プレゼント 書評こぼれ話

  東京の桜は早かったので
  もう散っていますね。
  桜のいいところは
  満開の桜だけでなく
  散りぎわのものもいい、
  というふうに
  何度でも楽しめるところ。
  今日で3月はおしまいですが、
  春はこれからが本番。
  ガーデニングに最適の季節。
  あなたなら、
  どんな種をまきますか。
  今日紹介する絵本は
  なかがわりえこさんの
  『そらいろのたね』。
  絵は、おおむらゆりこさん。
  読めば、きっと
  種をまきたくなるんじゃないかな。

  じゃあ、読もう。

そらいろのたね(こどものとも絵本)そらいろのたね(こどものとも絵本)
(1967/01/20)
なかがわ りえこ

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sai.wingpen  どんなたねをまきますか                   

 種を蒔く、のは苗を植えるのとは違った昂揚感があります。
 蒔いた種が本当に土を盛り上げ芽を出すのか、その芽がどう育つのか、はたして種の袋にあるような美しい花や実をもたらすのか。
 苗以上に時間がかかります。その時間がたまらなく、いいのです。
 絵本の世界での頂点ともいえる『ぐりとぐら』を作ったなかがわりえこ(中川李枝子)さんとおおむらゆりこ(大村百合子)さんの黄金コンビによる、この『そらいろのたね』は、種を蒔き、育てるという大事なことを、楽しい物語と鮮やかな色づかいで描いてみせてくれます。

 ある日、自慢の模型飛行機で遊んでいたゆうじ君に森のきつねが持っていた種と模型飛行機を交換してくれとせがみます。
 ゆうじ君はきつねからもらった種を家の庭に埋めて、たくさんんの水をあげて育てます。
 名前は「そらいろのたね」。
 でも、一体どんな花が咲くのでしょうか。

 次の日の朝には、なんと、「まめぐらいの」小さな空色の家が芽を出しているではありませんか。
 それからというもの、その空色の家はぐんぐん大きくなっていきます。
 最初は小さなひよこがはいるだけの家がもっとずんと大きくなって、ゆうじ君のお友達やぶたや象の親子までやってきます。
 もっともっと大きくなって、森じゅうの動物たちがやってくるようになるのです。

 あわてたのは、種を交換した、あのきつね。
 「このうちは、ぼくのうちだから」「みんな でていっておくれ」なんて、勝手すぎます。
 みんなは仕方がないので空色の家から出てしまいます。
 こんなわがままなきつねが、最後にはどうなるか。
 きっと良い子にはわかりますよね。

 こんな素敵な空色の家が育つ種っていいですね。
 あなたなら、どんな種が欲しいかな。
 私なら「絵本のたね」がいい。たくさんの絵本がにょきにょきと生える種。
 森のきつねなら持っているかもしれませんね。
  
(2013/03/31 投稿)

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 毎年この季節になると
 本屋さんの一角は4月から開講される
 NHKテキストで賑わいます。
 私は花粉症ではないのですが
 このNHKテキストの花粉には毎年やられてしまいます。
 ムズムズ。
 ムズムズ。
 今年は何をしようかな。
 去年は、ラジオの「ハングル講座」にチャレンジしたのですが
 見るも無惨、
 ラジオですから聞くも無惨かな。
 わずか数週間で挫折。
 やれやれ。

 では、今年は英語に回帰するか。
 といっても、
 私の過去の英語学習は死屍累々の惨憺たるありさま。
 思い起こせば、
 中学1年生、(一体何十年前のことか)
 クラブ活動から帰ってきてラジオのチューナーを合わせて
 「基礎英語」を聴いていたものの、
 いつの間に、かうつらうつら。
 中学2年生、(一体何十年前のことか9
 テキストだけは「基礎英語2」に格上げしたものの
 やっぱりうつらうつら。

 人に歴史あり。
 私にNHKの語学テキストあり。
 途中途中に
 ラジオだからダメなんだとテレビ講座に移ってみたが
 やはりダメ。
 どこでも聴かなくちゃとCD付きにしても
 やはりダメ。
 それでも、毎年この季節になると
 うずうず蠢く勉強熱。
 我ながら、あきれるばかり。

NHK テレビ おとなの基礎英語 2013年 04月号 [雑誌]NHK テレビ おとなの基礎英語 2013年 04月号 [雑誌]
(2013/03/18)
不明

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 そんな私がこの春チャレンジしようと思いついたのが
 NHKテレビの「おとなの基礎英語」。
 レベル的には「基礎英語3」程度。
 中学3年生です。
 放送時間は月曜から木曜(!!)
 夜10:50から10分間。
 たかが10分。
 されど10分。

 はたしてどうなることやら。

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プレゼント 書評こぼれ話

  こうして中沢啓治さんの名作
  『はだしのゲン』を読み継いでいますが
  よく読んでみると
  この漫画には
  戦中戦後のさまざまな庶民の生活が
  描かれています。
  漫画とはいえ、
  社会科や歴史の授業で
  取り上げられたらどんなに
  いいでしょう。
  それは単に原爆漫画、反戦漫画という
  枠を超えているといえます。
  漫画だから
  子どもに読ませておけばいいではなく
  この漫画こそ
  大人とともに
  読むことが必要でしょう。
  大人の皆さん。
  手間を惜しまず、
  子どもたちに寄り添ってあげて
  下さい。

  じゃあ、読もう。

はだしのゲン 第6巻はだしのゲン 第6巻
(1984/01)
中沢 啓治

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sai.wingpen  負けたらいかんわい                   

 終戦後から2年余り経った頃、社会を驚かせた、といってもあの当時の多くは驚くことばかりだったろうが、事件が起こった。
 現役の裁判官だった山口良忠氏が闇米を拒否し、栄養失調で亡くなった事件だ。
 当時多くの日本人が闇米といわれた配給米以外に手を出さずには生きていけなかった。食糧管理法という法律のもと、法を守るべき裁判官は自らの死を賭けてそのことを訴えたともいえる。
 中沢啓治の漫画『はだしのゲン』第6巻は、病気の母親のため、闇米を買おうとするゲンたちの姿から始まる。

 なんとかお金を手にして田舎までお米を買いに行くゲンと仲間たち。途中スリにあって大事なお金を失くしたり、偶然手にしたお米を警察に没収されたりする。
 「配給の食糧じゃ、わしら子どもでも腹ペコでうごけんほど少ない」と、ゲンの怒りは警官にも向けられる。
「日本中の苦しんでいるものは、みんな怒るんじゃ」。
 それはゲンの怒りでもあるが、中沢啓治のもっていき場のない思いであったにちがいない。

 ますます悪くなるゲンの母親を救おうと、弟代わりの隆太がついにやくざの賭場荒らしという暴挙に出てしまう。
 やくざに追われる隆太が生き延びる先は感化院しかない。
 ある日、ゲンは原爆投下まもない頃出合った夏江と再会する。
 夏江は原爆のケロイドで生きるすべを失っていた。
 そんな彼女に、あの日燃え盛る炎の中で死んでいった姉英子をだぶらせるゲンは、なんとしても生きるんだと説得する。
 「したたかに生きて、戦争とピカで苦しめたやつらを見据えてやるんじゃ」。
 ゲンのこぶしが震える。
 「負けたらいかんわい、負けたらいかんわい」。
 原爆の悲劇は終戦後も終わることはない。

 感化院にはいった隆太はゲンたちに会いたい一心で施設を脱走する。
 それはあまりにも無邪気な行為である。
 しかし、それは闇米に手を出した多くの人たちと同様、生きたい、という思いだった。
 ゲンや隆太たちがこれからどうなるのか。
 彼らの涙はいつまでも乾かない。
  
(2013/03/29 投稿)

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  毎月読んできました
  「向田邦子全集<新版>」も
  今日紹介する「別巻1」と合わせて
  あと2冊になりました。
  この「別巻1」は
  向田邦子の全対談とあるように
  対談集となっています。
  なかなか面白い対談集です。
  それに向田邦子さんが亡くなって
  あまり時間のたたないうちに
  刊行されたものがベースになっていて
  それぞれの対談者が
  向田邦子さんの才能を惜しんでいるのも
  胸をうちます。
  でも、この対談集のお相手の方も
  すでに鬼籍にはいっている人も多く、
  案外天国で
  向田邦子さんと楽しくやっているかも
  いれませんね。

  じゃあ、読もう。

向田邦子全集〈別巻1〉向田邦子全対談向田邦子全集〈別巻1〉向田邦子全対談
(2010/03)
向田 邦子

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sai.wingpen  こんなところでよろしいでしょうか                   

 向田邦子さんの講演テープを一本持っている。
 51歳の時の、「言葉が怖い」という題の講演である。亡くなる年である。
 低くもなく、高くもない、上品な声である。話に興が乗ってくると、どんどん早くなる。向田さんが好きだった黒柳徹子さんのお喋りに似ていなくもない。
 こういう声で話されたら、あるいはその声で受けられたら、話し相手はなかなかいい気分だろうなと思われる。
 「向田邦子全集<新版>」の別巻1は、向田邦子さんの対談集である。

 「向田邦子全対談」と題されたものは、「まえがき」に山口瞳、「あとがき」に吉行淳之介というりっぱな文士が担当している。
 そもそもが雑誌で向田が対談したものをその死後出版社にまとめて本にしたらと薦めたのが吉行だということが「あとがき」に書かれている。 
 向田の対談者としての力量を買っていただけでなく、向田への愛情が感じられる。
 それは、「まえがき」を担当した山口瞳も同じだ。
 山口にいたっては自分が強く直木賞を推薦し向田が受賞し、それゆえに急ぎ足でこの世から消えてしまったという後悔がつきまとった。
 向田との対談に「お呼びがなかった」山口だが、誰よりも彼女の才能と人物を愛した。
 「この対談集には、一瞬の女のイノチが輝いている」と、山口は記しているが、それはまるで涙声のように聞こえる。

 この「全対談」で向田は水上勉や谷川俊太郎といった作家や詩人、あるいは倉本聰や鴨下真一といった放送関係の人など17人と対談している。話のテーマは料理の話、幼い頃の記憶、旅の話、映画の話など多彩だ。
 ホストとして聞き役にまわることもあるが、向田自ら楽しいお喋りに夢中になっている姿も微笑ましい。まるで、向田の小説やエッセイ、あるいはテレビドラマのワンシーンを見ているかのようである。

 17人中、ただ一人の女性が、向田と終生仲のよかった澤地久枝である。
 この対談が実にいい。
 女同士、仲のいい者同士の気安さだろうか、「結婚も子どもも体験したかった、本当は」と向田の、心の底の悲しみがこぼれる。
 それぞれの対談のあとの、亡くなって間もない向田に対する対談者のコメントがまるで弔辞のようであるのが胸をうつ。

 私の持っている講演テープの最後にはこうある。
 「こんなところでよろしいでしょうか」と。
  
(2013/03/28 投稿)

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  芥川賞受賞作の紹介です。
  2003年に第129回芥川賞を受賞した
  吉村萬壱さんの『ハリガネムシ』。
  蔵出し書評です。
  書評の語りは熱いですが、
  どんな作品だったか
  ほとんど思い出せません。
  でも、この書評を読むと
  もう一度読みたくなりますね。
  先日紹介した
  川口則弘さんの『芥川賞物語』によれば
  「重い主題を巧みに構築して読ませる力量が認められ」と
  あります。
  むずむずしますね。
  まさにハリガネムシがはっているよう。
  それにしても
  芥川賞受賞作の幅って
  広い。

  じゃあ、読もう。

ハリガネムシハリガネムシ
(2003/08)
吉村 萬壱

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sai.wingpen  飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?                   

 第129回芥川賞受賞作(2003年)。
 大江健三郎氏の初期の評論(1964年)に「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?」というサルトルについて書かれたものがある。
 どうして人は文学としての表現をとり、それを読むのか。そこにどのような意味があるのか。
 私はその評論の内容そのものよりも、タイトルそのものに強い衝撃を受けた。
 大江氏はその評論の最後にこう書いた。
 「ぼくは、《飢えた子供がいる時に…》という考え方の極に定住することはできないし、個人的な自己救済の極に定住することもできない。そのあいだをつねにフリコ運動しているという感覚が、ぼくにとってもっとも普通な、作家としての職業の感覚だ」。

 第129回芥川賞を受賞した「ハリガネムシ」の作者吉村萬壱氏は、《受賞のことば》の中で自身の文学としてのテーマは「暴力」であると書いている。
 新しい世紀にはいって、私たちは「暴力」の威力に呆然としている。
 国が国に対して行う暴力、大人が子供に対して行う暴力、子供が大人に対して行う暴力。いつも弱いものだけが犠牲になっている。
 そのような時代に文学は有効であるのか? 
 文学は時代に何を指し示すことができるのか。

 受賞作「ハリガネムシ」は高校教師とソープ嬢の泥沼のような関係を描いている。
 二人の荒々しい暴力は終盤若い男たちによる行き止まりのない暴力へと発展する。それでいて主人公がたどりついたのは、安らぎのような諦観である。
 吉村氏は「暴力に対する恐怖と、その先にあるかもしれない光を求める中から小説が生まれてくる」と書くが、主人公がたどりついた諦観こそが光なのか。
 それは光かもしれないが、あまりにかすかな光でしかない。
 このような時代にあって、小説家がそれでも書くのは、暴力の先にある光を求める故だともいえる。

 大江氏は先の評論の二年後、「作家は文学によってなにをもたらしうるか?」という論考の中で、おそらく先の問題に対して明確な答を出している。
 「僕はこのようにして自分が自分自身の存在の根にむかうことによって、他者に、かれ自身の存在の根にむかう緊張を喚起したいのだ」。
 大江氏の文学論を受け入れるとすれば、この作品で吉村氏が表現しようとした暴力は私たちに私たちの根にある暴力にむかう緊張と脅えを喚起したことになる。そして、私たちも暴力の先にある光を求めてやまないことに気づかされるのだ。
  
(2003/10/19 投稿)

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  今日は昨日の山田詠美さんに続いて
  私の大好きな川上弘美さんの新刊
  『なめらかで熱くて甘苦しくて』。
  昨日と今日、
  実に豪華なラインナップです。
  川上弘美さんは
  『蛇を踏む』で芥川賞を受賞。
  現在は山田詠美さんとともに
  芥川賞の選考委員の一人。
  選考委員といえば、
  ほかにも小川洋子さんがいたりして
  女性作家たちは
  がんばっています。
  それに、彼女たちの選評が
  実にいいんですよね。
  彼女たち独特の
  文学観がよく出ています。
  この作品も川上弘美さんならではの
  味わいがある短編集です。

  じゃあ、読もう。

なめらかで熱くて甘苦しくてなめらかで熱くて甘苦しくて
(2013/02/28)
川上 弘美

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sai.wingpen  一流シェフの心のこり                   

 「性欲について書こうと思ったんです」、川上弘美はこの短編集について問われてこう答えている。
 確かに、性欲は書名のように『なめらかで 熱くて 甘苦しくて』、そして不可思議な切実さを持っている。しかし、残念なことに、そのテーマで短編は書き継がれることはなかった。
 インタビューはこう続く。
 「それだけ取りだすことはできないとわかった。」と。
 「生きること、死ぬこと、セックスのこと、それらは一人の人間のなかでいつもまじりあっている」、だとしたら、それは「どんなふうにまじりあっているのか」を、川上弘美はこの短編集で描こうとした。
 結果からみれば、それはとても残念だ。
 川上弘美の「なめらかで 熱くて 甘苦し」い性欲を読んでみたかった。

 この短編集には、「aqua」「terra」「aer」「ignis」「mundus」と名づけられた五つの短篇が収められている。
 最初の4篇はそれぞれ「水」「土」「空気」「火」という四大元素で、最後の作品は「世界」を意味する。
 それが性欲についての作品名であったのかどうかは知らないが、多分、こうして出来上がったものよりももっと厳かなものを考えていたのではないかしらん。

 初めの構想に一番近いのが最初の短編「aqua」、すなわち「水」であろう。
 水面(みなも)と汀(みぎわ)という二人の女性が主人公。二人は小学三年の時に出会う。 
 性格の違う二人、おとなしげな水面と奔放な汀、だが、時に離れ、時に再会していく。二人の対比と交じり合いが女性の持つ二面性を表している。
 作品にあふれる水の感覚は、女性の内部に流れるせせらぎのようだ。

 二つめの「terra」、すなわち「土」もまた、まだ性欲の感じを残している。
 物語の最後に主人公の女性がつぶやく、「どうしてわたしの体はあんなに何かを求めていたんだろう。いつも叫んでいるような体だった。」には、男性にはわからない女性ならではの感覚がある。
 できれば、川上弘美にはもっとその世界を追い求めてもらいたかった。
 心残りのする短編集である。
  
(2013/03/26 投稿)

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  今日は、今一番信頼していい
  女性作家の一人といっていい
  山田詠美さんの新刊
  『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』を
  紹介します。
  芥川賞の歴史には
  色々な不思議がありますが、
  山田詠美さんが芥川賞ではなく
  『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞を
  受賞したのも
  その一つかな。
  どうみても
  純文学系の作品ですよね。
  でも、そのことで
  大衆文学と純文学の垣根が
  低くなったともいえますが。
  今は芥川賞の選考委員として
  山田節を全開させています。

  じゃあ、読もう。

明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち
(2013/02/27)
山田 詠美

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sai.wingpen  一流シェフの絶品料理                   

 一流のシェフはどんな食材を使っても自身の味、香り、彩りに変えてしまう。「弘法筆を選ばず」と昔の人は云ったものだが、それは言い得ている。
 山田詠美もまたそんな一流シェフの一人だ。
 何を描かせても、うまい。
 そして、何を描いても、山田詠美の世界だ。

 澄生と真澄の兄妹、母の再婚で新たに異母弟となった創太それに母と義父との間に生まれた千絵を加えた澄川家は真澄の友達に言わせると「綺麗な家族」だった。
 兄澄生が17歳の時、雷に打たれて亡くなるまでは。
 澄生をこよなく愛した母がアルコール依存症となって壊れていく。やがて、家族もまた。
 山田詠美のこの作品はそんな一家の姿を、妹真澄の視点、新しい母に懸命に愛されようとする創太の視点、死んだ兄のことをほとんど覚えていない千絵の視点から描いたものだ。

 愛するものが突然この世界からいなくなる喪失感に、人はどう生きていくべきか。
 山田詠美はそんなまっとうな質問をもっともらしく描いたわけではない。
 澄生の死をきっかけにして壊れた家族の、その後の彼らの生き方と再生(いなくなった者は絶対に戻らないということでは再生ではないのだが)を、山田詠美ならではの味付けで描いていく。
 昨日まであんなに楽しかった家族を突然奪われてしまう東日本大震災のような大きな災害だけでなく、私たちは常に「明日死ぬかもしれない」のだ。
 いや、突然明日いなくなる者を私たちはどう受け止めていくか。
 かつて「綺麗な家族」であった澄川家は、互いに触れ合わないように、けれど求めあいその後を生きていく。

 作中、こんな文章がある。
 「人を賢くするのって、(中略)他人ごとをいかに自分ごととして置き替えられるかどうかの能力に掛かっているのではないか」。
 山田詠美はこの物語を通じて、2011年の春から続くこの国の悲しみや憤りを自分のことにした。
 山田詠美のうまさが光る、一篇だ。

 最後、家族にそっと寄り添うもうひとつの影に安堵することまちがいない。
  
(2013/03/25 投稿)

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   今年の桜は早いですね。
  東京はもう満開。
  目黒川
  今日の写真は目黒川沿いの
  桜です。
  桜といえば
  入学式で満開がいいんですが、
  今年は入学式前に満開に
  なってしまいましたね。
  今日紹介する絵本は
  武田美穂さんの『ますだくんの1ねんせい日記』。
  皆さんは、小学1年生だった時の
  記憶ってありますか。
  書評の中にも書きましたが
  私はもう半世紀も前の話なので
  おぼろ。
  あの頃に戻れたらいいですよね。
  そんな気分で読んでみて下さい。

   じゃあ、読もう。
  
ますだくんの1ねんせい日記 (えほんとなかよし)ますだくんの1ねんせい日記 (えほんとなかよし)
(1996/04)
武田 美穂

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sai.wingpen  誰もが小学1年生                   

 半世紀ってまるで歴史の本にしか出てこない単語みたいですが、私が小学1年生だったのはそんな歴史の単語のような半世紀以上も前のこと。
 「人に歴史あり」なんて、よく言いますが、気がつけば私にも歴史ができているようです。
 小学1年生のことは、だから、ぼんやりとしか覚えていません。
 同じ村に同級生の子は、男の子2人、女の子3人(だったかな)。
 家の前で記念撮影をしたような(でも、カメラなかったようにも思うし)。
 担任は土原先生というおんな先生でした(これはたしか)。でも、何組だったけ。
 最初、きっとみんな並んで教室にはいったのでしょうが、よく覚えてないなぁ。隣の席の子も。
 何しろ、半世紀も前の歴史の話。

 だから、武田美穂さんの『となりのせきのますだくん』を読んだ時はうらやましかったなぁ。
 それは、みほちゃんというちょっとおとなしい女の子のお話で、隣の席に「ますだくん」という怪獣がいていつもいじめてばかり。でも、実は…。
 隣の席のますだくんは少しやんちゃですが、本当は心優しい男の子なんです。
 そんなますだくんの目から見た、小学校の生活を描いたのが、この『ますだくんの1ねんせい日記』。
 もちろん、あの美穂ちゃんだって登場します。

 視点を変えれば、美穂ちゃんが怪獣のように見えていたますだくんがいろいろ美穂ちゃんのことを心配してお節介を焼いていたのがわかります。
 だから、この絵本は『となりのせきのますだくん』と読みくらべてみると面白い。
 でも、いいなぁ。
 こんなにしっかりと小学1年の時の生活が残っていたら。きっとますだくんはいくつになっても、美穂ちゃんのことや給食のこと、授業の様子を思い出すだろうなぁ。
 美穂ちゃんとはいつかきっと別々の人生を歩んだだろうけど、初めての小学校で隣の席の子のことを忘れないなんてすてきだ。

 漫画のようにコマ割りされた絵本は子どもたちにも読みやすい。
 この絵本がいつかその人の歴史になっていくのだろうなぁ。
 大事にしておいてね。
  
(2013/03/24 投稿)

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  昨日最新の芥川賞受賞作
  黒田夏子さんの『abさんご』を
  紹介しましたが、
  このブログでは「芥川賞を読む」という
  カテゴリーを持っています。
  さすがに芥川賞の歴史を考えると
  全作品を読破するのは
  大変ですね。
  そこで、今日は
  芥川賞の歴史を一気にたどれる
  恰好の本、
  川口則弘さんの『芥川賞物語』を
  紹介します。
  書評にも書きましたが、
  川口則弘さんは
  「直木賞のすべて」という
  HPを運営しています。
  このHPは
  私も利用させて頂いています。
  どれぐらいいいか、
  ぜひ一度覗いてみて下さい。
  
    「直木賞のすべて」

  もちろん、この本も芥川賞に
  興味を持っている人の
  必読書。

  じゃあ、読もう。


芥川賞物語芥川賞物語
(2013/01/25)
川口則弘

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sai.wingpen  風見鶏としての芥川賞                   

 過去の直木賞受賞作を読んだあと、必ず参考にするのが「直木賞のすべて」というホームページ。当時の選考委員の選評など候補作、受賞作の評価がひとめでわかる工夫がなされています。
 そのホームページを運営しているのが、この本の著者川口則弘氏。
 本職はシステムエンジニアらしいのですが、本書では「直木賞研究家」となっています。
 「直木賞のありようのことごとくが、私は好きである」というほど、直木賞に惚れこんでいる。
 そんな川口氏がなぜ芥川賞のことを書くに至ったか。
 すでに数々の芥川賞関連の本が出ている中、芥川賞の本を書くということが、芥川賞の「添え物感、脇役感」のある直木賞に対する裏切りではないかとまで感じる川口氏であるが、「自分の本が出版できることの魅力に勝てなかった」のだという。
 本書が川口氏のはじめての単著書になる。
 川口氏の思いに漂う悲壮感それ自体直木賞的である。

 それでも本書は芥川賞受賞作を読むに際して、どれだけ参考になることか。
 もうすぐ創設80周年、回数にして148回を迎える長い芥川賞の歴史だから、著者のいうように「時に駆け足」になっているのは仕方がない。
 芥川賞が「いかに特異で、異様で、そして滑稽なものになっていったか」を、単に記録、研究としての視点ではなく書き綴った意義は大きい。
 本書が「物語」と題された所以である。

 さて、芥川賞であるが、「芥川賞は、派手な受賞者が出ても批判される。地味な作品が受賞しても嘆かれる。該当作なしでも、授賞ばかりが続いても、どんな状況でも茶々を入れられる」ほど、日本文学の世界にあっては「権威」ある賞のように思われているが、所詮は「新人賞」なのだ。
 しかし、「新人賞」ゆえに風見鶏のように時代の風に吹かれることも多い。だから、マスコミがそのつど大きく取り上げるのも仕方のないことだ。
 ただ、あまりにも大きくなりすぎて、まるで「権威」があるが如くになっているのは如何なものか。
 要は、長く続いた賞であること、受賞者の多くがその後の文学界を背負っていること、がこの賞の魅力なのだ。

 この本があれば、芥川賞受賞作を楽し(あるいは受賞に疑問も)く読めること、間違いない。
  
(2013/03/23 投稿)

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  遅くなりました。
  今日は先に発表された
  第148回芥川賞受賞作
  黒田夏子さんの『abさんご』を
  紹介します。
  といっても、
  書評にも書きましたが
  この作品をどう紹介していいのか
  私にはまったく手だてがありません。
  Give Up状態です。
  今本屋さんに行けば、
  当然最新の芥川賞受賞作ですから
  入口近くの平台にどーんと
  積まれていますが、
  読んだ人は一体どんな感想を
  持つのでしょうね。
  最後まで読めたのかな。
  作品を評価するのは
  それを読んだ人であることは
  間違いありません。
  芥川賞受賞作だからといって
  お口に合わないことは
  あります。
  あなたはどうだったでしょうか。

  じゃあ、読もう。

abさんごabさんご
(2013/01/20)
黒田 夏子

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sai.wingpen  王様は裸か                   

 第148回芥川賞受賞作。
 アンデルセンの『裸の王様』は、豪華な服が見えないのは邪な心があるからだというペテン師にだまされる王様と民衆たちを「王様は裸だ」と言い切る最後の子どもの言葉で、大人たちの見栄や追従をからかった有名な童話だ。
 芥川受賞作、しかも歴代最高齢での受賞というマスコミの過剰な反応。さらにはひらがなを多用した横書きの作品と、異例づくめの作品ながら、私はこの小説を良しとはしない。
 「王様は裸だ」とまでは言い募るつもりはないが、この作品を小説というのはどうかと思う。

 まずもって横書き、ひらがなの多用、カタカナの排除(「カード」を「かーど」とまで書くことにどれだけの意味があるのか、私には理解できなかった)、とってつけたような言い回し、そのどれひとつとっても感心しなかった。
 有難いことに、この国の識字率はとても高い。ほとんどの人がひらがなは読めるだろう。だからといって、物語が立ち上がるとは限らない。
 読み終わって、ここにどんな物語が書かれていたのか、書くすべがない。
 それが、果たして小説といえるのだろうか。

 選考委員の高樹のぶ子さんはこの作品を「日本語ドリル」だという。読者の中に起きるのは「ひらがなを自分の感性と呼吸に沿って自由に意味づける変換力、いや想像力」だといい、「奇蹟の一作」と絶賛している。
 また小川洋子委員は、「言葉の連り方や音の響きだけで小説は成り立ってしまう」と、賛成している。
 「じつに読みにくく、読了したときは目と頭が疲れてしまった」という宮本輝委員も、何度か読み返すうちに「強固な文学観を土台とした稀に見る特異な才能」と、高い評価をつけている。
 おそらく、宮本委員の読み方は正しいのだと思う。
 この作品は一度で理解するのは困難だ。読むことに慣れた人でもそうなのだから、普通の読者ではかなりしんどい。

 選考委員の中ではっきりと否定しているのが、山田詠美さん。
 「正直、私には、ぴんと来ない作品」と評している。おそらく、山田さんの感想が一番普通の読者に近いのではないだろうか。

 もちろん、これだけ話題になった作品だから、読者一人ひとりがその評価をすればいいので、王様の豪華な服が見えなかったとしても、ことさら見えたふりはしなくてもいい。
  
(2013/03/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  母が亡くなって3年が経ちました。
  3年という時間の重なりを
  短いといえばよいのか
  長いと口にすべきか
  わかりません。
  ただ、そこに時間の棒みたいなものがある。
  そんな感じがします。
  3年前も
  今年のように早くはなかったですが
  桜がちらほらとほころびはじめていました。
  母に満開の、最後の桜を
  見せてあげたいと
  思ったことを
  今でも思い出します。
  今日紹介するのは
  母と同い年だった詩人の茨木のり子さんの
  『わたくしたちの成就』という詞華集。
  この本の中に
  「さくら」と題された詩があります。
  その詩に、茨木のり子さんはこう書いています。

    ひとは生涯に
    何回ぐらいさくらをみるのかしら

  母は何度、さくらをみたのだろうか。

  じゃあ、読もう。

わたくしたちの成就わたくしたちの成就
(2013/02)
茨木 のり子

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sai.wingpen  母の命日に同い年の詩人の詩を読むということ                   

 彼女は、母ではない。詩人だった。
 彼女は、詩人ではなかった。けれど、母だった。
 詩人の茨木のり子さんと私の母は、ともに1926年生まれの寅年だった。
 詩人はたくさんの詩と言葉を残し、母はただ私の母として生き死んでいった。
 母の人生がどんなものであったか、私は多くは知らない。
 けれど、茨木のり子さんの詩の、たとえば「わたしが一番きれいだったとき」と同じ時間を母が生きたことを、いま、吐息をつくかの如く、私を慰安する。

 この小さな詞華集に収められているのは、最愛の夫を亡くされたあと、詩人が密やかに書き綴り、その死後『歳月』という詩集に収められた詩が中心になっている。
 タイトルの『わたくしたちの成就』は、「急がなくては」という詩の一節、「あなたのもとへ/急がなくてはなりません/あなたのかたわらで眠ること/ふたたび目覚めない眠りを眠ること/それがわたくしたちの成就です」から取られています。
 この詩のように、48歳の時夫と死別した詩人はしばしば「死にたい」と口にしていたといいます。
 「死にたい」はあまりにも詩人にはふさわしくありません。詩の言葉でいえば、「急がなくては」になるのでしょう。
 その理由(わけ)が、自分たちの成就というのです。
 詩人の愛の深さを思います。

 「梅酒」という詩の断片。「後に残るあなたのことばかり案じてきた私が/先に行くとばかり思ってきた私が/ぽつんと一人残されてしまい/」に、母の病床のかたわらでぽつねんと座っていた父の姿が重なります。
 母の死後、わずか2年足らずで父は「わたしたちの成就」を成し遂げるように亡くなりましたが、夫の死後もともに暮らした歳月以上に一人生きた詩人の切ない思いが、この詞華集にはあります。
 急いだはずの詩人は、私たちに言葉を残すために、密やかに言葉を紡いでくれていたのです。

 茨木のり子は、詩人だった。私の母ではない。
 母は、一篇の詩すら詠まなかった。けれど、私の母だった。
 ともに、同じ年に生まれた。
 茨木のり子が母と同じ時代を生きた詩人であることに、慰められる。
  
(2013/03/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は春分の日

   竹の芽も茜さしたる彼岸かな  芥川龍之介

  学生の皆さんは春休みの最中でしょうから
  祝日といっても変わらないですね。
  お父さんやお母さんがお休みだったら
  ぜひ、今日紹介する
  西原理恵子さんの『いきのびる魔法-いじめられている君へ』を
  一緒に読んでみて下さい。
  もしかしたら
  三学期にクラスの人たちと
  いじめのことについて
  話し合ったかもしれません。
  それくらい
  いじめとか体罰の問題は
  学校で深刻になりました。
  新しい春には
  クラス替えや進学があって
  せっかくなじんだ人たちとも
  別々になります。
  またこっそりと
  いじめが起きるかもしれません。
  その前に西原理恵子さんの絵本を
  読んでおいて下さい。

  じゃあ、読もう。

いきのびる魔法-いじめられている君へ- (コミックス単行本)いきのびる魔法-いじめられている君へ- (コミックス単行本)
(2013/01/23)
西原 理恵子

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sai.wingpen  いのちの呼吸                   

 朝日新聞に連載された『いじめられている君へ』はさまざまな著名人が子どもたちにあてた「生きるメッセージ」です。
 その中の一人、漫画家の西原理恵子さんが自身のメッセージを絵本にしました。
 もしかしたら、文章よりも、もっと強く、読者の心に届くかもしれません。

 表紙をあけると、「学校はいじめられて つらい思いをしてまで 行くところじゃない」と書かれています。
西原さんのメッセージは、いじめを受けたら無理をして学校に行くことはない、というものです。
 「生きのびて下さい」「逃げて下さい」とすすめています。
 厳格な親なら卒倒しそうなメッセージですが、そういう親はもしかしたら自分の子どもがいじめをする側であったりいじめを受けて追い詰められていてもわからないかもしれません。
 亡くなった戦場カメラマンの夫鴨志田譲さんから西原さんは、戦場で一番怖かったのが少年兵だったと聞いたそうです。それは、少年兵は「愛することや大切なこと」をわからない子どもだからです。
 西原さんはこの絵本で、にこやかに微笑む少年兵の姿を描いていますが、その無邪気さの向こうにある残酷さに恐怖すらおぼえます。
 いじめをする側の子どもたちもこんな風にあどけない笑顔をしているのでしょうか。
 これは遠い国の戦争の話ではありません。
 西原さんは言います。
 「この国は形を変えた戦場なんです」。
 だから、無邪気で残酷な少年兵に殺されることはないのです。
 「逃げて」「生き延びれば」、いつか自由が手にはいります。

 この本は絵本という体裁をとっていますが、ぜひ中学生にも高校生にも読んでもらいたい。
 そんな年頃の子どもを持った保護者にも読んでもらいたい。
 先生たちにも読んでもらいたい。
 そして、子どもたちとたくさん話してもらいたい。

 同時収録されている「うつくしいのはら」という作品で戦争の悲惨さについても考えてもらいたい。
 私たちは人間だから、本当はたくさんのいのちの日々をもらっているはず。その日々をきちんと過ごすのが、「生きる」ということです。
 西原さんはこの絵本を「一言一言、ゆっくり読んでほしい」と言っています。
 それが、いのちの呼吸です。
  
(2013/03/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  おなじみの小宮一慶さんです。
  お客さまとの関係づくりのマーケティング、
  「リレーションシップ・マーケティング」では、
  お客さまを6段階に分けて
  考えるそうです。

   ①潜在客 ②顧客 ③得意客 ④支持者 ⑤代弁者 ⑥パートナー

  右にいく程、関係が強くなります。
  小宮一慶さんと私との関係でいえば
  ⑤代弁者、でしょうか。
  だって、小宮一慶さんの本がでれば
  こうして毎回ブログで紹介しているのですから。
  今日は、
  『社長のための 「お客さま第一」の会社のつくり方』です。
  書評にも書きましたが
  そのための8つの実践プログラムも紹介されています。
  例えば、

   ①お客さま第一の社員は、小さな行動を徹底している
   ②環境整備の徹底が気づく社員をつくる
   ③お客さま第一の社員は、自ら動き、やり続ける

  などです。
  いつも色々な気づきがある、
  小宮一慶さんの一冊です。

  じゃあ、読もう。

社長のための 「お客さま第一」の会社のつくり方: 明日から職場を変える行動プログラム社長のための 「お客さま第一」の会社のつくり方: 明日から職場を変える行動プログラム
(2013/01/18)
小宮 一慶

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sai.wingpen  毎朝元気に唱和しましょう                   

 私が働いている職場にも「経営理念」があります。
 毎朝唱和していますが、そういうことに馴染めない人もいるかと思います。
 理念やビジョンを徹底するには「繰り返し伝え続けること」だという、この本の著者経営コンサルタントの小宮一慶さんの経営する会社でも、毎朝唱和しているそうです。
 これは「意識」の統一です。だから、「声に出すこと。これが、相手に「伝える」ためには欠かせません」。
 ただ、唱和するだけではいつのまにか声に出しているだけということがままあります。 
 やはり、唱和の際にはいつもそこに言われていることを実践しているか振り返ることが必要でしょう。

 小宮一慶さんはすでに85冊以上のビジネス書を書いていますが、これだけ書くと常に新しいことばかりとは限りません。
 この本でも以前書かれた内容が多くでてきます。
 そのことで、読むだけムダということにはなりません。
 小宮さんは松下幸之助さんの『道をひらく』を毎晩寝る前に読んでいるそうです。それを20年以上続けているというのですから、驚きです。一冊の本を100回以上読んでいる計算になります。
 それでも、「毎回、新鮮で、すごく勉強になってい」るそうです。
 これは「理念」を伝えることとよく似ています。
 「意識」を共有するためには、「繰り返す」ことが重要になってきます。
 小宮さんの本も、いろんな形やテーマを変えながら、繰り返し「意識」を共有しているのだと思います。

 小宮さんの本の底流にはいつも「正しい考え方」で仕事をするということがあります。
 この本では、それが「お客さま第一」というよく言われる言葉ながら、その本当の意味を整理しながら、「お客さま第一」の会社をつくるための8つの実践プログラムを紹介しています。
 書名に「社長のための」とありますが、社長ではない若い人にも読んでもらいたい一冊です。
 もし、あなたの会社の社長がこの本を読んでいたら、少しはいい社長と信頼を寄せていいのかもしれませんね。
  
(2013/03/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  友達から
  「最近おまえのブログは真面目すぎる」と
  言われた。
  たまには、おとなの本を
  紹介してよ、って。
  なので、今日の本は
  久々のR18ですよ。
  子どもの皆さん、
  気をつけてね。
  第一回団鬼六賞を受賞した花房観音さんの
  『女の庭』。
  官能場面もふんだんにありますが、
  どぎつい感じはしません。
  女性作家ゆえなのか、
  京都が舞台だからでしょうか。
  官能小説の書評って
  やっぱり難しいですよね。
  もっと気分を伝えたいところですが
  このあたりが精一杯。
  「やっぱりマジメだな」と
  ぼやく友達の声が
  聞こえそう。

  じゃあ、読もう。

女の庭女の庭
(2012/11/22)
花房 観音

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sai.wingpen  そうだ、京都へ行こう。                   

 京都は四季折々さまざまな表情を見せる、日本有数の観光地だ。
 夏は暑く、冬は底冷えがきつい。それでも、その季節であっても賑わう。
 京都そのものが一つのブランドであるから、京おんなというだけで男ごころをくすぐられる。京おんなが話す、はんなりとした京言葉に魅せられる。
 『花祀り』で第一回団鬼六賞を受賞した花房観音のこの作品は、京都を舞台に5人の女性の内に燃える官能を描いた物語だ。

 5人は京都にある「お嫁さんにしたい大学」と評判の女子大の同じゼミ生。卒業して12年になる、34歳の女性たちだ。
 すでに子どもがいる専業主婦もいえば、親のみやげもの店を切り盛りするものもいる。哲学の道近くで夫と小さな店を開いているもの、自らエステサロンを経営するもの、若い頃はモデルをしていたものと、同じ学校をでたものの、12年という歳月は、それぞれに別々の人生をもたらした。
 そんな彼女たちがゼミの担当教授の葬儀に集まることになる。喪服の下に過ぎていった時間を秘めながら。

 彼女たちは忘れられない「事件」を共有していた。
 卒業間際に間違って見せられた、ゼミの教授の性愛の模様を写したビデオテープだ。
 その時、教授と映っていたのは誰か、互いに疑惑が残ったまま、12年めの再会となった。
 京都、夏。送り火が京都の夜を焦がす。
 笑顔の下に疑いと、それぞれに身体に刻まれた官能を隠して、彼女たちは次の夏の再会を約束する。

 京都の土地と5人の女たち。
 あるものは男性との性愛にあきることがない。あるものは夫の身体しか知らない自分にもだえ、あるものはかつての美貌をひきづったまま邪な男に夢中になる。また、夫の恥ずかしい行為に欲望を満たすものもあれば、男性を愛せないものもいる。
 さまざまな官能描写はさすが団鬼六賞受賞作家だけのものがある。
 官能は何故か京によく似合う。
「この山は城壁のようだ。京都を守るために囲む、城壁のよう。そして中にあるこの街は、箱庭のよう。」
 閉じ込められているのは、女たちか。
 それとも、官能か。

 そうだ、京都へ行こう。
  
(2013/03/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、東京で桜の開花宣言。
  観測史上最も早いのだとか。
  来週には満開の桜が見られるのでしょうか。
  東京の桜の名所のひとつ、
  上野公園。
  隣接する上野動物園は
  パンダも再お目見えで
  混むでしょうね。
  上野動物園には
  娘たちが小さい頃何度か行きましたが
  大きくなって
  行く機会もなくなりました。
  今日の絵本は
  動物園が舞台の絵本、
  ジュディ・シエラさんの『本、だーいすき!』。
  本好きの人だけでなく、
  動物好きの人にも
  ぴったりの絵本です。

  じゃあ、読もう。

本、だーいすき!本、だーいすき!
(2013/01)
ジュディ シエラ

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sai.wingpen  動物に負けないくらい、本が好き                   

 題名がいい。
 本好きにはこれ以上のものはない。
 こんなふうにストレートに言いたいものだ。
 でも、言っているのが動物園の動物なのが気にかかります。
 人間たちはどうして言わないの?
 子どもたちはどうして夢中にならないの?
 本はこんなに面白いのに。

 ある夏の日、図書館で働くモリーさんの運転する移動図書館がまちがって動物園にはいってしまいます。モリーさん、慌てず騒がず、動物園で図書館を開いてしまいます。
 そのうち、動物たちはおそるおそるモリーさんの図書館、といっても車なんですが、に近づいてきます。
 たちまち、移動図書館は動物たちに囲まれて、みんな勝手に本を持ち出していきます。
 動物たちがこんなに本好きなんて。
 でもね、ちゃんと貸出し手続きしないと。
 なにしろモリーさんの車は図書館なんですから。
 それに汚したり、齧ったりしてはいけません。
 それはみんなが楽しむ、図書館の本なのですから。

 寝転がって読んだり笑い転げながら読んだり、ご飯を食べながら読んだりと、動物たちはあまり行儀がよくありません。でも、読書力旺盛です。
 しかも、そのうちに自分たちで物語を書いたり本を作ったり始めます。
 動物図書館だって自分たちで作ってしまいます。

 動物たちが本大好きなのはうれしいですが、ここは動物園です。
 動物たちが走り回ったり、吠えたり、食べたりしているのを、子どもたちは楽しみにしてやってきます。
 それなのに、どの動物たちも読書に夢中だったら、それはそれで問題です。
 きっと動物たちから本を取り上げろってことになるかも。
 取り上げた本はどうするかって?
 もちろん、人間たちが読むんですよ。
 そうでないと。
  
(2013/03/17 投稿)

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  今日は
  歌人の永田和宏さんの『近代秀歌』という
  岩波新書の一冊を
  紹介します。
  岩波新書が刊行されたのは1938年ですが
  その第一回めの配本に
  斎藤茂吉の『万葉秀歌』上・下がありました。
  この本は現在までに200万部売れているそうですから
  すごい。
  ですから、「秀歌」というのは
  岩波新書の中でも有名看板といえます。
  せっかくですから
  この本から気にいった歌を紹介します。

   牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる  伊藤左千夫

   ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清滝夜の明けやすき  与謝野晶子

   白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ  若山牧水

   我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ  斎藤茂吉

  この斎藤茂吉の歌は
  「死にたまふ母」連作の一首ですが
  胸をうつますね。
  こういう歌を知っているかどうかは
  生きていく上でどれほど豊かに
  してくれるかしれません。

  じゃあ、読もう。

近代秀歌 (岩波新書)近代秀歌 (岩波新書)
(2013/01/23)
永田 和宏

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sai.wingpen  唇に歌を                   

 「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」。これは、俵万智さんが1987年に発表した歌集『サラダ記念日』のタイトルにもなったあまりにも有名な短歌です。
 この歌をきっかけに短歌の意識が変わった人も多いと思います。
 それまでの短歌は、たとえば有名な与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」にしてもなんだか古臭さを感じたのが、俵さんの歌は一気に時計の針を進めてしまいました。
 しかし、俵さんの歌は与謝野晶子から連綿とつづく歌の心を忘れたわけではありません。俵さんの歌をきっかけにして、短歌を勉強しようと思った人も多かったはず。

 では、私たちはどんな歌を生活の場面でもってきたのか。
 歌人永田和宏さんによる本書は、題名にある通り、明治・大正のいわゆる「近代」の、「せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しい」秀歌100首を収録し、その解説をまとめあげたものです。
 空(そら)でいえるかどうかはともかく、耳にしたことのある歌がいくつも登場します。
 その中の代表といえば、石川啄木でしょう。
 「たわむれに母を背負ひて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず」などは、誰しも知っている歌です。
 啄木の歌は読みやすく、それは俵万智にもいえます、抒情性に富んでいます。
 ただ、これも俵万智と同様ですが、啄木の歌だけが近代の短歌ではありません。与謝野晶子、斎藤茂吉、若山牧水といった歌人たちの作品の奥の深さはすでに私たちの血となって流れているといっていいでしょう。

 本書では「恋・愛」「青春」や「死」といった10のテーマで作品が紹介されています。
 その「死」の章の最後で、「挽歌の対象が伴侶である場合、死を悼む歌と、悼むことによってあらためて自覚されてくる相手を思う気持ちが、ともどもに際立ってくる」という永田の言葉に、永田の亡き妻河野裕子への思いが重なるようにであった。
 きっと同じく歌人であった河野裕子も永田のこの仕事に喜んでいるだろう。

 本書の「おわりに」という文章は、若い人たちに向けたメッセージとして白眉である。
 せめてこの文章だけでも若い人には読んでもらいたい。
  
(2013/03/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  偶然なのですが
  昨日紹介した川本三郎さんの
  『そして、人生はつづく』にも
  2011年3月11日の東日本大震災のことが書かれ、
  今日紹介する
  池上彰さんの『この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう 池上彰教授の東工大講義』にも
  池上彰さんが東京工業大学の教壇に立った
  きっかけが
  東日本大震災だったことが
  書かれています。
  あの大きな悲しみが
  たくさんの人々に
  影響を与えたことがわかります。
  この本は池上彰さんの
  大学での授業の内容をまとめたものですが、
  大学でほとんど勉強しなかった私としては
  こんな楽しい授業なら
  もう一度学校に行きたいものだと
  思います。
  今度はしっかり勉強します。
  若い頃はなかなか勉強の意味あいが
  わからないもの。
  だから、私は高校を出たら
  まず就職して
  50歳ぐらいに定年をして
  それから大学で勉強する。
  そんな生き方がいいんじゃないかと
  思っています。

  じゃあ、読もう。

この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう 池上彰教授の東工大講義この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう 池上彰教授の東工大講義
(2012/11/15)
池上 彰

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sai.wingpen  及第点とれますか                   

 2012年4月に東京工業大学の教壇に立ったフリージャーナリストの池上彰さんはそのきっかけが2011年3月11日の東日本大震災だったといいます。
 特に、これは多くの人がストレスを感じたと思いますが、福島原発の事故のあとの政府や東電の説明がほとんどわからなかったということは何故だろうと、池上さんは感じました。
 「理科系の専門家の発言が、文科系の国民に伝わらない」のは、どうしてだろう。
 若者たちにはそんな「視野の狭い専門家になって欲しくない」と、池上さんは教壇に立つことを決意します。

 そんな池上さんがどんなことを学生たちに教えたのか。
 本書は池上さんの東工大での講座の内容をまとめたものです。
 「科学と国家」「国際情勢」「憲法」「金融」といった内容が15コマ続きます。特に後半は「アメリカ」や「中国」といった世界の国々の情勢も教えていきます。
 テレビの映像のように池上さんの表情なり口調が伝わるわけではありませんが、教室の中で実際に講義を受けているような臨場感が活字からも伝わってきます。
 寝ているのは惜しい。
 いや、寝ている学生などいないのではないか、それぐらい面白い内容です。

 教壇に立つ以前から池上さんは有名でしたから履修希望者は殺到したそうです。
 あの柔和な顔、やさしい語りかけとちがって、池上さんは「簡単に単位をくれるタイプの教授」ではなかったようです。
 出席はとらないが、授業中にレポート2回、学期末には試験。しかも、かなり厳しい評価を。
 単位がとれなかった学生にとっては、池上教授の講義など面白くないとこぼしそうですが、けっしてそんなことはありません。
 単位をあげることくらいは簡単でしょう。でも、池上さんは「大学で学ぶ意味」とは「教えられるのではなく、自分で学ぶ」ことだといいます。
 単位をとれなかった学生は、まずそのことから「学ぶ」ということを学習したのではないでしょうか。

 それは読書としてこの本を手にした私たちも同じです。
 落第などはないでしょうが、せっかくだから及第点くらいはとりたいものです。
 欠席も遅刻も、ましてや代返もしなかったのですから。
  
(2013/03/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  3月11日に
  谷川俊太郎さんの「そのあと」という詩を
  紹介しましたが
  今日紹介する
  川本三郎さんの『そして、人生はつづく』は
  まるでその詩に呼応するような
  エッセイです。
  川本三郎さんといえば、
  2008年に奥さんを亡くしています。
  その時のことは
  『いまも、君を想う』という名作に
  書かれています。
  最愛の奥さんを亡くして
  それでも川本三郎さんの人生は
  つづいていきます。
  このエッセイの中には
  2011年3月11日のことも
  それにつづく思いも
  綴られています。
  できうれば
  川本三郎さんのように
  いい人生を生きていたいと
  思います。

  じゃあ、読もう。

そして、人生はつづくそして、人生はつづく
(2013/01/11)
川本 三郎

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sai.wingpen  川本版・男はつらいよ                   

 こんな人生を過ごしたい。
 本、映画、鉄道の旅、小さな田舎町、おいしい食事、そして酒。
 あまりにも垂涎の日々だけど、著者の川本三郎さんがほとんど書いていないことがある。それは、お金のこと。
 そんなことを書くと卑俗っぽくなるのかもしれないが、霞で生きていけるわけがない。
 実はここに描かれた日々の生活の合間あいまに、著者は生活の糧となる原稿を書き、講演をし、編集者との打ち合わせもしているはず。
 いやいや、合間あいまに、ここに描かれたような暮らしがあるのではないだろうか。

 身もふたもないことは十分承知の上で書いている。
 お金だけが人生でないこともわかっている。そんな話を書いたとて、誰も喜びもしないかもしれない。
 でも、そのことをきちんと書かないと、「人生」を語ることにはならないのではないか。
 川本さんが大好きだという、山田洋次監督の代表作「男はつらいよ」の寅さんだって、映画の中では時に香具師として働いている。
 それでも、おいちゃんやおばちゃん、妹のさくらに、額に汗して働けと、毎度叱られている。

 おいちゃんやおばちゃんから見たら、川本さんだって寅さんと変わりはない。寅さんのダチ公と思われても仕方がない。
 でも、本当はちがう。
 川本さんはきちんと原稿を書き、たまった文章は本になり、それが生活の基になっているはず。
 そんなことはみんな承知の上で、それでもこんな人生を過ごしたいと思うのか。
 「男はつらいよ」シリーズがあれだけの人気を博したのは、わずか2時間ばかりの上映時間に、日頃の憂さを忘れられたからともいえる。ひとたび映画館から出れば、いつもの人生は待っている。

 この本の中心となるエッセイ集「東京つれづれ日記」は、だから、「男はつらいよ」の映画のようだ。
 誰もが憩える「人生」がある。
 そして、本を閉じれば、明日もまた通勤電車に揺られるしかない。
 極上のエッセイは一方でそんなことも教えてくれる。

 昨年亡くなった丸谷才一さんに捧げた、「徹底した雅びの人。」と題されたエッセイも、巻末に収録されている。いい文章だ。
 
(2013/03/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日地方紙のコラムを
  紹介しましたが
  あれは以前紹介しました
  無料アプリ「社説リーダー」のおかげです。
  ただ、その中で
  読売新聞の「編集手帳」だけは
  閲覧できません。
  理由はよくわかりませんが。
  今日紹介するのは
  その「編集手帳」の執筆者
  竹内政明さんの『「編集手帳」の文章術』。
  最近の人は
  ものを書かなくなっているのではなく
  実は昔よりもうんと書いているのでは
  ないでしょうか。
  ブログとかで。
  この本はそういう人には
  絶対オススメの一冊です。
  短い文字数で
  どれだけ人に印象を与えるか
  その極意のようなものが
  ここには書かれています。
  今日の書評は
  私も少しは意識して書いたつもりです。
  お口に合いましたでしょうか。

  じゃあ、読もう。
  
  
「編集手帳」の文章術 (文春新書)「編集手帳」の文章術 (文春新書)
(2013/01/20)
竹内 政明

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sai.wingpen  おいしい文章を書くために                   

 朝日新聞の「天声人語」に代表される新聞一面にあるコラムのことを、読売新聞の「編集手帳」の執筆者である著者は、人間の顔にたとえて「皺のようなもの」と表現しています。
 人は皺を嫌がりますが、顔から皺をとればのっぺりとして表情がなくなります。皺があることで、生身の人間になります。
 だから、著者は一面コラムで「読んでおいしい」文章になるよう心がけているといいます。
 ちなみに、新聞の社説はというと、「読んで栄養になる」文章を心がけるそうです。
 栄養も大事ですが、おいしいものは人の気持ちを惹きつけます。
 そんな「おいしい」文章をどう書けばいいのか。
 本書は読売新聞の一面コラム「編集手帳」を十年以上に亘って執筆してきた著者ならではの文章術の伝授本です。

 606文字と458文字。これ、どんな数字だかわかりますか。
 「天声人語」と「編集手帳」の、それぞれの文字数です。一見同じような文字数に見えますが、これだけの違いが新聞各紙にはあります。
 いずれにしても、わずか400字詰め原稿用紙1枚少々の文字数で、あれだけの世界を構築しているのですから、その文章テクニックは並大抵のものではありません。
 ちなみに、私の書評はおおよそ800文字前後でまとめるようにしています。
 俳句と短歌の文字数の差はわずか14文字。実際に作った人はわかりますが、この14文字で世界観が大きく変わります。

 著者はどういった点に注意しているか、本書第1章で「文章十戒」として、語尾の問題や接続詞に頼らないことなどが書かれています。
 短い文字数の中でいかに的確に表現していくか、文章を書くことを趣味にしている人にも参考になる心構えが、実際に新聞紙上に掲載されたコラムを紹介しながら、説明されます。
 表現上の注意点だけでなく、文章構成についても、コラム執筆者ならではの教えがあります。
 「起承転結」というのはよく耳にしますが、著者はまず「魅力」が大事といいます。関西の人はよく「つかみ」といいますが、それに匹敵するものでしょう。次が「簡潔」。最後は「余韻」。
 短い文字数ならではの工夫です。

 ブログやツイッターのように、最近は短い文字数で伝える情報ツールが花盛りですが、「おいしい」文章にはなかなか出合えません。せっかくですから、「おいしゅうございました」といわせる文章を書きたいものです。
  
(2013/03/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日で
  東日本大震災から2年めを迎えた被災地では
  地元新聞の一面コラムは
  何を伝えたのでしょう。
  岩手日報の「風土計」の書き出しはこうでした。

   東日本大震災を「忘れない 忘れさせない」ことが
   地元新聞社の使命だ。

  この気持ちは、岩手日報だけでなく
  それぞれの地元紙の思いです。
  これまでにも多くの震災関連の記事を
  報道してきた河北新報の「河北春秋」は
  紛争地区の写真家大石芳野さんの福島の写真集のことを
  書いています。
  そして、こう締めくくっています。

   2年たっても大震災は続いている。
   それでも「前に一歩を」。

  福島の福島民報の「あぶくま抄」は
  福島出身の西田敏行さん主演の映画「遺体 明日への十日間」を
  とりあげています。

   愛する人はいつまでも心の中にいる。
   あなたを忘れない。

  被災された人たちと向き合う地元紙の
  あついこころもまた忘れません。
  今日は、吉村昭さんの『三陸海岸大津波』を
  再録します。

  じゃあ、読もう。

三陸海岸大津波 (文春文庫)三陸海岸大津波 (文春文庫)
(2004/03/12)
吉村 昭

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sai.wingpen  「一つの地方史」の記録ではなく             

 3月11日の東日本大震災以後、多くの関連書籍が出版されている。ある意味それは出版人としての心意気でもあるが、他方大きな惨劇が多くの関心を集めるため売上という点からも出版を急ぐという意味も持つ。そのなかでひと際異彩を放つのが本書の存在だろう。
 何しろこの本の初版は今から40年以上も前の昭和45年(1970年)なのだ。
 はじめ『海の壁』と題され、中公新書の一冊として刊行された。吉村昭は名作『戦艦武蔵』を発表し、自らの方向性をようやく確立したばかりであった。その後の吉村の活躍については言うまでもない。

 そんな吉村が「何度か三陸沿岸を旅して」いるうちに、過去かの地を何度か襲った津波の話に触れ、「一つの地方史として残しておきたい気持」で書き下ろしたのが本書である。
 「津波の研究家ではなく、単なる一旅行者にすぎない」吉村ではあるが、今回の大震災後に慌ただしく出版された関連本と違い、腰の据わった記録本として高い評価を得ていいだろう。
 もちろん、吉村がこの時想像をしていた以上の悲惨な大津波がまたも三陸沿岸を襲った事実はあったとしても、この本の評価はけっして下がることはない。また、今後何年かして、吉村のように丁寧に今回の津波の惨状を伝える書き手が現れることを期待する。

 本書は明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)の大津波、それに昭和35年(1960年)のチリ地震による津波の惨劇が、当時の資料と生存者の声の収集から成り立っている。
 執筆された当時からすると明治29年の生存者はわずかであるが、吉村は根気よく探しつづける。そういう地道な努力が文章の記録性を高めているといっていい。
 このような大きな津波のあとを訪ねても、いかに三陸沿岸が津波の被害に苦しめられてきたかがわかる。そして、そのつど、人々は復興してきたというのもまぎれもない事実である。

 吉村は「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」としながらも、「今の人たちは色々な方法で充分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」という地元の古老の言葉を信頼し、安堵もしている。
 今回の津波による大惨事をもって、吉村の考え方が甘かったということもいえるかもしれない。
 しかし、甘かったのは吉村だけではない。多くの日本人は何かを見落としてしまっていたのだ。この本を前にしてそのことを反省せざるをえない。
 この本はいまや「一つの地方史」の記録ではなく、この国の記録として大事に読み継がれなければならないだろう。
  
(2011/07/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から、今日で2年
  3月11日という日を
  さまざまな思いで迎えられたと思います。
  朝日新聞夕刊に
  毎月一度、詩人の谷川俊太郎さんが
  「今月の詩」を書いています。
  先日、3月4日の夕刊には
  「そのあと」という詩が載っていました。

    そのあとがある
    大切なひとを失ったあと
    もうあとはないと思ったあと
    すべて終わったと知ったあとにも
    終わらないそのあとがある

    (中略)

    そのあとがある
    世界に そして
    ひとりひとりの心に

  私たちは2年前大きな悲しみを経験しました。
  それでも
  谷川俊太郎さんの詩のように
  「終わらないそのあと」があるのです。
  逝ってしまった多くの命のためにも
  私たちの「そのあと」があるのです。
  2011年5月、
  谷川俊太郎さんは
  こんな詩を書いています。

    何もかも失って
    言葉まで失ったが
    言葉は壊れなかった
    流されなかった
    ひとりひとりの心の底で

  今日紹介するのは
  佐伯一麦さんの『震災と言葉』。
  今日の日を
  どんな言葉とともに
  迎えたでしょうか、みなさんは。

  じゃあ、読もう。
震災と言葉 (岩波ブックレット)震災と言葉 (岩波ブックレット)
(2012/09/06)
佐伯 一麦

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sai.wingpen  言葉の再生                   

 言葉を失う。
 2年前の3月11日、東日本大震災に見舞われた東北の人たちだけでなく、この国、いえ、全世界の人たちがその惨状に、言葉を失いました。
 仙台在住の作家佐伯一麦さんもその一人でした。
 その日佐伯さんは海外から訪れていた友人と近郊の温泉地にいたそうです。急遽戻った仙台の自宅は大きく傷んでいましたが、無事でした。ただ、窓から見える海岸の風景は一変していました。
 多くの犠牲者を出した、名取市の閖上地区です。

 この本は、震災から1年近く経った2012年2月3日に東京大学で行われた公開講義の記録です。
 佐伯さんは、その講義で「震災と言葉」というテーマで話をしています。
 作家という言葉を生み出す職業にあること、仙台という震災の街に住んでいたことで、佐伯さんはそのテーマで話をされたのだと思います。
 佐伯さんは「言葉は遺言である」と云います。
 これだけの大きな犠牲者を知った思いです。その上で、その言葉を読むことは「死者の魂を蘇らせる行為」だと云うのです。
 大きな悲しみの前で、言葉を失う。失った言葉を拾い集めることで、「死者の魂」とともにあることができる。

 大震災以後、多くの関連書が出版されました。思えば、その一つひとつはあの時亡くなった多くの魂を代弁していたといえます。それは、今も続いています。
 佐伯さんは作家として、失った言葉を集めるということだけなく、それを文学として創りださなければなりません。それには、時間がかかるだろうと云います。
 「震災を直接描かなくても、(中略)何か濃厚に流れているもの、それが含まれているものが描かれて、初めて文学となるということではないか」と。

 失った言葉を集めているのが、あれから2年経った今の状況でしょう。
 それが、これからの未来に受け継がれる言葉として、それを文学といえば、再生できるまでにはまだ相当の時間がかかるでしょう。
 それだけ大きなものを、私たちは失ったのです。
 佐伯さんは講義の最後にどこにでもあるような平凡な風景のことを語っています。「日常を取り戻すために」と、この本の章のタイトルがついています。
 まずはそんなどこにでもある風景を語る言葉から始めるしかない。
 佐伯さんは、言葉の再生の一歩をそう云っているように思います。
  
(2013/03/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  ここしばらく春らしい
  あたたかな日が続いています。
  季節は
  卒業式シーズン。
  そして、入学式とつづきます。
  思い出すのは
  もう40年以上前の
  中学校の卒業式。
  結構ワルが多かった学校でしたが
  その子たちが卒業式には
  涙を流したということ。
  当時のワルは
  純粋な気持ちを悪戯とか暴力で
  隠していたのかもしれませんね。
  案外、フツウの子より
  そういった子供の方が
  色々と思い出をもっているかも。
  今日は絵本ではなく
  小手鞠るいさんの『お手紙、ありがとう』という
  児童書です。

  じゃあ、読もう。

お手紙、ありがとう (ともだちがいるよ!)お手紙、ありがとう (ともだちがいるよ!)
(2013/01/22)
小手鞠 るい

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sai.wingpen  読書感想文は作者への返信かもしれない                   

 小手鞠るいさんは、おとなの作家です。
 おとなっていっても肉体的なことをいうのではなく、大人の人が読んで満足する作品を書いているという意味です。
 その一方で、小手鞠さんは子ども向けの、いわゆる児童書も書いています。
 だから、小手鞠るいさんは、子どもの作家だともいえます。

 子どもの作家だからとかおとなの作家だとか区分するのはおかしい。
 ただ読者の対象が、子どもの方が多いとかおとなの方が多いとかそういうことです。
 いい作品であれば、子どもであっても大人が読んでもいいし、おとなであっても少し背伸びすれば子どもだって読めます。どちらが対象かで、作家とは手を抜くことはありません。
 小手鞠さんも、そんな作家の一人です。

 この小さな物語は、四人の友だちが書いた手紙でできています。
 最初の男の子は、「手紙を書くのははじめて」です。うまく書けるか心配で仕方がありません。お母さんに書く心構えを教えてもらいます。
 二番目の女の子は、夏休みに描いた絵のことを手紙に書きます。
 三番目の、来年中学生になる女の子の手紙は、さすがにたくさんの漢字が混ざります。文章もずいぶんしっかりしています。
 四番目の手紙は、もう子どもとはいえない、けれど純粋な気持ちを持った青年です。言葉を巧みに使いこなす術を身につけています。
 四人の友だちの手紙は、子どもたちの成長の歩みのような感じがします。
 そして、うんと大きくなったら、小手鞠さんのような、文章を書く仕事に就くかもしれません。

 四人の友だちの手紙の相手は、公園に立つ一本の樫の木です。
 彼らは自分たちが触れあったさまざまなことを手紙にしたためたのです。
 手紙って、こんなにも心をこめられるんだ。
 そう感じることができるのも、小手鞠さんがおとなの作家だからかもしれません。
 ところが、そんなふうに愛させた樫の木が伐採されることになります。
 さて、彼らはどんな行動にでるのでしょうか。

 小手鞠るいさんは、子どもの心をもったおとなの作家です。
 この本は、そんな小手鞠さんからの手紙みたいな一冊なのです。
 あなたはどんな返事を書くでしょう。
  
(2013/03/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  中沢啓治さんの『はだしのゲン』は
  全10巻ですから
  ようやく半分の5巻めになります。
  この巻では
  終戦後まもなく天皇(先の昭和天皇ですね)が
  被爆地広島を訪問する場面が
  描かれています。
  私は昭和30年生まれの「戦争を知らない子供たち」ですが
  実際に戦争から10年めというのは
  まだ多くの人の記憶に戦争の日々が
  刻まれていた頃だと思います。
  私たちの記憶と時間の関係。
  あるいは、歴史の中での時間の経緯を
  知るには
  自分が経験したことを重ね合わせるのが一番いいと
  思います。
  私にとっては1995年の阪神大震災。
  あの日のことはよく覚えていますが、
  あれから18年も過ぎたということを思うと
  私たちが「戦争を知らない子供たち」と
  歌っていた時代でも
  しっかりと戦争のことを記憶している
  多くの人がいたということだと
  思います。

  じゃあ、読もう。

はだしのゲン 第5巻はだしのゲン 第5巻
(1984/01)
中沢 啓治

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sai.wingpen  まだまだ半分                   

 昭和22年12月7日、昭和天皇は被爆地広島を訪問している。終戦から1年半という時間は、例えば東日本大震災からもうすぐ2年という時間間隔であることを思えば、人々の記憶にまだ生々しい傷跡が残っている時間の体積にすぎない。
 その時の様子がこの5巻に描かれている。
 作者の中沢はこの書いた。「まだ原爆の苦しみのうめきがふきだしている焼け跡の沿道には市民と長時間寒風にさらされた児童がならばされ手製の旗を無心にふった…」と。
 そして、続くコマで、怒りに震えるゲンの顔を描いて、「まだ戦争はおわっとらんど。わすれるな。わすれるな」と言わせる。
 当時の広島の人たちには、手製の国旗をふる感情とゲンの怒りの感情がともにあったにちがいない。
 1年半という時間はそれだけの時間にすぎない。

 前巻でやくざの組に連れていかれた隆太がこの巻ではさっそくやくざの少年行動隊の一員として登場する。
 やくざにいいように使われる隆太たち。ゲンは隆太に悪の道にいくことをとめようとする。
 救われるのは、隆太もまだ根っからやくざになったわけではないことだ。
 友を失い、友が傷つくことで、隆太もその世界に行くことをやめる。
 兄同然のゲンがいたからだ。
 そんな中、ゲンの母にも原爆症の症状がでる。
 アメリカの研究材料として扱われる母を見て、ゲンの怒りは炸裂する。
 「おどりゃわしらは人間だぞー、おどれらの実験材料にされてたまるか。ばかたれー、ばかたれー」
 ここでのゲンは、ふきだす涙をとめることもしない。
 
 中沢啓治の『はだしのゲン』シリーズは原爆を描いた漫画として異色の作品であるが、同時に戦後まもない広島の人々の怒りや悔しさを描いた、歴史漫画でもある。
 それは同時に時間という積み重ねに私たちがどう立ち向かうかという、現代にも続く問題を提起する作品でもある。
  
(2013/03/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  2日間に亘って
  書評家斎藤美奈子さんの本を紹介しましたが、
  今日はいま人気の高い
  書評サイト「HONZ」の主宰者
  成毛眞さんの『面白い本』を紹介します。
  これもブック・ガイドですが
  紹介されている100冊の本は
  すべてノンフィクションと
  変わり本でもあります。
  とにかく読みだしたら
  とまらない本ですから
  一気読みをおすすめします。
  それで、
  その中からどんな一冊を手にとるか、
  ブック・ガイドですから
  実際の本を読むのが一番ですよね、
  それはあなた次第。
  幸せな気分で
  書評も一気に書きました。

  じゃあ、読もう。
  

面白い本 (岩波新書)面白い本 (岩波新書)
(2013/01/23)
成毛 眞

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sai.wingpen  幸せな気持ちになりたい人、集まれ!!                   

 ノンストップ・ノンフィクション・ブック・ガイドである。
 読みだしたらとまらない。一気に100冊(実際にはさらに何点か紹介されている)のノンフィクション本を堪能できるのだから、面白いといったらない。
 一冊一冊の紹介文章は短い。簡にして要を得た、というのはこの本のようなことをいうのかしら。

 著者の成毛眞氏はかつてマイクロソフト社の社長だった経歴ももつ。現在はノンフィクションを専門に紹介する書評サイト「HONZ」の主宰者である。
 「読書は道楽。」と言い切る著者は、ノンフィクションの魅力を「深く、新しい事実の数々」と「つねに予定調和の逆側へ突き進む、巧緻で、ときに滑稽な知の探究」としている。
 そんな著者が「最近20年の読書道楽人生の中から厳選」したのだから、面白いこと間違いないだろう。
 ブックガイドにして、これほど面白いのだから。

 ノンフィクションといえば、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作のような作品を思い出すが、ここではそういうメジャーな? 作品は取り上げられていない。
 歴史、サイエンス、社会告発などといったものなどなかなか目にすることがないような作品が多い。
 ノンフィクション好きは、本の探究家でもある。
 こうして並べられて思うのは、この国には実に多くの出版社があるということだ。
 もちろん、本書は老舗岩波書店から出ているが、新潮社や文藝春秋といった大手出版社だけでなく、恵雅堂出版やぺんぎん書房といった未知の出版社も実にいい本を出していることだ。
 いい本、面白い本との出会いは、実は名もない出版社との出会いでもある。
 そういう出会いのためにも、本書のようなブック・ガイドが必要なのだ。

 著者はこれだけの本を読んでも「何かの役に立つわけではない」といいつつ、「面白い本に出会い、読み終えて「あぁ、面白かった!」と本を閉じるたび、本当に幸せな気持ちになる」と書いている。
 幸せな気持ちになりたい人に絶対おすすめの一冊である。
  
(2013/03/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、斎藤美奈子さんの
  新しい本『名作うしろ読み』を
  紹介しましたので、
  今日は斎藤美奈子さんのかつての本
  『趣味は読書。』を
  蔵出し書評で紹介します。
  2003年の本ですから
  もう10年前の書評です。
  この本はちくま文庫から
  文庫本でも出ていますので
  読みたいなぁと感じた方は
  ぜひそちらからどうぞ。
  そう考えたら、
  斉藤美奈子さんの「毒」は
  いつまでも健在ですよね。
  いい読書には「毒」がある。
  斉藤美奈子さんの読書「毒」で
  読書中毒になった人も
  多いかも。

  じゃあ、読もう。

趣味は読書。 (ちくま文庫)趣味は読書。 (ちくま文庫)
(2007/04)
斎藤 美奈子

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sai.wingpen  「ぼやき漫才」を憶えていますか。                   

 かつて関西に「ぼやき漫才」という面白い漫才があった。
 人生幸朗と生恵幸子の夫婦漫才である。
 人生幸朗が日常の色々な事柄に、肩をいからせて文句ばかりつけ、最後に「責任者出てこい!」と一喝する。そこへ相方の幸子が「出てきたらどないすんの?」とたずねると、それまで威勢のよかった幸朗が「謝る」とぼそっと応える。
 これがオチである。
 ぼやきのネタも深刻でない。深刻でないから笑いになる。
 幸朗のまじめそうな(?)キャラクターと幸子のとぼけた味で、「ぼやき漫才」は大いに受けた。

 斎藤美奈子さんのこの本は、そんな「ぼやき漫才」によく似ている。
 そもそも私たちは他人が叱られたりぼやかれたりするのを見たり聞いたりしても、自分がその対象でなければ、快楽と感じる心理がある。
 「ぼやき漫才」はぼやきの対象が人畜無害であることで笑いを生んだ。
 ベストセラーの数々を小気味いいほどに料理した、斎藤さんのこの本も、読む側からすれば直接的な被害はない。
 大胆不敵な語り口も、実は「ぼやき漫才」と同質の、「ゆるい、明るい、衛生無害」なものでしかない。だから、この本は大いに笑える書評集なのだ。

 この本を読んで、笑える度合が強い人ほどこの本で紹介されたベストセラーを読んでいない人だといえる。
 つい読んでしまったという本は、まったくの他人ごとにならないために、笑えなくなる。
 あなたが「趣味は読書」といえる「善良な読者」かどうかは、笑いの度合でわかるはずだ。
 ぜひ一度ためしてみてはどうだろう。
  
(2003/02/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  斎藤美奈子さんの『名作うしろ読み』に
  紹介されている名作の数々は
  いやあ、こちらもびっくりするくらいの
  名作ぞろい。
  でも、見方によっては
  いつの時代の名作っていいたくも
  なります。
  もう四十年前の学生だった頃、
  これが名作と教えられたこと、
  そのまま。
  さすがに夏休みによくある文庫本のキャンペーンにも
  こんな本ぞろいは
  見なくなりました。
  でも、きっと懐かしいと感じる人も
  多いのでしょうね。
  そういう点では
  往年の文学青年の本棚をのぞくようで
  面白い。
  ちなみに今回の書評のタイトルは
  もちろん、この本の
  最後の一節。
  『名作うしろ読み』なもんで。

  じゃあ、読もう。

名作うしろ読み名作うしろ読み
(2013/01/24)
斎藤 美奈子

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sai.wingpen  評論のラストは説教臭くなるのが問題なのだ。                   

 行ったことがないので確かなことはいえませんが、京都の天橋立の名物といえば「股のぞき」だといいます。
 足を広げて、股の間から天橋立の景観を見ると、それはそれは綺麗だとか。
 ある意味、逆の視点から物事を見るということでしょうね。
 では、古今東西の名作を「股のぞき」したらどうなるか、そんな試みに挑戦したのが斎藤美奈子さんのこの本です。

 冒頭の一節を紹介するというのはままありますが、斎藤さんは最後の一節を紹介して、その作品を覗きみたらどう見えるかという新手の書評に果敢に挑んでいます。
 どうして今までそれがなされなかったかといえば、最後を見せることで物語の結末が知れてしまうことに多くの人が抵抗を示したのだと、斎藤さんは分析しています。
 だから、「お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのです」と、斎藤さんの鼻息は荒い。
 では、名作を「股のぞき」したら、何が見えたでしょう。

 紹介されているラインナップに驚きます。
 この本でも紹介されている、壺井栄の『二十四の瞳』の有名な一節「十年をひと昔というならば」、まるで四昔前くらいの新潮文庫の100冊に取り上げられていた作品がずらり。
 夏目漱石の『坊っちゃん』はまだ今でも読んでいる人は多いでしょうが、二葉亭四迷の『浮雲』とか田山花袋の『蒲団』、幸田露伴の『五重塔』なんて、今の若い人は読むのかなぁ。
 国語の時間には作者名や作品名ぐらいは習うでしょうが、どれだけの人が実際の作品に触れることやら。
 多分(私も読んでいないので)それらは名作なんでしょうが、特に取り上げることもなかったような気がします。
 ただ、さすがの斎藤さんも最近の作品を「うしろ読み」することには抵抗があったのかもしれません。やはり、結末は教えない方がいい?

 となれば、この本で紹介されている作品は、結末がわかっても少しも動じることのない、名作ぞろいということになります。
 これだけの本を読めば、あなたはもうりっぱな文学通。
 斎藤さんのまねをすると、この本の終わりは「評論のラストは説教臭くなるのが問題なのだ。」だが。これも斎藤さんならではの照れのように感じてしまうのは穿った見方だろうか。

 股の間から見た天橋立は春の光を降り注いでいるようだった。(何故、こんな終わり方をしたかは巻末の「名作のエンディングについて」をお読み下さい。
  
(2013/03/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  池上彰さんの本の面白さは
  わかりやすい、ことにあります。
  この『学び続ける力』でも
  とてもわかりやすい。
  何故、池上彰さんの本が
  わかりやすいかを考えてみたのですが
  具体的な事例が
  とても多いのですね。
  この本でいえば、
  自身の学びの例や
  大学での教鞭の様子など
  目に浮かぶようです。
  池上彰さんのテレビ番組と
  それは同じなんですね。
  読む側とすれば、
  イメージがしやすい。
  人に何かを伝える、
  そこはとても重要だと思います。
  書評にも書きましたが
  この本は若い人というより
  現役社会人、すでに引退した社会人の人に
  読んでもらいたい一冊です。

  じゃあ、読もう。


学び続ける力 (講談社現代新書)学び続ける力 (講談社現代新書)
(2013/01/18)
池上 彰

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sai.wingpen  一生勉強 一生青春                   

 池上彰さんはいくつかの仕事をセーブして、2012年4月東京工業大学で教鞭に立ちました。そこには「学ぶこと」の楽しさを伝えたいという、池上さんの積年の思いがありました。
 本書は、その成果発表であるとともに、もう少し広く「学ぶこと」の楽しさを、池上さんらしく「わかりやすく」伝える、「現代版教養のすすめ」です。

 池上さんは「教養」とは、「学ぶ楽しさを知ること」と定義しています。
 そして、一時的に何かを学ぶことではなく、「常に学び続けていなければなりません」と、人生の最後まで広辞苑を読んだという自身の父の姿に重ねて、言っています。
 知らなかったのですが、池上さんもそうだったのです。
 池上さんがNHKの記者やキャスターだったことは有名ですが、その現役時代も英語の勉強を続け、NHKを54歳で退社した後も大学の社会人講座に通います。
 まさに池上彰さんは「学び続ける人」なのです。

 そんな池上さんですから、東工大での授業にも色々な工夫をしています。
 学生を惹きつけるための様々な取組は、現役の先生方必見です。
 つまりは、この本は今学んでいる若い人よりは、すでに学ぶことを終えた社会人や定年を迎えたシニアの人たちにこそ、ぜひ読んでもらいたい一冊なのです。

 相田みつをさんといえば、独特の筆づかいと心に響く一句で人気のある書道家ですが、相田さんに「一生勉強 一生青春」という言葉があります。
 池上さんのいう「学び続ける力」と相通じる言葉といえます。
 「学び続ける」ことで、いつまでも人は若々しくあり続けることができるような気がします。

 そんな池上さんだから「読書の楽しさ」を大事にしています。
 本書でも一章を設けて「読書の楽しさ」を書いています。
 学校に通うというのは実際に仕事をしながらではなかなか難しいでしょう。でも、読書であれば十分に可能です。
 読書は「学び続ける」ためには、欠かせないものだといえます。
 その意味では、本書は「読書のススメ」の好適本でもあります。
  
(2013/03/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、NHKの大河ドラマ見ました?
  そう、「八重の桜」。
  私はいままで大河ドラマを一年通じて
  見たことがないんですよね。
  いつも挫折挫折の連続。
  一回見落すと、
  もうだめ。
  ですから、今回の「八重の桜」は
  気合いを込めて
  見ています。
  今日紹介する
  中村彰彦さんの『幕末会津の女たち、男たち』は
  大河ドラマを楽しむためには
  オススメの本です。
  副題に「山本八重よ銃をとれ」とあるように
  「八重の桜」を意識していますよね。
  表紙のお城は
  もちろん、会津の鶴ヶ城
  いいお城ですよ。
  桜の季節もいいですから、
  今から準備するといいですね。


  じゃあ、読もう。

幕末会津の女たち、男たち 山本八重よ銃をとれ幕末会津の女たち、男たち 山本八重よ銃をとれ
(2012/11/04)
中村 彰彦

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sai.wingpen  大河ドラマを100倍楽しむために                   

 昨今何かと批判されることの多いNHKの大河ドラマだが、やはり経済効果は大きい。
 ドラマの舞台になると、いわゆるご当地観光をはじめとした観光産業だけでなく、出版業界も大河ドラマ関連の本が多く店頭に並ぶことをみると大きな恩恵を受けているといえる。
 今年の「八重の桜」は幕末動乱期を生きた山本八重(のち同志社大学の創立者新島襄の妻となる)が主人公ということで、会津関連や八重関連の本が本屋さんに溢れている。
 この本のそのうちの一冊といっていいが、会津のことならこの人に訊けといわれるくらいの会津通である直木賞作家の中村彰彦であるから、読み物としても面白いし、八重の人生の章(「山本八重よ銃をとれ」というタイトルも抜群にうまい)も、これから大河ドラマを楽しみ副読本として楽しめる。

 NHKのドラマでは綾瀬はるかさんが主人公の八重を演じているが、実際の八重は「ともかくよく肥えていて猪首、臼のような腰つきをしていて顔が大きいので、ずんぐりした印象」だそうで、まあドラマだからそれをそのままの女優を使うわけにはいかない。
 当時の武家娘の規格を大いに逸脱していただろう八重を、綾瀬はるかさんは見事に演じている。
 出色なのは会津藩主松平容保を演じている綾野剛さん。歴史の教科書に載っている容保にそっくり。線が細い感じなんかそのままだ。
 それと会津藩家老西郷頼母役の西田敏行さん。会津に行くと、西郷一族の悲劇のさまが今では観光コースになっているが、この本の中でも「西郷一族二十一人、自刃の真実」と題された文章が載っている。
 実際にはかなり問題のあった人のようだし、これはこれでドラマとの違いを読むのに興味は尽きない。

 この本にはむろん白虎隊の悲劇の章(「白虎隊百四十年めの真実」)や容保の義姉照姫(ドラマでは稲森いずみさんが演じている)のことを書いた「松平容保を慕った美貌の姫君」という文章もある。
 ドラマの方はもうすぐ前半の山場となる戊辰戦争、鶴ヶ城落城となるのだろうが、ぜひその前に本書を読まれることをお勧めする。
 きっとドラマが何倍か面白くなるだろう。
  
(2013/03/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  新美南吉の代表作ともいえる
  『ごんぎつね』。
  教科書か何か読んだ記憶も
  あるかと思います。
  新美南吉という童話作家は
  29歳で亡くなった
  とても若い作家だったんですね。
  私は結構お年寄りの作家くらいに
  思っていました。
  お恥ずかしい。
  この『ごんぎつね』などは
  19歳の頃の作品というのですから
  驚きです。
  素晴らしい感性と
  いっていいでしょう。
  この『ごんぎつね』は
  現代のいじめの問題とも
  関係しています。
  どうか、お子さんと一緒に
  しっかり読んでもらいたい作品です。

  じゃあ、読もう。

講談社の名作絵本 ごんぎつね講談社の名作絵本 ごんぎつね
(2013/01/11)
新美 南吉、柿本 幸造 他

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sai.wingpen  今だから、この童話を読む価値があるのかも                   

 いたずらは悪戯と書きます。
 人の迷惑になることをする様をいうようですが、悪ふざけともいいます。
 いたずらっ子といえば、まるで元気のいい男の子の代名詞のように使われるますが、する方がささいな気持ちでしたとしても、される側にとってそれをどう感じるかは様々でしょう。

 新美南吉の名作『ごんぎつね』は、両親がいない一人ぼっちのごんという子ぎつねの物語です。
 子ぎつねのごんは村に出ては、いたずらばかりしていました。ある日、川で魚を捕っていた兵十を見つけて、さっそくいたずらを思いつきます。
 兵十が捕った魚を台無しにしてしまう、いたずら。ごんにとっては、いつものいたずらでしかありませんでした。
 それから10日ばかりたって、ごんは村の様子がおかしいことに気がつきます。
 兵十のお母さんのお葬式でした。
 兵十はあの日捕った魚をお母さんに食べさせようとしていたのです。それが、ごんのいたずらで叶いませんでした。
 ごんもそのことにやっと気づきます。
 すっかり反省したごんはいわし売りの車からいわしを盗み出して、兵十の家に持っていきます。
 でも、そのことで兵十は村の人からすっかり悪い人にさせられます。
 そこで、ごんは山から栗やまったけを兵十に届けるようにします。今度は誰も咎めません。でも、誰の仕業か兵十にもわからないのです。
 ある夜、今夜も兵十の家に届け物を持ってきたごんでしたが、兵十に見つかって…。

 いじめの問題の難しいところは、それが遊びの延長かどうかの見極めがつかないことです。
 このごんのようにする方からすればただの遊びの延長だったかもしれないけれど、される側は兵十のように本当はとても困っていたりします。
 誰かが死んでからでは遅いのです。
 そのいたずらが度を越していないかよく見ないといけません。
 それを判断するのは、まわりの大人たちだともいえます。注意をしなければいけません。新美のこの作品を読んできかせるのも、一つの方法かもしれません。

 この物語は悲しいのですが、どうして悲しいのでしょうか。
 本当であれば、ごんと兵十は仲のよい友達になったかもしれないのに、二人は話し合うことがありませんでした。
 もし、二人がちゃんと話し合えていたら、ごんも兵十ももっと幸せな時間を過ごせたでしょう。
 とても奥の深い作品です。
 柿本幸造さんの描く、ごんはとてもやさしく感じます。
  
(2013/03/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  明日は雛まつり
  というので、女の子のようなお話を
  選んでみました。
  江國香織さんの『ちょうちんそで』。
  女の子のようなお話と書きましたが、
  登場する謎めいた女性は
  けっして若くはありません。
  それでいて
  とっても女の子らしい。
  よく男性に少年のようだみたいな言い方をしますが
  女性だって女の子のようなものを
  ずっと持ち合わせているんじゃないかな。
  いつまでも
  お雛まつりというわけにはいかないでしょうが
  明かりのついたぼんぼんのようなものを
  心に棲まわせていませんか。
  それにしても
  ちょうちんそでがついたドレスって
  可愛いですよね。
  いい題名です。

  じゃあ、読もう。

ちょうちんそでちょうちんそで
(2013/01/31)
江國 香織

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sai.wingpen  ビスケットのかけら                   

 「ちょうちんそで」というのは、袖のところが提灯の形に似ているところから、つけられた名前。
 小さい女の子のドレスなどによく見られます。
 この連作長編をあえて『ちょうちんそで』とつけたのは、江國香織さんならではの企みでしょうか。
 登場人物は人生の終盤を迎えた雛子という女性であることを思うと、少し残酷な印象を受けます。
 けっして着ることのない「ちょうちんそで」のドレス。幼かった頃着たはずの「ちょうちんそで」のドレス。
女性にとって服装というのも、自分を語る一要因であるのでしょう。

 この作品は複雑な構成でできています。
 高齢者ばかりが暮らすマンションに一人暮らす雛子。かつて、彼女は幼い兄弟と夫を捨て、男に走った過去があります。
 元の家族のところに戻ってきた時、雛子はほんのわずかな貯金しか持ち合わせていませんでした。
 しかも、少し精神的に異常をきたしていました。
 雛子には失踪して行方のわからなくなった妹が一人います。
 いま、雛子はそんな妹の架空の存在と同居しています。
 架空の妹。
 雛子にしか存在が見えない、架空の妹。雛子が落ち着いて話せるのは、この架空の妹だけ。
 そんな雛子の部屋を訪れるのは、隣に住む丹野の夫。特に目的があるわけでもなく、男はやってきます。

 もう一人、かつて捨てた子供。
 雛子のことを嫌ってはいるが、母親の様子をみるためにやってきます。
 彼には異父兄弟の兄がいます。兄はすでに一家をなして、妻と生まれたばかりの赤ん坊と幸福そうに暮らしています。
 複雑な構成というのは、そんな物語に差し込まれる、外国で暮らす女の子の話です。
 それは、雛子とどういう関係性があるのか、わかりませんでした。
 そういう穿鑿(せんさく)を、この物語は拒んでいます。

 この物語は記憶でできあがっています。
 記憶というのはできあがったものだけでなく、これから記憶になるだろうものも含めての意味です。
 雛子は架空の妹と会話しながら記憶をたどっているわけだし、外国にいる女の子は記憶を生み出しているのです。

 江國香織はインタビューに応えて、「小さいことしか書いていないので、その小さいことを拾いながら読んでもらえたらいい」と語っています。
 記憶とは、ビスケットのかけらを一つひとつ拾い集めて生まれるものかもしれません。
  
(2013/03/02 投稿)

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