プレゼント 書評こぼれ話

  毎月一冊読んできました
  「向田邦子全集<新版>」ですが、
  今日紹介するこの別巻2で
  おしまいになります。
  毎月一冊ずつ読んでいこうと
  決めたのですが、
  いつもいつも月末最後になってしまったのは
  いささか反省しています。
  この巻の書評タイトルを
  「また、いつか」にしたのは
  これから先、
  また向田邦子の作品を
  読みたいと思う日が
  来るだろうなぁという思いです。
  向田邦子の作品は
  何度読んでも
  飽きないような気がします。
  今度向田邦子に再会する時
  私はいくつになっているかわかりませんが
  向田邦子より
  今でも長生きしていることには
  ちがいありません。

  じゃあ、読もう。
向田邦子全集〈別巻2〉向田邦子の恋文・向田邦子の遺言向田邦子全集〈別巻2〉向田邦子の恋文・向田邦子の遺言
(2010/04)
向田 邦子

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sai.wingpen  また、いつか                   

 「向田邦子全集<新版>」の別巻2は、昭和56年(1981年)の向田邦子の突然の死からのち、末っ子の和子によって書かれた『向田邦子の恋文』『向田邦子の遺言』を中心に編まれている。
 和子のことは、向田の作品でいえば、まだほとんど字も書けない幼児の頃に父親から宛名だけを書いた葉書を疎開先に何枚ももたされ、その日の調子を○とか×だけで教えるようにいわれた戦時中のできごとを書きとめたエッセイに情愛深く描かれている。
 痩せ細った和子を迎え、裸足で駆けだす父親の姿を「大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た」と描いた向田であったが、9歳も年の離れた末の妹のことを最後まで心配していたのは向田邦子だった。
 和子の人生をまるでわがことのように心配する姉の様子は、娘の将来を常に案じていた父の姿に似ている。
 その点でも、向田邦子は彼女のさまざまな作品で描かれてきた父親とよく似ている。

 和子は長姉であった邦子の意に添うように、小料理屋「ままや」を始めた。開店に際して、資金面の援助や内装や出す料理までを邦子が行った。
 同時に、邦子は自分の死後を託す者として、和子を意識していた。
 だから、飛行機事故というあまりに突然すぎる死でも、まるで準備をしたいたかのように、「遺言状もどき」が残されることになる。
 和子は『向田邦子の遺言』を平成13年(2001年)に、『向田邦子の恋文』を翌年発表している。
 邦子の死から20年経っていた。

 「恋文」には、生涯独身だった向田の若い頃の切ない恋の様子が、相手の男性の日記と男性に宛てた邦子の手紙などでうかがい知ることができる。
 当事者の男性は向田が作家として認められる以前に亡くなっている。
 邦子にとって、その悲しい「秘めごと」は多分生涯封印されるはずのものだったにちがいない。
 しかし、遺された家族にとって、邦子もまたこのように恋の炎を燃やしていたということは慰めでもあっただろうと推測される。
 妹として、そのことは残しておきたかった姉の姿だったのだろう。

 向田邦子は昭和という時代を見事に駆け抜けた作家だった。
 しかし、それは過去形では終わりえない作家でもある。
 昭和だから、向田邦子が輝いたのではなく、向田邦子がいたから昭和がさらに懐かしいともいえる。
 また、いつか、向田邦子に戻る時が来るにちがいない。
  
(2013/04/30 投稿)

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 今日は昭和の日
 私たちの子どもの頃は、
 天皇誕生日でした。
 昭和天皇の誕生日。
 ゴールデンウィーク前半の最後、
 まだまだ遊びまわるぞという人もいるでしょうし、
 もう疲れたという人もいるかも。
 ゴールデンウィーク初日の土曜日(4.27)、
 井上ひさし1
 横浜の港の見える丘公園内にある
 神奈川近代文学館で開催されている
 「井上ひさし展 -21世紀の君たちにー」を
 見てきました。

 先日埼玉から横浜まで直通運転が始まった
 電車にのって。

 いい天気でしたから、
 絶好の「井上ひさし」日和。
 え、それってどんな日和かといえば、
 ひょうたん島がぷかぷか浮いているような感じ。
 どうして「井上ひさし展」が神奈川近代文学館で開催されているかというと。
 井上ひさしさんは鎌倉で住んでいて
 神奈川との関係が深いのだそうです。
 おかげで、
 りっぱな展示が見られるのはありがたい。

井上 2 井上ひさしさんが亡くなったのは
 2010年4月ですから、
 もう3年になります。
 今回の展示では
 その人生、作品など幅広く扱っています。
 特に代表作ともいえる『吉里吉里人』は丁寧に
 紹介されています。

 今回の展覧会では
 「21世紀の君たちに」というサブタイトルがついています。
 このことについて、案内チラシにはこうあります。

    井上ひさし作品の大きな魅力のひとつは、
    主人公たちが未来へ向かう姿です。 (中略)
    過酷な状況にありながら、笑いを忘れず、仲間と共に理想郷(ユートピア)を
    追い求める主人公たちの姿は、現代の私たちに、
    困難に立ち向かうための希望を与えてくれます。

 井上ひさしさんが亡くなったあと、
 私たちは東日本大震災という大きな困難に遭遇しました。
 東北を愛した井上ひさしさんがもし生きていたら
 大きなショックだったろうと思います。
 この展覧会の初めに
 原発事故から避難する車の渋滞の写真が大きく展示されているのが
 印象的でした。
 それでも、きっと井上ひさしさんなら
 私たちに、明日への希望の道筋を照らしてくれたはずです。
 もう井上ひさし んはいないけれど、
 その足跡をたどることで
 私たち一人ひとりが希望を自分のものとしていく。

 連休初日ということもあって
 文学展にしてはたくさんの来場者がいましたが
 残念なことに
 若い人たちの姿が少なかった。
 ゴールデンウィークの後半もありますし、
 6月9日まで開催されていますので、
 ぜひ若い人たちに見てもらいたい、
 文学展です。
 ちなみに、観覧料は600円。
 満足のいく、「井上ひさし展」でした。

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プレゼント 書評こぼれ話

  5年前に青森の奥入瀬渓流を訪ねた際、
  その深い緑の森に
  どんなに心打たれたことでしょう。
  あんな世界は
  いままで知らなかった。
  今日紹介する
  星野道夫さんの『森へ』は
  アラスカのほとんど人がはいらない
  本当の森を撮った
  写真絵本です。
  ファインダーをのぞきながら
  きっと星野道夫さんは
  なにもかも捨てた
  一個のいのちとしてあったのでは
  ないでしょうか。
  私の奥入瀬渓流などとは
  比較にならない世界です。
  星野道夫さんは
  その世界を自分だけのものには
  しませんでした。
  こうして子どものための絵本にして
  その世界を伝えようと
  したのだと思います。

  じゃあ、読もう。

森へ (たくさんのふしぎ傑作集)森へ (たくさんのふしぎ傑作集)
(1996/09/20)
星野 道夫

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sai.wingpen  子どもたちに、星野道夫さんのことを知ってもらいたい                   

 子どもたちに、星野道夫さんのことを知ってもらいたい。
 いのちということを、確かな目で写しとり、やわらかな文章で綴った、写真家であることを。
 この『森へ』という写真絵本は、星野道夫さんがアラスカの奥深い森に分け入った際に撮影された作品でできている。
 星野道夫さんは若い時にアラスカの魅力にはまり、単身まだ遠い国であったその地にはいっていく。
 星野さんがアラスカで撮ったグリズリーやムースの写真は高い評価を得た。また、星野さんの文章はたくさんの人々の心をなごませた。

 星野さんの写真や文章が素敵なのは、いのちの尊さを秘めているからだと思う。
 たとえば、この本の中にあるような川で跳躍するサケの姿だけが、いのちではない。そのサケを口で漁するクロクマの姿もまた、いのちなのだ。あるいは、産卵を終えてぼろぼろになるサケの姿もいのちなのだ。
 星野さんはそこで、アラスカの森に生きるインディアンの古いことわざを紹介する。
 「サケが森をつくる」と。
 いのちとは、このようにつながっていくものなのだ。
 自分たちだけが楽しんだり喜んだりするのが、いのちなのではない。自分たちよりあとのものたちへとつながるのが、いのちなのだ。
 だから、それを粗末にしてはいけない。星野さんはそんなことをはっきりと語っている訳ではない。
 しかし、星野さんの写真や文章が伝えようとしていることは、そういうことだと思う。

 星野さんは森の中のこんな不思議な光景を写真におさめている。
 それは一本の倒木の上から巨木が何本ものびている写真だ。「年老いて死んでしまった倒木が、新しい木々を育てた」のだ。
 そして、こう綴る。「ぼくの目には見えないけれど、森はゆっくりと動いているのです」と。

 子どもたちに、星野道夫さんのことを知ってもらいたい。
 アラスカの自然をたくさんの写真にして残し、いきることの素晴らしさを美しい文章にして残し、まるで自然に帰るようにして若くして逝った写真家のことを。
 星野道夫さんのいのちを、子どもたちへ、さらに生まれてくるものたちへつなげてほしい。
  
(2013/04/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日からゴールデン・ウィークという人も
  多いでしょうね。
  今年はまず3連休、あいだに3日あって
  そのあと4連休、というのが
  標準パターンかな。
  うーん。
  これって微妙な日めぐり。
  だから、今年は国内旅行が
  いいらしい。
  そこで、今日は
  私が5年前に行った青森・奥入瀬渓流のことを
  書いたものを
  蔵出し書評で紹介します。
  本は、米美知子さんの
  『青い森話』という写真集。
  久しぶりにこの書評を
  読んだのですが、
  いやあ、書いてますね。
  1500文字以上書いてます。
  まさにハイ状態。
  それだけ奥入瀬渓流がよかったということ。
  この連休もきっと
  奥入瀬渓流に行く人は多いだろうな。

  じゃあ、読もう。
  
青い森話―八甲田・奥入瀬・十和田 米美知子写真集青い森話―八甲田・奥入瀬・十和田 米美知子写真集
(2005/03)
米 美知子

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sai.wingpen  水が歌ふ - 私の奥入瀬紀行                   

 初夏の奥入瀬渓流を歩いた。
 奥入瀬(おいらせ)は十和田湖から流れる唯一の川だ。
 その川沿いの景色を旅ガイド風にかけば、明治の文人大町桂月(といっても今ではほとんどの人が知らないだろうが)が「住まば日の本/遊ばば十和田/歩けや奥入瀬三里半」とうたった名勝の地ということになる。
 八戸(青森県)からバスでおよそ一時間半。
 奥入瀬渓流のなかば、石ヶ戸(いしげど)から十和田湖の河口にある子ノ口(ねのくち)までの約9キロを3時間かけて歩く。
 瀬あり滝あり、まさによく写真などで見かけるとおりの、水と光と新緑の木々との競演である。

 しかし、「写真でみたとおり」というのはおかしな話で、まずこの自然があってそれを写し取った技量を評価すべきだろう。
 いや、こういう自然の世界にはいると、そういうことさえ関係なくなる。あるがままの自分があるだけだ。
 詩人佐藤春夫がその詩「奥入瀬渓谷の賦」(この詩碑が子ノ口近くの本流にかかる唯一の滝、銚子大滝のそばに立っている)の冒頭の一節でこう詠っている。「瀬に鳴り渕に咽びつつ/奥入瀬の水歌ふなり/しばし木陰に佇みて/耳かたむけよ旅人よ」

 本書はその奥入瀬と十和田、八甲田といった青森の自然を撮影した写真集である。
 書名の『青い森話』は「あおいしんわ」と読む。
 そもそも青森という地名は「青い森」と親しみを込め語り継がれてきた。
 奥入瀬でもそうだが、森の情景は太古を彷彿させ、まさに神話のように厳(おごそ)かだ。それらを懸詞のようにしてできた書名だ。
 それぞれの森の四季が時に優しく、時にはげしく表情をかえてそこに写し出されている。
 著者は<あとがき>に「豊かな自然の中に身を置くことで、不思議と優しい気持ちになれます」と記しているが、奥入瀬の自然の中にいると生命の不思議さを強く意識させられたのは実感としてある。
 生命とは実は大いなる包容力であり、だからこそ優しい気持ちになれるのだろう。

 旅から戻り、本書の写真でもう一度その優しさに包まれる幸福感。しかしながら、ある一点において、本書は私を充足させてくれない。
 それは、音の喪失である。
 実際の奥入瀬は溢れかえらんばかりの音に満ちていた。
 もういちど、その音にふれたくて、目を閉じる。自分の目の前に広がった光景を追体験し、音を再生させなければならない。
 耳をすませて。

 奥入瀬は女性だ。
 さらさら、さらさら。
 川はアルトのように、緩やかで優しく、歌う。
 そして、やや早い流れになり、歌声は高くなる。
 ソプラノがはいりこむ。しゅる、しゅる、しゅる。
 水は速度を早めながら、苔を背負ったいくつかの岩をくぐる流れになる。
 あるいは瀑布となって下り落ちる。そこに、男性の強い声がまざりこむ。
 テノールだ。ざわざわ、ざあー、ざわざわ、ざあーといわんばかりに。
 奥入瀬渓流でいえば、<阿修羅の流れ>と名づけられた瀬のように、男と女が激しく絡み合っていく。
 そして、時折水の深みに水自身がはまりこむ音が、どどんどどんと、バスのように響く。
 水の音が大きく、そして小さく、行き過ぎる。
 やがて、たゆとう瀞となってあらたな旅立ちの準備をはじめる。
 水の音に共鳴するように、光が弾ける。さしずめ管楽器だ。
 フルートの音色が零れ、弾け、水にまといつく。風は弦楽器。調べが波に呼応して通りゆく。
 奥入瀬渓流は、それら水と光と風の交響曲(シンフォニー)だ。自然は大いなる調べとなって、人をつつみこんでくる。そのことで、私たちは優しくなれる。新しい生命の息吹を感じる。

 静かに裏表紙を閉じる。
 そこに<心に優しく>と題された紅葉に色づく樹林の写真がある。
 秋に、もういちど奥入瀬をたずねてみよう。
 その写真は招待状のようにしてそこにある。
  
(2008/06/26 投稿)

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  経営コンサルタントの小宮一慶さんの
  人生の目的は
  「お客さまに成功していただくこと」だといいます。
  そのための目標の一つが
  100冊の本を出版すること。
  今日紹介する
  『書く力ドリル』は
  91冊めの本。
  すごいですよね。
  夏目漱石だって
  そんな数の本出していない。
  そのうち、
  私はどれだけ読んでいるのかな。
  数えたことはないですが
  半分近くは
  読んでいるのではないでしょうか。
  これだけ読んでも
  まだまだ小宮一慶さんの領域まで
  たどりつけません。
  もっともっと
  励まないといけません。
  今日紹介した本は
  ブログとかFacebookをしている
  人にも最適ですよ。

  じゃあ、読もう。

書く力ドリル (ビジネスマンの「必須スキル」シリーズ)書く力ドリル (ビジネスマンの「必須スキル」シリーズ)
(2013/03/16)
小宮一慶

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sai.wingpen  「送信」ボタンを押す前                   

 関西人は「つかみ」がうまい。
 まず人をひきつけようとするのは、目立ちたがりの気性もあるだろうが、人を楽しませる能力にも長けているといっていい。
 本書の著者経営コンサルタントの小宮一慶さんも大阪の出身だから「つかみ」はうまいに違いない。
 何度か講演を聴いたが、聴衆を飽きさせない話術はさすが関西人である。
 それは、書く方でも如何なく発揮されている。
 100冊近い著作を書いているが、その文章力、この本に即していえば、「書く力」も相当高い。
 まず、第一に平易であるのがいい。
 経済やビジネス関係の著作がほとんどだが、小宮さんの文章を読んで難しいと思ったことがない。
 「論語」のススメや新幹線ネタなどたびたび出てくるが、くどいと感じることも少ない。それぞれのテーマで、言い回しを少しずつ変えているからだろう。

 本書は以前刊行された『「読む」「書く」「考える」は5分でやりなさい!』のワークブック版で、読む方はすでに『読む力ドリル』として発売されている。今回は「書く力」をどう高めていくか、でまとめられている。
 最近の若い人は書くことが少ないと思われがちだが、ツールが筆と紙からパソコンやスマホに変わって、もしかしたら昔の人以上に文章を書く(キーボードでうつということだが)機会は増えているのではないだろうか。
 ただ、その多くは友人同士のいわゆる仲間内のもので、読ませるという点では未成熟ともいえる。
 日々のできごとのメモ程度に終わっているのが残念だ。
 読ませる文章まであと少し、のような気がする。本書は読めば、その「あと少し」を埋められると思う。

 小宮さんは「書く力」に大切なのは、「バリュー」と「インパクト」だという。
 「バリュー」はその文章が読み手にとって「価値」があるかどうか、「インパクト」は文章に共感や驚きを与えること。
 興味がなかったら、どんなにうまく書いても読んでもらえない。だから、「誰のために」書くのかを考えないといけない。
 また、文章を最後まで読んでもらうためには、「インパクト」でひっぱっていくことも大事になってくる。
 それらは「話す力」とよく似ているが、「書く力」には推敲という機会が与えられているのだから、それを活用しない手はない。
 「送信」ボタンを押す前に、本書を読んでみるのもいいだろう。
  
(2013/04/26 投稿)

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  今日は安部龍太郎さんの『等伯』の下巻。
  書評タイトルを
  「三國連太郎が演じた等伯を観たかった」と
  しました。
  これだけの人気作品ですから
  いずれテレビ化、映画化されるのでしょうが
  だとしたら、
  主人公の絵師長谷川等伯を
  誰が演じるか。
  ふと、浮かんだのが
  先日亡くなった三國連太郎さん。
  もちろん、
  中年の頃の三國連太郎さんということに
  なるのですが、
  そうなれば等伯の息子役は
  佐藤浩市さんしか
  いませんね。
  それは夢物語ですが
  こういう大作は
  そんなことを思いながら読むのも
  面白い。

  じゃあ、読もう。

等伯 〈下〉等伯 〈下〉
(2012/09/15)
安部 龍太郎

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sai.wingpen  三國連太郎が演じた等伯を観たかった                   

 第148回直木賞受賞作。(2013年)
 桃山時代の絵師長谷川等伯の生涯を描いた歴史小説は、単行本にして上下二冊の長編である。
 上巻の書評では直木賞受賞時の選考内容を書いたので、下巻では物語に沿って書いてみたい。
 長谷川等伯(若い時代は信春と称した。上巻ではこの信春として描かれて、下巻にして等伯という名となる)は能登(現在の石川県)の武士の家に生まれた。
 幼くして仏絵師である長谷川家に養子に出され、その後長谷川家の娘静子を妻とする。
 等伯は180センチ近い上背をもった身丈夫だったという。それに武士の血もある。そのことが後に等伯を危険にさらすことになる。
 絵師として上京への望み捨てがたく、戦国の乱世の策略に呑み込まれながら生まれ故郷を追われていく。

 時代は信長から秀吉へと続く安土桃山の世、絵画の世界では今でも歴史の教科書で必ず紹介される狩野永徳全盛の世である。
 栄華を誇った千利休と懇意になりながらも、利休の悲劇とともに等伯も政(まつりごと)の渦の中に巻き込まれていく。同時に、永徳との確執も等伯を苦しめる。
 上巻では乱世の渦、下巻では狩野派との対決、秀吉の世に次第に頭角を現す等伯の姿を描いている。

 絵師という職業を生業とする主人公の物語のため、等伯が描いたとされる作品がうまく配置されている。それぞれの作品の特長を描きつつ、その時々の等伯の苦悩、熱情が、物語の重要なアクセントとなっている。
 終盤は特に代表作ともいえる「松林図」が完成するまでの等伯の姿が描かれる。

 当時の絵師たちの置かれている環境を想像するのは難しいが、単に絵を描くというのではなく、政の道具に利用されていたことがよくわかる。それが絵師たちにとって幸福だったとは思えない。
 もしかすれば、等伯もまた能登の仏絵師としての人生の方がよかったかもしれない。
 才能がそれを許さなかったともいえるが、等伯自身がそれを求めたからだともいえる。
 作者の安部龍太郎はそんな等伯をもって、「危険な場所に近付き、真実を見極めたいという表現者の性」と書いた。
 それは、安部自身の自画像でもあるやもしれない。
  
(2013/04/25 投稿)

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  今日と明日、
  第148回直木賞を受賞しました
  安部龍太郎さんの『等伯』上・下を
  紹介します。
  上下二巻の書評というのは
  なかなか難しいというか
  本当なら
  それを一本にまとめあげるのが
  普通ですが、
  まあそこはご辛抱頂くとして
  上巻の今日の書評では
  直木賞の選評のことを並べながら
  書いてみました。
  「オール讀物」の3月号に掲載された
  選考結果を参考にさせてもらいました。
  この作品はどの選考委員も
  評価していて、
  近年でも高評価の受賞作になっています。
  それぞれ350ページを超えるボリュームですが
  読み始めたら、
  すいすい読めます。
  連休にでも読んでみるのも
  いいかもしれませんね。

  じゃあ、読もう。

等伯 〈上〉等伯 〈上〉
(2012/09/15)
安部 龍太郎

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sai.wingpen  福岡人は歴史がお好き?                   

 第148回直木賞受賞作。(2013年)
 桃山時代の絵師長谷川等伯の生涯を描いた歴史小説は、単行本にして上下二冊の長編である。
 選考委員のほとんどこの作品を「力作」と評し、作者の「力量」に感服している。
 主人公である長谷川等伯(初期の頃は信春と名乗っていた)の魅力ともいえるが、長編であるにもかかわらず、倦むことなく読ませるのはやはり作者安部龍太郎の技量といっていい。

 「絶対的に不可逆な<時間>というものを、創造性と想像力を以て巻き戻してみせる」のが、優れた歴史小説の技だと、選評の中で宮部みゆき委員が書いている。
 長谷川等伯という人物の一生は、ウィキペディアなどを開けば百科事典的には理解できる。しかし、そこに等伯の呼吸はない。
 彼がどのような思いで京にあこがれ、夜の闇を走り抜けたか。信長の蛮行に逃れるように京の町で息をひそめたか。それは、小説ならではのものであり、歴史を生きた鼓動にまで高める技といっていい。
 さらに、安部が描いているのは、完成された(これこそ百科事典的にまとめあげられた)長谷川等伯でなく、等伯にならんとする人間そのものなのだ。
 同じく宮部委員の言を借りれば、「等伯は等伯だから偉大なのではなく、等伯になろうとあがき続けたその道程が偉大」であるのだ。だとすれば、安部が描いたのは、長谷川等伯という人間ですらなく、その道程そのものといえる。

 「作者の読者に対する誠意と責任が結実」と絶賛したのは、浅田次郎委員である。「読み始めるとじきに、選者の立場を忘れて一読者となった」といった言葉は、どんな評価よりも作者を喜ばせたかしれない。
 この作品が日本経済新聞に掲載された新聞小説であった点から、自身同新聞で話題作を次々と発表してきた渡辺淳一委員は、「新聞小説という舞台で、これだけの大作を安定して描ききった力量は、おおいに評価していい」とした。
 新聞小説ゆえにこれだけの面白い作品に仕上がったともいえる。

 安部龍太郎は福岡の出身であるが、そういえば『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞した葉室麟も福岡の出身だった。
 福岡には歴史小説、時代小説を生み出す風土があるのかしらん。
  
(2013/04/24 投稿)

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  今日は、子ども読書の日
  キャッチフレーズが

    たくさん読もう。
    楽しく読もう。

  子どもたちに読書の楽しみを広げたいですね。
  4月14日亡くなった、俳優の三國連太郎さんも
  大の本好きだったようです。
  俳優にならなかったら
  作家になったかもしれない、
  それくらい本が好きだったといいます。
  信太一高さんの『三國連太郎の器』は
  三國連太郎さんのさまざまな表情を
  撮った写真集ですが
  本屋の中の三國連太郎さんの姿も
  あったりします。
  人間のいい表情は
  たくさんの本からも生まれてくるのかも
  しれませんね。
  そんな人間臭さが
  三國連太郎さんの演技には
  いつもあったように思います。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

三國連太郎の器三國連太郎の器
(2010/12/02)
信太 一高

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sai.wingpen  追悼・三國連太郎 - 名優と呼ばれたらおしまい。                   

 「怪優」と呼ばれた三國連太郎はこんな言葉を残している。「名優と呼ばれたらおしまい。迷優と呼んで欲しい」
 本人の思いはそうであっても、三國は間違いなく「名優」であったと多くの人はいうだろう。
 映画界の巨星三國連太郎が、4月14日亡くなった。90歳だった。

 この本は三國連太郎の映画のスチールカメラマンとして出会った著者が、1972年から2010年の38年にわたるさまざまな三國の姿を収めた写真集である。
 子どもは親に似て当然だが、若い頃の三國は息子佐藤浩市とそっくりだ。一瞬佐藤浩市ではないかと思うほどだ。
 その息子は「三國は、もう一度現場に立ちたいとどれだけ思っていただろう」と語った。父と同じ「役者」の道を歩く息子ならではの悲しみだったろう。

 三國連太郎は「男」そのものであったように思う。
 三國が演じる「男」はいやらしく、スケベで、アクが強い。
 この写真集には三國の箴言がそえられているが、「こっちは根っから女好きですからね。」といった言葉もあったりする。
 けれど、三國のいやらしさは、舞台裏でパンツ一枚で立つ写真にそえられた「舞台で、下着を汚すほど緊張したことがあります」の方に彷彿される。
 言葉だけでなく、全身から臭うようないやらしさだ。
 その一方で、いつまでも子どものような表情を失わなかったのも、三國である。
 晩年の代表作ともなった「釣りバカシリーズ」の三國は、男の子そのものであったといえる。
 それは照れを乱雑さで覆い隠し、寂しさは背中で語るしかない、切ない思いだ。
 三國は全身で「男」を演じきっていたといえる。

 三國は本書のタイトルとなった「器」という文字が好きだったという。
 銀幕の中でさまざまな役を演じてきた三國であるが、「人間は自分の器の中だけで生きていくしかない」と語っている。どんな役であれ、それは三國連太郎という一個の俳優の「器の中」の人物であったのだろうか。
 だとすれば、私たちが見てきたものは、砂漠に立ち上る陽炎のような幻だったかもしれない。

 「死はあるとき、突然やってくる。抵抗するものではない。それが鉄則。」
 そう語った三國連太郎は、もういない。
  
(2013/04/23 投稿)

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  昨日、フランツ・ブランデンベルクさんの
  『あたしも びょうきになりたいな!』という
  絵本を紹介しましたが、
  この題名、子供の気持ちとしては
  わからないでもありません。
  でも、あくまでも子供の気持ち。
  病気にはならない方が
  いいに決まっています。
  そこで、今日は
  岡本裕さんの『9割の病気は自分で治せる』という
  本を紹介します。
  大きな病院に行くと
  朝からたくさんの患者さんに
  あふれています。
  だから、3時間待つなんてざら。
  あるいは
  整体師の医院に行けば
  いつも来てますみたいな
  シニアの人ばかり。
  井戸端会議というのが
  なくなったかわりに
  病院会議が増えていそう。
  そのほとんどが
  本当は自分の力で治癒できるそうです。
  この本を読んで
  健康な心づくりを
  してみませんか。

  じゃあ、読もう。

9割の病気は自分で治せる (中経の文庫)9割の病気は自分で治せる (中経の文庫)
(2009/02/01)
岡本 裕

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sai.wingpen  「いい加減」が丁度いい                   

 こう見えても、結構ひとには気をつかう。
 「いい人」と思われたいとかということではないが、他人軸を意識している方だ。
 「40歳を過ぎたら、若いころのように嫌なことを我慢してがんばらないこと」と、現代医療の問題の多い実態の中で我々がどう病気と向きあえばよいかということを説いた本書の中にある。
 年令を重ねていけば、「いい人」になるよりも逆に他人に圧力をかけるくらいが丁度いいのだそうだ。
 好々爺より頑固爺の方がいいのだろう。

 著者はもともとは癌の臨床医だが、従来の医療の考え方や手法に限界を感じ、それをやめてしまう。
 欧米の3.5倍もの患者数を診療する日本の医師。世界一薬を服用する患者。「3時間待って3分の診察」という実態。緊急搬送の患者を拒む医師。
 その原因の一つとして、「医者にかかわってもかかわらなくても治癒する病気」も持った「おいしい患者」が多すぎると、著者は指摘する。
 それは患者の意識の問題だけでなく、診察する医師の側にもそういう患者を優先しないといけない事情がある。
 「薄利多売」は流通業界の用語だと思っていたが、医療の現場にもそれが蔓延しているというのだ。
 まさか、患者と大根とは同じではないだろうが。

 そんな現状をどう打破すればいいのか。
 著者は生活習慣を改めたり、薬依存の偏重を正すなど、「自己治癒力」を高めることが大事だという。
 それが冒頭の文章につながっている。
 40歳を超えると、「体内環境は若いころと大きく違って、自己治癒力は急速に低下」するらしい。それを高めるためには、ストレス負荷ができるだけかからないようにすること。嫌であれば断る力を持つこと、したいという気持ちを大切にすること。しなければならないことに固執しないこと。
 「いい加減」が丁度いい。

 本書には「自己治癒力を高める14の方法も載っている。
 「前かがみの姿勢をやめる」とか「ツボ刺激」とか誰にでもできる方法なので参考にするといい。
 その一つに「読書」も「自己治癒力」を高めるとある。おそらく「読書」は薬を常用するよりうんと手軽だろう。
 頑固爺にはなれないが、本好き爺にはなれそうだ。
  
(2013/04/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昔の医者は
  よく注射をしたように思います。
  今は風邪くらいなら
  ほとんど注射はしないのでは
  ないでしょうか。
  子どもの頃は
  その注射が嫌で
  少しくらいの熱なら
  学校に行ったものですが
  今は注射もしないとなれば
  少しの熱で
  休むこともへっちゃらかも
  しれませんね
  子どもの頃
  病気になると
  母はよくりんごジュースを
  作ってくれました。
  当時ミキサーなどはありませんでしたから
  おろし金ですって
  ふきんなどで濾していました。
  これがおいしかったのを
  よく覚えています。
  今日紹介するのは
  フランツ・ブランデンベルクさんの
  『あたしも びょうきになりたいな!』。
  きっとあなたも
  子猫のエリザベスの気持ちが
  よくわかると思いますよ。

  じゃあ、読もう。

あたしも びょうきになりたいな! (世界の絵本)あたしも びょうきになりたいな! (世界の絵本)
(1983/07)
フランツ=ブランデンベルク

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sai.wingpen  病気になったらわかること                   

 病気になりたいと思ったことありませんか。
 病気になったら学校とか会社とか行かなくてもいいし、お母さんや奥さんもやさしくしてくれます。それに一日中ふとんの中にいても、誰も文句を言ったりしません。
 なんだかいいことづくめ、のような気がしませんか。
 この絵本の主人公、子猫のエリザベスもそう。
 エドワード(兄なのか弟なのかよくわかりませんが)が病気になった時に、みんなにやさしくされるのを見てうらやましくて仕方がありません。
 だから、「あたしも びょうきに なりたいなあ!」なんて思ったりします。

 この絵本の作者フランツ・ブランデルベルグさんと絵を担当したアリキさんは夫婦です。
 カバーに添えられた写真にはエリザベスとエドワードのようにかわいい女の子と男の子の子どもたちも一緒に写っています。
 もしかしたら、子どもたちが寝たあとにフランツさんとアリキさんはこの物語を思いついたのかもしれませんね。
 そして、顔を見合わせて、クスッって笑ったことでしょう。
 だって、本当に病気になったエリザベスはベッドの中でなんてつまらない一日なんだろうって思ってしまうんですから。
 そんなかわいいことを想像すれば、誰だってクスッってなるでしょう。
 絵本に登場する猫たちは、きっとブランデルベルグ夫妻の子どもたちによく似ていたに決まっています。

 病気がなおったエリザベスはもう「あたしも びょうきに なりたいなあ!」なんてわがままは言いません。
病気になったら、楽しいことが何もできないことがわかったから。
 病気の間は「される」だけだったことが、元気なら「してあげる」ことができることに気づいたのです。
 病気よりも元気な方が楽しいことを、「される」より「してあげる」ことの大切さを、この絵本は大人の目線ではなく、子どもの目線で教えてくれます。
 日本で1983年の刊行から30年も読み継がれてきた理由はそこにあるような気がします。
  
(2013/04/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  ひし美ゆり子さんていう女優さんを
  ご存じだろうか。
  若い人には、わからないかも。
  「ウルトラマン」シリーズのファンなら
  わかるはず。
  「ウルトラセブン」でヒロイン、アンヌ隊員を
  演じた女優さんです。
  今日紹介するのは、
  「ウルトラマン」シリーズに登場した
  ヒロインたちを集めた
  『ウルトラヒロインズ』。
  へえー、こんな本があるんだと
  思った人、
  そう、あるんです。
  いいでしょ。
  見たいでしょ、アンヌ隊員の華麗なる姿を。
  桜井浩子さんファンも多いでしょうね。
  当然、桜井浩子さんの姿も
  載っています。
  なのに、私はアンヌ隊員のことを
  書きすぎたかも。
  まあ、そのことは個人的な好みということで
  ご容赦願いたい。

  じゃあ、読もう。

ウルトラヒロインズウルトラヒロインズ
(2013/01/23)
円谷プロダクション

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sai.wingpen  女神たち                   

 特撮で有名な円谷プロが今年(2013年)創立50周年を迎えるという。
 円谷プロといえば、「ウルトラマン」。その38代めとなる新ヒーロー「ウルトラマンギンガ」が先日発表されたなど、いまだに「ウルトラマン」人気は衰えていない。
 初代「ウルトラマン」がTV放映されたのは昭和41年(1966年)。まさに三世代とつづくヒーローである。

 「ウルトラマン」が放映されると、巷に怪獣博士が数多く登場した。私の小学校のクラスにもいた。体重、身長、武器、弱点、とにかくよく知っていた。
 さまざまな怪獣たちが地球に攻めてくるのだが、人類は律儀にもまず自分たちで戦おうとする。「ウルトラマン」に最初からやっつけてもらえばいいのだが、そうはしない。
 初代「ウルトラマン」では「科学特捜隊」、「ウルトラセブン」では「ウルトラ警備隊」、「帰ってきたウルトラマン」では「MAT(怪獣攻撃部隊の略称)」といった具合に、まずは彼らが地球の防御にあたる。

 そんなチームには必ず紅一点(複数の場合もあるが)花をそえる女性隊員がいた。
 この本はそんなヒロインたちの懐かしい雄姿? と笑顔を当時の写真と彼女たちへのインタビューで紹介している。
 まず、なんといっても桜井浩子さん。
 初代「ウルトラマン」の時のヒロイン役だ。桜井さんは「ウルトラマン」以前の「ウルトラQ」の頃から出演しているから、円谷作品にはなくてはならない存在である。
 桜井さん以降、数多くのヒロインを生んできた「ウルトラマン」シリーズであるが、なんといっても(ここはかなり個人的な見解となるが)「ウルトラセブン」のヒロイン、ひし美ゆり子さんが演じたアンヌ隊員だろう。
 「ウルトラセブン」との切ない別れの最終回など、異星人だってほのかな思いを寄せるくらいなんだから。
 子どもごころにも、アンヌ隊員のややハスキーな声、柔らかな曲線美にときめいたものだ。
 彼女の肢体をまとっていたウルトラ警備隊のグレイの制服の上下の写真などファンならずもため息がでる。

 怪獣が大好きな少年は女神たち(ウルトラヒロインズ)も大好きだったのだ。
  
(2013/04/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、谷川俊太郎さんの
  『自選 谷川俊太郎詩集』を紹介したので
  そういえば、
  まだこのブログで紹介していない
  谷川俊太郎さんの詩集があったことを
  思い出しました。
  谷川俊太郎さんの詩と
  吉村和敏さんの写真がコラボになった
  素敵な詩集、
  『あさ/朝』。
  2005年の蔵出し書評です。
  この書評の原文には
  2004年とても忙しくなって
  本が読めないみたいなことを
  書いています。
  今回はその部分はカットしました。
  たかだか10年にもならない歳月なのに
  そのころの忙しさは
  もうおぼろです。
  10年って、
  そんな時間の体積だと
  あらためて感じます。

  じゃあ、読もう。

あさ/朝あさ/朝
(2004/07)
谷川 俊太郎、吉村 和敏 他

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sai.wingpen  詩を読むということ、あるいは写真を見るということ                   

 仕事が忙しくなって通勤電車での行き帰りも眠ってしまうことが多くなる、そんな時。
 読み始めたものの読み終えることのなかったたくさんの本たちや、読まれることなく机の片隅に追いやられた本たちのことが気にかかる、そんな時。
 詩なら読めるかもしれないと、一冊の詩集を手にする。
 谷川俊太郎の『あさ/朝』。
 詩人谷川がかつて詠った朝の詩を集めた詩集。煌くような言葉の結晶。
 なにより読むことが苦痛にならない。通勤電車で何駅かまぶたを閉じるのを我慢すれば読み終えてしまえる。
 しかも、疲弊した心に一滴の朝露のように染み入る言葉たち。
 少し頭をあげる。

 詩の一節を引用してしまうのは強引かもしれないけれど、思わず書きとめてしまわずにはいられない、詩。言葉たち。

 「百年前ぼくはここにいなかった/百年後ぼくはここにいないだろう/あたり前な所のようでいて/地上はきっと思いがけない場所なんだ」(「朝」)

 活字を読むのはつらくても、写真なら見れるかもしれないと、一冊の写真集を手にする。
 吉村和敏の『あさ/朝』。
 写真家吉村が印画紙に刻んだ、この地球(ほし)の朝の風景。ちりばまれていく映像の凝縮。
 なにより見ることが苦痛にならない。通勤電車で何駅かまぶたを閉じるのを我慢すれば見終えてしまえる。しかも、疲弊した体に一筋の朝の光のように差し込む写真たち。
 少し背を立てる。

 詩があって、写真があって。
 少しだけ、読むということに深呼吸しているような一冊である。
  
(2005/01/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  谷川俊太郎さんの詩が好きだ。
  私よりはかなり年上だが
  谷川俊太郎さんはいつも
  同時代の詩人のような気がしています。
  このたび、その『自選 谷川俊太郎詩集』が
  岩波文庫の一冊に加えられたのですから、
  もうびっくりです。
  だって、
  岩波文庫ってなんだか物故者でないと
  取り上げてもらえない雰囲気が
  ありますもの。
  これは名誉なことです。
  これは破格な扱いです。
  まあ、なにはともあれ慶事には
  ちがいありません。
  そこで、お願いなのですが
  岩波文庫さん。
  次は茨木のり子さんの詩集をぜひ
  岩波文庫の一冊にしてくれませんか。
  たくさんの読者に読んでもらいたいから。
  さて、どうなるやら。

  じゃあ、読もう。

自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)
(2013/01/16)
谷川 俊太郎

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sai.wingpen  「どきん」となった岩波文庫                   

 岩波文庫は、昔ほどではないにしろ、他の文庫本にはない格式のようなものがある。
 それがブランドの持つ強みだろう。
 他にさきがけて作られた文庫本(創刊は昭和2年。今でもその当時岩波茂雄を記した「読書子に寄す」という文章が巻末に載っている)ということもあるが、精選されたラインナップが岩波文庫の品格になっている。
 流行作家であろうとベストセラーであろうと、時間という評価をくぐららないと、岩波文庫にはならない。
 そこに、谷川俊太郎の自選詩集がはいったのであるから、これは驚きとも感動ともいえる。

 谷川俊太郎は幸福な詩人である。
 二十歳の時の処女詩集『二十億光年の記憶』の刊行以来、八十一歳になる今日まで詩人であり続けたのだから。そして、こうして岩波文庫の一冊として収められたのだから。
 「六十年以上詩を書き続けて」きた谷川はこの文庫本の「まえがき」に、「この機会に自分の年齢による変化の跡をたどってみるのもいい」と書いているが、やはり他の文庫本にはない高揚感のようなものを、谷川なりに感じたともいえる。

 「ときどき昔書いた詩を詠み返してみることがある/どんな気持ちで書いたのかなんて教科書みたいなことは考えない/詩を書くときは詩を書きたいという気持ちしかないからだ」というのは、本書に収録されている「夕焼け」という詩の一節である。
 だから、この詩集、谷川が今までに書いてきた二千数百におよぶ詩から精選された一七三篇の詩が収められている、にあるのは、その時々の「詩を書きたいという気持ち」の発露といっていい。
 「二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」(「二十億光年の孤独」)と書くのも、「限りなく無力な/巨人になりたい」(「美しい夏の朝に」)と書くのも、「うんこよ きょうも/げんきに でてこい」(「うんこ」)と書くのも、谷川俊太郎という詩人の生み出した言霊だ。

 これから詩を読んでみたいと思う人、谷川俊太郎の詩の業績に触れてみたい人、かつて谷川にあこがれ読んだ人、それぞれにとって、岩波文庫の一冊となったこの詩集はうれしい。
 谷川の良き理解者山田馨氏による解説も丁寧にできている。
  
(2013/04/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨年10月に亡くなった
  丸谷才一さんの新刊が
  読めるなんて
  これほどうれしいことはありません。
  しかも大好きなエッセイ集。
  書名の『無地のネクタイ』も、いい。
  だから、書評にも気合いが
  はいるというもの。
  いいかげんなものを書いたら
  天国の丸谷才一さんに
  叱られちゃいます。
  なんだか弟子みたいに書いていますが
  もちろん、
  それはおこがましい。
  私からすれば
  ずっと遠い存在。
  でも、しっかりと見習わなければいけないと
  尊敬している作家。
  さてさて、
  その書評の出来栄えはいかが。

  じゃあ、読もう

無地のネクタイ無地のネクタイ
(2013/02/23)
丸谷 才一

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sai.wingpen  精神がおしゃれな人                   

 ご本人にはもちろんお会いしたこともないし、講演とかで拝見する機会もなかった。
 知っているのは新聞などの媒体に掲載された写真か、和田誠さんの描かれるお姿でしかない。
 それでも、きっと丸谷才一さんはおしゃれだったろうと推測する。
 何故なら、おしゃれに関する造詣が深い。さまざまなエッセイの中でおしゃれについて書いている。
 この本、書名も『無地のネクタイ』としゃれているが無地のネクタイを着こなすのはかなりの通のはず、の中の「パーティという祭」というエッセイの中で、パーティ時の服装について「ネクタイを替へるとか、ポケットチーフを入れるとか、工夫があるはず」と記しています。
 こんなこと、なかなか言えません。

 おしゃれというのは服装とかが洗練されていることをいうのですが、丸谷さんの場合、それだけではなく、精神のありようがそもそもおしゃれ。
 その証拠もこの本の中にあって、「表記論」というエッセイを読むと、いい。
 これはタイトルの通り、㈱なんていう表記は「嫌ひ」から始まります。その理由を、「不当に威張つてゐるやう である。しかも略しながら威張る。をかしいぢやないか」と。
 こういうまっとうな精神のありようこそ、おしゃれといっていいのではないかしらん。

 丸谷さんのエッセイは、そういうおしゃれ感覚が隅々まで浸透していて、読んで気持ちがいいのは、だからだと思う。
 おしゃれになるために弛まぬ努力もしていたにちがいない。
 本書のエッセイは岩波書店のPR誌「図書」に掲載されていたもので、その分真面目なものが多いのだが、「オール讀物」に連載された軽めのそれでも、けっして力を抜いていなかったように感じる。
 男のスーツは見えない裏地に配慮するのがおしゃれだとよく言われるが、丸谷さんのエッセイの魅力も、見えないところでの勉強にある。

 おそらく丸谷さんのような作家はなかなか現れないでしょうが、少なくともおしゃれの本質を理解する、そんな新しい書き手がでないかしら。
 「無地のネクタイ」が似合いそうな。
  
(2013/04/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  「暮しの手帖」という雑誌のことは
  このブログでも何回か書いたことが
  あります。
  その創業者だった
  大橋鎭子さんが3月23日亡くなりました。
  93歳でしたから、豊かな人生だったといえます。
  そこで今日は大橋鎭子さんが書いた自伝
  『「暮しの手帖」とわたし』を
  紹介します。
  実はこの本、
  以前にもこのブログで取り上げていますが
  今回は再読、
  新しい書評となっています。

    以前の書評を読みたい方はこちらから。

  今回の書評の中に書いた
  松浦弥太郎さんや関係者のインタビューは
  4月14日の朝日新聞に掲載された
  「創刊者・大橋鎭子さんを悼む」という記事から
  引用しました。
  いい会社は
  創業者が亡くなってもその意思は継がれるもの。
  雑誌もそうだといえます。
  これからも「暮しの手帖」が
  愛読者のものであることを
  大橋鎭子さんが一番願っているでしょう。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

「暮しの手帖」とわたし「暮しの手帖」とわたし
(2010/05/15)
大橋 鎭子

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sai.wingpen  追悼・大橋鎭子さん - これは あなたの手帖です                   

 最近の女性誌のターゲットは「アラフォー」と呼ばれる世代だという。
 子どもがいても美しさを保ちたい世代、結婚はあきらめて男性と対抗していきたい世代、さまざまあるだろうが、総じて活動的といえる。
 だから、雑誌の購買者として有効なのだろう。
 本屋の店頭はそんな女性誌であふれている。
 そんな中、「暮しの手帖」は創刊以来ほとんどスタイルを変えていない。他の雑誌と比べると、地味である。だが、他の雑誌が真似できないものが「暮しの手帖」にはある。
 昭和23年(1948年)の創刊時に当時の編集長だった花森安治さんは「美しいものは、いつの世でも、お金やヒマとは関係ない」と書いた。必要なのは「みがかれた感覚と、まいにちの暮しへの、しっかりした眼と、そして絶えず努力する手」なのだと。
 その信念が、「暮しの手帖」を支えているといっていい。

 そんな「暮しの手帖」の創業者で社主でもあった大橋鎭子さんが、先月3月23日に93歳で亡くなった。
 本書は大橋さんが90歳の時に書いた自伝である。
 戦後まもない頃、花森安治さんと出会い、「暮しの手帖」を創刊するあたりを中心に描かれている。
 「暮しの手帖」は花森さんという大きな特異があったことは有名だが、大橋さんは社長でありながら花森さんのよき理解者、よき部下として「暮しの手帖」を支え続けたことは間違いない。
 当時の編集者の一人は大橋さんのことを「行動的な人。人の懐に飛び込むのも上手」と評しているが、川端康成の原稿や昭和天皇の長女の東久邇成子さんに戦後の厳しい生活の様子を書かせるなどは大橋さんの性格を知るエピソードだろう。

 先の編集者が「大橋さんは「暮しの手帖」と結婚したのだ」と語るほど、大橋さんの一生は「暮しの手帖」とともにあった。大橋さんにとって、「暮しの手帖」は夫であり、子であり、孫であったのだろう。
 雑誌不振の時代にあって、大橋さんは「暮しの手帖」の行き末を松浦弥太郎さんに託したともいえる。
 松浦さんは大橋さんの訃報に「働き始めた初日の気持ちを毎日思い出して。それが一番、大橋が喜ぶことだと思っています」と語っている。
 大橋鎭子という人も、生涯、「暮しの手帖」を創刊した時のことを忘れなかったに違いない。
 「これは あなたの手帖です」で始まる、一文とともに。
  
(2013/04/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先週の土曜日(4.13)の朝、
  淡路島を震源地とした
  やや大きめの地震が関西でありました。
  たまたま起きて
  テレビをつけると
  地震の震度を示す関西の地図が映ったので
  一瞬阪神大震災の映像かと
  驚きました。
  それに、
  これも偶然ですが、
  4月11日の『震災日録』という本の書評に
  阪神大震災のことから
  書き始めていたので
  ああ、あんなふうに
  書き始めるのではなかったとも
  思いました。
  もう地震で悲しい思いをしたくありません。
  特に今回の場合、
  淡路島や神戸の人にとっては
  そうだったでしょう。
  今日紹介するのは
  東日本大震災の悲しみを描いた
  重松清さんの『また次の春へ』。
  いつもながら、
  重松清さんはうまい。

  じゃあ、読もう。

また次の春へまた次の春へ
(2013/03/09)
重松 清

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sai.wingpen  それぞれの春、それぞれの物語                   

 毎朝定時の目覚まし時計に起こされ、いつもの青信号を渡り、時刻通りの通勤電車に乗る。いくつかの仕事を消化し、時間になれば「お先に、お疲れさまでした」と仕事場を出る。数本のテレビドラマを見ながら夕餉に向かい、寝る前にはネットをのぞく。そして、次の朝にはまた定時の目覚まし時計に起こされる。
 そんな単調な生活であっても、きっと重松清なら一篇の短編に仕上げてしまうだろう。
 どんな人にも、物語はある。
 いつもの青信号にしたって、もしかしたら向こう側から渡ってくるのは、失恋して深酒をした女性かもしれない。
 通勤電車の隣で揺られているのは、昨夜女性をふった青年かもしれない。
 そう思えば、この世界は物語に満ちている。

 東日本大震災という大きな悲しみはたくさんの物語を生みだした。
 瓦礫の前でたたずむ女の子。避難所で走り回る男の子。海に手を合わせる老夫婦。
 被災者ばかりではない。被災者となんらかの関係があった人たちも含め、それぞれがそれぞれの物語をもった。時にそれは、未完という悲しい二文字で終わったとしても。

 本書は、物語作者として名手である重松清ならではの、7つの作品を収めた、東日本大震災への鎮魂の短編集である。
 表題作である「また次の春は」は、東京に住む洋行のもとに北海道のある町から手紙が届くところから始まる。 洋行の両親は震災で行方不明となったままだ。その両親が生前その町にメモリアル・ベンチを設置したと手紙は伝えている。両親の死にピリオドを打てない洋行。それに自身の病気もあり、彼はメモリアル・ベンチのある北海道の町へと足を運ぶ。
 両親が願ったものは、普通にある「また次の春」だったことに、洋行は気付く。
 「おまじない」という短編は、これは他の文庫本にも収録されている作品だが、子どもの頃に一年だけ住んだことのある被災地に思いを馳せる女性の物語。
 ここでも、「次の春」がおまじないのように繰り返される。

 被災地にカレンダーを送る家族の姿を描いた「記念日」という作品で、重松は「「被災地」をくくってはいけない。「被災者」をまとめてはいけない」と書いている。
 ここにあるのは、被災者の物語ではない。それぞれの物語なのだ。
 重松はそのことをもっとも理解している作家の一人だといえる。
  
(2013/04/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  学校が始まって
  ちょうど1週間でしょうか。 
  もうすっかり慣れた子、
  まだ友達できない子、
  さまざまでしょうね。
  特に新小学1年生は
  これからたくさんの人に出会うでしょうが
  外見だけで判断しないように。
  きれいなものだけがよくて
  汚いものが醜いだけではないことを
  知ってもらいたいですね。
  今日紹介する
  やなせたかしさんの
  『キラキラ』は
  そんなことが美しい物語として
  描かれています。
  たくさんの子どもたちに
  読んでもらいたいなぁ。

  じゃあ、読もう。

  
キラキラ (フレーベル館復刊絵本セレクション)キラキラ (フレーベル館復刊絵本セレクション)
(2012/07)
やなせ たかし

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sai.wingpen  怪物はもしかしたら、私たち人間かもしれない                   

 漫画家やなせたかしさんは「アンパンマン」ですっかり子どもたちの人気者になりましたが、『やさしいライオン』といった絵本の名作も手掛けています。
 「アンパンマン」は正義の味方で強いだけではなく、弱っている仲間には自分の頭(もちろん、アンパンですよね)を食べさせるといったやさしい心をもったヒーローだから、いつまでも人気が高いのでしょう。
 絵本の世界でも同じです。

 この『キラキラ』というお話は1975年2月に月刊誌「キンダーおはなしえほん」に初めて掲載されました。絵本になったのは1978年12月。
 今回読んだのは、それを2012年に新装し復刊したものです。
 先にも書いた『やさしいライオン』も1975年ですが、この頃のやなせさんの絵はやさしくて素朴でいいですね。
赤ちゃんのやわらかで丸っこい手のような感じといっていい。お母さんのおっぱいの匂いといってもいいでしょう。

 昔、高い山のふもとにオビエという村がありました。
 この物語はその村に住む、兄のキルと弟のキリの物語です。
 高い山にはキラキラという怪物が棲んでいて、村人たちは恐れおののいていました。
 ある日、暴れん坊の弟のキリがキラキラ退治に山に行ったきり戻ってこなくなります。兄のキルは弟を探しに山へと入り込んでいきます。
 すると、今にも一つ目の怪物キラキラが弟に襲いかかろうとしているではありませんか。
 兄のキルは強く弓をひきしぼります。・・・

 この物語に登場するキラキラという怪物は一つ目の異形です。
 異形だから、人間たちは怖れます。
 でも、キラキラはいうのです。「わたしのうまれたほしでは みんなわたしとおなじかたちです。わたしには あなたたちがおばけにみえます」
 キラキラからみると人間の方が異形。

 キラキラばかりではありません。
 肌の色の違いで差別してきた悲しい歴史を私たちは持っています。
 時代は大いに変化していますが、まだ色々な差別は残っています。例えば、原発事故で福島の人たちはつらい差別にあったりしたのは、ついすこし前の話です。

 キラキラは怪物でがありません。
 怪物はもしかしたら、私たち人間かもしれないのです。
  
(2013/04/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  村上春樹さんの新作
  『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が
  ついに発売されましたね。
  マスコミは大盛り上がり。
  まあ、村上狂騒曲ですよね。
  いずれ、
  このブログでも紹介したいと思います。
  しばし、お待ちを。
  今日は
  中沢啓治さんの『はだしのゲン』7巻めの
  紹介です。
  村上春樹さんの新刊は
  社会現象になりますが
  『はだしのゲン』もたくさんの評価を
  得た作品だといえます。
  ただ、狂騒曲とまではならなかった。
  それは、この作品に限っていえば
  よかったんじゃないかな。

  じゃあ、読もう。

はだしのゲン 第7巻はだしのゲン 第7巻
(1984/01)
中沢 啓治

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sai.wingpen  『夏のおわり』                   

 中沢啓治さんの『はだしのゲン』シリーズは、原爆の悲惨さ戦争の残酷さを描くとともに、たくさんの死も描いています。
 この第7巻でも、ゲンの弟分隆太をはじめとした原爆孤児たちの「お父さん」だった元新聞記者のおっさん(平松松吉というのが名前です)が亡くなります。
 おっさんは原爆の悲惨さを世の中の人に知ってもらおうと死の間際まで文章を書き続けていました。
 ゲンたちはおっさんの原稿を本にしようと奔走します。
 しかし、せっかく本としてできあがったのに、おっさんは死んでしまうのです。

 『夏のおわり』。
 それが、おっさんが書いた本の題名です。
 その本には原爆の悲惨さが嫌という程書かれています。
 ゲンたちがこの本を読む場面では漫画でもかなりキツく描かれています。
 皮膚の溶けた人たち。ガラス片が体全体にささった女性。死んだ母親の乳房を離さない赤ん坊。真っ黒に焼けた家族。
 このシリーズの中でも、その表現は白眉でしょう。
 「なんと人間はおろかなのだ。いつもいつも戦争にあけくれ」て、とおっさんは書いています。そして、「もうそんな世界はおわらせよう。みんなが知恵をかたむけて」と。

 おっさんの死に悲しむゲンに追い打ちをかけるように、母親の死もこの巻で描かれます。
 原爆症です。
 ゲンたち兄弟は余命わずかな母親を京都旅行に連れていくのですが、そこで母親は亡くなってしまいます。
 泣くゲン。それは、原爆を投下したアメリカや戦争を始めた天皇への怒りと変わります。
 母親の亡きがらを背負い、東京に行くのだと叫ぶゲン。
 謝ってもらうのだと怒るゲン。
 もちろん、そんなことができるはずはありません。
 うちひしがれるゲンにやさしかった母親の思い出が語りかけます。
 「さあ元、歩きんさい。自分の足でしっかり大地をふんで進むんよ」

 そうして、ゲンはまた歩き出すのです、はだしで。
  
(2013/04/13 投稿)

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  今回の「百年文庫」の
  第46巻、「」を紹介します。
  今日の書評の冒頭の漢詩、
  うまい具合に
  記憶のはしっこに残っていました。
  確か、そんな漢詩があったなぁと
  思って、ネットで検索。
  検索キーは、
  「春 宵 詩」。
  こういう時は
  ネット検索は便利ですね。
  漢詩の最後に出てくる
  「鞦韆」はブランコのこと。
  「しうせん」と読みます。
  「うらここ」とも。
  春の季語。

   停年の後のことなどふらここに  稲富義明

  どこにでもある遊具ですが
  確かに春の感じがする遊具です。

  じゃあ、読もう。

(046)宵 (百年文庫)(046)宵 (百年文庫)
(2010/10/13)
樋口一葉、国木田独歩 他

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sai.wingpen  春宵一刻値千金                   

 蘇東坡の有名な詩、「春宵一刻値千金、花有清香月有陰」は、春の宵の素晴らしさを詠っている。
 冬の閉ざされた空間から解放される喜びはいにしえからのものなのだろう。
 そういう宵には、美しい文語の名品にふれてみるのも、またいい。
 「百年文庫」46巻めは、「宵」と題され、樋口一葉の『十三夜』、国木田独歩の『置土産』、森鷗外の『うたかたの記』と文語体で書かれた短編三作が収められている。

 現代人はおかしなもので、他の国の言葉を何年もかけて学ぶ一方で古文や漢文は通りすがりに聞きかじった程度ですませている。
 いくらお札の肖像画になったとしても、樋口一葉を読むのはおっくうになる。
 ありがたいことに、この巻では総ルビとなっているので読みやすいが、それがなければまず読むまでに至らない。
 読めば、美しい言葉のリズム、描写の細やかさなど味わえるのだが。

 樋口一葉の『十三夜』は、身分差のある家に嫁いだばかりに夫から虐げられる阿関(おせき)ががまんできずに実家に戻ったところから始まる。つつましい暮らしの父母に泣いて実情を話す阿関。それでも耐えるしかないと説く父。やむなく帰る阿関が出合う、かつての憧れの男。
 あまり灯りのなかっただろう明治の代の、思えば、月あかりに浮かぶ街の一情景ともいえる。

 国木田独歩の『置土産』は、茶店の若い娘を思いながらも戦地に出て一儲けをしようという吉次という青年と、彼のまわりの人々の様子を描いた短編。
 終わり方が突然なのでいささか驚くが、まるで現代文を読んでいるような気さえする。
  

 三作でもっとも読みにくかったのが、森鷗外の『うたかたの記』。
 ドイツでのロマンスを描いたもので、一葉のように日本の風土にあった文章とは言い難いのが、読みにくさにつながっているような気がする。
 この作品は現代文で書かれた方が余韻があったかもしれない。

 冒頭の詩、蘇東坡の終わりは「鞦韆院落夜沈沈」とある。
 昼間にぎやかに揺れていたブランコのある庭に夜の静けさがおちていく、と詠っている。
 これらの三篇の余韻もまた「沈沈」である。
 
(2013/04/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  悲しい記憶はいつまでもひきずるものではない。
  東日本大震災から2年1ヶ月。
  それでも、なんらかの形で被災された人たちへ
  支援したい気持ちは
  うしなってはいけない。
  書評を書くという
  ささやかな形だが、
  悲しくつらい記憶を風化させないために
  私ができること。
  それは続けていきたい。
  先月、サムシングブルーさんから
  カテゴリーを作ってはどうですかという
  コメントをいただいた。
  そこで、「3.11の記憶」という
  カテゴリーを作ることにしました。
  今日紹介するのは
  森まゆみさんの『震災日録』。
  副題に「記憶を記録する」と
  あります。
  大きな悲しみは記録だけでは
  すまないでしょう。
  個々人の記憶は
  そんなに簡単に消えません。
  しかし、当事者ではない人たちの
  記憶はあせやすいものです。
  そのためにも、
  読みつづけていきたいと思います。

  じゃあ、読もう。

震災日録――記憶を記録する (岩波新書)震災日録――記憶を記録する (岩波新書)
(2013/02/21)
森 まゆみ

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sai.wingpen  これで終わりではない。                   

 阪神大震災から18年の歳月が経った。震災直後多くの証言が残され、膨大な記録として残っている。
 その時大阪にいた私にとって、あの日の朝の大きな揺れとともに立ち上がった際に身体を走った不安定感はまだ記憶にある。あるいは、あの日の朝の街の様子、会社の事務所の荒れ方は、まだ目に浮かぶ。
 記憶は薄れてはいくが、いつまでも自身の身の内に残ったままだ。
 その一方で、記録はさまざまな人の記憶を残す手段として残されるが、それはもう自身のものではない。
 東日本大震災から2年を過ぎた今、この本を読んだ。
 「記憶を記録する」という副題のついたこの本は、著者である森まゆみさんの記憶として残るものを記録としてまとめられたものだ。
 あの日、あなたがどこにいたにしろ、目に飛び込んできた光景があるだろう。あの日以降、原発問題を中心に考えてきただろう思いがあるだろう。
 この本に残されたものは読者の記憶ではない。しかし、あの日とあの日に続く日々を生きたものの記録である。

 東日本大震災以降、さまざまなニュースを目にしてきたはずなのに、この本で気づかされたことも多い。
 その一つが、被災した文化財の問題だ。
 著者のいう文化財とは国などによって指定された有名なものだけをいうのではなく、「地域に長く建ち、人々の目底にあり、いろいろな思い出を育んできたものすべて」のことだ。
 それらの多くが、震災後の、たとえば倒壊の恐れありといったもっともらしい理由で、壊されていく実態がある。
 「たてものは古い友だち」という、ワシントンの郵便局にあった言葉を引用し、著者は文化財の保存を訴える。
 そのこと自体は人々の記憶に根ざす問題で、それは記録ではどうしようもできない。写真が残ればいいということではない。

 このことは記録の限界を示しているといえる。
 この本は森まゆみさんの記憶をもとにして記録されたものだ。将来、東日本大震災のひとつの記録として残るだろう。しかし、これは読者の記憶ではない。
 それぞれが自身の記憶をどう残していくか。
 森さんは本文の最後にこう書いている。「これで終わりではない」と。
  
(2013/04/11 投稿)

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  今日は
  『ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。』という
  長い書名の本を紹介します。
  この書名でわかるように
  これはブックガイド。
  ブックガイドとか書評集とかを
  読むと、
  必ず読みたいなと思ってしまう本があって
  この本では
  かつて中学生の頃に読んだ
  ルナールの『博物誌』なんかは
  もう一度読んでみたくなりましたね。
  どうしても
  子どもの頃に読んだ本は
  一度読んだからいいや、みたいな感じに
  なりますが、
  せっかくの名作は
  できれば大人になってからも
  読みたいもの。
  そんなこといえば、
  『十五少年漂流記』とか
  『あしながおじさん』とか
  いいなぁ。
  もう一度、あの頃に戻って。

  じゃあ、読もう。

ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。 (14歳の世渡り術)ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。 (14歳の世渡り術)
(2012/05/19)
雨宮 処凛、新井 紀子 他

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sai.wingpen  おとなのおさらい術                   

 長い書名ですが、読者層を中学生以上とした「14歳の世渡り術」というシリーズの一冊。
 14歳に「世渡り術」を教えないといけない時代なのかとあ然とするが、学校内でのいじめや体罰、家庭内の暴力や孤立などを考えると、それも致し方ないのかもしれない。
 それに、14歳だからといって、明朗快活ばかりではない。
 あの頃だって、死んでしまいたい、と自身思わなかったわけではないのだから。

 そんな14歳にどんな本を読んでもらいたいか、さまざまな分野で活躍している30人の著名人がお薦めの一冊を紹介している、ブックガイドである。
 中学生だけでなく、おとなにも刺激的な本が並んでいる。
 佐藤優氏が紹介しているのが『共産党宣言』(14歳の中学生からすれば、お父さんのお兄さんあたりが夢中に読んだ本です)、石原千秋氏は『タブーの正体!』(まだ「中学生新聞」を読んでいる14歳にいいのかなと思ってしまうが、「ほかの誰も薦めなかったとしても」という本書の趣旨からすれば問題なし)、脳科学の岡ノ谷一夫氏は手塚治虫の『火の鳥』(これは私も高校生の時に読んだ)、詩人の工藤直子氏は『博物誌』(これは中学生の頃、今では懐かしい旺文社文庫で読んだ)といった具合。

 子どもたちはけっして本を読まないわけではない。
 本と出会うのだが、続かないことが多い。
 本当は本が次の本を呼ぶのだが、そのことを実感する前に本を読む習慣をなくしてしまう。
 子どもたちに必要なのは、どう読み続かせるかということかもしれない。
 できれば、シリーズもの、そういえば「ハリー・ポッター」シリーズを薦めている人はいなかったが、そういうシリーズものもいいかもしれない。

 『聖書』を薦めている社会学者上野千鶴子氏はその紹介文の中でこう書いている。
 「まだ世の中に出ていないキミに必要なのは、「世渡り」術なんかじゃ、ありません。時流に乗り遅れまいとするのはおとなにまかせておきなさい」。「大切なのは、もっと根本的な」謎をとくべきだと。
 本当は時流ばかりを追いかけているおとなこそ、この本で紹介されている30冊をおさらい、いえ多分初めて読むのでしょうが、すべきでしょう。
  
(2013/04/10 投稿)

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  今日紹介する
  永江朗さんの『新宿で85年、本を売るということ』は
  日本一の書店、紀伊國屋書店のことを
  描いた作品ですが、
  企業論としても読めるし、
  創業者の田辺茂一さんの伝記のようにも読めるし、
  書店という業界論としても
  楽しめます。
  私のスマホには
  紀伊國屋書店のアプリ「Kinoppy」がはいっています。
  使いやすいかどうかは別して。
  浦和にある紀伊國屋書店
  今や私の本屋さんの定番でもあります。
  さすがにこの本は
  紀伊國屋書店では平台扱いで
  どーんと積まれていました。
  町の小さな本屋さんは
  どんどん消えていますが
  本屋さんは文化の発信基地。
  がんばれ、というエールは
  心からです。

  じゃあ、読もう。

新宿で85年、本を売るということ (メディアファクトリー新書)新宿で85年、本を売るということ (メディアファクトリー新書)
(2013/02/28)
永江朗

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sai.wingpen  本屋さん、がんばれ!                   

 たくさんのポイントカードが流通している。気がつけば、財布から溢れかえっている有り様だ。
 だから、最初のこのお店のカードもいらないと思っていた。それなのに、持ってみようかと思ったのは、カードのデザインに魅かれたからだ。
 シンプルで、懐かしい、デザイン。
 紀伊國屋書店のことである。

 誰にも本屋さんの思い出がある。
 学校の近くにあった小さな本屋さん。駅前のちょっと大きな本屋さん。ショッピングセンターにあったチェーン系の本屋さん。
 私にもある。
 新宿で85年本を売ってきた、書店の老舗紀伊國屋書店の歴史とその特長をまとめたこの本の中でも紀伊國屋書店有数の旗艦店として紹介されているが、大阪梅田にある紀伊國屋書店にはよく行った。
 小さな本屋さんしか知らなかった10代の私にとっては、もう本の森としかいいようがないくらい、広大で深淵で、ここに扱っていない本などないのではないかと感嘆した。
 私にとっては、紀伊國屋書店イコール知、だった。

 大学入学と同時に東京に出てきて、さっそく新宿にある紀伊國屋書店本店に出かけたのは言うまでもない。1970年代が始まったばかりの頃だ。
 けれど、棚の配置やお店の導線などもうひとつしっくりこなかった。
 だけでなく、東京には紀伊國屋書店規模の本屋さんはたくさんあった。わざわざ新宿に行く必要はなかった。
 それでも、紀伊國屋書店は私にとっては書店の雄でありつづけた。

 多くの人にとってもその思いはよく似ているのだろう、だから、一つの書店でありながらこのように一冊の本にまとめられるのだろうから。
 その秘密はもちろん創業者の田辺茂一の個性におうところが大きいが、著者は紀伊國屋書店がレファレンスサービスを大事にしたからと見ている。
 「紀伊國屋書店には入手できない本はない」という「神話」があるそうだが、つまりは、紀伊國屋書店の書店員はすべての本のことを知っているという幻を、お客様はもつということにもつながる。
 その期待に、紀伊國屋書店はよく応えた。
 それが、人気の秘密だと、著者はいう。

 一時期、本のことを全く知らない書店員の質が本屋離れに拍車をかけた。(最近の書店員は熱心だし、本好きの人が多いように思う)
 著者がいうように、「人は本屋に生まれるのではない、本屋になるのである」。
 紀伊國屋書店だけでなく、すべての本屋さんにエールを送りたくなる一冊だ。
  
(2013/04/09 投稿)

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 先週から始まった
 第88作めとなるNHKの連続テレビ小説(通称 朝ドラ)
 「あまちゃん」が、面白い。
 初回視聴率も久しぶりの20%超えだったという。

 物語の舞台は岩手の小さな漁村。
 東京で生まれ育った高校2年のアキが
 母親の春子に連れられておばあちゃんの住むこの村に戻ってきたところから
 物語が始まる。

 さすがクドカン(宮藤官九郎)の脚本は一味違う。
 まず、その軽さ。
 重い軽いというより、すっきりした感じかな。
 ギャグもはまっている。
 朝ドラを見て笑ってしまうのは気分がいいじゃないですか。

 主人公アキを演じる新人の能年玲奈ちゃんもいい。
 この人、きっと回数を重ねる毎に光ってくるタイプじゃないかな。
 それに、なんたってアキの母親春子役の小泉今日子さん。
 18歳の時家出して、24年ぶりに故郷に戻ってきた役なのですが、
 都会に疲れた感じ、かつて村のアイドルだった感じ、
 小泉今日子さんにぴったり。
 でも、絶対いいのが、アキのおばあちゃん夏役の宮本信子さん。
 今回は語りも担当していますが、
 いい味だしています。
 絶品。

 そのほか、アキたちをとりまく脇役陣もいいですね。
 美保純さんが50歳の役どころというのが
 自分の年を忘れてショックでしたが。

 岩手の方言も効いています。
 特に、「じぇ」。
 本当に地元の人は言うのかどうかわかりませんが、
 驚いた時にいうのが、「じぇ!」。
 びっくりした度合によって、

  じぇ!
  じぇ!じぇ!
  じぇ!じぇ!じぇ!

 と変化するらしいのだ。
 これ、きっと流行るなぁ。

連続テレビ小説 あまちゃん Part1 (NHKドラマ・ガイド)連続テレビ小説 あまちゃん Part1 (NHKドラマ・ガイド)
(2013/03/25)
宮藤 官九郎

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 そこで、今日紹介するのが、
 公式ガイドというのでしょうか、
 『連続テレビ小説 あまちゃん Part1 (NHKドラマ・ガイド)』。
 読めば、もっと朝ドラが楽しめます。
 視聴率もはねあがって
 じぇ!じぇ!じぇ!って、
 NHKさんはねらっているのでしょうね。
 
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プレゼント 書評こぼれ話

  今春のNHKの語学学習の目玉は
  なんといっても
  「英語で読む村上春樹」では
  ないだろうか。
  NHKラジオ第2で毎週日曜午後10時50分から。
  村上春樹さんの
  「象の消滅」と「かえるくん、東京を救う」の
  2作品を
  英語版で読もうという試みです。
  こういう番組ができるんだったら
  ぜひ、その逆。
  英語の作品を村上春樹さんが
  どう訳したかも
  やってみたら面白いかも。
  例えば、今日紹介する
  C.V.オールズバーグの『2ひきのいけないアリ』なんかは
  ちょうどいい教材じゃないかな。
  もともとが絵本だから
  そんなに難しい英語は
  使われていないでしょうし、
  長くもない。
  うんうん。
  これ、いい企画だなぁ。
  NHKさん、ぜひご検討を。

  じゃあ、読もう。
  

2ひきのいけないアリ2ひきのいけないアリ
(2004/09)
クリス・ヴァン オールズバーグ

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sai.wingpen  村上春樹は絵本の翻訳も大好き                   

 村上春樹の業績は、短編や長編の小説を書くことにとどまらず、翻訳やエッセイと多岐にわたっています。
 その点では、実にアグレッシブな作家だといえます。
 文章に対して貪欲ともいっていいでしょう。
 絵本の翻訳も忘れてはいけません。
 この作品の著者であるC.V.オールズバーグの作品など、お気に入りの絵本作家の作品の翻訳をいくつも行っています。
 将来、村上春樹の業績がまとめられたら、絵本の翻訳がどういう扱いをされるのか、心配ではあります。
 小説の翻訳とちがって、絵本の場合は原画との関係がありますから。
 これだけの人気作家ですから、どこかの出版社でそういう計画を練っているのなら、今のうちに村上春樹訳の絵本についても考えておいて欲しいものです。

 この絵本は、女王アリの大好物のクリスタルと呼ばれるおいしいものを求めてアリたちが長い旅をする様子を描いています。
 たどりついたのは、人間の家。
 クリスタルはどうやら砂糖らしい。
 働きアリの集団から、「2ひきのいけないアリ」(集団の中にはこういういけないものが生まれるものです)が、砂糖に目がくらんで人間の家に居残ってしまいます。
 朝目覚めると、さっそくコーヒーの池に沈められたり、パンといっしょに焼かれたり。
 「いけない」ことをすれば、それなりに過酷な運命がまっているのが世の常。
 さて、「2ひきのいけないアリ」は無事仲間たちのところに戻れるでしょうか。

 オールズバーグの絵がなんともいえないくらいいい。
 原語と日本語の間にどれくらいのちがいがあるのかわからないが、村上春樹の訳も流暢で、しかも「いけないアリ」の焦る気持ちがよく出ています。
 こういう翻訳をしている時は、楽しんだろうなあ。
 それに、アリの視点になった時、普段目にしないことが見えてきたりして、短編小説とか長編小説を書く上で、とっても参考になっているのではないかしらん。

 村上春樹のメタファーの巧さは案外こういうところがヒントになっているのかもしれません。
  
(2013/04/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は、昨日のつづき。
  村上春樹さんの『海辺のカフカ』の下巻の
  蔵出し書評です。
  自分としても
  久しぶりにこの書評を読み返したのですが
  なんだか、もう一度『海辺のカフカ』を
  読みたくなっちゃいました。
  この書評を読むと、
  面白そうじゃない、って思っちゃいました。
  自分でいうのも
  変ですが。
  書評を書いていると
  そのタイトルに気を使います。
  この『海辺のカフカ』は
  タイトルが先にできて
  中身はあとにできました。
  私の場合、そういうことって
  結構あります。
  さて、来週の金曜発売の
  村上春樹さんの新刊
  『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は
  一体どんな物語なのでしょう。
  今からワクワク。

  じゃあ、読もう。

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
(2005/02/28)
村上 春樹

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sai.wingpen  おいしいねじりパンの作り方、つづき。                   

 村上春樹の『海辺のカフカ』の上巻の書評で「ひとつの長い物語になっていく。ちょうどねじりパンみたいに」と書いた。
 僕としては、この「ねじりパンみたい」という表現が割りと気に入っている。
 「ねじりパン」という言葉が頭に浮かんだ時に書評が書けると思ったぐらいだから。
 あの書評を書いて二日ほど経ったが、もう少し修飾した方があの作品をもっと的確に評すことができたかもしれないと思っている。
 例えば「ひとつの長い物語になっていく。ちょうど三日前に近所のローソンで買ったねじりパンみたいに」と。

 村上文学の大きな特徴はこの比喩の使い方のうまさにある。
 試みにこの上下2巻の任意のページを開いてみよう。
 十五歳の田村少年が実の姉かもしれないさくらさんの家にかくまわれて、彼女と一夜を共にする場面(上巻)。田村少年はさくらさんの裸を想像してしまう。
 「<さっきから想像するのをやめようと思ってるんだけど、どうしてもやめられないんだ><やめられない?><テレビのスイッチが切れないみたいに>」。
 次に十五歳の田村少年が実の母かもしれない佐伯さんと一夜を共にする場面(下巻)。
 禁断のセックスのあとで。「でもなにを言えばいいのか、君にはわからない。ことばは時のくぼみの中で死んでしまっている。暗い火口湖の底に音もなく積もっている」。

 こういった文章のうまさがムードとなって村上春樹ワールドを築いている。
 読み手が思わず膝を叩いてしまう表現方法は、村上春樹が太宰治的書き手に近いことを証明しているように思える。
 つまり、自分(読み手)のことをこの人(書き手。ここでは村上春樹)が一番わかってくれている、という明白な誤解を与えてしまうということで。

 しかし、村上春樹は比喩を否定はしない。むしろ積極的に表現しようとさえしている。
 それが、長い物語の最後の、こんな言葉に表現される。

 「世界はメタファーだ、田村カフカくん」(下巻)。
  
(2002/10/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日、4月5日の金曜日は
  どんな日かご存知ですか。
  村上春樹ファンならよーく知っていますよね。
  村上春樹さんの念願の新作
  『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の発売
  1週間前なのです。
  なーんだといいました?
  そんなこといったら、
  村上春樹ファンに叱られますよ。
  文藝春秋さんにも叱られますよ。
  全国の本屋さんにも、です。
  それほど待たれた新作です。
  だから、今から準備運動をしておかないと。
  ということで、
  今日と明日は
  村上春樹さんの『海辺のカフカ』を
  蔵出し書評で紹介します。
  「おいしいねじりパンの作り方」というのは
  とっても気に入っている
  書評タイトルなんです。

  じゃあ、読もう。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
(2005/02/28)
村上 春樹

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sai.wingpen  おいしいねじりパンの作り方                   

 村上春樹の『海辺のカフカ』を、ゆっくりと時間をかけて読んだ。
 パン生地がふっくらと焼きあがっていく時の暖かな匂いが身体の隅々に染み込んでいくような、読書の時間を過ごした。
 そして、たぶん、僕は少し無口になった。

 章立てされた物語のストーリーを語ることに意味はない。
 奇数章は記憶を求める<田村カフカ>という十五歳の少年の、偶数章は記憶を失った<ナカタさん>という初老の男の物語である。
 具象と抽象。現実と夢。癒しと暴力。
 ふたつの物語は、それぞれにねじれて絡み合う。そして、ひとつの長い物語になっていく。ちょうどねじりパンみたいに。

 できあがったねじりパンには、ふたつの材料が使われている。
 ひとつは哲学の方法である。
 ここでいう哲学とは、生きていくための技術みたいなものだ。
 長い物語の中で交わされる登場人物たちの多くの会話は、ソクラテスの対話法の実践ともいえる。鷲田小弥太の『はじめての哲学史講義』によると「ソクラテスの対話法は、説得術であるとともに、真の認識へと人々を誘う教育術でもある」という。
 特に奇数章で語られる多くの会話が、十五歳の少年が未来に向けて生き続けるための教育術であるといえる。
 物語を読み終えた時、僕たちは生きることの意味を、少し考えている。

 もうひとつの材料は、村上春樹流の比喩の使い方である。
 直喩と隠喩。多くの比喩が対話法の哲学の狭まで、パン生地を膨らませるためのイースト菌の役目を担っている。
 これがあればこそ、物語は豊かで柔らかに完結しているといえる。困難な主題が多くの人たちに読まれるのは、この材料の力が大きい。

 村上春樹はこの長い物語の最後にこう書いた。
 「本当の答えというのはことばにできないものだから」(下巻)
 もう十五歳の少年ではない僕にとってできあがったねじりパンは少しつらい味だった。
 ことばにされない答えを見つけるのに、僕はやや年をとりすぎたかもしれない。
  
(2002/09/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  週刊誌はあまり読みません。
  せいぜい、電車の吊り広告で面白そうな案内が
  出ていたら、
  帰りにコンビニで立ち読み程度。
  今日紹介するのは
  「週刊新潮」の人気記事「黒い報告書」から
  17編を集めた傑作選、
  『黒い報告書 インモラル』。
  「週刊新潮」のこの記事のことは
  以前から知っていますが
  病院の待合室で読んだ程度かな。
  そういえば、週刊誌って
  病院の待合室で読むのに
  ちょうどいい時間にできあがっているのかな。
  理髪店、銀行なんていうのも
  いい。
  診察を受ける前に
  「黒い報告書」は刺激的すぎるかな。
  ちょっと時間つぶしに
  ぴったりの一冊。
  これ、褒め言葉ですよ。

  じゃあ、読もう。

黒い報告書 インモラル (新潮文庫)黒い報告書 インモラル (新潮文庫)
(2013/01/28)
「週刊新潮」編集部

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sai.wingpen  浜の真砂(まさご)は尽きるとも・・・                   

 新聞の社会面のことを「三面記事」というが、あれは新聞ができた明治の頃の名残。
 もともと、一面二面に政治・経済という硬い記事があって、三面(当時は四面でおしまいだったのでしょう)は社会ダネの、殺人とかそのあとの逮捕とか逃亡とか誘拐とかの記事でできあがっていた。
 「三面記事」だけみると、世の中に殺人とか強盗とかのなんと多いことでしょう。
 でも、新聞に書かれているのは起こった事実だけ。これに「愛欲に溺れて」なんて付けば、これは週刊誌の世界。

 興味本位というかやじうま根性というか、人はこの「三面記事」が大好きです。
 1970年代中頃、テレビで人気を博した「ウィークエンダー」という番組は、それこそ「テレビ三面記事」と冠がついていた。
 新聞や週刊誌にマネのできない映像と語りを駆使したのが画期的でした。
 現代のワイドショーはあそこまで徹底していませんが、どちらかといえばその系統に属しています。
 週刊誌でいえば「週刊新潮」の「黒い報告書」は老舗。
 「男と女の愛憎や欲をめぐって起きた現実の事件を読み物化」したもので、1960年に連載が始まったのですから、「ウィークエンダー」なんて目じゃない。
 しかも、今も連載は続いているのですから、石川五右衛門ではないが、「浜の真砂(まさご)は尽きるとも・・・」である。

 「インモラル」と付けられたこの本では、最近の連載物から特に刺激的で愛欲の溢れたもの17編を収録している。
 この人気連載の特長は、有名な作家たちもその執筆に関わっていることだ。
 本書でいえば、『メディアの興亡』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した杉山隆男とか山本周五郎賞を受賞している岩井志麻子とか、こんな人がエロチックな性愛の情景を書いているのだから、読み物としてしっかりしているのが、長期連載を支えているのだと思う。

 それにしても、人の記憶というのは移ろいやすい。
 ここに紹介されている事件はきっと目にしたはずなのに、新聞がどのように伝えたかさっぱり覚えていない。
 きっと、忘れてしまわないと、頭の中が浜の真砂で砂漠化してしまうのだろう。
  
(2013/04/04 投稿)

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  昨日、沢木耕太郎さんの
  『キャパの十字架』という本を
  紹介しましたが、
  もちろんキャパというのは
  世界的に有名なカメラマン。
  そこで、
  今日はこちらも世界的に有名な
  アラーキーこと荒木経惟さんの
  『いい顔してる人』を
  紹介しますね。
  この本は写真集ではありませんが、
  まず表紙の裸の母子に魅かれました。
  むむむ。
  どんな本だろうって感じ。
  荒木経惟さんは
  人間で唯一裸なのは顔だって書いています。
  時に覆面をすることはありますが
  基本、顔はいつも裸。
  もっともです。
  だから、その人の表情が
  出やすいのでしょうね。
  最近はスマホで写真を撮る人も
  多くなりましたね。
  昔は高級品だったカメラが
  そうやって誰でも写せるのって
  いいことだと思います。

  じゃあ、読もう。

いい顔してる人いい顔してる人
(2010/05/19)
荒木 経惟

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sai.wingpen  写真という愛                   

 「写真は嘘をつく。」
 これは、沢木耕太郎の新刊『キャパの十字架』に出てくる文章だ。
 写真家荒木経惟の「いい顔」についてのエッセイであるこの本には、「嘘つきとは写真」という一節がある。実際の写真家がいうのだから、間違いはない。けれど、荒木はこう続ける。
 「写真とは愛であり、信じる力なんだよ」と。
 愛のために嘘が必要な時はいつもある。
 きれいに撮ろうとするのは、愛のため。
 どこかに普段以上にという嘘がある。

 天才アラーキーという異名やヌード写真にも高い評価があって、変わり者という印象が強い荒木であるが、彼の写真は実にナイーブだ。
 発言があまりにハチャメチャだから誤解を招くが、よく読むと照れ隠しとしか思えない。
 少なくとも荒木は写真家だから、荒木の本性は写真によく出ている。
 けれど、この本のように活字となった荒木の発言にもナイーブは見え隠れする。

 表紙の写真もそうだが、裸の母と子の姿を写した「母子像」に感動すら覚える。
 裸であることに照れも恥ずかしげもなく、どうして母たちはこんなにも「いい顔」をしているのだろう。
 荒木ならオレの腕前がいいからぐらいはいうだろうが、確かにそこに「愛」を感じる。
 子どもに対する「愛」や写真家に対する「安心」が、彼女たちを「いい顔」にしているとしか思えない。

 「周りの人や、隣の人が、顔をつくってくれてるんだよ」と、荒木は言う。
 つまりは、「いい顔」は周りにとても影響されやすいということだし、人間は所詮一人で生きていけない社会的な動物であれなら、他との関係性の中でよくもなり悪くもなるということだ。
 写真を撮る際に「チーズ!」といって笑顔を強要するが、そんなことでは「いい顔」なんて実際には撮れはしない。
 「いい顔」を撮りたかったら、撮られる側と撮る側に「愛」が必要だ。

 今の自分の生き方が「いい顔」になっているだろうか。
 そんなことを自問しながら、この本を閉じた。
  
(2013/04/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  沢木耕太郎さんの野心作『キャパの十字架』。
  沢木耕太郎さんの本を読みだして
  もうすぐ40年近い時間に
  なろうとしています。
  これほどに
  付き合いの長い、
  といっても書き手と読み手という関係ですが、
  作家はあまりいません。
  それほど好きな作家の一人です。
  もう少し前は
  もっと好きでしたね。
  本屋さんで
  沢木耕太郎さんの本が並ぶと
  まず買っていましたからね。
  沢木耕太郎さんは
  それほどとてもかっこよかった。
  私たちの世代は
  沢木耕太郎ファンって多いのではないでしょうか。
  
  じゃあ、読もう。
  

キャパの十字架キャパの十字架
(2013/02/17)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  「視るだけの者」                   

 写真は正直だ。
 あるがままの表情なり風景が一瞬に閉じ込められる。その一方で、「写真は嘘をつく」。
 戦争カメラマンとして今でも人気の高いロバート・キャパがスペイン戦争時に撮ったとされる一枚の写真、「崩れ落ちる兵士」の真贋をめぐっての力作ノンシクションである沢木耕太郎のこの作品の中にも、そういった事例が紹介されている。
 しかし、写真に罪はない。
 写真は嘘をつかない。その写真を見る私たちが意図的に歪めてしまうだけだ。
 あるいは、本作のテーマである「崩れ落ちる兵士」をめぐっての撮影者論議にように、カメラのファインダーをのぞくものたちの心の方向の問題だと思う。

 たった一枚の写真に、沢木は何故こだわり続けたのか。
 ページを読む進むたびに、この疑問が繰り返し頭をよぎった。
 沢木は学生時代にキャパに興味を持ったという。その後、自身がフリーランスの書き手になると、キャパの中に「同じ「視るだけの者」としての哀しみ」を見出し、キャパに同じ匂いを嗅いだ。
 だから、キャパの伝記を翻訳したのも、沢木にとっては一つながりの地平の出来事だったといえる。
 貧しい写真家から人気フォトジャーナリストになるきっかけの一枚「崩れ落ちる兵士」に常に真贋問題がつきまとっていることを知ってもいた。
 当然、そのことの多くの論考や考証がなされてもいる。
 しかし、沢木はそれだけでは納得しなかった。ノンフィクション作家としての血がそうさせたともいえるし、行動派作家としての熱がそうさせたともいえるが、自身の足で、キャパがどこで何を撮ろうとしたのかを探し始める。

 けれど、やはり沢木がここまでこの一枚にこだわる理由がすっきりとはいった訳ではない。
 この一枚にこだわる理由が、沢木の中になかったか。
 例えば、この一枚がなければ、キャパはキャパになりえなかったかもしれない。少なくとも、歴史に刻まれる写真家とはなりえなかった可能性はある。
 人はどのように生まれ、変態し、成長し、やがて終えていくのか。
 すでに若くはなくなった沢木にもそうして振り返る時間が必要だったのではないだろうか。
 戦後のキャパには「偉大なキャパ」という物語を生きることへの疲労感のようなものがあったのでは、と沢木はいう。
 沢木もまたこの作品を描くことで、「若き旗手」としての自身の物語を振り返ろうとしてような気がする。
  
(2013/04/02 投稿)

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  今日から4月

   人の上に思ひおよべば四月来る  榎本好宏

  今年は暦めぐりもよくて
  今日は月曜日。
  一週間の始まりからスタートです。
  今日から社会人になった皆さん、
  おめでとうございます。
  今日が入社式という人も多いでしょうね。
  学生の時とは
  まったく違った生活になると思いますし、
  会社の方もそれでは困るわけです。
  嫌になったら
  辞めればいいや、なんていうのも
  なしですよ。
  定年まで勤めないといけないことは
  ありませんが、
  初めてはいったところでは
  しっかり腰を落ち着けて下さいね。
  もっとも、今日紹介する
  小宮一慶さんの『ブレない上司になるたった1つの習慣』に出てくる
  リーダーじゃなかったら
  スタコラサッサと出てしまうのも
  方法ですが。
  私からのお願いは一つ。
  社会人になっても
  しっかり本ぐらいは読んで下さい。

  じゃあ、読もう。

ブレない上司になるたった1つの習慣 (青春新書PLAYBOOKS)ブレない上司になるたった1つの習慣 (青春新書PLAYBOOKS)
(2013/02/02)
小宮 一慶

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sai.wingpen  今でしょ!                   

 昨年(2012年)のデータですが、産業能率大学が実施した「新入社員」への調査で、最終目標を「社長」とした人が、14%しかいませんでした。
 もっとも多かったのが「地位に関心がない」で4割近い。その次が「部長」で、2割強。
 「地位に関心がない」というのはいいことなのか悪いことなのか、少なくとも「部長」や「社長」にステイタスを感じないのでしょうね。
 逆に責任が重くなるのを嫌がる人も多い。
 それに、身近にそういう地位でモデルとなる人が少ないせいかもしれません。

 少なくともよく目にする政治家たちに、しっかりしたリーダー力をもった人が最近いなかったのも事実でしょう。
 リーダーとしての資質を持たないまま、地位にばかりこだわる人たち。
 ああいう人たちを見ていると、嫌になりますよね。
 「組織はリーダーの器以上には決して大きくならない」という言葉がありますが、近年のこの国はまさにその状態でした。
 会社にもそれはあてはまります。
 そういうリーダーがよく口にするのが、うまくいかない理由を部下の力不足だということ。
 そういう前に、まずご自身の力不足を疑ってみてはいかが。

 経営コンサルタント小宮一慶さんはこの本の中で「強い会社には、ブレないリーダーが必ずいる」と書いています。
 そういうリーダーには共通する特徴があるともいいます。
 例えば、「人をほめるのがうまい」であるとか、「素直である」とかといったもので、この本の中では「9つの特徴」としてまとめられています。

 会社にはいると、さまざまな人との出会いがあります。
 すべてがいい上司や仲間とは限りません。
 「ブレない」人などはほんの一握りかもしれません。でも、そんな人をマネする必要はありません。
 うまい汁を吸っていることをうらやむこともないでしょう。
 人間としての品格が一番大事なのですから。
 少なくとも、これから社会人になる人にはそんな人にはなって欲しくありません。

 この本をいつ読むか。
 いま流行(はやり)の言葉でいえば、今でしょ!
 
(2013/04/01 投稿)

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