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プレゼント 書評こぼれ話

  今週はなんだか映画の本が多い。
  その勢いで今日も映画の本を
  蔵出し書評で紹介します。
  昨日のこぼれ話で名前をあげた
  淀川長治さんのことを書いた
  岡田喜一郎さんの『淀川長治の映画人生』。
  昨日なにげなく淀川長治さんの名前を書きましたが
  よくよく考えてみると
  淀川長治さんのことを知らない若い人も
  多くなっているのではないかと
  思います。
  私たちの世代にとって
  淀川長治さんといえば
  映画の神様のような人で
  淀川長治さんによって
  映画の魅力を教えられた人は
  多いのではないかしらん。
  そんな淀川長治さんですが
  どれだけ素敵なおじさまだったかを
  今日の本で見つけてもらえたらと
  思います。

  じゃあ、読もう。
  

淀川長治の映画人生 (中公新書ラクレ)淀川長治の映画人生 (中公新書ラクレ)
(2008/06)
岡田 喜一郎

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sai.wingpen  明日も生きます                     矢印 bk1書評ページへ

 映画評論家の水野晴郎氏が亡くなったのは、2008年6月。満面の笑みで「映画って本当にいいものですね」という決めぜりふで多くの映画ファンを楽しませてくれた映画評論家だった。
 その水野さんの挿話が本書の「まえがき」にある。それはある試写会での出来事。受付にいた若い女性から水野さんは「どちらさまですか」と訊かれたというものだ。
 本書の著者である岡田喜一郎氏はその挿話から、十年前に逝去した淀川長治氏も忘れさられていくのではないかと危惧する。
 淀川長治はいったいどのような人物であり、どのような人生を歩んできたのか。何故淀川さんの話術は楽しかったのか。そして、何よりも淀川さんにとって映画とは何だったのかを、残しておきたい。
 それが著者の本書を書くにいたる思いである。(ちなみに淀川さんと水野さんはともにTVという媒体を通して映画の魅力を伝えた映画評論家だが、お二人の支持には少し世代ギャップがあるかもしれない。ちょうどウルトラマンが自分の子供時代のヒーローか、それともそれが仮面ライダーだったかぐらいの違いだ)

 本書は映画評論家淀川長治の自伝ではない。どちらかといえば淀川さんの生き方をまとめたものだ。
 淀川さんの実体験がない若い人も多くなったかもしれないので、まず簡単に淀川さんとはどういう映画評論家だったかを書くのが親切だろう。
 淀川さんは明治42年生まれ。平成10年秋に逝去されたのだが、その89年の生涯を映画一筋に歩んでこられた人である。TVの「日曜洋画劇場」での映画解説を担当し、特に次週予告につづく淀川さんの「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」の名文句は一世を風靡した。
 また氏の独特のいいまわしは「淀川節」と称せられ、名文句とともに右手をニギニギさせるさようならの表現から「ニギニギおじさん」とも呼ばれた。
 先に淀川さんの実体験と書いたが、淀川長治という映画評論家は多くの映画評論の著作を書いているが、見せる映画評論家の嚆矢である。その系譜に水野晴郎がいて、おすぎとピーコへと続く。

 著書はそんな淀川さんのそばにいて多くの表情をみてきたし、たくさんの淀川語録にふれることになる。それが「淀川流映画の見方・味わい方」や「淀川流ダンディズム」といった章立てにうまくまとまっている。
 淀川長治という生き方の記録として網羅されたいい本である。
 その淀川さんは晩年、講演会などでよく「わたし、明日死にますから」と言って聴衆の人の笑いをさそったことがある。そのことに著者はふれ、「このおまじないみたいな言葉の意味は<明日死にます>ではなく<明日も生きます>なのだ」と書いている。
 それに続けて淀川さんの死生観ともいえるこんな言葉を紹介している。「人が死ぬのは可哀想なことだけど、神様からもらった答案用紙を書き終えて、立派に人生を卒業した。寿命をまっとうしたわけだから、誉めてあげて次の世界に送り出してあげるのがふつうだよ」。淀川さんとはそういう人だった。

 「わたしはいまだかつて嫌いな人に会ったことがない」と語った淀川長治さんが亡くなってもうすぐ10年になる。
 本書は、淀川さん世代も、そして淀川さん未経験世代も、もう一度淀川長治を振り返る一冊になるだろう。
 読み終わったあと、水野晴郎氏の名文句をマネしてみるか。
 「いやぁ、人間って本当にいいものですね」
  
(2008/07/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日町山智浩さんの『トラウマ映画館』を紹介しました。
  今日は漫画家弘兼憲史さんが書いた映画エッセイ
  『人生はすべてスクリーンから学んだ』です。
  同じようなことは淀川長治さんも言っています。
  映画ってそれほどインパクトのある
  芸術、文化だと思います。
  特に若い頃に観た映画の影響は大きい。
  それは詩にも同じことがいえます。
  だから、若い人はどんどん映画を観てほしいと
  思いますね。
  きっといろいろなことを学べます。
  ただ最近の映画は3Dといったように
  技術にふりまわされているきらいがないわけでもありません。
  できれば、じっくりと
  鑑賞できる名画を観てほしいなぁ。
  たとえば、この本のなかでも紹介されていますが
  ビリー・ワイルダー監督の作品なんか
  いいですよ。
  
  じゃあ、読もう。

人生はすべてスクリーンから学んだ (小学館文庫)人生はすべてスクリーンから学んだ (小学館文庫)
(2011/03/04)
弘兼 憲史

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sai.wingpen  大人の観るべき名作映画案内               矢印 bk1書評ページへ

 先日読んだ町山智浩さんの『トラウマ映画館』はB級映画がずらりの、それはそれで面白い映画エッセイだったが、漫画『黄昏流星群』『課長島耕作』の漫画家弘兼憲史さんが書いた映画エッセイである本書は今も色あせない名作をずらりと取り揃えている。
 『ローマの休日』、『アラビアのロレンス』、『卒業』、『荒野の七人』といったタイトルを書き写すだけで、ワンシーンが思い出される名作20本。弘兼さんではないが、これらの映画に「人生」を教わった人は多いのではないだろうか。そして、思い出も。

 弘兼さんはこれらの名画から今の自分を支える「大切なもの」を教わったといいます。その「大切なもの」とは、漫画家としての技量だけでなく、生きていくための何かでもあります。
 弘兼さんは名画から学んだものを漫画作品に埋め込むことで、新たな「大切なもの」を私たちに教えてくれています。そういったつながりが大事です。
 人生を学ぶのは映画だけではありません。それは一篇の漫画かもしれません。少なくともそういう深みのある本物を知ることで、人生を考えていく契機になるのだと思います。

 本書は単に弘兼さんの映画の思い出が書かれたものではありません。
 弘兼さんがどんな映画のどんな場面に影響を受けて、それがどう作品に描かれたのかという裏事情も書かれています。弘兼さんの漫画のファンなら思わず膝をうつエピソードにちがいありません。
 それに一つひとつの名画につけられた章のタイトルがまたいいのです。
 例えば『アラビアのロレンス』を紹介する章は「運命などない」、『ローマの休日』では「友達は無理に作らない」、『危険な情事』では「大人の恋愛にはルールが必要」といった具合。
 まさに大人の観るべき名作映画案内といえるでしょう。
  
(2011/06/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  『「午前十時の映画祭」プログラム Series2 青の50本』という
  本の書評の中で
  初めてみた映画のことを書きました。
  それが今日紹介する町山智浩さんの
  『トラウマ映画館』の書評にも書きました
  『去年の夏』という映画です。
  この本ではそのストーリーも紹介されていて
  バーバラ・ハーシー演じる美少女とともに
  少しふとったローダという役名の少女が
  登場するのを思い出しました。
  美少女のバーバラはこの少女にひどいことをします。
  そういう痛みを本当は忘れてはいけないのに
  私はすっかり忘れていました。
  いい映画を観ても
  トラウマにもならないって
  本当にどうかしています。
  またこの『去年の夏』が
  私たちの名作『八月の濡れた砂』(藤田敏八監督)にも
  影響を与えたという町山智浩さんの推論に
  思わずうなづいてしまいました。

  じゃあ、読もう。

トラウマ映画館トラウマ映画館
(2011/03/25)
町山 智浩

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sai.wingpen  忘れるには美しすぎる               矢印 bk1書評ページへ

 「トラウマ映画館」という不思議なタイトル。その意味を「あとがき」で読むと、「観ている間、グサグサと胸に突き刺され、観終った後も痛みが残った」映画だということになる。そして、著者の町山智浩氏は「その痛みは、少年にとって、来るべき人生の予行演習だった」と続ける。
 映画から教わるものはたくさんある。恋情、嫉妬、歓喜、絶望、人生、老い、そして痛み。それがたとえどんなB級映画であったとしても。

 本書で紹介されている25本の映画は『質屋』のような名作が一部あるが、ほとんどはB級作品といっていい。しかもその作品の多くを町山氏は子供時代にTVの映画劇場で観たという。
 そういえば、昭和40年から50年にかけては、夜だけでなく昼の時間にもTVで映画を放映していたものだ。あれは自社で制作するよりも廉価で放映できたことによるものだったからだろうか。
 私にも記憶がある。町山氏のようにくっきりとした痛みにならなかったのは、町山氏と違い、ぼんやりした少年だったせいだろう。
 ただ、そのようにして大人の世界に一歩ずつ近づいていったのかもしれない。

 私が本格的に映画を観始めた作品はバーバラ・ハーシー主演の『去年の夏』(1969年)だった。
 その映画がこの本に取り上げられている。当時高校生になったばかりの私にはバーバラの早熟な裸身がまぶしいばかりで、今回久しぶりに全編のストーリーを思い出した。懐かしかった。
 それは『去年の夏』ばかりではないだろう。町山氏が紹介するその他の作品で、同じような思いにたどりつく人はたくさんいるのではないだろうか。
 それは、本書で紹介されている『去年の夏』のポスターの惹句、「去年の夏は、忘れるには美しすぎる。思い出すにはつらすぎる」とよく似た感情だろう。

 開演ベルが聞こえてきそうな映画エッセイである。
  
(2011/06/28 投稿)

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 「ウチのカミさんがね」
 というのが口癖だった刑事コロンボ
 ボサボサ頭をくしゃくしゃにするその仕草で
 一躍人気者になったコロンボを演じたのが
 ピーター・フォークさん。
 先日その訃報が報じられました。

ピーター・フォーク自伝 「刑事コロンボ」の素顔ピーター・フォーク自伝 「刑事コロンボ」の素顔
(2010/11/18)
ピーター・フォーク

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 俳優としてけっして美形ではありませんでしたが
 憎めない個性が日本でも人気者になりました。
 刑事コロンボ以外でも「ベルリン・天使の詩」などに出演。
 いい俳優でした。
 映画って監督だけではなくて
 演じる役者次第でいい作品になることもあります。
 ピーター・フォークさんはそんないい俳優でした。

 先日(6.25)、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の
 「映画パンフレットの世界」展に行ってきました。
 映画パンフ
 東京国立近代美術館フィルムセンターって長い名前ですが
 文化財としての映画を収集している
 この国唯一の国立映画機関なんです。
 場所は東京・京橋にあります。
 東京駅からでも歩いて10分程度。
 一度はのぞいてみる価値のあるミュージアムです。
 そこで開催中なのが
 「映画パンフレットの世界」。
 キャッチコピーが、

   私、集めてました。

 これって、くすぐりますよね。
 だって、この言葉、映画にはまった人なら
 きっと同じ思いじゃないでしょうか。

 映画パンフレットって
 映画館に売っている冊子。
 物語の紹介や作品のスチル、俳優の話題などが
 載っているあれ。
 私も映画に夢中になっていた若い頃、随分買ったものです。
 そもそもその映画パンフレットっていつ買うものか
 悩んだことがあります。
 映画を観る前に買う(つまり読む)か、
 映画を観終わったあと買うか、
 つまり予習を重視するか復習に重点をおくか
 これってかなりデリケートな悩みだと思いませんか?
 いずれにしても
 当時買った映画パンフレットは
 残念ながら全然手元に残っていません。
 今から考えると、実にもったいないことです。

 展覧会のことに話を戻すと、
 そもそも映画パンフレットの始まりは
 昭和初期に映画館が発行していた無料のプログラムだということで
 映画の作品ごとに作られるようになったのは
 戦後のことです。
 初期の映画館が発行していたプログラムは
 私が映画に夢中になっていた昭和50年代では
 名画座にその名残りがありました。
 私のお気に入りは銀座・並木座のプログラム。
 これはよかった。

 「映画パンフレットの世界」展では
 そんな初期のものや「ローマの休日」や007の全作品のパンフや
 映画ファンなら夢中になるパンフレットが展示されています。
 最近あまり映画館で映画を観ないし、
 観てもパンフレットを買う習慣がなくなったのですが
 展覧会には最近のパンフも展示されていて
 時代の趨勢も楽しめます。
 この展覧会の入場料はわずか200円。
 9月4日まで開催されていますので
 ぶらっと寄ってみるのもいいですよ。

 この展覧会の帰り道、
 東京駅にオープンした
 「六厘舎TOKYO」で人気のつけ麺を食べてきました。
 つけめん
 なにしろこのお店、行列ができすぎていったん閉店したぐらいの人気店で
 東京駅構内に春オープンしたばかり。
 この日、私が食するまでに並んだ時間は
 およそ1時間半
 スープは濃厚で、食後のスープ割は絶品。
 左がそのつけ麺。
 写真ではその味がうまく写っていないのが残念。
 こちらはぶらっと、というわけにはいきませんが
 行列覚悟で寄ってみてはいかが。

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プレゼント 書評こぼれ話

  書評のなかでは書きませんでしたが
  今年の第16回日本絵本賞大賞を受賞した
  二宮由紀子さんの『ものすごくおおきなプリンのうえで』ですが
  絵を担当している中新井純子さんの
  絵もいいんですよ。
  たぶん小さな子どもなら
  夢中になるような
  夢のあふれた、絵です。
  こんな絵にふれさせたら
  子どもは自分でクレヨンを持ち出すかも。
  ところで、
  今回の書評ではかなり意味深に書きましたが
  どうしても最後の文章は引用できませんでした。
  ネタばれになってしまいますからね。
  最後の文章を書かずに
  書評の意味するところがわかってもらえたかどうか
  わかりませんが、
  皆さんにもこの絵本の素晴らしさを
  わかってもらいたくて
  そうしました。
  ちなみに、この絵本
  今年の「青少年読書感想文」の
  小学低学年向きの課題図書にも
  えらばれています。

  じゃあ、読もう。

ものすごくおおきなプリンのうえでものすごくおおきなプリンのうえで
(2010/04)
二宮 由紀子

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sai.wingpen  どきっ                   矢印 bk1書評ページへ

 第16回日本絵本賞大賞受賞作。
 「ものすごく おおきな プリンの うえで みんなで なわとびを するときは」というリズム感のある文章ではじまるこの絵本は、「プリン」のあと、「ホットケーキ」「ショートケーキ」「アイスクリーム」とつづいて、それぞれに「なわとび」をするときの注意! が書かれています。
 その発想が面白く、おもわずくすっと笑みがこぼれます。
 では、「みんなで なわとびを するのに いちばん いい あんしんな ばしょ」はどこでしょう。答えは「ふつうの じめんの うえ」。
 ここまではいいのです。そのあとページをめくって、どきっとしました。
 そのどきっのことは書きません。どうぞ、ご自身で確かめてみてください。

 作者の二宮由紀子さんは阪神大震災を体験されたといいます。だからこそ、書けた最後の文章。
 そして、偶然にも今回の東日本大震災で、私たちはそのことをもっと実感しました。
 最後のどきっは、そんな大きな震災のあと、こうして無事に出版されて、絵本賞を受賞したことにもつながっていきます。
 東日本大震災の年に生まれた一冊の絵本。
 私たちは最後のどきっを忘れられなくなるにちがいありません。
  
(2011/06/26 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介した『円谷英二の言葉』の
  円谷英二さんが生み出した怪獣ゴジラ
  誕生したのは昭和29年でした。
  それから4年して誕生したのが
  「月光仮面」。
  「月光仮面」がTVに登場した昭和33年は
  映画の観客動員数が最多となった年ですが、
  この年を境にして映画は衰退していきます。
  その要因のひとつともなったのが
  「月光仮面」でもあったのです。
  そこで今日は
  樋口尚文さんの『「月光仮面」を創った男たち』を
  蔵出し書評で紹介します。
  書評にも書いたように
  当時の子供たちは
  みんな「月光仮面」にあこがれたものです。
  そんなヒーローは
  円谷英二さんの「ウルトラマン」へと
  つながっていきます。

  じゃあ、読もう。

「月光仮面」を創った男たち (平凡社新書)「月光仮面」を創った男たち (平凡社新書)
(2008/09)
樋口 尚文

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sai.wingpen  これであなたも月光仮面               矢印 bk1書評ページへ

 まずは白い布を二枚用意します。
 慶事用の白い風呂敷があればいいですが、なければタオルでもいいでしょう。そのうちの一枚で頭を覆い、後ろで結んで下さい。もう一枚で顔の半分を覆います。ちょうど昔の学生運動の闘士のようにです。
 次にサングラスですが、お兄さんご愛用のものを拝借できればいいですね。昔は駄菓子屋さんで売っていたものですが、今はどうでしょう。でもこれは絶対に必要ですから、なんとか都合をつけて下さい。
 あとはマント。これも大振りの風呂敷がいいですね。バスタオルでもいいですが、片手でパッと翻る素材の軽さが欲しいところです。
 そうそう大事なアイテムを忘れていました。額の三日月。これはボール紙で工作しましょう。もちろん、もう少しこだわりたい人は白いTシャツ、白いタイツに身をつつんで下さい。白いタイツはお姉さんのパンストでもいいですが、お父さんの駱駝のズボン下はやめましょう。
 さあ、これであなたもりっぱな<月光仮面>です。街の平和を守りに行きましょう。

 そうして遊んだ人も多いのではないでしょうか。昭和三三年に登場した「連続テレビ映画」『月光仮面』はそれ程のインパクトを当時の子供たちに与えました。
 本書は「『月光仮面』というそれ自体は安づくりの貧しさ漂う番組が、メディア変遷の歴史においていかに大きな意義を持ち、ここで培われた人びとの出会いがいかにテレビの新たな潮流を生み出したか」を考察したものですが、著者の樋口尚文氏は昭和三七年生まれですから、「月光仮面再放送世代」になります。
 実はこの「再放送」という仕組みがテレビ黎明期においては極めて重要な点です。
 当時のテレビ受信機の普及の状態からして、テレビが提供した情報がひろく人々の記憶につながるのは、この「再放送」(これも当時の番組制作事情によるものだったと思われます)がもたらした影響が大きいと思われます。そして、そのことはある一定の世代を大きく括ってしまう要素ももっていました。

 『月光仮面』でいえば、リアルタイムでそれを見た世代と樋口氏のように「再放送」で見た世代ではおそらくひと世代の隔世があるでしょうが、「再放送」という仕組みによって二つの世代は「同時代」の感覚をもつことになります。
 テレビの情報が続々と製作される時代に変化していくうちにこの「再放送」の仕組みが薄れてきます。そうすると「ウルトラマン世代」と「帰ってきたウルトラマン世代」というように、世代も細かく分類されていきます。
 そういう点からも『月光仮面』は幸福なヒーローであったといえます。(ちなみに『月光仮面』といえばアニメ番組を思い出す世代がいますが、これはまったく異質な世代といっていいでしょう)

 では、なぜ『月光仮面』があれほどまでに人気を高めたのでしょう。
 その謎を樋口氏は「空き地とつながるテレビ空間」に答えがあるのではと見ています。
 当時の子供たちにとっての遊びの空間は「空き地」であり、その延長として『月光仮面』が活躍する「テレビ空間」があったとしています。
 「大人たちが野球やプロレスの「中継」に熱中するのと同じフェーズで子どもたちに「観戦」されていた「実況的」イベントだったのではないか」と論じています。
 この遊びの空間としての「空き地」をどうみるかは重要な点だと思います。

 冒頭<月光仮面>に変身したあなたはどこに行くでしょう。少なくとも「空き地」に類した空間がない限り、誰もあなたの<月光仮面>を見てくれません。あるいは、誰かが扮した<どくろ仮面>と戦うこともできないでしょう。昭和三十年代というのは、戦う場として、あるいは演じる場としての「空き地」という空間を保有していた時代であったといえます。それは昭和三七年に放送が始まった『隠密剣士』の忍者・忍術路線へとつながります。
 そして、そのような遊びの風景がくずれていくのは昭和四一年から始まる『ウルトラマン』かもしれません。だって、誰がエレキングになれますか。
 子供たちは敵の怪獣を求めて「子供部屋」という空間には入っていったのではないでしょうか。
 さあ、<月光仮面>に扮したあなたは、誰と戦いますか。
 「誰なの、ママの自転車白く塗ったのは」という声をふりきって、疾風(はやて)のように出かけましょう。
  
(2008/10/19 投稿)

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  今日紹介する一冊
  『円谷英二の言葉』ですが
  円谷英二さんといえば
  副題にあるとおり
  「ゴジラとウルトラマンを作った男」。
  特撮の神様と呼ばれた人です。
  円谷英二さんが亡くなったのは
  1970年なのですが
  私の印象では今でも活躍されているような
  感じがしています。
  それほど円谷英二さんの残したものは
  作品だけでなく
  次世代の人も多いということです。
  人づくりという点でも
  円谷英二さんは
  高く評価されていいんじゃないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

円谷英二の言葉―ゴジラとウルトラマンを作った男の173の金言 (文春文庫)円谷英二の言葉―ゴジラとウルトラマンを作った男の173の金言 (文春文庫)
(2011/04/08)
右田 昌万

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sai.wingpen  円谷英二の夢をのせて宇宙飛行士は旅立った            矢印 bk1書評ページへ

 9人目の日本人宇宙飛行士として、先日ソユーズで宇宙へ旅立った古川聡さん。 古川さんが宇宙飛行士をめざしたのは少年時代に見た「ウルトラセブン」に憧れて、というニュースは暗いニュース、あきれる話題の多いなか、まるで初夏の爽やかな風のような気持ちのいいものでした。
 「ウルトラセブン」に憧れた少年が本当に宇宙に飛び立ったのですから。

 そんなことを思うと、円谷英二さんという特撮の神様が残した遺産の、なんと大きなことでしょうか。
 「子供に夢を与えたい」。
 円谷さんはつねづねそう言っていたそうです。この言葉はのちに「子供たちに愛と夢を」という円谷プロのキャッチフレーズになります。
 まさに円谷さんの願いが古川さんの夢に受け継がれていった証(あかし)です。

 本書は特撮の神様、そして「ゴジラ」や「ウルトラマン」を作った円谷英二さんの残した珠玉の言葉の数々を集めたものです。
 先ほどの「子供に夢を与えたい」といった円谷さんの信条だけでなく、「まず「出来る」って言う。方法はそれから」といったようなビジネスの現場でも通じる金言、あるいは特撮の技術にかかわる言葉など、173もの貴重な言葉が収められています。
 円谷さんの創った映像にどれほどの人が魅了されたことでしょう。そして、円谷さんの死後も作られた「ゴジラ」や「ウルトラマン」の子供たち。
 円谷さんの夢はいつまでも続いていきます。

 そういえば、もうすぐ七夕。
 夢を忘れた大人たちもたまには夜空を見上げるのもいいでしょう。
 きっと私たちが忘れかけた夢の光が、円谷英二さんの言葉のように、きらめいているかもしれません。
  
(2011/06/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日紹介した
  落合恵子さんの『積極的その日暮らし』という本の中に
  「旅行かばん」というエッセイがありました。
  そこには『江古田スケッチ』という懐かしい
  フォークソングが紹介されていて
  とってもうれしかった。
  この歌、1978年に発表されたもので
  私も数年前に知った曲です。
  落合恵子さんは
  「誰にでも、記憶のどこかで色あせることなく甦る日々がそっと収まった、
   古い旅行かばんがあるかもしれない。
   ひとりの夜にそっと聞きたい、旅行かばんが

  と、エッセイに書いていましたが、
  今日紹介する重松清さんの『鉄のライオン』は
  そんな旅行カバンのような短編集です。
  そういえば、先の『江古田スケッチ』の始まりはこんな歌詞でした。

   忘れられないことの中に
   なんでもないようなことがある
   それはいつも記憶のどこかで
   色もあせずによみがえる
  
  じゃあ、読もう。

鉄のライオン (光文社文庫)鉄のライオン (光文社文庫)
(2011/04/12)
重松 清

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sai.wingpen  あの日私は何をしていただろう            矢印 bk1書評ページへ

 80年代を舞台にした重松清の自伝風短編小説集。
 「一九八一年―。僕は、東京で暮らしはじめた。十八歳で、ひとりぼっちだった」。
 そんな文章が巻頭の「東京に門前払いをくらった彼女のために」という作品のなかにある。本当であれば、東京暮らしの相棒になるはずだった裕子。しかし、彼女は東京の大学に落ちてしまい、上京できなくなってしまう。そして、「僕」はひとり東京での生活を始める。
 わずか十八歳で「終わった時代がなんだったのか」はないだろうが、気分としてはよくわかる。
 特にただ都会というだけで右も左もわからない東京で出てきた上京組の若者にとっては、それまでの生活はやはり「終わった時代」だったし、これから始まる東京での生活は「新しく始まる時代」だったのだ。
 そして、また故郷で生活をおくる裕子もまた「新しく始める時代」を生きるのだ。
 十八歳の「僕」はそんな裕子をいつしか忘れていくしかない。
 青春とは、そんな残酷さを秘めている。

 「ふぞろいの林檎たち」、「いとしのエリー」、「アルバイトニュース」、村上春樹の「1973年のピンボール」、「見栄講座」、そしてブルーベリー味のガム。
 巧みに配置された時代の小道具とちょっと鼻の奥がツンとするいつもの重松節。過ぎた時代を描かせたら、重松清は当代一ではないだろうか。
 誰もが同じ経験をしていないはずなのに、「そうだったよな」って思い出しているそんな物語たち。
 巻頭の作品でもそうだが、時々あれから何年も経った「今」が挿入されることで、物語は思い出の層をよりいっそう深めていく。

 あの日、たとえば「僕」と裕子が東京で別れた最後の夜、具志堅用高が14回めの防衛戦でKO負けした1981年3月8日、私は何をしていたのだろう。
 あるいは、東京で相棒になれなかった私の「彼女」は、何をしていたのだろう。
 そういったそれぞれの物語は、ブルーベリーをようにどこかでいつもほろ苦く、酸っぱい。
 たくさんの水が、橋の下を流れていったのだ。
  
(2011/06/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は夏至
  
   夏至ゆうべ地軸の軋む音少し  和田悟朗

  これは以前にも紹介した句ですが
  地軸が軋む音などは聞こえるはずもありません。
  嘘にはちがいないのですが
  これを嘘と片付けてしまうのはいかがかと
  思います。
  この俳句はこの聞こえない音が
  夏至という季節をよく詠んでいます。
  嘘が真実をうまく表現しています。
  今回の「百年文庫」は「」というタイトル。
  62巻めにあたります。
  「百年文庫」は全100巻になります。
  まだ順次刊行中。
  さてさて、全巻読破できるかな。
  それこそ嘘にならないといいけど。

  じゃあ、読もう。

嘘 (百年文庫)嘘 (百年文庫)
(2011/01)
宮沢 賢治、エロシェンコ 他

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sai.wingpen  嘘から見えてくるもの                矢印 bk1書評ページへ

 あなたは「嘘」をついたことがありますか?
 「一度も嘘をついたことがないというのがもっとも大きな嘘」ということを聞いたことがありますが、誰もが一度はついているのではないでしょうか。
 時には「嘘も方便」と必要悪のようにもいわれる「嘘」ですが、そもそも物語とは「嘘」そのもの。「嘘」という語感がよくなくて、「フィクション」なんていいますが、やはり「嘘」なのだから仕方がありません。
 でも、物語の「嘘」で真実が見えてくるなら、「嘘」もまた必要ということになります。
 「百年文庫」の62巻目のタイトルはそんな『嘘』。宮沢賢治、与謝野晶子、エロシェンコと、「嘘」のような作品群が収録されています。

 宮沢賢治、与謝野晶子はともかくとして、エロシェンコという作家については少し説明が必要かもしれません。 エロシェンコはロシア人です。それなのに、本巻に収録されている『沼のほとり』や『魚の悲しみ』は物語の設定や主人公の名前などが日本の物語風なのでどうもおかしいと思いながら読んでいたのですが、彼は1914年に来日して7年間日本に滞在しています。その滞在期間中に日本語で口述筆記されたものが先の二作品にあたります。
 また彼は目に障害をもっていて、『ある孤独な魂』という収録作品は、彼の盲学校での思い出を作品にしたものです。ある日学校に訪れたエラい人を見えないがために普通の人のごとく話しかけたり、町の乞食を殿下と思ったりしたり、盲目ゆえに彼は真実をさぐろうとします。
 「わたしはなんでも疑ったし、どんな権威も信じなかった」(『ある孤独な魂』)と書きとめたエロシェンコは人間の「嘘」も「真実」も凝視していたような気がします。
 なかなか読む機会の少ない作家ですから、ぜひこの本で読んでみるのもいいでしょう。虎ののぞいた世界を描いた『せまい檻』という作品は絶品です。

 宮沢賢治の作品としては『革のトランク』(見栄っ張りの大きなトランクが面白い)と『ガドルフの百合』が収録されています。
 また『みだれ髪』で有名な歌人与謝野晶子の『嘘』と『狐の子供』という幼少期の生活を自伝風に綴った小品ですが、『嘘』では小学生の頃にはやったという嘘の継子(ままこ)話の思い出が描かれています。
 『狐の子供』でもそうですが、時に子供は平気で嘘をつく姿が描かれています。
 子供が無垢なんてありえない。大人の世界を正直に映しだす、子供は恐ろしい鏡なのです。
  
(2011/06/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨年の暮れあたりから
  ずっと「断捨離」ということが気になっていました。
  さらにシニアまっただなかの年令となって
  家の中のモノをできるだけ
  捨てることに決めました。
  今年の春には休みの日には
  かなりのモノを捨てることに成功したはずなのですが
  それから数か月経って
  やはりモノは少しずつ
  また増殖をはじめました。
  やれやれ。
  今日紹介するのは、
  「断捨離」の教祖的存在のやましたひでこさんの
  『仕事に効く「断捨離」』。
  この本の中で
  やましたひでこさんは「7:5:1の法則」を紹介しています。
  つまり、

   引き出しなどの見えない収納は収納可能な量の7割にまで削減
   机の上などの見える収納は収納可能な量の5割にまで削減
   写真立てなどの見せる収納は1割まで削減

  ということです、
  今度チャレンジしてみようかな。

  じゃあ、読もう。

仕事に効く「断捨離」  角川SSC新書 (角川SSC新書)仕事に効く「断捨離」 角川SSC新書 (角川SSC新書)
(2011/05/10)
やましたひでこ

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sai.wingpen  会社を「ご機嫌な場」に                矢印 bk1書評ページへ

 今ブームの「断捨離」ですが、それを実践されている人を「ダンシャリアン」と呼ぶらしい。
 私などはつい、『三銃士』の「ダルタニャン」と聞き間違いをしてしまうのですが、「断捨離」とはモノとのしがらみを「断」ち、要らないモノは「捨」て、モノのしがらみから「離」れることを目的とした行法らしいので、まあ『三銃士』的な強い味方ではあるようです。

 そもそも「断捨離」は女性の間で話題になって、あっという間に家庭に広がった「片づけ術」ですが、それが逆流してビジネスの世界でどう活用できるかをしめしたのが本書です。
 先ほど「片づけ術」と書きましたが、著者のやましたひでこさんは、それは「断捨離」の限られた側面でしかないとやさしく諭しています。
 つまり、この本は仕事場における「片づけ術」の指南書ではないということです。

 では、どんな本なのか。実はこの本は考え方を変える本なのです。
 「断捨離」とは、「軸足を変えること」だと、やましたさんは書いています。さらにこんなことも書いています。
 「私たちのモノと自分に向き合う力、始末をつけていく力、大切なところを見抜く力を養うツール」が「断捨離」だと。
 この「モノ」を「仕事」なり「情報」に変えれば、「断捨離」の考えがビジネスの世界でもりっぱに通用することがわかると思います。

 ですから、この本で単に仕事場の「片づけ術」を期待した人には物足りないかもしれませんが、「片づけ」を一過性のものに終わらせないためにも、ことの本質を見極めることは重要ではないでしょうか。
 やましたさんは「断捨離」の実践で「ご機嫌な場」を創出していくと書いていますが、何かと嫌なこと、つらいことが多いビジネスの世界が「ご機嫌な場」となれば、もう少し働くということが楽しくなるような気がします。
 ぜひ、あなたも仕事場の「ダンシャリアン」を目指してはいかが。
  
(2011/06/21 投稿)

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 梅雨といえば、紫陽花。
 ゴッホといえば、ひまわり。
 でも、最後に描いたのが薔薇。
 えー、なんだって。
 ということで、街のあちらこちらに
 紫陽花の咲きほこる先日の土曜日(6.18)、
 「ワシントンナショナル・ギャラリー展」を観に
 六本木の国立新美術館に行ってきました。

 何しろこの展覧会、

   これを見ずに印象派は語れない。

 と銘打たれているほどの
 「印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」の開催ですから
 絵画好きだけでなく、多くの人の期待が高まる展覧会です。
 ワシントン
 今回の出展は、
 日本初公開作が約50点、全83点がアメリカの首都ワシントンにある
 「ナショナル・ギャラリー」から出展されています。
 これほどの作品が一度に館を出るのは極めてまれだとか。
 なかなか本物を目にする機会がない者としては
 こういう時こそきちんと観ないと、もったいないですね。
 入館料が1500円
 アメリカに行くことを比べれば、なんと安いことでしょう。

 で、どんな作品が展示されているかというと
 マネにモネ、セザンヌにルノワール、
 スーラにドガ、ロートレックにゴーギャン、
 そしてゴッホと、
 印象派の錚々たる画家たちが名をつらねています。
 全体的にいえば、少しまとまりすぎて
 優等生すぎる展覧会でもありますが
 私的にはセザンヌのいくつかの作品がとてもよかった。
 特に「赤いチョッキの少年」は
 セザンヌの革新的な技法が進化を始めていて
 少年と芸術の孵化がうまくマッチしています。

 で、ゴッホの「薔薇」という作品ですが
 これは彼の死の年、1890年に描かれた作品ですが
 真っ白な薔薇が画面一面にあふれんばかり。
 背景の薄い緑と波のような気の気配。
 これって狂気でしかない。
 と観ていたのですが、どうもこの薔薇の白は
 赤が退色したものらしい。
 赤の薔薇だとまた印象はちがうでしょうね。
 この「薔薇」ですが、会場で販売されているポストカードの
 人気ナンバー1らしいですよ。

 この展覧会ですが、
 今発売の「芸術新潮」6月号の特集となっていて
 雑誌でも楽しむことができます。

芸術新潮 2011年 06月号 [雑誌]芸術新潮 2011年 06月号 [雑誌]
(2011/05/25)
不明

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 なにしろ、特集が

  ワシントンナショナル・ギャラリーはなぜアメリカ№1の美術館なのか

 で、中野京子さんの「読み解く印象派の時代」も
 しっかり書かれています。

   展覧会を先に観るか 芸術新潮を先に読むか
 
 さあ、あなたならどっちかな。

 ちなみにこの展覧会のテーマソングは
 アンジェラ・アキさんが唄っています。
 曲名は「I Have a Dream」。
 うーん、アメリカン。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は父の日
  娘たちが小さい頃は
  さりげなく「今日は何の日だっけ?」と
  催促したものですが、
  娘たちも大きくなって
  こんな手にはのらなくなりました。
  子供が大きくなると
  お父さんはさみしいものです。
  なんだか、かくれんぼをしていて
  いつまで経っても見つけてもらえない時のような
  気分になります。
  今日紹介するのは
  父の日に読んでみたい一冊、
  さとうわきこさんの『おもしろとうさん』。
  なんだか私には懐かしく感じる
  一冊でした。

  じゃあ、読もう。

おもしろとうさん (フレーベル館の新秀作絵本)おもしろとうさん (フレーベル館の新秀作絵本)
(1996/01)
さとう わきこ

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sai.wingpen  とうさんて だいすきさ               矢印 bk1書評ページへ

 「とうさん、とうさんってば、どこかあそびにいこうよ」そんな子供の誘いにも乗り気になれないお父さん。毎日働いて、たまの休みぐらいはゆっくりしたいもの。もちろん、心の中では申し訳ないと手を合わせているのだけど。
 でも、子供にはお父さんの心の中まで見えません。「そんなのだめだよ」と、外に連れ出してしまいます。

 この絵本はそんなどこにでもあるお父さんと息子のある休みの日が描かれています。
 息子が木登りを始めて、いつしかお父さんにも童心がよみがえってきます。木の上で「ウオー オー オオオ」とターザン気分。というか、すっかり子供の頃に戻ってしまいます。
 そこからのお父さんがくたびれてなんかいません。元気もりもり、少年のように走ったり、叫んだり、水遊びに夢中になったり。

 お父さんは男の子が成長してなります。当たり前のことなんだけど、お父さんはそのことを忘れています。一番忘れてはいけない人がそのことを忘れています。
 しかし、この絵本のお父さんのように、ささいなことが昔男の子だったということを思い出させてくれます。
「とうさんって とつぜん おもしろくなるんだよね」と息子はうれしくてたまりません。そして、こうつけくわえます。
 「だから とうさんて だいすきさ」
 お父さんが聞いたら、泣き出してしまいそうなせりふです。

 でも、お父さんはかわいそうに、明日になったらまた子供ではなくなってしまいます。
 この絵本ではそこまで描かれていませんが、おとなに戻ったお父さんは子供の「とうさんて だいすきさ」という一言を糧にして、明日から「がんばるとうさん」になるのです。
  
(2011/06/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私の父は今年87歳になる。
  父のことをなにかしらと
  書評の中に書いてきた。
  今日紹介する渋井真帆さんの
  『あなたを変える「稼ぎ力」養成講座 決算書読みこなし編』も
  そのひとつ。
  2004年に書いた、蔵出し書評です。
  このなかで、父のそろばんのことを
  書きました。
  昔のそろばん、というかそろばん自体が昔の道具になりましたが、は
  五つ玉で、
  なんか貫禄があったものです。
  この書評では父のことを経理なんかほとんどわかっていないんじゃないか
  みたいに書いていますが、
  さすがに商売をしていたので
  そんなことはなかったと思います。
  この書評を書いて、7年。
  書評に出てくる母は亡くなりました。
  父もすっかり老いました。
  父のそろばんはどこにいったのでしょう。
  明日は父の日
  
  じゃあ、読もう。


新版 あなたを変える「稼ぎ力」養成講座 決算書読みこなし編新版 あなたを変える「稼ぎ力」養成講座 決算書読みこなし編
(2006/05/26)
渋井 真帆

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sai.wingpen  父のそろばん                   矢印 bk1書評ページへ

 私の父はもうすぐ八十歳になろうとしている。ずっと呉服商を営んできた。
 商いといっても店を構えるでもなく、行商に近いような、小さな商売であった。
 それでもこの国が高度成長時代には、着物とはいえ注文はそこそこあったし、商売へたの父でさえ、いくつもの反物を抱えては注文のあった家まで出向いて、何反もの着物を売っていた。
 晴れ着とはよくいったもので、まさにハレの時代に小さな呉服商もそれなりにうるおっていた。

 父は結局そんな小さな呉服商から抜け出すことはなかった。店舗を構えることも、会社組織にすることも、ついには成しえなかった。
 わずかばかりの売上と仕入と、それに費やした経費を、弁当箱のような大きな五つ玉のそろばんをはじきながら、帳面に記帳していたに過ぎない。
 少年期に町の呉服屋に丁稚奉公していた父は、簿記という仕組みを知っていたのだろうか。貸借対照表や損益計算書を作ったことがあるのだろうか。
 おそらく父はそんなことを知らないまま、商売をしていたにちがいない。

 この本は決算書をわかりやすく解説した、会計の入門書である。まるで講義しているような文体だから、すんなりと理解できる。
 会社で経理実務をしている人には簡単すぎるかもしれないが、ここまでわかりやすく説明されると授業(読書)も楽しくなる。これから経理や管理の道に進もうと考えている若い人だけでなく、知識としての決算書の読み方を少しぐらいは勉強したいと思っている人には最適な本だといえる。

 電卓という便利な道具が出回るようになって、さすがに私の父もそろばんを使うことはなくなった。
 いくらわかりやすい本だとはいえ、いまさら父にこの本を読んだらともいえないし、損益計算書も貸借対照表を知らなくても、父には「稼ぎ力」があった。
 商魂があったのではない。父の誠実な人柄が顧客の心をつかみ、売上げを作っていった。商売は単に数字だけではないことを、父は実践していた。それも「稼ぎ力」であることを忘れてはいけない。
 そんな父もいよいよ商売を終えるらしい。
 この春、最後の反物を処分したと、母から聞いた。
  
(2004/06/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  久しぶりに「書評の明日」というカテゴリーに
  いれる本を見つけました。
  豊崎由美さんの『ニッポンの書評』。
  といっても、この本のもととなる連載文章は
  この第八回にすでに書いていて
  まあそれはそれとして
  一冊の本にまとめられたので
  書評にしておきます。
  この本のなかに「書評と感想文の違い」という章があって
  そこに豊崎由美さんはこう書いています。

   本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、
   個々の本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、
   いわば本の星座のようなものを作り上げる力。
   それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける。

  そうです。
  本の星座をめざして
  これからも一生懸命「書評」を書いていきます。

   書評の明日」という記事に興味のある人は
   カテゴリー検索してみて下さ。

  じゃあ、読もう。

ニッポンの書評 (光文社新書)ニッポンの書評 (光文社新書)
(2011/04/15)
豊崎 由美

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sai.wingpen  正しい書評なんてない                 矢印 bk1書評ページへ

 光文社のPR雑誌「本が好き!」で豊由美さんの「ガター&スタンプ屋ですが、なにか? わたしの書評術」という連載を見つけたのは連載9回目あたりの頃。うわー、おもしろいと、その後、そのPR雑誌が本屋さんの店頭で無料配布される頃をねらって馳せ参じていました。
 ところが、それから数か月して、突然このPR雑誌が休刊。せっかく見つけた宝物を取り上げられた気分でした。しかも、読みそこなった前の号がなかなか見つからない。図書館で調べても、PR雑誌は置いていないこともままある。残念至極。
 すっかり諦めていたところが、こうして新書になって刊行されたのですから、うれしさ倍増。しかも、豊由美さんと書評に関して造詣の深い大澤聡さんとの対談「ガラパゴス的ニッポンの書評 -その来歴と行方」まで附いていて、待った甲斐がありました。

 ところで初出時の「ガター&スタンプ屋」ですが、「ガター」というのは「本の内容を短く書き表わす」ことで、「スタンプ」はいい本か悪い本かの印(しるし)をつけることで、19世紀、いじわる的に使われていたようです。豊さんはそれを自虐的に使われています。
 この本では連載の内容を15講にして収められていて、連載時でもそうですが、豊流の辛辣な文章が、読んでいて小気味いい時もあるし、ちょっと言い(吠え?)過ぎと感じることもあります。
 例えば「書評は作家の機嫌をとるために書かれてはならない」なんていう文章は小気味いい部類ですし、村上春樹さんの『1Q84』の書評をめぐる黒古一夫さんとのやりとりは後者の部類にはいります。
 もちろん、黒古さんとのやりとりを豊さんらしいと感じる人がいてもちっともおかしくはありませんが。

 巻末に附いている大澤聡さんとの対談も面白く、そもそも「書評」という呼び名はいつ頃定着したのかという話など、「書評めいた」ものを書いている人間としては興味深く読みました。
 大澤さんによると「書評」という言葉は「大正末から昭和初年代」に使われた言葉らしく、その語源についても「書物評論」「新刊書批評」といった言葉の略語という説もあるらしい。しかも「ブックレビュー」という言い方の方が先に使われていたようで、カタカナ言葉があまり好きではない私ですから、いささか面喰いの事実発見でした。

 これから書評を書いてみようという人、あるいはすでに書評を書いている人にもこの本は刺激に満ちています。
 豊さんの「面白い書評はあっても、正しい書評なんてない」という意見に大賛成です。
  
(2011/06/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の「百年文庫」のテーマは「」。
  そこで、今日の書評のタイトルは
  「行く川の流れは絶えずして」。
  そう、鴨長明の「方丈記」の書き出し。
  昔、学生時代に習いましたよね。

   行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
   よどみに浮ぶうたかたは、かつ 消えかつ結びて、久しくとどまる事なし。  
   世の中にある人と 住家と、また かくの如し。

  思い出しました?
  私はなんとなく、ですね。
  でも、久しぶりに書き移すと
  いいこと書いてあるなと思います。
  勉強しなくちゃ、ね。

  じゃあ、読もう。
 

(024)川 (百年文庫)(024)川 (百年文庫)
(2010/10/13)
織田作之助、日影丈吉 他

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sai.wingpen  行く川の流れは絶えずして                 矢印 bk1書評ページへ

 美しい町には美しい川が流れている。例えば仙台。街なかを広瀬川がたゆとう。盛岡には北上川、東京には隅田川、そして本書にも収録されている室生犀星となじみの深い金沢には犀川という具合に。
 川が運んでくる豊かな土壌が町を作りだすといってもいい。
 町ができると、人が集まってくる。人が集まれば、そこに悲喜こもごもの人間模様が生まれる。そんな人間模様が数多くの物語を編み出していくことを思えば、物語は一本の川が生み出した産物といえなくもない。
 「百年文庫」の24巻めは、そんな川をめぐる短編が三本収録され、タイトルは「川」となっている。
 この巻に収められた三つの作品、織田作之助の『蛍』、日影丈吉の『吉備津の釜』、室生犀星の『津の国人』、どれもが面白く、充実の一冊である。
 これも川がもたらした豊穣ゆえだろうか。

 室生犀星は詩人としても作家としても有名である。詩集でいえば『愛の詩集』、小説でいえば『あにいもうと』など多くの作品がある。犀星の作品が読まれた背景には彼の作品が映画化されたことで広く知られたことも一因だろう。誰もが愛した作家である。
 そんな犀星には「王朝もの」と呼ばれる古典に材をとったジャンルがあると本巻の解説には書かれている。収録されている『津の国人』も「伊勢物語」に題材をとられているそうだ。
 京の宮仕えの職をようやくに得た夫ではあるが、妻を同伴するまでにはいたらない。やむなく夫は妻の筒井と別れて暮らさざるをえない。妻の筒井は何事にも卒なく美しくあった。その妻と別れることの辛さが夫には耐えがたい。せめて便りをと、互いに求めあいながら、渡し船のそれぞれの流れに棹をさすのだ。
 そして、津の国で暮らす筒井はその性格ゆえに人々に愛され、求められるのだが、京へ上った夫よりは何の便りも届かない。それでも待ち続ける筒井の心の美しさ。
 流れやまない川こそ過ぎゆく時間を映し出すのか、筒井という女性をめぐる運命に胸うたれる佳品である。

 織田作之助の『蛍』は坂本竜馬の定宿として有名な寺田屋の女主人登勢の生涯を巧みに描いたこれも読ませる作品。『夫婦善哉』ばかりが有名な織田作之助ではあるが、こういう作品も書いていることを知ってうれしくもある。
 日影丈吉は探偵小説等で名を馳せた作家だが、この『吉備津の釜』もどこかミステリー仕立てで読み物として力がある。途中なにげなく織り込まれる記憶話が物語の核になっていくあたり、巧い。
 今回の川をのぼった津波の勢いではないが、川は時には魔物まで秘めている。
  
(2011/06/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の「芥川賞を読む」は
  遠藤周作さんの受賞作『白い人』。
  受賞したのは1955年ですから
  私が生まれた年でもあります。
  この受賞のあと
  遠藤周作さんは狐狸庵先生と呼ばれ
  ネスカフェのCMにも登場するくらい
  人気者になっていきます。
  対談の名手で
  その話芸にたくさんの人が
  夢中になりました。
  その一方で
  神の問題は生涯のテーマでした。
  『沈黙』『深い河』など
  有名な作品も多く残されています。

  じゃあ、読もう。

白い人・黄色い人 (講談社文芸文庫)白い人・黄色い人 (講談社文芸文庫)
(1996/04/10)
遠藤 周作

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sai.wingpen  神のみぞ知る                矢印 bk1書評ページへ

 第33回芥川賞受賞作(1955年)。その後の遠藤周作の活躍を思えば、新人登竜門といわれる芥川賞も華々しく受賞したかと思いきや、選評を読むかぎりにおいては薄氷の受賞であったことがわかる。
 選考委員の一人舟橋聖一氏の選評によれば「一時は(受賞作)ナシにきまりかけたが、司会者の運びのうまさ(これは名人芸に値した)につりこまれて」受賞作に決定したということだ。この「司会者の運びのうまさ」は表現こそ違え、宇野浩二も選評に書いているから事実そうだったのだろう。
 その後大家となる遠藤周作をこの世に生み出したのは選考委員ではなく、どなたかわからないが、当日の「司会者」だというのも、なんだか遠藤らしくて愉快だ。

 先の舟橋氏の選評であるが、さらに遠藤の文学に対する姿勢を批判し、「片手間小説には、あまりやりたくない」とまで書いている。
 受賞当時の遠藤は「評論」の道に進もうとしていた節があり、その点での心配は他の選考委員もしている。それほどに当時の遠藤周作は文学界においてほとんど無名であったといっていい。

 その受賞作『白い人』であるが、主人公も物語の舞台もすべて西洋ということで選考委員にとまどいがあったにちがいない。主人公はフランス人とドイツ人の間に生まれた青年神学生で、舞台は第二次大戦のフランス・リヨン。それだけでもきっと違和感があっただろうし、しかも物語のテーマが「神の存在」であるから、いくら「司会者」の力とはいえ、この作品を受賞作にしたことは、今から思えば「神の御力」であったのだろうか。
 生まれつきの斜視である主人公は、父から疎まれ、「右を見ろというのに、右を」という呪いのような罵声を浴びて成長する。やがて神学校に入学し、自身の心に奥底に潜む苛虐性に目覚めていく。そんな彼に対峙する形で信仰一辺倒である青年とその恋人が配置される。
 遠藤にとって彼らは神の具象化であったかもしれない。その神を遠藤は懐疑している。
 この作品のテーマはのちに遠藤の終生の主題となっていく。

 もし、この回の「司会者」が粘らなかったら、作家遠藤周作は誕生しなかったかもしれないし、私たちはその後の遠藤の名作を読むことはなかったかもしれない。
 神は「司会者」となって遠藤を芥川賞作家にし、そして何を描かせようとしたのだろうか。
  
(2011/06/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  落合恵子さんの『積極的その日暮らし』。
  落合恵子さんといえば
  渋谷にある子どもの本の専門店「クレヨンハウス」が有名。
  「クレヨンハウス」の地下には
  オーガニックレストランもあって
  「クレヨンハウス」に行くと
  そこで食事をします。
  お子様連れの若いパパとママがたくさん来ていて
  いつも賑わっています。
  場所が場所だけに
  皆さんとても若々しくて
  (実際若いのですが)
  流行の先端をいかれているような
  感じです。
  絵本を見て
  安心安全な食事をとる。
  うらやましいかぎり。
  また行きたくなりました。
  「クレヨンハウス」。

  じゃあ、読もう。

積極的その日暮らし積極的その日暮らし
(2011/05/06)
落合恵子

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sai.wingpen  昔「レモンちゃん」と呼ばれていた人はなんと素敵に年をかさねたのでしょうか   矢印 bk1書評ページへ

 本書は朝日新聞に2008年4月から2011年3月まで連載されていた落合恵子さんのエッセイを一冊にまとめたもの。
 連載時の文章の字数は1行14字で、それが59行だから826文字。実際書いてみるとわかるが、わずか800字で、時事的な話やさりげない日常や、怒りや喜びを伝える文章を綴るのは簡単なことではない。
 落合さんは「加える」ことより「削る」方が難しいという。「なにごとも、一度確立したものを修正するほうが、はるかに難しいのではないか」と。

 落合恵子さんは作家稼業だけでなく、子どもの本の専門店「クレヨンハウス」を主宰されているのは有名だが、40年近く前には「レモンちゃん」と呼ばれるほどの人気DJだったというほうが私たちの年代(私は昭和30年生まれ)にはわかりやすい。
 なにしろ「レモンちゃん」だけを特集した雑誌も出たくらいだからその人気は現代の女子アナ人気のはしりといっていい。私は大阪の高校生だったが、なぜか「レモンちゃん」の雑誌を買ったりしていた。
 だから、今でも当時の「レモンちゃん」と現在の落合恵子さんが同一人物だということに違和感がないでもない。
 変な話だが、「りっぱになられて」みたいな、初恋の人に再会したような思いがないでもない。

 落合さんのエッセイはとても潔い。
 それは文章の長さにもよるだろうが、落合さんの生き方そのものにも起因している。
 この本のなかでも自身の年齢の話やひとりだけの生活の話がたくさんでてくるが、そのどれもが凛としている。女性ってすごいなと感心する。
 7年にも及ぶ母親の看病のあと、母親の死でひとりきりとなったが、そのバイタイリティは並大抵ではない。
 男性ではこうはいかない。というか、男性こそ今やこういった女性を見習わないといけない。

 そんな落合さんが今回の東日本大震災の一週間後に書いたエッセイの結びはこうだ。
 「電気がなくてはいのちを維持できないひともいることを心にとめた上で、原発そのものを、そしてどこまで不自由さをシェアできるかを再度深く考えることも、物理的に被災地のそとにいる「わたし」にできることのひとつ、であるはず」。
 女性だけでなく、男性必読の一冊である。
  
(2011/06/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  川上弘美さんの新刊『天頂より少し下って』。
  好きな作家の本を本屋さんの新刊コーナーで
  見つけた時のわくわく感といったら
  何にも勝ります。
  今度はどんな物語なんだろう。
  今度は何を考えさせてくれるのだろう。
  この本はほとんど一日で読んでしまいました。
  どうも「恋愛小説集」として
  出版社は売りたいようですが
  書評にも書きましたが
  ちょっと「恋愛小説集」というのとは
  ニュアンスが少しばかり違うかな。
  今回は少し長めの書評になりましたが
  本当はもう少し削ろうかとも思ったのですが
  まあそのまま載せてしまいます。
  では、ゆっくり川上弘美ワールドを
  お楽しみください。

  じゃあ、読もう。

天頂より少し下って天頂より少し下って
(2011/05/23)
川上 弘美

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sai.wingpen  埒もないぐるぐる思考               矢印 bk1書評ページへ

 川上弘美の恋愛小説集というフレコミだが、恋愛小説というよりはもっと幅広く、女性の不思議をあつかった短編集という方が適切だろう。
 男性はもとより女性自身がわからない奥底にあるものを表現しようとすれば、川上の得意とする非日常的な世界をのぞきみるしかないかもしれない。けっしてひとつの言葉で表現しきれないものを、物語の主人公的にいえば「ぐるぐる思考」で、たとえそれが「埒のない」ものだとしても、考えていくしかない。
 川上はそういう点ではいつも女性の応援団である。

 収録された短編は七つ。自分がクローン人間だと信じている『一実ちゃんのこと』、「やまもと」という小料理屋のような名前のついた小さな居酒屋に集まる奇妙な人々を描いた『ユモレスク』、十一歳年の離れたはとこの青年への遠い憧れを描く『金と銀』、『エイコちゃんのしっぽ』は題名通り、短いしっぽをもっているエイコちゃんとのゆるい関係を描かれている。まるで拾いものをするように見知らぬ人を家につれてくる母親とそんな母親に翻弄される娘の日常を描いた『壁を登る』、夫を亡くして一人暮らす母との小旅行を描く『夜のドライブ』。
 そして、表題作となった『天頂より少し下って』。

 七つの作品のなかではこの『天頂より少し下って』が一番読みやすい。
 主人公は四十五歳の真琴。三十歳になる直前に離婚して、一人息子の真幸と二人暮らし。離婚の原因は夫に恋人できたことだが、別れてからは真琴も「何人かの男と恋をした」。
 今つきあっているのは、十一歳年下の「柔らかげな」な涼という青年。これだけ年が離れているから真琴は時折「恋をしている女の、埒もないぐるぐる思考」にはまってしまう。
 この「埒もないぐるぐる思考」というのがいい。四十五歳の女性の、恋に夢中になっている言葉として、とてもわかりやすい。
 ある日、涼と飲んでいた飲み屋で息子の真幸と彼の恋人とに遭遇してしまう。もちろん冷静ではいられない。まるで二人の男に恋しているような真琴は「男とか、女とか、息子とか、母親とか、そういうのをひっくるめてともかく生きてゆくこととか、なんて厄介なことを、あたしは始めちゃったんだろう」と思う。
 でも、それは「どうあってもやめられないことごと」としっかり思い定めている。このあと真琴の恋愛がどうなるかはわからないが、「不埒で、女で、むきだし」な、きっとそういうことを全部ひっくるめて彼女の人生なんだと思う。
 「埒もないぐるぐる思考」をしている女性も魅力的だ。
  
(2011/06/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  この本もあさのあつこさんの
  『ようこそ、絵本館へ』で
  知りました。
  あの本からたくさんの
  いい本を紹介してもらいました。
  感謝です。
  この絵本のエンピツ画のような
  絵のタッチが好きです。
  こういう絵本は
  部屋のなかに置いておくだけで
  うれしくなります。
  部屋のインテリアにだってなります。
  題名はまじめですが
  中身は少しコミカルな面もあって
  むしろ深刻ぶらないで
  読む方が楽しい一冊かもしれません。

  じゃあ、読もう。

空の飛びかた空の飛びかた
(2009/05)
ゼバスティアン メッシェンモーザー

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sai.wingpen  この空を飛べたら                  矢印 bk1書評ページへ

 「空を飛ぼうなんて 哀しい話を いつまで考えているのさ」というのは、中島みゆきさん作詞作曲の「この空を飛べたら」という歌の歌いだしです。中島みゆきさんも歌っていますし、加藤登紀子さんも歌っています。
 ゼバスティアン・メッシェンモーザーという人は描いた絵本『空の飛びかた』を読みながら、中島みゆきさんのこの歌のことを思い出していました。

 この絵本の主人公は「空から落っこち」てきたペンギンで、やつ(絵本のなかでこう書かれています)は「おおまじめに1羽の鳥になりきってやれば、きっと飛べる」と思い込んでいます。そこでペンギンの必死の努力が始まります。
 ユーモラスですが、どことなく切なくて、飛べないペンギンをどうしても空に戻してあげたい、と読みすすむうちに思ってしまいます。
 最後に、ペンギンが空を飛べたかどうかは絵本を開いてもらうしかありませんが。

 空を飛べないペンギンってどことなく私たちに似ています。私たちも大事なことを忘れていないでしょうか。
 中島みゆきさんの歌は「ああ、人は昔むかし鳥だったのかもしれないね こんなにも こんなにも 空が恋しい」というリフレインで終わります。
 空を飛べたら、どんなにいいでしょうと思ってしまうのは、やはり私も「飛べないペンギン」なのかもしれません。
  
(2011/06/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  星野道夫さんの『夢を追う人-アラスカの詩』。
  シリーズ三冊の最終巻です。
  星野道夫さんの文章には
  いつもどれほど癒されるかわかりません。
  今回も書評に書きましたが
  「歳月」という文章に心が救われる思いがしました。
  このエッセイはたぶん
  何度か読んでいます。
  東日本大震災のあとの
  悲しみを思うと、
  このエッセイにふたたび
  めぐりあえるように
  本の神様が仕組んでくれたのかも
  しれないと
  なんとなく、今、そう思っています。

  じゃあ、読もう。

夢を追う人 (アラスカの詩)夢を追う人 (アラスカの詩)
(2011/01)
星野 道夫

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sai.wingpen  歳月                 矢印 bk1書評ページへ

 <アラスカの詩>というシリーズ名の、青少年向けに編集された写真家星野道夫の文集の最終巻である。
 星野がアラスカへと向かうきっかけとなった一冊の写真集との出会いを綴った「アラスカとの出合い」や初めての子どもの誕生を吹雪の北極圏で知ったという文章で始まる「ワスレナグサ」などのエッセイが収録されている。
 そのなかで、ぜひ読んでもらいたいエッセイがある。「歳月」という中学時代からの友人を喪ったときのことを綴った、深い悲しみの文章だ。

 星野が21歳のときだった。中学時代からの友人Tが夏山で遭難死する。現場に駆けつけた星野にTの母親は「息子の分まで生きてほしい」と言う。そのことにもとまどいながらも、自分が励まされていることに星野は気づく。しかし、21歳の星野には友人の死からたしかな結論がでないと前に進めないという思いがあった。
 愛するものを喪った時、人はそのことに意味を見出そうとする。喪失という事実、悲しみという感情が、ただあるのではなく、きっとそこには深い意味があるのにちがいない。
 星野もまた、迷い人であった。
 出口をみつけるのに、1年かかった。星野が見つけた答は「好きなことをやっていこう」という強い思いだった。
それが間接的に星野をアラスカへとつなげていく。星野はこう書く。
 「かけがえのない者の死は、多くの場合、残された者にあるパワーを与えてゆく」

 今回の東日本大震災で犠牲となった多くの人たち。肉親を、友人を、同僚を亡くした多くの人たち。まだその悲しみを受けとめきれないと思う。星野がそうであったように、その死の意味をもとめているだろう。
 そのような悲しみにある人たちにできることといえば、星野道夫の「歳月」をどうか読んでみてください、というしかないように思える。
 短い文章ながら、ここには生きる力がある。生きていく意味が書かれている。

 星野道夫もまた短い生涯を終えることになる。彼の死もまた、いまだに、残された私たちに生きる力を与えてくれる。
  
(2011/06/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  4月28日、iPad2が発売されました。
  従来の機種より厚みが33%薄く、
  重さも15%軽くなっているそうです。
  そのほかにも、ビデオ通話が可能になったり
  色々工夫がされているようです。
  ただもう少し様子見かなって
  思っています。
  さて、昨日の予告通り
  今日は本田直之さんの新刊
  『リーディング3.0』の紹介です。
  副題にもありますが、
  「少ない労力で大きな成果をあげるクラウド時代の読書術」です。
  でも、クラウドって何か
  なかなかうまく説明できない私にとって
  新しい技術をうまく使って
  読書をするところまで
  私自身はいたっていません。
  かといって、
  それらのすべてを否定しようとも
  思っていません。
  五十の手習いだって
  負けてはいませんよ。

  じゃあ、読もう。

リーディング3.0 ―少ない労力で大きな成果をあげるクラウド時代の読書術リーディング3.0 ―少ない労力で大きな成果をあげるクラウド時代の読書術
(2011/04/22)
本田 直之

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sai.wingpen  進化するものに追いつくのは大変だ            矢印 bk1書評ページへ

 2010年春、多機能性携帯端末iPadが発売されて間もなく電車でさっそく使っている人を見て「うらやましいな」「かっこいいな」と思ったものだが、今はなんだか無理しているように見えてしまう。「無理してない?」と、つい聞いてみたくなる。それぐらいその形状はどうもまだまだのような気がしている。
 だから、4月に後継機のiPad2が発売されたのだが、ちっとも興味がわかなかった。
 それより、スマートフォンだ。やはり携帯端末であれば手のひらサイズがベターではないだろうか。

 本書はモバイルデバイス時代の読書術を説いたものだ。書名の『リーディング3.0』について、まず書きとめておくと、読書の第三世代ということかと思う。
 第一世代というのはごく普通の読書だ。読むということが主眼になっている。
 次の第二世代は、読書を効率的にし、そこで得た情報を活用しようとする本の読み方で、本田直之さんを一躍有名にした『レバレッジ・リーディング』はこの範疇にはいる。
 私自身は、『レバレッジ・リーディング』で提唱されている読書の方法をすべて肯定しているわけではない。むしろ、第一世代の読書の在り方にこだわりがあるといっていい。
 そして、その第二世代を進化させた第三世代、「リーディング3.0」は、「大きなリターンを取るために、読書という自己投資をする」という第二世代で説かれた考え方を持ちつつ、高度化した情報ツールを駆使し、より効率よく読書を行うということになる。
 つまり、「読書とテクノロジーの融合で」読書の効率化をあげるということだ。

 これは『レバレッジ・リーディング』でもそうなのだが、効率ばかりを追求することは本当に読書の在り方だろうか。非効率的なものを排斥することそのこと自体が本を読むこと、本から学ぶことから遠いところにあるような気がしてならない。
 ただテクノロジーの進化は早い。そのすべてを否定すべきではないし、その享受は若い世代だけでなく広く世代を超えてあるべきだろう。
 本田直之さんのこの本に書かれることをひとつに警鐘として受け止めている。
 本田さんはこう書いている。
 「常に学び続けてこそ、アドバンテージがとれるという大前提を理解したうえで、効率的にさまざまなサービスを使いこなしたいものです」
 納得の文章だ。
  
(2011/06/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  本田直之さんの新しい本
  『リーディング3.0』が書店に並んでいます。
  さっそく読んでみました。
  その本のことは明日紹介するとして
  まずは復習の意味で
  本田直之さんが2006年に出版された
  『レバレッジ・リーディング』を
  蔵出し書評で紹介しておきます。
  『リーディング3.0』はこの『レバレッジ・リーディング』の
  進化したものと考えていいと思います。
  ただ、技術の進化をどうとらえるかということで
  根本にある読書の考え方は
  この『レバレッジ・リーディング』で充足されます。
  まずは、この本を読んでみて
  それから新刊『リーディング3.0』を読むのが
  いいかと思います。

  じゃあ、読もう。

レバレッジ・リーディングレバレッジ・リーディング
(2006/12/01)
本田 直之

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sai.wingpen  読書とは何か                   矢印 bk1書評ページへ

 著者自身が「レバレッジ・リーディングはそもそも読書ではありません」と書いているように、この本は「読書家のための本」ではない。
 では、何か。
 先の言葉に続けて「投資活動です」とある。すなわち、本を活用(レバレッジ)し、自己の知の体系を高めていくための方法論といえる。
 著者がこの本に書かれている方法にたどりつくまでには書かれている挿話以上の思索や錯綜があったと思うが、私たちは本書を読むだけで、少なくとも、ものの二時間もあればその方法を習得できる。
 書き手の一〇〇〇日は読み手の一日である。
 一冊の本は一〇〇〇日の時間を提供する。
 それがレバレッジ、「てこの原理」である。

 著書は太字でこう書いている。
「本当は本は読めば読むほど、時間が生まれます。本を読まないから、時間がないのです」

 しかし、「勝ち組」と呼ばれる人たちはこのようにドライに本を読むのかという驚愕のような思いが残る。
 書かれていることはよくわかる。
 よくわかるが、本当の読書というのはそうではあるまい、と自問をしている自分を消せないでいる。

 では、読書とは何か。
 それは、投資活動ではなく、心の深みや知識の幅を掘り下げていく行為だと思う。
 私たちは本を読むことで、単に物事の核心だけを知るのではない。周辺の無駄やくだらないものをも含めて、私たちは認知する。
 何故それらの混沌が大事なのか。
 それは私たち自身が混沌だからではないか。

 「勝つ」ことは間違いではないだろう。
 「負け」たくはない。
 それでも「負け」てしまう人がいるのも事実だろう。
 そして、「勝つ」ことは「負け」ることの排除ではない。
 私たちは「勝つ」ことも「負け」ることも受け入れた上で生き続けなければいけないのではないか。
 読書とは、そういう生きる上での応用性を学ぶ行為だと思う。
 「ビジネス書を効率よく読むための手法」である本書を読んで、自身にとっての読書とは何かを考えてみるのもいいかもしれない。
 つまり、読書とはそういうことではないだろうか。
  
(2008/12/01 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日山口瞳さんの『山本さんのいいつけ』という本を
  紹介しましたが、
  今日は山口瞳さんの「頑固オヤジ」の後継者として
  東海林さだおさんを推薦する
  一冊を紹介します。
  それが『花がないのに花見かな』です。
  先日このブログで紹介した
  『そうだ、ローカル線、ソースカツ丼』と
  同じシリーズの最新刊です。
  書評の中にある「謝罪会見」のくだりですが
  思わず吹き出してしまうくらい面白い。
  読んでいたのが通勤電車の中だったので
  前に座っていた人が
  不思議そうな(イヤそうな?)顔をしていました。

  じゃあ、読もう。
花がないのに花見かな花がないのに花見かな
(2011/04)
東海林 さだお

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sai.wingpen  「グヤジー」と嘆いている人のために          矢印 bk1書評ページへ

 作家の山口瞳さんには「頑固オヤジ」のイメージがあって、それがまた昭和のオヤジぽくってなかなかあの人を超える文化人はでてこない。
 山口瞳さんは「ガンコということは、年齢にも関係」すると「ガンコ爺いの弁」という小文(『山本さんのいいつけ』所載)に書いています。すなわち、人生の終盤に差しかかってくると「開き直って、言いたいことは言ってしまえ、気に食わなきゃどなりつけろというふうになってしまう」。
 でも、今の時代山口瞳さんに匹敵するような人いるのかなと考えていたら、いました、いました、ちゃんといました。平成の「頑固オヤジ」がちゃんといました。
 それが、本書の著者、東海林さだおさん。

 なにしろ東海林さんはこの本のなかでも、桜の咲いていない花見ツアーを嘆き、「お早う」という挨拶を怒り、自分探しの旅をぼやき、世の中のフタを褒めたと思えばけなし、「草食男子許すまじ」と一喝する。
 その気合い、その頑固ぶりは、はまさに山口瞳さんの正統な後継者といえる。
 それに東海林さんには漫画家としてのユーモアもあって、挿絵のなかでも思う存分からかえてしまうので、山口さんより有利といえる。頑固者に有利不利があるかどうかはともかくとして。

 本書は『オール読物』に2009年から2011年の初めまで連載されていた「男の分別学」をまとめたものだが、なるほど、頑固というのもひとつの「男の分別」なのかもしれない。
 ところで、この本のなかには東海林さんの謝罪会見についての検証報告? が収められているので、ぜひ政治家の皆さんや大きな電力会社の皆さんや北陸の焼肉屋の皆さんも、勉強してみてはどうだろうか。
 国民は、被災者は、焼肉大好きな人は、「グヤジー」と泣いているのですよ。
  
(2011/06/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  この国の人々というのは
  あまり怒ることをしないのではないか。
  先週からつづく政治のごたごた、
  いいえ、もう何年もつづく政治のおそまつさに
  どうして国民は声を大にして
  怒らないのか
  不思議でたまりません。
  もちろん新聞とかTVで怒っている人を
  見ないわけではないけれど
  それが大きなうねりとならないのは
  どうしてでしょう。
  きっと外国だったらデモぐらいは
  あるんじゃないかな。
  もちろんデモで解決はしないと思いますが。
  怒る人が少なくなって
  思い出すのは頑固オヤジのイメージの強い
  山口瞳さん。
  亡くなって随分経ちますが、
  こうして今でも新しい本がでてきます。
  人気あるな。
  きっと山口瞳さんに怒ってもらいたがっているのかも
  しれません。
  最近の政治にうんざりしている人も
  この本を読んでスカッとしてみて下さい。

  じゃあ、読もう。

山本さんのいいつけ山本さんのいいつけ
(2011/04/21)
山口 瞳

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sai.wingpen  カムバック、山口瞳さん                矢印 bk1書評ページへ

 日本人の姓で一番多いのが「佐藤さん」らしい。とにかくとっても多いらしい。次が「鈴木さん」「高橋さん」と続く。「山本さん」も多くて、第八位ぐらいだそうだ。そんなに多い「山本さん」ですから、単に「山本さん」ではいったいどこの誰なのかわかったものではない。
 例えば、同級生なんかにも何人もいて「そういえば、山本だけどさ」っていってもどの「山本さん」なのかわかりはしない。できれば、「メガネをかけて鼻の横にほくろがあった山本だけどさ」ぐらいは特定しないと。同じ姓がたくさんいる人は、だから、大変なのだ。
 本書のタイトル『山本さんのいいつけ』の「山本さん」は山本周五郎さんのことで、『青べか物語』とか『さぶ』とか書いた文壇の大御所。山口瞳さんはその「山本さん」と一度しか会っていないのだが、その際にとてもいい話をしてもらった。だから、とても大切な「山本さん」なのだ。
 そんなことを書いた小文の最後に、山口さんは突然怒り出す。山本周五郎さんを「山周と呼ばないでくれ給え」と、山口さんは怒り出す。「山周は敬愛をこめた愛称のつもりかも知れないけれど、君達にそんな資格はないよ」と一喝する。
 実に小気味いい。

 本書は1995年に亡くなった山口瞳さんの小文、雑文を落穂拾いのようにして集めた雑文集だが、そのなかで山口瞳さんは怒って、怒って、怒っている。最近では少なくなったが、「頑固オヤジ」の典型のように怒ってる。
 本書には「ガンコ爺いの弁」なんていう小文もあって、山口さん自身そのことを否定もしないし、「やさしい気持がある人とか、それから頭の悪い人がガンコになりやすい」と冷静に分析して堂々としている。
 やっぱり山口さんのような「頑固オヤジ」がいなくなったのは寂しい。ガミガミ言われるのは嫌だけど、そういうオヤジがいないと世の中全般腑抜けのようになってしまう。だから、没後何年も経っても、こうして新しい本がでるのでしょう。
 「カムバック、シェーン!」ではありませんが、「カムバック、頑固オヤジ! カムバック、山口瞳さん!」みたいなところがあります。

 もし、山口瞳さんが生きておられたら、今の日本の政治家をどんなふうに怒るのでしょう。そんな文章を読んでみたいと思わないでもありません。
  
(2011/06/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  書評であっても時事ネタを交えながら
  書くということはよくします。
  本を読むというのは
  その時々の思いがはいりますから
  時事ネタを排除する必要はないと思っています。
  ただ、すぐに鮮度がなくなるということはあります。
  そのあたりが書評に時事ネタをいれる難しさです。
  今日紹介する沢木耕太郎さんの
  『危機の宰相』ですが
  書評を書いたのは2008年3月です。
  蔵出し書評なのですが、
  残念ながらこの国の政治の事情は
  少しも変わっていません。
  この書評を書いた時の首相は
  書評にもあるように自民党の福田康夫さんでした。
  この名前を今の菅直人さんに変えるだけで
  読めてしまうのですから
  一体この国の政治は何をしてきたのでしょうか。
  そんなことを思うと
  残念でなりません。

  じゃあ、読もう。

危機の宰相 (文春文庫)危機の宰相 (文春文庫)
(2008/11/07)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  三十年めの『危機の宰相』                 矢印 bk1書評ページへ

 本を読む動機は人により、あるいは日常の場面において様々である。私という個人においても、ある本は広告により喚起され、またある本は好きな書き手だから、と特定されるものではない。
 沢木耕太郎のこの本(『危機の宰相』)の場合、かなり強く意識して辿りついた一冊といえる。
 この本を強く読みたいと思ったのには理由がある。それは、現在の政治状況の貧弱さを思い、自分なりの物事の整理の仕方を行いたかったこととして、確か沢木の著作の中に「危機」という単語に修飾される「宰相」というものがあったことを思い出したことである。

 沢木の作品はほとんど読んできたから、沢木がどのような書き手であるかある程度は理解しているつもりである。その沢木と「宰相」とは、私の中ではあまり相容れない組み合わせであり、そえゆえにその彼が、「宰相」をどのように表現しているかを知りたかった。
 単行本にならなかった沢木の長編ということで、題名だけがあり、その内容について私には事前の情報は皆無に近かった。ただ『危機の宰相』という書名だけが、この本を読む動機であった。

 この長編が「文藝春秋」(1977年7月号)に掲載された際のサブタイトルは「池田政治と福田政治」(ここでいう福田というのは福田赳夫である)というから、私が現在の政治状況下(つまり福田康夫政権下(この書評を書いた当時の首相)における政治の混沌と絶望感)で選択した本としては、妙に符号があった感じがする。もっともこの作品の中では、もっぱら池田政権のことが語られているだけで、福田赳夫政権はほとんど語られていないので読者は誤解しない方がいいとした上で。

 沢木の初期の多くの作品が、その「人物描写」において圧倒的な表現力をもっていたように、この作品においても一九六〇年代前半の宰相として強い印象を残した池田勇人を中心に、彼とともに<所得倍増論>を展開した人々の活写は魅力あるものだ。
 しかし、この著作では沢木が描こうとしたものは<所得倍増>を求めた時代の空気のようなものであり、同時にそういう時代へ誘導しようとした政治であった。いや、沢木は池田なりその周辺の人物をもっと描きたかったのかもしれないが、それ以上に政治という磁力が強い時代であったというべきかもしれない。そういう意味で、この作品を書いた沢木にとっては未消化すぎる題材であったといえる。

 沢木のことはともかくとして、読む動機であった現在の政治状況の整理にこの本が役立ったかといえば、少なくとも池田政権に関する次のような記述は今の政治状況から全く忘れされたものという理解、あるいは認識をもてたといえる。
 「保守、少なくとも池田勇人とその周辺には来たるべき時代を見通すひとつの歴史感があったことが理解できる。歴史観というのが大袈裟ならば、日本を動かしていく時代の流れを察知し、その未来を構想する能力があった。少なくとも、池田とその周辺には確実に一九六〇年代への構想力があった」。
 まさに現在「危機の宰相」ともいうべき福田康夫にあって、「未来を構想する能力」があるか、その力なくして国民を次の時代へと導くことはできうるか。それが政治不信を招いているおおもとではないか。そういう点では(今の時代を看過して沢木がこの作品を書いたのではないとしても)、三十年めにして一読の価値をもった幸福な一冊であるといえる。
  
(2008/03/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する絵本は
  中国の作家による絵本、
  『この世でいちばんすばらしい馬』。
  先月韓国に行った話は
  このブログにも書きましたが、
  時間があれば韓国の本屋さんで
  韓国の絵本を探したかった。
  残念ながら、時間がなくて
  本屋さんに行くことができなかったのですが
  韓国ではどんな絵本が出版されているのか
  知りたかったなぁ。
  もちろんハングル語が読めるはずもないのですが
  絵本は絵がありますから
  絵できっと読めるんじゃないか
  絵本でその国のことが理解できるんじゃないか
  そんなことを考えていました。
  というわけで、
  今回は中国の絵本ということで
  少しばかり満足しました。

  じゃあ、読もう。

この世でいちばんすばらしい馬この世でいちばんすばらしい馬
(2008/12)
チェン ジャンホン

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sai.wingpen  絵のちから                  矢印 bk1書評ページへ

 中国の絵本です。珍しくて読んでみましたが、日本や西洋のものと違う雰囲気にすっかり感心してしまいました。さすが三千年の歴史のある国のことはあります。絵本にも重厚さを感じます。
 もちろんこの絵本自体は現代の作品で、この作品は2005年にドイツ児童図書賞を受賞したそうです。

 題材となったのは8世紀の中国に実在したハン・ガンという画家です。実際彼の描く馬の絵は有名で、この絵本に描かれたように絵から飛び出して戦場で戦ったかどうかはともかくとしても、よく似た逸話があったのかもしれません。
 絵本というのは、文章と絵が組み合わさってできることが基本にあります。
 物語をより生き生きと動かすために絵があると同時に、絵は物語によって生命を得ます。その点では、この絵本のなかの絵から抜け出す馬と同じくらい、絵に力がないと、絵本の魅力は半減どころか台無しになってしまいます。
 この絵本では、8世紀の画家ハン・ガンが使ったのと同じ手法で絹地に描いた絵が使われています。そういうところが重厚さの、ひとつの要因となっているのかもしれません。

 そういう点では、絵本というのは実に多様な表現力を持っています。さらに、この絵本のように民族性をきちんと表現することもできます。絵本を通じて世界を知ることだって可能です。
 この絵本を読んだ子供たちは、中国の長い歴史と広大な国土を想像できたでしょうか。ましてや、同じアジアの国です。
 理解することを絵本から学ぶのもいいと思いませんか。
  
(2011/06/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から映画『軽蔑』が封切りされるはずです。
  予告編のCMをご覧になった人もいるかと思います。
  高良健吾さんと鈴木杏さん主演の映画です。
  実はその原作が、中上健次さんなんです。
  TVのCMでこの映画の予告編を見た時、
  一番驚いたのが、「原作 中上健次」というテロップでした。
  中上健次さんが亡くなって
  もうすぐ20年になろうとしています。
  それが、こうして映画の原作として使われる。
  なんともうれしいではありませんか。
  そこで、今回の「芥川賞を読む」で
  中上健次さんが受賞した『』を読んでみることに
  しました。
  私はこの『』のあとも
  中上健次さんの作品はかなり読んでいます。
  そして、受賞作を収録した単行本は
  今でも大事にもっています。

  じゃあ、読もう。

岬 (文春文庫 な 4-1)岬 (文春文庫 な 4-1)
(1978/12)
中上 健次

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sai.wingpen  中上健次は今も生き続ける作家だ                矢印 bk1書評ページへ

 第74回芥川賞受賞作(1976年)。この作品が芥川賞を受賞した昭和51年、私は二十歳だった。そして、この作品の図太さに衝撃を受けた。文学というのはこんなにも人の心を震わせるのか、と。
 それから30年以上経って、こうして再読してが、その時の印象のまま、作品は少しも古びてはいない。現代でも生き生きと、主人公の生に対するこだわり、苛立ち、荒ぶれが感じられる。
 中上健次は死してなお、極めて現代の作家である。

 中上は受賞作となったこの『岬』を契機として、自身の生の根源をたどる作品を続けざまに描いていく。場所は紀州和歌山の小さな町。
 この作品では「山と川と海に囲まれ、日に蒸された」という一画は、その後「路地」の視点を明確にしていく。中上が他の現代作家と一線を画するのはそういう「土着性」である。
 さらに、複雑な生い立ちも中上にとっては生涯のテーマとなった。それは「家」というような綺麗な主題ではない。逃げようとして決して逃れられないものとして彼は自分の父親、母親、肉親と対峙している。

 この物語の主人公は24歳の秋幸。三人の兄姉とは父親が違う。さらに母は幼かった彼だけを連れて再婚してしまう。
 小さな町である。今は二番目の姉の夫が親方をしている建築請負業で働いている。兄は秋幸が12歳の時、自殺した。死の前に母と秋幸の住む家をたずね、自分たちを捨てたとなじった。小さな町である。秋幸の本当の父は評判がすこぶる悪い。何人もの女に手を出し、秋幸と同じ年の子供が何人もいる。秋幸の妹と思われる女は貧しい飲み屋で売春のようなことまでしているという。そんな悪の父親の視線がいつまでも秋幸の背中につきささる。小さな町なのだ。

 小さな町ゆえにそこで呼吸する人々の息も汗も血も精液も、すべてが混ざり合って異臭を放っている。混沌。それでいて、この作品の生きることへの執着は何だろう。
 そこから逃げ出すのではなく、そこに踏みとどまることで生きようと願う、中上健次の強い力を感じる。それにしても、46歳の若さで亡くなった(1992年)中上のあまりにも若すぎる死が惜しまれる。
  
(2011/06/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日は内閣不信任案がどうなるかで
  日本列島が振り回された格好の一日でした。
  それで、結末はというと
  あまりのお粗末に国民はただただ
  開いた口がふさがらないというところでしょうか。
  あまりにも被災者、被災地をおざなりにした政争に
  国民も怒っているのでしょうが
  それさえ何の行動も生まれるわけではない。
  一体、この国とは何だろうと
  つい思ってしまいます。
  今日書いた書評の中で
  「先日の衆院復興特別委員会で」と書いているのは
  5月23日のやりとりのことで
  質問者はたちあがれ日本の園田幹事長
  質問のなかで園田氏は
  「(この国の政治が)ポピュリズム(人気取り)だ」と
  詰め寄ったそうです。
  菅首相は「そうならないよう踏ん張っているつもりですが」と
  答えたという。
  しかし、園田氏だけでなく
  政治全般が「ポピュリズム(人気取り)」の罠に陥っていると
  心配している人は多いのではないでしょうか。
  そんなことをふと思ったりしています。
  なお、このことは
  5月28日の朝日新聞朝刊の星浩さんの「政治考」という
  記事を参考にしました。

  じゃあ、読もう。

この国のかたち〈3〉 (文春文庫)この国のかたち〈3〉 (文春文庫)
(1995/05)
司馬 遼太郎

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sai.wingpen  国のリーダーのありかた                矢印 bk1書評ページへ

 国のリーダーについて考えている。東日本大震災、それに続く福島原発事故。それらの大問題に直面してこの国の指導者はどう動き、何を発言してきたのか。
 司馬遼太郎の『この国のかたち』を3.11以後、この国のことを考えるようにして再読しているのだが、第3巻にあたる本書の中に「家康以前」という一文が収録されている。家康というのはもちろん徳川家康で、それ以前といえば織田信長、豊臣秀吉ということになる。

 その一文を「すべては、信長からはじまった」という文章から書きだした司馬さんは、信長の政治を「こわすだけでなく、あたらしい社会をつくろうとした」ものだとしている。だが、残念にも本能寺の変で信長の野望は潰える。
 そのあとを秀吉は継承したのだが、秀吉政権の崩壊を司馬さんは秀吉の朝鮮侵略に起因するものとみている。(この3巻には「秀吉」と題された一文もあって、秀吉の無謀な行為を「病気」とまで断罪している)
 それにつづくのが家康であるが、彼が天下統一を果たせたのはその器量のよさというのが、司馬さんの見立てである。「かれは感情家でなく、驕慢でなかった。このことがひとびとに安堵感をあたえた。当時、このような人を器量人とよんで、珍重する風があった」と書いている。

 さて、今である。司馬さんがいない今、司馬さんの考え方や思考方法を補助線のようにして今を考える必要があるのだが、今この国のリーダーは「ひとびとに安堵感をあたえ」ているだろうか。
 その発言の右往左往しているのは内部の人間ではなく、多くの国民ではないだろうか。場当たり的な発言は責任の所在を曖昧にし、付け焼刃的な施策は空回りする。
 先日の衆院復興特別委員会で「このままでは日本の針路を間違える」とまで追求されたこの国のリーダーだが、のちの歴史家が「あれは病気だったのではないか」と断罪されることのないよう、願うしかない。
  
(2011/06/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  植村鞆音さんが書いた『気骨の人 城山三郎』。
  その書評のタイトルが
  「「老醜」こそ美しい」。
  きっとこのタイトルに
  嫌な思いをする人がいるかもしれないので
  先回りして書いておきますね。
  このなかで
  私は年老いていくことは
  けっして醜くなることではないと
  書いたつもりです。
  城山三郎さん自身、
  晩年「ボケてきた」とまで言われてしまう。
  城山三郎さんがそうであったかどうかは
  わかりませんが、
  私の父も最近めっきり「ボケてきた」。
  でも、それは年なのだから
  とても自然なこと。
  それをとやかく言わないことが
  正しいのではないか。
  そんな思いで、
  今回の書評は書いたつもりです。

  じゃあ、読もう。 

気骨の人 城山三郎気骨の人 城山三郎
(2011/03/31)
植村 鞆音

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sai.wingpen  「老醜」こそ美しい                  矢印 bk1書評ページへ

 「老醜」という言葉があります。年老いて段々醜くなるという、嫌な言葉のように聞こえます。
 しかし、年老いて醜くなるのはとても自然なことです。草花だってそうです。盛りの花の美しさは喩えようもありませんが、やがて醜く枯れていきます。そして、散り落ちます。
 それはどうしてでしょう。
 新しい次の芽が準備を始めるからです。新しい花が咲くほこるからです。もし、いつまでもきれいなままだとしたら、新しい花たちは困ります。そのために、醜くなっているとしたら、それはとても自然で、ちっとも恥ずかしいことではありません。

 作家城山三郎さんのことを考えています。晩年の代表作のひとつとなった『そうか、もう君はいないのか』の亡き妻を偲ぶ城山さん、記憶があいまいとなっていく城山さん、あるいは写真で拝見するかぎり痩せ細っていく城山さんを見ると、やはり「老醜」といわれても仕方がなかったかもしれません。
 事実、2002年(この時城山さんは75歳でした)の個人情報保護法反対運動の活動の際に、自民党の議員から「城山はボケているから」とまで言われます。その時の城山さんの対応が奮っています。文藝春秋に「私をボケと罵った自民党議員へ」という一文で反撃し、この文章はその年の文藝春秋読者賞を受賞してしまいます。

 きっとこの時の自民党議員は本当の意味の「老醜」がわかっていなかったのではないでしょうか。
 城山さんは次の世代にバタンタッチするために老いていかれた。醜くもなっていかれた。それを「ボケ」とはなにごとか。これほど自然で、美しいことはないはずなのに。
 そういったことのいくつかは、人がひととして過ごしてきた時間で生まれてきます。
 作家城山三郎とはどういう人生を生きてきたのか、本書は単に評伝というだけでなく、多面的な城山三郎を見据えることで、とても美しい「老醜」の城山三郎をも描いた労作です。
  
(2011/06/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から6月です。
  今年は梅雨入りも例年より
  うんと早かったようです。

   樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ  日野草城

  井上ひさしさんが亡くなって
  もう1年以上も過ぎましたが、
  先日紹介した『日本語教室』にしろ
  今日紹介する『ふかいことをおもしろく』にしろ
  本当に現役作家並みに
  新しい本が続々と出版される作家というのも
  珍しいと思います。
  それほどに井上ひさしさんの功績は
  大きかったといえます。
  この『ふかいことをおもしろく』のなかで
  井上ひさしさんは本について
  こんなことを書いています。

   本とは、人類がたどり着いた最高の装置のひとつだと思います。

  最高の装置に
  井上ひさしさんが遺したものを
  私たちは大事にしていきたいと思います。

  じゃあ、読もう。

ふかいことをおもしろく―創作の原点ふかいことをおもしろく―創作の原点
(2011/04)
井上 ひさし

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sai.wingpen  ゆかいなことはあくまでゆかいに          矢印 bk1書評ページへ

 本書のタイトル『ふかいことをおもしろく』は、昨年の春亡くなった井上ひさしさんの有名な座右の銘の一節ですが、全文はこうなっています。
 「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく おもしろいことをまじめに まじめなことをゆかいに そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
 あえて全文を紹介したのは、できればたくさんの人に知っておいてほしいことと、井上さんが遺したものとして記憶しておきたいという気持ちからです。
この本もそういうところから出版されたのでしょうか、2007年9月に放映されたインタビュー番組をもとに単行本化されたものです。
 井上さんの肉声、表情はわかりませんが、ここにはまちがいなく井上さんが私たちに遺そうとした思いがつまっています。

 このインタビューの時点で井上さんがどれほど自身の死について意識されていたかはわかりませんが、死について「人間は、生まれてから死に向かって進んでいきます。それが生きるということです」と話されています。だからこそ、冒頭の座右の銘にもあるように、笑いを大事にされてきたのだと思います。
 インタビューにこうあります。「人間の出来る最大の仕事は、人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗出来るようないい笑いをみんなで作り合っていくことだと思います」
 深刻な話や難しい話ばかりが私たちに生きる道筋を指し示すのではない。もっと本質的なところで、笑いは生きていくそのことを後押ししているのだと思います。そのような井上さんの思いを私たちはきちんと記憶し、それをまた伝えていかなければなりません。

 本書巻末に「一〇〇年後の皆さんへ、僕からのメッセージ」と記された井上さんの文章が収められています。
 100年後なんて井上さんはもちろん、私たちのほとんども生きているはずもない世界です。そこに生きる未来の人に井上さんは「できたら一〇〇年後の皆さんに、とてもいい地球をお渡しできるように、一〇〇年前の我々も必死で頑張ります」と書きました。
 井上さんがいない今、井上さんが遺したものをお渡しできるように、必死で頑張らないといけないのです。
  
(2011/06/01 投稿)

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