05/06/2011 韓のくに紀行(前篇) - 司馬遼太郎に寄り添って

ということで、
今日と明日、韓国報告を書こうと思うのですが
「本のブログ」なのでやはり本の話で書きますね。

「韓のくに紀行」で、そのあたりから始めます。
そのなかで司馬さんは「どういう目的で韓国へいらっしゃるんですか」と
問われて、「…さあ」と答えています。
私がしばらく考えてみたのは、韓国への想いのたけというのが
深すぎて、ひとことで言いにくかった
と続けています。そして、こう書いています。
私は、日本人の先祖の国にゆくのだ、ということを言おうと思ったが
司馬さんにとって、韓国はそういう国でした。
それに「私の朝鮮への関心のつよさは、私がうまれて住んでいる町が
大阪であるということに多少の関係があるかもしれない」とも。
「大阪は、この原野に人間がほとんど住んでいなかったころ、
百済(くだら)からの移住者がきて拓」いたところらしい。
実際、今回の旅行で私が会った韓国の人も
大阪で何年か過ごした人が何人もいました。
私も大阪の出身ですから、「まいど」「おおきに」っていう具合に
楽しい時間を過ごさせてもらいました。

釜山からはいって慶州、そして百済と歩いています。
今回の私の旅は、ソウルからはいって
百済を回って、またソウルという行程でした。
百済については少し歴史の話をしないといけないのですが
中学生の頃に習った程度ではよくわかりません。
ちなみに百済といいますが、地名的には扶余(ぷよ)です。
司馬さんの「韓のくに紀行」から引用すると、
百済は、新羅にほろぼされた。
とあります。
歴史的にいえば、660年。日本では飛鳥時代です。
(百済には)何も残っていない。出てくるのは瓦のカケラだけです。
なにもかも唐と新羅の連合軍が焼きはらい、砕きつくしたのです。
…百済は悲しい。


「百済文化団地」というのですが、
広大な敷地に当時の王宮が再現されているのです。
なにしろこの施設の総工費は6904億ウォンというのですから
これはすごい。
今回行ってびっくりしたのですが
とにかく広い。
左の写真は再現された天政殿という建物ですが
こんな大きなものが現代によみがえったのですから
韓国もやるものです。
隣接してロッテリゾートホテルとかがあって
しかもまだまだ開発中なんですから。


残念ながら司馬さんはそこには行っていません。
司馬さんは落花岩は百済の滅亡の悲しい象徴に思ったのかもしれません。
右の写真が落花岩に立つ落花亭です。

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