05/07/2011 韓のくに紀行(後編) - 茨木のり子に寄り添って

50歳の時でした。
その動機を訊ねられて
隣の国のことばですもの
と答えたといいます。
隣の国のことば - それはもちろん、南も北も含めてのハングルである

左の写真は今回の旅の三日目にいった南大門の風景ですが
街中当たり前ですがハングル語ばかり。
私にはどうも記号にしか思えなかったのですが。

茨木のり子さんの著作に『ハングルへの旅』というエッセイ集があって
そのなかで茨木さんは「扶余の雀」という文章を書いています。
その書き出しはこうです。
扶余は百済の古都である。
古都ではあるが何もない。
その殆んど何も残っていないところがいい。
山河が在るばかり、という点では飛鳥に似ていた。

そんな何もない扶余ですが
やはり遺物は少し残っていて、それらを展示している
国立博物館には行きました。
左の写真はその正面玄関です。

茨木さんが「隣の国」といったように
私たちにとって韓国はまさに「隣の国」です。
街ゆく人の顔かたちはほとんど私たちと同じです。
明洞(みょんどん)の街は、渋谷や新宿とまがうばかりです。
日本も豊かなで多彩な食文化をもっていますが
韓国の食に関しては多彩です。
おなじみのキムチだけでなく

焼肉、ビビンパ、チジミ、冷麺…
そして、参鶏湯(サムゲタン)。
右の写真のサムゲタンはまさに絶品。
思い出しても、よだれがつーっとわきだしてきます。
そして、文化ですが
私たちの国はやはり韓国の影響は受けています。
もっとそのことに私たちは感謝しないといけないんじゃないかな。
「隣の国」韓国をそんな目でみないといけないんじゃないかな。
茨木のり子さんに「総督府へ行ってくる」という詩があって
そのなかにこんな一節があります。
日本人数人が立ったまま日本語を少し喋ったとき
老人の顔に畏怖と嫌悪の情
さっと走るのを視た
千万語を費されるより強烈に
日本がしてきたことを
そこに視た
ここの出てくる老人は韓国の人です。
茨木さんの視点はまっすぐに、きりっとしています。
やはりそういうことはしっかり見ながら
「隣の国」と交流すべきなのでしょう。

カムサ ハムニダ 韓国のみなさん。

応援よろしくお願いします。
(↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)


| Home |