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プレゼント 書評こぼれ話

  毎月一冊、
  「向田邦子全集・新版」を読んでいこうと
  決めてから
  もう五か月。
  気がついたら、
  8月も最後の日になってしまいました。
  まるで夏休みの宿題を
  最後の日に片付けているような気分。
  反省しています。
  毎月読むと決めたのですから
  最後までとっておくこともないのですが
  いやはや、すみません。
  第五巻めからは
  エッセイの巻になります。
  まずは名作『父の詫び状』。
  何度読んでもうまいと思います。
  名人芸。
  これぞ、向田邦子ワールドの本領発揮。

  じゃあ、読もう。

向田邦子全集〈5〉エッセイ1 父の詫び状向田邦子全集〈5〉エッセイ1 父の詫び状
(2009/08)
向田 邦子

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sai.wingpen  昭和の匂いがするエッセイ                   

 銀座という街は日本の街の中でも特別だ。柳並木の時代から海外の有名ブランドが軒を連ねる今に至るまで街の様相は変わったけれど、銀座という街の気質は変わらない。
 上品でおっとりしていて人が集まってもざわざわしていない。高級感はそこが扱う商品の価格以上に、人間の質にあらわれている。
 「銀座百点」という雑誌はそんな銀座という街によく似合っている。
 「向田邦子全集・新版」第五巻に収録された、エッセイ『父の詫び状』はそんな「銀座百点」に昭和51年3月から昭和53年6月にかけて連載されたものだ。向田邦子が銀座の街にあっていたかはともかくとしても、向田が書く文章はその間合いといい、そのゆったりとして感じといい、銀座によく似あっている。

 『父の詫び状』はこの連載の7年前に亡くなった向田の父の思い出を中心に、祖母、母、弟や妹たちの懐かしい表情が活写されている。
 エッセイでありながら、よくできた短編小説を読んでいる気分になる。
 向田はこの中で「記憶というのは、糸口がみつかると次から次へと自然にほどけてくる」(「学生アイス」)と書いている。そのつながりの上手さが絶妙である。
 表題作となった「父の詫び状」では、まず「伊勢海老一匹の到来物」の話からはじまる。その匂いが玄関先に染みついた話となり、「子供の頃、玄関先で父に叱られたことがある」と続く。
 伊勢海老が一挙に父との関係につながっていく。こういう呼吸は向田ならではの間だといえる。
 堅物だった父親の窮屈な性格がお客を迎えた向田家の玄関先の騒動から見事に描かれている。お客の粗相をぬぐう向田。しかし、父親はそんな長女に面と向かって礼も詫びもいれない。ただ、何日か経って離れて暮らす向田のもとに「此の度は格別の御働き」という文面の手紙が届いたきり。「それが父の詫び状であった」と、最後に書きしたためた向田の心配りがにくい。
 でしゃばらず、少し斜にかまえながらも、愛情がある。
 この一文こそ、銀座の気分そのものだ。

 今NHKの朝の連続ドラマで放映されている「梅ちゃん先生」の主人公梅子の父も向田の父のように頑固である。そのしぐさがまるで向田の父のようである。
 「梅ちゃん先生」の作者は、あるいは向田のこのエッセイ集を意識しているのかもしれない。ドラマと同じように、このエッセイは昭和の匂いそのものだ。
  
(2012/08/31 投稿)

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  昨日に続いて
  今日も「日活ロマンポルノ」関連本の紹介です。
  寺脇研さんの、ずばり
  『ロマンポルノの時代』。
  成人指定の映画が
  青春時代とかぶさったおかげで
  私もたくさんのロマンポルノを
  見ました。
  特に前期の作品が多いですね。
  そんな思いがあるので
  今日の書評のタイトルは
  森田公一とトップギャランが歌った
  「青春時代」の
  一節を引用しました。
  青春とは
  まさに道に迷っているばかりで
  あの頃のロマンポルノには
  そんな道に迷う感じが
  よくでていました。
  ポルノ映画ではありますが
  私にとっては
  まちがいなく青春映画そのものでした。

  じゃあ、読もう。
  

ロマンポルノの時代 (光文社新書)ロマンポルノの時代 (光文社新書)
(2012/07/18)
寺脇 研

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sai.wingpen  青春時代のまん中は道に迷っているばかり                   

 私にとって、本書の著者寺脇研さんは思い入れのある映画評論家です。
 私が高校生の頃、かれこれ40年も前のことです、いっぱしの映画青年きどりで映画専門誌「キネマ旬報」を愛読し、その「読者の映画評」コーナーにせっせと投稿していた頃、そのコーナーの常連が寺脇研さんでした。
 当時寺脇さんもまだ高校生だったのではないかなぁ。しばしば掲載されていましたから、私のような投稿者とは随分質のしっかりした内容だったような気がします。(本書にはその当時の投稿記事も掲載されています)
 社会人になり私はあまり映画を観なくなって寺脇さんのことも忘れていたのですが、偶然にも文部省の役人になったあとの寺脇さんの講演を聴く機会がありました。
 小さな会でしたので、そのあと懇話みたいな会があって、寺脇さん本人と話す機会があって投稿時代の話をしましたが、もちろん寺脇さんは数回しか採用されなかった私のことなど知りませんでした。
 私にはあの頃のことがただただ懐かしく、あの頃はまさに「映画の時代」であり、「ロマンポルノの時代」だったのです。そう、1971年からの数年間は私にとって「青春時代」そのものでした。

 日活ロマンポルノがスタートしたのは、1971年11月。
 経営に行き詰った日活が苦肉の策としてはじめた企画でした。
 たくさんのスターを輩出し、数多くの名作を生み出した日活が低予算でしかもエロ映画まがいの作品をつくるということで、所属のスターだけでなく多くの人材が外部に流出してしまいます。皮肉にもそのことがロマンポルノに勢いをつけました。白川和子、片桐夕子、山科ゆり、宮下順子といった女優だけでなく、神代辰巳や田中登といった名監督が誕生しました。
 映画作りの若いエネルギーは映画にも力を与えましたし、若い映画ファンや映画評論家は喝采をもって迎えました。当時の「キネマ旬報」がそれに大いに貢献したことは、本書でつぶさに検証されています。

 また、この本では従来あまり評価されていないロマンポルノの後期の作品にも光をあてています。現在の日本映画を支える監督たちがロマンポルノを契機として誕生している事実は、日本映画史にとってロマンポルノは特筆すべき作品群であったことを証明しています。
 また寺脇さんはポルノ作品では裏方でもある男優や脚本家にも目をそそいでいます。
 「ロマンポルノの時代」を生きたものにとっては青春の思い出のような、一冊です。
  
(2012/08/30 投稿)

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  来月、日活が創立100周年を迎えます。
  日活といっても
  わからない若い人もいるかもしれませんが
  映画会社です。
  東宝とか東映とか松竹とか大映とか。
  日活をふくめて五社と呼んでいました。
  日活といえば
  私にとっては「ロマンポルノ」。
  ポルノというくらいですから
  成人指定の、
  つまりは20歳未満の人は見れない、
  映画でした。
  ちょうどそのあたりで
  20歳を迎えた私ですので
  まあもうちょっと若かった頃でもありますが
  青春期の映画として
  色々考えさせられたのは
  ロマンポルノの作品が
  多くあります。
  そんな「ロマンポルノ」関連本が
  立て続けに出版されました。
  今日と明日で紹介します。
  まず、今日は
  ミスター・ロマンポルノとも称される
  小沼勝監督による
  『わが人生 わが日活ロマンポルノ』。
  表紙の写真は
  小沼勝監督の代表作でもある「花と蛇」のワンシーン。
  女優さんはもちろん谷ナオミさん。

  じゃあ、読もう。

わが人生 わが日活ロマンポルノわが人生 わが日活ロマンポルノ
(2012/05/25)
小沼 勝

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sai.wingpen  表紙は過激ですが                   

 映画会社の日活が今年創立100周年を迎える。
 かつて石原裕次郎、小林旭、渡哲也、吉永小百合といった綺羅星のごときまさに「スター」を輩出した日活は東宝や東映あるいは松竹とは肌合いの違う映画を得意とした。それは無国籍映画として語られるようにここではないどこかの異次元空間とでもいえばいいのだろうか。それは吉永小百合と浜田光夫の青春映画でも同じだった。そういう意味ではもっとも映画らしい映画を製作していたともいえる。
 ただそれも昭和30年代までのことで、私が映画に夢中になりかけの頃、最後の日活作品ともいわれた「八月の濡れた砂」(1971年・藤田敏八監督)になんとか追いつけただけだ。
 そのあと、日活は「日活ロマンポルノ」と呼ばれる低予算のポルノ路線にはいっていく。

 この時、多くの映画人が日活の元を去った。その一方で若い人たちが映画監督として台頭してくる。
 またほとんど演技すらできない女優たちが惜しげもなく白い裸身をさらけだし、若者たちに支持されていく。二十歳前だった私もその頃の邦画でもっとも多く観たのは日活ロマンポルノだった。
 やがて、神代辰巳や田中登といった監督たちの作った作品は映画史の中でも高い評価を得ることになる。そんな「日活ロマンポルノ」もアダルトビデオの隆盛により、1988年には終焉を迎える。
 わずか17年という短い期間ではあるが、「日活ロマンポルノ」がその後の日本映画に残した功績は大きい。しかし、残念ながらその資料という点ではかなり貧弱だ(黒澤明関連の資料などと比べると明らかだろう)。

 だから、小沼勝のように当時の撮影所の状況を知る映画人が「日活ロマンポルノ」について語ってくれるのはとてもありがたい。銀幕の中で観客たちをしばし陶然とさせた女優たちの撮影風景は今となっては貴重といっていい。
 神代辰巳にしろ田中登にしろ今や鬼籍となった監督が多い中、小沼勝の映像が見直され、こうして自伝のような作品が残されるのも、「日活ロマンポルノ」を愛する人がまだ多くいることの証のような気がする。

 できるならば「日活ロマンポルノ」の名作をBS放送などで観たいところだがなかなかその機会はない。
 黒澤明の作品と比較するのはおかしいかもしれないが、小粒とはいえ日本映画史に燦然と輝く映画群であったのは間違いない。
  
(2012/08/29 投稿)

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  先日(8.26)NHKBSで
  今日紹介する
  永田和宏さんの『歌に私は泣くだらう』を原作とした
  ドラマ「うたの家 ~歌人・河野裕子とその家族」が
  放映されました。
  ご覧になった方も多いと思います。
  河野裕子さん役にリリィさん。
  リリィさんといえば
  「私は泣いています」っていう唄で
  大ヒットしたことがあります。
  あのかすれた声が魅力。
  今では
  いい味を出す女優として活躍しています。
  ご主人の永田和宏さん役は風間杜夫さん。
  私の好きな男優さん。
  ドラマでもそうでうが
  晩年の河野裕子さんの壮絶な姿が
  胸を打ちます。
  この本の最後も
  きっと涙する読者は多いと思います。
  ぜひ読んでもらいたい一冊です。
  ちなみにこの本のタイトルとなったのは
  永田和宏さんのこの歌からの引用です。

    歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る

  じゃあ、読もう。

歌に私は泣くだらう: 妻・河野裕子 闘病の十年歌に私は泣くだらう: 妻・河野裕子 闘病の十年
(2012/07/20)
永田 和宏

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sai.wingpen  この世にて会ひ得しことを幸せと思ふ                   

 どんな家にも家族だけに秘された、棘のようなものはある。噂話として語られることはあっても、それらの多くは表に出ることはない。
 だから、作家たちがそれらを描く時、多くは衝撃をもって受け止められる。
 檀一雄の『火宅の人』、島尾敏雄の『死の棘』、萩原葉子の『蕁麻の家』といった作品たちを例にひくまでもなく、それらがもっていた衝撃はその一方で多くの感動をもたらせてくれた。
 それらの名作に匹敵する感動作がまた生まれた。
 それが歌人永田和宏が2010年に亡くなった妻で同じく歌人の河野裕子の、乳がんの発症から10年に及ぶ闘病の姿を描いたこの本である。

 河野裕子は家族歌を多く残した歌人である。
 夫を想い、息子や娘に心を寄せるその歌の多くに感銘を受けた人も多いだろう。またしっとりと落ち着いた上品な文章のさまざまに豊かな思いを感じる人もいるだろう。
 そんな河野が闘病生活の中で、時に夫をなじり、胸を擲ち、包丁までも持ち出す姿に目をみはる。
 河野はどこまでも深く、夫である永田を愛していた。それゆえの謗りであり、怒りだった。なじられ責められる夫はそんな河野の心情をわかるがゆえにただ黙して怒りが過ぎ去るのを待つしかない。

 やがて、病の進行とともに河野は静かさを取りもどす。しかし、二人にとって、もはや残された時間は多くはない。
 夫である永田は死の直前まで河野に意識の混濁が進む投薬をしようとはしなかった。苦痛がないわけではない河野にそこまでして生かそうと願ったのは、歌人としての河野裕子を全うさせようとしたからだ。
 永田にとって、河野裕子は妻以上に尊敬されるべき歌人だったのだ。

 永田は河野の歌を「言葉と言葉の続き具合が、自然でやわらかく、一首が屹立して強い印象を残すというよりは、読者の心にそっと寄り添うように入ってくるといった文体」と評している。
 そんな歌を詠む歌人が自分の妻であること。もしかすると、その事実の方が永田にとってはつらかったのではないだろうか。
 河野の死の場面、河野の胸に顔をうずめ泣く永田。そんな永田の頭をやさしく抱きしめる河野。
この時、永田と河野はまちがいなく夫婦であっただろう。
 「さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ」。そんな一首を河野裕子は残している。
  
(2012/08/28 投稿)

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  今日紹介する
  「精選女性随筆集」第六巻は
  宇野千代さんと大庭みな子さん。
  選者は小池真理子さん。
  このシリーズはその名の通り
  女性だけの随筆集だが
  一口に女性といっても
  さまざまなタイプがあります。
  もちろん女性だけが色々あるわけでもなく
  男性だってそうです。
  つまり、人間とはさまざまなタイプの
  寄せ集まりなのです。
  そんななかでは
  どうしても自分と近いタイプに魅かれるものですが
  時には
  まったく真逆のタイプに魅かれることもあるようで
  そのことも面白いといえば
  面白い。
  生きていくことは
  そんなことの繰り返しではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

精選女性随筆集 第六巻 宇野千代 大庭みな子精選女性随筆集 第六巻 宇野千代 大庭みな子
(2012/06/10)
宇野 千代、大庭 みな子 他

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sai.wingpen  あなたはどちらのタイプ?                   

 「精選女性随筆集」の第六巻は、宇野千代と大庭みな子という、タイプの全く違う二人の作家の随筆を小池真理子さんが選者となって選りすぐった随筆が収められています。
 宇野千代といえば尾崎士郎や東郷青児との婚姻生活の果て、北原武夫と結婚し、「スタイル」という雑誌により脚光を浴びながらもやがて倒産。北原とも離婚するという、女として波乱万丈の一生を送った作家である。98歳で亡くなるまで、特に晩年はかわいいおばあちゃんとして若者にも支持された。
 一方、大庭みな子は60代の頃に脳梗塞に倒れ、その後は夫の献身に支えられ、一生を全うした作家である。作家という特殊な職業ではあったが、考えようによっては、ごく普通の女性であった。
 そんな好対照ともいえる二人の作家の随筆をまとめるに際して、小池真理子は巻頭の文章を「女であること」と題した。
 奔放な性愛を生きた宇野千代も、手堅い夫婦生活を生きた大庭みな子も、「女であること」には変わりなかったのだろう。

 宇野の随筆は、「生い立ち」「敬い、愛した男たち」「小説を書くということ」「私の人生論」という4つの章に、大庭のそれは、「結婚は解放だった」「生命を育てる」「文学・芸術・創作」「作家の肖像」「少女時代の回想」という5つの章にまとめられている。
 特に宇野の場合、浮名が文名よりも際立っていたが、その随筆からは書くということへの執念さえ感じる。
 彼女の場合、男性との関係は文学上の肥やしだったかもしれないが、実際は彼女の書くことへのあくなき執念がそれを上回っていた。だとすれば、宇野の文学はもっと評価されなければならないような気がする。
 書くという一点においては、大庭よりも宇野の方がこだわりを持っていたのではないだろうか。

 大庭の場合は、夫婦の関係もそうだが、文学においてももっと突き放している。
 それを人は「理知的」とも評するのだろうが、「理知」という冷静さは熱情を生まない。
 こうして二人の個性の違う作家の随筆を読んで、あらためて宇野千代の女性としてのかわいらしさに触れた気がする。
 男性は、どちらのタイプの女性に惚れるのだろう。
  
(2012/08/27 投稿)

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  いつまでも暑いですね。
  猛暑といわれた一昨年と比べると
  どちらの方が暑いのですかね。
  もっとも
  夏には毎年、暑いね、ってぼやいてる気が
  しないでもないですが。
  そんな暑い夏にうってつけの絵本を
  今日は紹介します。
  いわむらかずおさんの『14ひきのとんぼいけ』。
  この14ひきシリーズは季節に応じて
  色々な作品があって
  季節に合った作品を選ぶのも
  いいですよ。
  それにしても
  いわむらかずおさんの絵柄は
  やさしくて
  いいですよね。

  じゃあ、読もう。
  
14ひきのとんぼいけ (14ひきのシリーズ)14ひきのとんぼいけ (14ひきのシリーズ)
(2002/06/30)
いわむら かずお

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sai.wingpen  涼をもとめて                   

 昔の人はさまざまな工夫で夏の暑さをしのごうとしたものです。たとえば、風鈴。あのチリンチリンという涼やかな音色に涼を求めました。怪談噺もそのひとつ。ゾーッとする噺で寒気を出そうとしました。縁台、浴衣、うちわなども涼しさを誘います。
 最近は工夫というよりももっと即物的な冷たさを求めます。
 クーラーがなければ夜も過ごせない。扇風機は節電の夏の必需品。その他、気分を冷やすのではなく、体そのものを冷やすことに目がいきすぎているような気がします。
 緑陰読書なんていうのも昔の人の工夫ですが、今はもっぱら冷房の効いた図書館での読書です。
 せめて本だけは涼しげなものを選びたい。

 いわむらかずおさんの「14ひきシリーズ」の夏の一冊はこれ。『14ひきのとんぼいけ』。
 おなじみ、14ひきのねずみの家族の物語。暑い日、木漏れ日の下で14ひきの家族が輪になって昼食を食べています。一面涼しげな薄緑の色。子どもたちはとんぼいけで遊ぶ相談をしています。
 とんぼいけにはその名のとおり、たくさんのとんぼがいます。
 おおるりぼしやんま、赤いしょうじょうとんぼ。ぎんやんま。しおからとんば。のしめとんぼ。
 さすがにいわむらさんの絵はそれぞれのとんぼの特徴をよくとらえています。見たこともないとんぼもたくさんいますが、羽根をふるわせ飛んだり休んだりしているとんぼをみているだけで、暑さも忘れてしまいます。

 このとんぼいけには、とんぼのほかにもかえるも、いもりも、このいもりにはっくんのしっぽがくいつきます、げんごろうもいます。
 都会ではこういう池をすっかり見かけなくなりました。
 だから、せめて絵本の世界で遊ぶしかありません。
 とんぼいけに木の枝でつくったボートでこぎだしたねずみのきょうだいと一緒に遊ぶしかありません。
 いわむらさんの絵がやさしくて丁寧だから、本当に池の上にこぎだした気分です。
 緑の色を基本の色にして涼やかな絵本。それがこの絵本です。
 最後には少し秋色。
 「ひぐらしがなきはじめた」帰り道に、たくさんのあかとんぼが飛んでいきます。
 暑さももうしばらくの辛抱ですね。
  
(2012/08/26 投稿)

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  今日は
  丸谷才一さんの書評集『快楽としての読書 日本篇』を
  紹介します。
  この本は
  先にこのブログでも紹介しました
  『快楽としての読書 海外篇』に
  先行して刊行されたものです。
  だから、私の記事はあべこべ。
  でも、[日本編]からでも[海外編]からでも
  どちらを先に読んだからといって
  何か問題が生じるかと言われれば
  なんにも問題はありません。
  ふたつの文庫とも
  和田誠さんの装丁で
  和田誠さんのイラストがはいっています。
  和田誠ファンとしては
  もっと多く掲載してほしかったのですが
  それはまた別の機会ということで
  今回は丸谷才一さんの藝に
  酔いしれて下さい。

  じゃあ、読もう。

快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)
(2012/04/10)
丸谷 才一

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sai.wingpen  犬も歩けば書評にあたる                   

 丸谷才一さんは書評の特長として、まず内容の紹介であること、評価がきちんとされていること、文章として読む楽しみがあること、そして批評性、その四つをあげている。
 この本ではそんな丸谷さんの書評が122篇収められている(この巻では日本の作者による本、[海外篇]で外国の作者によるものと分冊になっている)。
 これだけの量ともなると、書評といってもいささか食傷ぎみになるものだが、そこはなんといっても丸谷さんの書評である。読み物として完璧なのだ。
 ここで取り上げられているのはさまざまな本で内容的には一般読者として難しいものもかなりあって、内容の紹介、評価といわれてもついていくのも大変だ。それを一気に読ませるのは、丸谷さんの筆の力といっていいだろう。

 どの書評も書き出しがいい。
 いったいにいい文章というのはまず読者をうまくひきつけるものだが、書評であっても文章の魅力は書き出しといいたいくらいに、丸谷さんはうまい。
 直球勝負の時もあれば、変化球でいなしてそのあとずばんとど真ん中へというのもある。あるいは、最初からつり球というのもあり。書評というよりも読み物として、書き出しは重要という見本。
 終わりもいい。褒めるのも貶すのもいい。貶すにしても優しさがあり、褒めるにしても節度がある。それでいて、終わりはいさぎよく直球のみ。読み手を迷わさない。
 では、真ん中はどうなんだといわれたら、丸谷さんの才が勝ちすぎて四苦八苦。快刀乱麻の配球に唖然と見送ることばかり。

 それとタイトルのつけかたが絶妙だ。
 井上ひさしの『私家版日本語文法』には「黒板のない教室」、高田静の『さつまあげの研究』には「西郷も大久保も食べた」と、こういうタイトルなら読む前から食指をそそられる。
 芥川賞の選評などでよくもう少し題名のつけかたに工夫をしたらと書かれることがあるが、実作者たちも丸谷さんの書評タイトルでもう少し勉強した方がいいかも。

 この[日本編]には書評のほかに「書評のある人生」としてまとめられた文章が三篇収められていて、日本の書評事情がよくわかる。もちろん、丸谷さんが大いに書評文化を喧伝した功績も大きい。
  
(2012/08/25 投稿)

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  今日は
  「精選女性随筆集」第5巻の
  「武田百合子」さんをお届けします。
  選者は川上弘美さん。
  武田百合子さんといえば
  作家の武田泰淳さんの奥さんですが
  彼女が夫に勧められて書いた
  『富士日記』はつとに有名です。
  もしかしたら
  今では夫の武田泰淳さんより
  有名かもしれません。
  何しろ『富士日記』は今でもたくさんの人に
  愛されています。
  ということで
  この随筆集でもその『富士日記』がメインに
  なっています。
  きっとこの随筆集で
  『富士日記』にはまった人は
  全文を読みたくなるでしょうね。
  本当にいい文章です。
  まさに文章を読む愉しみ。

  じゃあ、読もう。

精選女性随筆集 第五巻 武田百合子精選女性随筆集 第五巻 武田百合子
(2012/06/12)
武田 百合子

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sai.wingpen  飾らない人が一番いい                   

 「精選女性随筆集」の第五巻は、川上弘美さん選による武田百合子さんの随筆集です。
 まずもって、「目次」がいい。「目次」がいい、というのもおかしいですが、このページを見るとこの随筆集の性格がわかるような気がします。
 「目次」の先頭に、「人、です。 川上弘美」と、まずあります。
 これは、このシリーズの特長でもありますが、小池真理子さんと川上弘美さんという二人の選者がそれぞれの巻の巻頭に著者についての解説エッセイを載せています。
 「人、です。」は、今回の選者川上弘美さんのエッセイのタイトル。これがいい。
 多くを語らず(実際に川上さんは武田さんの収録文章を多くしようとこの文章を短くしてそうです)、それでいて武田さんの文章の魅力をそつなく書きとめています。たぶん、川上さんのこのエッセイを読むだけで武田さんの文章が読みたくなります。

 次は、この随筆集の主力でもある「『富士日記』より」とあって、日記の年表示が続きます。
 武田百合子さんといえば、小説家の武田泰淳の妻として日記を書くことを勧められ、泰淳の死後それが公になって、その飾らない文章が人気を呼んだ文筆家です。
 この随筆集では残念ながら全文掲載ということにはないため、目次には「『富士日記』より」と「より」が付いているのですが、それでも武田さんの文章のうまさに感服します。
 心に余裕のある人しか、こんな文章は書けないのではないかしらん。
 どんなに苦しくてもまだ大丈夫、どんなに楽しくてもまだ楽しめる。そんな生活が見事に文章化されています。川上さんはそんな文章を書いた武田さんを評して、「人、なんだなあ」と書いています。
 つまり、人っていうのはそういう心を余白を十分に使える人のことをいうのでしょうね。
 この本では、この「『富士日記』より」が重心には違いないですが、そのあとに続く、「『ことばの食卓』より」も「『遊覧日記』より」も「『日々雑記』より」も「単行本未収録エッセイ」も、みんないい。

 やっぱり人って飾らないのが一番素敵なんでしょうね。
  
(2012/08/24 投稿)

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 昨日、北原みのりさんの『アンアンのセックスできれいになれた?』を
 紹介しましたが、
 タイミングよく「an・an(アンアン)」8/15-22合併号は
 そのSEX特集だったので、
 男の私が、しかもけっこう年をとっている私が
 本屋さんで「アンアン」を手にしてレジへとまいりました。
 レジの女性は「へんなオジサン」と思ったからしれませんが、
 これも本をよりよく楽しむためのもので
 それ以外の邪(よこしま)なものは全く、
 うーん、85%ぐらいはありません。
 というわけで、
 今回の「雑誌を歩く」は
 「an・an(アンアン)」8/15-22合併号(マガジンハウス・500円)、
 「感じあう、SEX」を紹介します。
 いつになく、気合いがはいります。

an・an (アン・アン) 2012年 8/22号 [雑誌]an・an (アン・アン) 2012年 8/22号 [雑誌]
(2012/08/10)
不明

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 まず、今号の表紙。
 AKB48の「こじはる」こと、小嶋陽菜さん。
 もう、これでむむむ。
 表紙だけではありませんぞ。
 「小嶋陽菜、無意識のエロティシズム。」と題して
 下着姿もあらわな小嶋陽菜さんの写真が何枚も。
 むむむ。
 これは「週刊ポスト」ではなく、
 あくまでも女性誌「アンアン」。
 いいなぁ。「アンアン」。
 女性たちよ、男性にも解放せよ。
 どうも今回はテンション高めだなぁ。

 目次だけでも追いかけると

  みんな、セックスのことをこんなに大切に考えていた
  感じあう、SEX

 少し道草をするとこれは268人の読書アンケートで
 ちなみに「週に1回セックスしている女性は42.9%」だということです。
 むむむ。
 どうも今日は気合いがちがう。
 先に進みます。

  時にはセックス以上の快感!?
  “感じあうキス”24のテクニック。

 ここも道草すると
 ていねいなイラスト付きで
 お口でのナニのキスも・・・
 むむむ。
 いかん、いかん。
 先を急ぎましょう。

  もっと楽しく、官能ワールドに浸りたい!!
  “感じあうSEX“情報ワイド大特集。

 えーと、ここは先へ。

  読むだけでエクスタシーの境地へ。
  官能系マンガ&小説、厳選ガイド。

 どうも、こういう風に
 さすが「アンアン」のSEX特集号だけあって
 過激な目次が、
 もちろん内容もですが
 続きます。
 もっと詳しくレポートしたいのですが
 すこし動悸が激しくなってきたようなので。
 しかも、
 今回特別付録として「女性のためのDVD」も付いています。

 ふと思ったのですが
 もし娘がこの「アンアン」を読んでいたら
 なんといえばいいのでしょうか。
 やっぱり、
 「あとで読ませて」でしょうか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  かつて野坂昭如さんが歌って話題になった
  「黒の舟唄」。

   ♪ 男と女の間には
    深くて暗い河がある

  本当に男女の間には
  越えられない河があると感じる時があります。
  もちろんそれは性差ということも
  ありますが、
  根本的に構造が違うのかもしれませんね。
  草食系男子、肉食系女子。
  昔は男は肉食だったはずなのに。
  今日紹介するのは
  「アンアン」という女性誌にしばしば特集される
  SEX記事を追いかけた
  北原みのりさんの『アンアンのセックスできれいになれた?』。
  ちょっと興味本位で読んでみたのですが
  とんでもありません。
  すごく刺激的な本でした。
  97年に起こった東電OL殺人事件にも言及し、
  (これがまた鋭い)
  現在の東電の姿を見事にいいあてています。
  こういう本こそ
  広く読んでもらいたいと
  思います。
  
  じゃあ、読もう。

アンアンのセックスできれいになれた?アンアンのセックスできれいになれた?
(2011/08/19)
北原 みのり

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sai.wingpen  男と女の間には                   

 「アンアン」というのは1970年創刊された女性誌です。20歳前後の若い女性が読者の対象でしょうか。
 雑誌という商品は難しい商品です。たとえばこの「アンアン」にしても紙面コンセプトはターゲットとなる年齢層向けに作られます。しかし、読者は間違いなく年を重ねますから、人気誌といってもうかうかとしていられません。次の世代に向けての紙面作りも必要となります。
 ちなみに創刊当時20歳だった女性はもう還暦を迎えています。60歳を過ぎた女性と「アンアン」はちょっと想像しにくい。
 だから、出版社は「アンアン」を卒業した人には「○○」誌を、40代には「△△」誌という戦略をたてます。
 その一方で、「アンアン」側からみれば、常に20歳前後の女性をターゲットにしていますから、創刊からずらりと並べればそれはここ40年の女性の変遷を読むことになります。
 本書はそういう作業から始まった、極めて真面目な女性史といえます。

 著者の北原みのりさんは「アンアン」と同じ1970年生まれ。現在女性のためのアダルトグッズショップを経営する傍ら、女性目線で多くの発言をしています。
 そんな北原さんが19歳(1989年)の時、「アンアン」の「セックスで、きれいになる。」という特集が組まれます。この後、「アンアン」は男優のヌードなどを掲載しながら定期的に衝撃的なセックス特集を刊行し、それは現在でも続いています。特に話題の男優や女優の写真が掲載された号は売り切れ店がでるほど、この特集は人気を保っています。
 その特集記事を読み進めながら、北原さんは女性のセックスに対する考え方、社会の女性を見る視線を年代順に追いかけていきます。
 「アンアン」が創刊された1970年を「戦後たった25年」と看破した北原さんですから、それぞれの時代のセックス記事から女性の変化をあからさまにしています。

 1989年の最初の特集号を「新しく、挑戦的で斬新だったのだ。セックスなのに、オシャレ」で、しかも「全然男に媚びていない」と読み取った北原さんは現在のそれは「自由の象徴ではなく」なったとみています。しかし、これは女性たちのせいなのでしょうか。
 そういう意味では、この本は女性史でもありながら、男性史という側面ももっています。何しろ、セックスは女と男のいとなみなのですから。
  
(2012/08/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  児玉清さんが亡くなったのは
  2011年5月だからもう一年が過ぎた。
  それほど目立つ俳優さんではなかったから
  今日紹介する『すべては今日から』の表紙写真を見ると
  まだ生きているような感じさえする。
  こと、本に関しては
  児玉清さんの存在感は
  とても大きかった。
  この本でもそうだが
  海外小説についての博識は
  尋常ではない。
  そんな児玉清さんがいないというのが
  なんとも寂しい。
  できれば、児玉清さんのような
  ダンディなシニアになりたいものだが
  どうも自信がない。
  何がちがうのか。
  全部違うといわれれば、
  それまでなのだが。

  じゃあ、読もう。

すべては今日からすべては今日から
(2012/04/27)
児玉 清

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sai.wingpen  男の顔は書棚                   

 「男の顔は履歴書」といったのは大宅壮一らしいが、本書の表紙写真の著者児玉清さんのお顔を拝見すると、なるほど、この言葉の意味するところがよくわかる。
 こういう履歴書であればいうことはない。
 この本は、昨年(2011年)亡くなった児玉清さんが生前書き残した文章で単行本未収録のものを集めた文集である。児玉さんといえば、NHKBSの「週刊ブックレビュー」の司会を長年務め、無類の本好きであることは有名だが、この本にも本好き(特に海外小説が好きだった)の児玉さんならではの書評が数多く収められている。

 そんな児玉さんだがどのように本好きになっていったかは、最初の「本があるから生きてきた」という章に詳しく書かれている。海外小説に没頭するあまりついには原書にまで手をのばす児玉さんだが、それはもっぱら「好きな作家の本をいますぐ読みたい」という願望によるものだ。
 もともとはユダヤ系の作家ツヴァイクにひかれて大学でドイツ文学を学んだ児玉さんだから(本書のタイトルである「すべては今日から」も学生時代に出会ったドイツ語だという)、本読みとしての素養は十分にあったと思う。
 ところが人生の面白いというか不思議であるが、大学の卒業式当日に母親が急逝する。そのことが児玉さんを俳優の道に進めることになる。そのあたりのことは、本書の第三章「忘れえぬ時、忘れえぬ人」の「運命の転機」と題された文章に詳しい。

 児玉さんのえらいところは俳優になっても本を読むことをやめなかったことだ。どころか、芝居でうまく演じられない時の児玉さんの落ち込みを救ったのは、本だった。
 生涯海外の推理小説を愛し、若い頃読んだ『野菊の墓』に何度も涙し、藤沢周平などの時代小説に胸うたれた人生。晩年には「日本、そして日本人へ」という章にまとめられたように、これからの日本を憂い、励まし、よりよい世界であれと願った人生。

 児玉清さんの顔にある上品さ、知性は本に培われたものだとしたら、男の顔はあふれかえった書棚のようなものだともいえる。
  
(2012/08/21 投稿)

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 先日17日の日に
 「7のつく日は007」なんていう
 IMAGICA BSの宣伝みたいな記事を書きましたが、
 今日は20日。
 それにならっていうなら、
 「0のつく日は009」。
 でも、「0のつく日は007」でもいいのですが。
 今回の「雑誌を歩く」はそういうことで(どういうことなんだ!?)
 「サイボーグ009完全読本。」と銘打った、
 「pen」9/1号(阪急コミュニケーションズ・630円)を
 紹介します。

Pen (ペン) 2012年 9/1号 [雑誌]Pen (ペン) 2012年 9/1号 [雑誌]
(2012/08/16)
不明

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 「サイボーグ009」はいうまでもなく
 漫画家石ノ森章太郎さんの代表作です。
 この表紙を見て
 本屋さんに走りました。
 とにかく009はかっこいい。
 大好き!
 ちなみに表紙右側に立つのは
 この秋公開される映画(神山健司監督)の009。
 ここまでキャラクターイメージを変えてしまっていいのかと
 昔を知るファンとして
 いささか憤りを感じますが。

 「サイボーグ009」の魅力は
 なんといっても石ノ森章太郎さんの絵の魅力だと
 私は思っていて、
 1964年に「少年キング」に連載された最初の「009」も
 私からすれば初期でやむなしという感じです。
 ちなみに本誌では
 初期の漫画から次々と連載誌を変えて描き継がれた作品を
 「15誌を越えて掲載された、驚異の作品。」という記事で
 読むことができます。
 
 この漫画はある意味群像漫画としても読むことができ、
 9人のサイボーグが活躍します。
 主人公の「009」の本名は島村ジョー。
 日本人の母と外国人の父との間に生まれたハーフです。
 たぶんこの漫画のファンなら
 それぞれにお気に入りのメンバーがいると思いますが、
 そのあたりも「バラエティと創造性に富んだ、登場人物図鑑。」で
 しっかりおさえることができます。
 私のお気に入りは
 メンバーの紅一点、「003」のフランソワーズ。
 フランス女性という設定ですが、
 石ノ森章太郎さんの描く女性像には
 早逝した実のお姉さんのイメージがあるようです。
 とてもきれい。

 今回の「pen」では
 その他にも「サイボーグ009」の極めつけの言葉集とか
 作者「石ノ森章太郎は、どんな人物だったのか。」とか
 「009の変遷と石ノ森章太郎、仕事の軌跡。」(これがいいんです)など
 「完全保存版」の名に恥じない出来になっています。
 さらには、特別付録として
 大型ポスターまでついて、
 ご機嫌な一冊です。
 今すぐ、本屋さんに行きましょう。

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プレゼント 書評こぼれ話

  夏休みも終盤になってきましたね。
  今年も海や川に行った人多いのでしょうね。
  私は夏休みをゆっくり
  静養。
  読書に映画鑑賞三昧。
  動かないって決めたら
  そういう夏休みの過ごし方も
  まあいいかな。
  今日紹介する
  レオ・レオニの『はまべにはいしがいっぱい』は
  夏の思い出にぴったりの絵本。
  そうだ、
  この絵本を参考に実際の石をつかって
  立体絵本を作ってみたら
  どうでしょう。
  夏休みの宿題にぴったり。
  われながら、
  いい考えだと思うけどね。
  今日の書評タイトル「ひと夏の経験」は
  もちろん山口百恵さんのヒット曲。
  なつかしいなぁ。

  じゃあ、読もう。  

はまべにはいしがいっぱい (レオ=レオニの絵本)はまべにはいしがいっぱい (レオ=レオニの絵本)
(2012/04/06)
レオ=レオニ

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sai.wingpen  ひと夏の経験                   

 レオ・レオニといえば、デビュー作が「あおくんときいろちゃん」だったせいか、とても色使いの上手い絵本作家だと思っていました。
 そのことはまちがっていないのですが、この『はまべにはいしがいっぱい』を読むとほとんど白黒の色をとりのぞいた世界ながらやはりうまいなぁと感嘆します。
 デッサンができあがっているのでしょう。それでいて単に模写としての上手さではなく、モノが生き生きと描かれています。
 描かれているのが浜辺の石ですから生き生きという表現は正しくないのでしょうが、それでも人の表情をした石や数字が刻まれたような石は本当に浜辺にあります。
 レオ・レオニは鉱物としての石に想像力という生命を吹き込んだといえます。

 そういえば小さい頃浜辺の石を拾って、その形状が何かに似ているとうれしかったものです。それはひと夏の宝物になって、机の引き出しの奥深く仕舞われたものです。この絵本を読むとその頃のことがくすんと思い出されます。
 でも、不思議。あの頃仕舞った石たちはどこに消えてしまったのでしょう。
 鳥の形をした白い石。少し赤みがかったハート型の石。碁石のようにつややかな黒い石。

 レオ・レオニは子どもの気持ちが忘れない絵本作家です。
 消えてしまった思い出の石たちがここにはいっぱい描かれています。それは絵本となって消えることはありません。
 この絵本の本当のタイトルは「はまべにはおもいでがいっぱい」なのかもしれません。
 そうだ。怪獣のたまごのような斑の石もあったっけ。
  
(2012/08/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  「うちの子どもは本を読まなくて」と、
  こぼすお母さんは多い。
  でも、本を読まなくても困るわけではない。
  本を読んだからといってエラくなるわけでもない。
  もちろん、本を読むと
  たくさんのいいことがある。
  生活が豊かになることだってある。
  だから、読まないより読んだ方がいい。
  それでも、強制するのではなく
  自然と子どもたちが興味を持つことから
  始めるのが一番いいのではないでしょうか。
  マンガだっていいし、
  ゲーム攻略本だっていい。
  大切なのは、いつも本がそばにあることだと
  思います。
  今日紹介するのは
  永江朗さんの『本を味方につける本 ---自分が変わる読書術』。
  けっして難しい内容ではありません。
  子どもたちのそばにそっと
  置いてみませんか。
  興味があればきっと読むものですよ。

  じゃあ、読もう。

本を味方につける本 ---自分が変わる読書術 (14歳の世渡り術)本を味方につける本 ---自分が変わる読書術 (14歳の世渡り術)
(2012/07/19)
永江 朗

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sai.wingpen  ガイドブックの写真はいつも晴れている                   

 現代の日本では、ありがたいことに文字を読めない人はほとんどいない。ゲーム本を読むにもスマートフォンの取扱書を読むにも苦労をしないのは、文字が読めるからだ。
 だから、ほとんどの人は本を読むことができる。文字を読むという点では。
 ところが、読書となると、多くの人が二の足を踏む。ゲームができても、スマートフォンを扱えても、読書はどうも苦手という人が多い。本離れといわれて久しい。

 文字が読めても本が読めるとはかぎらない。本を読むには訓練が必要なのだ。えーっ、どうしてと思われるだろうが、文字が読めるのに本が苦手だとしたら、訓練するしかない。それも若いうちに。
 読書はある意味習慣だ。年に一冊しか読まない人は読書が習慣化されていない。本を読む訓練をし、それを習慣化する。
 ゲームにしろスマートフォンにしろ、最初は誰もが訓練をしているはず。そして、それが習慣化していないだろうか。

 この本の中で著者の永江朗さんは「本を読むにはコツがある」とわざわざ一章もうけている。
 そこには「登場人物の名前を覚える」ためのメモ作りや「付せんを貼」ったり「線を引く」といった多くの本好きな人たちがしているコツがたくさん紹介されている。
 そういうコツを知ることで、読書の愉しみが広がる。
 面白いのは、「本を手なづける」という章で、さすが書店員で働いていた著者らしく、本の構造をわかりやすく解説し、解剖? までしてしまうのである。
 本というのは傷めてはいけない、汚してはいけないという固定概念が強い商品だ。それをバラバラにして「手なづける」のは、その固定概念を壊すにはうってつけだろう。
 読書が苦手な人にはまず「手なづける」習慣も必要だ。

 この本は「14歳の世渡り術」という子供向けのシリーズの一冊だが、永江さんはけっして本が一番大事とは書いていない。むしろ、本に書かれていないことを見つけることが大切だという。
 旅の「ガイドブックの写真はいつも晴れている」が、実際旅の途中には雨の日だってある。そのことを忘れてはいけない。
 こういう本は「14歳」の子供だけでなく、大人の人にも読んでもらいたいものだ。
  
(2012/08/18 投稿)

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 ロンドンオリンピックが終わって
 なんだかさみしくなったような夏。
 アスリートたちの活躍に励まされましたが
 私が一番印象に残っているのは
 開会式のワンシーン。
 それは、ダニエル・クレイグ演じる007、ジェームズ・ボンドが
 エリザベス女王と迎えにいく場面。
 心憎い演出でしたね。
 日本でいえば、
 「フーテンの寅」こと渥美清さん演じる寅さんが天皇陛下を迎えにいくようなもの。
 たぶん、こちらは実現しようにありませんが。
 英国映画「炎のランナー」も効果的に使われていました。
 映画という娯楽を英国の人たちは
 とても大事にしてるんでしょうね。

 今、IMAGICA BSというBS放送で
 「7のつく日は007」という企画をしています。
 毎月7日、17日、27日に「007」を2本ずつ放映しています。
 ちなみに今日17日は、
 シリーズ3作目の「ゴールドフィンガー」と
 シリーズ16作目の「消されたライセンス」です。
 というわけで、今日の「雑誌を歩く」は
 「ニューズウィーク日本版」の増刊号
 「時代を刻んだ映画 世界を変えたニュースを知る珠玉のシネマ300本
 (阪急コミュニケーションズ・880円)を紹介します。

Newsweek日本版別冊 時代を刻んだ映画300 2012年 9/7号 [雑誌]Newsweek日本版別冊 時代を刻んだ映画300 2012年 9/7号 [雑誌]
(2012/07/25)
不明

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 これは映画の題材となった事件を年代順に紹介した
 映画の雑誌でもあり、社会関連の雑誌でもあります。
 巻頭のマイケル・ピーター・ボールスという人の文章の書き出しはこうです。
 「映画には歴史上の出来事を語り直し、そうした出来事に対する
  人々の見方を大きく左右する力がある
 例えば、1920年代の世界恐慌の時代。
 アーサー・ペン監督の名作「俺たちに明日はない」や
 ピーター・ボグダノビッチ監督の「ペーパー・ムーン」といった映画が
 紹介されています。

 「007」シリーズもこの本の中で
 「007に描かれた東西冷戦」という記事で
 4ページもので取り上げられています。
 その記事の中で
 「冷戦が終結した後」007に仕事があるのかという問いに答える形で
 プロデューサーのマイケルさんが
 「冷戦時代より危険といえる今の世界で、
 ボンドのミッションがなくなることはない」と語っているのが
 印象的です。
 それに、
 6代目ボンド役のダニエル・クレイグ演じる007シリーズは
 断然面白くて、私のお気に入り。
 中でも、「カジノ・ロワイヤル」(2006年)はボンドガールのエヴァ・グリーンも素敵で
 シリーズ屈指の作品だと思っているのですが。

007 カジノ・ロワイヤル デラックス・コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]007 カジノ・ロワイヤル デラックス・コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]
(2009/06/26)
ダニエル・クレイグ、マッツ・ミケルセン 他

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 それはともかく
 この「時代を刻んだ映画 世界を変えたニュースを知る珠玉のシネマ300本」は
 読み応え十分。
 毎日、お楽しみはこれからです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今、NHKの朝の連続ドラマ「梅ちゃん先生」に
  はまっています。
  前回の「カーネーション」に夢中になって
  それ以来、
  この朝のドラマが見逃せません。
  堀北真希さん主演で視聴率もうなぎのぼり。
  ちょうど今、昭和30年代のお話で
  町にテレビがやってきたところ。
  今日紹介するのは、
  読売新聞昭和時代プロジェクトによる
  『昭和時代 三十年代』という本です。
  10年というひとつのくくりは
  大きな時間の単位ですから
  政治的にも経済的にもさまざまなことがあります。
  まして、それが
  戦後10年経った
  昭和30年代とすれば
  どれほどの量になるかわかりません。
  この本も450ページ超ありますが
  それでも描かれたものは
  わずかかもしれません。
  自分が子供だったせいで
  気がつかない事件や事実もあるでしょう。
  しかし、私が昭和30年代という生きたのは
  まちがいない事実です。
  この本はそういう意味からも
  感慨深い一冊です。
  「梅ちゃん先生」を観ながら
  そんな時代を再確認している毎日です。

  追記 8月14日の書評の中で
     短歌と俳句の文字数の差を
     10文字と書いてしまいました。
     もちろん、正しくは14文字。
     短歌好きの人、俳句好きの人、すみませんでした。
     記事は修正しましたが
     暑さのせい? 年のせい?
     それとも、根っからの算数ぎらい?

  じゃあ、読もう。

昭和時代 三十年代昭和時代 三十年代
(2012/07/09)
読売新聞昭和時代プロジェクト

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sai.wingpen  たまごが割れた                   

 早生まれのおかげで、同級生のほとんどは昭和29年生まれだ。そんな同級生たちに運動でも頭脳でも優った点はあまりないが、唯一昭和30年生まれというのが自慢だった。
 太平洋戦争が終わったのは昭和20年8月。そのせいか、昭和20年代といえばまだ戦後の混乱期の印象が強い。
 その点、昭和30年代ともなれば、昭和31年の経済白書で「もはや戦後ではない」と表現されたように、復興の兆しというよりも高度成長のはじまりという感じになる。
 だから、「何年生まれですか」と訊かれると、「昭和30年」と答えるのがうれしくてたまらない。時代という時間がくっきりと刻まれた時代に間に合ったという思いがする。

 そんな昭和30年代を読売新聞の記者たちが描いた、全編450頁超にもなる大冊である。
 この企画の発端は「失われた20年」とも称されるこの国の政治や経済の混迷停滞を脱するための手立てを、昭和という時代を検証する中で求めようとしたものだった。それで選ばれたのが、「日本の敗戦から10年を経て始まる」昭和30年代という時代だ。

 政治的にみても昭和30年代には「安保反対闘争」(昭和35年)という大きな局面があった。それ以前には55年体制と呼ばれた自民党と社会党の二大政党の構図が確立し、この時代の政治のありようを生みだした。よく言えば混沌から整理された政治の季節となったといえる。
 経済的には池田首相が推し進めた「所得倍増」計画である。
 言葉の力の不思議さともいえるが、「所得倍増」という平易なスローガンがこの時代を牽引したのは間違いない。さまざまな電化製品が生み出されていくのもこの時代だし、現代のこの国の経済も左右する車産業もこの時代を萌芽とする。
 文化面では30年代のまさに掉尾を飾った「東京オリンピック」(昭和39年)に尽きる。オリンピックが生み出したものは東海道新幹線、都市の整備など社会を一変させた。

 本書では昭和30年代をさまざまな項目で分析、評論している。そこには単なる事実だけではない、個人個人の見た風景もおさめられている。
 その時代を生きたものとしていえば、あの時代はけっして豊かではなかった。しかし、貧しさを感じるにはまだ子供であった。その一方で、希望の風を少しは感じはじめた時代でもあった。
 私は、昭和40年にやっと10歳になったばかりだった。
  
(2012/08/16 投稿)

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 北山修が作詞し、ジローズが歌った
 「戦争を知らない子供たち」が発表されたのは、1970年。

   戦争が終わって僕等は生まれた
   戦争を知らずに僕等は育った

 で始まる歌です。
 その歌を口ずさんだ人たちももう50歳を越えてかもしれませんね。

 今日8月15日は67回目の終戦記念日
 私は昭和30年生まれですから、
 実は戦争が終わってまだ10年しか経っていない頃生まれたことになります。
 多くの日本人の記憶に
 まだ戦争のことが生々しく残っていた頃です。
 今回の「雑誌を歩く」は
 第147回芥川賞受賞作、鹿島田真希さんの『冥土めぐり』を全文掲載している
 「文藝春秋」9月号(文藝春秋・880円)を取り上げます。
 芥川賞のことはいずれ書くとして、
 この号のもう一つの特集が
 「太平洋戦争 語られざる証言」完全保存版なのです。

文藝春秋 2012年 09月号 [雑誌]文藝春秋 2012年 09月号 [雑誌]
(2012/08/10)
不明

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 リード文にこうあります。

   本当につらいことは容易には言葉にならなかった。
   戦後67年。
   ようやく語られる新証言、語り継ぐべき体験談―。

 戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」も
 もう67歳になりました。
 この国は「戦争を知らない子供たち」でいっぱいです。
 だからこそ、こういう体験談を知っておくことは大事です。
 保坂正康さんと梯久美子さんによる対談「封印された「兵士の記憶」」、
 終戦を北朝鮮平壌で迎えた五木寛之さんの「平壌を遠く離れて」、
 海老名葉子さんの「大空襲で一家六人を失って」など
 読み応え十分の特集です。

 「戦争を知らない子供たち」の歌詞の中に

  青空が好きで花びらが好きで
  いつも笑顔のすてきな人なら

 という一節がありますが、
 戦争期に生きた人々もまたそんな人たちだったはずです。
 それが、戦争という巨大な渦にまきこまれていったのです。
 私たちの名前は「戦争を知らない子供たち」ですが
 「平和を願う子供たち」でありつづけなければなりません。

   暮るるまで蝉鳴き通す終戦日  下村ひろし

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プレゼント 書評こぼれ話

  世の中には犬派と猫派があるように
  俳句派と短歌派があるのではないでしょうか。
  どちらも興味がない、という人も
  当然いるでしょうが、
  ここはどちらかに決めていただいて
  先に進めます。
  私は従来から俳句派でした。
  短歌の14文字多いところが嫌でした。
  俳句は17文字、それに季語、といった窮屈な文藝ですが
  そんな窮屈な制約から
  心を打つ作品を詠むところに
  俳句の面白さがあると思っています。
  最近河野裕子さんの歌集を読んでみて
  短歌そのものに興味をもちました。
  そこで、今日紹介するのは
  『決定版 短歌入門』という入門書。
  これで少しは短歌通になれたかな。

  じゃあ、読もう。

角川短歌ライブラリー  決定版 短歌入門角川短歌ライブラリー 決定版 短歌入門
(2012/06/23)
秋葉 四郎、 他

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sai.wingpen  短歌の森へ                   

 短歌は、五七五七七の三十一文字の定型短詩です。俳句よりわずか十四文字多いだけですが、その十四文字の差に俳句より自由度を感じます。
 それゆえでしょうか、生活詠、人生詠、社会詠といった分野に短歌らしさがあります。
 三枝昂之はそのことを「体温三十六度の詩型」と表現しています。私たちの体温に近い、生活のある詩型ということです。

 本書は書名のとおり、これから短歌を始めたい人、さらに巧くなりたい人向けに書かれた入門書です。
 複数の執筆陣が、短歌の魅力、作歌の基本、歌の題材、表現の方法、さらには上達の秘訣などを書いています。あわせて鑑賞の手引きで名歌といわれる短歌を紹介し、発表の方法まで伝授と、盛りだくさんな内容になっています。
 内容が豊富な分、一つひとつが物足りないという人のために、「読むべき歌集歌書リスト」まで付いていますから、興味のある人はどんどん短歌の森にはいりこむのもおすすめです。

 短歌などあまり知らないという人も、石川啄木の「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたわむる」という歌は詠んだり耳にしたことがあると思います。それほどに短歌とは私たちの生活になじんでいるのです。
 それを構えてしまうと、なかなかなじまなくなります。気がつけば、私たちの日頃の会話そのものが短歌になっているほど、この五七五七七のリズムは、私たちの生活リズムに合います。
 そのことを印象づけたのはやはり俵万智の『サラダ記念日』(1987年)だったのではないでしょうか。
 口語体の歌のなんと新鮮だったでしょう。あれで、多くの人が短歌を身近なものに感じたはずです。

 もちろん俵万智の歌がすべてではありません。あれを第一歩として短歌の森にわけいった人たちはおそらくさまざまな歌人たちの歌に触れる幸福を味わったことだと思います。
 本書を作歌の入門書ということだけではなく、歌を詠む楽しみの入門書として読むのもいいのではないでしょうか。
  
(2012/08/14 投稿)

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 この間始まったばかりだと思っていたら
 現地時間の12日、
 ロンドンオリンピックは閉会式を迎えました。
 あっという間の、熱いスポーツの祭典でしたね。
 日本は金メダルこそ少なかったですが
 前評判通りの女子サッカーのなでしこの活躍や
 女子レスリング、競泳陣のがんばりに
 惜しみない拍手がおくられました。
 それにしても今回は女子バレーやボクシングのように
 何十年ぶりかのメダルというのも多かったのが
 印象に残りましたね。
 私的には、女子平泳ぎ競泳の鈴木聡美選手がよかったですね。
 何しろ夏目雅子さんの再来とまでいわれるくらいの美人。
 美は肉体より優るのかな、やっぱり。

 さて、オリンピックも終わって
 子どもたちの夏休みもこれからが追い込み。
 読書感想文はできましたか。
 宮崎1
 昨日の「こぼれ話」にも書きましたが、
 読書感想文を書くためには
 まず本選びから。
 その本がなかなか決まらなくてという子どもたちに
 今、東京・世田谷文学館で開催されている
 「宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展」に
 行ってきましたので
 紹介しておきます。
 これはジブリアニメでおなじみの宮崎駿監督が
 岩波少年文庫400冊の中から
 これはと思う50冊を直筆の推薦文で紹介している展覧会です。
 岩波新書で昨年刊行された『本へのとびら』の元になった推薦文が
 見て楽しめる企画です。

  本へのとびら』の書評はこちらから。

 世田谷文学館は京王線芦花公園駅から歩いて5分程度の
 静観な住宅地にある文学館ですが
 私はここの佇まいがとても気にいっています。
 それにいい企画展をしているのもいい。
 今回も夏休みの企画としては
 とてもいい出来栄えでした。
 ただ私が行ったのはお盆にはいってからでしたが
 あまり子どもたちがいないのは残念。
 結構年配の人たちがはいっていました、
 子どもたちには宮崎駿監督がどんな本を推薦しているかを見てもらって
 その中の何冊かは実際自分の目で読んでもらいたいものです。

 ちょうど私が行った時、
 どこかのラジオ番組の収録中で
 世田谷文学館の学芸員の人がインタビューを受けていました。
 こっそり聞いていると、
 宮崎2
 その学芸員の方のオススメは
 カニグズバーク作の『クローディアの秘密』だそうですよ。

 この展覧会会期中、チケット購入者先着4000名の人に
 特製「ミニ本」がプレゼントされます。
 左の写真、コーヒの横にあるのがそれです。
 この展覧会、9月17日まで開催されています。
 観覧料も500円とお手頃ですし、中学生以下は無料です。
 残り少なくなった夏休み、
 この展覧会でいい本と出会えますように。


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プレゼント 書評こぼれ話

  お盆休みで故郷に帰省という
  人も多いと思います。
  子どもたちは夏休みも中盤。
  そろそろ宿題のすすみ具合が気になるところ。
  夏休みといえば
  読書感想文は定番。
  子どもたちは本を読んでいるのかな。
  読書感想文はまず本を読むところから
  始まります。
  でも、どんな本を読んだらいいのか。
  そんな子どもたちに便利なのが
  課題図書と呼ばれる本たち。
  今日紹介する
  モリー・バングさんの『わたしのひかり』は
  今年の課題図書の一冊です。
  対象は小学校の高学年向き。
  今、話題のエネルギーについて
  絵本のようにして
  まとめられています。

  じゃあ、読もう。

わたしのひかり (児童図書館・絵本の部屋)わたしのひかり (児童図書館・絵本の部屋)
(2011/06)
モリー バング

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sai.wingpen  太陽の季節                   

 夏休み真っ盛り。自分の子どもが大きくなると、今の子どもたちがどんな夏休みの宿題をするのかもわからない。それでも、夏休みの青少年読書感想文コンクールがあるくらいだから、やはり読書感想文は夏休みの宿題の定番かもしれません。
 今年も課題図書の本が本屋さんの店頭に並んでいます。
 課題図書を決めることで子どもたちの自由な読書を縛ってしまうのもどうかと思いますが、毎年新しい本がこういう形で紹介されていくのも悪くはありません。
 本の世界ではどんどん新しい本が生まれています。古典はこれまでしっかり読まれてきた実績がありますが、新しい本にはそれがありません。
 課題図書に選ばれた本が古典と呼ばれるまでになればいいですね。

 この本は、一見絵本のようですが、小学校高学年向きの今年(2012年)の課題図書の一冊です。
 文章が少なそうだからこの本にしよう、なんていう気持ちで読まないで下さい。この本は、まじめに太陽からのエネルギーを描いたものなのですから。
 暑い夏。ついうらめしく太陽をにらんだりしていませんか。
 でも、私たちの生活は太陽の光があるから成り立っているのです。強い光と熱があるから、私たちも動物も植物も生きていけるのです。
 今や暮らしの中で欠かせない電気も太陽の力があるから生まれたのです。
 たとえば水力発電は水の力で生み出されますが、もとの水は太陽がこの地球を暖めて生まれます。あるいは、石炭や石油といった「化石燃料」と呼ばれる資源も、もとはといえば太陽に育てられた植物や生物です。
 そんなふうに考えていくと、太陽と関係のないものはとても少ないのです。

 今、日本では原子力発電のことが大きな社会問題となっていることは、子どもたちも知っていると思います。あれには太陽の力が及んでいません。人類が自然に逆らって作ったものです。
 科学は確かに人類の英知ですが、けっして神の力ではありません。もし、大きな事故にあえば、東日本大震災で問題になった福島の原発事故のように、関係もない多くの人が苦しみます。
 絵本のような本ですが、そういう広がりをもって、物事を考えることが大事です。
 この本を課題図書に選んだ子どもたちがまじめに明日のこの星のことを考えてもらえたら、どんなにいいでしょう。
  
(2012/08/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から
  今日で1年5ケ月経ちました。
  今月はお盆ということもあって
  悲しみを新たにする被災者の方も多いと思います。
  お盆という日本の風習は
  いいですよね。
  先祖と語り合う、そんな日があっていいと思います。
  彼岸やお盆があることで
  私たちはご先祖様と向かい合えるのです。
  今日紹介するのは
  養老猛司さんや複数の知識人による提言書
  『復興の精神』です。
  この本は震災後半年も経たないうちに出版されましたが
  本当の復興はこれからです。
  被災地への本当の支援、
  それは理解ということでもありますが、は
  これからです。
  たくさんの人があの時を忘れないように。

  じゃあ、読もう。

復興の精神 (新潮新書 422)復興の精神 (新潮新書 422)
(2011/06/09)
養老 孟司、茂木健一郎 他

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sai.wingpen  タイム・マインを持たない私たちができること                   

 H・G・ウェルズが『タイム・マシン』を発表したのは1895年のことである。それから100年以上の年数が経ち、科学は大いに進歩したが、残念ながら未来や過去を自由に行き来するタイム・マシンは今でも物語やマンガで描かれるしかない。
 「あの日の前に戻りたい」。2011年3月11日に起こった東日本大震災で被災されたほとんどの人はそう願う。しかし、残酷なことではあるが、私たちは「あの日の前」に戻るタイム・マシンを持っていない。ただ前に進むしかない。一日一日と日を繰るだけだ。
 本書は大震災後三カ月余りしてまとめられた、解剖学者養老孟司や脳科学者茂木健一郎、作家の瀬戸内寂聴、曽野綾子ら9人の識者たちによる復興の提言書である。

 この時、被災地ではまだ多くの被災者は避難所で大きな悲しみを抱えていたし、国民の多くは津波や爆発する原発の生々しい映像や地震の揺れを身内に持っていた。
 政治が明日の指針を示せない時期でもあった。
 そんな中、彼らはこれからをどう考え、どう生きるべきかを、それぞれの言葉でもって語っている。もしかしたら震災の全容が判別しないうちに、未来を語ることに不安があったかもしれない。しかし、彼らはまず語ることを選んだ。
 「私たちはどんな不幸の中でも決して絶望してはならない」と瀬戸内寂聴が書いたように、語ることで、被災者に勇気を与える道を選んだのだ。

 それから、被災地にも季節はめぐり、原発事故による帰宅困難者はいるものの、復興の兆しは着実に進んでいる。
 しかし、それはなくなった家々が戻ってくることに過ぎない。
 喪った家族や友人は戻ることはない。悲しみに欠けた心をどう戻すか、どう前を向いて生きていくか。それはこれからも続く。だとすれば、本書に書かれた提言は今もまだけっして廃れてはいない。今でもこれらの言葉は私たちに勇気をくれる。
 養老孟司はそのことを「精神の復興需要が起きる」と書いたが、あの震災のあと、もう一度自分の生き方を考えた人は多いにちがいない。
 「自分の人生がよりいい作品になる」ために、大きな悲しみを乗り越え、ただ前に進むしかないのだ。それが、タイム・マシンを持たない、私たち人間の宿命といっていいのではないだろうか。
  
(2012/08/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  庄司薫さんの「薫くん」シリーズが
  新潮文庫にはいったおかげで
  久しぶりに
  『赤頭巾ちゃん気をつけて』以下
  四部作全部を読むことができました。
  久しぶりに再会した薫くんは
  物語の登場人物ですから当然ですが
  ちっともその頃と変わっていなくて
  若々しい青年でした。
  その当時の東京の熱気も
  あの時のままで
  多くの事象が当時とは変わっているのですが
  若者の気質はあまり変わっていないような気がしました。
  多分一番変わったのは
  みんなが携帯電話、今ではスマートフォンを
  持っていることでしょうか。
  きっとそれがあれば
  薫くんと幼馴染の由美ちゃんも
  まったく違う交際をしていたように思います。
  今日紹介する
  佐藤信さんの『60年代のリアル』は
  薫くんたちが活躍した60年代とは何だったのかを
  考える論考です。

  じゃあ、読もう。

60年代のリアル60年代のリアル
(2011/11/30)
佐藤 信

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sai.wingpen  時代という仮面                   

 新潮文庫版の庄司薫の「薫くんシリーズ」三作目『さよなら怪傑黒頭巾』の解説を政治史学者の御厨貴が担当している。
 その中で御厨はこの『60年代のリアル』という本を取り上げ、「佐藤信というその若き政治学徒は、二十一世紀の現在からいとも軽々と昔にタイムスリップし」、「今の若者にとっては外国にも似た舞台が、六〇年代の都会たる東京にあったと、看破するこの感覚はどこか庄司薫流に通じる」と、絶賛している。
 この5月に新潮文庫となって刊行された文庫解説で、先の年の12月に出版されたばかりの本を取り上げるのはかなり珍しいことだと思う。
 御厨のこの解説に誘発されて手にとったのであるが、何のことはない、この本の著者佐藤信は御厨のゼミの学生だったという楽屋落ちのようなことであった。

 もちろんそういうことは措いたとして、この本の作者の感覚が庄司薫流であるかといえば、文体がそれに近いということぐらいにしか見えなかった。
 特に前半部分の、毎日新聞に連載されたという「60年代のリアル 東大生が再考する」においては、意識的に現代の若者言葉を多用した論考になっているのであろう。
 しかし、60年代の東京をルポタージュの形で描いた『ずばり東京』の著者開高健のことを終始「オッサン」呼ばわりするのはいかがなものか。それもまた現代の若者感覚であるとすれば、御厨のいう「庄司薫流」とはほど遠いような気がする。
 少なくとも我らが薫くんはいつも上品でありつづけてはずだ。

 本書の第二部は前半の「60年代のリアル」に呼応する形で「10年代のリアル」(紛らわしいのだがここでいう10年代というのは2010年代のこと)で気になることは、ほとんど文学作品が論考の対象になっていないことだ。
 『ガンダム』であったり『エヴァンゲリオン』であったりといったアニメ作品は語られるのだが、文学作品はほとんどスルーされている。
 これは佐藤の責任では当然なく、2010年代において語られるべく文学作品あるいは小説家を持たなかったということに等しい。それこそ、現代が抱えているリアル感だとすれば、これから先、庄司薫くんのような若者は生まれてくるのだろうか。
  
(2012/08/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はナガサキ原爆の日です。
  俳句の世界では「原爆忌」という季語があります。
  その中でも今日はナガサキ忌と呼んで
  ヒロシマ忌と区別するようです。
  そこで、今日の「芥川賞を読む」は
  1975年第73回芥川賞を受賞した
  林京子さんの『祭りの場』を紹介します。
  この作品は、
  長崎に原爆が落とされたまさにその日を描いた
  鎮魂の作品です。
  受賞当時この作品を読みましたが
  今回久しぶりに読んでも
  その感動は色褪せていませんでした。
  こういう作品こそ
  すぐ読めるようになっていてもらいたいものです。
  この作品を読んで
  命の尊さを振り返ってみて下さい。

  じゃあ、読もう。

祭りの場・ギヤマン ビードロ (講談社文芸文庫)祭りの場・ギヤマン ビードロ (講談社文芸文庫)
(1988/08/04)
林 京子

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sai.wingpen  なぜそれはヒロシマでありナガサキだったのか                   

 第73回芥川賞受賞作(1975年)。
 昭和20年8月9日の長崎への原爆投下により、自身被爆者となった林京子のデビュー作(群像新人賞も受賞)である。
 受賞した年は奇しくも戦後30年の節目にもあたり、芥川賞受賞作としては初めての「原爆作品」でもあった。
 林が原爆被爆をしたのは14歳だった。それから30年という長い年月をかけ、悲惨な過去は浄化され、ひとつぶの結晶となった。
 受賞の際、選考委員の一人井上靖は「原爆を直接体験し、そして三十年生きてきた人だけが持つ突き放し方、皮肉、そうしたものが文体を造っている」と評している。
 経験は作品を造る上では大きな力となるであろうが、それが一個の文学作品に至ることの絶対条件にはならない。林の場合はそれが極めてうまくできた一例だろう。それは読み手がどう判断するかということにもつながっていて、同じく選考委員の安岡章太郎は「文学の感動にはならなかった」とみている。

 私はうまく書けた作品だと思う。
 冒頭、米国の三人の科学者から日本のかつての同僚科学者に宛てた手紙の引用がなされているが、この作品では自身が見た光景以外にもこのような伝聞にかかる引用がうまくはめ込まれていて、事実の悲惨さがより立体的に描かれている。
 その冒頭の手紙であるが、その中の「原爆の雨が怒りのうちに」と書かれたくだりに主人公はやり場のない憤りを感じる。何故、自分たちは犠牲にならなければならなかったのか。「殆んどの私たちは、なぜ怒られるのか理由さえつかめ」なかったのだ。
 その思いは、東日本大震災で発生した原発事故で避難を余儀なくされた福島の人たちにも共通するものだろう。 なぜ、自分たちなのか。

 この作品が感動的なのは、死者や負傷者たちの悲惨さが描かれていながら、それが時に日常の光景かと思いたくなるような冷静な描写に徹しているからだと思う。
 学徒動員された工場で被爆し、そこから学校まで歩いて帰る主人公が見た光景、会った人々、あるいは自身の身体の変調を、作者は激昂することなく静かに語っていく。
 芥川賞受賞作の中にあって、これからもいつまでも読み継がれてよい作品であることは間違いないだろう。
  
(2012/08/09 投稿)

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  今日は『花まんま』で直木賞を受賞した
  朱川湊人さんの最新作『箱庭旅団』を紹介します。
  朱川湊人さんは『かたみ歌』という作品の文庫本で
  ブレークした作家です。
  朱川湊人さんの作品を愛する編集者が
  その文庫本が売れることで奔走しました。
  結果として、
  そのことが話題になるほど『かたみ歌』は
  売れたようです。
  本が売れることはいいことです。
  まして、
  いい作品ならどんどん売れて読まれたらいいと
  思います。
  しかし、あまり売れると
  その作品が足かせとなります。
  朱川湊人さんにもその傾向がないとは
  いえません。
  早く『かたみ歌』に代わる代表作を
  書いてほしいと思います。

  じゃあ、読もう。

箱庭旅団箱庭旅団
(2012/06/08)
朱川 湊人

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sai.wingpen  小さな説が持っている力                   

 東日本大震災のような大きな悲しみは作家にも影響を与えるものでしょうか。
 朱川湊人のこの連作短編集は『文蔵』という文庫判の月刊誌に2010年6月から2011年12月まで連載されていたものです。まさに連載途中に東日本大震災が起こっています。
 全部で16篇の短編ですが、いずれも朱川が得意とする不可思議な世界を描いています。
 冒頭の「旅に出ないか」に登場する少年と白い馬が狂言回しのようになって各作品に登場します。もっともそのままの姿ではないことが多く、読者にはあまりよくわからないという欠点もあります。
 旅の終わり(連載の最後ということですが)に「月の砂漠」という短編があります。
 ここでは、冒頭の少年と白い馬が主人公として描かれます。彼らが出合うのは、童謡「月の砂漠」に唄われた王子さまとお姫さまでした。歌の歌詞の世界に入り込んだ設定になっています。

 王子さまは、自分たちは「道連れ」だといいます。この歌を唄う「すべての人間たちの」道連れだというのです。「最後の最後まで人の心に寄り添ってあげられるのは、私たちのような歌であったり、あるいは詩や物語であったりするのです」。
 さらに王子さまはこう続けます。
 歌や詩や物語に実際的な力はないし、飢えた子供の前では無力かもしれない。しかし、「暴力的な悲しみが過ぎた頃・・・再び立ち上がる時に、私たちが役に立つのですよ」。
 そのことを、王子さまは「心の力を取り戻す」といいました。

 もし、東日本大震災がなければ、この連作の終わりはこうでなかったかもしれません。
 この最後の短編はあまりにも直情的に朱川が語り過ぎているともいえます。しかし、朱川は、あるいは作家はといってもいいでしょう、物語の力を信じるしかなかったのではないでしょうか。
 特に不可思議な世界を抒情的に描く朱川のような作家にとって、そういう心のさざなみが大切なのです。
 小説は、小さな説を語るから小説というのだと、よく言われます。朱川の作品はまさに小さな説です。しかし、そういう小さな説のもっている力を朱川は信じているにちがいありません。
  
(2012/08/08 投稿)

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  まだまだ暑い日が続きますが
  暦の上では今日が立秋

   草花を画く日課や秋に入る  正岡子規

  この子規の句のように
  夏枯れの草花もこれから秋の色づきに
  変わっていきます。
  今日紹介するのは
  「15歳の寺子屋」というシリーズの一冊、
  瀬戸内寂聴さんの『道しるべ』です。
  この本の巻末に
  「編集部からみなさんへ」という文章が掲載されています。
  昔の寺子屋は学びの「場」であったことを受け、
  こんなことが書かれています。
  
    そのような「場」として、学校とはまた違う「出会い」の役割を
    この本が果たしてくれることを…願っている。

  今回の書評にも書きましたが
  またイジメの事件が起きました。
  子どもたちにとって、
  イジメとはどんな意味を持つのでしょうか。
  こういう時こそ
  大人たちは瀬戸内寂聴さんのように
  子どもたちに強い言葉を
  発するべきでしょう。
  ぜひ、大人の皆さん、読んで下さい。

  じゃあ、読もう。

15歳の寺子屋 道しるべ15歳の寺子屋 道しるべ
(2012/06/12)
瀬戸内 寂聴

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sai.wingpen  自分たちのいのちなんだから                   

 瀬戸内寂聴さんは1922年生まれですから90歳です。この本の読者層である15歳の子どもたちにとっては、自分のおばあちゃんより年上の女性ということになります。
 しかし、瀬戸内さんは今でも反原発のデモに参加したり、東日本大震災の被災地を回ったりと活発に活動しています。もしかすると、15歳の子どもたちより活動的かもしれません。
 この本はそんな瀬戸内さんが自分の子ども時代や過ごしてきた日々を語りながら、子どもたちに送った強いメッセージです。

 瀬戸内さんは、人生の「道しるべ」として、子どもたちに「疑う」ことと「挑戦する」ことをすすめています。
 「疑う」ことというのは、おとなたちの常識を「疑う」ことです。
 瀬戸内さんは若い頃に戦争を体験しています。戦争が終わって当時暮らしていた中国北京から故郷の徳島に戻った時、母親が空襲で亡くなったことを知ります。
 そんなつらい体験の裏に、当時のおとなたちの嘘がありました。日本は正しい戦争をし、勝ち続けているのだという、嘘です。
 瀬戸内さんが強く戦争に反対するのは、「いのちを授かってこの世に生まれてきた人類を、自分たちの都合で殺害する」からです。それは、東日本大震災の原発事故にもいえることです。だから、瀬戸内さんは原発に反対するのです。

 最近悲しいいじめの事件が起きました。一人の少年が命を自ら絶ちました。
 その少年がイジメられているのを多くの同級生たちが見ていたはずです。遊びの延長にあるものとイジメとは明らかに違います。
 同級生たちがもっと強く口にしていたら、あるいは教師や大人たちが「遊びの延長」という嘘を疑っていたら、少年は死ななくてもよかったかもしれません。
 先ほど、戦争についての瀬戸内さんの言葉を引用しましたが、そこに書かれていた「自分たちの都合で殺害」という言葉の意味を教師も大人たちも、あるいは同級生だった子どもたちも真剣に受けとめるべきでしょう。

 瀬戸内さんは50歳の時に出家します。仏門にあるからということではなく、瀬戸内さんの生き方がそうであったから強く心に響くのでしょうが、「進むべき道に迷ったら、より危険な方を選」びなさいといっています。「挑戦する」ことです。
 この本は15歳の子どもたちを対象に書かれていますが、大人たちもけっして遅くはないと思います。これは、万人の「道しるべ」です。
  
(2012/08/07 投稿)

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 暑い。
 こんな日は会社に行って涼もうか、みたいなギャグは
 東海林さだおさんの漫画にも出てきそうだが、
 休日ともなれば、ミュージアムにでも行って涼もうか。
 ということで、暑い昨日の日曜日(8.5)、
 遠出する元気もないから近くのミュージアムに出かけました。
 ウルトラ1
 といっても、
 埼玉県立近代美術館ですからとてもりっぱなミュージアムです。
 埼玉・北浦和公園の中にあります。
 今している企画は
 「ウルトラマン アート! 
 時代と創造 ウルトラマン&ウルトラセブン
」という
 夏休みにぴったりのお楽しみ企画です。

 あのウルトラマンがテレビに登場してから45周年ということで
 今回の展示では、
 単に怪獣番組のそれではなく、アートとして見てみようという
 斬新かつ刺激的な企画です。

 まず、入り口ではウルトラマンがすっくと立ってお出迎え。
 ウルトラ2
 左の写真はそのりりしい横顔です。
 そばには、怪獣として抜群の人気を誇るバルタン星人もいます。
 ここは写真撮影はOKですが、
 展示物には触れられないので、
 バルタン星人との握手は叶いませんでした。
 隣の部屋には、
 いました、いました、我らがウルトラセブン。
 ウルトラセブンはウルトラマンの後番組ですが、
 私はウルトラセブンの方が好き。
 ウルトラマンのフジ隊員(桜井浩子さんが演じていました)より
 ウルトラセブンのアンヌ隊員(ひし美ゆみこさんが演じていました)の方が
 お気に入りだったせいでもあるのでしょうが。
 子ども心といっても、そこはオッサン感覚でしょうか。

ウルトラ3
 今回の展示会ではウルトラマンや怪獣たちの造形に関わった
 成田亨さんや高山良策さんのデッサンなどもたくさん展示されています。
 何しろ今やウルトラマンのあとの世代がこの時代のデザインを再評価しているそうですから
 これは一見の価値ありです。
 それに、伝説ともなった企画段階のウルトラマンのデザイン画もあって
 これがそのまま採用されずによかったと
 ホッとします。

 最後のコーナーでは
 おなじみ怪獣たちのフィギュアが数多く展示されています。
 いたなぁ、こういうのをたくさん持っているやつ。
 持っているそれだけで
 ヒーローだったものなぁ。
 懐かしくて、涙がこぼれそうになります。
 これは、子どもたちの夏休み企画ではなく
 大人たちの夏休み企画かも。

 この展覧会は、9月2日まで埼玉県立近代美術館
 開催されています。
 ちなみに入場料はおとな1100円。
 興味のある人はぜひ。
 シュワッチ。

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  明日、8月6日は広島・原爆の日
  今、反原発の市民の運動が
  大きなうねりとなっています。
  日本は世界でたったひとつの被ばく国です。
  原発問題を考える時、
  そのことを忘れてはいけないと思います。
  そうでないと、
  あの日亡くなったヒロシマやナガサキの人たちは
  どんなに悔しいでしょう。
  今日紹介するのは、
  中川ひろたかさん文、長谷川義史さん絵による
  『8月6日のこと』という絵本です。
  絵本ですが
  とても奥深い絵本です。
  子どもたちと一緒に
  あの日のことを考えてみてはどうでしょう。
  長谷川義史さんの絵は
  この絵本でも力強いですが
  静かな強さといえばいいでしょうか、
  激しいのではないですか
  とても強いものを感じます。

  じゃあ、読もう。

8月6日のこと8月6日のこと
(2011/07/15)
中川 ひろたか

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sai.wingpen  片脚のばつた                   

 1945年8月6日、広島はヒロシマになりました。カタカナ表記は悲しみのあらわれです。
 人類最初の原子爆弾が落とされ、たくさんの命が失われました。その悲しみのあかしでもあります。
 それからたくさんの時が流れ、原子力は平和的利用という旗のもと、この国のエネルギー政策は推し進められていった。そして、2011年3月11日、福島をフクシマに変える悲しい原発事故が起こる。
 ヒロシマ(あるいはナガサキ)にしてもフクシマにしても、そこに暮らす人々に何の罪もなかった。そこがトウキョウでもオオサカでもどれほどの差もなかったはず。彼らが私たちの苦難を受けてくれたとしかいえません。

 この絵本はタイトルでもわかる通り、ヒロシマの原爆の日を描いたものです。
 最初に目に飛び込んでくるのは、瀬戸内海の真っ青で穏やかな海です。その次のページにはまじめそうな兵隊さんが描かれている。
 舞台は8月の広島。兵隊さんは一人の少女のお兄さんで、時折そのお兄さんにおいしいものを届けに少女は広島市内の部隊のいるところまで出かけていました。
 その日の朝、少女は島から広島の空が光るのを見ます。青い海は一瞬真っ白になります。黒い世界に大きく立ち上がるきのこ雲。
 絵を担当した長谷川義史さんのピカドンはけっして乱暴に描かれているわけではないのに、怒りを感じます。怒りは強い線になって、黒い世界に刻まれています。
 次のページは赤い色で塗りつぶされています。赤い世界は炎と血をあらわしています。そこに横たわる多くの人。「せみも さかなも とりも そして ひとが みんなしにました」。短いけれど残酷な言葉がそえられています。
 少女はそれから一週間が経って広島に向かいます。少女はそこですっかり変わってしまった街の光景を目にします。広島はヒロシマに変わってしまいました。

 井上土筆という俳人に「片脚のばつたが歩く広島忌」という句があります。酷いけれどそれでも生きている昆虫の姿が胸を打ちます。
 あの日からどれほどの時間が過ぎても悲しみはそのままです。けれど、そのことを、この絵本のようにきちんと伝えていくことの大事を大切にしたいと思います。
  
(2012/08/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  二日前に柴田元幸さんの翻訳『トム・ソーヤの冒険』を紹介し、
  昨日柴田元幸さんと村上春樹さんの『翻訳夜話2』を紹介し、
  そして今日、
  村上春樹さんの『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』を紹介します。
  いいでしょ?
  こういうつながり。
  我ながら、いいつながりだと思っているのですが。
  こういう本の読み方で
  読書の幅がどんどん広がればうれしいのですが。
  本をさがすのは大変ですが
  こうやって関連性をもってさがせば
  途切れずことなく
  読書が続きます。
  ところで、今日紹介した『サラダ好きのライオン』みたいな本が
  課題図書になれば
  子供たちの読書ももっと楽しくなるのにと
  思います。
  国語の先生方、
  どうかご検討下さい。

  じゃあ、読もう。

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3
(2012/07/09)
村上 春樹

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sai.wingpen  水玉好きのシマウマ                   

 暑い。毎日、暑い。
 夏だから仕方がないのだが、暑いのは間違いない。こんな時は読書もできるだけ軽く、そうめんタイプかひやむぎタイプでさらっさらっといきたい。
 具体的にどんな感じの本かというと、まず机に向かって読む本は避けたい。ごろんと転がって読める本がいい。風鈴などがチリンチリンと鳴ったりして、気がつけば寝ているような、そんな本。
 かき氷のかけらがぼたっとページの上に落ちてもあわてたりせずに、まあ仕方がないやとあきらめがきく、そんな本。
 読み終わったあとで原稿用紙に向かって四苦八苦して文字をうめるのではなく、日記の片隅に「おもしろかった」と書ける、そんな本。
 こういう本はありそうでなかなかない。
 ところが、ありました。しかも、作者は今やノーベル賞の候補でもある村上春樹さんですから、いうことはない。女の子の雑誌「アンアン」に掲載されていたから、この本を読んでいて女の子にバカにされることもない。
 それが、この本、『サラダ好きのライオン』です。

 村上春樹さんはこの手のお気軽エッセイをかつてはたくさん書いていたのですが、今やなかなかそういう機会がなくて、「アンアン」連載のこのエッセイも特に大それた陰謀の末に連載が決まったということもないようですから、村上さんも結構楽しんで書いていたようです。
 この類のエッセイとしては東海林さだおさんが第一人者だと勝手に思っているのですが、村上さんのものもそのお手軽さでいえば堂々としたもので、まさに双璧といえるのではないでしょうか。
 そういえば、お二人の風貌もどことなく似ているようで、きっとページにかき氷の染みがついても、お二人なら許してくれそんな感じがします。

 今回のタイトルとなった「サラダ好きのライオン」は、「珍しい」という言葉の暗喩ですが、さすがに村上さんの言葉の使い方のうまさには感心します。ちなみに、「水玉好きのシマウマ」なんていうのも同義語になるのかと思います。(私が勝手に作ったのですが)
 このシリーズを支えた大橋歩さんのイラストもごキゲンです。
  
(2012/08/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、柴田元幸さんによる新訳
  『トム・ソーヤの冒険』を紹介しましたが、
  今日はその柴田元幸さんが
  村上春樹さんと翻訳について語った本を
  蔵出し書評で紹介します。
  『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』。
  村上春樹さんといえば
  翻訳小説も数多く手掛けています。
  そんな村上春樹さんが
  サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・レイ』を翻訳したあと
  その苦労話を柴田元幸さんと語ったのが
  この本です。
  私は英語はまったくできませんが、
  学生の頃にこの『キャッチャー・イン・ザ・レイ』を
  英語本で読もうとしたことが
  あります。
  記憶では全部読んだと思うのですが
  ちっとも覚えていません。
  柴田元幸さんや村上春樹さんのように
  スラスラと訳せる人がうらやましい。

  じゃあ、読もう。

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)
(2003/07/19)
村上 春樹、柴田 元幸 他

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sai.wingpen  いくつかのややこしい現実的な問題                   

 「本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。 著者」
 村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・レイ」の最後のページにさりげなく付けられた二行の文章の全文である。おそらくこういう文章がなければ特にどういうこともないだろうが、たった二行の文章があることで、一体何があったのだろうかと考えてしまう。
 野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」には訳者による解説がついていた。なのにどうして村上訳にはつかないのか。村上訳が気にいらなかったのか、同じ文学者という立場の村上による訳を気にしたのか。色々と下種(げす)は勘繰るものである。

 そのあたりの事情は、この新書のまえがきにあたる村上春樹の「ライ麦畑の翻訳者たち」に詳しい。
 村上春樹流にいえば、「やれやれ」というところだろう。その幻の解説がこの新書に収録されている。サリンジャーという作家の経歴とか「キャッチャー」が生み出した多くの波紋が丁寧に書かれた上等な訳者解説である。つまり、この新書で村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・レイ」が初めて完結するのだ。

 村上春樹の解説と野崎孝のそれ(私が持っているのは白水社の《Uブックス》で一九八四年に書かれたもの)とは違いは、原作者サリンジャーの経歴の詳細さだろう。
 村上解説には「我が父サリンジャー」など野崎が解説を書いてから出版された資料がテクストとして採用されているが、野崎にはほとんど情報がなかったようである。
 しかも、野崎が解説を書いてから二十年が経って、作品「キャッチャー」は色褪せないものの作者サリンジャーがどういう人物なのかほとんどの人が忘れているともいえる。村上はこの作品を古典と位置づけ、そのあたりの情報が重要であると判断したようだ。

 二人の解説の相違で面白いのが、ジョン・レノン狙撃事件の犯人チャップマンの扱いだろう。
 彼は事件を起こした際に「キャッチャー」本を所有していたことで有名だが、野崎にとって「新聞記事を読んだ記憶もある」程度の記述にすぎない。
 その点、ビートルズ世代の村上にとってはもっとこだわりがある。もっともそれは単に世代の相違だけかもしれないが、村上は野崎訳を肯定しつつも「時代に応じて」翻訳があってもいいとしているから、今後村上訳を読んだ若い人による新しい「キャッチャー」が登場するかもしれない。

 もし、できるなら村上訳の「キャッチャー」とこの新書をセットして販売すればいいのにと思うが、きっといくつかのややこしい現実的な問題があるのだろうな。やれやれ。
  
(2003/08/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  夏休み前に
  新潮文庫から柴田元幸さんの新訳による
  マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』が
  出版されたのは
  うれしい。
  夏休みにぜひ読んでもらいたい一冊です。
  海外文学にふれる機会は
  なかなかないものです。
  各文庫の夏休みの推薦企画をみても
  角川文庫集英社文庫
  ほとんど海外作品をそろえていません。
  新潮文庫はさすが老舗の文庫だけあって
  カフカカミュドストエフスキーなど
  いい作品がそろっています。
  せっかくの長い休みですから
  海外の作品も読んでほしいものです。
  
  じゃあ、読もう。

トム・ソーヤーの冒険 (新潮文庫)トム・ソーヤーの冒険 (新潮文庫)
(2012/06/27)
マーク トウェイン

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sai.wingpen  この物語を読んで子どものことを考えてみませんか                   

 題名だけで懐かしく、くすぐったくなるような作品というのは、あまりあるものでない。この本、『トム・ソーヤの冒険』はまさにそんな一冊だ。特に男の子にとっては。(女の子だと『赤毛のアン』か『あしながおじさん』あたりだろうか)
 それほどに「トム・ソーヤ」というのは、いたずら小僧でわんぱくでといった男の子の代名詞のようなものになっている。どれだけの人が、彼の「冒険」を知っているかはともかくとして。
 面白いことだが、この「トム・ソーヤ」は悪がきではあるのだが、けっして陰湿なことをしないのだ。時には女の子をかばって自分で罪をかぶったりまでする。もっとも、お気に入りの女の子だからということでもあるが。

 子どもたちのイジメが後を絶たない。
 報道されている内容を読むと、「葬式ごっこ」とか「自殺の練習」とかおぞましい単語がつらなる。そんな報道にふれると、現代の子どもたちを「トム・ソーヤ」と形容するには抵抗がある。
 トムや友達のハックのいたずらはもっと桁違いだ。何しろ彼らは何日も行方をくらまし、大人たちの捜索を見物し、自分たちのお葬式まで仕組んでしまうのだ。それで、大人たちが嘆き悲しんでいる最中に堂々と姿を現すのであるから、度胸がいいというか、読んでいるこちら側までがやりすぎだろうと思ってしまうくらいだ。
 それでいて、トムたちがそれほど叱られたふうでもないのは、この時代の大らかさともいえる。
 子どもたちは過保護でもなかったし、子どもたち自身も独立していたといえる。
 浮浪児のハックルベリー・フィンにいたっては、彼を保護しようとしてくれる親切な大人の世話さえ断ってしまうくらいだ。
 おそらくこの当時のトムたちは自分がしたことは自分の責任で解決することを体で知っていたのだろう。
 現代のイジメは、自分がしたことを認めようとしないところに大きな問題があるような気がする。それは学校も家庭もそうだといえる。そんな社会がイジメを生み助長させているのではないだろうか。

 そういう意味では、子どもたちだけでなく大人たちももう一度この『トム・ソーヤの冒険』を読んでみるといい。柴田元幸氏の新訳は生き生きしている。
  
(2012/08/02 投稿)

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