プレゼント 書評こぼれ話

  時間というのは不思議です。
  11月も終わりとなると
  ああ今年もあと一ヶ月かと思います。
  あったいう間だったなぁ、なんて。
  過ぎた時間を振り返ると、
  なんと早いことでしょう。
  これから来る時間はあんなにも遅いのに。
  歌人の河野裕子さんが亡くなったのは
  昨年の8月。
  実はその時は河野裕子さんのことを
  あまり知りませんでした。
  そのあと、河野裕さんの本を
  何冊か読んで
  なんと素敵な歌人だろうと思いました。
  河野裕子さんが亡くなって
  こうして何冊か本で出会うと
  亡くなったことが信じられないくらいです。
  今日紹介するのは
  『たったこれだけの家族』というエッセイで
  これも河野裕子さんが亡くなってから
  出版された一冊です。

  じゃあ、読もう。

たったこれだけの家族―河野裕子エッセイ・コレクション (河野裕子エッセイ・コレクション 1)たったこれだけの家族―河野裕子エッセイ・コレクション (河野裕子エッセイ・コレクション 1)
(2011/07/10)
河野 裕子

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sai.wingpen  家族の青春期                 矢印 bk1書評ページへ

 本書は2010年8月、64歳で亡くなった歌人河野裕子さんの、生前歌壇内部でしか印刷されなかった『みどりの家の窓から』というエッセイの復刻を主としてまとめ直されたエッセイ集です。
 河野さん一家は1984年から1986年までの2年間を夫の永田和宏さんの赴任に伴い、アメリカワシントンの近郊で過ぎしました。この時、長男の淳さんは小学生の高学年、妹の紅さんは低学年で、裕子さんは30代の後半でした。
 この時のことを振り返って、本書の「あとがき」で永田和宏さんは「どの家族にも、それぞれの歴史がある。ひとりの人間に青春期というものがあるとすれば、家族という存在にも、まぎれもなく青春と呼べる時期がきっとあるのだろう。(中略)この時期は、まさに「家族の青春期」だった気がする」と書いています。

 河野裕子さんは歌人として「最も身近な他者、家族」を主題にして多くの作品を残してきました。永田さんの文章にそって書けば、河野さんは「家族の歴史」を、その来し方を、歌として残してきたといえます。そして、エッセイはそれらの歌のすき間をうめてくれます。
 この時期に詠まれた歌の一首に「ひらがなでものを思ふ吾一人英語さんざめくバスに揺れゆく」というのがありますが、それほど英語がうまくなかった河野さんのアメリカ生活の淋しさのようなものを感じます。それでいて、「ひらがなでものを思ふ」日本人としての矜持もまた強くあったことを教えてくれます。
 ましてや揺れるバスの中でぐっと両足を踏ん張っているその姿は、思春期を向かえようとしている二人の子供たちと真っ向から向かいあった河野さんの、人間としても弱さや強さがにじみでた歌だといっていいでしょう。

 河野さんが亡くなる前に残した歌、「あんたらの気持ちがこんなにもわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき」は何度読んでも胸がつまります。
 この時、河野さんが「あんたら」と呼びかけたのはもちろん永田さんであり、長男の淳さんであり、妹の紅さんでした。河野さんの脳裏にあったのは、本書のタイトルにも引用されている「たつたこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる」家族の姿だったのではないでしょうか。
  
(2011/11/30 投稿)

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   いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、

 古典の時間はとてもたいくつで、
 それがいつになっても抜けきれず、
 こんなにも美しい書き出しで始まる、
 まさにここのところだけは何度か耳にしているのだが、
 やはり『源氏物語』はてごわい。
 かといって、まったく『源氏物語』にふれてこなかった訳ではなく
 あれは中学二年生であったか、
 夏休みに無謀にも与謝野晶子の『源氏物語』に挑戦し、
 それはなんとなく雰囲気はほのかで、
 有名な「雨夜の男たちの恋愛物語」はそれなりに楽しめた。
 そのあと、瀬戸内寂聴さん訳の『源氏物語』は全巻そろえ、
 まずは一巻目からと読み始めたものの
 まさにいつの御時にか、読むのは中断してしまった。

 人生もなかばも過ぎると、
 果たしてこの後、どれほどの本を読めるかもわからず、
 それでいて読みたい本は次から次へとあらわれる始末。
 はて、
 さて、
 『源氏物語』を読むことは我が人生に訪れるのか怪しいばかり。
 それなのに、
 悲しい性(さが)で、
 毎度おなじみの「週刊○○」なんていうものがでれば
 つい、
 のぞきこんでしまいたくなる性質(たち)は変わらない。
 ということで、今回の「雑誌を歩く」は
 創刊されたばかりの「週刊朝日百科」から
 「週刊 絵巻で楽しむ源氏物語」を紹介する。

源氏 定価は創刊価格ということで390円。
 いつもこの手に乗せられる。
 まずは、第一帖「桐壷」の巻である。
 このシリーズの特長はなんといっても
 絵巻で見せる、絵巻で楽しむということであるから、
 ここは当時の人が絵巻にどれほど魅せられていたかをしのびつつ
 『源氏物語』は絵巻になっても上品で
 これはかなうまい。


 萌え的なイラスト付きの「人物関係図」でまずはおさらい。
 『源氏物語』の主人公、そう光源氏は
 桐壷帝と桐壷更衣のあいだに誕生したのであった。
 ところがお母様で桐壷更衣はまわりから嫉妬、迫害激しく、
 光君、わずか二歳で母親をなくすことになる。
 ところが、そんな光君の前に母親そっくりの藤壺の宮があらわれて
 いよいよ光君の本領発揮をあいなります。

 この「週刊 絵巻で楽しむ源氏物語」には
 絵巻のほかにも
 「図解で知る源氏物語 -平安の大辞典」や「原文を習ふ」といった
 連載ものもあったりする。
 これから『源氏物語』に挑戦しようと考えているお方には
 そこそこ満足できる雑誌ではないかと思う。
 巻末は有名人のリレーエッセイで
 創刊号の今回は、
 やはりこの人、瀬戸内寂聴さん。
 瀬戸内寂聴さんいわく、
 「私の小説の母胎です」。
 うーむ。
 これこそ、『源氏物語』。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  重松清さんの『さすらい猫ノアの伝説』です。
  重松清さんは好きな作家ですから
  新しい本は高いアンテナでチェックしていたつもりですが
  単行本の出版の際には
  見落とした一冊です。
  もしかしたら、猫の物語? と思って
  敬遠したのかもしれません。
  重松清さんの作品はできるだけ
  読むようにはしていますが
  なんらかの理由で読んでいない本もあります。
  特に初期の作品は
  あまり読んでいません。
  重松清さんがいいなあと思った時には
  すでにたくさんの本が出ていて
  追いつけないというのが現状です。
  まあおいおい初期の頃の作品も
  読んでいきたいとは思いますが。

  じゃあ、読もう。  

さすらい猫ノアの伝説 勇気リンリン!の巻 (講談社青い鳥文庫)さすらい猫ノアの伝説 勇気リンリン!の巻 (講談社青い鳥文庫)
(2011/10/08)
重松 清、杉田 比呂美 他

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sai.wingpen  忘れ物を届けにきました                矢印 bk1書評ページへ

 この本は2010年に単行本として出版されています。それが今回「青い鳥文庫」の一冊として収録されました。
 単行本だから大人が読む、児童向けの本だから子供が読む。そんなことは関係ありません。単行本だって子供が読んでもいいですし、児童向けの本を大人が開いても問題ありません。書かれている内容をどう受けとめるかだと思います。
 ただし、子供たちにとっては児童向けの本になった方が接しやすいかもしれません。それで重松清さんの本をどんどん読んでいく。重松さんの物語は子供たちにだって読みやすいですし、自分たちと同じくらいの男の子や女の子が登場する作品もたくさんあります。
 そんなきっかけになればいいと思います。

 物語は五月の連休が終わって少ししまりのない五年一組の算数の授業時間から始まります。
 突然風呂敷堤を首に巻いた黒猫が教室の外のデッキに現れるのですが、これが伝説の黒猫ノアです、ノアの姿をみつけたのはクラスでたった三人しかいませんでした。健太、亮平、そして女子の凛々(りり)。
 このノアが伝説の黒猫と呼ばれるには理由がありました。クラスが忘れている大切なものをこのノアが思い出させてくれるというのです。しかも、それが解決すると、またどこかに行ってしまうらしい。
 健太たちのクラスが忘れている大切なものって何でしょう。
 物語は三人が、そしていつのまにかクラス全員がその大切なものにきづいていくことになります。

 重松清さんの得意な小学五年生もののひとつです。
 重松さんはたくさんの小学五年生を描いていますが、この作品はどちらかというと明るい作品かもしれません。登場人物たちが時にはいじわるやいじめのようなことをしますが、そんなに悪くは描かれていません。そのあたりがたくさんの小学五年生ものからこの作品が児童向けの本に選ばれた理由なのかもしれません。
 ノアは健太たちに忘れたものを思い出させてくれますが、重松さんの物語こそノアそのもののような気がします。子供たちが子供の時読む重松清、中学生になった頃読む重松清、そして大人になって子供をもった時に読む重松清。
 重松清さんの作品はその時々で忘れていたものを思い出させてくれる契機になります。
 伝説の黒猫ノアに会いたいと思えば、重松清さんの作品を開けばいい。
 きっとそこには忘れ物が届いています。
  
(2011/11/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  関西人と関東人。
  時々やはり違う人種だと
  思うことがあります。
  とにかく関西人は「ウケ」をねらいますね。
  人と話していても
  つい「ウケ」をねらう。
  まじめな会議でも、ついいれてしまう。
  あれなんか、関東人からしたら
  「ふざけてるのか」って感じでしょうね。
  食べ物にしても
  味も好みもかなり違うような気がします。
  今日紹介する森絵都さんの
  『おどるカツオブシ』ですが、
  この感覚はどちらかというと関西的。
  それを東京出身の森絵都さんが書かれたことに
  深い意味があります。
  おおげさかな。

  じゃあ、読もう。

おどるカツオブシおどるカツオブシ
(2011/09/08)
森 絵都

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sai.wingpen  今晩はお好み焼き                     矢印 bk1書評ページへ

 大阪の人は一家に一台たこ焼き器を持っているという噂をよく聞きます。あれは噂ではなく、真実じゃないかと思います。我が家にもあります。もっともたこ焼きはあまり食べませんが。どちらかといえば、お好み焼きの方が食べる頻度は高いのではないでしょうか。
 日曜日の晩御飯にお好み焼きというのは、カレー、手巻き寿司、冬場の鍋、につづいての定番メニューかもしれません。

 昔はお好み焼きにマヨネーズは使わなかったものですが、最近は必ず使います。その上に、今日の絵本の主人公? カツオブシ。
 そう、この絵本のそれのように、熱いお好み焼きの上で、なんだか怪しい踊りを披露し始めます。
 「さあ さあ おどれ、みなのしゅう。まちに まった はれぶたい」と絵本にあるように、彼らは一生懸命踊り始めます。その踊りがお好み焼きのおいしさの証明。
 そして、その上から青のりをふりかけます。
 この瞬間、お好み焼き劇場は最高潮に達します。「でんせつの あおのりふぶきだ!」と、なります。この青のり吹雪の場面は、この絵本でも最高のところで、読む側もヒートアップします。もう手拍子、手拍子です。

 こんな楽しい絵本を直木賞作家森絵都さんが書いたというのが面白い。もうすっかりファンになりました。森さんは東京生まれですが、お好み焼きの魅力を知り尽くしています。
 森さんが作詞した「いつか はなさく」というカツオブシの歌もなかなかなもので、適当に曲をつけて唄っていまいました。「♪うみに うまれて おきから おきへ」なんて。
 こんな楽しい絵本を読んだ日曜日の夜は、やっぱりお好み焼きを食べたくなります。
  
(2011/11/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日永井良和さんの『南沙織がいたころ』という本を
  紹介しましたが、
  昨日のこぼれ話にも書いたように
  私の青春期は歌謡曲でなく
  フォークソングでした。
  そして、そのなかでも
  山崎ハコさんが好きでした。
  レコードプレイヤーを持っていませんでしたから
  市販のカセットテープまで買いました。
  今でも手元にその時買った
  カセットテープが残っています。
  青春とはいろんな言い回しができますが、
  歌が大変身近にある時期とも
  いえるかもしれません。
  あの頃の歌なら
  今でも歌えます。
  そんな歌と歌い手を取材したのが
  今日紹介する『フォークソング―されどわれらが日々』。
  蔵出し書評ですが
  当時の気分がよく出た書評です。

  じゃあ、読もう。

フォークソング―されどわれらが日々フォークソング―されどわれらが日々
(2008/03)
週刊文春

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sai.wingpen  飛・び・ま・す               矢印 bk1書評ページへ

 大学生の頃、初めて行ったコンサートが、山崎ハコだった。
 彼女のデビューが75年だから、それより少しあとだろうか、会場は川崎のホールだった。具体的なホール名は覚えていないが、地方から東京に出てきた学生だった私には川崎はなんともいえない雑駁な感じのする街に思えた。 そして、その街と山崎ハコはよく似合った。
 この本にも紹介されているように、75年当時の彼女の歌は「暗い」というイメージしかなかった。暗いのだけど、胸の奥底に届くのは「ここではない、どこか」を模索している自身と共鳴する思いだった。
 彼女の歌を聴く私に友人たちは「暗いなぁ、せめて中島みゆきにしろよ」と進言してくれた(中島みゆきも当時は結構暗かったけど)が、ハコが好きだった。

 そして、たくさんの水が橋の下を流れた。
 何年か前にハコをテレビで見た。学生の頃ハコはテレビになんか出なかったから、そのことにも驚いたが(何しろ彼女は「深夜放送のマドンナ」と呼ばれたぐらいだから)。
 そこには川崎のホールでみた少女はいなかった。あの時消え入りそうにしゃべった少女は、明るい声で話し、笑う女性になっていた。
 思い出は変わらないで、ふたたび自身と対面して欲しいと思うのは傲慢だ。思い出に裏切られたと思うのは高慢だ。思い出は優しくなんかありはしない。

 この本は、70年代の音楽シーン(それ以上の広がりがあったことも事実だ)を席捲した「フォークソング」とは何だったのかを、13人のシンガー(グループもあるが)への聞き書き形式で問いかけた一冊である。その中で、山崎ハコは「作り上げられた虚像」であったと正直に語っている。
 あるいは、彼女ほどではないにしても、流行といううねりの中で自身とはほど遠いところにいたことを何人かが話している。しかし、ハコの場合もそうだが、けっしてそのことをうらんでいる様子はない。あくまでも時代がそうであったかのように、淡々と話す。

 「思い返してみると、七〇年代というのは、日本に百年に一度あるかないかという不思議な時代だったなぁ。時代が大きな生き物みたいにのたうち回ってた気がする」。13人のシンガーの一人、三上寛の言葉だ。
 私たちはたまたまその時代を「青春」という甘美な匂いのする日々として過ごしただけだ。思い出にするのは簡単だろう。
 しかし、13人のシンガーたちのように「今」をどう生きていくかが大切だ。この本で紹介された多くのシンガーが「今」の活動をもっと見て欲しいと話していたのが印象に残った。
 「今わたしは/旅立ちます/自分の心に向かって/飛び始めるのです」山崎ハコのデビューアルバム『飛・び・ま・す』の一節だ。
 そして、その気持ちは今も変わらないのだと思う。
 ハコにとっても。
 私にとっても。
  
(2008/06/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  南沙織さんはかわいかった。
  天地真理小柳ルミ子とともに「三人娘」と呼ばれた。
  その三人でいえば、私も南沙織さんがいいかな。
  彼女の持ち歌の中で好きな曲は「色づく街」かな。
  デビュー曲「17才」より好き。
  もっとも今日紹介する永井良和さんのような
  熱心なファンではなかった。
  この『南沙織がいたころ』は
  永井良和さんだから書けた一冊です。
  では、私はどんな歌が好きだったかというと
  フォークソングですね。
  やっぱり。
  吉田拓郎井上陽水かぐや姫
  そして、山崎ハコ
  歌謡曲から離れていったのが
  ちょうど青春期と重なります。

  じゃあ、読もう。

南沙織がいたころ (朝日新書)南沙織がいたころ (朝日新書)
(2011/09/13)
永井 良和

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sai.wingpen  まるごとシンシア                矢印 bk1書評ページへ

 「なつかしい人や町をたずねて/汽車を降りてみても/目に写るものは 時の流れだけ」、吉田拓郎とかまやつひろしが唄う「シンシア」は、こんな歌詞から始まる。
 「時の流れ」に過ぎ去っていったもの、それはあの頃唄った歌の一節だったりメロディーだったり、あの頃ずっと好きだったアイドルの笑顔だったりする。
 「シンシア」と呼ばれていた少女。歌のなかで「シンシア そんな時/シンシア 君の声が」と唄われた少女、シンシア。
 それが、この本の主人公、南沙織だった。

 南沙織は1971年「17才」という曲でデビューをし、あっという間にアイドルになった。もう40年も前のことだ。 沖縄出身で、しかも当時の沖縄はまだ日本に返還されていなかったこともあって、本当に南の異国から来たような印象があった。
 当時は天地真理という超人気のアイドルがいたし、まだ清純派であった小柳ルミ子も人気があって、「三人娘」と騒がれた。山口百恵たちの「中三トリオ」はまだ登場していない。
 そんな一人のアイドルに焦点をあわせたこの本は、子どもの頃から南沙織のファンだったという著者の永井良和ならではの異色の大衆文化論である。
 普通、人は成長とともにそのあこがれとなるアイドルもまた変遷するものであることが多い。そのなかで、著者が「序章」のなかで「(南)沙織さんの半生は、沙織さんとともに若い日々を過ごした世代の半生と重な」ると書いているように、ずっとファンでありつづけた人の幸福を思わなくもない。まして、こうして一冊まるごと南沙織のことを著した本をつくれるのであるから。

 南沙織というアイドルのことだけでなく、この時代を知る面白い記述がたくさんある。
 そのひとつが、テレビの歌番組から音声を録音する場面だ。その手順などが詳しく記述されている。
 今や音楽はダウンロードで楽しむ時代だが、70年代はまだまだ音楽を気軽に楽しむということはなかった。テレビの前にテープテコーダーを置いて、必死になって録音をした。
 実は私にも著者と同じ経験がある。ちょうどフォーク系の歌い手たちがテレビ出演を拒否していた時代だ。私がそうして録音した初めての歌手が荒井由美だった。

 この本のようにアイドルとともに半生を歩んできた人、遠くの日々にアイドルをおいてきた人、それぞれの日々だが、誰にもひとしく時の移ろいはある。
 「君の部屋のカーテンやカーペットは/色あせてはいないかい」と「シンシア」という歌は最後に問いかかけているが、色あせないものこそが青春の日々なのだろう。
  
(2011/11/25 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  立川談志師匠が亡くなりました。
  落語界の風雲児と呼ばれ、
  アクの強い落語家でした。
  でも、そのアクの向こう側にシャイな顔が透けてみえる
  そんな人でした。
  今年もいよいよ残り少なくなってきて、
  今年もたくさんの著名人が
  亡くなったことでしょう。
  作家でいえば三浦哲郎、北杜夫、小松左京、
  俳優でいえば児玉清、原田芳雄、
  そしてキャンディーズのスーちゃんも。
  そして、何よりも
  東日本大震災で亡くなったたくさんの無名の人たち。
  今年の初めから、
  亡くなった人の記事が新聞の随筆欄にでると
  スクラップしようと決めていました。
  そのことにどれだけの意味があるのか
  私自身あまりわかっているわけでもありません。
  でも、なんとなく逝ってしまった人のことを
  何かで記録しておきたいと思いました。
  今日紹介するのは
  高平哲郎さん編の『大弔辞』。
  人がどのようにして
  サヨナラしていったのか。
  考えさせられる一冊です。
  立川談志師匠は
  どんな言葉で送られるのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

大弔辞  先輩、友、後輩へ綴られた最後の愛の手紙大弔辞  先輩、友、後輩へ綴られた最後の愛の手紙
(2011/10/21)
?平 哲郎

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sai.wingpen  サヨナラだけが人生だ               矢印 bk1書評ページへ

 昨年の春母が亡くなった際に知り合いの婦人にお別れの言葉を話してもらった。婦人は「おばちゃん」と母の遺影に語りかけた。
 この時、どんな言葉よりもこの「おばちゃん」という呼びかけに、生前の母の人生のほとんどが集約されているように感じた。
 「おばちゃん」と人から親しまれていた母。その言葉にお節介で世話好きで、豪快な、母の人柄が込められているようだった。
 弔辞あるいはお別れの言葉は、遺されたものたちの悲しみを癒してくれる。同時に、遺されたものたちが忘れていた故人の一面に気づかされるときもある。

 弔辞あるいはお別れの言葉を集めた本は意外にたくさん出版されている。その言葉に悲しみをうめる何がしかを読みとろうとする読者がいるのだろう。
 本書は「仕事柄、芸能人の冠婚葬祭に出席する機会は多い」演出家で編集者の高平哲郎が、すでに出版されている単行本やお葬式の状況を伝える雑誌や新聞の記事から弔辞あるいはお別れの言葉を集めたものだ。それぞれその抜粋の一文の紹介があり、それに高平が解説、というかエッセイ的な文章を書いている。

 夏目漱石の死に寄せた芥川龍之介の文章もあれば、今年惜しくも亡くなった原田芳雄の葬儀の石橋蓮司の弔辞まで取り上げられている。
 原田芳雄といえば、彼の弟のような存在であった松田優作の葬儀に「役者なら生き返ってみせろ!生き返ってこい!」と悲痛な呼びかけをした原田自身が送った弔辞も収録されている。今頃二人は天国でお酒でも飲みながら、語り合っているのだろうか。それもまたドラマのようである。

 高平は「悪い弔辞にはなくて、いい弔辞には必ずあるもの」として「故人の「愛」にほかならない」と書きとめている。
 どんな表現であれ「愛」は言葉の端々ににじみでてくる。本書でも紹介されているが、ちょうど井伏鱒二の詩の一節、「サヨナラだけが人生だ」がそうであるように、「愛」は悲しみの底からもあふれてくる思いなのだ。
  
(2011/11/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は勤労感謝の日
  勤労をたっとび、生産をお祝いする日。
  働くみんなの日。
  
    野に老いし父母や勤労感謝の日  石井飛大男

  こういう日は仕事のことを忘れて
  のんびりしたいですが、
  残念ながら今日紹介するのはビジネス本。
  おなじみ小宮一慶さんの『気くばりの極意』。
  珍しくマナーのことに重点が置かれていますが
  「叱る」ということについても
  書かれています。

    私が考える、叱るときの大事なポイントは
    「上司が正しい信念をもっているかどうか」
    あるいは同じことですが「私心がないかどうか」
    ということです

  と、小宮一慶さんは言っています。
  どうです?
  皆さんはこのことを理解して
  叱っていますか。
  そんな振り返りに休日にしてみるのも
  いいのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

気くばりの極意気くばりの極意
(2011/10/04)
小宮一慶

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sai.wingpen  知って、気づいて、行動する         矢印 bk1書評ページへ

 経営コンサルタントの小宮一慶さんはすでに70冊以上の著作を書かれています。そんなたくさんの著作のなかで、本書は今までのものとは少し毛色がちがうといっていいでしょう。
 今までの著作の多くはリーダーへの心得えが主だったのですが、本書では名刺の出し方や席順といった応接の仕方など、いわゆる基本的なビジネスマナーにも多くの紙幅をとっています。
 では本書をもって小宮さんが方向転換をしたかというと、それはまったくちがいます。求めるところは同じ、ビジネスの成功であり、人生をより豊かにすることです。
 だから、本書はリーダーのための一冊だし、それをめざす若者たちへの応援歌でもあります。

 小宮さんは「気くばり」を習慣化することが大事だと書いています。そのためには、「知って、気づいて、行動する」、この三点が欠かせないと。本書の構成もこの三点にそってできています。
 この三点でどれが一番大切かというと、どれも同じくらい大切です。
 たとえば、名刺交換という一見簡単そうな行為も本当のマナーとしての知識を持っているのといないとでは大きく異なります。
 服装にしてもそうです。乱れた服装で応接した場合に相手がもつ印象は随分悪くなるでしょう。
 ビジネスマナーが何故必要なのか。おそらく相手との精神的な障壁をさがることだといえます。そして、それは良好なコミュニケーションにもつながります。

 本書のなかでは会話についてこう書かれています。「会話のうまさとはけっして上手に話す話術のことではなく、相手のことを思いやりながら、相手の立場に立って話ができること」だと。
 「相手の立場に立つ」、それも「気くばり」です。
 そう考えると、「気くばり」というのは、ビジネスの現場で、もっとひろくいうと生活のさまざまな場面で重要なスキルだといえます。いくら実力があっても「気くばり」がないとうまくいかないことはままあります。もっともその逆もまたいえますが。
 ビジネスマナーは形ではありません。その意味をきちんととらえていれば相手の心の壁はなくなります。本書を読んで、自身のビジネスマナーに磨きをかけてみてはいかがでしょうか。
  
(2011/11/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介しました川上未映子さんの
  『すべて真夜中の恋人たち』の書評のなかで
  私は女性の気持ちがわからないと
  書きましたが、
  今日紹介する「百年文庫」の「」も
  女性作家の作品ばかりを集めていて
  やはり私に女性の気持ちが理解できているのか
  自信がありません。
  そういう、もしかして
  私が女性だったら物語の深みや楽しみが
  もっと違った風になるだろうにと
  悔しく思う作品はたくさんあります。
  女性の皆さんもそんなことを
  思うことありませんか。
  読書の世界が深いのは
  そういう性の違いで読み方が変わるということも
  はいっているように思います。

  じゃあ、読もう。

紅 (百年文庫)紅 (百年文庫)
(2011/07)
若杉 鳥子、大田 洋子 他

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sai.wingpen  紅(べに)をさすものへ               矢印 bk1書評ページへ

 初めての子供が生まれた時、娘だったことに安堵したことを遠い記憶のなかで思い出す。自分が男だから、男の成長のなかの胡散臭さや困難が手にとるほどやっかいで、もし男の子であればそれは嫌だなと思った。
 私にとって女性とはいつも未知そのものだ。だから、知りたい。女性たちの心の発露を。感情のうごきを。同じ生きるものの対象として。
 「百年文庫」の85巻めは「紅」と題されて、三人の女性作家の作品が収録されている。若杉鳥子の『帰郷』、素木しづの『三十三の死』、大田洋子の『残醜点々』の三作であるが、どの作品も「紅」というにはもっと痛々しく、その色は滴りおちる血のそれに近い。

 これら三人の女性作家のことを知っている人は少ないかもしれない。私は三人とも知らなかった。
 そのうち、大田洋子の『残醜点々』はなめくじが部屋全体にはいだす最初の場面からして不気味な感じがした。 原爆の戦災から七年経った広島が舞台となっている。はいでるなめくじをみて主人公の「私」は「七年前に虐殺された人間の群れ」を思い出してしまう。
 原爆の悲惨と自身の恋愛の悲惨が二重のおもしになって主人公を自暴自棄にさせている。それでも戦後の復興が着実に進んでいくように、主人公自身も前に進もうとする。
 原爆を落とされたことと自身を裏切った男のことと、主人公のなかでは同じところにある。だから、それらをふりきるような最後の七夕の場面は美しい。

 素木しづの『三十三の死』もつらい作品だ。大田同様、自身の姿によりそうようにして書かれている。
 主人公は片足が義足の若い娘である。作者の素木も右足切断という過酷な運命をおっている。
 引っ越しの荷物の上に無造作におかれた白い義足。銭湯でそんなわが身を晒さなければならない苦痛。だから、主人公は「三十三の死」を願う。彼女の幸福はそんな死を願うことしかない。しかし、その死すら求めえないのが彼女の母であることを主人公は知ることになる。
 「母の為めに生き、子の為めに生きるという、便りない淋しさ」で彼女は涙をこぼすのだ。
 「貧しい、親きょうだいのために働き通した」芸妓の葬儀に参列するために故郷にもどった女性の姿を描く若杉鳥子の『帰郷』も、女性の悲しみをつづった短編だ。

 女性たちには男性が何事にも優先されていた悲痛な時代がある。「紅」は彼女たちがこぼした辛い思いの色であり、それに立ち向かってきた熱い思いの色でもある。
  
(2011/11/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  もうすぐブログを初めてから3年になります。
  その間、読んできた本はこのブログで
  書評として紹介してきました。
  ただ一冊、川上未映子さんの『ヘヴン』だけは
  書けませんでした。
  作品に負けたのです。
  感動が言葉を拒否したともいえます。
  どんな言葉よりも作品が持っている力の方が
  勝っていたのだといえます。
  あれから2年。
  今回の川上未映子さんの作品は恋愛小説。
  やっぱり、いい作品です。
  そして、やはりうまく言葉にできませんでした。
  今回はなんとか書評を書きましたが、
  作品の素晴らしさの
  何十分の一も語り切れていません。
  この『すべて真夜中の恋人たち』は
  とってもいい作品です。
  できれば、すべての女性の皆さんに
  読んでもらいたい。
  そんな作品です。

  じゃあ、読もう。

すべて真夜中の恋人たちすべて真夜中の恋人たち
(2011/10/13)
川上 未映子

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sai.wingpen  光の向こうにある岸               矢印 bk1書評ページへ

 読者は物語を選ぶことができるが、物語は読者を選ぶことはない。ましてやこういう恋愛物語はそうかもしれない。
 物語を読み進むなか、何度、私が女性であったならどう感じるだろうかと思わないでもなかった。きっと私の心のさざなみは女性であればもっとちがう形で岸に寄せているのではないか、主人公のこの思いは女性であれば別のうねりで受けとっているのではないか。
 物語は読者を選ばないゆえに、万華鏡のなかの落ち着かない模様のように、さまざなな思いを読者にもたらす。

 主人公入江冬子は34歳のフリーの校閲者。人づきあいが不得意で会社もやめた。そのくせは昔からずっとだった。高校時代にもほとんど友人らしい友人もいなかった。処女はそんなすきまをうがつように同級生に奪われた。その時以来、セックスの経験すらない。
 そんな冬子がふとして出逢った、58歳の高校の物理の教師だという、三束さん。
 処女ではなくなったあの時のように、冬子の心のすきまにひそやかにはいりこんできた男性。
 この恋愛物語は「わたし」という冬子の視点で描かれていく。
 わたし。34歳。友だちはいない。一人、友人というには淡い仕事上の付き合いがある同年齢の女性がいる。アルコールは飲めない、はずだった。なのに、いつのまにか、どっぷりとはまっている。真夜中に、まっくらな世界のはずなのに煌めきを感じる。
 そんな冬子を女性であればどう感じるだろうか。男性の私は、彼女の心の奥底をのぞけていないのではないか。

 恋愛は他者との関わりだ。そのことを拒否し続けてきた冬子は、三束さんの登場によって、他者と関係をもとうとする。
 「物がみえるのはそれに光が当たっているからで」、恋愛もまた同じかもしれない。
 冬子は三束さんという男性がいたから、冬子になりえたのだろう。それをなくした時、彼女は透きとおる存在でしかない。

 「まるで巨大な木のてっぺんに巨大な斧が何度も何度も突き立てられ」という、冬子が処女をなくした時の描写が絶対に身体的にわからないように、私はこの物語の本当の美しさを理解できていないかもしれない。
 そして、それは永遠に来ないのだろうか。
  
(2011/11/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先週紹介した平田昌広さんの『おとん』に続き、
  今日は同じ平田昌広さんの『おかん』。
  やはり関西弁のユニークな絵本です。
  母親のこととなると
  一年半前に亡くなった自分の母親のことを
  思い出します。
  今日の書評にも書きましたが
  今NHKで放映しています「カーネーション」の
  主人公みたいな母でした。
  私は母のことを「おかあちゃん」と呼んでいましたが
  私も大人になって、
  いつのまにか「おかあさん」と呼んでいる自分に
  気がつきました。
  一体いつから「おかあさん」と呼ぶようになったか
  自分には記憶がありません。
  みなさんはなんと呼んでいますか。

  じゃあ、読もう。

おかんおかん
(2009/04)
平田 昌広

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sai.wingpen  私の母                   矢印 bk1書評ページへ

 母が亡くなって一年半経ちました。
 最近ようやく母が夢にでてくるようになりましたが、病室で子どものようになった顔の母で、まだ若い頃のつやつやした頬をして元気いっぱいの母の姿ではありません。
 そもそも母の若い頃の姿がうまく思い出せないのです。
 この絵本の「おかん」のような若い時代もあったのに、それがうまく思い出せないのは、私が小さかった頃あまり洋服を着ていなかったせいかもしれないと、思い当たりました。
 そうだ。若い頃の母はほとんど着物を着ていたような気がします。
 そんな時代でした。

 私にとっての母はあまり家事が得意ではなかった印象があります。家事よりも仕事。父の小さな商いを助けて、お得意先への商売にいそしんでいる方が楽しそうでした。
 この秋から大阪岸和田を舞台にした連続TVドラマ「カーネーション」が始まりましたが、その主人公の糸子(小篠綾子さんがモデルです)を見ていると、母のことを思い出します。
 何事にも真剣に取り組み、男に負けるのも嫌。主人公の糸子の気性が母にそっくりです。ましてや荒い岸和田弁です。
 もし母が生きていたら、このドラマをどんなに喜んだことでしょう。

 平田昌広さんのこの絵本は『おとん』に続く、関西弁で書かれたユニークな作品ですが、いまどき母親のことを「おかん」と呼ぶ子どもはさすがに少ないのではないでしょうか。
 男の子が強がって「おかん」と呼ぶのはなんとなくわかります。「おかん」と呼ぶことで母親をすこし突き放したい、そんな男の子なりの気分です。
 でも、現代の母親は「おかん」という呼び名を嫌がるのではないでしょうか。なんとなくそんな気がします。

 母親をどんなふうに呼ぶにしても、母親には変わりありません。
 母にはいつもこちらを向いていて欲しいものです。商売で忙しく振る舞っていた自分の母のことを思うと、今でも少しさびしくなります。
 晩年の母はその埋め合わせをするかのように、いつまでも大人になった息子たちの方を向いていました。大人になった息子たちがそのことに少しとまどっていたことに、母は気づいていなかったかもしれません。
  
(2011/11/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日の沢木耕太郎さんといい
  今日の山口瞳さんといい
  あまりにもおいしい本がそろいました。
  読書の秋、といっても
  すでに冬まじかですが
  それにしてもこうおいしい本が並ぶと
  どれを読んでいいか
  悩みます。
  今日は山口瞳さんの『わたしの生活手帖』という
  本の紹介です。
  表紙のイラストは
  山口瞳さんとともに
  サントリーの宣伝部で働いた
  柳原良平さん。
  あのアンクル・トリスの生みの親です。
  柳原良平さんが描く
  山口瞳さんがよく似ている。
  この表紙もおいしすぎます。

  じゃあ、読もう。

わたしの生活手帖わたしの生活手帖
(2011/08/09)
山口 瞳

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sai.wingpen  疲れた時には山口瞳                矢印 bk1書評ページへ

 「疲れている時ぐらい本を読むのをやめたらどうですか」とよく云われる。
 どっこい、疲れている時こそ、本を読みたくなるのだ。
 特にいい文章を読んでいると、疲れていることすら忘れてしまう。本好きとはそういうものなのだ。
 そういうことが周りの人には理解できないらしい。それは多分、本に限ったことではなく、好きなものというのは疲れていようが忙しかろうが関係ない。忙しい時でもなんとかやりくりして好きなものに接してみようとする。
 私の場合、それがたまたま本だというだけだ。

 もちろん、どんな本でもいいというわけではない。
 できれば、いい本。これに限る。
 たとえば、山口瞳の文章はいい。何がいいかというと、まず小気味いい。あとをひかない。その場その場の切れ味がいい。
 しかも、怒っている。文句を云っている。愚痴っぽくない。文句があるなら云ってみなという気分であふれている。それがいい。
 疲れている場合かと、叱られているようだ。
 山口瞳が亡くなって随分経つ(1995年逝去)が、こうしていつまでも新しい文集が出るのは、そういうファンが多いにちがいない。
 怒ってくれる人がいないからか、怒りたくても怒れない人たちが増えたせいかどうかは知らないが、山口瞳を愛する人たちは多い。

 昭和という時代を懐かしむ訳ではないが、その頃の山口の文章は血気盛んというか、ステテコはいて縁台で将棋をさしているおじさん風で、「横通る時ぐらいは挨拶しな」ぐらいはいいそうだ。そういうふうな文章が昭和を感じさせる。
 ゆとり教育で育った若い人たちにぜひ山口瞳を読んでもらいたい。本当の教育はここにあることに気づいてもらいたい。
 でも、山口瞳なら「本なんかくだらないからやめちやえ」と競馬場くらいは連れていくような気がする。
 まあ、競馬場でも本は読める。
  
(2011/11/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  沢木耕太郎さんが好きだ。
  最近でこそそうでもないが
  少し以前は沢木耕太郎さんの作品が
  本屋さんの店頭に並ぶと
  スキップしてレジに向かったものだ。
  心もスキップしながら。
  沢木耕太郎さんには
  そんなファンが多いのではないだろうか。
  その理由はなんだろう。
  そういうことを
  今日紹介した沢木耕太郎さんの新刊
  『ポーカー・フェース』というエッセイ集の
  書評のなかで書いたつもりです。
  いい一冊です。
  つまり、心が癒されるということで。

  じゃあ、読もう。

ポーカー・フェースポーカー・フェース
(2011/10)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  まだ若いか。もう老いたか。               矢印 bk1書評ページへ

 ノーベル賞作家大江健三郎についてとても興味深く思っているのは、学生の頃から作家として活動を始めて社会人としての生活、ここでいう社会人というのは組織に属してそこから何がしかの生活の糧を得るということだが、をしていないことは作品にどのように影響しているかということだ。
 大江の場合、息子光が障害をもって生まれたことでまったく違った展開を見せたと思うが、大江以外の作家たちでそういう経歴を歩んでいる人たちはどうなのだろう。

 沢木耕太郎も「会社勤め」をしたことがない作家の一人だ。
 沢木は「定期を持たない人生を選んだとも言えるし、定期を持てない人生を余儀なくされたとも言える」と、本書収録の「ブーメランのように」というエッセイの中で書いているが、沢木が入社式にでてそれっきりで会社を辞めたのは有名な話だ。
 そんな沢木がそれ以降どんな活動をしてきたか、その執筆活動を支えたのは、好奇心そのものだったのではないかと思っている。
 人への好奇心、場所への好奇心、生きるそのものへの好奇心。
 沢木耕太郎の魅力は彼が持つ好奇心の魅力だ。

 本書は『バーボン・ストリート』『チェーン・スモーキング』につづく、三冊目の本格エッセイ集だ。13篇の、おしゃれなエッセイが収録されている。
 いい意味でも悪い意味でも、ここにはいつもの沢木耕太郎がいる。かっこよくて、男くさくて、しゃいで、背筋の伸びた。
 沢木が変わらないのは好奇心が衰えないからだ。いつまでも何かを求め、ここではない場所に行こうとする。  「若々しいですね」という言い方は古臭い常套句だが、沢木に限っていえば、まさにいつまでも「若々しい」のだ。

 沢木耕太郎にはまってから、たくさんの水が橋の下を流れた。
 沢木はいつまでも「若々しい」が、私もまたそうであるだろうか。思わず、長年読者として沢木を読み続けてきた自分の顔を橋の下を流れる水面に映してみたくなる。
 まだ若いか。もう老いたか。
 はたして。
  
(2011/11/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介した藤子・F・不二雄さんの
  「オバケのQ太郎」と当時人気を二分していたのが
  赤塚不二夫さんの「おそ松くん」でした。
  とにかく天才赤塚不二夫が繰り出す
  個性あふれた登場人物に
  圧倒されたものです。
  イヤミ、チビ太、デカパン、ハタ坊…。
  それはそれは、
  現代のお笑い芸人の比ではなく
  面白かった。
  なかでも、イヤミが発する
  「シェー」は男の子だけでなく
  あの頃の大人まで浸透したギャグでした。
  今日は蔵出し書評
  そんな時代を描いた泉麻人さんの
  『シェーの時代 - 「おそ松くん」と昭和こども社会』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

シェーの時代―「おそ松くん」と昭和こども社会 (文春新書)シェーの時代―「おそ松くん」と昭和こども社会 (文春新書)
(2008/06)
泉 麻人

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sai.wingpen  みんな、「シェー」をした           矢印 bk1書評ページへ

 一枚の写真の記憶。砲身を正面に向けた戦車の前で、小学校の制服を着て「シェー」のポーズでおどけているボク。
 写真体験としては初期の頃だと思うが、いくつくらいだったのだろうか。私は本書の著者である泉麻人氏と一歳違いの昭和三十年生まれだから、ほぼ同時代人である。
 泉氏が東京の新宿西部の空き地で遊んでいた頃、書評子は大阪の地方都市で関西のノリでふざけていた。ちょうどTVが急速に普及を始めた頃だから、東京と大阪といった距離による情報の不足感が急速に縮まった頃だろう。だから、この本を書店で見かけた時、うれしくて、思わず「シェー」をしてしまったくらいだ。

 ところで、冒頭の写真の話だが、いくつか説明がいるかもしれない。
 まず戦車のことだが、本書のテーマである「おそ松くん」が「週刊少年サンデー」に連載されていたのが昭和37年の春から昭和44年春頃までとして、その頃というのは昭和20年夏の敗戦からまだ20年ばかりしか経っていない時代という認識をもたないと時代背景がみえてこない。
 私の子供時代には白衣を着た傷痍軍人の姿をよく見かけたものだ。また本書にもあるように戦記物の特集がたびたび少年誌の巻頭を飾っていた時代でもある。
 写真の戦車はどこかの遊園地のイベントで使われていたものだ。本物だったかどうかわからないが、そういう戦争の<かっこよさ>がしきりに取り上げられていた、あやうい時代でもあった。

 つぎに、小学校の制服だが、今はほとんどの小学校は自由服だと思うが、当時(少なくとも大阪の地方都市では)制服を着ていた。
 本書の中で「六つ子のファッションをチェックする」という章があるが、その中で泉氏は六つ子の着ていた服装(どういう服かは本書の表紙絵を参照。表紙以外にも本書にはたくさんの漫画の一こまが口絵として載っている。これがうれしい)を「かなりヘンテコな洋服」と書いているが、わが小学校の制服もかなりヘンテコだった記憶がある。
 自由と平等が敗戦の影響をひきずって声高に叫ばれていた当時、それぞれの児童の洋服を画一化することで平等意識が増幅されるという認識が強かったのではないかと思う。

 そして、「シェー」である。
 これは本書でも大きく取り上げられているが、「おそ松くん」の最大キャラクターであるイヤミ(出っ歯でフランス帰りというキザな男。かれの容貌も表紙絵で楽しめる)が放つパフォーマンスが「シェー」である。最近でいえば、世界のナベアツの「オモロー」に近いものを感じる。
 著者や私の世代を中心にして、それより上の年代の人はほとんど「シェー」をしたのではないかと思う。あの長嶋茂雄氏もゴジラもしたのだ。まさしく情報の持つ速度の脅威をまのあたりにした瞬間である。
 時代は昭和39年の東京オリンピックをめざし、夢の新幹線のように、急速に姿を変えようとしていた。誰もが急ぎ足で時代を駆けていた。
 「おそ松くん」の舞台は確かに東京の街の一角だが、そのようにして小さな国が同じ表情を見せはじめた時代でもあった。本書はそのあたりの事情を「おそ松くん」という漫画を媒体にして、よく描いている。
 
 最後に、写真だが、今のように誰もがカメラを持っていた時代ではなかった。
 私の一枚の写真も親戚から借りたカメラが写し出したものだ。
 あの頃誰が携帯電話を想像し、その携帯電話で写真を撮るということを思っただろう。そんな時代に戻りたいかと聞かれれば、やはり首を横にふるだろうが、少しばかり未練もある。
 それは懐かしさではない。もう少し単純に生きてみたいと思う感情だ。
  
(2008/07/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介したやなせたかしさんの
  「アンパンマン」が子どもたちの人気者の東の横綱なら
  藤子・F・不二雄さんの「ドラえもん」は
  西の横綱でしょうか。
  今や国民的な人気者「ドラえもん」ですが
  私たちの世代にとっては
  やはり「オバケのQ太郎」ですね。
  私なんか、
  今でもソラでQ太郎は書けますよ。
  まあ、Q太郎って単純な線なんですが。
  ところがドラえもんは書けない。
  やはり子どもの記憶っていうのは
  おそろしいものです。
  今もそんな記憶力が残っていたら
  結構うれしいですが、
  どんどん薄れるばかり。
  今日は藤子・F・不二雄全集
  別巻2の紹介です。

  じゃあ、読もう。
  
藤子・F・不二雄大全集 別巻2 Fの森の大冒険藤子・F・不二雄大全集 別巻2 Fの森の大冒険
(2011/08/25)
藤子・F・不二雄大全集編集部

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sai.wingpen  漫画はすでに文化だ               矢印 bk1書評ページへ

 鉄腕アトムといえば明治製菓、鉄人28号はグリコ、そしてオバケのQ太郎は不二家。子どもの頃に見たTVのアニメ番組はみごとなほどに菓子メーカーがスポンサーになっていました。
 あれから50年近く経つのに、そんなことをしっかり覚えているのですから、スポンサーの魂胆にみごとにはまった子どものひとりだといえます。
 『藤子・F・不二雄大全集』の別巻の二冊目となるこの本では、そんな当時(昭和30年後半から昭和40年にかけての時代)の藤子・F・不二雄さんの作品とメディアミックスしたものが、先の菓子メーカーの商品だけでなく、数多く紹介されています。

 そもそも漫画という媒体は紙の出版物から始まります。それがTVのアニメになり、商品の広告として使われていくのがメディアミックスです。
 藤子・F・不二雄さんが描いた漫画の主人公たちは数多くそういったメディアミックスとして使われ、そのことで作品の人気が増すという構造になっています。
 そんなメディアミックスのひとつにソノシートがあります。この別巻ではソノシートに付けられていた「オバケのQ太郎」や「パーマン」といった人気漫画が収められています。さすがに全集というのにふさわしい資料編です。

 ところで、ソノシートですが、今や音楽もダウンロードで聞く時代になって、ソノシートそのものがわからない若い人がほとんどだと思います。
 ソノシートはレコードの形はしていますが、薄いペラペラの材質でできていて、それでもきちんと音がでるようになっています。レコードは買えないけれど、ソノシートぐらいなら買えた時代です。
 漫画がTVアニメ化されることによって、主題歌がつく、あるいは○○音頭ができるということで、耳からも子どもたちのなかに漫画の主人公たちがはいってくるのです。

 目、耳、そして菓子メーカーの味、玩具の手触りなど、子どもたちの世界は漫画の主人公たちで染まります。漫画にキャラクター色が強まったのは、そういう大きな世界との関係とつながっているのではないでしょうか。
 藤子・F・不二雄さんだけでなく赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さんといった漫画の黄金期をつくった漫画家たちはみんなそのキャラクター作りがうまかったといえます。
 そして、もちろん、その先頭を走っていたのが、漫画の神様手塚治虫でした。

 藤子・F・不二雄さんの漫画作品だけでなく、こういう資料も後世に残るのは文化財としての漫画にとって大変貴重だと思います。
  
(2011/11/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日百歳になる柴田トヨさんの
  『百歳』という詩集を紹介しましたが、
  今日は92歳になるやなせたかしさんの
  『絶望の隣は希望です!』という本を
  紹介します。
  二日で192歳の著者の本の紹介なんて
  このブログはじまって以来の
  快挙? ですね。
  もちろん、やなせたかしさんといえば
  「アンパンマン」の作者。
  今や成功した漫画家の筆頭ですが
  大器晩成型の人でもあります。
  手塚治虫さんや石ノ森章太郎さんといった
  トキワ荘の人気漫画家を仰ぎみながら
  漫画を描き続けてきました。
  この本では
  そんなやなせたかしさんの足跡が
  よくわかります。

  じゃあ、読もう。

絶望の隣は希望です!絶望の隣は希望です!
(2011/09/26)
やなせ たかし

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sai.wingpen  生きるよろこび                矢印 bk1書評ページへ

 やなせたかしさんといえば、「アンパンマン」の作者として広く知られています。東日本大震災のあと、「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび」と始まるその主題歌が被災された人々を勇気づけたといいます。作詞はもちろん、作者のやなせたかしさんです。
 でも、私にとってやなせたかしさんといえば、昭和39年に始まったNHKの『まんが学校』に出演していた漫画家のやなせさんです。
 当時やなせさんは代表作といえる漫画を描いていたわけではありませんでした。やなせさんが自身の生きてきた道と長寿の秘訣をつづったこの本の中にもその当時のことが書かれていますが、やなせさん自身どうして出演依頼がきたのかわからなかったようです。もしかしたら、漫画雑誌が売れ始めて、人気漫画家たちはテレビに出る時間もなかったほど忙しかったのかもしれません。
 それはともかく、やなせさんはテレビで毎週漫画の指導などしていたわけですから、やなせたかしを知らない子どもたちはいなかったのではないでしょうか。そんな昔のやなせさんを知っている世代にとってはむしろ「アンパンマン」のヒットの方が驚きです。

 それともうひとつ、作詞家としてのやなせさんの大ヒット作が「手のひらを太陽に」という歌です。
 「ぼくらはみんな 生きている」というのが歌いだし。何故、この歌の印象が強いかというと、小学六年生だったと思いますが、運動会の時にこの歌でダンスを踊りました。何度もなんども練習をしたから、いつまでも記憶に残っているのだと思います。「手のひらを太陽に すかしてみれば」というところで両手を上にあげる、そんなところまで覚えています。

 だから、私にとってのやなせたかしはけっして売れない漫画家でも人気のない漫画家でもなかったのですが、この本にもあるように代表作をもたないやなせさんは「アンパンマン」で人気がでるまでけっこう苦悩の日々を過ごしていました。
 そんなやなせさんが「アンパンマン」で人気が出てきたのは50歳を過ぎていました。
 やなせさんのすごさっていうのは、人生の終盤近くなって、あれだけ若々しい漫画を描きだしたことです。それは、生きる強さといってもいいでしょう。
 やなせさんはいいます。「かなしみに まけそうなとき にぎりこぶしを つくりなさい」と。
 「アンパンマン」はけっして強いヒーローではありませんが、逃げない、やなせたかしさんにそっくりなヒーローです。
  
(2011/11/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私の父は明日87歳の誕生日を迎えます。
  年相応にどちらかというと
  弱っています。
  でも、世の中には87歳なんて若い若いと
  がんばっている人がたくさんいます。
  今日紹介するのは、詩集です。
  今たくさん売れている、
  柴田トヨさんの『百歳』。
  柴田トヨさんといえば
  『くじけないで』が大ベストセラーに
  なりましたね。
  新聞なんかでも
  出版広告でそのお顔を見た人は
  多いのではないでしょうか。
  たぶん、今もっとも活躍されている
  高齢者のひとりといってもいいでしょう。
  柴田トヨさんの詩集の魅力を
  書評で書きましたが、
  装丁の美しさもそのひとつ。
  虹色のいい装丁です。

  じゃあ、読もう。

百歳百歳
(2011/09/13)
柴田トヨ

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sai.wingpen  ありがとうをあなたに              矢印 bk1書評ページへ

 処女詩集『くじけないで』が150万部の大ベストセラーになった柴田トヨさんの第二詩集。書名のとおり、百歳になられた柴田さんのやさしさにあふれた詩集です。

 柴田さんの詩集がこんなにもたくさんの読者を得たのはそれなりの理由があったと思います。
 まず、柴田さんが百歳という高齢でありながら、詩作を始めてまもないという話題性です。日本は世界でも類をみない高齢者大国ですが、さすがに百歳となると、みんながほおぉとため息のでる年齢です。その年齢で新しいものに挑戦する姿にひかれます。
 つぎに、柴田さんの詩の、メッセージのつよさです。
 この詩集には東日本大震災のあとに書かれた詩が数篇掲載されていますが、被災された人々への思いがつよく伝わります。
 「被災地のあなたに」という詩の結びは「不幸の津波には/負けないで」とあります。
 それは、言葉の平易さと関係しています。柴田さんの詩に難しい言葉はありません。平易な言葉でできています。その分だけ、メッセージ性がつよくでているように思います。

 この詩集でおもしろいと感じた連作の詩があります。
 埼玉県警察「振り込め詐欺防止ポスター」に寄せて書かれた詩です。ひとつが、振り込め詐欺犯にむけたもの、さらに振り込め詐欺に合わないための自戒の気持ちをつづったもの、そして、もうひとつが被害にあわれた人にむかって書かれたものです。いずれも、柴田さんのやさしい気持ちがふんわりとつつまれています。
 そういうふんわり感こそ、百歳の柴田さんの詩のもっともすぐれた特長かもしれません。

 柴田さんは「やさしさ」という詩のなかで「歳をとると/やさしさが/ほしくなるの」と書いていますが、高齢者の人たちだけでなく、誰もがやさしさがほしくなる時があります。柴田さんの詩集はやさしさをくれるのです。百歳の柴田さんから私たちはやさしさをもらっているのです。
 ありがとうというのは、私たちなのです。
  
(2011/11/01 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  大阪にいる父にしばらく会っていません。
  最近少々ボケてきた父の面倒は
  兄夫婦にみてもらっています。
  母が亡くなって
  父はめっきり老けました。
  もともとあまり話さない父でしたが
  最近はそれがもっとひどく、
  話しかけても返事もしません。
  時々、話しかけているのが
  誰か、わからなくなっているようです。
  なので、電話で話すこともできません。
  息子として
  そんな父の姿を見るのはつらいですが
  年老いてくるというのは
  そんなことも含めてのことだと
  思うようにしています。
  今度の15日は
  そんな父の、87歳の誕生日。
  感謝の意味もこめて
  今日は平田昌広さんの『おとん』という
  絵本を紹介します。

  じゃあ、読もう。

おとんおとん
(2008/06)
平田 昌広

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sai.wingpen  私の父は「おとうちゃん」            矢印 bk1書評ページへ

 ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母を描いたNHKの連続テレビ小説「カーネーション」に、物語の舞台が私の故郷でもある岸和田ということもあって、今はまっています。
 中でも主人公糸子の父親を演じています小林薫さんがすばらしい。小林さん演じる父親を見ていると、私の父のことを彷彿とさせます。
 父も呉服屋でした。主人公の家のようにりっぱな店は構えていませんでしたが、いわゆる行商のような呉服屋でした、なんだか雰囲気は小林薫さんによく似ています。商売がへたなのもそっくりです。ドラマの父親のようには怒ったりしませんでしたが、やはり岸和田の男という点ではよく似ています。
 その父を私たちは「おとうちゃん」と呼んでいました。物語の主人公も父親をそう呼んでいます。
 それが「パパ」だと、この絵本のなかの「おとん」のように、「けったいな かお」をするにきまっています。
 「おとうちゃん」は「おとうちゃん」です。
 「おとうちゃん」だから、私の父なのです。

 この絵本は関西弁で描かれたユニークな絵本です。最近では長谷川義史さんが関西弁を使った絵本を数多く出されていますから、ユニークというほどでもなくなっているかもしれませんが。
 寝ころびながらTVをみている父親の姿を見て、「なんで こう だらだら しとるんやろか」と男の子は思います。もしかしたら、いつも「おとんって よんでるから あかんのやろか」。だから、男の子は父親にさまざまな呼び名で呼びかけます。「
 パパ」「おとうさん」「ちちうえ」「おとっつあん」・・・。そのつどの、父親のリアクションがおもしろい。 これって関西人特有のノリです。
 それで最後には、やっぱりいつもの「おとん」。父親はやっと返事をしてくれます。

 この絵本のなかの父親はけっして怒ったりしません。でも、父親の威厳のようなもの、それは「おとん」でないと返事もしないというささやかな威厳ですが、を感じます。
 それは関西人の父親だからでしょうか。
 いいえ、全国どこであっても、父親はささやかな威厳を誇りにしているのです。
 
(2011/11/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

   こんなに何事も忘れやすい世の中で、
   奇跡のように人々は向田邦子を忘れなかった。
   飛行機事故で逝って30年。
   本は、いまだ盛んに読まれている。

  これは、10月30日の朝日新聞書評欄の
  特集「向田邦子没後30年」に寄稿した
  演出家鴨下信一さんの書き出しの文章です。
  今年、没後30年を迎えた向田邦子
  確かにいつまでも読まれつづけています。
  今日紹介するのは
  実は10年前の蔵出し書評です。
  向田邦子の妹の和子さんが書かれた
  『向田邦子の恋文』。
  書評の冒頭で「向田邦子が亡くなって二〇年になる」なんて
  書いています。
  それから、10年経っても
  いまだに色褪せない向田邦子です。

  じゃあ、読もう。

向田邦子の恋文向田邦子の恋文
(2002/07)
向田 和子

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sai.wingpen  時間よとまれ、お前はあまりに美しい        矢印 bk1書評ページへ

 向田邦子が亡くなって二〇年になる。
 台湾上空の飛行機事故の死はあまりに突然だった。彼女が文壇に登場した時、コラムニストの山本夏彦氏は「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と語ったといわれる。
 そして今なら、こう付け加えてもいいだろう。「向田邦子は突然去って今もほとんど名人である」と。

 この本は彼女の遺品の中に眠っていた、向田邦子三十三歳の切ない恋の記録の断章をまとめたものである。
 向田が心を許せる人だったN氏に宛てた彼女の手紙五通、電報一通、N氏から彼女に宛てた手紙三通、N氏の日記、手帳。
 この本に紹介されているのはわずか三ヶ月余りの時間に過ぎないのだが、二人のそれぞれに対する思いやりは如何ばかりだったのだろう。そして、それぞれが早過ぎる死を向かえてしまった事実は悲しい。
 まして、向田がN氏に宛てた自らの手紙を自身の遺品として残さなければならなかったことに、胸のつぶれる思いがする。

 この本を読み終わってから「木槿(むくげ)の花」という、向田の死の後に書かれた山口瞳のエッセイを読んだ。
 山口瞳は向田が直木賞を受賞した際の選考委員の一人だった。彼は自分が強く彼女の受賞を推挙したことで、彼女の早過ぎる、そして突然の死を招いたのではと苦渋する。
 それとあいまって、山口がどれほど彼女の才能を評価し、彼女の人柄を愛していたかが深い悲しみとして描かれている。
 「向田邦子のように、会うたびにどんどん綺麗になる女性というのも、めったにいるものではない」と書いた山口は、彼女の「秘め事」を知っていたのだろうか。その山口も今はもういない。

 書評のタイトルとした「時間よとまれ、お前はあまりに美しい」は、文豪ゲーテの「ファウスト」の有名な一節である。
 もしかすれば、カメラのファインダー越しに向田の姿を見つめていたN氏がこの一節を口ずさんだかもしれない。そうではないと誰も云えないほど、写真の向田は美しい。
 突然の航空機事故にまきこまれ、時間をとめざるをえなかった向田邦子は、山口瞳が評したように、綺麗なまま僕たちの前から去っていった。多くの美しい作品を残して。
  
(2002/10/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  また11日がめぐってきました。
  あの日、3月11日から8ケ月めになります。
  そして、間もなく東北の地に
  また冬がやってきます。
  東日本大震災がなくても
  東北の冬は厳しいのです。
  すっかり高齢化した土地で
  たいへんな雪かなどがあります。
  そんな厳しい冬が
  何か月も続くのです。
  まして、今年の冬は
  被災して初めてめぐる冬です。
  被災された人たちにとって
  厳しい寒さにならなければいいのですが。
  今日紹介する
  池澤夏樹さんの『春を恨んだりはしない』は
  震災をめぐるレポートです。
  とってもいい本です。
  あの日のことを
  忘れないためにも
  ぜひ読んでもらいたい一冊です。

  じゃあ、読もう。

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
(2011/09/08)
池澤 夏樹

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sai.wingpen  冬が来る前に                  矢印 bk1書評ページへ

 3月11日の東日本大震災から、春、夏、秋と過ぎ、また冬が来ようとしています。
 あの日、春にはまだ少し早すぎる東北の地を襲った地震と大津波はたくさんの犠牲者とその悲しみにくれる人たちをうみました。春には訪れるはずであった楽しい日々も一瞬に消え去りました。その悲しみ、悔しさを一人の中 学生が卒業式の答辞に託した話は、ニュースにもなって知っている人も多いはずです。
 「天を恨まず」。気仙沼の階上中学の卒業式で檀上にあがったK君の言葉です。
 K君は大震災の被災を「自然の猛威の前には、人間の力はあまりに無力で、私たちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした」と慟哭します。それでもK君はこう続けました。「しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です」と。

 作家池澤夏樹の、「震災をめぐって考えたこと」と副題のついた記録文学である本書の書名『春を恨んだりしない』を目にして、K君の「天を恨まず」を思い出しました。
 あれほどに大きな災害でしたから、誰もが嘆きのもっていき場所をさがそうとしたはずです。それが神であれ、天であれ、この国土であれ、あの時の時間であれ、責めたいという思いはあります。
 池澤はこう書いています。「春を恨んでもいいのだろう。自然を人間の方に力いっぱい引き寄せて、自然の中に人格か神格を認めて、話し掛けることができる相手として遇する」。そして、それが人間の悲しみと向き合う方法であり、そのことで無情な自然と対峙できるのだと。
 それでも、来年の春にはもう春は恨まないはずだと、池澤は続けました。忘れるということではない。人は行きつ戻りつゆっくりと喪失を受け入れるものだから。生きていくということは、喪失さえも受け入れることだから、と。
 本書に収められた震災をめぐる池澤の文章はとても良質なものです。「天を恨まず」「春を恨んだりしない」姿勢は、そういう良質なものから生まれてくるような気がしてなりません。
  
(2011/11/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  川上弘美さんは
  東日本大震災が起こった3月11日は
  その頃連載していた『七夜物語』のラストに向けて
  執筆中でした。
  そして、あの時の大きな災害で
  書くことにためらいを感じます。
  あのような大きな被害の前で
  物語は果たして有効か。
  作家として
  川上弘美さんの躊躇は仕方ないことだと
  思います。
  けれど、川上弘美さんは
  再びペンをとります。
  連載を書きついでいきます。
  それもまた作家としての勇気だと思います。
  そして、その3月に
  デビュー作となった『神様』と裏表を成すような
  作品を完成させます。
  それが今日紹介する『神様2011』です。
  震災のあと発生した原発事故に
  川上弘美さんはまっすぐ向かいあいます。
  作家の真面目さに感嘆しています。

  じゃあ、読もう。

神様 2011神様 2011
(2011/09/21)
川上 弘美

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sai.wingpen  作家は書き続けるしかありません             矢印 bk1書評ページへ

 1994年、川上弘美さんは『神様』で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞し、本格的デビューを果たします。その後、『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞するなど着実に作家としての業績を重ね、今や芥川賞選考委員を務めるなど現代日本文学の先頭を走る人気作家となりました。
 そして、2011年。川上弘美さんは再び『神様 2011』という作品を描きます。
 デビューを果たした作品と同じ題材で、しかもあの2011年3月11日に起こった東日本大震災に続く原発事故を背景にして、作品を仕上げました。

 川上さんは何故同じ題材で、新たに作品を生み出したのでしょう。
 「静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません」と、本書の「あとがき」に川上さんは書いています。
 川上さんが高校の生物の先生だったということは周知のことだと思います。生物の先生だから、原子力のことについて詳しいかというと、そんなことはないようです。むしろ、私たちと同様、今回の原発事故で初めて耳にする言葉ばかりだったと思います。
 だから、「原子力利用にともなう危険を警告する」といった意気込みなどありません。それよりも川上さんが驚きの気持ちを持ったのは、ありふれた日常は続いてゆくのだが、「その日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつもの」ということでした。

 1994年、『神様』に登場した「くま」は今から思えばなんと素朴な生き物だったことでしょう。日常の中に「くま」という大きな異物が紛れ込んでも、なんの不思議もありませんでした。
 ところが、2011年、「くま」は前作同様の「くま」であっても、それははっきりと異物だということを知らしめます。「くま」は日常のなかに紛れ込むべきではなかったのです。
 「熊の神様」がどんなお恵みをしたにしろ、「くま」は人間界に生活できるはずもありません。

 おそらく川上さんはこの作品を2011年3月11日を契機にして一気呵成に書き上げたのではないかと思います。それは、作家としての使命だったのではないでしょうか。
 あの「くま」が三度私たちの前に現れることがあるかどうかはわかりません。しかし、できうれば「熊の神様」のお恵みによって、本当の「悪くない一日」になるよう、願わざるをえません。
  
(2011/11/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介しました
  小宮一慶さんの『問題解決の教科書』に
  「常に自分がその立場に立った時のことをシミュレートできるかどうか。
  それが組織のリーダーとして相応しい人材かどうかの目安になります

  と書かれたいたことは
  昨日の書評に書いた通りです。
  実は、すでに2002年の2月に
  同じようなことを
  書評の中で書いていたので
  今日は蔵出し書評で紹介したいと思います。
  本は、
  『通勤大学実践MBA 事業計画書』。
  通勤大学文庫というシリーズの一冊です。
  書評の中で私が取り上げたのが
  貴乃花部屋という相撲部屋。
  さあて、どんな展開となったでしょうか。

  じゃあ、読もう。

通勤大学実践MBA  事業計画書  通勤大学文庫通勤大学実践MBA 事業計画書 通勤大学文庫
(2002/12)
グローバルタスクフォース

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sai.wingpen  もしもあなたが「貴乃花部屋」の運営を任されたら    矢印 bk1書評ページへ

 横綱貴乃花が初場所九日目に引退した。(2002年)
 幕内通算701勝216敗201休、優勝22回(歴代4位)は平成の名横綱と呼ばれるのに相応しい成績だ。兄の横綱若乃花との兄弟対決は相撲ファンだけでなく列島を熱くした。
 そんな輝かしい横綱は、それでいて孤高の印象が強かった。若くして横綱という最高位まで昇りつめた、それは男の孤独だったのだろうか。
 こうして貴乃花の引退という現実を迎えてしまうと、あの初場所に至るまでの執拗な出場勧告は何だったのだろうかと考えてしまう。
 貴乃花が牽引してきた相撲界は、引退の次の日の空席が目立つ国技館に象徴される、苦難の時代の始まりでもある。

 そんな時代にあって、もしあなたが「貴乃花部屋」の運営を任されたしたら、あなたはどんな「事業計画書」を作るだろうか。
 まずビジネスプランを策定しよう。どんな事業であるか簡単な要約からはいる。「貴乃花部屋」が一代年寄・貴乃花の部屋であること、父親の運営する「二子山部屋」が多くの名力士を生み出した名門であることも訴求力が高いだろう。
 しかし、ここは他の部屋との差別化で、若い親方を強調し、科学的で明るい部屋運営を前面に押し出したらどうだろう。

 経営陣は叔父、父、兄と親方自身であれば、文句のつけようがない。
 次に部屋を取り巻く市場である。これがつらい。相撲界は経済界でいえば構造的な不況業種である。かつて3Kと呼ばれ、嫌われた業種があったが、今や相撲界もそれに匹敵するくらいだといえる。そんな中にあって、もし訴える点があるとすれば国技ということだ。お国が後ろ盾にあることほど、心強いものはない。

 いくら相撲部屋であったとしても「財務計画」はしっかり立てるべきだろう。
 飲食にかかる費用は大きいだろうが、幕内力士を多く作り出すことで収益部門は安定する。強い力士こそ、「部屋」にとってのいい商品に違いない。
 さあ、あなたの「事業計画書」は「谷町」と呼ばれる後援者の人々の賛同を得るだろうか。
 まだ不安なあなたは、ぜひこの本「通勤大学実践MBA事業計画書」を読んで、じっくり考えてみて下さい。
  
(2003/02/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は立冬
  いよいよ冬が始まります。
 
    海辺の町両手をひろげ冬が来る   岡本眸

  そんな日に紹介するのは
  おなじみ小宮一慶さんの『問題解決の教科書』。
  最近の小宮一慶さんは
  ものすごいスピードで新刊を出されていて
  読者として追いつくのも
  精一杯。
  でも、当然書き方が読むことも
  何倍も大変ですから
  書かれたものを読めないということは
  ありません。
  今日の書評の中で紹介できなかったのですが
  この本には問題解決のための方法も
  たくさん紹介されています。
  ひとつだけ紹介しておくと
  「プロズ&コンズ」。
  これは、物事の良い面(プロズ)と悪い面(コンズ)を
  比較することです。
  そうすることで
  客観的に状況が判断できる、と
  書かれています。
  参考にして下さい。

  じゃあ、読もう。

問題解決の教科書問題解決の教科書
(2011/09/15)
小宮 一慶

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sai.wingpen  リーダーの覚悟                     矢印 bk1書評ページへ

 世の中はめまぐるしく動いています。予定行動などはなから想定できないのが現代といえます。
 例えば、あの東日本大震災。誰もあれだけの規模になるとは想定していなかったのではないでしょうか。あるいは、それにつづく福島の原発事故。警鐘を鳴らす人はいても、それをどこか遠くの声のように聞いていたのは国や企業だけでなく、私たちもです。
 あれだけの大きな天災や人災に向かうと、それに対処するリーダーの資格そのものが問題解決に大きく影響してきます。
 経営コンサルタントの小宮一慶さんは本書の中で「常に自分がその立場に立った時のことをシミュレートできるかどうか。それが組織のリーダーとして相応しい人材かどうかの目安になります」と書いています。
 つまり、リーダーになる勉強は世の中にたくさんあるということ。それを自分はリーダーではないからとうっちゃっておくと、チャンスが来た時に対応できません。

 本書のサブタイトルは「リーダーのための仕事力向上講座」。
 どちらかというと、この方が合っています。
 リーダーたるものさまざまなことが求めらます。タイトルの「問題解決」もそのひとつ。本書ではそれ以外に「決断力」であったり、「解決方法」であったり、「数字のセンス」であったり、もっとマクロ的な社会の数字であったりが書かれています。
 だから、単に「問題解決」はリーダーの仕事としての一部分と考えていいと思います。
 ただいえることは、リーダーは常に時代にあわせて機敏に行動しなければならないということです。もちろん、そのための勉強を惜しんではいけません。
 あるいは、専門的なブレーンをきちんと配置していくことも重要でしょう。
 原発事故のあとの政府の対応をみていると、確かに専門的なことがらが多いですから、いかに国のリーダーであっても知らないことがたくさんあったと思います。それでも、それをきちんとフォローできるブレーンがいると、きっと対応がちがってきたのではないでしょうか。

 リーダーたるもの、そういう覚悟でないと務まりません。
  
(2011/11/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  月曜は仕事に行くのが
  どうも嫌で嫌で
  そのあたりは自分でも子供じみているなぁと
  思わないでもありません。
  こんな日は一級のビジネス本を読んで
  やる気を高めるのが一番。
  そこで、
  今日紹介するのは丹羽宇一郎さんの
  『負けてたまるか!  若者のための仕事論』。
  丹羽宇一郎さんといえば
  あの伊藤忠商事をひきいた大社長で
  今や中国大使。
  そんな丹羽宇一郎さんが若いビジネスマンに向けて
  書いた本ですから
  読み応え十分です。
  書評の中で紹介できなかったのですが、
  この本の最後に
  丹羽宇一郎さんはこう書いています。

   教養というのは相手の立場に立って物事を考える力があること

  こういう本が読まれる職場って
  きっといい職場でしょうね。

  じゃあ、読もう。
  
負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)
(2010/04/13)
丹羽 宇一郎

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sai.wingpen  磨けよ、しからば開かれん            矢印 bk1書評ページへ

 本を読む時にはいつも付箋を持ち歩いています。
 本に線を引いたり書き込みをしたりする人も多いそうですが、私はどうも本を傷める感じがして、それができません。だから、気になった言葉や箇所があれば、付箋を使うようにしています。
 読み終わったあと、その付箋がたくさんついている本もあれば、まったく使われない本もあります。
 伊藤忠商事の元社長・会長で現在中国大使を務める丹羽宇一郎さんのこの本にはたくさんの付箋がつきました。私はもう若者ではありませんが、それでも教えられること、あらためて反省しなければいけないことがいっぱいつまった一冊です。

 著者の信条は「人は仕事で磨かれ、読書で磨かれ、人で磨かれる」というものだそうです。それで、本書の構成はこの三つ、仕事、読書、人、をテーマに構成されています。どの章も等分に面白かったといえます。
 例えば、仕事の章でいえば「社会人には、年齢によってやるべきことがあります」というくだりに付箋をつけました。この文章の後段は「キャリアや立場によって学ぶものも異なってくる」とあります。
 それはこの本の読み方にもいえます。若者だけでなく色々な立場の人が、この本から吸収できるものがあるはずです。
 読書の章では「自分を磨くのは自分次第。読書は私たちを未知の世界へと誘う「扉」なのです」の文章に付箋があります。
 人の章では徳川家康の言葉の引用、「不自由を常と思えば不足なし」に付箋をつけました。この引用の前に「贅沢をしたらキリがありません」と、大会社の社長でありながら、さすがです。

 そんな丹羽さんのとっておきの言葉は、「何のために働くか」という問いの答えではないかと思います。
 丹羽さんはこう書いています。「自分を磨くためです。そして皆と喜びを分かち合うためです」
 給料でも仕事の実現でもありません。自分を磨けば、仕事も実現するでしょうし、そうなれば給料もあがってきます。この順番をまちがってはいけません。
 若者だけでなく、たくさんの働く人たちに読んでもらえたら、この国だっていい方向にむかうような気がします。
  
(2011/11/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  いつも紹介している絵本たちは
  ほのぼの系、悲しみ系、色々ありますが
  あまり怖い絵本というのは
  ありません。
  今日紹介する話題の絵本、
  宮部みゆきさんの『悪い本』は
  そんな絵本の常識を覆させる一冊です。
  ずばり、怖いのです。
  まずは、手にとって読んでみて下さい。
  さて、あなたならこの本お子様と
  どう読みますか。
  なんだか、おねしょするかもしれません。
  だったら、昼に読んでみましょう。
  そんなことを書けば
  まるでおススメしていないようですが
  とんでもありません。
  こんなインパクトのある絵本、
  久しぶりです。
  ところで、当世一の人気作家
  宮部みゆきさんの本を読むのは
  私、これが初めてなんです。
  その方がよっぽど怖いかも。

  じゃあ、読もう。

悪い本 (怪談えほん1)悪い本 (怪談えほん1)
(2011/10/08)
宮部 みゆき

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sai.wingpen  今夜は眠れない                 矢印 bk1書評ページへ

 人間の感情にはいくつの種類があるのでしょう。どうやらいくつかの説があるようですが、基本となるのは、幸福とか悲しみとか怒りとかでしょうか。もちろん、驚きとか恐怖もはいるでしょう。
 それでは恐怖というのは一体どういった感情なのか。私の極めて個人的な意見でいえば、排他的になる感情ではないかしらん。ところが、そんな恐怖の感情を好み人たちがいます。
 じわじわと頂点まで昇っていって突然急降下する遊園地のアトラクション。あれなど恐怖そのものです。つまり、普通だったら乗りたくなどありません。それなのに、それにキャーキャーワイワイと乗り込む人たちがいます。なんともかんとも。

 本書はなんとも怖い絵本です。読み返すのも怖いくらい。それでいて、そおっとページを開いて、のぞいてみたくなる絵本。
 岩崎書店が「怪談えほん」としてシリーズ化した、これはその最初の配巻です。作者が宮部みゆきさんですから、岩崎書店のこのシリーズにかける意気込みを感じます。

 この絵本がどれほど怖いかは読んでもらうしかありませんが、言葉にしてわずか千文字足らず。それでいて、どうしてこんなにも怖いのか。
 もしかしたら、絵の力? 絵は、イラストレーターで数多くの絵本も書いている、吉田尚令さん。なんといっても、小さなテディベアの目が怖い。
 最後のページの・・・ああ、書くのも怖い。

 でも、そうやって怖がっているのは私だけかもしれません。
 あの垂直直下の遊園地のアトラクションに乗って、キャーキャー笑っている女子や子どもたちなら、この絵本を愉しみそうです。私からすれば、あんな怖い遊戯具に乗ってみようとする人も怖くて仕方がありません。
 はたしてどちらか怖いのか。私にはわかりません。
  
(2011/11/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今NHKの朝の連続TV小説「カーネーション」に
  はまっています。
  コシノジュンコさんたち姉妹の母親
  小篠綾子さんの生涯を描いた作品で
  舞台は私の故郷でもある大阪・岸和田市
  第一話からさっそく岸和田名物だんじり
  さっそうと駆けめぐっていました。
  主人公の糸子の父親がいいんですね。
  言葉は荒いですが、
  娘の糸子には甘い。
  そんな父親を小林薫さんが熱演しています。
  今日紹介する一冊は
  角川文庫の今月の新刊。
  重松清さんの『とんび』。
  この作品の主人公ヤスさんも
  糸子の父親によく似ています。
  今日は単行本出版当時の
  蔵出し書評です。

  じゃあ、読もう。

とんび (角川文庫)とんび (角川文庫)
(2011/10/25)
重松 清

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sai.wingpen  とんびは鷹になる               矢印 bk1書評ページへ

 題名の「とんび」は昔から伝承されている「鳶(とんびと同じ意味です)が鷹を生む」からとられています。
 広辞苑によれば、「平凡な親がすぐれた子供を生むことのたとえ」とあります。
 それで、だいたい物語の内容が想像できるかと思います。そう、これは広島の備後という町を舞台にした、一組の父と子の物語です。

 主人公のヤスさんは気性は荒いが憎めない男です。すぐ手がでてしまうけれど、実は照れ屋で涙もろい。まわりの人はそんなヤスさんにひやひやしていますが、大好きです。
 ところが、そんなヤスさんが突然まじめになりました。彼に待望の子供ができたのです。昭和三十七年のことです。
 昭和三十七年といえば、日本が徐々に経済成長を始めた頃です。この物語はそういう時代背景、昭和という時代、とともに進みます。
 生まれたのは男の子。当時の大スター小林旭からとって、アキラと名づけられます。
 生まれてくる子供を喜ばない親はいないでしょう。ヤスさんも奥さんの美佐子さんももちろん喜びます。仕合せをかみしめます。
 生活は豊かではないけれど、家族三人がすべての喜びなのです。
 ところが、アキラの四歳の夏、美佐子さんは突然の事故でなくなってしまいます。家族三人が、父と子のふたりきりになってしまうのです。
 ここから、本当の意味での父と子の物語が始まります。

 子供の成長につれ、ヤスさんにはいくつもの困難が訪れます。
 時にそれは自身の淋しさであり、時にそれは子供の反発であり、時にそれはふたりの悲しみでもあります。
 ヤスさんは事情があって両親の温かみなく育ちました。(そのことで物語の後半、小さな感動が用意されていますが)
 だから、父親という役割を誰に教えられることもなく始めなければなりませんでした。いくつになっても、アキラがどれだけ成長しても、ヤスさんはずっと「初めての父親」です。
 そこにヤスさんの苦労があります。悲しみがあります。
 親であることも誰かをみて学習するものなのでしょう。
 ヤスさんは思います。親とは、割に合わないものだ-。親とは寂しいものだ-。親とは、哀しいものだ-。親とは愚かなものだ-。親とは、一所懸命なものだ-。
 しかし、そうしてヤスさんがたどりついた思いは、「親になって、よかった」(259頁)でした。
 ヤスさんは見事に成長したのです。
 そういう意味では「とんびが鷹になった」のかもしれません。

 物語は昭和の時代から平成の時代に移り、社会人となったアキラは由美さんという離婚歴のある女性と結婚します。しかも、由美さんには子供もいます。
 アキラもまた、父親としての道を歩むことになります。
 でも、アキラにはヤスさんという父親がいます。ヤスさんの歩んだ道をアキラは歩いていけます。
 アキラはもう鷹ではありません。新しいとんびです。
 新しい鷹は、アキラの新しい子供かもしれません。しかし、その子供が鷹になる時、アキラはまた鷹に戻るのでしょう。
 そういう大きなうねりのようなものを思います。
 こんな言葉が物語の最後にあります。「子どもの悲しみを呑み込み、子どもの寂しさを呑み込む、海になれ」(371頁)。
 その時、気づきます。
 重松清の『とんび』は、父と子の物語ではなく、父の成長物語なのだと。
  
(2008/11/29 投稿)

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  今日の「百年文庫」のタイトルは
  「」。
  窓という言葉はいろいろなことを
  イメージさせてくれます。
  目は心の窓とかいいますよね。
  そういえば、
  男性のズボンのファスナーを
  社会の窓なんて
  呼んでいました。
  あれ、今でも使うのでしょうか。
  今日の書評に
  松山千春さんの「」という
  歌の歌詞を使いましたが
  あれ、いい曲でしたね。
  書評書きながら
  つい口ずさんでいました。

  じゃあ、読もう。

(026)窓 (百年文庫)(026)窓 (百年文庫)
(2010/10/13)
遠藤周作、ピランデルロ 他

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sai.wingpen  窓から見えるもの                矢印 bk1書評ページへ

 「小さな窓から見える この世界が僕のすべて/空の青さはわかるけど 空の広さがわからない」というのは松山千春の「窓」という楽曲の歌い出しだ。
 松山千春には数多くのヒット曲があるが、この「窓」という歌は好きだ。
 「この窓をひらいて 自由になりたい」と唄ったのは随分と若い頃だが、何故かその当時は大人たちが自由で、若者は不自由だと思い込んでいた。だから、窓を開くというイメージが心の開放感を表しているようで、強く惹かれたのだと、今なら思える。
 「百年文庫」26巻めの表題は『窓』。心にはめ込まれた窓が遠い世界へとつながる四篇、遠藤周作の『シラノ・ド・ベルジュラック』、ピランデルロの『よその家のあかり』『訪問』、神西清の『恢復期』、が収めれれている。

 なかでも、さすがに遠藤周作の『シラノ・ド・ベルジュラック』は秀逸である。
 遠藤はカトリック作家として神をテーマに重厚な作品を書き続けた。自身その研究のためにフランスにも留学し、その地でも見聞や知識が芥川賞を受賞する『白い人』を生むきっかけになった。
 この『シラノ・ド・ベルジュラック』も留学の経験が作品のなかに織り込まれている。
 主人公の私はフランスに留学している日本人。そこでかつてリヨン大学で修辞学の講師をしていた老人と出合い、フランス語の個人レッスンを受けることになる。その老先生にはかつて妻を寝取られた暗い過去があるだが、そのことを語ることはない。ある日老先生の部屋で戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』のモデルの手記の写本を見つけたことをきっかけにして、私は息がつまるような老先生の生活に踏み込もうとするのだが。無知なるものの残酷がみごとに描かれて、胸につきささる鋭利な刃物のような作品である。

 ピランデルロという作家は今回初めて接した二十世紀初めのイタリアの書き手だが、二篇の短編のなかでも『よその家のあかり』は官能的な雰囲気に満ちた作品といえる。
 窓から偶然にのぞきみた隣の家の団欒。やがて主人公はその家の奥さんに魅かれていく。そして、二人は禁断の恋におちるのであるが、ラスト、妻であり母である人のいなくなった隣家をみつめる主人公たちの悲嘆が切ない。
 神西清は翻訳家として名声のある作家。収録されている『恢復期』は闘病生活をしている少女の心の動きを描いたもの。活発に動けないゆえに、少女は心の窓を開こうとしている。

 窓から見える青い空。その空の広がりをどこまで実感できるようになっただろうか。
  
(2011/11/04 投稿)

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  今日は文化の日
  お休みの人も多いでしょうね。
  また、気候もいいので
  外出する予定の人もいるのでは。
  特にお子さんが小さいご家庭は
  家族仲良く手をつないで
  おでかけ、おでかけ、かな。
  いやぁ、予定がなくて、という方は
  今日紹介する、いせひでこさんの
  『新編 マキちゃんのえにっき』でも読んで
  家族のありよう、
  お父さんお母さんのがんばりなんかを
  考えてみるのもいいかも。
  いせひでこさんは
  私の大好きな絵本作家です。
  いせひでこさんの絵本は
  このブログでもたくさん紹介しています。
  さがして読んでみてください。

  じゃあ、読もう。

新編 マキちゃんのえにっき新編 マキちゃんのえにっき
(2011/08/24)
いせ ひでこ

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sai.wingpen  お母さんの仕合せ                 矢印 bk1書評ページへ

 娘たちが小さい頃、そのころようやく庶民の手にも届くようになったホームビデオでさかんに撮影したものですが、その彼女たちもすっかり大きくなって、その時のビデオは引出しの奥にひっそりと眠ったままです。
 でも、ビデオを見るまでもなく、鮮明に覚えていることがいくつかあって、それはそれで私と小さい娘たちの、ある意味蜜月であったと思い出されます。
 そのひとつが、小学一年生になった年の長女の誕生日のことです。
 友だち数人を招いてのささやかな誕生パーティー。妹を無視して友だちと遊んでばかりいる長女に腹が立って、つい長女を投げ飛ばしたこと。
 今から思えば、なんともひどい父親です。まだ小さい長女の、軽すぎた身体の重さまでが私の腕の記憶となって残っていますから、きっと長女も、これは直接彼女に聞いてはいないのでわかりませんが、父親への恨みとして残っているのではないかと、あれか何十年もたってまだびくびくしています。
 やはりそういうことは記憶から消えないのではないかしらん。

 本作は、『ルリユールおじさん』『大きな木のような人』などを描いた絵本作家いせひでこさんの児童文学ですが、マキちゃんというのは、いせさんの娘さんがモデルになっています。
 だから、マキちゃんのおかあさんは、いせさん自身がモデルになっていて、絵本を描く仕事をしているいそがしい母親として描かれています。
 目線は娘のマキちゃんですが、子育ての頃の自身への反省がはいった物語になっています。
 「おかあさんやっているより、おしごとをやっているときの方が多すぎるからいけないよ」と、マキちゃんは心の中で思うのですが、それはいせさん自身がマキちゃんが大きくなってから、母親として反省している文章だと思います。

 子育てをしている時は、母親は夢中だと思います。私は男ですから父親も夢中だといいたいところですが、やはり子育ては妻にまかせていた部分がたくさんあります、そんな母親だからこそ、その当時のことを思い出すことがいろいろあるのでしょう。
 病気をしたり、学校にいくのをいやがったり、おねしょをしたり、ねむらなかったり。子どもたちの生活の一つひとつが、母親の思い出とつながっています。

 でも、そんな子どもたちの小さい頃の思い出をいっぱい持っているお母さんこそ、一番仕合せなような気がします。
  
(2011/11/03 投稿)

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  せっかくの読書週間ですから
  いい読書案内でも読みたいところです。
  じゃあ、といい本見つけました。
  井上ひさしさんの『井上ひさしの読書眼鏡』。
  こういう本を読むと
  読書の醍醐味というか
  いい面を実感できますね。
  まさに、「信じよう 本の力」です。
  それにしても
  井上ひさしさんは亡くなっても
  人気が高い作家です。
  亡くなった後も
  何冊も何冊も新刊が登場しています。
  読者としては
  うれしい限りです。
  この本には井上ひさしさんの奥さんのお姉さんでもある
  米原万里さんの全著作の短い書評も
  ついていますので
  米原万里さんのファンの皆さんも必見です。

  じゃあ、読もう。

井上ひさしの読書眼鏡井上ひさしの読書眼鏡
(2011/10/07)
井上 ひさし

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sai.wingpen  信じよう、書評の力               矢印 bk1書評ページへ

 今年(2011年)の読書週間のキャッチフレーズは、「信じよう、本の力」ですが、私も本は心と頭の栄養剤だと思っています。
 それは単に鍛えるとか成長するとかというだけでなく、イライラしている時や落ち込んだりした時にも結構効き目があって、読書はストレス解消のためにも欠かせない習慣です。
 そんな読書ですが、習慣に至るまでには当たり前ですが、本を読むことから始めないといけません。習慣になっていない人にはこの最初の一歩が難しいのです。

 方法はいくつかあります。一番いいのは、友人や知人が紹介してくれた本を読む。身近な人の紹介だととっつきがいい。
 次は、やはり書評でさがす。新聞や雑誌、インターネットにはいくつもの書評が掲載されています。そのなかから自分の興味をひいたものを読む方法です。
 そのためにもいい書評を読むことが大事。いい書評は書評自体がいい文章でできていますから、それを読むだけでも読書の習慣にちかづくはずです。

 本書はそれにうってつけの書評集です。著者は昨年亡くなった作家の井上ひさしさん。
 井上さんは自身大変な読書家ですから、とても目が肥えている。そんな井上さんの2001年から2004年にかけて「読売新聞」に連載していた書評を亡くなってからもこうしてまとめて読むことができるなんて、うれしいかぎりです。
 それにしても、井上さんの書評のうまさはどうでしょう。難しい言葉を使うわけでもなく、簡潔に軽妙にそして大いにまじめに本たちを紹介していく手腕は、あらためて読書人としての井上ひさしの技量に敬服します。

 「人間は、すこぶる強欲である」と、ある書評のなかで井上さんは書いています。そして、「しかし同時に美しいものを発見し、それに言葉を与えて、他人に分かち与える賢さも持っている」と続けます。
 この「賢さ」こそ、書評そのものが持っているものではないでしょうか。少なくとも、井上さんの書評は「賢さ」を持っています。

 いい本と出合う。そのための橋渡しとなる、書評。
 読書週間のキャッチフレーズをもじれば、「信じよう、書評の力」となるのでは。
  
(2011/11/02 投稿)

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  今日から11月
  歳時記も「冬の部」になります。

   しくしくと十一月の雨が降る  後藤綾子

  今年もあと二ヶ月かと思うと
  慌ただしくなります。
  そんな時こそ、楽しい本を、
  というわけで、
  今日紹介するのは東京やなぎ句会さんの
  『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』。
  東京やなぎ句会さんのことは
  書評を読んで頂くとして、
  せっかくですから、
  メンバーたちの俳句を少し紹介します。

   赤とんぼ少し増えたる墓参かな     桂米朝

   今日は休んでしまいましたと落葉焚く  柳家小三治

   時雨るるや寄席に行くのを諦める    永六輔

  
  じゃあ、読もう。

楽し句も、苦し句もあり、五・七・五――五百回、四十二年楽し句も、苦し句もあり、五・七・五――五百回、四十二年
(2011/07/16)
東京やなぎ句会

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sai.wingpen  おめでたい一冊                  矢印 bk1書評ページへ

 「東京やなぎ句会」というのは、知る人ぞ知る、もちろん知らない人は絶対に知らない、怪しい俳人たちの集団です。
 どれくらい怪しいかといえば、そのメンバーの名前を列記すればわかってもらえるでしょう。
 まずは宗匠である落語家の入船亭扇橋。放送タレントの永六輔。劇作家の大西信行。俳優の小沢昭一。落語家の桂米朝。俳優の加藤武。落語家の柳家小三治。評論家の矢野誠一。
 いずれ劣らぬ、口達者の面々。それが句会なんぞ始めたものですから、もー大変。作句どころではありません。
 ところが、この句会、俳句の五七五にあやかって「毎月十七日は句会の日」といたって真面目に始めたものですから、なんと四十二年もつづけてしまいました。句会も数も五百回になるそうです。ああ、めでたいめでたい。どっこいしょ、です。

 本書はその目出度い五百回記念に刊行されたもので、めでたいめでたいといってもさすがの岩波書店も桐の箱にいれるわけにもいかず、普通の単行本としての出版と相成ったようですが、中身はじつに濃い一冊となっています。
 怪しい俳人たちのエッセイ、ゲスト女性陣の心あたたまる応援エッセイ、自選三十句、それに句会の実況中継(これがもう傑作。なにしろこの人たちは作句より猥談が好きのようで)。
 こんなに楽しい句会だったら、五百回続くのもうなづけます。

 そのゲスト女性陣の一人、スポーツジャーナリストの増田明美さんが裏話として永六輔さんに云われた一言を披露しています。
 すなわち、「俳句をすると言葉の贅肉が取れますよ」。ここは永さんの口調でいえばもっと霊験あらたかですが、目にするだけでもご利益がありそう。
 確かに世の中にスピーチの長い人って多いですからね。「おめでとう 今日はまことに おめでたい」だったら、たったの十七文字。
 さて、そんな目出度い本ですから、結婚式とかの引き出物にするのも乙なもの。
 だれですか? お葬式の香典返しに合いそうだとおっしゃってる御仁は。
  
(2011/11/01 投稿)

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