いよいよNHK朝の連続ドラマ「カーネーション」が終わります。
 この帯シリーズはNHKのあまたの番組の中でも
 長い歴史があります。
 それなのに、一日も見逃さず見たのは
 この「カーネーション」が初めてでした。
 もちろん、このドラマの舞台が私の故郷・大阪岸和田ということもありますが、
 ドラマ自体もとてもよく出来ていたんじゃないでしょうか。

連続テレビ小説 カーネーション (NHKドラマ・ガイド)連続テレビ小説 カーネーション (NHKドラマ・ガイド)
(2011/09/26)
NHK出版、 他

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 若い頃の主人公小原糸子を演じた尾野真千子さんの抜群の演技、
 晩年の糸子を演じた夏木マリさんの渾身の演技、
 二人とも素晴らしかった。
 特に尾野真千子さんの岸和田弁はめちゃくちゃうまかった。
 私の母もあんな言葉でしゃべってました。
 そうです。
 私は小原糸子の生き方に二年前に亡くなった母の姿を
 重ねていたのかもしれません。
 それに、先日亡くなった父親は糸子の父親善作に似ていました。
 善作役の小林薫さんもよかったですね。
 特に、糸子が買ってきたクリスマスケーキを
 ちゃぶ台に叩きつける場面など、印象に残っています。

 この作品は、そういった役者さんたちのうまさもさることながら
 渡辺あやさんの脚本も素晴らしかった。
 まるで夢中になって、
 録画してまで見てしまった理由は、
 渡辺あやさんの脚本にもあったと思います。

 「カーネーション」は今日が最終回。
 娘たちは、
 「お父ちゃんの楽しみ、ひとつ、減ったな」なんて言いますが、
 娘たちだって楽しみに見ていたじゃないかと
 言いたい。
 岸和田弁でいうなら、
 ほんまやんけ、
 です。
 ありがとう、「カーネーション」。
 違った。

 おおきに、「カーネション」

 ですね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介した蔵出し書評には
  続編があって、
  それが今日紹介する蔵出し書評です。
  テキストは
  同じ山口瞳さんの『山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇』。
  久しぶりに読み返すと
  読めないと書いている割には
  しっかり書評書いているじゃない、と 
  その頃の自分を少しは
  ほめてやりたくなります。
  でも、山口瞳さんって
  不思議な作家で、
  春になると山口瞳さんの喝が欲しくなります。
  最近、
  山口瞳さんのようなおじさん、
  少なくなりましたよね。

  じゃあ、読もう。

山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇 (新潮文庫)山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇 (新潮文庫)
(2003/03)
山口 瞳

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sai.wingpen  潔(いさぎよ)い文体−読む訓練(2)             矢印 bk1書評ページへ

 恐るおそる、読む訓練を続けている。
 また山口瞳である。まだ山口瞳である。
 山口ならまた読めると思ったし、確かに頁を繰るのが楽しかった。
 先の頁に書かれているものを待ちきれずに読んでいる途中で次の頁を開こうとする気持ち。それが読書の醍醐味かもしれない。それがもどってきたら、もう大丈夫かもしれない。
 でも、山口の作品はどうしてすっと読めたのかしら。書かれていることだけでなく、そんなことを考えるのも、本を読む愉しみのひとつだ。

 よく山口の文章はセンテンスが短いと言われる。
 そのことは『中年篇』の解説がわりとなっている「担当編集者座談会」の中でも指摘されている。
 引用する。「センテンスが短いというんじゃなくて、文章のテンポなんだよ。だから、テンポの作家、リズムの作家なんだ」(『中年篇』)
 文章のリズム感が読む行為をも楽にしているし、そのことで読む快感が生まれているともいえる。
 しかし、山口は自らリズムを意識していたのだろうか。

 私は山口の文章の短さは潔(いさぎよ)さにあると思っている。
 戦中派山口にとって、潔(いさぎよ)さは特攻隊に通じる美意識であり、戦後のうだうだした世相の中で自分を律するものはそれしかありえなかったような気がする。
 それが山口の文体に見事に結晶化している

 思想的な話ではない。
 日常茶飯の風景を描いても山口の文体は潔(いさぎよ)い。
 この本の「春時雨」という短文から引用する。「雪割草が咲いている。これは春の序曲の前の音あわせの段階である。ヒヤシンスの芽が出ている。ヒヤシンスなんかは嫌いなのであるが、とにかく早く芽が出て早く花が咲くので目印のつもりで球根を埋めてある。カタクリが一本だけ、赤い芽を出した」。
 みごとに春の風景を切り取っている。こういう文体なら読書がすすむのは当たり前だ。
 読むことに悩んだら、ここに戻ってくればいい。
 少し自信のようなものがついた。もう大丈夫かもしれない。

 最後に、ひとつ提案なのだが、駅にある書店でもっと山口瞳の本を並べられないものだろうか。
 電車の中で眠っているだけではもったいない。
  
(2007/03/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  ブログを始めて
  たくさんの人に「たくさん本を読みますね」と
  いわれます。
  まあ、本が好きだから
  たくさんの部類にはいるかどうかはともかく
  読んでいる方だと思います。
  それでも、
  なかなか読書が進まないこともあります。
  本だけを読む生活ができれば
  どんなにいいでしょう。
  でも、生活もしていかないといけないし
  仕事に追われて読書が進まないことも
  あります。
  今日は蔵出し書評
  そんな読書が進まなかった頃の一冊
  『山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇』を
  紹介します。
  あらためて読むと
  この当時の自分がいとおしくなります。
  本が読める生活に戻れて
  よかった。

  じゃあ、読もう。

  
山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇 (新潮文庫)山口瞳「男性自身」傑作選 中年篇 (新潮文庫)
(2003/05)
山口 瞳

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sai.wingpen  読む訓練                 矢印 bk1書評ページへ

 最近本が読めない。
 これは、イタい。長編どころか短編さえも読めない。
 仕事が忙しくなっているのは事実だが、新幹線や飛行機といった移動中でも読めなくなっている。
 以前神戸の大震災の時にもそんな経験をしたが、それ以外は本を読むことで仕事の悩みだとか人間関係のごちゃごちゃとかをなんとか解消してきたはずなのに、ここにきてどうしたことか。

 何故本が読めないのか。
 第一に本を読むことが面白くない。本はきちんといつもと変わらず、いっぱいいいことを云っているはずなのに読み手である自分自身が反応しない。
 本に対して失礼だ。
 だから、何冊も途中で頁を閉じた。
 どのようにして本を読んでいいのか、戸惑っている。どうも本の読み方を忘れてしまったようだ。
 焦った。焦ったけれど、本を開いても心がほどけていかないのだからどうしようもない。これは人生の危機である。おおげさでなく。

 その時、もしかして山口瞳なら読めるかと思った。 
 週刊誌の読み物程度だったらなんとか読めていたので、週刊新潮に掲載されていた山口の『男性自身』なら読めるかもしれない。
 恐るおそるである。
 それに山口が元サラリーマンだったことも、山口ならと思った理由の一つだ。
 考えてみれば仕事は面白い。
 この歳になっていうのもおかしいが、仕事は苦痛ではない。(若い頃は嫌で嫌で仕方がなかった。人生の半ばを過ぎた頃から、もしかして仕事っていうのは面白いものかもしれないと思い出した。だから言うのではないが、若い諸君、遊びだけではいけない。仕事もがんばりなさい)
 そのあたりの事情が、山口の作品から感化されるかもしれない、と思った。

 結果的には読了した。
 なんだ、読めるじゃないか、と思った。
 人生の先輩にちょっと叱られた感じさえした。
 「人生は短い。あっというまに過ぎてゆく。しかし、いま目の前にいる電車にどうしても乗らなければならないというほどに短くない」。
 山口を読んでよかった。でも、まだ恐る恐るである。
  
(2007/03/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は山崎ナオコーラさんの新刊
  『私の中の男の子』。
  山崎ナオコーラさんは
  ご存じのとおりなかなか芥川賞を
  とれない作家です。
  どころか、
  候補作となっても
  かなり厳しい評価を受ける作家となりました。
  特に前々回の候補作では
  選考委員の女性たちから
  手厳しい評価を得たとされています。
  だからかもしれませんが、
  この作品は落ち込んでいます。
  きらりと光るものがありません。
  こういう作品では
  山崎ナオコーラさんの魅力が
  発揮されません。
  ここしばらく
  山崎ナオコーラさんを応援してきた私としては
  とても残念です。
  山崎ナオコーラさん、
  がんばって。

  じゃあ、読もう。

私の中の男の子私の中の男の子
(2012/02/24)
山崎 ナオコーラ

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sai.wingpen  ナオコーラの苦悩                 矢印 bk1書評ページへ

 言葉には、いい響きをもつものと悪い感じを与えるものがある。
 たとえば、「企み」という言葉にどんな印象をもつだろうか。罠をしかけるような悪い感じはしないだろうか。しかし、「企み」はあってしかるべきものだろう。それは攻めるための一つの戦術ともいえる。
 作家にも「企み」があっていい。巧い「企み」は、読者を唸らせる効果がある。物語のなかにどんな罠を仕掛けるか、読者の息をのませる、立ちどまらせる「企み」なら、歓迎する。
 そんな「企み」を、山崎ナオコーラは拒んでいる。
 どころか、作家としての手の内をさらけだそうとしている。多分そのことは彼女にとって、とても真面目な選択なのだろうが、はたして読者はそれを求めるだろうか。

 19歳で作家デビューした雪村は自分の抱えている女性という性を持て余している。身体は十分に発達し、胸の膨らみはそれなりに満ちた。しかし、作家として生きていくことを決心したことで、彼女は自身の性を捨てようとする。髪は短く、胸の膨らみも手術で除去してしまう。
 男性に恋はするものの、それは実ることはない。
 「私は作家だ、と雪村は思う。女だけど、女の前に作家だ」。
 主人公の独白ながら、これはまさしく山崎ナオコーラの悲鳴のような決意だ。
 物語の中に、そういった「企み」は隠せただろう。しかし、山崎はあえて「企む」ことをしなかった。自信の性を捨てたがっているのは、物語の中の雪村という主人公でなく、作者自身である。

 そんな作品を読んでいて、少し胸が痛んだ。
 山崎ナオコーラは必死になって何を守ろうとしているのか。作家とはどんな生き物であろうと考えているのか。
 物語は自身のなかで完結すべきではない。読者にゆだねるべき何事かもあるだろう。
 作家はすべての神ではない。作家のもっている性なり過去なりそれらをひきずっていくしかあるまい。
 山崎のこの作品は「企み」もせず、自身をあまりにもさらけだすことで、読者を置いてけぼりにした。
 山崎ナオコーラが男性であろうと女性であろうとかまわない。作家かどうかは、読者にゆだねるべきではないだろうか。
  
(2012/03/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  楽しみにしていたシリーズの始まりです。
  「精選女性随筆集」。
  何が楽しみかといえば、
  川上弘美さんと小池真理子さんの二人による
  選というのがいいですね。
  しかも、対象は女性作家のみ。
  また楽しみが増えました。
  その第一巻が、
  今日紹介する、川上弘美さん選による
  『幸田文』。
  さすがにいい人を
  最初にもってきましたね。
  文章の楽しみを
  じっくり味わって頂きたい一冊です。
  春休みの学生さん、
  こういう本を読んで
  日本語の素晴らしさに
  触れてください。
  新しい学期がはじまったら、
  友達、先生がびっくりしますよ。

  じゃあ、読もう。

精選女性随筆集 第一巻 幸田文精選女性随筆集 第一巻 幸田文
(2012/02/07)
川上 弘美選

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sai.wingpen  心で見る                  矢印 bk1書評ページへ

 文藝春秋が2012年の目玉として刊行を始めた「精選女性随筆集」全十二巻の第一巻が本書である。
 女性の書き手の随筆を、川上弘美と小池真理子という、現代を代表する二人の女性作家がそれぞれの書き手の作品から選び出して編んだというのが、本シリーズの特長である。
 最近でこそ「女流」という呼び名はされなくなったが、かつて文壇の世界でも男性が主流であり、女性作家たちは「女流」という冠をつけて、区分けされていた。そんな時代に、このシリーズで取り上げられた女性作家たちはまさに孤軍奮闘しつつ、女性ならではの細やかな視点、大胆な意見をもって活躍した。
 その第一巻めが、川上弘美選による「幸田文」というのがうれしい。

 幸田文はいうまでもなく明治の文豪幸田露伴の娘である。
 そのデビューはけっして早くはない。父親の死を境にして、それは幸田文が43歳の時であるが、文壇に華々しく登場する。
 本書にも父親である露伴との思い出を綴った作品が数篇収められているが、生母の早すぎる死、継母との関係など複雑な家庭環境の中で彼女は生涯の教育を父親露伴から学ぶことになる。
 幸田文の文章の特長ともいえる生活の智恵が、実は明治の男から受け継いだものというのがいい。
 そのようにしてデビューした幸田文だが、次第に彼女特有の文章を綴るようになる。
 それはしっかりした視線である。

 幸田文の随筆をこうして一息に読むと、彼女の観察眼の鋭さ、そしてそれを丁寧に描いていく力に恐れ入る。幸田文の文章こそ、若い人たち、それも中学生ぐらいの人たちに読んでもらいたい。できればそれを書き写して欲しいぐらいだ。
 本書に収録されている「杉」という作品の中で、幸田文はこんな文章を書きとめている。
 「からだが疲れていれば、心も疲れ、心が疲れていれば、目も誤ってしまう」と。つまり、物を見ることは、心でしっかり見るということだろう。

 そんな幸田文のことを、選者の川上弘美はこう評している。
 「かっこよくて、面白くて、一筋縄ではゆかないけれどもごくほがらかな女のひと」、それはそのまま幸田文の文章にもいえる。
  
(2012/03/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  春休みになって
  映画館も子供たちの歓声にあふれています。
  お目当ては、
  「ドラえもん」の長編アニメ「のび太と奇跡の島」。
  映画館の前の「ドラえもん」の看板に
  走り出した子供の姿をみて、
  その根強い人気にびっくりしました。
  今日紹介するのは、
  「ドラえもん」の作者藤子・F・不二雄さんの世界を
  一冊にまとめた『藤子・F・不二雄の世界』。
  お子さんと一緒に読むのも
  大人のあなたが一人で読むのも
  楽しい、ご機嫌な一冊です。
  ただ、私たちの世代は
  やはり藤子不二雄という
  二人の漫画家が一緒になって描いていた頃が
  なつかしいですね。
  「ドラえもん」より「オバケのQ太郎」世代です。
  いやいや、
  今や「ドラえもん」世代もすっかり大人に
  なっているのですから
  私たちはすっかり古代人? かも。

  じゃあ、読もう。

藤子・F・不二雄の世界〔改訂新版〕 (コミックス単行本)藤子・F・不二雄の世界〔改訂新版〕 (コミックス単行本)
(2011/11/29)
藤子 F不二雄

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sai.wingpen  「SF漫画家」としての藤子・F・不二雄          矢印 bk1書評ページへ

 藤子・F・不二雄さんは代表作である「オバケのQ太郎」や「ドラえもん」によって子供向けの、時にはそれは幼児の範囲まではいりますが、漫画家と思われている向きがあります。
 しかし、実際には「SF漫画家」と称すべきかもしれません。
 本書は藤子・F・不二雄さんの世界を多面的に網羅的に収めていますが、「傑作セレクション」と題された、数多くの作品から選び抜かれた漫画数篇を見ると、藤子さん自身、「SF」にとても興味をもっていたことを窺い知ることができます。

 本書に収録されている昭和51年に発表されたSF短編「みどりの守り神」は、飛行機の墜落事故で一命をとりとめた少女と青年の物語です。
 墜落現場の山合いから町をめざして歩き始めた二人はいつしか全世界から人間の姿が消えていることに気がつきます。核戦争? やがて、二人はジャングルと化した東京にたどりつきます。実は生相物の急激な変化によって人類は死滅していたのです。青年は狂気に陥り、少女だけが歩き始めます。
 そんなストーリー性は、「ドラえもん」では表現できない世界観といえます。

 藤子さん自身、SFが大好きだったようです。だから、SFもどきまんがが作品の中で圧倒的に多いといいます。  「ドラえももん」は「生活ギャグまんがですが、SF的要素も多量に含まれてい」ると、自身語っています。確かに「ドラえもん」の中に出てくる小道具はそういう要素がないわけではありません。そんな「ドラえもん」だけでなく、「オバケのQ太郎」も「パー、-マン」にも形は違ってもSFの要素があるというのです。

 もちろん、SFとはサイエンス・フィクションのことですが、確かに異次元のものと遭遇し、それを解決していく成り行きは、ギャグまんがとはいえ、「オバケのQ太郎」にも「パーマン」にもあります。
 藤子さんの多くの作品がそういった異次元なるものとの出会いと交流を描いているといっていいのではないでしょうか。
 そういう点では、「漫画の神様」手塚治虫さんが初期に目指したものと、とても近いように思います。

 そんな藤子さんの「完全作品リスト」も付いて、藤子さんファンにとっては貴重な資料編ともいえる一冊です。
  
(2012/03/26 投稿)

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  そろそろ桜の便りが
  届く季節になりました。
  今年は少し開花が遅れそうな感じ。
  いつまでも温かくなりませんね。
  でも、もうすぐ四月。
  本の世界だけでも
  春の息吹を感じたいものです。
  そこで、
  今日紹介するのは
  筒井頼子さんの『とん ことり』という絵本。
  絵は、林明子さん。
  書評の中にも書きましたが、
  林明子さんの描く世界が
  とっても好きです。
  私たちがまだ若かった頃の
  気分が感じられます。
  それは、
  どこか春の気分に似ています。

  じゃあ、読もう。

とん ことり (こどものとも傑作集)とん ことり (こどものとも傑作集)
(1989/02/10)
筒井 頼子

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sai.wingpen  春は出会いの季節                  矢印 bk1書評ページへ

 絵本画家林明子さんの絵にはある懐かしさがあります。
 それは1980年代前後の、日本が核家族化していく風景と重なっています。
 この作品は1986年に発行されたものですが、女の子やお父さんやお母さんの服装、町の商店街の様子、家のなかの日用品、公園でのおもちゃなど、今となっては少し時代を感じます。
 きっと2000年以降に生まれた子供たちにとって、少しだけ古いけれど、かなり違和感のある世界に感じるのではないでしょうか。
 その一方で、その当時を知る世代にとっては、思い出のアルバムをひらくような、懐かしさがあります。

 この絵本の主人公、山のみえる新しい町に引っ越してきた「かなえ」ちゃんが、今度通うようになる幼稚園の庭に立つ場面などは、まだ四、五歳だった私の娘たちがそこにいるような錯覚さえ覚えます。
 水玉のワンピースを着た後ろ向きの少女などはそっくりそのまま、あの頃の娘たちです。
 引っ越しをしてきた「かなえ」ちゃんの家の郵便受けに「とん ことり」と投げ入れられるもの。すみれのはなたば。黄色いたんぽぽ。たった三行だけのお手紙。そして、おりがみの人形。
 それは、「かなえ」ちゃんにとって、新しい町での初めての訪問者で、初めての友達からの合図でした。

 そして、それは春の訪れでもあったのです。
 おそらく最近ではなかなか見ることができない一面の春の野を補助輪のついた自転車で駆ける「かなえ」ちゃんと、新しい友達。
 春は別れの季節でもありますが、間違いなく出会いの季節でもあるのです。

 それから20年以上経って、「かなえ」ちゃんはまだその子と友達でいるでしょうか。
 それとも、思い出のアルバムにしまわれているのでしょうか。
 まだ友達だったら、いいのになあ。
  
(2012/03/25 投稿)

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  なんとも迂闊(うかつ)な話です。
  読書好きな人から
  愛されていたNHKBSの「週刊ブックレビュー」が
  先週の土曜、3月17日をもって
  終わってしまっていたのです。
  残念ながら、
  その最後の放送も見損なったし、
  そんなことも知らずに
  今日紹介した
  『週刊ブックレビュー 20周年記念 ブックガイド』を
  のこのこと読んでいたとは。
  このMOOKが発売されたのが
  2011年12月。
  番組が終わるのであれば、
  こういう作り方はしなかったのでは
  ないでしょうか。
  番組終了は
  2012年に急遽決まったのかも。
  なんだか、
  読書の世界はますます様相が
  変わっていくような
  気がしてきました。

  じゃあ、読もう。

ステラMOOK 週刊ブックレビュー 20周年記念 ブックガイドステラMOOK 週刊ブックレビュー 20周年記念 ブックガイド
(2011/12/16)
NHKサービスセンター

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sai.wingpen  さよなら、「週刊ブックレビュー」               矢印 bk1書評ページへ

 TVと本の相性はいかがなものか。
 NHKのBS放送の人気番組「週刊ブックレビュー」が放送開始から20年という長寿番組になったことからすると、けっして悪くないのかもしれない。
 当時のプロデューサーの岡野正次氏によれば、「そもそも本が好きな人はテレビが嫌いなことが多い」と当時を振り返って、ならば「本を読まない人でも見るような工夫をする必要がある」と考えたという。
 その一つがゲストが薦める本を持ち寄っての「合評コーナー」である。あるいは、特集ゲストのコーナーだろう。
 しかし、もっと重要な要因はこの番組が衛星放送草創期の1991年に始まったことではないだろうか。

 当時衛星放送はまだまだ視聴者は限られていたはずだ。面白さを求めるなら地上波で充分だった。その頃衛星放送を求めた人は画像の美しさや特別な企画を受け入れる人たちではなかっただろうか。つまり、その人たちは読書に関しても高いレベルを持つ一群だったといえる。
 だとしたら、単に娯楽を求めるのではなく、真面目に本を紹介する番組が一定の支持を受けたのもわかる。
 「週刊ブックレビュー」はそのようにして認知されていったのではないかと、私は思っている。

 それと番組が始まってから2年後に登場し、18年間司会をつとめた児玉清氏の存在が大きい。
 児玉氏は民放のクイズ番組でも人気を博したが、この「週刊ブックレビュー」でも番組の「顔」となった。
 児玉氏はその著作でもわかるように大の本好きで、絶対に作品の悪口はいわなかったという。
 氏の笑顔、背筋の伸びた立ち姿、そして丁寧な言い回し。まさに紳士とは児玉氏のような人をいうのであろう。
おそらく、児玉氏もまた衛星放送草創期の視聴者層に受け入れられる要素をもっていたにちがいない。

 しかし、残念ながら「週刊ブックレビュー」はこの3月に終わってしまった。
 番組の「顔」であった児玉氏が2011年5月に亡くなったことも大きいが、衛星放送の世界も爛熟期を迎え、より広い視聴者層が気軽に衛星放送に親しむようになった。
 当初危惧されたTVと本の相性の問題がここにきて表面化したともいえる。
 残念だが、まずは
 おつかれさま、「週刊ブックレビュー」、といいたい。
 さよなら、「週刊ブックレビュー」。
  
(2012/03/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  ブログをはじめて
  3年が過ぎました。
  どういうきっかけがわかりませんが
  私の知らない人たちも
  たくさん訪問してくれています。
  もしかしたら、
  どこかの街角で
  このブログの読者とすれちがって
  いるかもしれませんね。
  今日紹介する
  川上未映子さんの『魔法飛行』は
  ブログではありませんが
  ウェブに掲載されていたものです。
  別に文字数が決まっているわけではなく
  本当に自由に書いています。
  そういう自由さが
  この文章、この本の魅力です。
  それに、
  川上未映子さんという書き手の
  魅力だと思います。

  じゃあ、読もう。

魔法飛行魔法飛行
(2012/02/10)
川上 未映子

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sai.wingpen  日付があるようで、ない日記                     矢印 bk1書評ページへ

 本文中にしばしば、これは「食のエッセイ」という言葉が登場するが、けっしてそれで括られるものではない。もっと自由で、もっと不定形。
 もともとが読売新聞のウェブサイト内で発表されたもので、毎日ではないものの、日記とはこういうものではないかと思われる。
 日付があるようで、ない日記。

 川上未映子は芥川賞作家であるとともに詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞を受賞した詩人でもあるので、エッセイでも読みようによって、詩の連なりとも思える。
 そう思えば、文章というのは言葉の発光のようなもので、どんなに素晴らしい思想であっても言葉がつまらないとそれはどのようにも人に伝わらない。
 逆にいえば、どんなささいなことでも言葉の発光があれば、それはいつも新鮮だ。
 川上の文章にはそれがある。

 たとえば、本書のはじめに綴られた「すべてが気分のことだもの」の書き出しはこうだ。
 「悲しいという言葉と、悲しい気持ちが、むすびついたはじめてのときのことを思いだそうと・・・」。
 普段何気なく涙を流したりしているが、それをこのような文章にすることで、まったく違う気分になるという、面白さ。
 これが全編そうなのだから、きっと川上未映子というのは、新しい言葉の世界を創造(なんていう言葉も古ぼけているが)していくのではないかと思いたくなる。

 さて、冒頭に「日付があるようで、ない日記」と書いたが、実はこの本の中で「日付」を探ろうとしたのも事実である。
 それは2011年の3月11日以降の、文章。
 作品それ自体に「日付」は刻まれていないものの、すぐわかる。
 題名は「あるいは何が奪われたのか」。
 その中で川上の言葉は何を飾るわけでも、何を気取るわけでもなく、「なんなのかが、よくわからない」と書いている。つづいて、何度も「わからない」「わからない」と。
 作家であり詩人でもある川上にして、あの日に起こったこと、あの日につづくことはどう表現していいか「わからな」かったのだろう。
 そのことに、川上の真実をみたい。
 そして、書く。
 「やるべきことはわかってる。仕事をするしかないのだもの」と。
 もちろん、川上未映子の「仕事」とは、言葉を紡ぐ、ことである。
  
(2012/03/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  村山由佳さんの話題作
  『花酔ひ』。
  すこぶる面白い。
  官能場面が、
  しかもかなりハードな場面が多いが、
  大人の読み物としては
  上質な出来だと思います。
  きっと
  映画になれば面白いのではないだろうか。
  書評の中でも書いていますが、
  この本に関連して
  「文藝春秋」3月号で
  村山由佳さんと瀬戸内寂聴さんの
  対談記事が載っています。
  タイトルは「おんなが「性的逸脱」を描くとき」。
  この対談集も
  面白いので、
  ぜひ読んでみるといいです。

  じゃあ、読もう。  

花酔ひ花酔ひ
(2012/02)
村山 由佳

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sai.wingpen  女は薄情にして淫乱                矢印 bk1書評ページへ

 手重りするという訳ではないのに、読みはじめはなかなかページが進まない。
 読みにくいとか、面白くないというのではない。どちらかといえば、読むのがもったいない感じだろうか。
 ともに結婚して数年になる、二組の夫婦。つまり、二人の男と二人の女。もっといえば、四人の人間。
 夫婦とは、男と女、二人の組み合わせでしかない。

 浅草でアンティーク着物店を営む麻子とその夫誠司。京都で葬儀社をしている正隆と妻の千桜。それぞれが思いが一つひとつの章立てになって、物語を紡いでいく。
 四人の交差が始まるのは、物語も中盤になってからで、それまではそれぞれの個性がエピソードとともに描かれていく。
 そして、まず麻子と正隆の燃えるような接点を序章にして、誠司と千桜の淫靡なそれへと加速し、そして麻子たちのたぎるような交わりへと続く。
 それまでのもったいない感じは霧散し、あとは一気呵成に読みすすむ。
 こんなに面白い読書体験は久しぶりだ。

 それは単に官能を描いているだけではない。もっと古典的なものを内包しているように思う。
 二組の夫婦の関係性が崩れ、新しい男女の組み合わせの中で、千桜の足の付け根に顔をうめ、どんどん崩れていく誠司と幼い頃の嗜虐体験に目覚めていく千桜の関係が、特に興味を引いた。
 千桜の魔性から逃れなくなる誠司という男の性の、本人さえも気がつかないうちにその生も吸い取られていく様は、まるで「雨月物語」に出てきそうな幽玄で妖しい世界だ。
 そんな千桜がこうつぶやく。
 「恋ではない、愛では尚更ない、ただ、もっと不純で、もっと純粋な、何かー」。
 この物語はこの一言に尽きる。

 総合雑誌「文藝春秋」3月号で、この作品の著者村山由佳と瀬戸内寂聴の対談記事が出ている。そのなかで、村山は「男のひとは、女には貞操観念があって当然という、ものすごい強固なファンタジーを抱いている」と述べているが、貞操というものが壊れていくこの物語は女性のためのファンタジーだといえるかもしれない。
 いみじくも、瀬戸内寂聴はこういう。
 「女は薄情にして淫乱」。
  
(2012/03/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  母が亡くなって
  今日で2年になります。
  二年前の今頃は
  もう桜の花がちらほら咲きかけていましたから
  今年はうんと春が遅い。
  今も母の遺影をみると
  元気だった頃の母の声が聞こえてきそうな気がするし
  実家の大阪に電話をしたら
  母が出てきそうな気もします。
  一月に父が亡くなって
  今頃母と父は向こうで仲良くしているのでしょうか。
  案外、こちらに残った
  息子を「何してるんや」と
  怒っているのかもしれません。
  「また本ばっかし読んで」とも
  思っているでしょうね。
  今日紹介するのは
  杉山隆男さんの『昭和の特別な一日』。
  私にとって、
  母を亡くした日は
  やはり「特別な一日」です。

  じゃあ、読もう。

昭和の特別な一日昭和の特別な一日
(2012/01/18)
杉山 隆男

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sai.wingpen  掴めるものはわずか                矢印 bk1書評ページへ

 「鉄仮面」の愛称で親しまれた初代のぞみN300系新幹線が、2012年3月16日、20年の役目を終え引退した。駅のホームに群がった鉄道ファンの姿を見ていると、この日はこの人たちにとって「特別な一日」なんだろうなあ、と思ってしまう。
 「特別な一日」は、人それぞれに違う。母を亡くした日、父とさよならした日、初恋の人と再会した日、卒業式で校歌を歌った日、現役を終えた日、・・・。さまざまな場面が、その人なりの思い出のアルバムに収められているはずだ。
 そして、これからやってくる、「特別な一日」のための、白紙のページがつづく。

 本書は「昭和」という時代の中から、東京・神田で育って著者の「特別な一日」が四編収められている。
 ひとつは、昭和39年10月10日の東京オリンピックの日。この日を「昭和」の「特別な一日」として記憶している人は多い。9歳だった私も記憶に残っている。
 二つめは、昭和42年12月9日の、銀座から都電が引退した日。
 三つ目は、昭和38年4月12日の、東京・日本橋の上の高速道路工事が始まった日。
 そして、本書に収められた最後の「特別な一日」は昭和41年10月29日の、東京・中野に「ブロードウェイセンター」がオープンした日。
 昭和という激動の時代をわずか四つの「特別な一日」で描くのはいささか無理があるし、日本全国で「特別な一日」を探し出せばそれも山とでてくるだろうが、それはそれでやむをえない。
 著者は、自身の育った環境を中心にして円を描くことで、おそらく半分は自分史的な作品をこしらえたといえる。もちろん、これは個人的な作品ではないので、これらの土地が持っている歴史や風土を描いているのも事実だが、わずか四つの「特別な一日」を見せられても、不燃焼な気分が残って仕方がない。

 まして、「昭和」という時代が、そしてそれも戦後の高度成長期の時代と限定してもいいが、「特別な一日」を境にして何を手にいれ、何を失くしてきたのかを、もう少し読みたかった。もっとも、それは一冊の本で読めるものでもないだろうが。
 「高度成長の上り坂を日本という国がひたすら走りつづける中で、両手いっぱいに何かを掴みとろうとすれば、いま手の内にあるものを捨てていくしかない」と著者は本書の中に記しているが、それは「昭和」という時代を表現しながら、この作品のことも表しているような気がする。
 掴めるものなど、わずかでしかない。
  
(2012/03/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は、春分の日

   春分の日をやはらかくひとりかな  山田みづえ

  休日です。
  私自身も久しぶりの
  お休みをとっています。
  人間、時には休まないと
  いけません。
  ここ何週間は
  日曜も働いていましたから
  頭も体も休めてないなぁ。
  ですから、
  日曜の夕方のアニメ「サザエさん」も見ていません。
  娘たちが小さい頃は
  よく一緒に見ていましたが
  今はほとんど見ていません。
  たまにのぞくと
  娘たちの小さい頃を思い出します。
  今日紹介するのは
  そんなアニメ版「サザエさん」を紹介した
  『アニメ サザエさん公式大図鑑 サザエでございま~す!』。
  休日にはうってつけの
  一冊です。

  じゃあ、読もう。

アニメ サザエさん公式大図鑑 サザエでございま~す!アニメ サザエさん公式大図鑑 サザエでございま~す!
(2011/07/15)
不明

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sai.wingpen  日曜夕方のヒーロー               矢印 bk1書評ページへ

 今でもいうのかしらん、少し前に「サザエさん症候群」というのが流行ったことがあります。
 これは、毎週夕方6時半から放映されているアニメ「サザエさん」を見ると、月曜からの仕事のことで憂鬱となる症状のことで、まるであの番組が休日の終わりを告げていると思った人が多いということでした。
 あのアニメの微笑ましい家族の姿は、確かに休日を家族と過ごしたお父さんたちにとっては、また明日からそういう愛すべき家族との団らんを断念しないといけないという辛い思いに駆られる時間帯でもありました。

 TVアニメ「サザエさん」は昭和44年(1969年)10月5日放映が始まりましたから、もうすでに40年以上となる長寿番組です。
 原作はもちろん長谷川町子さんの四コマ漫画ですが、長谷川さんの原作を知らなくてもアニメ版を知らない人はいないのではないでしょうか。
 番組開始の当時の絵柄はどちらかといえば原作に近いといえます。でも、今ではふっくりしたアニメ版のサザエさんの方が定着しています。
 そんなアニメ版の、この本は「公式大図鑑」とうたわれています。
 もちろん、本書を読んで「サザエさん症候群」は発症しませんから、安心してお読み下さい。

 どういう構成になっているかというと、まずはキャラクター名鑑と題して、おなじみのサザエさん一家の様子がアニメ名場面とともに紹介されています。
 例えば、サザエさんの苗字が「フグ田」というのは多くの人が知っています(ちなみにお父さんである波平さんは磯野です)が、彼女の年齢となると知らない人が多いのではないでしょうか。
 答えは24歳。この年にしてタラちゃんという子供がいるのですから、早婚です。
 ご主人のマスオさんは28歳。これにしても若い部類にはいります。しかも、マスオさん、早稲田大学の出身というのですから、「へえーっ」と驚きます。
 この本には普段のアニメではわからない情報が満載なのです。

 しかも、それが長谷川さんの原作ではなく、アニメ版で紹介されているのがいいですね。
 先ほども触れましたが、今では長谷川さんの原作ではなくアニメ版の「サザエさん」しか知らない人が多くなっているのですから、アニメの一場面で紹介された方がしっくりときます。
 この本を読んでいれば、あなたはきっと日曜夕方のヒーローになれるかもしれません。
  
(2012/03/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  詩人で評論家の吉本隆明さんが
  3月16日に亡くなった。
  隆明は「たかあき」と読むが、
  「りゅうめい」と呼んでいました。
  皆さんも、そうでしたか。
  私は残念ながら
  吉本隆明さんの著作を読んだことが
  ありません。
  そういう世代ではなかったといえますし
  それを追いかけようとも
  しませんでした。
  だから、吉本隆明さんの何ひとつ
  語れません。
  もし、話せるとすると
  吉本隆明さんの娘さんである
  よしもとばななさんのことだけです。
  そこで、
  今日はよしもとばななさんの『ハゴロモ』という作品を
  蔵出し書評します。
  お父さんの死に対して
  よしもとばななさんはこんなコメントを
  出しています。
  「最高の父でした

  じゃあ、読もう。

ハゴロモ (新潮文庫)ハゴロモ (新潮文庫)
(2006/06)
よしもと ばなな

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sai.wingpen  オトギバナシ                     矢印 bk1書評ページへ

 よしもとばななのこの物語は、「青春小説どまんなか!」の素晴らしい作品に仕上がって、私たちに届けられた。
 青春小説とはいっても明るさも溌剌さもない。むしろ、沈んだ色調と静かな調べが、青春を過ぎ去った私たちに、青春とは確かにそういうものであったと実感させる。
 すべてが哀しく、すべてが夢のようであった、と。

 東京での愛人生活に疲れ、雪の降るふるさとに戻った主人公ほたる。ふるさとの川の流れと懐かしい友人たちによって、いつか彼女の心は癒されていく。
 彼女が出会う不思議な体験は、失ったものとの出会いであり、忘れていたものを思い出すことである。そういった切ない日々に抱きしめられるようにして、ほたるはゆっくりと自分をとりもどしていく。

 「これは、多分、おとぎ話のようなものなのだ」と作者自身が云っているように、この物語は私たちの日常から遠い地平にある。それでいて、この物語にいつのまにか慰撫されている私自身がいることに気づく。
 このおとぎ話のような物語が、川を多くの芥とともに流れていった、疼くような悲しみや懐かしい幸福を思い出させてくれるからだ。

 「人の、意図しない優しさは、さりげない言葉の数々は、羽衣なのだと私は思った。いつのまにかふわっと包まれ、今まで自分をしばっていた重く苦しい重力からふいに解き放たれ、魂が宙に気持ちよく浮いている」。

 この物語は、まさに「ハゴロモ」となって、私たちを現実という重い日常から解放してくれる、優しい「オトギバナシ」である。
  
(2003/02/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日まで発生1年めとなった
  東日本大震災のことを
  書いてきましたが、
  今日からいつもどおりに戻ります。
  けれど、
  どのような本であれ絵本であれ
  生きることを常に
  描いているように思います。
  だから、いつも
  悲しみを乗り越えようとしていますし
  勇気をもって一歩を踏み出そうとしていることを
  本から教えてもらっていると
  いえます。
  今日紹介する絵本は
  サイモン・ジェームズさんの『さあ、とんでごらん!』。
  この絵本に登場する小鳥も
  私たちと同じ。
  飛べるかどうか。
  本には多くのことを
  教えられます。

  じゃあ、読もう。

さあ、とんでごらん!さあ、とんでごらん!
(2011/10/08)
サイモン ジェームズ

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sai.wingpen  飛んでみることから始める              矢印 bk1書評ページへ

 昭和46年(1971年)2月5日、フォークグループ「赤い鳥」が歌う『翼をください』が発表されました。当時はこれも名曲ですが『竹田の子守唄』のB面としての収録でした。
このB面という言い方も今の若い人にはわからない言葉かもしれません。当時のレコードはA面、B面という言い方をして主となる曲はA面に収められていました。つまりB面は添えられた一曲ということになります。
 この曲が発表された年、私は16歳の高校生でした。青春前期といっていいでしょう。そんな時代にこの曲に出合えたこと、幸福と呼んでいいとさえ思います。

 「♪いま私の願いごとが/かなうならば翼がほしい」と始まる歌。
 「この大空に翼ひろげ/飛んで行きたいよ」と唄われる曲。
 けっして不自由ではありませんでしたが、あの頃はここではないどこか、を常に夢みていた時代でした。
 青春とはいつも今あるところ、今の自分からの脱皮を求めるものです。その思いが自分たちの歌となって表現できる仕合せ。
 この日から、若者たちは自分たちの心のうちを表現できるもの、それは歌、を持ったのです。

 この絵本の主人公はジョージという名の一羽の小鳥。木枯らしが吹き始めた街でジョージと母鳥にはあたたかい南の地への旅立ちが迫っていました。
 でも、ジョージは飛ぶことがまだできません。「こわいもん」と、飛ぶ練習さえしようとしません。
 ある日、母鳥が留守のあいだにジョージは巣ごと北風に吹き飛ばされてしまいます。そうして、飛ぶことのできないジョージは車の屋根、船の荷物の上と運ばれていきます。最後には恐ろしい野良猫の強襲にもあいます。
 そして、ある意味お決まりですが、ジョージは最後には飛びます。
 翼があるジョージは空をぐんと飛びます。

 それはあたたかい南の地への旅立ちができるということでもありますが、この時ジョージは子供から大人への一歩を踏み出したといえます。
 『翼をください』という歌に込められたもの、それこそこのジョージのように、子供から大人に踏み出したいという願いであったのではないでしょうか。
 翼を手にいれること、その翼で空へ飛びまわること、その後どのような生き方があるにしろ、飛んでみることから始めるしかなかったのです。
 この絵本の小鳥、ジョージのように。
  
(2012/03/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  作家とは
  当たり前ですが、書くことが商売の人たちです。
  私たち読者は、
  当然のように書かれた作品を読みます。
  書かれた作品が
  作家たちのどれほどの痛みを
  伴っているかは
  あまり気にかけません。
  しかし、
  作家たちは、そう「鶴のおんがえし」の鶴のように
  自分の羽を使いながら
  美しい布を織っているようなものです。
  東日本大震災という
  大きな悲しみの中、
  作家たちはそれでも書き続けるという
  労苦を背負わなければなりませんでした。
  先日紹介した
  新井満さんや池澤夏樹さんもそうです。
  そして、
  今日再録書評した川上弘美さんも
  そうです。
  書くということに
  真摯に向き合うこと。
  作家というのは
  結構因果な商売です。

  じゃあ、読もう。

神様 2011神様 2011
(2011/09/21)
川上 弘美

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sai.wingpen  作家は書き続けるしかありません             矢印 bk1書評ページへ

 1994年、川上弘美さんは『神様』で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞し、本格的デビューを果たします。その後、『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞するなど着実に作家としての業績を重ね、今や芥川賞選考委員を務めるなど現代日本文学の先頭を走る人気作家となりました。
 そして、2011年。川上弘美さんは再び『神様 2011』という作品を描きます。
 デビューを果たした作品と同じ題材で、しかもあの2011年3月11日に起こった東日本大震災に続く原発事故を背景にして、作品を仕上げました。

 川上さんは何故同じ題材で、新たに作品を生み出したのでしょう。
 「静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません」と、本書の「あとがき」に川上さんは書いています。
 川上さんが高校の生物の先生だったということは周知のことだと思います。生物の先生だから、原子力のことについて詳しいかというと、そんなことはないようです。むしろ、私たちと同様、今回の原発事故で初めて耳にする言葉ばかりだったと思います。
 だから、「原子力利用にともなう危険を警告する」といった意気込みなどありません。それよりも川上さんが驚きの気持ちを持ったのは、ありふれた日常は続いてゆくのだが、「その日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつもの」ということでした。

 1994年、『神様』に登場した「くま」は今から思えばなんと素朴な生き物だったことでしょう。日常の中に「くま」という大きな異物が紛れ込んでも、なんの不思議もありませんでした。
 ところが、2011年、「くま」は前作同様の「くま」であっても、それははっきりと異物だということを知らしめます。「くま」は日常のなかに紛れ込むべきではなかったのです。
 「熊の神様」がどんなお恵みをしたにしろ、「くま」は人間界に生活できるはずもありません。

 おそらく川上さんはこの作品を2011年3月11日を契機にして一気呵成に書き上げたのではないかと思います。それは、作家としての使命だったのではないでしょうか。
 あの「くま」が三度私たちの前に現れることがあるかどうかはわかりません。しかし、できうれば「熊の神様」のお恵みによって、本当の「悪くない一日」になるよう、願わざるをえません。
  
(2011/11/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災での
  死者の数、15,854人
  行方不明者の数、3,155人
  これは数字でしかありません。
  もっと見えない人たちが
  心も体もぼろぼろになっています。
  誰を恨むこともできないまま、
  天を仰ぐしかありません。
  いったいその数を数えることに
  どんな意味があるでしょう。
  悲しみは果てしなく
  それでもそれに打ち勝とうとする、
  それは数ではなく、
  きっと古代人がいったように
  うんと、とか、たくさん、とか
  いうしかありません。
  今日は、
  池澤夏樹さんの『春を恨んだりはしない』の
  再録書評です。

  じゃあ、読もう。

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
(2011/09/08)
池澤 夏樹

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sai.wingpen  冬が来る前に                  矢印 bk1書評ページへ

 3月11日の東日本大震災から、春、夏、秋と過ぎ、また冬が来ようとしています。
 あの日、春にはまだ少し早すぎる東北の地を襲った地震と大津波はたくさんの犠牲者とその悲しみにくれる人たちをうみました。春には訪れるはずであった楽しい日々も一瞬に消え去りました。その悲しみ、悔しさを一人の中 学生が卒業式の答辞に託した話は、ニュースにもなって知っている人も多いはずです。
 「天を恨まず」。気仙沼の階上中学の卒業式で檀上にあがったK君の言葉です。
 K君は大震災の被災を「自然の猛威の前には、人間の力はあまりに無力で、私たちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした」と慟哭します。それでもK君はこう続けました。「しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です」と。

 作家池澤夏樹の、「震災をめぐって考えたこと」と副題のついた記録文学である本書の書名『春を恨んだりしない』を目にして、K君の「天を恨まず」を思い出しました。
 あれほどに大きな災害でしたから、誰もが嘆きのもっていき場所をさがそうとしたはずです。それが神であれ、天であれ、この国土であれ、あの時の時間であれ、責めたいという思いはあります。
 池澤はこう書いています。「春を恨んでもいいのだろう。自然を人間の方に力いっぱい引き寄せて、自然の中に人格か神格を認めて、話し掛けることができる相手として遇する」。そして、それが人間の悲しみと向き合う方法であり、そのことで無情な自然と対峙できるのだと。
 それでも、来年の春にはもう春は恨まないはずだと、池澤は続けました。忘れるということではない。人は行きつ戻りつゆっくりと喪失を受け入れるものだから。生きていくということは、喪失さえも受け入れることだから、と。
 本書に収められた震災をめぐる池澤の文章はとても良質なものです。「天を恨まず」「春を恨んだりしない」姿勢は、そういう良質なものから生まれてくるような気がしてなりません。
  
(2011/11/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日(3.11)の追悼式で
  宮城県の遺族代表として言葉を述べた
  奥田江利子さんの姿に感動しました。
  言葉ははっきりとしながらも
  頬を伝い、こぼれおちる涙。
  人は時に声を発せずに
  泣くこともできるのだという思い。
  奥田江利子さんは
  こう述べました。

   愛する人たちを思う気持ちがある限り、
   私たちの悲しみが消えることはないでしょう。
   遺族はその悲しみを一生抱いて
   生きていくしかありません。
   だから、涙を超えて生きていくしかありません。

  奥田江利子さんたち遺族だけではありません。
  すべての日本人が
  この悲しみを抱きながら
  それでも前に進むしかないのです。
  今日は再録書評ですが
  新井満さんの『希望の木』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

希望の木希望の木
(2011/11/10)
新井 満

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sai.wingpen  負けるな、希望の木              矢印 bk1書評ページへ

 悲しいニュースが12月の初めに飛び込んできた。
 東日本大震災の津波で大きな被害の出た岩手県陸前高田市の景勝地高田松原で一本だけ残った「奇跡の一本松」の回復が困難というニュースである。報道によれば、海水の影響で根が腐ってしまい、「生育困難」と報告書にまとめられるそうだ。
 人間に喩えると、「自分で息ができない状態」だと、記事は伝えている。

 そんななか、「奇跡の一本松」を描いた写真詩集を読んだ。作者の新井満さんはこの松を「希望の木」と名づけた。
 あの日、この地を襲った想像すらできない大きな津波。江戸期初期から植林の始まった樹齢300年以上の、七万本の松が津波の被害をうけ、あとかたもなく消失してしまったのだ。たった一本の松を残して。
 被災された陸前高田の人々はこの松を「奇跡の一本松」と称して、復興のシンボルとした。
 新井満さんは一本松になりかわって、その心情を詩にした。
 そのなかで新井さんはこう詠った。「父さんと母さんからもらったこのいのちを、今度はわたしから子供たちへ、子供たちから孫たちへ、次々に伝えてゆくのだ」と。
 それは残されたものだけがもてる使命だ。

 希望とは前をむける勇気のことだ。
 希望とは前にむかって歩きはじめる一歩のことだ。
 だから、新井さんはこの松に「希望」をみたのだろう。
 それでいて、なんと天はむごい仕打ちをするのだろう。たった一本残った「希望の木」すら、被災者の皆さんから、私たちから奪おうとするのだろうか。
 もし、この松がなくなってしまうことがあっても、震災が起こってから九か月もの日々を、希望の光で灯しつづけた「希望の木」、「奇跡の一本松」のことを誰も忘れないだろう。
 この写真詩集はおまえの誇りだ。おまえを勇気づける、心の詩だ。

 負けるな、一本松。
 まけるな、被災されたたくさんの人たち。
  
(2011/12/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日NHKテレビ
  「映像記録3.11」という番組を観ました。
  東日本大震災が起こったその時は
  さまざまな映像として
  記録されています。
  立っていられないような大きな揺れ。
  街を襲う黒く凶暴なつなみ。
  逃げる人々。
  絶叫する人々。
  あるいは、
  東京の大都会の高層ビルで
  うずくまる人々。
  あの日、あの時。
  それぞれの人が
  それぞれの場所で
  東日本大震災を経験しました。
  今日紹介するのは
  河北新聞社がまとめた『再び、立ち上がる!』です。
  本書のなかの22歳の青年の
  こんな言葉が胸を打ちます。

   祖父母が戦争体験を語ってくれたように、
   震災で何があったを次世代に伝えたい

  私たちは復興とともに
  この言葉をしっかり受けとめていきたい。
  そう思います。

  じゃあ、読もう。
  
再び、立ち上がる! ―河北新報社、東日本大震災の記録再び、立ち上がる! ―河北新報社、東日本大震災の記録
(2012/02/11)
河北新報社編集局

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sai.wingpen  あなたは何処で何をしていましたか。           矢印 bk1書評ページへ

 あの日。あの時。
 あなたは何処にして何をしていたでしょう。
 私は東京の仕事で普通どおり仕事をしていました。いつもなら五階建ての四階の執務場所で仕事をしているはずでした。でも、あの時、2011年3月11日午後2時46分、東北地方でマグニチュード9.0の大地震が起こった時、たまたま1階の会議室で打ち合わせをしていました。
 だから、いつもの場所であれば大きな揺れを感じたでしょうが、今から思えば幸運にもそれほどのものを感じませんでした。
 でも、外に出て、木々が建物が電線が大きく揺れるのを見ました。
 建物の中では大きなバーンという音が聞こえました。私は上の階の床が抜けたのではないかと思ったものです。実際には廊下の防火扉が大きく開閉した、その音でした。

 東京にいて帰宅難民となりました。結局その日は職場に泊まりました。
 それでいて、その夜TVで放映されたニュースを見ませんでした。だから、東北地方の沿岸部でこんなにも大きな被害がでているとは知りませんでした。
 東日本大震災と阪神大震災の大きな違いは、これから夜になろうとするものと昼を向かえようとすることの違いといっていいでしょう。
 光のなかで刻々と報道された阪神大震災。暗闇のなかで大きな悲しみが広がっていった東日本大震災。
 あの日、あの時。
 私たちはまだまだ何も知らなかったのです。
 かの地でどんなに多くの人がなくなったかということを。

 本書は、宮城県を中心にして東北6県で発行されている「河北新聞」に大震災以後掲載された記事を加筆修正されまとめられたものです。
 そこにはあの日失われた命も一命を取りとめた命も、明日に向かってはばたこうという命も描かれています。
 人それぞれ生きていくように、あの日あの時、被災地と呼ばれるあの場所にいた多くの人々の姿が書きとめらています。
 その姿をこうして追い続けた、地方紙の姿に、感動さえ覚えます。これが報道のあり方だと思います。

 あの日。
 あの時。
 あなたは何処で何をしていましたか。
 この本はそのことをあなたに問いかける一冊でもあります。
  
(2012/03/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災の復興の足どりは
  けっして早いとはいえません。
  それでも人々のがんばりで
  しっかりと進んでいます。
  もう少し、国がしっかりしてくれればと
  思わないでもありませんが。
  特に原発の問題は
  国全体が取り組まなければ
  どうにもならないでしょう。
  それと、
  今回の被災経験を
  どう次の世代に伝えていくかが
  大事です。
  今日再録したのは
  田端ヨシさんが描いた『おばあちゃんの紙しばい つなみ』です。
  この絵本を紹介した時
  「こぼれ話」でこう書きました。

   どうか、
   この絵本がたくさんの人たちに
   読まれるように。


  その思いは
  今も変わりません。
  一冊の絵本、
  一冊の本を通して
  このことが伝わっていけばいいのですが。

  じゃあ、読もう。

おばあちゃんの紙しばい つなみおばあちゃんの紙しばい つなみ
(2011/07/14)
田畑ヨシ

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sai.wingpen  悲しみを忘れないために               矢印 bk1書評ページへ

 先日TVで岩手県宮古市の田老地区を襲った3月11日の津波の様子が放映されていました。
 この地区は過去にも何度も津波に襲われてきた地域です。だから、津波への備えは「万里の長城」とまで称された防潮堤を築くほど万全なものでした。あの3月11日までは。
 あの日その巨大な防潮堤を津波があっさりと乗り越えます。その映像が残っています。からくも生き残った人たちが口々に自分たちの安全に対する心の緩みがいけなかったのだと重い口を開きます。「津波安全宣言」などしなければよかったという人もいます。
 すべてのことを自分たちのせいにする姿に胸をうたれます。
 あなたたちを誰が責めるでしょう。田老地区の人々は過去の教訓を生かしてしっかりと防御してきたのですから。海を責めても仕方ありません。自然はいつだって時に怒るものなのですから。あれだけの防潮堤を作れば誰もが安心します。
 安心に限りがないこと、それが今回の東日本大震災の教訓だといえます。

 この絵本は田老地区に住む田畑ヨシさんが描いた紙しばいがもとになっています。
 田畑さんは大正14年生まれ。昭和8年の昭和三陸大津波でお母さんを亡くしています。田畑さんは8歳でした。
 その時の記憶をもとにして描かれたのがこの紙しばい。当時の田畑さんと思われる小さな女の子が赤い着物を着て描かれています。
 それはけっして上手な絵とはいえません。それでも強い力を感じます。
 津波が襲ってきた次の日の朝の、田老の様子が描かれています。陸に打ち上げられた舟やむしろを被せられた亡くなった人など当時の悲惨な状況をひしひしと感じます。
 その絵のト書きに「田老はもういやだ。海のないところに行きたい」という小さな女の子の思いが綴られています。津波に襲われた人たちの正直な気持ちでしょう。先のTV番組でも同じようなことを話す人がいました。

 田畑さんはそれでも実際には田老地区を離れませんでした。
 この紙しばいを創作し、昭和54年から30年以上も若い人たちに津波の怖さを教えるボランティア活動を行ってきました。
 そんな田畑さんですが、今回の東日本大震災でまた津波に襲われました。家が流されたといいます。
 もちろん田畑さんは過去の教訓を生かして避難し、助かりました。
 そして、今、またこの紙しばいの読み聞かせを始めました。
 なんと田畑さんは強いのでしょうか。なんと田老の人々はくじけない人たちでしょうか。
 自然と暮らすということは、自然は時に牙をむくほどに怒るということを忘れないことです。
 田畑さんの紙しばいは、田老の人々の活動は、そのことを教えてくれます。
  
(2011/10/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から1年が経ち、
  新たな悲しみにつつまれた人も多いと思います。
  どのような形であれ
  悲しみに沈む人たちを
  これからも支えていかないといけません。
  私は支援はひとつの形ではないと
  思っています。
  それぞれが
  それぞれの形で支援活動をすればいいのでは
  ないでしょうか。
  今日紹介するのは
  瀬戸内寂聴さんとさだまさしさんの対談集、
  『その後とその前』です。
  対談の中で瀬戸内寂聴さんは
  こんなことを話しています。

    想像力があって相手の気持ちがわかる。それが愛

  また、こうも。

    目に見えないものが一番大切

  皆さんが皆さんの形で
  これからも被災された人たちを
  支援していければ
  どんなにいいでしょう。

  じゃあ、読もう。

その後とその前その後とその前
(2012/02/24)
瀬戸内 寂聴、さだ まさし 他

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sai.wingpen  ふたたびの、春。                     矢印 bk1書評ページへ

 さだまさしさんに「しあわせについて」という歌があります。「♪しあわせですか しあわせですか あなた今/何よりそれが一番気がかり」と唄い始まります。
 2011年3月11日。東日本大震災で被災された人たちに、この歌は酷かもしれません。しあわせなんてとんでもない。いまだに涙の乾く時はない。
 それでも、この歌が被災された人たちに、そしてこの国の人たちに届けばどんなにいいでしょう。
 先の歌詞につづいて、さださんはこう唄います。「♪みんなみんなしあわせになれたらいいのに/悲しみなんてすべてなくなればいいのに」と。

 この本は歌手のさだまさしさんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談集です。1952年生まれのさださんと1922年生まれの瀬戸内さん。30歳の年の差。息子と母のような、心温まる対談です。
 書名の『その後とその前』の「その」は2011年3月11日の東日本大震災を指しています。
 実はこの本は、その日をはさんで、二人が2010年の春に対談したものと2011年の夏に対談したものが、一つひとつの話題で、交互に編集されています。
 頁のままに読むと、「その前」と「その後」が交互に出てきます。もちろん、「その後」だけを、「その前」だけをまとめて読むことはできます。ちなみに私はまず「その後」の対談を読み、あとで「その前」の対談を読みました。

 さださんも瀬戸内さんも大震災のあと、積極的に被災地と関わっています。特に瀬戸内さんは本業である? 宗教活動だけでなく、作家として積極的に活動されています。
 作家として。
 本来であれば作品を書くことが作家としてのありようだと思います。しかし、瀬戸内さんは90歳の高齢でもあります。大震災のあとの瀬戸内さんは対談という形で、被災された人たちに寄り添うようにして、支援しつづけています。
 大震災のあとさまざまな人が被災された人たちと絆を深めてきました。瀬戸内さんの素晴らしいところは、自身の体調等を受け、対談という形でメッセージを発信し続けていることではないでしょうか。
 さださんの場合は、歌を届けるということで。
 歌手として。

 現地でボランティア活動をすることは大変でしょう。多額の義援金を寄付することもすごいことです。誰もがそれらができればいいのですが、そればかりではありません。
 だとしたら、自分自身ができることから始めることが大切です。
 大きなことでなくてもいい。
 まず、自分ができることから始める。それが大切です。

 さださんは「しあわせについて」という歌のなかでこう唄います。
 「♪時を超えて変わらないのが愛だよ」
 その愛を信じて、私たちは、二度目の春を迎えようとしているのです。
  
(2012/03/12 投稿)

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  3月11日
  この日を
  日本中の人が、いえ世界中の人が
  それぞれの思いをもって迎えられたことかと思います。
  あの日、
  あの時、
  2011年3月11日午後2時46分
  東北地方を襲ったマグニチュード9.0の大地震。
  それは単なる数字の連なりではなく、
  あの時、すっと離れていった小さな手、
  小さくなっていった悲鳴、
  ふっとこと切れた息づかい、
  号泣、叫び、鼓動、絶望、
  それを生んだ悲しみの時であったのです。
  あの時を境にして
  故郷を去った人々、
  故郷を離れざるをえなかった人々、
  伝わらなかった携帯電話に
  どのような言葉が消えてしまったでしょう。
  あれから一年。
  ふたたび、春はめぐってきました。

  この一年の間、
  たくさんの人々が
  自分たちのできることを
  それは実際に被災地に出かけていくことであったかもしれませんし、
  募金としていくばくかのお金を差し出すことで
  あったかもしれません。
  それぞれがそれぞれの東日本大震災を経験し、
  生きてきました。
  このブログでは
  震災に関連したたくさんの本を紹介してきました。
  それが、私にできること。
  それが、多くの悲しみと向き合う、私にできること。
  私にはそんな小さなことしかできません。
  それでも、
  そのことで被災された多くの皆さんと
  今日、
  3月11日をいろんな思いで迎えたたくさんの皆さんとつながる、
  それが私の方法だと思っています。
  今日からしばらく
  新しい本の紹介、以前紹介した本の再録を通じて
  私なりに悲しみと向き合っていこうと思います。
  まず、今日は
  吉村昭さんの『三陸海岸大津波』の再録です。

  じゃあ、読もう。

三陸海岸大津波 (文春文庫)三陸海岸大津波 (文春文庫)
(2004/03/12)
吉村 昭

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sai.wingpen  「一つの地方史」の記録ではなく             矢印 bk1書評ページへ

 3月11日の東日本大震災以後、多くの関連書籍が出版されている。ある意味それは出版人としての心意気でもあるが、他方大きな惨劇が多くの関心を集めるため売上という点からも出版を急ぐという意味も持つ。そのなかでひと際異彩を放つのが本書の存在だろう。
 何しろこの本の初版は今から40年以上も前の昭和45年(1970年)なのだ。
 はじめ『海の壁』と題され、中公新書の一冊として刊行された。吉村昭は名作『戦艦武蔵』を発表し、自らの方向性をようやく確立したばかりであった。その後の吉村の活躍については言うまでもない。

 そんな吉村が「何度か三陸沿岸を旅して」いるうちに、過去かの地を何度か襲った津波の話に触れ、「一つの地方史として残しておきたい気持」で書き下ろしたのが本書である。
 「津波の研究家ではなく、単なる一旅行者にすぎない」吉村ではあるが、今回の大震災後に慌ただしく出版された関連本と違い、腰の据わった記録本として高い評価を得ていいだろう。
 もちろん、吉村がこの時想像をしていた以上の悲惨な大津波がまたも三陸沿岸を襲った事実はあったとしても、この本の評価はけっして下がることはない。また、今後何年かして、吉村のように丁寧に今回の津波の惨状を伝える書き手が現れることを期待する。

 本書は明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)の大津波、それに昭和35年(1960年)のチリ地震による津波の惨劇が、当時の資料と生存者の声の収集から成り立っている。
 執筆された当時からすると明治29年の生存者はわずかであるが、吉村は根気よく探しつづける。そういう地道な努力が文章の記録性を高めているといっていい。
 このような大きな津波のあとを訪ねても、いかに三陸沿岸が津波の被害に苦しめられてきたかがわかる。そして、そのつど、人々は復興してきたというのもまぎれもない事実である。

 吉村は「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」としながらも、「今の人たちは色々な方法で充分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」という地元の古老の言葉を信頼し、安堵もしている。
 今回の津波による大惨事をもって、吉村の考え方が甘かったということもいえるかもしれない。
 しかし、甘かったのは吉村だけではない。多くの日本人は何かを見落としてしまっていたのだ。この本を前にしてそのことを反省せざるをえない。
 この本はいまや「一つの地方史」の記録ではなく、この国の記録として大事に読み継がれなければならないだろう。
  
(2011/07/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  「百年文庫」は漢字一文字を表題にして
  組まれて短編のアンソロジーですが、
  100巻もあるので
  できるだけ季節にそった題名の巻を
  選ぶようにしています。
  そこで、今日紹介するのは
  「」という題名の巻。
  桜が咲くにはまだもう少し
  時間がかかると思いますが
  桜って不思議で
  満開の時もいいですが
  全体が淡い桃色に色づく
  蕾の頃も風情があります。
  一雨ごとに蕾がふくらんでいく
  それももうすぐでしょう。
  今日は少し先回りして
  「蕾」を味わって下さい。

  じゃあ、読もう。

蕾 (百年文庫)蕾 (百年文庫)
(2011/04)
小川 国夫、プルースト 他

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sai.wingpen  満開の時を夢みて                  矢印 bk1書評ページへ

 今年は例年になく厳しい寒さでした。三月も中旬になると桜の開花情報がちらほらと聞こえてくるものですが、どうも今年は遅いらしい。
 まだ固い蕾のなかでゆっくりと目を覚まし始めている木々たち。満開の瞬間(とき)を夢見ている時間でしょうね。
 「百年文庫」72巻めの表題は、「蕾」。未熟な若者たちの、それは子供の場合もありますが、心もようが描かれた作品3篇、小川国夫の『心臓』、龍胆寺雄の『蟹』、プルーストの『乙女の告白』、が収められています。

 龍胆寺雄は戦前から戦後にかけて活躍した作家です。本巻に収録されている『蟹』は1929年に発表された作品で、15歳の少年の心象風景を描いたもの。
 読んでいて気になったのが、第144回直木賞を受賞した道尾秀介の『月と蟹』。時代設定も状況設定もちがうのですが、少年が孤独を癒すために蟹の世話をすること、主人公の少年に同年代の少女が関係することなどよく似ています。
 龍胆寺雄の場合、貧しい少年と裕福な一つ年かさの少女の関係は初恋のひそやかな想いが重なっていきます。子供だからこその孤独との特有の対峙の仕方があるのでしょう。
 二つの作品は100年近い時を経て交わったような気がします。

 小川国夫の『心臓』はそっけもない題名がついていますが、逆にその即物的な印象が二人の異性の間で揺れる主人公の青年の心のうちを表現しています。
 ストレートに言葉を使うというのは若い作家たちがよく使う手法だ。おそらく曖昧なものでは伝わらない、そういう心象を描きたいという想いだろう。
 『失われた時を求めて』の作家として有名なプルーストの『乙女の告白』は、純潔がもっとも清らかなものと信じられていた時代の、そしてそれを越えようとする少女の物語です。
 従前のしきたりを踏襲しようとする母、母の時代の慣習や思いを越えようとする娘。それは異性との接触において顕著だったといえます。古風な文体で、現代の人には理解し難い話ながら、まるで映画のワンシーンをみているようなラストが印象的な作品です。

 蕾の中にある力は自分を守ってきた殻を突き破ろうとするものです。それもまた満開の時を夢見る力のひとつだといえるのではないでしょうか。
  
(2012/03/10 投稿)

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  今日は俳句の本ですが、
  俳句だけでなく
  日本語の本でもあると
  思って下さい。
  俳人の黒田杏子さんの『暮らしの歳時記』という
  本です。
  副題が「未来への記憶」とあります。
  どうもこの副題のことが気にかかっています。
  記憶というのは
  普通過去のものに対してでしょ。
  それなのに「未来」だという。
  これは私の考えですが、
  歳時記に収められた季語というのは
  日本人のDNAみたいなもので
  それが未来につながっているということでは
  ないでしょうか。
  うまくいえませんが。
  書評の中に
  拙い私の俳句をいれてみました。

  じゃあ、読もう。

暮らしの歳時記――未来への記憶暮らしの歳時記――未来への記憶
(2011/11/12)
黒田 杏子

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sai.wingpen  春の夢                     矢印 bk1書評ページへ

 歳時記をもっていることを、日本人はもっと誇っていい。
 寺田寅彦は「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)」といったそうだが、四季それぞれの表情が豊かという恵まれた自然のことだけでなく、山と海とそれをつなぐ川といった美しい環境だけでもなく、それぞれの感性を日本語という言葉に写し取った、それこそ素晴らしい日本人の感性の集積だと思う。
 この本の著者、俳人の黒田杏子は、中学生の頃に「花冷」という季語に出会い、「季語は日本語の中の宝石だと感動した」と書いている。
 さらに、「季語」は「国民だれでも平等に使うことができる著作権のないこの国の文化遺産」だとまでいう。
 誰もが自由に使える「宝石」であり「文化遺産」をもっと誇りにしていい。

 本書は黒田杏子が戦時中暮らした第二の故郷ともいえる栃木県の広報誌に10年余り連載していた作品をまとめたものだ。
 俳句人口は多いとはいえ、地方の広報誌に載った記事を拾いあげ、一冊の本に仕上げるというのはさすが岩波文化ともいわれる出版社ならでは企画と、拍手をおくりたい。
 それにしても、栃木県民の人は仕合せな歳月を過ごしていたものだ。
 一篇一篇は短いが、季節に応じた「季語」とそれを織り込んだ名句の数々、そして人気俳人の地元での思い出話といった、贅沢な記事を、普通はあまり面白くはない広報誌で読むことができたのだから。

 黒田は古今の俳句に流れる「ゆるやかな時間」を愉しんでほしいと書いているが、それは若い人にはぜひ感じとってもらいたい愉しみでもある。
 先人たちはけっして刺激的な快楽だけを求めたのではなく、質素で貧しいけれど、刺々しくも荒々しくもない生活に楽しみを感じていたのだろう。
 黒田のいう「ゆるやかな時間」とはそういうことだ。
 私たちが忘れてしまったものが、歳時記にはたくさん残っている。

  歳時記にさそわれゆらり春の夢 (夏の雨)

(2012/03/09 投稿)

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  初めにことわっておきます。
  今日紹介する、
  花房観音さんの『花祀(まつ)り』は
  純粋な官能小説です。
  だから、今日は
  おとなの時間です。
  若い人には残念ですが。
  もっとも、私の書評には
  そんなことちっとも書いていません。
  遠回しに、遠回しに、です。
  きっと官能を期待している人には
  ちっとも面白くもない書評だろうなぁ。
  そんな書評にも書きましたが
  この作品は第一回団鬼六賞
  受賞作です。
  だから、表紙などはとても
  いい雰囲気を出していますよね。
  文章もうまいし、
  読みごたえのある官能小説と
  いえます。
  若い人たちは
  おとなになったら読んでみて下さい。

  じゃあ、読もう。

花祀り花祀り
(2011/03/24)
花房観音

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sai.wingpen  人間の正体                 矢印 bk1書評ページへ

 第一回団鬼六賞受賞作。
 団鬼六は知る人ぞ知る官能小説界の巨匠、SM小説の草分け的存在です。昨年(2011年)5月、残念ながら鬼籍にはいられました。
 その団鬼六の名を関する賞ですから、これは官能小説です。
 主催者の募集要項をみると、「あなたしか創れない情愛世界、新たな官能小説の可能性を拓く作品を待望」とあります。
 官能小説は当然成人向きなのですが、出版点数としては多いのではないでしょうか。出ては消え、消えてはまた生まれる。泡のように量産されているといっていいでしょう。
 ところが、官能小説の難しさはある程度定型化してくることです。だから、どうしても新たな書き手を模索することになります。
 団鬼六賞は芥川賞のように継続されればいいのですが、果たしてどうしょうか。

 主人公は美貌の和菓子職人である31歳の美乃。彼女を慕う由芽という23歳の娘が結婚するという話を聞き、美乃の封印された過去と性癖が現れてきます。
 封印された過去。それは、美乃が「かつて最も愛し、最も憎んだ」男とのすさまじい性の世界でした。
 美乃が男たちに調教され辱めを受ける場面。嫉妬から美乃が由芽をかつて自分がうけたと同様の屈辱を味わわせる場面。過激な表現が続きます。
 この物語の面白さは複数の女性の存在と、彼女たちに群れる男たちの個性です。複数の男女を描くことで、物語に幅が生まれたといえます。

 ところで、作者の花房観音ですが、女性作家だそうです。しかもAV界の巨匠ともいわれる代々木忠監督のスタッフでもあったという異色の経歴の持ち主です。
 女性にもこれほどに過激な官能小説が描かれることに驚きますが、団鬼六が作品を初めて書いた頃の、秘めたる愉楽が今や陽のさす世界にあらわれた証でもあります。
 そこから「新たな官能小説の可能性」が生まれるのではないでしょうか。
  
(2012/03/08 投稿)

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  第146回芥川賞の選考を終えて
  黒井千次選考委員と石原慎太郎選考委員が
  退任しました。
  今日紹介する第146回芥川賞受賞作である
  田中慎弥さんの『共喰い』が
  二人の退任を押したわけでもないでしょうが、
  新しい血が選考委員にはいるのは
  悪いことではありません。
  石原慎太郎委員は最後の選評の中で
  「描かれている人間達のほとんどがちまちまとひ弱く」と
  書いていますが、
  石原慎太郎さんのもっている毒をぬいても
  そう感じる作品が多いように
  私も思います。
  ちなみに、
  二人に代わって選考委員の選ばれたのは
  奥泉光さんと堀江敏幸さん。
  これで選考委員の全員が
  戦後生まれとなったそうです。

  じゃあ、読もう。
  
共喰い共喰い
(2012/01/27)
田中 慎弥

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sai.wingpen  中上健次の凄さをあらためて知る           矢印 bk1書評ページへ

 第146回芥川賞受賞作。
 受賞発表時やその祝賀パーティでのユニークな発言に注目が集まった作者であるが、あれらの発言に痛快さを感じる人もいるだろうし、眉をひそめる人もいるだろう。私は後者だ。
 あれらの発言にどんな意味があるのか理解に苦しむ。それが作者の個性なのかもしれないし、それを否定しはしないが、特段それがなかったとして受賞作の価値があがるわけではあるまいに。
 もっともあれのおかげで本の売れ行きは好調のようだし、作者あるいは出版社にしてみればうれしい限りだろう。

 受賞作はそれらと切り離してもしっかり書かれた好篇といえる。
 昭和の時代の地方都市での物語。父の暴力的な性行為をひきずっていることに苦悩する少年。母と父の確執。恋人とのセックス。息のつまるような川辺の町での生の吐息が生々しい。
 今回の選考で委員を辞する黒井千次はその選評で「歴代受賞作と比べても高い位置を占める小説」と絶賛しているが、確かに読者をひきつける力量は相当なものだ。
 しかし、これって中上健次とそっくりじゃない?

 中上健次は自身の血と故郷を描いた『岬』で第74回芥川賞を受賞したが、彼のマグマは出口を求め彷徨い続けていた。それが『岬』で一気に噴出され、多くの読書家を魅了した。
 惜しくも46歳の若さで亡くなったが、彼が生きていたら、日本文学の光景ももう少し違っていただろう。
 田中慎弥の受賞作はその中上の世界にそっくりだ。
 各選考委員の選評でそのことに触れているのが高樹のぶ子一人というのも寂しいが、高樹の選評を引用すると「一読し、中上健次の時代に戻ったかと思わせた」とある。
 もちろん、父と息子の確執は、小川洋子委員のいうように「父を倒し乗り越えてゆく息子の、ありふれた物語」かもしれない。
 それでも、そこが描かれる土地の匂いや母という異性との関係など「ありふれた物語」以上に中上健次との相似を選考委員たちはもっと語ってよかったのではないだろうか。

 中上は芥川賞受賞後も色々な文壇での伝説を残した作家である。それは、書いても書いても途絶えることのない彼自身の熱情の発露であったかもしれない。
 田中慎弥の熱情がああいった発言ではなく、作品として結晶されることを期待している。
  
(2012/03/07 投稿)

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  今日はビジネス本の紹介です。
  しかも、おなじみ小宮一慶さんの
  新しい本、『ビジネスマンのための「人物力」養成講座』です。
  小宮一慶さんの本ですから
  文句はいいたくないのですが、
  そしてこれはビジネス本全般にいえるのですが、
  そろそろ「○○力」という表現は
  やめた方がいいのではないでしょうか。
  なんでもかんでもの感じがします。
  それは確かに「力」があれば
  強くなる印象があるでしょうが、
  もう少しまともな表現があるような気がします。
  洋画のタイトルの
  原題そのままのカタカナ表記とよく似ています。
  編集者の工夫が望まれます。
  それはともかく、
  相変わらず小宮一慶さんの本は
  読みやすいですね。
  それに、元気がでてきます。
  もし、今仕事につまっている人は
  気分転換にぜひ読んでみて下さい。

  じゃあ、読もう。

ビジネスマンのための「人物力」養成講座 (ディスカヴァー携書)ビジネスマンのための「人物力」養成講座 (ディスカヴァー携書)
(2011/12/29)
小宮 一慶

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sai.wingpen  あの「流通王」は何故尊敬されないのか          矢印 bk1書評ページへ

 言葉には色々な意味があります。
 この本でいう「人物」にしても、例えば、「ひと。人間」という当たり前な意味もあれば、「人柄」というものもあります。よく面接などで「人物評価」といわれるのは、この意味です。この本の場合は「人格・才能などの優れた人」ということでしょう。
 さらにいえば、著者の経営コンサルタントの小宮一慶さんはこんな表現をしています。「長期間にわたって尊敬される人」。これはわかりやすい。

 経済の世界では時にカリスマといわれる経営者が出現します。しかし、その多くは一時的な注目で終わってしまいます。
 かつて「流通王」と呼ばれた経営者がいます。彼の発言は経済の現場を大きく変えました。おそらく彼がいなければ現在の流通の世界は何年も遅れたでしょう。(そう、それは遅れただけで全く実現しなかったとはいえません)
 彼が隆盛を謳歌していた頃、たくさんの関連書籍が出版されています。それは、多くの人が彼の発言を聞きたがったという証左でもあります。
 しかし、彼の強引ともいえる手法、拡大一辺倒のやり方は地に堕ちていきます。
 今、彼のことを耳にすることはありません。彼をもって「人物力」があった経営者という人は皆無に近いでしょう。
 「流通王」と呼ばれた彼は、「革命人」であったかもしれませんが、「人物力」のある人ではなかったのです。
もし、彼が「人物力」をもった経営者であれば、晩節を汚すことはなかったにちがいありません。

 この本ではまず小宮さんが考える「人物力」の12の要件が紹介されています。
 例えば、「前向きに考え行動する」「妥協しない」「決断力がある」などの要件です。
 先の「流通王」の場合、ほとんどの要件を持っていたと思われます。但し、「受け入れる」という点ではどうだったでしょう。それは他人の話を聞くということです。
 「流通王」は人を引っ張っていく力は随一だったでしょう。そうでなければ、戦後の混乱期を生き残れなかったと思います。しかし、やがて経済が落ち着いていき、特に彼の主戦場であった小売の世界は飢えの時代から豊穣の時代へと変わっていきました。それでも、彼は従前のやり方を変えませんでした。
 もし、彼が「受け入れる」ことを知っていたら、現在の流通地図は全く違うものになっていたかもしれません。

 小宮さんのいう「人物力」は、このようにして過去脚光を浴びた経営者を想いながら読むと理解が深まるのではないでしょうか。
  
(2012/03/06 投稿)

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  またまたNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」の
  話を書きます。
  もうすっかりとりこになっていて
  毎回観ながら、
  主人公たちの岸和田弁にうっとりしています。
  故郷の言葉を
  こんなにうれしく聞いたことはありません。
  物語も終盤に差し掛かって、
  主人公小原糸子の三人の娘たちも成長しました。
  もちろん、知っている人は多いでしょうが、
  この物語のモデルは小篠綾子さん。
  岸和田が生んだスーパーレディです。
  そして、その娘さんは
  あのコシノヒロコジュンコミチコ
  世界的デザイナーです。
  それだけでもすごいですよね。
  このドラマをひっぱってきたのは
  まちがいなく、
  糸子を演じた尾野真千子さん。
  少女時代の糸子から
  50歳を過ぎた糸子まで
  素晴らしい演技でのりきってきました。
  尾野真千子さんが演じたような女性、
  本当に岸和田にはいっぱいいます。
  そして、いよいよ
  晩年の糸子役で夏木マリさんが登場します。
  先週の土曜の回に
  ちらっと出てきましたよね。
  これがまた岸和田のおばちゃんの雰囲気を
  醸し出していて、
  今週からまた楽しみが倍増です。
  ということで、
  今日の本は、
  そのものずばり、
  中場利一さんの『岸和田の血』を再録します。

  じゃあ、読んでや。
  
岸和田の血岸和田の血
(2009/05/21)
中場 利一

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sai.wingpen  「醜(しこ)っている」小説               矢印 bk1書評ページへ

 私の故郷に「しこる」という方言がある。
 暴れる、という意味だろうか。小さい頃、母によく「しこりな」と叱られたものだ。
 どちらかといえば禍々しい感じのする意味不明のこの言葉に後年、司馬遼太郎の『街道をゆく』<河内みち>の中で出会った時には実にびっくりした。そして、その書かれている内容にはもっと驚いた。
 司馬の作品から引用する。「醜(しこ)というのは上代語では醜(みにくい)というより強悍という意味につかわれるし、乙女らはのっぺりとした雅士(みやびお)よりもあらくれた醜男(しこお)のほうに性的魅力を感じたりする。(中略)河内の国の古い村ではそういう古語がいまなお日常語として生きているのである」
 私にとって、なにげなく使っていた日常語「しこる」が上代から続く古語ということが少し恥ずかしくもあり、面映ゆくもあった。

 中場利一の『岸和田の血』は「醜(しこ)っている」小説だ。
 岸和田というのは、司馬が『街道をゆく』で旅した河内と隣接する、大阪南部の地方都市である。毎年死者がでるほどの荒々しい祭りとして、最近は全国的に有名になった「だんじりまつり」と、元プロ野球選手の清原和博の出身地、そして中場利一のデビュー作『岸和田少年愚連隊』と並べれば、この地方都市の性格なり風土が容易に想像できる。
 荒い土地柄である。
 この物語の舞台は、そんな岸和田の中でももっとも荒んだ、「人の悪口を言っては大笑いし、喧嘩と博打ばかり」の「通称レンガ場」と呼ばれるところである。

 ほとんど全編ケンカの場面がつづく。
 相手はやくざまがいの大人、隣町の番長、同じ学校の同級生と、主人公のチュンバ少年はまだ中学二年だというのに毎日ケンカと窃盗に明け暮れている。
 それなのに、一級下のかわいい少女リョーコがチュンバに魅かれるのは、司馬が指摘したように醜男(しこお)の「性的魅力」のせいだろうか。「不良というもの、昔から笑顔がすごく愛らしいものなのである」と、チュンバも心得ている。
 「浪曲と人と揉めるのが大好き」というチュンバの父トシオも、また醜男(しこお)である。その破壊力は当然チュンバ以上なのだが、彼もまた妻だけでなく多くの女性をひきつけている。
 つまり、作者がいう『岸和田の血』とは「醜男(しこお)の血」のなのだ。強悍な男たちの血なのだ。
 その昔男たちは生きるために獣たちと戦い、女たちのために敵と闘ってきた。勝ち残った男しか生き残れなかったし、子孫を残せなかった。そんな原始のような力強い世界がこの物語にある。

 私の故郷では「醜(しこ)っとるやろ」と言う時、なぜか晴々としている。
 あれは醜男の強い血をどこかで許している言い方である。誇りにしているのかもしれない。
 私の故郷は、そんな岸和田である。
  
(2009/06/25 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先週、さこももみさんの『さよならようちえん』という
  絵本を紹介しましたが、
  皆さん、覚えています?
  忘れている人は、ぜひお読み下さい。
  楽しい幼稚園生活とさようならする
  旅立ちの絵本ですが、
  そこに描かれていたのは
  とっても楽しい幼稚園でした。
  今日紹介するのは
  長谷川義史さんの『ようちえん いやや』ですから
  まるで反対の一冊みたいな絵本です。
  でも、ご心配なく。
  長谷川義史さんの絵本も
  本当は幼稚園が楽しい子供たちの
  絵本ですから。
  先週も書きましたが、
  幼稚園ってもううんと昔のことですから
  記憶がほとんどありません。
  そんな私が読むのと
  若い人たちが読むのでは
  大いに印象が違うんでしょうね。

  じゃあ、読もう。

ようちえんいやや (絵本・こどものひろば)ようちえんいやや (絵本・こどものひろば)
(2012/02)
長谷川 義史

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sai.wingpen  かいしゃ いやや                 矢印 bk1書評ページへ

 社会人となってもう30年以上になります。というか、そろそろ終盤に近いのですが、やはり今でも「かいしゃ いやや」と思うことがあります。 
 上司にあいさつするのいやや、とかあの仕事するのいややとか取引先に頭さげるのいやや、とか。朝の電車のなかで暗い気持ちでこっそりと「かいしゃ いやや」とつぶやく時がないといえば嘘になります。
 若い頃はもっと「かいしゃ いやや」と思っていましたから、これでも「いやや」は減った方です。
 入社したての頃は、朝の寝床のなかで、あるいは寝る前から「かいしゃ いやや」と思ったこともあります。
 会社勤めだけではありません。学生の時には「だいがく いやや」とずる休みしてました。高校生の頃は「こうこう いやや」と、でも仕方なく通っていました。
 考えてみたら、ずっと「いやや」の人生を過ごしてきたようです。
 それでも、なんとかここまでやってこれました。「いきるの いやや」とは思わなかったからです。
 「いやや」と思いつつ、それでもなんとかやってこれるもの。

 長谷川義史さんの絵本『ようちえん いやや』は、園長先生にあいさつするのがいやな子や自分のクラスがもも組なのがいやな子やみんなで歌をうたうのがいやな子など、たくさんの子供たちがみんな「いやや」と泣いています。
 中でも一番いやなのが、幼稚園の門の前でお母さんと離れなければならないことなんて、かわいい。
 そんな「いやや」の子供たちですが、いざ園での時間が始まると、みんな楽しそうに遊んでいます。
 生きるってそういう力なんでしょうね。

 長谷川さんのおなじみの絵のタッチは泣いている表情も豪快ですが、楽しそうな子供たちも生きる力がみなぎっています。長谷川さんの絵本が人気のあるのは、そういう点だと思います。
 見ているだけで、「いやや」がひっこんできます。
 幼稚園をでて、小学校になって、やっぱり「がっこう いやや」と思ったら、この絵本をそっと読んでみたらいい。「いやや」が飛んでいきます。
 会社にはいってやっぱり「かいしゃ いやや」と感じたら、この絵本をそっと手にしたらいい。朝の電車のなかで、この絵本を読んでいる大人たちがたくさんいるのではないかしらん。
  
(2012/03/04 投稿)

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 今日はひなまつり

  草の戸の住替る代ぞ雛の家

 この句は、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の
 一番はじめに出てきます。
 これから長い旅にでる、覚悟と切なさが
 「雛の家」に込められているような気がします。

芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫)芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫)
(1979/01)
松尾 芭蕉、萩原 恭男 他

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 瀬戸内寂聴さんがこんな句を詠んでいます。

  雛飾る手の数珠しばしはづしおき

 さすがに女の子の節句だけあって、
 女性の感性に満ちた句です。

 そんな、2012年3月3日。
 このブログを始めたのが
 2008年12月4日ですから、
 えーと何日になるかな、
 3年と何日ですね、
 ついにこのブログに訪問して頂いた方が
 10万人を突破しました。

 ありがとうございます。

 10万人ってどれくらいの人かというと
 うーん、
 わからないけど
 行列にしたらすごいですよね。
 東京ドームだったら
 二回分ぐらいかな。
 とにかく、とてもたくさんの数。

 毎日読んでくれる人、
 たまに読んでくれる人、
 一回だけの人、
 いろいろな人がいるでしょうが、
 とてもありがたい。
 読んでくれるから
 続けられました。

 ありがとうございます。

 
 100万人をめざして
 これからもよろしくお願いします。
 ぜひ、本でいい暮らしを。

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 もしかしたら、初めてかもしれません。
 雑誌『オール讀物』を読むのは。
 ちがうかな。自信がないなあ。
 でも、57年生きてきて、10回はないな。
 純文学と大衆文学という構図が
 昔は今よりうんとはっきりしていて、
 文藝春秋なら、
 純文学が『文学界』、大衆文学は『オール讀物』。
 講談社なら純文学が『群像』で大衆文学が『小説現代』。
 文学の香りはやっぱり純文学でないと、なんて
 若い頃は思っていましたから、
 『文学界』は手にしても、
 『オール讀物』なんて読む神経がわからない。
 なんと傲慢な。
 最近は純文学なんて言い方さえ死語に近づいていて
 文学の境目がなくなっています。
 いえ、もしかしたら大衆文学の方がうんと
 物語の深みを増しているような感じがします。
 そこで、今回の「雑誌を歩く」は
 第146回直木賞発表の『オール讀物』3月号(文藝春秋・990円)を
 歩いてみます。

オール讀物 2012年 03月号 [雑誌]オール讀物 2012年 03月号 [雑誌]
(2012/02/22)
不明

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 今月号はなんといっても
 直木賞受賞作葉室麟さんの『蜩ノ記』の一部掲載が目玉です。
 それに関連して、総力特集で

   葉室麟の世界

 が組まれています。
 葉室麟さんとのロングインタビュー、
 葉室麟さんの自伝エッセイ、葉室文学全18作の紹介など
 中身の濃い企画です。
 これで、あなたも第146回直木賞作家葉室麟さんのとりこ。
 私ですか?
 私はなんといっても葉室麟さんが女性だとばかり
 思っていたほどですから、
 反省しながら、楽しみました。

 さて、『オール讀物』なんて読んだことがないあなたのために
 書いておきますが、
 この雑誌の目次はカラー版なんですね。
 目次だけでも楽しめます。
 なんだ、目次だけかという人にために
 この号では特別企画として

   オール読書会 生まれて初めて読んでみました!

 と題されて記事があります。
 私みたいな『オール讀物』初心者には
 うってつけの企画です。
 本好き、読書好きの若い人たち、
 もちろん生まれて初めて『オール讀物』を読んだ人たち、6人が
 遠慮なしにその感想を話し合うという企画。
 のっけから、こんな地味な表紙では誰も手をださないとか
 厳しい意見が飛びかっています。
 こんな企画をすること自体、
 紙面作りには自信を持っているのでしょうが。

 これからも直木賞受賞の際には
 手にしたい、
 それだけでは困るんですがという
 編集部のお気持ちはわかるとしても、
 雑誌です。

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