いろいろあった2011年
 今日でおしまい。
 大晦日。
 俳人森澄雄さんに大晦日の夜を詠んだ
 名句があります。

   除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり

 人それぞれに
 大晦日を迎えられたのではないかと思います。
 そして、それぞれに
 3月11日のことを思い浮かべられているのでは
 ないでしょうか。
 あの日起こったことがまだ信じられない人、
 あの日起こったことが夢であってと願っている人、
 それはさまざまですが、
 あの日のことを忘れるわけにはいきません。
 私たちはあの日を乗り越えなくてはいけないのだと
 思います。
 あの日を繰り返さないためにも
 あの日のことを忘れてはいけないのです。

 2011年は大きな転機の年でした。
 東日本大震災、原発事故、エネルギーのありかた、
 世界経済の不安、独裁者と呼ばれたものたちの死・・・。
 今後この年をまたふたたび思い出すことが
 あるような気がします。
 私たちはそんな2011年に生きたのでは
 ないかしらん。

 そんな2011年に私が読んだ本は256冊
 今年もたくさん読みました。
 激動の年に、
 本によってどれほど救われたかわかりません。
 特に絵本たちには癒されました。
 絵本はけっして子どもたちのものではなく、
 悲しみをかかえたおとなも癒してくれます。
 そのことを痛切に感じました。
 そんなたくさんの本のなかで
 ベスト1をあげるとしたら、
 津村節子さんの『紅梅』です。
 亡き夫吉村昭さんの最後の日々を描いた
 愛の挽歌。

紅梅紅梅
(2011/07/26)
津村 節子

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 その次は、川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』、
 小川洋子さんの『人質の朗読会』、池井戸潤さんの『下町ロケット』が
 印象深く残ります。
 皆さんはどんな本が印象に残ったでしょう。

 このブログを
 今年も一年間毎日読んでいただいて
 ありがとうございました。
 皆さん、よい新年をお迎えください。
 そして、来年も
 本のある豊かな生活でありますように。

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プレゼント 書評こぼれ話

  岩波書店の「広辞苑」が発刊されたのは
  1955年5月です。
  奇しくも、私と同じ年の生まれです。
  なにしろこの「広辞苑」、
  累計販売部数が1141万部というのですから
  すごいものです。
  私の家にももちろんあります。
  そもそもが戦前「辞苑」という名称で
  別の出版社から出ていたそうです。
  それを岩波書店が引き継いで
  大型辞書として「広辞苑」とつけたそうです。
  1969年に出た2版の価格は
  3200円。
  今だった2万近い価格だそうです。
  その「広辞苑」を読んで
  短文感想をつけたのが
  この本、
  永江朗さんの『広辞苑の中の掘り出し日本語』。
  面白いですよ。
  こんな本を読むと、
  「広辞苑」探検に出かけてみたくなります。
  あなたも挑戦してみては
  いかが。

  じゃあ、読もう。

広辞苑の中の掘り出し日本語広辞苑の中の掘り出し日本語
(2011/06/28)
永江 朗

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sai.wingpen  仲間と楽しく語り合いたい              矢印 bk1書評ページへ

 面白さという点では抜群だ。だから、著者のいうように、「必要なところだけ、重要なところだけ、面白そうなところだけ、つまみ食いすればいい」と、本を「引く」のではなく、この本は「読ん」でもらいたい。そう、辞書を読むようにしてです。
 でも、この本の面白さは著者が『広辞苑』を読むときに見つけたものとは少し違います。
 どう違うか、それを書いてみたいと思います。

 まず、著者は『広辞苑』を読む面白さをこう書いています。「辞書を読むとき、ぼくらは未知の言葉に出会う。生きていて何が楽しいって、未知のものに出会うときがいちばん」だと。
 ところが、この本が面白いのは、まったく逆でした。この本のなかで紹介されているそれぞれの言葉につけられている著者の短文の、既知のものとの出会いです。
 著者永江朗さんは1958年生まれ。1955年生まれの私とはほぼ同世代です。
 同世代ゆえにその感性であったり過ごし方が似ていなくもありません。この本の短文には同世代ならではの気分がいっぱい詰まっているのです。

 例えば、「うちはだかでもそとにしき(内裸でも外錦)」という言葉の紹介文章の書き出しはこうです。「昔は、秋になると、黒いリクルート・スーツの若者をあちこちで見かけて(中略)、いつも『「いちご白書」をもう一度』が頭のなかに流れた」とあります。
 『「いちご白書」をもう一度』というのは、作詞作曲荒井由美でバンバンが唄って大ヒットとなった1975年の楽曲ですが、就職を目前に長い髪を切るという青春との別離の気分をわかるのは、やはりあの時代に就職をせまられた世代人特有といえます。
 また、「きし(愧死)」という言葉は、「中学生のころ、庄司薫の小説に夢中になった」という書き出しで始まり、「舌かんで死んじゃいたい」という薫君の友達の由美の口癖までもが紹介されています。このせりふと由美の小さな胸にどきまぎした世代としては、もうそれだけでうれしくなってしまうのです。

 「読む」楽しみは、「未知のものに出会う」だけではありません。
 すでに知っているもの、自分が経験したものに出会うのも、また楽しいのです。
 だから、この本は自分に出会う一冊でもあるのです。
  
(2011/12/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  冬休みにはいって
  東京ディズニーランドに行く人、
  これから行こうと考えている人、
  たくさんいるんだろうな。
  上の娘が
  ディズニーランド大好きムスメで
  毎月行っているんじゃないかな。
  でも、せっかくディズニーランドに行くのなら
  キャストの皆さんのおもてなしは
  見てきてもらいたいなぁ。
  勉強してきてもらいたいなぁ。
  そして、
  家で実践してもらいたいものです。
  ディズニーランドには
  夢もいっぱいあるけれど
  そういう学びもたくさんあるのです。
  そこで、今日紹介するのは
  福島文二郎さんの『9割がバイトでも最高の感動が生まれる ディズニーのホスピタリティ』。
  お父さんにも
  優しくしてくれよ、わが娘。

  じゃあ、読もう。  
  
9割がバイトでも最高の感動が生まれる ディズニーのホスピタリティ9割がバイトでも最高の感動が生まれる ディズニーのホスピタリティ
(2011/11/15)
福島 文二郎

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sai.wingpen  ディズニーランドに連れてって             矢印 bk1書評ページへ

 外来語の勢いがとまらない。
 社会がグローバル化の傾向を一層強めるなか、ビジネスの世界ではより顕著だ。さらに外来語を通りこして英語を公用語とする企業も少なからず出てきて、日本語はこれからどうなってしまうのだろう。
 しかし、外来語をそのまま使うのは、置き換えられる言葉が日本語にないということだろうか。
 例えば、「スキル」という外来語は「技能」という日本語では何故いけないのだろうか。単にかっこよさや時代の趨勢だけの問題で外来語を使うのは、日本語を貧しくするだけだろう。
 外来語はその語感のもつ雰囲気で理解したようになりがちだ。外来語を使うことで、言葉の真の意味を見失っていないか。

 本書の「ホスピタリティ」もそうだ。「思いやり」や「おもてなし」という日本語ではだめなのだろうか。
 ディズニーランドでは「おもてなし」より「ホスピタリティ」が似合うとしても、だ。
 では、「サービス」という外来語はどうかというと、これも「おもてなし」という日本語になってしまうのだろう。
 しかし、本書にもあるように「サービス」と「ホスピタリティ」とはまったく別物である。
 本書から引用すると、「サービス」は「お客様に対して履行しなければいけないこと」に対し、「ホスピタリティ」は「お客様に対する主体的な思いやり」で、「サービス」のようにマニュアルで規定することができないとある。
 だとしたら、やはり「おもてなし」という日本語だけでは表現できないことになる。

 「気くばり」や「気働き」という美しい日本語もある。特に「気働き」は「その場に応じてよく気が利くこと。機転」とあるように、「ホスピタリティ」はどちらかといえばこの「気働き」に近いような気がする。
 本書で事例としてあげられているディズニーランドのキャストたちの「ホスピタリティ」はこの「気働き」が徹底されていることをよく立証している。
 ただ、残念ながら、この「気働き」という日本語そのものがあまり使われていない。

 本書にもあるが、「ホスピタリティ」は行動があって初めて実現する。
 本書を読んで、まず行動すること、それが「ホスピタリティ」の第一歩だろう。
  
(2011/12/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日川本三郎さんの『銀幕の銀座』という本を
  紹介しましたが、
  私が学生時代にはそんな良質な日本映画を上映する
  名画座が銀座にありました。
  それが並木座です。
  大阪の小さな町の高校生だった頃から
  並木座の噂は知っていて
  行きたい名画座として
  とても憧れていました。
  実際初めて行った時、
  あまりに小さな映画館だったのには
  驚きました。
  でも、そのラインナップは
  素敵でしたよ。
  そんなことを書いた書評があったので
  蔵出し書評として紹介します。

  じゃあ、読もう。

日本映画 ぼくの300本 (文春新書)日本映画 ぼくの300本 (文春新書)
(2004/06/22)
双葉 十三郎

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sai.wingpen  昔、並木座という名の名画座があった頃       矢印 bk1書評ページへ

 『外国映画ぼくの500本』に続く、双葉十三郎さんの日本映画の採点表。日本映画のことを書くことが少ない双葉さんだが、やはり映画を観る目は確かで、選ばれた作品も納得の300本である。前作同様、双葉さんのきっぷのいい語り口を楽しみたい人は、ぜひ300本全部読んでもらいたい。双葉さんの短評に、これが観たいと誘われる作品がきっとある。どっこい、日本映画だって、面白いのだ。

 昔東京銀座に「並木座」という、日本映画専門の名画座があった。黒澤明や小津安二郎といった、日本映画の隆盛を極めた監督たちの作品がぎっしり詰まった上映で、大阪の地方都市に住んでいた当時高校生の私をくらくらさせていた。一度でいいから、並木座で日本映画を観たい。並木座は地方都市の少年をたぶらかすような魔力をもった名画座だった。それからしばらくして東京の大学に進学した私は、駆けこむように並木座に向かった。そこは拍子抜けするくらいの、小さな映画館だった。それでいて観客の熱気が伝わってくる、そんな映画館だった。私はそこで多くの黒澤明の初期作品を観た。

 東京に出てきた私をもっと熱中させたのが、その頃盛んに上映されていたオールナイト上映会だった。東映やくざ映画だけでなく、鈴木清順の「けんかえれじい」や「東京流れ者」といった作品が夜から明け方にあけて上映されていた。あれはなんという作品だったろう、鈴木清順の作品だったのは間違いないが、場面が変わり銀幕に大きく枯れ木(もしくは煙突)が大きく映し出されると、映画館中が拍手喝采をしたことがあった。これには驚いた。東京の映画ファンとはなんと洗練された人種だろうか。正直、これにはまいった。何しろ、たった一本の枯れ木(もしくは煙突)なんだから。

 そんな時代が確かに日本映画にはあった。それがいつかお隣の韓国映画と比べても、はっきりと優劣がついてしまうようにもなった。でも、双葉さんのこの本を読むと、良質で元気な日本映画がたくさんあったことを実感できる。この本を持って、並木座にもう一度行きたいが、残念ながら、並木座は九八年の秋、閉館してしまった。あれから六年、並木座の跡にどんな建物が建っているのか、一度も訪れたことはない。
  
(2004/07/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  銀座には久しく行っていない。
  やはり埼玉から銀座にいくには
  心なしか勇気がいる。
  まず、少しはおしゃれがしたい。
  まさかサンダル履きでは行きにくい。
  次は知っているお店のひとつやふたつは
  もっていたい。
  銀座でキョロキョロするのは
  おのぼりさんみたい。
  澄ました顔をして
  銀座なんか退屈、みたいな顔をして歩きたい。
  そんな銀座だが
  やはり時代とともに
  姿かたちを変えてきた。
  今日紹介するのは
  そんな銀座の街の変遷を
  映画でたどる
  川本三郎さんの『銀幕の銀座』。
  このタイトル、よくみると
  ギンとギンがあって
  そこで書評のタイトルを
  「ギンギラギンにさりげなく」と
  遊んでみました。

  じゃあ、読もう。

銀幕の銀座 - 懐かしの風景とスターたち (中公新書)銀幕の銀座 - 懐かしの風景とスターたち (中公新書)
(2011/10/25)
川本 三郎

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sai.wingpenギンギラギンにさりげなく            矢印 bk1書評ページへ

 大学生になって初めて東京に出てきた。住んだのは、世田谷の池尻。そこに学生寮があった。
 渋谷からバスでの行き来だったが、渋谷の街にはまったわけでもない。所詮は大阪の田舎町の出身。見るものすべてに圧倒された。さしずめ夏目漱石の『三四郎』の気分である。
 それでも初めて銀座に行ったのは、東京に来て一か月くらいだったろうか。
 高校生の頃、あこがれていた女の子が東京に引っ越していて、彼女と一年ぶりに会うことになったのが銀座だった。
 待ち合わせ場所は和光の時計台の下。渋谷のハチ公前と同じくらいわかりやすい場所だった。
 ところが、記憶にあるのはそこまでで、食事をしたのは覚えているが、そこが銀座のどこであったか思い出せない。というか、銀座のお店の名前など、『三四郎』状態の学生などにはわかるはずもない。
 銀座そのものが、しらんぷりしていたのかもしれない。
 もう、35年以上昔の話だ。

 この本は映画評論家川本三郎さんが日本映画に描かれた「銀座」を紹介したエッセイ集である。
 昭和11年の『東京ラプソディ』から昭和42年の『二人の銀座』まで、計36本の映画が紹介されている。
 参考図として載っている昭和20年代の銀座の地図を見ると、銀座というのは四方を川で囲まれていることに気づく。銀座の柳は今や懐かしの風景だが、川沿いにできた街ならではの柳であったのだろう。
 映画を観ることで銀座の消えてしまった風景を再確認できるというのは、映画というのが単に娯楽だけではなく、未来から見た場合文化史ともいえる側面を持っていることである。
 映画を観ることで、都市の変遷を実感できる。

 紹介されている36本の映画のなかで、記憶にあるのが昭和29年封切られた『ゴジラ』である。
 日本に上陸したゴジラが夜の銀座で大暴れするシーンは有名だ。
 「昭和二十九年の銀座は、戦後の混乱期を脱し光の町になっている」。それを壊してまわるのだから、戦争の記憶の残る観客にはさぞかし強いインパクトを与えたにちがいない。
 街を壊すのはゴジラや戦争だけではない。東京では関東大震災という大きな崩壊があった。しかし、強い街は必ず再生される。銀座がそうであるように。 

 この本を読みながら、東日本大震災で被災された町のことを思った。そこで生きようと思う人がいるかぎり、町は再生する。
 そして、いつか、うしなわれた町も記憶の町としてよみがえることを、この本は教えてくれる。
  
(2011/12/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する、山崎洋子さんの
  『禁じられた吐息』は
  書評の冒頭にも書きましたが、
  偶然図書館で見つけた一冊です。
  昔は図書館の棚から棚へ
  本を探しながら歩いたものです。
  そうやって歩いていると
  本の方から「こっち、こっち」と
  手招きしてくれました。
  最近のオンライン書店では
  そういうことは
  なかなかないような気がします。
  偶然手にした本は
  やはりそれなりの出会いの理由が
  ありそうな気がするのですが。
  皆さんは、そんな経験ありませんか。

  じゃあ、読もう。
  
禁じられた吐息 (中公文庫)禁じられた吐息 (中公文庫)
(1996/09)
山崎 洋子

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sai.wingpen  吐息から生まれた物語                矢印 bk1書評ページへ

 視界のすみにすっととらえた一冊の本。かつて何の興味もなく通り過ぎた作品であってもそんなふうに出合える作品がある。1992年刊行の山崎洋子のこの作品とは、そんな出合いだった。
 何が気になったのだろうか。『禁じられた吐息』という艶めかしいタイトルだろうか。ぱらぱらと開いた文章の静かな情熱だろうか。

 この作品集には4つの短編が収められている。そのどれもが女性が主人公の官能的なミステリアスな作品である。 初出となった掲載誌はいずれも女性誌であった。
 女性のために女性が描く、女性からたちこめる官能の匂い。
 そういうものに魅かれたのかもしれない。

 「蜜の肌」は40歳の杏子が主人公の作品。彼女の前に不意にあらわれた少年。見も知らぬ少年ではあったが、どこかで会ったかもしれないという既視感にとらえられる杏子。実は彼女には18年前に捨てた赤ちゃんがいた。少年はもしかしたら、その捨てた子供ではないかと悩む杏子。それでいて、いつのまにか少年の野生にひかれていく。そして、杏子は過去の罪にひきずられながら、もしかすると自分の息子かもしれない少年と身体をかさねてしまう。少年の正体は・・・。
 「月の吐息」は34歳の苑子が主人公の作品。後妻としてはいった家での先妻の娘実来との葛藤を描きながら、その葛藤の原因が女性同士の愛という官能的な作品。
 「甘い血」は40歳のキャリアウーマン江里子が主人公の作品。遊び感覚で目にしたSMショーだったが、街中で偶然にその時の男役にであって少しずつ狂いだす江里子の生活。彼女の中に目覚める官能の蠱惑。だが、上級職を目前にして、江里子は官能に逆襲されていく。
 「熱い闇」は30歳の独身の女教師が主人公。孤独の闇を抱える生徒を矯正していくと名目で自分の家に住みつかせる主人公はやがて彼女自身の闇にとりこまれていく。

 「蜜の肌」の主人公杏子がいうように、「人はいつも誰かの愛を求め、愚かな罪を犯し続ける」ものかもしれない。
 それは女性だけのものではないはずなのに、女性たちはそんな物語を読んで、そっと吐息をつく。いや、そんな吐息から物語が生まれるのだろうか。
  
(2011/12/26 投稿)

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  今日の絵本『すばらしきかな、人生!』の
  もとになった映画『素晴らしき哉、人生! 』のことは
  2008年の12月25日のブログにも
  書いています。

   興味のある方はこちらをどうぞ。

  まあ、いい映画なんですから
  何度紹介しても構わない、というか
  毎年クリスマスには
  紹介したいくらいい映画です。
  その映画がもとになった絵本があるなんて
  ちっとも知りませんでした。
  たまたまbk1書店の「クリスマス絵本」特集を見ていて
  見つけた一冊です。
  先日久しぶりに渋谷のクレヨンハウスに行ったのですが
  クリスマス絵本がたくさんあって
  絵本にとって
  クリスマスというのは
  とっても相性のいい日なんだと
  思いました。

  じゃあ、読もう。

すばらしきかな、人生!すばらしきかな、人生!
(2006/11)
ジミー ホーキンズ

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sai.wingpen  世界中の子供たちへ                矢印 bk1書評ページへ

 アメリカでは今でもクリスマスには1946年制作の『素晴らしき哉、人生!』(監督 フランク・キャプラ)を観る人が多いらしい。
 アメリカというのは色々なことをしているが、アメリカの良心というのはやはりあって、この映画などはその典型といっていい。何度観ても感動する。
 その映画の絵本版があると知って、びっくりした。さすがアメリカ。いいものをしっかり伝承している。

 しかも、その絵本を書いたジミー・ホーキンズは、4歳の時にこの映画に出演していたというのだから二度びっくり。ジミーが演じたのは、映画の主人公ジョージ・ベイリー(演じていたのはジェームズ・ステュアート)の子供。
 そのジミーが映画封切りから60年を記念して書いたのがこの絵本で、主人公は彼が演じたジョージの息子トミーというのもイカしている。
 なにしろこのトミー君、お父さんとそっくりの奇跡に出合うのですから、映画『素晴らしき哉、人生!』に感動した人なら、まちがいなく胸打たれるのではないでしょうか。
 しかも登場する天使の一人に、映画のなかでは「二級天使」だったクレランスがりっぱな天使として登場するのもファンを喜ばせるにちがいない。
 そういう楽屋オチのようなエピソードをからませながら、絵本を作るなんて、さすがアメリカ人と喝采をおくりたくなる。

 もちろん、ラストはクリスマスの日。
 映画のように家族とたくさんの友人に囲まれてハッピー・エンド。安易なハッピー・エンドはしらけるが、あの映画に限っていえば、幸福になって何故いけないの、といいたくなる。この絵本もそう。
 映画の原題が『It’s a wonderful life』。この絵本の原題は、その最後に『・・・・・for kids!』とつく。
そう、子供たちにもあの映画の素晴らしさを伝えてあげたい。
 この絵本を読んだら、ぜひ映画『素晴らしき哉、人生!』を観ることをオススメする。
  
(2011/12/25 投稿)

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   今日はクリスマス・イブ
  だから、とっても素敵な絵本を紹介します。
  クレメント・C. ムーアの『聖ニコラスがやってくる!』。
  表紙を見ただけで、
  これこそサンタだという絵本です。
  この絵本にはトナカイだって
  ちゃんと出てきます。
  サンタさんの橇をひっぱるのは
  8頭のトナカイ。
  実は、彼らにはちゃんと名前があるのです。

   ダッシュスキー。ダンススキー。ハネットビー。ハネッカエリー。
   コメット。キューピッド。ゴロッゴロー。ピカッピカリー。

  ね、知らなかったでしょ。
  ちょっとした、トレビアですね。
  この絵本に書いてありました。
  みなさんのところにも
  サンタさんが来ますように。

  じゃあ、読もう。
  

聖ニコラスがやってくる!聖ニコラスがやってくる!
(2011/11/12)
クレメント・C. ムーア

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sai.wingpen  あなたはサンタ・クロースに逢ったことがありますか?     矢印 bk1書評ページへ

 あなたはサンタ・クロースに逢ったことがありますか?
 私は残念ながら、サンタに逢ったことがありません。でも、サンタがどんな格好をして、どんな顔なのか知っています。逢ったことがなくても、世界中の人が、サンタのことを知っています。
 そう、サンタ・クロースは世界中の人気者なのです。

 この絵本の表紙を見ただけでうれしくなってしまいました。
 彼こそサンタそのものです。
 「瞳がきらきら!」、「頬は二輪の薔薇の花、鼻は熟れた桜んぼう!」、そして「もじゃもじゃのびる雪白の鬚が顎に総(ふさ)なり」、誰がみても彼はサンタ。
 逢ったこともないのにどうして彼がサンタだとわかるのでしょう。それは小さい頃からずっと知っていたから。もしかしたら、生まれる前から、私たちはサンタと知り合いなのかもしれません。

 この絵本の作者クレメント・C・ムーアは1779年生まれのアメリカ人。彼はクリスマスプレゼントに一篇の詩を子供たちに贈りました。詩を贈るなんて、なんて素敵でしょう。しかも、その詩がアメリカ中に広がったというのです。1822年のことです。
 この絵本はその詩からできています。
 「聖ニコラス」というのはサンタ・クロースのモデルだといわれています。この絵本を読むとわかりますが、ここに描かれているトナカイの橇に乗っているサンタや煙突からやってくるサンタといった、私たちのおなじみの姿がここにほとんど描かれています。
 この詩からサンタ・クロースのイメージができあがったといわれる所以です。

 あなたはサンタ・クロースに逢ったことがありますか?
 私は逢ったことがありません。ただ、クリスマス・イブに鏡をのぞくと、サンタ・クロースそっくりの人がこちらを見ていたことはありました。
 あれは、サンタ・クロースだったのでしょうか。
  
(2011/12/24 投稿)

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  昨日紹介した
  あさのあつこさん編著の
  『10代の本棚』の書評タイトルを
  「「本へのとびら」までもう少し」としましたが
  今日は、その『本へのとびら』そのものを
  紹介します。
  著者は、ご存じ宮崎駿さん。
  もちろん、「となりのトトロ」や「風の谷のナウシカ」の
  宮崎駿さんです。
  この本は宮崎駿さんがオススメする
  児童文学書を紹介しています。
  この本を読めば
  きっと、あ、この本読みたいな、とか
  この挿絵いいなぁ、とか
  わくわくしますよ。
  今思えば
  私の子供期に岩波少年文庫の体験が
  ないのが残念です。
  少しばかり
  つまらない子供期だったかも、きっと。
  宮崎駿さんはこんなことを書いています。

   子どもたちにエールを送ろうというのが、
   児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います。

  子供だけでなく
  おとなの人にも読んでもらいたいなぁ。

  じゃあ、読もう。

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)
(2011/10/21)
宮崎 駿

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sai.wingpen  今からでも遅くはない              矢印 bk1書評ページへ

 岩波少年文庫の巻末に「岩波少年文庫創刊五十年―新版の発足に際して」という文章が掲載されています。二〇〇〇年の六月に記されたものです。そのなかに「幼少期の読書の記憶の断片は、個個人のその後の人生のさまざまな局面で、あるときは勇気と励ましを与え、またあるときは孤独への慰めともなり、意識の深層に蔵され、原風景として消えることがない」とあります。
 自身の幼少期の体験を振り返れば、両親ともにあまり本を読まなかったのですが、何故か私には本を買ってくれた方かもしれなかったと思います。ただ本を読む習慣をもたない両親にとって、自ら買い与えるということはありませんでした。だから、岩波少年文庫は読んだ記憶がありません。
 それでも、『ジャングルブック』や『小公子』、『シャーロック・ホームズ』、『怪盗ルパン』といった誰もが幼少期に出合う本とは人並みに出合えたのは両親のおかげです。
 もっともすっかり大人になった今でも、もしあの時あの本に出合えていたらと思わないこともありません。でも、考えてみれば、本との出合いは人とのそれによく似ていて、運命的なこともあるのでしょう。
 私が幼少期に岩波少年文庫に出合わなかったのも、大人になって何冊かを手にしたのも、運命なのだと思えます。

 アニメーション映画監督の宮崎駿さんが薦める「岩波少年文庫の五〇冊」もそうです。
 けっして宮崎さんが子供の頃に出合った本ばかりではありません。青年期を経て、大人になって出合った本もたくさんあります。
 幼少期にこれらの作品に触れることは正しいことでしょう。しかし、そればかりがいいことではありません。
 本との出合いには、運命的な時期があります。もし、宮崎さんのこの本を手にする大人の読者が岩波少年文庫の一冊を読みたいと思ったとしましょう。きっと、その時、本が「おいで、おいで」をしている、まさにその瞬間なのだと思います。

 それでも、いい出合いをするためには、こういう読書案内のような本を読んで力をつけないといけません。読書にも訓練が必要なことを、多くの人たちが忘れがちです。
 岩波少年文庫の巻末の文章の最後の方に、「読書は意識して習得すべき生活技術」とあります。
 生活技術の習得は早い方に越したことはありませんが、大人になっても習得できる技術のひとつであることは間違いありません。
  
(2011/12/23 投稿)

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  今日は冬至
  一年で一番昼が短い日。

   まだ母に冬至南瓜を切る力  大庭星樹

  今日が終業式という子供たちも
  多いのではないでしょうか。
  いいな、いいな。
  明日から冬休み。
  クリスマスも近いし、
  お正月にはお年玉ももらえる。
  でも、子供たち。
  こんな時こそ、いい本たっぷり
  読めますよ。
  少し長めの本にも挑戦できます。
  今日は、そんな子供たちへ
  あさのあつこさん編著の
  『10代の本棚』という
  岩波ジュニア新書を紹介します。
  これは読書のススメのような本ですが
  堅苦しく考えることはありません。
  ちっとも難しくありません。
  道案内前のガイド紹介、
  みたいな気持ちで読むといいです。

  じゃあ、読もう。

10代の本棚――こんな本に出会いたい (岩波ジュニア新書)10代の本棚――こんな本に出会いたい (岩波ジュニア新書)
(2011/11/19)
あさの あつこ

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sai.wingpen  「本へのとびら」までもう少し           矢印 bk1書評ページへ

 自身の10代を振り返ると、たくさんの本と出合えたことは今でも大きな喜びといっていい。もし、本たちに出合えなかったら、さぞかし淋しい10代であったかもしれない。
 10代といっても中学生のという少年期もあれば大学生あるいは社会人としての青年期もある。青年期は20代の準備期間といってもいいだろう。だとしたら、10代といってもせいぜい中学生、高校生の頃といってもいいかもしれない。
 その頃夢中になったのが大江健三郎であったり安部公房だったりした。そして、それ以上にはまったのが太宰治ということになる。それらの作家たちの多くは新潮文庫で手にはいった。今でも文庫本はたいそう便利で手軽だが、お金の余裕のない10代こそ、文庫本はありがたかった。だから、当時の文庫本の装丁も今でも記憶に残っている。
 私にとっての「10代の本棚」は、文庫本の並ぶ本棚だ。

 本書はあさのあつこさんをはじめとする13人のおとなたちによる、10代の人たちへの読書メッセージである。
 13人のおとなたちのすべてを知っているわけではない。佐藤多佳子や中井貴恵、堤未果といった知ったおとなたちもいるが、その活動のほとんど知らない書き手もいる。案外、若い人たちの方がよく知っているかもしれない。
 私の知らないおとなの一人、作家の石井睦美さんの「世界が変わる瞬間」を読むと、石井さんの読書体験に庄司薫が登場するのがうれしい。
 石井さんは「庄司薫が描いたのは、どこかべつの世界ではなく、まさにわたしが生きている世界」だったと書いているが、私もそう感じた。今でも薫くんシリーズの四部作は手離せないでいる。石井さんがどのような作品を書く人なのか知らないが、一冊の本を介在にして、通じる世界がある。
 本は時間も空間も超えて、人と人を結びつけるのだ。

 メッセージを書いている13人全員が本好きだったわけではない。
 「読書なんて大キライ!」という中井貴恵さんのような人もいる。もちろん、たくさんの本を読んだ書き手もいるし、一冊の本にこだわる書き手もいる。
 あさのあつこさんは「本には何の力もないのです」と書いているが、そこに本がもっている不思議な力がある。あさのさんはそのことを本から学んだのでしょう。だから、「本はみなさん一人一人の心に届き、心を潤します」と、続けることができるのだと思う。

 この本で本を読む楽しみがわかるところまではいかないかもしれない。ただ、「本へのとびら」を開くことはできるはず。
 とびらを開くのは、あなた自身だ。
  
(2011/12/22 投稿)

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  今日紹介する、
  竹浪正造さんの『はげまして、はげまされて』は
  「93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記」という
  長い副題がついています。
  この春に
  テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」という番組で
  紹介され、
  今回書籍として刊行された
  話題の一冊です。
  竹浪正造さんは93歳。
  最近の柴田トヨさん、やなせたかしさんと同様
  高齢者パワー全開です。
  やなせたかしさんも漫画家ですが
  竹浪正造さんはアマチュアながら
  その絵のうまさはすばらしい。
  こういう市井の人がいるかぎり
  漫画は衰えることは
  ないのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

はげまして、はげまされて~93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記~はげまして、はげまされて~93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記~
(2011/10/04)
竹浪 正造

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sai.wingpen  ツルはめでたい                矢印 bk1書評ページへ

 本書を読むと、いかに漫画文化というのが日本全国津々浦々、老若男女まで浸透しているかが実感できる。
 何しろ本書の著者、竹浪正造さんは大正7年(1918年)生まれの93歳。しかも住んでいるのが青森県北津軽郡。某テレビ番組で発掘されなければ、おそらく陽の目をみなかったにちがいない。けれども、そういう漫画がもしかしたら山のようにどこかに眠っているかもしれないことを予感させる。

 日本人はそもそもユーモアの感覚が欠如しているとよくいわれる。しかし、俳句の世界でもそうだが諧謔は重要な要素を持っていて、それをうまく使ってきた歴史がある。
 そして、現代の日本が世界に誇る漫画文化もユーモアを大事にしてきた表現方法で、それらをみても日本人にユーモア感覚がないというのは一部の政治家たちのことではないかと思いたくなる。
 竹浪さんが56年間に及ぶ子供たちの成長、家族の移り変わりを漫画に著した絵日記を見てみると、なんとも豊かなユーモア感覚に恐れ入る。さりげない笑いは漫画表現だからというよりも、漫画を描くために対象物を凝視した結果生まれたもののような気がする。俳句での諧謔も同様だろう。
 だとすれば、日本の政治家たちのユーモアのなさはいかに国民を見ていないかの証左ではないか。

 56年という時間の移ろいは竹浪さんにひ孫まで誕生させたが、同時に最愛の奥さん、長女の死という悲しみも経験させた。
 本書に収録されている奥さんの入院からその死、お葬式の様子、夢の中にあらわれる奥さんなど一連の作品は見るものの胸を打つが、あわせて漫画表現者としての竹浪さんの凄さを感じる。
 竹浪さんは漫画家ではないが、その精神は漫画家の執念ともいえる。

 竹浪さんは年とともに薄くなった髪の毛にめげることもなく、同類の方々を集めて「ツル多はげます会」を発足させた。欠点すら笑いとばすことにできるという、その力も漫画に鍛えられたものだろう。
 そう思えば、本書のタイトル『はげまして はげまされても』も薄くなった髪の毛にひっかけたユーモアなのかもしれない。
  
(2011/12/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年も残り10日余り。
  皆さんはいつからお休みですか。
  以前流通業で働いていましたから、
  年末時は忙しくて、
  休みなんてとんでもない、という生活でしたから、
  暮れの大掃除といってもピンと
  きませんでした。
  今は、そこから解放されましたので
  (解放なんていうのかな?)
  年末の大掃除はするつもりです。
  一年でたまるのは埃ばかりではありません。
  あっちこっちに本や雑誌も散乱しています。
  これは私が片付けるしかありません。
  そんな大掃除に悩んでいる方、
  必見の一冊がこれ。
  今日紹介する、やましたひでこさんの
  『俯瞰力』。
  何しろやましたひでこさんは
  あの「断捨離」の提唱者なのです。
  本書の中からやましたひでこ語録を
  紹介しておきます。

   捨てることは、自分と向き合うことそのもの。

  どうです? いいでしょ。
  もうひとつ。

   家事とは実は、高度で多角的な能力を必要とする作業

  確かに。反省します。
  ぜひ、年の瀬には大掃除を実行してみて下さい。

  じゃあ、読もう。
  

新・生き方術 俯瞰力 続・断捨離新・生き方術 俯瞰力 続・断捨離
(2011/05/12)
やました ひでこ

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sai.wingpen  「断捨離」はつづくよ、どこまでも            矢印 bk1書評ページへ

 我が家では今年(2011年)の初め、ちょっとした「断捨離」ブームでした。
 出てくるわ、出てくるわ、食器に衣料、見ないままのカセットテープ、何かの景品・・・。あっというまにゴミ袋が山のように。これですっきり。生活も変わった、はずでした。
 それから、一年。あれ? いつの間に、こんなモノが。こんなところにコレあったかな、状態です。
 空いた空間に入り込む新参モノたち。絞り込んだはずなのに、増殖するモノたち。
 気がつけば、誰も「断捨離」なんて言わなくなっていました。

 では、我が家では何がいけなかったのか。
 まずは、「断捨離」の「断」ができていないのです。「断」とは、「買い物を吟味」したり「要らないモノは貰わない」だったりすることですが、これができていない。
 でも、「断捨離」は節約術ではないのですべてを断ち切ることではありません。新しく増えたものと入れ替えることが重要になります。つまり、「ガラクタを捨てる」であったり「お気に入りに絞る」といった、「捨」が伴っていないのです。
 「断捨離」の「断」も「捨」もできないとなれば、元の生活に戻ってしまうのも当たり前。そうなれば、「ご機嫌な状態」になる「離」なんてとても実現できません。

 一口に「断捨離」といっても、その実、「断」と「捨」の繰り返しなのです。それが実現して、初めて「離」が達成できるのです。
 本書でいう「俯瞰力」とは、この「離」の状態のことをいいます。
 「断捨離」提唱者のやましたひでこさんは「俯瞰力」のことをこう書いています。
 「「私」を軸にして空間(全体性)を的確に捉え、深い洞察・高い視点・広い視野へと移行していくことができる力」だと。

 モノが増えるのも、モノが捨てられないのも、もしかしたら「私」という軸がしっかりしないからかもしれません。流行に左右されたり、衝動買いをしたり、使わていないものを捨てられないのは、いつの間にか「私」という軸を忘れているせいでしょう。
 「断捨離」は単なるブームに終わらせてはいけないのです。「私」というものがあるかぎり、常にそれは続いていくのです。
  
(2011/12/20 投稿)

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  先日、「今年の漢字」が決定しました。
  今年は「」。
  東日本大震災のあと
  私たちが求めたのはまさしく
  人々との「」。
  なでしかジャパンの活躍も
  「」を感じさせてくれました。
  ちなみに、
  この「今年の漢字」は
  阪神大震災のあった1995年から始まったそうで
  その時は「」だったそうです。
  今日紹介する「百年文庫」は
  「」というタイトルがついています。
  今のこの国に「夢」といっても
  なかなか実感できないかもしれませんが、
  来年への期待もこめて
  「夢」のある社会になってもらいたいと
  思います。

  じゃあ、読もう。

(042)夢 (百年文庫)(042)夢 (百年文庫)
(2010/10/13)
ポルガー、三島由紀夫 他

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sai.wingpen  夢は時に愚か                 矢印 bk1書評ページへ

 毎年師走恒例の「今年の漢字」であるが、東日本大震災や原発事故といった大きな悲しみのあった今年(2011年)、「絆」という一文字が選ばれた。
 漢字一文字をタイトルにしてアンソロジーを組んでいる「百年文庫」には、残念ながら「絆」というタイトルはない。
 ちなみに今年の二位は「災」、三位は「震」だったそうだが、このような災害のあといかに人々が「絆」を求めたか。その漢字を選んだこの国の人々に敬服する。
 さて、「百年文庫」42巻の漢字一文字のタイトルは「夢」。震災で「夢」を断ち切られた人も多かったはずだ。それでも、復興には「夢」が必要だ。たくさんの人が、実現されなかった人々の「夢」も重ねて、新たな「夢」に挑んでもらいたい。「絆」を信じて。
 この「夢」の巻には、ポルガーの『すみれの君』、三島由紀夫の『雨のなかの噴水』、ヘミングウェイの『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』が収められている。

 まず、三島由紀夫の『雨のなかの噴水』であるが、正確にできた精密機械のように非の打ちどころのない短編だ。三島が短編を書く際には、終わりの一行までできあがっていたといわれている。それほどまでに完璧さを三島自身が求めたのだろう。
 この作品は1963年に発表されたものだが、作品全体に昭和30年代後半の、経済成長の途中の、若々しい雰囲気に満ちている。
 「人生で最初の別れ話」を「王様のお布令のように発音することを望んでいた」傲慢な青年明男。彼の夢がついに実現したのは六月の三日も降り続く雨の日。驚いて泣き出す娘雅子の涙に対抗できるのは、雨のなかの噴水しかないと、明男は雅子を雨の公園に連れ出す。
 涙と雨、そして噴水の対比こそ、三島ならではの精巧な舞台設定だといえる。幕切れは案外想定どおりなのは、物語にゆだねない三島の弱点ともいえるのではないかしらん。

 ヘミングウェイの『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』も、ヘミングウェイらしい男の世界を描いた短編である。
 しかし、この物語の主人公マカンバーはアフリカに猛獣狩りに出たものの強い男ではない。むしろ、ライオン狩りでの失敗が彼の男の誇りをずたずたにした。男としての信用を挽回しようとするマカンバー。男の身勝手な強がりが哀れでもある。
 ドラマをみているように読ませる作品だ。
 ポルガーの『すみれの君』は貴族としての誇りを維持しようとする男の姿を描いているが、これら三作品の「夢」はどうも愚かなものばかりといっていい。愚かな「夢」は喜劇的でもある。

 願うのであればもっと高尚な「夢」であってほしいが、愚かな「夢」をみるのも人間だからこそ、ともいえるのではないか。そんなことを思った「百年文庫」の一冊だった。
  
(2011/12/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日(12.12)のこのブログで
  新井満さんの『希望の木』という
  写真詩集の本を紹介した際に
  岩手県陸前高田の
  「奇跡の一本松」の生育が困難という
  ニュースのことを書きました。
  そのあと、うれしい続報が届いたので
  紹介しておきます。
  12月15日の朝日新聞の記事からです。

   一本松「奇跡の子」すくすく

  「奇跡の一本松」の種子から苗を育てることに
  成功したという記事です。
  開発した研究員の人が
  「まだ小さくて弱い光だが、きっと陸前高田の復興に
   一役買ってくれるはず」と話しています。
  希望の木はやはり負けなかったんだ。
  それが、とてもうれしい。
  人が生きる、ということは
  希望があってこそ。
  今日紹介する長谷川義史さんの『ガンジーさん』にも
  そんな強い力を感じます。

  じゃあ、読もう。

ガンジーさん (こどもプレス)ガンジーさん (こどもプレス)
(2011/09/01)
長谷川 義史

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sai.wingpen  にんげんはかとりせんこう             矢印 bk1書評ページへ

 絵本作家長谷川義史さんの作品は意識しながら読むようにしている。
 うまいのかへたなのか、きっとうまいのだろうが、よくわからない絵の力は天衣無縫な子供のありようと似たところがあって常識でははかれないものがある。
 そうなると、おとなの私としても頭をフル回転しないと太刀打ちできないことになる。長谷川さんの絵には生身の子供と接する時のような力が必要なのだ。だから、脳の活性化にはうってつけだ。

 くわえて、多くの作品に使われている関西弁である。
 大阪弁に代表される関西弁のもっている言葉の力は多くの人が認めることだと思う。それは単に吉本興業に代表されるお笑いの世界だけでなく、関西人がもっている生きるエネルギーとまで言っていい。
 あれだけの言葉の力を持ちながら、大阪という都市がいつまでも活性化しないことの方が不思議なくらいだが、逆にいえば、力があるゆえに活性化などということさえ必要としない力があるといえなくもない。

 さて、『ガンジーさん』である。
 タイトルだけみれば、インドの偉人マハトマ・ガンジーのことかと思うのだが、どうも表紙をみてみても偉人ガンジーとはかなり趣向が違う。だとすれば、偉人ガンジーの非暴力主義のことを描いているのかというと、そうでもない。もちろん、長谷川さんのガンジーさんもいつもニコニコわらっているような人だから、非暴力主義であることはあるのだが。
 だが、このガンジーさんはかなり変わっていて「チャーハンをおかずにごはんをたべ」たりする。それに、ガンジーさんが唄う歌もとてもおかしい。何しろ、「にんげんはカトリセンコー」なんていう歌詞なのだから。
 実はこのガンジーさんは最後まで謎のままで、おしいれのなかに住んでいるのだという。
 結局、この絵本は一体なんだということになるが、それでいて長谷川さんが描くと、ガンジーさんのような人が一人くらいはいてもいいんじゃないかと思えてくるから不思議だ。
 どうも気になって何度も読んだが、結局わからないままだ。わかったことといえば、もしかしたら「にんげんはかとりせんこうなんだなぁ」ということくらいである。
  
(2011/12/18 投稿)

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  いよいよ年の瀬も押し詰まってきました。
  そこで、今日は蔵出し書評ですが
  野口悠紀雄さんの『図解「超」手帳法』を
  紹介します。
  皆さんは手帳使っていますか?
  私は毎年能率手帳を使っています。
  もう10年以上、
  同じ型のものを使用しています。
  どちらかといえば
  日記みたいに使っていますね。
  例えば、読んだ本の書名とか
  飲んだ日の記録とか。
  本当は先の予定をきちんといれるのが
  いいのかもしれませんが、
  そうはうまくいきません。
  ずっと同じような使い方をしています。
  もう来年の手帳は用意してあるのですが
  気分転換に変えてみようかなとも思っています。

  じゃあ、読もう。

図解「超」手帳法図解「超」手帳法
(2008/09/18)
野口 悠紀雄

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sai.wingpen  雨ニモマケズ 風ニモマケズ              矢印 bk1書評ページへ

 街にジングルベルが響く頃。
 花屋にシクラメンが並ぶ頃。
 本屋の店頭のいちばんいいところには、手帳と日記が本に替わって、でんと並ぶ。
 ここ数年見慣れた光景である。
 文具屋はわかるけど、本屋にそういった類が並ぶということは本を読む人たちと手帳や日記を使う人というのは近い種族、あるいは知的な習慣として同系統に属するということだろうか。
 手帳を買う前に、本書を読んで(売り手側とすれば、その後に「超」整理手帳を購入してもらいたいという意図はあるにしろ)、手帳の本来の目的を考えるのも悪くない。

 そもそも手帳とは何か。日記とはどう違うのか。
 手帳とは<未来>をインプットするもので、日記とは<過去>をアウトプットするものではないだろうか。
 だから、手帳では「スケジュール」という概念はとても重要になる。
 本書でもタイムマネジメントの記述は多くある。例えば「タイムマネジメントで仕事を能動的に」であるとか「アクシデントに負けない強いスケジュール」という具合に。
 まあ「超」整理手帳のジャバラ式の八週間一覧シートを使うかどうかはともかくとして、若い人の手帳に実は面白いヒントが隠されているように思う。
 彼らの手帳をこそっとのぞくと、イラストや色鉛筆などでおしゃれにスケジュールが書き込まれている。あれはバラ色の<未来>を夢見ているのではないだろうか。
 <未来>の予定は、いつもまだ訪れない喜びなのだ。
 仕事であれ、そう考えてスケジュール表に記入すれば、やる気もでるかもしれない。

 次に、手帳は<思考の過程>を書き留める機能が必要である。
 本書でも「メモ」の機能や「TO-DO」などの必要性が説かれている。
 そういえば、宮澤賢治のあの有名な詩「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は手帳に書かれていた。あれは、きっと賢治がひょこっと閃いて書き留めたにちがいない。
 もし、その時、賢治が手帳を持っていなかったら、私たちはあの名作に出会えなかったかもしれない。あるいは、原稿用紙に清書していたら、作品としては少し変わっていたかもしれない。
 手帳に書かれるのは<思考の過程>と考えれば、閃いた時にその思考を一旦固定させることは重要だろう。

 あとは、手帳の<自由度>である。
 自分なりの工夫をこらせば、手帳は使い方はぐんと広がる。
 本書には「超」整理手帳のユーザー達の成功事例も収められているので、ヒントにすれば、自分だけの手帳を作ることができるかもしれない。
 最初に書いたように、手帳とは<未来>のインプットだ。
 いつの日か、宮澤賢治になれるかもしれない。
 <未来>の賢治さんを夢みて、本屋や文具屋でもう少しゆっくり考えてみようと思う。
  
(2008/11/22 投稿)

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  昨日紹介しました小宮一慶さんの
  『論語を知らなくても使える ビジネス「論語」活用法』の中にも
  書かれていますが、
  小宮一慶さんは経営の神様といわれた
  松下幸之助さんをとても尊敬されています。
  その松下幸之助さんを支えたのが
  奥さんのむめのさん。
  今日紹介する高橋誠之助さんの『神様の女房』は
  副題に「もう一人の創業者・松下むめの物語」とあるように
  奥さんに焦点を当てた物語です。
  この本のなかに
  むめのさんの写真が何点か紹介されていますが
  とても素敵な女性です。
  写真をみれば
  どんなに素敵な人だったか
  わかるくらいです。
  今の若い人たちは
  松下幸之助さん夫婦のような生き方は
  なかなかできないのではないでしょうか。
  夫の夢、
  妻の夢、
  別々なんでしょうね。
  これからは松下幸之助さん夫婦のようには
  いかないかもしれません。
  それはそれで
  新しい夫婦像を作っていけば
  いいのです。

  じゃあ、読もう。

神様の女房神様の女房
(2011/09/09)
?橋 誠之助

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sai.wingpen  夫婦の夢                  矢印 bk1書評ページへ

 経営コンサルタントの小宮一慶さんは眠る前にはだいたい「経営の神様」といわれた松下幸之助さんの『道をひらく』を読むようにしているそうです。
 小宮さんのようにすでに何冊も経営の本質とリーダーのありようを書いてきた人でも、松下幸之助さんの生き方を何度となく読み返して、さらに今でも気づかされることがあるといいます。そういう点では松下幸之助さんの『道を開く』は、ビジネス本というより哲学書の趣きがあるのでしょう。

 その『道をひらく』に「縁あって」という文章があります。
 その中で松下幸之助さんはこう書いています。「人と人とのつながりには、実は人間のいわゆる個人的な意志や希望を越えた、一つの深い縁の力が働いているのである。男女の縁もまた同じ」と。
 この文章を書きながら、松下幸之助さんは奥さんである、むめのさんのことを想っていたのではないでしょうか。

 本書は長年松下幸之助さんとむめのさんの執事をされたいた著者が、「むめのさんの生涯をちゃんと世に残すこと」が、これからの第二、第三の松下幸之助さんを生み出すためにも必要と考えたところから出来上がったものです。
 著者はむめのさんの行動は内助の功といったものを越えているとしています。むめのさんは松下幸之助さんが描いた夢の実現を、自身の夢としたとみています。「夫の夢に、自分の夢を重ね合わせられた」というのです。
 だから、松下幸之助さんとむめのさんは夫婦喧嘩をしてもあとには残りません。何故なら、夫婦喧嘩も夢の実現のための一歩だからです。

 本書はほとんど顔すら見ないで結婚した松下幸之助さんとむめのさんの見合いの場面から始まります。そんな出会いながら、ご夫婦はダイヤモンド婚まで添い遂げます。それは、松下幸之助さんが『道をひらく』に書いた「深い縁の力」があったのだろうと思います。
 この本には夫のコントロール法など夫婦のありようがむめのさんの言葉として表現されています。「深い縁の力」が働くには、それなりの機智が必要なのでしょう
 夫婦のありようを考えさせてくれる一冊です。
  
(2011/12/16 投稿)

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  今日の書評の冒頭にも書きましたが、
  最近の小宮一慶さんの執筆のスピードの
  速いこと、速いこと。
  追いつくだけでも大変ですが、
  読者より著者の方が大変なのは自明。
  だから、一生懸命読んでいます。
  今回の『論語を知らなくても使える ビジネス「論語」活用法』でも
  いろんな気づきを教えられました。
  書評には書きませんでしたが、
  「重読」についてこんなことが
  書かれています。
 
   『重読』することで、人間の弱さに打ち勝つことができる

   自問自答しながら、何度も何度も繰り返し読み、
   日々反省し、学びつづける。
   これが「学ぶ」ということなのです。

  そして、紹介されている『論語』の言葉が

   吾れ日に吾が身を三たび省みる

  毎日、勉強です。

  じゃあ、読もう。

論語を知らなくても使える ビジネス「論語」活用法論語を知らなくても使える ビジネス「論語」活用法
(2011/10/26)
小宮 一慶

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sai.wingpen  小宮一慶の軸、ここにあり               矢印 bk1書評ページへ

 最近経営コンサルタント小宮一慶さんの著作のペースがものすごい。次から次へと刊行されている。しかもさまざまな角度から経営について、あるいはリーダーの心得について書かれている。
 もちろん、同じような話がない訳ではないが、読者にとっては復習だと思えば、それはそれで納得がいく。
 今回は小宮さんが二十代後半で読み始めて二十年近く読み続けてきた『論語』をテキストにして、「もう一段上の自分」になるための仕事術を提案しています。
 『論語』はいうまでもなく2500年以上も前の孔子の教えをまとめた古典中の古典ですが、「強く生きたいと願うすべてのビジネスマンに大いに役立つ「最適の書物」」とまで小宮さんは書いています。
 『論語』そのものを読んでいない人は、私もその一人ですが、多いと思います。けれども、そのことは本書を読む上での妨げにはなりません。
 まさに「論語を知らなくても」問題はありません。

 小宮さんは本書の初めにまず「利によって行なえば、怨み多し」という言葉を紹介しています。
 これはビジネスでいうならば、「利益第一主義」ではなく、「お客様第一主義」すなわち「義の精神」の重要さを説いたものとしています。
 小宮さんはこれまでにも「義の精神」があれば「利益」はあとからついてくるものと、多くの著作で書いてきました。その背景に、『論語』のこの言葉があります。
 小宮さんは『論語』に関してこうも書いています。「『論語』を学ぶということは、自分の「軸」をつくること」だと。
 それはつまるところ、経営コンサルタント小宮一慶という人の「軸」や骨組み、精神のありようがどのようにできたのかという答えが、『論語』の中にあるのだといえます。

 もちろん、本書では『論語』のすべてが網羅されている訳ではありません。
 それでも、こうしていくつかの抜粋として紹介されている内容だけで考えさせられる内容があるのですから、小宮さんのように20年以上も読み続けることはできないでしょうが、本棚の隅でほこりをかぶった『論語』を取り出して、まずはぷうっとほこりを吹き払うことくらいはできるでしょう。
  
(2011/12/15 投稿)

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  犬が人にかぶりついたはニュースにならないが、
  人が犬にかぶりついたはニュースになる。
  ニュースとはそういうものだ、という
  話を随分前に聞いたことがある。
  意外性ということだろうか。
  だとしたら、先日新聞記事にもなった
  芥川賞作家同士の結婚
  意外性ということなのだろうか。
  同じ業界の人同士の結婚など
  ざらにあるとは思うが、
  さすが芥川賞の権威というものか。
  報じられたのは、
  今日紹介した阿部和重さんと川上未映子さん。
  川上未映子さんは夏のはじめには出産予定だとか。
  まずは、めでたい。
  芥川賞作家同士といっても
  阿部和重さんの受賞作を読んでいないので
  片手落ちにならないようにと
  急いで読みました。
  それが今日紹介する『グランド・フィナーレ』。
  どうもピンとはこなかったけれど
  それと結婚とはまた別の話。

  じゃあ、読もう。

グランド・フィナーレグランド・フィナーレ
(2005/02/01)
阿部 和重

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sai.wingpen  ワタシはコレで受賞しました             矢印 bk1書評ページへ

 第132回受賞作(2005年)。先日芥川賞作家同士の結婚報道で話題となった阿部和重の作品である。ちなみにお相手は『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞した川上未映子。
 川上の作品はすでに読んでいたが、阿部の作品は未読であったので、せっかくこういうおめでたい機会なのだから、とかなりミーハー的に手にした作品である。

 芥川賞の受賞作品を読んでいつも思うことながら、一体この賞は作品に与えているのか作家に与えているのか渾然としてわからなくなることがある。
 阿部のこの受賞作にしてもそうだ。娘の裸の写真をカメラにおさめて妻から追い出された男が主人公のなんともみじめな物語にどんな意味があるのだろうか。しかもこの男は自分の娘だけでなく、他の少女の写真も撮っていて少女偏愛性癖が見え隠れする。それでも、娘恋しさに(それは特に性癖ゆえではないが)娘の誕生日にこっそりと接近しようと目論むが、これも叶わない。
 男がそんな自分の生活を「鼻をかんだあとのちり紙みたい」と表現しているが、「使用済みの乾いたちり紙が使い物になるのか否か」、果たしてそこにどんな意味があるのだろうか。

 選評のなかで石原慎太郎委員が「物書きとしての内面的なニーズが一向に感じられない」と書いているが、うなづける。さらに石原慎太郎は「多少の瑕瑾があっても、この作者にはもうそろそろこの賞を与えてもいいのではないかという声があった」と裏事情を記している。
 実際この受賞まで阿部はすでに三回候補作に選ばれている。この作品が芥川賞に該当するかどうかは極めて疑問だ。
 ただし、そもそもそれが賞であるかぎり、時の運、他の候補者の出来、社会的なニーズといった要素をもつことは否めない。
 新しい作家の誕生は喜ばしい。しかし、石原慎太郎のいう「作家は賞によって育つものではな」いと言い切ることは難しいだろうが、育てるということだけで受賞作を選ぶのもどうかと思う。

 奥さんとなる川上未映子の受賞作の際立ちとはまるでありようのちがう受賞作といっていい。
  
(2011/12/14 投稿)

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 先日(12.10)、銀杏の落葉が舞う上野の森にある
 国立西洋美術館に「ゴヤ 光と影」展に行ってきました。
 ゴヤ1
 今回の展覧会は40年ぶりに
 ゴヤの名作「着衣のマハ」が日本で公開されるということで
 話題になっています。
 確か40年前の日本公開では「着衣のマハ」と「裸のマハ」の
 同時公開だったと記憶しています。
 私は当時16歳。まだ高校生でしたが、
 その展覧会に行った記憶があります。
 それだけ大きな展覧会ですから、
 場所はおそらく京都だったと思いますが、違うかもしれません、
 誰と行ったかも覚えていません。
 ただ、二つの作品を見た記憶がぼんやりと残っています。
 そんな遠い記憶のまま、
 今回「着衣のマハ」を見たのですが
 絵が記憶よりも案外小さかったのは意外でした。
 私の中ではどんと大きな作品として残っていました。

 ゴヤといえばスペイン美術の巨匠ですが、
 宮廷画家として多くの肖像画も残しています。
 その一方で、人間と社会を痛烈に批判した
 版画や素描でも高い評価を得ている画家です。
 ゴヤが大好きな人ってかなり多くいます。
 かつて堀田善衛さんが大作『ゴヤ』という作品を書いていますし、
 最近では江國香織さんの『真昼なのに昏い部屋』の表紙に
 ゴヤの素描画が使われています。

 展覧会でもそうですが、
 「着衣のマハ」のような大作よりも
 小さな素描画の方にゴヤの魅力を感じます。
 作家の透明で鋭い眼光が描く世界に
 誘発されるものが多い。
 まさしくそれが展覧会のタイトルにもある
 「光と影」そのもののような気がします。

 東日本大震災から九か月が経ちました。
 ゴヤが「戦争の惨禍」として描いた残酷な素描画が
 今回の展覧会で展示されていますが、
 残酷さの向こうにある描き手の悲しいまなざしがあってこそ
 悲惨な戦争を繰り返さないための祈りになっています。
 はたして、
 今回の東日本大震災ではどうだったでしょうか。
 悲惨さをどこかにしまいこんでしまっていないでしょうか。
 悲しみを悲しみとして受けとめてきたでしょうか。
 ゴヤ2
 真実はひとつ。
 大きな悲しみが真実を覆うものになってはいけません。
 もし、ゴヤがいまの日本にいたら、
 どんな真実を描いただろうか。

 そんなことを考えながら、
 色づいた銀杏の大木に囲まれた美術館を
 あとにしました。

 ちなみに、
 この展覧会の会期は2012年1月29日まで。
 入場料は1500円でした。

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から9ケ月が過ぎました。
  そして、被災地の東北ではいよいよ
  本格的な冬が始まります。
  寒くなければいいな。
  風邪なんかひかなければいいな。
  そんななか、先日、岩手県陸前高田の
  「奇跡の一本松」の生育が困難という
  ニュースがはいってきました。
  そして、私は
  新井満さんの『希望の木』を
  手にしました。
  どうして、こうも悲しいことが
  起こるのでしょう。
  被災地の東北の人たちの悲しみは
  一体いつ癒されるのでしょう。
  せめて、
  あったかい暖房で過ごせますように。
  せめて、
  あったかい鍋で食事がすすみますように。
  祈りのような願いは
  つづきます。

  じゃあ、読もう。

希望の木希望の木
(2011/11/10)
新井 満

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sai.wingpen  負けるな、希望の木              矢印 bk1書評ページへ

 悲しいニュースが12月の初めに飛び込んできた。
 東日本大震災の津波で大きな被害の出た岩手県陸前高田市の景勝地高田松原で一本だけ残った「奇跡の一本松」の回復が困難というニュースである。報道によれば、海水の影響で根が腐ってしまい、「生育困難」と報告書にまとめられるそうだ。
 人間に喩えると、「自分で息ができない状態」だと、記事は伝えている。

 そんななか、「奇跡の一本松」を描いた写真詩集を読んだ。作者の新井満さんはこの松を「希望の木」と名づけた。
 あの日、この地を襲った想像すらできない大きな津波。江戸期初期から植林の始まった樹齢300年以上の、七万本の松が津波の被害をうけ、あとかたもなく消失してしまったのだ。たった一本の松を残して。
 被災された陸前高田の人々はこの松を「奇跡の一本松」と称して、復興のシンボルとした。
 新井満さんは一本松になりかわって、その心情を詩にした。
 そのなかで新井さんはこう詠った。「父さんと母さんからもらったこのいのちを、今度はわたしから子供たちへ、子供たちから孫たちへ、次々に伝えてゆくのだ」と。
 それは残されたものだけがもてる使命だ。

 希望とは前をむける勇気のことだ。
 希望とは前にむかって歩きはじめる一歩のことだ。
 だから、新井さんはこの松に「希望」をみたのだろう。
 それでいて、なんと天はむごい仕打ちをするのだろう。たった一本残った「希望の木」すら、被災者の皆さんから、私たちから奪おうとするのだろうか。
 もし、この松がなくなってしまうことがあっても、震災が起こってから九か月もの日々を、希望の光で灯しつづけた「希望の木」、「奇跡の一本松」のことを誰も忘れないだろう。
 この写真詩集はおまえの誇りだ。おまえを勇気づける、心の詩だ。

 負けるな、一本松。
 まけるな、被災されたたくさんの人たち。
  
(2011/12/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨夜は冬の天体ショー、
  皆既月食を楽しみました。
  宇宙という大きなものの中で
  地球というのは小さな星にすぎません。
  まして、その中の国々はもっと小さい。
  その小さな国のことも
  私たちはよく知っているわけでも
  ありません。
  例えば、絵本の世界でも同じです。
  最近でこそ近隣のアジアの国々の絵本が
  数多く紹介されていますが
  それでもアメリカやヨーロッパから比べると
  まだまだ少ないように思います。
  もっとアジアの国々の絵本が
  たくさん紹介されるといいですね。
  やはり日本はアジアの国のひとつなのですから。
  今日紹介するのは
  中国の絵本、『京劇がきえた日』。
  これは日本、韓国、中国の平和絵本を集めた
  シリーズの一冊です。
  残念ながら、これらの国々に対し
  日本はあまりいいことを
  してきませんでした。
  それは昔のことと
  忘れてしまってはいけないことです。
  もちろん、今の若い人たちには
  責任はありませんが、
  忘れてはいけないことです。

  じゃあ、読もう。
  
京劇がきえた日 (日・中・韓 平和絵本)京劇がきえた日 (日・中・韓 平和絵本)
(2011/04/20)
姚 紅

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sai.wingpen  平和を願って                 矢印 bk1書評ページへ

 最近の世界情勢を見ていると、まるで経済の戦争をしているように思えてなりません。いつのまに世界はお金お金の世界になってしまったのでしょう。
 それは人類がひとつになるための準備段階なのかもしれませんが、グローバルという名を借りた破壊のような気がします。
 それぞれの国が固有の文化を持って、もう何千年も暮らしてきました。それを急激に変えてしまうことに恐さを感じないでもありません。

 日本と韓国、そして中国の三国が平和を願って描いた「平和絵本」の一冊がこの絵本です。これは中国の作家によるもの。題材は残念ながら私たちの国が起こした日中戦争です。
 時は1937年。この年、日本軍は中国の南京を占領しました。当時の日本も韓国や中国を平和にする、アジアをひとつにするという「正義」をふりかざしていました。
 でも、その時の「正義」が多くの罪のない人々の命を奪ったことを、今では誰もが知っています。あるいは、伝統文化である「京劇」の灯を消そうとしました。
 この絵本に描かれているのは、戦火に押しやられていく文化が消える一日です。
 主人公の九歳の女の子が初めて目にする芝居小屋。京劇の舞台。人々は戦争の前のほんのばかりの芝居見物を楽しんでいます。でも、彼らは知っていたはずです。これが最後の公演だということを。

 戦争は多くの人の命を奪うだけでなく、今まで伝承してきた文化も滅ぼそうとしました。でも、最後には正しくない「正義」こそ消えていきます。
 まるで経済の戦争をしている現代も、もしかすると、今まで人類がこしらえてきたものを壊そうとしているかもしれません。言語も文化も都市もです。
 世界はひとつになるべきかもしれませんが、今まで築いてきたそれぞれ固有の文化は大切に守りつづけたい。
この絵本は単に昔の戦争を描いたのではなく、今につながる人間たちの横暴を問いかけてやみません。
(2011/12/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  いやあ、まったくすっかりはまっています。
  NHKの朝の連続テレビ小説、「カーネーション」。
  仕事から帰って何が一番楽しみかというと
  このドラマを観ること。
  今より少し前は
  もう少しテレビの前に座っていたと思いますが
  最近はニュースぐらいしか観ないことが
  多かった。
  ドラマを観るのがじゃまくさい。
  あの毎週見ないとと思う気持ちが
  すでに圧迫感があって
  気が進まない。
  ところが、今回のこの「カーネーション」は
  別格。
  今や我が家全員はまっています。
  そうなると関連本も読みたくなるのが人情。
  今日紹介するのは
  小篠綾子さんの長女、
  コシノヒロコさんが書いた
  『だんじり母ちゃんとあかんたれヒロコ』。
  これもまた、面白い。

  じゃあ、読もう。

だんじり母ちゃんとあかんたれヒロコだんじり母ちゃんとあかんたれヒロコ
(2011/10/27)
コシノ ヒロコ

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sai.wingpen  皆さんも観てますか、朝の連続テレビ小説      矢印 bk1書評ページへ

 NHKの朝の連続テレビ小説といえば、昭和36年の「娘と私」(原作獅子文六)が第一回の放送だった。それから50年。第85作めになる作品が現在放映中の「カーネーション」である。
 かつて「おはなはん」や「おしん」といった人気作品を生み出し、最近でも「ゲゲゲの女房」は話題となったが、個人的には今まで一度もどの作品もすべて観たことがない。放映されている時間の関係もあるのだろうが、やはりなかなか難しい。
 ところが今回の「カーネーション」に限っていえば、もうすっかりはまりまくっている。初期の作品ではありえなかったテレビの録画機能をフルに活用している。
 15分番組というのがこれほど短時間なものかと思うほど、仕事から帰ってからも負担なく観れる。数日ぐらい録画がたまっても、休日に一気に観てしまえる。
 それほどにはまっている。

 理由は簡単だ。物語の舞台が自分の出身地である大阪岸和田だということ。
 乱暴だ、汚いと思っていた岸和田の言葉がすっとはいってくる。だんじりの威勢のいい掛け声に血がさわぐ。主人公の糸子やその父親に自分の両親の姿が重なる。
 さて、物語の主人公糸子であるが、モデルとなった人物こそ、岸和田の名物母ちゃんである小篠綾子さん。綾子さんの娘三姉妹が世界的デザイナーであるコシノヒロコ、ジュンコ、ミチコというからすごいものだ。
 この本は長女であるヒロコさんが描いた母親綾子さんの波乱の生涯だが、ドラマのように生き生きとした母親の姿が活写されている。
 綾子さんの座右の銘は「好奇心を持ち続けな、あかんねん」だったそうだが、好奇心は時に余計なお節介にもなることは、私の母もやはり岸和田のおばちゃんだったから、よくわかる。しかし、好奇心がないと人生そのものがつまらないのではないだろうか、

 ドラマの展開が待てずに本書を手にしたが、テレビはやはりうまくできた物語。こちらは娘の視点からみた母の物語で、基本は変わらないが、本当はもっと泥臭く強い生き方だったといえる。
 これからドラマがどんなふうに展開していくか、楽しみで仕方がない。
  
(2011/12/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は文春文庫の新刊から、
  おなじみ東海林さだおさんの『メロンの丸かじり』。
  東海林さだおさんといえば、
  書評にも触れましたが
  この秋、旭日小綬章を受賞されました。
  これってどんな勲章かというと
  「社会の様々な分野における功績の内容に着目し、
  顕著な功績を挙げた者を表彰する場合に授与する

  なんて、内容も堅苦しい。
  なんだか、東海林さだおさんに
  似合わないなぁ。
  その他の受賞者には
  女優の朝丘雪路さんや脚本家の市川森一さんも受賞。
  やっぱりありがたい勲章なんでしょうね。
  でも、東海林さだおさんには
  ゆくゆくはノーベル賞にも
  挑戦して頂きたいものです。
  え? 分野ですか?
  もちろん、ノーベル平和賞です。

  じゃあ、読もう。
  

メロンの丸かじり (文春文庫)メロンの丸かじり (文春文庫)
(2011/11/10)
東海林 さだお

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sai.wingpen  居酒屋で読んでも面白い              矢印 bk1書評ページへ

 東海林さだおさんの名物「丸かじり」シリーズの楽しみ方は色々ありますが、週刊誌で笑い、単行本で転げ、文庫本で納得する、という発表媒体による読書体験もそのひとつです。
 特に文庫本の場合はカバー画が和田誠さんというのもうれしい限りですが、なんといっても文庫解説者がどんなふうに東海林さだおさんの文章をお料理するのか、食べ歩くのか、期待がふくれます。

 今回の解説はデザイナーで作家の太田和彦さん。太田さんといえば居酒屋通としても有名で、『居酒屋大全』なる著作もあるくらい。
 ですから、自身の本のカバーで東海林さだおさんにイラストを使ったりしたこともあるとかで、東海林さだおさんとは少なからぬ縁もある。そんな太田さんですから、はたしてどんな解説をお書きになるか。
 縄のれんをくぐる感じで、文庫本解説から読み始めます。

 まずは付きだし程度に今までの文庫解説陣の名前紹介。まあ無難なところでしょう。
 つづいて、今までの解説陣がなしえなかったところで、東海林さだおさんの「受賞歴」といきました。
 ところが、残念無念、グレープの「無縁坂」。(これは単なる居酒屋内の他愛もないギャグです)。
 おそらく太田さんが解説文を書いた時期がよくなかった。冬場に冷奴頼んだみたいなもので、ここは湯豆腐にしてもらいたかった。
 何をいいたいかというと、東海林さだおさんはこの秋(2011年)旭日小綬章を頂いたんです。叙勲というくらいいかめしい言い方をするほどですから、これはエラいのです。なにしろ勲章です、勲章。
 でも、東海林さだおさんって勲章ぽくないですよね。勲章よりは、燻製かな。
 この叙勲の報に一番「グヤジー」思いをしたのは、今回の解説を書いた太田さんかもしれません。

 まあそこは仕事に失敗した先輩をなぐさめる気持ちで、飲みねえ、喰いねえ、の居酒屋精神で先に進みましょう。
 最後は東海林さだおさんへの思いを自身の生き方とシンクロさせて表現しておわり。
 いささか、飲み足りない、喰い足りないという感じが残ります。
 そこで、東海林さだおさんの本編に戻れば、これはこれで納得のいく「丸かじり」食べ歩きではないでしょうか。
  
(2011/12/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  平松洋子さんの『野蛮な読書』。
  平松洋子さんといえば
  食についてのエッセイを得意としていますが
  今回は本に関するエッセイ集です。
  この本のなかで
  平松洋子さんは

   本は時空間を突破する魔法の絨毯だ

  と書いていますが、
  確かにそこに読書の魔法があるのだと
  思います。
  私などは
  こういう本を読むのが楽しくて仕方ありません。
  グルメな人がおいしい料理に舌鼓をうつように
  読書好きはおいしい本に心堤をうつのです。

  じゃあ、読もう。

野蛮な読書野蛮な読書
(2011/10/05)
平松 洋子

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sai.wingpen  不思議な国への道案内               矢印 bk1書評ページへ

 この本の表紙絵に使われているイタリアの画家ヴァレリオ・ベッルーティの作品について、著者の平松洋子さんはこの本のなかの「春昼」というエッセイの冒頭でこう書いてます。「少女なのに静物のようだ。ほとんど無彩色。簡素な太い黒線。単純化された身体の輪郭。(中略)しかし、粗いカンヴァスに描かれた少女たちと向きあっていたら、かすかな羽音がわたしの耳に届いてきた。それは好奇心、歓喜、不安、奔放、または野蛮。」
 読書エッセイであるこの本の表紙絵にヴァレリオ・ベッルーティの絵を使い、「野蛮」という言葉をつけた平松さんの読書に対する思いのようなものを感じさせます。
 では、どのようなものが平松さんにとって「野蛮な読書」であるのか。同じく「春昼」という作品のなかからの引用です。「思いもかけなかった繋がりと広がり、そのわけのわからなさこそ、自分なりの野蛮な読書のうれしさなのだった」

 実際ここに収められている読書エッセイひとつひとつのなかには、複数の本がさりげなく、時には唐突に紹介されています。
 例えば、「まずいスープはうまい」というエッセイには、太宰治の『津軽』にはじまり、戌井昭人の『まずいスープ』、写真集『おべんとうの時間』、田辺聖子の『春情蛸の足』、庄野潤三の『ピアノの音』などがまるで絵巻物のように次から次へと紹介されていく。
 平松さんの文章の力といっていいのだろうか、先へ先へと進める力は尋常ではない。ぐんぐんひっぱっていく。平松さんのエッセイの快感はそのスピードにあるといっていい。
 だから、突然話の展開が変わろうと、それはジェットコースターの落下の瞬間だと思えばいい。次のコーナーではまたあのスピードが戻ってくる。
 それが「野蛮な読書」の快感といってもいい。日々の生活とはまるで脈絡もなく、突然読みたくなる本がある。その心地よさといったらない。

 「本は本を連れてくる。なぜこの本がつぎのこの本につながるのかと驚くのだが、奇妙な手引きもまた読書の贈り物なのだ」と書く平松さんは稀代の読書家であり、私たちを本の世界にみちびく「不思議な国のアリス」に登場する白ウサギのような人なのだ。
  
(2011/12/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  bk1というオンライン書店は
  一般の人からの書評を広く求めて
  他のオンライン書店との差別化を
  はかっています。
  そのなかで、数多く書評を投稿している人は
  「書評の鉄人」という称号を与えられます。
  私もその一人ですが、
  今日紹介する『霊園から見た近代日本』の著者、
  浦辺登さんもその「書評の鉄人」です。
  最近「書評の鉄人」の皆さんの中から
  何人かは浦辺登さんのように
  著書を発表しています。
  みなさん、えらいな。
  私も一冊ぐらい書いてみたいと
  思わないでもありませんが、 
  なかなか実現しそうにありません。
  自身の中での思い切りや努力が
  足りないんでしょうね、
  やっぱり。

  じゃあ、読もう。

霊園から見た近代日本霊園から見た近代日本
(2011/03/10)
浦辺 登

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sai.wingpen  福岡人の血脈                矢印 bk1書評ページへ

 なんともしめっぽい題名である。さらに、霊園風景を使った表紙の装丁も地味だ。地味というより暗い。では、中身はというと、これがめっぽう面白い。
 幕末から明治、大正にかけての近代日本の歴史そのものが面白いということもあるが、青山霊園という大都会東京にあって静かな佇まいのみせる一画が実は歴史上とても賑やかな人物たちの墓が数多ある。その墓めぐりを通じて、あの時代をさぐろうという試みは朝日新聞の書評欄(2011.6.19)であの荒俣宏でさえ「力業」と唸らしめ、「評者は目を回し、何度もひっくりかえった」と言わしめた程の労作なのだ。

 本書は政治結社玄洋社とは何かを知りたいと思った著者の探究心から生まれたものだが、むしろ著者の故郷である九州福岡への思いが強くでた、故郷愛の書でもある。
 そもそも玄洋社そのものが頭山満を筆頭にした旧福岡藩士たちが中心となって明治14年に結成された政治結社なのだが、現代の都市のありようからして確かに幕末から明治にかけて福岡というのはほとんど目立たない存在だった。
 社会の教科書的にいえば、幕末期の雄藩といわれる薩長土肥と比較すれば、福岡の存在の薄さは不思議なくらいである。いくら海運が発達したいたとはいえ、本州と九州を結ぶそれは結束点であったことは間違いない。それでいて、福岡はほとんど目立たない。
 その理由を著者は福岡藩の藩政改革騒動であった丑乙(いっちゅう)の獄にあったとし、そのことが「幕末維新のバス」に乗り遅れた理由としている。
 ずっと以前に習った歴史の教科書を思い出しても、この丑乙の獄など習った記憶がない。幕末、徳川につくか朝廷につくか、それぞれの藩が悩んでいた時代にあって一つの藩の騒動はあまりひろく流布されないのもやむをえない。
 もしかすると、それぞれの地元ではもっと丁寧に教えているのかもしれないが。

 そういった知らなかった事実や、あるいは教科書にたびたびでてくる人物の名前や事績が次々と連鎖のようにして表にあらわれる。まるで松本清張の仕事ぶりをみているようである。
 そういえば、松本清張も福岡の出身であったことを思えば、福岡人の血は侮れない。
  
(2011/12/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日のブログで
  先日亡くなった立川談志さんのことを書きましたが、
  古今亭志ん朝立川談志を比べると
  私は志ん朝さんの方が好き。
  それ以前は桂枝雀さんは
  天才だと思っていました。
  大阪びいきということもあるかもしれませんが、
  桂枝雀さんはまちがいなく
  天才だと、
  今でも信じています。
  枝雀さんのあとで
  志ん朝さんの落語を知ったのですが
  これもまたうますぎると
  思いました。
  私にとっての落語は
  この二人に尽きます。
  もちろん、落語家もたくさんいますから
  それぞれ贔屓がありますよね。
  今日紹介するのは
  井上ひさしさんの『円生と志ん生』。
  蔵出し書評ですが
  落語つながりで出しました。

  じゃあ、読もう。

円生と志ん生円生と志ん生
(2005/08/05)
井上 ひさし

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sai.wingpen  そこがえらい                  矢印 bk1書評ページへ

 井上ひさしによる今回の戯曲は二人の落語家を主人公にしたもので、舞台は終戦直後の満州である。
 二人の落語家、円生と志ん生といえば落語好きな人にはたまらない名跡だろうし、落語を知らない人でも和田誠が描いた名人の似顔絵をみればなんとなくははんと思い出すにちがいない。落語家が主人公だけあって、今回も井上流の言葉の遊びがふんだんに楽しめる

 言葉の遊びと書いたが、井上は決して日本語を粗末にしているわけではない。むしろ井上ほど日本語の豊かさを認識している作家は稀有である。豊かであるから言葉を縦横に使って遊ぶことができる。
 そんな井上によく似た大作家がいる。明治の文豪夏目漱石である。まだまだ日本語が未熟であった明治という時代にあって、漱石は語り言葉である落語の力をきちんと把握していた。

 井上のこの戯曲でも紹介されているが、漱石は『三四郎』の中で落語家三代目柳家小さんをこう評した。「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない」と。
 そして「彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである」とまで書く。
 では漱石は小さんのどこに魅力を感じたのか。先の文章に続けて。「小さんの演じる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい」と。
 さすが漱石だけあって落語家を芸術家とまで言わしめる、明解な理由を示している。

 実はこの『三四郎』でこの小さん評に先立って、興味ある記述がある。主人公の三四郎が故郷の母に手紙を書く場面だ。
 漱石は書く。「母に言文一致の手紙をかいた。−学校が始まった。これから毎日出る。」
 今ではごく当たり前のような手紙の文面を、漱石はあらためて、言文一致とことわって書いた。漱石はそのようにして日本語の、しかも生き生きとした言葉の躍動感にこだわった作家である。
 井上の作品も漱石同様に日本語へのこだわりが垣間見える。だから、登場人物たちは「活溌溌地に躍動するばかりだ」。
 漱石流に言えば、「そこがえらい」のである。井上の作品に小難しい理屈はいらない。日本語が持っているリズムを、日本語が醸しだすおかしさを堪能すればいい。そんな言葉を、大切にしたいと学べばいい。
  
(2005/09/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  11月24日に立川談志さんが亡くなって
  多くの著名人がお別れの言葉をのべています。
  新聞各紙も多くの紙面を割いて
  その死を追悼しています。
  あれだけ憎まれ口をたたいたにもかかわらず
  立川談志という人は
  多くの人をひきつけてやみませんでした。
  どちらかといえば
  明治の俳人正岡子規のような
  親分肌の力量があったのでしょう。
  今日紹介するのは
  立川談春さんの『赤めだか』。
  談志さんという落語家を知るには
  うってつけの一冊です。
  もちろん、
  読み物としてもとてもよくできています。
  もう3年ぐらい前の本ですが
  当時とてもよく売れました。
  こういう本を読むと
  なお一層立川談志とい落語家の
  抜けた穴はどうなるのだろうと
  思わざるをえません。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

赤めだか赤めだか
(2008/04/11)
立川 談春

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sai.wingpen  追悼・立川談志 - 揺らぐ人            矢印 bk1書評ページへ

 落語家の立川談志さんが11月24日亡くなりました。
 スポーツ紙の見出しをそのまま引用すれば、「談志が死んだ」(この見出しは談志さんが生前「オレが死んだらこの見出しを使え」と言っていたとか)と、最期まで談志流です。その戒名が「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)で、こっちの世界もあっちの世界も面白かったらそれでいい。談志さんのつまらなさそうなはにかみ顔が見えるようです。
 落語界のプリンスだった古今亭志ん朝に対して、風雲児だった談志さんはかつてこんなことを言っています。「志ん朝のファンは落語を聞きに来るが、談志のファンは談志を聞きに来るんだ」と。そうはいっても談志さんは落語に対しては至極真面目だったそうです。
 真打ち制度で師匠の小さんさんと袂を分けたのが、1983年。その後、立川流を創設し、家元となったのだが、では立川流での弟子の指導はどのようなものであったのか。
 本書は、今や立川流の四番バッターともいえる立川談春さんによる、つらくもおかしい、抱腹絶倒の「弟子時代」の苦労話、いえ、笑い噺です。

 本書では「談志」に「イエモト」とルビが振られていて、談志さんの徹底した教育ぶりがうかがえますが、築地魚河岸での一年に及ぶ修業や談志さんと初めて行ったハワイ旅行など、これ全編落語の根多かと思えるくらい笑わせます。
 本書を読むと、落語家というのはお気楽にみえて実に厳しい世界だといえます。その厳しさを笑い飛ばせてやっていけるかどうかが、落語家として大成できるかどうかの別れ道なのかもしれません。
 それでいて、終盤、談志さんと小さんさんとの裏噺など人情落語を聞いているかのようです。
 談志さんは師匠である小さんさんと袂を分けましたが、「談志(オレ)の心の中には、いつも小さんがいる」と胸を張っていったことがあるそうです。
 師匠と弟子、の関係とはなんとも計り知れない太い糸があるのでしょう。

 談春さんはそんな談志さんを評して「揺らぐ人」と表現しています。
 談志さんはその破天荒な行動でさまざまな誤解を生んできたと思います。しかし、その実は、いつもいいものを追い求める「揺らぐ人」でもあったのです。
 この本にも、師匠とその弟子の、あたたかな血が脈々と流れているのです。
  
(2011/12/05 投稿)

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 このブログを開設して、今日で3年になりました。
 3年といえば、
 生まれた子供はもう3歳。(あたり前ですが)
 小学校に入学した子供も3年生。(これもあたり前ですが)
 それは、ともかくとして3年。
 これもたくさんの皆さんに応援して頂いたおかげです。
 しかも、この3年間毎日更新という、
 おまけもつきました。
 世間ではよく
 桃栗3年柿8年といいますが、
 これは実がなるまでの期間です。
 はたして、このブログが桃栗と同じように
 3年で実がなったかどうか、
 それとも柿の木のように8年かかるのか、
 それはこのブログを見て頂いている皆さんの
 判断でしょうか。
 ところで、この桃栗3年柿8年ということわざに
 まだ続きがあったのは知りませんでした。
 続きは、柚子の大馬鹿18年だとか。
 そのほか、地方によっては色々あるようです。

 さて、今年の初めに我が家のマイブーム「断捨離」を実行していると
 懐かしい本が出てきました。
 小学館の「少年少女世界の名作文学 14」です。
 小公子
 奥付をみると、
 昭和39年9月20日発行とあります。
 私が9歳の頃買ってもらった本です。
 確か、このシリーズの第一巻発刊だったと思うのですが、
 バーネット原作の『小公子』『小公女』などが
 収められています。
 この本だけが50年近い間、
 ずっと私の手元に残ったというのも不思議です。
 しっかりした装丁の本ですが
 定価は480円とあります。
 現在の価格でいえばいくらぐらいになるのでしょう。
 この本からいえば
 桃栗3年どころか
 50年近い日々を本とともに生きてきたことになります。
 だから、
 3年なんてまだまだです。
 これからは、柿8年をめざして
 読書の楽しみを皆さんにお伝えできればと
 思います。

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プレゼント 書評こぼれ話

  あさのあつこさんの『あさのあつこのマンガ大好き!』には
  あさのあつこさんが『巨人の星』にはまる
  思い出が書かれていて、
  さすがに同級生世代だと思いました。
  その頃の思い出をひとつ。
  漫画週刊誌のそれぞれの作品の扉絵が
  全色カラーの時がいくつかあって
  それをスクラップブックに貼っていたことが
  あります。
  そうそう、もうひとつ。
  その頃つけていた日記帳に
  「あしたのために」ってタイトルつけたこともあります。
  中学三年の頃です。
  『あしたのジョー』の影響です。
  と、いうことで
  今日紹介するのは蔵出し書評ですが
  「「週刊少年マガジン」 五〇年 漫画表紙コレクション」という
  マンガ大好きさんには
  垂涎の一冊です。

  じゃあ、読もう。

「週刊少年マガジン」 五〇年 漫画表紙コレクション「週刊少年マガジン」 五〇年 漫画表紙コレクション
(2008/09/19)
週刊少年マガジン編集部

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sai.wingpen  右手にジャーナル、左手にマガジン            矢印 bk1書評ページへ

 平成二十年(2008年)三月、二つの「少年漫画週刊誌」が創刊五十周年を記念して多くのコラボレーションを行うと発表し、世間の注目を集めた。
 「週刊少年マガジン」(講談社)と「週刊少年サンデー」(小学館)である。
 二誌が創刊されたのは昭和三四年(1959年)三月十七日。「マガジン」の表紙は大相撲の人気大関朝汐で「サンデー」はプロ野球の長嶋茂雄だった。個人的には当時この胸毛の大関朝汐が大好きで、もらいテレビ(我が家にテレビがなかったため近くの親戚の家でテレビを見せてもらっていた)で観戦して声援をおくっていた記憶がある。ここぞという一番には弱くて、そのたびにまわりの観客(テレビ黎明期は一人で見るものではなく何人かで集まって見ていたものだ)に冷やかされ、悔し涙を流したものだ。それでもこうして「マガジン」の創刊号の表紙を飾ったくらいであるから人気はあったのだろう。

 二誌が創刊された当時は漫画雑誌といえば「少年」(光文社)に代表される月刊誌が主流で、本誌にゴムとめされた膨大な付録でぷっくら膨れたそれはまさに垂涎のまとであった。
 毎月買ってもらえるようなものではなく、たまに母親が何かのきまぐれにこづかいをくれて買いに走るのがうれしかった。そこに週刊誌の登場である。創刊時「マガジン」は四十円だったらしいが、それを毎週買うことなど夢のまた夢であった。
 たしか、これも近所の同級生のところで石森章太郎の「怪傑ハリマオ」を読んだ記憶があるが、それが私の「マガジン」初体験だったに違いない。(石森の「怪傑ハリマオ」は昭和三五年(1960年)から昭和三六年(1961年)にかけての連載である)

 本書はそんな「週刊少年マガジン」創刊五十周年を記念して企画された一冊だが、その「創刊号から五十周年記念号までの表紙の中から、漫画をメインビュジアルにした千二百八十九枚が収録」されている。
 全発行号数が二千四百三十六号だから、まさにその半数が連載マンガのキャクターたちで飾られていたことになる。「漫画週刊誌」の面目躍如たる数字である。
 今回この書評を書くに際して、『荒俣宏の少年マガジン大博覧会』(1994年・講談社刊)をサブテキストにしたのだが、その本の中で荒俣氏が興味深い記述を行っている。
 「創刊当時、週刊まんが誌は<マガジン>も<サンデー>も、オーバーグランドな子どもメディアの質から見て、月刊まんが誌に太刀打ちできる存在ではなかった。しかし創刊数年後にその立場が逆転するのは、実力派まんが家を月刊誌から引きぬいた力わざもさることながら、社会の関心や文化の水準によく一致するセンスに恵まれた新人や劇画畑のタレントを多用できたことが大きかった」とある。
 そのことが漫画表紙の増加と関係しているし(ちなみに記念すべき漫画表紙の第一号は1961年のちばてつやの『ちかいの魔球』だった)、「マガジン」大躍進の原動力にもなっている。しかし、その反面後発の「少年ジャップ」(1968年・集英社)や「少年チャンピオン」(1969年・秋田書店)にその地位を脅かされる要因にもなったことは間違いない。

 本書で「マガジン」の歴史を振り返ると、世代的なものはあるとしても、昭和四五年(1970年)前後の力強さには圧倒される。「右手にジャーナル、左手にマガジン」と言われたのは昭和四四年(1969年)の頃である。
 ちなみの先の荒俣氏の本では「手にジャーナル、心にマガジン」と紹介されているが、「ジャーナル」とは当時進歩的な学生の多くが購読していた「朝日ジャーナル」のことである。
 この頃、「マガジン」にはあの『巨人の星』(梶原一騎/川崎のぼる)と『あしたのジョー』(高森朝雄/ちばてつや』の二大巨編が連載されていた。そして、昭和四五年二二号からの美術家横尾忠則氏が手がけた漫画表紙で最高潮をむかえる。
 もちろん、その後の絶頂期(平成十年に最大発行部数四百五十万部を記録する)はあるものの、荒俣氏が先の本で書いているように昭和四八年(1973年)『あしたのジョー』の終焉はある意味何かの終わりを象徴するものであったことは、感傷ではあるが、私も同意せざるをえない。
 「マガジン」ではなく「ジャンプ」の時代が新たな時代を予見していた。

 だから、私にとっては本書の大部分が未知の「マガジン」であったわけだが、そのことの事実にも驚いたが、少なくとも人生にとってもっとも多感であった時期を「マガジン」とともに過ごせたことをうれしく思う。
 できれば小学館側も新書の世界に乗り出したのであるから、本書の向こうをはって「サンデー」の漫画表紙コレクション本を出版してもらいたい。
 私の中の<少年>がねだっている。
  
(2008/10/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日あさのあつこさんの『あさのあつこのマンガ大好き!』という
  本を紹介しましたが、
  今日は石ノ森章太郎さんの
  『ジュン 0: 石ノ森章太郎とジュン』という本を
  紹介します。
  『ジュン』というのは石ノ森章太郎さんのマンガ作品。
  この本ではそのなかのいくつかの作品と
  その背景となったものが収録されています。
  残念ながら、
  あさのあつこさんの本の中では紹介されていませんでした。
  もっとも石ノ森章太郎さんの『サイボーグ009』
  オススメの一冊にしっかりと
  はいっていましたが。
  石ノ森章太郎さんは
  抜群に絵の上手な漫画家でしたね。
  もしかしたら、
  手塚治虫さんよりもうまかったかもしれません。
  その作品の中では
  この『ジュン』はすごく好きです。
  やはり青春と重なっていることが
  忘れがたいのかもしれません。

  じゃあ、読もう。

ジュン 0: 石ノ森章太郎とジュンジュン 0: 石ノ森章太郎とジュン
(2011/09/14)
石ノ森 章太郎

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sai.wingpen  またふたたびの                矢印 bk1書評ページへ

 「漫画の神様」手塚治虫さんはあれだけの作品を描きながら、新鋭の漫画家たちに嫉妬ともいえる気持ちを持ち続けたといいます。
 この本の主題である石ノ森章太郎さんの『ジュン』が1967年まんが専門誌「COM」に発表された時も手塚さんは「あれはマンガではない」と息苦しいほど嫉妬をします。かつて執筆の応援を頼んだこともある石ノ森さんにさえ、そんなふうでした。この騒動のあと、手塚さんは石ノ森さんのアパートをたずねてあやまったといいます。
 このエピソードは手塚さんの死のあと、石ノ森さん自身が『風のように・・・ 背を通り過ぎた虫』(1989年)という漫画で描いています。(本書に収録されています)
 同時にこの時、石ノ森さんは「漫画」ではなく「萬画」をめざすことを宣言しています。
 手塚さんの漫画にあこがれ、手塚さんをめざした石ノ森さんはこの時はっきりと手塚漫画の先にあるものを意識したのではないでしょうか。

 石ノ森章太郎さんは手塚治虫さんに負けないくらい代表作をたくさんもっています。『サイボーグ009』『仮面ライダー』『佐武と市捕物控』『龍神沼』・・・、そして『ジュン』。
 その絵柄は手塚さんより青年向きであったと思います。手塚さんはたくさんの大人向けの作品も書いていますが、作風はどうしても子供漫画だったのではないでしょうか。石ノ森さんの描く少年なり少女の姿は青春期の鬱々とした心情を反映していました。だから、どの作品もどこか青春の哀愁の影がひそんでいるように感じました。

 そのもっとも顕著な作品が「ファンタジーワールド」と名づけられた『ジュン』だったのです。
 発表当時何作かを「COM」で読んだ記憶があります。ほとんど吹き出しのない漫画で、漫画の重要な表現手段のひとつであるコマわりを縦横無尽に変え、時にはそのコマわりさえ消してしまった大胆な挑戦は、その時すでに従来の手塚漫画からの脱皮をめざそうとしていたのかもしれません。
 手塚さんはそのことに気がついていたのではないでしょうか。だから、この作品を否定しようとしたような気がします。

 私にとって石ノ森章太郎さんの『ジュン』は、漫画という言葉に置き換えられる少年期を脱するためにどうしても必要な作品だったといえます。
 『ジュン』があったから匂うような青春期をむかえることができたように思います。
 その『ジュン』にこうしてまた会えた。そのことがたまらなくうれしいのです。
  
(2011/12/02 投稿)

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