プレゼント 書評こぼれ話

  昨日この5月に鬼籍にはいった
  児玉清さんのことを書きましたが、
  5月最後の今日、
  どうしても書いておきたい作家がいます。
  5月6日亡くなった団鬼六さんのことです。
  訃報のあと、
  蔵出し書評で少し書きましたが
  今回は新たに書評を書いていなかった作品を選んで
  追悼としたいと思います。
  団鬼六さんは
  児玉清さんのように「天声人語」に載ることは
  ありませんでしたが、
  私の読書歴でいえば
  ずっと親しみ、愛しつづけてきた
  作家のひとりです。
  団鬼六さんの作品は
  けっして過激ではありません。
  もしかしたら、
  渡辺淳一さんの方が過激かもしれません。
  でも、書評にも書いたように
  団鬼六という名前が
  なんともいえない妖しさを
  つくってきました。

  団鬼六さんのご冥福をお祈り申し上げます。

  じゃあ、読もう。

美少年 (新潮文庫)美少年 (新潮文庫)
(1999/10)
団 鬼六

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sai.wingpen  追悼・団鬼六さん - あなたがいたから私は大人になった              矢印 bk1書評ページへ

 「私の師であり、父のような存在でした」と、団鬼六さんの告別式の弔辞で読んだのは元女優の谷ナオミさんでした。
 この『美少年』という団鬼六さんの作品集の中に、谷ナオミさんの半生を描いた『妖花 -あるポルノ女優伝』という作品が収められています。谷さんにとって、「師であり、父のような存在」であった団さんが突き放すような文章ながら実に細やかな情愛をもって谷さんを育て、見続けていたかがよくわかります。
 多分、谷さんだけではなく、団さんと接触のあった多くのポルノ女優たちにもいえるかもしれません。
 照れ屋だから乱暴な言い方になる。小心だから逃げ回る。
 SM小説を書いてきましたが、団さんは決してその嗜好があったのではなく、男と女の情愛を愛していたのだと思います。

 青春時代に団鬼六の作品と出合いました。団さん自身が出版されていた「SMキング」だけでなく、その傾向の多くの雑誌に団鬼六の作品が大きな紙幅をとって掲載されていました。
 けっして過激な描写があるわけではなく、どちらかといえば古風な表現でした。ただ緊縛の妖しい世界と団鬼六という禍々しいペンネームが完全にマッチしていて、団さんこそ性の世界へ誘ってくれる使者のように思えました。
 団鬼六はその作品ではなく、その名前、そのすべてにおいて、青春時代のある一面を導いてくれた一人だったのです。

 『妖花』という作品の中で団さんは谷ナオミさんの人生を「上昇運と下降運がジグザグ線を描いている」ようなものと書いていますが、団さん自身、そんな上がったり下がったりの人生だったように思えます。
 この作品集の中にある『不貞の季節』は田舎の中学教師であった団さんが官能小説を描くようになって富と名声を得るものも長年連れ添った妻を弟子に寝取られる物語です。そして、その富もその後失うことにもなります。
 それでいて、人生の後半には大手の出版社が団さんの作品を掲載し始めます。この作品集もそのひとつですが、団さんが『花と蛇』などのSM小説を書いている頃には想像もできませんでした。だから、晩年の団さんはけっして卑下されることもなく、官能作家として高い評価を得ていたといえます。

 青春時代が二度と来ないように、青臭い性の、あこがれのような世界は二度と来ない。
 団鬼六という禍々しい名前の使者も現れることは二度とありません。

 さよなら、団鬼六さん。
  
(2011/05/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  5月16日、俳優で書評家の児玉清さんが
  亡くなられました。
  77歳でした。
  昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」でも
  坂本龍馬の父親役で
  存在感のある演技をされていましたから
  その訃報には驚きました。
  ただ私には俳優や司会としての児玉清さんではなく
  書評家、というより読書家児玉清さんの印象が
  強くあります。
  でも、この『寝ても覚めても本の虫』を読むまでは
  ごくごく一般的な読書家だとばかり
  思っていました。
  何のことはありません。
  児玉清さんはものすごい読書家なんです。
  これだけの本を
  しかも原書で読んでいくなんて
  並大抵のことではありません。
  私もまだまだがんばって
  児玉清さんのように
  素敵な男性になりたいものです。

  児玉清さんのご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

寝ても覚めても本の虫 (新潮文庫)寝ても覚めても本の虫 (新潮文庫)
(2007/02/01)
児玉 清

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sai.wingpen  追悼・児玉清さん - どこまでいっても本の虫                     矢印 bk1書評ページへ

 「温厚、誠実な好人物にとどまらず、知的でダンディー」と5月19日の朝日新聞「天声人語」で紹介された俳優で書評家の児玉清さん。
 華やかな大スターでも代表作がある書き手でもありませんでしたが、児玉さんの死は「天声人語」に記されるに値いするほど、静かな悲しみとなって日本全国に広がりました。
 児玉さんはNHKの「週刊ブックレビュー」での名司会で世の読書家を虜にさせましたが、「天声人語」の中にも「長身にまとった知は自前だった。蔵書で自宅の床が傾くほどの読書家で、米英の小説は原書で読んだ」とあります。
 この『寝ても覚めても本の虫』は、児玉さんが大好きだった海外小説がふんだんに紹介されている書評本です。児玉さんが読書家だったのは知っていましたが、こんなにも海外小説に精通しているとは、実は知りませんでした。まして、読みたい気持ちが高じて、原書で読んでおられたのですから、児玉さんがいなくなって初めて気づくなんて、恥ずかしいかぎりです。

 児玉さんは「大好きな作家の新刊書の最初の頁を開くときの喜びにまさるものはめったにない」と、「どうして本が好きになったか」というエッセイの冒頭に書いています。
 「最初の頁を開くときの喜び」はまさに読書家ならではの喜びだと思います。きっと本に興味のない人には、この「喜び」は理解されないかもしれません。電子書籍の時代になってその「喜び」がどう変わるのかわかりませんが、やはり紙の書籍ならではのものかもしれません。
 そんな児玉さんがどうして本好きになったか、ましてや海外小説にはまっていったのか。その原因は高校時代に読んだ一群の海外小説にあったようです。
 若い時の読書は、人間形成に影響します。児玉さんが生涯ダンディーでありつづけたのは、こうした読書体験とそれにつづく膨大な読書量の賜物のような気がします。

 冒頭紹介した「天声人語」では児玉さんを色に喩えて「控えめだが親しみ深い中間色だろうか」と結んでいるが、新しいページが常にそうであるように、絵の具には絶対欠かせない「白い色」だったように私には思えます。

 児玉清さん、ありがとうございました。
  
(2011/05/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日の絵本、
  板橋雅弘さんの『パパのしごとはわるものです』は
  bk1書店から献本された一冊です。
  表紙をごらんになればわかりますが
  なんとインパクトのある作品です。
  さて、パパの仕事ってなんでしょう?
  わるものってどんな悪者でしょうか。
  父の仕事は
  この絵本でもそうですが
  やはりきちんと何をしているのか
  見せてあげるべきかもしれません。
  会社で仕事をしていると
  なかなか子供たちにわかってもらえません。
  そのようなことを
  書評に書いたつもりです。

  じゃあ、読もう。

パパのしごとはわるものです (えほんのぼうけん27)パパのしごとはわるものです (えほんのぼうけん27)
(2011/04/23)
板橋 雅弘

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sai.wingpen  野風僧                     矢印 bk1書評ページへ

 河島英五が唄う「野風僧(のふうぞ)」という歌が好きだ。作詞は伊奈二郎で、「野風僧」とは中国地方の方言で「やんちゃ坊主」という意味らしい。
 「お前が二十歳になったら/酒場で二人で飲みたいものだ」という歌詞で始まるこの歌は、父親が息子にあてた応援メッセージだ。最後には「いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい/いいか男は 大きな夢を持て」と繰り返される。
 板橋雅弘さんのこの絵本(絵は吉田尚令さん)に登場する「わるもの」が仕事のパパもお酒がまわってくると、なんだかこの「野風僧」を唄っているんじゃないかしらん。きっととっても下手だけど、しんみりさせているような気がする。

 学校の宿題で「おとうさんの仕事」を調べるために、ある日、パパの車にこっそり乗りこんだ「ぼく」。着いたのはプロレス会場でもある大きな体育館。
 そこで「ぼく」が見たのは、正義のレスラーにずるいことをする覆面レスラー「ごきぶりマスク」。でも、なんだかパパに似てる。そう「ぼく」のパパは悪役レスラーだった。
 「パパはわるものだったんだね」と涙を流す「ぼく」に、パパはこう言った。
 「わるものがいないと、せいぎのみかたがかつやくできないだろう? みんなのために パパはがんばってわるいことをしてるんだ」って。
 夕日のなかを一緒に帰る父と子は、なんだかとても仕合せそうだ。

 だって、なかなか「おとうさんの仕事」ってわからない。
 大きなビルで働いていても、何をしているのかわからない。電話にむかって頭をさげているって変だし、パソコンをどうしてにらんでいるのかもわからない。それに比べたら、「ぼく」のパパの仕事はとてもわかりやすいい。覆面はしているけれど、りっぱに「わるもの」している。
 「ぼく」はきっと胸はっていいんじゃないかな。「おとうさんのしごと」がきちんとわかるってことに。パパもきっと胸はっていいんじゃないかな。「わるもの」に理解をした息子がいるってことに。

 「いいか男は 大きな夢を持て/野風僧 野風僧 男は夢を持て」
 今夜もいいお酒にちがいない。
  
(2011/05/29 投稿)

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  人は怖いものをみる時、
  手で顔をおおい、そっと指を開いて
  その隙間からのぞきみるということを
  よくする。
  今日紹介する「百年文庫」の1冊は
  そんな風にして読んだら、
  恐怖が倍増するかもしれない。
  タイトルは「」。
  背筋が寒くなるかどうかはわからないが、
  はまってしまう3篇が収められている。
  中でも、江戸川乱歩の『人でなしの恋』は
  その文体といい、面白かった。
  なんとも妖しい世界である。
  きっと映像化されても
  たぶんされているのだろうが、
  はまってしまう世界だろう。

  じゃあ、読もう。

(017)異 (百年文庫)(017)異 (百年文庫)
(2010/10/13)
江戸川乱歩、ビアス 他

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sai.wingpen  指の間からのぞきみた世界             矢印 bk1書評ページへ

 人は自分と違うものをつい寄せ付けない習性をもっている。幽霊や妖怪はいざしらず、それは蛇のような爬虫類でもそうだし、同じ人間であっても風習や嗜好が違うだけで毛嫌いをしてしまう。 そのような習性が時に文学となって読み手を魅了するのは、怖いものみたさの、これもまた人間の習性だろうか。
 「百年文庫」17巻めのタイトルは「異」。異なるものたちを怪しげに描いた秀作が3篇収められている。

 江戸川乱歩といえば、19世紀のアメリカ文学を代表するエドガー・アラン・ポーの名前をもじってつけた筆名というのは、有名な話だ。それほどまでに乱歩はポーの世界に魅了されていた。
 そんな乱歩が描いた、人ではないものを愛するという怪しげな世界が『人でなしの恋』。女性の語り口調によるミステリー仕立てに出来上がっている。
 「それはそれは、凄いような美男子」である男と結婚した「私」は、まるで「浦島太郎が乙姫さまのご寵愛を受けたという竜宮世界」のような新婚生活を始めるのだが、やがて半年ばかりたった頃、深夜閨(ねや)を抜け出す夫の奇妙な行動に気付く。
 不思議に思った「私」はある夜、夫の後をつけ、敷地内の蔵に忍び込む。蔵の二階から聞こえてくる声は、夫のそれであり、もうひとつは女性の悩ましきもので、「私」を嫉妬の焔になげいれるのだが、それ以上に「私」を震撼とさせる秘密がそこにはあった。
 題名の『人でなしの恋』が、この怪しい世界をこれほどに言いえていて、これ以上のタイトルはないだろう。

 乱歩があこがれたポーの作品として『ウイリアム・ウイルスン』という作品が収録されている。
 これは特に異様な世界が描かれているわけではないにもかからわず、偶然にも同姓同名がいたばかりに、放蕩のかぎりの果てに追い詰められていく姿を描いて、これこそ人間そのものが持っているだろう、業の怖さがにじみでる作品である。
 もう一作もアメリカの作家ビアスの作品で、『人間と蛇』という味もそっけもないタイトルながら(原題も同じ)、乱歩の作品同様、これしかつけるべきタイトルはないのではないだろうかと思いたくなる。
 ラストのどんでん返しは多様な媒体で膨張する現代では怖さを感じないが、この作品が発表された19世紀後半では活字の世界が人々を畏怖させたのではないだろうか。
  
(2011/05/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  みつはしちかこさんが大きな病気から
  回復されたという新聞記事を
  目にしたのは春のはじめの頃だったでしょうか。
  みつはしちかこさんといえば
  『小さな恋のものがたり』を描いてきた漫画家ですが
  もう70歳になるそうです。
  大きな病気だけでなく
  45年連れ添ったご主人も亡くされ、
  失意のどん底だった。
  それでもようやく回復された、というのが
  新聞記事の内容だったと思います。
  その記事から今日紹介した
  『あなたにめぐりあえてほんとうによかった』という詩画集に
  たどりつきました。
  みつはしちかこさんが描いた
  『小さな恋のものがたり』のことは
  今日の書評にも書きました。
  私と同年代の人は
  一度は読んだ漫画ではないかと思います。

  じゃあ、読もう。

あなたにめぐりあえてほんとうによかった (絆シリーズ特別編)あなたにめぐりあえてほんとうによかった (絆シリーズ特別編)
(2011/03/04)
相田 みつを

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sai.wingpen  あなたは今も                     矢印 bk1書評ページへ

 そっと、みつはしちかこさんの『小さな恋のものがたり』を読んでいたことがあります。もう40年近く前のことです。
 その漫画に描かれた、淡い恋のものがたりにうっとりしていました。でも、にきびこそでませんでしたが、男子高校生でしたから、「そっと」読むしかありませんでした。恋に恋していた時期といっていいでしょう。
 背の小さなチッチと背の高い美男子サリー。背の低いことが気になっているチッチはずっと憧れの気持ちでサリーを見続けています。
 当時の私にも好きな子に告白もできず、それでも好きでたまらなかった日々がありました。だから、サリーを遠くから見つめるチッチの気持ちが痛いくらいにわかりました。
 そのものがたりも描かれだして50年だそうです。私が「そっと」読んでいた頃は、まだ二人は時折デートをしていたくらいだったと思います。
 もうすっかりどこかに置き忘れてしまったけれど、今でもつつみこみたくなるようなものがたりです。

 みつはしちかこさんがその後もずっとこの『小さな恋のものがたり』を描きつづけていたことは知りませんでした。単行本は41集になるそうです。
 しかも、みつはしさんも古稀を迎えられたと聞いて驚きました。あの頃「そっと」読んだものがたりからなんとたくさんの水が橋の下を流れていったのでしょう。
 それでも、チッチもサリーも変わらずに、ここにいます。この詩画集のなかにいます。

 この本は書家で詩人でもある相田みつをさんの詩にみつはしちかこさんの『小さな恋のものがたり』のイラストがついた素敵な詩画集です。
 相田さんの詩が見事にみつはしさんのイラストと、いいえ、チッチとサリーの恋のものがたりと合っているのです。
 このような形でチッチとサリーに再会できてよかった。あの頃、「そっと」『小さな恋のものがたり』を読んでいた頃には戻れないけれど、当時好きだった人とふたたびめぐりあえたような気分です。
 ありがとう、チッチ。ありがとう、サリー。
  
(2011/05/27 投稿)

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  昨日は南木佳士さんの芥川賞受賞作
  『ダイヤモンドダスト』を紹介しましたが
  今日紹介する佐藤泰志さんは
  芥川賞の候補に5回も選ばれた作家です。
  でも、残念ながら
  彼は41歳で自らの命を絶ってしまいます。
  歴史に「もしも」というのは禁物ですが
  もしも、佐藤泰志さんが芥川賞を受賞していたら
  彼の人生も大きく変わったのではないでしょうか。
  そう考えれば、
  芥川賞はひとつの文学賞でありながら
  影響力が大きい賞だと思います。
  佐藤泰志さんはその死後、
  忘れ去られようとしました。
  しかし、彼のファンは根強く
  今日紹介した『海炭市叙景』は映画化され、
  今もたくさんの読者を集めています。

  じゃあ、読もう。
 
海炭市叙景 (小学館文庫)海炭市叙景 (小学館文庫)
(2010/10/06)
佐藤 泰志

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sai.wingpen  永遠の町                  矢印 bk1書評ページへ

 佐藤泰志は41歳で自らの命を絶った作家だ。
 その短すぎる生涯において、5度の芥川賞候補になりながら、遂に受賞するには至らなかった。佐藤にとって芥川賞は永遠に見果てぬ夢であった。
 そんな佐藤が故郷の函館をモデルに架空の街「海炭市」を作り上げ、そこに生きる人々の人生模様を描いた短編連作集が、本作『海炭市叙景』である。
 但し、佐藤の死によって、彼が当初構想していた全体の半分、描かれる季節でいえば、冬と春だけが描かれ、夏と秋は書かれることはなかった。

 最初の物語は『まだ若い廃墟』という作品である。海炭市は「元々、海と炭鉱しかない街」で、今はさびれる一方だ。唯一「夜景を見に、夏、観光客がわんさと訪れる」小さな山が観光の目玉となっている。
 その山に、元旦、なけなしの小銭を集め、貧しい兄と妹が初日の出を見ようと頂上をめざす。ただ、帰りのロープウエイには一人分が乗れるお金しかなかった。兄は妹にその切符を譲り、冬の真っ暗な山道を徒歩で下山するという。
 物語は、ふもとのロープウエイ乗り場で下ってくるはずの兄を待つ妹の視点で描かれている。妹は「深い雪の中で力つきる兄の姿」を自覚している。
 「もしも、どこかで道に迷いそこから出てこれなくなったのだとしたら、それは兄さんが自分で望んだ時だけだ」と、妹は思う。

 冒頭に書いたように、海炭市は作者佐藤の想像の街である。その街に生きる青年も女たちも、やくざ者も、あるいは小心な公務員も、すべて佐藤のなかに住む人々にすぎない。
 しかも、その物語にはじめに遭難する青年はついに姿を見せることはないのだが、彼こそ佐藤自身の姿であったような気がする。
 佐藤は現実の生活に「迷い」、架空の海炭市から「出てこれなくなった」のだ。そして、それは佐藤自身が望んだこと、だったのではないだろうか。

 この短編連作集の最後の作品『しずかな若者』の終わりに佐藤はこう書いた。
 「何かをやめ、何かをはじめる時が来る。」
 しかし、佐藤には永遠に「はじめる時」はやって来なかった。
 そして、海炭市は永遠の町になった。
  
(2011/05/26 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介する芥川賞受賞作
  南木佳士さんの『ダイヤモンドダスト』。
  芥川賞としても記念すべき
  第100回の受賞作です。
  書評にも書きましたが、
  南木佳士さん自身がお医者さんで
  たくさんの死と直面されてきました。
  しかも、それを文学の世界に展開するということで
  南木佳士さん自身が苦境に立たされてことも
  あります。
  人は必ず死にます。
  だから、文学の問題として
  常に死と、そして生と
  直面してきました。
  これからも数多くの作品が
  そのことを描いていくでしょう。
  それがどのようなものであれ、
  南木佳士さんのように真摯であってほしいと
  思います。

  じゃあ、読もう。

ダイヤモンドダスト (文春文庫)ダイヤモンドダスト (文春文庫)
(1992/02)
南木 佳士

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sai.wingpen  死をみつめる目、生をみつめる目                矢印 bk1書評ページへ

 第100回芥川賞受賞作(1988年)。自身医者でもある南木佳士(なぎけいし)はこの作品でも医療の現場を描いている。但し、主人公の和夫は医者ではなく、火山のそばの高原の病院に勤める看護士である。
 そうであっても同じ医療現場で働く者としての視線が和夫にこめられている。冷静に生命を見る視線、命の終焉を見る視線。南木の作品は医者としての視線と作家としての視線を交差させることで、生きるということ死ぬということを問い続けている。

 この中編には実に多くの死が描かれている。和夫の母、和夫の妻、和夫の勤める病院に入院しているマイクという宣教師。そして、最後には和夫の父である松吉の死も描かれる。
 火山のそばの高原の病院に看護士として勤める和夫は幼い頃母を亡くした。その「あまりにも頼りない人の命」に興味をひかれて医学部をめざす和夫だったが、父松吉の突然の病気でそれも断念せざるを得なくなる。
 そしてようやく看護士という職業を得、そこで妻となる女性と知り合い、結婚する。だが、妻もまた生まれたばかりの息子を残して短い生涯を閉じてしまう。

 人は多くの人と関わりをもつ生き物だ。同時に、その関わりは死という終結で終わりを迎える。
 悲しい死ばかりではない。美しいともいえる死もある。ベトナム戦争で飛行士として戦ったマイクは死について達観している。迫りくる死に彼は揺るぎない心で立ち向かおうとする。
 呆けた父松吉はマイクとのみ正常な交感を交わすことができる。死を目前にした人の前で、父松吉は正しい人として描かれている。

 そんな松吉が人生の最後にこだわったのが水車づくりだった。水を汲み、その水を生かす水車。そんな水車を役割を、南木は文学に込めたのかもしれない。
 すべての人が和夫のそばから去っていった冬の朝。
 壊れかけた水車の上に煌めくダイヤモンドダストが舞っている。それを見つめる和夫と息子。それは終焉した世界に残された新しい人の誕生のようにも見えた。
  
(2011/05/25 投稿)

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 このブログでも本屋さんの話は
 たくさん書いてきましたが、
 やっぱり依然本屋さんの苦戦はつづいていて
 冬の終わりに店を閉じた
 私の町の小さな本屋さんのあとには
 豆腐屋さんが開店しました。
 本と豆腐。
 四角いといえばともに四角いのですが
 やはりちょっとちがう。
 というか、かなりちがいます。
 それでも、全国にはがんばっている本屋さんが
 たくさんあって、
 今回の「雑誌を歩く」はそんな頑張る本屋さんを特集した
 「BRUTUS(ブルータス)」6/1号(マガジンハウス・630円)を
 歩いてみます。

BRUTUS (ブルータス) 2011年 6/1号 [雑誌]BRUTUS (ブルータス) 2011年 6/1号 [雑誌]
(2011/05/16)
不明

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 まずは、表紙。
 ずばり、「本屋好き。」。
 これ以上のタイトルはありません。
 最後の「。」がおしゃれです。(そうでもないか)

  それでもあなたが、
  わざわざ本屋に行って
  わざわざ本を買う理由。


 うーん、そそりますよね、この書き方。
 最後の「。」がおしゃれ。(こうでもないか)
 で、本屋さんに行く理由ですが

  それは、思いがけない本との出会いがあるから。
  書店員の愛情あふれた本のセレクトや
  棚作りに触れることで、
  僕たちはもっともっと本を好きになる。

 いいな、いいな。
 ということで、今回の特集では
 200店の本屋さんが紹介されています。
 まずトップバッターはおなじみの
 京都の恵文社一乗寺店。

  なぜ、京都の(恵文社一乗寺店)は、
  わざわざ全国から客が訪れる本屋なのか?

 本を買うのに今やネットで取り寄せというのが
 当たり前になってきましたが
 わざわざ新幹線に乗って
 京都まで行くファンがいるというのが
 まず驚きです。
 なにしろこの本屋さんはこの手の特集には
 必ず登場するという
 知る人ぞ知る、本屋さんの雄なのです。

 今回の「BRUTUS(ブルータス)」には
 そんな素敵な本屋さんがずらり。
 京都までは、という人にも
 きっと近くのがんばる本屋さんが見つかるのではないでしょうか。

 JRの宣伝風に書けば

  そうだ、本屋へ行こう

 もちろん、その時にはこの「BRUTUS(ブルータス)」を持って。

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  今日紹介した絵本『エイミーとルイス』は
  bk1書店さんから献本頂きました。
  新しい絵本です。
  リビー・グリーソンという人が文を書いています。
  そして、今『八日目の蝉』が大人気の
  角田光代さんが訳されています。
  とっても心あたたまる絵本です。
  でも、これは心あたたまるだけではないかもしれません。
  人を愛することとはどういうことかを
  教えてくれる一冊かもしれません。
  書評にも書きましたが、
  大人になって
  しかもとっても大人になって
  一冊の絵本に教えられることが
  たくさんあります。
  それでも、知らないより
  すっといいのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

エイミーとルイスエイミーとルイス
(2011/04/29)
リビー・グリーソン

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sai.wingpen  あの時おおきな声で呼んでいたら              矢印 bk1書評ページへ

 好きだった女の子が高校三年の卒業式を待たずに突然引っ越していきました。その年、大学受験に失敗して、故郷の町で浪人生活をおくりましたが、その子のことがいつまでも気になっていました。元気にしているだろうか。さびしくないだろうか。
 次の春、その子を追いかけるように東京の大学にはいりました。なんとか連絡をつけて会ってはみたものの、社会人として働きだしていた彼女はもうずっと先を歩き出していました。
 青春というものがあるとした、苦い、それでいて今でも甘酸っぱい思い出です。友達がひっこしをしてしまう、しかも大好きだった友達が遠くに行ってしまった経験は、この時のことばかりです。

 この絵本の、エイミーとルイスは幼馴染の友達で、「いつもいっしょ」にいます。互いに特別な言葉で呼び合えば、いつもどちらかがかけつけてくれるのです。
 「けれどあるひ、エイミーいっかは、とおくに ひっこすことになりました」。それは「ちきゅうの うらがわくらい、とおいところに」です。
 エイミーがいなくなって、いろんな遊びがつまらなくなります。ルイスは「まいにち まいばん」エイミーのことを考えています。ひっこした町でエイミーも同じように「まいにち まいばん」ルイスにことを考えています。
 ルイスはある日ママにたずねます。「ねえ、ママ。もしぼくが、ものすごく おおきなこえでよんだら、エイミーにとどくかな?」って。ママは首をふります。パパもそうです。おばあちゃんだけは「やってみるしかないわね」って答えてくれました。
 だから、ルイスは大きな声で、あの日のように特別な言葉で、エイミーをよびます。
 愛した人が遠くに行ってしまったら、ルイスのように大きな声で呼べばいいのです。彼の声は雲になり、海を越え、海のずっと向こうのエイミーのいる町へ流れていきます。

 大切な人。もし、本当に大切だったら、たとえその人が遠くにいっても大きな声で呼ぶこと。愛するってそういうことです。
 もちろん、ルイスの声はエイミーに届きました。朝、彼女はこんなふうにつぶやきます。「すてきな ゆめをみたわ。ルイスのゆめ。ルイスが わたしをよんでいる ゆめ」。

 彼女が突然引っ越していってからもう40年近い日々が過ぎました。
 あの時、私が大きな声で呼んでいたら、きっと彼女にも届いたかもしれません。この絵本でようやく気づきました。
 でも、それは人生の、きっとまた別の物語なのでしょう。
  
(2011/05/23 投稿)

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  今日紹介する
  池谷剛一さんの絵本『てがみがもしとどくなら』も
  あさのあつこさんの『ようこそ、絵本館へ』で
  紹介されていた一冊です。
  表紙の質朴な絵柄と
  「てがみ」にひかれて
  読んでみようと思った1冊です。
  手紙っていうのは
  なんとなくとっても遠いところから
  届くイメージがあります。
  もちろん実際に遠いところから届くのでしょうが、
  そういう距離的なことではなく
  もっと遠いところ。
  このブログも
  そんな手紙のように
  みなさんのところに届いていたら
  いいのですが。

  じゃあ、読もう。

てがみがもしもとどくならてがみがもしもとどくなら
(2009/07)
池谷 剛一

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sai.wingpen  あなたは誰に手紙を書きますか                 矢印 bk1書評ページへ

 最後に手紙を書いたのはいつだっただろう。
 最近ではメールばかりで、手紙とはとんと縁がなくなってしまった。年始の挨拶でもパソコンで作成した味気ないものばかりだ。
 ITが進化したことにかこつけても実際には筆不精なのだ。白い便箋を前にすると何も書くことがでてこない。本当は書きたいことがあったとして、自分の手書き文字のひどさに辟易してしまう。
 死んだ母は手紙を書くのが好きだった。実家から何か荷物が届くたびに、荷物の隅に小さな便箋があった。学はなかったが、文章に個性がにじみでていた。母の手紙は折につけ私を勇気づけてくれた。
 手紙とは人のこころの伝えようなのかもしれない。

 「広い広い草原のまんなかに ちいさなゆうびんポストがありました。それは 天国にいる人のもとへてがみをとどけてくれる ふしぎなポスト」。
 この絵本はそんな文章から始まる。主人公の少年は、だから、天国のおじいちゃんとおばあちゃんにてがみをだすのですが、何日たっても返事が届きません。やっぱりふしぎなポストなんてでたらめかもしれない。
 ある雨の日、少年はポストにあらわれたゆうびんやのあとをついていくことにしました。そして、まっくらに森のなかに迷ってしまいます。そこで出会った不思議なことども。
 さて、草原のちいさなポストは本当に天国にいる人へてがみをとどけてくれる「ふしぎなポスト」だったのでしょうか。

 絵本ならではの温かな物語です。本当にこんなポストがあれば、母に手紙を書くだろうかとちょっと考えました。
 やっぱり書かないだろうな。でも、天国の母から、もう一度だけ、手紙もらえたらどんなにかうれしいだろうに。
 母はあきれているかもしれませんが。
  
(2011/05/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の「百年文庫」は
  ずばり、「」。
  本好きなら読んでみたくなるテーマです。
  ところで
  最近の人って履歴書の趣味の欄に
  あまり「読書」って書かないのではと
  思います。
  なんか日陰の趣味みたいに
  思っていないかしらん。
  あまり「読書」ってしないのでしょうか。
  本って役に立つのだけどな。
  もっとみんな本読んだらいいのにな。
  だから、この本のなかの
  佐藤春夫さんのことなんかも
  みんな知らないんじゃないかと
  心配になってしまいます。
  本は面白いですよ、
  と、声大きくしていいたい。

  じゃあ、読もう。

(014)本 (百年文庫)(014)本 (百年文庫)
(2010/10/13)
島木健作、ユザンヌ 他

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sai.wingpen  本だからこその喜劇                 矢印 bk1書評ページへ

 特に初版本や稀少本を求めるわけではない。ただ本好きの人なら誰しもしそうな、新刊本なら平台に積まれた上から何冊めかの本を取り出し、四隅に傷みがないか、帯は破損していないかの確認程度のことは、いつもする。ページを開いた時に、まず本の香りを嗅ぐのも必ずする。
 その程度であっても、本を読まない人にとっては十分に怪しいのではないか。
 そんな本の妖しい魅力が織りなす滑稽な人間模様が「百年文庫」14巻め「本」に収められた3篇にはある。

 なんといってもユザンヌの『シジスモンの遺産』が圧倒的に面白い。
 ユザンヌという人は19世紀後半のフランスの作家で、自身大の愛書家であったらしい。
 物語は愛書家シジスモンが亡くなったところから始まる。彼の蔵書には他に類をみない掘り出し本がいくつもあって、愛書家として敵対していたギュマール氏はそれらの本を手にいれようとやっきになるのだが、シジスモンはそんなことを見通して「遺書」を残していた。
 その「遺書」によれば、彼の蔵書を管理するのは従妹の女性。そして、ギュマール氏とこの58歳になる女性との、本をめぐる大バトルが勃発するのである。
 きっと映画になっても面白いのではないかと思うくらいに、この二人の攻防が面白い。本好きとはここまでするのだろうか。ここまでくれば喜劇としかいいようがない。
 本好きの人なら、一度は読んでもらいたい短編である。

 島木健作の『煙』は1941年の作だが、古本市でのやりとりを描きながら、当時の知識層の青年のもろさ、あやうさが描かれている。
 佐藤春夫の『帰去来』は、佐藤の故郷和歌山から弟子入りしたいと上京してきた青年の事情と彼が働きはじめる書店での社会観察が、独特な長文体で描かれている。初めは読みづらい作品だが、読むうちに吸い込まれている。名人芸だろう。

 それにしても、これらの3作を読むと、本とはなんと罪つくりなものであるかと思ってしまう。
 匂いを嗅ぐぐらいはかわいいものだ。
  
(2011/05/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  作家というのは
  仕合せな職業だと思うことがあります。
  どうしてかというと
  亡くなっても
  その作品を読んでもらうことができるし
  新しい本だって出版されることもある。
  普通の仕事だったら
  なかなかそういうわけにはいかない。
  今日紹介するのは
  昨年亡くなった井上ひさしさんの
  最近出版された
  『日本語教室』。
  さすが井上ひさしさんで
  亡くなってからも
  どんどん新しい本が出版されています。
  それって、すごい。

  じゃあ、読もう。

日本語教室 (新潮新書)日本語教室 (新潮新書)
(2011/03)
井上 ひさし

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sai.wingpen  「みなさーん」って、ドンガバチョは話しはじめた          矢印 bk1書評ページへ

 本書は昨年(2010年)亡くなられて井上ひさしさんが2001年に母校の上智大学で四回にわたって講義をされた「日本語教室」の再現版です。
 全四回の内容は、「日本語はいまどうなっているのか」「日本語はどうつくられたのか」「日本語はどのように話されるのか」「日本語はどのように表現されるのか」となっています。
 あれだけ面白い喜劇や物語を作った井上さんですから、この講演もとても面白い。活字で読んでもこれだけ面白いのですから、生のお話はどれほどであったかと、ライブでこの講演を聴かれた方がうらやましくて仕方がありません。

 この講演のなかで井上さんは結構辛辣な発言もされていますが、とても日本語を愛されていた作家だということがわかります。
 以下、井上さんの講演から引用すると、「使っている人の言葉のそれぞれが日本語で、その総和が日本語なのだと僕は思っています。だからわれわれ一人一人が日本語を勉強して、日本語を正確に、しかも情熱をこめて、自分のことはちゃんと相手に言えるし、伝えることができる、そのような言葉を一人一人が磨くしかないと思っています」となります。
 このなかで重要なのは、繰り返しでてくる「一人一人」という言葉です。誰かが日本語のことを考えるのではなく(たとえば、この講演のように井上さんが日本語のことを考えるのではなく)、「一人一人」がそのことを考えないと、言葉はよくならないということです。

 この講演の冒頭で井上さんは若い人の言葉が理解できないというようなことを話されています。
 きっと若い人たちは日本語のことなど考えていないのではないか。もっといえば、若い人だけでなく、お年をめされた人だってそうだし、働きざかりの人だってそうです。もっと真剣に日本語のことを考えないと、私たちの国の言葉は一体何語なのかわからなくなってしまいます。
 最近公用語に英語を採用する企業が増えています。グローバルな視点にたてばそれも仕方がないでしょうが、その前提としてきちんとした日本語を使いこなせることがあるのではないでしょうか。

 こういう本を読むと、やはり井上ひさしさんにはもう少し長生きして欲しかったと思いますが、こればかりはどうしようもありません。だからこそ、私たちは井上さんから受け継いだ者としてうつくしい日本語を使いたいものです。
  
(2011/05/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  村上龍さんの『心はあなたのものに』。
  550ページある長編小説です。
  私はどうも長編小説が苦手で
  苦手というより
  なかなかかたまりで読書の時間がとれないので
  避けているようなところがあります。
  ただこの『心はあなたのもとに』は
  村上龍さんの久々の恋愛小説ということで
  読んでみました。
  単に恋愛小説というには
  もっと重いテーマかもしれません。
  でも、ぐいぐいとひっぱってくるものは
  いい本といっていいでしょう。
  村上龍さんは最近は経済にも造詣があって
  この本でもそんな場面がたくさん描かれています。

  じゃあ、読もう。

心はあなたのもとに心はあなたのもとに
(2011/04/13)
村上 龍

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sai.wingpen  人と人をつなぐもの                矢印 bk1書評ページへ

 これは恋愛小説なのだろうかということをずっと考えていた。確かに男と女の関係を描いた物語ではあるのだが、それを単に「恋愛」という二文字で括ってしまうと何か大切なことが指の間からこぼれおちてしまいそうだ。
 もっと本質的なこと。
 そう、この物語は「人間の関係性」について描かれたものではないだろうか。

 物語は香奈子という元風俗嬢の死から始まる。香奈子は一度結婚の経験があり30歳を少し越えたばかりだ。彼女には1型糖尿病という持病があって、インスリンをコントロールする専用の装置を手放せなかった。一方、主人公である投資組合を経営する50歳の西崎には妻と二人の娘がいる。
 西崎は高級風俗嬢である香奈子と出逢い、単に性的な関係だけではなく、心から強く惹かれるようになっていく。彼らはしばしば逢っていたわけではない。むしろ、ほとんど逢瀬をしていない。
 西崎はともかく忙しすぎた。多くの投資案件を抱え、東奔西走していた。時に香奈子を同伴し旅行をすることはあっても、西崎は恋愛におぼれてしまうタイプではない。
 彼らの関係を支えていたのはメールだった。出会いから香奈子の死という別れまでの3年ばかりの間に香奈子からは643通のメールが届けられていた。
 物語ではこのメール文が進行役となって随所にちりばめられている。
 常に一緒にいるわけではない関係。しかも、一方は近づく死に苦悶しているなかで、会うこともままならぬ関係。
 それを残酷というべきだろうか。

 「どんなに大切に思う人でもずっといっしょにいるわけにはいかない」
 西崎の思いとして綴られた文章の一節だ。
 「ずっとわたしのそばにいることができないからといって、それはわたしを愛していないという意味ではない」ことを、西崎は教師として働きつづけた母親との関係のなかで実感していた。
 それと呼応するように、香奈子は西崎あてのメールの最後に「心はあなたのもとに」と書きとめた。
 いっしょにはいられなくても、せめて心は愛する人のもとにある。
 そういう愛し方を人はやはり残酷というのだろうか。

 この物語にはほとんど性の描写はない。交じわうことが恋愛のひとつの型ではあるが、この物語はそのことを丁寧に排除している。
 元風俗嬢をヒロインとしながらも肉体からもっとも離れた視点で描かれているといっていい。
 ここに描かれた関係は現代人の新しい関係ではないだろうか。
  
(2011/05/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  沢木耕太郎さんを知ったのは
  私が大学生の頃でした。
  だから、もうかれこれ
  30年以上沢木耕太郎の作品を
  読みつづけてきたことになります。
  沢木耕太郎さんの作品は
  まさに同時代の作品という印象があって
  おそらくこれからもそれは
  変わらないだろうと
  思います。
  今日紹介するのは沢木耕太郎さんの
  短編小説集『あなたがいる場所』です。
  沢木耕太郎さんの新刊ということで
  手にとったそんな本の表紙挿画が
  いせひでこさんだったのも
  私にはうれしい一冊です。

  じゃあ、読もう。

あなたがいる場所あなたがいる場所
(2011/04)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  同じバスにのって                  矢印 bk1書評ページへ

 表紙を開くと、「バスを降りると、そこは」という言葉がそっと置かれていて、次のページにこの本の書名である「あなたがいる場所」と続く。
 ここはどこだろう?
 ここは私のいる場所なのか?
 心の打ち解けない友人とそれなりの付き合いをする少女か? 迷子のふりをする女の子を助けようとする少年か? 偶然に同じバスに乗り合わせた若い女性の髪にかかる虹に夢中になる会社員か? 事故で娘を亡くして茫然とする夫婦か? 年老いた夫を最後には手にかける老婆か?
 沢木耕太郎が描く9つの物語のどこかに、私がいるというのだろうか。

 一台のバスは私たちをどこに連れていってくれるというのだろう。
 バス停にとまってドアが開き、タラップを降りたそこは、作者が創造した世界なのだが、きっと「ここは私のいる場所」だと思える瞬間がある。もちろん、物語に登場する人たちと私は同じではない。物語に描かれるストーリーは私のそれと同じではない。
 でも、少女の気持ち、少年の苛立ち、夫婦の悔恨、老婆の愛、どこかに私はいる。

 沢木耕太郎はもう長い年月、私たちの兄であった。沢木が見てきた世界に酔いしれたのは青春期のことだ。
 沢木はずっと先を行くのではなく、数歩先を歩いていた兄のような存在だった。沢木にいろんなことを教えられた。
 そして、本当は沢木耕太郎もいろんなことをたくさんのことから学んでいたはずだ。ただそれを声高に話さなかっただけだ。
 沢木耕太郎と私たちはずっと同じバスに乗ってきたんだ。
 だから思う。
 「バスを降りると、そこは」沢木耕太郎がいる場所なんだ。
 いつでも、これからも。
  
(2011/05/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日につづいて
  今日も東海林さだおさん。
  今回は文春文庫の新刊です。
  本屋さんで東海林さだおさんの漫画が表紙になった本を
  見つけると、
  ついつい、お、お、おと
  近づいてしまいます。
  でも、なんだか
  毎日東海林さだおさんの本ばかりを
  読んでいると思われてしまうのも、
  なんだか恥ずかしい気分になってしまいます。
  ええい、なんと思われても
  構いません。
  恥ずかしくないもんね。
  頭の回路が東海林さだおさんだって思われても
  構わないもんね。
  面白いだもんね。
  これこそ読書の愉楽だもんね。

  じゃあ、読もう。

そうだ、ローカル線、ソースカツ丼 (文春文庫)そうだ、ローカル線、ソースカツ丼 (文春文庫)
(2011/04/08)
東海林 さだお

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sai.wingpen  永遠の男の子                  矢印 bk1書評ページへ

 男は外で狩猟し、女は内で子を育てというのは原始人の頃から変わっていないのではないか。おっと、男女同権、男女雇用均等法、まったくその通りで、さっき書いたのは、男女のDNAの根幹みたいなことです。
 最近でこそ「冒険」という言葉をあまり使わなくなっているようですが、男の子の本質はこの「冒険」に尽きるのではないでしょうか。ちなみに「冒険」というのは、成功するかどうかわからないことをあえてやってみるということで、男の子はいつだってそうでなくては。

 東海林さだおさんはその点では永遠の男の子なんだと思う。
 かの有名な食べ物エッセイである「丸かじり」シリーズでもそうだし、本書の「ローカル線の旅」であったり「定食屋探訪」でもそうだが、東海林さだおさんの探究心は珍しいものに限らず、普段誰もがあってもなくても気にしないようなものにまで興味津々になってしまう。
 子供の頃にビールの王冠とか収集したことありません? それとよく似ています。
 大人になれば、どうしてこんなものに興味をもっていたのだろうと思うようなことを、東海林さんは70歳を超えてもずっと持ちつづけているんです。それってすごいとしかいいようがない。

 本書は雑誌「オール読物」に「男の分別学」と題されて2006年から2007年にかけて連載されていたものです。
 食べ物や旅といったことにとどまらず、おやじのショッピング、広辞苑攻防戦、鼻の穴といった、おそらく誰も気にしないことに東海林さんは果敢に挑戦してみています。
 だって、鼻の穴のことなんて真剣に考えたことあります? 普通はない。それを考えてしまうのが、東海林さだおなんです。
 特に面白かったのは、「広辞苑を引いてプンプン!」以下のエッセイで、かの広辞苑の解釈に敢然と立ち向かう東海林さんは、冒険者としての本領発揮というしかなくて、活字の森に踏み込んでいく勇者のように、私には見えました。
  
(2011/05/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  幸せってなんだろうって
  時々考えないわけではない。
  確か村上春樹さんが
  「小確幸」(小さくても確かな幸せ)と
  いうようなことを書いていたはずだが、
  私にとって東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズは
  幸せの見本のようなものです。
  毎年新しい「丸かじり」を
  抱きしめ(!)ことができる幸せよ。
  今回は最新刊の『ゆで卵の丸かじり』。
  多田進さんの手になる表紙の
  女性の幸せそうな表情をみよ。
  (このあと、彼女がどうなるかを想像するのも楽しい)
  とにかく今年も夏がきた!
  「丸かじり」と夏との関係は定かではないが。

  じゃあ、食べよう。

ゆで卵の丸かじり (丸かじりシリーズ 33)ゆで卵の丸かじり (丸かじりシリーズ 33)
(2011/04/07)
東海林さだお

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sai.wingpen  「丸かじり」の真打                 矢印 bk1書評ページへ

 おなじみ東海林さだおさんの食べ物エッセイ「丸かじり」シリーズの最新刊です。
 今回は「ゆで卵」の丸かじりと、丸かじりの歴史の中にあっても上位に位置する「丸かじり」なのです。
 何しろ歴代の「丸かじり」をみても、「タコ」「キャベツ」「トンカツ」とどうみても「丸かじり」に適さない食材が書名となって、そのたびに多くの犠牲者がでてしまったという惨状は見るも無残。「ワニ」が「丸かじり」できますか。「ワニ」に「丸かじり」されてしまった勇気ある人もいたとか、聞いたことがあります(空耳かも)。「タヌキ」も「ブタ」も「丸かじり」などできやしない。
 長い「丸かじり」史にあって、本当の「丸かじり」といえるのは「タクアン」「鯛ヤキ」「マツタケ」「どぜう」「コロッケ」「おにぎり」と、そう多くはない。

 そんな中、「丸かじり」の真打といいましょうか、大御所といいましょうか、「ゆで卵」の登場です。
 その形状といい大きさといい、「ゆで卵」が今まで「丸かじり」されなかったのが不思議なくらい。
 新人にしていきなりヒットチャートにのし上がったアイドルみたいで、これで今年の紅白も安泰です。
 ところが、です。「一口丸ごとパクリ」を「日本人でやったことのある人はいないと思う」というのが東海林さんの見解であって、どうしてあの形状、あの大きさにして「丸かじり」がなされないかという高尚な研究成果が本書には書かれて…いたはず…???

 まあ、高尚でなくても楽しければ、それもまたよし、としないと。
 東海林さだおさんは、衰えをしらぬ、健啖家であります。
  
(2011/05/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先週の日曜に『百年の家』という絵本を紹介しましたが
  それとよく似たシュチエーションの絵本が
  今日紹介する、
  バージニア・リー・バートンの(石井桃子さんが訳されています)
  『ちいさいおうち』です。
  こちらの本がずっと先輩です。
  なにしろこの絵本は
  1942年に出版されたのですから
  もうすぐ70年になります。
  そんなりっぱな絵本に
  ようやく出会えるなんて、
  そのことがまるで夢のようだし、
  その絵本が今でもけっして古びていないことにも
  胸うたれます。
  本当に私はいままで何を見てきたのでしょう。
  どんな人であっても
  遅くありません。
  ぜひこの絵本を読んでみてください。
  きっと何かに気付くはずです。

  じゃあ、読もう。  

ちいさいおうち (大型絵本 (3))ちいさいおうち (大型絵本 (3))
(1965/12/16)
ばーじにあ・りー・ばーとん

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sai.wingpen  私たちが求めたもの                  矢印 bk1書評ページへ

 この絵本は1942年にアメリカの最優秀絵本として賞を受けていたことに驚いてしまいます。
 昔の人なら、だから戦争に負けるのだというかもしれません。私は「戦争を知らない子供たち」の世代ですから、そんな無粋なことはいわないですが、それでも大きな文化の違いを感じます。
 当時のアメリカにはこの絵本が描こうとしていたように、拡大一途の文明の発展を良しとはしない、そんな主張もまちがいなくあったのでしょう。
 しかし、残念ながら、それがすべてではなかった。ちいさなおうちの住む場所がいつの間にか田舎から町、そして大都会へと変わっていくことを人間の進化のように考える多くの人がいたということが、この絵本の出版から70年近くなって、歴史が証明しています。

 日本でもそうです。戦争が終わって、多くの人たちがめざしたのは、ちいさなおうちが大きなビルのはざまで息もできなくなって苦しむそんな生活でした。それが当時の人たちの希望だったのです。それはちょうど、ちいさなおうちがずっと昔に町の遠いあかりをみながら「まちって、どんなところだろう」と思ったこととよく似ています。
 春のにおいを胸いっぱい吸い込み、夏のひかりに目を細め、秋の風に髪をなびかせ、冬の寒さに身をかがめる。そんな自然と折り合っていく生活を、「便利」という誘惑と「不便」という理由で捨てていった、私たち。
 ちいさなおうちの頭の上に広がる雲がいつの間にか真っ黒に変わっていくのを見過ごしてしまいます。ちいさなおうちのまわりに「ひなぎくのはなも さかない」ことに不思議を感じなくなっていきます。

 私たちは残念ながら、この絵本の最後の部分を読み損なってきたのかもしれません。あるいは、読んでいながらそれでも都会の誘惑に負けてしまったのかもしれません。
 だったら、何度でも読むしかありません。子供へ孫へ、新しい世代へと読む継いでいくしかありません。
 きっといつか、この絵本が、ちいさなおうちが求めたものを、誰もがわかる日がきます。
 それがいつなのか、いえないことが悔しいとしても。
  
(2011/05/15 投稿)

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  今回紹介する「百年文庫」は
  「」というタイトル。
  海外の小説3作が紹介されています。
  ぜひとも読みたかったのが
  オー・ヘンリーの『最後の一葉』。
  もう有名すぎて
  誰もが知っている物語。
  でも、この物語をいつ読んだのか
  ちっとも覚えていないんです。
  もしかしたら、
  教科書かなにかに載っていたのかなぁ。
  きっと学習すること多そうだし。
  誰にもそんな物語があると思います。
  子供の頃に読んで
  わかったような気持ちになっているような
  物語。
  大人になってもう一度読み返すと
  きっと違う読後感が味わえるのでは
  ないでしょうか。

  じゃあ、読もう。



(021)命 (百年文庫)(021)命 (百年文庫)
(2010/10/13)
シュトルム、オー・ヘンリ 他

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sai.wingpen  命とは何だろう                   矢印 bk1書評ページへ

 命とはなんだろう。生理学的な生とは違うような気がする。なんといえばいいだろうか、もっと神秘的で人間としての根幹にあるもの。感情をともなうもの。
 どうもうまくいえないが、だからだろうか、文学は命をみつづけてきたともいえる。文学のすべての営みは、命へとつながっている。
 「百年文庫」の21巻めのタイトルは「命」。
 『みずうみ』や『三色すみれ』といった作品で有名なシュトルムの『レナ・ヴィース』、短編小説の名手オー・ヘンリーの『最後の一葉』、そしてヤーコプ・ヴァッサーマン(この作家は名前も知らなかった)の『お守り』の、海外作品三篇が収録されている。

 読みたかったのは、オー・ヘンリーの『最後の一葉』。有名な作品だ。
 ずっと昔に読んだ覚えもあるし、おおまかな荒筋であれば諳んじていえる。病気になって気弱になっている少女。窓越しの蔦の葉がすべて散り落ちる時には自分の命も終わるだろうと思い込んでいる。
 一枚散り、一枚落ち、もう残りはわずか。そして、雨の夜、朝になればすべての葉は落ちているだろう。しかし、最後の一葉だけはしっかりと残っていた。
 おそらく誰もが知っている結末をここでたどる必要はないだろう。
 少女の命とひきかえに消えていった老画家の命。命の不思議さ、残酷さを考えさせる、不滅の一篇だろう。

 シュトルムの『レナ・ヴィース』は一人の女性の一生をじっとみつめた好篇だ。
 人間としての尊厳を死のまぎわまで持ち続けたレナをそばで見続ける「私」の視点は、まるで映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のようである。
 もう一篇のヴァッサーマンの『お守り』は運命に翻弄されるクリスチーヌという女性を描いている。
 不幸と幸福。誰もが幸福を願うのだが、小さい頃からつらい日々を過ごしたクリスチーヌはそんな願いさえ捨ててしまっている。それでも、彼女はやがて小さな命を授かるのだが、そんなささやかな幸福さえ、彼女の運命は受け入れることはできない。
 最後には自分の息子の命さえ奪ってしまうクリスチーヌ。彼女の重い運命はそれでも最後に報われることになるが、その時にはもう彼女の命は消えようとしていた。

 命とは単に生命の維持装置ではない。
 喜びも悲しみも残酷も平安も受けとめるもの。
 クリスチーヌの「お守り」は一体彼女から何を守ったのだろう。
  
(2011/05/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  本を紹介するのも
  タイミングというものがあって
  これでも結構そういうことに気をつかって
  このブログを書いているんですよ。
  今日紹介するのは集英社文庫の新刊の一冊、
  川上弘美さんの『風花』。
  蔵出し書評ですが、
  文庫の新刊というのは出たばかりの時は
  本屋さんで平台に積まれるのですが
  たちまち棚にもぐりこんでしまうので
  紹介するタイミングをのがすと
  なかなかできなくなってしまってあせります。
  ところで、
  朝日新聞朝刊に連載されていた
  川上弘美さんの『七夜物語』ですが
  先日ついに終了しました。
  川上弘美さん、そして挿絵を担当された酒井駒子さん
  お疲れさまでした。

  じゃあ、読もう。

風花 (集英社文庫 か)風花 (集英社文庫 か)
(2011/04/20)
川上 弘美

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sai.wingpen  蛇の足                     矢印 bk1書評ページへ

 機会があって、絵手紙を描いた。題材は、春らしく<みずばしょう>にした。基本トーンが白だから、薄い青を背景にして花を強調しようとしたのだが、それがいけなかった。たった一筆いれただけなのに、作為が顕になった。
 まさに蛇の足である。
 故事に、蛇の絵を描く競争で、一番早く書き上げた男がついその蛇に足を書きくわえたために敗れたとある。長じて、付け加える必要のないことや、無用の長物を<蛇足>という。
 つい、がいけない。油断がどこかにあるし、気負いが油断を生む。私の絵手紙の場合は初心者ゆえの気負いだが、川上弘美はどうだろう。

 川上弘美の、初の「結婚小説」である本作は、そんな傷をもった長編小説といっていい。
 結婚して七年になる一組の夫婦に訪れた、夫の浮気という事実。それをきっかけにして次第にずれていく夫婦のこころ。しかし、描かれる視点が妻にあるため、もっぱら妻の心理を核にして物語はすすむ。
 はじめは、「風花」のようにあわあわとしていた妻・のゆりだが、時の経過とともに女として自立していく。そういう意味で最終章が「下萌」とつけられたことで、これからののゆりの成長をより鮮明に暗示している。
 その一方で、夫・卓哉の描き方は道化に近い。男の身勝手な行動はやがて妻にもたれかかるしかないあわれな夫に変貌していく。のゆりの叔父真人(まこと)は冒頭から道化者として位置づけられている。

 そんな夫婦を描くことで、川上弘美は男女の恋愛における位置関係を描こうとしたのではなく、そのような男女だからこそ夫婦となりえたときに、女にとって男はこういうものでしかないということを表現しようとしたのだと思う。
 そして、川上弘美はその答えを性急に求めすぎて、蛇の足を書くことになる。
 ここでこの物語のどの部分をさして、蛇の足というかは控えたいと思うが、最終章近く、それはあまりにも突然のゆりによって語られることになる。
 問題は、何故川上弘美がそのような単純な過ちを犯したかということだ。

 書き手である作者の心理はわかるはずもないし、それをどう解釈しても推測にすぎないことを承知の上で書くとすれば、川上弘美が当初描こうとした「結婚小説」はまるでちがったものではなかったかということだ。
 それは第一章「風花」から次の章の雑誌掲載が二年近いブランクがあることからの、推測である。その結果、この長編小説はまるで女性の自立小説のようなものに変質し、ゆえに川上はまるで蛇の足のごとく、妻にとっての夫の存在を、表現するしかなかったのではないか。
 川上弘美は「蛇を踏む」ことはあっても蛇の足を書く作家ではない。
 そう信じているからこそ、まるで蛇足のような書評を書いた。
  
(2008/04/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  この本を私に紹介してくれたのは
  下の娘。
  「この本読んでブログを書いたら」って貸してくれたのだが
  なんだ、なんだ、
  漫画ではないか。
  しかもお金の話。
  漫画はともかく
  お金の話なんて娘も成長したものだと
  すっかり感心してしまいました。
  こづかいせびられるのって嫌だけど、
  もしかして将来せびるつもりで
  貸したのかと
  勘ぐってしまいました。
  冗談ですよ、
  こんなこと娘にしれたら
  きっと二度と口きいてくれなくなる。
  というわけで、今日紹介するのは
  うだひろえさんの『誰も教えてくれないお金の話』。
  お父さんが教えてあげたのに、
  えっ、それが心配だからだって。
  娘ならそういうかも。

  じゃあ、読もう。

誰も教えてくれないお金の話誰も教えてくれないお金の話
(2010/10/29)
うだひろえ

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sai.wingpen  漫画でハッピーになれるか                  矢印 bk1書評ページへ

 今若い人に人気の本だという。
 お金の本である。しかも、漫画。いや、コミックエッセイというらしい。そういう親しみ感が若い人に受けているのかもしれない。
 主人公は33歳の主婦兼イラストレーター。作者うだひろえが等身大モデルなのだろうか。ダンナは2年前に脱サラしてカフェ経営。お金の話をするにしてはなんだか微妙なモデルでしょ。
 この二人、特に奥さんのひろえさんにとってはお金の問題はとても深刻で、節約をしているにもかかわらずいつのまにかお金がなくなる生活に額にシャドー(漫画の手法でよくわるでしょ、あの縦の線)がはいってしまう状態だ。
 この主人公に付き合う形で、保険のこと、年金のこと、住居の賃貸か購入かの問題などお金の話がどんどん出てくる。

 漫画を読めばこれであなたもお金通、となるかどうか。
 ちょっとあやういのは漫画でわかったつもりになってしまうこと。漫画って思った以上にすっーて頭にはいってくる。それが心配。立ち止まって考えるくらいがちょうどいい。
 この本でいえば間あいだに挿入されている「泉正人のお金を学ぶ」といったコラム風文章もしっかり読むことが大事だ。もちろん最初はそのあたりをとばして漫画だけ読むのもいいが、漫画を読み終わったらぜひ読むこと。それとできるなら、もう少し本格的な新書とかで追いかけるのもいい。

 なにしろお金の問題ってやっぱり大事だし、真剣に学んで損はない。
 作者のうださんがあとがきの最後にこう書いている。「読者さまのお金とのおつきあいが、一生ハッピーでありますように!」って。
 漫画とのつきあいも一生ハッピーだったらどんなにいいだろう。
  
(2011/05/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日も昨日につづいて
  漫画本の紹介です。
  蔵出し書評になりますが、
  いつかぜひ紹介したいと思っていた本です。
  高野文子さんの『黄色い本』。
  この書評にはすこしばかり工夫がしてあって
  娘と父親の会話のように
  書いています。
  この時の娘は上の子を想って書きました。
  この漫画、実に文学の香りのするもので
  娘には手ごわかったかもしれません。
  あれから何年もたって
  もしかしたら娘も読めるように
  なってくれてたらいいのですが。
  はたしてどうだろう。

  じゃあ、読もう。

黄色い本 (アフタヌーンKCデラックス (1488))黄色い本 (アフタヌーンKCデラックス (1488))
(2002/02/20)
高野 文子

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sai.wingpen  娘の言い分父の言い分                 矢印 bk1書評ページへ

 父は今までアタシに漫画を読むなと云ったことがない。
 父が子供だった頃、よく漫画ばかり読んでと叱られたそうだ。漫画はけっして悪いものではないのに、と父はずっと思っていた。だから、娘のアタシから漫画本を取り上げることはしなかった。
 それどころか、アタシが読んでいる漫画を父が読むこともある。父は今でも漫画が好きなのだ。
 そんな父がアタシに読んでごらんと勧めてくれたのが、高野文子さんの「黄色い本」だった。でも、アタシにはどうもわかりづらかったので、「難しいよ、これ」って父に返したら、父は「そうか」と少し悲しそうな顔をした。

 娘の部屋にいっぱい並んだ漫画本を見ると、私の時代との違いを感じる。なんだか原色だけでつくられた世界のようだ。
 私の子供時代の漫画はもっとゆったりしていたような気がするし、教科書や文学書にはない独特の世界観があったようにも思う。「名探偵コナン」も「ヒカルの碁」もすごく上手な漫画だと思うが、文学や詩に匹敵するとは言い難い。私が読んできた真崎守や永島慎二の漫画はもっと深く心に残ったように思う。
 高野文子の「黄色い本」はそういう点では、現代漫画の中では稀有な作品だろう。娘が読めないと私に返してきたが、なんだかそれもわかる。今の漫画世代には重過ぎる作品かもしれない。

 父は「黄色い本」の題名の謂れでもある『チボー家の人々』を学生時代に読んだことがあるらしい。箱入りの五巻本は、箱から出すと本当に黄色い本だったそうだ。
 「どんな本だったの?」と訊くと「よく覚えていない」と云う。そんなの読んだことにならないよ。父は恥ずかしそうに、高野さんの「黄色い本」をぱらぱらとめくった。

 今年(2003年)の第7回手塚治虫文化賞の「マンガ大賞」に「黄色い本」が選ばれた。そして、同賞の「新生賞」が娘の好きな「ヒカルの碁」だった。
 選考委員の一人である荒俣宏氏が高野の作品を「現代の日本マンガにおける一方の極北」と評しているが、「ヒカルの碁」と比べると荒俣氏が云おうとした意味がよくわかる。娘には「ヒカルの碁」こそ漫画なのかもしれない。しかし、「黄色い本」が描こうとした世界もわかってほしいと、私は思う。
 今の娘と同じ年令の頃読んだ『チボー家の人々』のことはほとんど覚えていないが、それでも私はその本を読むことで何かをつかもうとしていた。
 そんなことを、父さんはこの本を読んで思い出していたんだよ。
  
(2003/06/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近は少年漫画にしろ青年漫画にしろ
  雑誌という媒体で読むことが
  ほとんどなくなりました。
  あまり読みたいと思うことがなくなって
  それも年齢と少しは関係しているのかもしれません。
  でも、本質的には
  漫画を読むのは嫌いではありません。
  今日紹介するのは、漫画です。
  益田ミリさんは最近人気がある人ですが
  この『ほしいものはなんですか?』は
  とっても考えさせられる漫画です。
  いえいえ、眉間にしわ寄せということではなく
  気軽に読めるのですが
  それでも考えさせられます。
  特にアラフォー世代の女性には
  ぜひ読んでもらいたい一冊です。

  じゃあ、読もう。

ほしいものはなんですか?ほしいものはなんですか?
(2010/04/22)
益田 ミリ

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sai.wingpen  漫画は文学を超えたか                矢印 bk1書評ページへ

 かつて石ノ森章太郎に「漫画ではなく萬画だ」と言わしめた程、漫画という表現方法は多種多様な世界を描いてきた。
 その一方で、漫画という直接的な表現方法では想像性が育たないとも言われた時代もあった。文学でいうところの「余白を読む」というものが漫画には欠如しているという批判である。
 イラストレーターでもある益田ミリのこの作品はそういった文学優位性を払拭させるほどの力がある。
 漫画は文学を超えた。

 主人公は40歳の主婦。夫と小学生の一人娘の三人で暮らしている。「家のローンももうすぐ終わるし 主人の給料もそこそこで、子供はかわいいし、みんなに「幸せ」って言われてるのに」どこか心に空白がある。
 娘に「ほしいものは?」と訊ねられて答えられない。空白をうめるものさえ彼女は見失っている。
 仕事から帰ってきて指図する夫に彼女は時々こう言ってみたくなる。「わたしはぜんぜん働いてないの?」って。
 そんな女性の心理をほとんど単調ともいえる線で描いたこの作品はもう漫画の域を超えている。
 余白だらけの漫画といっていい。

 女性には納得の作品だし、男性には反省をうながすかもしれない。いや、もっと広く、人間のありようを見事に表現した作品といえる。
 文学はうかうかとしていられない。
 ところで、「ほしいものはなんですか?」と訊かれて、あなたならなんと答えますか。
  
(2011/05/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  6日に団鬼六さんが亡くなりました。
  団鬼六さんといえば
  官能小説の巨匠、
  SM小説の大家、
  というレッテルでなじみの作家ですから
  読んだことない、嫌いだという人も多いと
  思います。
  私は好きです。
  青春時代から愛読とまではいかないまでも
  団鬼六さんの小説に
  親しんでいました。
  もしかしたら、
  例えば大江健三郎さんとか開高健さんとかと
  同じくらい青春の一時期を
  照らしてくれた作家だったかもしれません。
  今日は蔵出し書評ですが
  そんな私の気分がよく出た本を紹介します。
  団鬼六の世界を知らない人にも
  この『団鬼六論』はまじめな本なのです、
  ということをいっていきます。
  享年79歳。
  いい人生だったと思います。
  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

団鬼六論 (平凡社新書)団鬼六論 (平凡社新書)
(2004/01/21)
堀江 珠喜

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sai.wingpen  一期は夢よ、ただ狂え                 矢印 bk1書評ページへ

 団鬼六。鬼六を<きろく>と読む人もいるようだが、正確には<おにろく>、この本の著者である堀江教授も冒頭にきちんとルビをふっている。
 いかにもおどろおどろしい名前だが、昭和六年生まれの男が鬼と化してSM道をつきつめることを決意してつけたペンネームらしい。
 SM小説の巨匠である。誤解をおそれずにいえば、漫画界の手塚治虫に匹敵する、ビッグネームである。最近は新潮社のような大手出版社が何冊も新作を出版しているからかなり有名になっているが、私が初めて鬼六の名前を知った三〇年以上前は、名前を見ただけでドキドキしたものだ。(七〇年代の初頭は今みたいにヌード写真も氾濫していなかった頃である。『SMファン』や『SMセレクト』といったSM雑誌のグラビアは縛りとか鞭打ちの写真を掲載していたが、ヌード写真を見るにはこういった雑誌を購入する方が容易な時代だった。そして、そんな雑誌には必ずといって団鬼六の名前があったものだ。そのような事情も、貸本漫画時代の手塚に似ているような気がする。)

 著者の堀江珠喜教授はれっきとした大学教授である。しかも女性なのだ。
 そのような方がこうしてSM界の巨匠といわれる団鬼六の作品論を書かれるのであるから、SMを変態扱いにしていた時代からすれば隔世の感がある。
 そもそも鬼六が活躍していたSM小説や官能小説というのは文学史の鬼っ子みたいな存在で、まじめに論じられてこなかった印象が強い。多くの読者(そしてその多くは匿名性をもっているのだが)を持ちながら、社会史としても風俗史としても論じられていない。
 「大衆的な材料ほど、研究対象として扱うのは難しいのであるが、このあたりで<ガクモン>としての<鬼六論>を、一度まとめておくことで、昭和文化誌の一端がうかがえると思われる」と書く、堀江教授に拍手をおくりたい。

 団鬼六のSM小説は極めて日本的な構成である。
 SMの世界でもっとも有名なマルキ・ド・サド(いうまでもなくサディズムは彼の名前からつけられたものだが)との比較でいっても、鬼六作品では鞭打つといった乱暴な描写は極めて少ない。「それよりも縄で縛ることによって、精神的にいたぶりながら、綺麗な身体に官能美を与えるのが、鬼六のSMなのだ」と、教授の分析は懇切丁寧である。
 鬼六の作品はよく耽美小説といわれるが、この耽美という言葉には美の追求という真摯な意味が込められていることを忘れてはいけない。

 SMが社会的に認められるようになったのはいつ頃だろうか。鬼六の『SMに市民権を与えたのは私です』という本が出版されたのは1995年であるが、さすがに公共図書館では購入してもらえなかった。(同じ図書館が2000年に新潮社から出版された鬼六の『檸檬夫人』を貸し出したのが不思議で仕方がなかった。いずれにしてもそのあたりがSM開化の頃だろう)
 日本におけるSMの歴史にとって、鬼六の果たしてきた意味は大きい。それはいつまでも第一線で活躍し続けた手塚治虫と、やはりよく似ている。手塚ファンには叱られるかもしれないが、手塚の「鉄腕アトム」がいつまでもヒーローでありつづけたように、鬼六の「花と蛇」の静子は永遠のヒロインである。
 そして、多くの手塚漫画論が書かれたように、これからも真面目な団鬼六論が書かれることを期待する。
  
(2004/02/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  連休中はあさのあつこさんの『ようこそ、絵本館へ』や
  柳田邦男さんの本を頼りにして
  たくさんの絵本の書評を書きました。
  それでもまだまだ読みたい絵本がたくさんあって
  これからもしっかりと
  そしてちゃんと読まないといけないなあと思っています。
  今日紹介する『百年の家』も
  あさのあつこさんの本に誘われて
  手にした一冊ですが
  本当に胸が震えるほど感動しました。
  重厚な絵画をみているような
  静かな詩を読んでいるような
  そんな感動です。
  ぎゅっと抱きしめたくなるようなと
  いってもいいかな。
  こういう絵本を読むと
  これはもう子供だけのためにあるのではなく
  人間すべての人のためにあるのだと
  思ってしまうのも
  けっして間違いではないのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

百年の家 (講談社の翻訳絵本)百年の家 (講談社の翻訳絵本)
(2010/03/11)
J.パトリック・ルイス、ロベルト・インノチェンティ 他

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sai.wingpen  長編小説のような絵本                     矢印 bk1書評ページへ

 16世紀の画家ブリューゲルは「農民画家」と呼ばれるほどたくさんの農民の姿をキャンパスに残しました。『農民の踊り』『子どもの遊戯』といった代表作では画面いっぱいに人々が描かれていて、当時の風俗を知る一助になっています。
 そんなブリューゲルの絵の雰囲気をこの絵本でも楽しむことができます。作画はインノチェンティというイタリアの人です。
 一軒の古い、石造りの家の100年の歴史をつづったこの絵本ではもちろん「家」が中心になっていて、見開き2ページの右半分に「家」が描かれています。
 左半分は段状の丘になっています。その丘で時に小麦が作られ、時にぶどうが栽培される。
 手前には「家」から町につづく道がある。この道を通って男たちは戦場へと行き、小さな箱にはいって戻ってきた。子供たちは雪の道を学校へと歩き、成長して「家」を出ていった。
 人は生まれ、成長し、やがて死んでいく。人は手をたたき、笑い、嘆き、涙し、そして静かに目を瞑る。それらのすべてを「家」だけがじっと見ています。
 なんと深い絵本でしょう。

 パトリック・ルイスが文を書き、それを詩人の長田弘が翻訳した文章もまたいいのです。
 たとえば第一次世界大戦が終わってしばしの平和が訪れた「家」にはこんな文がついています。
 「家の暖炉で、からだを暖めて、子どもたちは学校にゆく。/よい心と、教科書と、そして薪を、いっしょに持って。/みんなが無邪気でいられた時間は、すてきだった。でも、短かった」。
 このなかの「よい心と…」の一節につかまりました。かつて人々は「よい心」を持って学校に通っていたのです。
 そんな詩のような文が「家」と人々を描いています。

 100年後のこの「家」がどんなであったか、そしてその姿をみて、人は何を想うでしょう。
 読み終わったあと、なんだか長編小説を読んだあとのような深い感動につつまれました。
 絵本の、おそらく頂上にあるような一冊です。
  
(2011/05/08 投稿)

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 詩人の茨木のり子さんが韓国語を習いはじめたのは
 50歳の時でした。
 その動機を訊ねられて

   隣の国のことばですもの

 と答えたといいます。

   隣の国のことば - それはもちろん、南も北も含めてのハングルである

 韓国4
左の写真は今回の旅の三日目にいった南大門の風景ですが
 街中当たり前ですがハングル語ばかり。
 私にはどうも記号にしか思えなかったのですが。

 さてその前に百済、扶余(ぷよ)のことをもう少し。
 茨木のり子さんの著作に『ハングルへの旅』というエッセイ集があって
 そのなかで茨木さんは「扶余の雀」という文章を書いています。
 その書き出しはこうです。

    扶余は百済の古都である。
    古都ではあるが何もない。
    その殆んど何も残っていないところがいい。
    山河が在るばかり、という点では飛鳥に似ていた。

韓国2
 そんな何もない扶余ですが
 やはり遺物は少し残っていて、それらを展示している
 国立博物館には行きました。
 左の写真はその正面玄関です。

 さて、ソウルです。
 茨木さんが「隣の国」といったように
 私たちにとって韓国はまさに「隣の国」です。
 街ゆく人の顔かたちはほとんど私たちと同じです。
 明洞(みょんどん)の街は、渋谷や新宿とまがうばかりです。
 日本も豊かなで多彩な食文化をもっていますが
 韓国の食に関しては多彩です。
 おなじみのキムチだけでなく 韓国5
 焼肉、ビビンパ、チジミ、冷麺…
 そして、参鶏湯(サムゲタン)
 右の写真のサムゲタンはまさに絶品。
 思い出しても、よだれがつーっとわきだしてきます。
 そして、文化ですが
 私たちの国はやはり韓国の影響は受けています。
 もっとそのことに私たちは感謝しないといけないんじゃないかな。
 「隣の国」韓国をそんな目でみないといけないんじゃないかな。
 茨木のり子さんに「総督府へ行ってくる」という詩があって
 そのなかにこんな一節があります。

   日本人数人が立ったまま日本語を少し喋ったとき
   老人の顔に畏怖と嫌悪の情
   さっと走るのを視た
   千万語を費されるより強烈に
   日本がしてきたことを
   そこに視た

 ここの出てくる老人は韓国の人です。
 茨木さんの視点はまっすぐに、きりっとしています。
 やはりそういうことはしっかり見ながら
 「隣の国」と交流すべきなのでしょう。

 いい旅でした。
 カムサ ハムニダ 韓国のみなさん。 

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 先日(4.28~5.1)仕事で韓国に行ってきました。
 ということで、
 今日と明日、韓国報告を書こうと思うのですが
 「本のブログ」なのでやはり本の話で書きますね。

 司馬遼太郎さんの『街道をゆく』シリーズの2巻目は
 「韓のくに紀行」で、そのあたりから始めます。
 そのなかで司馬さんは「どういう目的で韓国へいらっしゃるんですか」と
 問われて、「…さあ」と答えています。

   私がしばらく考えてみたのは、韓国への想いのたけというのが
   深すぎて、ひとことで言いにくかった

 と続けています。そして、こう書いています。

   私は、日本人の先祖の国にゆくのだ、ということを言おうと思ったが

 司馬さんにとって、韓国はそういう国でした。
 それに「私の朝鮮への関心のつよさは、私がうまれて住んでいる町が
 大阪であるということに多少の関係があるかもしれない
」とも。
 「大阪は、この原野に人間がほとんど住んでいなかったころ、
 百済(くだら)からの移住者がきて拓
」いたところらしい。
 実際、今回の旅行で私が会った韓国の人も
 大阪で何年か過ごした人が何人もいました。
 私も大阪の出身ですから、「まいど」「おおきに」っていう具合に
 楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 さて、司馬遼太郎さんの「韓のくに紀行」ですが、
 釜山からはいって慶州、そして百済と歩いています。
 今回の私の旅は、ソウルからはいって
 百済を回って、またソウルという行程でした。
 百済については少し歴史の話をしないといけないのですが
 中学生の頃に習った程度ではよくわかりません。
 ちなみに百済といいますが、地名的には扶余(ぷよ)です。
 司馬さんの「韓のくに紀行」から引用すると、

   百済は、新羅にほろぼされた。

 とあります。
 歴史的にいえば、660年。日本では飛鳥時代です。

  (百済には)何も残っていない。出てくるのは瓦のカケラだけです。
  なにもかも唐と新羅の連合軍が焼きはらい、砕きつくしたのです。
  …百済は悲しい。

 そんな百済に2010年すごい施設が誕生しました。
韓国3
 「百済文化団地」というのですが、
 広大な敷地に当時の王宮が再現されているのです。
 なにしろこの施設の総工費は6904億ウォンというのですから
 これはすごい。
 今回行ってびっくりしたのですが
 とにかく広い。
 左の写真は再現された天政殿という建物ですが
 こんな大きなものが現代によみがえったのですから
 韓国もやるものです。
 隣接してロッテリゾートホテルとかがあって
 しかもまだまだ開発中なんですから。 韓国1


 今回の扶余の旅では落花岩という名所も訪ねましたが、
 残念ながら司馬さんはそこには行っていません。
 司馬さんは落花岩は百済の滅亡の悲しい象徴に思ったのかもしれません。
 右の写真が落花岩に立つ落花亭です。

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プレゼント 書評こぼれ話

    今日は子供の日
  男の子の節句です。
  ということで、
  強い人になってもらいたくて
  取り上げたのが
  斎藤隆介さんの『八郎』。
  絵はもちろん、滝平二郎さん。
  表紙の八郎の凛々しい顔ったら。
  しかも清々しい。
  こういう男になってほしいものです。
  そういう私はというと
  うーむ
  どうも子供の頃にこういう本を
  読まなかったせいか
  きわめてだらしない。
  そんな反省もこめて。
  やっぱり男は強くなくちゃあいけないな。
  あ、強くっていうのは
  心根ですよ。

  じゃあ、読もう。
  
八郎 (日本傑作絵本シリーズ)八郎 (日本傑作絵本シリーズ)
(1967/11/01)
斎藤 隆介

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sai.wingpen  日本語は美しい                  矢印 bk1書評ページへ

 日本語は美しい。斎藤隆介さんの『八郎』を読むと、つくづくそう思います。
 書き出しはこうです。「むかしな、秋田のくにに、八郎って山男が住んでいたっけもの」。
 このような言葉のリズムが全編続きます。だから、まるで音楽劇を楽しむように読めます。
 もう少し紹介しましょう。今度は大男になった八郎が暴れ狂う海を山でせきとめようと、山を持ち上げる場面です。
 「山のふもととてっぺんさ両手をかけると、めきめき、ゆっさゆっさ、ぐらぐら、がらがら、よおむ、む、むーんと、とうとうしょい上げて、顔まっかに力んでな、ひょろひょろ、ひょろひょろって、はまのほうさ歩き出したと」。
 こんな時に自分のもっと音感があればと残念でなりません。まるで歌っているような文章です。
 音楽さえ聞こえてきそうです。暴れ狂う波の音、八郎の息遣い、風の悲鳴、村人たちの悲鳴。打楽器の重い音、弦楽器の悲しい調べ。
 みごとです。

 体が大きくなった八郎は海と戦うことで、自分の体がどうしてこんなにも大きくなったかを理解します。物語のクライマックスです。ここも引用してみましょう。
 「おらが、なしていままで、おっきくおっきくなりたかったか! おらはこうしておっきくおっきくなって、こうして、みんなのためになりたかったなだ、んでねが、わらしこ!」
 なんという美しい言葉でしょ。

 それに、滝平二郎さんの画もすてきです。大男の八郎のなんと優しそうな表情でしょう。そして、なんと凛々しい姿でしょう。滝平さんの画は優しさこそ強さだといっています。
 斎藤さんと滝平さん。
 二人のハーモニーが悲しい物語に終わらせないで、未来につづく物語にしています。
 最後の一節も原文で紹介しておきます。「あの男わらしこはよ、おっきくなって、おっきくなって、ひとのためんなった八郎ばまねてよ、どこかで、おっきくなって、おっきくなっているべもの」
 勇気をつなげる一冊です。
  
(2011/05/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は新しい絵本の紹介です。
  ジル・バシュレさんの『世界一ばかなネコの初恋』。
  翻訳はいせひでこさん。
  いせひでこさんの絵本をさがしていて
  偶然みつけた一冊です。
  いせひでこさんの絵のタッチとは
  全然ちがうのですが、
  いせひでこさんはきっと楽しみながら
  翻訳したにちがいありません。
  だって、とっても楽しい絵本なんですから。
  きっと子供たちも大喜びするんじゃないかな。
  くすくす、きゃきゃ、げらげら。
  子供たちの笑い声がきこえてきそうです。
  こんな楽しい絵本を読んだ時って
  どんな夢をみるのでしょうか。
  そんなことまで
  想像したくなる一冊です。

  じゃあ、読もう。

世界一ばかなネコの初恋世界一ばかなネコの初恋
(2011/03/11)
ジル・バシュレ

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sai.wingpen  愛の奇跡                  矢印 bk1書評ページへ

 どうやら彼は自分のことをネコだと思っているらしい。長い鼻、大きな耳、どこまでも大きなおしり、太い足をもったりっぱな象にもかかわらず。
 そんな奇想天外なストーリーが人気のシリーズの、これは3冊目にあたります。

 今回の彼は、なんと恋におちてしまうのです。もちろん、お相手は正真正銘のねこ。大きな彼がちいさな三毛ねこに恋して顔を赤らめているのですから、うふっと笑ってしまいます。彼には失礼だけど。
 でも彼は真剣です。なんたってそのうっとりとした目をみればわかります。境遇の違いなんて古今東西のあらゆる文学が表現してきましたが、これほどにちがう二人? というのも珍しい。
 それでも、「ネコと 恋人は ただ 幸せを かみしめ」ているのですから、心から祝福してあげたいものです。

 それに、「ネコは とても大きくて、とてもやさしくて、とってもとっても おばかだった。いまも とても大きいし、とてもやさしい…でも、だんだん おばかでなくなってしまった」と、最後のページで作者と彼と彼の恋人のねこと一緒にいるところなんか、実にさまになっていて、作者はつい「これが、愛の奇跡というもの なんだろうか?」とつぶやいたりしている。

 翻訳が『大きな木のような人』や『ルリユールおじさん』のいせひでこさんというのもうれしい、一冊です。
  
(2011/05/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  憲法記念日の今日紹介するのは
  デニス ハシュレイさんの『わたしのくまさんに』です。
  児童文学の今江祥智さんが
  翻訳されています。
  この絵本は
  あさのあつこさんの『ようこそ、絵本館へ』にも
  柳田邦男さんの『雨の降る日は考える日にしよう』にも
  紹介されています。
  柳田邦男さんは

   不思議な魅力を秘めた絵本

  と書いています。
  あさのあつこさんの本では
  「恋をしましょう」という章の一冊で
  紹介しています。
  一冊の絵本ですが
  いろいろな読み方、感じ方があります。
  みなさんは、この絵本に
  何をみつけるでしょう。

  じゃあ、読もう。
  
わたしのくまさんにわたしのくまさんに
(2004/09)
デニス ハシュレイ

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sai.wingpen  本で伝わる愛                 矢印 bk1書評ページへ

 ベルンハント・シュリンクの小説『朗読者』(映画名『愛を読むひと』)は文盲の女性ハンナに主人公の少年が本を読み聞かせるところから始まる重厚な作品でしたが、このデニス・ハシュレイの『わたしのくまさんに』(翻訳は今江祥智さん)という絵本を読んで、物語に静かに耳を傾けるハンナの姿が重なるようでした。
 もちろん、この絵本で物語に耳を傾けるのは一頭のくまです。きれいな女性ハンナとは比べるべきではないかもしれません。
 それでも、このくまがある日森の中で拾った手紙のきれはしで文字に興味をもち、やがて森の丸太小屋で本を読む女性にひきよせられてそばで彼女の朗読に静かに聞き入る姿は、戦争で文字もわからないまま育ったハンナが少年の朗読する物語にひきつけられる姿によく似ています。
 もしかしたら、この絵本を読むことで、『朗読者』をもっと深く理解できるかもしれない。そんなことも思いました。

 ところで、この絵本のくまのかわいさといったらどうでしょう。(絵はジム・ラマルシェ)
 本に顔をよせ、うっとりとするくま。こんな表情で最近本に頬杖していないことに気づかされます。
 あるいはくまに本を読みつづけた女性が冬いなくなって、くまのために残してくれた何冊もの本に埋もれて眠るくまの幸福そうな顔といったら。
 本というのはいつもいつも幸福をくれるもの。そのことさえ忘れてしまっていませんか。
 この絵本は読むことの幸福、理解することの意味をおしえてくれます。
 本に埋もれて眠るくまにこんな文章がそえられています。
 「眠っているあいだじゅう、くまはじぶんの耳もとで、あの女の人のしずかな声を聞きつづけていた。女の人はくまに、すてきな冒険や魔法や愛の物語を読みつづけてくれていた」
なんとすてきなんでしょう。
  
(2011/05/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  田島征三さんの『いろいろあってもあるきつづける』は
  あさのあつこさんの『ようこそ、絵本館へ』で
  初めて知った絵本です。
  あさのあつこさんはこの絵本について
  こんなことを書いています。

   これはもう、田島さんの迫力ある世界を
   たっぷり堪能してほしいだけ。

  書評にも書きましたが、
  書名がなんといってもいいですね。
  今、私たちは大きな困難の立ち向かっています。
  そこから前に進むためにも
  この絵本の力は大切です。
  こういう絵本を読んでみると
  絵本というのは
  心を前に向かせる
  強い力をもっていることがわかります。

  じゃあ、読もう。

いろいろあってもあるきつづけるいろいろあってもあるきつづける
(1999/05)
田島 征三

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sai.wingpen  きっと出会うよ、いいことに                 矢印 bk1書評ページへ

 3月11日の東日本大震災、それに続く福島原発事故と、私たちの生活は一変しました。終戦直後の生活を思い出せばいい、と識者はいいます。けれど、あの当時と状況はまったく違います。終戦後何十年もかけて作り上げてきた文明を生活の糧としてもってきた私たちにとって、それを失うことはもはやできないかもしれません。
 どこから私たちは再出発すればいいのか。そして、どこに向かおうとするのか。
 これは私たちの問題でもあり、未来の問題でもあります。

 絵本作家田島征三さんのこの絵本は、なんといっても書名がいい。「いろいろあっても あるきつづける」。何度でも口にだして言ってみる。「いろいろあっても あるきつづける」
 なんだか、少し前に進めそうな気分になる言葉です。
 本のなかのいくつかの文章もそう。「さがそう、さがそう、なくした夢を。さがそう、さがそう、わすれた歌を。きっと どこかに あるはずだ」「きっと 出会うよ、いいことに」
 これらの言葉があれば、前に歩きだせる。
 この絵本は私たちの背中をそっと押してくれる。

 田島さんの絵は大胆。抽象的であります。この絵本では逆にそういうわからないものが想像の翼の追い風になっています。
 悲しみの形も色も千差万別。それは特定などできません。だとしたら、田島さんの不思議な絵こそ、たくさんの悲しみの淵に届くのではないでしょうか。
 もう一度、声にだしていってみる。
 「いろいろあっても あるきつづける」
  
(2011/05/02 投稿)

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