07/31/2011 おやすみ、ぼく(アンドリュー ダッド/落合恵子):書評「ありがとうは照れくさい」

今日紹介する絵本
『おやすみ、ぼく』の訳者は
あの落合恵子さん。
クレヨンハウスの主宰者だということは
このブログでも何度か書きました。
だから、とっても素敵な訳をおつけになっています。
それに、この絵本には
落合恵子さんのとってもいい前文がついていて
こう書かれていました。
世界中の眠たい子と まだまだ眠くない子と 眠りたくない子へ
なんだかこの文章は
絵本すべてにいえるような気がします。
絵本を読んで眠ってしまう子供たちに
どんな夢が待っているのでしょう。
じゃあ、読もう。
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年を重ねると、そこかしらに変調をきたすもので、毎日身体の筋肉が凝りかたまっていく感じがしないでもありません。特に私の場合は腰が重要なポイントで、数年前に腰を痛めてからまた突発的におかしくなりはしないかと恐る恐る過ごすことが多くなります。
この絵本の主人公はオラウータンのこども。「おやすみ、ぼくのあしさん きょうも うーんと はしったね」から始まるおやすみ前の一連の儀式? が、エマ・クエイさんのかわいい絵でつづられていきます。
もちろん、文を担当したアンドリュー・ダッドさんの短いお祈りのような文も素敵です。
たとえば、「おやすみ、ぼくのむねさん ちゃんと いきは つづけてね」なんて、こどもたちならこっそりいいそうなせりふです。
こどもさえしっかり身体のあちらこちらにお礼を言っているのに、年を重ねたおとなの私ときたら、どうでしょう。毎日とってもお世話になっている足にも手にも、口にも目にも、おやすみのあいさつもしなければ、毎日の「ありがとう」も言えていません。
ずっとずっと一緒に生きてきた、いえお世話になってきたというのに。
そんな反省をこめて、この絵本を読みました。
訳者の落合恵子さんがこんなことをこの絵本のはじまりに書いています。「大人にも必要ですね、こんな絵本を静かに口ずさむ時間が」って。
今夜は眠る前に、そっと「おやすみ、私の腰さん 今日もでっぱったおなかを支えてくれてありがとう」って言ってみようかな。
(2011/07/31 投稿)

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07/30/2011 星 (百年文庫)(アンデルセン、ラーゲルレーヴ 他):書評「星は希望」

今日紹介する「百年文庫」の一冊は
第51巻の「星」。
そういわれてみれば
最近星をみていないな。
冬の夜空は
なんとなく星を見ることが
多いのですが
やはり空気が澄んで
きれいに見えるからでしょうか。
でも、
夏山のてっぺんから
星たちをながめたら
どんなにきれいなことか。
そういう休暇がとれたら
いいな。
じゃあ、読もう。
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星は希望。
迷える夜に歩むべき道を指し示すもの。
寒い夜に暖かさをさしのべるもの。
太古の昔から人びとは星に明日を見出してきました。そして、作家たちは星のような物語を紡ぎだして、人々を慰安し続けてきました。
「百年文庫」の第二期刊行のはじめての巻となる第51巻めは「星」と銘打たれています。この「百年文庫」は全100巻のシリーズですが、その節目となる巻として、これほどふさわしいタイトルもありません。
この巻には、アンデルセンの『ひとり者のナイトキャップ』、ビョルンソンの『父親』、ラーゲルレーヴの『ともしび』という、北欧の作家三人の作品が収められています。
アンデルセンはいうまでもなく「童話の神様」です。誰もがアンデルセンの作品をゆりかごのようにして育ってきます。『マッチ売りの少女』『裸の王様』『人魚姫』など、生涯に150篇もの童話を書いたといわれています。
本書に収録されている『ひとり者のナイトキャップ』はナイトキャップの由来のような作品になっています。年老いたアントンはナイトキャップに真珠のような涙をとじこめています。アントンがこれまで生きてきた人生のなかでの愛するものとの出会いと別れ、それを思い出しながらアントンはきれいな涙をこぼすのです。
誰にだってある、それは思い出です。思い出すにはつらいけれど、思い出さずにはいられない思い出。人はそんな思い出をナイトキャップに縫込んでいるのです。
ビョルンソンの『父親』はとても短い作品です。息子の誕生に歓喜し、その成長にときめいています。やがて、成人し、嫁をとることも決まります。それなのに突然彼は死んでしまうのです。
父親は悲嘆にくれます。それでも生きようとする父親。「お前の息子は、とうとうお前の祝福になったのだ」という、牧師の最後の言葉に尽きる名品です。
ちなみにビョルンソンはノルウェーの作家で、1903年にノーベル文学賞を受賞しています。
もう一人の、ラーゲルレーヴはスウェーデンの女性作家で彼女も1909年にノーベル文学賞を受賞しています。代表作は『ニルスのふしぎな旅』。児童文学として有名な作品です。
本書に収められている『ともしび』は宗教説話といった趣きの作品です。なかなか時代背景とかは日本人になじまないかもしれませんが、乱暴者であった主人公がある事件をきっかけにして、賢く思慮に富み、慈悲深いものに変わる姿を描いています。
いずれの作品も短編ですが、その光は強く、いささかも衰えない星たちでもあります。
(2011/07/30 投稿)

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07/29/2011 恋しぐれ(葉室 麟):書評「しら梅に」

第145回直木賞は
池井戸潤さんの『下町ロケット』に
決定しましたが、
私はひそかに
今日紹介する
葉室麟さんの『恋しぐれ』が受賞するのではないかと
思っていました。
理由は特にないのですが
最近時代小説が一定の評価を
得ていますし、
与謝蕪村という俳人を中心にして物語も
読み物として口あたりがいいのではと
思っていました。
見事にはずれましたが。
今日の書評のタイトル「しら梅に」は
蕪村の辞世の句
しら梅にあくる夜ばかりとなりにけり
から採りました。
じゃあ、読もう。
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この物語の主人公与謝蕪村は江戸時代中期の俳人である。正岡子規はその蕪村の俳句を評して「芭蕉に匹敵すべく、あるいはこれに凌駕する」と讃えたが、子規の俳句革新は蕪村という俳人の再発掘に力を得、それは燎原の火となって、現在(いま)に続いている。
蕪村とその周辺の人々を描いた七つの短編からなる葉室麟の作品のなかでも蕪村の句は効果的に使われている。ただし、直木賞の選考のなかで「俳句が情景描写に安易に使われている」という批判はどうだろうか。本作の最後の作品である、蕪村の死後の弟子たちの日々を描いた「梅の影」にその傾向があることは否めないにしても、他の作品ではそれほど気になるものではない。
全体としては蕪村の弟子である月渓(後に松村呉春と名をあらため、四条派の祖となる絵師)が物語のはしばしに登場し、物語の進行に一役を買っている。蕪村の物語というより月渓のそれという方がふさわしい。
(ちなみにいえば、本書のカバー絵は呉春の「白梅図屏風」で、蕪村の死後彼がその絵の完成にいたるまでの物語は先ほどの「梅の影」である)
もっとも読みごたえがあったのは、蕪村の娘くのの嫁ぎ先での苦労話を著した「春しぐれ」だった。
くのは蕪村が四十過ぎにできた娘で、それゆえか蕪村の情愛が深い娘であった。そのくのが嫁ぎ先でつらい虐げを受け、やがて病の床に伏してしまう。そんなくのを迎えにいったのが小さい頃から兄のように慕った月渓であった。月渓は静かに病のくのを背負い、蕪村とともに春しぐれのなかを嫁ぎ先を後にする。
もちろん、物語はもうひとつの終わり方が用意されているのだが、ここでも梅の花が彩りをそえている。
与謝蕪村は天明三年十二月六十八歳の生涯を閉じた。
その忌日の十二月二十五日は「蕪村忌」として、今も俳人たちに詠まれつづけられている。
正岡子規はこう詠んだ。
「蕪村忌に呉春が画きし蕪かな」
(2011/07/29 投稿)

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先日このブログで
今六本木の国立新美術館で開催されている
「ワシントンナショナル・ギャラリー展」に行ってきた話を
書きましたが、
読んでいただけました?

今日紹介するのは
その展覧会の副読本ともいえる
中野京子さんの
『印象派で「近代」を読む』です。
副題は「光のモネから、ゴッホの闇へ」。
今回の展覧会で見ることのできる
作品についても解説されています。
たとえば、チケットのデザインとしても使われている
マネの『鉄道』。
汽車も描かれていないのに『鉄道』なんて
不思議な絵なんです。
近代が見えない形でどんどん
ひろがっていた時代でも
あったのだろうと思います。
夏休みに「ワシントンナショナル・ギャラリー展」に
行こうかと計画している人は
ぜひ。
じゃあ、読もう。
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今東京六本木にある国立新美術館で開催されている「ワシントンナショナル・ギャラリー展」の宣伝惹句は「これを見ずに、印象派は語れない」です。実際本邦初公開の印象派の名作が50点あって規模としては大きな展覧会といえます。
印象派といえばフランスのイメージがありますが、どうしてその作品がこれほどアメリカの美術館に集められていたのか。
「アメリカなかりせば印象派の隆盛はなかった」と著者も本書の中に書いていますが、当時(1870年代後半)新興国だったアメリカは「何とか新たな、自他ともに誇れる文化を形成したい」と考えていました。そのためには手っ取り早く「文化」を輸入するしかない。そんな時、ひときわ目をひいたのが印象派の作品群だったわけです。
印象派の作品を世に生み出したのは、1874年に開催された展覧会に出品された、モネの「印象―日の出」だということは有名な逸話です。
その時、多くの批評家がそれらの作品を「さぞかしここにはたっぷり印象が入っているのだろう」と揶揄します。まさに権威がこれからでようとする若い力を押さえようとしたわけです。
しかし、印象派の作品は半信半疑ながらも時代に受け入れられていきます。そこにアメリカの富豪たちの目が集中したのです。
当時のアメリカ人に印象派がどのように写ったか。おそらく彼らには光をふんだんに使った作品としてしか見えなかったはずです。
本書のなかで著者は何故日本人が印象派の作品を好むのかという理由として、「まだ西洋美術の学びの途中」だからと書いていますが、同じことが当時のアメリカ人にもありました。つまり、「まだ西洋美術の学びの途中」だったアメリカ人には印象派の作品は理解しやすいものだったということです。
そんな印象派の作品たちですが、多くの画家を輩出しています。マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ルノワール、といったように、誰もが何人かの画家の名前がいえるはずです。
そんなことを思えば、印象派というのは個性的な画家たちの時代だったといえます。
彼らがどのような生涯を過ごしたかということについ興味がいってしまいますが、本当に印象派の作品を鑑賞しようと思えば、それらの作品がどのような時代背景から誕生したかを知っていることは、鑑賞をより深めてくれますし、愉しくもしてくれます。
著者はそういう鑑賞の仕方を薦めれています。
今回の展覧会で実際に見ることができる作品のことも何点かこの本に紹介されています。
この本を読んでから展覧会を見に行く方がいいか、展覧会を見てからこの本を手にすべきか。
前か後ろかという問題はありますが、どちらにしても本書を読めば、印象派への理解が高まることでしょう。
展覧会の宣伝惹句ではないですが「この本を読まずして、印象派は語れない」ということです。
(2011/07/28 投稿)

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07/27/2011 東京(坪内 祐三):書評「「ぴあ」のあった頃」

二日間にわたって雑誌「ぴあ」の休刊のことを
書いたのですが、
なんだかその当時のことが無性に
懐かしくなって、
今日は蔵出し書評で
坪内祐三さんの『東京』という本を
紹介したいと思います。
青春時代というのは
やはりやっかいなもので
いつまでも尻尾のように
離れてくれません。
そういえば、小池一夫さんの原作で
『青春の尻尾』という漫画が
あったものです。
そういう尻尾をうまく
切り落とす人もいれば
いつまでもぶらさげている人もいます。
私はまったく後者です。
今日の書評はbk1書店に投稿した当時は
「君の住む美し都」でしたが、
「「ぴあ」のあった頃」と
改題しました。
じゃあ、読もう。
![]() | 東京 (2008/07/19) 坪内 祐三 商品詳細を見る |


思い出のメロディーというのは日本の音楽が歌謡曲と呼ばれていた時代のものだと思っていたが、いつの間にか自分の若かりし日々の唄がそこにはいっているのには、ほとほと年を感じてしまう。
マイペースが歌った「東京」(1974年)もそのひとつである。
自分が好きだった女の子が東京に行ってしまったあとだったので、がなりたてるように何度もひとり歌った思い出が苦い。
「東京へはもう何度も行きましたね/君の住む美し都」
全然行ったこともなかったのに、私にとっての「東京」は、「君の住む美し都」だった。
坪内祐三氏の、一連の<昔話>が好きである。
生まれた地はまったく違う(坪内氏は東京世田谷、私は大阪の地方都市)のだが、年代が近い(坪内氏は1958年、私は1955年)せいか、あるいは多感な青春期を同じ東京で過ごしたせいか、坪内氏の書く街の表情や映画の話や雑誌のことどもに、いつも共感してしまう。
坪内氏のそのような作品に批評性がなろうとなかろうと、あの時代の東京の空気そのものが私にとっては今でも夢のようなものなのだ。(もっとも坪内氏がマイペースの「東京」の世界を理解できたかはわからないが)
この本では雑誌「東京人」の編集者をやめるまでの青春期の坪内氏とそれらの日々で関わった東京の二十四の街が「スケッチ」として描かれている。そのうちのいくつかで、もしかしたら少しおデブの坪内少年とニアミスしていたかもしれない。そう思うのも楽しい。
私は「彼女」を追いかけるようにして東京の大学にはいって初めて住んだ街が世田谷池尻だった。高級住宅地に住んだのではなく、そこに学生寮があったからだ。だから当時の渋谷はよく利用した街である。
「彼女」と東京で初めて会ったのが銀座(田舎からきた人間にとって東京の繁華街は銀座しか知らなかった)。
「彼女」にふられたのが高田馬場の(たぶん)<白鳥>という喫茶店。
でも、なんとなくあきらめきれずに「彼女」の住んでいた新井薬師にある下宿に越したのは東京に来て三年目の春だった。そして、こちらの思惑どおりというか、「彼女」と新井薬師の駅前で偶然(?)にも再会したが、見事に無視されてしまう。
こんなはずではなかったのに。
大学といえば坪内氏の本にもちょこっと登場する高田馬場の駅横のパチンコ屋にいりびたりで、当時(1975年頃)まだ椅子席ではなく立ちながら遊戯をしてズボンの後ろのしまっていた財布を盗まれてしまったこともある。
六本木の近くで学習塾のアルバイトをしていたこともある。<アマンド>という響きがなつかしい。
池袋の文芸地下(映画館)に行くのも緊張して歩いた(これはたぶん五木寛之氏の『青春の門』の影響だと思う)田舎者にとって、東京とは「花の都」でもなく、どこか切ない町のあれこれだった。
大学をでて一旦大阪に戻ったあと、仕事の都合でまた東京にくることになるが、もうあの頃の東京ではなくなっていた。
何が変わったのか。街ではなく、自分自身が変わったのだ。
「君の住む美し都」だった東京は、私にとってやはり青春の街だった。
太宰治は作品『東京八景』の中で「東京八景。私はそれを、青春への訣別の辞として、誰にも媚びずに書きたかった」と書いているが、本書は五十歳の坪内氏にとっても「青春への訣別の辞」だったのかもしれない。
そう思うと、やはり切なくなる、一冊である。
(2008/11/04 投稿)

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07/26/2011 またまた、ぴあ。まだまだ、ぴあ - 雑誌を歩く 「ぴあ」最終号
昨日のブログで
「ぴあ」の最終号が売り切れ店続出で
手に入りませんと書きましたが、
なんとか入手することができました。
努力すれば願いが叶うって本当ですね。
っていうか、
強い思いがあればこまめに動くから
夢が実現しやすいのかもしれませんね。
なにはともあれ、
「ぴあ」最終号が手にはいったので、
またまた、「ぴあ」のことを書きますね。
それに最終号の「ぴあ」はなんといっても
昭和47年(1972年)の創刊以来、39年の歴史が
どーんとつまっていますから
これは永久保存版なんです。
ましては私のように
その青春期(創刊当時私は17歳でした)から
壮年期の現在に至るまでの
人生の大半がここに凝縮されているのですから
まさに私の自分史のような雑誌でもあります。
ところで、「ぴあ」といえば
イラストレーター及川正通さんの表紙イラストも
忘れられない存在です。

及川正通さんが登場したのが昭和50年(1975年)といいますから
実に36年という永きにわたって、
表紙の顔を描きつづけてきました。
その数、実に1300点を超えるそうです。
この最終号では
そんな及川正通さんの作品がいっぱい使われていて
その表紙を見ているだけで
うれしくなっています。
左の写真は最終号の表紙の一角に使われていました
山口百恵さんの結婚式の時の表紙イラスト。
及川正通さんの表紙イラストをたどるだけで
自分の人生の大半が語れてしまうんでしょうね。
とにかく、
この「ぴあ」最終号には話したいことが
山ほどあるんです。
もう、タイヘーン。

それに、この最終号「ぴあ」には
創刊号の復刻版もついています。
左の写真がその復刻版の表紙。
昭和47年の8月号として創刊されたのですが
当時は月刊誌だったんですね。
ページ数にしてわずか26ページ。
値段は100円。
高かったのか安かったのか。
どうなんでしょうね。
タバコひと箱分の値段かな。
表紙はなんだか当時の「平凡パンチ」っぽいですね。
その中身ですが
それがもう感涙ものなんです。
当時ロードショウ公開されていたのが
「ゴッドファーザー」。
それに、ルノー・ベルレーとナタリー・ドロンの
「個人教授」。
なんか感涙どころではなくなりそう。
当時の名画座のラインナップだってすごい。
渋谷全線座では「ダーティハリー」と「栄光のル・マン」の二本立て。
池袋の文芸座では「小さな恋のメロディ」と「チコと鮫」。
なんといっても「チコと鮫」ですよ。
しぶいな。
銀座並木座では「けんかえれじい」と「八月の濡れた砂」。
ええい。こんな二本立てあっていいものですか。
地方の青少年の皆さんは家出覚悟のラインナップです。
こんなように
「ぴあ」最終号は夢の雑誌なんです。
また、機会があったら
書いてみたいと思います。
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「ぴあ」の最終号が売り切れ店続出で
手に入りませんと書きましたが、
なんとか入手することができました。
努力すれば願いが叶うって本当ですね。
っていうか、
強い思いがあればこまめに動くから
夢が実現しやすいのかもしれませんね。
なにはともあれ、
「ぴあ」最終号が手にはいったので、
またまた、「ぴあ」のことを書きますね。
それに最終号の「ぴあ」はなんといっても
昭和47年(1972年)の創刊以来、39年の歴史が
どーんとつまっていますから
これは永久保存版なんです。
ましては私のように
その青春期(創刊当時私は17歳でした)から
壮年期の現在に至るまでの
人生の大半がここに凝縮されているのですから
まさに私の自分史のような雑誌でもあります。
ところで、「ぴあ」といえば
イラストレーター及川正通さんの表紙イラストも
忘れられない存在です。

及川正通さんが登場したのが昭和50年(1975年)といいますから
実に36年という永きにわたって、
表紙の顔を描きつづけてきました。
その数、実に1300点を超えるそうです。
この最終号では
そんな及川正通さんの作品がいっぱい使われていて
その表紙を見ているだけで
うれしくなっています。
左の写真は最終号の表紙の一角に使われていました
山口百恵さんの結婚式の時の表紙イラスト。
及川正通さんの表紙イラストをたどるだけで
自分の人生の大半が語れてしまうんでしょうね。
とにかく、
この「ぴあ」最終号には話したいことが
山ほどあるんです。
もう、タイヘーン。

それに、この最終号「ぴあ」には
創刊号の復刻版もついています。
左の写真がその復刻版の表紙。
昭和47年の8月号として創刊されたのですが
当時は月刊誌だったんですね。
ページ数にしてわずか26ページ。
値段は100円。
高かったのか安かったのか。
どうなんでしょうね。
タバコひと箱分の値段かな。
表紙はなんだか当時の「平凡パンチ」っぽいですね。
その中身ですが
それがもう感涙ものなんです。
当時ロードショウ公開されていたのが
「ゴッドファーザー」。
それに、ルノー・ベルレーとナタリー・ドロンの
「個人教授」。
なんか感涙どころではなくなりそう。
当時の名画座のラインナップだってすごい。
渋谷全線座では「ダーティハリー」と「栄光のル・マン」の二本立て。
池袋の文芸座では「小さな恋のメロディ」と「チコと鮫」。
なんといっても「チコと鮫」ですよ。
しぶいな。
銀座並木座では「けんかえれじい」と「八月の濡れた砂」。
ええい。こんな二本立てあっていいものですか。
地方の青少年の皆さんは家出覚悟のラインナップです。
こんなように
「ぴあ」最終号は夢の雑誌なんです。
また、機会があったら
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07/25/2011 雑誌を歩く 「ぴあ」最終号 - さようなら、ぴあ。ありがとう、ぴあ。
インターネットが普及して
どこにいても、いつでも色々な情報が
手にはいるようになりました。
最近では新聞だってスマートフォンで読めたりします。
昔はそうではなかった。
どんな映画がどこで上映されているのかといった情報さえ
手にいれるのが難しかった。
ましてや複数の映画館の情報なんて
なかなか知ることができませんでした。
高校時代、私は大阪の高校でしたから
当時読んでいた「キネマ旬報」でいくつかの映画館の、
その多くは名画座と呼ばれていたものですが、
上映プログラムをみては、ため息をついていたものです。
文芸坐、並木座、佳作座、ほか、ほか。
1970年代前半です。
東京の学校に行きたいという理由のひとつに
これらの名画座たちに行きたかったことも
あったと思います。
そして、雑誌「ぴあ」です。
東京に出てきて初めて住んだのが
世田谷の池尻の学生寮でした。
そこは大阪の学生たちを受け入れてくれる寮でしたから
雑多な学校の学生がいました。
私は多摩美のK君と同室。
K君には随分と最新の東京情報、
それは今から思えば最新の文化情報でもあったわけですが、
を、教えてもらいました。
そのひとつが「ぴあ」でした。
「ぴあ」を読めば、映画、演劇、若者情報が一覧できました。
当時としては画期的な雑誌でした。
「ぴあ」の創刊は、昭和47年(1972年)ですから
私はかなり早くに「ぴあ」と出合った口だと思います。
「ぴあ」を片手に名画座をハシゴする。
なんていう姿を覚えている人も多いと思います。
まさに「ぴあ」は現代のスマートフォンですね。

その「ぴあ」の首都圏版が先日の7月21日号をもって
休刊することになりました。
左の写真は当日の朝の朝日新聞に出た
一面広告です。
うかつにも私はそのことに気がつきませんでした。
本屋さんやコンビニを数件回りましたが、
すでに完売されているようです。
「ぴあ」にお世話になった同世代の人たちが
何十年かぶりに手にしているのではないでしょうか。
もっと応援していたら
休刊することはなかったかもしれませんが
それもまた時の流れです。
キャンディーズのスーちゃん。
俳優の原田芳雄さん。
そして、「ぴあ」。
またひとつ、あの頃の日々が風にとばされていきました。
さようなら、ぴあ。
そして、ありがとう、ぴあ。
そんな気分で、今回の「雑誌を歩く」を
書いてみました。
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どこにいても、いつでも色々な情報が
手にはいるようになりました。
最近では新聞だってスマートフォンで読めたりします。
昔はそうではなかった。
どんな映画がどこで上映されているのかといった情報さえ
手にいれるのが難しかった。
ましてや複数の映画館の情報なんて
なかなか知ることができませんでした。
高校時代、私は大阪の高校でしたから
当時読んでいた「キネマ旬報」でいくつかの映画館の、
その多くは名画座と呼ばれていたものですが、
上映プログラムをみては、ため息をついていたものです。
文芸坐、並木座、佳作座、ほか、ほか。
1970年代前半です。
東京の学校に行きたいという理由のひとつに
これらの名画座たちに行きたかったことも
あったと思います。
そして、雑誌「ぴあ」です。
![]() | ぴあ [最終号] (2011/07/21) 不明 商品詳細を見る |
東京に出てきて初めて住んだのが
世田谷の池尻の学生寮でした。
そこは大阪の学生たちを受け入れてくれる寮でしたから
雑多な学校の学生がいました。
私は多摩美のK君と同室。
K君には随分と最新の東京情報、
それは今から思えば最新の文化情報でもあったわけですが、
を、教えてもらいました。
そのひとつが「ぴあ」でした。
「ぴあ」を読めば、映画、演劇、若者情報が一覧できました。
当時としては画期的な雑誌でした。
「ぴあ」の創刊は、昭和47年(1972年)ですから
私はかなり早くに「ぴあ」と出合った口だと思います。
「ぴあ」を片手に名画座をハシゴする。
なんていう姿を覚えている人も多いと思います。
まさに「ぴあ」は現代のスマートフォンですね。

その「ぴあ」の首都圏版が先日の7月21日号をもって
休刊することになりました。
左の写真は当日の朝の朝日新聞に出た
一面広告です。
うかつにも私はそのことに気がつきませんでした。
本屋さんやコンビニを数件回りましたが、
すでに完売されているようです。
「ぴあ」にお世話になった同世代の人たちが
何十年かぶりに手にしているのではないでしょうか。
もっと応援していたら
休刊することはなかったかもしれませんが
それもまた時の流れです。
キャンディーズのスーちゃん。
俳優の原田芳雄さん。
そして、「ぴあ」。
またひとつ、あの頃の日々が風にとばされていきました。
さようなら、ぴあ。
そして、ありがとう、ぴあ。
そんな気分で、今回の「雑誌を歩く」を
書いてみました。

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07/24/2011 まいごのしろくま(アンドレ・ダーハン/角田光代 訳):書評「この地球のために」

今日紹介する絵本は
アンドレ・ダーハンというフランスで活躍する
絵本作家が描いた
『まいごのしろくま』です。
訳は『八日目の蝉』が大ヒットとなった
直木賞作家の角田光代さん。
絵本とはいえ
角田光代さんのような
しっかりした小説家が日本語を
担当してもらえるのは
とてもいいことだと思います。
特に小さな子供たちが手にする絵本だからこそ
美しい日本語は
重要ではないでしょうか。
言葉がないと
人と人とのコミュニケーションだって
うまくいきません。
小さな時から
いい日本語にふれることは
だから大事なことなのです。
じゃあ、読もう。
![]() | まいごのしろくま (BOOKS POOKA) (2010/08/04) 不明 商品詳細を見る |


この絵本にはとても大きなテーマが込められています。
それは「地球温暖化」の問題です。
そのことを大上段に描いているわけではありません。でも、大きな声で叫ぶことだけが問題提起ではありません。大きな声に小さな子供たちが驚いて、泣き出してしまうのがオチです。
子供たちが自然とその問題について考えることができるようにすることも、大人の役目だと思います。
作者は親子のしろくまを描いた最後のページで、そっとつぶやきます。
「わたしたちに、なにかできることは ないでしょうか。さむいさむいくにのこおりをまもり、そこでくらすこぐまのかぞくを たすけるために。」と。
このメッセージにいたる物語はこうです。
幸せに暮らしていたこぐまの家族でしたが、ある日「ものすごいおおきなおと」をたてて氷の山が崩れます。海に浮かぶ氷の破片にこぐまの家族は飛び乗りましたが、小さな氷に三頭のしろくまが生きることはできません。
生きるために小さなこぐまだけをそこに残して、パパくまとママくまはもっと大きな氷を求めて氷の破片を離れます。
しかし、小さなこぐまはえさをとることもままなりません。やがて、力尽きて、海へ沈んでいきます。
そんなこぐまを助けたのは、あざらしの赤ちゃんたちでした。こぐまに大きな星につながるリボンを手渡します。こぐまはそのリボンにひきあげられるようにして、パパくまとママくまの元に帰っていきます。
これは私の解釈ですが、かわいそうですが、この小さなこぐまは死んでしまったのだと思います。
死んだら星になるとよくいわれますが、このこぐまも大きな星のリボンに引き上げられて星になったのではないでしょうか。
だから、最後のページの親子のしろくまの姿は作者の願いをこめた絵だったような気がします。
そして、そっとつぶやくことで、こぐまたちの未来のことを、自分たちの未来のことを考えるようにうながしているのです。
この地球のために、私たちができること。
一冊の絵本はそう問いかけています。
(2011/07/24 投稿)

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07/23/2011 履歴書代わりに(吉村 昭):書評「履歴書に偽りなし」

昨日吉村昭さんの
『三陸海岸大津波』という本を紹介しましたが
吉村昭さんという作家が
どういう書き手であるか
わからない人も多いかもしれません。
今日はそういう人のために
吉村昭さんの『履歴書代わりに』という
エッセイ本を紹介します。
昨日の『三陸海岸大津波』を読んで
吉村昭さんに興味を持った人は
ぜひお読みください。
本を読むということは
そういうふうに
一つの作品から誘発されて
次々と読みたくなるものです。
そうやって、読む訓練をしていくのが
読書の王道です。
じゃあ、読もう。
![]() | 履歴書代わりに (2011/06/16) 吉村 昭 商品詳細を見る |


私は吉村昭さんの『冷い夏、暑い夏』を自身のベスト本のひとつだと考えています。
この一作だけでも、吉村昭さんの作家としての在り様が信じられますし、吉村昭さんという作家が好きでもあります。
この作品は吉村昭さんの弟の死を描いた私小説風なものですが、吉村さんの作家としてのすごさはそれを単に肉親の死という情感で描かなかったことで、吉村さんが得意とした硬質な記録風作品に仕上げていることです。
自身の肺結核を描いた吉村さんの初期の作品はまだ文学臭が立ち込めたものでもありますが、それらの短編に登場する弟の姿と『冷い夏、暑い夏』に最後の姿をとどめる弟の姿はまったく違います。
初期の短編に登場する弟は文学という創意でまとわれていますが、『冷い夏、暑い夏』の弟にはそういう余分なものが削ぎ落とされています。
吉村昭さんはその死後(吉村さんは2006年に亡くなりました)も、記録文学の第一人者として、多くの人々に記憶される作家にちがいありません。
そんな吉村さんが遺された多くの文章のなかから単行本未収録エッセイを集めた一冊が本書です。
本のタイトルの『履歴書代わりに』というエッセイはありません。この本全体が吉村さんの「履歴書代わり」となっています。
そもそも作家とはその書いた作品が自身の履歴そのものです。
だから、自身の青春期を綴った「私の青春」という文章だけでなく、吉村さんがこよなく愛した長崎という町のことを書いた数編のエッセイもまた吉村昭という人物の履歴なのです。
自身の好みも欠点も赤裸々に描く、特に吉村さんの場合は創意というやっかいなものを極力排した文章を特徴とした作家ですから、そういう点では「履歴書に偽りなし」ということになるのだと思います。
人は物語に多くのものを求めます。
心の鼓動であったり鼻の奥をツンと突きさす悲しみであったりします。
それを創るのではなく、それを表現することに徹した作家、それが吉村昭という作家だったのです。
(2011/07/23 投稿)

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07/22/2011 三陸海岸大津波(吉村 昭):書評「「一つの地方史」の記録ではなく」

吉村昭さんに
今日紹介する『三陸海岸大津波』という
著作があることを
うかつにも知りませんでした。
あの震災のあと、
本屋さんの店頭で見つけ、
吉村昭さんはこういう本も書いていたのかと
驚きましたし、
その一方でまるで何かを教え諭すようにして
吉村昭さんは書かれたのだろうかと
思いました。
この『三陸海岸大津波』は小説ではありません。
ルポタージュとでも
いえばいいでしょうか。
こういう本はもっと読まれてもいい。
そして、私たちはもっと
津波の怖ろしさを知るべきでしょう。
平易な文章は子供たちでも
十分読めます。
ぜひ、夏休みに読んでもらいたい一冊です。
じゃあ、読もう。
![]() | 三陸海岸大津波 (文春文庫) (2004/03/12) 吉村 昭 商品詳細を見る |


3月11日の東日本大震災以後、多くの関連書籍が出版されている。ある意味それは出版人としての心意気でもあるが、他方大きな惨劇が多くの関心を集めるため売上という点からも出版を急ぐという意味も持つ。そのなかでひと際異彩を放つのが本書の存在だろう。
何しろこの本の初版は今から40年以上も前の昭和45年(1970年)なのだ。
はじめ『海の壁』と題され、中公新書の一冊として刊行された。吉村昭は名作『戦艦武蔵』を発表し、自らの方向性をようやく確立したばかりであった。その後の吉村の活躍については言うまでもない。
そんな吉村が「何度か三陸沿岸を旅して」いるうちに、過去かの地を何度か襲った津波の話に触れ、「一つの地方史として残しておきたい気持」で書き下ろしたのが本書である。
「津波の研究家ではなく、単なる一旅行者にすぎない」吉村ではあるが、今回の大震災後に慌ただしく出版された関連本と違い、腰の据わった記録本として高い評価を得ていいだろう。
もちろん、吉村がこの時想像をしていた以上の悲惨な大津波がまたも三陸沿岸を襲った事実はあったとしても、この本の評価はけっして下がることはない。また、今後何年かして、吉村のように丁寧に今回の津波の惨状を伝える書き手が現れることを期待する。
本書は明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)の大津波、それに昭和35年(1960年)のチリ地震による津波の惨劇が、当時の資料と生存者の声の収集から成り立っている。
執筆された当時からすると明治29年の生存者はわずかであるが、吉村は根気よく探しつづける。そういう地道な努力が文章の記録性を高めているといっていい。
このような大きな津波のあとを訪ねても、いかに三陸沿岸が津波の被害に苦しめられてきたかがわかる。そして、そのつど、人々は復興してきたというのもまぎれもない事実である。
吉村は「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」としながらも、「今の人たちは色々な方法で充分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」という地元の古老の言葉を信頼し、安堵もしている。
今回の津波による大惨事をもって、吉村の考え方が甘かったということもいえるかもしれない。
しかし、甘かったのは吉村だけではない。多くの日本人は何かを見落としてしまっていたのだ。この本を前にしてそのことを反省せざるをえない。
この本はいまや「一つの地方史」の記録ではなく、この国の記録として大事に読み継がれなければならないだろう。
(2011/07/22 投稿)

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どのような社会であれ
人間の集団なのだから、
組織が生まれ、それがどのようなものであっても
その組織がうまく稼働するかどうかは
ある意味永遠のテーマであるように
思います。
それは単に企業の組織だけでなく
学生時代のクラブのような組織にもいえるでしょうし、
もしかしたら
夫婦、親子といった家族の関係でも
いえるのではないでしょうか。
「うちの子供がいうこときかなくて」
「理解のない親なんだ」
そういう言葉は
そっくり同じようにして
どのような組織のなかでも使われています。
この本、
『9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方』にも
書かれていますが、
上司はやはり言行一致でないといけません。
お父さんお母さんも同じです。
小言をいう前に
自分の行動は正しいか振り返ること。
うーん。
これってわかりきっているようですが
なかなか難しいですね。
じゃあ、読もう。
![]() | 9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方 (2010/11/25) 福島 文二郎 商品詳細を見る |


この本、今とても売れている、つまり読まれているそうだ。
なんでもそうだが、売れる、あるいはヒットする場合にはやはり理由がある。この本の場合、「ディズニーランド」というのがひとつのキーワードであるのはまちがいない。
「ディズニーランド」は単にアミューズメント施設の面白さだけでなく、ビジネスの観点から見ても多くの成功のヒントがつまっている場所でもある。それだけではなく、あれだけの来場者がいるわけだから、たくさんの物語が生まれる場所だといっていい。
それに、「ディズニーランド」に行ったことのある人は、あの場所での感動を記憶しているだろうから、自分の経験にそくしてイメージがしやすいだろう。
次に、この本のタイトルであるが、「9割がバイトでも最高のスタッフに育つ」とある。
正規社員でなくてもあれだけのサービスができるには何かしらの秘密があるにちがいないと興味をくすぐられる。「9割」と数字で示した点もわかりやすさにつながっている。
さらに、この本が「人材教育」に関する本だということだ。
これは売れているという現象からの見方になるが、それほどに「人材教育」の関心の高さがうかがえる。上司はどうしたら部下が効率よく働けるかを悩み、部下はどうして上司はわかってくれないのかと嘆く。この構造は、組織が人の集団である限り、永遠につづくテーマにちがいない。
この本には「人を育てる」多くの法則が書かれているが、それを実践しても多くの組織では「ディズニーランド」のような運営ができるとも思えない。
成功が先か、「人材教育」が先かという議論はあるだろうが、「成功」している企業だから「人材教育」もまたうまくいっているということがいえる。
ただ、「人材教育」がうまくいったからこそ「成功」したというケースもあるだろうし、そうしなければならないがならないだろうが、そう簡単にはいかないのも真実だろう。
人間は電気で動くロボットではない。だから、面白いのだから、人としてもそんな面白さを活かせる組織こそ、強い組織になると思うのだが。
(2011/07/21 投稿)

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俳優・原田芳雄さんの突然の訃報に
とても驚いています。
原田芳雄さんは、私が映画という暗闇にはまっていた
青春時代になくてはならない人でした。
原田芳雄さんといえばアウトロー。
いえ、はみだしものといえば、原田芳雄さんしかいませんでした。
『反逆のメロディー』『赤い鳥、逃げた?』『竜馬暗殺』『祭りの準備』、
そして、『八月の濡れた砂』。
1970年代の綺羅星のような名作のほとんどに
原田芳雄さんは出演していました。
かっこよかったなぁ。
ああいう兄貴に出逢えないかと、いつも思っていました。
青春なんて、
いつもプイと横を向いているようなもの。
それでいて、誰かこっちをみてくれないかと思っていました。
原田芳雄さんは、
甘えるなとも言わないし、
わかったともいわない。
それなのに、どうしていつも兄貴のそばにいたいと
思ったのだろうか。
原田芳雄さんが『父と暮せば』で宮澤りえさんの父親役を演じましたが
それはそれでとてもいい演技だったと思いますが、
それでも原田芳雄さんは
私の中では、失った何かをいつも探している、
そんな兄貴でした。
今日は原田芳雄さんの逝去に
心を痛めながら、
蔵出し書評を紹介します。
原田芳雄さんのご冥福をお祈りします。
じゃあ、読もう。
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藤田敏八監督の『八月の濡れた砂』が公開されたのは1971年の8月、まだ大阪の片田舎にいた僕がちょうど映画の愉しみに目覚め始めた頃だ。
だから、この映画を実際に観たのはそれから何年かしてになる。東京の名画座、銀座の並木座だったかしら。
大阪の片田舎の高校生だった僕にとって、東京の名画座は綺羅星のようだった。そこに青春の何もかもがつまっているように思えた。燃えたぎる力も友情も涙も、そして恋も。
名画座の固い椅子で観た『八月の濡れた砂』はそんな僕には切なく、つらい映画だった。ラスト、海に漂う白いヨットを映してカメラは揺れながらのぼっていく。小さくちいさくなっていく一隻のヨットは挫折した青春。そして。
まさにその時代(1960年代末から70年代にかけて)は、この本が描くように名画座という映画館が若者たちの熱気であふれていた時代だった。
この本では東京とその近郊の名画座しか描かれていないが、京都でも大阪でも、あるいは地方の街でも、館主たちの熱い思いが感じさせられる番組が組まれていた。
それは映画絶頂期を過ぎ、ビデオ出現前の、幸福な時間だったともいえる。そして、それは著者の書くように「青春はまだ映画にしがみついていたといえる最後の時代」でもあった。
おそらくこの本の読者は、いわゆる団塊の世代か、それより少し遅れてきた著者や僕のような世代が中心になるのだろうが、この本を単に「ただ酒場で昔話をするんじゃなくて」(これはこの本にある元名画座支配人石井氏のインタビューの一節だが、このインタビューだけでも読んでもらいたいと思う)、なぜあの時代がそうだったのかを考えるきっかけになればいい。
思い出はどこまでいっても甘く切ない。
しかし、思い出だけでは何もうまれてこない。
著者はいう。「街々と映画館の記憶は、いつか見た思い出として封印されるものではなく、今もすぐ近くにありそうなもの、ただ諸々の事情で変容したり、見られなくなっているようなもので、これからも生まれ変わって生き続けるのだと思う」。
そのことを問い続けることは名画座の時代を生きたものにとって、そしてある程度人生の先輩になったものにとって、大切な課題のような気がする。
『八月の濡れた砂』のラストシーンの、海に漂うヨットは、青春のさだまらない思いだった。
その映像にかぶさるように、石川セリが唄う主題歌がゆっくりと静かにながれてくるのだ。
「あの夏の光と影は/どこに行ってしまったの/思い出さえも残しはしない/私の夏はあしたもつづく」と。
感傷もふくめて青春というものは、まちがいなく、そこにあった。
(2008/06/11 投稿)

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07/19/2011 男友だちを作ろう(山崎 ナオコーラ):書評「ナオコーラさんを応援します」

今回の第145回芥川賞の
選考経緯について
選考委員の山田詠美さんが記者発表したことは
昨日のブログにも書きましたが、
今日紹介する『男友だちを作ろう』の作者
山崎ナオコーラさんのことについて
こう話しています。
山崎さんは初回の投票では点が高かったが、
その後話していくうちに議論されなくなった
でも、こういう経緯がでてくるのは
周りの人にはわかりやすいですが
当の本人にはけっこうキツいですよね。
きっと。
特に芥川賞にこだわることはないでしょうし
山崎ナオコーラさんには
これからもいい作品を書いてもらいたいと
思います。
じゃあ、読もう。
![]() | 男友だちを作ろう (2011/06/11) 山崎 ナオコーラ 商品詳細を見る |


山崎ナオコーラさんはとても真面目な作家です。
少し息苦しくなるくらい、真面目な作家です。このエッセイの中でもこう書いています。「小説について考えることをライフワークにしたい」。こうも書いています。「「自分は小説家」ということを基盤に置きたい」。
そういう生真面目さ、それは表面だってでているわけではありませんが、芯にあるそういう生真面目さは山崎ナオコーラという小説家の特徴でもあるのでしょうが、できればそういう踏ん張りを捨ててしまう方が身軽になるのではないでしょうか。
文字をじっとにらんでいると言葉が言霊をなくしたりしませんか。山崎さんが真面目な作家だから、そういうことを心配したりしています。もちろん、そういうことを余計な心配というのですが。
本書は山崎ナオコーラさんと14人の男性との対談集なのですが、他の対談集とちがって、「人に会って、スケッチ風のエッセイを作る」という意気込みで書かれたエッセイという方が正しい。
人と会うことで、その人を描きながら、その人から逆に映し出されるようにして作者(ここでいえば山崎ナオコーラさんという「小説家」)の実像が浮かびあがってくる。
そういう点では出色のエッセイ集といえます。
山崎さんが本書で会って話しをした男性は、本書のイラストを担当しているのりたけさんをはじめ、写真家、演劇人、音楽家、はたまた普通の大学生、町のそば屋の店主という具合に、別に肩肘張る相手ではありません。つまり、山崎さんは今回の対談を通じて、本気で「男友だち」をつくろうとしているのだし、すでに知っている人とはあらためて「男友だち」という関係を確認しようとしています。
そんな「男友だち」に時に失恋の痛みを見破られたり、人生相談めいたことをしたりしています。ただ、そうであっても冷静に自分と「男友だち」をじっと見つめている「小説家」がいることも事実です。
先日発表された第145回芥川賞で山崎さんはまた受賞には至りませんでした。皮肉なことに、本書の中に『ポトスライムの舟』で津村記久子さんが第140回芥川賞を受賞した際の、その夜のことが書かれています。
山崎さんは発表を新大久保の韓国料理屋で待っていたそうです。結果受賞にはならなかったのですが、「みんなでわいわい話して、すごく素敵な思い出になった」と山崎さんは書いています。今回もきっと「素敵な思い出」をつくったのだと思います。そして、いつか。
山崎ナオコーラさんはとても真面目な作家なのですから。
(2011/07/19 投稿)

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07/18/2011 芥川賞を読む - きことわ(朝吹 真理子):書評「宮崎駿作品として観てみたい」

すごい! すごい!
ついになでしこジャパンが世界の頂点に!
海の日で
お休みの人が多いと思いますが
みなさん、朝から歓喜の声を
あげたんではないですか。
悲しいことばかりじゃない。
つらい時にも
きっと誰か背中を押してくれる人がいる。
そんなことを教えてくれた、なでしこジャパンに
感謝です。
さて、話が変わりますが、
先日発表された
第145回芥川賞はすでにこのブログにも書きましたが
該当作なしという残念な結果でした。
記者発表のなかで
選考委員の山田詠美さんが
「前回があまりにも素晴らしかったので
今回は印象がうすいと感じた」と
話したようですが、
今回の「芥川賞を読む」は
その素晴らしかった前回、
すなわち第144回芥川賞受賞作のひとつ、
朝吹真理子さんの『きことわ』です。
確かに山田詠美さんが絶賛するように
この朝吹真理子さんの『きことわ』は
物語の構成、登場人物たちの造形、など
一つひとつがとてもよく書けている作品です。
もうひとつの、
西村賢太さんの『苦役列車』も
早く読まないと。
じゃあ、読もう。
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第144回芥川賞受賞作。選考委員から絶賛された作品であるが、私の読後感でいうと、戯れて書くのでも放り出して書くのでもなく、心を平坦にしていうのだが、この作品は宮崎駿の世界によく似ている。
どこがどう似ているというのではないが、作品全体が醸し出す雰囲気が、たとえば『となりのトトロ』であったり『耳をすませば』であったり『魔女の宅急便』であったりといった宮崎アニメのもつどこか懐かしいものを喚起させるのだ。
選考委員のひとり高樹のぶ子の選評のなかに「感覚で摑まえたものを物や事象に置き換え、そこに時間の濃淡や歪みを加えて、極彩色の絵画を描いてみせた」という表現があったが、その評自体がそのまま宮崎駿の世界観ではなかろうか。
物語は貴子(きこ)と永遠子(とわこ)という二人の女性の、幼い頃の時間とそれから二十五年を経た現在の時間とを交差させ描かれる。
「とりとめのない一日の記憶」の中では貴子は八歳、永遠子は十五歳である。だから、二人のいまはそれから二十五年を足しこめばいい。
二十五年という歳月はどれほどのものかは言い難いものがあるが、永遠子のそれが四十歳ともなれば、二人の間に流れすぎた時間の量は、やはりそれが人生の深みであったといえる。
それでいて、二人は逢えなかった時間の量を一瞬にして越えてしまう。それは二人が子供の頃に過ごした葉山の別荘地での再会で、時間の量を越えてしまうきっかけは「巨大な百足(むかで)」という、そういう小道具の使い方も、私には宮崎駿的に思えた。
そういえば、と選考委員の池澤夏樹の選評を思い出したのだが、池澤は「いくつもの時や光景や感情がアニメのセルのような透明な素材に描かれ」て見事な構成をなしていると書いていたが、それはやはりこの作品がどこかアニメのような印象を読む者に与えることによる評価ともいえる。
ただ、私が宮崎駿との世界観に似ていると書いても、それはこの作品の出来栄えをけなすことではない。
物語としての爽快感はなんともいえない。むしろ、宮崎駿の作品によるアニメ化が実現すればどんなにいいだろうかと願っている。きっと素晴らしい作品になるのではないだろうかと、夢のように思っている。
(2011/07/18 投稿)

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07/17/2011 花の国・虫の国―熊田千佳慕の理科系美術絵本(熊田 千佳慕):書評「愛するからこそ美しい」

夏休みが近い。
私が子供の頃には
「夏休みの友」みたいな宿題ドリルが
あったように思うが、
今の子供たちはどうなのだろう。
あさがおの成長記録なんか
つけたりするのだろうか。
やっぱり読書感想文なんか
書いたりするのだろうか。
そういう子供たちにぜひ読んでもらいたのが
今日紹介する熊田千佳慕さんの
『花の国・虫の国―熊田千佳慕の理科系美術絵本』です。
熊田千佳慕さんは70歳で
「ファーブル昆虫記」の作品がボローニャ国際絵本原画展で入選した
遅咲きの細密画家です。
子供たちには
熊田千佳慕さんのような眼で
自然をみつめてもらいたいし、
本にも接してもらいたいと思います。
じゃあ、読もう。
![]() | 花の国・虫の国―熊田千佳慕の理科系美術絵本 (2011/04) 熊田 千佳慕 商品詳細を見る |


新聞の書評欄は読むには読むが、読み飛ばすことが多い。どうも堅苦しい感じがして仕方がない。本をもう少し楽しめばいいのにと思ってしまう。
そんな新聞の書評であるが、5月29日の朝日新聞の書評欄に掲載された福岡伸一さんの書評はうならされたというか、読み終わったあとには紹介されていた本が読みたくなった、完成度の高い文章だった。
福岡さんが紹介していたのがこの本、『花の国・虫の国 熊田千佳慕の理科系美術絵本』である。
この本は「絵本」とうたわれているように体裁は絵本だし、細密画といわれる細かい線で描かれた花と虫の世界は「絵本」の絵としては高度なものだといえる。
ただし、ここには色はない。ひまわりの黄色もチューリップの赤もない。熊田の鉛筆による描写だけである。
もちろん、この「絵本」は塗り絵ではない。色をつけるのは、読者の頭の中だ。春の光、夏の陽光のなかで、虫たちにどんな色を塗り、花たちをどうあでやかに彩るか、それはもう読者の想像にゆだねられている。
福岡さんは熊田の絵の魅力を「虫たちの眼には光を集めるレンズがない。像を結ぶ網膜もない。しかし彼らは確かに光の動きを捉え、世界を感じている」という虫固有の特徴を読者に気づかせてくれるからだと、書評の中に書いている。生物学の権威者ならではの、文章である。
だから、この本に対する福岡さんの書評は愛に満ちているともいえる。それこそ虫たちが光で世界を感じているように、福岡さんも全身でこの絵本を感じたにちがいない。
本を読むとはそういうことなのだろう。
だとしたら、この「絵本」の最後に紹介されている熊田の「自然は 美しいから 美しいのではなく 愛するからこそ 美しいのです」という言葉は、本を読むということにもつながっているし、その本を読んで書評を書くということにもつづいているような気がする。
愛すればこそ、人の心をうつものができる。熊田の絵がそのことを実証している。
(2011/07/17 投稿)

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07/16/2011 店 (百年文庫)(石坂洋次郎、椎名麟三 他):書評「働けど働けど」

今日紹介するのは
百年文庫の27巻め「店」。
この百年文庫では
明治大正昭和の名作といわれた
短編が数多く収録されているのですが
この巻では
昭和の風俗がとてもよく滲みでた作品が
収められています。
特に
石坂洋次郎さんの『婦人靴』という作品は
昭和30年代の風俗が
とてもうまく活写されています。
作品の中で「文通」ということが
描かれているのですが
メールとかツィッターとかが氾濫している現代では
「文通」はなんとも懐かしい
コミュニケーションの手段です。
そのあたりも楽しめる短編集です。
じゃあ、読もう。
![]() | (027)店 (百年文庫) (2010/10/13) 石坂洋次郎、椎名麟三 他 商品詳細を見る |


遠い記憶で書くと、就職活動で小売業の会社の面接で「物を売るとはどういうことだと思いますか」と訊かれて、「愛」と答えたのは結構真面目な気持ちだった。
食べ物屋さんにしろ衣料品店にしろ、本屋さんだって、何某かの物を販売することは買いたいと思っている人に「愛」を与えるということで、そういう気持ちがないとお店はつとまらないのではないかしらん。そこには買おうとするお客と売ろうとする店側の、相思相愛の愛があって成り立つものだといえまいか。
「百年文庫」の27巻は「店」と題されて、小さな店でつつましく生きる人々の姿を描いた日本の短編3作、石坂洋次郎の『婦人靴』、椎名麟三の『黄昏の回想』、そして第5回川端康成賞受賞作である和田芳恵の『雪女』、を収録している。
石坂洋次郎という作家は昭和30年代に続々と作品を発表し、その作品の多くはヒット作となった。同時にその多くが映画化され、日本映画隆盛期を支えた作家の一人といっていい。
『青い山脈』『陽のあたる坂道』『光る海』と書けば、若い読者はともかくとして壮年以上の読者にとっては懐かしい作家のひとりである。昭和という時代が懐かしく思い出されるなら、もっと研究されていい作家といえるだろう。
収録作『婦人靴』は貧しく見栄えのしない靴職人の青年が芸能雑誌に文通募集の投稿をしたことから起こる若い男女の切ない恋物語である。
文通ということ自体がメール全盛の現代からみて昭和的だといえるが、ハイヒールにあこがれる少女の心持ちもまた現代の若い人には理解しにくいことかもしれない。集団列車で都会に働きにでた少年少女にとって、一足のハイヒールとはいえ、まぶしいあこがれであった。この作品が芸能雑誌『明星』に発表されたということは石坂自身はその読者層を意識しながら書いたものだろう。
和田芳恵の『雪女』は足の不自由な青年と幼馴染の少女の恋の成就を描いていて清々しい。
複雑な家庭環境と不自由な足のせいで青年は町の印章店で働くようになる。やがて、その仕事ぶりが印章店の主人に認められていく。逆境をまじめに生きたものがたどりつける幸福を描いて爽やかな作品だ。
同じような逆境のなかで働く青年を描いた椎名麟三の『黄昏の回想』であるが、こちらの作品はニヒルといっていい。
若い頃に修業したカフェーの主人と思いがけない場所で再会した主人公は、そのやつれた姿に驚愕する。そして修業時代のつらい日々が思い出されるのだが、和田の『雪女』のような清々しさはここにはない。この作品の主人公も元の主人もけっして幸福ではない。
和田の『雪女』の主人公のように、働くということはまじめにこつこつと汗するしかないのではないか。
そうして、昭和の、そういう時代に生きた人たちがいたからこそ、現代のこの国がつくられてきたといえる。彼らの汗に、きちんと向き合えているかどうかはともかくとしても。
(2011/07/16 投稿)

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07/15/2011 ★ほんのニュース★ 芥川賞は受賞作なしとは残念

ついにわが「なでしこジャパン」が
準決勝でスウェーデンに勝って決勝進出を果たしました。
震災、原発、円高、政治の混迷と
最近いい話がありませんでしたので
ここは一気に優勝してもらいたいですね。

文学界でも女子の活躍はありかも、と
第145回芥川賞と直木賞の選考結果を楽しみにしていたのですが
朝日新聞のWEBからその結果を。


東日本大震災のあとの
初めての芥川賞とあって
どんな作品が、どんな新人があれからあとの世界を
描いてみせたのか楽しみにしていたのですが
結果は残念ながら
芥川賞は受賞作なし。
あれほどの悲しみを前にして
文学は何も語れなかったのかでしょうか。

政治の不信どころか
文学だって弱くなっているのかもしれない。
あとは、
なでしこジャパンに頑張ってもらうしかありません。

直木賞受賞は池井戸潤さんの『下町ロケット』。
池井戸潤さん、おめでとうございます。
![]() | 下町ロケット (2010/11/24) 池井戸 潤 商品詳細を見る |

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07/14/2011 行為の意味―青春前期のきみたちに(宮澤 章二):書評「人が人として生きるために」

今日紹介した宮澤章二さんの
『行為の意味』は
書評の中にも書きましたが
震災直後盛んに流れたCMの
「心は見えないけれど心づかいは見える」の
元となった詩集です。
東日本大震災から四か月が過ぎました。
冬の終わりから春、
そして夏へと季節は移りました。
それなのに
ちっとも復興のきざしは見えてきません。
政治はきちんと見える形にする実行力が
求められます。
誰もが被災舎を悼む「心」をもっています。
政治はそれを見える形にしないと
いけません。
宮澤章二さんの詩の意味を
多くの政治家にも考えてもらいたいと
思います。
じゃあ、読もう。
![]() | 行為の意味―青春前期のきみたちに (2010/07/06) 宮澤 章二 商品詳細を見る |


この3月に起こった東日本大震災のあと、TVのCMが自粛され、ACジャパン(旧公共広告機構)制作のキャンペーン広告が何度も繰り返し放送されたのは記憶に残る。
そのなかのひとつが、「思いやり」をテーマにした映像だった。電車に乗ってきた若い妊婦さんに気付きながらも席をゆずれない高校生。一方で席をかわる若い女性。「「こころ」はだれにも見えないけれど「こころづかい」は見える」とナレーションが重なる。
このフレーズは、詩人宮澤章二さんの「行為の意味」という詩をもとにしている。
原文では少し違う。「確かに<こころ>はだれにも見えない/けれど<こころづかい>は見えるのだ」。
原文の詩の方が固い印象がする。
本書『行為の意味』という詩集に収められた多くの詩は中学生のために書かれたものだ。詩人宮澤章二はその詩作を30年間続けた。飾ることも少なく、直截に「青春前期」の若者たちに問いかけるような詩は宮澤のどんな思いから発せられた言葉だったのだろう。
「原点について」という詩のなかで「ぼくらは ぼくら人間の原点について/一度でも考えてみたことがあるか…」と、宮澤は問いかける。その原点にいつも立ち返り、宮澤は「青春前期」の中学生たちに詩を書き続けた。 それはまた、「大人」としての自身の行いを常に振り返る行為でもあったのではないだろうか。
言葉が言葉として生まれてきた時、それはどのような修飾語も持たなかったはずだ。いけないことを「ダメだ」といい、涙する時を「悲しい」といった。それは言葉の原点だ。
宮澤の詩の硬質的な印象は原点だけがもつものだ。そこから摩耗され、やがてなめらかな言葉になっていく。
「青春前期」の若者たちに宮澤はあえてそのような言葉をぶつけたかったのかもしれない。
詩「行為の意味」の終わりを宮澤はこう結んだ。
「あたたかい心が あたたかい行為になり/やさしい思いが やさしい行為になるとき/<心>も<思い>も 初めて美しく生きる/-それは 人が人として生きることだ」。
人が人として生きるために、宮澤の詩は多くの意味を問いかけている。
(2011/07/14 投稿)

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レビュープラス
07/13/2011 今年も夏の文庫フェア開催中です!

ええい、今日も本関連の話題を書きますね。
なにしろ今書店の文庫コーナーに行けば
毎度おなじみの夏の文庫フェアのまっさかり。


新潮社の出展がなくて残念でしたが
夏の文庫イベントは今年も
「新潮文庫の100冊」でしっかり展開しています。
パンダをキャラクターにした「Yonda?」は
もうすっかりおなじみになりました。
今年は100冊のうちから2冊を購入すると
スウェーデンの陶芸作家リサ・ラーソンさんデザインの
Yonda?キーホルダーがもらえます。
でも、さすがにラインナップは他社を圧倒しています。
これだけの作品を揃えられるのですから
東京国際ブックフェアに出展してもよかったのに。
残念。
来年はぜひ出展してほしい。

新潮文庫、角川文庫、そして集英社文庫が
夏の文庫フェアでしのぎを削っているのですが
今年は集英社文庫の企画が一番かな。
フェアの小冊子も
パスポート風に仕上げて、
読書を愛する本旅券の所持人を通路故障なく
旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与え
られるよう、関係の諸官に要請する。
なんて、本格的? です。
イメージキャラクターも今人気急上昇の
武井咲さんを登用して
やる気を感じさせます。
集英社文庫の「ナツイチ」のキャラクターはハチですが、
一冊買えば、そのハチのかわいいスタンプがもらえます。

角川文庫は黒の子犬のハッケンくんがイメージキャラクター。
本屋さんには、出会いがある。
と、多分に本屋さんとの協調路線を意識したコピーが
目をひきます。
人気てぬぐい店かまわぬとコラボした和柄のSpecialカバーの
6点がいいですね。
1点買うとハッケンくんのCOOLストラップがもらえます。

この夏はどんな文庫を読もうかと悩んでいる
学生の皆さん。
今なら本屋さんに3社の文庫のフェアカタログが
並んでいます。
もちろん無料ですので
しっかり見比べてみて下さい。


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07/12/2011 酔狂に生きる ‐ 「曽野綾子さんの講演会」に行ってきました

曽野綾子さんの新刊が目立ちます。
『老いの才覚』『自分の始末』『年をとる楽しさ』…。
才媛にして美人の誉れの高い曽野綾子さんですが
ここにきてさらにパワーが増した感じです。
ただ残念ながら
私は曽野綾子さんの作品を一冊も読んだことが
ありません。
ただ遠くからお美しい作家だと眺めていただけです。

読書推進セミナーで曽野綾子さんが講演をされるということで
一目生(なま)曽野綾子さんが見たくて
暑い日曜日でしたが、
東京ビッグサイトまで行ってきました。
曽野綾子さんの今回の演題は
読書が「才覚」を創る
というもので、
いくら『老いの才覚』がヒットしたからといって
ちょっと安易な演題なような気がしないでもありません。
そうはいっても
さすが人気作家だけあって
会場は1500人の人であふれました。
講演希望の人が2800人だったそうですから
第二会場も使ったのかもしれません。
私は前から4列めで、しっかり曽野綾子さんの
お顔を拝見できる席を確保しました。

着物で来られるのかと期待もしていましたが
残念ながら洋装で登壇。
案外小柄。でも、さすがに美人。
たしか70代後半のはずですが
そうなふうには見えません。
講演のはしばしで笑顔を見せるのですが
その素敵なことといったら。
女性ならこんな風に年を重ねたいもの。
男性だって同じですが。
曽野綾子さんは今両方の足首を痛めているらしく
さすがに歩くのがゆっくり。
もともと強度の近視で苦労されていたそうで、
ただそういう弱点もまたその人の特徴なのだから
それをきちんと受け止めないといけないというようなことから
話が始まりました。

文学は正しいことだけを書くのではなく
悪いことも書けるようにしておく。
悪や暗さにも意味があるのだと、
話されました。
講演は1時間半でしたが
その多くはアフリカやボリビアの話で
演題はどうなっているのか心配になりました。
でもさすがに経験豊富な曽野綾子さんだけあって
最後は
泉鏡花の『滝の白糸』を引用して
酔狂な生き方だって構わない。
闊達な人生を楽しんでもらいたい。
厚みのある人生を過ごしてもらいたい。
本はその最大の恩師であると、
まとめられました。
特に、中年以降の人たちは
子育ても終わり、これからもっと
自由を手にしてもらいたい、と
話されました。

なかなかできるものではないですが
何かに縛られるのではなく
自分の信じたままに生きてみる。
それもまた「才覚」なのでしょうね。

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07/11/2011 「第18回東京国際ブックフェア」に行ってきましたーおまけ:和田秀樹さんの講演レポート

第18回東京国際ブックフェアに行ってきました。

このイベント、行くのはこれで3回目。
なんか毎年紙の出版界が弱くなっていく印象です。
特に今年は新潮社や文藝春秋といった
大手出版社の出展もありませんでしたし、
老舗筑摩書房も規模を縮小されていました。
この現象はどう見ればいいのでしょう。
電子書籍のブースが年々増えて
観客もそちらはたくさんいるのですが
どうも紙の出版社は初めから勝負を捨てているかのようで
本好きな私としては
少し悲しくなってしまいました。

ディスカバー・トゥエンティワンさん。
いい場所でかなりのスペースを確保していました。
やはり元気のいい出版社ならではですね。
残念だったのは児童書のコーナーもすっかり小さくなっていたこと。
児童書を好きな人はたくさんいます。
小さなコーナーですが
たくさんの人が絵本や児童書を見ていました。
来年はぜひもっと大きなコーナーを作ってほしいと
思います。

読書推進セミナーに参加してきました。
講演者は「受験の神様」とも呼ばれる
精神科医でもある和田秀樹さんでした。
演目は「今、なぜ読書が大切なのか?」です。
会場には500人くらいの人がはいっていたのではないでしょうか。
入りきらない人は別会場で聞いていたそうです。
私はしっかり早めに並んで前から8列めくらい。
和田秀樹さんは灘中学にはいって
東大にすすんだ秀才ですが、
けっして読書が好きということではなかったそうです。
そんな和田さんがいうには
「良い読書と悪い読書を区別しない」ということ。
例えば夏目漱石を読むのは良い読書で
週刊大衆を読むのは悪い読書みたいな
分け方はよくない。
それこそ、読書にはいろんな可能性があるということを
知ることが大事だといわれる。
読書の効用は
白か黒かという二面性での結論を求めるのではなく
どちらにも属さないグレーな部分があっていい。
「決めつけをしないことで自由になれる」と
話されました。
本を読むことで
そういう多様な世界を知ることは
とても重要なことだと、
私も思います。
1時間半の講演でしたが、
読書の本質にせまる、いい講演でした。

曽野綾子さんの講演のレポートを
お伝えしますね。
お楽しみに。

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07/10/2011 エリザベスは本の虫(サラ スチュワート):書評「エリザベスにはなれないけれど」

今年も恒例
東京国際ブックフェアが開催されています。
昨日会場の東京ビックサイトに
行ってきました。
その話は明日詳しく書くとして
今日は東京国際ブックフェアの開催を
記念してという訳ではありませんが
『エリザベスは本の虫』という
絵本を紹介します。
本を読む人は
減ったとよくいわれますが
東京国際ブックフェアの会場は
本の虫さんがうじょうじょ。
まだまだ本が好きっていう人は
たくさんいます。
そういう本の虫さんを
見ているだけで
こちらまでうれしくなってきます。
じゃあ、読もう。
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本好きな人なら、きっとこの絵本にでてくるエリザベスのような暮らしにあこがれるのではないかしら。
なにしろエリザベスときたら「ままごとあそびはきらいだし、スケートなんかしたくない」女の子で、「ねるまをおしんで本を読む」くらいの「本の虫」なのです。
学生になってもそれはつづいて「授業中もうわのそら」。友達が素敵な彼氏とデートをしていても彼女にとっては「デートするより、本が好き」なのだからどうしようもない。
でも、なんだかわかる気もします。だって、本のなかにはハラハラドキドキの大恋愛もたくさんあるわけだし、素敵なすてきな王子様が踊りを誘うってこともあります。
だったら、エリザベスは誰よりも幸福な暮らしをしているのかもしれません。
おとなになってもエリザベスは「本の虫」。あたらしい服にも興味がないし、本を買うためだったら晩のおかずだってぬいてしまう。その結果どうなったか。
本好きな人ならわかるかもしれませんが、「どこもかしこも本だらけ」。
うーん、わかるけどちょっとこわい。そういえば、最近も地震で本の下敷きになって亡くなった人がいました。本好きなら本望ともいえますが、やはり、ね。
ここからがエリザベスのえらいところで、持っていた本をすべて町に寄付してしまうのです。そうして、彼女の記念図書館ができました。
図書館ができるくらいの本持ちならともかく、所詮は中途半端な蔵書の数。それでも我が家には十分すぎて、エリザベスにはなれないけれど、できればずっとかわいい「本の虫」でいたいと思います。
(2011/07/10 投稿)

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07/09/2011 駅 (百年文庫)(ヨーゼフ・ロート、戸板康二 他):書評「人生が交差する場所(ところ)」

今日紹介する「百年文庫」は
「駅」と題された第37巻。
駅はいろいろな出会いと別れを
象徴した場所です。
改札口で待っている時間、
ゆく列車をおくる時間、
ホームを静かに歩く時間…
皆さんにも駅にまつわる
思い出のひとつやふたつは
あるのではないでしょうか。
私にもあります。
そんな駅での思い出の
なんと切ないことでしょう。
おそらくこれからも
駅は物語の森の
舞台になるにちがいありません。
じゃあ。読もう。
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浅田次郎さんの名作『鉄道員(ぽっぽや)』はあまりに真面目すぎる乙松という一人の鉄道員を描いて秀逸だったが、「乙松さん、五分遅れだのに、ずっとああして立ってるんです」と粉雪の降りしきる駅のホームで立つ鉄道員の姿を描いた場面がある。
鉄道員にとってたとえ五分であれ列車の遅れは事故につながる。乙松でなくても緊張せざるをえない。
それに駅はたくさんの人たちの人生は交差する場所でもある。ひとつの連結が他の人生へと運んでいくことだってある。だから、駅や旅は多くの物語の舞台になって、人生の一場面を描いていく。
「百年文庫」の37巻目は「駅」と題されて、オーストリアのユダヤ系作家ヨーゼフ・ロートの『駅長ファルメライアー』、と戸板康二の『グリーン車の子供』、プーシキンの『駅長』の三篇が収めれれている。
プーシキンといえば近代ロシア文学の父ともいわれる存在。『スペードの女王』や『大尉の娘』といった作品名をきけば、そういえば、とわかる人も多いのでは。
本書の収録されている『駅長』は悲惨な物語である。主人公である駅長の自慢の娘が傲慢な青年によって連れ出されてしまう。現代でいえば誘拐事件だろうが、駅といっても馬車と馬車とをつなぐにすぎない時代で、駅長といっても所詮は下級官吏にすぎない。無理矢理に連れされたら娘を取り戻す手立てさえない。ただ反面、娘の方からすれば貧しい生活から抜け出せるきっかけでもあったはず。時代とはいえ、あまりにも貧しい生活が生み出した悲劇といえる。
戸板康二の『グリーン車の子供』は「駅」というより「列車の車内」でのミステリー。往年の名優が車内で一緒になった女の子の正体をあばいていくミステリー仕立ての、面白い短編である。登場人物たちのさりげない立居振舞いが謎を解く鍵になっている。
もう一作がヨーゼフ・ロートの『駅長ファルメライアー』。たまたま自分の管内で起きた列車事故で出会ってしまった美貌の婦人に夢中になって堕ちていく駅長を描いた作品。そういうことも人生の中では起こりうるかもしれないとしたら、それはまた怖い話だ。
駅がなかったら起きなかっただろう、それぞれ。しかし、そこで出会ってしまうのも、また駅ならではではある。
(2011/07/09 投稿)

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07/08/2011 わたしの開高健(細川 布久子):書評

今日紹介するのは
かつて雑誌編集者として開高健さんのそばで
素顔の作家をみてきた
細川布久子さんの『わたしの開高健』。
表紙のイラストは
開高健さんの朋友でもあった柳原良平さん。
私は開高健さんが好きなので
こういう本がでるのはとてもありがたいし
うれしくてたまりません。

今回の書評のなかで
雑誌「これぞ、開高健。」のことを書いていますが
左の写真が
私が所蔵しているその本の表紙。
とにかく内容充実の一冊であることは
まちがいありません。
開高健さんには密かな恋人がいたことは
巷間いわれていることですが、
この本のなかにもそのことが少し
触れられています。
きわめて個人的ではありますが
それはもっと研究されていいと
私的には思うのですが。
じゃあ、読もう。
![]() | わたしの開高健 (2011/05/26) 細川 布久子 商品詳細を見る |


私の手元に昭和53年11月発行の「これぞ、開高健。」という雑誌が、引っ越しのつどいくばくかの本を処分してきた身にもかかわらず、残っている。その雑誌の発行者が本書の著書である細川布久子である。
著者が「一九七八年の夏ほど私の人生で充実した季節はなかった」と述懐しているように、雑誌「面白半分」の臨時増刊号として出されたこの雑誌はもともと細川が「面白半分」の佐藤嘉尚に持ち込んだ企画だった。
開高の『夏の闇』『輝ける闇』に魅了され、その豊穣な世界に足を踏み入れた細川が社会人として働き始めたのは「面白半分」という出版社だった。その後、開高の原稿を取りにいくなど、偶然にも自身の思考を打ちのめした作家の引力に吸い寄せられるようにして細川は開高に近づいていく。
本書は『わたしの開高健』とあるように、細川の見た開高健に徹して描かれている。
一時は開高の個人口座の現金管理をまかされるほどの細川の献身ぶりだが、開高にとって細川は妹もしくは娘のような存在だったろうと思える。時に暖かく、時につめたく、それでいて「町角を曲ったはずみにふと思い出す」、そんな関係であった。
ただ細川の方ではどうだったろうか。
開高の家庭環境や恋人の存在を知りつつ、ぎりぎりの感情を抑えながらも、本書は1989年に逝ってしまった開高への恋文のようでもある。
それは下世話な印象ではなく、それほどまでに開高にひかれた著者の、もっとも正しい文章の書き方だと思う。 人は恋文を書く時ほど、真剣な眼差しになることはない。
それは開高だって同じことがいえる。名作『夏の闇』こそ開高の秘めたる恋人へのラブレターそのものだった。
雑誌「これぞ、開高健。」の編集後記の最後に細川は「頁の背後から、文章と文章のすき間から、どれだけ開高さんがうかびあがっているかは読者の皆さんのご判断をあおぎたいと思う」と書いた。
その結果は、こうして何十年も小さな書斎の片隅に持ち続けている読者がいるということでなにがしかの証明になるのではないだろうか。
(2011/07/08 投稿)

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07/07/2011 『坊っちゃん』の時代 (第5部)-不機嫌亭漱石:書評「終焉した明治から続く坂道」

昨日関川夏央さんの『子規、最後の八年』を
紹介しました。
その際に参考にしたのが
関川夏央さんが原作を担当した
漫画『『坊っちゃん』の時代』でした。
漫画は谷口ジローさんが描いています。
今日は蔵出し書評で
そのなかの一冊、
シリーズでいえば最終巻にあたる
『第5部 不機嫌亭漱石』を紹介します。
何しろこの漫画、
漫画にしては文学の香りがぷんぷんする
名作です。
明治という時代、
近代文学ということを
勉強したいと思っている人なら
入門編という感じで手にしてみては
どうでしょう。
漫画をバカにする人は少なくなったでしょうが
この漫画を読むと
また見方が変わるかも。
じゃあ、読もう。
![]() | 『坊っちゃん』の時代 (第5部) (双葉文庫) (2003/02) 関川 夏央、谷口 ジロー 他 商品詳細を見る |


「『坊っちゃん』の時代」と題された、関川夏央と谷口ジロー共作による漫画文庫の最終巻である。
第一部(『坊っちゃん』の時代)で漱石を、第二部(秋の舞姫)で鴎外を、第三部(かの蒼空に)で啄木を、第四部(明治流星群)で秋水を描き、最終巻である第五部(不機嫌亭漱石)でもう一度漱石を描いた。
青年漫画誌に連載が始まったのが一九八五年。関口によると「当時もっとも同時代的な表現分野であったマンガ」で、確かに二人は見事に、明治という青春群像を描ききったといえる。
司馬遼太郎が「坂の上の雲」執筆に際し四〇歳台の多くの歳月をその作品に注いだように、関川も谷口もこの五部作を描ききるにあたり十二年かかったという。(関川はかなり司馬を意識してあとがきにそう書いたのだろう) そして、司馬の作品と遜色ない、漫画表現の最高峰ともいえる作品に仕上げた(第二回手塚治虫文化賞受賞作)。
それは、漫画という表現分野をもった、私たち同時代人の幸福な果実である。
さて、最終巻であるこの作品(不機嫌亭漱石)は、漱石の修善寺での吐血事件を描きながら、何分間は死んでいたという漱石の挿話を上手く使って、前作までの登場人物を織り交ぜた「明治の終焉」を描いている。
司馬の「坂の上の雲」が明治の青春の光を活写した小説ならば、この「『坊っちゃん』の時代」はまさに登りつめた坂の上からの転落の始まりを描いた暗い物語といえる。
関口と谷口がこの作品を書き始めた八五年からの十二年間は、日本という国そのものが明治以後もっとも華やかな時代とそこからの転落を経験した年月だった。
最終章で幸徳秋水らの死刑の報を聞いた石川啄木が唇を噛みしめながら「日本は…駄目だ」とつぶやく場面は、バブル崩壊後の関川たちの苦々しい述懐だったに違いない。
今という時代は、終焉した明治から続くとてつもなく長い下り坂の途中なのかもしれない。
漫画は、そんな苦渋まで表現できる文化となったのだ。
(2003/02/23 投稿)

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07/06/2011 子規、最後の八年(関川 夏央):書評「子規という大きな雲」

今日紹介する
関川夏央さんの『子規、最後の八年』は
405ページの大作であり労作でもあります。
その書評を書くにあたって
関川夏央さんが原作を書いた
漫画のことから始めるのは
失礼かとも思いましたが、
どうも私には関川夏央さんの
明治に対するこだわりは
その頃から間違いなく萌芽して
いたのだと思います。
それにしても
正岡子規の魅力といったらどうでしょう。
ものすごく人間の強さを感じます。
子規のような人がそばにいたら
逃げ出したくなるかもしれません。
それでも
きっと多くの人が
集まるほどの魅力が
子規にはあります。
じゃあ、読もう。
![]() | 子規、最後の八年 (2011/04/02) 関川 夏央 商品詳細を見る |


かつて関川夏央は漫画家谷口ジローと組んで第二回手塚治虫文化賞を受賞した名作『『坊っちゃん』の時代』を書いている(関川は原作を担当)。1986年のことである。
その文庫本のあとがきのなかで関川は明治という時代についてこう綴っている。
「明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりもある意味では多忙であったはずだ」と。そして「われわれはほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない。それを知らないのはただ不勉強のゆえである」と続けた。
漫画『『『坊っちゃん』の時代』』とそれに続く全五部作は私たちに明治を知るひとつの契機を与えてくれた。それは、司馬遼太郎が描いた『坂の上の雲』と共鳴しながらも、みごとに漫画文化の結晶となっている。
その漫画は、正岡子規の死から三年の月日が過ぎた、明治三十八年十一月の漱石宅から始まっている。子規が亡くなった明治三十五年九月、夏目漱石はまだ留学先の倫敦にいた。
漱石に子規の訃報が届いたのは十一月下旬のことだった。その時、漱石は「手向くべき線香もなくて暮の秋」と詠んだ。
関川は漫画原作を書くにあたっておそらく倫敦時代の漱石のことも勉強したにちがいない。いや、松山時代の漱石も勉強しただろう。そして、いつも漱石の影のようにあっただろう子規についても勉強しただろう。
本書の初出となる「短歌研究」の連載が始まるのが2007年であるから、関川にとって十分な助走期間があった。だから、本書での書き出し、「明治二十八年には正岡子規は二十八歳、夏目漱石も二十八歳であった」からぐいぐいと読ませてくれる。
本書は子規の最後の八年間を丁寧に描いてものだが、子規の研究本というよりも物語を読んでいるような爽快感さえある。時には漫画原作の手触りさえ感じる。
もちろん、それはわずか三十五年足らずの生涯にもかかわらない子規の魅力でもあるし、漱石はじめ虚子、伊藤左千夫といった明治人の強さにおうところも大きいが、なんといっても関川の明治についての猛勉強のたまものだろう。
先の漫画の文庫本あとがきで関川はこうも書いている。
「明治は、そして明治人は学べば学ぶほど奥深い」。
関川にとって、明治そのものが「坂の上の雲」だった。そして、正岡子規はその雲のおおきなひとつだったにちがいない。
(2011/07/6 投稿)

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07/05/2011 バカになれる人はバカじゃない(小宮一慶):書評「バカは馬鹿じゃない」

経営コンサルタント小宮一慶さんの本は
ちょっと久しぶりになります。
なかなか書店に小宮一慶さんの本が並ばないと
お体大丈夫なのか、
心配になります。
今日紹介する『バカになれる人はバカじゃない』にも
書かれていますが
小宮一慶さんは以前肺がんの手術をされています。
だから、どうしても
お体のことを心配してしまいます。
この『バカになれる人はバカじゃない』でも
死の話は何度か書かれています。
生きているにこしたことはありません。
でも何が起こるか分からない。
その前提で、いまこの瞬間を、
バカになって一生懸命生きておこうと思っています。
これは小宮一慶さんの決意のようなものだと
思います。
だから、私もバカになって
小宮一慶さんの本を読んでいきたいと
思っています。
じゃあ、読もう。
![]() | バカになれる人はバカじゃない (2011/05/25) 小宮一慶 商品詳細を見る |


小宮一慶さんはつねづね生涯に100冊の本を書くのだと公言してきました。すでに70冊近い著作を出版されています。最近の傾向でいえば、単に会計的なスキルではなく、哲学めいた内容が多くなっています。
特に本書でもそうですが、「バカになる」ことを推奨しています。以前にも『あたりまえのことをバカになってちゃんとやる』という本がありました。当然内容的には重複するものが多く書かれます。ところが不思議なことに、小宮さんの著作に限っていえば、同じことが書かれていても嫌にならないし、飽きない。きっと一度ではなかなか自分の身につかないのだと思います。
だったら、くどくても何度も何度も読むしかないのではないでしょうか。自然と「バカになれる」まで繰り返し読みつづけたい。
小宮さんがいっている「バカになる」とは、わかったふりをしないことでもあるのです。
小宮さんがいう「バカ」はいつもカタカナ表示になっていますが、漢字をあてればどうなるでしょう。「馬鹿」ではないはず。「愚直」という漢字が小宮さんのいう「バカ」にふさわしいような気がします。
「自分はバカだ」と言える人が一流になる、と小宮さんはこの本の中で書いています。それはどういうことかというと、「自分はバカだ」と反省する、その謙虚さが大切だというのです。
ビジネスの現場ではしばしば人に指摘されることがよくあります。特に年下の人や部下に指摘されるのはつらい。でも、悔しさや反発だけでは成長ができません。
「バカになる」ことで自分の足りないところがみえてきます。多分小宮さんの書かれていることを否定する人は少ないと思います。ですが、実際にはそれがなかなかできないのも私たちなのです。そのことも認めないといけない。
そして、できるまで「バカ」になってやることなのです。
おそらくこれからも小宮さんはこのテーマで何回も書いていくのだと思います。
しっかり「バカ」になれるまで、読んでいきたいと思います。
(2011/07/05 投稿)

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07/04/2011 心を整える。 (長谷部誠):書評「天は二物を与えたのか」

今日紹介するのは
サッカーの日本代表、長谷部誠さんの
今話題の本、『心を整える。』。
スポーツ選手が書いた本だからと
もし読むのをためらっている人がいたら
ぜひだまされたと思って
読んでみて下さい。
特に若い人には読んでもらいたいな。
組織のなかの個人のありかた、
指導者としても心構えなど
教えられることは多い。
これから
選手としてピッチにいる長谷部誠さんを見る時は
この本のことを思い出しながら
応援をおくることになりそうです。
じゃあ、読もう。
![]() | 心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 (2011/03/17) 長谷部誠 商品詳細を見る |


著者、長谷部誠はいわずと知れた、サッカーの全日本チームのキャプテンで、2009年のワールドカップではその冷静沈着なリーダーの姿に日本国中が感動した。
「天は二物を与えず」とよくいう。一人の人間にいくつもの長所や美点はないという意味で使われることわざだ。ただ物事には例外はつきものだ。長谷部をみていると、その甘いマスク、落ち着いた言動、そしてアスリートとしての運動量。天は二物どころか、長谷部に限っていえば、三物も四物も与えているようにみえる。
さらに、本書である。今、出版界では注目の一冊になっている。
みんなの視線が長谷部の方に向いている。
これって不公平ではないか。
天は二物を与えないんじゃないの、と思われる人もいると思う。だから、我々のような一物も与えられないような凡人と、著者とは所詮比べようがない、と。
そう思われる人にこそ読んでもらいたい一冊である。
長谷部誠はけっしてエリートではなかった。
藤枝東高校時代はさほど目立つ選手ではなかった。ところが、浦和レッズからオファーが来る。両親は大学に行くことを熱望した。しかし、長谷部はプロの道を選択する。
それでも、長谷部はすぐさまトップスターではなかった。なかなか出場の機会すらもらえなかった。もちろんサッカー選手を夢みる人にとってはプロ選手になることがすでに一流のあかしだともいえるだろう。ただ長谷部は三浦和良や中村俊輔のようなスターではなかった。
だが、長谷部は欧州のプロチームに招かれ、全日本のメンバー、そしてキャプテンという道を歩んでいく。どうして、それは長谷部だったのか。
その秘密が本書にふんだんに書かれている。
長谷部は「心を整える」ことで、「どんな試合でも一定以上のパフォーマンス」を実現できたのだ。それは特別な技術を要するものではない。
物事をみる考え方の問題だ。
だから、この本はサッカー選手が書いた根性論ではなく、冷静に自身の置かれている立場を見、あるべき方向に進むための心のありようが書かれている。おそらくどんなビジネス本よりも自己の能力をあげるための秘訣が公開されているといっていい。
誰にも人生の絶頂期はある。プロサッカー選手長谷部誠にとっては、今がそうなのかもしれない。それとも、やはり天は、長谷部に二物以上のものを与えてのだろうか。
私たちが長谷部誠になれる確率は低いだろう。
しかし、長谷部誠に近づくことはできるはずだ。なぜなら、長谷部自身がそのようにして、今をつかんだのだから。
(2011/07/04 投稿)

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07/03/2011 しげちゃん(室井滋/長谷川義史):書評「この絵本読まないとソンしちゃう」

今日紹介する絵本、
女優の室井滋さんが文、長谷川義史さんが絵を担当した
『しげちゃん』は
私の今年の上半期のベストワンにしたいくらい
素敵な絵本です。
絵本というジャンルにはめてしまうのも
惜しいくらい。
たくさんの人に読んでもらいたい一冊です。
今朝(7.3)の朝日新聞生活面に
この絵本のことが掲載されています。
自作の絵本を子供たちに読み聞かせる
室井滋さんの写真もあって
なんだかうれしくなりました。
ちなみに、
最近の子供の名前の人気は
男の子が蓮(れん)、
女の子が結愛(ゆあ)
だそうです。
滋は残念ながらはいってません。
じゃあ、読もう。
![]() | しげちゃん (2011/05/26) 室井滋 商品詳細を見る |


女優の室井滋(しげる)さんの自伝風絵本です。絵は長谷川義史さん。これが実にマッチしています。人情物語を名画で観させてもらったような満足感です。
長谷川義史さんは自身でも文を書きますが、その独特な絵の力はなかなか文と相性があります。
表紙の、おかっぱ頭の女の子(もちろんこれが「しげちゃん」です)が鉄棒をしている姿、背景の木造の小学校舎、満開の桜、それに題字。どれもこれもこれから始まる物語を予感させてどきどきします。
長谷川さんの絵がなかったら、単に人生訓みたいになってしまって、この絵本の魅力は半減したかもしれません。
小学校の入学式の日、女の子は名前が「しげる」だったせいで男の子と間違えられてしまいます。彼女は男の子みたいな名前のせいでいやな目にいっぱいあっています。
だから、名前を変えてしまおうかと思ったりします。でも、うまくいきません。ついにお母さんに名前を変えるように頼んでみます。もちろん、お母さんは怒りました。しげちゃんは、とうとうベソをかいてしまいます。そんな彼女をお母さんはやさしくだっこしてこう云います。
「しげちゃん、親が子どもに名前をつけるときってね、そりゃあ一生けんめいなのよ」(このページの、泣きべそのしげちゃんと彼女を抱っこするお母さんの、長谷川さんの絵がうんといいのです)
その話を聞いて、女の子はちょっぴり「しげる」がいやでなくなりました。
作者の室井さんが今も滋(しげる)という名前で大活躍しているのはご存じのとおり。
子供だけでなく大人にも絶対おすすめ。この絵本読まないとソンしちゃう、と云いたくなるくらい、とっても素敵な絵本です。
(2011/07/03 投稿)

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07/02/2011 芥川賞を読む ‐ 裸の王様(開高 健):書評「彼はまだ痩せていた」

おまたせしました。
おそらく別に待っていなかったと思いますが。
今回の「芥川賞を読む」は
第38回の受賞作、開高健の『裸の王様』です。
この回は大江健三郎と競いあって
もしかしたら2作同時受賞でもよかった程に
白熱しました。
次の回で大江健三郎さんは
きっちりと芥川賞を受賞しましたが
もしですよ、
もしこの回の落選で気落ちしていたら
後のノーベル賞作家は誕生しなかったかもしれません。
さすが大江健三郎さん。
実力があったんでしょうね。
開高健ですが、
受賞当時は痩身で、受賞の挨拶の写真などを見ると
これが開高健かと驚くくらいです。
人間って変わるものなんですね。
じゃあ、読もう。
![]() | パニック・裸の王様 (新潮文庫) (1960/06) 開高 健 商品詳細を見る |


第38回芥川賞受賞作(1957年)。第38回芥川賞は開高健と大江健三郎の一騎打ちの様相となった。開高はこの時27歳。一方大江は弱冠22歳であった。
石川達三は選評に「昭和生れの作家が登場してきた。私たちはこの人たちに新しい期待をもっていいかも知れない」と書いた。結果、僅差で開高がこの回の受賞作となった。大江はこの次の第39回に『飼育』で受賞することになる。
開高は受賞の言葉に「やっとトレーニングをやりはじめたばかりだ」と書いた。
まだ痩せていた。
「定型化をさけて、さまざまなことを、私は今後どしどしやってみたいとおもっている」と、続けた。その言葉通り、開高はさまざまな分野で増殖していった。
そして、太った。
受賞作となった『裸の王様』を開高の多様な作品群から俯瞰するとあまりにまとまりすぎているような気がする。
画塾で子供たちに絵を教えている<ぼく>。その<ぼく>のもとに一人の子供、太郎がやってくる。太郎の父親は新興の絵具メーカーの社長。母親は後妻としてはいった継母である。
心を閉ざした太郎は絵筆をとることも少なく、描けば人形の絵ばかりだ。<ぼく>は太郎の心を開けようと、ある日川原に連れ出す。泥にまみれることで徐々に心を開きはじめる太郎。そんな太郎がアンデルセンの「裸の王様」を題材にして描いたのは、「越中フンドシをつけた裸の男」だった。
風刺が効いたシニカルな作品であまりにも優等生すぎる。選考委員の中村光夫が「着想の新しさ、粘りのある腰、底にある批評精神など、作者の資性の長所がはっきりでた小説」と書いているが、あまりにもまとまりすぎて、開高はもしかして受賞すべき方法を学習していたのではないかと思えるくらいである。
もし、このような作品を書きつづけていれば、開高は窒息していたかもしれない。実際、受賞後開高はなかなか書けなくなる。
そのような閉塞感を『日本三文オペラ』で脱却し始める。開高の文学世界は膨張していく。
そして、彼自身もまた太っていくのだった。
(2011/07/02 投稿)

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