プレゼント 書評こぼれ話

  1月27日の朝日新聞朝刊に
  映画館のスクリーン数が18年ぶりに減少という
  記事が出ていました。
  記事では、
  93年に日本で初めてシネコン(複合映画館)ができて
  増え続けたスクリーン数が
  飽和状態になっていると
  伝えています。
  さらにデジタル上映の波が進行していて
  それも減少の要因だとか。
  この日2011年の興行収入も発表されて
  大ヒット作がなく
  前年比17.9%減と
  大きく減少しています。
  そういえば、去年は
  「コクリコ坂から」しか
  映画館で観ていないなあ。
  そんな中、先日キネマ旬報ベストテン
  発表されていました。
  日本映画の一位が
  新藤兼人監督の『一枚のハガキ』。
  昨年亡くなった原田芳雄さんが
  主演男優賞を受賞。
  天国の原田芳雄さん、照れてるだろうな。
  と、映画の話題でしたので
  今日は蔵出し書評
  『映画館物語 - 映画館に行こう!』という本を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。
  
映画館物語―映画館に行こう!映画館物語―映画館に行こう!
(2002/12)
高瀬 進

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sai.wingpen  思い出箱                   矢印 bk1書評ページへ

 「映画館を私は時々、思い出箱と呼ぶことがある」

 私は大阪の地方都市に生まれ、育った。
 その街の中心地にも邦画五社の専門館がすべて揃っていたが、どこか暗く汚い感じは否めなかった(六〇年代後半の頃の地方の映画館はみんなそういういかがわしさがあったのではないだろうか。今は懐かしいが)。
 だから、洋画を観る時は大阪ミナミの繁華街に出ることが多かった。すべてに肩肘を張っていたような、高校生の頃である。
 その当時観た映画で今でも忘れられないのが「愛とはけっして後悔しないこと」で大ヒットした「ある愛の詩」だ。
 この映画を松竹座で観た。松竹座はこの本の中でも紹介されているが、大阪ミナミの映画館の中でも大きくておしゃれな映画館だった。そんな松竹座で観たのがいけなかったのかもしれない。周りがほとんどカップルばかりで、私は一人この悲しい恋愛映画を観た。
 死んでいったヒロインよりも、つらい気分だった。

 映画に夢中になった高校生の私は「キネマ旬報」という映画雑誌を購読し、いっぱしの映画青年きどりだった。その雑誌に載っていた東京の映画館の上映番組を観てはため息をついていた。
 銀座並木座、池袋文芸座、渋谷全線座、飯田橋佳作座…。それらの映画館は当時の私にとって、綺羅星のような存在だった。大学を東京にしたのも、そんな映画館に行きたかったからかもしれない。

 上京して初めて行った、銀座並木座。
 観た映画は黒澤明の作品だったように思うが、それ以上に並木座という映画館そのものが記憶に残った。想像した以上に狭い館内、小さな銀幕、観客の熱気。そして、上映番組の情報を載せた並木座の小さな冊子は、今でもどこかに仕舞われたままだ。
 肩まで髪を伸ばした、学生時代の私の写真とともに。
 そんな並木座も、黒澤明の死と同じ年の九八年秋に閉館した。

 青春の映画館。
 この本に紹介された多くの映画館の写真を見ながら、私はしばし青春の日々を彷徨した。
 あの頃、どうして私は映画館が好きだったのだろう。
 あの暗闇と光の中に映し出された夢の数々。夢を見る時間はいくらでもあった。
 多くの夢をなくしたように、今はそんな時間さえ失ってしまっている。
 次の休日には、久しぶりに映画館に行ってみようかな。
  
(2003/03/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する川本三郎さんの
  『いまも、君を想う』は
  とても感動的な作品でした。

    書評はこちらをお読み下さい。

  今日紹介する『君のいない食卓』は
  その続編ということではありませんが
  亡くなった妻恵子さんを偲んで
  書かれた作品のひとつです。
  表紙絵もそうですが、
  時折はさまれている
  川口澄子さんの料理の絵が
  川本三郎さんの
  妻を想う気持ちをよく表しているようで、
  しみじみとさせてくれます。
  今日も
  そんな本の書評に
  父のことを書いてみました。

  じゃあ、読もう。

君のいない食卓君のいない食卓
(2011/11)
川本 三郎

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sai.wingpen  父の最後のお酒                矢印 bk1書評ページへ

 父の葬儀が終わった翌朝、喪主をつとめた兄が「悔やみの言葉でさみしくなりましたねとよく言われたが、本当にそうだよな」とぽつんと涙を落とした。
 介護ベッドに寝ている父に「おはよう」と声をかけて起こして、ベッドのそばに置いたトイレまで抱きかかえ、そのあと着替えさせるというお決まりの朝。
 朝食は一膳のおかゆと菜のもの、プリンのようなデザート。
お茶は嚥下障害を起こさないようにとろみをつけていた。遠くで暮らす次男の私はそのことも知らず、のんきなものである。
 「お茶だよと云うと、わかるのかな、お茶を飲む時の口のすぼめるかっこうをするんだよな」
 兄は父のそんな表情をまねた。

 エッセイストであり映画評論家でもある川本三郎さんは2008年6月に最愛の妻、恵子さんを亡くされている。
 先にその追想記である『いまも、君を想う』を出版し、多くの涙をさそった。
 そんな川本さんが「あとがき」で「食によって大事な人を思い出す。名品になっている。食を語ることは、つねに、自分の過去を過去を思い出し、大事な人をいつくしむことになる。(中略)食を語ることで、ひそやかに昔を、そして大事な「君」を思い出したかった」と記した。

 だから、この本はグルメの本ではない。おいしそうな食べ物が紹介されてはいるが、そこにはいつも川本さんの姿があるし、そっと寄り添う妻恵子さんの姿がある。
 川本さんが幸福なのは、どのような食事であれ、いつも妻恵子さんがそこにいたことだ。そして、それを文章として残せるということだ。

 私の父は晩年ひとりで食事をすることもやや困難になっていたが、亡くなる直前の正月、兄や私たちとにぎやかにおせち料理を囲んだ。
 父の好物だったかずのこを自分の手でしっかりと食べた。
 日頃面倒をみていた兄からすると、それは奇跡のような光景だった。
 そして、新年お祝いのお神酒を一口うまそうに口にして、おかわりを催促した。
 お酒が好きだった父と酌み交わした、それが最後のお酒だった。
  
(2012/01/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  亡くなった父も母も
  あまり、というか、ほとんど
  本を読むことのしなかった人でした。
  父などはもし読書習慣があれば
  母が亡くなったあとの寂しさを
  いくらかはしのげたはずなのに。
  そんな父と母でしたが、
  私が本を読んでいると
  本ばかり読んで、と
  少し嫌な表情もしていましたが
  大きくなってからは
  仕方がないと
  あきらめていたような気がします。
  むしろ、この子は本が好きなんだ、
  気のすむまで
  読ませてあげよう、
  ぐらいは思っていたかもしれません。
  今日紹介するのは
  内モンゴル出身の興安さんという人が
  絵を描いた
  『ひとりぼっちのかえる』という絵本です。
  向こう側で
  父も母も
  また読んでるな、と
  苦笑しているかもしれません。

  じゃあ、読もう。

ひとりぼっちのかえるひとりぼっちのかえる
(2011/05)
興 安、三木 卓 他

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sai.wingpen  小さな生き物が教えてくれる              矢印 bk1書評ページへ

 誰もいない、たったひとりぼっち。
 そんな状況だったら、誰もがさびしく思います。
 お父さんがいてくれたらなあ。お母さんがそばで笑ってくれたらなあ。お兄さんや弟がいたらどんなに楽しいだろう。友だちと遊べたらうれしいにちがいない。
 ひとりぼっちはさびしい。

 内モンゴル出身の興安さんと詩人の三木卓さんが作ったこの絵本に登場するのは、そんなひとりぼっちのかえるです。
 朝になってのぼってきたおひさまがかえるに「たったいっぴきでくらしていて、きみは さびしくはないのか?」とたずねます。昼には雨が、また風が同じようなことをかえるにききます。夜には月さえ「さびしくはないの?」ときくのです。
 でも、そのたびにかえるは「さびしくはありません」と答えるのです。
 かえるはひとりぼっちなのに、さびしいとは思いませんでした。
 なぜなら、おひさまもいます。雨も風もいます。暗い夜には月が明るくしてくれます。
 だから、このかえるはひとりぼっちなんて思ったことはありません。

 先日父を亡くしました。母は二年前に亡くなっています。私にはもう両親と呼べる人はいなくなりました。さびしくないといえば嘘になりますが、それは仕方のないことです。
 二人はもういないけれど、父と母が残してくれた大事なものがあります。
 それは、私自身です。私の身体は二人が生み育ててくれたものです。私の心は二人の思いが育んでくれたものです。
 そう考えれば、私が生きているかぎり、父も母もここにいるような気がします。

 ひとりぼっちはさびしいけれど、この絵本のかえるのように、生きとし生けるものすべてがそばにいるかぎり、たったひとりきりということはありません。
 そう思えば、生きる力がわいてきます。
 小さな生き物が教えてくれる、生きる力です
  
(2012/01/29 投稿)

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  父が亡くなって
  本を読むのもおっくうなのだが、
  それでも読み終わった最初の本が
  今日紹介する、瀬戸内寂聴さんの
  『奇縁まんだら 終り』というのも
  なんだが奇縁である。
  このシリーズはすでに3冊刊行されていて
  既刊の本も
  このブログで紹介しています。
  ご興味のある方は、
  検索で調べてみて下さい。
  日本経済新聞の連載終了が
  2011年10月ですから
  2011年に亡くなった人との
  交友録もはいっていますが
  それでもその人が亡くなってから
  なんだか遠い時間が過ぎたようで
  あらためて、
  時のはやさを感じます。
  母が亡くなってからの時間を
  父はどんなふうに感じていたのか、
  それすらもう聞くことはできません。

  じゃあ、読もう。

奇縁まんだら 終り奇縁まんだら 終り
(2011/12/21)
瀬戸内 寂聴

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sai.wingpen  定められた命                     矢印 bk1書評ページへ

 先日父が亡くなった。
 父とは「奇縁」であろうはずはない。親と子、まさに「宿縁」である。二年前に母を亡くし、時をおかずして父も亡くしたことになる。
 私はどちらかといえば、父によく似ていた。容姿もそうだが、気の小さい性格など自分でもよく似ていると時に落胆し、時にうれしくもあった。
 母を亡くしてからの父はすっかり無口になってあまり笑うこともしなくなった。母がもっぱら話し、父がそばで黙って微笑んでいる、そんな夫婦であったから、おしゃべりの母がいなくなってどんなにか寂しかったことだろう。
 親子は「宿縁」だが、夫婦もまた何かの定めで結ばれているものなのかもしれない。

 日本経済新聞で2006年の秋から連載をはじめた瀬戸内寂聴さんの人をめぐるエッセイは足かけ5年もの長期連載となるほど好評を博した。何人かたまると単行本として出版されてきた作品も、この巻で最後となる。
 その間登場した人物は136人にのぼる。5年もの長期連載であるから、新たに故人となる人々もいた。この最終巻でも、吉村昭さんや三浦哲郎さん、坂上二郎さんといった最近亡くなった人との交友も描かれている。

 瀬戸内さんはこの連載の中で「定命」(じょうみょう)という言葉をよく使っている。
 寿命ではない。「定命」は、生まれる前から決まっている命のことらしい。
 私の父は数え88歳で亡くなったが、もう少し生きていて欲しかったが、それが「定命」だとすれば、それもまた静かに受けとめざるをえない。
 また、時に若くして亡くなる人もいるが、それがその人の生まれる前から決まっていたことであるならば、どんなに悔やんでもそれは変わることはない。
 もしかしたら、私たちはその背に「定命」のしるしをくくりつけているのかもしれないが、それは決して誰の目にも見えない。
 それもまた、生きるという不思議だ。

 瀬戸内さんは短い文章にその人の人柄や個性を鮮やかに写し取った。墓石に刻まれた墓碑銘のように、それはいつまでもその人を語ってやまない。
 私にもそんな筆力があれば、父のことも母のことも語れるのだが、残念ながら、父も母もそのことは教えてくれなかった。
  
(2012/01/28 投稿)

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  新しい本をさすがに読めずに
  昔の蔵出しで何日間か書いています。
  その中の一冊。

  『てんごくのおとうちゃん』なんて
  まるでそのままの絵本です。
  父が亡くなって
  若かった頃の父の写真を見つけ、
  わぁー、かっこいいじゃない、
  なんて、
  娘たち(父の孫です)と
  話していました。

  痩せていた、若い頃の父。
  貫禄十分に太っていた、壮年の父。
  笑顔の
  すまし顔の、
  さまざまな父。

  じゃあ、読もう。

てんごくの おとうちゃん (講談社の創作絵本)てんごくの おとうちゃん (講談社の創作絵本)
(2008/11/26)
長谷川 義史

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sai.wingpen  あの頃おとうちゃんの顔は大きかった               矢印 bk1書評ページへ

 「はいけい てんごくの おとうちゃん、げんきに していますか」そんな文で始まる、一冊の絵本。
 書名のとおり、この絵本は「てんごくのおとうちゃん」に宛てた少年の、父との思い出と近況報告でできていますが、昭和三十年代と思われる町の風景とあわさって、いつか失くしたものへの慈しみのような思いにとらわれる絵本です。

 こんな顔の大きな「おとうちゃん」はいないはずなのに、子どもの頃に描いた父の顔はみんなこんな父親の顔をしていました。「おかあちゃん」の髪のパーマもそう。
 きっとイマの子どもはそんな「おかあさん」なんて知らないでしょうが、あの頃の「おとうちゃん」も「おかあちゃん」もそんな風でした。気取りも飾りもしなかったけれど、一生懸命に働いていたし、ささいなことに喜んだり悲しんだりしていました。

 そんなやさしい「おとうちゃん」が亡くなった日、少年は「なんかわからへんけど」庭に吐いてしまいます。
 人が死ぬっていうことは、そういう「なんかわからへんけど」つらいことです。
 近頃自分の友人や家族を殺めるという悲惨なニュースが多いですが、長谷川義史さんが描くような「なんかわからへんけど」人の心の奥に根ざすものがどんどんなくなってきているように思えてなりません。
 実はそういう「なんかわからへん」ことこそが大切なのに。
 「おとうちゃん」が死んだあと、少年はまわりの大人たちから慰められたり同情をされたりします。でも、少年は思うのです。「ぼくより おとうちゃんが かわいそうなんと ちがうやろかって」

 私たちの暮らしは昭和三十年代よりもうんと豊かになりました。
 しかし、豊かになる一方でうしなったものもたくさんあります。それらをすべて良しというつもりはありませんが、振り返ることもたまには必要ではないでしょうか。
 そして、うしなったものたちに、少年が最後にいうように「しんぱいしないで くださいね」と言えたらどんなにいいでしょう。
  
(2010/10/01 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  人は生き、いつか死んでいく。
  それはどうしようもなく
  避けられないことだ。
  だとしたら、
  どのように別れ、
  いかにその別れの悲しみと
  向き合えるかだろう。

  そう書いたのは、
  随分前のことです。
  このブログを始めて
  3年以上経ちましたが、
  その間に
  母を亡くし
  弟を亡くし
  そして、
  今回、父を亡くしました。
  それらは、
  すべて、旅の途上なんでしょうね。

  じゃあ、読もう。

きみ去りしのちきみ去りしのち
(2010/02/10)
重松 清

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sai.wingpen  旅の途上                     矢印 bk1書評ページへ

 愛するひとを喪うということはどういうことなのだろう。
 心に深く穿たれる空洞をうめることに予習も練習もあるはずがないだろうが、そのことを知りたくて、重松清の『きみ去りしのち』という本を読んだ。

 九篇の物語は、最後の章をのぞいて、すべて「旅をしている」という書き出しで始まる(最後の章は「旅をしてきた」となっている)。
 旅をしているのは、一歳の誕生日を迎えたばかりの息子を突然死で亡くした主人公セキネと、別れた妻との娘の明日香。
 セキネは息子を喪った悲しみから逃げるように旅をしている。明日香は、余命わずかの母(セキネの元妻になるのだが)を喪う悲しみから逃れるように、セキネと旅をしている。
 喪った悲しみの正体を、これからなくなっていく命に重ねながら、二人は恐山、奥尻、オホーツク、阿蘇、奈良、出雲、与那国島、そして島原と旅をつづける。

 長い旅である。
 その旅の途中で、同じように愛するひとを喪った人たちと出会いながら、そして死のせまる元妻の恵美子と再会しつつ、セキネは死の意味を、喪失という感情を、引き受けていくことになる。
 重松清はこの作品のなかでさまざまな悲しみとそこから救われていくものを描き、そしてそれはじつに深い。立ちどまり、考え、そしてまた読みつづける。
 物語は島原の地で終焉をするが、悲しみと向き合うのは、喪失感を埋めえるのは主人公たちではなく、自分自身しかないことに思いいたる。

 愛するひとを喪うってことに私たちはどう向き合えるだろうか。
 誰しもが経験することではあるだろうが、どう向き合うかで、人は強くも優しくもなれるのかもしれない。
  
(2010/03/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  親を喪うことは悲しいけれど、
  いつか、必ず、
  別れはきます。
  それはわかっているのですが、
  やはり悲しい。
  とても悲しい。
  
  昨日、
  父の告別式でした。
  わずかばかりの、白い骨となって
  家に戻ってきた、父。
  どんな姿になっても
  父は、
  ずっと私の父。

  じゃあ、読もう。
  

悲しい本 (あかね・新えほんシリーズ)悲しい本 (あかね・新えほんシリーズ)
(2004/12/10)
マイケル・ローゼン

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sai.wingpen  「悲しみ」に向き合うということ               矢印 bk1書評ページへ

 表紙を開くと、一人の男がふざけた顔をして笑っている。「じつは悲しいのだが、幸せなふりをしている」という男は、大好きだった息子エディーを亡くして本当はとても悲しい。だから、彼の本当の顔はとても暗い。目もうつろだ。
 本書は、そんな男の心の葛藤をクェンティン・ブレイクの巧みな絵とマイケル・ローゼンの詩的な文章(訳は詩人の谷川俊太郎)で描きながら、「悲しみ」についてまっすぐにみつめた絵本である。

 書名に「悲しい本」とあるように、男は息子の死にうちのめされて心の空白を埋めれないでいる。思い出すのは息子との楽しかった時間だけ。しかし、その時間はとまったままだ。次のページに息子はいない。
 男はなぜ「悲しい」のかと考える。
 「いろいろなことが、前と同じでなくなったせいで」男の心に「悲しみ」がすみついてしまったのだ、と思う。
 そして、それは男だけではない。「悲しみ」はいたるところ、どんな人にもある。「悲しみ」は「人をえらばない」のだと。

 愛する人を喪うことは悲しく、つらい。
 思い出だけは心の襞にまとわりついてくるが、もう新しいなにも生みだしはしない。そういった喪失感は誰にだってある。
 しかし、それがどんなに深いものであっても、この作品の男のように「私は消えうせてしまいたい」と思うほどであっても、人は「悲しみ」の先にあるものを見つけ出す。「悲しみ」があるから、その先にあるものの深さやあかりをしっかりと感じることができる。
 ちょうど最後のページでロウソクの灯りをみつめる男のように。
 その表情はけっして明るいものではないが、最初のページの虚けた笑いの表情ではなく、生きることに向かおうとする静かな強さを秘めたものになっている。
 
 「悲しみ」から逃げるのではなく、「悲しみ」と向き合うことの大切さを教えてくれるこの絵本は、「悲しい本」であるとともに「再生の本」でもある。
  
(2010/06/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する書評は
  二年前に母が亡くなった時に掲載したものです。
  父が亡くなって、
  書評のタイトル「そうか、もう父母はいないのか」に
  なりました。
  多分、これから先
  もっとそんなふうに思うのでしょうね。
  

父でもなく、城山三郎でもなく父でもなく、城山三郎でもなく
(2008/06/21)
井上紀子

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sai.wingpen  そうか、もう父母はいないのか                     矢印 bk1書評ページへ

  ひとくちに親子といってもその関係性は多様である。例えば父親と娘の関係と母親と息子のそれは同じではないだろう。父親を「クサイ」と毛嫌いする娘は類型として描けても、母親を同じように忌避する息子は型として表現しにくいように思う。父と息子、父と娘、母と息子、母と娘。同性異性の組み合わせだけでこれだけの親子がいて、さらに親を取り巻く環境や長男であったり次男であったりといった順列などを考えれば、親子の関係をこれだと定義づけることさえ困難な気がする。そうしたことが親を悩ませ、子を反発させる。「こんな子を生むのではなかった」「こんな親から生まれたくなかった」という憎しみは「この子のためなら」「あなた方の子供でよかった」という愛情とわずかばかりの差でしかない。いや、差すらないひとつの感情のような気さえする。本当に親子というのはやっかいだ。
 本書の著者井上紀子さんは昨年逝去された作家城山三郎氏の次女である。確かに多くのベストセラー作品を生み出した作家の娘として井上さんは恵まれた環境にあっただろうが、「あくまでも父は杉浦英一(城山三郎の本名)であって、私にとって城山三郎は表玄関の人であった」(5頁・カッコ内は書評子)と作家の娘ならでは悩みもあったにちがいない。本書はもちろん作家城山三郎の生前の個人的な生活を娘の視点で描いた面をもちながら、実は城山氏の夫人、著者からすれば母親である容子さんとの関係にも多くの紙数を割いた母と娘の書ともいえるのである。娘の父親でしかない私にとって、井上さんが書かれた母親との在り様が、すこぶる面白かったし、興味をひかれた。
 母親である容子さんが病に臥すようになる前、娘の井上さんと待ち合わせをする場面がある。「(母は)窓越しに視線を感じたのか、私の顔を見つけるや、それまでの表情のない顔がパッと一瞬にして色を戻した。否、戻そうとしていた」(118頁・「鈍・鈍・楽」・カッコ内は書評子)。短い文章ながら、ここに母親としての娘に対する強い競争心のようなものを感じる。待ち合わせた相手が息子であれば、母親はこういう表情をしなかったのではないか。同じ章には井上さんが容子さんの買い物の誘いを断る場面もある。そのことを「その時、なぜか心が震えた。身体ではなく、心が。今までにない感覚だった。何か大事なものを見捨ててきてしまったような」(114頁・同章)と井上さんは書く。これも娘ならではの感情かもしれない。けっして二人は仲が悪かったわけではない。むしろ互いに尊重し合う、いい親子関係だっただろう。ただ二人は母親と娘という親子だったということである。
 そのように父と娘、母と娘の姿を描きながらも、井上さんが近づけなかったのが夫婦としての城山さんと容子さんだったかも知れない。本書の題名のとおり「父でもなく、城山三郎でもなく」、杉浦英一氏は「全くの素の一人の人間」としての笑みを浮かべて亡くなった。「これは紛れもない、亡き母への微笑みだった。一人の男として愛する人のもとへ旅立つときの顔。まさに至福の顔そのものであった」(8頁)。その時、娘は父としてでも作家としてでもなく、恋人にさよならをしていたのかもしれない。そして、娘が近づけないほどに、城山さんと容子さんは父親でもなく母親でもなく、仕合せな夫婦だったにちがいない。
  
(2008/09/19 投稿)

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  父の死顔。
 とてもいい、顔。  
 安らかな、顔。

  こういう顔の父に
 育てられたんだという思い。
 ありがとうの思い。

  頬をなで、
 頬ずりする。

  お父さん、ありがとう。
プレゼント 書評こぼれ話

  1月22日の未明、
  父が亡くなりました。
  
  笑うような素敵な顔で
  眠る父。

  ありがとう、父さん。


無名 (幻冬舎文庫)無名 (幻冬舎文庫)
(2006/08)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  同じ色の涙                     矢印 bk1書評ページへ

 さだまさしに「椎の実のママへ」という一枚がある。有名な「精霊流し」の誕生秘話ともいえる一曲で、さだの叔母さんであった<椎の実のママ>の一生を感動的な楽曲に仕上げたものである。沢木耕太郎の「無名」という作品を読んで、ひさしぶりにこの曲を思い出した。

 沢木耕太郎の「無名」は、沢木が自ら父の死を描いた作品である。肉親の死を描いているとわかっていながら、私はこの作品を読んで不覚にも涙をこぼした。病に倒れ、死が確実になったとはいえ、肉親にとってはそれが回避できるものであればそれに越したことはない。沢木の父もそうであった。余命宣告を受けたものの、自宅療法に変えたことで、父の表情に明るさが戻った。しかし、死は突然訪れる。<第七章 白い布>の冒頭、沢木は付き添っていた姉から一本の電話を受ける。「お父さん、もうだめみたい」…。私はその時不意に涙をこぼした。

 私は幸いにもまだ肉親の死に立ち会ったことはない。しかし、この時沢木の姉が口にした一言は、肉親の死に向かいあった者だけが持ちうるあらゆる感情を表現しているということは想像できる。肉親としての悲しさ、肉親としての無念さ、肉親としての切なさ。おそらくこの時の感情のままでは沢木は作品を残すことはできなかったにちがいない。肉親の死という題材は湿りけを帯びる。そのことが作品をひとりよがりのものにしてしまうことを、沢木を何よりもわかっていたはずだ。だから、沢木が「無名」というひとつの作品を書き上げるまで、実は五年近くの歳月を必要としたのだろう。

 さだまさしの「椎の実のママへ」という曲の最後にこんな歌詞がある。「椎の実のママが死んだ晩に/みんな同じ色の涙を流した/結局愛されて死んでいった彼女は/幸せだったと思っていいかい」父の死後、落穂拾いのようにして父の俳句をまとめあげようとした沢木も同じようであったにちがいない。そして涙がようやくにして乾いた先に、読者の心を強くうつこの作品が生まれたといえる。
  
(2003/10/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する絵本、
  ラングストン・ヒューズの『川のうた』は
  一篇の詩を絵本にしたものです。
  黒人問題は
  差別的な問題ではなく、
  生きること全般につながる問いかけだと
  思います。
  差別、迫害から逃げることなく
  彼らは滔々とした川の流れのように
  生き続けてきたのです。
  人生は川によく喩えられます。
  確かに
  緩やかな流れ、急な流れ、
  渦巻く岩瀬、せせらぎ、
  川は私たちの人生によく似ています。
  この絵本は
  黒人たちの苦難の人生を描いていますが
  もっと広く、深い
  私たちすべての
  人生の姿を描いてもいるのです。

  じゃあ、読もう。

川のうた川のうた
(2011/10)
ラングストン ヒューズ

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sai.wingpen  生きるものたちは川を渡る                     矢印 bk1書評ページへ

 アラスカを生涯撮り続けた写真家星野道夫(1952~1996)に川を渡るカリブーを写した一枚の写真がある。
 朝焼けだろうかそれとも夕焼けだろうか、少し橙に染まった川を複数のカリブーが無数の水飛沫をあげ、川を渡っていく。
 カリブーの荒い息づかい、どおどおという水の音、その場面には耳をふさぎたくなるような音が氾濫していたはずだが、星野の写真には不思議な程静謐が支配している。
 カリブー達は生きるために川を、いま、渡ろうとしている。

 「浅き川も深く渡れ」。
 星野道夫は小学校の卒業アルバムにこう書いた。これから中学生になろうとする少年がどんな思いでこの言葉を記したのか知ることもないが、星野の生涯をたどると、いつもこの言葉に戻ってくる。
 深い川を浅く渡れ、と書くと人生の生きる技術的な言葉でしかないが、「浅き川も深く渡れ」という少年の言葉はもっと重い、人生の真実のようなものを感じてしまう。

 1950年代のアメリカの詩人ラングストン・ヒューズが18歳の時に書いた詩、「川のうた」にも、星野の短い言葉に通じる、強い力がある。いや、ヒューズの場合は星野の言葉よりももっと強いものであったにちがいない。
 黒人として生まれたそのことに対する意識は私たち日本人には想像すら寄せつけないものかもしれない。
 「わたしは、たくさんの川を知っている。/大むかしからある、くらい色の川たちを。//それで、わたしのたましいも、川のようにふかくなったのだ」
 ヒューズの詩はそう締めくくられている。
 ヒューズの詩のすごさもさることながら、そういう人々の悲しみや辛苦を、少年であった星野が言いえたことにも、また驚いてしまう。

 ヒューズの詩はE・B・ルイスの絵によって、さらに深まった。それはあらゆる音さえ消し去った。
 音がなくなった世界に、悲しみはあふれ、その果てに希望がわきあがる。
 深い感動が静かに打ち寄せてくる。
  
(2012/01/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日手塚治虫さんのことを
  書きましたが、
  手塚治虫さんの少女漫画の傑作といえば
  『リボンの騎士』。
  TVアニメにもなりましたから
  覚えている人も多いと思います。
  あれは手塚治虫さんが多分に
  宝塚歌劇を影響された作品だと
  思います。
  ということで、
  今日紹介するのは
  姫野カオルコさんの『ああ、懐かしの少女漫画』。
  講談社文庫のオリジナル作品です。
  つまり、単行本から文庫本になったのではなくて
  いきなり文庫本として
  登場した作品です。
  装丁にひかれて
  思わず手にした一冊です。
  私には、懐かしい漫画とその周辺がつづられて
  楽しい文庫本でした。

  じゃあ、読もう。

ああ、懐かしの少女漫画 (講談社文庫)ああ、懐かしの少女漫画 (講談社文庫)
(2011/10/14)
姫野 カオルコ

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sai.wingpen  花より少女漫画                矢印 bk1書評ページへ

 女の子を初めて異性として意識したのはいつだったろうか。
 巷間よくいわれるような保健の時間に女子が別室に移動したという光景は覚えていない。
 女子の背中に下着の影が映った頃、それは小学六年くらいであったか、そのあたりから異性として意識したような気がした。
 それでも、彼女たちが読んでいた「少女フレンド」や「マーガレット」を貸してもらって楽しんでいたのもその頃で、少女漫画雑誌も少年漫画雑誌もあまり気にしていなかった。
 ところが、「お目眼の中にお星様キラキラ、バックにお花」といった少女漫画のことは覚えていない。記憶にあるのは、楳図かずおの恐怖漫画なのだ。

 姫野カオルコの「漫画評論でも漫画史でもない」、「むかしばなし」のような漫画エッセイの巻頭が、その楳図かずおのことだというのがうれしい。
 この本で紹介されているのは楳図かずおの『赤んぼ少女』という1967年の作品だが、私が出合ったのはそれより少し前の『へび少女』や『ねこ目の少女』だった。
 その漫画が読みたい一心で、女の子たちから借りたものだ。
 怖くてこわくて、いまだにその漫画が記憶に残るほどだが、女の子たちは楳図の恐怖漫画をキャアキャア言いながら喜んでいたと思っていたが、姫野のようにやはりきちんと覚えていた女の子もいたのだ。

 この本のなかで姫野が何度も書いているように、これは1958年の作家姫野カオルコの、しかも彼女が少女漫画に夢中になった「1963~1970年」の漫画に限定されている。だから、「花の24年組」と呼ばれる萩尾望都や竹宮恵子はほとんど語られていない。
 ここでは一条ゆかりや赤松セツ子といった、それでも少女漫画の礎を作った漫画家であるにはちがいないが、人たちと作品が、しみじみと語られている。
 男の子たちが女の子たちにまだ異性を感じたか感じないかの頃、きっとこの頃の女の子たちはもっとしっかりと自分たちが男子ではない異性であることを認識していたのだと思う。
 女の子にとって、子供みたいな男の子を相手にするよりも、少女漫画の世界にこれから訪れる大人の匂いを感じとっていたような気がする。
 所詮、男子は女子にかなわない。
  
(2012/01/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  「漫画の神様手塚治虫が亡くなったのは
  1989年2月9日。
  もう20年以上経ちました。
  それでも、手塚漫画は今でも
  多くの人に語られていますし、
  今日紹介する『手塚治虫クロニクル 1946~1967』のように
  まだまだ新しい本が出版されたりします。
  これって、すごいことです。
  多分、私のように子供の頃から
  手塚漫画で育った人間だけでなく、
  若い、もしかしたら手塚治虫が亡くなってから
  生まれた若者たちも
  新しいファンとして
  手塚漫画に魅入られているのではないでしょうか。
  あるいは、この本を読んで
  手塚漫画に興味を持つ人も
  でてくるのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

手塚治虫クロニクル 1946~1967 (光文社新書)手塚治虫クロニクル 1946~1967 (光文社新書)
(2011/10/18)
手塚治虫

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sai.wingpen  手塚漫画とともに歩む                矢印 bk1書評ページへ

 「漫画の神様」手塚治虫は生涯600以上のタイトルの漫画を描いたという。
 それだけでもすごいのだが、もっとすごいのは、手塚が『鉄腕アトム』に代表される少年まんがだけでなく少女まんが、成人向けまんが、それに幼児向けまんがと、ほぼ読者の全域にわたって描いたことだろう。
 『鉄腕アトム』で幼少期を過ごした子供がやがて青年期に『火の鳥』で感銘を受ける。そして月日を重ね、『アドルフに告ぐ』でまた人生を考えさせられる。
 手塚の漫画とともに成長し、いつも手塚漫画がそばにあった。そんな人たちは多い。

 本書はそんな手塚治虫の業績を「クロニクル」(年代記)の形で年ごとに一作品ずつ紹介している。
 もちろん、『鉄腕アトム』などの長期連載はその中の一つしか紹介されていないが、これは致し方ない。ちなみに本書に掲載されているのは、アトムの両親の誕生秘話を描いた1957年の作品である。
 本書では手塚のデビュー作となった『マアチャンの日記帳』(1946年)から『どろろ』(1967年)までの25作品が掲載されている。

 その中には、手塚漫画を不動のものにした『新宝島』や『ロスト・ワールド』も掲載されているが、個人的には『ビッグX』や『マグマ大使』との久々の邂逅がうれしかった。
 いずれもTVのアニメや特撮もので人気を博した作品で、特に『マグマ大使』はTVの前で夢中になった。
 その原作を一部であっても手塚の漫画で読むことができるなんて、大人になって初恋の人に出逢った気分だ。
 それほどに手塚漫画は私たちの成長とともに、あの場面やこの場面がそれぞれのキャラクターとともに、そばにいたことを実感できる。

 手塚治虫は「漫画の神様」だが、こうして「クロニクル」で見ていくと、その絵柄といいコマ割りの手法といい、年代をおっていくごとに成長していくのがわかる。
 「神様」は努力の漫画家でもあったことはまちがいない。
  
(2012/01/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する『だれかの木琴』の作者
  井上荒野さんは、
  2008年第139回直木賞を『切羽へ』で受賞しています。
  その時にも評判になりましたが、
  井上荒野さんのお父さんは井上光晴さん。
  やっぱりお父さんの背中を見て
  子供は育つのでしょうか。
  残念ながらその受賞作は読んでいません。
  だから、今回のこの作品が
  私にとっては井上荒野さん初体験となります。
  主婦のストーカーという
  刺激的な題材をきちんと描いています。
  それにしても旦那さんが
  頼りないのが気になりますね。
  なんか男って
  肝心なところで逃げ出すような。

  じゃあ、読もう。

だれかの木琴だれかの木琴
(2011/12/09)
井上 荒野

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sai.wingpen  じわじわと                     矢印 bk1書評ページへ

 ゆっくりの類語。そろそろ。徐々に。段々。じっくり。少しずつ。どうも、しっくりこない。
 やはり、じわじわ。これが、この作品には合う。
 じわじわ、という言葉には時間的速度的にはゆっくりと同じ速さを感じないものがあるが、その迫りかたはこちらを威圧する印象がある。迫ってくる感じ。恐怖。
 やはり、じわじわ。これが、井上荒野が描く普通の主婦の心の破壊を描く、この作品には合う。

 41歳の主婦、夫は5歳年上の警備会社の真面目な営業マン、の小夜子が新しい家に越してきたところから物語は始まる。夫婦には13歳の、少しばかり反抗期を迎えた娘がいる。
 どこにでもある家族。どこにでもいる夫婦。まだ「性生活は途絶えているわけでは」ない。それでいて、何かが崩れかけている夫婦。
 じわじわと。
 初めて行ったヘア・サロンで小夜子の担当だった海斗(かいと)からの一通のメールが小夜子を狂わせていく。なにげなく返信したメールに意味があっただろうか。そこから小夜子の心は狂いだし、やがて海斗に対し、部屋を訪れる、海斗の彼女の勤め先まで出向く、といったストーカー行為へと発展していく。
 じわじわと。

 小夜子が初めて送ったメールは、どこまでも広がる大海に投げ出されてSOSだったともいえる。
 それは、海斗という特定の人間である必要はなかった。どこかの岸にたどりついて、誰かに拾ってもらえればそれでよかったのかもしれない。たまたま手にしたのが海斗だったともいえる。
 物語は、小夜子の狂気がゆっくりであるから、余計に怖い。恐怖はじわじわの方が怖い。
 ましてや、小夜子の場合、自身の狂気と家族の崩れは歩調を合わせていくようで寒気たつ。

 壊れていく原因がよくわからない怖さとそのじわじわな速度が、この物語に恐怖をまねく。
 家族とか夫婦というのは、気がつけば取り返しのつかない崩壊に陥ってしまうのだろうか。
 井上荒野のこの作品は、小夜子という主人公の崩壊を描きつつ、じわじわと崩れ壊れていく時間の恐さを描いている。

 ラスト。小夜子が新たな男性に出す一通のメールが次の崩壊を暗示して、さらに恐怖はつづいていく。
 じわじわと。
  
(2012/01/19 投稿)

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 「アベック歌合戦」というTV番組があったのを
 御存じだろうか。
 「♪あなたのお名前、なんてうの?」と
 軽妙なトニー谷の司会で一世風靡したTV番組です。
 1960年代の人気番組です。
 今の人は知らないだろうな。
 そもそもアベックなんていう言葉じたいが
 死語かもしれない。
 なつかしいな~。

 今回の「ほんのニュース」は芥川賞・直木賞受賞のことでした。
 読売新聞のネットから。

   芥川賞の円城・田中さん、職歴・作風が好対照

 と、あるように
 第146回芥川賞円城塔(とう)さんと田中慎弥さんの
 W受賞で決まりました。
 昔はこういうのをアベック受賞と呼んでいたような
 記憶があるのですが、
 ちがうかな。
 今はW受賞といいますね。
 今回は男性2人の受賞ですから
 アベックというのも変ですが。
 円城塔さんが『道化師の蝶』という作品で、
 田中慎弥さんが『共食い』という作品で
 受賞しました。

   理論物理で東大博士課程を修了した円城さん、
     高校卒業後、職歴のない田中さんの対照的なダブル受賞

 「受賞作なし」もさみしいけど、
 こうW受賞が続くと、
 いいのかいな、と思わないでもありません。
 選考委員の意見が合わなくなっているのかな。
 まあ、作品を読まないとなんともいえませんので、
 また読んだ折には、ご意見申し上げたいと思います。
 まずは、おめでとうございます

 一方の直木賞ですが、
 葉室麟(りん)さんの『蜩(ひぐらし)ノ記』に決まりました。
 時代小説は相変わらず強いですね。
 そろそろ葉室麟さんの頃かなと思っていましたが、
 これもよかった、よかった。
 もっとも、私、葉室麟さんは
 女性だと思ってた程度。
 もちろん、男性です。
 
蜩ノ記蜩ノ記
(2011/10/26)
葉室麟

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 最近の傾向としては
 あ、これ、私の個人的な私見ですが、
 芥川賞より直木賞の方が
 うんと面白い。
 芥川賞に文学的刺激がないような気がします。
 ま、これも読んでみないと
 わからないのですが。
 今から来月出る「文藝春秋」を楽しみにしています。

 そういえば、「アベック歌合戦」のことでした。
 あれはW歌合戦では面白くもなんともない。
 「アベック」という、
 なんともいえない語感がよかったのでしょうね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日の夜、
  すなわち今夜、
  第146回芥川賞直木賞が発表されます。
  果たして、どの作品が受賞するのか
  楽しみです。
  少なくとも芥川賞は
  ひと頃よりもおとなしくなったとはいえ
  ひとつの事件です。
  今夜、また事件が起こるのです。
  ということで、
  今日は「芥川賞を読む」で
  第135回受賞作
  伊藤たかみさんの『八月の路上に捨てる』を
  紹介します。
  私はとてもいい作品だと思いましたが
  選考委員の評価はかなり厳しかった
  作品です。
  皆さんはいかがでしたか。

  じゃあ、読もう。
  
八月の路上に捨てる八月の路上に捨てる
(2006/08/26)
伊藤 たかみ

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sai.wingpen  「同棲時代」の息子たち            矢印 bk1書評ページへ

 第135回芥川賞受賞作。
 2006年の作品ながら、古風な青春物語の匂いを感じさせる。どんな時代であっても、青春とは甘酸っぱいものなのかもしれないが、それは同時に池澤夏樹選考委員が指摘しているように「類型を脱していない印象」も否めない。
 個人的にはそんな「類型」が嫌いではない。

 30歳の誕生日に4年続いた結婚生活に終止符を打とうとしている敦。彼は飲料缶を自動販売機に補充する仕事のアルバイト。2つ年上の水城さんという女性と組んでルートを回っている。
 八月の最後の暑い日。水城さんはこの日を最後にこの仕事から事務の仕事に変わる。
 結婚生活を終えようとしている敦と、新たな生活を始めようとする水城さん。二人の、ある意味、記念の、八月の最後の日。
 決められた営業ルートをこなしていく二人の姿を描きながら、敦の破たんした結婚生活が二重写しのように描かれていく。
 ひとつは、この日が終わろうとする時間。もうひとつは、敦の結婚生活が終わろうとする時間。

 「類型を脱していない印象」があるのが、後者の敦の結婚生活の時間だ。
 学校を卒業しても脚本家を目指していた敦を恋人の知恵子が生活も心も支えるようにして結婚し、新しい生活を始める。他愛もないことがおかしく、ささやかなことに満足していた生活が、やがて少しずつずれていく。
 そして、お決まりの喧嘩と別居。別居の前日に敦と知恵子は二人にとってゆかりの場所をめぐっていく「最後のデート」をする。
 出合った大学のキャンパス、よく行ったビデオショップ、何度か行った定食屋。
 敦と知恵子は2006年の若者だが、まるで70年代の若者、例えば「同棲時代」の今日子と次郎のような感傷をひきづった雰囲気をもっている。
 この物語の登場人物たちは「同棲時代」の息子たちであり、娘たちなのかもしれない。

 この作品が読んだ印象以上に選考委員の評価が低いのは、あまりにもうまくまとまり過ぎているせいだろう。
 宮本輝選考委員はそのことを「小説の土台が小さい」と表現しているが、小さくてもこういう青春があってもいいと、私は思うのだが。
  
(2012/01/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  父が脳梗塞で倒れたので
  この土日と、また大阪に帰ってきました。
  父に私がわかったどうかはわかりませんが
  親子の絆って
  いつまでもつながっていると思います。
  それが、親子。
  ずっと、親子です。
  今日は、親子の物語でもある
  児童文学の傑作、
  松谷みよ子さんの『ちいさいモモちゃん』を
  紹介します。
  講談社文庫でモモちゃんシリーズが
  立て続けに刊行されています。
  今回の文庫本の特色は
  酒井駒子さんが表紙絵を描いていること。
  表紙を見ているだけでも
  うれしい一冊です。

  じゃあ、読もう。
  
ちいさいモモちゃん (講談社文庫)ちいさいモモちゃん (講談社文庫)
(2011/11/15)
松谷 みよ子

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sai.wingpen  それぞれのモモちゃん               矢印 bk1書評ページへ

 もし、この文庫本のカバー装画と口絵を酒井駒子さんが担当しなければ、この松谷みよ子さんの名作を再読しなかったかもしれません。酒井さんの絵が好きだということもありますが、本書のカバーに描かれたモモちゃんの、なんともいえないかわいらしさ、憎々しさといったら。
 一歳や二歳の子供はかわいいばかりではありません。時に、あるいはほとんどわがままで、自己中心的で、それはそれであたりまえなのですが、とってもかわいいという言葉で括れません。
 そんな幼児の表情を、酒井さんは見事に表現しています。

 特に口絵で収められている「モモちゃん、怒る」のモモちゃんの恐い表情はまるでオカルト映画に出てくる赤ちゃんのよう。
 物語ではこの時モモちゃんは「二つと少しになった」ばかりです。
 ママが仕事で遅くなって「あかちゃんのうち」に迎えにいくのが遅くなりました。だから、モモちゃんはとっても怒ってしまいます。「ママが、あんまりおそいから、もう、おこっちゃって、ずうっと、ずうっと口をきかないの」というくらい怒っています。そんなモモちゃんを、酒井さんはモモちゃんと同じ背丈の視点で見事に描いています。 

 酒井駒子さんの描く女の子は、みんなその子たちと同じところに立っています。大人でもなく、読者でもない。だから、いつも、真実の子供たちです。
 だから、この文庫本の解説を書いている角田光代さんは、酒井さんの描くモモちゃんを見て、「泣きそうになった」と告白している。そして、あらためて「モモちゃんは、私たちそれぞれのなかでこんなにも生き生きと存在している」ことに気付く。
 たぶん酒井さんの描くモモちゃんと読者、特にとっても昔に(なんたってモモちゃんの物語が初めて書かれたのは昭和36年なのですから)モモちゃんに出逢った人たち、とはその思いは違うかもしれない。でも、それでいいんじゃないでしょうか。
 誰もがそれぞれのモモちゃんを持っていて、誰もがそれぞれのモモちゃんにたくさんのことを教えられる。人は、モモちゃんとともに、成長してきたといえるんじゃないかな。
  
(2012/01/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日も昨日につづいて
  NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」ネタです。
  しかも、絵本。
  しかも、「だんじり」。
  ドラマを観ている人は、
  「だんじり」がたびたび出てきますから
  どういうものかはご存じかと思います。
  大阪・岸和田の人にとって
  「だんじり」は命みたいなものです。
  それが、絵本になっていたので
  びっくりしました。
  それが、今日紹介する
  はまのゆかさんの『だんじりまつり』。
  どうです?
  この表紙絵。
  これぞ、「だんじり」。
  といっても、実際はもっと
  重々しくて、
  荒々しくて、
  それでいて早くって
  危なくって。
  とにかく、岸和田自慢の秋祭りです。

  じゃあ、読もう。

だんじりまつり (絵本のおもちゃばこ)だんじりまつり (絵本のおもちゃばこ)
(2005/08)
はまの ゆか

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sai.wingpen  だんじり人生                 矢印 bk1書評ページへ

 NHK朝の連続ドラマ「カーネーション」は、大阪・岸和田が生んだ世界的なファッションデザイナーコシノ三姉妹の母親小篠綾子さんをモデルにしたドラマですから、岸和田の勇壮な祭り「だんじり」が時に重要な局面で使われています。
 岸和田の人にとって「だんじり」はとても重い意味を持っています。
 正月よりもクリスマスよりも大事。一年が秋の「だんじり」まつりを基準にして動くているといっても過言ではありません。
 何しろ「だんじり」まつりになると、全国に散らばっていた岸和田の人が故郷めざして帰ってくるというぐらいです。
 親の死に目はともかく、仕事なんかは「だんじり」に比べるとさして重要ではありません。ここは必ず休みです。
 小学校、中学校も休みです。何しろ「だんじり」まつりですから。

 そもそも「だんじり」は田舎の荒っぽい祭という印象を持っていました。それが今や全国版の祭となって、「だんじり」は一挙に知名度をあげました。
 ただ、死者や家屋の破壊すら厭わない荒っぽい祭としての人気ですから、岸和田出身の人間として喜んでいいのか、悲しんでいいのか。いいえ、そんな人の人気なんかくそくらえ、です。「だんじり」は「だんじり」以外の、何者でもありません。
 そんな「だんじり」が絵本になっていたなんて、びっくりです。
 しかも、作者は『13歳のハローワーク』ですっかり有名になったはまのゆかさん。絵本としても上出来です。
 何しろはまのゆかさんは岸和田の近く泉佐野出身ですから、おそらく「だんじり」を間近で見て育った人です。だから、その心意気はちがいます。
 ただ、はまのさんの描く「だんじり」は少しかわいすぎる気がします。「だんじり」はもっと荒っぽく描く方がいいかもしれません。でも、かわいい「だんじり」も、またいいものです。

 物語は勇壮な「だんじり」まつりとは趣きが違い、優しい家族の物語になっています。「だんじり」まつりの日、おいてきぼりをされたと思った男の子と家族の物語です。それが、はまのさんの絵に合っています。
 それでも、この男の子の中にも、「だんじり」大好きの、岸和田の血が流れていることがよくわかります。
 この子もまた、「だんじり」に自分の人生を重ね合わせていくのだと思います。
  
(2012/01/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  またまたNHK朝の連続ドラマ「カーネーション」の話です。
  ドラマも後半にはいって
  オープニングの映像、
  女の子の人形がでてくるもの、
  に変化があったことに
  気がつかれたでしょうか。
  前半にはなかった小さな三人の女の子が
  登場しているのです。
  もちろん、モデルとなった
  小篠綾子さんの三人の娘さんを
  かたどったものです。
  ドラマでは
  戦争も終わって、
  これから糸子(ドラマの主人公)の
  恋物語も描かれていきます。
  もう待ちきれずに、
  小篠綾子さんの自伝ともいえる
  『糸とはさみと大阪と』を読みました。
  さて、これからドラマでは
  どんな風に脚色されるかわかりませんが
  これからも毎日楽しみです。

  じゃあ、読もう。

糸とはさみと大阪と糸とはさみと大阪と
(2011/05)
小篠 綾子

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sai.wingpen  おもろいんとちゃうけ?                矢印 bk1書評ページへ

 正月に帰省した際、よく話題にのぼったのがNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」のことでした。
 実家があのドラマの舞台、だんじりで有名な大阪・岸和田ですから、当然といえば当然ですが。
 故郷の人いわく、あのドラマの岸和田弁はほぼ完ぺきと、皆さん高い評価をしていました。私もそう思います。 ドラマを見ていると、つい岸和田の実家にいるような感じがして、放送終了後は自然と岸和田弁で話したりしている自分に気づきます。
 あのドラマのモデルはファッションデザイナーであるコシノ三姉妹の母親である、そしてこの本の著者でもある小篠綾子さんですが、小篠さんはこの本の中で岸和田弁について「大阪のなかでも荒っぽい」と書いています。
 だから、子供たちが有名になっていくなかで、岸和田弁を使わないようにしようとしますが、「言いたいことが思うように言えない」でどうも具合が悪い。そこで小篠さんは腹をくくって、岸和田弁ではっきりと物をいうようにしたそうです。
 故郷の言葉ですから恥じることなどありません。
 岸和田弁がどんなに汚くて乱暴であっても、あの味は岸和田の特長ですから、それでいいんとちゃうけ?

 この本は昭和62年に書かれたものです。読んだのは平成23年の改訂版ですから、ドラマ化されなければ増刷もなかったでしょうし、読む機会もなかったかもしれません。まさにドラマさまさまです。
 正月に兄と話して、ともに感じていたのは小篠綾子さんのパワーが私たちの亡くなった母によく似ているということでした。
 母も岸和田生まれの岸和田育ち。商売に取り組み姿勢もよく似ています。子供たちこそコシノ三姉妹というわけにはいきませんでしたが。

 小篠綾子さんは自身の原動力を「熱の人」と、この本の中で表現しています。
 「ひたすら目先にあるものを見つめて、一生懸命にやる」、そういうことをひっくるめて「熱の人」と表現したのだと思います。
 その熱は私の母にもありました。実際そんな熱がうとましい時期もありましたが、亡くなってみると到底真似できないすごさのようなものを感じます。
 もし、母が生きていたら、きっとこのドラマに夢中になっていたにちがいありません。そして、「そうやった、そうやった」と涙を流していたでしょう。

 この本には三人の娘たちへの思いも描かれています。仕事中心の小篠さんでしたが、だからこそあれだけの才能をもった三姉妹が誕生したのだと思います。
 母の力は強し。
 岸和田の女は、さらに強いのです。
  
(2012/01/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日
  三田誠広さんの『男が泣ける昭和の歌とメロディー』の
  こぼれ話に
  小坂恭子さんの「想い出まくら」のことを
  少し書きましたが、
  そういえば、その歌詞でタイトルにした
  書評を昔書いたことがあったなぁ、と
  探し出したのが、
  今日紹介する高平哲郎さんの『ぼくたちの七〇年代』です。
  2004年に書いた蔵出し書評です。
  好きな歌は
  いつまでも心に残るというか
  何度でも浮かんでくるものですね。
  今から思えば
  やはりあの頃は青春していたんですね。
  うらやましいなぁ。
  若いっていうことは。
  私もまだまだ。
  と、気合いだけはあるのですが。

  じゃあ、読もう。

ぼくたちの七〇年代ぼくたちの七〇年代
(2004/01/01)
高平 哲郎

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sai.wingpen  こんな日はあの人の真似をして−私の思い出まくら      矢印 bk1書評ページへ

 「わが巨人軍は永久に不滅です」そういってミスター・ジャイアンツ長島茂雄が引退したのは、一九七四年十月だった。
 私はその中継を東京の学生寮の食堂で見ていた。特に巨人が好きだったわけでもなかったし、長島のファンだったというのでもない。なのに悲しかった。
 あの時、学生寮の食堂に何人かがいて、同じようにテレビを見ていたはずなのに、記憶の中では私一人がポツンとテレビの前にいる。
 十九才の私は、つまらないほど孤独だった。

 どうして人は七〇年代を特別扱いしたがるのだろうか。
 戦後の日本がその姿を大きく変えたのは、六〇年安保を経て、岩戸景気といざなぎ景気という高度経済成長期であったはずだが、六〇年代はうっちゃられて、七〇年代を懐かしむのは何故だろう。
 七三年のオイルショックで時代はひとつの終焉をむかえたが、その少し前から人々は走ることに疲れていた。
 みんなが同じスピードで走ることに疑問を持ち始めていた。それぞれが自分にあった速度で歩き始めたのが七〇年代だといえる。
 そういう意味で、情報だけを提供する雑誌『ぴあ』が創刊(72年)されたのは、時代の象徴ともいえる。自分が好きなものを自由に選べる時代、それが七〇年代であった。

 雑誌『宝島』の元編集長であった高平哲郎の七〇年代クロニクル(年代記) であるこの本は、極めて個人的な回想録である。
 植草甚一や赤塚不二夫、山下洋輔といった仲間たちとしゃべり、酩酊し、はしゃぐ著者は時代の先端にいたはずなのに、なんの衒いもない。
 タモリというタレント(まさに才能というべきだろう)を生み出したその現場にいながら、気分の高揚こそあれ特段の感慨を描写するまでにはいたらない。実はこれこそが七〇年代そのものかもしれない。
 この本に描かれているのは、高平氏にとって、あるいはその仲間たちにとっての七〇年代であり、私にとっての、あるいはあなたにとっての七〇年代はもっとちがったところにあるのだろう。
 それぞれが自身の七〇年代をもっている。そのことに気がつかされた一冊である。

 「本当に私たちは幸せでした」そういってキャンディーズが解散したのは、一九七八年四月だった。
 長島茂雄が引退した同じ後楽園球場での解散コンサート。私の記憶にはその時の映像があるが、それをどこで見ていたのかまるで思い出せない。特に彼女たちのファンだったわけではない。なのに悲しかった。
 二三才の私は、まだつまらないほど孤独のままだった。
  
(2004/02/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は文房具の本を紹介します。
  実は私、結構文房具好きなんです。
  昔、文房具の雑誌を買って
  読んでいたくらいです。
  残念ながら、その本は廃刊になりましたが。
  ですから、
  東急ハンズロフトに行くのは
  好きですね。
  大人の遊び場みたいな感じ。
  この本、
  榎本勝仁さんの『100円文具「超」仕事術』も
  読んでいて楽しかったです。
  あんな技、こんな技が満載。
  もちろん、どこかで読んで技もはいっていますが
  それはそれで。
  私の文房具わざをひとつ紹介しておきますか。
  私はきんちゃく袋
  いろんなものを入れて
  いつも持ち歩いています。
  爪切りとかメジャーとか付せんとか
  まとめていれています。
  あんまし参考にならないかなぁ。

  じゃあ、読もう。
 

100円文具「超」仕事術 ―デジタル時代こそ、アナログを活かせ!100円文具「超」仕事術 ―デジタル時代こそ、アナログを活かせ!
(2011/10/27)
榎本 勝仁

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sai.wingpen  ドラえもんの道具よりも素敵な文房具たち         矢印 bk1書評ページへ

 男の人には「家電量販店」が好きな人が多い。「家電芸人」と呼ばれる人の多くは男性だ。その一方で「100円ショップ」が好きなのは女性だろうか。
 どちらかというと、女性の方が金銭感覚にシビアということかもしれないが、いずれも遊び感覚で店内をぶらりとしているのだろう。
 文房具を好きなのは男性だろうか、女性だろうか。
 銀座の有名店に行けば、結構男性がうれしそうに文房具を見ている場面に遭遇する。もちろん女性もおしゃれな文房具にはうるさい。
 本書は「100円ショップ」で手にはいる文房具をメインに取り上げているから、女性の方がなじみがあるかもしれない。
 「100円文具だけではないスグレもの」(いわゆるメーカーもの)も紹介されているから、このあたりは男性の方に情報が多いような気もする。
 いずれにしても、男性女性ともに愛される「文房具を活用した仕事のTIPS(コツや小ワザ)集」だから、文房具好きだけでなく、仕事に行き詰った人、仕事を変えたいと思っている人には、気楽に読めて、楽しめる一冊だろう。

 当然こういうハウツウ本で欠かせないのは、実行力である。
 ものは試し、と昔からいわれるように単に読むだけでなく、ひとつでもふたつでも自分で試してみること。それでダメなら、自分に合わなかったとあきらめるしかない。
 実行もしないで挫折はない。
 著者もいうように「利用するのが100円文具なので、経済的・心理的な負担は少ないはず」である。

 本書のもうひとつの特長は、著者が教育関係の仕事もしていて、「100円文具を使って勉強の効率アップ」の方法も伝授している点だ。
 今やビジネスマンは与えられた仕事をこなすだけでは不十分で、さらにスキルアップをしないとついていけないという厳しい現実と直面している。
 そういうハードな面をいかに文房具を活かして乗り切るか、その方法も書かれている。

 文房具は小さいながら、愛すればとても可愛い道具だ。
 ドラえもんが夢の道具を出してくれる、そんな未来が来るまで、文房具には活躍してもらおう。
  
(2012/01/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  あの東日本大震災から
  今日で10ケ月になります。
  被災された人にとって
  この時間を思うことより
  またあの日がやってくること、
  そのことに不安があるのではないでしょうか。
  まだまだ傷は癒えないと思います。
  だから、支援はこれからも
  続けていかなければいけません。
  今日紹介する本は
  曽野綾子さんの『揺れる大地に立って』という
  東日本大震災についての
  個人的記録を収めた一冊です。
  最近の曽野綾子さんは
  とてもたくさん著作をものに
  されています。
  本屋さんの店頭にいけば
  たくさん曽野綾子さんの本が並んでいます。
  ということは、
  曽野綾子さんの発言を待っている、
  たくさんの人たちがいるということです。
  実に小気味いいのだと思います。
  今回の書評タイトル、
  「誰にも答えの出ないことを、誰かに問うてはいけない」は
  この本の章にあったタイトルを
  使いました。
  短い言葉ですが、
  とても重いものを感じました。

  じゃあ、読もう。

揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録
(2011/09/01)
曽野 綾子

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sai.wingpen  誰にも答えの出ないことを、誰かに問うてはいけない   矢印 bk1書評ページへ

 昨年(2011年)の夏開催された東京国際ブックフェアの「読書推進セミナー」という講演で曽野綾子さんの講演を聴きました。足を少し不自由にされていてと話されていましたが、背筋はまっすぐ老齢を感じさせないパワーを感じました。
 また、その話しぶりも、歯に衣も着せぬというのでしょうか、ズバズバと話されて、これは高齢者の力なのか女性の力なのか、と圧倒されましたが、あれこそはまさに「ソノアヤコ力」ともいえる個性だと思います。

 本書は曽野綾子さんが東日本大震災で感じた感想なり批判なりを「個人的記録」としてまとめた一冊ですが、「私の性格はかなり偏っているだろうが、そのような一人の個人が見たことを記録するのが、しかし作家の任務」とここでも「ソノアヤコ力全開」の内容となっています。
 被災者あるいはその関係者の皆さんにとっては少し嫌な思いをする表現もないわけではありませんが、この国の指導者たちのどこかにごまかしがあるようなものより、曽野さんの諸々の発言の方がうんと説得力あるように感じます。
 曖昧なままの発言ではYESもNOも何の意味も持ちません。曽野さんの発言を受け入れないのであればそれにNOすればいいのです。そのNOこそ、読者の姿勢になります。YESも、また。

 今回の大震災は「想定外」な災害であったとしばしば言われます。
 しかし、曽野さんは「人生には常に想定外のことがあるものだ」と思っています。だから、どんなことをも受け入れる力があるのだといえます。
 「想定外」という態のいい言葉があるばかりに、私たちはついその言葉を使ってしまいます。曽野さんが言われるように「想定外」は常にあるものとするだけで、心構えもちがってきます。
 原発問題もそうです。いったい誰が決めた「想定内」か、想定の基準を決めることで間違った安心をしてしまったのは事実でしょう。

 東日本大震災は悲しい事実です。その事実は消せません。
 本書の中には曽野さんの「個人的記録」を通じていくつもの次の備えのための発言がたくさん書かれています。次に大地震が起こらないとは誰がいえるでしょう。その時、私たちはどのように対処すべきか。
 まさしく「個人的」な対応が問われることになります。
  
(2012/01/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  仕事始めは先週だったでしょうが、
  そのあとすぐに3連休にはいったので
  いよいよ今日から本格的に始動という
  人も多いのではないでしょうか。
  働く皆さんにエールを。
  今日紹介するのは、
  小宮一慶さんの『コンサルタントの仕事力』。
  その書評のなかで
  ソクラテスの「無知の知」という言葉を
  引用していますが、
  実はこの言葉、
  今年になってもう2回も使っています。
  言葉にひきづられているとしたら
  この「無知の知」は、
  今年のマイ・キーワードかも。
  さあ、正月ボケをぬけでて
  今年もしっかり働きましょう。

  じゃあ、読もう。

コンサルタントの仕事力 (朝日新書)コンサルタントの仕事力 (朝日新書)
(2011/11/11)
小宮一慶

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sai.wingpen  小宮一慶さんになれるかしら             矢印 bk1書評ページへ

 「あれはうまくいった」「これは及第点だ」そんな言葉が氾濫する反省会に出たことはありませんか。
 もちろん反省会だからといって、自分の仕事を卑下することもないが、本当にうまくいったのかを見極めることは大切です。うまくばかりいって、どうしてお客様が集まらないのか、商品が売れないのか、そういった一つひとつを振り返ることこそ、次につながると思うのですが。
 経営コンサルタント小宮一慶さんのこの本の「おわりに」に、「自分は何も知らないが、その何も知らないということを知っている」というソクラテスの「無知の知」という言葉が紹介されていますが、すべてに及第点をつける人はその点が欠けているのだと思います。
 小宮さんはコンサルタントになりたい人こそ、「世の中には自分の知らないことの方が多い」ということを前提にして仕事に取り組んでもらいたい、と書いています。

 この本ではコンサルティング力に必要な6つのスキルが丁寧に説明されています。
 すなわち「話を聞く」「理解する」「関連づける」「話す」「書く」「説得する」の6つです。
 これらはコンサルタントになるためのスキルというよりも、仕事を実践していく上でも欠かすことのできないスキルです。
 これらを学ぶことで、「小宮一慶」さんのようになれるかどうかは、読者の心得次第でしょう。あえていうなら、「小宮一慶」さんになる必要はないのです。読者が読者なりのコンサルティング力をもって、ことにあたることが大事だと思います。

 それと忘れてならないのは、仕事を実行していくのはコンサルタントではないということです。
 彼らはいろいろな補助をしてくれますが、実行し、成功に導くのはその仕事をまかされた人だということです。 コンサルタントのいうことを実行してもうまくいかない、なんてよくあります。本当にうまくいくなら、その人にすべてを任せるしかありませんが、実際にはそんなことはできません。コンサルタントのいうことをきちんと理解し、実践できるかどうかが成功につながるのです。
 そして、いうまでもないですが、成功の喜びはコンサルタント以上に、実行者である私たちにあるのです。
  
(2012/01/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は成人の日

   成人の日の大鯛は虹の如し  水原秋櫻子

  成人の日といえば、1月15日だという
  昭和世代にとっては
  1月9日が成人の日といわれても
  ピンとこない。
  今日紹介するのは、
  歌の本。
  三田誠広さんの『男が泣ける昭和の歌とメロディー』。
  そういえば、
  私が二十歳の頃はどんな歌が流行っていただろう。
  小坂恭子さんの『想い出まくら』や西島三重子さんの『池上線』が
  流行った頃だろうか。
  人生に歌はなくてはならないものです。
  特に青春期には
  歌でどれほど慰められたことでしょう。
  書評の中にも書いた
  井上陽水さんの『人生が二度あれば』という歌を
  何度涙ながらに歌ったことか。
  二十歳を迎える若い人たちにも
  そんな歌があったらいいのにと
  思います。
  きっと私には難しくて
  歌えないでしょうが。

  じゃあ、歌おう。
   

男が泣ける昭和の歌とメロディー男が泣ける昭和の歌とメロディー
(2011/12/08)
三田誠広

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sai.wingpen  父の歌、私の歌                矢印 bk1書評ページへ

 「♪今日も暮れゆく異国の丘に」(昭和23年「異国の丘」吉田正作曲)という歌を、今年88歳になる父は若い頃朝起きるたびによく歌っていたのを覚えている。昭和30年代初めの頃だ。戦争が終わって、それでもその戦争をどこかでいとおしむような哀切なメロディー。父はどんな気持ちで歌っていたのだろう。
 戦争。父は戦時中中国に兵士としていった。どんな兵士であったか、あらたまって聞いたことはないが、武勲もなく故郷に戻ってきた。
 どんな思いがあったのか、この歌に父は何がしかの思いを込めていたにちがいない。
 歌詞はこう続く。「♪我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日もくる 春がくる」。

 本書は昭和23年生まれの芥川賞作家三田誠広がふだん生ギターを弾きながら歌っている歌を、短い感想をつけながら、紹介した歌集である。
 子供の頃には、あるいは大人になってからも、まだ「軍歌」を当然のように歌っていた世代であり、それでいてビートルズを聴いて世代でもある。
 また沢田研二や五木ひろし、吉田拓郎といった歌手たちと同じ世代でもある。
 そして、この世代はたくさんの歌にめぐまれた世代だともいえる。現代の若者たちはたくさんの音楽に囲まれているが、同じ歌を共有できているかといえばけっしてそうではない。
 三田たちの、そしてそれにつづく昭和30年代世代は、ひとつの歌に同じような記憶を共有している、幸福な世代といっていい。

 だから、三田はプロローグでこう書く。「歌について語るのは楽しい。語り始めればいくらでも語れる」と。
 私は三田より7歳年下だが、本書で紹介されている60曲のほとんどを懐かしく感じた(もちろん、知らない歌も何曲がはいっていたが)。あるいは、私ならあの歌を選んだだろう、という歌もないではない。
 例えば、井上陽水の『人生が二度あれば』が収録されているのはうれしいが、『心もよう』がないのは残念だといった具合に。

 歌は誰のものでもない。聴いた記憶とともに、その人のものだ。その人たちの世代のものだ。
 父が歌った『異国の丘』は父の歌だし、その少し音程をはずした父の歌で育った私の歌だ。歌のヒットと同時期ではないが、私にとっては記憶に残る一曲である。
  
(2012/01/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  母がなくなって
  もうすぐ2年になります。
  残された父はすっかり小さくなって
  一人では歩けなくなりました。
  先日、その父が倒れたという報が
  はいりました。
  脳梗塞だといわれたそうです。
  この正月に実家に帰って
  ほとんど表情や言葉をうしなった父と
  少しばかり時間を過ごしたばかりでした。
  私の名前も呼ばなくなった父ですが
  私の呼びかけは理解しているようで
  時よりほほえむ。
  父には今、
  どんな時間が流れているのだろう。
  母と過ごした時間だろうか。
  私たち子供たちと安らいだ時間だろうか。
  言葉を話さなくなった父だが、
  今日紹介する絵本『いつもふたりで』のように
  夢の世界に
  遊んでいるのかもしれない。
  そんなことを思ったばかりです。
  年をとることは不幸ではない。
  なぜなら、
  それは誰もがいく道なのだから、
  それが不幸であって
  たまるものか。
  父が、がんばっています。
  私の父が、がんばっています。
  父さん、まけるな。

  じゃあ、読もう。
  
いつもふたりでいつもふたりで
(2011/09)
ジュディス カー

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sai.wingpen  パステルカラーで心を癒す              矢印 bk1書評ページへ

 パステルカラーは時に安らぎをくれる。
 赤や青といった原色には人をひきつける強い力があるが、その中間色ともいえるパステルの色合いはやわらかでやさしい。
 生活の場にはさまざまな軋轢やストレスがある。それはそれで生きていく上で仕方がないと思っているし、そういうことがあればこそ、もしかすると人生の充実をより感じることができるのではないだろうか。
 しかし、そんな人生だから、ふと足をとめて、自分を振り返るのも、周りにいる人たちをそっと見るのも必要だろう。そんな時間こそ、パステルカラーのようなものかもしれない。

 ジュディス・カーのこの絵本はパステルカラーで描かれている。
 長年連れそってきたヘンリーを亡くしたおばあちゃん。実際にはもうここにはいない、大切な人。でも、いつまでもそばにいる、かけがえのない人。
 おばあちゃんは今はいないおじいちゃんと空も飛ぶし、ライオンがりにも行く。恐竜の背中に乗って新たな冒険の旅にもでる。
 そして、思い出すのだ。二人で過ごしたしあわせの日々を。愛し合い、結婚し、子供ができ、花を植え、お茶をのむ。
 おばあちゃんにとって、そんなことを思う、なんと幸福な時間であろうか。

 絵本という不思議なものは、それがけっして子供たちへの贈り物ではないことだ。
 まるでパステルカラーのように、荒れた心を癒してくれる、大人たちへの贈り物でもあるのだ。
 この一冊の絵本がなくしたものを慈しむ、すべての人の心に届けば、どんなにすてきだろう。
  
(2012/01/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  「百年文庫」は
  漢字一文字をタイトルに3篇の短編を
  収めたポプラ社のシリーズ本だが、
  そのタイトルをながめているだけで
  それにどんな物語が収められているのか
  楽しみである。
  また、季節によって
  タイトルを選ぶのもいい。
  新年最初の「百年文庫」ということで
  「」というきれいな一文字を
  選びました。
  収録作品もいい3作品でした。
  特に、高村光太郎の『山の雪』という
  作品がよかった。
  山の情景を描いただけですが
  まさに純白の景色。
  心が洗われるような作品でした。

  じゃあ、読もう。

純 (百年文庫)純 (百年文庫)
(2011/10)
武者小路 実篤、宇野 千代 他

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sai.wingpen  汚れちまった悲しみに                矢印 bk1書評ページへ

 「純」という漢字の持つ清潔感が好きだ。
 純白、清純、純粋。純情・・・。いずれも何も混じりこまない、汚れていない感じ。
 それが、いい。
 「純」という「百年文庫」96巻めに収められた短編三作のうち、高村光太郎が人生の後半期に居住した岩手の山の中の暮らしを綴った随筆『山の雪』に書きとめられているように、「雪がつもるとどちらも見てもまっしろな雪ばかりになり、人っこひとり見えない」、そんな世界が「純」にはある。
 それがいつのまにか社会の垢に汚れていく。それはそれで仕方がないのだが、「純」にあこがれる気持ちは誰にもある。そのことを、いつまでも大切にしたい。
 この巻には高村光太郎の作品のほかに、武者小路実篤の『馬鹿一』、宇野千代の『八重山の雪』の三作が収められている。

 武者小路実篤の『馬鹿一』は、有名な短編だ。以前は教科書や副本で紹介されていたのではないだろうか。中学生ぐらいの頃読んだことがあるが、こんなにも短い作品だったのか。
 草や石の絵や詩を書いて周囲から馬鹿にされる一人の青年。周りの人々は彼に自分の馬鹿ぶりを認めさせようとするのだが、純粋な馬鹿一は馬鹿にされていることにも気づかない。どころか、自分を馬鹿にする周囲の人間こそ「自己に徹していない」という。
 これは、有名なソクラテスの「無知の知」と同じだ。
 つまり、「人は真理のすべてを知らないということを知っている」ということだ。だから、馬鹿一のいうように「世間の人は自分の馬鹿に気がついていない」ということになる。
 短いながらも、深く考えさせられる物語だ。

 高村光太郎の『山の雪』はページ数にしてわずか11ページの文章。それでいて山の冬の生活を見事に描写している。文章を書く訓練になるような一篇である。
 最後は、宇野千代の『八重山の雪』。宇野千代は晩年多くのファンをひきつけてやまない作家となったが、この作品は1975年の作品。
 時代は戦後。偶然に英国兵と出逢ったはる子という女性の数奇な運命を描く作品。はる子に想いを寄せる駐屯兵のジョージは誘拐するように彼女をうばいさる。そんなジョージにひきずられるようにはる子は山間の家に隠れ住むのだが、やがて見つかり、親元に連れ戻されてしまう。それでも、未練の尽きないジョージは隊を脱走してまで、はる子のもとへ。
 この作品の「純」なのは、はる子を恋い慕うジョージなのか、それとも彼を愛し、子供までもうけたはる子なのか。

 人の心を信じること、それを「純」というのだろうか。
  
(2012/01/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年の元旦の
  出版社の広告のことは
  先日このブログに書きましたが
  集英社丸谷才一さんの写真を
  掲載してたということについても
  ふれました。
  その時、書かなかったのですが
  その広告文章の中に
  丸谷才一さんのこんな言葉が
  引用されていました。

   現在といふ時間を強く意識して未来へ進んでゆく勇敢さ、
   そのときの人間の生き方の花やかさ、
   それを尊ぶことこそわが文学の伝統でありました。

  そこからすると、
  今日紹介する丸谷才一さんの
  『持ち重りする薔薇の花』は
  花やかな文学といっていい。
  小説とは
  こんなにも面白い。

  じゃあ、読もう。

持ち重りする薔薇の花持ち重りする薔薇の花
(2011/10)
丸谷 才一

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sai.wingpen  花やかな物語を愉しむ            矢印 bk1書評ページへ

 いい小説を読んだ。
 ここで「いい」というのは、面白いということで、小説から何かを得ようということは大事だけれど、それが一番ではない。やはり、面白くないと。
 生きるべきか死ぬべきか、は大事だけれど、それを小説で教えられるということはなく、小説のもっている雰囲気で掴むということが重要ではないかしらん。
 だから、面白いという中には、そういう生きること全般が含まれているように思う。だって、生きるって面白いでしょ。なぜ、生きるが面白いかというと、いつも未知との出会いだから。
 今日と同じ明日はない。
 この小説の最後に何気なく挿入された、「生れてきたばかりの赤ん坊が大声で泣くでせう。あれは寂しくて仕方がないから」という文章、それにつられて書くと、人が成長して泣かなくなるのは面白くて寂しくなくなるからといえるかもしれない。
 きっとそうだ。そうかもしれない。

 この小説のどこが面白いのかと聞かれたら、物語の構成というしかない。
 元経団連の会長の話をこれも元辣腕雑誌記者がインタビューして、世界でも有名なブルー・フジ・クヮルテットの四人組のことをまとめるという形で物語は進んでいく。
 物語のなかに物語が仕込まれているということになる。
 さらにいえば、途中とちゅうにこの会長のスキャンダルや記者の個人的事情もはさまれているので、多層的な物語といえなくもない。
全体的には中編小説の部類に属するのだろうが、構成は十分長編小説といっていい。
 だから、長編小説としてできあがっていたら、もっと面白かったのではないだろうか。
 だって、物語上にでてくるスキャンダルなんて、特にエロチックな面だが、ちっともエロチックでもない。
 あれは丸谷才一が抑制したか、体力的に持たなかったのじゃあないかしらん。

 ただ気になるのは丸谷才一の「しかけ」に十分理解できていないということだ。
 丸谷才一だけの才覚があれば、もう四方八方に「しかけ」がはりめぐらされているにちがいないのだが、どうもこちら側にそれを読み解く能力が不足しているようで心もとない。
 きっとクヮルテットのこととか四人組の演じる義太夫の場面とかきっと落ちれば深い物語の穴ぼこがありそうなのだが、どうも読み切れていないように感じる。
 そういう読者側の力不足、もやもやした気持ちも、実はまた、面白くはあったのだが。

 面白いというのは、脳が活性化する、そのことかもしれない。
 
(2012/01/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  せっかく新しい年を迎えたのですから
  いい本から紹介したいものです。
  だから、この一冊。
  よしもとばななさんの
  『スウィート・ヒアアフター』。
  よしもとばななさんが東日本大震災で被災された
  たくさんの人たちにむけて書いた
  小説です。
  というよりも、
  多くの悲しみを背負った人たちにむけて書いた、
  というのが正しいでしょう。
  『スウィート・ヒアアフター』とは
  穏やかなその後、という意味でしょうか。
  こういう小説を読むと
  生きるって切なくなりますね。
  表紙の原マスミさんのイラストもいい。
  いろんな場面、いろんな人たちが描かれています。
  生きるって
  つまりはそういうさまざまを受け入れること、
  なのかもしれません。

  じゃあ、読もう。

スウィート・ヒアアフタースウィート・ヒアアフター
(2011/11/23)
よしもと ばなな

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sai.wingpen  そっとそばに                 矢印 bk1書評ページへ

 かつて開高健は「小説家というのは、小さい説を書くから小説家なのだ」といったことをたびたび書いていた。開高らしいはにかみを感じる言葉だが、うまいことをいうものだといたく感心したものだ。
 よしもとばななのこの小説も「小さな説」なのかもしれない。

 2011年3月11日に起こった東日本大震災を経て、多くの作家たちが重いペンを走らせた。あれだけの大きな震災を経験して、そしてその多くは実際に自身が体験したというより、情報によって知りえた惨状ではあるが、作家たちはそれでも書くことを良しとした。
 「あとがき」によれば、よしもとばななもこの小説を「今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたもの」だという。
 しかし、「多くのいろんな人に納得してもらうようなでっかいことではなく、私は、私の小説でなぜか救われる、なぜか大丈夫になる、そういう数少ない読者に向けて、小さくしっかり書くしかできない」と思ったそうだ。
 小説とは、確かに開高のいうとおり「小さな説」かもしれないが、人の心を揺さぶり、癒し、慰めることができる力を持っている。「小さな説」だからこそ、生きることの真髄に迫ることができる。おそらく、開高自身、そう信じていたにちがいない。
 よしもとばななのこの小説もそうだ。
 どこにも震災のことにはふれていないが、愛する人を喪ったものたちがどうその悲しみと立ち向かい、これからの日々を歩んでいくかを静かに指ししめしてくれる。
 いや、指ししめしもしない。
 そっとそばにいるだけだ。それだけで心が静かになる。

 主人公の小夜は突然の交通事故で恋人の洋一を喪った。その時同乗していた彼女は、大きな怪我をしながらも一命をとりとめた。
 死んだもの、生き残ったもの。愛したもの、愛されたもの。
 小夜はそんな喪失感の中でけっしてがんばろうとはしない。
 「親しい人が死んだことにすっきりする解決策はない。会えないままでしばらく元気なくどんよりと、泥沼の中でもがくように、ただ静かに生きていくだけだ。世界に色彩が戻るまで」。
 事故のあと小夜は死んでいったものたちの姿が見えるようになった。そのさまようものたちを介在にして出逢う人たち。その誰もが、小夜にいそぐことを求めない。彼女もいそがない。

 人は悲しみにどんなに傷ついても、いま、生きている、そのことだけで、人としてありつづける。
 そのことを、よしもとばななのこの「小さな説」は、しずかに語りかけている。
  
(2012/01/05 投稿)

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  昨日はずっと箱根駅伝を楽しんでいました。
  いやあ、東洋大の強さには
  びっくりです。
  ああいうのをダントツっていうんでしょうね。
  箱根駅伝を楽しむようになったのは
  ここ数年のこと。
  以前は正月のひまを持て余している大人たちの
  スポーツ観戦と思っていました。
  それに、
  正月から仕事のことがよくあったので
  観れなかったということもあります。
  でも、面白い。
  なんだか人生そのものを
  感じてしまいます。
  人生というのは
  本だけから学ぶのではなく
  いろんなことから
  学べるんだと思います。
  そんな風に思えるようになったのは
  いくらか私も大人になったということかも。
  今日紹介するのは、
  小川洋子さんの『みんなの図書室』。
  読書案内としては
  はずせない一冊です。

  じゃあ、読もう。
  
みんなの図書室 (PHP文芸文庫)みんなの図書室 (PHP文芸文庫)
(2011/11/17)
小川 洋子

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sai.wingpen  ラジオの時代                矢印 bk1書評ページへ

 本書は芥川賞作家の小川洋子さんが初めて挑んだラジオ番組を活字化したものです。
 ラジオを聴く習慣というのはあまり多くありませんので、小川さんがこのような本の紹介をラジオでしていることは知りませんでした。
 私がラジオをよく聴いたのは、もう四十年以上も前になります。深夜放送が全盛期の頃です。
 高校受験から高校生、それに大学受験と、ラジオの深夜放送にはお世話になりました。大学生として上京してからもラジオが社会に開いた窓でした。
 小さな箱、つまりラジオのことですが、から流れてくるパーソナリティたちの個性ある声。リスナーたちのはがきに込められた思い。そして、流行歌。
 あの頃、ラジオが教えてくれたことはたくさんあります。沢木耕太郎さんのことを知ったのもラジオでしたし、山崎ハコさんの歌に心が震えたのも、ラジオでした。
 そんなラジオの時代から、とても遠いところにきてしまいました。

 本書ももとになった小川さんがパーソナリティをしている番組は30分番組で、「毎週、一冊の本について自由にお喋り」する形で進行するそうです。
 その一冊一冊がていねいで、わかりやすい作品紹介になっているのは、本書を読めばわかります。本書はまるでラジオから聞こえてくるような文章で構成されているので、ふっと耳をすませば、女性のやわらかな声が聞こえてきそうです。
 しかも、その作品にこめる小川さんの思いが、さすが本好きの作家なだけあって、読者(あるいはリスナー)によく伝わってきます。だから、小川さんの薦める一冊を読んでみたいと思う人は多いのではないでしょうか。
 いい読書紹介は、読書意欲を誘います。

 うれしいことに、本書の巻末に番組で放送された、紹介本にちなんだ3曲の楽曲が一覧で紹介されています。
 やはりラジオには音楽が似合います。
 たとえば、立川談春さんの『赤めだか』を紹介した際には、内藤国雄さんの『おゆき』、ウルフルズさんの『笑えれば』などが流されたそうです。『おゆき』を聴きながら、『赤めだか』を読む。これはいい。納得の選曲です。
 読み終わっても、ラジオからはいつまでも声が聞こえてくるようです。
  
(2012/01/04 投稿)

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レビュープラス
01/03/2012    2012年元日の新聞から
 年末から年始にかけて
 実家のある大阪に帰っていました。
 昨日(1.2)帰ってきたのですが、
 新幹線は早くもUターンラッシュ。
 今年は暦まわりがあんまりよくなくて
 帰省からの戻りも早いのでしょうか。
 大阪ではもっぱらNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」の
 話題に終始していました。
 何しろ、我が故郷大阪岸和田の話ですからね。
 で、帰ってきて、
 元日の新聞をチェック。
 元日の新聞が大好きなのは
 もう何回も書きましたからご存じかもしれませんが、
 元日には出版社の広告がドーンとでています。
 毎年それを堪能しながら
 今年も読書生活にいそしむぞって
 元気をもらっています。

 今年の広告もいいですね。
 特に昨年は東日本大震災や原発問題があったから
 出版社も気合いがはいっています。
 やはりこういう時こそ
 本の力を信じたい、
 そう思います。

元旦広告 まずは、岩波書店
 寺田寅彦の写真をいれながら

  こころ ことば いのち

 のキャッチコピーを大きく。

  創業者岩波茂雄は、正義心と向上心にあふれた熱情の人でした。
  (中略)私たちは、創業者の素志を継ぎ、出版という形を通して
  日本の再生に向けて全力を注ぎたい、現代の課題に応える仕事を
  これからも続けたい

 うーん。うならせますね。

 次は、集英社
 こちらは、昨年文化勲章を受章した丸谷才一さんの写真を使っています。

  智恵よ、集まれ。
  いまこそ、集英社。

 これがメインのコピー。

  いま、なにが本当か。なにが正解か。みんなが迷い、信じられる言葉を
  求めている時代に。(中略)
  集英社は、智恵ある言葉で本を創りたい、と考えています。
  読むことで、進むべき道を照らしだす本を創りたい。

 いいですね。
 なんだか今年は集英社を応援したくなります。

 老舗新潮社は、
 ドナルド・キーンさんを起用。
 今年はこういった智恵者の写真を使っているところが
 多いですね。

  日本人よ、勇気をもちましょう

 という、ドナルド・キーンさんのメッセージが
 掲げられています。
 その最後の一節を紹介します。

  物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを
  良い方向に変えることを恐れず、
  つよく歩を運び続けようではありませんか。

 そのほか、小学館もよかったですね。
 ちょっと残念なのは、講談社文藝春秋かな。
 もっと強いメッセージがあっても
 よかったように思います。

 なにはともあれ、
 今年も各出版社にはがんばってもらいたい。

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