04/30/2011 雨の降る日は考える日にしよう(柳田邦男):書評「母の手のぬくもり」

大人になるということは
素敵なことにも出会いますが
大きな悲しみも見てしまうことです。
今回の東日本大震災の
たくさんの犠牲者の多くは
高齢者の人たちでした。
何十年もすてきな暮らしをしてきて
それでも今回のような大きな悲しみに
出会うということ。
大人になるということは
そういうことなのだと思います。
今日紹介した本は
柳田邦男さんの『雨の降る日は考える日にしよう』は
大人のための絵本ガイドです。
大人にだって、
あるいは大人だからこそ
心が殺伐とすることがあります。
だから、絵本の力が必要だと
柳田邦男さんは書いています。
大人の皆さん、
ぜひ絵本にふれてみて下さい。
じゃあ、読もう。
![]() | 雨の降る日は考える日にしよう ([絵本は人生に三度]手帖?) (2011/03/18) 柳田 邦男 商品詳細を見る |


ノンフィクション作家柳田邦男さんは近年精力的に絵本についてたくさんの著作を書いています。そこには「乾いた心に潤いを」といったねらいがあり、「大人こそ絵本を」と呼びかけられています。
そんな柳田さんが看護職にいる人を対象とした雑誌に「大人のための絵本-ケアする人、ケアされる人のために」というテーマで絵本を紹介したエッセイを連載しました。この本はそのエッセイを集めたものです。
ここにはたくさんの絵本が紹介されています。ですから、絵本のガイドでもあるのですが、それは子供たちへの案内ではありません。
大人の皆さんが道に迷ったり、困難な状況にあったりしたときに、癒すためにつけられた道案内なのです。
柳田さんは絵本には「簡単な物語のように見えていて、実はとても大事なメッセージがちりばめられている」といいます。人は困難にあったとき、どこかで心を休めたいと願います。派手な描写や過激な表現は受け付けないでしょう。そんな時、オアシスのように絵本は心を助けてくれます。
しかもただの憩いだけではなく、明日への命の道筋を指ししめしてくれます。それはどうしてでしょう。
もともと絵本は子供たちに向けて書かれてものです。子供たちの心はとても柔らかくてほんわかしていて、そこに刺々しい言葉や絵はふさわしくありません。子供たちの心は成長し、やがて厳しい現実と向き合うようになります。
絵本はそういう成長をうながす効果もあるのでしょう。そういう柔らかな心にふれあうには、絵本もまた柔らかでなければなりません。しかも、大事なメッセージが必要です。
絵本は母親の手に似ています。どこかほっとさせ、勇気づけてくれるぬくもり。大人にだって、そんな手のぬくもりが必要な時があります。
大人はみえっぱりですから、なかなか弱いところをみせません。でも、ぬくもりを求めて恥ずかしいことなんかないのです。柳田さんがいわれる「大人こそ絵本を」は、そういうことをいっているのだと思います。
柳田さんも絵本に親しむようになったのは人生の後半にはいってからでした。だから、恥ずかしがらずに堂々と絵本にふれてみてください。
柳田さんは夜、「ひとり静かに新たに見つけた絵本をゆっくりと声に出して読む」そうです。そんな毎日を過ごせたら、どんなに命がゆるやかにながれることでしょう。
(2011/04/30 投稿)

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さあ、ゴールデンウィークです。
今日は昭和の日で、祝日。
そもそもゴールデンウィークって
映画業界がいいだした言葉だとか聞いたことがあります。
連休になって、
それこそ映画館に長蛇の列ができて
まさに映画業界にとって
<黄金週間>だったそうです。
昭和30年代の初めの頃でしょうか。
映画が庶民の娯楽の王様だった頃です。
その頃の作品って
いい作品が多いですね。
いまでも十分楽しめる作品が多い。
作品の質がよかったから
ファンも多かったのか、
ファンが多かったから
作品の質が向上したのか。
つまりは、映画が輝いていた時代。
そんな当時の映画を観たいなら
『午前十時の映画祭』。
行きたい、行きたいばかりで
行けていない。
今度は待っていてもこないのに、と
反省しきりです。
じゃあ、読もう。
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初めて映画館で本格的に映画を観たのは、1968年封切りの『去年の夏』という作品だった。バーバラ・ハーシー主演の青春映画である。高校1年の時だ。
映画館で初めてパンフレットを買ったのもこの作品で、多分映画を観ることとパンフレットを買うことは切り離せないことだった。当時パンフレットはいくらぐらいしたかしらん。
映画館にはいるたびにパンフレットを買って、開演ベルの鳴るまでしばしこれから上映される映画にわくわくしながら見入ったものだ。
昨年始まった、過去の名作を毎週上映していく『午前十時の映画祭』は今年二期めを迎えて、「青のシリーズ」の新しい50本がランンナップされた。
この本、まさにその綺羅星の如く50本のパンフレット仕立てになっていて、ページをめくりながら、上映を待つ気分にしてくれる。
ちなみに今回の『午前十時の映画祭』の作品だが、『風と共に去りぬ』『シェーン』『素晴らしき哉、人生!』『道』と、名作傑作がつづく。
とにかく、わ、わ、わ、とため息がでる作品ばかりだ。
それらの作品の封切り当時パンフレットも映画評論家渡辺俊雄さんの秘蔵品のなかから紹介されている。その渡辺さんの所蔵パンフレットは2万冊になるという。
残念ながら、私が買ったパンフレットは今まったく手元にない。でも、どうしてか、そのパンフレットの感触は今でも手に残っている。
この本がそんな感触を思い出させてくれる。ちょうど『午前十時の映画祭』の作品たちが青春の日々を思い出させてくれるように。
(2011/04/29 投稿)

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04/28/2011 定年と読書(鷲田 小彌太):書評「待ち遠しい日々」

いよいよ明日からゴールデンウィークですね。
今年は暦まわりもなかなかよくて
ゆっくり休暇をとれる人も多いのでは。
でも、東日本大震災の影響で
国内観光が減少しているようです。
だったら、ぜひ読書を、と
私はすすめたい。
今日紹介する、鷲田小彌太さんの『定年と読書』は
定年後の読書生活のすすめなのですが、
この連休を小さな定年後と考えれば
少しはじっくり読書生活ができるのでは
ないでしょうか。
私も具体的な予定もありませんから
読書三昧したいと思っているのですが
どうなることやら。
じゃあ、読もう。
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本好きにはいくつかの悩みがあります。
例えば本の置き場所の問題。狭い家の中での陣地取りに悩まされます。例えば読書の時間。仕事の明け暮れに通勤時間を上手く活用するしかありません。だったら、いっそのこと早く定年になって思う存分読書三昧したいものだと。
実は私もその時のための本の準備はしています。それは司馬遼太郎さんのたくさんの作品。『街道をゆく』シリーズなんかゆっくりと読みながら旅気分にひたりたい。
だから、早く定年になりたいものだと思っています。指折り数えたりしながら。
本書は「定年と読書」を核テーマにしながら、読書の魅力を綴ったエッセイです。
著者の鷲田小彌太さんは1942年生まれですから、この本を書かれた2002年当時ちょうど60歳。普通の会社でいえば定年にあたる年。最近は定年延長制度を導入している会社が多くなりましたが、そんなことをすれば定年後の読書の楽しみがまた減っていくと懸念してもいるのですが。
そんな著者は「読書の本当の効用は、定年後にはじまる」と言い切っています。そして、「読書は楽しい。仕事のためにしようが、暇つぶしにしようが、読書は楽しい」と書いています。
そう。読書は楽しい。
そのような楽しい読書の日々は人生の後半期に待っているとしたら、こんなに楽しい人生はないだろう。
ただ読書が苦手な人もいます。本書にも「定年後に備えて読書体力をつけよう」という章があるように、定年前には読書訓練をしっかりしておくことは大事です。そうでないと、いくら読書が楽しいとわかってもなかなか読書三昧とはいきません。
著者は「読書が進むと、新しく読みたい本が出てくる。どんどん現れる。本は本を呼ぶ」と書いていますが、著者の域に達するまでには訓練が必要です。
定年まではまだまだという若い人もぜひ本書を読んで、読書訓練をしてみてください。
(2011/04/28 投稿)

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04/27/2011 恋 (百年文庫)(伊藤左千夫、江見水蔭 他):書評「切ないなぁ」

今回の百年文庫は34巻めの「恋」。
このシリーズにはたくさんの作家の作品が収録されていますが
この巻で『炭焼の煙』という作品を書いた
江見水蔭という人は全く未知の人でした。
この巻の「人と作品」によれば
江見水蔭は1869年から1934年に生きた人で
尾崎紅葉や巌谷小波らと親交があったそうです。
また田山花袋を世に出した人でも
あるそうです。
こんな風に書くと
学生時代の文学史のおさらいをしているみたいですね。
どうもそういうことにひっぱられると
物語の面白さは半減しそうです。
今回の3作品とも
私はとても面白かったです。
ぜひ恋の世界にひたってみて下さい。
じゃあ、読もう。
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ポプラ社の「百年文庫」の特徴のひとつは漢字一文字をタイトルにして、その関連した短編を収録しているという点だ。そして、漢字一文字となると多分この34巻目の「恋」という一文字は誰もが思いつくものかもしれない。
恋。甘酸っぱいもの。悲しいもの。忘れられないもの。
誰もがきっとこの「恋」という一文字に悶々とした経験をもつはずだ。そして、文学は数限りない「恋」を表現してきた。この巻では、伊藤左千夫の『隣の嫁』、江見水蔭の『炭焼の煙』、吉川英治の『春の雁』といった、あまり知られていない三つの短編が収められている。
伊藤左千夫には有名な恋の小説がある。『野菊の墓』で、何度も映画化された悲恋の物語である。
左千夫は正岡子規に師事した歌人でもあるが、酪農業を営むといった側面ももっている。
『野菊の墓』の悲恋も農村という過酷な舞台が生み出したもので、本書に収録されている『隣の嫁』にも当時の農村の様子が克明に描かれている。
「百姓はやアだなあ」と嘆く主人公の青年に好意を寄せる隣家の若き妻。一見不倫物語のようでもあるが、発表当時(1908年)の農村が孕んでいた問題を浮き彫りにしている。
「ままならぬ世のならいにそむき得ず、どうしても遠い他人にならねばならない。(中略)実につまらない世の中だ」と、物語の最後に左千夫の顔がのぞくが、これは『野菊の墓』にもつながる。
「自ら機械のごときものになっていねばならぬのが道徳というものならば、道徳は人間を絞め殺す道具だ」と、左千夫は過激に言い切っている。
江見水蔭という作者のことはまったく知らなかった。明治時代の書き手である。
収録されている『炭焼の煙』は左千夫の作品と同様に現代からみれば封建的な主従の関係が炭焼きの青年の恋を実現させない。主家の娘への青年の思いがただそれがゆえに純化されている。こういう恋は現代ではなかなか生まれないだろう。
吉川英治はいわずとしれた国民的作家である。この『春の雁』という掌編では深川の花柳界を舞台にながれ商人と辰巳芸者の「恋」のかけひきが描かれている。ラストのどんでん返しともいえる展開が面白い。
恋。いつの時代であっても、それはせつない。
(2011/04/27 投稿)

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04/26/2011 「明星」50年 601枚の表紙(明星編集部):書評「家族に笑いが戻った日」

奥田英朗さんの『東京物語』に
キャンディーズの最後のコンサートが
描かれた作品が掲載されています。
1978年4月4日。
その日彼女たちは
「私たちは幸せでした」と
マイクを置いたのでした。
あれから、33年。
こんなにも早く
メンバーの一人、田中好子さんが
亡くなるなんて思いもしませんでした。
昨日の告別式で田中好子さんの
生前最後のメッセージが流されました。
その中で、田中好子さんはこう語っています。
幸せな、幸せな人生でした。
田中好子さんや伊藤蘭さんが
女優として芸能界に復帰したときは
なんだ「普通の女の子に戻りたかったんじゃないのか」と
思わないでもなかったですが
そのうちに田中好子さんは
演技派女優として頭角をあらわしてきたのは
さすがといっていいです。
田中好子さんの死は
私たちに青春のあれこれを
振り返えさせてくれました。
今日は、蔵出し書評で
そんなアイドルたちの時代に
プレイバックしました。
じゃあ、読もう。
![]() | 「明星」50年 601枚の表紙 (集英社新書) (2002/11/15) 不明 商品詳細を見る |


月刊誌「明星」は二〇〇二年の十月号で創刊五〇周年を迎えた。その表紙は実に六〇一枚。しかもそのすべてが当時のままのカラー版で収録されたのが、本書である(ちなみに創刊号は一九五二年の十月号で、その時の表紙は津島恵子であった)。新書判ではあるが、カラー版の特別編集のため三八一頁はずっしりと重い。それに、こうして一挙に並べられると歴史的な重さも加わっている感じすらある。まさに一級の社会的資料であり、アイドル史、風俗史といえる(解題を担当している橋本治の文章もいい)。
そんな資料的価値もさることながら、家族のアルバムをひさしぶりに開いたような気分にこの本はさせてくれる。まず自分の生まれた年にどんなアイドルが表紙を飾ったのか気になって仕方がないはずだ。私の場合は美空ひばりがにっこり微笑んでいた。でもまだ写真ではない時代。本書の中の写真家篠山紀信の文章でいうと「メンコみたい」な表紙の時代である。妻はというと浅丘ルリ子がしっかり写真となって笑みを浮かべている。しかも手にはエアーメールを持っているではないか。時代は急速に進歩したといえる。長女の誕生年には松田聖子が初々しく笑っている。次女の時はキョンキョンこと小泉今日子の白い歯がまぶしい。
時代のアイドルたちが表紙という歴史の一駒にとどめられているから面白いのかもしれない。現在とあまり変わらない一九六七年の由実かおるを見ていたく感心する一方で、一九八九年八月の表紙を飾ったSMAP稲垣吾郎のあどけなさにびっくりしてしまう。そんなふうに、この本は最初から最後まで私ひとりでなく、妻や娘たちと笑いながら読めた稀有な本だといえる。
もっとも笑えたのは一九七〇年八月号だった。この時の表紙を飾った彼女は七〇年という時代の象徴でもあったが、私の感覚でいえばアイドルというには暗い影がありすぎた。それでも彼女は精一杯アイドル風の笑いを作っていた。それは当時の彼女ともっとも違いすぎるような微笑だった。しかし、そんな彼女の写真の横に添えられた文章に見て、私は大笑いをしてしまうことになる。
曰く、「私には 夏はいつも悲しかった −藤圭子」
今をときめく宇多田ヒカルの母親の、不思議な夏の一瞬である。
(2002/12/08 投稿)

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04/25/2011 元気な時代、それは山口百恵です(篠山 紀信):書評「時代の先頭を走りつづける写真家」

普通の女の子に戻りたい
おそらく昭和の名言のひとつでしょう。
1978年、当時人気絶頂だったアイドルグループ
キャンディーズは、この名言を残して
歌手活動に終止符をうちました。
そのメンバーの一人、
スーちゃんこと、田中好子さんが
4月21日亡くなったというニュースには
本当にびっくりしました。
田中好子さんはまだ55才。
私とほとんど同い年。
しかも、若い頃にごく身近に感じていた
アイドルの一人ですから。
きっと私たちの世代の男の子たちは
キャンディーズの話なら
何時間でも話せるんじゃないかな。
たとえば、
キャンディーズの三人のなかで
誰が一番好みだとかいったこと。
ちなみに私はミキちゃん派でした。
キャンディーズは
私たちの世代にとって
実に永遠のアイドルだったわけです。
田中好子さん、
いえ、スーちゃん 安らかにお眠りください。
じゃあ、読もう。
![]() | 元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論 (2011/03/18) 篠山 紀信 商品詳細を見る |


表紙の写真は、今や伝説の歌姫山口百恵の14歳の時のものだ。今から38年も前になる。
篠山紀信さんはこの後彼女が引退するまでずっと写真を撮り続けた。その多くの作品にどれほど魅了されただろう。
「混沌としながらも元気あふれる時代、その象徴が山口百恵でした」と、この本に篠山さんは書いているが、篠山さんの撮った山口百恵がいたからこそ、身近に彼女を感じられたかもしれない。
今人気絶頂のAKB48の少女たちにも同じことがいえる。彼女たちの明るさは一面でしかないと篠山さんは言う。「多感な少女期の不安や悩み、内に秘める嫉妬や凶暴性」をどう撮るか、篠山さんが被写体山口百恵にこだわったのはそういうことだったにちがいない。
本書は写真家篠山紀信さんの初エッセイ(なんだかそんな気がしないほど篠山さんは今までマスコミの最前線にいつづけた)集。篠山さんの写真とセットになって篠山さんの写真に対するこだわりが綴られている。
山口百恵、中村勘三郎、三島由紀夫、AKB48など時代の顔がつづく。篠山さんが撮ったから時代になるのか、彼らがいたから時代が生まれるのか。
写真家篠山紀信は常に時代とともにある。
本書には1991年の発売当時話題となった宮沢りえの写真集のことにも触れられている。
「18歳という幼い自分の裸身が本になり、大衆の眼に晒され、(中略)乗り越えてきたのが今の宮沢りえ」と篠山さんは評価しているが、そのことは篠山さんにもいえることだ。
常に時代の先頭をカメラを抱えて篠山さんは走りつづけてきた。だから、この本は写真家篠山紀信にとってまだ途中報告でしかない。
(2011/04/25 投稿)

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04/24/2011 かたあしだちょうのエルフ(おのき がく):書評「勇気のこと」

今日紹介した
おのきがくさんの『かたあしだちょうのエルフ』は
bk1書店の書評コーナーで
サムシングブルーさんが白川道さんの『冬の童話』の書評で
紹介していたもので
どんな絵本かと興味をもって
読みました。
1970年にでた絵本ですから
長い時間にわたって読み継がれてきた
絵本なんですね。
きっとこの絵本では
いろんなことを考えさせられると思います。
子供たちと読むことで
いろんなことがわかるかもしれません。
絵本を読むことの
それは楽しみのひとつではないでしょうか。
じゃあ、読もう。
![]() | かたあしだちょうのエルフ (おはなし名作絵本 9) (1970/10) おのき がく 商品詳細を見る |


勇気ということを考えています。
大きなことである必要はありません。それは少しだけ前に出ることです。
例えば、電車の中で席をゆずることも勇気がいります。あるいは、好きな人に告白することも勇気がいります。募金箱に少しお金をいれるのも勇気がいります。
心に勇気をもてば、前に一歩踏み出せるはずです。
この絵本の主人公エルフは「わかくて つよくて すばらしく 大きな おすの だちょう」で、大草原のたくさんの仲間に慕われています。エルフとはアフリカの言葉で「千」のことで、エルフは千メートルも走ったことがあるくらいです。
そんなある日、仲間たちの穏やかな生活にライオンが襲撃してきました。エルフは勇敢にライオンと闘ってライオンを撃退するのですが、その闘いで片足をなくしてしまいます。
かたあしだちょうはもう走れません。初めのうちは仲間たちが食事を運んでくれたのですが、そのうちにみんなから忘れさられていきます。
エルフはどんどん弱って、死の時が近づいてきます。そんな時、今度は黒ヒョウが仲間たちを襲います。弱っているエルフは勇気をだして、子供たちを助けます。それは死を賭けた大きな勇気です。
エルフは最後には大きな木に生まれ変わります。きっと神様がエルフの勇気を讃えたのでしょう。
私たちにはエルフのような大きな勇気はありません。エルフのような大きな勇気があればどんなにいいかわかりませんが、それを誰にも望むことはできません。
でも、と考えます。もし、草原の仲間たちがかたあしになったエルフをずっと支える勇気があったらどうでしょう。エルフを忘れないこと。それは少しばかりの勇気です。それなら私たちにもできるはず。
かたあしのエルフを支える勇気こそ、本当の勇気だと思うのです。
寄り添うことにも勇気が必要なのです。
(2011/04/24 投稿)

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04/23/2011 ようこそ、絵本館へ(あさの あつこ):書評「絵本で知る生きる喜び」

今日は「子ども読書の日」。
今年のキャッチフレーズは
たくさん読もう。
楽しく読もう。
です。
子供の頃から読書に親しむっていうのは
とても大事なことだと思います。
読書というのは
ある程度習慣なんですよね。
だから、子供の時から
読書は楽しいと思わないと
なかなか大人になってからは
難しいかもしれませんね。
もちろん、楽しい本との出会いは
大人にだってあります。
今日紹介するのは、
そんな「子ども読書の日」にぴったりの一冊、
あさのあつこさんの『ようこそ、絵本館へ』です。
きっと読みたい絵本が見つかりますよ。
じゃあ、読もう。
![]() | ようこそ、絵本館へ (2011/03) あさの あつこ 商品詳細を見る |


人生の半ばを過ぎて、絵本の魅力にはまっている。
思い出せば、子供の頃絵本はほとんど読んだことがない。両親ともに働いていたので子供に本を読ませる習慣は持ち合わせていなかった。成長して自分の子供を持って、初めて絵本を手にした。やがて子供は一人で本を読み始め、またしても絵本と積極的に関わらなかった。
確か長田弘さんだったと思うが、大人が絵本を読まないのはおかしい、子供の頃の読書体験だけでは面白い絵本に出逢う機会をずっとなくしてしまうといったようなことを書いていて、自分の読書体験に絵本を読むということが欠落していることに気付いた。
だが、自分の子供たちも成長して、いったいどんな絵本を読んだらいいのか。落合恵子さんの本や新聞やインターネットの書評をたどりながら、手探りで絵本を読んでいる。
そんな絵本初心者であるが、いせひでこさんや林明子さん、斉藤隆介さんといったお気に入りの作家たちと出逢えたのはうれしい。
それでもまだまだ初心者である。だから、本書のような絵本ガイドはうれしい。
ガイド役はヤングアダルト小説で人気の高い、あさのあつこさんだ。あさのさんはちょうど同年代で、二男一女を育てたお母さんでもある。等身大の案内人である。
この本では、古今東西の傑作絵本が74冊紹介されている。絵本初心の私も何冊か読んでいる絵本が紹介されていて、私の絵本体験もまんざらでもない。
本書は「プレゼントしたい絵本」「大好きな絵本作家」(あさのさんが林明子さんを大好きな絵本作家の一人にあげているのがまたうれしい)「ひとりの時間にひらく絵本」の3つの章に分かれていて、カラーページでそれらの絵本も紹介されている。この本を読みながら、未知の絵本に胸ときめかしていた。
あさのさんは「絵本って不思議です。たった一冊が百万語の説教より心に染みたりするのですから」と書いているが、まったくそのとおりで、空の青さ、木々のそよぎ、風のやわらかさを思い出させてくれるきっかけを与えてくれる。これはおとなだからこその特権かもしれない。
仕事に明け暮れているおとなの皆さんにぜひ絵本の魅力を知ってもらいたい。そのガイド本として、この本はオススメです。
(2011/04/23 投稿)

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04/22/2011 村上春樹、河合隼雄に会いにいく(河合 隼雄/村上 春樹):書評「二つの震災をつなぐもの」

昨日書いたように
今日は村上春樹さんと河合隼雄さんの対談集
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を
紹介します。
書評にも書きましたが、
この対談が行われたのが1995年で
ちょうど阪神大震災のあとでした。
その本を
今回の東日本大震災のあと
ふたたび読むというのも
なんだか不思議な気がします。
本というのは
そういう点でつながりのあるものかもしれません。
そして、この本で話されたことは
昨日の小川洋子さんと河合隼雄さんの対談集
『生きるとは、自分の物語をつくること』にも
つながっているのだと思います。
じゃあ、読もう。
![]() | 村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫) (1998/12) 河合 隼雄、村上 春樹 他 商品詳細を見る |


作家村上春樹さんと臨床心理学者河合隼雄さんの対談集です。
対談の時期(1995年秋)は村上さんが大作『ねじまき鳥クロニクル』に書き終えた頃で、その長編に関する話題も大いに語られています。同時に、阪神大震災とオウム事件という当時の日本において大きな危機の余熱がまだ冷めやらない時でもありましたから、それらがもたらした心の傷についても話されています。
小川洋子さんと河合隼雄さんの対談集『生きるとは、自分の物語をつくること』に誘われるようにして、そういえば河合さんは村上春樹さんとも対談していたことを思い出したのですが、この本が阪神大震災あとの対談であったことを忘れていました。
それが阪神大震災を超える東日本大震災のあとに再読するというのも、なんだか本の神様のはからいではないかと思えたりします。
河合さんは阪神大震災の時にすぐに心のケアについて考えられたそうです。実際電話相談の形で相談活動も始めます。
その活動を通して、河合さんはあることに気がつきます。「日本人の場合は衝撃を個人で受け止めなくて、全体で受け止めている」こと、もう一つが日本人が心の問題を「言語化することを嫌に思う人」が多いということです。
今回の東日本大震災にしても発生から一か月経ってようやく国や企業に対する怒りの声が出始めましたが、それでも「全体」としてすごくならされているように感じます。特に今回の震災では被災地域が広範囲にひろがっている点でも「個人」ではなく「全体」の意識が強いのではないでしょうか。
河合さんは心のケアについて「自分で乗り越える」ことが大事だと話しています。
強く生きるとは、「全体」ではなく「個人」の問題なのです。
今回の大震災はまだまだ復興というところまで至っていないのが現状です。まず町をどうするか、雇用をどうするか、という点に焦点があたっています。
しかし、個々の心のケアの問題は必ずでてきます。そのこともきちんと対処していかないといけない。阪神大震災を教訓として考えなければならない問題です。
この対談のあと、本書の「後書き」に河合さんはこんなメッセージを残しています。
「各人はそれぞれの責任において、自分の物語を創り出していかなければならない」と。
私たちの物語はつづくのです。
(2011/04/22 投稿)

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04/21/2011 生きるとは、自分の物語をつくること(小川 洋子/河合 隼雄):書評「物語はつづく」

今日紹介する
小川洋子さんと河合隼雄さんの対談集
『生きるとは、自分の物語をつくること』を
本屋さんで見つけた時に
はっとしました。
小川洋子さんの新作『人質の朗読会』は
もしかしらこの対談がきっかけだったのでは
ないかしらん。
あるいは、今回の大震災で犠牲にあわれた人の鎮魂は
その物語をひらくところから
始まるのではないかしらん。
そんなことを思いました。
そういえば、
河合隼雄さんは村上春樹さんとも対談したことがあります。
明日はその本、
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を
紹介します。
じゃあ、読もう。
![]() | 生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫) (2011/02) 小川 洋子、河合 隼雄 他 商品詳細を見る |


小川洋子さんの『人質の朗読会』は海外でテロ事件に巻き込まれた人たちがそれぞれの人生の風景を語り合うという構成になっています。そのテーマなり場面はまったく違うのですが、人にはそれぞれ語るべき物語があるのだと深く心に沁みこんでいく一冊でした。
特に東日本大震災で犠牲となったたくさんの人々のことを思うと、高齢者も若い人もあるいは子供たちでさえ、それぞれ彼らの物語があっただろうと思います。
それは多分年齢に関係なく、物語はあったはずです。犠牲になられたたくさんの命と同じ数だけの物語。
それを私たちは想像するしかないのが悔しく、そして悲しい。
本書は、小川洋子さんと臨床心理学者の河合隼雄さんとの対談集ですが、そのテーマが書名にあるように「生きるとは、自分の物語をつくること」です。
ちょうど小川さんのベストセラー『博士の愛した数式』が映画化された後の対談ということで、小川さんの作品をベースに話が進められていきます。
その対談のなかで小川さんはこんなことを話しています。「あなたも死ぬ、私も死ぬ、ということを日々共有していられれば、お互いが尊重しあえる」と。
死ぬということは物語の終わりでもあります。それがどれほど短いものであっても、あるいは未完であっても、絶対に物語があります。
小川さんの発言は、人にはそれぞれに物語があるということを共有していられたら、互いに尊重しあえると読み替えてもいいのではないでしょうか。
対談の相手でもあった河合隼雄さんが亡くなられたので、この文庫版には小川さんの「少し長すぎるあとがき」が書き下ろしで収録されています。
その中で小川さんは「生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない」と書いています。
自分の物語を作り上げてゆくことは、亡くなった人たちの物語を読むということにもつながってゆく。
物語は物語へと続くのです。
(2011/04/21 投稿)

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04/20/2011 或る「小倉日記」伝(松本 清張):書評「巨人はここから始まる」

今回の「芥川賞を読む」は
先日の朝日新聞の記事「一番愛される芥川賞作家」で
堂々の1位となった
松本清張さんの『或る「小倉日記」伝』です。
この作品を読むのは
もう何度かめになりますが、
今読んでも面白い作品です。
松本清張さんはこの作品のあと
膨大な数の作品を書いていて
多くのファンがいますが、
私はそんな作品の中でも
この作品は好きです。
物語としても面白いし、
文章もしっかりしています。
新人賞としての芥川賞ですが
新人の域を超えているように
感じます。
松本清張さんのファンだけでなく
多くの人に読んでもらいたい作品です。
じゃあ、読もう。
![]() | 或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集) (1965/06) 松本 清張 商品詳細を見る |


第28回芥川賞受賞作(1952年)。この作品をきっかけにして、文学界の巨人となる松本清張であるが、芥川賞を受賞したのはすでに43歳でけっして若くはなかった。前半生の塗炭の日々はすでに知られている。また、その後の活躍も衆目の一致するところだ。
では、この受賞は当時の選考委員にどのように評価されたのだろうか。芥川賞の名物ともいえる選評をみていきたい。
まず、絶賛したのは坂口安吾である。
「文章甚だ老練、また正確で、静かである」と記した。その印象は今も本作を読んだ多くの読者の感想だと思う。
さらに安吾は「この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があ」ると、まさにその後の松本清張の姿を予見するかのような選評を書いている。清張もすごいが、安吾も恐るべし、だ。
瀧井孝作もよく似た感想を持ったようで、選評で「この人は、探究追求というような一つの小説の方法を身につけている」と書いている。
確かにこの作品で森鴎外の失われた小倉時代の生活を訪ね歩く主人公の青年の姿はその後の松本清張の緻密な取材活動と重なってみえる。その「探究追求」を「一つの小説の方法」とした瀧井もまた、その後の清張を見事に言いあてたといえる。
一方で、石川達三は「光ったものを感じ得ない」と否定的に評価している。ただ、その評に「これは私小説の系列に属するもの」というのは明らかに石川の読み違えであろう。この作品の一体どこが「私小説の系列」なのか不思議でならない。
この作品の面白さは事実が物語を生み、物語が事実を消している点にある。この物語の主人公は実際に存在するという。では、どこまでが事実でどこからが松本清張の造形であるのかといったそのこと自体が、小説の面白さを生み出しているし、その後の清張文学の核にもなっている。
石川は選評の最後に「芸術作品は(中略)各人の個性にしたがって鑑賞すべき」とした。それはそれで正しいのだが、それを書いてしまえば選考にもなりえないようにも思う。
この石川の選評に、松本清張がどう感じただろう。
(2011/04/20 投稿)

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04/19/2011 昭和三十年代の匂い(岡崎 武志):書評「私は昭和三十年生まれです。」

昨日細野晴臣さんの『分福茶釜』という本を
紹介しましたが、
細野晴臣さんは1947年生まれですから
私とは8才違いということになります。
まさに団塊の世代です。
私はその弟分の世代になります。
細野晴臣さんが「長老」になることを
勧めていたですが
私たちの弟世代も
そろそろ「長老」になる準備をしないと
いけないかな。
それで、今回は
書評タイトルもずばり「私は昭和三十年生まれです。」とした
『昭和三十年代の匂い』という本を
蔵出し書評で紹介します。
私はひとつの区切りのような
自分の生まれた年が
好きです。
じゃあ、読もう。
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「十年をひとむかしというならば、この物語の発端はいまからふたむかし半もまえのことになる」というのは、壷井栄の『二十四の瞳』の有名な書き出しである。
今に読み継がれる壷井のこの作品が書かれたのは昭和二七年で、時代もまだ戦争の傷跡を深くひきずっていた頃のことである。そのために作品にも戦争の悲劇が色濃く反映している。
多くの人が感涙した、高峰秀子主演木下恵介監督による映画が封切りされるのはそれより二年後の昭和二九年の秋のこと。昭和三十年まであと少しである。
なぜ『二十四の瞳』の話から書き始めたかというと、「十年をひとむかしという」ことを初めて知ったのがこの作品だったからで、時間とはそういうことかといたく感心した記憶がある。
それが壷井の小説からなのか、昭和四二年の亀井光代主演のTV版だったの記憶は曖昧である。(世代論でいえば例えばこの『二十四の瞳』を誰の主演で見たかというようなことも分岐点になる。高峰秀子で見たという人はかなり上の世代だし、田中裕子で見たといえば若い世代というおおまかな世代のくくりかたになるだろう。昭和三十年代でいえば香川京子の主演のTV版が昭和三九年に放映されているが、昭和三十年生まれの私にとっては絶対亀井光代が大石先生である)
その書き出しをひきうつせば「昭和三十年というのはいまからいつつむかしもまえのことになる」。そんな昔の時代が、今大変なブームになっている。
そのブームの理由としてよくいわれるのは映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の大ヒットである。
しかし、これはひとつのきっかけにすぎない。では。
理由はいくつかある。高度成長期の前章として時代が大きく変わる経済事情が確かにあの時代にはあった。今ではほとんどの家庭にあるだろうTVや洗濯機や冷蔵庫がいわゆる三種の神器と呼ばれた頃である。
またそのTVや漫画雑誌がもたらした娯楽の広がりもあの時代から始まったといえる。そういう始まりが昭和三十年代には多くある。そのゆえにあの時代を振り返れば現在のありようがみえてくる。
ただあの時代がよかったとか今の時代はおかしいというようなコメントでは単なる懐古趣味になってしまう。
実はそれ以上に重要だと私が考えているのは、書き手及びその周辺の人たちの年令である。
本書の著者岡崎氏は昭和三二年生まれ。昭和三十年ブームの教祖ともいえる泉麻人氏は昭和三一年生まれ。評論家の坪内祐三氏は昭和三三年生まれ、と昭和三十年代生まれの書き手が続々と台頭してきている。いずれも今五〇歳という人生の盛りの季節にはいって、自分とは何だったのだろう、自分が生まれた時代とはどういうものだったのだろうという思いが強くなる世代になった。
つまり、今の昭和三十年代ブームは多くの書き手たちの「自分さがし」が形づくっているような気がする。もちろん、その背景には団塊の世代をはじめとした数多くの同世代の読者がいる。その多くの読者も仕事一辺倒の時代を終え、「自分さがし」に余念がない。それが今の昭和三十年代ブームを構成していると思っている。
本書はまさにそういう昭和三十年代への思いをいくつかの単元で、同種の本と一線を画するように意図されたはずだが、どうしても同じような視点になってしまうのは、所詮は同世代の書き手だから致し方ないかもしれない。 ただ多くの書き手が東京を中心にした関東圏の昭和三十年であるから、本の謳い文句どうり「大阪で過ごした」という地の差異がもう少し出て欲しかったと思うのは、私が大阪の地方都市の出身だからだろうか。
また、「くみとり便所」や「狂女」の項など今までの同種の本にはない記述は今後昭和三十年代を語る上で面白いテーマかもしれない。つまり、昭和三十年代とはある意味そういう猥雑で差別的な要素も多分にもった十年間だといえる。
「自分さがし」は綺麗ごとだけではないはずだ。
(2008/08/11 投稿)

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04/18/2011 細野晴臣 分福茶釜(細野 晴臣):書評「長老、大いに語る」

この本はbk1書店から献本頂いたのですが
どうもなかなか読めずに
心の片隅でずっと落ち着かなかった一冊です。
書評にも書きましたが、
この本の著者細野晴臣さんは
坂本龍一さんたちとYMOという音楽グループを結成して
その音楽の質で高い評価を得ていました。
それだけでなく、
いくつかのTV番組をもったり
かなり人気がありました。
人の生活には音楽って切り離されないものですよね。
私はどちらかといえば
音楽が苦手な部類に属するのだと思います。
自分でももう少し
リズム感があってもいいのにと
思わないでもあります。
本はとりあえずは歌わないでいいので
ほっとします。
じゃあ、読もう。
![]() | 細野晴臣 分福茶釜 (平凡社ライブラリー) (2011/02/12) 細野 晴臣 商品詳細を見る |


音楽家細野晴臣の心のつぶやきを音楽プロデューサー鈴木惣一郎が聞き手になって引き出したトークエッセイである。
細野晴臣といえば、高橋幸宏、坂本龍一と組んだYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)で70年代後半の音楽界を席巻したメンバーの一人だ。その細野が還暦を迎え、現在の思い、家族、音楽、宗教、思い出などを淡々と語っている。
きっと細野たちの音楽を支持する人には面白く、細野とはこういう人物だったのかという再発見する機会になるのだろうが、当時山崎ハコや中島みゆきといった暗いフォークソングにはまっていた私には、音楽家というより還暦を迎えた男性の思いとして細野のつぶやきを受け止めた。
細野は「年をとるってことはいいことなんだよ、本来は」と云う。
若い時にはなかなか云えない言葉だ。
その理由は「ものの見方が広がっていく」からで、「ようするに長老になるっていうこと」だと語る。
そういえば、本書のカバー写真の和服姿の細野の姿はどこか「長老」っぽい。こういう「長老」なら相談もしやすいのだろうが、どうも最近のシニアはいつまでもギラギラして現役続行みたいで、相談でもしようものなら罵声のひとつでも飛んできそうだ。
できれば、うまく老いて「長老」になりたいものだが、細野のようにはいきそうもない。
細野の音楽と「長老」とはなんだか結びつかないような気がするが、それもまたいい年の重ね方なんだろうと思う。
(2011/04/18 投稿)

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04/17/2011 串かつやよしこさん(長谷川 義史):書評「お酒が飲みたくなる? 絵本」

今日紹介する絵本は
いつも楽しい、長谷川義史さんの新作
『串かつやよしこさん』。
串かつやさんによく行くことはありませんが
嫌いではないですね。
どちらかといえば、
好きな方かな。
ソースつぼに
ぽちゃんとつけて食べるのは
なかなかいいものです。
そんなお店の雰囲気がよく出ていますね。
それにしても
絵本の世界って
広いものです。
じゃあ、読もう。
![]() | 串かつやよしこさん (2011/02) 長谷川 義史 商品詳細を見る |


長谷川義史さんの、おなじみオヤジギャグ満載の絵本です。でも、串かつやさんが舞台の絵本って前代未聞じゃないですか。
よしこさんは串かつ名人。なにしろよしこさんが揚げる串かつは人々を幸せにするんですから、こんなお店があったら行ってみたいもの。
最初にやって来たのはぷりぷり怒っているおじさん。よしこさんが揚げたのはイカ。それを食べたおじさんは、怒っているのも忘れて「ま、イッカ」と帰っていきます。
これ、絶対にオヤジギャグです。こんなこと、学校で言ったら、フンってされますよ。
そういう危険な? ギャグが不思議と長谷川さんの絵と合うんです。串かつにキャベツがぴったり合うように。これって相性ですかね。
この絵本の表紙裏にはよしこさんの串かつメニューがどっさり紹介されています。微妙に形態が違うところがまた面白い。
絵本を読んで、串かつやに行きたくなるのもどうかと思いますが、ま、いっか。
でも、お子様はおとなになるまで我慢してくださいね。
(2011/04/17 投稿)

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04/16/2011 掟 (百年文庫) (戸川幸夫、ジャック・ロンドン 他):書評「人間は自然に対して愚かだ」

今日紹介した百年文庫は
自然との闘いを描いた短編3作が収められています。
シートンがはいってもよかったかな。
でも、日本のシートンと呼ばれた
戸川幸夫さんの作品を読めたのは
よかったです。
いつか読みたいと思っていましたから。
この本に収められている『爪王』も
面白かったです。
今度また読んでみたい作家です。
ジャック・ロンドンの『焚火』は
誰かかすごく面白いと書いているのを
目にしたことがあるのですが
それが誰だったか
思い出せなくて
うーん、残念。
じゃあ、読もう。
![]() | (020)掟 (百年文庫) (2010/10/13) 戸川幸夫、ジャック・ロンドン 他 商品詳細を見る |


今回の東日本大震災でもそうだが、自然の力というのはとても怖ろしい。人はつい傲慢にもそのことを忘れてしまう。強い自然の中で私たちも動物たちも生かされていることを忘れてはいけないのだ。
百年文庫の20巻めは「掟」というタイトルがつけられ、動物と人、自然と人、そして人と人との関係を描いた3作が収められている。
生きていくことにはしばしば「掟」が定められている。それはこの地球が誕生した時からあらゆるものたちが生存するための約束事であるはずだ。ここに収録された3作はそのことをじっと見つめている。
秀逸なのは、厳寒のアラスカの森に無謀にも立ち入った一人の男の悲劇を描いたジャック・ロンドンの『焚火』だろう。
極寒の日には一人旅などするものではない、という村の老人の意見を聞くこともなく森に入り込んでいく男。次第に手足は麻痺し始める。それでもまだ男は自然の恐ろしさに気づかない。焚火の暖さえとれれば寒さをしのげると思っているのだ。ようやくついた焚火に木のたまった雪が落ち、唯一の暖は一瞬にして消えてしまう。まだマッチはある。しかし、すでに男の手は感覚さえなくなっている。そばにいるのは一匹のエスキモー犬だけ。男にあるのはただ死。
これほどに冷静に死を描いた作品も珍しいのではないだろうか。
片時も目を離せなくなる。愚かな男の過信を私たちは笑うことができない。自然を、あるいは経験を侮ることの恐ろしさを改めて感じる。
戸川幸夫の『爪王』は鷹と赤狐の死闘を描きつつ、鷹を育てる古老の鷹匠の意地にも焦点をあてる。
この物語の主人公たる若鷹「吹雪」の誕生から親離れまでの前章がいい。戸川の畳みかけてくるような短文のリズム感が記録文学のようなリアリズムを醸し出している。
『谷間の百合』などで有名なバルザックの『海辺の悲劇』は、観光気分の男女を震撼とさせる父と子の関係を描いている。
人間には踏み外してはいけないことがある。それが人間の掟として厳然とあるのだと、バルザックは描きたかったのだろう。
(2011/04/16 投稿)

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04/15/2011 雑誌を歩く 「文藝別冊 ちばてつや 漫画家生活55周年記念号」 - 立つんだ、ジョー

忘れてならない人気漫画がもう一人います。
それが、ちばてつやさん。
ちばてつやさんといえば『あしたのジョー』となるわけですが
そもそもちばてつやさんは手塚治虫さんほど
たくさんの作品を書いていません。
現役の漫画家としては少ない方。
でも、漫画家生活55年ですからそれはすごい。
そんなちばてつやさんの偉業を讃えて編集されたのが
今回の「雑誌を歩く」で紹介する本、
「文藝別冊 総特集ちばてつや」(河出書房新社・1200円)です。
![]() | 文藝別冊 ちばてつや 漫画家生活55周年記念号 (2011/02/07) 不明 商品詳細を見る |

いいでしょ、『あしたのジョー』の矢吹丈。
いつ見てもジョーはかっこいいなあ。
でも、ちばてつやさんの作品の中では
『紫電改のタカ』が好きかな。
いやいや『ユキの太陽』も、
まてよ『みそっかす』か『のたり松太郎』か
と、名作がずらり。
この「文藝別冊 総特集ちばてつや」の中でも
「作品解説40」「全作品リスト」がついていますから
ぜひあなたの大好きなちば作品を見つけてください。

そのインタビューの中で、
「漫画家の資質で一番大切なことは?」と訊ねられて
ちばてつやさんは「人を楽しませたいという気持ちを持つこと」と
答えています。
なるほど。ちばてつやさんの魅力はそこにあるんだ。
そのほかにも、
漫画家仲間の皆さんの特別寄稿があります。
ちばてつやさんの人柄ですよね。


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04/14/2011 仕事の見える化(長尾 一洋):書評「明日はどっちだ」

新入社員の皆さんは
まだ右も左もわからないものです。
今は指示されたことを
緊張しながらこなすのがやっとではないでしょうか。
でも、仕事って
緊張感が大事です。
初心忘れるべからず、と
よく言われますが、
この緊張感も忘れてしまうことのひとつ。
ぜひ半年たった時点で
今の緊張が持続されているか
確認してみて下さい。
もし、緊張感が薄れてきているようであれば
ビジネス本を読んでみるのも
ひとつの方法です。
今日紹介するのは
長尾一洋さんの『仕事の見える化』という本。
先輩社員の人たち、
経営幹部の人たちにも読んで参考にしてもらいたい
1冊です。
じゃあ、読もう。
![]() | 仕事の見える化 (2009/04/03) 長尾 一洋 商品詳細を見る |


会社には盛衰があります。一部の優良会社を除けば、業績があがりつづけるというのはとても困難です。
業績が下降しだした時、社員の士気も下がります。負のスパイラルに陥ることで衰退の速度が早まります。それをどうくいとめるか。まさにここが経営幹部の思案のしどころです。
本書にも書かれていますが、その時こそ、「会社の未来」を示すしかないでしょう。
それがないと、社員は今の仕事に不安を持ちますし、不安は不平につながります。生産性が落ちるのは間違いありません。そんな時の特効薬が「会社の未来」です。
自分たちの会社が3年後、5年後、10年後どうなっているかをきちんと社員に示すことです。その未来に疑問を持つ社員は去っていくでしょうし、賛同できる社員はともに歩き出せます。
そして、できるだけ短期間でその成果を少しでも実現させることです。未来の姿がいつまでも提案だけではむしろ逆効果です。
小さな成功体験の積み重ねこそ大事なのです。変化の「見える化」です。
本書はなかなか見えにくい「会社の未来」(これはいうなれば「経営層の頭のなか」ということ)「社員の頭のなか」「顧客の頭のなか」を「見える化」する方法を、それは基本的にはメールを使い「日報」を共有するという方法ですが、教えています。
もちろん、これはひとつの方法ですから、それぞれの会社でアレンジすることも必要でしょう。こういうビジネス教本のような本はそのまま活用するのではなく、会社の規模や風土に合わせて行わないと失敗します。
会社では「報連相(報告・連絡・相談)」ということをしばしば学びます。どうすればそれが実行されるかは、組織の永遠の課題でしょう。
本書では、「見える化」でそれを解決しようとしています。全員でそのことを共有できるか、それが多分この「見える化」の実現ができるかの鍵となります。
なにもしないまま死を迎えるか、まずやってみることから始めるか。
これこそ、会社の運命の、そしてそれは社員の運命の、分かれ目といえるでしょう。
(2011/04/14 投稿)

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04/13/2011 「成功」と「失敗」の法則(稲盛 和夫):書評「蜘蛛の糸」

昨日働くということを描いた短編集
『そういうものだろ、仕事っていうのは』という本を
紹介しましたが、
今日は京セラの創業者で
現在日本航空の会長でもある
稲盛和夫さんの『「成功」と「失敗」の法則』を
蔵出し書評で紹介します。
仕事には成功と失敗はつきもの。
うまくいくことばかりではありませんし
失敗ばかりでもありません。
肝心なのは、
失敗をどう真剣に受けとめるかでは
ないでしょうか。
そういうことって
生き方につながっていきます。
じゃあ、読もう。
![]() | 「成功」と「失敗」の法則 (2008/09/13) 稲盛 和夫 商品詳細を見る |


芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を読んだのはいくつのときだったろうか。小学生の頃の教科書だったかもしれない。
「或日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、獨りでぶらぶら御歩きになつていらつしやいました」で始まる、わずか数枚の物語である。有名な短編なので覚えている人も多いだろうが、御釈迦様のお慈悲で下ろされた一本の蜘蛛の糸をめぐってカンダタという悪人が自己の欲望に固守するあまり、また地獄に逆戻りをしてしまう、そんな物語である。
おぼろげながら、細い蜘蛛の糸にぶらさがるカンダタとその下から彼と同じように這い上がってくる地獄の邪鬼たちの、挿絵があったようにも思う。
私たちの人生にもこの「蜘蛛の糸」のような逸話は多くある。あるいは、多くの人が「蜘蛛の糸」を求めているといってもいいかもしれない。京セラ名誉会長である稲盛和夫氏が書かれた本書も、多くの経営者あるいはビジネスマンにとっては「蜘蛛の糸」のようなものだろう。
この類の本は本屋さんにたくさん並んでいる。時代じだいに応じて、励ましの表現がこそ違え、多くの人生へのヒントが書き著され、時にはベストセラーにさえなる。それほどまでに人は「蜘蛛の糸」を求めているのだといえる。
それでいて、どうして人は変わることができないのか。「人生を終えるときに、立派な人格者になった人もいれば、そうでない人もいます。その違いは、人生を歩む中で、自らを磨き人格を高めることができたかどうか、ということにあると私は考えています」。
なるほど、と思い納得する。「だから「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれてときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます」
そのとおりだ、と思い共鳴する。しかし、そのように取りすがったつもりの「蜘蛛の糸」を上りきることができないままでいるのはどうしてだろう。
芥川の物語に登場するカンダタという悪人は蜘蛛の糸は自分だけのものだと主張し、その途端に糸が切れるのだが、もしかすれば稲盛氏の著作を読んで救われようとする私たちにカンダタの愚かな気持ちが全くないともいえなくもない。
カンダタの振る舞いが「御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召された」ように、私たちが人生の生きるヒントを求め、そしてそれを活かしきれないのも浅ましいことかもしれない。どうすれば「蜘蛛の糸」は切れることなく、カンダタは極楽まで上りきることができたでしょう。
きっと小学生の時に習ったはずなのに、いまだに邪鬼のなかにいる。何度もなんども「蜘蛛の糸」をさがしている。それもまた人間だとすれば、御釈迦様の御顔は晴れることはないのでございませう。
(2008/10/21 投稿)

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04/12/2011 そういうものだろ、仕事っていうのは(重松 清、野中 柊 他):書評「働くということ」

亡くなった母はよく
「働くというのは、傍(はた)を楽にすることだよ」と
言っていました。
50才を過ぎた息子に
まわりの人からかわいがってもらいなさいと
手紙をくれたこともあります。
もう30年以上働いていますが
働くことの意味が全部わかっているかというと
あんまり自信があるわけでもありません。
でも、人として
働くことは社会で生きる基本だと思います。
今日紹介する『そういうものだろ、仕事っていうのは』は
そんなことを6人の作家たちが
それぞれの視点で描いた短編集です。
ぜひ、それぞれ
働くということを考えてみて下さい。
じゃあ、読もう。
![]() | そういうものだろ、仕事っていうのは (2011/02/22) 重松 清、野中 柊 他 商品詳細を見る |


春、社会人としてスタートをきった人たちにはまだ戸惑いが多いと思います。働くということは単にお金を稼ぐということだけでなく、自分の生きがいと密接につながっていきます。
それは今の自分のあれやこれやということではなく、働くことを通じて生まれ変化し、やがてこれだと気づくものです。
だから、焦ることなく、じっくりと仕事に取り組んでいけばいいのではないでしょうか。そう、たまには本などじっくり読みながら。
本書には、定年退職したあと駅の蕎麦チェーンに就職した父親の姿を描く重松清の『ホームにて、蕎麦』、休暇先の沖縄のゲストハウスで出会った人々の思いがけない表情を描く石田衣良の『ハート・オブ・ゴールド』、仕事に追われ次第に神経を病んでいく銀行員とその家族を描く盛田隆二の『きみがつらいのは、まだあきらめていないから』など、6人の作家による仕事にまつわる短編が収録されています。
書名の「そういうものだろ、仕事っていうのは」は、重松清の作品の一節からとられています。「そういうもの」というのは、蕎麦チェーンで働き始めた父親を心配する息子が若い頃営業マンとして働いていた父親の姿と自分の今の姿をだぶらせて「働くことって難しいですよね、理屈では割り切れないことばっかりみたいだし」という弱音のように吐いた言葉をさしています。
父親も抱えていた「そういうもの」は、仕事をしていると誰もがふと考えてしまうことかもしれません。
でも、「そういうもの」があるから仕事は面白いともいえます。「そういうもの」を克服するところに、生きがいとつながっていくものがあります。
大崎善生の『バルセロナの窓』の主人公も「そういうもの」を超えて若い頃同じ職場で働いていた友人とともにバルセロナの夕日をみつめています。その作品の一節、「働くというのは決して金のためだけではなく、人間としての機能のひとつなんだということ」に思わず頷きました。
(2011/04/12 投稿)

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04/11/2011 この国のかたち〈2〉(司馬 遼太郎):書評「悪意のない人たち」

東日本大震災から
今日で一ヶ月になります。
一ヶ月前にはあんなに賑わっていた町も
笑っていた人も
一瞬にしていなくなってしまいました。
おそらく被災された人たちは
まだ信じられないでしょうし、
夢であって欲しいと思っているでしょう。
生きていくことの
なんと残酷なことでしょう。
これから被災された人たちが
どのように生きていかれるか
そのためにも
私たちがどのように応援できるかを
あれから一ヶ月経った今日、
この国の人たち全員で
考えていかなければならないでしょう。
この国の未来を信じて。
みんなで輝ける国の再生を。
じゃあ、読もう。
![]() | この国のかたち〈2〉 (文春文庫) (1993/10) 司馬 遼太郎 商品詳細を見る |


東日本大震災、それに続く原発被災と、この国は今大きな危機にあります。
しかし、それはそもそもこの国はどんな国なのか、私たちはどのような民族なのかをもう一度見つめ直す機会でもあります。戦後60余年、今こそ私たち各人がそのことを考えてみる好機ではないでしょうか。
ただ補助線が必要です。私はそれを司馬遼太郎さんの『この国のかたち』に求め、考えていきたいと思っています。
この『この国のかたち』の二で司馬さんは日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザヴィエルの書簡を紹介しています(「44. ザヴィエル城の息子」)。
その中でザヴィエルは日本人のことを「親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません」と記しています。また「知識欲はきわめて旺盛」とも書いていたそうです。
それを受けて司馬さんはこんなことを書いています。「ザヴィエルは、日本史の青春期のころにきたといっていい」と。
それから何世紀も経て、日本人は変わったのでしょうか。青春期はとうに過ぎているはずですが、やはり「善良」であることには変わらないような気がします。
多分に苛苛感はあるでしょうが、どちらかといえばあまり変わっていない。今回の危機にあっても被災者たちの姿に私たちは多くのことを教えられます。
拳をつきあげる人は少ない。罵声を吐く人も少ない。「悪意がありません」。
私たちはそういう誇りをもってあり続けたのです。そして、おそらくこれからもそうあり続けるような気がします。
(2011/04/11 投稿)

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04/10/2011 一年生になるんだもん(角野 栄子):書評「明るい夢」

先日入学式に行く親子連れを
電車の中で見かけました。
子供のことが気になって仕方のない母親と
そんなことに無頓着な子供の様子が
微笑ましく、
がんばれと思いました。
子供の笑顔は何よりも元気をくれます。
東日本大震災での悲しみを癒してくれるのも
子供たちの笑顔です。
小学一年生になった子供たちが
大きくなった時
この国はどんなかたちになっているのでしょう。
きっと新しい、いい国になっていることを
信じて。
じゃあ、読もう。
![]() | 一年生になるんだもん (1997/09) 角野 栄子 商品詳細を見る |


この春、新しく小学一年生になった皆さん、おめでとうございます。これからたくさんの楽しいことが皆さんを待っていることでしょう。ずっと前に小学一年生だった私からひとつだけお願いがあります。
この春、大きな地震がこの国を襲いました。そして、たくさんの人たちの命が失われました。君たちのように一年生になるのを楽しみにしていた子どももいます。
命のことは、あるいは生きていくということは、まだまだ君たちにはよくわからないことかもしれません。でも、これからのこの国をつくっていくのは君たちです。命を大切にし、この国で生きることの素晴らしさをつくっていってください。
この絵本は、『魔女の宅急便』を書いた角野栄子さんの、小学一年生になる女の子のどきどきを描いたかわいい絵本です(絵は大島妙子さん)。
学校にいく準備をするさっちゃん(彼女がこの物語の主人公です)と家族の様子に、そうだよなそうだよなと、もう何年も前になる娘の入学前のことを思い出しました。
筆箱、鉛筆、ランドセル、運動靴。そのひとつひとつに娘の名前をいれました。もしかしたら、あの時が一番娘の名前を書いたかもしれません。
子供の未来を純粋に願った、親として一番幸福な時間といえるでしょう。
そんな幸福な時間をこの絵本が思い出させてくれます。女の子のどきどきをかわいいと読むこともできますが、親としての幸福感を味わえる絵本でもあります。
入学式をおえて眠るさっちゃんはどんな夢をみるのでしょう。たのしいことがいっぱいつまった夢でありますように。
(2011/04/10 投稿)

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04/09/2011 妊娠カレンダー(小川 洋子):書評「檸檬とグレープフルーツ」

先日小川洋子さんの最新作
『人質の朗読会』にすっかりはまってしまい、
だったら小川洋子さんはどんな作品で
芥川賞を受賞したのだろうと
読んでみたのが、
今日紹介する『妊娠カレンダー』です。
発表当時、もう20年以上前になるのですが、
読んだはずですから、
今回は再読ということになります。
読書ノートを繰れば
感想めいたことも書いているでしょうが、
今回はまったく新しく
書評を書いてみました。
この「芥川賞を読む」というのは
そういう点でも
自分なりに楽しんでいます。
じゃあ、読もう。
![]() | 妊娠カレンダー (文春文庫) (1994/02) 小川 洋子 商品詳細を見る |


第104回芥川賞受賞作(1990年)。今や芥川賞の選考委員をつとめる小川洋子さんは本作で芥川賞を受賞した。
少し精神的に不安のある姉の妊娠の様子を冷静にみつめる妹の日記形式で書かれた物語である。
姉の病気は「海に浮かんだ海藻のように波打って」「決して穏やかな砂地に舞い降りることはない」。新しい生命を宿すことで姉の精神はどんどん波打っていく。やがて妹はそんな姉に憎悪を抱くようになり、発癌性物質に汚染されているかもしれないグレープフルーツのジャムを姉に食べさせつづける。
最後の「わたしは、破壊された姉の赤ん坊に会うために、新生児室に向かって歩き出した」という文章は恐い。
この物語を読みながら梶井基次郎の『檸檬』という作品を思い出した。
丸善の本屋の店頭で画集の上にそっと小さいレモンを置いた主人公。彼はそれを時限爆弾の見立て、爆破することを思い浮かべる。生きることの不安が一個のレモンに凝縮されて鮮やかな短篇である。
しかし、実際にはレモンは爆破することはない。主人公の幻視である。それと同じ構造がこの『妊娠カレンダー』にも仕掛けられている。
姉の赤ん坊はけっして破壊されない。それは妹の幻視にすぎない。その幻視を通じて、現代人の不安が静かに描かれている。
梶井のレモンがそこだけ色を帯びているように、小川のグレープフルーツもまたそこだけ熱をもち、色あざやかだ。
抑制された美しい文体がその後の小川の活躍を予感させる。
(2011/04/09 投稿)

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04/08/2011 君に伝えたい本屋さんの思い出(宮部みゆき 他):書評「本屋さんの温もり」

最近仕事が忙しくて
本屋さんにもいけない。
何かとっとも面白い本を見落としていないか
とても不安です。
本を探すのであれば
インターネットでもいいのですが
本屋さんで偶然出会う
そんな出会いが好きです。
今日紹介する『君に伝えたい本屋さんの思い出』は
60人の書き手が
それぞれの本屋さんとの思い出を語っている本です。
そのなかで
何人もの作家たちが自分の本を
平積みに移したり、
陽のあたる場所にもっていったりしている話を
書いていて
ほほえましく思いました。
作家もたいへんなのですね。
じゃあ、読もう。
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本屋さんになりたかった。小さい頃の夢というより最近までそう思っていました。たださすがに電子書籍の台頭などを考えると二の足を踏むしかありません。
それでなくても町の小さな本屋さんの店仕舞いは続きます。私の街でも最近本屋さんがひとつ閉店しました。本を購入するのに大きな本屋さんがあれば足ります。でも、品揃いは不十分でも町の小さな本屋さんがもっている雰囲気、それは銭湯にあった温もりのようなものかもしれません、はなにごとにも変えられないものではないでしょうか。
本書は書店向け情報誌に掲載された60人の作家や著名人の本屋さんにまつわるエッセイをまとめたものです。すでに亡くなった山際淳司さんや田中小実昌さんのそれも収録されているように、この連載はかなり以前から続いています。
彼らのエッセイを読んで思うことは、小さい頃に出会った本屋さんの印象がいつまでも続くということです。多くの人たちが名もない小さな本屋さんの思い出を綴っています。
たとえば湊かなえさんは瀬戸内海の小さな島の本屋さんの思い出にはたまたまその本屋さんが同級生の家で立ち読みできなかったことが書かれています。
また、あさのあつこさんは町の本屋さんでもらった手作りの干し芋の味が忘れられないと書いています。そういうことは都会の大きな書店では味わえないものです。
今本屋さんは苦境に立たされています。町から本屋さんが消えてしまうのはただ単にお店がひとつなくなるということではなく、町の文化の灯が消えることでもあります。
がんばってください、本屋さん。
そして、あたたかい思い出をこれからもつくっていってください。
(2011/04/08 投稿)

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04/07/2011 千の風になって(新井 満):書評「冬はダイヤのように」

昨日いせひでこさんの『1000の風 1000のチェロ』を
紹介しましたが、
1000の風といえばやはり
『千の風になって』でしょ、と
今日は新井満さんの詩集『千の風になって』を
蔵出し書評で紹介します。
書いたのは2003年ですから、
あの大ヒットとなった歌がまだ出る前です。
しかも、今回は父親を亡くした甥にあてた
手紙形式となっています。
今回の東日本大震災で
親だけでなくお子さん、友人、知人を
亡くされた方がたくさんいます。
その悲しみを超えていかなければ
いけません。
哀悼の意をこめて
今日の書評をおくります。
じゃあ、読もう。
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D君は十三歳、中学一年の少年だ。2002年の夏、ちょうど夏休みにはいったその日に父親を亡くした。
亡くなった父親は、私とは義兄(私の妻の姉のご主人なのだが、私よりも年下の四十二歳だった。私も彼もそんな微妙な年の関係にいささか戸惑ってもいた)の関係になるから、D君は甥にあたる。
身長こそすでに私より大きいが、まだ十三歳の少年なのだ。父親の不在をどこまで実感できただろう。葬儀の日以来、私はD君と話したことはない。妻から義姉を通じて彼が元気だということを聞くばかりだ。それでいいと、私は思っている。
D君が元気であれば、それでいい。
本屋さんの店頭でなにげなく見つけた、一冊の本。
芥川賞作家の新井満が訳をつけた、わずか十数行の短い詩があるだけの小さな詩集。書名は「千の風になって」。
新井氏は「あとがき」に代えた十の断章という文章で、氏自身がどのようにしてこの詩と出会い、その詩が書かれただろう背景を模索している。その中で八月の下旬にこの詩が朝日新聞の「天声人語」で紹介されたことも書いている。その記事があったからこそ、このように本になったかもしれないが、偶然この本に出会った私にとっては記事を知らなかったことで、より新鮮な感動をもつことができたともいえる。
素直にいえる。いい詩にめぐりあえた。
《私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません/千の風になって 千の風になって/あの大きな空を ふきわたっています》
わずか十数行の詩だから、ここに全文を紹介することもできるが、この詩の感動はD君がこの詩集に出会う時まで大切にしまっておくことにする。
D君にとって父親の死は理不尽な突風みたいなものだったにちがいない。父親の不在はD君の中でゆっくりと確認されていく作業になるのだろう。
夏が終わり、秋が過ぎ、冬になった。D君の住む山間の町にも雪が降ったという。その雪にも、亡くなった父親の暖かな心が託されているのを、D君は気づくだろうか。
《冬はダイヤのように きらめく雪になる》
今年もたくさんの喪中のはがきが届いた。その中にはD君の母親からのものもあった。
父を亡くし、母を亡くし、妻を亡くした多くの人がいる。D君と同じ悲しみと出合ったたくさんの人がいる。この詩がそんな悲しみの人たちに読んでもらえたらと思う。この詩が悲しみの心を慰安し、少しは力を与えてくれるにちがいない。亡くしたものの不在の意味を教えてくれるにちがいない。
D君。あなたのお父さんは、この詩に書かれているように、君のそばでいつも君のことを見守ってくれているだろう。冬。今は静かに降りつむ雪になって。
(2003/12/23 投稿)

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04/06/2011 1000の風・1000のチェロ(いせ ひでこ):書評「あたらしいあしたへ」

今日紹介する絵本との出会いは
まったく偶然でした。
いせひでこさんの絵本が読みたいと
思ってたまたま手にしたのが
この『1000の風・1000のチェロ』だったのです。
その内容は全く知りませんでした。
それが阪神淡路大震災の復興支援のコンサートの様子を
描いたものだとはちっとも知りませんでした。
なんという偶然でしょう。
東日本大震災でたくさんの悲しみにあっている今、
私はこの素晴らしい絵本と出会えるなんて
思いもしませんでした。
本の神様に感謝します。
そして、今回被災されたたくさんの人たちに
希望が届くことと
祈ります。
じゃあ、読もう。
![]() | 1000の風・1000のチェロ (2000/11) いせ ひでこ 商品詳細を見る |


「忘れられない風景がある」と、この本のあとがきで作者のいせひでこさんは書きはじめています。
忘れられない風景。それは、震災から二か月後の神戸の風景です。
「風景は断片になって 描かれることを拒否しているようだった」といせさんは感じます。そして「忘れてはいけない風景は 描けないのではなくて 描いてはいけないのかもしれない」と思います。何故なら、「描くことで 安心してしまうから」と。
この絵本は阪神淡路大震災から3年経ったチェロの大コンサートの様子が描かれています。
神戸で被災した女の子が弾くチェロはまるで何かにおこっているようでした。女の子は飼っていた小鳥たちを空に帰しました。避難生活では「どうぶつまでめんどうみられない」から。
男の子は大好きだった犬を亡くして悲しみに沈んでいた。だから、彼が弾くチェロは犬の鳴き声みたいでした。 そんな二人はある日震災復興のチョロの大コンサートがあることを知ります。
男の子は「ぼくのおとが、なにかのおうえんになるんだろうか」と悩まないわけでもありません。
でも、コンサートのために夢中で練習に励みます。女の子も同じ。
そして、コンサートの当日。「1000のチェロが、1000のものがたりをかたっている」その会場に男の子も女の子もいます。
「かぜになってふきぬけるチェロのおと」が、二人をつつみます。
阪神淡路大震災から16年。私たちはそれ以上の大きな悲しみに見舞われました。東日本大震災です。
桁違いの死亡者の数。何もかもなくなったたくさんの町。悲しみは繰り返すのでしょうか。
でも、神戸の街がそうであったように、きっと東日本の町々も必ず生まれかわるはずです。何故なら、たくさんの人がそのことを信じ、願っているから。この絵本の男の子や女の子の弾くチョロの音が「あたらしいあした」に届いたように。
いせひでこさんはあとがきのなかでこう書いています。
「ひとりひとりの物語がちがっても きもちを重ねあわせれば 歌はひとつになって 風にのる。そして きっとだれかにとどく」
今、またとどけ。
がんばれ、みんな。
まけるな、みんな。
(2011/04/06 投稿)

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今日紹介した『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』は
昨年亡くなった歌人河野裕子さんの
最後の日々を家族で見つめたエッセー集です。
つい、同じように昨年の春逝った
私の母のことを思い出しました。
病院のベットで小さくなった母は
まるで幼女のように見えたものです。
人は本当に赤ちゃんにもどるようにして
逝ってしまうのだと思いました。
最後の時、
私も父も兄も、私の家族たちも
みんな母の名前を呼びました。
私の娘たちは「おばあちゃん、おばあちゃん」と
向こうに逝こうとする母を
必至でとめようとしました。
でも、母は逝きました。
それは母の寿命だったのでしょう。
同じように河野裕子さんの家族たちも
その周りに集まります。
家族。
そのことの意味を深く考えさせられます。
じゃあ、読もう。
![]() | 家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日 (2011/02/03) 河野裕子 永田和宏 その家族 商品詳細を見る |


「たとえば君ガサット落葉すくふやうに私をさらつて行つてくれぬか」といった代表作で有名な歌人河野裕子さんが亡くなったのは、昨年(2010年)の8月でした。
その一年前、癌が再発し化学療法をしながら河野さんはこの本の初出となる新聞連載を始めます。しかも単に河野さんの文章ではなく、河野さんの家族(夫で歌人の永田和宏さん、長男の永田淳さん、その奥さんの植田裕子さん、長女の永田紅さん)によるリレー連載という形です。
そのことは妻であり母である河野さんの最後の日々をみつめる家族の切なくつらい記録となりました。と同時に家族で過ごした懐かしい日々の追憶でもあります。死を迎えつつある河野さんを中心にして家族はそっと肩を寄せ合います。
河野さんの家族は短歌一家です。長男の淳さんの奥さんである植田裕子さんも義母である河野さんの薫陶を受け歌を詠みます。
そんな家族が「短歌では言い足りないことを足し算のように」してエッセーをつづっていきます。たとえば連載の最初に河野さんは「いつまでも私はあなたのお母さんごはんを炊いてふとんを干して」という自身の短歌を詠み、そのあとのエッセーで「歌でなら本音が言える」とつづります。
家族のコミュニケーションとして短歌が機能しています。おそらく河野さんは夫や子どもたちの歌から多くのことを知り、妻として母として支えていたことでしょう。
それもまた家族のひとつの形です。
連載からまもなく1年になろうとする8月11日、河野さんの容態は悪化します。その時夫である永田和宏さんはこんな歌を詠みます。
「おはやうとわれらめざめてもう二度と目を開くなき君を囲めり」
そして、河野さんの最後の姿をつづります。妻の旅立ちに感情をおさえた文章がよけいに悲しみを誘います。それは妻の最後の姿ではなく、歌人河野裕子の最後を記しておくということでもあります。
河野裕子さんの絶筆となる歌の中のひとつ。
「あんたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき」
河野裕子さんは最後に妻に、母に戻っていきます。
家族とはなんであるかを考えさせられる一冊です。
(2011/04/05 投稿)

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04/04/2011 老前整理(坂岡 洋子):書評「生き方整理術」

地震のあと
家のなかが乱雑に散らかっています。
計画停電の影響で
非常用の食べ物とか水とかが
増えた影響もあります。
離れて生活していた娘も
しばらく自宅に戻したことも
その一因です。
もともとモノが多いのですね。
いつもなんとかしないと
思いつつ、
なかなかそういう訳にはいかないのが
悩みです。
今日紹介するのは
坂岡 洋子さんの『老前整理』という本。
「捨てれば心も暮らしも軽くなる」という
副題がついています。
暮らしを軽くするのも
ひとつの生き方だと思います。
じゃあ、読もう。
![]() | 老前整理 捨てれば心も暮らしも軽くなる (2011/01/18) 坂岡 洋子 商品詳細を見る |


86歳になる父親が母の死から一年経ち、息子の名前を忘れるまでに心が折れてしまいました。父にとって加齢の衰えだけでなく、母の死はそれほどまでに深い悲しみだったのでしょう。年をとるというのは、そういった悲しい事実を受け入れるということです。
『老前整理』という題名で整理術を思い浮かべる人もいるでしょうが、もちろんそのことも書かれていますが、どちらかといえば「老いる前の生き方」の本です。
そのことを著者の言葉で書くと、「単なる片付けではなく、どのように生きたいかというこれからの人生設計を考えることにつなが」るとあります。
整理するのはモノだけでなく、生き方すべてだといえます。
今私たちにはたくさんのモノがあふれかえっています。今から何十年前に買った衣料品、もう使われなくなった日用品、それだけでなく思い出にかさなるアルバムやDVDなど、たくさんのモノとともに生活しています。
著者は「減らすとは、判断すること」と書いていますが、それらのモノをどう減らすかは、どんな生き方を選択するかということです。それは同時にいい晩年を過ごすための生き方を選ぶということでしょう。
私たちは誰もが年老いていきます。やがて、私の父のように記憶さえ薄れていきます。モノはそのことを埋めてはくれないでしょう。
きちんと記憶しているうちに、それらのモノと「さようなら」をしておくことも大事ではないでしょうか。
始めることを先延ばしにするのではなく、老いる前の今こそ、自分の過ぎし人生と向き合いたいものです。
(2011/04/04投稿)

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04/03/2011 はるがきた(ジーン・ジオン):書評「春はもうすぐ」

絵本との出会いはいつも不思議な偶然です。
今回紹介したジーン・ジオンさんの
『はるがきた』も
何げなく手にした絵本でした。
それが、今一番困難な状況にある東北地方の人たちへの
メッセージのようであったことの
不思議を感じます。
本はなにげなくそこにあるのではなく
いつもこのような不思議を
実感させてくれます。
この絵本は華やかな色彩のものではありません。
色使いはむしろとても押さえられています。
それでも、春を待つ人びと、春を迎えた歓びが
きちんと伝わってくる
そんな絵本です。
書評にも書きましたが、
被災地に春が早く訪れることを
願っています。
じゃあ、読もう。
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今年はいつまでも寒い。東北関東大震災があって、人びとの気持ちがそれでなくても小さくなっているのに、なかなか暖かくならないのはつらい。特に被害の大きかった東北地方は寒さの厳しいところだから、本格的な春の訪れはまだもう少し時間がかかるだろう。
この絵本に描かれているのも、そんな春を待つ人びとのこと。なかなか来ない春に「ひとびとは まちの いろと おなじように くらくて しずんだ きもち」になっています。
そんな時、ひとりの男の子がこんなことを言い出します。「まってなんか いないでさ、ぼくたちで まちを はるに しようよ!」と。
町の人びとの大作戦が始まりました。みんな色とりどりのペンキをもって、町を春一色に塗りかえていきます。みんなのうれしそうな表情といったら。明るい色は町の人びとを楽しい気分にさせます。
ところが、その夜町に雨が降りはじめて、せっかくみんなでつくった春は流されてしまいます。町の人びとは肩をおとすのですが、その雨がほんものの春を町につれてきました。
「まちじゅう どこを みまわしても、すべてのものが めざめ、いきいきと かがやいています」
大きな災害、厳しく長い冬。東北地方の人たちにとって、今年ほど困難な冬の季節はないでしょう。
でも、この絵本の町のように、間違いなく春はやってきます。それももうすぐです。
被災地の「すべてのものが めざめ、いきいきと かがや」く春が一日も早く訪れることを願わざるをえません。
と同時に、自分たちで春をつくった絵本の町の人たちと同じように、自分たちの手で春にしていくことも大事だということを、忘れないでいたいと思います。
(2011/04/03 投稿)

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04/02/2011 やわらかなレタス(江國 香織):書評「鯛の目玉」

今日紹介した江國香織さんの
『やわらかなレタス』というタイトルは
ポターの名作『ピーターラビット』にでてくるらしい。
書評にも書きましたが、
この本には江國香織さんの
大好きな童話や絵本のことも
たくさん書かれています。
それにしても
江國香織さんの文章は気持ちいいというか
美しい日本語ですよね。
読んでいて気持ちがいい。
こういう文章で
食べ物の話を読むと
食べ物までおいしく感じます。
やはりお父さんである
江國滋さんの教育が大きかったのでしょうか。
じゃあ、読もう。
![]() | やわらかなレタス (2011/02) 江國 香織 商品詳細を見る |


先日母の一周忌を済ませた。大阪の実家に帰って兄としばし母の思い出を話して、母の料理が話題になった。実家が小さい商いを営んでいたから父も母も忙しく、母の料理といってもこれというものが出てこない。
兄と共通していたのは、中学生の頃のお弁当のことだった。よく、弁当箱から汁が染みでていたということで一致した。当時は新聞紙に包んで弁当を持っていった。お昼には染みでた汁で新聞紙の隅もぬれていたことがよくあった。牛肉の甘く煮たおかずをいれていた時によく染みた。
牛肉を甘く煮たもの。あれはそもそも何という料理だったのだろう。
本書は江國香織の食べ物エッセイである。そのなかにしばしば家族(それは小さかった頃の家族であったり、成長して新しくつくった家族であったりするが)の話が登場する。
「薄い牛肉を炒めたときの、フリル状になった白い脂身のことを、子供のころ「ぷりぷり」と呼んでいた」という文章で始まる「「ぷりぷり」のこと」には江國の幼少の頃の食べ物とともに父(もちろん、江國滋である)や母、妹との温かい団欒が描かれている。
家族からそういった食べる時間を奪いとればどういう思い出が残るのだろう。家族と一緒に食べることの大切なことが声高ではなく、語られていく。
そういえば、この「「ぷりぷり」のこと」には妹が大好きだった「鯛の目玉」の話もでてくるが、私の亡くなった弟もこの「鯛の目玉」が好きだった。江國のように本当に妹がそれを好きだったか「今度訊いてみ」ることができないのが残念だが。
本書にはそういった食べ物とあわせて江國の好きな童話や絵本の話もふんだんにあって、童話好きの人にも興味をひく一冊でもある。
(2011/04/2投稿)

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04/01/2011 社長になる人のための決算書の読み方(岩田 康成):書評「新入社員諸君!」

今日から4月。
人の上に思ひおよべば四月来る 榎本好宏
そして、今日から働き始めた人も多いと思います。
今回の東北関東大震災で職場を失った人や
内定取り消しになった人も多いといいます。
これからと夢抱いていた若い人たちが
そういうことに直面するのは
なんとも悲しいことです。
ぜひ全国の社長さんには
そういう人たちの支援をお願いしたいものです。
日本の復興は
そういう人たちの力の結集こそ
必要ではないでしょうか。
今日紹介するのは蔵出し書評ですが
新入社員の皆さんに
ぜひ読んでもらいたい一冊です。
じゃあ、読もう。
![]() | 社長になる人のための決算書の読み方 (日経ビジネス人文庫) (2002/12) 岩田 康成 商品詳細を見る |


「没後七年、ついに時代が再登板させた<偉大なる常識人>」と銘打って、「小説新潮」四月号(2003年)は山口瞳を特集している。その中でも紹介されているが、毎年4月1日の朝刊に山口は「新入社員諸君!」と題した洋酒メーカーの広告文を書き続けた。その短文は新入社員ばかりか、多くのサラリーマンに勇気を与えた。山口の辛らつで暖かな文章にどんなに励まされたことだろう。だから、山口瞳が1995年の夏に亡くなってから、春は少し淋しいままだ。
1988年4月の広告で、山口瞳はこう書いた。「書物で勉強して、天下を取ったような、なんでもかんでも『わかっている』ような積りでいられると迷惑をする。『われ以外みなわが師』と先達は言った。そうなんだ。しかしだネ、なんでもかんでも『わかりません』『知りません』では、これも困る。諸君! この人生、大変なんだ」
そう、山口瞳がいうようにこの人生は大変なのだ。新入社員といえども、せめて自分たちが勤めようとする会社の経営状態がどうなっているかぐらいはわかるようになりたい。岩田康成氏による「社長になる人のための」シリーズもこの「決算書の読み方」が四作めだが、財務諸表、経営分析、企業価値分析など会社全般の経営がわかるという点では、この本がもっとも新入社員向きかもしれない。
入社早々「社長になる人のための」なんて気がひける? 何を弱気なことを言ってるんですか。若いうちはそれぐらいの気迫がないと、また山口瞳に叱られるぞ。頑張れ、新入社員諸君!
「元気溌剌は見ていて気持がいい。踏み込め、踏み込め、失敗を怖れるな!」(山口瞳 1994年4月の広告文より)
(2003/03/23 投稿)

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