
今日から10月。
十月や竹の匂ひの酒を掬む 福島勲
今日紹介するのは
柳田邦男さんの『悲しみの涙は明日を生きる道しるべ』です。
これは絵本紹介のエッセイで
すでに同シリーズとして
『雨の降る日は考える日にしよう』、
『夏の日の思い出は心のゆりかご』の
二冊が刊行されていて、
これが三冊めです。
それぞれすでに書評を書いています。
先の書名にリンクをはっておきましたから
未読の方はぜひお読みください。
昨日までの二日間、
重松清さんの自選短編集を紹介してきましたが
それらの物語の男の子、女の子は
大人のことをどう見ていたのでしょうか。
子どもたちから尊敬される大人にならなくてもいいですが
少なくともあんな大人になりたいと
思ってもらえるような
そんな大人でいたいと思います。
じゃあ、読もう。
![]() | 悲しみの涙は明日を生きる道しるべ-[絵本は人生に三度]手帖? (絵本は人生に三度手帖 3) (2011/07/21) 柳田 邦男 商品詳細を見る |


「絵本は人生に三度」という通しタイトルの、柳田邦男さんの絵本エッセイの三冊めです。
このシリーズには、「大人の再生が、子どもの成長に」という大きなメッセージが込められています。
いま私たちは高学歴という時代に生きています。高学歴というのは多くの人たちが大学という学問の塔で学ぶことです。学ぶことで人間は成長するはずです。ところが、私たちはとても大切な何かを見失ってきたといえます。いえ、大学というシステムに組み入れられただけで、もともと何ひとつ学んでなんかいないのかもしれません。
大人が嘘をつき、言葉に重みをもたず、理想すらない。そんな大人たちの言動や姿を見て育った子どもたちはどんな成長をしていくのでしょう。
子どもたちがしっかり成長するためには、子どもたちを育てる立場にある大人たちの再生以外にない。そのためには、大人たちに絵本をもう一度読んでもらいたい。
それが柳田さんの願いです。
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」。
この本のなかにサン=テグジュペリの『星の王子さま』のこんな言葉が何度か紹介されています。
かつて子どもだった私たちがあこがれた大人とはどんな人だったのだろう。そして、そんな大人に自身はなれただろうか。誰もがそんなことを思ったり、思わなかったりする。
子どもの目から見た時、とっても偉くみえた人たち。なんでも知っていて、色々な経験をしていて、もっともらしく話す人たち。早くなりたいと願ったものです、大人に。
ところが、ある時、それは青春と呼ばれた時期でもあるのですが、大人なんてつまらない存在に思えてきます。大人になんかなりたくない。できれば、ずっと子どものままでいたい。
でも、そんなことはできません。子どもは大人になるしかないのです。自身があこがれた大人になるか、大嫌いななりたくはない大人になるかは別にして。
自身がどんな大人になれたか自信はありません。それでも、柳田さんが薦めている絵本の世界に踏み込むことで、もう一度機会が与えられたかもしれません。
あの頃、子どもだったあの頃、あこがれていた大人になることができる。
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった」のですから、絵本を大人が読んでもおかしくはないのです。
(2011/10/01 投稿)

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