもう何度も行きましたね(本当は全然行ったことなんかないのに)/君の住む美し都」

 私にとっての「東京」は、「君の住む美し都」だった。

 坪内祐三氏の、一連の<昔話>が好きである。
 生まれた地はまったく違う(坪内氏は東京世田谷、私は大阪の地方都市)のだが、年代が近い(坪内氏は1958年、私は1955年)せいか、あるいは多感な青春期を同じ東京で過ごしたせいか、坪内氏の書く街の表情や映画の話や雑誌のことどもに、いつも共感してしまう。
 坪内氏のそのような作品に批評性がなろうとなかろうと、あの時代の東京の空気そのものが私にとっては今でも夢のようなものなのだ。(もっとも坪内氏がマイペースの「東京」の世界を理解できたかはわからないが)
 この本では雑誌「東京人」の編集者をやめるまでの青春期の坪内氏とそれらの日々で関わった東京の二十四の街が「スケッチ」として描かれている。そのうちのいくつかで、もしかしたら少しおデブの坪内少年とニアミスしていたかもしれない。そう思うのも楽しい。

 私は「彼女」を追いかけるようにして東京の大学にはいって初めて住んだ街が世田谷池尻だった。高級住宅地に住んだのではなく、そこに学生寮があったからだ。だから当時の渋谷はよく利用した街である。
 「彼女」と東京で初めて会ったのが銀座(田舎からきた人間にとって東京の繁華街は銀座しか知らなかった)。
 「彼女」にふられたのが高田馬場の(たぶん)<白鳥>という喫茶店。
 でも、なんとなくあきらめきれずに「彼女」の住んでいた新井薬師にある下宿に越したのは東京に来て三年目の春だった。そして、こちらの思惑どおりというか、「彼女」と新井薬師の駅前で偶然(?)にも再会したが、見事に無視されてしまう。
 こんなはずではなかったのに。

 大学といえば坪内氏の本にもちょこっと登場する高田馬場の駅横のパチンコ屋にいりびたりで、当時(1975年頃)まだ椅子席ではなく立ちながら遊戯をしてズボンの後ろのしまっていた財布を盗まれてしまったこともある。
 六本木の近くで学習塾のアルバイトをしていたこともある。<アマンド>という響きがなつかしい。
 池袋の文芸地下(映画館)に行くのも緊張して歩いた(これはたぶん五木寛之氏の『青春の門』の影響だと思う)田舎者にとって、東京とは「花の都」でもなく、どこか切ない町のあれこれだった。
 大学をでて一旦大阪に戻ったあと、仕事の都合でまた東京にくることになるが、もうあの頃の東京ではなくなっていた。
 何が変わったのか。街ではなく、自分自身が変わったのだ。
 「君の住む美し都」だった東京は、私にとってやはり青春の街だった。

 太宰治は作品『東京八景』の中で「東京八景。私はそれを、青春への訣別の辞として、誰にも媚びずに書きたかった」と書いているが、本書は五十歳の坪内氏にとっても「青春への訣別の辞」だったのかもしれない。
 そう思うと、やはり切なくなる、一冊である。
  
(2008/11/08 投稿)

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  先日東京都の都青少年健全育成条例の
  改正案が議会で可決されました。
  これは過激な性描写を含む漫画などの
  販売を規制するもので
  これに漫画家や出版社が
  反対をしています。
  こういう問題はけっこう曖昧で、
  いまだにこういうことが論議されていることに
  いささか驚きます。
  そもそもわいせつなんて
  誰がどう判断できるのでしょうね。
  しかも漫画表現ですよ。
  そこの性的な感情をもつ人もいれば
  まったく別なところに激情する人もいる。
  そんなことは
  みんながとっくにわかっていると
  思っていましたが。
  今日紹介するのは
  漫画家こうの史代さんの
  初エッセイ集『平凡倶楽部』。
  400字書評ですが、
  真剣に漫画を考えました。

  じゃあ、読もう。  

平凡倶楽部平凡倶楽部
(2010/11/30)
こうの 史代

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sai.wingpen  これは規制されない漫画表現です               矢印 bk1書評ページへ

 漫画の神様手塚治虫の代表作「鉄腕アトム」で、手塚はまるで私たちの現在を見透かしたかのごとく、未来の街や社会インフラを描いた。そんな手塚でさえ予測できなかったのは、手塚が愛してやまなかった漫画表現そのものではなかったか。
 今や世界に冠たる日本の漫画だが、その多様な表現はめざましいものがある。歴史、政治、文学はいうまでもなく、グルメ、音楽、セックスと、漫画で表現できないものはないのではと思える程にその世界は広がっている。

 本書は、『夕凪の街 桜の国』の漫画家こうの史代の、漫画表現と手文字のつれづれなる文章が一体化した初エッセイ集だ。こうののたよりなげな線が、この人はいい日常をおくっているのだなという、ほのぼのとした感情を表現している。激しくもなく、過剰でもない「平凡な」日常。それをさらっと描く力は並大抵ではない。手塚でさえ表現できなかった世界だ。きっとこうの史代ファンにとってはたまらない一冊だろう
(2010/12/17 投稿)

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  今日紹介する絵本も
  先日行った児童書専門店「クレヨンハウス」で
  見つけた一冊です。
  『かたつむり食堂』の小川糸さんが
  訳されているので
  手にしました。
  もし小川糸さんが訳していなかったら
  読まなかったかもしれませんね。
  海外の絵本は
  なかなか読む機会が少ないですから
  若い日本の作家の皆さんは
  どんどん翻訳に挑戦して欲しいと
  思います。
  この絵本だって、
  小川糸さんに訳されて
  どんなに仕合せなことでしょう。
  今日は400字書評です。

  じゃあ、読もう。

ふたりの箱 (単行本)ふたりの箱 (単行本)
(2010/09/08)
クロード・デュボア

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sai.wingpen  チョコレートのような絵本               矢印 bk1書評ページへ

 『食堂かたつむり』の小川糸さんが翻訳をした、ベルギーの絵本です。作者のクロード・K・デュボアさんの絵はやわらくてあたたかくて、チョコレートのような感じがします。描かれている物語も、あたたかい。

 ある日、ジュリーのお父さんは家をでていきます。お父さんの背中にジュリーは「お父さんなんか、大っきらい!」とさけびます。ジュリーの家は今まで三枚用意していたお皿は二枚でたるようになりました。お父さんもジュリーも互いの思いを心のなかの箱にしまいます。
 お父さんもジュリーもあふれてくる思いにどうしようもなくなって、とうとうその箱さえ遠くに捨ててしまいます。
 季節はめぐり、偶然再会した二人。「こんなに近いのに、こんなに遠いなんて」。あとは、少しだけの勇気です。

 閉じてしまった箱は誰にでもあります。その箱を開けるのは時間もかかります。でも、本当は少しだけの勇気があれば、箱は開くのです。この物語の二人のように。
  
(2010/12/16 投稿)

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  今日紹介する本は
  芥川賞作家の絲山(いとやま)秋子さんの
  『妻の超然』。
  久しぶりにいい物語に
  出会った気分です。
  いい物語というのは、
  けっして楽しいばかりではなく
  色々なことを考えさせてくれること。
  純文学という言葉は
  最近ではすっかり色あせてしまいましたが
  この『妻の超然』は
  純文学の王道といっていいのでは。
  この本に収められた
  『下戸の超然』も『作家の超然』も
  面白い中篇小説でした。

  じゃあ、読もう。

妻の超然妻の超然
(2010/09)
絲山 秋子

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sai.wingpen  読者の超然                     矢印 bk1書評ページへ

 この本を読むきっかけは、そのタイトルにある。『妻の超然』。超然ってなんだ。しかも、妻の超然ってなんだ。
 まずは、辞書で「超然」を調べれば、「その物事に関心を持たず、どうなっても平気でいる様子」とある。では、この本はそんな妻を描いているのか。
 興味はますます増して、物語の扉が開く。

 表題作の『妻の超然』は、結婚して十年になる四十八歳の主婦理津子が主人公である。夫の文麿はどうも浮気をしているらしい。しかし、そのことに理津子は思い悩んでもいない。「ため息をつくことさえも面倒くさい」のだ。
 ふりかえれば、そんな理津子にも楽しい新婚生活があったが、「いつの間にか理津子は楽しそうにすることに飽きた」のだ。そうして現在の心境といえば、「たった十年でこれだ。結婚なんて家電と変わらない」。
 冷蔵庫の寿命、テレビの寿命、洗濯機の寿命。それに夫婦の寿命。案外、家電の寿命より夫婦のそれの方が短いのかもしれないと思い知らされる。こうして、妻は超然としていく。
 何があっても驚きも嘆きもしない。理津子は思う。「およそ妻たるものが超然としていなければ、世の中に超然なんて言葉は必要ないのだ」と。

 夫婦の姿を描いた物語は世の中にごまんとある。絲山秋子のこの作品もそのなかにひとつにすぎない。しかし、ここに描かれた妻の超然ぶりはどうだろう。夫の馬鹿さかげんはどうだろう。
 夫婦の実態がどのようなものであれ、所詮は同じ穴に棲む狢(むじな)だ。そして、それが案外幸福だったりする。
 そんな夫婦の姿を見事に描いた、これは名作といってもいいのではないだろうか。

 四十八歳の理津子に「更年期だよ」という文麿に彼女はこう切り返す。「あなたが更年期の何を知っているというのか。私だって知らないものをあなたがどうして知るものか」と。さらに、こう毒づく。「それ以前にあなたは忘れていることが一つある。あなたも確実に年を取っているということだ」
 世の中の男性諸君、心して読まれよ。
  
(2010/12/15 投稿)

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  今年は三島由紀夫の没後40年ということもあって
  三島由紀夫の関連本が数多く出版されています。
  おそらくこの
  酒井順子さんの『金閣寺の燃やし方』も
  それを意識して出版されたものだと
  思いますが、
  そこに金閣寺炎上事件をはさんで
  同じ事件を題材にして
  小説を書いた水上勉を配したのは
  それはそれで面白い企画だと
  思います。
  それに『負け犬の遠吠え』の酒井順子さんを
  書き手にした。
  これが多分この本のもっとも
  ユニークな試みだと思います。

  じゃあ、読もう。

金閣寺の燃やし方 (100周年書き下ろし)金閣寺の燃やし方 (100周年書き下ろし)
(2010/10/29)
酒井 順子

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sai.wingpen  負け犬は強い!?                     矢印 bk1書評ページへ

 三島由紀夫の『金閣寺』(1955年)を初めて読んだのはいくつの時であっただろう。少なくとも水上勉の『金閣炎上』(1979年)がでる前であったことはまちがいない。
 酒井順子は水上勉の『五番町夕霧楼』を読んで、それが金閣寺炎上を題材にした物語、そしてそのことは同時に三島の『金閣寺』と同じ題材にした物語と知ったことがこの本を書くきっかけになったという。
 すこし文学に詳しい人なら誰でも知っているようなことであるが、1966年生まれの酒井順子はあっけらかんとそのことを書いている。そんなに驚くことでもないのに。
 それはともかく、こうして酒井順子は三島由紀夫と水上勉と、実際の放火犯であった林養賢の、「それぞれ抱いていた金閣寺への思い」をたどっていくことになる。

 酒井は「三島が美の問題のみを書き尽くしたからこそ、水上は美以外の部分の金閣寺を描いた」ということにたどりつく。あるいは「それぞれの美意識の上に成り立つ両者の作品は、同じ事件を題材にしながらも、全く違う方向を向いた小説」であることにきづく。しかし、いまさらそのことをとりたてていうまでもない。きっと多くの論者がそう見てきたし、おそらくすでにたくさんの論考があるだろう。
 この本の面白さは、そういうことをまじめに、極めて真面目に、酒井順子が書いているということだ。彼女は彼女なりにたくさんの取材をし、たくさんの本を読み、たくさんの人にあった。その過程ですでに発掘者がいただろうことにも出会ったはずだが、酒井はそのことをものともせずに、訪ね、考え、書いていく。
 これはこれでなんとも面白い。そうでなければこの世の中、生きていけない。

 開高健は「世の中のほとんどのことはもうすでに書かれているのではないか」といつも恐る恐るだったようなことを書いていたと思うが、酒井順子にはそんなことは関係ない。誰がどう書いていようが、構わない。まさに「負け犬の遠吠え」といわれても平然としている。
 それこそ、この本のたぐいまれな面白さだろう。
  
(2010/12/14 投稿)

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  昨日子供向けの絵本『愛のほん』を
  紹介しましたが、
  そこで、今日は
  大人の恋愛を描いた、ずばり
  書名も『恋愛小説』の紹介です。
  寒くなると恋愛小説が読みたくなるのかな。
  人肌恋しくて。
  この『恋愛小説』は
  川上弘美さんやよしもとばななさんといった
  私の大好きな作家のみなさんの
  共作です。
  こういう本って得した気分に
  なりますね。
  もう5年以上前に書いた蔵出しです。
  私も少しは若かった。
  書いたのが3月。
  恋愛小説を読みたくなるのは
  寒いからじゃないのかな、
  やっぱり。

  じゃあ、読もう。
 
恋愛小説 (新潮文庫)恋愛小説 (新潮文庫)
(2007/02)
新潮社

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sai.wingpen  おとなの時間                     矢印 bk1書評ページへ

 私は大人です。煙草も吸いますし、お酒も飲みます。経済の状況に興味がありますし、社会の事件に憂いもいます。電車の中で居眠りもするし、腰をあげる時に「よいしょ」と口にでます。そんなどこにでもいるような、大人です。
 だから、若い人のやることに少し眉をひそめたりもします。若いというだけですべてが許されるような風潮にいささか食傷ぎみです。恋愛が若者だけの特権だと思いません。
 若い時には恋もしたし、その時は無二な恋愛だと思っていたけど、大人になった今でもやはり恋愛に憧れます。若い人にはできない、大人の恋愛をしてみたいと思います。

 私は大人だから、お酒を飲みながら恋愛小説を読めます。至福の時間です。
 しかも、それが極上の恋愛小説ならいうことはありません。この『恋愛小説』という本は、今が旬の女性作家五人が、恋愛とお酒という主題でそれぞれが腕を奮っています。特にお酒はこの本が新潮社という出版社とサントリーというお酒の会社がコラボレーションしてできた作品集ですから、五人の作家たちも作品の中でうまくお酒を描いています。
 まさに美味しいお料理を高級なお酒と一緒に戴くような、そんな一冊です。

 五人の女性作家。川上弘美、小池真理子、篠田節子、乃南アサ、そしてよしもとばなな。
 五人ともに決して若いとはいえない。悪口ではなく。若くはないのですが、清清しさはある。文章に潤いがある。それぞれがそれぞれの恋愛小説を描いているのだが、まるで若い人のように初々しくもある。登場人物も若くはないのに、彼女たちは乙女のようでもある。
 川上弘美の『天頂より少し下って』の主人公は成人した子供がいる四十五歳の女性だが、それでも「恋をしている女の、埒もないぐるぐる思考」にゆらゆらしている。ちょっぴりそんな主人公に惚れたりしてみる。

 大人っていうのは恋愛をするにも、社会的な身分とか人間関係とか面倒な管をたくさんつけている。多分若い人はそういう管を持たないから、そういう面では敵いません。
 でも、お酒を飲みながら、素敵な恋愛小説を読んで、そんな管をひとつずつはずしていくのも大人の時間だ。
 大人って若い人以上に夢見る世代なのかしらん。お酒と物語に酔った私の周りに、いつの間にか五人の天女がいたりして。
  
(2005/03/27 投稿)

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  先日シャープとソニーから
  電子書籍端末が販売されました。
  シャープが「ガラパゴス」。
  ソニーが「リーダー」。
  いよいよ電子書籍が本格化しますね。
  私には関係ないとそしらぬふりを
  していましたが、
  なんだか欲しくなっちゃいます。
  サンタさんにお願いしたい。
  でも、今日紹介した
  絵本の類(たぐい)は
  やはり従来の形で読みたいものです。
  そういう棲み分けが
  出版の世界に広がるのではと
  思います。

愛のほん愛のほん
(2010/11/01)
ペニラ・スタ-ルフェルト

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sai.wingpen  愛はむずかしい?                  矢印 bk1書評ページへ

 ペニラ・スタールフェルトが描いた絵本『愛のほん』はスウェーデンの絵本です。翻訳は、幼少の頃にスウェーデンで生活をしたこともあるという、女優の川上麻衣子さん。
 『愛のほん』という素敵な書名がついていますから、どんなにかわいい物語かと想像してしまいますが、かなり真面目な、それは少々子どもたちにはわかりにくいかもしれません、「愛」の本です。

 表紙を開くと「愛することは世の中で一番かんたんなこと・・・・。そして世の中で一番むずかしいこと。」と書かれています。かんたんなことは教えることはできますが、むずかしいことは考える必要があります。
 だから、子どもたちが読むときは、そばにじっと座っていてあげて下さい。そして、子どもたちがわからなくなったら、おとなの人が教えてあげてください。だって、「愛」はむずかしいのですから。

 「愛してるっていう感じはね・・・・あまーいソーダの泡につつまれているみたいだったり」します。でも、その「愛」の姿はさまざまあります。男女がひきつけあうのも「愛」ですし、親子の「愛」だってあります。ペットに「愛」を捧げている人だっています。男どうしも女どうしにも「愛」は存在します。そんなことも描かれています。
 過激だと思いますか? 
 そういうことはいつか学ばなければいけないことです。だって、「愛」はむずかしいのですから。

 「愛」が進行すれば、セックスだってしたいと思います。
 まるで性教育のような絵があります。この絵本は、「愛」から逃げていません。「愛」は単にあこがれだけではありません。いつしかセックスをし、新しい命を育むことだってあるのです。そのことに、この絵本が描いていることに、まちがいはありません。
 ただ、子どもたちにはわからないこともあります。時にはおとなだってわからずに失敗してしまうこともあるのですから。
 だから、子どもたちのそばにいてあげてください。それも「愛」ではないでしょうか。だって、「愛」はむずかしいのですから。
  
(2010/12/12 投稿)

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 どうしても欲しい本がありました。
 この秋に出た、詩人の茨木のり子さんの
 全詩集です。
 ところが、この本、高いのです。
 税込みで8,400円
 一冊の値段です。
 浦和の須原屋という大きな本屋さんでは
 ビニールにはいって、一冊だけ置いてありました。

 しかも、これは詩集ですから、
 文字数でいえば評論や文学よりはうんと少ない。
 一文字あたりの単価が高い。
 でも、言葉は値段ではない。
 言葉に価値を認めれば、どこまでいってもきりがない。
 ただ、現実には価格というものがついてしまいます。
 でも、8,400円は高い。
 私の貧しい蔵書のなかには
 そんな高い本はない。
 でも、欲しい。

茨木のり子全詩集茨木のり子全詩集
(2010/10/10)
茨木 のり子

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 一冊の詩集を買うべきか買わざるべきかで
 悶々としている私の目に
 本棚に眠っていた岩波書店の「ファーブル全集」が
 目にはいりました。
 もう20年以上前に買い揃えたもので、
 函入りのりっぱな全10巻です。
 一冊3,000円近くしましたから、
 当時は無理をして揃えたものです。
 ところが、まだ読めていないのです。
 私は頭のなかで、これからこの「ファーブル全集」を
 読む機会があるかどうか
 すばやくチェックしました。
 出した結論は、
 「おそらくこれからもこのファーブルは読むことはないだろう。
 しかし、茨木のり子の詩集はこれからの人生にとって重要だろう
」と
 いうものでした。

 「ファーブル全集」全10巻ははたしていくらで売れるか。
 そのあたりにあった、何冊かの本をつけて
 古本屋さんに出向きました。
 買った当時は3万円近くした、「ファーブル全集」全10巻。
 高価だったんですよ、当時は。
 もちろん、そんな値段で売れるわけはなく、
 結果は3,000円と少し。
 やれやれ。
 「ファーブル全集」全10巻なのに。
 残りは仕方がありません。
 こづかいをかき集めて、
 本屋さんに走りました。
 そして、茨木のり子全詩集を買いました。

茨木のり子
 我が家の本棚に、
 一冊8,400円の本がやってきた日、
 ファーブルが茨木のり子に変容した日
 それは、冬木にぶらさがる蛹から美しい蝶が羽をひろげた日でも
 あります。

 そっと、本棚に立てかけました。
 なにしろ、8,400円の、
 我が家で一番高価な、
 そして、価値ある詩集なのですから。

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プレゼント 書評こぼれ話

  俳人の長谷川櫂さんはスマートです。
  1954年生まれですから、
  私と同年代といっていいでしょう。
  東京大学法学部を卒業して
  読売新聞の記者になりました。
  そのあと、俳句に専念され、
  いまや俳界では第一人者と
  いっていいと思います。
  長谷川櫂さんの写真を拝見すると
  俳句とは年老いた人だけが詠むものではないと
  思います。
  実にスマートです。
  そんな長谷川櫂さんが
  明治の俳人、正岡子規について書いたのが
  今日紹介した『子規の宇宙』です。
  とても平明でわかりやすい、
  子規研究本といっていいでしょう。

  じゃあ、読もう。

子規の宇宙 (角川選書)子規の宇宙 (角川選書)
(2010/10/25)
長谷川 櫂

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sai.wingpen  子規は何よりも人間だった             矢印 bk1書評ページへ

 この本は現役の俳人長谷川櫂さんが正岡子規の魅力を、いくつかの側面から解説したものです。伝記的な手法ではなく、いくつかの組み合わせにより子規の全体(これを書名のように「宇宙」と呼んでいいでしょう)を浮かび上がらせています。
 例えばそれは第一章の「子規という奇跡」のなかの、野球好きの子規を描くことで溌剌とした青春時代の子規を描いたり(「ベースボールの歌」)、旧来の文語体から平易で誰にも親しめる口語体へと進めた子規の文体の誕生をつづった「口述が生んだ文体」という文章であったりするように、子規の多面性をうまく構成しています。

 そもそも正岡子規という人間を俳句革新というひとつの世界だけで評価することに無理があります。長谷川さんはこの革新というだけでは子規の業績を卑小化するものとして捉えています。
 日本文学の大きな流れのなかで子規を評価すべきだとして、子規の「俳句分類」という過去の俳句をさまざなな視点で分類したものを高く評価しています。
 長谷川さんは子規が「俳句分類」という業績を残したことで、子規自身、俳句に開眼したとも考えています。
 また、長谷川さんは現役の俳人らしく、子規の俳句の魅力を「即時」という観点から評価しています。
 「即時」とは、「読んで字のとおり事(現実)に当たってそのまま詠んだということ」ですが、子規の俳句でいえば母の言葉がそのまま名句になった「毎年よ彼岸の入に寒いのは」のように、「即時」が「独特の切れ味と速度感」を与えているとしています。
 本書の巻末には、その「即時」の立場で選んだ長谷川櫂版子規選句が286句紹介されています。

 長谷川さんは子規の生きざまにも着目しています。
 子規が『病床六尺』でなかに書いた「悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事」という文章に強くひかれています。本書のなかにも何度も表現されています。
 長谷川さんはそんな子規の生き方を踏まえ、こう書いています。「病苦に満ちた子規の短い人生はじつは私たち一人一人の人生の縮図です」と。
 わずか35歳で亡くなった子規ですが、実にたくさんのことを私たちに残してくれました。そんな子規を知る、内容の充実した一冊だといえます。
  
(2010/12/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  書評のなかにも書きましたが、
  今日紹介する塩野七生さんの
  『生き方の演習』は
  12年前に塩野七生さんが若い人向けに行った
  講演がもとになっています。
  その時の演題は「二十一世紀にどう入っていくか」でした。
  この演題を見た時、
  司馬遼太郎さんが小学校用教科書向けに書いた
  「二十一世紀に生きる君たちへ」という
  文章を思い出しました。
  その中で司馬遼太郎さんは
  「私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。
   未来というものであ
る」
  と書いています。
  司馬遼太郎さんが見ることのなかった
  二十一世紀に生きる私たちは
  司馬遼太郎さんの期待に
  きちんと応えられているのだろうか。
  そんなことを思いながら、
  この『生き方の演習』を読みました。

  じゃあ、読もう。
  
生き方の演習 ―若者たちへ―生き方の演習 ―若者たちへ―
(2010/09/22)
塩野 七生

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sai.wingpen  若者たちを信じて                     矢印 bk1書評ページへ

 本の「はじめに」で著者の塩野七生さんはこんな言葉から始めています。「十二年も昔に話したことを、今また本にしたいという申し出を受け、読み返してみて愕然としています」と。
 そこにあるとおり、この本には、塩野さんが1998年に行った講演記録である「これから人生を歩むあなたへ」と、1985年に書いた「オール若者に告ぐ」、そしてこれは最近ですが2010年に書いた「母と読書と好奇心」という、3本の作品が収められています。
 では、何故塩野さんが「十二年も昔に話したこと」に「愕然」となったのでしょう。
 それはその話が「今でも通用するということがわかって」ということらしい。
 1998年の講演の際の聴衆は「高校生から大学初年頃の若者たち」だったそうですから、彼らはすでに三十歳前後になっています。塩野さんは「その間、日本はずっと一箇所を迷走していたのだから」、彼らもいまだ悩んでいるかもしれないと考えます。
 それがこの本の出版のきっかけだそうです。

 「日本はずっと一箇所を迷走していた」という塩野さんの思いに賛同する人は多いと思います。それが政治の迷走であれ、経済の低迷であれ、おそらく多くの人が塩野さんと同じように、新しい世界観を組み立てられないこの国に失望しています。
 十二年前塩野さんはどんな話を若者たちにしたのでしょう。一言でいえば、「グローバル化」に備えた生き方についてでした。
 最近でこそ英語を公用語にする動きがいくつか目立ってきたものの、まだまだ思考は「グローバル化」についていけていないのではないでしょうか。
 この本がこうして世に出ることの大きな意味はそこにあります。

 この本には「若者たちへ」という副題がついています。
 いつの時代であっても、国のありようを変えていくのは若者たちだと思います。高齢化社会にはいったこの国であっても、いつまでも老人たちが政治や経済の先頭に立つべきではないでしょう。塩野さんがいくら声高に話しても、そういった社会の構造を変えないかぎり、難しいかもしれません。 本当に「生き方の演習」が必要なのは、若者ではなく、年老いた者ではないでしょうか。
  
(2010/12/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  本の読み手としての
  男性と女性は、
  同じ本を読んでも感じることは
  ちがうのだろうな、と思うことがあります。
  今日紹介する夏石鈴子さんの 『愛情日誌』も
  きっと男性と女性では
  思うところはちがう一冊だと思います。
  どちらかといえば、
  女性に大いに受ける作品では
  ないでしょうか。
  しかし、
  そういう作品こそ
  男性読者には読んでもらいたい。
  相手のことを知ること。
  特に性(あ、ここでは男性とか女性とかいう意味ですが)の違いは
  互いに知ることはとても
  大事なんではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

愛情日誌 (角川文庫)愛情日誌 (角川文庫)
(2010/01/23)
夏石 鈴子

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sai.wingpen  一生懸命な夫婦の物語                     矢印 bk1書評ページへ

 夫婦は他人だ。
 どこまでいっても決して交わらない平行線のように、夫という線と妻という線は交わることはない。
 寄り添うように近づくことはあっても、重なって一本の線に見えることはあっても、それは交わってはいない。親や子とは、そこが根本的に違う。だから、離れることもあるし、ふっと遠ざかることもある。親や子のように、どんなに離れていてもつながっている関係とはまったく違うのだ。

 夏石鈴子の『愛情日誌』は、家事と育児と仕事に追われる豊子とほとんど仕事らしきものがない映画監督の明彦の、夫婦の物語だ。
 朝から機嫌の悪い豊子にのんきな明彦が提案したのが「セックス」である。妻の機嫌の悪さは「セックス」をしていないことだと夫は思っている。妻の豊子もそのことに肯定はしてはいないが、否定もしていない。
 夫婦が他人だとすれば、その他人を結びつけるものが必要だろう。それを「愛情」というには初々しくもないとしたら、やはり、豊子と明彦のように「セックス」ということになるのだろうか。
 しかし、と豊子は真面目に考える。「慣れること」と「飽きること」と「馴染むこと」の違いについて。そのところは、物語の主人公の造形としてとても面白い。
 引用する。「この人と抱き合って驚くようなこと、嬉しさでドキドキするようなことは、もうないんだなと思う。ずっと知っていることばっかりこれからも続いていくんだ」と、豊子は深刻ではないが悩んでいる。そして「一緒に時を過ごすことって、どうやったらいいのか、どうやるものなのか、わからないままここまで来た、という感じ」になっている。
 こんな豊子に共鳴する女性読者は多いのではないだろうか。

 この物語に「セックス」が描かれているわけではない。どこかに飛んでいきそうな夫婦という二本の線の様子が描かれているだけだ。
 それでいて、夫婦の「セックス」を見事に描いているような思える。燃えあがるわけでもない普通の「セックス」にいたる、これはどこにでもありそうな夫婦の日常生活である。
 解決などない。ただまだ一緒にいたい。
 一本の線に見えるほどには重なることがなくなっても、まだ離れようとは思わない、これは一生懸命な夫婦の物語なのだ。
  
(2010/12/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介した池上彰さんの『伝える力』の
  書評のなかで、
  今年の「流行語大賞」にふれています。
  そこで、私なりのコメントをまとめてみました。
  大賞の「ゲゲゲの~」と「いい質問ですね!」は
  書評にも書いたのではぶきます。
  
  「イクメン」… 知りませんでした。
  「AKB48」… さすがに知っていますが、誰が誰やらちとわかりません。
  「女子会」… なんとなくわかるような。
  「ととのいました」… なぞかけは難しいので、私は整いません。
  「~なう」… さっぱりちんぷんかんぷん。
  「無縁社会」… これもNHKですね。
  「食べるラー油」… これはおいしい。

  どうも時代についていけてないかな。
  
  じゃあ、読もう。

  
伝える力 (PHPビジネス新書)伝える力 (PHPビジネス新書)
(2007/04/19)
池上 彰

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sai.wingpen  いい解説ですね!                  矢印 bk1書評ページへ

 先日、今年(2010年)の「流行語大賞」が発表されました。大賞は「ゲゲゲの~」で、さすがNHKの影響力はすごいものだと感心しました。
 大賞にはなりませんでしたが、トップテンにこの本の著者でもある池上彰さんの「いい質問ですね!」が選ばれました。池上さんといえばNHKの「週刊こどもニュース」のお父さん役を11年務めたことはよく知られています。ただ池上さんの場合は、NHKというよりも、「週刊こどもニュース」で鍛え上げた「わかりやすく伝える」ということがここにきて大ブレークしたといえます。今年活躍した一人といっていいと思います。

 池上さんの場合はTVの世界だけでなくたくさんの著作でも、今年の読書界をひっぱってきたといえます。
 書店の店頭には池上さんの本が数多く並んでいます。数年前の勝間(和代さん)本ブームに似たところがあります。もっとも池上さんは勝間さんと違って、さすがTVの出身ですからTVに出た時も落ちついています。ブラウン管を通して受けとる印象と著作から受けるものが同じです。
 流行語大賞をとった「いい質問ですね!」でもわかるように、まずは相手をほめるところから始めるといったような当たりの柔らかさが、今の池上彰ブームを作っているのではないかと思います。

 この本、『伝える力』は今も書店の店頭のいいところに並んでいますし、最近は100万部突破の帯までついていますが、2007年5月に出版されたものです。今の池上彰ブームのさきがけとなった一冊といっていいかもしれません。
 ビジネスマン向けに書かれてはいますが、コミュニケーション力をつけたいと考えている学生さんにも好適ですし、最近のブームで池上彰さんのことをもっと知りたいと思っている人には、とっかかりとして読むにはふさわしい一冊です。
 3年前に書かれた本ですから、でてきる事例はいささか色あせています(村上ファンドって覚えています?)が、自分なりに読み変えることで池上さんが言おうとしたことをより実践できるのではないでしょうか。

 池上彰さんの読者の一人として言わせてもらうなら、「いい解説ですね!」に尽きます。
  
(2010/12/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今の家に住んで13年ぐらい経つでしょうか。
  ここに住むまでに
  結婚してからでいえば
  7軒ぐらいの家に住んでいます。
  ほとんどアパートの類です。
  家というのは一度大きなところに
  住んでしまうと
  なかなか次に住む時は狭い家には
  移りにくいものです。
  家族の成長とともに広くしていくのは
  いいのですが、
  いずれその子たちも巣立っていくでしょうから
  すこし窮屈ぐらいがちょうどいいかも
  しれません。
  今日は、平凡社コロナブックスの一冊、
  『作家の家』の紹介です。
  作家たちの家に比べて
  我が家のなんと小さいことか。
  でも、それもまた人生。

  じゃあ、読もう。

作家の家 (コロナ・ブックス)作家の家 (コロナ・ブックス)
(2010/11/24)
コロナ・ブックス編集部

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sai.wingpen  ごめんください、お留守ですか            矢印 bk1書評ページへ

 俳優の渡辺篤史さんが進行役を務める「建もの探訪」という人気TV番組がある。放映開始から21年という長寿番組だ。
 渡辺さんの独特なレポータぶりが人気の源らしいが、それ以上に他人の家の内側がどうなっているのか興味がもってしまう、人間の心理をついた企画がうけたのだろう。
 他人の家を見て人は何を思うのだろう。あこがれだろうか。嫉妬だろうか。はたまたその家で暮らす人たちの心のありようだろうか。
 のぞき趣味とはいわないまでも、その空間を歩く人たちの残像のようなものが行き来しているように感じる。その空間に他人ではなく自分に置き換えてみたら、それはまたちがった世界に変容する。

 『作家の家』と題されたこの本には15人の著名人がかつて住んだ家の様子がたくさんの写真で紹介されている。吉田健一、山口瞳、井上靖といった作家だけでなく、有元利夫や清家清などの画家や建築家の家もある。
 いずれもすでに彼岸の人たちだ。それでいて、その空間には彼らの息遣いが意図的であれそうでなくあれ、まだ残っている。
 しずかな足音とともに石畳を歩いてそっと玄関のとびらが開かれるような感じがある。あるいは、大きく開かれた窓にむかって彼らがじっとたたずんでいる気配がある。実際にはどうかわからないが、こうして写真に収められた時、彼らの残像はまちがいなくそこに見え隠れする。

 家には主人が必要だ。主人のいない家はたちまち崩壊する。
 15人の主人がいなくなった今、それでもこれらの家がそこにあるということは、現在の主人がいるということだ。さらにいえば、この15軒の家には、かつての主人もまだ棲んでいるのである。だから、写真を通じてそこに踏みいれば、かつての主人たちが迎え入れてもくれる。
 もし、渡辺篤史さんが探訪すれば、渡辺さんはどんなレポートをしてくれるだろう。
 なんともかんとも。
  
(2010/12/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私には二人の娘がいます。
  彼女たちが小さい頃は
  二人に絵本を読んであげたことも
  ありますが
  もう大きいので
  絵本を読むということはありません。
  でも、私が絵本を読む時は
  娘たちと一緒に読んでいるつもりで
  読んでいます。
  だから、娘たちの笑いとか愚痴とか
  不満とかが聞こえてきそうです。
  今日の佐野洋子さんの『おじさんのかさ』も
  そうです。
  彼女たちの声に耳を傾けながら
  書評を書きました。

  じゃあ、読もう。

  
おじさんのかさ (講談社の創作絵本)おじさんのかさ (講談社の創作絵本)
(1992/05/22)
佐野 洋子

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sai.wingpen  雨に唄えば                矢印 bk1書評ページへ

 おじさんは少しいばっています。鼻の下のヒゲなんか、ピンと横にはって、「うっほん」とおじさんみたいにいばっています。
 そんなおじさんですから、「くろくて ほそくて、ぴかぴかひかった つえのよう」な「とっても りっぱなかさ」を持っています。
 でも、おじさんは少し変なのです。
 でかけるときにはいつもかさを持って出るのですが、雨が降ってもかさをさそうとしません。大事なかさが濡れてしまうのが嫌なんです。ちょっとケチくさいですが、おじさんはケチともちがうような感じです。ただ「りっぱなかさ」が大事なだけです。

 ある日、おじさんはちいさな男の子と女の子のこんな歌を聴きます。
 「あめが ふったら ポンポロロン あめが ふったら ピッチャンチャン」。
 なんとも楽しそうな歌です。それで、おじさんはその歌が本当なのか試してみようと、大事な「りっぱなかさ」をついにひろげてみます。

 先日亡くなった佐野洋子さんの絵本『おじさんのかさ』は少し教訓じみています。でも、お説教くさくはありません。
 そっと生きていくなかでの本当に大切なことを教えてくれています。
 子どもたちはこのおじさんのことを笑うかもしれません。馬鹿にするかもしれません。だって、子どもたちだって、かさは雨の日にさすものだってわかっているのですから。
 でも、佐野さんはそっと、そっと、ささやいています。
 「おじさんのかさのように、使うべきところで使っていないもの、なーい?」って。

 最後に描かれた、かさ立ての中の濡れた「おじさんのかさ」は、少しいばっているようにみえます。
  
(2010/12/05 投稿)

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 ブログ開設から昨日で2年が過ぎました。
 きどっていえば、今日から「第三章」のはじまりです。
 第三章
 あの有名な『千夜一夜物語』は、
 つまり「アランビア・ナイト」ですが、
 奥さんの不貞で女性不信になった王様の暴政をやめさせようと
 賢い娘シャハラザードが千と一夜にわたって
 物語を語りきかせたという物語で、
 シャハラザードは「続きはまた明日」と王様の興味を
 ひきつけ続けたそうです。



 このブログも昨日で730日。
 千夜一夜まであと少しまできました。
 シャハラザードのように「続きはまた明日」と
 王様ならぬ読者のみなさんをひきつけられたか
 自信はありませんが、
 いつも読んでいただいている皆さんと
 いつも楽しませてくれる本たちに
 感謝しています。
 3年めのこれからも
 本を読む楽しみ、本で得る豊かな生活を
 たくさんの人に届けていけるように
 書いていきたいと思います。

 本の世界は電子書籍の登場で
 様変わりするかもしれません。
 でも、
 一冊の本をそっと手渡せるその瞬間の
 なんともいえない温かさを
 これからも忘れないでいきたいと思います。

  これからも応援よろしくお願いします。

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プレゼント 書評こぼれ話

  短期間の間に
  小宮一慶さんの本を続けざまに
  読むことができました。
  私にとっての小宮一慶さんの本の魅力は
  今日紹介した『ひらめき力速習教室』の
  書評のなかにも書きましたが、
  元気の素といってもいいと思います。
  それでも
  まだまだ学ぶ点が多くあります。
  この『ひらめき力速習教室』、
  小宮一慶さんのファンの人は
  復習のつもりで。
  初めての人は、予習のつもりで
  読んでみてはどうでしょう。

  じゃあ、読もう。

ひらめき力速習教室ひらめき力速習教室
(2010/10/16)
小宮 一慶

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sai.wingpen  あなたの引き出し開きますか             矢印 bk1書評ページへ

 経営コンサルタントの小宮一慶さんの本が好きで、今までもたくさん読んできました。
 小宮さんの本の魅力は一口にいえば、わかりやすいということです。
 すでに70冊近い本を書かれていますから、同じような話がしばしば登場します。しかし、そのことで小宮さんの本の価値がさがるということはありません。
 いったん頭の引き出しにいれた大切なことを、別の本を読むことで開けることができます。
 元気がなくなった時や仕事上の悩みがある時に小宮本を読むと、そういった引き出しの開閉が元気を呼び戻してくれます。私にとっての小宮本はそういう効能があるのです。

 今回の本は「ひらめき」について書かれています。ビジネスの現場ではどうしてこの人はこんなにすごいことを思いつくのだろうと感心することがよくあります。そして、できれば自分もそういう人になりたいと。そういう人の多くには鋭い「ひらめき」があります。
 ただ気をつけないといけないのは「ひらめき」と「思いつき」は違うということです。
 小宮さんが「ひらめきとは、経験と知識、そして論理的思考力によって生み出されるもの」と書いているように、「ひらめき」とは「論理的思考」を経てでてくるものだということです。「思いつき」にはそれがありません。そのことを理解して、本書を読む必要があるでしょう。

 「ひらめく人の条件」として小宮さんは「多くの引き出しを頭の中にもち、必要に応じてそれを開閉できる人」としていますが、そもそも凡人たる私たちは開閉にいたる前に引き出しを錆つかせているかもしれません。小宮さんの本を何冊も読むのは、そういう錆びつきを防ぐことでもあります。
 すべりをよくするのです。
 そうしておけば、必要なときに頭が反応してくれます。

 「ひらめく」ために「生活習慣」や「情報収集」、あるいは「オフ活用」など、たくさんのヒントが紹介されています。
 全てを頭の引き出しに納めるのは難しくても、読者の頭の引き出しはカタカタと動き出すのではないでしょうか。それだけでもしっかりと効き目があります。
  
(2010/12/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  この間の日曜に長谷川義史さんの『大阪うまいもんのうた』で
  大阪のうまいもんを堪能しましたが
  今日は毎度おなじみの
  東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズで
  またうまいもんを味わってください。
  今回は出たばっかりの
  ほやほやできたて、文春文庫の最新刊です。
  なので、正確にいえば
  文庫解説書評みたいになっています。
  それにしても、
  今回の文庫表紙の和田誠さんの絵は
  相変わらず冴えわたっていますね。
  コロッケと馬鹿殿。
  この取り合わせが最高です。

  じゃあ、読もう。

コロッケの丸かじり (文春文庫)コロッケの丸かじり (文春文庫)
(2010/11/10)
東海林 さだお

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sai.wingpen  ヨダレのでるおいしい解説                     矢印 bk1書評ページへ

 東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの文庫本が200万部に達して、出版元である文藝春秋が三ヶ月連続で「丸かじり」の文庫本を刊行するという吉報が届いた。別に私だけに届いた訳ではなく、全国民に等しく届いたはず。
 その第二弾が、この『コロッケの丸かじり』。文庫本の特長でもある和田誠さんの装丁は今回も健在で、和田誠さんの装丁に魅かれて、「丸かじり」シリーズは文庫本で読むという読者も多いはず。
 そして、文庫本のもう一つの特徴は、多士済々の解説人(私は刺身のツマと称したりしていますが)。この解説を読みたくて、「丸かじり」シリーズは文庫本で読むという読者も、これまた多いと推測する。

 でもって、今回の『コロッケの丸かじり』の解説であるが、漫画家のしりあがり寿さんが担当されている。
 まずは、東海林さだおさんの漫画の魅力(そうだ、東海林さだおさんは漫画界の巨匠だということを忘れかけていました)について、ひとくさり。
 「くずれそうでくずれないなんとも飄々とした線!」とさすが漫画家らしい解説をと感心しかけたが、それはわずか数行で、あとはしりあがりさんの食べ物の話オンパレード。まったく東海林さんの話なんか出てこない。
 最後にしりあがりさんの言うことにゃ、「わっ気がつけばもう紙数がない! わーホントに勝手に自分の食い物の話ばかりを書いてしまった」だと。なんじゃこりゃ。
 解説読みたさに文庫本を手にしたのに、御代を返せ、時間を戻せといいたくもなる御仁もあろうが、これこそ東海林さだおさんの「丸かじり」を如実に示す証左ではなかろうか。

 「丸かじり」シリーズを四角四面に解説して何の面白みがあろう。東海林さんはそんな堅苦しい解説なんか望んではおるまいに。香りただようおいしい料理を分析しても、腹のたしにもならないように、東海林さんの「丸かじり」を批評しても頭の栄養にはならないでしょう。
 しりあがりさんの解説のように、心に翼を、頭に自由を、口元からヨダレを、の精神が必要なのだ。それこそ、「丸かじり」の醍醐味といえる。
  
(2010/12/02 投稿)

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