03/31/2011 百年文庫 3 「畳」(林芙美子/獅子文六/山川方夫):書評「畳の手触り」

今日紹介した百年文庫『畳』のなかに
獅子文六の「ある結婚式」という
短篇が収められています。
今は結婚式といえばホテルですることが
多いようですが、
昔はこのように家ですることが
よくあったようです。
時代が成熟することで
いくつかのことが華美になってきたと思います。
それは生活の余裕ということもできますが
あまりにも贅沢すぎるともいえます。
人はそういうことに馴れると
なかなか舵をもとに戻せません。
計画停電ということも
昔はよく停電していたことを考えれば
なんとかしのげるのではないかと
思っています。
じゃあ、読もう。
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「百年文庫」の3巻目の書名は「畳」。収録されているのは、林芙美子の『馬乃文章』、獅子文六の『ある結婚式』、そして山川方夫の『軍国歌謡集』の三篇。
ここで余談をいれると、文学的な知識として林芙美子や獅子文六の名前は知っているし、二人の代表作の名前を挙げろと云われれば答えることができるが、実際この二人の作品を読むのは今回初めてであった。「百年文庫」というシリーズはそういう点では広く作者を集めているから、未読の作者の作品の一端に触れる機会を提供することにも役立っている。
もう一人の作家山川方夫であるが、彼が複数回の芥川賞候補になりつつ若くして交通事故で亡くなった作家として、何作かを読んだことがある。その作風は丁寧であって、今回収録されている『軍国歌謡集』も成熟した作品といえる。これだけの書き手が現代の作家にいるかといえば、やはり山川方夫のうまさが光る。
さて、今回書きたかったのは、どうしてこれら三篇の作品に「畳」という言葉が使われたかということである。書かれているテーマも題材も違いながら、どうして「畳」とつけられたか。
裏表紙の解説によれば、「小さな部屋に刻まれた忘れえぬ思い出」とある。
いづれの作品も、小さな部屋が舞台になっているところから「畳」という一文字が選ばれたのであろう。少し強引ではあるが。
そういう点でいえば、獅子文六のスケッチ風に書かれた掌編『ある結婚式』は面白かった。
媒酌人など嫌でしょうがない作者がどうしても断りきれない知人の息子の媒酌人を引き受けることになる。仕方なく、小さな宴を自宅の一室で執り行うことになる、そのささやかな光景を描いただけのものなのだが、良き時代(という場合の良きとはどういうことをいうのか人によって違うだろうが、ここではおおくくりに書いておく)の市民の息づかいまでもが聞こえてきそうな出来栄えである。
こういう掌編は心を温かくする。ちょうど畳の手触りに似ていて、気持ちがいい。
(2011/03/31投稿)

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今までの芥川賞受賞者は149人になるそうですが
一番年少での受賞者は誰かご存知ですか。
そう、『蹴りたい背中』で第130回芥川賞を
受賞した綿矢りささん。
初々しいワンピース姿で
会見に望んだ綿矢りささんの姿は印象的でした。
この時、綿矢りささんは19歳11ケ月。
かわいいかったですね。
それまでの記録は
第56回受賞者の丸山健二さんの23歳だったのですが
これは40年近く破られませんでした。
そのことでも注目を集め、
ベストセラーにもなりました。
今日は蔵出し書評ですが、
綿矢りささんの初々しい作品を
お楽しみ下さい。
じゃあ、読もう。
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第130回芥川賞受賞作。先日身体の調子を壊して病院に行った。その待合室で最年少の芥川賞受賞となった綿矢りさの『蹴りた背中』を読んでいる女子高校生を見かけた。彼女は本に夢中になっていた。最近の本屋さんは買った本には自店のカバーを必ずつけるものだが、彼女はカバーをつけずに、パステル調の水色で配色されたこの本をむきだしで読んでいた。表紙に描かれた、ベンチに腰掛ける少女のイラストは、高校三年生の佐々木こづえさんの作品。この女子高校生にこの本はすごく似合っていた。こういう人たちがこの本を読むのかと、彼女を見ながら、不思議な納得感があった。十九歳の著者、十七歳のイラストレーター、そして十代の読み手。
「確かに十九歳の世界はまだまだ狭い」と、宮本輝は芥川賞の選評に書いた。しかし、それはこの作者、作品を否定するものではない。宮本は続けてこう書いている。綿矢さんの作品に「伸びゆく力を感じた」、と。また池澤夏樹は「人と人の仲を書く。すなわち小説の王道ではないか」と選評している。けれど、小説の巧者たちがどのようにこの作品を評価しようが、私が見かけた病院の待合室でこの本を読んでいた女子高校生はもっと純粋にこの作品と向かい合っていたような気がする。
この作品は、友達ごっこを演じる同級生の輪の中に入れない主人公が、同じようにはみ出した一人の男子生徒を見つけるところから始まる。彼は年上のモデルにはまっているオタク少年だった。それでいて、クラスのどんな生徒よりも彼に親近感を感じてしまう主人公は、やがて彼の生活に付き合い始める。恋愛というよりも同志のような感情。選考委員の一人河野多恵子は「<蹴りたい背中>とは、いとおしさと苛ら立たしさにかられて蹴りたくなる彼の背中のこと」と書いているが、著者が蹴りたかったのはオタク少年のつまらない背中なんかではなかったのではないか。著者が蹴りたかったのは、いつまでも大人になりきれず、小さな世界にこもろうとする主人公の背中であり、そういう主人公を自分に近しいものとして作り出す著者自身の背中だったように思う。そして、この作品を真摯に読んでいる若者たちの多くも、苛立ちながら自分の背中に自身の足を押し付けているような気がする。
選考委員の石原慎太郎は選評の中で「誰しもが周りに背を向け、孤独や無関心、あるいは無為の内に自分を置いてどうにか生きているという観は否めない」と書いているが、それこそが「青春」という時代の特質だということを、『太陽の季節』で持って行き場のない苛立ちを描いた作者自身が一番気づいているはずだ。若者たちはいつだって蹴りたい背中をもっている。物分りのいい両親、熱意のない教師、ごっこの中で表情を隠す同級生、しらけた社会。いつの時代であっても、若者たちは一人っきりの自分と向かい合うしかないのだ。そして、一番蹴りたい背中が自分の背中だと彼ら自身がわかっていながら、もっとも足の届かない遠い背中であることに、いつの時代であっても若者たちの歯がゆさがある。
(2004/03/28 投稿)

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センバツ高校野球が始まりました。
今年の大会は東北関東大震災の悲しみがまだ癒えない中での
開催となりました。
東北各県の代表校では
甲子園に応援に行きたくても行けない
たくさんの人がいます。
そんな中高校球児たちは精一杯のプレーを
しています。
昨日は宮城の東北高校は負けてしまいましたが
その熱いプレーに全国から感動の拍手が
届きました。
そんな彼らの姿に
被災された地域の人たちもどんなに
勇気づけれていることでしょう。
今日紹介する一冊は
高校野球の歴史のなかでも屈指の好試合といわれた
石川星稜と和歌山箕島の対戦の記録です。
この時、箕島の監督は尾藤公(ただし)さん。
その尾藤公さんは先日逝去されました。
哀悼の心をこめて。
じゃあ、読もう。
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選抜高校野球が今年も始まった。今年は東北関東大震災の影響で東北勢への出場があやぶまれたが、無事32校の代表が出揃った。選手宣誓にあったように選手たちの多くは「16年前、阪神淡路大震災の年に生まれ」た。そんな彼らがその震災を超える大きな犠牲をもたらした東北関東大震災の年に甲子園でプレーすることに不思議な巡り合わせを感じる。
そして、もうひとつ、高校野球の人気監督として名を馳せた、和歌山箕島高校元監督の尾藤公(ただし)氏もこの開会を待たず、3月6日に亡くなった。
尾藤氏は箕島高校野球部の監督として1979年の春夏連覇など通算4回高校野球の優勝監督になっている。そして、「尾藤スマイル」と評されるように、ベンチにおけるその笑顔は選手だけでなく全国の野球ファンを魅了した。
本書は、そんな尾藤監督の歴戦のなかでも特に印象に残る、そしてそれは高校野球史にも刻まれる、石川県星稜高校との死闘を描いたノンフィクションである。
時はさかのぼる。1979年8月16日。第61回夏の高校野球の9日めの第4試合。試合時間3時間50分となる延長18回の激しい試合であった。
星稜高校が常に先行し、尾藤監督率いる箕島高校が追いつく形であった。最後には箕島高校が勝つのであるが(そこにはあまりにも痛々しいプレーもあった)、その試合こそ「神様が創った」ものと著者は書く。
その試合を追いかけるなかで、尾藤監督のインタビューもはいる。著者の「高校野球の魅力とは何ですか」という質問に尾藤氏は「ひたむきさ」と答えている。その答えに著者は「尾藤の野球人生そのものだと思った」と記した。
大震災の影響がつづくなか、白球を追い続ける高校球児たち。彼らがひたむきに走りつづける先にこそ、希望があり、夢がひろがる。
そのことを尾藤公氏はいつも教えてくれたのだ。
ありがとう、尾藤公氏。
(2011/03/29 投稿)

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03/28/2011 わたしと小鳥とすずと(金子 みすゞ):書評「わたしはすきになりたいな」

最近TVを見るのがつらくてなりません。
大惨事の光景はあまりにもつらい。
一日でも早く町がよみがえって欲しいと願うばかりです。
TVのCMが自粛され、同じパターンのものが
繰り返しながされています。
それはそれで仕方がないのかもしれませんが
できるだけ早くいつもの生活に戻るのも
元気になる要素ではないでしょうか。
そのACジャパンのCMのひとつが
今日紹介した金子みすゞさんの詩を
紹介しています。
そのことを書きたくて、
その詩が収録されている詩集
『わたしと小鳥とすずと』を
紹介しました。
この詩集にまつわることは
書評のなかに書きました。
被災された人たちに
エールをこめて。
じゃあ、読もう。
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東北関東大震災のあと、TVのCMが自粛されました。変わって流されたのがACジャパン(旧公共広告機構)のいくつかのCMで、繰り返し放映されることで苦情にもなったようですが、繰り返しされることで自然と頭にはいってしまった詩があります。
「「遊ぼう」っていうと/「遊ぼう」っていう。」で始まる、金子みすゞさんの詩もそのひとつ。
これは「こだまでしょうか」という題名の詩で、あのCMではその全文が紹介されています。
この『わたしと小鳥とすずと』という詩集にも収められています。金子さんの柔らかな感受性がにじみでた、いい詩です。
この詩集には思い出があります。二年あまりいた福島での仕事を終え、職場を去る際に共に働いていた人からこの詩集を頂きました。
今回福島は大きな被害に見舞われています。ただ誤解してはいけないのは、福島というのは大きな県ですから、福島県すべてが被災しているような印象をもつべきではないでしょう。金子さんの詩のように、元気な福島の人たちがこだまのようにして被災された福島の人たちを励ましています。
福島の人たちが黙々と頑張る人たちです。私も職場でどれほど助けられ、勇気づけられたことでしょう。
きっと福島の人たちはこの「困難」を乗り越えるにちがいありません。
この詩集にこんな詩があります。「みんなをすきに」という詩です。
「わたしはすきになりたいな、/何でもかんでもみいんな。」で始まり、「ねぎも、トマトも、おさかなも、/のこらずすきになりたいな。」と続きます。
その理由を金子さんは最後の段でこう書いています。「世界のものはみィんな、神さまがおつくりなったもの。」と。
流された町々、壊れてしまった家々、それでも私たちは金子みすゞさんのように「わたしはすきになりたいな、/何でもかんでもみいんな。」と云いつづけたいと思います。
(2011/03/28 投稿)

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03/27/2011 あの路(山本 けんぞう/いせ ひでこ):書評「「困難」に立ち向かうということ」

今日紹介する絵本のことは
ほとんど何も知りませんでした。
たまたまいせひでこさんが絵を担当していたので
読んでみようと思いました。
何しろ、文の山本けんぞうさんのことを
『路傍の石』を書いた山本有三と勘違いしていたくらいです。
山本けんぞうさんは1960年生まれのジャーナリスト。
世界各地の戦場をルポしている人です。
偶然に手にした絵本でしたが
今回の東北関東大震災で被災し、
「困難」にあっている人への
メッセージとなる書評が書けたと
思っています。
被災にあわれた人に応援していきたいと
思います。
じゃあ、読もう。
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今回の東北関東大震災のさまざまな光景を見るにつけ、「困難」ということを考えます。
阪神大震災の時もまた「困難」な光景を見せつけられましたが、時代とともに私たちはそれを克服してきました。人びとがそれを忘れかけた時、またしてもこうして「困難」と向き合うことになったわけですが、その大きさにかかわらず、私たちはそれぞれの「困難」と幾たびも向き合い、それを越えてきたはずです。
だから、今回の「困難」も私たちはきっとそれを乗り越えることを信じています。
この絵本に描かれた少年も「困難」にあっています。ふたりきりだったママがなくなり、おばさんの家にひきとられます。新しく通いはじめた学校でいじめにもあいます。心が「困難」に凍えていきます。
そんな少年の心のよりどころとなったのが、「あの路」に住む三本足の黒い犬でした。犬もまた「困難」であったのです。
ふたつの「困難」は互いに寄りそうようにして生きていきます。少年の「困難」は三本足の黒い犬のいのちで前を向くことを学びます。三本足の黒い犬はすでに「困難」を乗り越え、「自由」であることに、少年は気づいたのです。
少年はそうして「あの路」を立ち去ることを決意します。
「たくさんの日々を歩いている。たくさんのひとのなかを、ずっと、ひとりで、歩いている」
おとなになった少年は、そしてこう思うのです。「大丈夫さ。目をつむれば、あの路がある。きみがぼくを見ている」と。
大きな惨事のなか、「困難」に立ち向かっている人びとが、この絵本の少年と三本足の黒い犬のように、新しい一歩を踏み出すことを、願っています。
復興を信じて。
(2011/03/27 投稿)

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03/26/2011 この国のかたち 一(司馬 遼太郎):書評「復興を信じて」

昨日も書いたように
今回の東北関東大震災の未曾有の大惨事で
司馬遼太郎さんならどんなことを考え、
どう私たちに助言を与えてくれただろうかと
思うことがあります。
そこで、今日紹介した『この国のかたち』を
再読してみようと思いました。
その思いは
書評のなかに書いたとおりです。
私たちは今回の困難にどう対峙し
それをどう克服していくか。
本を読むことも
そのひとつのありようではないでしょうか。
じゃあ、読もう。
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今回の東北関東大震災は世界中の人びとに衝撃を与えました。一瞬にして瓦礫の町と化した惨状とたくさんの人びとの悲しみは生きるということの困難を多くの人たちに思いしらしめました。
そんな大惨事でありながら、この国の人びとは暴動することも強奪することもなく、瞑目するごとく静かにその困難に立ち向かっています。そのことを海外の多くのメディアが絶賛しました。
私たちの、日本という国はどういう国であるのか。
私たち、日本人という民族はどういう民族であるのか。
深い悲しみ、大きな困難は、私たちにもう一度そのことを考える契機となります。
かつて司馬遼太郎さんは「日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとは思わないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている」と、日本人論ともいえる『この国のかたち』を十年にわたり書き続けました。
あれから十五年。私たちはもう一度、『この国のかたち』を真摯に考えるべき時を迎えたといえます。
この一巻めに司馬さんはこんなことを記しています。
「日本人はつねに緊張している。ときに暗鬱でさえある。理由は、いつもさまざまの公意識を背負っているため、と断定していい」と。
今回の大震災で避難所生活を余儀なくされた人たちの姿をみていると、司馬さんがいう「公意識」という言葉がだぶります。あれほどの困難にあって静かに救援を待つ人びとは、個ではなく公の民衆としてある。私たちは、世界の他の国々と、その一点において誇れるものをもっています。
「公意識」が戦後の復興と急速な成長をもたらしたともいえる。
私たちは今回の大震災という困難をきっと乗り越えるでしょう。なぜなら、「私」ではなく、「この国」のかたちを優先するだろうから。
私たちは、そういう強い民族です。
復興を信じて。
(2011/03/26 投稿)

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今回の東北関東大震災は
たくさんの犠牲者と被災者を生み
信じられない光景を見せつけた
大惨事でした。
多くの涙が流れました。
そんななかで
黙々と悲しみに耐える人々を見るにつけ
これから私たちはどう生きていくべきかを
考えます。
もし、司馬遼太郎さんが生きていれば
一体どのような文章を書いたでしょうか。
そのことを思います。
司馬遼太郎さんはかつて『この国のかたち』という
著作を書き、この日本という国を模索しました。
今日紹介するのは
その誕生の姿を描いた、
関川夏央さんのノンフィクションです。
蔵出し書評になりますが、
今こそ「この国のかたち」を
それぞれが見つめるきっかけになればと
紹介します。
じゃあ、読もう。
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「この国のかたち」が書かれたころから、日本の風景は変わり、物の影が長く濃くなった。(272頁)
この文庫本の解説で、元「サンデー毎日」記者である徳岡孝夫氏はこう書いた。後段の「物の影が長く濃くなった」が、時代の相貌を的確に表現している。司馬遼太郎の「この国のかたち」が月刊誌「文藝春秋」で連載され始めたのは、一九八六年。徳本氏がいうように、時代は坂の上に猛々しく立ち上がる入道雲のようなバブル経済の頂点(そして、それは果てしないデフレ不況の始まりでもあったのだが)をめざし、一直線に進んでいた。そんな時代の中で、司馬遼太郎はその後ほぼ十年に亘る随筆の執筆を始めたといえる。
関川夏央のこの著作は、「文藝春秋」の巻頭随筆であった「この国のかたち」が書かれた経緯を軸にして、晩年の司馬遼太郎の姿を描いた労作であるが、特に連載開始にあたって、当時の「文藝春秋」の編集長が不退転の決意で司馬の休養先であった熊本のホテルを訪ねる場面は、この著作の中でも白眉といえる。司馬は「エッセイ書くと小説書けんようになるねん」と固辞したものの、そして本当に小説を書かなくなるのだが、何かに突き動かされるようにして随筆の筆を起こすのである。
当時の司馬はすでにバブルの前兆でもあった土地の急騰に心を痛めていた。だから、この随筆の書名を「この土(くに)のかたち」として書き始めた。土から国へ。それは雑誌の編集者によるたっての依頼であったが、わずか一文字の妥協は、その後司馬にとって大きな足枷になったのではないだろうか。関川が書くように、晩年の司馬は「困ったときの司馬さんだのみ」で多くの国家の憂事にコメントを求められたのも、この一文字の妥協のせいかと思われる。評論家の江藤淳が「この国」という表現に拘ったのも、司馬のこの作品が念頭にあってのことだったろうが、けっして司馬は江藤がいうように他人事としてこの国を見ていたのではない。むしろ、誰よりもこの国の行く末に苦悩していたのが、この本から垣間見ることができる。
司馬遼太郎の早すぎた晩年の、未来の私たちへの警告の書となった「この国のかたち」は文庫本全六巻で今も読むことができる。司馬の死後も経済、政治は混迷を続け、世相もまたけっして明るいものではない。「困ったときの司馬さんだのみ」は司馬がいない今こそ、その著作から学んだ多くの人たちが自ら判断しなければならないことなのだ。司馬が生涯最後の「この国のかたち」に「つづく」としるした意味を、私たちは忘れてはいけない。
(2003/06/30 投稿)

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昨日紹介した平松洋子さんの
『サンドウィッチは銀座で』の挿絵は
谷口ジローさんでしたが
今日は谷口ジローさんが作画を担当した
(原作は関川夏央さん)
『『坊っちゃん』の時代』の第二部を
蔵出し書評で紹介します。
谷口ジローさんの漫画は
このブログでも川上弘美さんの
『センセイの鞄』の漫画版で紹介しましたが
絵の雰囲気はとても好きです。
過剰でなく、静謐で、真面目な
絵柄といっていい。
漫画の表現をうんと広げたといえます。
じゃあ、読もう。
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漫画という表現手段は文庫には適していない。週刊誌サイズで発表された作品がおよそ三分の一に縮小された時、漫画家たちが描こうとした世界はあまりにも矮小化される。あるいは吹出し部分の「ネーム」と呼ばれるせりふが小さくなりすぎて、読む(!)ことに難渋する。それでも漫画文庫という出版形態があるとすれば、消化されるだけであった漫画が文庫化されることで将来に残すべき文化まで進化した証ともいえる。
この「凛冽たり近代なお生彩あり明治人」を描いた関川夏央(作)と谷口ジロー(画)の「『坊っちゃん』の時代」シリーズは、司馬遼太郎が描いた「坂の上の雲」に匹敵する作品だろう。司馬の作品が今なお多くの読者を惹きつけてやまないのは、明治という時代を生きた人々の熱情と司馬の柔らかな文章の魅力である。そして、谷口たちのこの作品は司馬が描いた時代と一にしながらも、谷口の描写力は司馬の写実を遥かにしのぐものになっている。それでいて、読者の想像の喚起を作品にとどめたとすれば、文学と漫画という表現手段を越えた文化の競合といえる。そういう点からも、この漫画が文庫として書棚の一角に並んでも不思議はない。
そして、もうひとつ有難いことは、文庫の解説である。巻末についた解説を楽しみにしている文庫愛好家も多いと思う。この作品にはあの川上弘美が解説を書いている(第一作めは高橋源一郎)。彼女が漫画をどう評するのか、解説だけでも読んでみたくなるではないか。結論をいえば、川上弘美は漫画という表現手段を踏み外すことなく解説を書いている。そして、そのことは川上弘美文学を読み解く大きなヒントかもしれない。
僕はこの谷口ジローたちの作品を司馬遼太郎の「坂の上の雲」の横に置いてみようと思う。決して遜色はない「漫画」である。
(2002/11/17 投稿)

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03/23/2011 サンドウィッチは銀座で(平松 洋子/谷口 ジロー):書評「おいしい本」

今日紹介した『サンドウィッチは銀座で』の著者
平松洋子さんは1958年生まれですから
私とほぼ同年代のエッセイストです。
フードジャーナリストでもありますから
食べ物や料理についての
多くの著作がありますから
ファンの方も多いと思います。
それにしても『サンドウィッチは銀座で』という
本のタイトル、いいですね。
思わずおなかがぐううと鳴ります。
私、サンドウィッチが大好きなのです。
この本の挿絵を担当している
谷口ジローさんの絵もまた
いいんですね。
谷口ジローさんの絵を見ているだけで
ご飯おかわりできそう。
じゃあ、めしあがれ。
![]() | サンドウィッチは銀座で (2011/01) 平松 洋子、谷口 ジロー 他 商品詳細を見る |


本を読むのが朝の通勤電車か帰りの電車の中ということが多いのですが、そういったところで平松洋子さんのこの本を読むのはかなりつらい読書となりました。
なぜなら、朝の通勤時間から、たとえば「むっちり厚いふぐの身のぶつ切り、ぷるぷるも皮。緑あざやかな春菊。そそり立つ白菜のざく切り。えのきだけ。太い豆腐二切れ」なんていう文章を読むと、今すぐにでもふぐ料理をはふはうと食べたくなります。それができない環境なのですから、これほどつらいことはありません。
頭のなかには湯気の向こうにおいしい光景がまざまざと立ち上がります。口のなかにはじんわりと唾液がにじみだし、お腹がぐううと鳴り出します。これはいけません。
帰りの電車でおいしいビールのそそぎかたなどを読むのもつらい。目の前に白い泡の王冠をのせた黄金色のビールがたぽんたぽん揺れてきます。これを今すぐ飲めたらどんなに幸福なことか。
家に帰るべきか、途中下車して居酒屋へ駆け込むべきか。平松洋子さんの文章と谷口ジローさんの画が、おいでおいでと誘惑してきます。うーむ、これもいけません。
あまりにもおいしすぎる文章には気をつけないといけない。それが、この本を読むときの最大の注意点です。
できれば、冷たいビールとサンドウィッチでも食べながら、この本は読みたいものです。
「サンドウィッチは誠意のかたまり」なら、平松さんのこの本は食べ物への「誠意のかたまり」といえます。きっとサンドウィッチを食べているのかこの本を食べているのかわからなくなるのではと心配の種が増えます。サンドウィッチではなく、この本にかじりついたりしなければいいのですが。
平松さんはこの本の最後にこう記しています。「味わいのなかには、かならずよい風景がある」。それをもじっていえば、この本のなかには、かならずおいしい風景があります。思わず「めしあがれ」といいたくなるような、おいしい一冊です。
(2011/03/23 投稿)

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03/22/2011 人質の朗読会(小川 洋子):書評「私たちは忘れない」

昨日(3.21)の朝日新聞社説は
「震災から10日」を迎え、
「人の強さを信じて進む」と題されたものでした。
私たちを揺さぶったものの恐ろしさに、
改めて身がすくむ。
と書きだされた文章は、次のような一文で閉じられています。
誰かがいれば人間は強くなれる。
信じよう。春はあと少しで来る。
誰もが同じ気持ちだと思います。
亡くなった人
いまだ行方のわからない人、
その安否をたずね歩く人、
なんとかしたいと願う人、
祈る人、祈る人・・・。
そんな時、小川洋子さんの
『人質の朗読会』を読みました。
苦しい時こそ
癒される物語があるとすれば
この物語に頭(こうべ)をたれる以外に
ありません。
願いがとどくことを。
じゃあ、読もう。
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ひとつの物語を晴れた日に読む。差し込む日差しが活字をくっきりと浮き立たせ、物語は明瞭な輪郭を持つこともある。同じ物語を雨の日に読む。活字は少し滲んだようにおぼろげになり、物語は柔らかくとける。
物語が変わるわけではない。読者がその日の気分で変わるのだ。だから、物語はいつも動くものだといっていい。その物語が心に届く、速さも深さも、読者の心のありようで変わる。
読者はそのことに気づいているはずだ。
東北関東大震災で犠牲になられたたくさんの人びとを前にして、小川洋子のこの作品を読むと、きっと3月11日以前にこの物語を読むのとは読後の印象は大きく違うだろうと思う。
それは死者への敬虔な悼みといえるものかもしれない。あるいは、生きていくなかのありふれた営みのなかに潜む意外性かもしれない。
そもそもこの物語は、地球の裏側にあるような海外の地で起こった日本人8人の誘拐とその後の人質全員の死亡という悲惨な事件を舞台にして、彼らが人質となっていた期間にそれぞれが語った人生の断片を描いたものだ。その一つひとつが厳かで、その物語の背景にある人生がくっきりと描かれている。
胸をうつというものとはちがう。人がひとの人生に向き合うということの痛みがここにはある。
そして、同じように、今回の大震災で犠牲となったたくさんの人びともまた、それぞれに物語をもっていたことを痛切に思う。
この物語の登場人物だけでなく、今回の大震災の犠牲者も等しく「自分が背負うべき供物を、定められた一点へと運ぶ」ために、生き、そして逝ったにちがいない。
語れる物語、語られない物語。
これから私たちは多くの物語に接することだろう。そして、それがどのようなささいなものであれ、生きていたという事実の前ではすべてが深遠な物語だということを、この作品を示唆している。
祈りとともにでページを閉じる、傑作である。
(2011/03/22 投稿)

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03/21/2011 極北に生きる人びと - アラスカの詩(星野 道夫):書評「心のフィルム」

今日は春分の日。
母が亡くなって一年。
まもなく本格的な春になります。
今年ほど春を待ち望むことはないかもしれません。
今回の大地震で被災された東北地方に
春の暖かさがいち早く訪れることを
全国の人が願っているでしょう。
季節はめぐります。
そして、季節があたらしい希望を
もたらしてくれます。
ましてや、春です。
どれほど人々は春を待っているでしょう。
傷ついた心に
やわらかな春が到来することを願って、
今日は星野道夫さんの『極北に生きる人びと』を
紹介します。
じゃあ、読もう。
![]() | 極北に生きる人びと―アラスカの詩 (2010/12) 星野 道夫 商品詳細を見る |


青少年向けに編集された写真家星野道夫の文集の二冊目である。この巻では星野道夫がめぐりあった人たちの姿が生き生きと描かれている。
星野道夫が一冊の写真集と出会い、それに誘われるようにしてアラスカの小さな村シシュマレフを訪ねたのが彼のアラスカでの生活のはじまりであったのは有名な逸話となっている。星野はその小さな村に感動し、日本に戻って写真を学び、そうしてアラスカに戻っていく。
星野道夫を有名にしたのはもちろん彼の写真家としての表現だったが、星野がこれほどまでに多くの人たちに今でも愛されつづけているのは、単に写真だけでなく、星野道夫という人物の魅力というしかない。そして、そんな彼をつくったのは自然の力であり、彼が出会った多くの人との関わりであったといえる。
「心のフィルムにだけ残しておけばいい風景が時にはある」と、写真家でありながら星野はいう。星野の文章の美しさは、写真という技術ではなく、彼の心のフィルムに残されていたからだろう。
心のフィルムは被写体の表面にあらわれたものだけでなく、その内なるものをもしっかりと映し出す。それこそ、星野道夫の変わらない魅力である。
そして、被写体を見る星野のまなざしの優しさもまた、星野が愛されつづける理由だ。
何年かぶりに出逢った恩人ともいえるシシュマレフ村の住民はアルコール漬けの日々をおくるようになっていたという挿話が本書の中の文章に収められている。その姿にとまどいながらも、また会いに行くよと肩を抱く星野は、どこまでも人間を愛し、見捨てない人だったにちがいない。そして、そのことを文章に書きとめたのも、星野の心にフィルムに残ったものだったからだ。
人間へのそういった深い思いこそ、星野の優しいまなざしであり、美しい文章の源だといえる。
(2011/03/21 投稿)

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03/20/2011 ないた赤おに(浜田 廣介/いもとようこ):書評「生き方を教わった」

母が亡くなって明日で一年になる。
去年はそろそろと桜が咲き始めていたが
今年はもう少しかかりそうだ。
なんだか今でも母がいて
陽気に笑い、激しく怒り、
そして涙をながしていそうで
母の不在がいまだに信じられない。
今回の大地震で家族を失った人たちの
悲しみの深さに
一年前の悲しみが重なるようで
きっとその人たちはいつまでも
そのような悲しみと向き合うのだろうことを思うと
胸が痛くなる。
母ならきっと涙を流しただろうか。
人はいつか愛した人たちと別れていく。
それは避けられないが
その悲しみとどう向き合っていくかが
その人を成長される。
泣くこともまた成長していくことに
つながのではないか。
今日は、童話の名作『ないた赤おに』を
紹介します。
じゃあ、読もう。
![]() | ないた赤おに (大人になっても忘れたくない いもとようこ名作絵本) (2005/05) 浜田 広介 商品詳細を見る |


浜田廣介の童話『ないた赤おに』を初めて読んだのはいつだったろうか。
しかもそれは読んだというより、誰かから読み聞かせてもらったかもしれない。それほどにこの童話と最初に出逢った記憶がないのだが、その内容はいつまでも忘れられない。
「大人になっても忘れたくない いもとようこ名作絵本」とあるように、いもとようこさんの、柔らかで温かい絵で再読できるなんてうれしい。
物語は多分みんな知っているのではないだろうか。
心やさしい赤おには人間と友だちになりたいと願っているのだが、村びとたちはやはりおにを恐がって近寄ってこない。そんな赤おにを助けるため、友だち青おには偽の乱暴者を引き受ける。赤おにがそんな青おにをこらしめることで人間の信頼を得ようというものだ。
二人の計画はみごとに成功して、村びとたちは赤おにを友達と受け入れる。偽の乱暴者になった青おにはといえば、二人の計画がばれないようにと長い旅にでるのである。
美しい友情物語だ。それだけでなく、生き方の指針でもある。
青おにの最期の手紙に涙するのは赤おにだけではない。こんな青おにになりたいと、子供の私は思ったし、おとなの私も思う。
この童話を通じて、他者をおもう自己犠牲を学んでいく。そういうことはもう古いだろうか。いや、きっといつまでもそれは大事なことだ。
宮沢賢治ではないが、「ソウイウモノニワタシハナリタイ」。
これからもこの童話はたくさんの人々に愛されつづけるだろう。
(2011/03/20 投稿)

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03/19/2011 帰省(藤沢 周平):書評「静かなる墨蹟」

母が亡くなって
一年になろうとしています。
一周忌で大阪に帰省しました。
母が亡くなったあと
呆けの症状がみられる父を
兄夫婦にまかせている私としては
いささか後ろめたい帰省です。
今日紹介するのは
文春文庫の3月の新刊として
藤沢周平さんの、
これも『帰省』というエッセイ集です。
今日は蔵出し書評です。
書いている内容は
新刊として出たときのもの。
藤沢周平さんは故郷鶴岡を
生涯愛した作家でもありました。
故郷に帰省することは
藤沢周平さんにとって
うれしかったことでしょう。
じゃあ、読もう。
![]() | 帰省 (文春文庫) (2011/03/10) 藤沢 周平 商品詳細を見る |


表紙と裏表紙、それぞれの見返しに、本書の書名にもなっているエッセイ「帰省」の生原稿の写しが掲載されている。どこにでも売られているような四百字詰めの原稿用紙に青いインクで書かれた藤沢周平の筆跡は、何よりも藤沢周平らしさを語っているように思える。
一行あけて二行目の、上から五文字めに題名である「帰省」(帰と省の間に一文字空きがある)と書き、その横の行の十二文字めから自身の署名がやや大きく、それでいて目立つふうでもなく書かれている。一行あけて、五行目から本文が始まる。きちんと一文字あけて、段落が始まっている。最初はほとんど修正がない。ひとますひとますにきちんと文字は収まり、原稿は読みやすい。やや丸っこい文字といっていい。
裏表紙側の見返しには同作の三枚目となる生原稿が掲載されているが、こちらの方はいくつか修正が加えられている。書いたいくつかの文字が丁寧に書きつぶされている。その横に漫画のふきだしのようにして書き直しがはいっている。それすら丁寧で読みやすい。藤沢周平の魅力はこういう実直さのような気がする。
本書は、末尾の阿部達二氏の「解題」にあるように、藤沢周平の全集発刊後新たに見つかった短文、エッセイを収録している。一部全集の中に収録されたものもあるらしいが「未刊行エッセイ集」と銘打っても大きな齟齬にはならないだろう。
そのような事情について阿部氏は、藤沢周平が「自分の書いたものをすべて保存し記録しておくという、作家としてごく普通の習慣を持たなかった」と書いている。加えて「<欲のない人ほど困ったものはない>と誰かのことばにあったが、まことにその好例である」としているが、阿部氏自身はそれほど困ったふうでもなく、そのような藤沢周平がうれしくもあるようである。
『蝉しぐれ』や『たそがれ清兵衛』を書いた作者が欲をもっていたとしても仕方がないことだが、やはり藤沢周平はそういうことに疎い人であって欲しい、そして実際そうであったというのが藤沢周平ファンにとって、まことに気分のいいものであるらしい。
そういう藤沢周平の、生真面目で実直で欲のない性格がよく出た挿話が本書に収められている。
「雪のある風景」と題されたそのエッセイの中で、藤沢周平はある選挙の応援演説に出たという話を書いている。これも阿部氏の「解題」に詳しくあるが、応援演説のあと「姉たちから少し非難めいたことを言われた」くらいだから、周辺の人たちにとってその行動は突飛に映ったのかもしれない。ただ周りがどうこうあれ、この時の藤沢周平は氏の作品の登場人物のように潔い。こういう挿話も藤沢周平ファンには拍手喝采であろうと思われる。
このエッセイの中では、作家について藤沢はこう書いている。少し長くなるが、引用する。
「作家にとって、人間は善と悪、高貴と下劣、美と醜をあわせもつ小箱である。崇高な人格に敬意を惜しむものではないが、下劣で好色な人格の中にも、人間のはかり知れないひろがりと深淵をみようとする。小説を書くということは、この小箱の鍵をあけて、人間存在という一個の闇、矛盾のかたまりを手探りする作業にほかならない」(「雪のある風景」)。
藤沢文学の芯に触れたような気分になる。
藤沢周平にとって「エッセイは殆ど書き捨てのつもりであったらしい」が、短文の中にこういう文章を見つけると、やはりうれしくなるものである。
藤沢周平が亡くなって十一年になるが、その人気は衰えない。それは、不器用だけれど実直な、私たちがどこかで喪った日本人というものが、藤沢作品には脈々と描かれているからだと思う。そして、藤沢周平の墨蹟がそのことを静かに語っているようでもある。
(2008/08/26 投稿)

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03/18/2011 私が愛した芥川賞作家

「芥川賞を読む」というカテゴリーを
立ち上げました。
すると偶然にも
3月12日の土曜日の
朝日新聞別刷の「beランキング」というコーナーで
「私の好きな芥川賞作家」という
ランキングが紹介されていました。

第28回芥川賞を『或る「小倉日記」伝』で受賞した
松本清張さん。
記事の解説を担当した永江朗さんによれば
救いのない暗い話ですから。好きな受賞作を
聞くアンケートだったら、結果はまったく違っていたのでは。
とあります。
松本清張さんのその後の活躍からすれば
直木賞作家だと思っている人も多いかもしれません。

2位 遠藤周作 第33回受賞
3位 村上龍 第75回受賞
4位 井上靖 第22回受賞
5位 北杜夫 第43回受賞
となっています。

こうして「愛した作家」のランキングをみても
その後の旺盛な作家活動が支持を
集めていることが見てとれます。
もちろん、その一方で
受賞後ほとんど活躍されない人もいますし
逆に芥川賞は受賞しなかったけれど
村上春樹さんやよしもとばななさんのように
大成した作家もいることは間違いありません。


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03/17/2011 もう一度読みたかった本(柳田 邦男):書評「思い出を残して歩け」

このたびの東北関東大地震で被災された
多くの人には充分な心のケアが必要だろう。
ああいう恐怖や悲惨さが
どんなにダメージを与えるかは
想像に難くない。
その方法として
読書も心を癒すかもしれない。
特に子供たちにとっては
つらい現実を回避させるものとして
いい作品や物語は有効ではないだろうか。
そういえば、
私もどれほど読書によって
救われてきただろう。
今もそうだ。
ぜひ、被災された人たちが
読書で癒されることを。
じゃあ、読もう。
![]() | もう一度読みたかった本 (平凡社ライブラリー) (2011/02/12) 柳田 邦男 商品詳細を見る |


本書はノンフィクション作家の柳田邦男さんが少年期から青年期にかけて読んだ本を再読するという試みで書かれたエッセイである。
紹介されているのは『あすなろ物語』(井上靖)『賢者の贈りもの』(オー・ヘンリー)『生まれ出ずる悩み』(有島武郎)『雨』(サマセット・モーム)など、今や古典の名作ともいえる24編の作品。これらの作品のラインナップをながめると、現代の若い人たちは果たしてこれらの作品を手にすることがあるのだろうかと思わないでもないが、柳田さんにとってはいずれも思い出深い作品で、それらのエッセイのなかには若い日の自画像が散りばめられている。
こういう作品で柳田邦男という表現者が作られたという思いは、筒井康隆さんの読書エッセイ『漂流』と同じ味わいである。
柳田さんは「時代変化のめまぐるしさは凄まじい」とし、「文学までが作家と同時代限りで忘れ去られていく消費文化になってしまうのでは」と懸念している。
なぜ多くの識者たちは古典を読むことを勧めるのか、それは古典作品が時代という評価をくぐりぬけてきたことに尽きるのではないだろうか。現在多くの読者を集めている作品であっても十年後二十年後には忘れさられているかもしれないことを思えば、今も読まれてつづける古典作品を読むことはもっとも安心できる読書方法といっていい。
もちろん、読書とはあくまでも個人に付属する行為であるから、どんなつまらない作品であっても読者がよしとすればいいのであるが、これから人生の日々を重ねたあともそれらの作品が自身を癒し、鼓舞してくれるとはかぎらない。その点、柳田さんにとって、これらの24編の作品はいつまでも自身を深めてくれる作品群である。
そして、それらはこの本を読むものには新しい読書案内へと誘ってくれる。
たとえば、尾崎喜八の『山の絵本』という一冊は初めて聞く作品であった。そのなかで引用されている「思い出を残して歩け。すべての場所について一つびとつの回想を持つがいい」といった文章に触れると、今回大きな被害をもたらした東北地方の大地震で故郷の光景を失ったたくさんの人たちの無念が喚起される。
本は悲しみを癒してくれる。同時に忘れていた風景を思い出させてくれる。
(2011/03/17 投稿)

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03/16/2011 追悼・谷沢永一「本はこうして選ぶ・買う」:書評

3月8日、近代文学研究家の
谷沢永一さんが亡くなりました。
谷沢永一さんといえば
保守派の論客として有名ですが
同時に若き開高健を支えた人物としても
知られています。
暗澹たる心をもてあましていた
若い開高健にとって
谷沢永一さんがいなければ
彼の文学は誕生しなかったかもしれません。
同時に谷沢永一さんは
大変な読書家でもあって
その本が若い谷沢さんと開高健を
つなげてくれたのです。
今日は谷沢永一さんの本の中から
蔵出し書評で『本はこうして選ぶ・買う』を
紹介します。
じゃあ、読もう。
![]() | 本はこうして選ぶ・買う (2004/01/17) 谷沢 永一 商品詳細を見る |


「やせ細って小さな猫背の青年で、品のよい鳥打帽子をかぶり、笑うと眼がたいへん優しくなったが、小さな鼻が空を向いて早くも謀叛気と逸脱愛好癖を示していた」
これは開高健の自伝的小説『青い月曜日』に描かれた、半世紀以上前の若かりし頃の谷沢氏の姿である。
小説の中では山沢という名前で書かれているこの<猫背の青年>と開高は、「フランス語塾の薄暗いたそがれの廊下」で出会った。谷沢氏に誘われ同人雑誌『えんぴつ』の仲間となった開高は、やがて昭和の文学史の、ひとつの小高い山を築くのであるから、人と人との出会いというのは人生にとって不思議な縁(えにし)とよぶしかない。
開高はまた谷沢氏について多くの文章を残している。
そのものずばり『谷沢永一』(開高健全集第20巻所載)から引用する。
「過労と、過敏と、焦燥と、絶望をなぐさめてくれるのは、それら偽学生時代を通じてずっと谷沢永一とその書斎だけだった」とまで書いた開高は、この短かい文章の最後をこう締めくくっている。
「彼のことをウンザリしたような、畏怖したような口調で語ったり、書いたりしている人にときたま出会うと、このうえなく誇りをおぼえる。正気をきわめた狂気がこの国にはなさすぎるのだ」
この「本はこうして選ぶ買う」はそんな谷沢氏が「本を選ぶにつけ買うにつけ、知っておいた方が便利なコツを」「世間話みたいな雑談」として書いた知恵袋のような本である。
開高にして<狂気>とまで言わしめた人であるから、ご本人は<世間話みたいな雑談>と書いているが、なかなか手ごたえのある内容になっている。
生半可な読書力ではこの人に及ぶはずもない(特に前半の部分はその印象が強い)。「彼(谷沢のこと)の多年のおのが自身なるままの偏執狂的完璧主義は最近になってようやく若干の融解の含み味を持つ文体」になったと、開高が『谷沢永一』に書いたのが昭和五一年のことであるが、それから三〇年近い時が過ぎて、今なお依然偏執狂的完璧主義が消えずに残っていると思われる。
この本の<あとがき>に「楽しく気やすく身を処すればよい」といかにも融解の度は増したようであるが、開高が出合った頃のこの人の思考の徹底ぶりは如何ばかりであったかと嘆息せざるをえない。
まるで鋭利な刃物同士が互いにぶつかりあっていたそんな時代を経て、「ヤミクモに本を読んでもゲンがない。万事、うまくたちまわらなければアカンのである」と書くまでに至った谷沢氏の精神の有り様は立派というしかない。
これぞ、谷沢永一。
(2004/02/29 投稿)

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『どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』
しかも副題までついていて
「詩人まど・みちお100歳の言葉」です。
これでおわかりのように
昨年100歳になった詩人の
まどみちおさんの言葉を
収録した1冊です。
まどみちおさんといえば
書評にも書きましたが
「ぞうさん」の童謡で有名。
あの童謡って今でも習うのでしょうか。
とっても単純だけど
一度聞けば忘れられない名作です。
今でもソラで歌えます。
書評の最後に
「あきらめないこと」というまどみちおさんの
言葉を紹介していますが、
今回の震災で被害にあわれた皆さんへの
メッセージでもあります。
じゃあ、読もう。
![]() | どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている―詩人まど・みちお100歳の言葉 (2010/12) まど みちお 商品詳細を見る |


99歳の詩人柴田トヨさんの詩集『くじけないで』がミリオンセラーになって出版界を賑わせています。こちらはその上をいく100歳の詩人まど・みちおさんの言葉を拾い集めた一冊です。
柴田さんにしろまどさんにしろ、いつまでもお元気で、昨年の春妻を亡くしてすっかり弱くなった86歳の私の父と較べると、年を重ねるということは実に人それぞれだと今さらながらに感心します。
まど・みちおさんは誰もが知っている童謡「ぞうさん」を書いた詩人です。
「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」って歌ったこと、きっとあるんじゃないでしょうか。それ以外にも「しろやぎさんからお手紙ついた」の「やぎさん ゆうびん」もまどさんの詩です。そのほかにもたくさんあります。まどさんの詩だと知らないまま、歌っていることは多いと思います。
そんなまどさんは子ども向けの詩について、「子どもを意識して作ると迎合してよい作品はできません」と書いています。どんなに小さい子どもであれ、その子の「人間」の部分に語りかけるように詩を作るのだといいます。
これは簡単なようでなかなか難しい。つい大人のこ賢しい言葉でしゃべってしまうか、赤ちゃん言葉に代表されるような迎合した言葉になってしまいます。
「一日として同じだと思う景色はない」というまどさんだから言える言葉だと思います。
子どもはいつ大人になるのでしょう。まどさんの言葉にふれてみると、大人というのは本当はずっと子どもの目、子どもの心を持ちつづけることができるような気がします。
柴田トヨさんの詩集は『くじけないで』というタイトルですが、まどさんも「あきらめないことです」という言葉を書いています。二人からみれば、私たちはなんとまだまだ子どもでしょうか。
(2011/03/15 投稿)

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03/14/2011 【東北関東大地震】司馬遼太郎が見た光景

仙台・石巻を訪ねたのは、
昭和60年2月下旬でした。
仙台空港に降り立った司馬遼太郎さんは
「まわりは、広大な田園である。沃土というしかない」と
書いています。
沃土というのは、地味の肥えたいい土地ということです。
![]() | 街道をゆく 26 嵯峨散歩、仙台・石巻 (朝日文庫) (2009/02/06) 司馬 遼太郎 商品詳細を見る |
その土地を津波が襲いました。
TVで流される惨状は
この土地が豊かであっただけに
辛さが増します。
司馬遼太郎さんはその後
仙台市内をめぐり、
この時の旅の最後に石巻市を
訪れます。
石巻も今回の地震で大きな被害にあっています。
司馬遼太郎さんはこの旅の最後に
「石巻は、いいところですね」と絶賛しています。
今、その石巻は壊滅状態です。
司馬遼太郎さんが「いいところ」と絶賛した石巻。
悲しみは深い。
でも、いつか
司馬遼太郎さんが見た風景が
戻ることを信じています。

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03/13/2011 【東北関東大地震】悲しみを乗り越えて

一夜明けて
刻一刻と深刻な被災の状況が
明らかになってきました。
発生した夜は
私も帰宅難民となって
渋谷池尻にある仕事場に
泊り込みとなりました。
家に帰れたのは
明けての昼前でした。
私は以前2年あまりを
福島市で過ごしたことがあって
仕事の関係で八戸とか函館に
よく出かけていました。
今回かなり大きな損害に見舞われた
仙台空港も何度か利用しました。
名取市にも行ったことがあります。
そういう街でしたから
今回のような悲惨な光景を見ると
辛くなります。
私のようなものでもそう思うのですから
今回被害に逢われた町を出た人の
悲しみはいかばかりかと思います。
見知った町の、
すっかり変わってしまった姿は
自分の思い出を喪うようなものだと思います。
でも、この悲しみを乗り越えてもらいたい。
切にそう願います。

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03/12/2011 【東北関東大地震】お見舞い申し上げます
昨日たいへん大きな地震が
東北、関東にありました。
被災された皆様に
お見舞い申し上げます。
昨日の地震発生の時は
渋谷池尻の仕事場にいたのですが
かなり怖かったです。
阪神大震災の時は
一気にどかんときましたが
今回は大きな揺れが長く続いたように
思います。
被災された皆さん
元気をだして
がんばって下さい。
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東北、関東にありました。
被災された皆様に
お見舞い申し上げます。
昨日の地震発生の時は
渋谷池尻の仕事場にいたのですが
かなり怖かったです。
阪神大震災の時は
一気にどかんときましたが
今回は大きな揺れが長く続いたように
思います。
被災された皆さん
元気をだして
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03/11/2011 憧 (太宰治・ラディゲ・久坂葉子):書評「駆ける少女 - 久坂葉子を読む」

百年文庫というのは
昨年の秋、ポプラ社から前期50巻が
一挙刊行され話題を呼んだシリーズである。
「日本と世界の名短篇が、ずらり」という
コピーにあるように、
その収録作品、作家名を読むと
なんとも豊穣な文学の世界が
広がるようでもあります。
少しづつ、少しづつ
この文庫を読んでいこうと思います。
今日紹介するのは、
その第1巻めとなる一冊で、
太宰治の『女生徒』(久しぶりに読みました)、
ラディゲ『ドニイズ』、
そして書評を書いた久坂葉子の『幾度目かの最期』の
三作品が収められています。
表題は「憧」。
この百年文庫は漢字一文字を表題にしているのも
特徴です。
今日紹介した久坂葉子のように
なかなか読めない作家を読んでいきたいと
思っています。
じゃあ、読もう。
![]() | (001)憧 (百年文庫) (2010/10/13) 太宰治、ラディゲ 他 商品詳細を見る |


久坂葉子は19歳の時『ドミノのお告げ』で芥川賞の候補となった早熟の作家である。それから2年後の21歳、本書に収録されている『幾度目かの最期』を書き上げた1952年の大晦日、鉄道自殺で本当に最期を迎えた。
そのようにしてこの作品を読むと、彼女の最後の息づかいが生々しく残っているように感じられる。これを書きながら彼女が呼吸していたものから、わずか数時間のちにはそれらを拒絶するようにして、久坂葉子という一人の女性がこの世からふっと消えてしまうのである。
物語は「熊野の小母さんさんへ。」という書き出しから始まる。
時には死の決意があったのであろう、具体的な氏名(その中には後に『贋・久坂葉子伝』という評伝を書いた富士正晴の名もある)が連なる文章が遺書のようにも読み取れる。
まして、「私は小説書いてるのじゃない。正直な告白を、真実を綴っているのです」と作者自身が書けば、これは真実かと思わないでもない。
しかし、だからこそ、ここに久坂の、もっというならば書き手の創作があるような気がする。人は、そんなにもたやすく真実ばかりを書けるものではない。むしろ、物語にさりげなく挿入された、例えば「救い出してほしい。誰か救い出してほしい。私は疲れ切っていました」のような文章に、彼女の心の奥にあった真実があるように思える。
早熟とは心の発達が普通より早いことをいう。
久坂葉子のこの作品を読むと、早熟とはそれだけではなく、生きることに急(せ)いていることだということに思い至る。
久坂葉子は駆け足でこの世界を走り過ぎた少女だった。
(2011/03/11 投稿)

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03/10/2011 しょっぱいドライブ(大道 珠貴):書評「しょっぱい受賞」

芥川賞受賞作だから
すべていい作品だと限りません。
要は自分との相性だと思います。
芥川賞受賞作を読んで
ちっとも面白くなかったとしても
それはそれで仕方がありません。
それに芥川賞といっても
新人賞のひとつですから
受賞作の出来が悪くても
その後、その作家がどう成長するか見届けるのも
楽しいのではないでしょうか。
今日紹介するのは
第128回受賞作(2003年)の
大道珠貴さんの『しょっぱいドライブ』。
当時書いた蔵出し書評です。
かなり厳しいこと書いていますが
これも相性だと思って下さい。
じゃあ、読もう。
![]() | しょっぱいドライブ (2003/02/25) 大道 珠貴 商品詳細を見る |


第128回芥川賞受賞作。物語は三四歳で独身の「わたし」が「としよりの運転だから、手が滑ったり目がかすんだりし、うっかり心中にでもなり兼ねないとこころして、助手席に乗った」場面から始まる。「としより」と揶揄される九十九(つくも)さんは、「わたし」の父と同級か少し下、でも六十は越えている人のいいおじさんである。これだけの年の差はあるが、二人は先週寝床を共にした関係でもある。動き出した車は海岸沿いを走っていく。まさに潮の香りで「しょっぱいドライブ」(この題名は芥川賞の選考会で「稚拙すぎる題」と酷評された)だが、二人の関係もかなり「しょっぱい」ものだ。
芥川賞の選考委員である黒井千次氏は「二人の間に計算と無垢、太々しさと純心とのドラマが生れる」と評しているが、九十九さん以外に遊(あそび)さんという憧れの彼氏を忘れられない「わたし」は、物語の主人公としてはあまりに貧弱のような気がする。黒井氏がいうような「なにがあっても低い姿勢でしたたかに生き続ける人間の力」が、私には感じられない。そこには単に物語の成り立ちとして造形された薄っぺらな女性がいるだけだ。
選考過程の会見の席で黒井氏は「元気が出ないという否定的意見もあったが、元気が出ないということを書こうとしている。いかにも小説を読んだという読後感がある」と評価しているが、小説とは一体何なのかという議論を選考委員の間でもっとなされてしかるべき作品だったように思う。元気が出る出ないということではなく、小説が読み手に与える感情の緊張感がこの物語にはない。少なくとも高樹のぶ子委員がいうような「厚みのある秀作」とはけっして思えない。
物語を読むということは、個人的な行為である。だから、ひとつの物語をどのように読んだとしても、それはあくまでも個人的な感想である(実際芥川賞の選考委員の中でも石原慎太郎委員や村上龍委員は否定的な意見を述べている)。しかし、これが芥川賞という新人発掘の文学賞の選考であるならば、やはり文学としての一定の水準は維持すべきだろう。「この賞はいよいよ内向的になっている」という池澤夏樹委員は「賞を惜しんではいけないと思って」この作品を最後に推したらしいが、そのような選考自体が最近の小説を小さくしているような気がする。「芥川賞受賞作」として書店に並んだこの本が、どのような読まれ方をするか、気にかかるところである。(なお、本文の選考委員の選評は文芸春秋三月号から引用)
(2003/03/02 投稿)

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山形県酒田市の話は
このブログでも何度か書きました。
大好きな街です。
酒田の中心地に清水屋というデパートがあります。
地方都市の百貨店として
清水屋も存亡に揺れているようです。
なんとしても酒田に残ってほしいと
願っています。
なぜなら、酒田には文化があるから。
なぜなら、百貨店は文化の発信地だから。
ぜひ街の人の力で残してもらいたい。
願ってやみません。
今日紹介する『三元豚に賭けた男 新田嘉一』は
今や酒田有数の企業となった
平田牧場の創業者新田嘉一さんのインタビュー集です。
平田牧場の平田とは
新田嘉一さんの生まれた土地の名前だそうです。
成功者の一代記ともいえますが
こういう人物が酒田という文化都市にいること。
絵画を愛する新田嘉一さんもまた
文化人ともいえます。
じゃあ、読もう。
![]() | 三元豚に賭けた男 新田嘉一―平田牧場の43年 (2010/07) 石川 好、佐高 信 他 商品詳細を見る |


山形県酒田市は雛の街だ。
庄内雛街道といわれるように、市内のいたるところで古色蒼然たる雛飾りを見ることができる。豪華絢爛な雛飾りもいいが、傘雛という素朴な雛飾りもいい。これは傘福ともいわれているようで、全国各地に同様のものがある。
酒田で初めて傘雛を見たのだが、豪華な雛人形のなかで、このような素朴な飾りを見ると、土地に生きた酒田の人々の心の豊かさを感じた。
酒田という街はかつて「西の堺、東の酒田」といわれたほどで、日本海に面した海運業の中心地的存在であった。京都との距離は北前船の運航でどの地よりもはるかに近かったと思われる。それが雛人形として、当時の賑わい、京都との関係をとどめている。
酒田には「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌に詠まれる程の大地主本間家があった。本間家の旧邸は今では酒田観光の名物でもあるが、その贅を尽くした建物に当時の本間家の威光をみる思いがする。
そんな酒田にも、近年地方都市の衰退の波が押し寄せているのは否めない。
多くの地方都市が産業をもたず、若い人たちを都会に流出させ、さらに衰退の速度を速めているように、また生き延びるすべがかつての栄光の観光施設でしかないように、酒田もまた苦境に立たされている街のひとつである。
ところが、そんな酒田にある有名なブランドが花開いている。通称「ヒラボク」と呼ばれる平田牧場である。
三元豚というブランドを生み、育てあげた平田牧場。今や酒田の一企業というより、東京の中心地でも店舗運営をする一流企業だ。
その平田牧場を築きあげたのが、本書で取り上げられている新田嘉一氏である。
本書は新田氏の業績を石川好氏、佐高信氏がインタビューする形式で紹介されている。
それは単に養豚業としての業績だけでなく、中国との東方水上シルクロードの生みの親としての姿でもある。
新田氏の凄いところはまさに本間氏が台頭していた水が主役であった時代、それは海であれ川であれ、への先祖帰りともいえるところだ。
水が運んできた雛たちをいま新田嘉一という人物が新しい時代によみがえらそうとしている。
酒田という地方都市の熱気はまだまだ熱い。
(2011/03/09 投稿)

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03/08/2011 男が知りたい女の「気持ち」 (田村 秀子):書評「もっとあなたのことが知りたい」

今日は国際女性デー。
国際的な女性解放の記念日です。
だからというわけでもありませんが
今日紹介するのは
田村秀子さんという女医さんが書かれた
『男が知りたい女の「気持ち」』。
まじめな科学の本です。
この本によると
男性と女性ではホルモンの違いが
多分に影響しているようです。
男性からみると
女性の感情の起伏は
理解しがたい点もありますが
自分と同じと思わなければ
対処の仕方も変わってきます。
世の男性諸君。
女性は大切にしましょうね。
じゃあ、読もう。
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男女同権だといっても性差の問題はどうしようもありません。男性に出産の苦痛、生理の重い気分を分かるかといえば無理ですし、女性に男性の射精時の快感を説明しようもありません。
大事なことは、それぞれの性をどう理解するかです。
これは婦人科の女医である田村秀子さんが女性のからだとこころについてわかりやすく解説した、とてもまじめな本です。
小学生の高学年にもなれば女子に初潮がはじまります。現在でもそういうことをしているのかどうか知りませんが、私の子供の頃は男子が教室から出され、女子だけの保健の時間があったものです。にやにや笑いをして教室から出て行く男子は案外そういうことで思春期を迎えていたのかもしれません。
しかし、あれこそ性の不公平というものです。女子だけでなく、男子もやはりきちんとからだの問題に向かいあわないといけなかったのではないでしょうか。
現代の子供たちはそういうからだの問題をかなりオープンにとらえていますし、本や雑誌、あるいはインターネットでの情報はあふれかえっています。
でも、大切なのはそういう性差を抱えながら、男女がどう対等に向き合うかです。
やはりそのことはきちんと教えておくべきです。
いくつになっても相手のことがわからないものです。どう理解していいのか、どう向き合っていいのか、困惑することばかりです。
思春期の戸惑いはいくつになっても変わることはありません。
だから、もっとあなたのことが知りたいのです。
(2011/03/08 投稿)

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03/07/2011 あのエッセイこの随筆(川本 三郎):書評「私とこの本のいくつかの関係」

今日紹介するのは
川本三郎さんの『あのエッセイこの随筆』です。
エッセイや随筆の数々を紹介しながら
日常の生活を綴るエッセイ集です。
もちろん川本三郎さんのことですから
映画の話もたくさん書かれています。
こんな本を読んでいる時って
幸せだなぁと一番感じる時かもしれません。
この本との出逢いは
今日の書評で書きましたが、
いい本との出逢いって
偶然の要素が多いのですが
やはり運命的なものも
感じないでもありません。
じゃあ、読もう。
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本との出逢いにはいくつかの方法がありますが、2001年に出版されたこの本との出逢いはそのいくつかが重なったものでした。
ひとつめは書評。bk1書店の「読者の書評」欄で「ろこのすけ」さんが書いていた書評で読んでこの本の存在に気づきました。書評がなかったら、目にしなかっただろうと思います。書評は未知の世界をひろげてくれるナビゲーターです。
ふたつめは装丁。装丁がいいと読みたくなることがあります。つい手にとってしまう。
この本の場合、どこか下町にありそうな商店街を描いた森栄二郎さんの絵がいい。
よく見るとこの商店街にはアーケードがついていて、一時このタイプの商店街が流行ったことがありました。雨の日でも買い物がしやすいようにという配慮だったのだと思います。最近はこのタイプの商店街はどうも人気がありません。開放的でないからだと思います。でも、ここではその雰囲気がこの本に味を出しています。
三つめは、川本三郎さんの本だということ。好きな作家を追いかけるのは本との出逢いでは定番です。もちろんそれでも見落とすこともありますし、以前に出版された本まではなかなか手がまわらないものです。
この本の場合、出版から十年経っています。だから、書評で知って飛びつきました。
四つめは自分の好きな分野だということも本との出逢いには大切です。
詩集だったりビジネス本だったり、自分の好みがあります。文芸書でも時代小説が好きな人はどうしてもその分野の本にひかれたりするものです。
この本の場合はエッセイ、随筆というくくりに「読書案内」がつながっています。川本さんは「随筆は、いわば日なたぼっこや、散歩のようなもの」と書いていますが、実際に散歩できなくとも、こういう本を読んでいるとゆったりと歩いている気分になります。
これだけの理由があれば、この本と出逢ったのは、私にとっては必然としかいいようがありません。そんな期待にこの本は充分こたえてくれました。
出逢えてよかった。読んでよかった。
(2011/03/07 投稿)

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03/06/2011 キスの時間(アントワーヌ・ギロペ/落合恵子):書評「せかいじゅうでいちばんすてきなキス」

今日は24節気のひとつ、啓蟄。
春めいて冬眠していた虫たちが
地上に顔をだしてきます。
水あふれゐて啓蟄の最上川 森澄雄
起きだした虫たちに
そっとキスをしてみたくなる
そんな絵本を今日は紹介しましょう。
落合恵子さんが訳された絵本
『キスの時間』です。
子供たちと一緒だったら
読み終わった時には
きっとキスしたくなるでしょうね。
そんな子供たちとの時間を
大切にしたいです。
これから
どんどん温かくなって
すてきなキスで
世界中がいっぱいになれば
いいですね。
キスの時間。
大切にしたいものです。
じゃあ、読もう。
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映画「ニュー・シネマ・パラダイス」は映画でつながる人々を描いた秀作でした。村の映画館で上映される映画のキスシーンを検閲する牧師はすぐに「カット」を命じます。好奇心いっぱいの主人公のトト少年はそれが残念でたまりません。こっそり映写技師のアルフレードの仕事部屋にはいりこんで切られたフィルム片をすかし見たりします。
父のいないトトにとってアルフレードは人生の友、人生の師でした。そのアルフレードがなくなったあと、成長したトトに残されたものは、そんなキスシーンばかりをおさめたフィルムでした。次々とかわる、キス、キス、キス・・・。静かに涙するトト。映画の最大の見所でしょう。
世界はキスでいっぱいです。
フランスの絵本作家アントワーヌ・ギロペの絵本を落合恵子さんが訳されたこの絵本にもたくさんのキスが描かれています。
ゾウの親子のキス、氷の海でのシロクマとシャチのキス、てんとう虫のキス、ライオンと生まれたばかりの赤ちゃん鳥のキス、そんなたくさんのキスを描いて、最後に「でも せかいじゅうで いちばん すてきな キスは」と続きます。
世界中で一番素敵なキスってどんなキスだと思いますか。
それはこの絵本を読むまでのお楽しみにしておきますが、きっと人それぞれにちがうのかもしれませんね。
初めてのキスかもしれないし、恋人との濃厚なそれかもしれない。あるいは子供とのかわいいキスだったりするでしょう。
でも本当は、キスには愛情がたくさんつまっているから、どんなキスであってもとても大切な時間をもっているのではないでしょうか。
「この ちきゅうが やさしいキスで いっぱいに なりますように」。
裏表紙に書かれたこのメッセージこそ作者と、そして訳者である落合恵子さんが伝えたかったことにちがいありません。
この絵本にそっとキスを。
(2011/03/06 投稿)

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03/05/2011 雑誌を歩く 「男の隠れ家」4月号 - 洋画もいいけど日本映画も最高

『「ゴジラ」とわが映画人生』という本を
紹介しましたが、
それにつづく話としてピッタリの雑誌を見つけました。
ということで、今回の「雑誌を歩く」は
「男の隠れ家」4月号(朝日新聞出版・680円)です。
特集はなんといっても
心に沁み入る名作を紡ぎ出す 日本の映画監督
ね、昨日のつづきみたいでしょ。

永久保存版的な出来上がりとなっていて
「戦前黄金期を創った草創期の名監督たち」として
衣笠貞之助や内田吐夢、
「日本映画三人の巨匠」として、
あ、ここで問題です。
三人の巨匠って誰かわかります?
1分間考えてみて下さい。
考えました?
では、答え。
黒澤明と溝口健二、そして成瀬巳喜男です。
あれ、小津安二郎がはいってない。
これっておかしくありませんか。
ちょっと納得がいきませんが、
先をいそぎましょう。

ここでは木下恵介や市川昆などが紹介されています。
あれれ、ここでも小津はいません。
困ったな。
でも、小津安二郎ファンの皆さん
ご安心あれ。
ちゃんと別コーナーで小津さんは紹介されています。
それが、「周防正行監督が語る「小津安二郎」」。
日本映画で小津安二郎ははずせません。

「ようこそ映画館へ」という第二特集。
コピーがこれまたいいんですよね。
僕らは映画館の暗闇で目撃者になった
ね、かっこいいでしょ。
なかなかここまでいえませんよ。
ここでは、
早稲田松竹や新文芸座などの
名画座もばっちり紹介されています。

大満足の一冊です。
そういえば、映画館こそ
「男の隠れ家」そのものだと思いませんか。

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03/04/2011 「ゴジラ」とわが映画人生(本多 猪四郎):書評「「ゴジラ」という奇跡」

私の手元に
「東宝特撮映画 DVDコレクション」という
雑誌の創刊号がある。
私の大好きなマガジン形式のもので
これも確か創刊特価だったと思います。
しかもこの時の号は
「ゴジラ」なんですよね。
DVDに配役のエピソードとか当時のポスターも付いて
大満足の創刊号でした。
今日の本はその「ゴジラ」の映画監督
本多猪四郎さんのインタビュー集です。
黒澤明とか小津安二郎のように
有名ではありませんが
東宝の怪獣映画にあって
忘れてはいけない監督であることは
間違いありません。
今観ても初代「ゴジラ」は面白いのですから。
じゃあ、読もう。
![]() | 「ゴジラ」とわが映画人生 (ワニブックスPLUS新書) (2010/12/08) 本多 猪四郎 商品詳細を見る |


戦後の日本にはいくつかの、奇跡と呼んでいいようなことがある。
夢の超特急とよばれた新幹線、日本中を釘付けにした東京オリンピック、万国博覧会・・・。
それらの奇跡は高度成長が生み出したものともいえるし、それらの奇跡が成長をもたらしたともいえる。そんな時代であった。
そして、そんな奇跡のなかに怪獣映画「ゴジラ」の誕生をいれてもいいのではないかと思うことがある。昭和29年(1954年)というCGもない時代にあって、世界中を驚愕させた映画を作ったことこそ奇跡である。
まるで本当に生きているように暴れ東京を恐怖のどん底に陥れ、火の海にしたゴジラ。その後量産されたゴジラの末裔たちよりもこの初代ゴジラはどんなに怖ろしい怪獣であったことか。同時に怪獣映画の面白さを多くの人々に知らしめた作品となった。いや、怪獣映画という枠にとどまらない、本来の映画の面白さといっていい。
その「ゴジラ」を撮ったのが本多猪四郎である。本書は「わが映画人生」「映画への思い」と題された本多へのインタビュー二本で構成されている。しかし、本多自身は「此の本は決して猪四郎個人の本ではない」と「まえがき」に記している。
では、この本はなんだといえば「本多猪四郎監督と云う作品の成り立ちの歴史」である。本多猪四郎という監督を作った時代の検証であり、映画人たちと彼らが作り出してきた夢の映画の追憶である。
「ゴジラ」誕生の思いやその後の数多く作られた怪獣映画の撮影エピソードなど本多の話は面白い。また、「ゴジラ」の監督までした本多が晩年黒澤明の製作スタッフとして加わった心境も「決して主役の花ではない」を心情にしていた彼らしい思いであった。
衒いも気負いもなく、本多猪四郎という男は映画を愛してやまない映画人であったということの証である。
(2011/03/04 投稿)

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03/03/2011 めぐる季節の物語 - アラスカの詩(星野 道夫):書評「めぐる季節、たどる生命」

今日は雛祭り

桃の節句ともいうのは
桃の花をいけて祭るところから
きています。
昼空に月あり桃の節句なり 宮津昭彦
去年は忙しさにかまけて
飾らなかった雛人形を
今年は飾りました。
この人形は長女が生まれた年に
両親が買ってくれたものですから
かれこれウン十年我が家にいます。
雛人形は雛祭りが終れば
早くしまわないと婚期が遅れると
いわれたものですが、
はてさてそんな年があったのでしょうか。
二人の娘は結婚もせず
のんきなものです。
今日は星野道夫さんの
新しい本『めぐる季節の物語』を
紹介します。
ぜひ若い人たちに読んでもらいたいと
思います。
じゃあ、読もう。
![]() | アラスカの詩(うた) めぐる季節の物語 (2010/10) 星野 道夫 商品詳細を見る |


1996年取材中の事故で急逝した写真家星野道夫の清明な文章のほとんどは新潮社から出ている『星野道夫著作集』全五巻に収められている。星野がいない今、新しい文章が綴られることは叶わないのだが、こうしてまた一冊の本として、しかも「アラスカの詩」と題されて全三巻本として新たに出版されるのだから、星野の人気は衰えていない。そのことがうれしい。
しかも今回のシリーズは青少年向きに編集されたもので、星野道夫という生き方がたくさんの若い人の心に届くだろうことを思うと、それもまたうれしい。
その一冊目「めぐる季節の物語」は、冬から始まるアラスカの季節を綴った文章で構成されている。
厳しい寒気の冬、半年の間凍りついていた川が一斉に動き出す春、たくさんの鮭たちで溢れかえる夏、たとえようのない美しさにみちた秋、そしてふたたび冬。
それらの季節を見る星野の視線はいつもみずみずしく、若々しい。
季節の移ろいをみつめながら、「生命(いのち)とは一体どこからやって来て、どこへ行ってしまうものなのか」と人間の根源へと向かっていく。星野のとってアラスカとは、自然とは、そこに生きる人も動物も、すべてが生きるすべを教える教材だったといえる。
だからこそ、たくさんの若い人たちに読んでもらえることを願う。
「自然とは人間の暮らしの外にあるのではなく、人間の営みさえ含めてのものだと思う」と星野はいう。「美しいのも、残酷なのも、そして小さいことから大きく傷ついていくのも自然なのだ。自然は強くて脆い」と。
星野のそんな言葉にふれると、彼は永遠の先輩として私たちの前を歩いていると思えて仕方がない。
星野の写真もちりばめられた美しい一冊である。
(2011/03/03 投稿)

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03/02/2011 蛇を踏む(川上 弘美):書評「片目をつむって」

春になると
何か新しいことをしてみたくなります。
どうもこの癖がぬけません。
そこで
このブログもということで
新しいカテゴリーをひとつ作りました。
「芥川賞を読む」。
初めて読む作品も
再読する作品もあるでしょうが
昔の受賞作も含めて
芥川賞を受賞した作品を
紹介していきたいと思います。
今日は
大好きな作家川上弘美さんの受賞作『蛇を踏む』。
発表当時に読んだことがありますから
久々の再読になります。
今や芥川賞の選考委員でもある
川上弘美さんですが、
この受賞作はその原点でもあります。
じゃあ、読もう。
![]() | 蛇を踏む (文春文庫) (1999/08) 川上 弘美 商品詳細を見る |


この作品で川上弘美さんは1996年に第115回芥川賞を受賞されています。
ある日、あやまって蛇を踏んでしまった女性に起こるシュールな世界を描いた作品ですが、この作品のもっている世界観は川上文学にとって必要不可欠なものといっていいでしょう。その後も何度も描かれています。
それがどんな世界かといえば、例えば片目を閉じたときに見えてくる少しだけゆがんだ世界といえばいいかもしれません。そして、今度は反対側の片目を閉じる。また世界が変化する。
川上さんの描く世界にはそういった秘められた違和感のようなものが描かれます。
普段何気なくなく見ているのですが、少しだけ違う世界。
違和感は異界のようなものでもあります。
この作品でいえば人間の姿に変えた蛇が主人公の母だと名乗ったり、料理をつくったりします。そんなことは実際にあるわけではないのですが、そういう異界を川上さんは大切にしています。
人間になった蛇が主人公の女性に「いつもそうやって知らないふりをするのね」となじる場面がありますが、そのような違和感や異界の存在を拒もうとするのはありがちなことです。
そのことをきちんと見ること。川上弘美さんが描く異界は、そういう世界に読者を招きよせているといっていいでしょう。
こういう作品を、そして川上弘美さんを選んでくれた選考委員に感謝したくなる、川上弘美さんの原点のような物語です。
(2011/03/02 投稿)

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