プレゼント 書評こぼれ話

  さあ、「ナルニア国ものがたり」も
  今日紹介する『さいごの戦い』で最後。
  気がついたら
  全7巻もの長いながいお話を
  読んだことになります。
  これってすごい。
  一挙にどかんと
  7巻もの物語を積まれたら
  うーん、読めるかなと思うけど
  こうして
  順に読んでいけば
  なんと楽しいことでしょう。
  それに「ナルニア国ものがたり」の
  面白いことといったら。
  ゲームや漫画に夢中の子供たちでも
  目を輝かして読むにちがいない。
  子供の頃に読みたかった。
  今頃気がついても
  遅いのだけど。

  じゃあ、読もう。

さいごの戦い―ナルニア国ものがたり〈7〉 (岩波少年文庫)さいごの戦い―ナルニア国ものがたり〈7〉 (岩波少年文庫)
(2000/11/17)
C.S. ルイス

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sai.wingpen  おしまいははじまり                   

 子どもたちよ、ものにはおしまいというものがあることは知っているよね。
 長い「ナルニア国ものがたり」も今回のお話、『さいごの戦い』でおしまい。しかも、あの勇敢なライオンアスランを騙(かた)る悪だくみで、「ナルニア国」最大の危機が訪れる。
 今まで魔女とか悪い王とかさまざまな悪が「ナルニア国」に危機をもたらしたけれど、今回はもっと人間的というか私たちの社会にもあるような悪が登場。
 子どもたちも「オレオレ詐欺」なんて聞いたことがあると思うけれど、身内になりすましてお年寄りからお金を盗んだりする悪い人たち。生きるものたちの心のすき間に入り込むことがどんなに悪いか、すでに「ナルニア国」の冒険を経験した子どもたちにはよくわかるはず。

 7巻におよぶ「ナルニア国ものがたり」の一番の面白さは何だろう。
 たぶんそれはいくつもあるだろうが、私なら登場するわき役の面白さって答える。たとえば、この巻でいえば、悪賢い毛ザルに脅かされて贋アスランに扮する気のいいロバ、トマドイ。
 そういうキャラクターが全巻にいる。だから、「ナルニア国ものがたり」の登場人物の一覧とかその性格とかまとめると面白いかもしれないね。
 次に、物語全体の構成のうまさ。
 第6話の『魔術師のおい』がその典型かもしれないが、物語の一つひとつが実に見事につながっている。だから、突拍子もないことが書かれているようで、とても丁寧にそして緻密に計算されていて、そういう破綻のないところが、ファンタジーをより現実的にしているような気がする。
 そして、人間界の子どもたちの魅力。
 「ナルニア国」を訪れる子どもたちはけっして全員いい子ではない。最初の物語『ライオンと魔女』ではエドマンドはきょうだいたちを裏切りそうになったり、ユースチスは気の弱い少年として最初登場する。そういうどこにでもいそうな子どもたちが冒険を通じて、勇気ある子どもに変わっていく姿が、「ナルニア国ものがたり」では魅力となっている。
 実は、さいごのこの物語には今までの子どもたちがすべて登場するが、ただ一人、スーザンだけはふたたび「ナルニア国」に戻ることはなかった。スーザンは大人になることに夢中で、もう「ナルニア国」のことを忘れてしまったのだ。

 子どもたちよ、この長い「ナルニア国」のお話はこれでおしまいですが、おしまいははじまりのはじまりだって知っていますか。
 子どもたちの本当の「ナルニア国ものがたり」は、ここからはじまるのだ。
  
(2012/06/30 投稿)

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  今日は「向田邦子全集・新装版」第三巻の
  紹介です。
  この巻は小説の三にあたります。
  収録されているのは
  連作短編集が二つ。
  『隣の女』と『男どき女どき』です。
  ちなみに、それぞれ収録されている作品は
  次の通り。
  『隣の女』では
  隣の女・幸福・胡桃の部屋・下駄・春が来た、の
  五編が、
  『男どき女どき』では
  鮒・ビリケン・三角波・嘘つき卵、の
  四編が収められています。
  今日の書評にも書きましたが
  向田邦子さんは
  あまり小説をものにしていません。
  むしろ、こうして少しでも
  残してくれていたことを
  喜ぶべきかもしれませんが。
  だから、今日の書評タイトルは
  正直な感想です。

  じゃあ、読もう。
  
向田邦子全集〈3〉小説3 隣りの女、男どき女どき 小説向田邦子全集〈3〉小説3 隣りの女、男どき女どき 小説
(2009/06)
向田 邦子

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sai.wingpen  今さらながらに向田邦子の小説をもっと読みたかった                   

 「向田邦子全集・新装版」第三巻は小説の三で、『隣の女』と『男どき女どき』、二つの短編連作集が収められている。
 向田邦子はその人気ぶりに関わらず、小説をほとんど書いていない。昭和55年、『思い出トランプ』に収められた短編数編により直木賞を受賞し、その後の活躍が期待されていたが、翌年不慮の航空機事故で亡くなってしまう。
 おそらく向田自身じっくりと書きたいものがたくさんあっただろうが、あまりにも時間が短すぎた。
 私たちは、向田邦子という稀有な書き手とともに、名作の数々を喪ったといえる。

 この巻に収録されている直木賞受賞後の作品群が出来として十分かといえば、書き急いだ感じは否めない。
 もちろん、文章の間(ま)ともいえるものは絶妙で、向田のそれは気質でもあるのだろうが、古典落語を聴くように心地よい。
 ただ、どうしても小道具、それは実際にミシンであったり鮒であったりする芝居における小さな道具という意味でもあり、文章のちょっとした伏線的という意味でもあるのだが、の使い方が安易に流れ過ぎているような気がする。

 『隣の女』の表題作にもなっている短編『隣の女』は二DKのつましいアパートに住むサチ子が主人公。
 二十八になる彼女は「化粧をしないせいか」生気がない。夫の給料をやり繰りしながら、内職のミシンを踏んでいる。
 「幸福ともいえないが取り立てて不幸でもない」と思っているサチ子の耳に、時折隣の部屋の女の睦言が聞こえてくる。静かに息をひそめてその声を聞くサチ子。
 隣の女が男と心中事件を起こしたことをきっかけにして、サチ子もまた夫を裏切り、別の男のところへ走る。サチ子が聞いていたのは、隣の女の睦言ではない、彼女自身の内なる声だったのだろう。
 そのサチ子の部屋、壁に耳をあてるサチ子、壁から聞こえてくる密やかな女の声、駆け落ちの舞台となるニューヨークといったように、まるでテレビドラマを見ているような印象がぬぐえない。
 おそらく向田にはこの作品の映像がしっかり見えていたのではないだろうか。
 しかし、それがゆえに作り手の企みがちらちらしているような気がする。

 向田作品の特長として家族の間のぬめっとした湿った手触り感がある。『隣の女』に収録されている『下駄』や『春が来た』にはそれがよく出ている。
 向田には女としての顔よりも昭和の家族の中で生きた長女の顔の方がうんとよく似合っている。
  
(2012/06/29 投稿)

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  今日は庄司薫さんの
  『さよなら快傑黒頭巾』。
  怪傑黒頭巾というのは
  昔の時代劇のヒーロー。
  さすがの私も直接的には
  知りません。
  ウルトラマンとかならわかるのですが。
  でも、まったく知らないといえないのも
  薫くん世代といえるのかな。
  今回の作品では
  五月の大型連休、
  といっても三日続きのようですから
  当時の人からすると
  現在のように一週間も休みなんて
  信じられないのじゃないかな。
  昭和40年代を知るには
  はずせない作品です。

  じゃあ、読もう。
  
さよなら快傑黒頭巾 (新潮文庫)さよなら快傑黒頭巾 (新潮文庫)
(2012/04/27)
庄司 薫

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sai.wingpen  男たちが輝いていた最後の時代                   

 ン十年かぶりに庄司薫の「薫くんシリーズ」を読んでいる。
 まさかこのシリーズは新潮文庫になろうとはちょっと想像しなかった。例えば、加山雄三の若大将シリーズが東映の看板で上映されたり、「北の国から」が日本テレビで放映されたみたいな気分だ。「薫くんシリーズ」はやっぱり中央公論でしょ、と言いたいが、まあこれでうんと若い人たちがあの時代のことを少しでも感じてくれれば、当時「薫くんシリーズ」に夢中になった、今のオジサンオバサンたちもちょっとはうれしいんじゃないかな。

 『さよなら怪傑黒頭巾』は、「薫くんシリーズ」の三冊め。芥川賞を受賞した『赤頭巾ちゃん気をつけて』、続く『白鳥の歌なんか聞こえない』の次の一冊。赤、白、黒、と続いている。蛇足ながら、最後は『ぼくの大好きな青髭』、つまり青である。
 今回の物語は、東大入試が中止となった1969年の五月の大型連休が舞台。
 のっけから我らが庄司薫くんは成人男子における朝の諸問題をくだくだと悩んでいる。相棒ともいえる幼なじみの由美ちゃんは友だちと旅行中で、薫くんはひまをもてあましているのだ。そんなところに、突然兄の友人山中さんから結婚式に招待される。そこで、薫くんが見た光景は・・・。
 この当時、つまり1969年当時、経済は高度成長に入りつつあって、男たちは日夜奮闘努力をしていたことがよくわかる。
 薫くんは兄貴たちから「人生という兵学校」は男たちにとってキビシイよ、みたいなことを聞いていたが、この日薫くんが遭遇したのはまさに男たちの涙ぐましい姿だった。
 「あわや半世紀」前のこの時代はまだまだ男たちがそれでも輝いていた時代だった。そして、そのことに薫くんもまわりの人たちも不思議だと思わなかったのだ。
 物語の終盤近く、結婚式の二次会でしこたま飲んだ薫くんが東京の夜景を見てため息をつく場面がある。「そんな東京でも、時にはすごくきれいで、ほんとうに思わず溜息がでてしまうように美しく見える時がある」と。
 これなんかもその美しい東京を作ってきたのは男だという自負が見え隠れたりする。

 もしかしたら、薫くんが右往左往していた時代は、男たちが輝いていた最後なのかもしれない。そういうことでいえば、「薫くんシリーズ」はいつまでもあの時代を象徴しているといえないか。
  
(2012/06/28 投稿)

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  二日つづけて
  川上弘美さんの『七夜物語』を紹介しましたが
  今日はその挿絵を担当した
  酒井駒子さんの『BとIとRとD』を
  紹介します。
  この題名、「と」をとると
  「BIRD」、鳥になります。
  酒井駒子さんが好きな人には
  とっておきの一冊かもしれません。
  また『七夜物語』で
  酒井駒子さんのファンになった皆さんも
  ぜひ一度手にしてみてはいかがでしょう。
  書評に書きましたが
  最近本屋さんで
  酒井駒子さんの表紙の本を何冊も見かけるのは
  本当の話です。
  気になる人は
  ぶらりとのぞいてみて下さい。

  じゃあ、読もう。

BとIとRとDBとIとRとD
(2009/06)
酒井 駒子

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sai.wingpen  親指をしゃぶりながら眠る女の子がみる夢                   

 本を選ぶのに、好きな作家を優先するのはあるが、新聞や雑誌、また最近はWEBサイトの書評や書籍広告を参考にすることが多い。そのほか、本屋さんの平台に並んだ本の表紙や帯にひかれて手にすることもままある。
 特に後者の場合は一瞬でその魅力にとりつかれてしまう、いわゆる一目ぼれ的な出合いとなる。編集者も力のはいるところだろう。
 最近本屋さんの店頭で酒井駒子さんの絵を表紙に使った本に何冊も出合った。
 酒井さんの黒を基調した独特なタッチが目をひくということもあるが、描く世界が作品の雰囲気を伝えやすいのかもしれない。おそらく、酒井駒子さんは今人気の画家の一人であることは間違いない。

 なかでも酒井さんが描く少女の絵の素晴らしさはどうだろう。
 単にかわいいというのではない。どちらかといえば悲しみを沈めた表情がはかなさを誘う。
 手のやわらかさ、ほっぺのぬくもり、ぎゅっと結ばれた口。小さいのにじっと何かを我慢しているようなその表情は、大人の女ではないあやうさとそれでいてすでに官能さえを感じる。女性とはいつも魔性をひめているものなのだろうか。
 おそらくそれは酒井さんの絵が常にどこかに黒を隠している世界だから、余計にそれが強くでるのだろう。それは少女の姿だけでなく、雪や鳥といった純白の中にもよく表せられている。

 この絵本は酒井さんの魅力が存分に味わえる作品だ。 
 物語があるわけではない。短いエッセイ、あるいは詩ともいえる、文脈の中で酒井さんの絵が輝く。
 例えば、「図書館」という章(そういえば、酒井さんの絵の世界と図書館はとてもよく合う。図書館が持っている闇が酒井さんをひきつけるのだろうか)の、小さな椅子に腰掛け絵本を読む少女のかわいさといったらない。「見えない誰かによんであげ」るその動作がすでに物語の中にはいっているように見える。
 少女の中にすでに誰かを世話したいという母性があるのだろうか。
 この絵本の中で一番気に入った絵は「指しゃぶり」という章に描かれた、親指をしゃぶりながら眠る女の子。彼女の夢にはいっていけそうなそんな一枚だ。
 酒井駒子さんはどんな夢をみる少女だったのだろう。
  
(2012/06/27 投稿)

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  昨日のつづき。
  川上弘美さんの『七夜物語』の下巻です。
  この作品は上下二巻の本になっていますが
  もちろん、
  一つの長い物語です。
  ですから、本当は一つの書評でいいのかもしれません。
  昨日も書いたように
  この下巻の紹介で
  作品全体の書評と思って下さい。
  これは大人の私が書いた書評ですが
  本当は子供たちがどのような
  感想をもつのか
  それが知りたいところです。
  この物語は
  小学生の高学年であれば
  十分に読めると思います。
  ぜひ親子で読んでみて下さい。
  そして、
  子供たちが大きくなれば
  川上弘美さんのほかの作品にも
  挑戦させてみてはどうでしょう。
  また、一味ちがう
  川上ワールドに会えるでしょう。

  じゃあ、読もう。

七夜物語(下)七夜物語(下)
(2012/05/18)
川上弘美

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sai.wingpen  児童文学としてのあるべき姿                   

 川上弘美さんが朝日新聞に『七夜物語』を連載していた2011年3月11日に東日本大震災が起こった。
 その時のことを川上さんは連載終了後にこう書いている。
 「こんな物語を、誰が望んでいるというのだろう。何もできずに、無事にのうのうとここにいて」。
 川上さんは書くことを中断した。
 そんな彼女を後押ししたのは被災者からの一通の葉書。その葉書の書き手を支えたのは「言葉自体の力」「物語自体の力」だと、川上さんは気付く。
 「書いていいのだと、許された気持ちでした」と、その時のことを振り返る。
 それは、児童文学の大きな役割のような気がする。
 子供たちを夢中し、子供たちに生きる力や知恵を与えるのは、言葉の力であり、物語の力といっていい。
 川上さんのこの長い物語は、彼女の作品群の中では異色であるが、児童文学の王道ともいえる作品だ。

 この物語の主人公は小学四年生のさよと同級生の仄田くん。
 さよには父がいない。仄田くんには母がいない。
 両親がそろっていないということを少しは理解しながらもまだ十分にはわからない年令だ。
 二人はさよが偶然図書館で見つけた「七夜物語」という本に誘われるようにして、不思議な夜の世界にはいっていく。
 最初の夜、大きなねずみグリグレルや闇のミエルに出会う。次の夜、覚めない眠りに閉じ込められそうになる。次の夜は二人は別々の夜を過ごす。そこで自分自身と向き合うことになる。残りの三つの夜の不思議な体験を終えて、二人は現実の世界に戻ってくる、それは長いながい物語だ。

 これは子供たちの成長の物語といってもいい。
 この七つの夜を通して、自分とは何か他者とは何かを知ることになる。
 子供は突然大人になるのではない。この物語に描かれたような夜を通過することで変化していく。しかし、「七夜物語」がけっして記憶に残らない物語だったように、子供たちもそのことを忘れてしまう。実際これらの夜をめぐったのはさよたちが最初ではない。誰もがこれらの夜を経験しているのだ。

 この物語には『ナルニア国ものがたり』であったり『不思議な国のアリス』であったりたくさんの児童文学の影響がみられる。児童文学に詳しい読者はその他具体的な作品をあげられるだろう。
 おそらく川上弘美さんにとってのさまざまな夜はたくさんの児童文学だったのではないだろうか。そして、これからの子供たちにとって、この『七夜物語』もそんな一冊になるかもしれない。
  
(2012/06/26 投稿)

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  今日と明日。
  川上弘美さんの『七夜物語』を
  紹介します。
  朝日新聞に連載されていたのは
  このブログでも
  何度か書きました。
  2011年5月に連載が終了して
  なかなか単行本化されないので
  心配していました。
  今回加筆修正されて
  上下二冊本として
  本屋さんの店頭に並んで
  思わず「おかえりなさい」と
  心の中でつぶやいていました。
  せっかく
  上下二冊なので
  上巻では本全体のこと
  挿絵を担当した酒井駒子さんのこととかを
  紹介して、
  明日の下巻で書評を
  書きたいと思います。
  まずは、上巻から
  お楽しみ下さい。

  じゃあ、読もう。  

七夜物語(上)七夜物語(上)
(2012/05/18)
川上弘美

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sai.wingpen  切り抜き帖よりも素敵な本                   

 「子供は大人の変なてらいもなく斜に構えることもなく、存在としてとても希望に満ちたものだと思う」。これは、2009年9月朝日新聞朝刊に連載小説を始める前に語った川上弘美さんの言葉だ。
 川上さんの新聞小説、しかも主人公が小学4年生の女の子。どんなに楽しみにしただろう。
 題名もいい。『七夜物語(ななよものがたり)』。
 きっと不思議な物語が始まるにちがいない。
 その第一章が「図書館」というのもうれしい。主人公のさよはそこで「いったん本を閉じて棚にもどすと本のなかみの記憶はなくなってしまう」「七夜物語」という本を見つける。
 物語はそこから始まる。

 この新聞小説を楽しみにしていたもうひとつの理由は、挿絵を絵本作家の酒井駒子さんが担当したこと。
 酒井さんといえば、湯本香樹実さんの『くまとやまねこ』の挿絵や『ゆきがやんだら』などの絵本など黒をベースに色を重ねていく手法で活躍している。
 最近でも松谷みよ子さんの『ちいさいモモちゃん』シリーズの表紙絵を担当するなど、少女画にも定評がある。

 そこで、人生初の経験となる新聞小説の切り抜きを始めた。
 いずれ、完結すれば単行本となって刊行されるだろうが、従来の新聞小説であれば挿絵はほとんど書籍化されない。だとしたら、酒井さんの挿絵を楽しむには切り抜きしかない。
 連載はおよそ一年八か月に及んだが、全話588回の切り抜きに成功した。
 しかも、うれしいことに、今回の単行本化にあたっては、酒井さんの挿絵がふんだんに使われている(今後新聞小説を単行本化するについては、この構成がいいと思う)。
 これで、じっくりと『七夜物語』が読める。

 というのも、新聞連載の半ばで、それは第四章の「二つの夜」あたりだが、読むのをやめてしまったのだ。その理由は、物語の内容がわからなくなった。筋が追えないのだ。
 つまり、新聞小説としては失敗だったのではないだろうか。
 新聞小説には明日はどうなるといった期待感が必要だと思う。『七夜物語』にもそれはあるのだが、物語の構成上それを崩してしまった感じがする。
 新聞連載中にこの物語を中断してしまった人、なんだかしっくりこなかった人は、ぜひ書籍化された物語を読んでもらいたい。
 きっと違った物語に出合うのではないだろうか。
  
(2012/06/25 投稿)

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  今日紹介する絵本は
  長谷川義史さんの『おかあちゃんがつくったる』。
  この中に、「父親参観」で出てきますが
  今はそういわないんじゃなかったかな。
  お父さんのいない子供が、
  この絵本の主人公もそうですが、
  かわいそうだとかなんとか
  呼び名が変わったのじゃなかったかな。
  いわゆる、参観日は
  子供心に緊張したものです。
  私の母親は
  着物を着て学校に来たものです。
  当時、昭和30年代のよそいきは
  着物というのが多かったですね。
  参観日になると
  手をあげないといけないとか
  おかあちゃん来てくれただろうとか
  そんなことを思っていました。

  じゃあ、読もう。

おかあちゃんがつくったる (講談社の創作絵本)おかあちゃんがつくったる (講談社の創作絵本)
(2012/04/27)
長谷川 義史

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sai.wingpen  吉本DNA、おそるべし                   

 吉本興業が今年創業100周年を迎えた。関西人にとってはあのテーマ音楽とともに吉本新喜劇は心の故郷といえる。その新喜劇が誕生したのは1959年。テレビの普及とともにたちまち関西に広まった。
 関西人のノリのよさは吉本新喜劇の影響によるものなのか、それとも関西人の気質が新喜劇を隆盛させたのかわからないが、少なくともギャグが日常茶飯事的に浸透しているのをみると多分に影響はあるのだろう。

 大阪藤井寺に生まれた長谷川義史さんの絵本にも吉本の影響を感じるのは私だけだろうか。
ダ ジャレを多用した絵本だけでなく、この作品のような人情絵本にも新喜劇の笑いあり涙ありの雰囲気がにじむ。
 主人公は小学3年生のよしふみくん。よしふみくんのおとうちゃんはなくなって、今はおかあちゃんとねえちゃんの三人暮らし。
 このよしふみくん、おとうちゃんが病気でなくなった時に、名前が悪いと「よしお」と呼ばれてる。よしふみくんではないが、思わず「なんでやねん」とつっこみをいれたくなる。
 よしふみくんのおかあちゃんはミシンの仕事で生活を支えている、タフな大阪のオバちゃん。(「誰がオバちゃんやねん」というクレームはこの際無視すます)。
 よしふみくんのためなら、ジーパンであろうと体操着であろうと、「おかあちゃん ミシンで つくったるわ」と何でも手作りしてしまう。でも、そのたびによしふみくんはクラスの笑い者。
 ある日、父親参観のお知らせが来た。もちろん、おかあちゃんは「いったるわ」と強気。おかあちゃんはおとうちゃんではないのに。
 それで、ついよしふみくんも意固地になって、「おとうちゃん つくってえな」と云ってしまった。おかあちゃんの淋しそうな顔。
 「ごめんな、おかあちゃんの ミシンでも おとうちゃんは つくられへんわ」。
 さあ、おかあちゃんはどうするか。

 結構じいいんとくる。笑いのあとに涙。涙のあとに笑い。とっても人間、くさーい。
 関西人の吉本DNAの影響は大であることは、長谷川義史さんの絵本が見事に証明している。
  
(2012/06/24 投稿)

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  毎週土曜日に読んできました
  「ナルニア国ものがたり」も
  残り少なくなってきました。
  この長い物語を読んで思うことは
  本当にうまくできているということで
  今日紹介する『魔術師のおい』では
  初めの話『ライオンと魔女』にでてくる
  不思議な衣装ダンスの秘密も
  明らかになります。
  ひとつひとつはもちろん面白いのですが
  全体7巻を通して読むと
  その面白さはもっと深みを増します。
  もし、この「ナルニア国ものがたり」を
  途中で投げ出した人がいたら
  ぜひ全部読んで下さい。
  さあ、来週の土曜には
  最後の巻『さいごの戦い』を紹介しますが
  どんな終わり方になるのでしょう。
  ないしょですが、
  私はもう読んでしまいました。
  ふふふ。

  じゃあ、読もう。

魔術師のおい―ナルニア国ものがたり〈6〉 (岩波少年文庫)魔術師のおい―ナルニア国ものがたり〈6〉 (岩波少年文庫)
(2000/11/17)
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sai.wingpen  はじまりの物語                   

 子どもたちよ、ものにははじまりというものがあることは知っているよね。
 これまでさまざまな冒険と出会いがあった、あの「ナルニア国」にもはじまりがあるんだ。え、ペペンシー家の四人のきょうだいが行った旅(『ライオンと魔女』)がはじまりじゃないのかって。
 そうなんだ、彼らよりもずっと前に「ナルニア国」に行った人たちがいたんだよ。それが、この『魔術師のおい』には描かれているんだ。
 つまり、このお話こそ、「ナルニア国」のはじまりの物語だ。

 時代はあの名探偵シャーロック・ホームズがまだ生きていた頃というから1890年代ぐらいだろうか。もしかしたらまだ魔法とか魔女というのが信じられていたかもしれない。
 そんなロンドンにポリーという女の子とディゴリーという男の子がいた。
 このディゴリーという男の子は、病弱なお母さんをいつも心配しているようなとてもやさしい子で、こっそり教えると、ここまで「ナルニア国ものがたり」を読んできた子どもたちは、一度彼に会っているんだよ。もっともその時はすっかり老人になっていたけれど。

 ディゴリーには少し変わったおじさんがいるんだ。アンドルーという名前なんだけど、実はこのおじさんは魔術師の血を少しは受け継いでいて、だから、もうわかったかい。そう、今回の『魔術師のおい』とはディゴリー少年のことだよ。
 察しのいい子どもたちはなんとなくわかったと思うけど、今回「ナルニア国」を旅するのは、ディゴリーとポリー、それにアンドルーおじさんなんだ。
 でも、その前に話しておくと、アンドルーおじさんが研究していたのは別の世界に行ける指輪で、彼らは悪い世界にも行ってしまう。そこで邪悪な魔女を生き返らせてしまう。なんとこの魔女はディゴリーたちのいたロンドンまでやってきて、街は大変なことになってしまう。
 そこで、ディゴリーたちは勇敢にもおじさんの魔法の指輪で魔女を別の世界に、しかもそこはこれから誕生する「ナルニア国」なんだけど、連れていくことに成功したんだ。

 もちろん、「ナルニア国」のはじまりには勇敢なライオンアスランが深くかかわっている。
 きっと、この時、アスランが発した叫びを、「ナルニア国」が大好きな子どもたちなら、忘れないはず。
 「ナルニアよ! めざめよ。愛せ。考えよ。話せ。」
 子どもたちよ、ここではじまり、そして、物語は見事につながった。
 さあ、最後の旅まで、あとひとつ。
  
(2012/06/23 投稿)

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  今日は、
  詩人で小説家の三木卓さんの『』を
  紹介します。
  本屋さんで見かけて
  ぐうんと吸い寄せられた作品です。
  K、というのは三木卓さんの奥さんの
  愛称です。
  作家というのは
  こうまでして作品に入り込むのかと
  思わせられる作品です。
  そういえば、
  書評の中でも紹介した
  城山三郎さんの亡き妻への
  未発表の原稿が見つかったというニュースが
  ありました。(6.18 朝日新聞夕刊)
  「彼女は、終生、妖精だった
  といった文章があったそうです。
  まったく、うらやましい。
  それは、妻なのでしょうか。
  夫なのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

KK
(2012/05/22)
三木 卓

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sai.wingpen  これもまた夫婦                   

 「おい、俺より先に死ぬなよな」「あら、そんなことはわからないわよ」。
 夫と妻。夫婦が年をとってくると、ごく普通に交わされる会話。実際問題として、妻が先に亡くなって夫が残ると困ることが多い。逆に妻が残ると元気になったりする、とも言われる。
 男女同権とよく言われるが、そういう性差の違いは如何ともしようがない。
 城山三郎の『そうか、もう君はいないのか』や川本三郎の『いまも、君を想う』を例に出すまでもなく、妻に先立たれて男の哀切ほど胸を打つものはない。気弱に生前の妻を偲ぶ姿に男とはかくやと思わせるものがある。
 それが女性の場合だと実にきっぱりしている。夫吉村昭の死の姿を描いた津村節子の『紅梅』などを読むと、その死については当然万感の思いがあるものの、きりりとした自身の視点が死者をじっと凝視する冷静さを感じる。
 やはり、妻より先に死なないといけないのかもしれない。

 詩人で小説家の三木卓のこの小説も、亡き妻の在りし日の姿を綴ったものであるが、残された夫の哀切とは違うものを感じた。いうなれば、単に思い出に寄りかかるのではなく、作家の目で妻のこと夫婦のことを描いているといえる。
 題名の「K」とは、三木の亡くなった妻である詩人の福井桂子のことである。二人は互いにそのように頭文字で呼び合っていたという。

 何故三木は冷静に作家の視点で自分の妻のこと、夫婦の姿を描けたのだろう。
 それは、三木が「夫婦でありいっしょに暮したのだが、つまるところ、ぼくには、この人がよくわからなかった」と書いているように、47年間夫婦でありつづけたものの、互いに寄り添うことをしなかった結果ではないかと思う。
 「おたがいに生きのびる、という一点で一致していたので、一緒に生きることができた」と、三木自身が作品の中で述懐している。

 小説家として活動を始めた三木を妻のKは別の住居へと送り込んだ。
 それもまた異常ながら、もしかすれば創作者としての苦痛を一番理解していたのはKだったかもしれない。
 そんなことを思うと、この小説もまた哀切深い妻恋物であるといえないだろうか。
  
(2012/06/22 投稿)

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  今日は24節気の一つ、夏至
  一年中で一番日が長いのは
  小学生の頃に習った。

   夏至の日の手足明るく目覚めけり  岡本 眸

  また、夏至の頃は梅雨まっさかりでもある。
  地球温暖化とか色々いわれるが、
  基本的には
  季節はそれほど変わっていない。
  今日紹介するのは
  平凡社のコロナ・ブックスの一冊で
  『日本の歳時記』。
  きれいな図版が魅力的。
  書評にも書きましたが、
  昔の人は
  色々な生活の工夫で
  暑さをしのいでいました。
  こういう本を読みながら
  暑さをしのぐのも
  いいかもしれません。

  じゃあ、読もう。

日本の歳時記 (コロナ・ブックス)日本の歳時記 (コロナ・ブックス)
(2012/04/27)
コロナ・ブックス編集部

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sai.wingpen  見る歳時記                   

 せっかくだから、今の季節、「夏」の部から開いていこう。
 まず、「京の祭歳時記」がある。夏だから、お馴染みの葵祭や祇園祭が紹介されている。春は都をどり、秋は時代祭、冬は針供養と、さすが京都、祭りも四季折々さまざまだ。
 次の頁からは、「歳時記」とあって季語がつづく。
 ちなみに本書では「春」から始まり、「夏」「秋」「冬」そして「新年」と大きく括られている。それぞれの季節で、時候・天文・気象・地理等々の順に配列されているのは、他の歳時記と同様だ。
 この歳時記の大きな特長は、「見る歳時記」だということだろう。取り上げられている季語や例句は少ないが、その分オールカラーの図版が目をひく。
 例えば、「風薫る」という美しい季語の説明に鏑木清方の「薫風」と題された掛け軸の図版がつけられている。「章魚(たこ)」もまた夏の季語なのだが、これには伊藤若冲の絵がそえられている。絵ばかりではない。「杜若(かきつばた)」という季語には江戸時代の小袖にあしらわれた杜若が紹介されている。

 この本で紹介されている絵とか衣服、あるいは陶器などを見ると、昔の人たちの生活に季節がいかに密着していたかがわかる。特段、「歳時記」を開いて季節の言葉を感じなくても、そこかしこに季節の一齣一齣があった。
 最近は夏といえば、猛暑だ真夏日だと言葉まで暑苦しい。
 「歳時記」を開くと、「夏座敷」や「行水」という涼しげな言葉がある。ちなみに「夏座敷」というのは、「襖や障子などを取り外して風通しをよくし」た部屋のことで、節電対策もここに極まれるのではないかしらん。
 もともと、日本の夏は湿気が多く蒸し暑かった。そのための工夫が家にも生活にもあったのだが、そのことを忘れてしまったために、汗をぬぐい、時には熱中症で倒れてしまう。
 そして、言葉までうしなってしまった。

 季語の紹介のあとにはコラムが二題(「夏」の部では「雨の名前」「風の名前」の二つ。ここでも多様な日本語の世界が堪能できる)と、著名な作家のエッセイがついている。(「夏」の部では永井荷風というのもいい。他の季節は岡本かの子や木村荘八、山本健吉など)
 「見る歳時記」は「読む」にも心配りがされている。
  
(2012/06/21 投稿)

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  今日紹介する
  アルフレッド ゴメス=セルダさんの『雨あがりのメデジン』は
  スペインの児童文学です。
  2009年に
  スペインの国民児童文学賞を受賞しています。
  ちなみに
  この本は鈴木書店の海外児童文学として
  刊行された一冊です。
  この本の巻末に
  その「刊行のことば」が掲載されています。
  いい言葉なんで、抜粋しておきます。

    子どもたちに必要なのは、自分の根をしっかりと張り、
    自分の幹を想像力によって天高く伸ばし、
    命ある喜びを享受できる養分です。
    その養分こそ、読書です。

  ね、いいでしょ。
  子どもの頃からしっかりと
  養分をとることは大事です。
  そのためにも
  この物語で描かれたような
  素敵な図書館が必要なのですね。

  じゃあ、読もう。
   
雨あがりのメデジン (鈴木出版の海外児童文学 この地球を生きる子どもたち)雨あがりのメデジン (鈴木出版の海外児童文学 この地球を生きる子どもたち)
(2011/12)
アルフレッド ゴメス=セルダ

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sai.wingpen  雨あがりの図書館にかかる虹は美しい                   

 最近の公共図書館はとても設備がいい。かつての暗くてカビ臭い印象はない。
 それに情報管理もよくできているから、家からでも所蔵状態を確認できるし、予約もできる。さらに、これはすべてがそうではないかもしれないが、司書と呼ばれる人たちも強面ではなく丁寧に対応してくれる。
 その一方で盗難防止だということはよくわかるが、出口に設置されたセンサーには興ざめをする。誤作動かもしれないが、突然ピーピーと警報音が鳴って、あわてたことが何度かある。

 この物語の舞台となった南米コロンビアのメデジン(ここはコロンビア第二の都市)にも山の斜面に建つりっぱなスペイン公園図書館がある。もちろん、その図書館にも盗難防止のセンサーが設置されているのだが、このセンサーは時に作動しない時があって・・・。
 メデジンという町についてもう少し書くと、豊かさと貧困が一体となっていて、物語の主人公カミーロとアンドレスが暮らすのは細い路地で入り組んだ貧しいエりアだ。
 カミーロは酒飲みの父親にいつも乱暴されている少年、アンドレスの父親にいたっては何度も刑務所に入っているどろぼうで、彼らの楽しみといえば、ごみごみした貧しい町を走りぬけることばかりだ。

 そんな二人はある日図書館で一冊の本を盗んでしまう。カミーロの父親のお酒に変えるために。
 貧しいカミーロはどろぼう自体をなんとも思わないくらい荒んでしまっていたのだ。ただ、図書館で出会った「はちみつ色の目」をした若い女性マールのことが少し気になっていた。
 カミーロたちの図書館での窃盗は続くが、何故か警報は鳴らない。
 しかし、ついに、図書館員のマールにつかまってしまうのだが、彼女はカミーロが盗もうとした本は面白くないと別の本をそっとカミーロのシャツに忍ばせる。
 そう、盗難防止のセンサーを切っていたのは彼女だったのだ。

 一冊の本は貧しい人たちを救えないかもしれない。本でおなかが満たされるわけではない。
 しかし、マールが差し出した本を夢中になって読む二人の少年の姿には希望がある。図書館にはそんな希望があふれているのだ。雨あがりの図書館にかかる虹は美しい。
 働いて図書館の貸出しカードをつくることを決心したカミーロたち。
 マールという図書館員がいったいどんな素敵な本を彼らに差し出したのだろう。
  
(2012/06/20 投稿)

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  梅雨、真っ最中。
  
   梅雨秘仏朱唇最も匂ひける  水原秋櫻子

  嫌な雨ですが、
  見ようによっては風情もあります。
  あじさい
  雨に濡れた紫陽花のきれいなこと。
  近所の紫陽花を写しました。
  そんな目で見ると、
  風景がしっとり落ち着いてみえます。
  今日紹介するのは
  先に直木賞を受賞した葉室麟さんの
  『霖雨』という時代小説。
  ここにはさまざまな雨が
  降っています。
  嫌な雨だってあります。
  でも、主人公が父に教えられたように
  「止まない雨はない」んですよね。
  私もまた雨降りの中にいますが
  止まない雨はないんだと
  思わざるをえないのです。

  じゃあ、読もう。

霖雨(りんう)霖雨(りんう)
(2012/05/10)
葉室 麟

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sai.wingpen  止まぬ雨はない                   

 司馬遼太郎は『街道をゆく 豊後・日田街道』で、この物語の舞台となった日田を訪ねている。そして、「かつて漢学書生が町中を闊歩していた町」の理髪店で顔をあたるなど木漏れ日のような日田小景を描きとめた。
 この物語はそんな日田を全国的に有名にした咸宜園の創設者広瀬淡窓を主人公にした歴史小説である。
 また司馬遼太郎に戻ると、淡窓のことを司馬はこう書いている。「日田の富商の家にうまれ、年少のころ福岡で学んだだけで、そのあとは多病のために江戸などに留学せず、日田に帰って私塾をひらいた。(中略)その間、入門簿によれば三千八十一人という多数の青年がこの塾で学んだ」(『街道をゆく 豊後・日田街道』より)
司馬のこの文章にはこの物語を構成するいくつかの鍵がおさめられている。

 ひとつは、淡窓が「富商の家」に生まれたということ。よって、この物語では淡窓の学問に対する思いを軸にしながら、その富商の後を淡窓に代わって継いだ弟久兵衛の現実的な活動もまた映える構造になっている。
 次に、咸宜園に全国から多数の青年が学びのために日田を訪ねたということ。物語の発端はこのことを背景にして、一組の男女が淡窓のもとを訪れ、入塾を乞うところから始まっていく。

 淡窓の時代、それは江戸後期だが、全国の私塾が活気を帯びていた。
 その中でもこれだけの入塾者を受け入れたのだから、淡窓の名が全国に広まっていたと思われる。同じ頃、大阪で洗心洞という私塾を開いていたのが大塩中斎。のちに大塩平八郎の乱で時の政府を震撼とさせた人物である。
 静と動。剛と柔。淡窓は強面の郡代の圧政に堪え、静かに雨のやむのを待つ。その一方で、大塩は雨の中をはねあげながら走り出す。
 どちらか正しいということではないかもしれないが、日本人の好みとしては淡窓に軍配があがるような気がする。

 ちなみに題名の「霖雨」とは、何日も降り続く雨のことだが、淡窓は父からこんなことを聴かされる。
 「ひとが生きていくには、長く降り続く雨の中を歩き続けるのに似ている。しかしな、案じることはない。止まぬ雨はない」と。
 これは、東日本大震災を経験した日本人への、葉室麟からの強いメッセージであろう。
  
(2012/06/19 投稿)

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  勝間和代さんの『「有名人になる」ということ』という
  今日紹介する本を
  本屋さんの店頭で見つけた時は
  ついに勝間和代さんはここまできたか、と
  腰が抜けそうな感じがしました。
  いささかブームが過ぎた感のある、
  しかもそのブームは「アンチ勝間」派の猛攻によるものと
  思っていましたから、
  この本にはすごく興味を持ちました。
  さて、では私は
  勝間派なのか、それともアンチなのかと問われれば
  HNKの内閣支持率ではないですが
  初期の頃はとても高かったものの
  (それこそ勝間和代さんの講演にまで行ったくらいです)
  どうも急激に支持率を下げ
  支持しない率の方は上回っているところでしょうか。
  それでいて
  こうしてしっかり新刊を読んでいる訳で
  そのあたりが微妙に揺れ動いている感じです。
  やれやれ。

  じゃあ、読もう。

「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)
(2012/04/28)
勝間 和代

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sai.wingpen  AKB48は「有名人」という商品なのか                   

 本は、もちろん、商品です。企画立案そして創造する作者がいて、それを製造する出版社があります。流通には欠かせない取次があって、店頭で販売する書店があります。
だから、売れる商品、本でいえばベストセラーをつくるために、マーケティングの理論は有効かもしれません。しかし、本には商品といってしまうには納得いかない部分が、それは極めて感情的なものだと思いますが、残ります。売らんがための作為を拒否するものです。
 それは、人についてもいえます。
 「有名人」というのも、経済活動の中でいえば、一個の商品かもしれません。 お笑い芸人たちもAKB48の少女たちも。
 でも、彼らが商品といえば、多くのファンは「それは違う」と怒り出すのではないでしょうか。
 それもとても感情的なものかもしれませんが、本よりは少しわかりやすいかもしれません。彼らもまた人間だからです。

 本書の著者勝間勝代さんはかつて(といっていいかは問題はありますが)「カツマー」と呼ばれる支持者をもつ経済評論家でした。もちろん、今でもたくさんの活動をしていますから、過去形で書くのは間違っていますが、ひと頃のような(例えば紅白歌合戦の審査員に抜擢されるような)熱狂さはおさまっていると思います。
 この本はそんな勝間さんが「数年間で体験した「有名人になる」という不思議な体験について、当事者の視点からまとめたもの」です。
 ここで違和感があるのですが、勝間さんは「不思議な体験」と書いている一方で、自身が「有名人になる」というビジネスを立ち上げたと書いていることです。
 つまり、ビジネスであれば、そこから派生する様々なリスクを考慮していたはずで、それが「不思議な」となるところに勝間さんのこのビジネスに対するあやうさが潜んでいるといえるような気がします。

 勝間さんがマーケティング理論をもって「有名人になる方法」を示したとしても、あるいはどのようなデメリット(つまりは「有名人になる」リスク)を想定したとしても、その商品が人である限り、「不思議な体験」はつきまとうのだと思います。
 つまり、人は商品にはなりにくいそういう側面を必ず持っているのです。
 何故なら、彼らもまた人間だからです。
 「有名人」は「なる」のではなく、「つくられていく」ものかもしれません。
  
(2012/06/18 投稿)

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  今日は父の日

   悲壮なる父の為にもその日あり  相生垣瓜人

  この句、なんかじんときますね。
  そんなお父さんのために
  今日紹介する絵本は
  浜田桂子さんの『あそぼうあそぼうおとうさん』。
  実はお父さんが一番うれしいのは
  この絵本のように
  子どもたちと遊んでいる時かも
  しれません。
  だから、もしあなたがおこづかいもない
  小さな子どもだったら
  「お父さん、遊ぼう」って言うだけで
  お父さんはうれしいのではないでしょうか。
  遠く離れて暮らしていたら
  電話で「お父さん、元気?」の一言も
  きっとお父さんは喜ぶと思います。
  私はもう父がいませんから
  写真の父に
  「お父さん、なんとかやってるよ」と
  声をかけたいと思います。
  写真の父は
  笑ってくれるだろうか。

  じゃあ、読もう。

あそぼうあそぼうおとうさん (かがくのとも傑作集―わいわいあそび)あそぼうあそぼうおとうさん (かがくのとも傑作集―わいわいあそび)
(1997/05/15)
浜田 桂子

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sai.wingpen  現役父さんと引退父さん                   

 子どもたちが「あそぼう あそぼう おとうさん」ってねだってくるのは、男の子と女の子のちがいもあるだろうけど、小学生の一、二年ぐらいまでだろうか。
 まあ、中学生になったらほとんどない。お父さんと遊ぶより友達と遊ぶ方が面白いにきまっている。それに、お父さんはすぐに「疲れてる」とか「宿題終わったのか」って言うものね。
 だから、まだ子どもたちと遊んでいるお父さん。今のうちにしっかり遊びなさいよ。そのうち、お父さんが遊びたいと思っても、子どもたちの方が近寄って来なくなるのだから。
 「あそぼう あそぼう」って、子どもたちにねだっても、その時はもう遅いのですから。

 この絵本はお父さんと子どもたちの楽しい遊びがたくさん紹介されています。
 お父さんが寝転がって足をあげて、その足に子どもを乗せる「ひこうき」遊びは、私もしたことがあります。別に誰に教わったことのない親子の遊びですが、あれはお父さんの本能なのでしょうか。それとも、自分も小さい頃、お父さんとそんな遊びをしたことがあって、遠い記憶として覚えているのかしら。

 難しいのは、たくさんの子どもたちがいるおとうさん。
 一度に何人の相手ができればいいですが、よつんばになっての「お馬」も上に乗せられるのはせいぜい二人ですからね。そのうちに、「わたしもして」なんて泣かれて困ってしまう。
 それで、お母さんに「なんとかしてくれよ」と救援を求めることになる。
 でも、若いお父さん。「なんとかしてくれよ」って言っているうちがいいんですから。「どうして子どもたちは俺と遊ばないんだ」と嘆いても、その時はもう遅いのですから。

 それで、もうとっくに子どもたちが遊んでくれなくなった可哀想なお父さんは、この絵本を読みながら、こんなこともしたよね、あんなこともしたよね、って懐かしくって仕方がない。
 それで、つい、「孫ができたら、俺が遊んでやる」みたいなことになるのでしょうが、お父さんの楽しみを奪わないように気をつけないといけません。
  
(2012/06/17 投稿)

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  さあ、「ナルニア国ものがたり」の土曜がやってきました。
  今日は第5巻めになる
  『馬と少年』。
  そろそろ、このあたりまで来ると
  あの巻よりこの巻が好きとか
  この話が一番面白いとか
  お気に入りがでてきそうだね。
  でも、最後の7巻まで
  その楽しみはとっておいた方がいいかな。
  「ナルニア国ものがたり」というのは
  主人公の子どもたちだけでなく
  脇役ともいえる
  準主役たちが面白いんだよね。
  これまでの話にも
  たくさんでてきたから
  すでにお気に入りがいるかも。
  今日のお話でも
  ものいう馬のブレーなんか
  いい個性だしてますよ。

  じゃあ、読もう。

馬と少年―ナルニア国ものがたり〈5〉 (岩波少年文庫)馬と少年―ナルニア国ものがたり〈5〉 (岩波少年文庫)
(2000/11/17)
C.S. ルイス

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sai.wingpen  あの四人のきょうだいにふたたび会えるよ                   

 すっかり「ナルニア国」のとりこになった子どもたちよ、「ナルニア国」のことならなんでも知りたいと思っていないかい。
 第五話となるこの『馬と少年』は、のちのナルニアでは伝説の話となるほどの勇敢な少年と少女、そして馬たちの話だ。
 時代は、そう、ペペンシー家の四人のきょうだい、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィたちが統治していた頃。それだけで、わくわくしてくるだろう。
 わからない子どもは最初の物語『ライオンと魔女』を読まないといけないね。
 でも、だいじょうぶ。もちろん、その他の話でもそうだけど、この「ナルニア国ものがたり」は、どの巻から読み始めても物語の面白さは変わらない。ただ順番に読んでいけば、小さなことの一つひとつが、そういえばここにつながっているのかと気づく楽しみがあるけどね。

 さて、子どもたちよ、「ナルニア国」もひとつの国であるから、周辺には色々な国があるんだよ。その中には「ナルニア国」のような生きとし生けるものたちが仲良くしている国ばかりではないんだ。
 そのひとつが戦好きのカロールメンという国。子どもたちの友達にもいるだろう、乱暴ですぐケンカしちゃう子。それで、弱い子を子分にしてえらそうにしている子。カロールメンという国がちょうどそんな感じ。
 その国の王子がまた悪いやつで、あの美しく気高いスーザン王女をお嫁さんにしようと狙っているんだ。(このお話で、あの四人のきょうだいに会える、しかもこの時の四人はナルニアの王、王女たちなんだ)

 そういう企みを知ったのが貧しい少年シャスタとカロールメンの少女アラビス。アラビスはカロールメンの子どもだけど、その国が嫌で脱走しようとしていたんだ。そして、ものをいう馬ブレーとフイン。
 彼らはしばしばケンカしながらも、いつのまにか(そして、それには偉大なライオンアスランの見えない助けもありましたが)勇気ある子どもたちに変わっていく。

 今回の話は「ナルニア国」にはいった人間の子どもたちの活躍というより、ファンタジーの国にいる子どもたちの成長物語だ。
どこの国の、どんな時代の子どもたちであっても、勇気と責任があれば成長する。そう、君だって。
 おそれることはないよ、子どもたち。偉大なライオンアスランはいつも、そこにいる。
  
(2012/06/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は少しいつもの感じではなく
  大人の物語。
  R-15かな。
  大石圭さんの『愛されすぎた女』。
  時々、こういう本の書評を書くと
  お叱りというか
  ご注意というか
  お小言というか
  もらったりするのですが
  まあ本にもいろいろなものがありますから
  時にはこういうものも
  いいのではないかと
  自分では思ったりしています。
  人だって
  この物語にでてくるような
  お金の欲望に取りつかれた人だっているだろうし
  官能にはまる人もいます。
  この本のタイトルではありませんが
  「過ぎる」ことのないように。

  じゃあ、読もう。

愛されすぎた女【徳間文庫】愛されすぎた女【徳間文庫】
(2012/03/02)
大石 圭

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sai.wingpen  愛の別名は、欲望。                   

 こういう女はやはり世の中にはいるものだろうか。
 かつてタレントを夢み、それに破れて30歳を迎えた女。かつて実家の近くの町工場で働くのを拒んだ女は、今派遣社員の身分でしかない。
 だが、彼女はまだ美しく、スタイルはよかった。ただ、残り時間は少なかった。
 女の名前は、三浦加奈。「愛されすぎた女」となる、この物語の主人公である。

 こういう男はやはり世の中にはいるものだろうか。
 かつて貧しい生活をしながらもようやく自立して事業が成功を収める。今や年収は億単位。しかも目元涼しく、上背もある。まだ30代なかば。
 ただ、彼には四度の離婚経験があった。それもすべてが短期間で。
 男の名前は、岩崎一郎。「愛しすぎる男」は、次第にその本性を現していく。

 こんな二人はある高級結婚紹介所を介して出会ってしまう。
 加奈は岩崎の四度の離婚に疑問を抱きながらも、岩崎のお金に強く惹かれる。金と時間をもてあます、あこがれの有閑マダム。たちまち加奈は岩崎の求婚をうけいれる。異常ともいえる性行為と首に架せられた鋼鉄製のチョーカーとともに。
 岩崎の異常な行為は結婚後もさらにエスカレートする。ようやく加奈も夫となった男の正体に気づきはじめる。そして、三番目と四番目の妻たちの不審な死を知ることになる。

 ここには愛のひとかけらも存在しない。
 但し、その愛を相手を思いやる気持ちと限定すればといえる。
 加奈は岩崎のお金を愛したし、求めた。岩崎は女という体を愛したし、求めた。それが愛とすれば、この物語は愛に満ちている。
 そして、ほとんどの愛が潰えるように、この物語の愛も消える。血の匂いを残して。

 このような愛はやはり世の中にはあるものだろうか。
 愛の別名は、欲望。
  
(2012/06/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  日々の穴ぼこに落っこちて
  久しぶりに藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』を
  読んでみようと
  本箱からひっぱりだした。
  最初『三屋清左衛門残日録』を読んだのは
  いくつだったか。
  十年以上前になるだろうか。
  それから
  間違いなく自分自身も
  残日の時間に近づいているはずだが
  この物語の主人公三屋清左衛門のような
  生き方ができるかどうか。
  書評にも書きましたが
  余生をどう生きるかどうか
  それはマメに動くことが
  大事なのかもしれませんね。
  だから、余生にはいる前に
  そんな訓練も必要なんだと思います。
  日々の穴ぼこでうろうろしている場合では
  ないんだけど、な。

  じゃあ、読もう。

三屋清左衛門残日録 (文春文庫)三屋清左衛門残日録 (文春文庫)
(1992/09)
藤沢 周平

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sai.wingpen  定年後を生き抜くヒントをさぐる                   

 三屋清左衛門が息子又四郎に家督を譲り隠居生活に入ったのは、五二、三歳の頃であったと思われる。
 用人という藩の重要な役職を退き隠居を考えるようになったのは妻が病死した後であるから、気弱にもなっていたし、勤めの疲れもあっただろう。
 それにしても、現在の感覚でいえば、若い。若すぎる。
 今は六〇歳定年制も延長するところが多くなっている。清左衛門のように五十代前半での隠居など経済的にも許されるはずはない。
 ただ、平均寿命もこの物語が書かれた江戸の時代とは大きく異なっているだろうから、清左衛門の隠居も現在の年齢に直せば六〇歳を超えるのかもしれない。

 清左衛門は勤めを退いて何かしたかったというわけではない。悠々自適の晩年を過ぎしたいと切望していた。
 彼が望む悠々自適とは一種の開放感であったが、気がつけば世間から隔絶された気分に満ちている。
 これは清左衛門だけのことではない。
 現代においても多くの男たちは定年後そういう気分を味わうというし、実際そのようだ。藤沢周平の描く、この連作長編が今でも多くの読者を得ている秘密はそこにある。
 「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」と自らの日記に「残日録」と記した清左衛門の生き方に、己の定年後のヒントを得ようというのだ。

 実際清左衛門は隠居生活の空白感を「新しい暮らしと習慣で埋めて行くしかない」と心定める。それが釣りであり、若い時に投げ出した学問や剣術であった。
 つまり、趣味と学問のおさらいである。それと散歩。物語の中で清左衛門は実によく歩いている。まめに人と交わり、お節介を焼き、首をつっこんでいる。
 「新しい暮らしと習慣」の中で、清左衛門は実にまめなのである。そのあたりに、定年後を生き抜くヒントがあるような気がする。

 物語の最後、中風で倒れた友人が歩く習練をする姿を見て、清左衛門は「人間はそうあるべき」と確固として思う。「いよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽して生き抜かねばならぬ」と。
 藤沢周平の書きたかったことはここに尽きる。
 まだ昏れるには早すぎる。
  
(2012/06/14 投稿)

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  大変お待たせしました。
  誰も待っていない?
  でも、一人くらいいるんじゃないかな。
  いませんか?
  東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズ
  書評を待っていた人は。
  あれえ、いない?
  おかしいなぁ。
  でも、構いません。
  それでも、今日は最新刊『アンパンの丸かじり』を
  紹介しちゃいます。
  私はアンパン好きです。
  そういえば、
  少し前に子どもの朝食は
  ご飯派よりパン派が上回ったという
  ニュースがありましたね。
  私も朝はパン。
  でも、残念ながら
  アンパンではありません。

  じゃあ、読もう。

アンパンの丸かじり (丸かじりシリーズ 34)アンパンの丸かじり (丸かじりシリーズ 34)
(2012/03/16)
東海林さだお

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sai.wingpen  興味の「丸かじり」                   

 アンパンの嫌いな人に会ったことがない。
 そもそもそんな人、世の中にいるのだろうか。
 東海林さだおさんもアンパンの人柄(あ、これパンですが)について「いくら眺めていても心は穏やか」と絶賛している。その分、「つまらない」とも言っているが。
 でも、人間って(あ、パンですが)「つまらない」と言われているくらいが丁度いい。とんがった人生はそれはそれで面白いでしょうが、無事これ名馬(あ、パンですが)というくらいですから。

 ところで、今や日本のご長寿エッセイとなった東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズですが、34巻にしてようやく「アンパン」の登場です。「
 丸かじり」とはいっても、アンパンを丸かじりはなかなか難しくて、まあ三口は必要でしょうね。
 まず、最初の一口で、食べるぞと気合をいれてパクッ。これで、中の餡に遭遇しなかったら、これは怒る。これはアンパンとはいわない。
 次の二口で、餡のまろやかさに満足する。
 ここはこし餡派、つぶ餡派に分かれるところですが、時々後悔するのもこの二口め。
 そして、最後の三口め。余韻を楽しむところ。よく鯛焼きなんかでしっぱまで餡があるかないかといった浅ましい議論が伯仲するが、人柄(あ、これパンですが)温厚なアンパンに関してはけっしてそのようなことはない。あくまでも余韻の三口め。

 ところが、このアンパンを「丸かじり」している人物を東海林さだおさんは見つけてしまったんです。
 そのはしたなくも勇気ある男性は、アンパンをニギニギ握りしめていたというではありませんか。ううむ、やるなおぬし。
 餡こはどうなる? 片手でいいのか? 手の脂は隠し味か? その他諸々の問題はあるでしょうが、その実際は本書をとくとご覧あれ。東海林さだおさんの絶妙なイラストつきです。

 そのほか、この巻には高級缶詰カニ缶、なつかしのハムサラダ、じゃがいも君の性格、カラシと日本人の本格論考? などぎっしり。
 また雑誌への連載期間が東日本大震災をはさんでいることで、さてさてショージ君はどんな日々を活写しているかそれも興味の「丸かじり」です。
  
(2012/06/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今回の「芥川賞を読む」は
  日本語を母語にしない外国人作家の受賞ということで
  話題になった
  楊 逸さんの『時が滲む朝』です。
  受賞の時から
  気になっていた作品だったのですが
  ようやく読むことができました。
  本というのも
  時にそういうタイミングというのがあって
  機会を逃すと
  読み逃すこともあります。
  だから、本当は読みたい時に
  読むのが一番。
  食べたい時に食べるのも一番。
  会いたい時に会うのも一番。
  でも、
  それもなかなかうまくいかない時があって
  人生そううまくいきません。

  じゃあ、読もう。

時が滲む朝 (文春文庫)時が滲む朝 (文春文庫)
(2011/02/10)
楊 逸

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sai.wingpen  歌が静かに滲みでて                   

 第139回芥川賞受賞作(2008年)。長い芥川賞の歴史にあって、初めて日本語を母語としない外国人作家の受賞とあって、話題になった作品である。
 扱っている題材も、1989年の中国民主化運動天安門事件にいたる若者たちの熱気と、そのあとの北京五輪に至る近代化の波にさまよう者たちを描いて、従来のこの賞にはないスケールを感じる。
 ただ、この回の選考委員の何人かから注文がついたように、物語の文章としては稚拙な感じが否めない。そもそもこの賞にはそういった日本語の巧さが受賞の可否に影響するところがあって、時には取るに足らない主題であっても文章のうまさでもって受賞作としてきたこともある。
 その中で、池澤夏樹さんの「よい作品を書きそうな手にペンを手渡して、次へ進むように促す。授賞は、この人が書くものを我々はもっと読みたいという意思の表明である」という選評が、選考委員として、あるいは先輩作家としての暖かな感想であるように感じた。

 この作品のうまさは音楽の使われ方だと思う。
 前半部分、すなわち主人公たちが田舎の高校からあこがれの大学にはいってやがて民主化運動にのめりこんでいく際の、テレサ・テンの歌。それから二十年後へ物語が移行する際の、尾崎豊の「I LOVE YOU」。
 特に尾崎の歌はその歌の持っている力が巧みに使われ、後半部で二十年ぶりの友人との再会シーンにも切なく鳴りひびく。
 この作品にそれらの歌を使ったのは、作者のお手柄である。ただ、そういうことも含めて、「類型的な風俗小説」(宮本輝選考委員)となれば、これもあやうい選択だろうか。
 しかし、どのような過酷の時代であっても、あるいはそれはどこの国であっても、音楽はいつも私たちとともにある。それを使うことによって、あるひとつの時代や人々の時代に求める心が描けるのであれば、それに越したことはない。

 ただ、どのような短編あるいは中編にしろ、これだけの題材に取り組んだことは評価されていい。
 最近の受賞作があまりにも小さな作品になりつつある時、日本語を母としてこなかった作者がある意味警告を鳴らしている。
  
(2012/06/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から15ケ月経ちました。
  今回の震災は天災というだけでなく
  原発事故という人災を引き起こしたことで
  復興という道筋を
  とても困難なものにしています。
  いまだに自分たちの故郷に戻れない人々。
  多分私はその人たちの悲しみや悔しさの
  すべてをわかることは
  できないと思います。
  それでも、できうるかぎり
  私たちは被災された人々を
  支援し続けなければなりません。
  言葉にどれだけの力があるか
  わかりませんが
  あの日のことを忘れないためにも
  私たちはいつまでの
  語り継がなければないないと
  思います。
  今日は被災地の人たちが詠んだ
  俳句をまとめた
  『まんかいのさくらがみれてうれしいな』を
  紹介します。
  ちなみに表題ともなったこの句は
  岩手県山田町の11歳の少年のものです。

  じゃあ、読もう。

まんかいのさくらがみれてうれしいなまんかいのさくらがみれてうれしいな
(2012/04/25)
黛まどか

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sai.wingpen  悲しみを言葉で癒す                   

 俳句という文芸は花鳥風月を愛でるものというのが大方の人の思いであろう。先の東日本大震災のような大きな災害を前にして、俳句という文芸が有効であるのかわからなかった。あれほどの苦難と悲しみを前にして、どんな言葉を紡ぐというのか。時間という概念さえ押しやられて、人は季語と向きあえるのか。
 この本を読む前までは、常にそういう気持ちがあった。

 本書の冒頭に収められた「編者に届いた一通の手紙」に、そのことが杞憂であり、俳句もまた強い力をもって、苦難の人々の心を癒したことを知った。
 「震災当日を、私は勤務先の高校で迎えました」という文章で始まる、それは被災地岩手県宮古市に住む女性からの手紙だった。
 震災当日の不安な状況を綴りながらも、その人はこう記していた。「震災当夜、何も考えられない状況の中で、私は俳句を作っていました」と。

 人はどのような苦難や悲しみにあっても言葉を捨て去ることはできない。
 それがどんなに泣き言めいていようと、天を恨むものであっても、口から言葉として出るかぎり、生きていく証しである。
 この女性もまた、俳句というわずか十七文字の言葉の中に、暗闇の中で恐怖と悲しみに震える自身と避難者を描こうとしたのだろう。そのなんという強さであろう。
 彼女の句、それはおそらく震災から半年以上経った時のものであろうが、「被災者と呼ばるるままに秋白し」(小池美智子)は、すでに悲しみや恨みを通り越して、淡々と運命を受け入れた人の心情がよく詠まれている。

 本書には被災地の人たちの俳句が百二十余句収録されている。
 特に目立ったのが福島県南相馬市から寄せられた句だ。
 「原発忌この牛置いて逃げられず」(西内正浩)といったように、震災の翌日起こった福島原発の水素爆発の事実を忘れないために、「原発忌」という言葉を季語にしたいと提唱されているという。
 苦難のその日を忘れないために、人々が十七文字に込めた思いを、被災地から離れた私たちもまた忘れてはならないのだ。
  
(2012/06/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は遠足を描いた絵本を
  紹介します・
  穂高順也さん文、長谷川義史さん絵の
  『ぼくのえんそく』です。
  書評の中に書きましたが
  遠足にはおやつがつきものです。
  私の子どもの頃は
  中野のすこんぶというのが
  人気でしたね。
  あとはキャラメル。
  チョコレートは
  マーブルチョコとか。
  ガムはフウセンガム。
  どれもアニメのキャラクターとかついていました。
  遠足の前になると
  近所の友達と一緒に
  おやつを買いに行ったり。
  そういうことが楽しかった、
  やっぱり子どもっていいな。

  じゃあ、読もう。

ぼくのえんそく (カラフルえほん)ぼくのえんそく (カラフルえほん)
(2005/10)
穂高 順也

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sai.wingpen  あした、天気にしておくれ                   

 最後にてるてる坊主を作ったのはいつだろう? 
 子どもたちが小さい頃、一緒になってこしらえたような気がしますが、子どもたちも大きくなってそれもなくなりました。
 まして、「明日、天気にしておくれ」なんていうこともなくなって、それはよくよく考えれば、天気になってほしいくらいの楽しいことがなくなったせいかもしれません。

 子どもの頃にはそれでも明日天気になってほしいと思うことはありました。
 そのひとつが遠足。低学年の頃は歩いていける、学校の近くの公園だとかでしたが、学年があがるとバスで少し遠出。
 遠足の何が楽しみかというと、おやつを持っていけることとお弁当。
 おやつは持っていける上限の金額が決まっていて、それでもこっそりそれ以上もってくるクラスメイトがいたりしました。私が子どもの頃は、今みたいにお菓子の種類もたくさんありませんでしたが、それでも楽しみでした。
 それとお弁当は卵焼きにタコのウインナーぐらいのごちそうでしたが、それでもうれしかったし、何よりおいしかった。
 そんな気持ちは、何十年経っても、時代が変わっても、子どもの気持ちとしては同じだと思います。

 この絵本の「ぼく」も遠足を楽しみにしていました。でも、かぜをひいて、遠足どころではありません。それでも、みんなと一緒に遠足に行きたいという気持ちだけつのります。
 そうしたら、どうでしょう。
 「ぼく」の気持ちだけが「にゅっ」と身体から抜け出して、みんなの遠足に追いつこうとします。ついでに、ねこの気持ちとかジュースの気持ちも連れていきます。
 すると、途中で雨ぐもが泣いています。遠足には雨ぐもは嫌われますからね。だから、「ぼく」の気持ちはかわいそうな雨ぐもも遠足に連れていくことにしました。
 大丈夫かな。

 遠足に行きたい子どもの気持ちが素直に描かれた作品です。
 そういえば、遠足で誰とお弁当を食べるかも重要な問題でした。
 できたら、大好きなあの子とそばで食べたいんだけど、と思いながら、そんなこと、絶対にありませんでした。
  
(2012/06/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  土曜の楽しみ、
  今週も「ナルニア国ものがたり」の紹介です。
  今日はその第4話。
  『銀のいす』。
  「ナルニア国ものがたり」は全7話ですから、
  ようやく半分を越えたところ。
  でも、「ナルニア国ものがたり」の書名って
  ぶっきらぼうだよね。
  初めの話が『ライオンと魔女』。
  今回が『銀のいす』。
  どうも、演出効果がないというか、
  もし現代の作家なら
  「地底魔女の秘密の基地」とか
  「巨人VS魔女VS子どもたち」とか
  あまりパッとしないけど
  そういう即想像できるタイトルつけると
  思うけどな。
  でも、今回の話はとても大切なことが
  書かれているから、
  読みのがしのないように。

  じゃあ、読もう。

銀のいす―ナルニア国ものがたり〈4〉 (岩波少年文庫)銀のいす―ナルニア国ものがたり〈4〉 (岩波少年文庫)
(2000/06/16)
C.S. ルイス

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sai.wingpen  心にある国をめざして                   

 子どもたちよ、もうすっかり「ナルニア国」にはなじんだかい。
 さあ、今回も新しい冒険だ。
 ところで、今回の道案内をしてくれるのは、三話めの『朝びらき丸東の海へ』で登場したユースチス(彼も最初はナルニア国なんて信じてなかったよね)と同級生のジルという女の子。
 どこの学校にもいると思うけど、かわいそうにジルは苛めにあって学校の裏で泣いていたんだ。そこに通りかかったのがユースチス。かわいそうなジルを励ますために、二人はナルニアに行くことを決めたんだ。
 だって、あの国には苛めなんかないものね。
 でも、よく思い出してごらん、子どもたちよ。
 かつてナルニアも悪い魔女や王様が支配していたこともあったよね。それを勇敢なライオンアスランと人間界からやってきた子どもたちの活躍で、そんなことのない国にしたんだよ。
 だったら、苛めがあっても勇気を出して戦えば、それもなくなるかもしれないよ。アスランがいなくても、みんなが力をあわせれば大丈夫じゃないかな。

 ところで、二人が着いたナルニア国は先の話から何十年も経っていました。そう若き王カスピアンもすっかり年をとられているんだ。
 それに、王の大切にしてた王子が行方不明で、実は魔女にさらわれた王子を助けるためにアスランが二人をナルニア国に呼んだというわけ。
 今回の冒険もハラハラドキドキだよ。
 おそろしい巨人族の国を通ったり、魔女のいる地底まで下りていったり。

 この魔女は第一話の白い魔女より手ごわいかもしれない。偉大なアスランさえ否定して、子どもたちに所詮は想像の産物、ナルニア国だって実際は存在しないって言い出すんだよ。
 子どもたちよ、きみたちはもう何度もナルニア国を訪問したから、それがないって信じる? でも、それは確かに物語の世界だから、存在しないっていわれたら、そうかもしれないし。
 特に大人の人たちはよくいうよね。「それは所詮物語だ」って。
 このお話の中でこんなことが書かれている。いいかい、よく聞くんだよ。
 「心につくりだしたものこそ、じっさいにあるものよりも、はるかに大切なものに思える」って。

 これはとても大切なこと。
 たぶん「ナルニア国」を愛する子どもたちならわかってもらえると思う。だって、「ナルニア国」こそ君たちの心にある国なんだから。
  
(2012/06/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日まで手塚治虫さんについての本を
  紹介しましたが
  その手塚治虫さんがあこがれたのが
  ウォルト・ディズニー
  今日紹介する
  『ウォルト・ディズニーの言葉 ~今、我々は夢がかなえられる世界に生きている~』は
  ウォルト・ディズニーの生誕110周年記念として
  出版されたものです。
  私が小さい頃、
  TVでディズニーの番組があって
  おぼろげな記憶で書くと、
  金曜夜の八時だったと思うのですが
  違うかもしれません。
  プロレス中継と週ごとに交互に
  放映されていたように思います。
  これも違うかもしれません。
  その冒頭で
  ウォルト・ディズニーが登場して
  何か、そう放映する内容か何かを
  しゃべるのです。
  そして、本編が始まる。
  昭和30年代の半ば頃でしょうか。
  その番組で観たのは
  まさに夢の世界。
  今よりもうんと胸おどる世界でした。
  そのウォルト・ディズニーが亡くなったのは
  1966年12月。
  昭和41年のことでした。

  じゃあ、読もう。
  
ウォルト・ディズニーの言葉 ~今、我々は夢がかなえられる世界に生きている~ウォルト・ディズニーの言葉 ~今、我々は夢がかなえられる世界に生きている~
(2012/02/29)
ウォルト・ディズニー

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sai.wingpen  魔法の言葉                   

 この本、世界の人気者ミッキーマウスの生みの親ウォルト・ディズニーの生前の言葉を収録した本、のエキスは表紙の装丁、きつい坂道を勢いよく駆け上るミッキーの姿に込められているような気がします。
 この絵のミッキーには勢いがあります。それでいて、その顔はけっして苦痛でゆがんだりしていません。むしろ、どことなく楽しそうです。きっと、この坂の上には何かとてつもない素晴らしいものがあるにちがいありません。
 それはたとえば、ミッキーがいつも見続けている夢のようなもの。
 ウォルトはこう云っています。「物事をスタートさせる方法は、口ではなく手を動かすことだ」と。
 まさに、この表紙のミッキーがそうではないでしょうか。

 ウォルト・ディズニーは1901年12月5日にアメリカのシカゴに生まれました。
 子供の頃から絵が大好きな少年でした。そしてアニメーションをつくることを夢みるようになります。しかし、けっしてその道は平たんなものではありませんでした。そんな彼が失意の中で誕生したのが、生涯の友ミッキーマウスでした。
 1928年、ウォルトが27歳の春でした。
 そのことについて、彼はこんな言葉を残しています。
 「我々は決して忘れてはならない。すべての始まりが一匹のネズミだったということを」。
 企業などではよく「創業の精神」といいます。特に成功した企業においては慢心や奢りが横行します。そしていつの間にか、「創業の精神」を忘れてしまいます。
 ウォルトのこの言葉もそれに該当するでしょう。しかし、これにはそれ以上のものがあるような気がしてなりません。
 あの大きな夢の国、私たちを楽しませ、私たちに夢を見せてくれる、ディズニーランドの始まりもまた「一匹のネズミ」なのです。
 そのことを私たちも忘れてはいけません。

 この本は、「夢」「挑戦」「失敗」「仕事」「ディズニーランド」「人生」といったように6つの章に分かれて、それぞれにあったウォルトの言葉が散りばめられています。
 どの章であれ、彼の言葉は元気と勇気を与えてくれます。
 魔法の言葉に、あなたはどんな夢をみるでしょう。
  
(2012/06/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  『僕らが愛した手塚治虫≪激動編≫』で
  二階堂黎人さんのこのシリーズは
  終わっています。
  連載されていた「本の窓」という
  小学館のPR誌での連載が終わってからですが
  話がまだ途中ですから
  その続編をどうしても読みたいものです。
  さて、お気づきの人もいたかと思いますが、
  今回の三つの書評タイトルは
  テレビアニメ『鉄腕アトム』の主題歌の一節を
  使っています。
  谷川俊太郎さんの歌詞ですね。
  アトムは「科学の子」として
  誕生したロボットです。
  手塚治虫さんが
  『鉄腕アトム』を描いた頃
  科学とは人類を豊かにすることだったはずです。
  それが福島の原発事故など
  私たちの暮らしそのものを
  揺るがしています。
  私たちはもう一度
  アトムの原点に戻る必要が
  あるのかもしれません。

  じゃあ、読もう。
  
僕らが愛した手塚治虫≪激動編≫僕らが愛した手塚治虫≪激動編≫
(2012/01/24)
二階堂黎人

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sai.wingpen  街角に ららら                   

 JR山手線高田馬場駅の発車メロディは国産初のアニメとなった手塚治虫の『鉄腕アトム』の主題歌だ。朝日新聞土曜別刷り「be」の6月2日掲載「うたの旅人」は、谷川俊太郎作詞による『鉄腕アトム』だった。
 その記事の中で、手塚プロダクションの松谷社長はアトムのことを「国籍を感じさせないキャラクターで、ストーリーには普遍性がある。だから、時代を越えて世界中に受け入れられている」と語っている。
 「マンガの神様」手塚治虫が生涯に描いた原稿枚数は二十万枚だといわれている。それらが今なお愛されるのは、アトムに代表される普遍性だろう。
 それは人を愛する心といっていい。

 さて、シリーズ三巻めとなるこの巻では手塚治虫の復活の模様が描かれている。
 手塚治虫を天才だという人は多いが、手塚も何度もスランプに陥っている劇画全盛の中で少年マンガに苦悩していたのは第二巻に詳しいが、そんな手塚にとって最後のチャンスとなったのが「少年チャンピオン」掲載の『ブラック・ジャック』だった。
 当時編集部では長期連載は考えていなかったという。つまり、引退の花道のようにして用意されたのが、この作品だった。
 しかし、『ブラック・ジャック』は大人気となり、のちに手塚の代表作のひとつともなる。
 それはひとつの運命のようであったと思う。もし、この作品の掲載誌が「少年チャンピオン」でなかったらこれだけ大ヒットをしたかはわからない。当時(1973年)の「少年チャンピオン」には勢いがあった。そのあたりの漫画雑誌のことも本書では詳しく記されている。
 まさに手塚は「火の鳥」の如く、手塚治虫は復活したのである。

 推理作家二階堂黎人による個人的回想での手塚治虫評伝は、連載誌の都合で中断となっているようだから、現在のところ、この「≪激動編≫」で残念ながら中断されてしまう。
 だから、この巻はいささか駆け足のようになってしまっているが、1974年あたりまで話は進む。
 手塚が亡くなるのは89年だから、まだまだ名作と呼ばれる作品も多い。ぜひとも、続編の復活を願ってやまない。
  
(2012/06/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日につづいて
  二階堂黎人さんの『僕らが愛した手塚治虫』、
  今日はパート2です。
  書評にも書きましたが
  今回の本の中では
  「COM」というマンガ雑誌のことに
  多く触れています。
  私もその読者でしたから
  懐かしいというか
  もううれしくなってしまいます。
  ここで初めて
  手塚治虫さんの『火の鳥』を初めて
  体験しました。
  この雑誌からは多くの新人漫画家も輩出しています。
  特に話題になったのは
  宮谷一彦さん。
  繊細な作風で人気が高い漫画家でした。
  確か「COM」の増刊か何かで
  夫婦でヌードを掲載していたように思いますが
  どうも遠い記憶です。
  その頃、
  私はといえば太宰治永島慎二
  はまっていました。

  じゃあ、読もう。

僕らが愛した手塚治虫〈2〉僕らが愛した手塚治虫〈2〉
(2008/12)
二階堂 黎人

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sai.wingpen  耳をすませ ららら                   

 今、東京の世田谷文学館で開催されている「地上最大の手塚治虫展」で、作家北杜夫の所蔵によるマンガ雑誌「COM」が展示されている。
 「COM」それ自体懐かしいが、それをマンボウ先生の北杜夫も読んでいたかと思うと、うれしくなる。何しろ、この雑誌には手塚治虫の代表作ともいえる『火の鳥』が連載されていたのだから。
 推理作家二階堂黎人による個人的回想の「マンガの神様」手塚治虫評伝の第二巻めは、「COM」が出版されていた頃の1971年(昭和46年)あたりの手塚治虫と漫画事情が描かれている。

 マンガ雑誌「COM」は1966年12月に発売されている。「まんがエリートのためのまんが専門誌」というキャッチフレーズで、他のマンガ雑誌の差別化を図ろうとした。
 特に競争相手とみられたのは、白土三平の『カムイ伝』を有してした『ガロ』である。
 手塚治虫というマンガ家が負けず嫌いで常にライバルといわれる漫画家たちに嫉妬のような熱情を持っていたことは有名だが、この時も『カムイ伝』に対抗しようと、手塚は「COM」に『火の鳥』の連載を始めた。
 創刊当時の「COM」には青春漫画の教祖ともいえる永島慎二や石森章太郎の実験作『ジュン』などが掲載されていた(石森の『ジュン』に対しても手塚は嫉妬し、石森を怒らすということもあった)。
 マンガ雑誌の難しいところは読者層が毎年毎年あがっていくことである。例えば、小学生で『鉄腕アトム』に熱狂していた少年が中学高校になっても支持をするかといえば、そうはうまくいかない。まして世の中は劇画ブームとなり、手塚治虫の子どもっぽい絵柄は敬遠され始めていた。
 そのためにも、「COM」のような青年誌が必要となったし、『火の鳥』のような重厚な作品が求められた。実際私も高校生の頃には「COM」を買っていたし、永島慎二や真崎守に夢中になっていた。

 そういった漫画界にあって、手塚治虫は停滞の時期を迎える。
 実際、手塚は終わったという評判もあったという。そして、それは特に少年マンガでの作品で顕著になっていく。本巻には手塚の主要な発表の舞台だった「少年サンデー」での掲載作品についても記されているが、確かにほとんど記憶がない。
 図版も大きくなってさらに楽しみが増えたこの巻は、そういう意味でいえば、手塚治虫≪苦闘編≫ともいえる。
  
(2012/06/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、世田谷文学館で開催されている
  「地上最大の手塚治虫」展のことを書きましたが、
  今日から三日間連続で
  二階堂黎人さんの『僕らが愛した手塚治虫』シリーズを
  紹介したいと思います。
  このシリーズは
  たくさんの図版が収められていて
  見ていても楽しくなります。
  何しろ
  表紙からしてすごい。
  手塚治虫さんの本の数々がもういっぱい。
  さらには当時(昭和30年代)のメンコの写真とか
  もうたまりません。
  いやぁ、懐かしい。
  手塚治虫さんのマンガを読むために
  床屋さんに行った話など
  私の子どもの頃にも
  同じ思い出があります。
  手塚マンガであの頃にタイムスリップする感じ。
  たぶん、
  それぞれにそんな思い出があるのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

僕らが愛した手塚治虫僕らが愛した手塚治虫
(2006/11/25)
二階堂 黎人

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sai.wingpen  空をこえて ららら                   

 今、東京の世田谷文学館で「地上最大の手塚治虫展」が開催されている(7月1日まで)。
 「マンガの神様」と呼ばれた手塚治虫が亡くなってからすでに二十年以上経つが、こうして今でもその業績をたどる展覧会が開催され人気を集めているのは、私たちのように子どもの頃から手塚マンガに親しんできた人だけでなく、若い人たちもまたその魅力にひかれるのだと思う。
 手塚マンガはいつの時代であっても、勇気や愛を問い続けている証しだろう。

 本書は手塚マンガをこよなく愛した推理作家二階堂黎人さんの極めて個人的な回想録だ。
 だから本格的な手塚治虫論でもないし、退屈な漫画評論でもない。それでいて、読むのがとまらなくなるほど、面白いのだ。
 おそらくそれは二階堂さんと同世代の人に特にいえると思う。なぜなら、ここにいるのは二階堂少年だけでなく、あの頃マンガに夢中になったあなた自身だから。

 二階堂さんは1959年(昭和34年)東京に生まれた。この本の中でも何度も書かれているが、この年少年サンデーや少年マガジンなどのマンガ週刊誌が誕生した年でもある。
 まさしく「マンガ世代」の子どもである。
 そんな著者が手塚マンガを収集し始めたのが小学五年生というから並みの少年ではない。でも、世の中は広いもので、著者も驚くような手塚マンガマニアはまだたくさんいて、この本の面白さは著者だけでなく、そういったマニアたちが持っている図版がたくさん収められているところにもある。
 見ているだけで、その時代、昭和30年代や40年代にタイムスリップできるのだ。
 そういえば、手塚マンガの面白さは手塚の代表作『火の鳥』ではないが、過去から未来を自由に行き来できることもそのひとつといっていい。

 この巻(このシリーズはすでに三冊刊行されている)では、手塚の代表作『鉄腕アトム』が掲載されていた雑誌「少年」や初のTVアニメとなった『鉄腕アトム』のことなど、1970年頃あたりまでのことが、すべてそれを実際に読んで(見て)いた側から書かれている。その上で手塚マンガの特長や手塚の性格などが描かれていく。
 手塚治虫のファンだけでなく、マンガ少年たちにとっては、かつて夢中になって漫画を読んだあの頃を思い出すアルバムのような本である。
  
(2012/06/05 投稿)

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 先日、世田谷文学館
 「地上最大の手塚治虫展」を観に行ってきました。
 この文学館は以前「和田誠展」を観に行ったことがあります。
 色々といい企画をしている文学館です。

 そのパンフレットに今回の展示に関して
 こんな説明があります。

  手塚作品とはこれからの時代を生き抜くために手元に置くべき
  <文学>であると考えています。

 ね、いいでしょう。
 その心構えがいいですね。

 さて、さっそくはいるとしましょう。

 手塚1
 入り口には写真のように「鉄腕アトム」がお出迎えです。
 写真、少しボケてますね。すみません。
 実は反対側には「リボンの騎士」のサファイア姫が立っています。
 この展覧会では
 手塚治虫の代表作ともいえる作品、
 例えば「鉄腕アトム」とか「ジャングル大帝」とかをクローズアップするのではなく
 戦争体験として「アドルフに告ぐ」とか
 手塚治虫が得意としたスター・システムがうまくまとめられています。
 スター・システムというのは
 キャラクターがさまざまな作品に登場して
 役割を演じる手法で、
 黒澤明作品でもよく取られた方法です。

 手塚作品で代表的なといえば
 アセチレン・ランプ
 後頭部にろうそくをたてている人。
 ハム・エッグというのもいましたね。
 二人とも悪人役で
 手塚作品には多く登場しています。
 ヒゲオヤジもそうです。
 「ジャングル大帝」にも出てくるし「鉄腕アトム」にも出ています。
 正義の熱血漢という役どころ。
 手塚マンガを楽しむには
 こういった役者? たちを探すのもいいですね。

 もちろん代表作である「火の鳥」や「ブラックジャック」の
 直筆原稿も多数展示されています。
 最後のコーナーでは
 講談社の「手塚治虫文庫全集」200巻がどんと
 並べられていて
 自由に読むことができます。
 なんと贅沢。
 私は、手塚治虫が小学館の学年誌に発表した
 「ロップくん」を見て
 懐かしさでジーンとしました。

手塚2 帰りに
 展覧会の図録を1200円でゲット。
 これがまたいいんだなぁ。
 この「地上最大の手塚治虫展」は
 入場料800円で
 7月1日までの開催となっています。

 ところで、この世田谷文学館では
 次回7月21日から
 「宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展」を開催。
 これも行かなきゃ。

 

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は塾の絵本を紹介します。
  大丈夫。
  楽しい熟ですから。
  浜田桂子さんの『おやおやじゅくへようこそ』という
  絵本を紹介します。
  私が子供の頃は塾なんかなかったですね。
  もう50年近く前ですが。
  中学生になって
  近所に住む大学生のところに
  習いに行きました。
  近所の子と何人かで。
  それが土曜日の夜だったもので
  『巨人の星』のテレビアニメが見れなくて
  つらかったことを
  覚えています。
  あんまし成績はあがりませんでしたね。

  じゃあ、読もう。

おやおやじゅくへようこそ (ポプラ社の絵本)おやおやじゅくへようこそ (ポプラ社の絵本)
(2012/03/16)
浜田桂子

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sai.wingpen  こんな塾いかがですか                   

 進学塾も、少子化とか過当競争とかで経営は厳しいようです。だから、次々と新しいサービスを始めなければなりません。
 この絵本の「おやおやじゅく」もそのひとつなのかしらん。
 「げっしゃ むりょう」だとか「せんせい やさしくて ゆうしゅう」だとか書かれた看板の前を数人の子どもたちが楽しそうに塾に向かっていきます。
 さて、「おやおやじゅく」ってどんな塾なのでしょう。

 表紙見返しに「にゅうじゅくのごあんない」が出ています。「ごきぼうされるかたは どなたでもはいれる」ですって。
 「おためしも だいかんげい!! てぶらでどうぞ」。
 いいじゃないですか、さっそく子どもを連れてこなくちゃ、なんてあわてないでください。
 なんと、「おやおやじゅく」は「ただし、こどものかた、ごえんりょください」なんです。
 そう、この塾はお父さんお母さんが通う塾なんです。しかも、先生は子ども。
 この塾で何を勉強するのかって。
 子どものお仕事や親のお仕事を学びます。トレーニングもドリルのテストもあります。
 さあ、お父さん、お母さん、しっかり勉強しましょうね。

 逆転の発想で子どもと親との関係を描いた浜田桂子さんの、楽しい絵本です。
 子どものお仕事っていわれてもなかなかわからないもの。この塾ではその点もしっかり教えてくれます。たとえば、おしっこをもらしちゃった子ども。これは「しっぱいする」というお仕事をしたんだそうです。
 こんな時、あなたが親ならなんと声をかけますか? これはドリルのテストにも出題されていますから、しっかり勉強してください。
 昔は大家族で暮らしていましたから、子育てもおばあちゃんとかおじいちゃんの話もたくさん聞けたのですが、今はなかなかそういうわけにはいきません。
 じゃあ、どうしたらいいのかというと、この絵本に描いているように、子どもに訊くのが案外いいのかもしれません。
 そういうことも教えてくれる、「おやおやじゅく」はいい塾なんです。
 さっそく入塾手続きをしてみては、いかがですか。
  
(2012/06/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  お待ちかね、
  「ナルニア国ものがたり」の第三話
  『朝びらき丸東の海へ』を
  紹介します。
  今回の冒険は
  海。
  しかも竜がでてきたり
  目にみえない生き物が登場したりと
  色々なタイプのおかしなものたちが
  次々と現れます。
  子どもたちとの知恵くらべって
  ところです。
  島々をまわるので
  短編物語を読むふうでもありますから
  子どもたちにとっては
  読みやすいのではないでしょうか。
  でも、
  海というのは色々な冒険小説の舞台になりますね。
  表情が豊かなこと、
  その先が未知であること、
  常に子どもったいにとっては
  わくわくする世界です。

  じゃあ、読もう。
  
朝びらき丸東の海へ―ナルニア国ものがたり〈3〉 (岩波少年文庫)朝びらき丸東の海へ―ナルニア国ものがたり〈3〉 (岩波少年文庫)
(2000/06/16)
C.S. ルイス

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sai.wingpen  海はどこまでもひろがっている                  

 子どもたちよ、先の冒険のお話を覚えているかい。
 ペペンシー家の四人のきょうだい、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィ、がテルマール人たちが「ナルニア国」を治めていた時代、正しい王子カスピアンが悪い王と戦う冒険の物語だよ。
 二巻めの最後でピーターとスーザンはもうナルニア国へ戻ることはないって勇敢なライオンアスランに告げられたことも覚えているかい。大きくなった者は、「ナルニア」には行けないんだ。
 でも、物語の世界は大丈夫。大人だって誰だって、ナルニア国に行くことはできる。
 ただし、正しい心、勇気ある心、がある人だけ。

 というわけで、この三巻めはペペンシー家のエドマンドとルーシィがナルニアに戻ることになるのだが、ここにもう一人やっかいな人物がついていくことになる。
 それが、彼らのいとこユースチスだ。この男の子といったら、ペペンシー家のきょうだいたちが話すナルニア国のことなんかちっとも信用しない子どもなんだ。
 でも、あんまりユースチスのことを悪くいわない方がいい。だって、誰だってナルニア国の話なんて嘘っぱちだと思うもの。
 第一巻めの『ライオンと魔女』の冒頭でも、ルーシィの話をほかの三人のきょうだいは信用しなかった。だから、一概にユースチスのことを責められない。その人が信用できるかどうか。信用できるんだったら、ナルニア国だって存在するってことさ。

 さて、彼ら三人がたどりついたナルニア国は二巻めの冒険から数年経った頃。つまり、あのカスピアン王子や小さな騎士ねずみのリーピチープにも再会できる。もちろん、勇敢なライオンアスランにも。
 さあ、子どもたちよ、今度は海の冒険なんだ。
 船酔いは大丈夫? 強がらなくても、ユースチスはすっかり弱っている。
 何しろ、昔の話だから、船といってもとっても小さい。だから、大きな嵐が来たら、大変なんだ。しかも、カスピアン王子たちが向かうところは不思議なところばかり。真っ暗な島だとか姿の見えないものたちがいる島だとか。
 今までの冒険は悪と戦う構図だったけど、今回はさまざまな冒険が楽しめるようになっている。
 試されるのは、勇気。

 さあ、子どもたちよ、三人の子どもたちとともに新しい冒険を楽しんでおいで。
 海はどこまでもひろがっている。
 さらなる冒険は、まだまだこれから。
  
(2012/06/02 投稿)

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  今日から6月
  紫陽花(あじさい)のきれいな季節になります。

   赤門は古し紫陽花も古き藍  山口青邨

  本格的な梅雨、そして夏。
  5月をひどい月として過ごしてしまいましたから
  なんとか月変わりで
  気分も一新したいところ。
  月日を重ね
  季節はめぐり
  年を過ごしていくわけですが
  人はそれでも
  何かを残していけるものでしょうか。
  今日は
  「精選女性随筆集」の四巻め
  『有吉佐和子・岡本かの子』集なのですが
  有吉佐和子という作家は
  人気作家でしたが、
  53歳で亡くなっていることに
  今さら驚きを感じます。
  それと比較することもないでしょうが
  それにしてもと、
  ただ吐息です。

  じゃあ、読もう。

有吉佐和子・岡本かの子 (精選女性随筆集)有吉佐和子・岡本かの子 (精選女性随筆集)
(2012/04)
有吉 佐和子、岡本 かの子 他

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sai.wingpen  有吉佐和子は岡本かの子の何に魅かれたのか                   

 川上弘美さんと小池真理子さんという現代の女性作家二人の選による「精選女性随筆集」の第四巻は、川上さん選の「有吉佐和子・岡本かの子」集である。
 ところが、有吉佐和子と岡本かの子の二人の選択にはどうも違和感が伴う。
 それは選者である川上さんも認めていて、序文となる自身の文章に「育った時代も作風もずいぶん違う二人」であることを認めている。
 それでも、ただ一つ生前有吉佐和子が岡本かの子の息子との対談で、「小説を書く発端は、かの子の文学との出会いだった」という言葉をヒントにして、この二人を並べている。
 そして、川上弘美さんは「一見遠く離れているようで、かの子と有吉佐和子の精神の中には、じつはたいそう響きあうものがあったのではないか」と、想像したそうだ。
 ただ、本書に収録されている作品だけでは、「響き合う」ものがあったかどうかはわからない。おそらく有吉は自分にない岡本の奔放さに強く惹かれたのではないだろうか。

 その有吉佐和子であるが、このシリーズが「随筆集」と銘うたれているにも関わらず、収録量のほとんどをニューギニア紀行などのルポタージュにあてられている。
 これは有吉の作品の中で随筆などが極端に少ないせいでもある。有吉はその人気作品の群をみればわかるとおり、長編小説の執筆に精力をそそいでいたためだ。そのあたりも、有吉の優等生的な性格が読み取れる。
 そのルポタージュであるが、これがめっぽう面白いのだ。
 「女二人のニューギニア」という作品の抄収録ながら、有吉がニューギニアのジャングルでの悪戦苦闘ぶりが実に軽妙に描かれている。
 こういうユーモアをかつて老人問題や汚染問題といった重いテーマを描いた有吉が持っていたことに驚きさえ感じる。

 一方、岡本かの子もヨーロッパに留学中の太郎に宛てた手紙など随筆とは呼べないものも収録されているが、女流文学者としての草分けとなるほどだから、その生命力の強さをひしひしと感じる。
 現代は「女流」という言い方をしなくなったが、常にそう呼ばれつづけた者として、岡本かの子の強さが必要だったに違いあるまい。

 そういう先人としての岡本かの子を、作家であろうとした有吉佐和子は追いかけつづけたのではないだろうか。
  
(2012/06/01 投稿)

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