プレゼント 書評こぼれ話

  今日で4月もおしまい。
  私にとっては
  あんましいい4月ではなかったなぁ。
  でも、それでも
  こうして毎日まいにちが過ぎていく。
  明日から気分を変えて
  爽やかな5月になればいいのですが。
  さて、今日の絵本は
  ダニエル・カークさんという
  アメリカの絵本作家が書いた『としょかんねずみ』。
  絵そのものはいささか古っぽい感じがしますが
  とっても素敵なファンタジー。
  アメリカ人って
  ミッキーマウスとかトムとジェリーとか
  ねずみって動物が好きですよね。
  日本人とは
  少し違う好みでしょうか。
  さあ、『としょかんねずみ』サムくんの
  活躍をとくと楽しんで下さい。

  じゃあ、読もう。
  
としょかんねずみとしょかんねずみ
(2012/01/16)
ダニエル カーク

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sai.wingpen  こんな素敵なねずみがいる図書館だったら          矢印 bk1書評ページへ

 最近の図書館は設備がとてもいい。採光、バリアフリー、情報インフラ、どれひとつとっても、何十年前のそれと比べようのないくらい、快適な空間を提供してくれます。
 そのかわり、本がもっていた淫靡な感じ、魔術的な空気が少なくなったかもしれない。そう、どちらかというと誰にも読まれずにひっそりと書棚にうずくまっているような、そんな雰囲気。秘め事が誘うような、そんな感じ。感情の迷子がうずくまるような、そんな場所。
 この絵本にそくしていうなら、「としょかんねずみ」がでてきそうな、そんなファンタジーが、少なくなっているような気がします。

 もし、いまの図書館にねずみが走り出そうものなら、たちまち苦情が寄せられ、ねずみ駆除の申し入れがあり、その結果を求める人たちで殺到しそうです。
 でも、この「としょかんねずみ」は撃退してはいけません。だって、図書館を利用する子供たちの人気者なのですから。
 もっとも、子供たちは素敵な物語を書く覆面作家トムが、図書館に住むねずみだなんて知らないのですが。

 主人公のサムは図書館に住むねずみ。利用者がいなくなる夜は、図書館はサムだけのもの。そこで、サムは毎晩まいばん本を読んで暮らしています。
 ある時、サムは「じぶんでも ほんを かいてみることにしたのです!」。しかも、その本が子供たちに大人気。やがて、サムって誰だろうってみんなが探し始めます。
 自分がねずみだってわかれば、みんな大騒ぎするでしょう。賢いサムはここで素晴らしいアイデアを思いつきます。
 さあ、「としょかんねずみ」サムのアイデアって何でしょう。

 本当にすてきな図書館にはきっとこの絵本にでてくるサムのような「としょかんねずみ」がたくさんいるにちがいありません。
 読んだことのない本のすきまに、サムが書いたハラハラドキドキするような物語がたくさんはさまっているでしょう。
 だから、図書館で迷子になるくらい本をさがしてみたくなる、これはそんな絵本です。
  
(2012/04/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から
  GW(ゴールデンウィーク) 。
  皆さんはどんな連休を過ごすのかな。
  今年もこのブログでは
  たくさんの絵本を紹介しようと
  思います。
  子供たち、
  子供たちといっしょのお父さんお母さん、
  お孫さんたちと楽しんでいるおじいちゃんおばあちゃん、
  行楽に疲れたら、
  いい絵本を読んで下さい。
  うまく紹介できたら
  いいんですが。
  私は少し元気じゃないですが
  今日紹介する
  荒井良二さんの『ぼくときみとみんなのマーチ』のように
  元気をださないといけませんよね、
  
   ♪ズンチャ ズンチャ

  連休の初日に
  いい絵本が紹介できて
  うれしいです。

  じゃあ、読もう。

ぼくときみとみんなのマーチ (絵本単品)ぼくときみとみんなのマーチ (絵本単品)
(2012/03/06)
荒井 良二

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sai.wingpen  さあ、しゅっぱつ!                  矢印 bk1書評ページへ

 「ズンチャ ズンチャ はじまりマーチ/ズンチャ ズンチャ しゅっぱつマーチ」。
 はじまりの文章から、そして全面黄金色に染まったページから、浮き立つような気分になります。
 なんだろう? この感じって。いっぱい楽しいことが始まるぞっていうこのワクワク感。
 この絵本に初めて接した子供たちは仕合せだろうな。
 ページをめくりながら、すくって立ち上がって、両手を振って、両足あげて、「ズンチャ ズンチャ」、歩き出せる。
 いつも、はじまり。
 いつも、しゅっぱつ。

 夢、あるよね? この絵本の男の子のように「おおきな ものを つくりたい」とか、この絵本の女の子のように「おおきな きに なりたい」だとか。
 そんな夢かなうように、「ズンチャ ズンチャ」、みんなで行進!

 うらやましいな、そんな頃。マーチの音に心弾ませていた頃がなつかしい。
 おとなって、どうしてこんなにも面倒くさいんだろ。素直に浮かれて歩くことができないんだろ。
 小さい頃にはあったはず、「ズンチャ ズンチャ」ってそんな簡単なリズムで、胸ときめかした時も。
 それなのに、マーチの音だけでは、元気にならない時もあるんだよ。みんないなくなって、さみしくなる時もあるんだよ。
 でもね、この絵本を描いた荒井良二さんは、そんなこと百も承知で、この絵本をつくったんだと思う。
 くじけそうな時、泣きたくなるような時、「ズンチャ ズンチャ」のリズムを思い出そうよ、って描いたんだと思う。
 それは「はじまりマーチ」だから、「しゅっぱつマーチ」だから。

 今の日本ってどうも元気がないよね。
 昔、そう、この絵本を読んでいる子供たちなら、ひいおじいさんたちの世代かもしれないけれど、この国がとっても元気だった時がある。
 高度成長時代とかっていってた頃。
 街中にはこの絵本のように、元気なマーチのリズムがあふれていました。
 みんなが夢中で「ズンチャ ズンチャ」って歩いていた頃です。
 そのうちに、この国のたくさんの人がそんなマーチのことを少しうるさく感じるようになりました。だから、元気がなくなった。この国が、少しおとなになったってことかもしれない。

 それじゃあ、いけないって荒井良二さんはこの絵本を描いたんじゃないかな。
 みんあ、元気を出しなよって、描いたんじゃないかな。
 子供たちもそうだけど、元気のないおとなたちに描いたんじゃないかな。

 ねえ、しゅっぱつしようよ、また。この絵本を読んで。
 「ズンチャ ズンチャ」って。
  
(2012/04/29 投稿)

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  今日紹介するのは
  「百年文庫」から「」。
  水っていうのは
  流れていないと
  淀んでしまいます。
  水だって腐ってしまうのです。
  流れている清流は澄んできれいですが、
  いったん淀んでしまえば
  臭いたつまでになってしまいます。
  人生とよく似ていますね。
  川の流れのなかでも
  石や浮遊物にせき止められて
  よどんでしまう箇所もある。
  そういったところから
  どう抜け出すのか。
  清い流れには魚だって生き生きと泳ぎます。
  淀んだところには
  生き物もすめない。
  ぶくぶく。
  抜け出せたらいいのですが。

  じゃあ、読もう。

水 (百年文庫)水 (百年文庫)
(2011/03)
伊藤 整、福永 武彦 他

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sai.wingpen  かつ消え、かつ結びて                 矢印 bk1書評ページへ

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。有名な鴨長明の『方丈記』の書き出しである。
 それほど難しい古文ではない。川の流れは絶えることはないが、流れている水は以前のままではない、という意味だろう。
 私たちの人生もその川の水の如し。
 生きていることを川に喩えるならば、その日々のありようも常に「もとに水にあらず」といえよう。
 そんな人生を描いた短編3篇を収録したのが、「百年文庫」第69巻の「水」である。
 伊藤整の『生物祭』、横光利一の『春は馬車に乗って』、そして福永武彦の『廃市』といった、今でも読んでおきたい名作が3篇という、ぜいたくな巻だ。

 まず、横光利一の『春は馬車に乗って』。
 題名は知っていたが、読んだのは初めて。そもそも横光利一は文学史的にいえば川端康成などとともに「新感覚派」の旗手といわれた作家だが、川端ほど目立つ作家ではない。
 収録されている作品は横光作品の中での有名な短編。私小説ふうの出来上がりながら、愛の昇華を描いた秀逸だろう。
 長い恋愛の末にやっと共に暮らすことになった主人公とその妻。しかし、妻は結核で余命いくばくもない。病にいらだつ妻。それをなだめる主人公。 
 死を前にして、それでも生きようとする妻のけなげさが印象に残る。
 死の宣告のあと、それでも季節は春を迎え、妻は最後の春を迎えようとしている。そんな二人に届けられた、スイトピーの花束。感涙のラストである。

 伊藤整は「チャタレイ夫人裁判」で有名だが、極めてまっとうな作家である。戦後間もない日本文学界をリードしてきたことを思えば、今でももっと読まれていい作家の一人かもしれない。
 収録されている『生物祭』は死にゆく父との生活を周辺を彩る自然との調和で描いた短編。
 その中に父と子の葛藤までも描き、鴨長明のいう「河の流れ」は親から子へとつづく、大きくゆるやかなものだと思い知る。

 福永武彦は現在でいえば作家池澤夏樹の父親という方がわかりやすいかもしれないが、根強いファンもいる作家のひとりである。
 収録作の『廃市』は、福永の代表作のひとつ。
 運河が縦横にはりめぐった町の旧家で過ごしたひと夏の思い出を綴る。妖しげで官能的ともいえるのは、常に水のゆるりとした感触があるからだろうか。
 旧家に住む美しい姉妹。しかし、主人公を世話するのは妹の方のみで、その姉の姿はなかなか見られない。それに姉の夫はその旧家ではなく、別の場所で他の女と暮らしている。
 「人間も町も滅んで行く」というその夫は、夏の終わりに女とともに自刃する。その理由は、まるでこの町にはりめぐらされた運河のように、複雑な愛の事情で彩られている。

 『方丈記』の書き出しは、「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」とつづく。
  
(2012/04/28 投稿)

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  このブログには
  コメント機能がついています。
  いつもコメント頂く皆さん、
  ありがとうございます。
  そのコメントの中でも、
  公開しないでねという「ないしょコメント」があります。
  今日、「大阪の主婦」さんという方から
  「ないしょコメント」を頂きました。
  公開しちゃうといけないのですが、
  一部だけ抜粋。

    サッカーの長谷部誠の「心を整える」っていう本なんですけど、
    うちの子供がサッカーをやっているので、
    もう少し大きくなったら是非読ませたいと思って買った一冊です。
    夏の雨さんならどんな書評を書かれるのかな?


  となっていました。
  私も返信しようがありませんので、
  こちらに掲載しますね。

    「大阪の主婦」さん。
    いつもコメントありがとうございます。
    長谷部誠さんの『心を整える』なら
    2011年7月4日に書評を書いています。
    今日は再録しておきます。
    いい本ですから、
    ぜひお子様にも読んでもらって下さい。

  でも、いま、一番読まないといけないのは
  私かも。

  じゃあ、読もう。
  
心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
(2011/03/17)
長谷部誠

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sai.wingpen  天は二物を与えたのか                矢印 bk1書評ページへ

 著者、長谷部誠はいわずと知れた、サッカーの全日本チームのキャプテンで、2009年のワールドカップではその冷静沈着なリーダーの姿に日本国中が感動した。
 「天は二物を与えず」とよくいう。一人の人間にいくつもの長所や美点はないという意味で使われることわざだ。ただ物事には例外はつきものだ。長谷部をみていると、その甘いマスク、落ち着いた言動、そしてアスリートとしての運動量。天は二物どころか、長谷部に限っていえば、三物も四物も与えているようにみえる。
 さらに、本書である。今、出版界では注目の一冊になっている。
 みんなの視線が長谷部の方に向いている。
 これって不公平ではないか。
 天は二物を与えないんじゃないの、と思われる人もいると思う。だから、我々のような一物も与えられないような凡人と、著者とは所詮比べようがない、と。
 そう思われる人にこそ読んでもらいたい一冊である。

 長谷部誠はけっしてエリートではなかった。
 藤枝東高校時代はさほど目立つ選手ではなかった。ところが、浦和レッズからオファーが来る。両親は大学に行くことを熱望した。しかし、長谷部はプロの道を選択する。
 それでも、長谷部はすぐさまトップスターではなかった。なかなか出場の機会すらもらえなかった。もちろんサッカー選手を夢みる人にとってはプロ選手になることがすでに一流のあかしだともいえるだろう。ただ長谷部は三浦和良や中村俊輔のようなスターではなかった。
 だが、長谷部は欧州のプロチームに招かれ、全日本のメンバー、そしてキャプテンという道を歩んでいく。どうして、それは長谷部だったのか。
 その秘密が本書にふんだんに書かれている。

 長谷部は「心を整える」ことで、「どんな試合でも一定以上のパフォーマンス」を実現できたのだ。それは特別な技術を要するものではない。
 物事をみる考え方の問題だ。
 だから、この本はサッカー選手が書いた根性論ではなく、冷静に自身の置かれている立場を見、あるべき方向に進むための心のありようが書かれている。おそらくどんなビジネス本よりも自己の能力をあげるための秘訣が公開されているといっていい。

 誰にも人生の絶頂期はある。プロサッカー選手長谷部誠にとっては、今がそうなのかもしれない。それとも、やはり天は、長谷部に二物以上のものを与えてのだろうか。
 私たちが長谷部誠になれる確率は低いだろう。
 しかし、長谷部誠に近づくことはできるはずだ。なぜなら、長谷部自身がそのようにして、今をつかんだのだから。
  
(2011/07/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  平松洋子さんの『なつかしいひと』であるが
  表紙の写真がいい。
  それもそのはず、
  写真家木村伊兵衛の「浅草」という
  写真が使われている。
  平松洋子さんのエッセイ「なつかしいひと」とは
  全く関係ないのだが
  それでいて、
  どこかつながっているような
  懐かしさを感じる写真である。
  少しばかりのお酒と
  わずかなおかず。
  うつむきながら
  男は何を考えているのだろうか。
  すぎさった日々、
  通り過ぎた女たち。
  すべてが、
  平仮名の「なつかしい」。
  心が平安になる、
  いいエッセイ集です。

  じゃあ、読もう。

なつかしいひとなつかしいひと
(2012/02/29)
平松 洋子

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sai.wingpen  おいしい文章                 矢印 bk1書評ページへ

 料理の味を文章で表現できる人はうらやましい。
 味覚が十分に肥えていないと無理だし、文章にする力もなければなるまい。
 料理とは食してその優劣が決するものだが、それを文章にするとなるとどれくらいの形容詞を出馬させても読者の食欲まで迫るかどうかは怪しい。
 少なくとも料理に関しては、おもわず唾を飲み込むほどの香り、歯ごたえ、味覚、見た目が文章に感じられないといけない。
 平松洋子さんはフードエッセイストとしても一級の文章力をもっている人だ。この人が食し、そして文章にした食べ物のおいしいことといったら。
 そして、それは食に関することだけでなく、実は文章も一級品だというのが、このエッセイ集を読むとよくわかる。
 つまりは、食に対しても、文章に対しても、貪欲なのだろう。あるいは、生きるということについても。

 このエッセイ集は、生活エッセイとも呼べる作品が収められている。
 生活エッセイであるから、食に関することだけでなく住まいも着るものも、季節も日常も、思い出も現在(いま)も、すべて含まれている。
 例えば、「霜柱を踏む」という、わずか2ページのエッセイ。久しぶりに見つけた霜柱を踏むその瞬間。
 以下、平松さんの文章からの引用。「ざくり。足の裏で霜が崩れる音が響く。ざくざく。真冬が鳴る」。
 このおいしそうな文章ったら、ない。
 「ざくり」、「ざくざく」という音の響きが足に伝わる感触まで伝えてくるではないか。おそらくこれは冬の野菜、白菜を料理する音にも似ている。 
 ざくり、ざくざく。

 そうか、食には音も欠かせないのだ。肉が焼ける音、醤油がはじける音、包丁を刻む音、水が流れる音、氷が砕ける音。
 そのいずれもが、過去を現在(いま)を、季節を連れてくる。
 平松さんの文章はそういった食に鍛えられ、今や一級の文章家になったといえるだろう。
 とにかく彼女の文章は、それが日常の一コマを著したものであれ、おいしくてたまらない。
  
(2012/04/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  本を読むには
  さまざまな理由がある。
  好きな作家、興味のあるテーマ、誰かのオススメ・・・。
  そして、
  その本を手にした時の
  自分の気分。
  うれしい時にはどれもがきらめくような感じかもしれない。
  悲しい時には、どんな一行だって
  涙が浮かぶ。
  気が晴れない時には
  どうすればいい?
  いささか鬱々とした気分の中、
  この本で救いを求めた。
  アランの『幸福論』。
  ただ、救われなかった。
  だから、書評を書くのは
  やめようかと思ったが、
  こういう気分の時に書いた書評も
  それはそれで意味があるかもと
  残すことにしました。

  ふーっ。

  じゃあ、読もう。

アランの幸福論アランの幸福論
(2007/12/15)
アラン

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sai.wingpen  時よ、とまって                  矢印 bk1書評ページへ

 「風光る」という、美しい春の季語がある。まさに風さえもきらめくような、いい季節だ。
 生まれたばかりの新緑の中、ぐうんと背伸びをして、走りだすには一番いい頃かもしれない。
 それなのに、気がふさいでいる。気分を変えたいのに、気が晴れない。
 手元にこの本があったので、読んでみる。
 気分は変わるだろうか。

 本書はフランスの哲学者アランの『幸福論』から200の名言を訳出し、構成されたものである。だから、正確にいうなら、アランの『幸福論』を読み切ったということにはならないが。
 いくつもの文庫本で翻訳書を手にすることができるが、巷間人気が高いものの、なかなかとっつきにくい印象はぬぐえない。
 まずは、本書で、いいとこ読みをするのも手だろう。

 ただ、気分が沈んでいる時に『幸福論』なるものが果たして有効かどうかはわからない。「幸福」を求めるには、それ相応の気分の高揚が必要かもしれない。
 確かに生きるヒントとなるべき珠玉の言葉がちりばめられているが、気分が落ちている時、逆にそれらがまぶしく感じる。

 「自分から負けたと思う前に全力で戦うことである」。
 アランのいう言葉は正しいのだが、全力で戦えなくなった人間は、この言葉で再生できるだろうか。
 「不幸になることは難しくない。難しいのは幸せになることである」。
 だから、アランは「努力しなさい」という。しかし、その努力の気力すらわかなければどうすればいいのか。

 『幸福論』は、幸福を求める幸福な人たちが読む本かもしれない。
 所詮は「苦悩」や「不安」に特効薬などないのだろう。
 アランもこう書いている。「しかし本当の病気でないかぎり、苦悩は去る」と。
 「そして、やがて平穏な時が、思っているよりももっといいことが訪れる」と。

 時よ、とまって、この緑の日々を残しておいてくれないか。
  
(2012/04/26 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  4月の初めに
  新しい習慣の話を
  このブログに書きました。
  ハングル語の勉強の話でしたね。
  ええい、
  正直に書くと
  やったりやらなかったりで
  まったく上達していません。
  4月に始めて
  上達なんぞとはおこがましいですね。
  着実に、一歩ずつ。
  ブログの方でも
  新しい習慣として
  昭和の作家といっていいのかなぁ、
  向田邦子さんの作品を
  <新装版>の「向田邦子全集」全11巻で
  毎月一冊ずつ読んでいきたいと
  思います。
  今回はその第一巻「小説一」です。
  向田邦子さんが直木賞を受賞した
  『思い出トランプ』が収録されています。

  じゃあ、読もう。

向田邦子全集〈1〉小説1 思い出トランプ向田邦子全集〈1〉小説1 思い出トランプ
(2009/04)
向田 邦子

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sai.wingpen  クィーンの横目                  矢印 bk1書評ページへ

 作家というのも一種の人気商売で、現役の時はベストセラー作家だともてはやされても一旦筆を折ると、あるいは墓碑にでもはいれば、たちまち本屋さんの棚からその名前を消えてしまう。
 川端とか三島といったかつての大御所であっても一体どれだけの人が今も手にしているのか覚束ない。
 その点、向田邦子は幸福な作家といっていい。
 昭和56年(1981年)8月、取材中の飛行機事故でわずか51歳でこの世を去った向田の略歴をみると、本書に収録されている短編『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞を受賞したのが、わすか一年前の昭和55年だったことがわかる。
 つまり、向田の作家としての寿命はすこぶる短い。
 それでいて、今でも向田邦子という名前は消えることはない。
 一体向田邦子にはどんな魅力が潜んでいるのか。
 向田邦子の死から30年以上過ぎ、年号も昭和から平成に変わって、向田が生きた昭和という時代も遠くに過ぎ去ろうとしている。
 それでも、向田の人気が変わらないのは、何故だろう。それは単に幸福な作家だからだろうか。

 本巻には直木賞の受賞対象となった短編三作を含む十三篇の短編が収録されている。いずれも昭和55年から56年に発表された作品である。
 どの作品も男と女の心の機微を描いたものだが、そこに昭和50年代の匂いがうまく混ざり合い、もっといえばそれ以前の昭和の風情も隠し味のようにして盛られている。
 油濃くなく、胃にもたれない。いうならば、腹八分目にしてちょうどいい、そんな感じの作品がつづく。
 それが『思い出トランプ』という単行本に収録されたからといって胃もたれをおこすことはない。どちらかといえば、もう二三杯、おかわりがしたいくらいだ。

 おそらくこれらの作品の中での好き嫌いは個人によるだろうが、私は『だらだら坂』が好きだ。
 中小企業の社長である庄治は50歳。おそらく執筆当時の向田と近い年齢だろう彼は、アパートのような小さいマンションに女を囲っている。
 「そういう身分になれた、というだけで弾むものがあった」庄治は、女の居るマンションへとつづく坂をゆっくりと歩くのが好きだった。
 かつて司馬遼太郎が「坂の上の雲」と称した明治時代のロマンと違い、昭和のこの時代の坂はこの物語の主人公や向田のように、ようやく手にいれた坂の先にある小さな成功だったにちがいない。
 しかし、庄治が囲った見た目にも麗しくはないトミ子という若い女はさらにその先の時代を歩こうと、庄治の知らないうちに整形を施す。そのことで、彼にはゆるやかな坂を登るのが億劫になる。
 彼は、気がつけば、坂の途中で立ち止まっている。

 向田はこの短編の主人公をして自分と同世代とした。
 きっと向田の心のうちにも、坂道で立ち尽くす自分が見えていたのではないだろうか。
  
(2012/04/25 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近俳句が詠めない。
  というか、句の片鱗すら浮かばない。
  理由はわかっています。
  日常に忙殺されているから。
  日常を見る余裕がなくなっているのです。
  桜をみても、・・・。
  草餅を食べても、・・・。
  母の日セールをみても、・・・。
  きっとそこには何かがあるはずなのに、
  何ひとつ浮かんできません。
  今日紹介する
  長谷川櫂さんの『 一億人の「切れ」入門』を読むと、
  私の心が
  「俳句の心」に切り替わらないことが
  よくわかります。
  それだけ、生活に潤いがなくなっているとしか
  いいようがありません。
  せっかくいい季節になるのですから、
  少しはいい俳句が詠めたら
  どんなにいいでしょう。

  じゃあ、読もう。

角川俳句ライブラリー  一億人の「切れ」入門角川俳句ライブラリー 一億人の「切れ」入門
(2012/02/24)
長谷川 櫂

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sai.wingpen  「俳句の心」に切り替える               矢印 bk1書評ページへ

 俳句という短詩文芸にはいくつかの約束事があります。
 その一つが、五七五の十七文字の定型詩であること、もう一つが季語を使うということです。
 そして、これは特に約束事ではないですが、「切れ」ということを重要視します。ところが、俳句を経験した人はこの「切れ」が難題、よくわからないと思ったことがあるかと思います。
 俳人長谷川櫂さんはすでに『一億人の俳句入門』や『一億人の季語入門』を著して俳句の約束事について言及してきましたが、今回は難解といわれる「切れ」について、極めて明解に説明したのが、本書です。

 「切れ」といえば、石田波郷の有名な俳句があります。
 本書にもたびたび紹介されていますが、「霜柱俳句は切字響きけり」です。
 これは、「切れ」を大事にしたいという、波郷の決意を句に詠んだものです。この句を読むと、石田波郷という俳人が俳句における「切れ」をいかに重要視していたかわかります。
 長谷川櫂さんの「切れ」の考え方をこの句を参考にみてみると、「/」が「切れ」の位置ですが、「/霜柱/俳句は切字響きけり/」となります。
 句中の「切れ」はある程度想像がつきますが、句の最初と最後の「切れ」を、長谷川さんは大切だといいます。
 引用すると、「私たちの心が「散文の心」から「韻文の心」に切り替わっているのです。(中略)その意味では、「日常の心」から「俳句の心」に切り替わっているといってもいいでしょう」となります。

 俳句は詠む文芸です。わずか十七文字の短詩ですから、つい口をついてでることもあります。
 しかし、いい俳句とはそこに日常とは切り離れた視点や思いが必要になります。
 長谷川さんのいう、最初と最後の「切れ」はそのことを指しています。
 いい俳句ができないのは、日常と「切れ」ていないから、「俳句の心」に切り替わっていないからです。

 「俳句を詠もうとすると、何というか、心のスイッチのようなものが切り替わります」と、長谷川さんはいいます。この「心のスイッチ」が根本の「切れ」です。
 本書は俳句における「切れ」をどう考え、どのように「切れ」を行うのがいいかを論じた著作ではありますが、もっと大きくいえば、俳句を詠む、その心得そのものといっていいでしょう。
  
(2012/04/24 投稿)

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04/23/2012    遠い記憶の本
 遠い記憶の本をさがしてる

 小さい頃
 病床で読んだ本は何だったっけ?

 失恋して
 ふとんにくるまっって読んだ本は何だったっけ?

 入試に失敗して
 泣き明かした夜に読んだ本は何だったっけ?

 小さな命が誕生する
 その瞬間に手にした本は何だったっけ?

 うずくまって
 立ち上がれないその朝
 どんな本がそばにあっただろう

 遠い記憶の本を
 さがしてる
 いま

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  今日紹介する絵本は
  楽しいですよ。
  今晩絶対回転ずしを食べたくなります。
  おなじみ長谷川義史さんの『まわるおすし』。
  回転ずしを食べる四人家族の
  生きざま!? を描いた作品です。
  おおげさかな。
  四人の表情がとてもいい。
  さすが長谷川義史さん。
  観察眼がすばらしいのか、
  長谷川義史さんも経験者だからか。
  いえいえ、
  この絵本で描かれている家族の行動は
  回転ずしファンの皆さんなら
  うなずけるんじゃないでしょうか。
  最近私は回転ずしに行っても
  まわる回転台からはとらないことにしてます。
  あれはとにかく
  ショーケースみたいなものと割り切って
  皿の色だけ確認して、
  口頭で注文しています。

  じゃあ、読もう。

まわるおすしまわるおすし
(2012/03/02)
長谷川義史

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sai.wingpen  回転ずし賛歌                矢印 bk1書評ページへ

 回転ずしの歴史は新しいようで、古い。
 発祥は大阪。ビール製造のベルトコンベアをヒントにひらめいたというから、さすが大阪商人、目のつけどころが違う。
 あの回転する仕掛け、「コンベヤ附調理食台」というらしい。誰もそう呼ばないが。
 1958年に第一号店ができたというから、誕生から半世紀。東日本ではそれより遅れること10年。仙台が最初だったそうだ。
 でも、いまでは日本全国どこにでもある。一体全国で何周ぐらいしているのだろうか。

 回転ずしができたおかげで、寿司がうんと身近な食べ物になった。
 それまでは寿司といえば、冠婚葬祭の定番ぐらいで、それにしたって寿司おけに盛られたもので、お寿司屋さんの暖簾をくぐるなんてことはめったになかった。
 今でもない。
 お寿司屋さんで何が一番困るかというと、注文の仕方。
 へたなものを頼んでバカにされたりしないだろうか、いつもビクビクしてる。どうして、お寿司屋さんって注文難しいのかなぁ。
 その点、回転ずしは安心。注文しなくてもむこうの方から、「いかがです?」ってやってきてくれる。

 しかも、その注文は「高い」「安い」が皿の色で区別されているから、その日の予算に応じて食することもできる。
 「時価」なんてものがないから、一体その日の食事がいくらかかるのかという、経済的心理的不安も解消できる。
 そんなこんなで、現代の回転ずし隆盛の時代を迎えたのではないだろうか。

 長谷川義史さんのこの絵本に登場する一家、お父さんとお母さんそれに小学生のぼくといもうとの四人の行動は、回転ずしではあるけれど、それなりに決意の程がうかがえるのが面白い。
 おとうさんの給料日。「つきに いちどの まわるおすしのひ」。回転ずし屋さんにでかける四人の表情がおかしい。気合がはいっている。
 お店の前では円陣を組んで、掛け声まで。
 これじゃあ、まるで高校野球。それぐらい気合がはいってる。

 この四人の一挙手一投足に、うんうんうなづいてしまうのは、気分的にかつて、あるいは今でもといっていい、味わったことがあるからだろう。
 皿の色見て、手をのばしたことない? 
 黙って皿の枚数数えてことない?

 回転ずしはそんな普通の人々の生活を乗せて、今日も回りつづける。
  
(2012/04/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はMOOK本の紹介です。
  題材は、映画『仁義なき戦い』。
  知ってます?
  公開が1973年ですから
  今や伝説の映画かもしれませんね。
  主演は菅原文太さん。
  当時映画で使われた広島弁を
  話す若者が多かった。
  特に金子信雄さんが演じた汚い組長の
  ひとつひとつのせりふが
  人気を呼びました。
  金子信雄さんは
  ああいう役を演じさせたら
  天下一品でした。
  そうそう、
  本のタイトルは『蘇る!仁義なき戦い』。
  私と同年代の人であれば
  泣いて喜ぶ一冊かもしれません。
  映画に力のあった
  最後の作品のような気がします。

  じゃあ、読もう。

蘇る!仁義なき戦い―公開40年目の真実―(タウンムック)蘇る!仁義なき戦い―公開40年目の真実―(タウンムック)
(2012/02/03)
石田 伸也

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sai.wingpen  君は『仁義なき戦い』を観たか           矢印 bk1書評ページへ

 先日やくざ映画の名作と評価の高い、鶴田浩二主演の『博打打ち 総長賭博』を衛星テレビで観た。1968年の東映映画である。監督は山下耕作。
 人気はあったものの、所詮はやくざ映画というレッテルが世評であったところ、あの三島由紀夫が「名作」と評したことで、高い評価を得た作品である。
 親、兄弟、おじ、そういったやくざの血脈に刃向い、最後は「任侠道か…、そんなもん、俺にはねえ…俺は、ただの人殺しなんだ…」とつぶやく鶴田浩二演じる主人公に、観客たちは拍手を惜しまなかった。

 この作品の5年後、まさにこの時の鶴田のせりふそのままに、ただの「人殺し」たちを扱った「実録シリーズ」が映画館を満員にする。それが、深作欣二監督の『仁義なき戦い』であった。
 脚本は、『博打打ち 総長賭博』と同じ、笠原和夫。笠原の心の奥底には、鶴田の発したセリフはいつまでもリフレインしていたにちがいない。
 それでいて、『仁義なき戦い』があれほどに高い評価を得、人気を集めたのにはわわけがあるはずだ。
 本書は公開から40年近く経って、今なお熱く語られるさまざまな『仁義なき戦い』を、出演者たちのインタビュー(監督の深作をはじめ、出演者たちの何人かはすでに鬼籍となっているが)と映画のなかの珠玉の名セリフ、さまざまなコラム、ポスターコレクションなどを取り上げ、読者にあの当時の興奮を呼び起こすMOOKとなっている。

 個人的にいえば、シリーズ第2作めの『仁義なき戦い・広島死闘篇』(1973年)がもっとも好きだ。北大路欣也演じる青年の行き場のない生きざまは、当時18歳の青春前期の若者の心をゆさぶった。
 暴力団員でなくても、青春期とは常にどこかに追い詰められている。それはもうやくざ映画を超越した青春映画といっていい。
 シリーズ全体が戦後の広島という場所でもやくざ抗争を描きながら、思えば戦争という身勝手な国家のたくらみに操られた若者たちのその後を、娯楽性を持ちながら、ここまで描ききった作品群はない。

 『仁義なき戦い』というシリーズを同時代的に共有できた者たちは仕合せだ。
 もうあの頃には戻れないとしても、こうして一冊のMOOKがアルバムのようにある。
  
(2012/04/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは、
  東海林さだおさんと椎名誠さんの対談集
  『大日本オサカナ株式会社』。
  実はこの本、
  書評にも書きましたが
  生まれた時は別の名前。
  だから、この本を読みたいという人は
  気をつけて下さいね。
  そのあたりのことは
  この文庫本の、椎名誠さんの「あとがき」に
  詳しい。
  ちなみに、
  その「あとがき」のタイトルが
  「さまよえる対談」。
  いいタイトルつけるな、シーナさん。
  それはともかく、
  いくつもある対談、それすべてが面白く、
  ちっとも古びていない。
  まさに歴史的対談集といえます。

  じゃあ、読もう。

大日本オサカナ株式会社 (朝日文庫)大日本オサカナ株式会社 (朝日文庫)
(2012/01/04)
東海林さだお、椎名 誠 他

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sai.wingpen  火の鳥対談                  矢印 bk1書評ページへ

 この本、過去に二回名前を変えている。
 最初の名前、これが本名でしょうか、『人生途中対談』、そのあと文庫本になる時改名して『発奮忘食対談』、そして今回が『大日本オサカナ株式会社』。
 どうもどんどん格調が落ちていくというか、書名だけみれば転落の人生。
 最初の、どーんと構えた、大いなる決意はどこへ行ったっていう感じ。
 規模が小さくなるというか、日本、から東京、それが今では亀戸みたいに。亀戸って書いたけど他意はない。足立区でも喩えになる。

 それはともかく、東海林さだおさんと椎名誠さんの、抱腹絶倒の対談集である本作には、確かに魚の種類でそれぞれの個性にそって会社の職位づけを行うという愉快な企画がある。
 でも、その他10篇の対談も面白さのなかに人生の機微があるものばかりで、書名からそれらをすっぽり落としてしまっては何の意味もなさないのではないか。
 変名は椎名さんの案らしいが、実にもったいない。
 それでも、こうしてたくましく、1981年(なんと30年前!)から1996年の二人の対談が21世紀によみがえった! のですから、なんという生命力。
 これってもしかして、手塚治虫さんの『火の鳥』。
 そうか、「火の鳥対談」ってすればよかったんだ。

 でも、東海林さんもシーナさんも若い頃から意気投合してたんだってうらやましくなる。
 今回の文庫本では、オリジナルの2011年11月の対談もおまけで収録されているが、30年前とちっとも雰囲気が変わっていない。
 直近の発言のあとで点滴治療していた、なんてことはないだろうし。
 ハァーハァーゼイゼイ、ぐらいはあったかもしれないが。

 ふざけているようで、真面目で、大口を叩いているようで小心で。優しいようで怒ってる。
 こういう大人の人って最近少なくなったような気がする。ぐちとかぼやき、評論家ばかり。
 もう少し、建設的で創造性のある会話をしてほしい。
 もっとも、魚で会社の役職をあてはめるのが建設的ともいえないが。
 社会のムダだといえばいえるが、そういうムダが明日の日本をつくっていくのではないかしらん。
  
(2012/04/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  井上ひさしさんが亡くなって
  あっという間に2年になる。
  その死後も、
  井上ひさしさんの新しい本は
  続々とでていて
  ふと井上ひさしさんが亡くなっていることを
  忘れていることがあります。
  今日の書評にも書きましたが
  井上ひさしさんの『父と暮らせば』という作品は
  今回の東日本大震災で悲しみと向き合っている人たちにも
  勇気を与える作品だと思います。
  いい作品とは時代や場所を超え
  私たちの心に
  働きかけてくるものです。
  今回の『言語小説集』もまた
  1990年代に書かれた作品群ですが
  もちろん今でも
  ちっとも古びていません。

  じゃあ、読もう。

言語小説集言語小説集
(2012/03/30)
井上 ひさし

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sai.wingpen  言葉の魔術師・井上ひさし               矢印 bk1書評ページへ

 井上ひさしさんが亡くなったのが2010年4月9日だから、もう2年経つ。
 それでいて、こうして新しい本が刊行されるのだから、井上さんの人気が根強いことに今さらながら感服する。
 もし、井上さんが生きておられたら、東日本大震災のことや原発事故について、どんな発言をしただろうか。広島の原爆の悲劇を戯曲化した『父と暮らせば』で生き残ったものの苦悩と悲しみを描いた井上さんだからこそ、被災地や被災された人々に寄り添った発言をしただろうと思う。
 もしも、というのは歴史のなかで何度も繰り返される仮定だが、やはりあの震災のあとの井上さんの発言を聞きたかった。

 本書には、日本語にも造詣が深かった井上ひさしさんの、言葉を題材にした短編7篇が収められている。
 冒頭の「括弧の恋」は井上さんらしいユーモアにあふれた作品である。
 ワープロ全盛期に書かれたものだが、文書作成がパソコン主体になった現在でも通用する。
 キーボードの中の「「」と「」」が恋物語に、さまざまな記号たち(例えば「¶」や「!」や「?」)がそれぞれの個性? を発揮するドタバタ活劇である。
 発想だけなら思いつきそうな人もいるだろうが、記号独自の個性を描きつつとなると至難の芸当だろう。
 「言い損い」、「言語生涯」は言葉のいい間違いをコミカルに描いた作品。
 誰にでもあるいい間違いをからかっているようなつくりになっているが、井上さんはそのことを蔑んでいるのではなく、いい間違いが起こる言葉の面白さを描いてみせたのだろう。その一方で、間違った日本語の使い方に警告を発しているともいえる。

 「五十年ぶり」は方言研究者を主人公にして、方言の魅力を存分に描いた一篇。
 こういう作品を読むと、やはり今回の大震災で被災された東北の人たちへの井上さんの熱いメッセージを読みたくなる。それが叶わぬこととわかっているが。
  
(2012/04/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日川本三郎さんの
  『時には漫画の話を』で
  永島慎二さんの漫画にふれましたので
  今日は再録書評になりますが
  2005年に永島慎二さんが亡くなった時に
  書いた書評を紹介します。
  このブログでは
  「私の愛した作家たち」でも
  紹介しています。
  この書評を読むと
  若かった頃
  永島慎二さんの漫画に夢中になった
  思いがまたふつふつと
  あふれてきます。
  泣きたくなるくらい
  うつむいた青年だったなあ。

  じゃあ、読もう。

漫画家残酷物語―シリーズ黄色い涙 (1) (シリ-ズ黄色い涙)漫画家残酷物語―シリーズ黄色い涙 (1) (シリ-ズ黄色い涙)
(2003/06/01)
永島 慎二

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sai.wingpen  こぼれ松葉をかきあつめ               矢印 bk1書評ページへ

 書いておかなければならないことがある。
 最近仕事が忙しくてつい新聞さえも読まなくなっていた私は漫画家永島慎二の死亡記事を見落としていた。たまたま開いた朝日新聞の夕刊(2005年7月8日)にまんが評論家村上知彦氏による永島慎二の追悼記事を見つけ、心が一瞬どくっとなってしまった。
 《若者の内面、鮮烈に描写》と書かれた村上氏の追悼文章を読んで、あんなに私を強く惹きつけてくれた永島氏の死にこのような形で接してしまったことに、うなだれるしかなかった。
 漫画家永島慎二は2005年6月10日に亡くなっていた。享年67歳だった。

 「こぼれ松葉をかきあつめ…」。
 これはフォークシンガー小椋佳の海辺の恋』の最初のフレーズだ。作詞はあの佐藤春夫だが、この歌は永島慎二の『漫画家残酷物語』や『若者たち』を原作にして書かれたNHKの連続ドラマ『黄色い涙』(1974年)の主題歌だった。
 小椋の澄んだ歌声と永島の漫画。ドラマの内容はすっかり忘れてしまったのに、この歌は私の中の永島と強くつながっている。
 もちろん、このドラマが放映された時、私はすでに永島の作品に出会っていたし、その作品が持っていた深い文学性に共感を受けていた。
 私にとって永島の作品は当時のどの文学作品よりずっと私の生き方に影響を与えたものだった。あえていえば太宰治がこっそりと私の耳に語りかけた生きることの含羞と同じ意味を、永島の作品は私に教えてくれた。

 連作『漫画家残酷物語』の中の「陽だまり」や「蕩児の帰宅」にどれほど心を揺さぶられたことだろう。
 生きるということ、自身と向き合うということ、その他生きることの辛さや悲しみを永島の作品は十代後半の私に教えてくれた。
 永島の作品をもし知らなければ、私は今の私とはまた違う自身になっていたに違いない。

 永島は『漫画家残酷物語』のほかに『フーテン』『旅人くん』『花いちもんめ』といった作品を残してくれたが、多くの短編漫画も描いている。
 その中で「マドンナの宝石」という作品が私は好きだ。
 クラシックの名曲を題材にしたものだが、交通事故で約束の場所に行けなかった恋人の悲恋を描いた永島の漫画は漫画というジャンルを超えて、あまりにも切な過ぎる純愛ものの名作である。
 永島と出会ってから、たくさんの水が橋の下を流れ去ったが、今でも私にとっては永島作品は滾々を湧き出す新泉でありつづけてくれる。永島慎二さん、本当にありがとうございました。
 合掌。
  
(2005/07/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  川本三郎さんの漫画評論集『時には漫画の話を』です。
  この本の中で
  川本三郎さんが好きな漫画として
  永島慎二さんの『漫画家残酷物語』の中の
  「陽だまり」という作品を
  挙げているのには
  驚きました。
  私もこの作品が大好きでしたから。
  この漫画の中で
  主人公をじっと見つめている少女がいて
  その女の子が主人公の青年に
  「死なないでください」と云う
  場面があります。
  青春の甘えみたいなものかもしれませんが
  この場面に強く魅かれたものです。
  漫画は今では
  日本文化の核のような表現方法ですが
  こういった漫画論が
  もっと出てきてもいいのでは
  ないかと思います。

  じゃあ、読もう。

時には漫画の話を時には漫画の話を
(2012/03/01)
川本三郎

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sai.wingpen  ここにも川本評論の魅力が              矢印 bk1書評ページへ

 川本三郎さんの名前を初めて知ったのは、映画雑誌「キネマ旬報」でした。その雑誌の中で川本さんは小難しい文章でも芸術論的な論説でもない、あったかくて懐かしい感じのする映画評論を書いていて、こんな映画評論家になれたらいいな、みたいなことを思っていました。
 川本さんは文芸評論も書いていて、向田邦子とか永井荷風とか、東京や下町、あるいは昭和二十年代、三十年代にこだわったものを得意にしています。
 そんな活躍の場をみていると、川本さんがいつまでも自身の青春にこだわっているように見えます。
 『マイ・バック・ページ』は川本さんの自伝的な作品ですが、川本さんの文章そのものがいつもどこかで自身の日々とつながっているように思います。

 そんな川本さんですが、「一九七〇年代のなかばにフリーの物書きになってから、気がついてみたら、ずいぶんマンガについての原稿」もあって、その漫画論を集めたのが本書です。
 「時には」と書名についているのは、やはり川本さんの活動の主戦場が映画と文芸の世界だからでしょう。
 川本さんは永島慎二さんの『漫画家残酷物語』を「つげ義春の漫画と並んで私自身の青春の漫画」と記していて、本書にもこの永島慎二さんの代表作でもあるこの漫画の評論が収められています。
 川本さんは1944年生まれで、私とは11歳離れているのですが、私も永島漫画に夢中になった時期があります。永島漫画は太宰治の文学とよく似ていて、青春前期にのめりこんでしまうそういう雰囲気をもっています。
 なかでも川本さんが取り上げている「陽だまり」は私ももっと好きな作品で、そういう傾向がひいては川本さんの文章に魅かれる要因のような気がします。

 永島漫画について、川本さんは「いい意味で幼い、純な心がある」と評していますが、実は川本さん自身の文章がいつまでもその気配をもったままだし、それが川本評論の魅力といえます。
 本書の表紙にはつげ義春さんの漫画が使われていますが、つげ漫画のファンだと自認するだけあって、本書に収録されている何篇かのつげ義春論は読みごたえ充分です。
  
(2012/04/17 投稿)

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 今回の「ほんのニュース」は
 クイズから。

  1万3725円

 これって何の金額でしょうか。
 ヒント。
 1年あたりの金額ですよ。
 年間衣服の購入代?
 ここは「本のブログ」ですから
 もちろん、本に関係ありですよ。
 答え。
 1世帯の年間の本。雑誌の購入額。

 4月10日の日本経済新聞の記事からです。

   休廃刊相次ぎ減少続く

 って、あります。

 この数字は、
 総務省の家計調査によるもので、
 前年(2010年)対比で
 4.1%減だとか。
 その原因を日本経済新聞では、

   スマートフォンなど情報源が多様化し、
   雑誌の読者離れが加速している

 としています。
 つまり、前年より減少しているのは
 雑誌離れが鮮明になってきたということですね。
 年間休刊数が158点と、創刊数(119点)を
 上回ったそうです。
 じゃあ、本の方はどうかといえば、
 この記事ではふれていませんが、
 大型書店の閉店を取り上げていますから
 言うに及ばず、というところでしょうか。

   出版不況で経営環境が厳しさを増すなか、
   大型書店でも収益力のあるほかのテナントと比べられれば、
   退店を余儀なくされる状況となっている


 と、記事は結んでいます。

 ピュー。
 これは、不況の風の音。
 でも、それでもがんばっている
 たくさんの本屋さん、出版社があります。
 なんとしても
 がんばって欲しいな。

 私は、本の応援団。

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プレゼント 書評こぼれ話

  東京の桜は
  昨日の雨ですっかり散ってしまいましたが、
  これからは葉桜がきれいな季節に
  なります。
  こちらはすっかり暖かくなって
  春本番。
  天気のいい日は
  公園でのんびり日向ぼこをしたく
  なります。
  大人でも外にでたいと思う季節。
  子どもたちも
  走り回りたくなります。
  歩きはじめたばかりの赤ちゃんも。
  今日紹介する絵本は
  そんな赤ちゃん向きの絵本
  『くつくつあるけ』です。
  林明子さんの作品です。
  赤ちゃんの誕生祝いに
  かわいいおもちゃのような靴を
  あげた人も多いと思いますが、
  この絵本をセットにすれば
  もっと喜ばれるかもしれませんね。

  じゃあ、あるこう。

くつくつあるけ―くつくつあるけのほん1 (福音館 あかちゃんの絵本)くつくつあるけ―くつくつあるけのほん1 (福音館 あかちゃんの絵本)
(1986/06/20)
林 明子

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sai.wingpen  おんもに出たい子供のために              矢印 bk1書評ページへ

 今の子供たちが歌っているかどうかわかりませんが、「春よこい」という童謡がありました。
 「♪春よ来い 早く来い/歩きはじめた みいちゃんが/赤い鼻緒の じょじょはいて/おんもへ出たいと 待っている」という歌詞です。
 「赤い鼻緒のじょじょ」といわれてもわからないですよね。
 歌詞を書いたのは詩人の相馬御風(ぎょふう)。有名な早稲田大学の「都の西北」を書いた人でもあります。作曲は弘田龍太郎。「鯉のぼり」なんていう童謡も彼の作品。
 なにしろ大正後期の作品らしいですから、さすがに今の子は歌わないかな。
 でも、とっても春らしい童謡で、好きだなぁ。
 春と、歩き始めた幼児の取り合わせが絶妙です。これは夏でも、秋でも、もちろん冬でも似合いません。春だから、一歩踏み出す子供の心と合うのでしょうね。

 私の友人が一歳になるお孫さんに贈ったのがこの絵本、林明子さんの『くつくつあるけ』という絵本だったそうです。
 成程、「あかちゃんの絵本」というだけあって、小さなかわいらしい判型です。赤ちゃんの手にもなじみそう。
ほとんど文もありませんから、赤ちゃんにも大丈夫。ううん、林さんのくつの絵だけを見ているだけでうきうきしてきます。
 なにしろこの絵本の中には一足のくつしかでてきません。
 そのくつがいろんな表情をしてくれます。
 「とん とん つまさきで」はずんでいる姿、「ごろん」と転んじゃった姿(えーんえーんと赤ちゃんは泣いたかな?)、でも、次のページではしっかり起き上がります。
 そんな絵本を読むと、相馬御風の作った「春よこい」が唇からこぼれました。
 まさに「歩きはじめた」赤ちゃんたちに最適な絵本です。

 私の友人のお孫さんはこの絵本が気に入って片時も離さないそうです。
 子供と絵本の、いい出会いです。
  
(2012/04/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私は釣りをしないのですが
  こういう温かな季節になると
  のんびり釣りなんかもいいかと
  思います。
  小さい頃は
  手製の竿でザリガニ釣りを
  したことぐらいが
  記憶に残っています。
  餌はカエルとかスルメだったと
  思います。
  娘たちが小さい頃も
  おなじようにザリガニ釣りを
  していました。
  釣りと文学といえば
  開高健の『オーパ!』が有名ですが
  今日紹介する一冊は
  その成り立ち、というか名作誕生秘話ともいえる
  作品です。
  菊池治男さんの『開高健とオーパ!を歩く』。
  開高健文学に興味のある
  人にもオススメ。
  ますます開高健が読みたくなりますよ。

  じゃあ、読もう。
  
開高健とオーパ!を歩く開高健とオーパ!を歩く
(2012/02/24)
菊池 治男

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sai.wingpen  闇と光                     矢印 bk1書評ページへ

 開高健の『オーパ!』は、釣り文学紀行文学の名著であり、彼の代表作のひとつでもある。書誌的にいえば、「月刊PLAYBOY日本版」に1977年から78年にかけて連載され、1978年10月に単行本として2800円で刊行された。その後の人気の程はいうまでもない。
 「月刊PLAYBOY日本版」は2009年1月に終刊となったが、時代に残した功績は大きい。そのひとつが開高健の『オーパ!』といっていい。

 『オーパ!』という言葉について、原作本の冒頭にこう記されている。「何事であれ、ブラジルでは驚ろいたり感嘆したりするとき、「オーパ!」という」。
 そして、開高の『オーパ!』はアマゾン河で出会う、驚きの連続であるのだが、その旅の同行者は四人いた。
 著者はその中で唯一連載誌となる月刊誌から同行した元編集者である。
 本書はこの時の旅から33年を経て著者がブラジルを旅した情景をまじえながら、名作『オーパ!』がどのようにして誕生したかをたどるものでもある。
 そして、それは開高健という類い稀な作家を描く人物論にもなっている。

 開高健は当時「闇」三部作と呼ばれる最後の作品の執筆に苦悩していた。
 これも開高の代表作である『輝ける闇』『夏の闇』を刊行し、世間での期待が集まる中、開高の筆は一歩も進まない。
 開高健という作家を俯瞰すると、この最後の『闇』の誕生にいたる苦悩が、のちに開高の代表作のいくつかとなるノンフィクション作品を生み出したといえなくもない。
 それほどに開高文学にあって、三つ目の『闇』がもたらしたものは大きいはずだ。

 著者の菊池治男氏は、開高をもって、「この人の物事に対する面白がり方はすごい」と本書に書いている。
 食に対する興味、文学に対する真面目さ、人間に対する愛情、色欲に対するどん欲、開高のもしかすると悲劇は、その面白がり方にあったのかもしれない。
 多種多様に繁殖する興味の角はいつしか他人に対するサービスとなり、自らを蝕むしかなかった。あるいは、『闇』は書けなかったのではなく、書くことの恐れがあったのではないだろうか。

 そこから逃げ出すようにして、開高はアマゾン河をめざした。
 あの名作は当然独立した文学としてもこれ以上ないほどに面白いが、その誕生秘話もまたとてつもなく面白い。
 それもこれも、開高健という作家の、面白さであろう。
  
(2012/04/14 投稿)

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 先月終了したNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」は
 平均視聴率は19.1%という人気でした。
 地元岸和田のドラマという身びいきを差し引いても
 いいドラマではなかったでしょうか。
 特に最終回、ドラマの中で「朝ドラ」が始まるという小粋な設定と
 それを糸子の友人奈津が見る場面は
 よかったですね。
 私の中では、先月にこのブログで書きましたから
 もう「カーネーション」のことを書くことはないと
 思っていたのですが、
 新聞2012.4
 4月4日の朝日新聞朝刊の「オピニオン」という欄で
 「カーネーション」の脚本を書いた
 渡辺あやさんの記事が出ていたので、
 ふたたび「カーネーション」ネタとあいなりました。

 実はこのインタビュー記事の最後に
 この記事を担当した記者のこんなコメントが
 印象に残りました。

  「カーネーション」は、震災後の日本を生きる私たちへの、
  誰かからの贈り物だったと思う。
  (中略)
  この世界は人に残酷な時もあるが、
  人の負った傷を癒やす力にもあふれている。
  その力が時として、物語という形で現れるのではないか。


 書いたのは、太田啓之さんという記者。
 まったくその通りだと思います。
 今から振り返れば、
 小原糸子という主人公の持っていた
 生きるという力は
 東日本大震災のあとどうしようかと迷っていた人たちに
 どれほど勇気をくれたでしょう。
 糸子が最終回近く、
 病院でのファッションショーを企画するところがありました。
 モデルは患者さんや看護師たち。
 その中に末期ガンの若い主婦がいました。
 彼女に糸子はいうのです。

  あんたは奇跡や。

 その弁からすると、
 東日本大震災の被災された人たちこそ
 私たちに多くを教えてくれる
 奇跡といっていいでしょう。

 4月にはいって、
 NHKの朝の連毒ドラマは
 堀北真希さんの「梅ちゃん先生」も見始めました。
 視聴率もいいようです。
 さあ、「カーネーション」のように
 全編見れるでしょうか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日重松清さんの『希望の地図』という
  本を紹介しましたが、
  その中で、
  東日本大震災以降の重松清さんの活動に
  敬服するということを
  書きました。
  実はもう一人、
  その活動に頭がさがる作家がいます。
  それが今日紹介する瀬戸内寂聴さんです。
  瀬戸内寂聴さんは
  東日本大震災のあと
  対談集という形で
  悲しみから立ち上がる説法を
  繰り返し、繰り返し、
  説いてきました。
  今回の相手は
  ドナルド・キーンさん。
  ともに90歳。
  すごい力を感じる一冊です。

  じゃあ、読もう。

日本を、信じる日本を、信じる
(2012/03/09)
瀬戸内 寂聴、ドナルド・キーン 他

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sai.wingpen  愛がなければ信じることはできない           矢印 bk1書評ページへ

 この国の、それは日本のことだが、人々は、この国を信じ、愛しているのだろうか。
これだけの政治的裏切りを蒙りながら、ほとんど声をあがることもなく、黙々と歩いているのはどうしてだろうか、と思わないでもない。あるいは、大きな天災と人災のあと悲痛な声をあげている人々のそれが政治家たちに届かないのは何故だろう。
 かつてマルコポーロが「黄金の国」と称したことは、もしかするとこの国の「拝金主義」を皮肉ったものではないかと、遠い眼差しで歴史の一齣をみる思いがする。
 この国は、日本というこの国は、一体何をまちがったのだろうか。

 本書は、先日日本に帰化して話題となった日本文学研究者ドナルド・キーンさんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談集である。
 ともに1922年生まれというから、今年90歳を迎える二人であるが、その語り口の軽妙でしかもこの国への愛の深さに頭が下がる。
 特に瀬戸内さんは東日本大震災以後、こういう対談集を何篇か刊行している。
 おそらく、震災時には腰を痛めて病院のベッドから起きれなかった日々だったことから推察すると、書くという体力がいる仕事よりもこういう対談の方が無理がきくということかもしれない。
 それほどまでして、瀬戸内さんは悲しみに苦しむ被災者の人たちの側に立ちつづけようとしている。

 一方のドナルド・キーンさんだが、震災時の福島原発の爆発のあと、多くの外国人がこの国を去ったというのに、単にその国を訪問するだけでなく、帰化して「日本人」となったのだから、瀬戸内さんがいうように、「何ともいえない嬉しさ」に日本中が沸いた。
 この対談の中でも、現代の日本人が忘れている思いをたくみに表出している。
 キーンさんと瀬戸内さんにあって、私たちに欠けているもの。
 それこそ、この国、日本という国を愛する心だろう。

 本書のタイトルは「日本を、信じる」だが、本当は「日本を、愛する」とすべきだっただろう。
 信じる気持ちは、愛があって成り立つものだ。愛もないのに、信じることはできない。
 この対談集は東日本大震災で悲しい思いに沈んでいる被災者を勇気づけ、「拝金主義」に走る人々に反省を促し、迷走を続ける政治家たちに自分たちの足元を照らすに違いない。
  
(2012/04/12 投稿)

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  また11日がやってきました。
  東日本大震災から今日で
  1年と一ヶ月。
  被災された人は少しは元気になられたでしょうか。
  このブログでも
  できるだけその悲しみを忘れないように
  その日には
  関連した本を紹介してきましたし、
  これからもしていこうと
  思っています。
  それぐらいしかできないけれど、
  それだけはしていきたいと
  思います。
  今日は重松清さんの『希望の地図』。
  書評にも書きましたが
  重松清さんは
  東日本大震災以降
  たくさんの支援をされてきました。
  このブログでも
  その都度紹介してきました。
  この『希望の地図』もいい作品です。
  できるだけ多くの人たちに
  そして、できれば若い人たちに
  読んでもらいたい作品です。

  じゃあ、読もう。


希望の地図希望の地図
(2012/03/09)
重松 清

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sai.wingpen  光のみちすじ                     矢印 bk1書評ページへ

 東日本大震災以来、私たちはどれほど東北の地図を見てきたことでしょう。青森、岩手、宮城、福島、特に太平洋沿岸部といわれる町の数々、宮古、大船渡、気仙沼、南三陸町、石巻、名取、南相馬、いわき、・・・。
 今まで見知っている地図には名所旧跡の案内であったり名物料理の紹介であったりが載っていました。しかし、東日本大震災以来、私たちが目にする地図には、死者の数、行方不明者の数、倒壊した家の数、津波の高さ、あるいは放射線量の大きさなどが表記されるようになりました。
 それは多分私たちが今まで目にしてきたどんな地図ともちがいます。
 この地図はたくさんの悲しみをあらわしています。

 重松清さんは大震災以後活発な活動をしてきた作家のひとりといっていいでしょう。それは単に遠くにいて憂いのではなく、現場で見、聞き、触れてきた活動です。本作はそのひとつの過程として生まれてきた物語といえます。
 主人公は中学受験に失敗し、不登校となった少年光司。彼を東日本大震災の現場へと連れ出すのは、光司の父親の友人であるルポライターの田村。
 大人たちの「震災でたいへんな目に遭っても必死にがんばっている人たち」を見れば不登校の少年も再び学校に通い出すのでは、という目論みで旅は始まります。読んでいる側も、またいつもの重松ワールドか、と思ってしまう書き出しです。
 しかし、被災地で精いっぱい生きる人たちの姿に、光司とともに出合うたびに、これは確かに重松ワールドではあるけれど、もっとスケールの大きな、強いメッセージが込められた物語ということに気づかされます。

 この物語にはたびたび「希望」とは何かということが問われています。
 例えば、「生き残ったことには、やっぱりなにかがあると思うんです。だから、とにかく生きよう、生きていこう、というのが『希望』なのかもしれませんね」(第一章)、「希望は、厳しい状況の中で、苦しみながらも持つものなんですよ」(第二章)、「僕の考える希望の最も根源的な定義は「生き延びるための底力」-それ以外にはないのだから」(第二章)、といったように。
 しかし、おそらく重松さんはその答えを本作を読んでいる読者それぞれにゆだねているような気がします。
 それぞれに「希望」があるように、実際は「希望」の定義もそれぞれかもしれません。そんなそれぞれの「希望」をつないだところに、明日が生まれるような気がします。

 東日本大震災は悲しい出来事であることは間違いない事実です。その事実の先にあるものをしっかり見つめていかなければ、「希望」は生まれてこないでしょう。
 不登校であった光司は被災された人々から多くのことを学びました。そして、ゆっくりではありますが、歩き始めます。
 「希望」とは歩きはじめるための、光のみちすじではないでしょうか。
 この物語もまた、そんな光のみちすじです。
  
(2012/04/11 投稿)

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  今日は美術の本の紹介です。
  書名が『絶世の美女ヌード』となっていますが
  ちゃんと見て下さいね。
  その前に「名画」とありますから。
   作者は平松洋さん。
  本書で紹介されている名画は
  学校の美術の教科書にも
  出てきますから
  見た方も多いのでは。
  たくさんの名画を、しかも美女ヌードを
  見ていると、
  やっぱりクリムトの描く
  美女に圧倒的な力を感じます。
  彼は天才。
  きっとこの本のなかには
  あなたが心密かに思っていた
  美女を発見できるのではないでしょうか。
  花より団子、
  ならぬ
  花より美女。

  じゃあ、読もう。

名画 絶世の美女ヌード名画 絶世の美女ヌード
(2012/01)
平松 洋

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sai.wingpen  神の恩寵                  矢印 bk1書評ページへ

 神は時に粋な計らいをなされる。
 元来裸婦画は、著者の言葉にあるように「キリスト教以来、宗教的禁忌と抑圧によって表立っては描くことができなかった」が、ルネサンス期において華々しく描かれていく。その描き方はそれまでの禁忌を逆手にとる如く、神話の世界や宗教の逸話などをモチーフとしたものであった。
 もし、それらががなければ私たちは絶世の美女たちの、ため息のでるような裸体を愛でることはなかっただろう。まさしく彼女たちは神の名のもとで一糸まとわぬ美しい体を私たちに見せてくれ、人類は神の名のもとで躊躇いも後ろめたさもなく隅々まで鑑賞できたといえる。

 本書にはルネサンスからエコール・ド・パリまでに名画が5つの章で紹介されているが、そのうちの前半の章は「ギリシャ神話の裸婦」と「キリスト教の裸婦」となっている。
 有名なアダムとイブの物語もその内容から恰好の裸婦画といっていい。りんごの実を食べたことで知恵を得たイブはその時初めて裸であることに羞恥を知り、イチジクの葉で隠そうとする。となれば、イブは裸でしかありえず、さまざまな画家たちがその物語を描きつつ裸婦を登場させるのは必然。
 このようにして、女性たち(あるいは男性たち)の裸婦が公となっていく。

 時代が下ると、画家たちは神の舞台だけではあきたらず、生活の場での裸婦を描くようになっていく。
 ある意味、そのきっかけともなったのが本書でも紹介されている、マネの「オランピア」でしょう。
 時は1865年。世論はこの絵を「堕落した芸術」と罵倒したのだが、その理由は描かれた女性が現実の女性を描いていたのではないかというものだった。
 確かにマネの描いた女性の表情をみると、街角にいるようなありふれた女性である。まだ、この時代、神は必要だったといえる。
 しかし、時代はまわっていかざるをえない。やがて、画家たちは、鑑賞者たちは、近寄りがたい女性ではなく、より身近な女性たちの裸体を欲するようになるのである。

 本書に収められたたくさんの裸体。その多くはかつて見たことのある裸体である。それらにふれながら、美しさとは何であるかを、ひそかに学んできたといえる。
  
(2012/04/10 投稿)

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  先週の金曜に
  東京では桜の満開宣告がありました。
  2012上野
  ということで、先日の土曜、
  上野公園まで桜を見に行ってきました。
  左の写真がその時のもの。
  上野の桜は母が亡くなった春、
  兄夫婦を見に行ったことがあります。
  桜を見ながら
  母のこと、残った父のことを話しました。
  その父ももういません。
  まさに松尾芭蕉の俳句の世界です。

   さまざまな事思ひ出す桜かな

  たくさんの花見客であふれんばかりでしたが
  その一人ひとりに思い出が
  あるんでしょうね。
  2012近所
  昨日の日曜は
  近所の小さな川沿いの桜を
  散歩がてら見てきました。
  ここは毎年でかけています。
  出不精の私にも
  手軽に行ける好スポット。
  それが左の桜。
  写真では満開ですが
  上野に比べて
  少し咲きが遅いように感じました。
  そこで、今日の「百年文庫」は
  「」というタイトルの巻を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。


花 (百年文庫)花 (百年文庫)
(2011/03)
森 茉莉、城 夏子 他

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sai.wingpen  満開の花の下で                   矢印 bk1書評ページへ

 花といえば、古来より桜というのが一般的です。だから、俳句の世界では「花」は春の季語に分類されます。
 といっても、花にはたくさんの種類があります。チューリップも花ですし、薔薇も花。花という言葉は実に多くの植物を包含しています。
 「百年文庫」第67巻めの表題は「花」ですが、ここでは桜という意ではなく、植物全体を指す花といっていいでしょう。
 収録されている3篇では、森茉莉の『薔薇くい姫』片山廣子の『ばらの花五つ』は文字通り薔薇ですし、城夏子の『つらつら椿』は椿です。
 桜を扱った一篇がはいってもよかったのに、と少し残念ではありますが、こういう編集もありでしょう。
 特に森鷗外の娘として有名な森茉莉自体が花そのもののような華やかさを持っています。
 「花」と題されたこの巻の収録作家が三人とも女性というのも、花のもつ華やかさそして奥深い情緒を感じさせてくれます。

 森茉莉の『薔薇くい姫』は、随筆のような小説です。著者自身であろう魔利という、明治の文豪を父にもった女性の視点で描かれています。
 それは文壇裏話とも読むことができますが、「一人の大人として扱われない日常生活」を描いた、極めて個性的な作品でもあります。
 書かれていることは個人的なことではありますが、なんとも艶やかな色彩を感じます。
 これは森茉莉という作家の個性でしょう。もっともその個性を毛嫌いする人もいるだろうが、森茉莉はそういう批判さえあっけらんかんとかわしているように思います。

 片山廣子の『ばらの花五つ』も小説というより随筆の色合いが濃い作品です。終戦後の生活に困窮する「私」が戦前に出逢った一人のばら園の主人との思い出を描いたものですが、ページ数にしてわずか6ページの小品ながら、人生の機微を描いた好篇です。
 城夏子の『つらつら椿』は仕事の挫折した父のもとに訪ねてきた初恋の女性から、若い日の父がどれほどに素晴らしい青年であったかを聞いた「私」の心情を描いた作品。反発しながらも父への細やかな愛情は娘ならではの思いではないでしょうか。

 いずれも花がもっている華やかさだけでなく、まるで雨にうたれながらもけなげに咲く花の強さのようなものを感じる作品です。
(2012/04/09 投稿)

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  入学式は終わりましたか。
  明日から新学期が始まるところが
  多いのではないかしら。
  入学式に今年は桜は間に合いましたか。
  まだ蕾っていう人は残念でしたね。
  散っている年もありますから
  そうそう満開の桜というわけにはいきません。
  私の時はどうだったかな。
  でも、ピカピカの一年生たちは
  今日なんかドキドキしてるかも。
  エンピツけずった?
  消しゴムいれた?
  教科書に名前書いた?
  一年生になったら
  まるでちがいますね。
  先生の名前覚えた?
  隣の席の子、どんなだった?
  まさか怪獣じゃないよね。
  今日はとてもゴキゲンな絵本、
  武田美穂さんの『となりのせきの ますだくん』を
  紹介します。
  この絵本を読んだら、
  もっともっと学校が楽しくあるんじゃないかな。

  じゃあ、読もう。

となりのせきの ますだくん (えほんとなかよし)となりのせきの ますだくん (えほんとなかよし)
(1991/11)
武田 美穂

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sai.wingpen  隣の席に誰がいたのかな               矢印 bk1書評ページへ

 どうして人は忘れてしまうのだろう。
 悲しいことやつらいことは忘れても構わないけど、大事な一日のことはいつまでも覚えていたい。それなのに、どうして人は忘れてしまうのかな。
 たとえば、初めて小学校にはいった日のこと。近所の同級生と行ったのかな。クラスの入り口からどんな気分ではいったのかな。隣の席は誰だったのかな。男の子? 女の子? まさか怪獣じゃあなかったよな。
 みんなみんな忘れてしまった。とっても大事なことなのに。

 1991年に出版されたこの絵本は次の年(1992年)の「課題図書」にも選ばれているから読んだ人も多いのじゃないでしょうか。第15回の「日本の絵本賞」にも選ばれています。
 表紙絵はとてもインパクトがあります。だった、かわいい女の子の隣の席にいるのは、いじわるそうで強そうな大きな怪獣なんだから。
 いったいどんな物語が始まるのか、ドキドキします。
 女の子の名前は、みほちゃん。朝から学校に行くのが憂鬱です。
 どうしてかって? だって、みほちゃんの隣の席には怪獣のますだくんがいるのですから。

 ますだくんはわがままし放題。
 机に線をひいてそこからでたらぶつぞって脅かします。けしごむのカスがとんだら、みほちゃんのいすを蹴ります。
 口からは大きな牙がはえていて、手の先には鉄のような爪が伸びています。
 怪獣が教室にいてもいいのかな。
 みほちゃんは昨日ますだくんに大切にしていたピンクの鉛筆をおられちゃいました。だから、消しゴムをますだくんにぶつけたのです。
 だから、今朝はゆううつ。学校に行くのがいや。だった、怪獣のますだくんがどんな仕返しするか、わからない。

 でも、本当に学校に怪獣がいるのかな。
 その答えは最後のページでわかりますが、よく見ると、学校には怪獣も海賊もバレリーナも妖精もたくさんいます。だから、学校は楽しいのじゃないかな。
 どうして人は大事なことを忘れてしまうのでしょう。私だって、かわいいバレリーナの隣の席に座っていたかもしれないのに。
  
(2012/04/08 投稿)

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  昨日の薫くん風にいうなら
  私は「女の子にもマケズ」
  ずっと生きてきたように思います。
  うーん、ちょっと違うなぁ。
  女の子ってどんな性格なのか
  ずっとわからないまま
  生きてきたように思います。
  子どもの時も
  少年の時も
  青年になっても
  大人になっても
  「女の子」のことがわからないまま。
  だから、女性作家たちが描く物語が
  嫌いではありません。
  わからないから、
  彼女たちが描く女性たちで
  勉強! するしかありません。
  今日紹介するのは、
  小手鞠るいさんの『あなたとわたしの物語』。
  やっぱり女性って
  奥深いなぁ。

  じゃあ、読もう。

あなたとわたしの物語 (徳間文庫)あなたとわたしの物語 (徳間文庫)
(2009/06/05)
小手鞠 るい

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sai.wingpen  みんなの物語                 矢印 bk1書評ページへ

 小説の中にだけ物語があるのではない。誰にも物語はある。
 燃えるような恋も湧き上がる官能も、小説の中にだけあるのではない。その程度の差こそあれ、誰にもある。
 その意味では、6つの短編をまとめた本書のタイトルは秀逸だ。
 ここにある物語は、もしかすると「あなた」の物語かもしれないし、登場する女性たちは「わたし」かもしれない。
 いや、やっぱりこれは物語の上のファンタジーだという、「あなた」。自分の中のページを開いてみてはいかが。

 東京・新宿。その「南口から地上に出て、歩いて5分ほどのところにたっている高層ホテル」が物語の舞台。
 6つの短編はそれぞれ別々の話ながら、そのホテルの一角のティールームのどこかで彼女たちは交差する。
 それはキャリアウーマンと呼ばれる女性であり、人妻であり、芸術家だったりするが、ただひとつ「女」という共通項をもっている。だが、反面、同じ数だけの「男」もいることはまちがいない。(ひとつの短編は女性同士の官能を描いているが)
 大都会のホテルといえば、それこそ雑多な人たちが交じり合うところといえる。見知った人はいないけれど、視点を変えれば同じ欲望でうごめいている同種かもしれない。
 そして、それがホテルの一室という密室でなく、開かれたティールームだからこそたくさんの物語がひしめきあう。

 主人公たちは大声で楽しそうにしゃべる大勢の女性たちを冷めた目で見ているが、「ちょっと油断をすれば、たちまちのうちに厚顔無恥な女に転げ落ちてしまう」ことに気がついている。ただ彼女たちが唾棄しているその女性たちにも物語があることを忘れている。
 どんな女性にも、そして男性にも物語はあるのだ。

 6つの短編のうちで「空飛ぶ魚」が印象に残る。主人公は物語の舞台となったホテルで働く女性従業員。高校時代から好きだった男性に宛てた書簡形式をとっている。
 精神的に落ち込んだ主人公の、たった一度の売春行為。女性の官能とはそういうところから何気なく始まるものだという感慨。そして、そんな行為であっても救われることがあるのだという思い。
 「女」とは、なんとかわいい種族だろう。
  
(2012/04/07 投稿)

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  これは事件のような一冊です。
  庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』が
  新潮文庫の一冊となって
  本屋さんの店頭に並んだのですから。
  それはないでしょ。
  庄司薫さんの本は
  やっぱり中央公論社でしょ。
  と、なんだかスッキリしないのですが、
  この新潮文庫には
  庄司薫さんの新しい「あとがき」までが
  ついていて、
  これはこれで
  読まずにいられません。
  いやあ、でも懐かしかったな。
  この本に関していえば、
  とってもたくさん話したいことがあって、
  例えば映画になった話とか、
  女医さんの白い乳房とか
  由美ちゃんはその後どうなったのだろうかとか
  いろいろあるのですが
  とにかく
  今は新潮文庫の一冊になったことが
  大事件なのです。

  じゃあ、読もう。

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)
(2012/02/27)
庄司 薫

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sai.wingpen  まるで初恋の人にであったような               矢印 bk1書評ページへ

 第61回芥川賞受賞作(1969年)。
 年を重ねていくと思い出は増えていくと同時に引っ越しの数も、数えればもう何度しただろう。そのたびに本の置き場に困ることといったら。惜しみながら手元を去っていった本たちよ。それでも、どうしても手離すことができなかった本もある。
 その一冊が、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』。
 今手元にある中央公論社の単行本の奥付をみると、「昭和45年10月12日 28版」とある。初版が一年前の8月だから、発売後忽ち重版を重ねたことがわかる。価格はなんと360円。このたび、新潮文庫の一冊になったものは460円だから、40年という月日の長さをこんなところにも感じる。

 初めて読んだのは多分、中学から高校にはいる、春休みだったように思う。
 春の暖かな日差しのなかで、読んだ記憶がある。偶然の事故で足に怪我をおった主人公の薫君に、同級生の小林が訪れて長々と話をする場面。あのなかの小林が食べる桜餅に薫君以上に食欲をそそられたものだ。
 今回久しぶりに読んだが、やはりあの場面の桜餅のおいしそうなことといったらない。

 この物語にはきちんとした日付が刻まれている。1969年2月9日。東大入試が中止となった年。
 そして、物語とまったく関係ないが、偶然にもこの日は私の14歳の誕生日だった。
 自分の誕生日がどうだったかはちっとも覚えていないが、東京の山手線の駅から少し行ったところに住む受験生庄司薫君にとっては「ふんだりけったり」の一日だったことはまちがいない。
 でも、彼のこの一日が1970年代の若者に与えたインパクトははかりしれないものがあった。
 今ではすっかり大人、しかもシニア世代となった人々にとって、「女の子にもマケズ、ゲバルトにもマケズ」いかにいくべきかと、うろうろする薫君にどれほど共感したことか。

 時代が変わろうとしたまさにその時、ぴたっと寄り添うように文学がそこにあった。これは奇跡のような一冊だろう。
 この文庫に収録されている作者の庄司薫の「あわや半世紀のあとがき」に記された「不思議なものおもいで一杯なこと」という作者の思いに、涙がこぼれそうになった。
 薫君、君もあれから色々大変だったんだろ。よく頑張ったよな。
 なんだか、そんなことを思っている。
  
(2012/04/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日も昨日につづいて
  春から新入社員となった
  若い人に贈る、
  本を紹介します。
  蔵出し書評ですが、
  茂木健一郎さんの『脳を活かす仕事術』。
  書評にも書いていますが
  この時期、
  私は30年働いた会社を辞めて
  「無所属」になっていました。
  その割には
  とても真面目に書いていますよね。
  若い人にお願いしたいことは
  働き始めた会社には
  10年はいて欲しいということです。
  皆さんがどんな理由で
  その会社を選んだかはわかりませんが
  働くということに
  それほどの差はありません。
  よほどひどい労働内容でなければ
  そこで頑張ってもらいたいと
  思います。
  10年がんばれば
  きっと芽がでます。
  わからないことがうんと減るでしょう。
  キャリアを見つめなおすのは
  そこからでも
  遅くないと思います。

  じゃあ、読もう。

脳を活かす仕事術脳を活かす仕事術
(2008/09/10)
茂木 健一郎

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sai.wingpen  生命の輝き                     矢印 bk1書評ページへ

 なにごとも経験しないとわからないということはままある。
 未経験なことは情報という機能で埋めていくしかないのだが、その情報に偏りがあると間違った判断をしてしまう。
 会社を辞めて「無所属の時間」を生活するようになって、どうも最初の感覚との違和感を持つようになった。
 それは「無所属の時間」など人間にはありえないのではないかというものである。
 会社を辞めることはいい。しかし、それはあくまでも<会社>という組織から「無所属」になるだけであり、<会社>に変わる所属先を求めないと生きるという意味においてかなり淋しいものになってしまうということだ。
 
 人間は思った以上に関係性を希求する生物である。だから、仕事を辞めるということは、言葉を正確に使うならば、「会社という組織から無所属になって、新たに人もしくは組織と関係性を持つ(所属)こと」となる。
 そして、そのことは中途退職だけでなく定年時の円満退職であってもそうだということを想定しておかなければならない。
 よく趣味を持ちなさいということをいう人があるが、あれは趣味があれば新たな関係性を持ちやすいということだろう。
 それを理解することは、会社を辞めようかどうしようか迷っている人には重要な点である。

 日本語に翻訳されにくい外国語というものがあるが、最近よく耳にする「キャリア」もそのひとつである。
 なんとなく「職歴・経歴」を意味する言葉として捉えがちであるが、あえてそれが外国語のままであるというのは、それをも含んだもう少し広い概念だということである。
 つまり「キャリア」というのは単に職業に関する言葉ではなく、「人生を構成する一連のできごと」を指す。
 だから、そこには報酬の有無は関係がない。
 そして、顕在潜在の差こそあれ、人には自分が目指したい「キャリア」があるものである。そうであるなら、「キャリア」こそ「自分自身」そのものかもしれない。

 脳科学者茂木健一郎氏の『脳を活かす仕事術』で教えられることはたくさんある。
 脳科学の本であるというより、人生論的な側面が強い本だといえる。
 この本の中にこんな文章がある。「脳は何のために存在するのでしょうか。それは<生きる>ためです。(中略)<生きる>とは、仕事を含めて、自分の人生を通して<生命の輝き>を放つことなのです」。
 もしかすると、「キャリア」というのは茂木氏のいう「生命の輝き」を構成するものともいえる。
 そして、茂木氏はその「生命の輝き」を放つための五つの行動について本書で解説しているのだが、その五つの行動とは、クリエイティビティ(創造性)をもっていること、セレンディピティ(偶然の幸福に出会う力)があること、オプティミスト(楽天家)であること、ダイナミックレンジ(情報の受信範囲)が広いこと、イノベーション(改革・革新)を忘れないこと、としている。
 それぞれの詳細をここに書くつもりはないが、本書に先立つ『脳を活かす勉強法』が現代版「知的生産の技術」であるなら、本書は現代版「幸福論」といえるかもしれない。

 もし、会社を辞めることに意義があるとすれば、<会社>という組織から<無所属>になることで、惰性ではなく、本来自分が目指していた「キャリア」と向き合うことができるということかもしれない。
 案外に人は臆病であり、そのことすら億劫になる。
 そして、それは茂木氏のいう「生命の輝き」を自ら捨てることでもある。
 本書の最後で茂木氏はこう書いている。「それまで何の仕事をしてきたか。どんな行動をとってきたか。どれに成功して、何に失敗したかは関係ないのです。今、この瞬間から<変わる>ことができるのです」。
 勇気をくれる一冊である。
  
(2008/10/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  朝の通勤電車に
  今年社会人となったような若い人が
  増えました。
  見ていると、初々しいからすぐわかります。
  もうずっと前ですが、
  口紅がはみ出た若い女性をみかけたことが
  あります。
  きっと化粧もあまりしてこなかった女性でしょう。
  でも、私はちっとも不快では
  ありませんでした。
  むしろ、「頑張れよ、新人」と
  応援したくなりました。
  もうずっと前ですから
  彼女も管理職になっているかも
  しれません。
  家庭にはいって
  毎朝ご主人を送り出しているかもしれません。
  いずれにしても、
  新しい人たちが
  これからの社会をつくっていくのです。
  フレー、フレー、新入社員たち。
  今日はそんな新入社員たちに
  『月次決算書 作成の勘どころ』という本を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

月次決算書 作成の勘どころ月次決算書 作成の勘どころ
(2012/02/22)
株式会社エスネットワークス

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sai.wingpen  人生の先輩として                 矢印 bk1書評ページへ

 今年社会人となった皆さん、おめでとうございます。
 私はあと数年で60歳になりますから、人生の先輩として少し話を聞いてくれますか。(気分はいつも新入社員のようでいたいと思っているのですが)
 皆さんは学校を出てもう勉強をしなくてもいい、なんて思っていないでしょうか。
 実はこれからが勉強の本番なのです。
 もちろん、古文も歴史も必要ではないかもしれません(職場によってはそれも必要になるかもしれませんが)。しかし、これからが生きていくための本当の勉強です。
 挨拶の仕方、名刺の渡し方、電話での受け応え、それひとつとっても学ぶしかありません。
 社会は刻一刻と変化しています。風が吹いても、雨が降っても、私たちの生活に影響します。
 政治は関係ないのではなく、色々な政治の取り決めが明日の生活を変えてしまいます。それも学ばなければなりません。

 特に、経済の勉強はおろそかにしないで下さい。
 配属先が営業部門であろうと、総務部門であろうと、せめて自分の会社の損益ぐらいは理解できるようにして下さい。
 この本は、「経理マンが知っておくべき!」とうたっていますから、経理部門に配属された人はもちろんですが、そうでない人もぜひ読んでみるといいでしょう。
 会社は月々の数字がどのようになっているかをすぐに知らなければいけないのです。どうしてかといえば、対策を常に打たないといけないからです。
 入社式ではトップの人たちの訓示を聴かれたと思います。あれはあくまでも大きな指針です。
 会社はもっと細かいところで動いています。だから、「月次決算書」が大事なのです。

 それと、これからは表面的な技術だけでなく(もっとも最初はこれを疎かにしないで下さい)、物事の本質を読み取ることが必要になります。
 表面的な技術だけでは応用が効きません。きちんと本質を理解することが伸びるためには重要になります。
 そのためにも、たくさんの本に接して下さい。
 読書は習慣です。
 学生時代に本を読んでこなかった人には読書の時間はとても苦痛でしょう。早くそれを習慣づけることです。
 手始めに、この本であれば、スラリと読めるはずです。
 新しい皆さんの、ご活躍を楽しみにしています。
  
(2012/04/04 投稿)

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レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  新しい習慣として
  ひとつ俳句でもしてみるかと
  考えた人もいるのではないでしょうか。
  今日はそんな人のために
  片山由美子さんの『NHK俳句 今日から俳句』を
  紹介します。
  俳句はとっても短い文藝ですから
  新しい習慣にはふさわしいかもしれません。
  でも、とっても奥の深い文藝でもあるので
  こういう入門書を読むことも
  大事です。
  それとなんといっても
  まず「歳時記」は求めて下さい。
  季語を知らないと
  前には進めません。
  私は角川文庫の「歳時記」5巻ものを
  使っています。

  じゃあ、読もう。

NHK俳句 今日から俳句―はじめの一歩から上達までNHK俳句 今日から俳句―はじめの一歩から上達まで
(2012/02/16)
片山 由美子

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sai.wingpen  季節のある風景                 矢印 bk1書評ページへ

 どうも自分の根気のなさにほとほと呆れかえる。浮気性なのかしらん。興味の対象が次々に変わり、いつまでも続かない。これでは実のなることはない。
 まったくもって、我ながら嫌になる。
 俳句もそう。
 俳句に興味をもってからかなりの年月になるのだが、うまくならないのは熱意が足りないからにちがいない。
 夢中になっている時は、なんでもかんでも五七五で、自然と指を折っていることもあるし、風景のそこかしこが俳句の世界に見えていもした。
 新聞への投句も採用されればこれはまた自ずと力も入るもので、毎週一句は投句しようと励んだものだ。
 仕事のせいにするのはよくないが、いつしか風景がちっとも新鮮でなくなり、朝見るものも表情を変えず毎日同じようにしか見えない。これはいかん、と焦るものの、ちっとも句が浮かんでこない。
 季節が見えない。
 俳句とはわずか17文字の世界ながら、季節を喪った生活には宿ってくれない。

 本書の扉折り返しに「こんな人にこそ、本書を読んでほしい」と注釈があって、もちろんまったくの初心者も構わないが、「以前も作句をしていたが、もう一度基礎から学び直したい」という人にもおすすめとある。
 そうそう、「もう一度基礎から学び直したい」のです、私。
 基本編では俳句は定型であり季語の用い方も丁寧に書かれていて、確かに初心者にもやさしく書かれている。少し俳句を齧った人には退屈かもしれないが、「もう一度基礎」からが大事と心得たい。

 俳句の入門書は数多ある。この本は文語のことにも触れていて、丁寧に作られている。なかなか参考になる。巻末には俳句でよく使われる用語活用まで付いている。
 気がつかずにどれだけ間違いをしてきたかと冷や汗がでる。
 願わくば、私の目に季節のある風景が戻ってくれたならば、どんなにいいだろう。
 風に、花に、人々の表情に、季節の色彩がついたならば、作句もきっとできるだろう。
 願いのように、まだ固い蕾のままの桜の木を見上げる。
  
(2012/04/03 投稿)

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レビュープラス
 毎年この季節になると
 本屋さんで気になるコーナーがあります。
 NHKのテレビ・ラジオ講座のコーナーです。
 初めてNHKのラジオ講座「基礎英語1」を聴いたのは
 中学一年の時でした。
 クラブ活動から帰って夕方の放送を聴いていたのですが
 ついうとうとしていました。
 それから、40年以上経ちますが
 何度「基礎英語1」に挑戦したことか。
 働きだしてからも「基礎英語1」から進展しません。
 しかも、悔しいけれど、
 今まで丸一年聴いた試しがありません。
 たぶん、今までの最長記録は10ケ月かな。
 それでも、春になると
 チャレンジしたくなります。
 気合だけは衰えていません。
 ただ、根気がないだけですね。

講座 それで、今年はハングル語に挑戦しようと
 先日「NHKラジオテキスト まいにちハングル語」を
 買ってきました。
 英語がダメなら、韓国語。
 さあ、いかがなるでしょう。

 最近はラジオ講座も便利になって
 CDがついていたり、インターネットで聴けたりします。
 今年からはスマートフォンでも聴講できるらしい。
 だから、聴きのがしても
 何とかできるようになっています。
 ただ、時間が作れるかどうか。
 始まる前からこんなことではどうしようもないですね。
 せめてハングル語で挨拶ができるまでは
 やってみたいですね。

春は新しい習慣を始めるには
 いい季節。
 あなたもひとつ挑戦してみてはいかがですか。

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