05/13/2011 風花(川上 弘美):書評「蛇の足」

本を紹介するのも
タイミングというものがあって
これでも結構そういうことに気をつかって
このブログを書いているんですよ。
今日紹介するのは集英社文庫の新刊の一冊、
川上弘美さんの『風花』。
蔵出し書評ですが、
文庫の新刊というのは出たばかりの時は
本屋さんで平台に積まれるのですが
たちまち棚にもぐりこんでしまうので
紹介するタイミングをのがすと
なかなかできなくなってしまってあせります。
ところで、
朝日新聞朝刊に連載されていた
川上弘美さんの『七夜物語』ですが
先日ついに終了しました。
川上弘美さん、そして挿絵を担当された酒井駒子さん
お疲れさまでした。
じゃあ、読もう。
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機会があって、絵手紙を描いた。題材は、春らしく<みずばしょう>にした。基本トーンが白だから、薄い青を背景にして花を強調しようとしたのだが、それがいけなかった。たった一筆いれただけなのに、作為が顕になった。
まさに蛇の足である。
故事に、蛇の絵を描く競争で、一番早く書き上げた男がついその蛇に足を書きくわえたために敗れたとある。長じて、付け加える必要のないことや、無用の長物を<蛇足>という。
つい、がいけない。油断がどこかにあるし、気負いが油断を生む。私の絵手紙の場合は初心者ゆえの気負いだが、川上弘美はどうだろう。
川上弘美の、初の「結婚小説」である本作は、そんな傷をもった長編小説といっていい。
結婚して七年になる一組の夫婦に訪れた、夫の浮気という事実。それをきっかけにして次第にずれていく夫婦のこころ。しかし、描かれる視点が妻にあるため、もっぱら妻の心理を核にして物語はすすむ。
はじめは、「風花」のようにあわあわとしていた妻・のゆりだが、時の経過とともに女として自立していく。そういう意味で最終章が「下萌」とつけられたことで、これからののゆりの成長をより鮮明に暗示している。
その一方で、夫・卓哉の描き方は道化に近い。男の身勝手な行動はやがて妻にもたれかかるしかないあわれな夫に変貌していく。のゆりの叔父真人(まこと)は冒頭から道化者として位置づけられている。
そんな夫婦を描くことで、川上弘美は男女の恋愛における位置関係を描こうとしたのではなく、そのような男女だからこそ夫婦となりえたときに、女にとって男はこういうものでしかないということを表現しようとしたのだと思う。
そして、川上弘美はその答えを性急に求めすぎて、蛇の足を書くことになる。
ここでこの物語のどの部分をさして、蛇の足というかは控えたいと思うが、最終章近く、それはあまりにも突然のゆりによって語られることになる。
問題は、何故川上弘美がそのような単純な過ちを犯したかということだ。
書き手である作者の心理はわかるはずもないし、それをどう解釈しても推測にすぎないことを承知の上で書くとすれば、川上弘美が当初描こうとした「結婚小説」はまるでちがったものではなかったかということだ。
それは第一章「風花」から次の章の雑誌掲載が二年近いブランクがあることからの、推測である。その結果、この長編小説はまるで女性の自立小説のようなものに変質し、ゆえに川上はまるで蛇の足のごとく、妻にとっての夫の存在を、表現するしかなかったのではないか。
川上弘美は「蛇を踏む」ことはあっても蛇の足を書く作家ではない。
そう信じているからこそ、まるで蛇足のような書評を書いた。
(2008/04/29 投稿)

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