05/25/2011 ダイヤモンドダスト(南木 佳士):書評「死をみつめる目、生をみつめる目」

今回紹介する芥川賞受賞作は
南木佳士さんの『ダイヤモンドダスト』。
芥川賞としても記念すべき
第100回の受賞作です。
書評にも書きましたが、
南木佳士さん自身がお医者さんで
たくさんの死と直面されてきました。
しかも、それを文学の世界に展開するということで
南木佳士さん自身が苦境に立たされてことも
あります。
人は必ず死にます。
だから、文学の問題として
常に死と、そして生と
直面してきました。
これからも数多くの作品が
そのことを描いていくでしょう。
それがどのようなものであれ、
南木佳士さんのように真摯であってほしいと
思います。
じゃあ、読もう。
![]() | ダイヤモンドダスト (文春文庫) (1992/02) 南木 佳士 商品詳細を見る |


第100回芥川賞受賞作(1988年)。自身医者でもある南木佳士(なぎけいし)はこの作品でも医療の現場を描いている。但し、主人公の和夫は医者ではなく、火山のそばの高原の病院に勤める看護士である。
そうであっても同じ医療現場で働く者としての視線が和夫にこめられている。冷静に生命を見る視線、命の終焉を見る視線。南木の作品は医者としての視線と作家としての視線を交差させることで、生きるということ死ぬということを問い続けている。
この中編には実に多くの死が描かれている。和夫の母、和夫の妻、和夫の勤める病院に入院しているマイクという宣教師。そして、最後には和夫の父である松吉の死も描かれる。
火山のそばの高原の病院に看護士として勤める和夫は幼い頃母を亡くした。その「あまりにも頼りない人の命」に興味をひかれて医学部をめざす和夫だったが、父松吉の突然の病気でそれも断念せざるを得なくなる。
そしてようやく看護士という職業を得、そこで妻となる女性と知り合い、結婚する。だが、妻もまた生まれたばかりの息子を残して短い生涯を閉じてしまう。
人は多くの人と関わりをもつ生き物だ。同時に、その関わりは死という終結で終わりを迎える。
悲しい死ばかりではない。美しいともいえる死もある。ベトナム戦争で飛行士として戦ったマイクは死について達観している。迫りくる死に彼は揺るぎない心で立ち向かおうとする。
呆けた父松吉はマイクとのみ正常な交感を交わすことができる。死を目前にした人の前で、父松吉は正しい人として描かれている。
そんな松吉が人生の最後にこだわったのが水車づくりだった。水を汲み、その水を生かす水車。そんな水車を役割を、南木は文学に込めたのかもしれない。
すべての人が和夫のそばから去っていった冬の朝。
壊れかけた水車の上に煌めくダイヤモンドダストが舞っている。それを見つめる和夫と息子。それは終焉した世界に残された新しい人の誕生のようにも見えた。
(2011/05/25 投稿)

応援よろしくお願いします。
(↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)


レビュープラス
| Home |