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プレゼント 書評こぼれ話

  「向田邦子全集・新装版」を
  毎月順に読んでいるわけですが
  今回は小説としては最後の巻になる
  『寺内貫太郎一家』です。
  書評にも書きましたが、
  これはもともとTVドラマの脚本として
  書かれたものです。
  たぶんドラマが好評だったので
  小説の形にしたのだと思います。

寺内貫太郎一家 DVD-BOX 1寺内貫太郎一家 DVD-BOX 1
(2006/02/24)
小林亜星、加藤治子 他

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  ドラマでは主人公の貫太郎を小林亜星
  その妻を加藤治子、長女を梶芽衣子、長男を西城秀樹
  演じていました。
  ドラマの中で暴れすぎて
  西城秀樹が本当に骨折したという裏話も
  残っています。
  私もこの番組はよく見ていました。
  実験的な演出も
  見事な脚本も
  体当たり演技の役者たちも
  今ではなかなか味わえないドラマかも
  しれません。

  じゃあ、読もう。

向田邦子全集〈4〉小説4 寺内貫太郎一家向田邦子全集〈4〉小説4 寺内貫太郎一家
(2009/07)
向田 邦子

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sai.wingpen  失われた家族                   

 「向田邦子全集・新版」第四巻めは、向田邦子脚本でドラマ化された「寺内貫太郎一家」の小説版です。
 「寺内貫太郎一家」は、1974年(昭和49年)にTBS系列で放映され平均視聴率が30%を超えた人気ホームドラマだったということを知っている世代も今ではシニアと呼ばれる人たちかもしれません。
 演出は久世光彦。油の乗り切った向田との絶妙な関係と出演者たちの個性が成功の要因だったと思われます。
 それと、時代の風。

 昭和49年あたりから核家族と呼ばれる世帯が多くなってきたのではないでしょうか。それに抗するように、このドラマでは小林亜星扮する石屋の主人貫太郎をはじめ、家族が五人、それにお手伝いさんのミヨちゃんや通いの職人などがのべつまくなく諍いし、わめき、泣き、そしてホロリと賑やかなものです。
 家や家族というものが崩壊しかかっていた時代に、多くの人はこの作品からそれを求めていたともいえます。時代は少し遡りますが、「三丁目の夕日」に描かれた世界もそういうものでした。
 昭和という時代を振り返ってあの時代が良かったと感じるのは、家族の中でのコミュニケーション、近隣の人たちとの接点です。
 しかし、それを疎ましく感じるものがあの時代には残念ですが間違いなくありました。個人を優先する考え方です。
 やがてそれは孤独という、コミュニケーションを断絶した世界につながっていきます。

 向田はこの作品の主人公である貫太郎に自身の父親の姿を重ねています。昔の男といってもいいでしょう。
 照れながら怒り、怒りながら涙を流す。息子や妻への接し方は現代では「暴力」とみなされるかもしれませんが、貫太郎はそういう生き方しかできなかったのです。そんな彼を妻も息子も娘も温かな眼差しで見つめています。貫太郎の本質を見抜いているのです。
 それが正しかったのかどうかわかりませんが、時代が疎ましく感じるようになっていた家族の姿でした。
 向田の作品にでてくる家族は、理不尽な有り様を凌駕する心のふれあいを大切にしています。

 寺内貫太郎一家のような家族は今ではほとんど見られなくなっています。それでも、そんな家族を熱望する人たちも多くいます。
 そんな人たちがが時代を超え、向田邦子の人気を今も支えているのではないでしょうか。
  
(2012/07/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  5分というのは
  あなたにとって短いですか?
  それとも長いですか?
  まとめて何かするには短いかもしれませんね。
  でも、電車を待っている時間とか
  会議と会議の間なんかでは
  結構長く感じる時間でもあります。
  今日紹介するのは
  小宮一慶さんの『「読む」「書く」「考える」は5分でやりなさい!』。
  著者の小宮一慶さんには
  いつもいつも
  ていねいなコメントを頂いていて
  うれしい限りです。
  そういうことが
  また小宮一慶さんの本が出たら
  読んでみよう、
  いい書評を書こうという
  思いにさせてくれます。

  じゃあ、読もう。

「読む」「書く」「考える」は5分でやりなさい!「読む」「書く」「考える」は5分でやりなさい!
(2012/03/16)
小宮一慶

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sai.wingpen  朝一番にあなたは何をしますか                     

 時間は誰にでも等しくあります。
 Aさんが5分ならBさんも5分。その長さは同じです。ところが、仕事の量は決して同じではありません。その5分の間にAさんが一枚企画書を作成できても、Bさんが必ずしもできるとはかぎりません。
 しかし、そのできたAさんの企画書が読むに堪えないような内容であったらどうなるか。このあたりが仕事の悩ましいところです。
 経営コンサルタントの小宮一慶さんは、本書の中で「仕事は、良質なアウトプットがすべて」とまで言い切っています。
 この本は単なる時間管理術ではなく、良質なアウトプットを効率よく生み出す考え方を説明したものです。
 ここは間違ってはいけないのですが、小宮さんの本はけっしてハウツウものではないので、もちろんまったくそういった方法論がないわけではありませんが、考え方をきちんと理解することが大切になります。

 表題にあるように、小宮さんは「読む」「書く」「考える」をこの本のテーマにしていますが、この3つは以下の通りに区分されます。
 それは、「読む」と「考える」をインプット、「書く」をアウトプット、です。
 単に「書く力」を増すだけではどうにもなりません。求められているのは、短時間でこなすことだけでなく、良質なアウトプットなのですから。
 そのためにも、インプット、すなわち「読む」「考える」が大事だとわかります。

 実はそれ以前に大事なことがあります。本書ではそれを第1章にもってきています。それが、「スタートダッシュ力」です。
 小宮さんは、「仕事の遅い人は、スタートが遅い」といいます。そして、それを解決するための方法を本題にはいる前にきちんと説明しています。
 いくつか抜き出すと、「まず、手をつける」「準備をする」「早起きをする」「いらないものを捨てる」といった、特段難しいものではなく、仕事の基本となることばかりです。
 もしかすると、本書で一番大切なのは、この第1章かもしれません。

 この書評が良質なアウトプットになったかどうかわかりませんが、ちなみにここまで書くのに5分では終わりませんでした。反省しています。
  
(2012/07/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日の明け方
  ロンドンオリンピックの開会式をみました。
  昔の英国の田園風景をあしらった
  競技場内に一面の緑にはびっくりしました。
  セレモニーそのものが
  まるで舞台演劇を見ているようで
  すばらしかったですね。
  007のジョームズ・ボンドが
  エリザベス女王を競技場に連れていく演出や
  Mr.ビーンのコミカルな演技、
  それに大勢の子どもたちによる
  ファンタジーの世界など
  さすが英国と感心しました。

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  英国には
  ピーターパンに始まって
  ハリーポッターまで
  ファンタジーの系譜がきっちり流れています。
  妖精の国。
  今回のオリンピックでは
  どんな妖精たちが楽しませてくれるのでしょう。
  今日は、
  村上康成さんの
  『ピンクのいる山』という絵本を紹介します。

  じゃあ、読もう。

ピンクのいる山ピンクのいる山
(2000/07)
村上 康成

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sai.wingpen  自然にふれる絵本                   

 ピンクはヤマメの子どもです。ひれがピンク色をしているので、ピンク。
 ヤマメというのは一生を川で生活する川魚で、体長は20㎝ぐらいでしょうか、体の側面に小判型の斑紋模様があるのが特長です。漢字で書くと、「山女魚」です。

 彼らの大好物は小さな虫たち。ピンクもおなかがへって、カゲロウをぱっくんと一口。
 虫たちに罪はありませんが、自然界のそれはルール。食べていかないと生きていけません。
 それはピンクたちヤマメにとってもそうで、時には人間に釣られてしまいます。
 今日もおとなのヤマメは人間に釣られてしまいました。
 釣ったのは、怖い人? 悪い人? いいえ、やさしそうなおじいさん。孫の女の子と一緒に山に来ています。
 おじいちゃんが釣ったヤマメと女の子が集めた山菜で今夜はごちそうです。焚火を囲んでおじいちゃんと女の子はおなかいっぱいヤマメを堪能します。
 それが自然界。
 女の子のいる地上には星があふれんばかりです。

 自然派の絵本作家ともいわれる村上康成さんのやさしい絵はそういった自然の厳しさを日常のありふれた場面として描いています。そこには小難しい理屈も難解な批評もありません。
 おじいちゃんや女の子がただ「おいしい」とヤマメを食べ、ピンクが虫たちを食べるのは、むしろ当たり前のこと。
 山の木々が輝き、川の流れがきらめくのも、それは自然。むしろ、ヤマメが住まなくなったり山菜がとれなくなったりするほうがおかしいのです。村上さんはそのことをやさしく語っています。
 空白の白をうまく生かしながら、きれいな色の彩色。こういう絵本にであったら、山に行ってみたくなります。渓流をのぞくと、ピンクに出会えるでしょうか。
 子どもたちの想像はうんとひろがります。
  
(2012/07/29 投稿)

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  地井武男さんが亡くなって
  もうすぐ一ヶ月にあります。
  訃報に接した時には
  少しばかりびっくりしました。
  まだ70歳ですから若いですし、
  TVで見る地井武男さんはいつも若々しかったですし。
  今日紹介する『ちい散歩』のことは
  知りませんでした。
  訃報の中で
  そういう番組があり、人気が高かったと知りました。
  地井武男さんらしい番組だったんでしょうね。
  この本はブルーガイドムックとして
  出版されていますが
  散歩も小さな旅行ともいえます。
  ただ旅行よりももっと漠然としていますね。
  ぶらっと歩きたくなる本です。

  地井武男さんのご冥福をお祈りします。

  じゃあ、散歩しよう。

ちい散歩 (ブルーガイド・ムック)ちい散歩 (ブルーガイド・ムック)
(2007/01/09)
不明

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sai.wingpen  追悼・地井武男さん - 散歩はサプライズ                   

 散歩が苦手だ。
 そもそも歩くのがうまくない。歩くというのは基本的な行為だからうまい、へたがないように思いがちだが、絶対にあると思う。うまい人は歩く姿勢がいい。背筋と足幅の均整がよくとれている。だから、うまい人は歩いてもあまり疲れないのではないか。それこそ二、三時間は平気だろう。
 本書の著者、6月29日に亡くなった俳優地井武男さんは「もともと歩くのが大好き」と書いている。「十年以上ウォーキングをつづけていて、自分でもセミプロ級だと思っている」ぐらいだから、歩くのがうまかったのだろう。
 しかし、そんな地井さんだが、散歩の魅力は歩くことだけでなく「何が起こるかわからない」ことにあるという。
 それは人だけでなく、街角に咲いている花々であったり、偶然見つけたおいしいものであったりする。
 歩くことよりも発見すること、それが散歩の楽しみ方なのかもしれない。

 地井武男さんはそれほど派手な俳優ではなかった。もちろん、「北の国から」の中畑和夫役は地井さんの当たり役だが、すでに50歳を過ぎた私のような年代からすれば、日活の最後のニューアクションものでの活躍の方が印象に残っている。
 映画やドラマはともかくバラエティ番組では普段履きの姿が多くのファンの心をつかんだ。
 この本のもとになったTV番組「ちい散歩」はそんな地井さんの気さくな姿が好感を呼んだ。どこの街においても、様になった俳優だったといえる。

 本書では浅草、上野、巣鴨、湯島、神田、柴又、人形町といった東京の人情が残る22の散歩コースが紹介されている。人情が残るところには必ずおいしいものもあって、さしずめグルメ散歩ともいえる程名店がそろっている。
 しかし、本当は散歩にこの本は適さないかもしれない。地井さんがいうように散歩は「サプライズ」だとしたら、ガイドブックよりも自分の目と口と耳で体験した方が楽しいのではないかしらん。
 もちろん、地井さんが歩いた道をたずねるのも悪くはないが、地井さんが見つけられなかった味や風景を見つけるのもいいだろう。天国の地井さんもその方がうれしいのではないだろうか。
  
(2012/07/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

   いよいよロンドンオリンピック
  始まります。
  なでしこジャパン、男女の体操、
  競泳、やり投げ、そして陸上など
  皆さんが期待する競技、選手はさまざまでしょうが
  多くの人が活躍、笑顔、金メダルを
  楽しみにしていることだと思います。
  今回は時差の関係もあって
  ほとんど深夜での時間帯のようですから
  寝不足が続くかもしれません。
  私の楽しみの一つに
  今回どんなオリンピックレポートが届けられるのだろうと
  いうことがあります。
  4年前の北京オリンピック
  重松清さんのレポートを
  読みました。
  それが今日紹介する
  『加油(ジャアヨウ)……! 五輪の街から』です。
  4年前の蔵出し書評になります。
  けっこう重松清さんに批判的に書いていますが
  ファンからの熱い声援ということで
  お許し下さい。

  じゃあ、ロンドンオリンピックを楽しみましょう!

加油(ジャアヨウ)……! 五輪の街から (朝日新書 136)加油(ジャアヨウ)……! 五輪の街から (朝日新書 136)
(2008/10/10)
重松 清

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sai.wingpen  シゲマツさんの限界                   

 重松清という書き手は、嫌いではない。
 好きと嫌いを十度の目盛りでいえば、好きによった、六か七ぐらいだろうか。
 その重松がこの夏五輪に沸いた中国の街の表情をルポタージュしたのが、本書『加油(ジャアヨウ)…! 五輪の街から』である。
 重松自身が「これは旅行記でもなければ五輪観戦記でもない。オヤジの漫遊記である」と書いて(投げ出して?)いるが、「いまのオレは、ただの役立たずのダメオヤジである」という著者に付き合わされた読者の方が惨めになる。

 そもそも、そんなつもりだったはずはなかったにちがいない。
 「一党独裁国家が威信をかけて開催するオリンピックの―そして、それにまつわる報道の、隙間や塗り残しを探したいのだ」という気概で、さらにいえば開高健の名作『ずばり東京』(1964年)を意識しながら、朝日新聞という大新聞をバックに事前準備も重ね、勇躍北京に乗り込んだはずなのに、書かれた作品はちっとも面白くないのだ。
 北京入り直前の痛風の発症はお気の毒だが、むしろそれがあればこそまだ重松らしさが表現できたかと思えるくらいなのだ。
 要は、五輪は、北京は、重松の文体では表現できなかったということである。

 出版元の朝日新聞は重松に何を期待していたのだろうか。
 昭和39年の東京オリンピック当時の、日本の風景を意識しながら今の中国を描いてもらいたかったのだろうか。
 重松が得意とする親と子の原風景が残る街を描いてもらいたかったのだろうか。
 重松の数多くの作品は確かに感動をくれる。
 親と子、夫と妻、過ぎ去った日々、去った友。そういう関係性を巧みな文章力で装飾することで、読み手に忘れていた感情を喚起させてくれる。
 物語としてはそれでいい。
 しかし、重松の今回のルポタージュを読むかぎり、現在進行形で動いている街や人々を描くのは無理なのかもしれないと思えてしまう。
 あげくの果てに「好きにならせてくれよ、と思ったのだ。いまの中国で<勝ち組>候補になっている若者たちを少しでも好きになりたい。頼むぜ、と願ったのだ」とまで書かれると、重松好みの人にならないと書けないのだろうかとあ然とする。
 重松が好きになろうがケンカしようが、そんなことが今の北京に必要なのだろうか。
 つまり、重松清自身が自身の世界からはみ出せないでいる。これはどうしようもないことなのだ。
 重松の文体では<現在>は描けないのだ。
 人々の視線はいつも涙で潤っているわけではない。呆然と遠くを見ているわけではない。乾いていることもあるし、やけになっていることもある。
 日本的なものだけが正しいのでもない。
 「父ちゃん」と呼ぶことだけがいいのでもない。

 少なくとも、重松が本書の題名を『ずばり北京』にしなかったのは賢明であった。もっとも、安岡章太郎の、これも名作である『アメリカ感傷旅行』(1962年)にあやかるのもやめて欲しかったが。
 頑張らなければならないのは、著者自身だろう。
 加油! 重松清!
  
(2008/11/16 投稿)

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  新潮文庫版の
  庄司薫さんの「薫くん」シリーズは
  この『ぼくの大好きな青髭』が最終巻となります。
  『赤頭巾ちゃん気をつけて』に始まる
  この四部作といえば
  中央公論の定番的作品といえるもので
  それが新潮文庫で刊行されるのですから
  ここにも「あわや半世紀」という感慨があります。
  当時薫くんに夢中になった人たちの多くは
  もう50歳を越えていると思います。
  場合によっては定年を迎えた人もいるでしょう。
  当時作者の庄司薫さんの写真に誘発されて
  黒のとっくりセーター(こんな言い方も今ではしませんね)に
  身をつつんだ人もいるのでは。
  私もその一人。
  でも、今あんな恰好をしたら
  おなかぽっこりで見られたものではありません。
  そんなところにも
  「あわや半世紀」を感じます。

  じゃあ、読もう。

ぼくの大好きな青髭 (新潮文庫)ぼくの大好きな青髭 (新潮文庫)
(2012/05/28)
庄司 薫

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sai.wingpen  故きを温ねて、新しきを知る                   

 「思ってた程老けていないな」と、あわや半世紀前の自分がいう。「もっと年寄りじみているかと思ってた」
 あわや半世紀前の自分は50歳を超えて自分自身など想定すらできなかった。いや、結婚し子供もできなんていうそういう生活すら想像できなかった。あの頃は五年先のことすらまるでSF小説のような感じだった。
 庄司薫の芥川賞受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』に始まる「薫くんシリーズ」四部作は本作をもって完結する。
 最後の作品となったこの作品の舞台は、1969年7月20日。東大の入試中止で浪人となった薫くんの熱い夏の一日を描く。

 四部作の執筆経緯は、この作品の新潮文庫版の坪内祐三の解説に詳しいが(その点では書誌的に「薫くん」シリーズを端的にまとめたいい解説である)、こうして四部作を読んでいくと「薫くん」シリーズはかなり風俗小説的であったことがわかる。
 特にこの四作めの「青」は当時の新宿の熱気がうまく描かれている。もちろん、新宿は今でも活気に溢れた街であるには違いないが、その熱気の質がまったく違うように感じる。
 それはこの作品の中で「なんていうのかしら、この新宿という場所が一つの大きな磁石みたいなものになっていて」と表現されているが、磁力の力の差とでもいえばいいのだろうか。でも、それってあわや半世紀前の自分がいうように「もっと年寄りじみた」街にはなっていないが、あの頃のあやうさも少なくなっているともいえる。

 この作品ではそういった新宿の街そのものが持っていた坩堝の中であのお行儀のいい薫くんが自殺未遂を起こした友人のために右往左往するのだが、あわや半世紀ぶりに読み返してみたが、青髭なるものの正体をすっかり忘れていたことに愕然とした。
 あわや半世紀前の自分は青髭の正体にかなり、というかすっかりまいって涙ぐみそうになったんじゃなかったっけ。そういう感じが、やはりなくなっているのは、庄司薫のせいではもちろん、ない。

 最初の刊行からあわや半世紀になるわけだが、今の若者たちはこの作品をどう読むのだろうか。
 「思ってた程古臭くないよ」ぐらいはいうのかしらん。
  
(2012/07/26 投稿)

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  今年も節電の夏です。
  大飯原発の再稼働によって
  関西地区の節電率は引き下げられたようですが
  本当にこの時期再稼働は必要だったのでしょうか。
  東日本大震災直後、
  関東の人たちは計画停電に振り回されました。
  街から多くの明かりが消えました。
  それでも不平を言う人は
  少なかったように感じました。
  これくらいの辛抱は
  被災された東北の人に比べると
  当然だという気分がありました。
  辛抱はしたけれど
  さして不自由は感じなかったのではありませんか。
  それがいまでは
  すっかり明かりは戻りました。
  どうしてあのままにしなかったのでしょう。
  それでなくても
  温暖化などエネルギー問題は解決していません。
  今日紹介するのは
  たくきよしみつさんの『3・11後を生きるきみたちへ』という
  岩波ジュニア新書の一冊です。
  これは今回の福島原発の事故の問題や
  放射能の問題などをあつかっています。
  一人ひとりが
  これからのエネルギーも問題について
  考える。
  この夏はそのきっかけの夏だといえます。
  たまたま友人から書評の中にも書いた
  国会事故調を読んでみてはと勧められました。
  これは誰にでも読めます。
  興味のある方は、こちらから。

  じゃあ、読もう。

3・11後を生きるきみたちへ――福島からのメッセージ (岩波ジュニア新書)3・11後を生きるきみたちへ――福島からのメッセージ (岩波ジュニア新書)
(2012/04/21)
たくきよしみつ

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sai.wingpen  節電の夏に考える                   

 東日本大震災から1年余り経った7月5日、国会の原発事故調査委員会の最終報告書がまとまった。その中で事故は「自然災害ではなく明らかに人災」という結論が目をひいた。
 被災された福島の人たちにとっては今更ながらの結論であったかもしれないが、多くの国民にとっても納得のいくものではなかっただろうか。
 人災とは人間の不注意や怠慢によって引き起こされる災害をいうが、そこに傲慢という言葉を付け加えてもいいのかもしれない。もちろん、今回の場合は東電及び政府の傲慢ということだ。

 当時福島原発に詰めていた所長は「指揮命令系統がムチャクチャ」だったことを語っているが、今回のような世界的規模の大事故こそ指揮命令系統がしっかり機能すべきだが、それすらできなかったというのは危機管理の上の最も重要な機能が損なわれていたということになる。
 そういう有様を知ると、大飯原発の再稼働問題もどのような保証があるというのだろう。

 この本は岩波ジュニア新書の一冊として刊行された。つまり、青少年向けの本としての位置づけである。
 福島の原発事故が私たち大人の世代で終わるものではないこと、そしてこれからの原発のありかたを考えるものとして、子供たちがこの本にふれることは重要だろう。
 それ以上に大人たちは子供たちにしっかりと答えることが必要だと思う。今回の事故があるまで原発のことすら顧みなかった大人として、今それを考えることが子供たちへの世代につなげる事柄だろう。

 この本の著者は震災の時まで福島県川内村で暮らしていた。けっして原発や放射能の専門家ではない。しかし、原発事故のあと、信じられるのは自分自身だけとひたすら情報を得る。
 政府やマスコミを批判するだけでなく、自分の目で見たものだけが信用にたりうると、避難区域の住民たちの正のありようだけでなく負の姿も描いていく。
 ある一つの側面だけでは判断を誤る可能性はある。そのことを理解しないと、一方的な報道だけで判断してしまうのは危険だ。
 今回の原発事故でもし子供たちがそのことを理解するとすれば、それこそ未来につづく「福島からのメッセージ」になるのではないだろうか。
  
(2012/07/25 投稿)

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  7月21日の朝日新聞土曜別刷り「be」に
  「好きな直木賞作家は誰ですか」という
  ランキングが出ていました。
  1位になったのは
  今日紹介する東野圭吾さん。
  受賞作が『容疑者Xの献身』。
  大ベストセラーですし、
  映画にもなりましたから
  たくさんの人が知っている作品です。

容疑者Xの献身 スタンダード・エディション [DVD]容疑者Xの献身 スタンダード・エディション [DVD]
(2009/03/18)
福山雅治、柴咲コウ 他

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  ちなみに
  2位は宮部みゆきさん、3位が司馬遼太郎さん、
  そのあと、浅田次郎さん、五木寛之さんと
  続きます。
  このアンケートの回答者の平均年齢が53歳で
  その影響もあったかもしれないと
  記事では書いていますが
  若い書き手が上位にあまりきていません。
  私が気になる作家として
  向田邦子さんが9位、城山三郎さんが15位でした。
  こういう記事を読むと、
  ますます直木賞が面白くなります。

  じゃあ、読もう。

容疑者Xの献身容疑者Xの献身
(2005/08/25)
東野 圭吾

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sai.wingpen  愛と誠                   

 第134回直木賞受賞作(2005年)。
 今や人気絶頂の東野圭吾の、これが直木賞受賞作である。最近でも受賞は逃したものの「ミステリー界のアカデミー賞」ともいわれる米国エドガー賞の候補作にあがるなど、作品としての人気、評価ともに抜群である。
 推理小説には色々な形があるが、この作品は最初から犯人がわかっている倒叙という方法がとられている。私たちがよく知っている「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」は、この形式だ。
 その一方で、「ガリレオ探偵」シリーズのひとつでもあり、東野圭吾ファンであればおなじみの主人公物理学者の湯川学の活躍もはずせないわけだから、ファンとしては湯川が犯罪をどう解くのかに興味がかかる。

 本作では犯罪者は「ガリレオ」探偵湯川の大学時代の同級生という設定になっている。しかも、ただの同級生ではなく大学生の頃の湯川とその知識レベルにおいて優劣つけがたい男だ。
 「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらか難しいか」、湯川のこの言葉がこの物語全体を表現している。
 しかも、犯人がわかっていながら、警察もそして読者も大きな謎にはめられていく。その面白さは、選考委員の五木寛之が「推理小説として、ほとんど非のうちどころのない秀作である」と認めている。

 この時の選考会で渡辺淳一だけは「不満である」と反対している。
 その理由は人物造形がつくりものめいているというものだ。
 特に犯人である湯川の同級生に対し、リアリティがないとしている。私はこの男についてよりもこの男が愛した靖子という女性に魅力を感じなかった。男が自分の人生をかけてまで愛するにたる女性には見えなかった。もちろん、男にはそれなりの愛の理由はあるのだが。
 だから、映画化された作品の方がうんとわかりやすい。映画化では松雪泰子が靖子役を演じていた。

 とにかくも、この作品によって東野圭吾はその地位を不動のものにしたといえる。直木賞はなんとか時代に間に合ったといっていい。
  
(2012/07/24 投稿)

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  今日紹介する
  小宮一慶さんの『なぜ君は働くのか』は
  「松下幸之助 運命の言葉」という副題がついているように
  現在のパナソニックの創業者
  松下幸之助さんの言葉を多数紹介しながら
  小宮一慶さんのビジネス哲学を語った一冊です。
  この本の中に
  松下幸之助さんのこんな言葉が
  紹介されています。
  これを今回書評のタイトルにしました。

    自分には自分に与えられた道がある 道をひらく

  この言葉に小宮一慶さんは
  こんな文章をつけています。

    食べるためだけと思って働くのは、もったいないことです。
    仕事は自己実現の場ですし、世の中に貢献する場でもあるのです。

  仕事とは
  お金という側面も大事ですが
  それだけでは楽しくもありません。
  それが自己実現や社会のためになれば
  もっと意味がちがってきます。

  じゃあ、読もう。

なぜ君は働くのか 松下幸之助 運命の言葉なぜ君は働くのか 松下幸之助 運命の言葉
(2012/05/23)
小宮 一慶

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sai.wingpen  自分には自分に与えられた道がある                   

 著者の小宮一慶さんはもう何年も寝る前には必ず松下幸之助さんの金言集『道をひらく』を読んでいるそうです。
 『道をひらく』は見開き2ページずつの短い文章が収められた本ですから、少ない時は2ページ、多い時でも10ページくらいだそうです。寝る前にお酒を少し、という人は多いかもしれませんが、小宮さんの場合は松下幸之助さんを少しということです。
 それを何十年と続けているわけですから、全文にすると100回以上読んだそうです。寝る前の読書もこうまで徹底すると自分の身につきます。反復の読書の効果といっていいでしょう。
 しかも、それが松下幸之助さんの言葉ですから、まさに先人の、成功者の知恵といえます。それが一時の知識ではなく自分の知恵となって身につくのですから、現在の小宮さんを作り上げた大きな要素といってもいいと思います。

 松下幸之助さんといえば、現在の株式会社パナソニック(少し前までは松下電器産業という社名でした)の創業者です。戦前小さな家内工業からスタートし、戦後家電ブームにのって急成長しました。「経営の神様」と呼ばれるまでになっていきます。けれど、松下さんは一企業の利益だけでなく、企業とは社会的価値を高めるものだという哲学のもと晩年には松下政経塾を開校します。そして、いまやこの国の首相がその出身者となるほどです。
 働くというのは、たくさんの意味があります。もちろん、お金の面は否定できません。しかし、それ以上に大事なのは、それが社会的行為だということです。
 
 この本ではビジネスマンのさまざまな悩みに小宮さんが松下幸之助さんの言葉を引用しつつ答えるという体裁になっています。松下さんの本を熟読してきた小宮さんの文章にためらいはありません。先人の言葉、それを血肉とした人の言葉は、悩めるビジネスマンに元気をあたえること、間違いありません。
(2012/07/23投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  絵本作家の長谷川義史さんに
  『大阪うまいもんのうた』という作品があります。
  このブログでも紹介していますので
  まだ読んでいない方は、こちらから。
  その姉妹編ともいえるのが
  今日紹介する
  『東北んめえもんのうた』です。
  東北といっても
  全県網羅ではないのが
  いささか残念ですが
  長谷川義史さんの魅力満載の
  絵本であることは
  まちがいありません。
  絵本の中にも紹介されていますが
  福島名産の薄皮まんじゅうは
  一度はお土産で食べたことが
  あるのではないでしょうか。
  私も
  福島からの帰りにはよく買ってきました。
  本当は
  そんな薄皮まんじゅうを食べながら読むと
  一番いいのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

東北んめえもんのうた (クローバーえほんシリーズ)東北んめえもんのうた (クローバーえほんシリーズ)
(2012/03/15)
長谷川義史

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sai.wingpen  東北名物数々あれど                   

 仕事で福島に三年余りいたことがあります。
 その仕事の関係で福島、会津、山形、八戸にはしばしば足を運びました。当然、その途中駅である仙台や盛岡にも。
 東北にはうまいものがたくさんあります。
 この絵本でもたくさん紹介されていますが、念のためにいうならこの絵本では宮城、福島、岩手が紹介されていて残念ながら山形、青森、秋田ははいっていません、特においしいのはお酒ではないでしょうか。
 絵本の読者は子どもですから、残念ながらこの本の中ではお酒は紹介されていません。とても残念ですが。
 また食べ物以外にも東北には有名なものがたくさんあります。福島でいえば野口英世先生。福島会津の出身です。宮城といえばもちろん伊達政宗。岩手は「雨ニモマケズ」の宮沢賢治くん。そのほかにもたくさんあります。

 東北の人は無口だとよく言われます。特に私のように関西出身のものからすると歯がゆいというかイライラするというか、それほどに自分の主張をしません。
 例えば私のいた福島では福島の人は自分たちがあまり喋らないことを自覚しているのですが、それで自分を変えようとするかというと、それでも喋らない。不思議なものです。
 この絵本を描いたのは大阪出身の長谷川義史さんですが、長谷川さんの絵本には関西人特有のでしゃばりというか、出たがりの性分というか、そういうものがあります。
 なので、ページいっぱいにいろんなものを詰め込みます。表紙の絵を見るだけでそれがわかります。伊達政宗、野口英世、喜多方ラーメン、赤べこ、ずんだもち、楽天イーグルスまで書き込んでいます。おそらく東北出身の作家ならここまで描かないのではないでしょうか。

 それでも、東北の人の人情のあつさは素晴らしい。
 福島でも宮城でも岩手でも、はたまたこの絵本で紹介されていない山形、青森、秋田でも、みんなやさしい。それは私だけでなく、東北に暮した人、東北を旅した人の正直な感想でしょう。
 今回の東日本大震災で被災された東北の人々の姿がどれだけ日本中の感動を呼んだことか。あれが東北でなかったら、それはどこであっても悲しいことですが、また違ったふうであったと思います。

 この絵本を読んでいると、うすかわまんじゅうが食べたくなります。
 お酒好きは、実は甘党でもあります。
  
(2012/07/22 投稿)

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  今日紹介するのは
  小川洋子さんの『最果てアーケード』という
  連作短編集です。
  本屋さんでまず目をひいたのが
  この本の表紙絵を酒井駒子さんが
  描いているからでした。
  おや? っていう感じで
  手にしたら、
  小川洋子さんの新しい本だったというわけです。
  酒井駒子さんの絵も
  不思議なイメージですが
  これはこの作品から浮かんだものです。
  ちょっと大胆ですが。
  この作品自体が
  不思議な雰囲気をもっていて
  それを読ませる小川洋子さんの
  力を感じます。
  ちなみにこの作品は
  マンガの原作でもあります。

  じゃあ、読もう。

最果てアーケード最果てアーケード
(2012/06/20)
小川 洋子

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sai.wingpen  生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない                   

 「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない」。これは宮本輝の初期の名作『錦繍』にでてくる文章です。
 小川洋子の「世界で一番小さなアーケード」にある商店街を舞台にした連作短編集を読み終わって、ふとこの文章を思い出しました。
 この作品には死の匂いが濃く立ち込めています。
 一体この物語に登場する人たちは生者なのでしょうか、それとも死者なのでしょうか。あるいは、それは宮本輝がいうように、「もしかしたら同じこと」なのでしょうか。
 生きてある際どさ。死んである残酷。そういう深みをもったものが静かにゆらめいています。

 この小さなアーケードは「通路は狭く、所々敷石が欠け、ほんの十数メートル先はもう行き止まり」で、「誰にも気づかれないまま、何かの拍子にできた世界の窪み」のようでもあります。
 かつて映画館から出火した火災で街の半分が焼けてしまいましたが、そしてこの連作の主人公でもある「私」の父もその火事で死んでいます、
 このアーケードだけが焼けずに残りました。その後町は再開発されます。だから、余計にこのアーケードは「世界の窪み」となったのです。
 そもそもこのアーケードの下で営まれている商店は不思議なものばかりを扱っています。
 使い古しのレース、使用済みの絵葉書、義眼、徽章、ドアノブ、化石。いったいそんなものを誰が買うというのでしょう。
 そういう妖しさがこの物語の魅力でもありますが、そんな誰も振り向かないようなモノを求めて人が集まります。「私」の目を通して、彼らの様子が語られます。

 彼らが生きている者なのか死んでいる者なのかはわかりません。しかし、このアーケード街で扱われるモノがすでに死の匂いに包まれています。
 思い出。それらを求めている者たちを死者と呼んで不都合はないでしょう。生きたあかしとして、彼らはこのアーケードの中のモノを求めてくるのです。
 そういうことでいえば、ここに描かれた世界すべてが夢のようでもあります。生きているのが実体であるとすれば、ここには痕跡しかありません。
 人はもしかするといつだって生きた痕跡を求めて生き続けているような気さえしてくる、深く静かな作品です。
  
(2012/07/21 投稿)

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  昨日小宮一慶さんの
  『一番役立つ! ロジカルシンキング』という本を
  紹介しましたが
  人に物事を伝えるというのは
  なかなか難しいことです。
  しかも理解をしてもらわないといけませんので
  結構至難の業です。
  どうやって伝えればわかってもらえるのか、
  日々がんばるしかないでしょうが
  その一つの方法として
  ブログなどを活用し
  発信することを訓練することが
  あげられます。
  こうして私もブログを書いているわけですが
  それでも人にうまく伝えられているかどうかは
  おぼつきません。
  今日紹介する
  松山真之助さんの『30分の朝読書で人生は変わる』は
  朝 × 読書 × 伝える の意味を
  説いた本です。
  この本はできたら
  朝の時間に読むことをオススメします。
  もちろん、夜に読んでも
  効果は変わりませんが。

  じゃあ、読もう。  

30分の朝読書で人生は変わる30分の朝読書で人生は変わる
(2011/07/26)
松山 真之助

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sai.wingpen  始発電車は本好きでいっぱい?                   

 最近通勤電車の風景がすっかり変わってしまった。
 少し前なら新聞や本を読んでいる人が目についたものだが、スマートフォンが普及し、若い人はほとんど掌におさまった画面に熱中している。
 中には電子書籍で本を読んでいる人もいるだろうが、ほとんどの人はインターネットやツイッターではないだろうか。従来は家の中のものだったネット社会が外にまであふれている。
 そんな中で、私は今でも通勤電車読書派である。
 机に座っているよりも寝床でころんでいるよりも、通勤電車の中で読む本が気持ちいい。集中度が違う。
 この本は書名でもわかるように、朝の読書を薦めたものだが、朝の読書の場所としてはやはり通勤電車ということになるだろう。ただし、身動きのとれない過酷なラッシュでは本を開くスペースもないし、第一そんな中で本でも広げようものなら周りの人の顰蹙をかう。
 著者のように始発電車に乗って、というのも大変だが、少し時間を早めるだけで本を読む空間は確保できる。
 同じ時間をかけて会社に行くにしても、ほんのわずか早起きすれば、読書の時間は確実に確保できる。
 加えて、朝早くの出勤は仕事上のメリットも大きい、と著者はいう(この本は単に読書のススメというよりもビジネス心得として書かれた箇所が多い)。例えば人が出勤できるまでに仕事を片付けるといったように。

 では、仕事と読書はどう関係するのか。
 著者は本は思考を広げるツールだという。もちろん、すべての読書が仕事に直結するわけではない。小説などは娯楽としての要素も強い。しかし、本を読むことで頭を活性化させることは間違いない。先ほど書いたようにこの本ではビジネス心得的に書かれているが、読書の幅は広く、そして深い。

 ここまではビジネス本などにもよく書かれている内容だ。
 この本の特長は、「早起き」と「読書」、それに「伝える」を掛け合わせたところにある。
 著者は自身が早起きして読書した内容を初めは同僚や友人にメールで送っていたという。「伝える」という行為が加わることで、思考がさらに高まるといっていい。何故なら、人に伝えることは自分というフィルターを通して思考を整理することになるからだ。

 著者は「人生を変える扉」を開けるためには、行動こそが重要だと説く。その率、わずか0.3%らしいが、ここに書かれていることは実は誰にでもいつでもできることだ。
 明日になったら、始発電車が混みだした、なんていうのは、やはり夢だろうか。
  
(2012/07/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  しばらくビジネス本を読むのが
  しんどかった。
  仕事の意味とか
  仕事の習慣とか
  そんなもろもろがきつかった。
  どうやらなんとか戻れそうだと感じだしたのが
  ここ数週間。
  もちろん仕事だけでなく
  生活全般がきつかったですから
  こうしてビジネス本をひろげられるようになって
  ほっとしています。
  さっそく今日は
  大好きな小宮一慶さんの
  『一番役立つ! ロジカルシンキング』を
  紹介します。
  気分が落ちている時は
  モノを考えるということ自体が
  鬱陶しくて仕方がありません。
  ロジカルシンキングなんていわれても。
  でも、若い人には
  ぜひマスターしてもらいたいと
  思います。
  そして、年上の先輩の皆さんは
  傾聴の姿勢を忘れずに。

  じゃあ、読もう。

一番役立つ!  ロジカルシンキング (PHPビジネス新書)一番役立つ! ロジカルシンキング (PHPビジネス新書)
(2012/05/19)
小宮 一慶

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sai.wingpen  どうして自分のいうことが伝わらないんだろう                   

 「何をいいたいのかわからない」。上司にそう叱られたこともありましたし、部下を持つようになってからそうぼやいたこともあります。
 それとは逆に「どうして自分のいうことが伝わらないんだろう」と歯ぎしりすることは今でもあります。

 経営コンサルタントの小宮一慶さんはビジネスの現場で相手に理解できるように伝える能力は必要だといいます。そのためには、論理的思考力、「ロジカルシンキング」が欠かせません。
 本書ではそのためのテクニックやマーケティングの5PやSWOT分析といったツールも紹介しながら、事例も含めて、「ロジカルシンキング」のことが平易に書かれています。
 冒頭のような悩みはビジネスの現場では誰もが経験するでしょうから、ぜひともその方法を会得するといいでしょう。

 小宮さんは「ロジカルシンキング」をこう定義しています。「ものごとを十分に理解したうえで整理して、分かりやすく説明する能力」あるいは「深くものごとを考え、相手を説得するために、一番良いものを選ぶ方法、能力」だと。
 人にものごとが伝わらない原因のひとつは、伝える側がその内容を十分理解していないということがあります。伝える側が理解していないのですから、伝わるはずもない。また、伝える側が混乱していますから、相手の感情を推し量る余裕もない。
 これではものごとは伝わりません。
 池上彰さんが何故あのように人気が出たのか、それはわかりやすく伝えたからです。小宮さんの書く本でもそうですが、わかりやすいから読まれることも多くなるのだといえます。
 よく専門書などで書き手の一人よがりの文章に出合うことがあります。難しければ権威があるだろうみたいな文体。あれなどは一体どれだけ人に伝えようとしているのかわかりません。

 これは小宮さんが触れていないことですが、書評を書くことも「ロジカルシンキング」を高める一つの方法かもしれません。
 本を読んでその内容を伝えることは、なかなか難しいものです。それを日課のようにしていくことで、ビジネスの現場での「ロジカルシンキング」が高まるかもしれません。
 この書評、分かりやすく伝わったでしょうか。
  
(2012/07/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日城山三郎さんの未発表の原稿が
  発見されたことが話題となりました。
  しかもその原稿は
  妻容子さんのことを綴った文章で
  ベストセラーになった『そうか、もう君はいないのか』と
  よく似た内容でした。
  今日紹介する
  『よみがえる力は、どこに』に
  今回発見された原稿が収録されています。
  一読の価値ありです。
  実は私はそれよりも
  こちらも故人となった吉村昭さんとの
  対談の方が楽しめました。
  城山三郎さんと吉村昭さんはともに
  昭和2年生まれだそうです。
  ちなみに藤沢周平さんも同い年だそうで
  この三人を並べると
  昭和2年生まれの性格がわかる感じがします。
  まじめで頑固で
  しかも愛妻家。
  けっしていい時代の青春期を過ごしてはいませんが
  骨があります。

  じゃあ、読もう。

よみがえる力は、どこによみがえる力は、どこに
(2012/06/22)
城山 三郎

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sai.wingpen  男子の面目                   

 城山三郎さんが亡くなってもう5年になります。
 城山さんは『総会屋錦城』で第40回直木賞を受賞し、経済小説のパイオニアとなりました。おそらく城山さんが描いた頃の時代よりももっと世界は経済事情に揺さぶられているでしょう。しかし、それに反して決して経済小説は隆々としているかというと決してそうではありません。
 多くのビジネス本は出ていますが、読みごたえのある重厚な小説となるといくつかの佳品はあるものの、城山さんがいなくなった穴を埋めるところまではいっていないような気がします。
 こうして城山さんの新しい本が出版されるのもそのひとつの現れだと思います。

 この本は城山さんが生前神奈川文学館でされた二つの講演を基に編まれた表題作と、最近氏が仕事場としていたマンションから発見され話題となった妻容子さんへの追想記の草稿「君のいない一日が、また始まる」、それと昭和二年生まれの同い年だった作家吉村昭氏とのいくつかの対談を再編集した「同い歳の戦友と語る」の、三部構成となっています。
 これに幻の短編でもあれば面白いでしょうが、残念ながらそれはありません。
 もちろん、その中でも妻容子さんへの追想記の草稿はこの本の一番のウリです。
 草稿の発見は新聞のニュースにもなりました。城山さんの没後発表された妻への追想記『そうか、もう君はいないのか』はベストセラーになった作品ですが、それと重複するところはあるものの別の草稿が発見されたのですから、しかも『そうか、-』に劣らず、亡き妻への情愛にあふれた作品ですから城山三郎ファンのみならず気になるところかと思います。

 何しろ『そうか、-』は、妻に先立たれた男の悲哀と妻を心底愛した男の熱情にあふれた作品でした。その作品を書くにあたって城山さんは多分何度も何度も書き直しをしていたはずです。その一つが今回発見された草稿です。
 この作品の中でも城山さんは妻容子さんへの愛をたくさん捧げています。
 「戦争から帰ってきて以来、手探りで生きていた私に、さまざまな贈物をしてくれた彼女は、終生、妖精であった」などは、なかなか書けないでしょう。
 まして城山さんは昭和の初めの生まれの男子です。そういう愛を口にするのがうまくなかったにちがいありません。
 城山さんや吉村昭さん、藤沢周平さんといった昭和二年生まれの、それが男子の面目だったような気がします。
  
(2012/07/18 投稿)

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 第147回芥川賞、直木賞が決定しました。
 芥川賞が鹿島田真希さんの『冥土めぐり』。
 直木賞が辻村深月さんの『鍵のない夢を見る』。
 今回は二人とも女性。
 やはり華やかさがあっていいですね。
 それに鹿島田真希さんが四度目の候補での受賞、
 辻村深月さんがまさに三度目の正直の受賞と、
 候補常連の筆達者の二人といえます。

 鹿島田真希さんが受賞のインタビューの中で
 「ほかの作品に比べて時間も労力もかかっているので
 今作で受賞したかった」と語っていましたが
 そういう強い思いが受賞につながったのではないでしょうか。

 お二人ともおめでとうございます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ今夜
  第147回芥川賞、直木賞が発表されます。
  当選、落選、悲喜こもごもでしょうが
  読み手からすると
  いい作品が選ばれてほしいと思います。
  書店員さんからすれば
  受賞作ナシは避けてもらいたいでしょうね。
  むしろ二作同時受賞の方がいい。
  やはり本の売れ行きがちがうでしょうから。
  そこで、今日は
  第133回直木賞を受賞した
  朱川湊人さんの『花まんま』を
  紹介します。
  気がついた人がいるかもしれませんが
  「直木賞を読む」という
  新しいカテゴリーを作りました。
  従来は「芥川賞を読む」ということで
  カテゴリーがあったのですが
  直木賞の作品の面白さ、充実度は
  無視できませんよね。
  これからも
  機会を見つけて読んでいこうと思います。

  じゃあ、読もう。

花まんま花まんま
(2005/04/23)
朱川 湊人

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sai.wingpen  暑い夏にこの一作を                   

 第133回直木賞受賞作(2005年)。
 夏の風物詩といえばさまざまあるが、縁台、団扇、蚊取り線香、それに怪談噺も加えてもいい。
 最近ではホラー話といわれることもあるが、やはり日本の夏には怪談噺の方が合う。
 単に恐怖を煽るホラー話と違い、怪談噺には人としての情が綾なす感じがする。
 近所の人たちがそっとここだけの内緒話のようにして語る怪談噺は聞くと背のあたりがひんやりとするが、聞き終えたあと、心がほっと温かくなる。もちろん、語り手の技量にもよるが。

 受賞作となった短編集は怪談噺というにはひかえめだが、死の世界と背中合わせの人情噺が6篇収められている。いずれも昭和30年から40年にかけての大阪が舞台となっている。
 表題作の「花まんま」は、幼い妹のフミ子が突然訳のわからないことを話すところから始まる。自分の前世についてのことだ。
 とても具体的に住んでいたところ、その名前までフミ子は話す。しかも、その女性はすでに死んでいるという。語り手の兄はそんな妹が不憫で仕方がない。そして、とうとうフミ子と彼女が話す町に行くことになる。
 二人がそこで経験したことはともかく、この短編の締めくくりがそれから何年も経ったフミ子の結婚式の前日だ。「俺とフミ子は、この世でたった二人の兄妹だ」という一文が、前世の世界を覗き込みながらそれでも癒される温もりがある。
 選考委員の一人津本陽は作者の朱川湊人の文章を「濃厚な色彩がある」と評して、「それはつくろうとしてつくれない、作者の感覚である」とつなげているが、それはのちに大人気となった『かたみ歌』にも通じるものだ。

 この短編集に収録されている怪談噺は幽霊であったり霊魂であったりを描いているにもかかわらず、ちっとも怖いと感じないのは朱川が読み手を怖がらそうとしているのではないということだ。
 私たちの生活は本当はこれらの短編が描くようにもっと死と身近にあったはずだ。少なくともこの物語の背景である昭和30年代はそうだった。
 怪談噺をホラー話と言い出した頃、そんな死の世界さえも失ってしまったともいえる。
 夏はまたうんと暑苦しくなった。
  
(2012/07/17 投稿)

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 今日は海の日
 九州での豪雨、あまりのすごさに唖然とします。
 どうか一日でも早く立ち直って下さい。
 もうすぐ本格的な夏。
 今年も節電で厳しい夏になりそうですが
 子供たちにとっては長い夏休みがもうすぐ。
 本屋さんに行くと、
 毎年恒例の各文庫の夏休みフェアが始まっています。
 そこで、今日は
 各文庫のフエアをみてみようと思います。

2012 夏 まずは、新潮文庫
 毎年変わらず「新潮文庫の100冊」ですが
 さすがに老舗の文庫だけあって内容的には充実しています。
 夏目漱石太宰治三島由紀夫といった新潮文庫の顔ともいえる
 作家たちがずらり。
 作品的にも厳選されています。
 今年は100冊の中からどれでも2冊買うと
 「Yonda? ブックカバー」が必ずもらえるそうです。

 次に、角川文庫
 今年のテーマは「」。
 今年も本がワッショイ! ワッショイ! と元気いっぱい。
 キャラクターはここ数年、黒い犬の「ハッケンくん」。
 一冊買うと、「ハッケンくん祭ストラップ」が必ずもらえる、わんわん。
 去年好評だったてぬぐい柄のスペシャルカバーは
 今年もやってます。
 夏目漱石の『こころ』は新潮文庫にもはいっています(こちらもスペシャルカバー)が
 角川文庫で読みたくなります。
 あくまでも個人的な好みですが。
 ちなみに角川文庫は340円で、新潮文庫は389円。
 この差って何でしょうね。

 最後は、集英社文庫
 「ナツイチ」が集英社文庫の夏休みフェアのフレーズですが、
 今年はイメージガールに剛力彩芽さんを起用。
 今彼女は売れっ子ですよね。
 さすが集英社って感じ。
 こんなにくいコピーがついています。

   わたしには、
   知らないことが
   たくさんある。
   こんな切なさとか。
   こんな温かさとか。


 剛力彩芽さんファンの高校生なんかは
 集英社文庫一直線かな。
 一冊買うと、その場でナツイチスタンプが一個必ずもらえます。
 角川文庫集英社文庫
 一冊読むと、次はこれはいかがともう一冊のお誘い案内があって
 本を読まない人には便利です。
 ちなみに川端康成の『伊豆の踊子』の次の一冊は
 角川文庫林真理子の『葡萄が目にしみる』、
 集英社文庫では吉田修一の『初恋温泉』。
 編集の皆さんのご苦労やいかに。

 というわけで、
 今本屋さんにいけば
 各文庫の企画リーフレットがあります。
 この夏休み、あなたの一冊をさがしだしてみて下さい。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  ショーン・タンの『アライバル』を
  絵本の範疇(はんちゅう)に入れるのは
  適切ではないでしょう。
  型は大判ですから
  本屋さんでも絵本の部類に
  置かれることも多いでしょうが
  絵本というよりは
  マンガに近いかもしれません。
  しっかりしたストーリーを持っていますから
  感動したという人は
  多くいます。
  ショーン・タン
  日本ではこの作品で一躍有名になりました。
  まずは手にとって
  ページを開いてみて下さい。
  きっと
  深い世界にあなたを
  誘いでくれるでしょう。

  じゃあ、読もう。

アライバルアライバル
(2011/03/23)
ショーン・タン

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sai.wingpen  定型のない物語                   

 人は音や文字がないととても不安になる。だから、無声映画の時代でも楽団が音楽を奏で、弁士が高い声で語った。あるいは、一行ほどの字幕が合間合間にいれられた。
 オーストラリアの画家ショーン・タンによる話題の書『アライバル』には音も文字もない。ただ絵のみがつながる。だから、読み終わったあと、裏表紙に記載されたレビューの文字を貪るようして読む。安心できる文字の連なり。
 曰く、「”グラフィック・ノベル“への関心が高まりを見せるなか・・・」、曰く「ほんとうに素晴らしい」、曰く「不思議で、感動的で、美しい物語」、曰く「ブラボー!」、等、等。
 賛辞の言葉に安心する。そうだ、これはとてつもなく深い物語だ。
 音が、文字が戻ってくる。

 ちなみに「グラフィック・ノベル」の定義はまだ確立されていないようであるが、大人の読者を対象にした複雑な物語をもったマンガをいうことが多いという。
 ショーン・タンの本作をマンガというのは適切かどうかわからないが、精緻なペン画や色彩を排除したタッチはマンガと呼ぶよりもどこか映画フィルムの一片一片のようだ。
 新しい芸術の萌芽といっていい。

 妻と幼い娘を置いて新天地をめざした男の物語だ。
 人々の姿や表情がリアルである一方で、新天地の不可思議な空間はSFじみている。
 新天地の人々には奇妙なペットが割り当てられている。主人公にもねずみのような小さな生き物が憑く。そう、それは憑くという漢字が一番合いそうだ。
 パンではない見知らぬ食べ物。判読不明な文字。そんな新天地で男は仕事を得、時には娯楽に興じる。そして、ある日、残してきた妻と娘も新天地にたどりつく。

 音も文字もない世界だからこそ、時に自分で言葉を生み出す。船の汽笛、移民たちのざわめき、男のためいき。「仕事が欲しいんだ」という太い男の声。もちろん、「仕事、ないでしょうか」だって構わない。
 明日は違う台詞だってあるだろう。
 この物語に定型などありはしない。
  
(2012/07/15 投稿)

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  今日紹介するのは
  歌人の河野裕子さんの没後刊行された
  エッセイ集の第二弾、
  『桜花の記憶』です。
  このエッセイ集の中に
  河野裕子さんは高校3年の時
  1年間休学した頃のことが綴られたものがあります。
  心身ともにまいってしまったと書かれています。
  そんな時、河野裕子さんはこんな言葉を
  よく口にしたそうです。

   疲れたら休め。彼らもそう遠くへは行くまい。

  出典はツルゲーネフの文章らしいですが
  詳しいことはわかりません。
  若い時に人より遅れてしまうということは
  どんなに苦しかったことでしょう。
  それでも
  河野裕子さんは見事に立ち直ります。
  そして、
  日本を代表する歌人となります。
  その強さを
  見習いたいと思います。

  じゃあ、読もう。

桜花の記憶 (河野裕子エッセイ・コレクション)桜花の記憶 (河野裕子エッセイ・コレクション)
(2012/05/24)
河野 裕子

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sai.wingpen  かわのゆうこという歌人                   

 まったく恥ずかしい。
 歌人の河野裕子さんが2010年夏に亡くなられてから、そののちに刊行された歌集やエッセイ集をできるだけ逃さないように読んできたのにもかかわらず、河野さんのことをずっと「こうの」さんだと思い込んでいたのですから。正しくは「かわの ゆうこ」。
 河野裕子さんのエッセイ・コレクションの第二弾となる本書の中に「河野(こうの)さんと呼ぶ人」と題された短文があって、その中で歌人の宮柊二さんが「こうのさん」と呼ぶのだと綴られています。その文章につづいて、「かわのさん」と呼んでほしいのは「十年来のささやかな願い」と控えめに書いていますが、これは先輩歌人に遠慮したものでしょう。やはり名前は正しく呼んでもらいたい、そう思っていたでしょう。
 それでも、そういう書き出しで始まる短文は先輩歌人宮柊二の人物評はうまくまとめています。付き合いのあった「河野さん」を「こうのさん」と呼ぶ宮さんとそのことの訂正をあえて口にしなかった河野さん。それだけで、人と人とのつながりが推し量れます。

 このエッセイ集のタイトルとなった『桜花の記憶』は、河野さんが22歳の時、「角川短歌賞」を受賞した「夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと」からつけられたものです。
 そのせいでしょうか、このエッセイ集ではいつもの河野さんのように家族のことをしたためたエッセイも数多く収められていますが、短歌の作歌についてのものも目立ちます。
 河野さんは「歌は、台所で作る」としています。
 さすがに歌人であり妻であり母親であった河野さんならではの場所です。娘の永田紅さんは本書の「あとがき」で、「エプロンや割烹着をつけて煮炊きをしながら」台所で仕事をする母親の姿を、懐かしさと敬愛を込めて描きとめています。
 家族の歌を大事にしてきた河野さんならでの姿ではないでしょうか。

 そんな河野さんですが、「読者が欲しい」という生々しい声もあげています。
 「時々は、自分の歌を日にあてたり、風にあてたりしてみたくなる。読者が、どうしても必要なのだ。持続するには、読者がいる」と書きつづった河野さんは、最後の時間まで歌を詠もうとしました。
 そこには妻でも母でもない、眼差しの強い歌人の姿が浮かびあがってきます。
  
(2012/07/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する「百年文庫」は
  99巻めの「」。
  今東光さんの『清貧の賦』など
  3篇が収められています。
  書評にも書きましたが
  今東光さんは
  河内モノと呼ばれる作品を多く書いています。
  中でも『悪名』は人気が高い。
  勝新太郎田宮二郎
  映画化されています。
  私も深夜番組などで『悪名』シリーズを
  見たことがありますが
  勝新太郎は若々しく、
  とってもかっこいい男を演じています。
  機会があれば、また見てみたい作品です。
  そんな今東光さんの作品が
  とても品があることに
  新鮮な感じがしました。
  印象だけで評価しては
  いけないんですね。

  じゃあ、読もう。

道 (百年文庫)道 (百年文庫)
(2011/10)
今 東光、田宮 虎彦 他

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sai.wingpen  常に父の気魄を僕に充たせよ                   

 「道」といえば、高村光太郎の詩「道程」を思い出す。「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」という、あれである。
 彼の後ろには彼の足跡が点々とあり、前には汚れもない世界が広がっている。「常に父の気魄を僕に充たせよ/この遠い道程のため」。
 この詩を知ったのはいくつであったろうか。まだ少年の頃だったように思うが、それでも人生はおそらくそんなものなのなんだろうなと納得できるような気がした。
「百年文庫」の99巻めは「道」と題されて、今東光の『清貧の賦』、北村透谷の『星夜』、それに田宮虎彦の『霧の中』を収めている。
 そこにはどんな道ができているだろうか。

 今東光といえば瀬戸内寂聴の出家にも関わった名僧であるが、同時に大阪河内を舞台にした『悪名』や『河内カルメン』などで人気を博した作家でもある。特に『悪名』は勝新太郎主演で映画化されたので豪快なイメージでどうしてもはなれない。
 しかしもともとは川端康成や横光利一といった純文学作家たちとの交流が盛んであり、文学の完成度は高い。
 本書に収録されている『清貧の賦』は、江戸時代中期の画家佐竹噲噲(かいかい)を主人公にした、格調高い歴史小説である。
 佐竹は池大雅に師事し、真面目に美の道を究めようとするが世上にでることはなかった。それでも、くさることなく一時は売酒郎という名で飲み処を営んだりした人物だ。
 長編としても十分に描ける題材の枝葉を削ぎ、見事な短編に仕上げた腕前はさすがというしかない。こういう作家が河内モノだけで評価されるのは惜しい。

 『星夜』の北村透谷は明治期の文芸評論に力があった作家だが、今その作品を読む人はどれだけいるだろうか。収録作品は短編であるが、その表現の仕方、文体ともに時代を感じる。こういう作品を読む機会は少ないだろうから、一度読んでみるのもいい。
 田宮虎彦は印象的には古風な感じがするが、『足摺岬』や『絵本』といった作品で戦後高い評価を得た作家である。
 収録作の『霧の中』は戊辰戦争に敗れた会津藩士の数奇な運命をたどった時代小説だが、主人公の死が明治政府が推し進めた結果としての先の大戦の敗戦から三日後というのは、彼の人生そのものの皮肉にも思える。
 今東光の作品にしてもこの田宮虎彦のそれにしてもそうだが、長編の題材にも関わらず、濃厚な短編に仕上がっている。こういう作品を最近見なくなったのが残念だ。
  
(2012/07/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災を経験した私たちは
  さまざまな発言を耳にしてきました。
  その多くは
  被災者の皆さんに心を寄せるようにして
  あったと思います。
  それに引き比べて
  今日紹介する村上龍さんの
  『櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。』の
  なんと過激な書名なことでしょう。
  ただ願うならば
  この書名に反感するだけでなく
  村上龍さんがいわんとしたことを
  理解してもらうためにも
  本書をきちんと読むことが
  大切だろうと思います。
  村上龍さんはそのデビュー作
  『限りなく透明に近いブルー』から
  過激でしたが
  そのエネルギーが今も衰えていないというのが
  すごい作家です。

  じゃあ、読もう。

櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。
(2012/05/19)
村上 龍

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sai.wingpen  若者たちよ、村上龍を越えろ                   

 なんともショッキングな書名だ。
 もちろん下書きとして梶井基次郎の「櫻の樹の下には屍体が埋まっている」という文章があるとしても、梶井のそれよりも東日本大震災後の大量の瓦礫の山を目にした私たちにとって、この書名は挑発的で刺激的すぎる。
 若者向けの雑誌連載のエッセイであるから、2011年3月11日という日付がある限り、その日に起こったこと、そのあとにつづいたことを避けては通れない。
 ましてや、書き手が村上龍とあっては、そういう表現もありうるだろう。

 表題作のエッセイの中で村上は大震災以降多くの人たちが口にした「絆」についてこうも書いている。「わたし(村上龍)は「絆」という言葉の流通と氾濫に違和感を覚える」と。
 日本中の国民が「絆」という言葉に酔いしれている時の村上のこの発言は重い。彼は、「被災者を思う気持ちだけでは解決できない問題」が、この美しい言葉によって隠蔽される危険性を指摘する。
 その文脈は、刺激的な書名とつながる。
 人々の感情でいえば「櫻の樹の下に瓦礫が埋まっている」などとはいえない。それをあえていうことで、嘘ではぐらかされる真実の存在があることを喚起している。

 言葉は時に過剰になることで混乱を招く。しかし、時に混乱が新しいものを生み出すともいえる。
 それはこのエッセイで一貫した、村上龍のスタイルだ。
 本書の中には今人気のAKB48についての記述もあるが、村上ははっきりと「AKBというのはおじさんがプロデュースしたユニット」と看破し、その人気に踊らされる若者層は「搾取されている」と書く。
 連載誌の読者層が若者だからといって、今や還暦になった村上の言葉を素直に聞くとは思えないが、少なくとも村上は常に時代を揺さぶろうとしてきた。
 しかし、残念ではあるが、村上龍はけっして現代の若者の旗手ではない。

 若者たちは自らの手でもって旗手を生み出さないといけない。
 気がつけば、村上龍も村上春樹も還暦を過ぎた「年寄り」世代なのだから。「絆」にひたっているようでは村上龍は許さないだろう。
  
(2012/07/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から1年4カ月経ちました。
  先日福島原発の事故調査委員会による
  調査結果がまとめられましたが、
  「あれは人災」であるという結論に
  今さらながらに
  企業、国のお粗末な対応が
  悔やまれます。
  今日紹介するのは
  河北新報という東北最大の新聞社による
  あの日の記録です。
  『河北新報のいちばん長い日』。
  私が福島で仕事をしていた時、
  河北新報の記者さんは
  とても熱心に色々な企画を記事にしてくれたことを
  思い出します。
  それでも福島原発での爆発で
  記者が一時的に福島から避難しようとする
  くだりは、
  きっと想像以上に
  記者としての苦悩があったのでは
  ないかと思います。
  そういったことの
  さまざまを
  今日また思い出します。

  じゃあ、読もう。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙
(2011/10/27)
河北新報社

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sai.wingpen  地元紙としての使命                   

 忘れてはいけない。けれど、ひきずってはだめだ。
 伝えないといけない。けれど、風評や恨み言にひかれてはだめだ。
 2011年3月11日の東日本大震災から1年以上経って、あの時の悲しみや嘆きを失っていないかと自分に問うてみる。新聞も雑誌もそれなりに記事にはするが、あの時の熱い想いが少なくなった。
 もはや、あの日のことは人々の記憶に頼るしかないのか。
 大震災の恐るべき破壊の様子をあの日の新聞もTVも伝えたけれど、そしてそれはあくまでも限られた視点でしかなかったことを私たちはあとで知ることになるが、速報性としてそれは正しいが、記録性という点では大きく劣る。当然媒体固有の特長があるから、それをとやかく非難するつもりはない。
 速報性という点では見劣りするが、大震災から何ヶ月も経て、その時の記録なり意見なりがまとめられた本の数々は、さらに月日を重ねて、忘れないためにも伝えるためにもどれだけ有効であるかを思い知らされる。
 本という媒体があって本当によかった。

 本書は、宮城県を中心に東北6県を発行区域とする東北きっての地方紙「河北新報社」が、あの大震災のあと、どのように創業以来続けてきた無休の記録を維持し、そのニュースを地元の人々に届けてきたかという記録である。 経営陣はどう判断し、記者たちは何を見、どう表現したのか。現場に行きたいと記者魂の高ぶりを押さえ、後方支援にまわる者もいれば、避難所に自らの足で新聞を配る販売所の店主もいる。
 「東北振興」を社是とする新聞社の、これは壮絶な記録だが、こうして一冊の本にまとめられた時、気負いもなく冷静にあの時を見つめる姿がより印象に残る。
 彼らのこの時の報道姿勢は、2011年の新聞協会賞を受賞することになる。しかし、彼らの向こう側に地元紙を待ち続けた被災者たちがいたことは忘れてはいけない。新聞協会賞はおそらく読者全員が受けた勲章である。

 大震災から一年以上経って、忘れないためにももう一度この本に戻ればいい。
 何を伝えていたかを知るためにももう一度この本に戻ればいい。
 それは何年も経ってもそうありつづけるにちがいない。
  
(2012/07/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  仙台はまことに美しい街です。
  杜の都というだけのことはあります。
  仙台に暮らした人は
  口をそろえて「この街は最高!」というくらい。
  東北は仙台以外にも
  いい街がたくさんあります。
  私は盛岡がいいですね。
  すごく香りがいいというか
  落ち着ける街です。
  今日紹介するのは
  内舘牧子さんの
  『二月の雪、三月の風、四月の雨が輝く五月をつくる』という
  ちょっと長い書名の本。
  このタイトルは、「マザー・グースの唄」から
  きているそうです。
  ちなみに元の詩は、北原白秋の訳では
  こんなふう。

   三月、風よ、四月は雨よ、
   五月は花の花ざかり

  「二月の雪」を加えたのは
  内舘牧子さんのオリジナルのようです。
  どちらにしても
  美しい詩です。

  じゃあ、読もう。

二月の雪、三月の風、四月の雨が輝く五月をつくる二月の雪、三月の風、四月の雨が輝く五月をつくる
(2012/03/01)
内舘 牧子

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sai.wingpen  世話女房の心意気                   

 内館牧子さんといえば女性初の大相撲横綱審議委員として、例の朝青龍問題の際の勇猛果敢な姿を頭に描く人も多いと思う。その一方で、女だてらにと苦虫を噛み潰した人もいただろう。別に朝青龍の味方ではないが、私もどちらかといえば後者の方だったかな。
 しかし、この本を読んですっかり考え方が変わった。
 あの騒動からもう何年も経っているから今さら気がついても遅いのだが、内館さんは正しかった。過激な発言もあったかもしれないが、それは内館さんが誠心誠意相撲を愛していたからだ。
 ことわっておくと、この本はあの時の騒動を回顧したものではない。相撲を愛するゆえに、東北大学大学院に入学(なにしろ彼女の研究テーマは「大相撲における宗教学的考察」なのだ)した2003年から東日本大震災の起こった年である2011年12月までの、第二の故郷仙台への愛を綴ったラブ・レターだ。

 何しろ内館さんの相撲への情熱は半端ではない。部員わずか4人という東北大学相撲部の監督になり、さらには自ら広報部長ならぬ新人部員獲得に奔走する日々。
 愛したものはとことん愛する、それは内館さんの気性でもあるのか。
 その愛は東北大学の地元仙台にも向けられ、時には叱咤激励し、時には過剰な愛を貫く日々。
 仙台市民に向けて「PRが足りないのよ、PRがッ」と言えるのは、仙台を愛するゆえのこと。
 内館さんは愛が過剰になれば、弁舌もまた過剰になる。
 ううむ、なんと情の深い女性であろう。

 そんなに仙台を愛した内館さんにとって、2011年3月11日の東日本大震災はどんなにつらかったことか。
 だから、ここでも復興のために頑張る。東北や東京でのさまざまな支援活動にも参加する。
 なかなかできるものではない。それを内館さんができるのは、仙台を、東北を、そしてそこで生きる人々を愛しているからだ。
 内館さんは言う。「全国の皆様、東北が「輝く五月」を取り戻すために、お力をお貸し下さい。どうか末永くお貸し下さい」と。
 まさに世話女房の心意気である。あっぱれ。
  
(2012/07/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日東京ビッグサイトで開催されていた
  第19回東京国際ブックフェア
  行ってきました。
  2012 ブック
  うたい文句は「日本最大! 800社出展」ですが
  どうみても毎年規模が小さくなっている感じ。
  まず大手の出版社が出展していないのは
  残念でなりません。
  新潮社、文藝春秋、中央公論・・・。
  色々な事情があるでしょうが
  せっかく年に一度の大きな開催なのですから
  がんばってほしいものです。
  気のせいか
  入場者も減っているように感じました。
  昼からは読書推進セミナーとして
  『バカの壁』の著者養老猛司さんの講演
  「読書で脳を揺さぶれ!」を聴いてきました。
  応募が4000通あったといいますから
  養老猛司さんの人気は衰えずというところでしょうか。
  日本語という言語の問題、
  電子書籍の課題など
  笑わせたり考えさせたり
  充実の70分でした。

  さて、今日の書評は
  昨日の『としょかんねこデューイ』の基になった
  原作本を再録書評
  紹介します。
  大人の人にはこちらの方が
  オススメかな。
 
  じゃあ、読もう。
  
図書館ねこ デューイ  ―町を幸せにしたトラねこの物語図書館ねこ デューイ ―町を幸せにしたトラねこの物語
(2008/10/10)
ヴィッキー・マイロン

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sai.wingpen  おもわぬ出会いがありました       

 2008年の読書週間(10.27~11.9)のテーマは「おもわぬ出会いがありました」。まさにそんなコピーと同じ思いをこの本で味わうことができたのを、奇跡のように感じている。
 私は猫が好きではない。ただ「図書館ねこ」という言葉に興味をもっただけだった。書店に並んだ猫のデューイを描いた装丁が魅力的だったにしろ。むしろ今は「図書館ねこ」のデューイが優しい鳴き声で私を呼んでくれたのかとさえ思っている。このような「おもわぬ出会い」があるから、本を読むのは楽しいのである。

 「おもわぬ出会い」といえば、著者のマイロンさんと猫のデューイの出会いも物語のように劇的である。
 先に言っておくと、この本に書かれていることは事実である。
 事実は小説より奇なり、という使い古された言葉があるが、もしかするとある事実をごくつまらないちっぽけなことにしてしまうのも、夢のような物語にしてしまうのも、その人次第ではあると思う。そして、マイロンさんはデューイとの出会いを奇跡の物語にしてしまったのだ。

 アイオワ州の北東部にあるスペンサーは、トウモロコシ畑に囲まれた、小さな町である。マイロンさんはその町の公共図書館の女性館長だった(今はすでに退職されている)。
 1988年の寒い朝、彼女は図書館の返却ボックスの中で寒さに震えていた一匹の子猫に出会う。それがのちに「図書館ねこ」となるデューイとの出会いだった。
 彼(子猫は雄猫だった)は捨てられたのかもしれないし、寒い夜をしのげるように図書館の返却ボックスにいれられたのかもしれないが、いずれにしても小さな町ながらも公共図書館のありかたを真剣に考えていたマイロンさんと出会ったのは彼(もちろんデューイのこと)にとっても奇蹟だったに違いない。

 ここに書かれているのは、そうして命びろいをしたトラねこの話ではない。
 本書の副題にあるように、図書館に住むようになったデューイ(彼の正式な名前はデューイ・リードモア(もっと本を読もう)・ブックス。なんて素敵な名前だろう)が、小さな町を幸せにする話なのだ。
 映画の話をしているのではない。彼は何も魔法を使わないし、人の言葉を話したわけでもない。ただ毎朝図書館に来る人を優しく迎えただけであり、誰へだてなく擦り寄り、膝にのぼっただけなのだ。
 ではどうして町を幸せにできたのか。そのことをマイロンさんをこう書いている。「デューイは改めて、スペンサーが他とちがう町だと思い出させてくれた。わたしたちはお互いに気づかいをした。ささいなことを大切にした。人生は量ではなく質だということを理解していた」(170頁)
 繰り返すが、これはハリウッドの夢物語ではない。トウモロコシ畑に囲まれた小さな町に起こった真実なのだ。
 今の日本で都市と地方の格差の問題は深刻だ。
 でも、この本を読めば、私たちが何をしないといけないのかがわかる。自分たちの町に誇りをもつことだ。そして、同じようなことが著者のマイロンさんの生き方にもいえる。
 この本の魅力はもちろんデューイの可愛いさにおうことが多いが、アルコール依存症の夫との離婚やシングルマザーとしての子育ての困難さや乳がんの苦しみといった難題を幾重にも抱えながら、それでも図書館館長としての仕事をやりぬく彼女の、生き方の素晴らしさに誰もが胸打たれるにちがいない。

 マイロンさんは書いている。「いちばん大切なのは、あなたを抱きあげ、きつく抱きしめ、大丈夫だといってくれる人がいることなのだ」(318頁)。
 マイロンさんにとってデューイはそんな猫だったのだ。デューイにとってマイロンさんはそんな女性だったのだ。そして、スペンサーの町の人にとっても、デューイは、そんな奇跡のような「図書館ねこ」だったのだ。
 鼻の奥がツンとして涙を少し滲ませながら、表紙の絵のデューイにそっとつぶやいて本を閉じた。
 「おもわぬ出会いは、とっても素敵でした。ありがとう」
  
(2008/10/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年で第19回となる
  「東京国際ブックフェア」が
  7月5日から今日8日まで
  東京ビックサイトで開催されています。
  年々電子書籍に押されている感は否めないですが
  それでも今年もたくさんの本が勢ぞろい。
  私は今日行くつまりにしています。
  また感想とかはブログで報告しますね。
  今日紹介する絵本は
  図書館で人気ものになったねこのお話。
  『としょかんねこデューイ』。
  気がついた人がおられるかもしれませんが
  この絵本は
  『図書館ねこ デューイ 町を幸せにしたトラねこの物語』という本を
  絵本化したものです。
  明日、その原作の本のことを
  書きますね。
  興味のある方は明日も楽しみに。
  この絵本の魅力はなんといっても
  ねこのかわいさ。
  私はねこって飼ったことがありませんが
  なかなかいいですね。
  ねこ大好きな人には
  うってつけの絵本です。

  じゃあ、読もう。

としょかんねこデューイとしょかんねこデューイ
(2012/02/24)
ヴィッキー・マイロン、ブレット・ウィター 他

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sai.wingpen  もっと本を読もうって、ねこが誘ったらどうします?                   

 この絵本の基になっているのは『図書館ねこ デューイ 町を幸せにしたトラねこの物語』というノンフィクション作品です。作者は同じヴィッキー・マイロン。
 ノンフィクションというように、この「図書館ねこ」の物語は事実です。
 アメリカのスペンサーという小さな町の図書館に設置されていた返却ボックスに、ある寒い夜、一匹のこねこが捨てられていました。この絵本の作者でもあるヴィッキーさんがそのこねこを図書館で飼うことにします。彼女はその図書館で働いていたのです。

 この夢のような素敵な物語はすでに日本でも翻訳されて大変な人気となりました。それがこうして絵本となると、これはこれでまた素敵なんです。
 なんといっても「としょかんねこ」と呼ばれたデューイのかわいさでしょう。
 絵を担当したのは、スティーブ・ジェイムズさんという人ですが、彼が描くデューイを見ているだけでねこ好きの人はたまらないのではないかしらん。
 表紙で描かれているのは、本の上にちょこんと座ったデューイですが、そのつぶらな瞳に見つめられたらたまりません。図書館の中で遊ぶ、さまざまなデューイ。うちの可愛いねこみたい、と思われる人は必ずいるはず。赤ちゃんにそっと近づいて満足そうなデューイ。あくびをするデューイ。いたずらするデューイ。

 世の中には犬派と猫派があるそうですが、私はどちらの派にも属していませんが、この絵本のねこをみると、猫も捨てたもんじゃないと思います。
 実際にデューイのいた町の図書館は、このかわいいねこの出現で利用者がとても増えたそうです。
 そうそう、このデューイの本名は、デューイ・リードモア・ブックスといいます。リードモアというのは「もっと本を読もう」という意味。

 この絵本に興味をもった人にはぜひとも本家の『図書館ねこ デューイ 町を幸せにしたトラねこの物語』も読んでもらいたいと思います。
  
(2012/07/08 投稿)

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  先日、第147回の芥川賞直木賞
  候補作が発表されました。
  芥川賞でいえば、
  覆面作家と何かと話題の舞城王太郎さん。
  直木賞でいえば、
  朝井リョウさんが平成生まれの初の候補者。
  そういう点では話題にことかかない
  作品がそろっています。
  選考委員会は17日。
  さあ、どんな作品が選ばれるのでしょうか。
  今日紹介するのは
  先の直木賞受賞作
  葉室麟さんの『蜩ノ記』。
  時代小説です。
  最近の傾向としては
  芥川賞より直木賞の作品の方が
  うんと面白い。
  この作品にしても
  さすがに満票受賞というだけあって
  読み応え十分です。

  じゃあ、読もう。

蜩ノ記蜩ノ記
(2011/10/26)
葉室 麟

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sai.wingpen  武士(もののふ)の心                   

 第146回直木賞受賞作(2012年)。
あれはバブル経済がはじけた頃だったでしょうか、企業再生の弁護士から「自動車産業が日本経済の牽引者になるとは思わなかった」ということを聞いたことがあります。それによく似た感想ですが、時代小説がここまで日本文学を席巻するとは私は思いませんでした。
ちょんまげ、刀、侍、そのような道具立てはいずれ廃れていくとみていました。
 何しろ着物を着るという風俗さえ今ではほとんど見かけなくなっています。そういう若い世代にとって時代小説とは時代錯誤も甚だしい文学になると思っていたのです。ところが意外にも、時代小説は今大層な人気を誇るジャンルとなっています。
 直木賞でも定期的に時代小説の新人が受賞します。やはり日本人の血が時代小説を求めるのでしょうか、それとも現代の日本があまりにもぎすぎすしているのでしょうか。
 少なくとも時代小説に人間の魅力を、そしてそれはもしかすると日本人の美点ともいえるかもしれませんが、そういうものを21世紀に生きる私たちは求めている証しのような気さえします。

 葉室麟の直木賞受賞作となったこの作品は、羽根藩という架空の藩を舞台に藩の家譜(藩の歴史書)の作成を任じられた戸田秋谷という人物の生きざまを描いた時代小説です。
 秋谷という人物はかつて評判のいい郡奉行でその後江戸表の中老格用人にものぼりつめた、藩では優秀な逸材でした。ところが、江戸表でのある事件をきっかけにして今は蟄居の身、しかも家譜完成後には切腹を逃れられません。秋谷が起こした事件には何やら陰謀の影がちらつきます。
 そんな秋谷の動向をさぐるべく、庄三郎という若い武士が彼の家に配されます。しかし、その庄三郎は秋谷の振る舞いにいつしか感化されていきます。

 選考委員の一人阿刀田高はこの作品を「姿のよい作品」と評しました。
 時代小説には「腕ききの船頭の操る舟に乗るときみたいに、読者はゆったりと身を委ねて小説を読む楽しみに没頭できる」ものがいいと阿刀田はいいます。現代の時代小説のブームは、読者を心地よくさせるそういう腕ききの船頭のような書き手が現代文学で少なくなったということでもあります。
 この作品における葉室麟の書き手としての姿は、物語の主人公秋谷のように凛としています。
 それこそが「武士(もののふ)の心」というものかと思います。
 重厚な気品のある書き手が時代小説のジャンルにまた誕生したことを喜びたいと思います。
  
(2012/07/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は丸谷才一さんの
  『快楽としての読書 海外篇』を紹介します。
  丸谷才一さんの書評のことは
  このブログでも何度も
  書いていますから
  興味のある方は
  検索機能で探してみてください。
  この『快楽としての読書 海外篇』では
  たくさんの海外文学が紹介されていますが
  私はどちらかというと
  ほとんど海外文学を読んでいないんですね。
  この本の中でいえば
  村上春樹さんが翻訳された何作を読んだ程度。
  本当に海外小説にウブなのです。
  それでも
  丸谷才一さんの書評が読めるというのは
  書評という文藝が
  りっぱに成立していることだと
  思います。
  どうぞ、そんな名人の芸に
  ふれてみて下さい。

  じゃあ、読もう。

快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)
(2012/05/09)
丸谷 才一

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sai.wingpen  これぞ書評の名人芸                   

 丸谷才一さんが当代きっての書評家であることに異論はあまりないと思う。逆立ちしたも足元に及ばないというやつで、しかもその逆立ちすらできないときてはどうしようもない。
 本書は丸谷さんの海外文学の書評をすでに単行本に収録されたもの、あるいは未収録のものなど114篇を収録した文庫本オリジナルで、総ページ数466という圧巻の一冊である。

 書評とは何かということについて、丸谷さんは「イギリス書評の藝と風格について」という文章でこう書いている。
 まず本の内容の紹介であること。つまり書評を読めばなんとかその本のことが語れる程度ではないといけないらしい。
 次が、評価。その本が読むに値するかどうか。
 本が流通するものである限り、この二つの機能は大きいと思う。書評を読んで面白そうだなとか興味をひかれる、そういう役割は書評にははずせない。
 実際海外文学をほとんど読んでいない私ですら、丸谷さんの書評で読んでみたいと思った作品がいくつもあったのですから。
 丸谷さんがあげている書評の機能の三つめは、文章の魅力。
 丸谷さんはもちろん作家ということもあるが、この文章の魅力に関しては他の書評家を寄せつけないのではないかしらん。つまり、どんなお堅い文章を書いていてもどこかに飄々とした色気とか笑いが散りばめられている。文章にリズムがある。
 この人は、文体に何か秘薬をしのばせているのではないかと思ってしまう。

 それらの機能よりも、丸谷さんが次元が高いとしているのが、批評性。
 ここは重要だし、難しいところだから、丸谷さんの文章を引用しますね。
 「対象である新刊本をきっかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新することである」。
 この「あはよくば」以下の文章がいい。
 そんな書評を書いてみたいもの。

 丸谷さんの書評の快感はこの「知性を刺激」されること、「生きる力を更新」されることに尽きるといっていい。それと、この海外文学の書評を読んで思うのだが、翻訳者への目配りを忘れない点など、優しい書評でもある。
 この文庫本の解説は鹿島茂さんが書いているが、これもまた一読の価値あり。
  
(2012/07/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今週はちょっと
  マンガとか絵本とか
  絵についての本の紹介が続きます。
  そこで、今日も
  とっても素敵な挿絵がついた本を
  紹介しますね。
  フレート・ロドリアンさんの『ライオンがいないどうぶつ園』。
  表紙の絵を見ていただくとわかりますが
  なんとも素敵な挿絵がついています。
  絵の担当は
  ヴェルナー・クレムケさん。
  この本、絵本ではありませんが
  挿絵だけ見てても
  うれしくなりますよ。
  夏休みが近くなって
  子供たちにどうやって本を読ませようか
  お悩みの皆さん、
  こういう本なら
  子供たちも喜ぶのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

ライオンがいないどうぶつ園ライオンがいないどうぶつ園
(2012/04/11)
フレート・ロドリアン(作)

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sai.wingpen  こんな町に住みたいものだ                   

 もう長い間、動物園に行っていない。子どもたちが小さい頃は何度も出かけたが、その子たちも成長するとすっかり足が遠のいた。
 子どもと動物園というのは実によく似合う。
 ライオン、ゾウ、キリン、ゴリラ、サル。何時間でも彼らを見ていても飽きない。
 それはまったく人間とは違う姿をしているのだが、親しき存在としてそこにいる。それは大人とはまったく違う世界観かもしれない。

 この物語は、「ぴかぴかにあたらしい」プリッツェルという町が舞台。飛行場も天文台もある、りっぱな町だ。 でも、残念なことに動物園がない。
 そこで、町長さんが動物園を作ると発表したから、町の人たちは大喜び。全員総出で動物園作りを始めた。
 そして、動物たちもどんどんやってきたのだが、ライオンだけはいない。ライオンを買うお金が町には残っていなかったから。
 「ライオンがいない動物園」って、やはりさびしい。例えば、アイスクリームがついていないパフェみたいなもの。富士山の絵がない銭湯みたいなもの。鉄棒のない運動場みたいなもの。
 何しろ、ライオンは動物園の主役だから、主役のいないステージはやはり悲しい。
 そこで、町の子どもたちが率先して、ライオン獲得のための貯金を始めだした。

 このプリッツェルという町は架空の町だが、どこか町おこしに一生懸命がんばっているたくさんの町の姿と重なってくる。
 町はたくさんの住民の笑顔でできているものだ。大人も子どもも互いに助け合って、自分たちの町が暮らしやすいようにしたいと願っている。
 みんなが力を出し合って、この物語でいえば、「ライオンがいる動物園」を自分たちが持つという夢を実現しようとする。
 町おこしは、そういう夢を実現するための、みんなの努力が必要だといえる。

 この本は小学生向けの物語だが、ヴェルナー・クレムケの柔らかなタッチの挿絵が素敵で、ちょび髭のよく似合うやさしい町長さんのいるこんな町に大人だって住みたくなるにちがいない。
 せめて、彼らの「ライオンがいる動物園」には行ってみたいものだ。
  
(2012/07/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  二日に続けて
  佐々木マキさんのことを書きましたが
  佐々木マキさんを絵本作家だと
  思っている人も多いと思います。
  実際たくさんの絵本も書いていますね。
  そこで、今日は
  『絵本作家という仕事』という本を
  紹介します。
  絵本作家になりたい人は必読。
  絵本に興味をもっている人も必読。
  お子さんに本を読ませたいという人も必読。
  要は、
  たくさんの人に読んでもらえれば。
  この本で紹介されている
  絵本作家さんたちのお名前だけでも
  記載しておきますね。
  
   あべ弘士 荒井良二 石井聖岳 及川賢治
   きたやまようこ こみねゆら スズキコージ
   高畠純 武田美穂 たしろちさと 長谷川義史
   堀川理万子 松成真理子 三浦太郎 村上康成

  そうそうたる顔ぶれですね。
  どなたかは読んでことが
  あるのではないですかね。
  それにしても
  絵本作家さんのアトリエっていいですね。
  色とりどりで
  夢があります。
  ああいう生活、してみたいなぁ。

  じゃあ、読もう。

絵本作家という仕事絵本作家という仕事
(2012/04/27)
講談社

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sai.wingpen  魔法使いの仕事                   

 絵本作家をあこがれの職業、将来なりたい職業としている若い人も多いと思う。本書は、現役の絵本作家15人に、子供の頃のことや学生時代の過ごし方、絵本に対する思いなどを語ってもらい、それをまとめたものだ。
 絵本作家たちのアトリエや身の周りの様子なども写真で紹介され、なんだかそれ自体が魔法使いの部屋みたいにみえる。
 もしかしたら、この15人の絵本作家たちは、本当に魔法使いかもしれない。子供たちを夢中し、大人たちをしばし静かに立ちどまらせる。
 そんな魔法を彼らはどのように手にしたのだろうか。

 彼らの経歴を見ていくと全員が美術の学校を出ているわけではない。
 『あらしのよるに』のあべ弘士さんは旭川動物園の飼育係だったことは有名だし、独特な関西のノリで人気のある長谷川義史さんは看板屋さんでは働いていた。
 どういう経歴にしろ、彼らに共通しているのは子供の頃から絵が好きだったということだ。
 持ち込んだ出版社の編集者から「絵にもなっていないものを持ち込んで」と叱責された武田美穂はその後『となりのせきのますだくん』でさまざまな賞を受賞するなど、この15人の魔術師たちは絵本作家として認められるまでに紆余曲折の人生を歩んでいるが、絵本作家になるという夢を捨てなかったことでは共通している。

 不思議なのは、この15人の話の中で子供の心理学を勉強したと答えた人がいなかったことだ。
 「絵本はやっぱり。子どもがよろこんでくれるのがいちばんやね」と長谷川義史さんは語っているが、けっしてそれは子供に迎合しているのではなく、自分たちの感性を大事にして絵本を作っている。
 ベテラン作家のスズキコージさんは、それが「読者というみなさんの温かな愛情に育てられる」という。

 そんな絵本のことを武田美穂さんは「めくり」の芸術と呼んでいる。
 絵が一つひとつ独立しているのではなく、連続し、ページをくることで喜びが生まれる。同じようなことを村上康成さんは「めくったときにふうわりと起こるかすかな風」と表現している。
 やっぱり絵本作家は風さえおこせる魔術師たちなのだ。
  
(2012/07/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日佐々木マキさんの
  初期のマンガ集『うみべのまち』を
  紹介しましたが、
  今日は村上春樹さんとの息の合った作品
  『ふしぎな図書館』を
  蔵出し書評で紹介します。
  いいコンビの作品ですから
  書評の方も軽快なステップで
  書いてます。
  文中にある「25年」は
  もう7年前ですから
  今では30年を越えています。
  すごいな。
  この本の表紙は
  羊男とドーナツ。
  表紙から村上春樹さんの世界全開です。
  というか、佐々木マキさんの
  世界全開かな。

  じゃあ、読もう。

ふしぎな図書館ふしぎな図書館
(2005/02/08)
村上 春樹

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sai.wingpen  佐々木マキはいかにして村上春樹と出会ったか                   

 まず初めに書いておくと、この作品は以前『カンガルー日和』という短編集に収録されていた『図書館奇譚』という作品を改題改稿したものだ。
 こういうことってどうでもいいようだけど、すごく大事なことだと思う。<作家デビュー25周年>記念の緊急出版かと早とちりするあわてものの読者もいるだろうし、読み終わってそのことに気がつくっていうのも癪にさわるものだ。だから、最初にきちんとそのことをわかった上で読み始めて下さい。
 で、当時発表されたものに村上春樹さんがどのように手を加えたのかという楽しみを味わえば、一粒で二度おいしいチョコを食べた気分になれるんじゃないかしらん。

 もうひとつの楽しみとして、今回の作品には佐々木マキさんのさし絵がついていることだ。
 おまけの楽しみってあるでしょ。おまけが欲しくってお菓子を買うみたいな。(村上さん、これは喩えです。念のため)
 佐々木さんの描く「羊男」を見ているだけで、村上春樹さんの不思議な世界を共有できたりするから、この作品は佐々木マキさんのさし絵なくしては成立しないような気分になったりする。
 村上さんの頭の中に存在する「羊男」はやはり佐々木マキさんが描く、なんとなく人のよさそうな、それでいて少しずるしそうな表情をしていそうな気がする。

 「羊男」を描かせると世界の画伯に匹敵する佐々木マキさんと村上春樹さんの出会いも、記念すべき25周年にあたる。
 夫婦でいえば、銀婚式である。まことにめでたい。
 当時のことを佐々木マキさんは「表紙の仕事」と題する短文(1989年の雑誌「ユリイカ」6月臨時増刊)にこう書いている。
 「講談社文芸部の編集者から電話があったのは1979年の5月だったと思う」。
 当時「群像」で新人賞を取った村上春樹さんの『風の歌を聴け』の単行本化にあたってのオファーである。佐々木マキさんに依頼がきたのは、村上春樹さんが高校生の頃から佐々木さんの漫画の愛読者だったからだという。
 初恋を成就させたんだ、ムラカムハルキくんは。

 それから紆余曲折あって、佐々木マキさんは神戸の波止場風景を書きあげることになる(この有名な表紙絵は今講談社文庫でも見ることができる)。
 それからあとはもう多くの人が知っているように、村上春樹さんと佐々木マキさんといえば、漫才界の夢路いとしこいしみたいな熟練コンビである。
 今回の出版もどこか閑静な家の縁側で互いに渋茶を飲みながら、「あれから25年ですか、ハルキさん」「そうですね、ここはひとつ二人で記念の植樹でもしませんか、マキさん」みたいな会話があってできた企画ではないかと、一人楽しんでいる、雨の日曜である。(村上さん、佐々木さん、これは喩えです、念のため)
  
(2005/02/20 投稿)

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