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 2008年12月4日
 このブログに「はじめに」というタイトルで記事を書いたのが
 はじまりでした。
 それから、およそ、二年半余。
 今日で1001回めを迎えました。
 しかも、一日も休まず、連続の1001回めです。
 あの名作『千夜一夜物語』は
 女性不信の王シャフリヤール王の悪行を食い止めようと
 シャハラザードという賢い娘が毎夜毎夜王に話を聞かせつづけ、
 ついに千夜語りつづけたという物語です。
 シャハラザードは毎夜「続きはまた明日」と王の興味をさらったといいます。

 さて、私のちいさなブログが皆さんの興味をさらったかどうか
 それはわかりませんが、
 連続して書き続けてこれたことは
 うれしいかぎりです。
 昨日紹介しました落合恵子さんの『「孤独の力」を抱きしめて』という本の中で
 落合恵子さんは「書く」ということについてこう綴っています。

  子どもの頃から書くことが好きだった。(中略)
  ひとりの時間の中で、わたしは書くことを通して、
  「自分というもの」に出会い、再会し、別れ、またまた再会する体験も
  続けていた。再会したわたしは、それ以前のわたしと微妙に、
  時に大きく違っていた。(中略)
  それがわたしにとって、
  最も居心地のいい時間であり空間であったのだ。


 ブログを続けてきて思うことは
 私も落合恵子さんと同じように「書く」ことが好きなのだと
 いうことです。
 だから、1001回も休まず、続けてこれたのだと思います。
 そして、もちろんたくさんの本があったからこそ
 書き続けることができたのです。

 今日はどんな本を紹介しようかと悩むことがあります。
 昨日の続きでこんな本がいいだろうと、
 何冊も頭に浮かぶこともあります。
 いままで書きためていた書評も
 役立ちました。
 時には編集人のような楽しみも感じながら、
 本を選んだりしています。

 もし、みなさんがこのブログで
 本を読む楽しみを知っていただけたら、
 こんなに仕合せなことはありません。
 たまには休みたいと思わないでもありませんが
 仕合せなんだから、
 休む理由にはなりません。

倚りかからず (ちくま文庫)倚りかからず (ちくま文庫)
(2007/04)
茨木 のり子

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 さて、今日はどんな本を紹介しようかと考えて
 悩みに悩んで(私も時には悩みます)、
 茨木のり子さんの『倚りかからず』にしました。
 そして、今日は書評ではなく、
 茨木のり子さんの詩の抜粋です。

  倚りかからず

   もはや
   できあいの思想には倚りかかりたくない
   もはや
   できあいの宗教には倚りかかりたくない
   (中略)
   ながく生きて
   心底学んだのはそれぐらい
   じぶんの耳目
   じぶんの二本足のみで立っていて
   なに不都合のことやある

   倚りかかるとすれば
   それは
   椅子の背もたれだけ

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    連続更新1001回まで あと2日!

  昨日の民主党代表選で
  野田佳彦さんが日本の新しい顔として
  選出されました。
  そのことが、この国にとって
  幸福なことなのか、
  不幸なことなのかは
  もうしばらく時間が必要でしょう。
  ただ、海江田さんや前原さんを選出しなかったのは
  民主党のわずかばかり残った良心だったのかもしれません。
  昨日帰宅すると、
  娘がさりげなく「野田さんって、パパより若いんだね」と
  言いました。
  なんだか、その一言に期待したりします。
  さて、今日紹介するのは
  落合恵子さんの『「孤独の力」を抱きしめて』。
  若い頃たくさんの本を読み続けてきて
  たくさんの作家たちとも出会ってきました。
  ブログを始めてからの二年半も同じ。
  それまであまり知らなかった書き手と
  出会うことは
  それはなんともいえない楽しみでも
  あります。
  それは政治家もそうかもしれません。
  ほとんど知らないといって
  全部否定するのはおかしい。
  知ったら、とってもよかったということは
  あると思います。
  野田さん、
  あなたのことをたくさんの国民が
  見ていますよ。

  じゃあ、読もう。

「孤独の力」を抱きしめて「孤独の力」を抱きしめて
(2011/06/24)
落合 恵子

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sai.wingpen  自分をつくりあげているおおもとと向き合うために          矢印 bk1書評ページへ

 男であるとか女であるとか、そういう性に関することでどれだけの違いがあるのかと思わないでもないが、先日TVで「あなたは行列に並びますか」といった調査をしていてこれは圧倒的に女性の方が並ぶと答えていた。男性は並ぶことを嫌う。そういう俗的な視点でとらえるべきではないかもしれないが、どんなに頑張っても男性と女性とは違う性なのだ。
 孤独に対処する仕方にだって性差はあるような気がする。それは夫婦のうちで夫が先に死別する場合と妻が先に死別する場合でみても、なんとなく男性が残された場合の方が弱いように思われる。
 多くの文学者が妻の死を描いているが、その多くは未練たっぷりだ。一方女性はというと、夫の死をなんとか乗り越えようという強さを感じる。
 それは孤独に対する強さというのではないかもしれない。むしろ、依存度の問題である。どれほど自律している高名な作家であってもそうなのだ。翻れば、私などどこまで耐えきれるだろう。

 落合恵子さんは七年に及ぶ在宅介護の末に母親を亡くされた。落合さんと母親の関係はその文章の中からしか窺い知れないが、母親の死後「心にぽっかりあいてしまった深い洞を埋めることができず、夜ひとりになると、泣いてばかりいた」。母親を亡くして、何度季節が巡ってこようと「母を想い、喪失の悲しみにしゃがみ込みたくなる」という。
 そんな落合さんであるが、「それでいい」と思い始める。「喪失の悲しみは飛び越えるべき溝ではなく、痛みも含め丸ごと抱えて生きていくものではないだろうか」と。
 「孤独」に対する考え方も同じだ。
 落合さんは「孤独」はけっして「負の記号」ではないという。そして、「孤独とまっすぐに向かい合ってみよう」とすすめる。
 「孤独」はさみしいのではない。むしろ、自身とじかに向かい合う時間だとすれば、けっして忌み嫌うものではないはずだ。

 男性と女性とではどちらが「孤独」に対して強いのか。それはむしろ性差の問題ではなく、個人の生きる姿勢であろう。
 落合さんの考えに強くひかれる女性もいれば男性もいる。落合さんのように強くはなれないという女性もいれば、そっぽを向く男性にいるに違いない。
 落合さんは最後に「あなたをつくりあげているおおもと 核そのものに/あらためて 触れるために/孤独とつきあってみませんか」と書いている。
 まったく同感である。
  
(2011/08/30 投稿)

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    連続更新1001回まで あと3日!

  このブログ開始から
  連続更新までいよいよあと3日となりました。
  この2年半の間に
  私はどこまで読書の楽しみを
  知ることができたのでしょうか。
  私はどこまで読書の楽しみを
  人に伝えることができたのでしょうか。
  若い人たちが
  私のブログを読んで、
  あの本を読みたいな、
  この本を手にしたいなと
  思ってくれることが少しでもあれば
  それはどんな仕合せなことかしれません。
  今日紹介する一冊は
  鷲田小彌太さんの『もし20代のときにこの本に出会っていたら』。
  副題は「後悔しないための読書」となっています。
  しかし、
  私は後悔する読書があってもいいと思っています。
  特に若い頃はそれでも構わない。
  どんどん後悔すればいい。
  そうやって、「読書力」を高めていけば
  いいんじゃないでしょうか。
  読書で何を学ぶかなんて
  若い頃は高尚に考えないでいい。
  とにかくどんどん読むこと。
  それが「読書力」を高めるコツだと
  思います。

  じゃあ、読もう。
  

もし20代のときにこの本に出会っていたら ―後悔しないための読書―もし20代のときにこの本に出会っていたら ―後悔しないための読書―
(2011/06/16)
鷲田 小彌太

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sai.wingpen  人生の一ページとして                矢印 bk1書評ページへ

 「本のブログ ほん☆たす」という書評を中心にしたブログを始めて2年半。もうすぐ更新千一回めを迎えようとしています。
 始めた頃は手探りでしたが、いつの間にか毎日更新していくのが楽しみになり、一度も休むことなく千一回めになります。
 本を読んで、その書評を書いて、さらにはその本に出あったエピソードや気になることを「こぼれ話」にしたり。さすがに書くことがなくなりそうになって、雑誌の世界や展覧会のことも書くようになりました。
 その2年半のうちには再就職したり、母と弟がなくなったりと、今日は休みたいと思わない日もありませんでしたが、百回までは、三百回まではと続けているうちに千一回まで続けてこれました。
 もちろん、千一回というのは「千夜一夜物語」を意識しています。

 ブログでは「豊かな本のある生活」が紹介できればと願っていますが、若い人向けの読書のすすめ書である鷲田小彌太さんのこの本に「なぜに読書なのか」ということが書かれています。鷲田さんは「人は知力の過半を読書を通じてえるから」といい、「読書は、一人前の人間になるためにも、一人前の人間になってからも、重要」と書いています。
 私も若い頃から本を読むことは好きでしたが、鷲田さんがすすめるような系統だった読書はあまりしてきませんでした。あまり、というのはやはり好みの作家たちの作品はつい次から次へと読んでしまうもので、そういう意味からすればまったく系統だっていないともいえないからです。
 ただ、鷲田さんのこういう本を書名ではありませんが「もし20代のときに」出会っていたら、それはそれで今とはまったく違う読書体験であったかもしれません。

 ただ私は自分が過ごしてきた、そして現にいまも読むことでえたいくばくかの読書の面白さを、ブログを通じて、あるいは書評を書くことで、できるだけ多くの人に伝わればいいと思っています。
 読書は趣味の世界かもしれません。だから、そのことを強要することはありません。これかあれか、答えがひとつではないことを、私は読書から学んできました。
 生きること、それはけっしてひとつではありません。この世界は、本の数よりもずっと多くのものでできあがっています。
 この本もまた、私の人生の一ページなのでしょう。
  
(2011/08/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  夏休み最後の日曜ですね。
  パソコンばかり見てないで
  宿題しなさいよ、と叱られている人は
  いませんか。
  お母さんも、このブログ読んでよ。
  面白いよ、って教えてあげてくださいね。
  よけい叱られたりして。
  その時はご勘弁を。
  今日紹介するのは
  竹下文子さんといせひでこさんの
  『むぎわらぼうし』っていう絵本です。
  大好きないせひでこさんの絵本を
  さがしていて見つけました。
  読んだら、まさに今の季節、
  夏のおわりにぴったりの絵本で
  うれしくなりました。
  小さい幸せ、わけてあげたくなりました。

  じゃあ、読もう。

新装版 むぎわらぼうし (講談社の創作絵本)新装版 むぎわらぼうし (講談社の創作絵本)
(2006/07/21)
竹下 文子

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sai.wingpen  誰でも 一度だけ経験するのよ               矢印 bk1書評ページへ

 「♪あなたに 女の子の一番大切なものを あげるわ」と、いまでもドキッとする歌詞で1974年の私たちの心を鷲づかみにしたのは山口百恵さんでした。
 歌のタイトルは「ひと夏の経験」(作詞・千家和也)。
 山口百恵さんは5枚めのこのシングルの大ヒットでスター街道を走りはじめたのです。
 夏というのは、なんとなく危うい経験をはらんでいそうな季節です。百恵さんの歌のように刺激的でなかったとしても、太陽のひかり、波のきらめき、セミの合唱、したたる汗、そのどれもがふりかえると切ない物語をつづっているかのようです。

 竹下文子さんの『むぎわらぼうし』(絵はいせひでこさん)はそんな過ぎゆき夏の甘酸っぱい思い出を押し込んだような絵本です。
 家の前で「るるこ」という女の子が「なつの はじめに かって もらった むぎわらぼうし」をかぶって少しすねています。お姉ちゃんはもう秋だからむぎわらぼうしはおかしいといいます。でも、「るるこ」は「まだ なつよ」とかぶっていたむぎわらぼうしをぐっと深くかぶります。
 そして、どんどん深くかぶって、いつしか「るるこ」は「すっぽり ぼうしの なか」にはいってしまいます。
 そこで「るるこ」は楽しかった夏の光景、光にあふれた海辺の光景を見ます。
 お姉ちゃんも笑って手をふっています。風にとばされて、波間にゆれるむぎわらぼうし。
 いせひでこさんが描く海の絵が、光のつぶつぶが、とても美しいのです。それは現実ではなくて、すでにおもいでの夏の色合いです。子供たちの歓声、波の音が遠くに聞こえるかのようです。

 夏の終わりは、この『むぎわらぼうし』のようにとてもセンチメンタルな気分になります。
 「るるこ」のように、誰もが過ぎゆく夏を一瞬でもとめてしまいたくなるものです。
 そういえば、山口百恵さんの「ひと夏の経験」にはこんな歌詞がはいっていました。
 「♪ 誰でも 一度だけ経験するのよ」。
 それは「るるこ」の夏でもあり、いつの夏だってそうなのかもしれません。
  
(2011/08/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  夏休みもいよいよ終盤。
  今日明日で宿題を仕上げないといけないと
  焦ってる子供たちに
  今日紹介するのは、
  今年の課題図書の一冊
  山本悦子さんの『がっこうかっぱのイケノオイ』。
  せっかく紹介するのですから
  今日は、子供になりきって
  「感想文」を書いてみました。
  まったく想像で書いたのではなくて
  子供の頃には本当に「かっぱ」という
  あだ名でした。
  大阪には鳳啓助さんという漫才師がいて
  その方は相方の京唄子さんから「かっぱ」と
  呼ばれていました。
  そんあ鳳啓助さんの迷? せりふが
  「ぽてちん」。
  「かっぱ」と呼ばれた子供の私も
  よく「ぽてちん」とふざけていたものです。

  じゃあ、読もう。

がっこうかっぱのイケノオイ (単行本図書)がっこうかっぱのイケノオイ (単行本図書)
(2010/12/25)
山本 悦子

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sai.wingpen  「がっこうかっぱのイケノオイ」をよんで              矢印 bk1書評ページへ

 ぼくのあだなは、「かっぱ」です。
 どうして「かっぱ」かというと、なんだか似ているんだそうです。だれも「かっぱ」なんか、たぶん、見たことないのに、似ているなんておかしいです。
 でも、みんなが「かっぱ」だっていうので、ぼくもときどき「かっぱ」になります。
 きゅう食のじかんにきゅうりがでるとみんながぼくに「こうぶつだろ」というので、ぼくはたくさん食べます。こうじくんのきゅうりも、みさこさんのきゅうりも食べます。
 きゅうりのきらいなひとも「かっぱ」になればいいのにと思います。

 「イケノオイ」というのはこの本のなかにでてくる「かっぱ」の名前です。ひょうしに「イケノオイ」の絵がのっていますが、すこしぼくに似ていないこともありません。ぼくもおどるのが大すきです。
 「イケノオイ」は上のまえばが二本ぬけてうまくしゃべれないおとこの子にみつけられてしまいます。それで家につれていかれてぐったりします。「イケノオイ」がしんでしまうのか、ぼくもおとこの子のようにかなしくなりました。
 でも、「イケノオイ」はあめをなめるとげんきになりました。
 げんきになった「イケノオイ」はおとこの子とともだちを池のなかにしょうたいします。うらしまたろうみたいです。

 池のなかはたくさんの音があります。みんな学校の音です。
 「イケノオイ」は学校にはたくさんの音があっていいなといいました。ぼくもそう思います。
 なつやすみまえにこうじくんとちいさなけんかをしました。クラスのみんなもなつやすみまえはたくさんしゃべっていました。たのしいことがあるとけんかをすることもたくさんのおしゃべりも、みんないい音なんだなと思います。
 でも、やっぱりわらっているこえがいいと「イケノオイ」がいいました。ぼくもそう思いました。
 学校がはじまったら、こうじくんとなかなおりしようと思いました。そして、こうじくんのきらいなきゅうりを食べてあげようと思いました。
 だって、ぼくのあだなは「かっぱ」ですから。
  
(2011/08/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  なんだか抜けるような青空を
  最近見ていないような気がします。
  夏は光が強いですから
  あんまり空を仰がない。
  でーんとでっかい空を
  実感として感じたいなぁ。
  今日紹介する「百年文庫」は
  「」というタイトル。
  特に空が描かれているわけではありません。
  人の営みが描かれています。
  では、何故「空」なのか。
  この本で取り上げられた作品は
  人生そのものです。
  その人生にいつも空がひろがっています。
  誰にも同じ空があります。
  ひとしく、あります。
  そんな空を感じてみて下さい。

  じゃあ、読もう。

空 (百年文庫)空 (百年文庫)
(2010/12)
北原 武夫、藤枝 静男 他

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sai.wingpen  空もまた人をみている。               矢印 bk1書評ページへ

 先日読んだ白川道さんの『冬の童話』の主人公の名前が「そら」。21歳の薄倖の女性ですが、空のように明るくひろがりをもった魅力的な性格として描かれていました。
 作者は当然意識して彼女に「そら」という名前を与えたのだと思います。
 空には人を解放する力があります。あるいは、この地球をおおいつくすものとしての神のような存在感があります。人は空の下でその一生を生き、終えるしかありません。
 空こそ人の一生をただじっと見つめているのです。
 「百年文庫」の55巻目の書名は「空」。北原武夫の『聖家族』、ジョージ・ムーアの『懐郷』、藤枝静男の『悲しいだけ』の3篇が収められています。

 北原武夫はかつて人気作家でした。今ではすっかり忘れられた作家の一人かもしれません。
 時代は文学の世界でも流行を求めます。それにこたえようとして生きるのも作家の業。そして、その生涯が閉じられた時から忘却という厳しい現実が作家を襲います。
 漱石や太宰のようにいつまでも愛され読まれ続ける作家の方が稀有だといえます。だから、せめてこのようなアンソロジー集で読むことで往時を偲ぶしかないかもしれません。
 この『聖家族』は昭和22年、戦後まもなくに発表された作品です。「いくの」という女性の半生を描きながら、どこかしら日本の国のほろびを描いたような作品です。
 無垢のまま生きた「いくの」がその家族とともに消えてしまうのが、ちょうど終戦の日、昭和20年8月15日。
 きっとそれから2年の間で北原はうしなってしまったこの国の美しいものに気がついたのかもしれません。終戦とともに罪もふくめてそれらをすべて失ってしまったという、北原の絶望のようなものを感じて心に残ります。

 絶望といえばそれに近い感情かもしれませんが、藤枝静男の『悲しいだけ』も深い物語です。
 結婚生活のほとんどを闘病とたたかった妻、そしてそれを看病しつづける夫。しかし、妻ははかなく死を迎えます。残された夫は絶望感にありますが、「こんなものはただの現象に過ぎないという、それはそれで確信として」もってもいるのです。極めて冷静で、近代的な知性といえるでしょう。ごく短い小説ながら、深い余韻を残す名編です。
 もう一篇のジョージ・ムーアの『懐郷』は生まれた土地に戻るもののその生活になじめず、ふたたび都会の喧騒へと帰っていく男を描いています。それでいて、最後の数行でムーアは「あらゆる人間のなかに、当人のほかには誰も知らない、不変の、無言の生命がひそんでいる」とし、主人公の故郷の情景を描きだします。

 人を空をあおぎみる。同じようにして空もまた人をみている。ただその大きな視線に、私たちは気がつかないだけでしょう。
  
(2011/08/26 投稿)

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  昨日村上春樹さんと装丁・挿絵画家さんとの
  幸福な関係について書きましたが
  ユニークだと思うのは
  今日紹介するよしもとばななさんの装丁も
  そうですね。
  ということで、
  今日は本屋さんの店頭でも目をひく
  よしもとばななさんの『ジュージュー』という本を
  紹介します。
  私はよく知らないのですが、
  この『ジュージュー』の表紙に描かれた漫画は
  朝倉世界一さんの「地獄のサラミちゃん」という
  ものらしい。
  よしもとばななさんの魅力って
  こういった漫画とか異界とか音楽とか
  文学とは少し遠そうだけど
  そういう世界をひょっこと飛び越えてしまうところかな。
  なかなか昔の作家さんは
  そういうことができないですよね。
  表紙を見るだけでも、
  よしもとワールド全開です。

  じゃあ、読もう。

ジュージュージュージュー
(2011/07)
よしもと ばなな

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sai.wingpen  大きな悲しみを前にして               矢印 bk1書評ページへ

 3月11日に起こった未曾有の震災は作家たちにどのような影響を及ぼしたでしょうか。おぼろげな記憶で書くのですが、震災直後に誰かが「作家たちは今までのように書けなくなるのではないか」といったような文章を綴っていたように思います。
 確かにあれほどの悲惨さの前で、ペンがどれだけ有効なのか。まっとうな書き手は一瞬手をとめたのではないかと思います。それでも、作家たちは書き続けるにちがいありません。悲しみを復習するだけであったとしても、未来を描けるのは彼らだからです。

 よしもとばななさんの『ジュージュー』は文芸誌「文学界」の2011年4月号に掲載された小説ですから、震災以前に書かれた作品だと思います。
 母親を亡くし、父親と、かつての恋人と一緒に下町のステーキハウス「ジュージュー」で働く「私」の姿を描いたこの物語に地震による少しばかりの大地の揺れも、海のざわめきも描かれていません。それでいて、どうしてこの物語はこんなにも心をそっと掬いとるような優しさにつつまれているのでしょう。
 ばななさんの描く物語はいつもどこかで添い寝をしてくれているような安心感をもっています。この物語にもそれはあります。
 きっと震災にとことん虐められた人にとって、「正直でいて、その場を楽しくすること。ほんとうはきつくても、人生をまるで遊びみたいに泳いでいるふりをすること。つらそうな人にも陽気に挨拶して、きらきらしたものを発散すること」といった主人公のそんな心情にどれだけなぐさめられることでしょう。
 よしもとばななさんの不思議な魅力はそんなところにあります。

 よしもとばななさんはこの本の「あとがき」に、それは2011年6月の日付がついていますから間違いなく震災のあとに書かれた文章ですが、「人間は大地にはりついて、体という制限を持ちながら、寿命までせいいっぱい生きる生き物です。それはとても空しい、しかしすばらしいことだと思っています」という文章をふとはさみこんでいます。
 よしもとさんはこのなかにどのような思いを込めたのか想像するしかありませんが、やはりあの日のできごとを意識してのではないかと思います。

 作家とは大きな悲しみを前にして何を描いていける人たちでしょうか。よしもとばななさんのこの物語はその答えのような作品です。
  
(2011/08/25 投稿)

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  昨日世田谷文学館の「和田誠展 書物と映画」のことを
  書きましたが、
  そこにも書いたように
  村上春樹さんの本も数多く展示されています。
  和田誠さんが村上春樹さんの装丁を
  最初にしたのが『熊を放つ』という
  ジョン・アーヴィングの翻訳からだそうです。
  村上春樹さんの二つの「全作品」シリーズも
  和田誠さんの装丁でとてもおしゃれにできています。
  今日紹介するのは
  村上春樹さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』という
  エッセイ集です。
  「村上ラヂオ」の2冊目にあたります。
  この本の装丁は大橋歩さん。
  これまたとってもいい銅版画の挿絵です。
  で、今回は装丁のことを
  書評に書いてみました。

  じゃあ、読もう。
  
おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2
(2011/07/07)
村上 春樹

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sai.wingpen  挿絵作家との幸福な関係                矢印 bk1書評ページへ

 村上春樹さんのいままでの仕事を振り返ると、佐々木マキさん、安西水丸さん、和田誠さん、それに本書で一緒の大橋歩さんと、装丁・挿絵ですこぶる幸福な出会いをされているように感じます。
 和田誠さんが村上春樹さんと一緒に仕事をされた時、和田さんは「佐々木マキさん、安西水丸さんの印象が強かったので、初めは自分が闖入者のような気がした」と、2011年夏世田谷文学館で開催された「和田誠展 書物と映画」の中で説明をいれています。そうはいっても、和田さんが村上春樹さんの著作を装丁された数々はそれはそれは素敵なものが多いのですが。
 それでも和田さんが言われるように初期の村上春樹さんは佐々木マキさんの装丁・挿絵と実にマッチしていたことを、村上春樹さんの初期の作品群を思うたび、感慨をもって思い出します。
 あの羊男は佐々木マキさんの手によらなければ、私たちはどんなイメージを持ったでしょうか。

 村上春樹さんのこのエッセイ集は十年ほど前に『村上ラヂオ』として雑誌「アンアン」に連載されていたものの続編にあたります。
 特になにか思想や哲学があるというのでもなく、淡々と、あるいは坦々と、村上さんが日常目にしたことや感じたことが書かれているだけです。
 それでいて、書かれていることはやはり村上春樹さんそのもので、もしかしたら村上さんの本職である「小説」以上に村上春樹的かもしれません。
 村上さんは、エッセイは基本的に「ビール会社が作るウーロン茶」みたいなものだと、本書のまえがきに書いていますが、そういう表現こそ村上春樹そのものだと、多くのファンは思うのではないでしょうか。

 そんなエッセイの挿絵として毎回美しい銅版画を提供した大橋歩さんですが、村上さんとの仕事を「超ラッキー」と書いています。でも、それは大橋さんの謙遜で、『村上ラヂオ』でもそうですが、村上さんのエッセイとがっぷり四つの大相撲を演じています。
 村上さんのエッセイを読むのも愉しいけれど、大橋さんの挿絵を見るのもとても楽しい。
 思い出してみれば、佐々木マキさんにしても安西水丸さんにしても和田誠さんにしても、けっして村上春樹さんの文章にひけをとっていません。
 村上春樹さんというのは、挿絵作家との関係でも研究しても面白い作家だといえます。
  
(2011/08/24 投稿)

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 今年の夏は電力不足でどうなることかと
 心配していましたが、
 前半は涼しい日が続いたのでなんとか乗り切れそうだったのが
 やはりお盆あたりから猛暑猛暑で
 さすがに緑のカーテンもぐったりしています。
 そんな暑い日、
 世田谷文学館(東京・世田谷)に避暑に、
 あ、ちがった、
 「和田誠展」を見に行ってきました。

 世田谷文学館は以前にも「星新一展」や「いせひでこ展」など
 世田谷文学館
 いい企画ものをしていて
 いつか行きたい文学館のひとつでしたが、
 今回は大好きなイラストレーターの和田誠さんの展覧会とあって
 暑いさなかではありましたが、
 出かけてみました。
 世田谷文学館京王線の芦花公園駅から歩いて5分ばかりの
 閑静な住宅街にあります。
 今回の和田誠さんの展覧会は「書物と映画」と題されて
 丸谷才一さんや井上ひさしさん、村上春樹さんの装丁を中心に、
 和田誠さんの絵本や映画ポスターといった
 作品が数多く展示されています。
 ちなみに今回のポスターは
 マリリン・モンローがジョイスの『ユリシーズ』を読んでいるところ。
 これもいいですね。 和田誠展


 いやあ、和田誠さんの絵って
 いつみても心がほっとするというか
 ほんわかするんですよね。
 暑い日であっても
 クーラーをがんがんかかける涼しさではなくて
 夕暮れに打ち水なんかして縁台でうちわでぱたぱたしてる
 涼しさみたいな感じ、っていっても
 なんのことかわからないかも。
 でも、そんなどこかに置き忘れてきた
 ほんわかさが好きなんです。
 和田誠さんは本の装丁のことを

   著者と読者をつなぐ橋渡しの役目
 
 と言っていますが、
 その心意気っていいですね。
 このブログもそうありたいと思います。

 和田誠さんといえば
 映画大好き人間ですから、
 あの名作エッセイ『お楽しみはこれからだ』の挿絵の展示なんかあって
 もうごぎげん。
 若い頃、和田誠さんのあの字体をよくマネしたものです。
 でも、本当にどうしてこんなにうまいんでしょうね。
 私の、あまり大きな声でいえない夢のひとつに、
 和田誠さんに私の似顔絵描いてもらいたいことがあります。
 多分、夢のまた夢なんですが、
 できたら遺影にしちゃってもいいと思っているくらい。

 この展覧会、入場料が700円
 至福の700円です。
 帰りに図録を1200円で買いましたが、
 この図録もまたいいんです。
 本屋さんで売ってもいいんじゃないかと思います。
 会期は9月25日(日)まであります。
 和田誠さんのファンの皆さん、
 ぜひ世田谷文学館まで。

 ついでに書いとくと、
 世田谷文学館から歩いて5分ばかりいったところに
 蘆花恒春園という公園があります。
 ここは明治の文豪徳富蘆花が住んでいたところ。
 文学史的にいえば、徳富蘆花って
 蘆花
 あの『不如帰(ほととぎす)』を書いた文豪。
 若い人は『不如帰』って知らないだろうな。
 実は私も読んだことはないのですが。
 この地で徳富蘆花は晴耕雨読の生活を
 いとなんでいたそうです。
 当時は大層田舎だったんでしょうね。
 左の写真は公園の中の一角にある
 当時の住宅です。
 まだ夏休みの自由研究が終わっていない君。
 蘆花恒春園を訪ねて
 徳富蘆花と世田谷みたいな研究はいかが。
 先生、びっくりしますよ。
 きっと。

 というわけで、
 とっても文学的な一日を過ごせた
 夏の日でした。

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日少し子役の話を書きましたが
  芦田愛菜ちゃんはかわいいですね。
  彼女がちょっと気になりだしたのが
  NHKの大河ドラマ「江」からで
  そのあと、あ、ここにもでてる、あちらにも出てるって
  気がつけば大ブレーク。
  あの『告白』の映画にも出てましたね。
  そこで、
  今日は子役といえば
  この人ということで
  中山千夏さんの『ぼくらが子役だったとき』という本を
  蔵出し書評で紹介します。
  中山千夏さんが子役だった頃は
  しっかりめの子供という印象がありますが
  芦田愛菜ちゃんを見ていると
  かわいい子役というところでしょうか。
  時代は変わったのです。

  じゃあ、読もう。

ぼくらが子役だったときぼくらが子役だったとき
(2008/08)
中山 千夏

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sai.wingpen  ぼくはふつうの子どもだった             矢印 bk1書評ページへ

 子役と呼ばれた人たちはいつまでも子役であることはない。
 成長とともに彼らは「かつての子役」になり、「往年の子役」と呼ばれてしまう。子供たちが演じて(あるいは歌って)いたのであるから、それは避けることができない宿命である。
 失礼ではあるが、その言い方をせざるをえないので書くが、「かつての名子役」中山千夏さんがホストになって14人の「かつての子役」たちとの対談をまとめたのが本書である。
 その14人の顔ぶれを紹介すると、松島トモ子(知らない人多いかな)、小林綾子(おしんです)、長門裕之(津川雅彦さんのお兄さん)、浜田光夫(吉永小百合さんとのコンビがよかったですよね)、四方晴美(TV黎明期の子役といえば、やっぱりこの方チャコちゃん)、柳家花録(名人小さん師匠のお孫さん)、小林幸子(紅白の衣装の話ではありません)、和泉雅子(日本人女性として初めて北極点到達に成功したんですよね)、水谷豊(『相棒』で今もブレイクしてます)、風間杜夫(この人の日活ロマンポルノ主演作好きだったな)、矢田稔(さすがに私でもわからない戦中に活躍された方)、弘田三枝子(彼女の「人形の家」は名曲です)、和泉淳子(狂言の、そう節子ママは本書でも少し登場)、梅沢富美男(夢芝居です)、となる。

 ついでに、中山千夏さんのことを書くと、舞台の『がめつい奴』で子役として人気を博したらしいのだが、私のなかではあの『ひょっこりひょうたん島』の「博士」の声を演じた千夏さんであり、ご本人は封印されているらしいが『あなたの心に』(1964年)を歌った千夏さんである。
 その後参議院の議員にもなられているが、色々な市民運動に参加されてもいる。
 しかし、やはり私にとっての千夏さんは子役からやや成長期を迎えられた頃がもっとも親しみやすい。そのように考えると、「子役」というのは情報の受け手であるこちら側の年令とも密接に関係している存在であることがわかる。
 例えば、本書に登場する水谷豊さんなどは手塚治虫の実写版『バンパイヤ』を演じていた頃を知っている人にとっては「子役」水谷豊であったかもしれないが、現在の『相棒』の右京役で水谷豊さんを知った世代にとっては「子役」どころかしぶい中年役者としての認識だろう。
 つまり、水谷豊さんなどは役者として極めて幸福な事例であるといえるし、本書に登場した14人それぞれが「子役」にひきずられることなく、今も立ち位置がはっきりしている幸福な人々だといえる。

 千夏さんが書かれているように「芸能界はオトナ中心のオトナ社会だ。とりもなおさず子役とは、オトナ社会を子どもが生きる体験だ」と思う。そして、そのオトナ社会に負けてしまった多くの「子役」がいることも事実だ。 それは週刊誌的にいえばスキャンダルと犯罪に走った「子役」たちだ。
 彼らへのインタビューが実現しなかったことについて、千夏さんは「多くは連絡がとれなかったし、こちらも無理はしなかった。そっとしておいてもらいたいのが当然だと思ったからだ」としているが、やはり彼らこそ「子役」という重い過去を背負った人々だろうし、彼らが「子役」であったことをどう語るのかは極めて重要なことだと思う。

 子どもはいつまでも子どもであることはない。
 しかし、子どもは「子役」とは違い、成長したからといって「かつての子ども」とか「往年の子ども」と呼ばれることはない。
 そのことだけでも「ふつうの子ども」は幸せなのかもしれない。
  
(2008/09/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  韓国の絵本『よじはん よじはん』です。
  柳田邦男さんの『夏の日の思い出は心のゆりかご』に
  紹介されていた絵本です。
  絵本は児童書専門店クレヨンハウスに行っても
  町の図書館に行っても
  たくさん並んでいます。
  その中から読んでみたいなと思う作品を
  選び出すのは
  なかなか大変です。
  だから、柳田邦男さんの大人が読める絵本紹介本は
  とてもありがたいと思います。
  またネットにも素敵なHPがたくさんあります。
  そういうところから
  一冊一冊選ぶって
  とてもわくわくします。
  ましてやこんなにかわいい絵本に
  出会えるとしたら、
  これほど楽しいことはありません。

  じゃあ、読もう。

よじはん よじはん (世界傑作絵本シリーズ・韓国の絵本)よじはん よじはん (世界傑作絵本シリーズ・韓国の絵本)
(2007/05/01)
ユン ソクチュン

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sai.wingpen  芦田愛奈ちゃんと、どっちがかわいい?                矢印 bk1書評ページへ

 今、子役がブームらしい。
 芦田愛菜ちゃん、加藤清史郎くんなど、彼らをTVで見ない日はないくらいです。
 なんといっても仕草がかわいい。おとな顔負けの表情はしているのですが、そこは子供。憎めません。つい、プリンアラモードぐらいはごちそうしてあげたくなります。
 絵本の世界にもかわいい子供を主人公にした作品がたくさんあります。
 絵本という、子供向けの作品ですからどうしても子供か動物が主人公になりやすいですが、それでも本当にかわいい子供が主人公の作品はそれほど多くはないのではないかしらん。
 大人が絵本を読む場合、ちょうど芦田愛菜ちゃんのような愛くるしい子供が主人公の物語だと感情移入がしやすいように思います。
 でも、それって何でしょう。自分の子供(あるいは孫)もそうであって欲しいという願望なのでしょうか。それともそばに置いておきたいぬいぐるみ感覚なのでしょうか。

 韓国の絵本『よじはん よじはん』に登場する「ちいさな ちいさな おんなのこ」は、愛くるしい子供のなかでも屈指といえるかわいさです。
 おでこが広くて、細い目。平べったい鼻に、ちょこんとした口。韓国の民族衣装もかわいい。
 そんな女の子がお母さんから「いま なんじか」っておうちの隣のお店に聞きにいく。隣ですから、そのまま帰ればなんの問題もなかったのですが、お店の庭のにわとりが気になったり、蟻の行列についていったりして、家に帰りついたのはもう日も暮れた時刻。
 それでも、女の子は平然と「かあさん かあさん いま よじはん だって」と。

 なんというかわいさでしょう。もうあたりは暗くなってきていますから、「よじはん」なわけはないのですが、この女の子がいうと、すべて許してしまいそう。
 こんなかわいい女の子に出逢えただけでも、この絵本を読んだ値打ちがありました。
  
(2011/08/21 投稿)

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 2011年、今年は「ウルトラQ」が始まって
 45年めになります。
 「ウルトラQ」って知ってます?
 1966年に円谷プロ(あの円谷英二さんがつくりました)が
 TV向けに制作した怪獣番組。
 ここから「ウルトラマン」「ウルトラセブン」といった特撮シリーズが
 始まったわけです。
 2011年の夏にはその「ウルトラQ」のシリーズが
 WOWWOWで連続放映されたり、
 話題となった総天然色化の番組が見れたりと
 心の奥底で眠っていた少年心が
 まるでゴジラのように目覚めたわけです。
 今回の「雑誌を歩く」は

  ウルトラQからウルトラマンゼロまで。
  円谷プロ大研究!

 とうたった、「pen」9/1号(阪急コミュニケーションズ・650円)を
 取り上げます。

Pen (ペン) 2011年 9/1号 [雑誌]Pen (ペン) 2011年 9/1号 [雑誌]
(2011/08/16)
不明

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 なんといっても、
 今号の表紙がかっこいい。
 黒地のバックにウルトラマンの雄姿。
 この表紙で断然飛びつきました。
 この腕で十字を組むスタイル、
 男の子なら一度はしたことがありますよね。
 ない? あれ? おかしいな。
 まだお若いのかな。
 おじさんたちはみんなしちゃいましたよ。
 「シュワッチ!」なんか云っちゃって。
 特集記事のリード文を紹介しておきますね。

  テレビ創生の時代、特撮の神様・円谷英二、そして円谷プロのスタッフたちが、
  いかにして世代を超え愛される国民的ヒーロー「ウルトラマン」を
  誕生させたのか―。
  (中略)
  「ウルトラQ」から「ウルトラマンゼロ」までのウルトラシリーズ全ガイド、
  ウルトラシリーズ45周年を迎え、ますます元気な円谷プロのすべてが分かる大特集!

 ね、すごいでしょ、読みたくなったでしょ。
 もと少年だったおじさま世代、今の若者世代、
 君もヒーローだ! なんて
 勝手に盛り上がっています。

 まずは、

  「ウルトラシリーズ」全作品を、徹底解剖。

 という記事で、年代別にウルトラのヒーローを追いかけていきます。
 私もどんどん大人になっていきましたから
 すべてのウルトラのヒーローを見ているわけではありません。
 特に最近のウルトラのヒーローはよくわかりません。
 せいぜい「ウルトラマンレオ」ぐらいかな。
 では、ウルトラのヒーローは全員で何人ぐらいいるかというと、

  ウルトラ一族36戦士が勢揃い。

 という、写真でなつかしのヒーローたちと再会ください。
 私が好きだったのはウルトラセブン
 それに、なんといってもアンヌ隊員
 おっと、彼女はウルトラ戦士ではなかった。
 記事、つづけますね。
 なにしろ超豪華な記事ばかりなので。

  地球を守った、究極の必殺技はコレだ!

 ご存じウルトラマンのスペシウム光線、ウルトラセブンのアイスラッガー、
 なんて、もう涙がでてしまいます。

  天才・金城哲夫と僕と『ウルトラQ』のこと。
  懐かしい! 「ソフビ」の怪獣人形はいまも現役。

 「ソフビ」というのは「ソフトビニール」のこと。
 子供の頃、おもちゃ屋さんの前でおねだりしませんでした?

  時代を超えて愛される、人気怪獣50

 この記事では、ウルトラのヒーローたちと戦った人気の怪獣たちを
 人気もの順に紹介しています。
 1位はなんだと思います?
 そう、今あなたが思ったとおり、
 バルタン星人です。
 ウッホ、ウッホ(これ、バルタン星人の鳴き声? です)。
 2位がゴモラ。3位がゼットン
 カネゴンは13位にいます。ダダは26位。
 この怪獣たちを見ているだけで、
 夕暮れの原っぱを思い出してしまいそうです。

 できれば、これに
 主題歌の記事もあってもよかったのですが。
 それがなくても、
 「pen」9/1号は永久保存版にちがいありません。

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プレゼント 書評こぼれ話

  どんなにうまいプロ野球の選手だって
  長い休養をとれば
  試合に出る時は心配になるものです。
  そんなことをあまり気にしないのは
  むしろプロとはいえないかもしれません。
  私たちのような
  普通のビジネスマンはどうでしょう。
  長い休み明けでも
  何気なく職場に戻っていませんか。
  やっぱりそれなりに
  軽い肩慣らしが必要です。
  というわけで、
  今日も昨日にひきつづいて
  ビジネス本を紹介します。
  しかも、小宮一慶さんの本です。
  さらに、今回は人気のドラッカーを扱った本です。
  『ドラッカーが『マネジメント』でいちばん伝えたかったこと。
  ね、肩慣らしにぴったりでしょ。
  でも、やる気のある人なら
  この夏休みにドラッカーの本に
  挑戦した方もあるかも。
  そんな人も復習の気持ちで
  どうぞ。

  じゃあ、読もう。

ドラッカーが『マネジメント』でいちばん伝えたかったこと。ドラッカーが『マネジメント』でいちばん伝えたかったこと。
(2011/07/08)
小宮一慶

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sai.wingpen  まず実践                   矢印 bk1書評ページへ

 先日新聞の広告面にP・ドラッカーの『マネジメント・エッセンシャル版』(ダイヤモンド社版)が100万部突破という案内が出ていました。2001年に出版されて10年めでの快挙です。
 経営学の本は普通10万部も売れればベストセラーといわれるそうですから、100万部というのは驚異的な数字です。
 もちろん大ベストセラーになった岩崎夏海さんの「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という小説の影響も大きいでしょうが、そもそもドラッガーが多くの経営者に愛され、支持されてきた「経営学の父」ですから、いかに多くの人が「経営とは何だろう?」と考えている証拠ではないでしょうか。

 経営コンサルタントでビジネス本で数多くのベストセラーを生み出している小宮一慶さんも「20年以上もドラッカーの本を読み続けて」いるそうです。そんな小宮さんがドラッカーの教えをわかりやすく解説したのが、本書です。
 日本の企業の具体的な取り組みの紹介をまじえながら、まるで小宮さんの講演を聴いているようなわかりやすい文章で、ドラッカーの真髄に迫っています。
 小宮さんがドラッカーを読もうとした契機は、「成功するためには、どうすればいいのか知りたい」ということでした。それは多分ドラッカーに魅せられた多くの経営者も同じだと思います。
 成功するにはきっと秘訣があるにちがいない。誰もがそのヒントを得ようとします。そのこと自体は何の不思議もありませんが、実際ドラッカーの理論をどこまで実践できるかで、あるいはドラッガーの本をいかに読み解くかで、その結果は大きく違ってきます。

 「エッセンシャル版」といっても、ドラッカーの『マネジメント』は読みやすい本ではありません。それでも読んでみたい。そう思っている人は多いでしょう。そんな方に、小宮さんのこの「入門書」はとてもわかりやすい一冊になっていると思います。
 ビジネス本の本質は読むことだけでなく、書かれていることをいかに行うかということです。
 ドラッカーだって同じです。ドラッガーの本を読んで経営がうまくいくなんてことはまずありません。ドラッカーの理論をどう自分のなかに取り込むかです。
 小宮さんの本はその助けとなる一冊です。
  
(2011/08/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日あたりから
  夏休みが終わって会社に出た人多いのではないでしょうか。
  休みあけって嫌ですよね。
  なんだか会社に行きたくない、
  その気持ちよくわかります。
  だって、私がそうなんですから。
  だから、今日はひとつ気合いをいれて
  ビジネス本を紹介します。
  おなじみ小宮一慶さんの『変化をチャンスにするマネジメント』です。
  この本のなかで
  会社を躍進させる法則に一つとして
  小宮一慶さんは
  「社員に読書を徹底」させることを
  あげています。
  
    勉強するということは、
    自分が「知らない、足りない」と感じるからこそ
    行うもので、
    傲慢な人間、ひねくれた人間は勉強をしません。

  と、書いています。
  本を読んで、
  常に自分の足らないところを知るということは
  社会のなかで生きていくとき
  必要なことです。
  会社に行きたくなくなった時にも
  読書は特効薬として
  効きますよ。

  じゃあ、読もう。

変化をチャンスにするマネジメント (PHPビジネス新書)変化をチャンスにするマネジメント (PHPビジネス新書)
(2011/05/26)
小宮 一慶

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sai.wingpen  変化こそ楽しい                  矢印 bk1書評ページへ

 初めに書いておくと、この本は2004年に『変化をチャンスにできる会社にする』という本を加筆修正して、今回改めてPHPビジネス新書の一冊として出版されたものです。
 著者の小宮一慶さんによると、「お客様を大切にする」という基本は変わっていないが、新しい事例を加えたり、文章の構成を変えているということです。
 そもそも小宮さん自身が2004年以降、たくさんの著作を書かれていますし、ベストセラーになる本も次々と出されるくらいに、わかりやすい文章を得意とする書き手に成長されています。もとになった本は読んでいませんが、きっと前作よりは読みやすくなっているのではないかと想像します。

 この本ではまず「組織が変われない一〇の理由」が書かれています。
 企業とはいいかえれば組織であることは間違いありません。その組織をひっぱっていくのは経営者ですが、組織全体が「ゆるい」と経営者がどれほど頑張っても前に進めません。ましてや、変化などいわんやです。
 では、何故「組織が変われない」のか、小宮さんは「和気あいあいが飛躍の敵」「目的を見失うことが一番危険」「評論家が多いと危険」といった、一〇の理由を挙げています。この本を読んで、そのいくつかがあてはまるようであれば、早急に手をうつべきです。
 その方策として、小宮さんは「トップはチャレンジの種をまき続けよ」と成長のための法則を一〇、「変化をチャンスにする会社のつくり方」として「躍進の法則」を十二、掲げています。
 組織を変えていくのはやはり経営者の、重い責務です。
 組織が自ら変化を求め動き出すまで、どれほど長い道のりかわかりません。経営者は倦むことなく、常にチャレンジしていくしかありません。
 経営者がもし尊敬に価するとすれば、まさにこの一点なのです。

 小宮さんは本書の「おわりに」で「大きな変化の時代に生まれ、そして生きていることを幸福だと考えて、前向きに変化をチャンスに変えていくように生きたいもの」と書いています。
 もし、仕事がつまらないと感じているようであれば、変化を楽しむという幸福を見逃しているのではないでしょうか。
 実は、変化こそもっともあなた自身を高める唯一の機会だということを忘れてはいけません 。
  
(2011/08/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日の「雑誌を歩く」で
  芥川賞受賞作なしだった「文藝春秋」のことを
  書きましたが、
  前回の第144回芥川賞の作品をまだ読めていなかったので
  けっこう焦っていました。
  今日は第144回芥川賞受賞作
  西村賢太さんの『苦役列車』を
  紹介します。
  なんとか駆け込み成功って気分です。
  でも、結構厳しいこと書いちゃいました。
  文学というのは
  読み手側の事情もありますから
  万人がyesということもないと思います。
  ですから、たまには辛口評もあって
  いいかなと。
  西村賢太さんはなんだか風貌が中上健次さんに
  似ていますよね。
  中上健次さんのような
  骨太の作品をこれから書かれることを
  楽しみにしています。

  じゃあ、読もう。
  
苦役列車苦役列車
(2011/01/26)
西村 賢太

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sai.wingpen  時代が芥川賞をつくるのか、芥川賞が時代をつくるのか           矢印 bk1書評ページへ

 第144回芥川賞受賞作。ですが、私にはこの小説の何が面白いのかよくわかりませんでした。
 作者の西村賢太さんは私小説作家にくくられるそうです。ですから、受賞作となった『苦役列車』も自身の青春期の苦労話とでもいえばいいのでしょうか、袋小路のようなみっともない生活がくだくだと描かれています。
 こういう作品を読むと、いったい小説とは何だろうかと考えこんでしまいます。この物語で誰が救われるのでしょうか。

 選考委員のひとり高樹のぶ子さんはこの作品についてこう書いています。「人間の卑しさ浅ましさをとことん自虐的に、私小説風に描き、読者を辟易させることに成功している」と。
 どうして「読者を辟易させる」ことが必要なのかわかりません。さらにいえば、ここに描かれているのは「人間の卑しさ浅ましさ」ではなく、貫多という「馬鹿のくせして、プライドだけは高くできてる」19歳の青年の持つ「卑しさ浅ましさ」にすぎません。そして、けっして貫太は現代の代表的な青春像でもないのです。
 高樹委員はさらにつづけて「卑しさと浅ましさがひたすら連続するだけで、物足りなかった」と書いていますが、他の委員にいたっては西村さんの術中にはまった感がないでもありません。それこそ西村賢太さんの文学の魅力でもあるのですが。

 たとえば、この作品が東日本大震災のあとの芥川賞の選考対象であったら、果たしてこのような青年の描いた作品が選ばれたでしょうか。いかほどに文章が達者であったとしても受賞には至らなかったように思えます。
 芥川賞が時代を作ることはないとはいえないですが、時代が芥川賞をつくりだすということは確かにあります。それが不幸かどうかは、今後の作品を西村さんがどう創りだしていくかにかかっているのではないでしょうか。
  
(2011/08/17 投稿)

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 総合誌「文藝春秋」の九月号といえば
 毎年恒例の芥川賞の発表号なのですが、
 すでにこのブログでも何回か書きましたとおり
 第145回芥川賞は残念ながら「受賞作なし」ということで
 なんだか迫力に欠ける号となりました。
 きっと売れ行きにすごく影響するんでしょうね。
 では、今回の候補作の何がよくなかったのかというと、
 「文藝春秋」九月号には選考委員さんの「選評」が掲載されていて
 それはそれなりに、そして結構内実面白いのですが、
 読みました。
 おいおいいくつかの作品を紹介しながら、
 その際にでもそのことに触れてみたいと思います。
 とりあえず、今回はまだお盆休暇の人も多いでしょうし、
 芥川賞受賞作なしでもずっしり重い、
 「文藝春秋」九月号(文藝春秋・860円)で
 「雑誌を歩く」を書いてみます。

文藝春秋 2011年 09月号 [雑誌]文藝春秋 2011年 09月号 [雑誌]
(2011/08/10)
不明

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 今号の大型企画で目を引くのが、
 「運命を変えた手紙」。
 吉行淳之介さんから宮城まりこさんに宛てた手紙など
 86人のドラマが紹介されています。
 手紙というコミュニケーションツールですが、
 最近はメールが発達したからなかなか書く機会がありません。
 私もそう。
 ほとんどペンをにぎることがなくなりました。
 母が亡くなって、今では母からの手紙が恋しくなります。
 母の手紙といえば、
 「はやくきてくたされ。いしよのたのみて。ありまする」で有名な
 野口英世の母親の手紙も紹介されています。
 「いしよ」というのは「一生」のという意味です。
 目にした人も多いと思いますが、
 母親の切なる思いが噴き出た手紙です。

 「文藝春秋」は月刊誌ですが、
 ニュースの速攻性という面ではかなりうまく紙面化しているのでは
 ないでしょうか。
 今号ではあの「なでしこジャパン」を取り上げた記事がふたつ、
 先場所引退した魁皇関の独占告白、
 人気作家の万城目学さんによる「東電株主総会突入記」など
 かなり読み応え十分です。
 さらに坪内祐三さんの連載もののなかで
 先日亡くなった原田芳雄さんのことがきちんとフォローされています。
 坪内祐三さんはそのなかで
 原田芳雄さんのことを「ATGの人」と呼んでいたのはなるほどなと
 納得しました。
 ATGというのが1970年代の低予算映画のことですね。
 あ、これ、かなりざっくり書きすぎてますが。

 政治的にいえば
 次の総理候補と噂される三人の閣僚の皆さんが
 熱弁ふるっていますが、
 まずが総選挙で今一度国民の信を問うべきではないかと
 私は思います。
 猛暑で国民がグタッとなっているところで
 新しい総理を決めるなんてことにならないようにしてもらいたい。

 そんなこんなで
 もうボリューム満点の「文藝春秋」ですから
 帰省帰りの列車の中で読んでみてはいかがですか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は終戦記念日
  私たちの国は
  八月というとってもいい月を
  持っていると、
  いつも思います。
  私たちは
  八月になるとヒロシマのことナガサキのこと
  それに戦争のことを思い出します。
  日航機の大きな事故があったのも
  八月でした。
  そして、先祖を偲ぶお盆という習慣があるのも
  八月です。
  私たちは八月があるから
  命のことを
  考えます。
  たくさんの人たちの命の意味を考えます。
  今日紹介する重松清さんの
  『おじいちゃんの大切な一日』も
  命のことを考えさせてくれる一冊です。
  はまのゆかさんの絵も素敵な一冊です。
  絵本のような作りとなっています。
  それも素敵です。
  子どもたちと一緒に
  命について話し合うのもいいかもしれません。

  じゃあ、読もう。

おじいちゃんの大切な一日おじいちゃんの大切な一日
(2011/05)
重松 清

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sai.wingpen  命のリレー                     矢印 bk1書評ページへ

 人はひとりでは生まれてきません。お父さんとお母さんがいて、私たちは生まれてきます。お父さんとお母さんも同じ。お父さんのそのまたお父さんとお母さんがいて、生まれてきたのです。おじいさんとおばあさんです。そうやって、たくさんのお父さんとお母さんがつづいています。
 今の私たちはそのようにして在るのです。
 そして、私たちもまた新しい子供たちをつくっていきます。そういう連綿とした命のつながりでこの世界はできています。

 重松清さんのこの物語は、おじいさんと孫のエリカさんのふれあいを通して、ものづくりの大切さを描いた作品ですが、おじいさんから孫につながるそんな命のつながりの物語でもあります。
 もともとこの本は、ある工作機械メーカーからの依頼でその会社の従業員の皆さんだけに出版された(こんな素敵なことを企画されるなんていい会社ですね)私家版の書籍でした。多分その時には、ものづくりの大切さが主要なテーマだったのだろうと思います。
 ところが、3月11日の東日本大震災で、この本の運命も大きく変わりました。
 作者の重松さんは、「震災で両親をうしなってしまった子どもたち」の「明日から」をどう支えたらいいかを考えて、この本を書店の本棚に並べてみることを思いつきます。
 だから、この物語は、大震災がなければ私たちの目にふれなかったかもしれない、とても貴重な一冊なのです。

 重松さんはこの本の刊行にあたってこんなことを書いています。
 「僕たちは長い時間をかけて、無数の、けれど一人ひとりの死を、悼まなければなりません。そして、もっともっと長い時間をかけて、「明日から」の世界をつくっていかなければなりません」と。
 私たちの命は、お父さんとお母さん、それに二人につながるたくさんの命から生まれたものです。その命を明日の命へとつなげるのも私たちの大切の責任です。
 この物語はそんな命のリレーを描いた作品なのです。
  
(2011/08/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  お盆でこのブログを
  故郷で見てくれている人も
  いるのではないでしょうか。
  今日紹介する絵本は
  ジェス・ブロウヤーさんの『テスの木』です。
  大好きだった庭の木を
  失って悲しい女の子テスの
  心の再生を描いています。
  なんとなくお盆にぴったりな
  絵本の紹介となりました。
  この絵本のテスのように
  皆さんがやさしい気持ちで
  逝ってしまった人たちと
  つながればいいですね。

  先日『ものすごくおおきなプリンのうえで』という
  絵本を紹介しましたが
  あの絵本の初出は2005年ですよと
  このブログを読んで頂いた人から教えてもらいました。
  調べると、
  もともとは2005年の秋号の「飛ぶ教室」という雑誌に
  掲載されていたんですね。
  そして、2010年に絵本として出されたものの
  ようです。
  絵本大好きな人って
  いっぱいいるんですね。
  ありがとうございました。

  じゃあ、読もう。

テスの木 (主婦の友はじめてブック―おはなしシリーズ)テスの木 (主婦の友はじめてブック―おはなしシリーズ)
(2010/03/25)
ジェス・ブロウヤー

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sai.wingpen  かたわらで癒してくれる                     矢印 bk1書評ページへ

 「6さいと 3かげつと 12にち」の女の子テスには大好きなものがあります。それが「だいたい 175さい」の、庭の大きな木です。
 えだにブランコをつるしたり、おちばのふとんにもぐったり、テスにはこのとしよりの木が友だち以上の存在でした。
 でも、あるばん、嵐がやってきてとしよりの木の太い枝も細い枝も折ってしまいます。すっかり姿のかわったとしよりの木はとうとう切りたおされてしまいます。
 母親のひざで泣くテス、ぬいぐるみをほうりなげて怒るテス、としよりの木のきりかぶによりかかって泣いているテス。
 そんなテスが思いついたのが、「おそうしき」でした。
 そして、近所の人や友達に「わたしの木のおそうしきをします」という案内状を送ったのです。
 いよいよ、「おそうしき」の日。そこでテスはとってもおおきなことを知ることになります。

 何かを喪うということは悲しいことです。それは子供であれ、大人であれ、少しもちがいません。
 その悲しみから何を学び、そして再生していくのか。それは、おそらく、人それぞれでしょう。
 この絵本のテスという女の子は、自分だけの木と思っていたとしよりの木がたくさんの人に愛されていたことを知ります。そして、としよりの木はなくなったのではなく、「たくさんの ひとの こころの なかに いろんな おもいで」となってしまわれていることに気がついたのです。
 小さなテスはとしよりの木がどこで生き続けているのかを知ったのです。
 テスはもう泣かなくなりました。
 喪失感から抜け出た瞬間です。

 この絵本はやさしい文章とかわいらしい絵でできていますが、とっても深いことが描かれています。子供たちだけでなく、大人の人にも読んでもらいたい絵本です。
 そして、悲しみにくれている人がいれば、そっと傍らにおいてあげたい絵本です。
  
(2011/08/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  文春文庫の新刊です。
  文庫は毎月一回新しいラインナップがそろいますから
  うっかりしていると
  紹介し忘れたりします。
  だから、いそいで紹介します。
  紹介するのは
  丸谷才一さんの『月とメロン』という
  薀蓄(うんちく)エッセイ。
  新刊で出た際に書いた
  蔵出し書評です。
  単行本が文庫化されるスピードは
  早くなっていますが
  この文庫は3年ぐらいかかってますね。
  人気がないのかもしれませんが
  これくらいのスピードの方が
  いいですね。
  人生そんなに急いでどうするの、です。

  じゃあ、読もう。

月とメロン (文春文庫)月とメロン (文春文庫)
(2011/08/04)
丸谷 才一

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sai.wingpen  丸谷才一と金子信雄は似ているかしら              矢印 bk1書評ページへ

 ご存知、丸谷才一大兄による痛快エツセイの、平成二十年春時点での最新作である。(ここはちやんといつの本なのかを書くのが後々の記録としては適当でしよう。それに、これから何年も大兄のこの種のエツセイが読めることを楽しみにしていますという敬意もこめたつもりです)
 読者にこの本がどんなに愉快で知的であるかは語るに及ばないくらいおなじみなのだが、今回も本の帯にあるように「ヤクザの親分に教わつた喧嘩の極意」とか「日本人の背広とシヤツはなぜ地味なのか」といふように、まあはつきり書くとどうでもいいような話が続く。
 それでいて痺れるような知的快感を得られるのはどういふわけかしら。大兄の文章のうまさといふしかない。そもそも書かれていること自体、本当のことなのか誰も確かめていないのだし。

 ここで思ひ出したことがある。何かスピーチを頼まれた時に、なんでもいいのだが「ゲーテがどこかに書いていましたが」としたら、話におもしがつくらしい。まちがつても「丸谷才一先生が<月とメロン>という本に書いていましたが」と云ふてはいけない。話が軽くなる。
 といふか、誰も理解しないかもしれない。この本がベストセラーになつたら使へるかもしれませんが。そうなつてくれたら、私も使ひます。余談、終り。
 (もうひとつ、余談だが、丸谷大兄がその著作で歴史的仮名づかひをされているのは多くの読者が知つているが、促音・拗音は小さくしないとか、送り仮名は送りすぎないやうにするとかのこだわりがある。だから、終わりではなく、終りとなる。大兄の『文章読本』の「わたしの表記法について」に、ちやんと説明されています)

 まあここに書かれたいくつかは、おとなの会話として充分使へます。おとなですから、まちがつていても目くじらたてないと思ひます。寛容こそおとなの証(あかし)。
 たとへば、「花王石鹸の社名の由来」などは使へますね。実際私はもう使ひました。あまり受けませんでしたが。
 受けないので(つまり興味をもたれないといふことですが)、あわてて「ソニーの社名の由来」の話をしましたが、もつと受けなかつた。
 でも、おとなの会話ですから気にしません。大人は寛容ですから。「フレンチキスが人口減少に悩んだフランス内務省の陰謀」でもしたほうがよかつたかしら。でも、会話の相手がご婦人方だつたし。大人の女性が寛容だと言ひ切れるかどうか。これはわからない。

 さつきも書いたけれど、大兄の歴史的仮名づかひの話だが、どうしても大兄の著作の書評を書けば、つひ書評もそんな風に書いてしまふ(でも、私の使ひ方はでたらめです。大人は寛容、を信じて書いています)のは、昔東映のヤクザ映画を見た若者が映画館を出てきたらみんなヤクザ風に肩を揺らせていたらしいという神話にどこか似ているな。
 大兄は高倉健といふより金子信雄(「仁義なき戦い」に出ていた俳優)に似ていると思ふけど。和田誠さんの似顔絵だとよくわかる。それに大兄も金子氏も食には造詣深いし、面白い話に発展しそうだ。
 大兄、今度書いてくれないかな。
  
(2008/06/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私のような小さなブログでも
  時々ありがたいことに
  献本を頂くことがあります。
  で、書評を書いて下さいとなるわけですが
  その大方はbk1書店ですが、
  今回日本プロスポーツ協会様から
  今日紹介する『2011 プロスポーツ年鑑』の献本を頂いたので
  書評に挑戦してみた次第です。
  相手はほとんど数字。
  それをどう料理すべきか悩んだ末に
  書いたのが今日の書評です。
  うーん。
  どうもこうも、かな。
  きっとスポーツ好きの人なら
  もっとうまく書けたでしょうにと
  反省しています。

  じゃあ、読もう。

プロスポーツ
 なお、今回の本はデータがなくて写真のみです。
 定価は3,990円です。










sai.wingpen  青春のつづき                  矢印 bk1書評ページへ

 高校野球は好きではありません。生来の運動嫌いというだけでなく、なんだか高校野球だけが青春みたいな雰囲気がどうしても好きにはなれませんでした。
 汗、青空、白い歯。友情、根性、夕焼け。夏の甲子園まっさい中のちょうどその時に、図書館の狭い机で受験勉強をしている高校生だって、同じ18歳。それなのに、どうも高校球児の方が青春してるっていう印象は否めません。それがとても嫌でした。
 ところが青春も多様化して、昔は野球一辺倒だった競技もサッカー人気に押されているし、今やマンガやロボットなんていう分野でも甲子園大会があったりします。青白い文系の人間も青春してるのです。当たり前ではありますが。

 運動はできなくても記録が好きな人もいます。歴代の徳川将軍の名をづらづらと、天皇の名前もつづきます。そういう記録好きにとっては野球選手の安打数やホームラン数、相撲取りの星の数、サッカー選手のベストイレブンなんていう記録は垂涎ものかもしれません。
 本書は日本プロスポーツ教会編の2010年のプロスポーツのシーズン総括をまとめたものです。記録好きにとっては一つひとつの数字がたまらなく魅力です。記録にこだわらない人でも、あの日あの時打たれたホームランの球の軌跡がうかびあがるかもしれません。
 プロスポーツにおける記録とは、常に数字だけでなく、人々の思い出とともにあるのですから。

 プロスポーツは遊びではありません。選手たちは勝敗に一喜一憂し、数字にこだわります。青春の延長にあるのではなく、生活の糧という部分ももっています。それでも、彼らはどこかで青春のつづきを生きています。それはそれでうらやましいかぎりです。
  
(2011/08/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日であの大震災から五か月になります。
  まだまだ復興というところまで
  いっていないように感じますが、
  それでも被災地の皆さんの頑張りは
  いたるところで芽を出してきているような
  気がします。
  今日紹介するのは、
  柳田邦男さんの『夏の日の思い出は心のゆりかご』という
  絵本の紹介エッセイです。
  「[絵本は人生に三度]手帖2」とあるように
  この本は先の『雨の降る日は考える日にしよう』の
  つづき本です。

   『雨の降る日は考える日にしよう』の書評はこちら

  今回もたくさんの絵本が紹介されていますし、
  そのうちの何冊かは
  ぜひ読んでみたいなと思います。
  おとなの私たちは
  なかなか絵本を選ぶのがうまくありません。
  この本で絵本の森に
  遊ぶのもすてきですよ。

  じゃあ、読もう。

夏の日の思い出は心のゆりかご ([絵本は人生に三度]手帖?)夏の日の思い出は心のゆりかご ([絵本は人生に三度]手帖?)
(2011/04/23)
柳田 邦男

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sai.wingpen  「心の故郷」をたずねて                   矢印 bk1書評ページへ

 この本の「あとがき」は2011年の春に書かれています。となれば、当然東日本大震災のことにふれられています。
 私たちはあの震災以前と以後では、きっとなにがしかの表現や思いが変わるはずです。
 もし、この本の「あとがき」も震災以前であればちがった表現や論旨になったでしょう。文章とは決して独立したものであるのではなく、時代の潮流でさまようものだといえます。

 その「あとがき」で柳田邦男さんは何を書いたかというと、被災地の避難所でトランプゲームに興じる姉弟の自然な笑顔でした。その笑顔から自身の少年時代の思い出とつなげて、「一時的にでも悲しみを忘れて心を解放する術を本能的に持っている」と、子供の持つ力を絶賛しています。
 そして、少年時代の自身の振り返りを「何かしらほっとするような気持ち」と書いています。
 「そういう懐かしさの感覚で呼び覚まされる思い出」を柳田さんは「心の故郷」、「心のゆりかご」と名付け、大切にされているそうです。
 大人たちには大きな悲しみにもめげない素朴な子供の力はなくなっているかもしれません。その反面、年老いたものたちには「心の故郷」、「心のゆりかご」があります。
 喪失感をうめるためにもそういった精神的なことはおろそかにしてはいけないのでしょう。

 本書は絵本の紹介エッセイ本です。絵本を紹介しつつ、「あとがき」にあるような柳田さんの思いのようなものが綴られています。
 一度読んだ絵本、読みそびれた絵本、まったく知らなかった絵本。さまざまな絵本は、「心の故郷」、「心のゆりかご」のあり場所を教えてくれるようでもあります。
 喪ったものがあまりにも大きい時、過ぎた時間と光景に戻ることもできない時、絵本を読むことで本当の「心の故郷」、「心のゆりかご」にたどりつけるような気がします。
 それは、多分、もっとも人間的なやさしさが残った場所でもあるかもしれません。
  
(2011/08/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日ジブリ映画の最新作『コクリコ坂から』のことを
  書きましたが、
  映画プロデューサーはもちろん鈴木敏夫さん。
  ジブリといえば宮崎駿さんですが、
  鈴木敏夫さんの名前も忘れてはいけません。
  まあ、最近ではすっかり有名になっていますから
  ジブリファンだけでなく
  仕事人としての鈴木敏夫さんの名前を
  知っている人、
  多いのじゃないかな。
  今日紹介するのは
  そんな鈴木敏夫さんが書いた
  『仕事道楽―スタジオジブリの現場』。
  蔵出し書評ですが、
  昨日の『コクリコ坂から』の
  余韻として紹介します。
  ところで、ジブリ作品ですが
  私の好きな作品は
  なんといっても『天空の城ラピュタ』、
  次が『風の谷のナウシカ』かな。
  評価の高かった『千と千尋の神かくし』や
  『もののけ姫』は今一つ好きになれません。
  あなたの一番大好きは
  何でしょうか。

  じゃあ、読もう。
  
仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)
(2008/07/18)
鈴木 敏夫

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sai.wingpen  現代を言葉でつかむ                   矢印 bk1書評ページへ

 本書には「スタジオジブリの現場」と副題がついている。もちろん、スタジオジブリとは宮崎駿や高畑勲(この人はアニメ『火垂るの墓』の監督)という現代の日本アニメ界を支える巨匠を有するアニメーション製作会社であるが、その設立のはじめから関わったきたのが本書の著者鈴木敏夫である。
 だから、宮崎駿アニメの裏話がてんこもりになった本であるから書名はいささか堅苦しいものの、若い人でも充分楽しめる一冊である。
 子供が小さい頃から宮崎アニメに親しんできた私にとっても、『風の谷のナウシカ』であるとか『となりのトトロ』といったお気に入りのアニメの話が満載で、読むのが途中でやめれなくなった、とにかく面白いのである。
 2008年の夏大ヒットしている『崖の上のポニョ』が夏目漱石の『門』がヒントになっているなんていう挿話があったりするのだから、宮崎アニメのファンにとってはたまらない。

 では、著者の鈴木敏夫とはどういう人なのか。
 本書と同時期に出た押井守の『凡人として生きるということ』という本の中でうまい表現がある。押井は鈴木について「これ以上ないというくらいに不自由である。(中略)映画を作り、大騒ぎして宣伝し、お祭り騒ぎをやっている。一応仕事だが、みんなそれを嬉々としてやっている」(『凡人として生きるということ』)とした上で、まるで『ハウルの動く城』(もちろん宮崎アニメ)のようだと形容している。
 鈴木は押井の作品でもプロデュースしているから、二人はよく知った関係なのだろうが、ここには押井流の鈴木敏夫に対する賞賛が込められている。
 鈴木自身も自身の仕事に関して「無理に何かになろうとしないで、そのときどきのことを楽しみ、その人が好きだからやる」と書いているが、そのような鈴木の表情が押井からは「嬉々とした」表情にみえるのかもしれない。

 そういった鈴木の個性がこの本にもよく出ていて、宮崎アニメやスタジオジブリのことを語りながら、実は仕事に対する姿勢であったりコミュニケーションのありようが何気なく、それでいて奥深いのだが、語られていく。
 そして、その核として、鈴木は<言葉>の重要性について言及し、「現代を言葉でつかむ」ことを望む。実は、この本と対となる押井守の本の中でも<言葉>が重要なワード(押井は「言葉の有効性」と表現している)になっているのが面白い。
 同時代である二人(鈴木は1948年、押井は1951年の生まれ)がそこで語られている内容こそ違え、それぞれの著作において明日を切り開くものとして、<言葉>をあげる。
 もしかすると日本のアニメはその一点においても、今やもっとも評価していい文化かもしれない。
  
(2008/08/30 投稿)

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 この夏話題のジブリ作品『コクリコ坂から』を
 先日観てきました。
 ジブリ作品はほとんど観てきましたが、
 この『コクリコ坂から』はそのなかでも私的には
 とてもいい作品でした。
 今回の監督は宮崎駿さんではなくて、
 息子さんの宮崎吾郎さん。
 親子でつくった、いい面がでた作品ではないでしょうか。

コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)
(2011/06/23)
高橋 千鶴

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 物語は東京オリンピックが目前に迫った
 1963年(昭和38年)の横浜が舞台。
 坂の上で「コクリコ荘」という下宿屋を切り盛りする
 「海」という16歳の少女が主人公です。
 画面全体の色合いといい、空気といい、
 昭和38年の時代がよくでています。
 海の通う高校での騒動がひとつのエピソードになっているのですが
 高校生たちの溌剌とした様子もまた
 あの時代ならではのような感じがしました。
 講堂での集会、紛糾するその集会をのぞきにくる教師の目をごまかすために
 学生たちが合唱する場面なんか涙がでそうになるくらい、
 いい。

 おそらく泣ける映画ではないと思いますが、
 過ぎ去った時代のことや
 いなくなった人たちのことが
 脳裏をかけめぐって
 私は泣けてしかたがありませんでした。

 欲をいえば
 もう少しクレジットタイトルの時間を
 長くとって欲しかったと思います。
 声優さんが誰なのかもアニメならではの興味ですから。
 ちなみに、主人公の「海」の声は長澤まさみさん。
 そのボーイフレンドの「俊」は、岡田准一さん。
 香川照之さんは理事長の声で出演しています。

 そうそう、それとこの映画は
 音楽もすばらしいんです。
 主題歌の手嶌葵さんの『さよならの夏』だけでなく
 坂本九さんの『上を向いて歩こう』や
 映画オリジナルの挿入歌の数々も
 すてきです。

 おススメの映画です。

  じゃあ、観にいこう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は立秋

   草花を画く日課や秋に入る  正岡子規

  いわゆる暦の上では、もう秋。
  といっても、
  実際はこれからまだまだ暑い日が
  続きますから、
  皆さんも体調には気をつけて下さい。
  今日紹介する本は
  このブログにもよくコメントをくださっている
  サムシングブルーさんが
  bk1書店に書評を載せていたので読んでみたいかった
  白川道さんの『冬の童話』。
  こういう本はなかなかラストがどうなるか
  書けないので、
  うまく伝えきれないところがあって
  書評を書くのは難しいですね。
  けっこう泣けるという人も
  いるかもしれませんね。
  この物語のなかにでてくる
  『かたあしだちょうのエルフ』という童話は
  先に読んでいます。
  興味のある方はぜひ。

   『かたあしだちょうのエルフ』の書評はこちら

  これから、秋。
  いい本をたくさん読みたくなる季節です。

  じゃあ、読もう。

冬の童話 (文芸)冬の童話 (文芸)
(2010/11/11)
白川道

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sai.wingpen  王子さまはお姫さまにキスをしました               矢印 bk1書評ページへ

 子供の頃、ベッドのかたわらで母親に童話を読んでもらいながら眠りにつく、そんなそれこそ童話のような思いがなかったわけではありません。
 しかし、実際は童謡「母さんの歌」のように母はいつも夜なべ仕事をしていたように記憶しています。
 母にとって子供たちに童話を読むどころではなかっただろうし、まして母にとって本を読むそんな習慣も遠いところにあったように思います。
 そんな母に、童話のような恋の物語を夢みたことはあったのだろうか。母の死以降、すっかり衰えた父にはどうだっただろうか。そんなことをふと思います。
 たぶん、父も母もそんな童話の一篇さえ読む余裕も愉しみもなかったでしょう。でも、今父はうすれてきた記憶のなかで、若かりし頃の母との日々を楽しんでいるのかもしれません。そして、そんな遠い時間こそ、父にとっては童話のようなものだと思いたくなります。

 この物語は書名のとおり「童話」です。しかも、男女の恋愛を描いた、大人の「童話」といっていいでしょう。
 主人公は48歳の新進の出版社の社長である聖人(まさと)と21歳のそらという、男と女。
 二人は「広い東京の、ある雪の降る寒い夜に」「寒さと孤独に吸い寄せられるようにして」出会います。聖人にもそらにもつらい過去があります。そのことが伏線になって、この物語をつくっていきます。
 そらはやがて聖人の支援によって、もちろんそのことをそらは知りませんが、歌手の道を歩きだします。すべてがうまくいきすぎて、まるで「童話」のような恋物語です。
 しかし、この物語が本当の「童話」になるためには、過酷な運命を受け入れざるをえません。
 私たち読者はその悲劇を読むことで、この物語をより「童話」へと昇華させていくのです。

 ここに描かれた男女の出会いと別れは「童話」かもしれません。だからといって、そんな物語は実際にないなどと誰が断言できるでしょうか。
 「童話」は夢みたいに儚い物語かもしれませんが、そこに作者がこめたものは真実の果実です。
 男がいて、女がいる。愛があって、別れがある。その姿にどれほどの違いがあるでしょう。

 おそらく「童話」すら読まなかっただろう、私の父と母だって、「童話」の主人公のように愛し合っていたにちがいないと、二人の子供である私は思い、信じます
  
(2011/08/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  塚本やすしさんの『このおっぱいだあれ』という
  すてきな絵本です。
  いいでしょ? このタイトル。
  なんだか、おとなの写真集にも
  使えるタイトルですが。
  いいえ、いいえ、
  私はそんな邪(よこし)まな気持ちで
  この絵本を読んだわけではありませんよ。
  本当に。
  それはそうと、
  書評の中にもちらりと書きましたが
  最近はお母さんの授乳の姿を
  見かけなくなりました。
  以前クレヨンハウスに行った時に、
  若いお母さんが突然肩から上半身に
  ケープのようなものをしだして、
  どうしたのだろうかと見ていると、
  その中で赤ちゃんに授乳をしている(多分)光景を
  見かけたことがあります。
  あの時はびっくりしました。
  時代が変わると
  お母さんのおっぱいも
  変わるのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

このおっぱいだあれこのおっぱいだあれ
(2011/05/16)
塚本やすし

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sai.wingpen  純な気持ちでこの絵本を読みました。疑ってます?              矢印 bk1書評ページへ

 乳房、と書けばなんだか悩ましいですが、おっぱい、と書くと微笑ましいのはどうしてでしょうか。同じ形状なのに、この感じ方の違いは言葉のおもしろさといえます。
 そういえば、最近はお母さんの授乳のすがたをあまり見かけなくなりました。昭和四〇年頃まではお母さんは実に堂々とおっぱいをだして、赤ちゃんにお乳をあげていたものです。
 お母さんのおっぱいは、いつのまにかお母さんの乳房に変わったのかもしれません。

 塚本やすしさんのこの絵本には、たくさんのおっぱいが、恥じらうことなく、描かれています。キリン、クジラ、ゾウ、ゴリラ、もちろん私たち人間、パパもママも。
 塚本さんの絵は夏の太陽みたいに元気です。だから、ちっとも照れてはいません。
 まずは、おっぱいを大きく描いて、「この おっぱい だあれ?」ってきいてきます。「こわい かおのような おっぱい」はゴリラのお母さんのそれだし、「おさかなのように うみの なかを およぐ おっぱい」は、クジラのお母さんのおっぱい。
 でも、やっぱり私たちに一番なじみがあるのは、ママのおっぱいです。

 作者の塚本さんは「おっぱいは偉大です。おっぱいはみんな大好きです。そんなおっぱいの大きな愛を感じてもらいたくて」と書いています。
 自分が赤ちゃんの頃、母親のおっぱいを夢中で飲んだ記憶はありませんが、それなのにどうしてこの絵本は気持ちをほっとさせてくれるのでしょうか。
 やはり、記憶のとても小さなひとかけらに、母親のおっぱいの匂いや柔らかさや温かさが残っているような気がします。
 お母さんのおっぱいは、やはり偉大なんです。
  
(2011/08/07 投稿)

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  先日紹介した『9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方』は
  人材教育の本でしたが、
  今日はもう少し幅広い経営の本を
  紹介します。
  田崎正巳さんの『ビジネスパーソンのための断捨離思考のすすめ』。
  「断捨離」という流行語が使われていますが
  これはれっきとして経営の本です。
  経営の本を読んでいると
  「アンラーニング(Unlearning)」という言葉を
  よく目にします。
  過去に学んだことを捨て去るということです。
  これがまた難しい。
  特に成功事例ほど捨てることが難しい。
  この「アンラーニング(Unlearning)」こそ
  「断捨離」のことではないでしょうか。
  「断捨離」は女性だけのブームではないのです。
  男性の皆さん。
  しっかり勉強しないと乗り遅れますよ。

  じゃあ、読もう。

ビジネスパーソンのための断捨離思考のすすめ (DO  BOOKS)ビジネスパーソンのための断捨離思考のすすめ (DO BOOKS)
(2010/12/01)
田崎正巳

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sai.wingpen  迷える経営者へ                矢印 bk1書評ページへ

 「断捨離」の提唱者やましたひでこさんは、「断捨離」とは「軸足を変えること」と自身の著作『仕事に効く「断捨離」』の中に書いています。その観点で本来ライフ的であった「断捨離」をビジネスの現場にも生かそうとしています。
 本書は「断捨離」という流行のキーワードを使っていますが、やましたさん以上にビジネスの現場でその思考方法を生かすために経営コンサルティングの田崎正巳さんが書いた一冊です。
 単なる流行を追った本というよりも、しっかりとビジネスの現場を見据えた本格的なビジネス書だといえます。本の中にもありますが、「断捨離」というのは一時的な流行ではなく、優秀な企業はすでにそういった思考を取り入れていたことがよくわかります。
 ただ言葉がそれに追いつかなかっただけで、今、「断捨離」という言葉ができてみると、これ程にぴったりの言葉はないように思えます。
 案外「断捨離」は最新ビジネス用語に採用されるかもしれません。

 著者の田崎さんは、「ビジネスにおける断捨離は、まず自社が何をやりたいか、どこを主戦場とするかを決め、そうでない分野は捨てるということが基本」だといい、「断捨離経営とは、資源をより有効に生かすための決断であり、前向きな経営判断」としています。
 「決断」や「判断」は「軸足」がないとなかなかできないものです。新しい事業を推進しようとする時、あるいは不振な事業から撤退しようとする時、経営者は迷います。その時「決断」するためには「軸足」をどこに持つかが重要になります。
 やましたひでこさんがいう「軸足を変える」ということがここでは重要になってきます。本書にも書かれていますが、従来の成功体験だけでは正しい「決断」がなされません。その時、「軸足を変える」ということが大事になります。
 まさに経営者こそ「軸足」を変えてみて、その施策が本当に有効なのかどうかを判断することが求められるのです。
 それがビジネスにおける「断捨離」です。

 本書は「断捨離」という流行のワードを使っていますが、経営の王道をまっとうに説明した一冊です。
 「決断」に迷っている経営者は奥様の本棚に並ぶ「断捨離」の指南書を読んでみることも必要なのかもしれません。それで企業が生き延びるとすれば、「断捨離」は侮れない思考であり、手段ではないでしょうか。
  
(2011/08/06 投稿)

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  今日紹介するのは
  私の大好きなイラストレーターの
  和田誠さんの『五・七・五交遊録』。
  五・七・五とあるとおり
  これは俳句の本でもあるのです。
  和田誠さんの素敵なところは
  俳句を楽しんでいることです。
  うまく詠もうなんて
  それは少しは思っているでしょうが、
  あんまり考えていないんじゃないかな。
  それより詠んだ相手のことを
  じっと見つめている。
  そんな感じがします。
  和田誠さんといえば
  似顔絵でも有名ですが、
  和田誠さんの似顔絵のあったかさが
  俳句にもよくでています。

  じゃあ、読もう。

五・七・五交遊録五・七・五交遊録
(2011/06/04)
和田 誠

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sai.wingpen  友だち何人できたかな               矢印 bk1書評ページへ

 和田誠さんは多才の人です。
 イラストレーターはいうまでもなく、絵本作家、映画監督、作曲家、エッセイスト、等々、それに本書でその才能の一端をみせる俳人。
 俳人についていえば、和田さんはアマチュア俳人と謙遜されるでしょうが、かつて和田さんが「麻雀放浪記」で初監督をした際にアマチュア監督といったら怒られたように、ここは「異業種俳人」といえばよろしいのかもしれません。
 そうはいっても俳句という文芸は五七五という短詩形式ゆえに素人でも詠みやすいですから、アマチュア俳人が登場しやすい世界だといえます。まして日本全国いたるところに、五七五のリズムによる標語とか惹句があふれていますから、俳句の文法を知らなくても、ふと口からこぼれるのが俳句めいているのはよくあります。
 もっとも和田さんの俳句はそんな素人俳句の域をすっかり越えられているのは、本書の俳句を詠めば一目瞭然です。

 この本にはそんな和田さんの俳句でつながる交遊録、人物評がエッセイとしてして綴られています。
 「楼蘭に架かりし虹の大いなる」という句は黒柳徹子さんに贈られた句です。黒柳さんは俳号に「楼蘭」とつけられるほど画家のマリー・ローランサンの絵が好きなんだそうです。だから、こっそりと句のなかにもしのばせたというわけです。
 そういうユーモア感が和田さんの俳句の特徴といえます。それにこういう俳句をもらえば、自分のことをちゃんと覚えてくれているんだと感激ひとしおだと思います。黒柳さんだってうれしかったにちがいありません。
 そういう人の優しさが和田さんの俳句の魅力だし、和田さんのたくさんの才能の基本だし、それこそ和田誠という人間の魅力でもあります。
 和田さんはまさに「友達づくりの名人」なのです。

 こういった交遊録俳句以外に、本書には映画好きの和田さんならではの映画俳句も収録されています。
 たとえば、「野伏せりも絶へて我等の田植歌」は黒澤明の名作『七人の侍』から詠まれた俳句です。わずか五七五の俳句であの長編の映画の心髄を詠んでしまうのですから、和田さんの俳句の腕まえはすごいものです。
 和田さんの詠みっぷりもすごいですが、俳句という短詩はそういう批評性のある詠み方も可能な文芸ということを再確認できます。

 俳句はいろいろなルールのある文芸ですが、和田さんの俳句はそんなルールを軽快に飛びこえています。そういった軽妙さもまた、和田さんの俳句のおもしろさといえます。
  
(2011/08/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介した
  佐野真一さんの『だから、僕は、書く。』には
  続編があって、
  それが今日紹介する『だから、君に、贈る。』です。
  今日も、だから、蔵出し書評です。
  書評を書いた2003年は
  どうも冷夏だったようで
  つい8年ほど前のことなのに
  そんなこともすっかり忘れてしまっています。
  去年は猛暑でしたから
  夏は暑いものと思いがちなんですが
  冷たい夏も
  それはそれであるんですね。
  今年もなんとなく
  雨が多かったりして
  異常気象のような夏のはじまりですが
  この先、暑くなるのか
  冷たくなるのか。

  じゃあ、読もう。

だから、君に、贈る。 (佐野真一の10代のためのノンフィクション講座―実践篇)だから、君に、贈る。 (佐野真一の10代のためのノンフィクション講座―実践篇)
(2003/07)
佐野 真一

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sai.wingpen  ぼくたちの失敗                  矢印 bk1書評ページへ

 今年(2003年)の夏はまったくどうしたんだいと云いたくなるくらい、冷たい日々が続いた。
 それに、十三、十四、十五歳といった少年少女が関わった犯罪や事件が毎日のように続いた。
 異常気象ももしかしたら私たちの環境破壊がもたらしたものかもしれないし、子供たちの事件も私たち大人が何もしてあげれなかった上でのことかと思うと、暗い気持ちになるし、悲しくもなる。
 一体私たちは何をまちがったのだろうか。

 佐野真一のこの本は「10代のためのノンフィクション講座2 実践篇」と副題がつけられて、佐野自身が出演したNHKテレビの「課外授業ようこそ先輩」を軸にして子供たちの可能性、大人たちの責任を問いかけたものだが、ノンフィクションを書くための実践篇というよりも若い人たちが生きていくための実践篇ともいえる。
 そして、それは「10代のため」という以上に私たち大人に問いかけた作品でもある。

 「人間のいちばん崇高な行為は、自分がかけている襷を次世代に渡せるかどうかだと、僕は思っています」(68頁)

 同じようなことをかつて書いた作家がいた。司馬遼太郎である。
 司馬が書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という短文は、司馬が若い人たちに渡した襷(司馬はたいまつと書いたが)だ。
 司馬はその短文の中で「いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。−自分にきびしく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を」と書いた。
 司馬がそう書いたのが一九八九年。まさに時代の主役となった少年少女たちが生まれた年でもある。

 あれから十四年。佐野は強い口調で大人たちの果たすべき役割をこの作品の中で熱く語る。
 この作品に登場する佐野は強い意志を持った大人である。それは明らかに司馬の姿勢とは違う。
 司馬はあの時、祈りのような静かな心で子供たちに未来を託したはずだった。そして、私たちは愚かにもそんな司馬の意思を継げないまま、今にいる。
 もし、私たちがもう一度やり直すとすれば、佐野のメッセージをまっすぐに受けとめる以外にないのかもしれない。

 冷たい夏の今年、司馬遼太郎がその短文の最後に書いた「君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた」という文章を思い出している。
 もしかしたら、私たちはかがやくはずの真夏の太陽でさえ、なくしてしまったのだろうか。
  
(2003/08/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  月曜、火曜と
  今年の課題図書に推薦された本を
  取り上げましたが
  それらの本で今年もたくさんの子供たちが
  読書感想文を書くのだと思います。
  本を読んで
  なんらかの文章を書いてみる。
  それはどういう行為なのでしょうか。
  今日は蔵出し書評ですが
  佐野真一さんの『だから、僕は、書く。』という本で
  <書く>ということについて
  考えてみたいと思います。
  書評にも書きましたが、
  本を読んで感想文を書くということは
  その本のことを書くだけでなく
  自分自身も書くということだと
  思います。
  そうすることで
  読書感想文も深みがでるのでは
  ないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

だから、僕は、書く。 (佐野真一の10代のためのノンフィクション講座―総論篇)だから、僕は、書く。 (佐野真一の10代のためのノンフィクション講座―総論篇)
(2003/03)
佐野 真一

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sai.wingpen  一人ひとりの「だから、僕は、書く。」              矢印 bk1書評ページへ

 一冊の本は、この広大無辺な宇宙への入り口なのです。」(本文より) 

 この本はノンフィクション作家の佐野真一さんが、《森の「聞き書き甲子園」》という高校生を対象とした研修会で話された講演をもとに構成されたノンフィクション入門書である。
 しかしながら、この本に書かれている内容はノンフィクション作家佐野真一という一人の書き手としてのメイキングドラマではない。
 佐野さんが十代の高校生に語ろうとしたのは、読むという行為の広さであり、書くという行為の重さである。それは、研修会に参加した高校生だけへの問いかけではない。多くの本を愛する人々への、重要な問いかけでもある。

 佐野さんは、この本について、bk1<オンライン書店>というインターネット書店の中でこのように書いている。
 「この本は、いささか大仰に言えば、自分と他人、自分と世界の関係にどう折り合いをつけていくかについて、語ったもので」「十代のためのノンフィクション講座と銘打ってはいるが、世界の見取り図を自分なりにつくりたいと考えている多くの人びとに読んでほしい一冊」であると。
 佐野さんがいうように、私は多くの本を読み、読んだ本の話を書くことで、「世界の見取り図を自分なりにつくりたい」と考えている一人なのだろうか。
 そして、この書評を読んでいるあなたも、そんな一人なのでしょうか。

 私は何故書評を書く時「夏の雨」と署名するのか。
 私の名前の由来は、宮本輝さんの「朝の歓び」という小説の一節から拝借したものだ。
 「あなたが春の風のように微笑むならば、私は夏の雨になって訪れましょう」。
 せめて夏の雨のように、私の書評が、読む人を暖かく包めるような内容でありたいという願いをこめた。それが、私の「だから、僕は、書く。」である。

 本を読み、多くの人々がそれぞれの思いを書評として書く。
 本が喚起した喜びや悲しみ、笑いや怒り。それらが一人ひとりの言葉として紡ぎだされていく。
 きっと読む理由は様々だろうし、書くという理由も一人ひとり違うだろう。
 この本を読んで、あなた自身の「だから、僕は、書く。」を考えてみては。それが、佐野真一さんがこの本に仕掛けた、重要な問いかけだと思う。
  
(2003/04/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  去年から我が家でも
  ゴーヤの栽培をしています。
  どうしても
  家のゴーヤは八百屋さんの店頭に並ぶ
  ゴーヤに比べると
  うんと小ぶりなんですが
  それでも今年もすでに何本か
  収穫できました。
  今年は町のいたるところで
  ゴーヤのカーテンをみかけますね。
  緑のカーテンで節電に取り組んでいる
  家庭が多い。
  今日紹介するのも
  今年の課題図書の一冊の
  『エディのやさいばたけ』という
  絵本なんですが
  母親と家庭菜園にいそしむ
  男の子と妹の姿が
  ほほえましく描かれています。
  でも、なぜか
  父親が出てきません。
  そういう家庭が多くなったせいでしょうか。
  そういうことも
  調べれば面白いかもしれません。

  じゃあ、読もう。

エディのやさいばたけエディのやさいばたけ
(2010/03/17)
サラ・ガーランド

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sai.wingpen  絵本は緑のカーテン                矢印 bk1書評ページへ

 第57回青少年読書感想文コンクールの小学生低学年の「課題図書」の一冊。
 今年は原発問題で全国の電力供給がひっ迫して、会社だけでなく家庭レベルでも節電の取り組みが行われています。地球温暖化影響でしょうか、あるいは都市のつくりに問題があるのでしょうか、都市部で急激に気温が上昇するヒートアイランド現象は年々高まっているように感じます。
 ですから、パパやママ世代の、あるいはおじいちゃんおばあちゃん世代の生活に戻るということはなかなか大変なのです。現代の人たちにあった節電を考えないといけません。
 そこで今ブームなのが、「緑のカーテン」。
 人気の一位はゴーヤだそうですが、夏の定番アサガオは子供たちと一緒に鑑賞できていいかもしれません。今街のいたるところでこの「緑のカーテン」を見ることができます。
 でも、とてもきれいにカーテンができているところとすきまだらけのカーテンのところとあるようです。せっかくの緑ですから、それぞれにがんばって涼しげな夏を演出してみたいものです。

 この物語の主人公のエディはある日ママに「ぼく じぶんの はたけを つくっていい?」とききました。もちろん、ママは大賛成。妹のリリーも一緒になって種をまきます。
 家族全員で庭の土と格闘です。でも、なかなか大きな町では土にさわることはできなくなりました。小さくても自分たちの畑をこしらえられたエディたちは幸せ者です。だからって、あきらめるのはまだ早い。「たねまきばこ、ヨーグルトのカップ、あきかん、それから ふるい くつ」なんでも庭に早変わり。
 やがて収穫の季節がやってきて、エディたちは自分たちでつくった新鮮な野菜をほうばります。

 なんとすてきな生活でしょうか。エディもリリーも、野菜を育てることで、自分たちにとって何がもっとも大切なのかを学んでいきます。
 この物語を読んだ子供たちも、「じぶんの はたけ」をつくりたいとねだってくるかもしれません。
 そんな時は、この絵本の付録についている「エディの畑の野菜の育て方」をこっそり読んでみてください。
 この夏、緑あふれる街になれたらいいですね。
  
(2011/08/02 投稿)

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