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プレゼント 書評こぼれ話

  今日も漫画の紹介です。
  大島弓子さんの『グーグーだって猫である』。
  きっと、
  何をいまさらとお怒りの猫ファンの方が
  多いと思います。
  それほどこの漫画の人気は
  高いのです。
  でも、女性の人はいいですね。
  漫画の世界でも文学の世界でも
  いまやリードしているのは
  女性たち。
  おそらく女性の感性は
  この時代にあっているのだと思います。
  それにしても、猫。
  きっとこの漫画を読んで
  涙した猫ファンも多いでしょうね。
  なぜ、涙したかは
  猫ファンに聞いてみないと
  わかりませんが、
  猫ファンには泣ける要素満載では
  ないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

グーグーだって猫である1 (角川文庫 お 25-1)グーグーだって猫である1 (角川文庫 お 25-1)
(2008/06/25)
大島 弓子

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sai.wingpen  女性作家たちが夢中になる秘密                   

 人には猫派と犬派がいるらしい。
 最近猫派のがんばりが目につく。キャットカフェなるものも街にはあるときく。
 もちろん、当然私のようにどちらも苦手という人もいて、そういうものからすれば、猫にしろ犬にしろどうしてそこまで感情移入できるのか不思議でしょうがない。
 そんな人間がどうして漫画家大島弓子が愛猫グーグーとの心温まる生活をコミカルに、そしてかなりまじめに描いたコミックエッセイを読みことになったかというと、実力人気ともに高い女性作家たち、特に江國香織とかよしもとばなななどが、このコミックエッセイに一目置いているようなのだ。
 もしかしたら、このコミックにこそ、女性作家たちの元気の秘密が隠されているのではないだろうか。

 少女漫画の世界には「24年組」と称される漫画家たちの集団がある。
 萩尾望都や竹宮惠子、山岸凉子といったメンバーだ。大島弓子もその中の一人。
 彼女たちの特長は漫画の技法だけでない。
 従来の少女漫画がお伽噺的な童話の世界と表現すれば、シニカルに現実を見つめた文学指向だといえる。それさえ超えるSF的世界も、彼女たちはいとも簡単に実現した。
 それは、いまの女性作家の状況ともよく似ている。
 かつてわざわざ「女流」と付けざるとえなかった程、文壇は男性社会だった。先駆者である岡本かの子や林芙美子たちの苦労は並大抵ではなかっただろう。
 先にあげた江國香織やよしもとばななだけでなく、いまは女性作家の方がかつて文学が彷徨していた世界を具現化する実力に長けているように感じる。

 猫といえば、有名な内田百閒の『ノラや』があるが、愛猫ノラの失踪にうろたえ涙する百閒先生に比べて、大島は13年一緒に暮らしたサバという猫の死に後悔はするが、ここには過剰な湿り気はない。
 やがて、グーグーという猫と出会い、さらには迷い猫ビーまでも飼いだす。大島と彼らの関係は愛情が深いにも関わらず、べとつかない。
 そのことで、読者が容易にその世界にはいれるともいえる。

 この作品のさらり感が女性作家たちはお気にいりなのかもしれない。
 いやいや、グーグーの可愛さは猫好きだけでなく、女性作家好きの読者もはまりこんでしまいそうだ。
  
(2013/05/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日ブルボン小林さんの『マンガホニャララ  ロワイヤル』を
  紹介しましたが、
  その中でもこの『はだしのゲン』のことが
  少しふれられています。
  だから、あらためて書くのですが
  漫画の力はすごいですよね。
  きっとこの『はだしのゲン』も
  漫画だったから
  たくさんの人に読まれつづけているのでしょう。
  長いシリーズも今回が9巻め。
  残すところ、あと1巻となりました。
  ゲンたちがどうなるのか
  私は知りません。
  そういう楽しみは
  ちゃんと取っておいた方がいいですよね。
  ところで
  コソッと書いておきますが
  この『はだしのゲン』には
  戦後はやった? 春歌が
  けっこう紹介されています。
  そちら方面に興味のある人は
  ぜひ。

  じゃあ、読もう。
  
はだしのゲン 第9巻はだしのゲン 第9巻
(1984/12)
中沢 啓治

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sai.wingpen  漫画だから為し得たこと                   

 1972年生まれの漫画評論家ブルボン小林は、『はだしのゲン』が小学校の図書館に置かれていたことを記憶している。その上で、原爆漫画といわれるこの本を「原爆のことはどうでもよいが漫画は嬉しいから読んだ」と、「漫画への無闇な渇望」を吐露している。
 それをもって不謹慎ということはできない。だって、相手は小学生の子ども。ただひたすらに漫画を読みたいと思ってもそのことを責めることはない。
 中沢啓治もそのことを理解しなかったはずはない。
 『はだしのゲン』の表現方法は発表当時の劇画調そのまま、つまりは漫画そのものだし、主人公ゲンの弟分隆太のコミカルな性格は漫画ならではのものだといっていい。

 第9巻ではゲンの仲間の一人夏江の死が描かれる。
 この長編漫画では一体何人の死が描かれてきただろう。その都度ゲンは悲しみにくれるが、それでもへこたれない。
 踏まれても踏まれても立ち上がる麦のように、ゲンは歩きつづける。
 夏江の死の挿話からゲンの明日につながる物語が始まる。
 それは、看板描きとして、絵画に目覚めていくゲンの姿だ。
 ゲンの絵の師匠となる男から教えられ感銘を受ける「芸術に国境はない」という言葉は、この漫画が後に世界各国で出版されたことを思うと、作者の中沢がもっとも願ったことの一つだろう。

 かつて「漫画なんか」と蔑視されることもあったこの国で、今や国際的にも高い評価を得る漫画という表現。
 この表現方法があったおかげで、どんな文学や絵画よりも後世に残る、原爆への怒りと警告を中沢は成しえたといえる。

 漫画が読みたくて『はだしのゲン』を手にしたブルボン小林は、それでも「僕に形成された原爆への認識や恐れの気持ち」はこの漫画が基調となっている、という。
 漫画が読みたかっただけの少年の心に、やはり重いものを残した『はだしのゲン』は、これからも漫画として読まれつづけるものであってほしいと願う。
  
(2013/05/30 投稿)

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  最近漫画雑誌をほとんど読んでいないなぁ。
  サンデー、マガジン、それにジャンプ。
  ビッグコミックもモーニングも。
  だから、最近人気の漫画は
  ほとんど知りません。
  反省しています。
  そこで、今日は
  ブルボン小林さんの漫画評論
  『マンガホニャララ  ロワイヤル』を
  紹介します。
  表紙は手塚治虫さんの「ブラックジャック」の
  人気キャラクター、ピノコ。
  これがわかれば
  少なくともかつては漫画少年だと
  わかりますかね。
  そういえば、
  あの水木しげるさんの全集が
  6月3日から刊行されるようです。
  まさにじぇじぇじぇじぇ!
  ちがった。
  ゲゲゲ!

  じゃあ、読もう。

マンガホニャララ ロワイヤルマンガホニャララ ロワイヤル
(2013/04/16)
ブルボン小林

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sai.wingpen  「クールジャパン」は漫画から                   

 最近「クールジャパン」という言葉をよく耳にする。
 クールビズ運動の新たな取組みのことでない。日本の文化面の取り組みが国際的に高く評価されていることを指すらしい。ゲームソフトやアニメ、もちろん漫画も、である。
 ものづくりだけが日本を支えているのではない。漫画も今や日本を代表する文化なのだ。
 その漫画を、まじめに(?)論じようというのが、ブルボン小林(この名前がすでにまじめを逸脱しているともいえなくもないが)の、漫画論であるこの本だ。
 しかも、第二弾らしく「ロワイヤル」(フランス語では「王の」という意味らしいが、ここではきっと「いいものでっせ」みたいな感覚で付けられていると睨んでいる)となっている。

 ブルボン氏(あるいは、小林氏)も「あとがき」で書いているが、この漫画評論では「漫画は○○だ」の書き出しが多い。
 一例をあげれば、「漫画はウソだ」「漫画は笑える」「漫画は儲かる」となる。
 そのことを「短い言葉の言い切りで、少しでも注意を引こうとしたのだ」と、ブルボン氏(あるいは、小林氏)は言うが、これはご謙遜。それぞれの評論(ちなみに著者は「コラム」と書いている)は、漫画を的確に捉えている。もしかしたら、「クールジャパン」もまた、冷静にみているともいえる。
 「クールジャパンはウソだ」「クールジャパンは笑える」「クールジャパンは儲かる」。
 これは、あまりにも過大評価かも。

 書き出しだけではない。かつてブルボン氏(あるいは、小林氏)は「漫画は絵と文字だ」と言い切ったことがあるが、同じように漫画の本質をとらえた言葉も、この本には散りばめられている。
 そのひとつ、「何でも漫画になる」は、伝記や事件、小説の漫画化といった事例をひくまでもない。
 これこそ、「クールジャパン」の本質だと思うが、今まで活字に頼っていたさまざまなことを日本発のソフトコンテンツが一気に表現の場を広げたといえる。
 漫画で経済を学び、漫画で道徳を学び、漫画で友情を学んだ世代が増えている。

 「クールジャパン」をこれからの日本の柱にしていくのであれば、もっとブルボン氏(あるいは、小林氏)のような、まじめな? 漫画評論がでてきてもいいのではないか、と、これは期待も込めて書いておく。
  
(2013/05/29 投稿)

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  今日は五百田達成さんと堀田秀吾さんお二人の共著となる
  『子猫と権力と×××』を紹介します。
  この本は
  クロスメディア・パブリッシングNさんから
  献本されたもの。
  最初送られてきた時は、
  この書名では何の本なのかわかりませんでした。
  とっても簡単にいえば
  自己をどう変えていくか、の
  自己啓発本といえます。
  さて、書名の「×××」ですが、
  最初の段階では「おっぱい」だったそうです。
  でも、世の中には「おっぱい」恐怖症? みたいな人が
  たくさんいるようで
  それでは書店に並べにくいとか
  なったそうな。
  この本に「おっぱいと口にできるか」という
  著者たちの独自調査では
  関西の人はけっこう言えるそうです。
  私も関西人。
  「おっぱい」なんて平気で口にできます。
  そんなことを自慢している場合ではない。
  クロスメディア・パブリッシングのNさん
  献本ありがとうございました。
  読むのが遅くなってごめんなさい。

  じゃあ、×××。

子猫と権力と×××~あなたの弱点を発表します子猫と権力と×××~あなたの弱点を発表します
(2013/03/13)
五百田 達成、堀田 秀吾 他

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sai.wingpen  そういえば、伏せ字に弱い                   

 「弱い」という言葉を辞書で調べると、第一番めの「力や技が劣っている」と出てくる。反対語はもちろん「強い」である。
 この本は「人間の弱さ」をテーマにしているが、ここでいう「弱さ」はその意味ではなく、「心がぐらつく」ことを指す。ブランドに弱い、とか女性に弱いとかいう、あれだ。
 本書にはこうある。「なんだかよくわからないけど、心が動かされてしまうこと」。

 本書のタイトルをみて、まず首をかしげるだろう。
 『子猫と権力と×××』。なんだ、この「×××」って。
 昔伏せ字というのがあったが、表紙のタイトルもなんだかそれっぽい。何が隠されているのか。
 答えをいってしまうと、「おっぱい」である。
 つまり、「子猫」にしろ「権力」にしろ「おっぱい」にしろ、これらに弱い人ってたくさんいる。この本にはそういった心を惑わすものとどう付き合い、克服していくかがアドバイスされている。
 でも、「おっぱい」を伏せ字にするほどのこともないと思うが、そのあたりの著者たちの苦悩? は本書を読んでもらいたい。

 本書にはさまざまな「弱さ」が載っている。
 タイトルにそっていうと、「子猫」。もっと広くいえば、猫全般。
 愛猫を溺愛している人は多い。○○ちゃんと、必ず「ちゃん」をつけるのはその一例。そのうちに、「子猫」ちゃんが絶対化され、家族以上に愛情がそそられていく。
 それが悪いとは、本書には書かれていない。ただ「弱さの裏には「理由」があることを知る」ことが肝心だとある。
 「権力」に弱い人は、会社で働いている人なら、すぐに頭に浮かぶ人がいるくらい、たくさんいる。 
 社長の前だと何もいえなくなったり。肩書きを必要以上に強調したり。
 「役割」と「人柄」が別だとわかっていない、とこの本にはある。

 まず大事なことは、自分はさまざまな場面で「弱さ」をもっているという自覚をすることだ。
 そうすれば、「弱さ」にはまりこむことは少なくなる。さらに、その「弱さ」をプラスの方向に導く変化がでてくる。
 さて、自身のことであるが、何に弱いかといえば、やっぱり「×××」と伏せ字にしておく方がいい。
  
(2013/05/28 投稿)

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  今日の書評は
  今までにないパターン。
  街に飛び出して、本を読もう
  みたいな内容。
  おおげさかな。
  紹介する本は
  平松洋子さんの『ステーキを下町で』。
  で、街に飛び出してということですが
  この本の中で紹介されていた
  赤羽
  北区赤羽にある大衆酒場「まるます屋」に
  行ってきたのです。
  はたして、平松洋子さんの書かれている内容に
  疑わしい点はないか、過大な表現になっていないか。
  行ってみてびっくり。
  このお店、平松洋子さんが書いているように
  昼間から満席。
  行列までできています。
  元気のいいおばちゃんがいて、
  みんな笑顔、笑顔。
  酒場にしては明るい。
  いいなぁ。こんな飲み屋さん。
  私が注文したのは
  生ビールと鯉の洗い。
  これも平松洋子さんと同じもの。
  こんなおいしい書評もいいものですね。
  この本の中で
  平松洋子さんが旅について
  こんなことを書いています。
  
    旅は「せっかく」でできている

  これは名言。

  じゃあ、読もう。

ステーキを下町でステーキを下町で
(2013/02/24)
平松 洋子、谷口 ジロー 他

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sai.wingpen  一見に如かず                   

 東京北区赤羽にある大衆酒場「まるます屋」に行ってきました。土曜のまだ3時前。こんな時間にお酒なんて飲んでいいのでしょうか。
 あれ?  これって書評ですよね。居酒屋レポートじゃないですよね。なんて思った方、あわてない、あわてない。これ、ちゃんとした書評ですから。
 昼下がりの時間なのに、もう店内はいっぱい。さすがだ。
 なにしろこのお店は「朝から酒飲みてえ」という先代の意向で朝の9時から開けているのです。
 だとしたら、酔っ払いばっかし? とんでもない。このお店には「お酒類1人3本まで」という「お約束」があって、皆さん、楽しくお飲みになっています。
 しかも、女性客も多いではありませんか。
 さては、平松洋子さんの『ステーキを下町で』をお読みになったか。それも、違う。ただただ「まるます屋」のファンの皆様とお見受けしました。

 朝から開いている大衆酒場「まるます屋」のことは、エッセイスト平松洋子さんの『サンドウィッチは銀座で』に次ぐ、味めぐりエッセイの第二弾のこの本の「朝の大衆酒場、夜はスナック」に紹介されています。
 この本、味めぐり、旅行案内だけでなく、東京駅内に出現した名店街やあの「餃子の王将」といったホットスポットまで網羅されていて、さすが平松さん、文章だけでなく、取材対象にも心配りが感じられます。
 今回も谷口ジローさんのいい画が添えられていて、さらに食欲がそそられるのです。

 でもさすがに豚丼を食べに帯広には行けず、黒豚恋しくても鹿児島は遠く、ああでもこの本に紹介されているあの味この味、せめて一品でも食したい。
 この本を読めば、誰でもそう思うはず。舌がむずむずするのです。
 それもこれも平松さんの文章のなせるわざ。
 ならば、赤羽はどうだ。これなら途中下車して行けます。できたら、平松さんが行ったのと同じ時刻がいいということで、冒頭の文章に戻ります。
 食するのは、「酢味噌をつけてつまむと、いましも天国に招き入れられた心地に包まれる」と、平松さんおすすめの鯉の洗いにしましょう。
 生ビールもつけて。
 いやあ、昼からいいのでしょうか。
 平松さんの本は、それ自体おいしいのですが、やはり一見に如かずです。
 〆て750円の快楽。

 次はどこに行こうかと、思案したくなる一冊なのです。
  
(2013/05/27 投稿)

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  二日間にわたって
  柳田邦男さんが訳された
  『ヤクーバとライオン』(勇気と信頼)を
  紹介しましたが、
  今日は柳田邦男さんの奥さんでもある
  いせひでこさんの
  『チェロの木』を
  紹介します。
  なんだか今週は夫婦の話が
  多くなりましたが
  柳田邦男さんといせひでこさんの絵本は
  偶然そうなりました。
  この絵本は
  そんなことを度外視して
  とっても素晴らしい絵本です。
  いせひでこさんは
  今までにも素晴らしい作品を
  描いてきましたが、
  この作品の素晴らしさは
  一等です。
  この絵本があれば、
  しばらく生きている価値があります。
  こういう作品に出会える喜び。
  いいなぁ。
  本を読むって。

  じゃあ、読もう。
  

チェロの木チェロの木
(2013/03/06)
いせ ひでこ

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sai.wingpen  赤を抱きしめて                   

 こんなに素敵な絵本を読ませて頂いていいのでしょうか。
 胸の奥、ふるえています。
 誰かにこの感動を伝えたい。
 いえ、その前にもう一度、この絵本を抱きしめていいですか。

 初めから、表紙を開けた扉絵から、もう心臓がどきんどきんを高鳴りました。
 チェロのケースの中で眠る赤ん坊。
 ケースの内側に張られた赤い裏地。
 赤。血のような赤。いのちのような赤。
 この子は生きています。
 絵本作家いせひでこさんの作品に、これほど強く赤が表現されることはなかったのではないかしらん。
 この作品では何箇所か、赤の色が使われ、目をひきます。
 血の色。いのちの色。情熱の色。決心の色。

 この扉絵にいせさんはこんな文を綴ります。
 「ヤマバトの子どもが鳴いてるね。ぼそぼそとまだたよりない声だけど、鳥はああやって、さえずる練習をするんだよ。ぐぜりっていうんだ」
 ヤマバトだけじゃない。人間だって、赤ちゃんの時に、生きる練習をします。
 この絵本の少年のように、お父さんやお母さん、とっても上手なチェロリスト、あるいは緑、地球の色、に教えられて、生きる練習をする。
 春の音、夏の光、秋の影、冬の夜。
 色彩。音楽。そして、肌の温み。

 少年のために、お父さんはゆっくりと時間をかけて、チェロを作ってくれます。
 チェロができる時間は、お父さんと過ごす時間。愛が流れる、ゆったりとした時間です。

 全体には青い色が基調にあります。それは、いせさんの好きな、風の色。
 だから、赤い色が胸の奥をうちます。
 この作品にかける、いせさんの思いが、その色に込められているような気がします。

 だから、もう一度。
 抱きしめて、赤を。
  
(2013/05/26 投稿)

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  今日は昨日に続いて
  柳田邦男さんが訳された
  ティエリー・デデューさんの『ヤクーバとライオン 2 信頼』を
  紹介します。
  とてもシンプルでわかりやすい。
  けれど、奥深い作品です。
  絵本は子供との会話にうってつけです。
  「どうしてヤクーバとライオンは戦うふりをしたの?」
  「それはね、パパとママみたいに仲よしだからだよ」
  みたいな。
  いい会話ができる絵本は
  きっといい絵本ですね。
  この『ヤクーバとライオン』は
  いい会話ができる絵本です。
  柳田邦男さんが
  いっぺんで惚れ込んだ作品だけのことは
  あります。
  
  じゃあ、読もう。
  
ヤクーバとライオン 2 信頼 (講談社の翻訳絵本)ヤクーバとライオン 2 信頼 (講談社の翻訳絵本)
(2008/07/08)
ティエリー・デデュー

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sai.wingpen  忘れ物、届けにきました                   

 ノンフィクション作家柳田邦男には絵本の著作も多い。
 柳田は、「大人こそ絵本を」という。
 「絵本は人生に三度」という著作もある柳田は、絵本は幼児や子どもだけのものではなく、大人の殺伐とした心こそ必要だといいます。
 「簡単な物語のように見えていて、実はとても大事なメッセージがちりばめられている」絵本を、子どもの世界だけにしておくのはもったいない。
 複雑なことを簡単にして示すことこそ、本当の大人ができることではないでしょうか。

 柳田は絵本の評論紹介だけでなく、実際たくさんの絵本作りにも参加しています。
 フランスの絵本作家ティエリー・デデューの作品であるこの絵本は二部作です。
 そのうちの前半部分となる『ヤクーバとライオン Ⅰ勇気』を柳田はパリの出版社で偶然知り、深い感動を得ました。その時にはこの『Ⅱ信頼』の存在を知らなかったといいます。
 あらためて2巻を合わせ読んでみて、「感動がいちだんと膨らんだ」そうです。
 この作品は2つの物語でより深みがでるのです。

 前作で瀕死のライオンに「勇気」を試された少年ヤクーバは、ライオンを殺せなかったものとして村はずれで牛の世話をさせられてしまいます。だからといって、ヤクーバは腐りません。
 自分の役目を、この本の中では「任務」と訳されています、守っています。
 ある年、飢饉が動物たちを襲います。ライオンも同じです。
 ヤクーバが命を救ったライオンの王者キブウェもまたお腹を空かせた仲間たちをひきつれて困っていました。
 やってきたのは、ヤクーバのいる牛たちの囲い。
 また、ヤクーバとライオンは対峙することになるのです。
 ただ、一つ、前作と違うのは、彼らの間には前作で得た「信頼」があることでした。
 戦うことは仕方がない。けれど、互いに命をとろうとはしません。
 「ふたりは、ともに相手をふかくふかく尊敬する心で結ばれていた」のです。

 大人にとって絵本は忘れ物を見つけた時に似ています。
 それはいつ忘れたものなのか、でも、こうして絵本を読むことで、また手にすることができる。
 柳田は、そんなことを読者に伝えようとしているような気がします。
  
(2013/05/25 投稿)

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  今日と明日、
  ノンフィクション作家柳田邦男さんが
  翻訳をした
  『ヤクーバとライオン』という2巻の絵本を
  紹介したいと思います。
  作者はティエリー・デデューさん。
  柳田邦男さんは絵本についての本も
  たくさん書かれていて
  このブログでも何冊か紹介しています。
  興味のある方は
  ぜひ検索機能で探してみて下さい。
  私は、だから、
  この絵本を読まないとと
  思っていたのですが
  なかなか機会がなくて
  今になってしまいました。
  柳田邦男さんが惚れ込んだ絵本だけのことは
  あります。
  誰もが「勇気」について考える、
  そんな絵本です。

  じゃあ、読もう。

ヤクーバとライオン (1) 勇気 (講談社の翻訳絵本)ヤクーバとライオン (1) 勇気 (講談社の翻訳絵本)
(2008/03/28)
ティエリー・デデュー

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sai.wingpen  絵本の力                   

 柳田邦男はNHK記者を経て、ノンフィクション作家となった。
 代表作のひとつ『マッハの恐怖』は第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1971年のことだ。
 ノンフィクション作品はこの頃、もっとも熱く、充実していたように思う。
 作品もそうだし、書き手も充実していた。作品にも幅があった。
 沢木耕太郎が『防人のブルース』でデビューしたのも、1970年だ。

 残念ながら、現在ノンフィクション作品は勢いがなくなったとしかいえない。その理由はさまざまだろうが、情報化社会によってより速度を求められてしまったこと、多様化が当たり前になり特殊性が薄れたことなどが考えられる。
 また、新しい人材が十分育っていないともいえる。
 柳田自身、なかなかいい作品を書けないでいる。
 時代の波、といってしまうのは容易だが、あの熱い時代を知っている読者にとっては残念だし、さみしい。

 柳田が絵本の世界に精通しているのは、その著作リストをみてもわかる。絵本作家のいせひでこが奥さんというのも、そのことと関係があるかもしれない。
 そんな柳田がパリの出版社で偶然見つけたのが、デデューのこの作品である。
 「一読して、重いテーマにふさわしい野太い黒い線だけの強烈な絵」に魅せられ、日本での出版に際して、自身が翻訳を担当した。

 絵は柳田を一目で魅了したように黒い色だけで描かれている。しかも、力強い。
 その絵に呼応して、ここに描かれているテーマも重い。
 栄誉ある戦士になるためにライオンを立ち向かわなければならない少年ヤクーバ。彼の前に、傷つき弱るライオンが一頭。
 ライオンは問う。「自分を殺して勇敢な戦士となるか、殺さずに気高い心を持った人間となるか」。
 少年ヤクーバは、その時、「勇気」を試されている。「気高い心を持った人間」になるための「勇気」を。

 柳田がノンフィクションの世界に颯爽と登場した時、多くの読者は知的で冷静に物事を描いていく柳田の手法に喝采を送った。NHKの記者のまま生きるのも柳田の選択のひとつだったろう。
 けれど、その時柳田はこの作品のヤクーバのように、「勇気」をもって、ノンフィクション作家の道を歩み出したのだ。
 道を選ぶというのは、「勇気」がいる。
 それは柳田だけではない。だれもがそうだ。そして、「勇気」を持たずに安易な道を歩くのも、また人間なのだ。
  
(2013/05/24 投稿)

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  二日間続けて
  「夫婦」のことについての
  本が続きました。
  今日も、題名は『似ない者夫婦』と
  「夫婦」モノみたいになりましたが、
  津村節子さんのエッセイ集です。
  ご存じのとおり、
  津村節子さんのご主人は
  故吉村昭さん。
  お二人の「夫婦」の姿は
  すでにさまざまな形で描かれています。
  もっともこの本を
  吉村昭さんとのお話と勘違いしない方が
  いいですよ。
  タイトルとそのエッセイは
  そうですが、
  ほとんどは津村節子さんのことであったり
  文学の話。
  それでも、吉村昭さんと津村節子さんは
  いい夫婦だったんだろうなと
  思ってしまうのは
  おかしいですが。

  じゃあ、読もう。

似ない者夫婦似ない者夫婦
(2013/04/17)
津村 節子

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sai.wingpen  いい夫婦の見本                   

 男性は奥さんに先立たれると弱きになるといわれる。一方、女性はご亭主が亡くなると一層元気になるとか。
 生前奥さんは有形無形を問わず押さえられていたということだろうか。
 どちらかというと、これも性差だろう。女性の方が生命力があるといっていい。
 故吉村昭さんの奥さん津村節子さんの場合もそうだろうか。

 今回新書版で出版された『似ない者夫婦』は、もともと10年前に刊行されたエッセイ集を加筆したもの。
 このタイトルだけ見れば吉村昭さんとの思い出集のように思うが、吉村さんが亡くなったのは2006年だから、特に吉村さんのことが描かれているわけではない。
 もちろん表題作の「似ない者夫婦」は吉村さんとのおかしな生活ぶりを巧みに描いた短いエッセイだ。
 この中で、つき合っていた時は趣味が同じかと思ったが、夫婦となって実際に暮らしを同じにするとまったく違うことに驚き、呆れる様子がコミカルに描かれている。
 「似ない者夫婦」と諦めているものの、それでも吉村さんを労わる妻の心情が伝わってくる。
 吉村さんと津村さんはこんな「夫婦」だったのか。
 趣味や性格が異であっても、「夫婦」をうまくやっていくコツがここにはある。
 押さえつけられているようでいて、実はうまくかわしている。こういう巧さを持った女性には、強い生命力があるのだろうか。

 この本はそんな津村さんの作家としての魅力だけでなく、女性としての強さ、そしてそれは人間としての輝きでもあるが、を綴った短いエッセイをまとめたものだ。
 エッセイについて、津村さんは「随筆は自分をそのまま曝しているわけで、私の暦とも言える」と書いているが、もちろんその暦には吉村さんとの日々が含まれている。
 表題には津村さん自身「いささか抵抗した」らしいが、吉村さんが亡くなった今となっては「似ない者夫婦」もまたよかったという思いがあるのではないだろうか。
 だから、こうして新しい形で出版されたのだろう。

 「似ない者夫婦」は、似ないからこそ長続きする、いい「夫婦」の形なのだろう。
 ここに見本がある。
  
(2013/05/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  時々人にどのように本を選ぶのか
  聞かれることがあります。
  本屋さんで偶然、
  新聞で気にかかり、
  好きな作家さんなら無条件に
  それはさまざまですが、
  白石一文さんの『快挙』の場合、
  宣伝文句にひきつけられました。

   変質しない夫婦関係などない。罪と罰を抱き共に生きる。それこそが、結婚――。

  編集さんが考えたのでしょうか、
  実にいいコピー。
  どんな物語だろうと思いますよね。
  昨日も書きましたが
  「夫婦」というのは
  難しい関係だと思います。
  一歩間違えば、
  いとも簡単に関係を解消できてしまう。
  そういう危うさをもっています。
  ともに白髪の生えるまで、と
  よくいいますが、
  そのこと自体「快挙」なんでしょうね。
  この本の中に
  こんな俳句が紹介されていました。

   夫婦とはなんと佳いもの向い風  三好兵六

  じゃあ、読もう。

快挙快挙
(2013/04/26)
白石 一文

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sai.wingpen  夫婦とはなんと・・・                   

 なんともそっけないタイトル。「変質しない夫婦関係などない。罪と罰を抱き共に生きる。それこそが、結婚――。」という宣伝文がなかったら、おそらく読まなかっただろう。
 しかし、読み終わった後、この夫婦の物語は短い、このタイトルしかないかもしれないと思った。
 この夫婦は「快挙」なのだ。

 誰にだって、これこそ「快挙」だと思えることが人生にひとつやふたつあるものだ。
 学生時代にカメラコンテストの賞をとったせいで、自分の能力を過信した主人公の俊彦。月島の町を撮影中に出会った二歳年上のみすみと結婚したが、写真の腕はあがらない。
 そのうち、小説なら書けるかもと方向転換を図る。生活費は妻のみすみが稼いでくれる。
 こういう男と一緒になった女は苦労する。
 男の側からいえばそれなりの理屈もあろうが、女の側から見れば、傲慢だしわがままだ。それでも、女は男を捨てない。
 けれど、二度の流産はみすみの心に空洞を生み、やがて、二人の「夫婦」の生活にも影を落としていく。

 その後、二人は阪神大震災後のみすみの実家の神戸須磨で暮らすようになる。
 俊彦の小説は文芸誌に掲載寸前で没になり、俊彦自身結核を患うことになる。
 互いの気持ちが荒んでいく。互いの心が離れていく。
 この物語にしばしば夫婦のセックスが描かれる。心が重なり合わない時、体もまた遠く離れていく。
 そんなある時、俊彦はみすみの浮気を知ることになる。

 もしかしたら、その時、「夫婦」は終わったかもしれない。しかし、俊彦たちはそうしなかった。
 須磨の土地を離れ、もう一度東京に戻った。
 のちに、俊彦は自分にとっての「人生の快挙」は、みすみに出会ったこととこの時のことと思うことがあった。
 妻であるみすみにとっても、それが「快挙」だったかどうかわからないが、「夫婦」になったことが「快挙」だと思える、俊彦はうらやましくもある。

 「夫婦」とはもともと他人が一つで暮らしていくだから、些細なことで食い違いが始まる。時に一緒にいることの意味を見失う。
 「夫婦」が「夫婦」であり続けることそのものが、「快挙」だといえる。
 ただ、そのことに多くの人が気付かないだけだ。
 これは、奇跡のような「夫婦」の物語だ。
  
(2013/05/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近の週刊誌を見ていると
  高齢者向けのSEX記事が多い。
  読者層の年令があがっているせいだろうが
  60代のSEXとかいわれてもなあ、と
  やや悄然となります。
  若者が草食系とか言われているのに
  高齢者がこれでどうなるのやら。
  その一方で、
  セックスレスの問題があったりして、
  人間複雑になると
  さっぱりわからない。
  今日紹介するのは
  亀山早苗さんの『セックスレス そのとき女は……』。
  SEXの問題は男女の問題ですから
  「そのとき女は…」だけでなく
  「そのとき男は…」でもあるのだということを
  世の男性は忘れないでもらいたい。

  じゃあ、読もう。

セックスレス そのとき女は……セックスレス そのとき女は……
(2012/11/22)
亀山 早苗

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sai.wingpen  「夫婦」って何?                   

 何事も経験することは重要だ。
 だが、経験したからといってそれがうまく説明できるかといえば、そうでもない。
 結婚して、30年以上経つが、「夫婦」って何? と問われてもうまく答えられない。そもそも、どうして「夫婦」という関係を結んだのかという問いにも。
 一緒に暮らすこと。新しい家庭を持つこと。けれど、それは「夫婦」になることの全てではない。
 「夫婦」って、だから、難しい。

 「夫婦」だから、セックスをする。そのこと自体、そうでもないから、ややこしい。
 「セックスレス」の問題は、当然存在するだろうと思われる「夫婦」の間にも、それが存在しないのであるから、「夫婦」という関係性を複雑にしている。
 本書では「夫婦」の間の「セックスレス」の問題を取り上げているが、裏返せば「夫婦」とは何かという問いかけであり、さらにはジェンダーの問題にもつながっている。
 著者の亀山早苗さんはこれまでにも多くの性の問題を実際の人々へのインタビューを通して描いてきたライターだが、彼女にして「好きな人とセックスして、身も心も充足する。これだけのシンプルなことが満たされていない」と嘆かせるほど、「セックスレス」の問題は根深い。

 そもそも「夫婦」という関係が多様であり、一組のそれであっても、年を経ることでその関係性が変化していくのだから、「夫婦」とはこうだなどと言えるわけはない。
 また、「セックス」という行為も亀山さんがいうように「個人の数だけ、性のありようはある」のだから、それが「夫婦」と組み合わされると、どこまでも広がる。
本書にでてくる事例は、一握りでしかない。
 亀山さんは「セックスレスを解消するのに、マニュアルはない」という。ただし、そのことで「悶々として時間を過ごすのはもったいない」ではないかと書く。

 「夫婦」だから、セックスをしなければいけない、ということもない。けれど、そのことが「夫婦」という関係性を悪化させているのであれば、解決させるべきだろう。
 もっとも、本当は、その前に「夫婦」とは何かという答えを持っておくべきだろうが。
  
(2013/05/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  お待たせしました。
  もちろん、誰かが待っていたとしてですが。
  村上春樹さんの話題作
  『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を
  紹介します。
  さまざまな評価がすでにでているようですが
  私は高評価をつけたいと
  思います。
  今まで世評の高い村上春樹作品に比べ
  薄っぺらい感じがしないわけではありませんが
  いつもいつも濃厚なコーヒーを味わうよりは
  たまにはアメリカンコーヒーであっても
  ちっとも構わないと
  思います。
  薄めのコーヒーもおいしいですよ。
  案外こういう作品から
  村上春樹文学にはいるのも
  いいかもしれませんね。
  それにしても、
  村上春樹さんはうまいですね。
  やっぱり、好きだな。
  
  じゃあ、読もう。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
(2013/04/12)
村上 春樹

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sai.wingpen  たやすく門は開いたとしても                   

 自分とは一体何なのかということは、あるいは自分はどのようにして自分になったかという問いかけでもある。
 それは文学の大きなテーマとしてたくさんの作品で描かれてきた。
 村上春樹の新しい長編小説、けれど村上の作品では比較的短い長編小説だが、でも、そのことは重要なテーマとなっている。
 主人公の多崎つくるは大学生の時にそれまで仲のよかった四人の仲間から突然「追放」される。「追放」には理由などない。一方的に追われるだけだ。もちろん、「追放」された者にとって、理由は必要だ。
 何故、自分は「追放」されたのか。
 つくるは、理由がないゆえに、死の岸のそばまで苦しむことになる。
 あれから、16年という月日が流れ、ようやくつくるは「追放」された理由をたどる旅に出る。

 多分人生は一本の道ではない。
 無数の道があり、その時々で右の道、左の曲がり角を選択してきて、いま、ここ、に在る。自分で選択したこともあるが、せざるをえなかったこともある。
 つくるのように「追放」された者は、別の道を歩くしかない。 
 誰にだってある。あの時、彼女が恋を受けとめてくれていたら、家族すら変わったかもしれない、あんていうこと。
 そんな無数の道。そして、この世界にはもしかしたら別の世界を生きる別の自分が存在するかもしれない。例えば、仲間に「追放」されずにいる多崎つくる。
 あるいは、理由のない「追放」ではなく、別の多崎つくるには「追放」されてしかるべき理由があったかもしれない。
 時に、世界が微妙に歪むことを、誰が否定できるだろう。

 可能性としてゼロではないかもしれないが、もちろん現実はちがう。
 「記憶を隠すことはできても、歴史を変えることはできない」。つくるが女友達沙羅、この物語ではつくると沙羅の恋愛も主要なテーマである、から教えられた言葉だ。
 だから、つくるは変わってしまった理由を訪ねて歩くしかない。

 村上の作品としてはとても読みやすい。
 いつもであれば、いくつもの事柄が捩れとなって大きな幹を作っているが、この作品ではほとんど捩れはない。新たな謎かけはない。
 それでも、別の世界の存在を問いかける、それは今の世界を濃厚に形づくるものだが、この作品の意味は大きい。
 もしかしたら、別の世界ではまだ、村上春樹はジャズ喫茶のオーナーをしていないとは誰も言いきれないではないか。  
  
(2013/05/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  サラ・スチュワートさんの『リディアのガーデニング』という
  絵本です。
  書評の中で書いた
  テレビ番組は
  日曜朝8時からNHKのEテレビでしてる
  「やさいの時間」のこと。
  自分でしないと
  面白さは実感できないと思いますが、
  この番組、
  見ているだけで
  楽しくなります。
  土を触るってことは
  とてもいいことですよね。
  なんとか挑戦したいのですが、
  まだできていません。
  園芸センターまでは
  足を運んだのですが。
  今日はひとまず
  絵本でがまん、かな。

  じゃあ、読もう。

リディアのガーデニングリディアのガーデニング
(1999/10)
サラ スチュワート

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sai.wingpen  小さな工夫とたくさんの愛情                   

 長ぐつが欲しい。
 雨降り対策ではありません。土と遊ぶには必需品。
 じょうろが欲しい。
 できれば、昔ながらのブリキ製がいい。
 スコップも欲しい。
 砂遊びという年では、ない。
 これら、まとめて、ガーデニングをしたいのです。。

 日曜の朝8時、従来は情報番組を見ていたのですが、この春から園芸番組を視聴するようになりました。
 春は何かをしたいと思う季節。だから、たまたま見始めた番組ですが、これが結構面白い。
 土を触りたくなる。苗を植えたくなる。水やりをしたくなる。
 今はまだテレビを見るだけですが、菜園づくりやガーデニングに挑戦したい。
 庭がないから、所詮はプランター活用。でも、小さいながらも私の庭を作りたい。

 そんな時に出会ったのが、この絵本。
 庭なんかなくても、少しの場所さえあれば、見事に花を咲かせる女の子の物語。
 主人公のリディアの家はお父さんが失業したりで暮らし向きはよくありません。そんな時、町に住むおじさんのジムから彼女に町で住んではどうかと救いの手が差し伸べられます。
 おじさんは町のパン屋さん。気難し屋ですが、心底は優しい。
 パン作りは何も知らないリディアですが、ガーデニングは得意。町でもたくさんの花に囲まれたらどんなにいいかと思っています。

 町にはほとんど庭がありません。でも、リディアはとっても素敵な場所を見つけます。
 でも、おじさんには内緒。
 突然連れていって、おじさんを驚かせたいのです。おじさんに笑ってほしいのです。
 さあ、リディアがどんな所にたくさんの花を咲かせたかわかりますか。

 リディアのがんばりをみれば、小さなベランダでもあっても、たくさんの花を咲かせることはできるような気がします。
 要は、小さな工夫とたくさんの愛情。
 花に対するだけでなく、誰かに微笑んでもらいたいという気持ち。
 土も、風も、小さな花びらも、きっと生きているという実感を教えてくれるでしょう。

 原題は「THE GARDENER」。
 小さなリディアは、これからもっと大きな花を咲かせるにちがいありません。
  
(2013/05/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年の春から始まった
  NHK大河ドラマ「八重の桜」を
  楽しみにしている。
  いよいよ明日は、鳥羽伏見の戦い。
  ドラマはこれから戊辰戦争、
  会津の悲劇へと
  前半のクライマックスとなっていくらしい。
  そこで今日は
  前半の主人公ともいえる
  松平容保を描いた
  司馬遼太郎さんの『王城の護衛者』を
  紹介します。
  ドラマの中でも描かれていた
  エピソードが随所に描かれていますから
  「八重の桜」ファンには
  うってつけの一冊です。
  さあ、これから容保はどうなるのか。
  知っていても
  知りたくなるのがファンの人情。
  ドラマより一足先に
  お楽しみあれ。

  じゃあ、読もう。

王城の護衛者 (講談社文庫 (し1-2))王城の護衛者 (講談社文庫 (し1-2))
(1971/10)
司馬 遼太郎

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sai.wingpen  大河ドラマで容保ファンになった人には必読の書                   

 歴史書などで見かける、会津藩第9代藩主松平容保の容姿は、いまだ少年の俤を残した初々しい青年である。
 会津のジャンヌ・ダルクと称され、のちに同志社大学創設者新島襄の妻となった山本八重の生涯をドラマ化したNHK大河ドラマ「八重の桜」でも当然重要な役どころとなっている。
 演じるのは、新鋭の綾野剛。写真で見る容保に、雰囲気はそっくりだ。
 容保役に綾野剛を配役したのはNHKの手柄といっていい。

 この物語は、松平容保の人間像を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
 雑誌「オール讀物」3月号に大矢博子の「この新撰組小説がすごい!」という記事があった。その中で、新撰組全体がわかる背景として推奨されていたのが、この物語だ。
 司馬の作品ではあくまでも容保の生涯を追っているが、大矢いわく、「どのような状況で新撰組が会津藩お預かりとなったのか、それが何を生んだのかがよくわかる」としている。
 但し、これはいささか過剰な評価だろう。
 この物語は純粋に、松平容保がいかに幕末という時代に翻弄されたかを描いたものとみていい。

 「オール讀物」のこの記事では、司馬がこの小説を書いて松平家ののちの当主からお礼の電話をもらったというエピソードが紹介されている。
 賊軍として会津藩の崩壊とともに降伏した容保だが、先の孝明天皇からどれほど慕われていたかが、司馬の感情を抑えた文章でもよくわかる。
 維新後、生き残った容保が孝明天皇からの書面を肌身離さず持っていたというエピソードを最後に持ってきたのは、司馬のロマン嗜好の現れだろう。
 徳川慶喜に対する恨みだけでなく、それほどに自分に信頼を寄せてくれた孝明天皇の期待に応えられなかった自身の不甲斐なさ。けれど、それにあまりある天皇の書面の温かさは、晩年の容保の拠り所だったにちがいない。

 司馬作品としては短編小説に属するこの物語は、容保の初々しさだけでなく、慶喜の性格の厭らしさをよく描いている。
 ちなみに、司馬は代表作の一つである『街道をゆく』の「白川・会津のみち」の中でも「容保記」という章を設けている。
  
(2013/05/18 投稿)

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  今日紹介するのは
  本田健さんの『50代にしておきたい17のこと』。
  書評タイトルに
  「「そろそろ」なのか「まだまだ」なのか」と
  つけたのですが、
  これって
  人生の終焉が「そろそろ」なのか
  それとも「まだまだ」なのか、という
  意味でつけたのに
  ハタと気づきました。
  自分のまわりで
  父母やおばさん、
  先輩や年下の仲間が
  亡くなっていくと
  死のことはまったく意識の外とは
  いえなくなります。
  ただ、私たちは自分の終わりがいつなのか
  まったくわからないこと。
  生きることが難しいのは
  そのためでしょう。
  若い頃は
  もちろん突然の不幸はありますが
  死のことなんか考えないものです。
  50代は、
  そのことをまったく無視することもできない
  年代といえるのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

50代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)50代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)
(2012/01/12)
本田 健

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sai.wingpen  「そろそろ」なのか「まだまだ」なのか                   

 私はいま、58歳。
 50代といっても、あと2年足らずで還暦を迎える年です。
 今更、「50代にしておきたいこと」といっても、すでに多くの時間が過ぎていますので、できることはわずかかもしれませんが、読んでおいて損はないでしょう。
 読まないよりはうんといい。
 できれば、40代後半の人は、姉妹編の『40代にしておきたい17のこと』と合わせて読むのがいいかもしれません。準備は早いに越したこと、ありません。
 もっとも、20代や30代の人には早すぎます。
 私もそうでしたが、その頃50代の自分なんて想像もつかないでしょう。

 著者の本田健氏は、50代を「老後」というには早すぎると、書いています。その上で、人生の後半戦をやりたいことを決める年代だとしています。
 最近は年金の支給時期の問題と合わさって、雇用延長の動きが活発です。
 65歳まで今の職場で働くのが有利だとか色々議論されています。
 しかし、肝心なことは、長寿社会になって、人生の後半生をどう生きるかという設計ができているかどうかだと思います。
 生活の問題はとても重要なことですが、かといって職場に縛られてしまうのはどうでしょう。
 やりたいことがわからないから、とりあえず働き続けるというのは如何なものか。

 そうならないためにも、本書に書かれている「しておきたい17のこと」は参考にしたいものです。
 例えば、「不義理をする」なんていうのは、50代の人ならではこそ、実践したい。
 誰にも経験があるでしょうが、「断る」というのは何故か断る側に罪悪感が伴います。だから、嫌々であっても、受けてしまうことはよくあります。
 本田氏は、「限られた人生の時間を無駄にしないためにも、断る勇気をもつこと」が大事と書いています。
 多分、これだけでも、50代を快適に過ごすことができるような気がします。

 そのほか、「昔の友人に連絡をとる」とか「愛を育む」とか50代をよりよく生きるための知恵が書かれています。大事なお金のことは「お金の計算をしておく」という章で説明されていますが、具体的な資産活用の説明ではありませんので、誤解しないで下さい。
 50代を「そろそろ」と考えるか、「まだまだ」と考えるかは、その人の自由。
 ただいえることは、終わりがわからない人生を、あなたがどう生きるかです。
  
(2013/05/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は俵万智さんの
  『短歌のレシピ』という本を
  紹介します。
  短歌づくりの教則本です。
  俵万智さんといえば
  やはり『サラダ記念日』。
  あの短歌集が出版されたのは
  1987年ですから
  もう26年も前のことになります。
  それでいて
  どれだけインパクトがあったかというと
  この本の中で紹介されている
  投稿歌も
  『サラダ記念日』の尻尾を
  ひきづっている気がします。

   「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

  なんていう、誰にでもできそうな感じがしてしまうから
  短歌人口はあっという間に広がったのです。
  ただ逆に
  そういう短歌だけを志向する人が
  増えたのは
  短歌の世界で有効だったのでしょうか。
  少し、ほんの少し
  気になります。

  じゃあ、読もう。

短歌のレシピ (新潮新書)短歌のレシピ (新潮新書)
(2013/03/15)
俵 万智

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sai.wingpen  塩ひとつまみの秘伝                   

 最近ちょっとしたレシピ本ブームである。
 ダイエットレシピは相変わらず人気だし、食品メーカーが自社の人気商品を使ったレシピ本もたくさん出版されている。
 食に対する興味であることは間違いない。
 ただ、単に食べるだけでなく、自分で作ってみるということが人気の源にあるような気がする。
 出来合いのものを買えばそれなりに費用もかかるが、自分で作れば材料費だけで安く仕上がる。
 あるいは、工夫次第で、まったく色合いの違う料理が楽しめるということもある。

 歌人の俵万智さんが「レシピ」という言葉を短歌上達術の本に使ったのは、実に賢明な選択だと思う。
 ブームにのるという側面もあるし、「レシピ」という言葉そのものが多くの読者に伝わりやすい。
 実際、俵さんは「表現を実現するための手段は、たくさん持っていたほうがいい」といい、「素材の持ち味を生かすためには、(中略)調理法を知っておくことが大切」と、書いている。
 さすがに言葉を大事にする人だけのことはある。
 「レシピ」という流行言葉をうまく使って好例だ。

 この本では投稿歌を俵さんが「添削」する形で、32のレシピ(少し前なら「上達のヒント」なんていわれただろう)が紹介されている。
 「添削」の効用について俵さんは「お題目を唱えているだけでは、前に進まない。それをどう実践するか」をわかりやすく伝えるには「添削」が有効だと、書いている。
 また、「添削」は人のものに手を入れるもので、自分の作品であれば「推敲」になるが、この本の「添削」のさまが「推敲」の一助になるように心がけたという。
 「かなり踏み込んで手の内を見せたなぁ」と、俵さん自身が満足のいく秘伝伝授本といえる。

 短歌にしろ俳句にしろ「読む」よりは「詠む」人の方が多いのではないかと思う。
 それはいずれも短詩であることで、自然に「詠み」やすいからだろう。
 しかし、出来上がった作品は「読まれ」ることで、作品の価値があがるといっていい。そのための、一工夫が本書に書かれている。
 もしかしたら、塩ひとつまみの秘伝かもしれないが。
  
(2013/05/16 投稿)

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  最近の円安・株高には
  目を見張るものがあります。
  民主党から自民党に政権が交代しただけで
  これほどに経済は左右されるものか、
  それとも安倍総理のリーダーシップの賜物なのか
  なんだかプチバブルのようで
  怖くもあります。
  今の若い人は
  バブルといわれても
  経験したこともないし、
  よくわからないかもしれません。
  私だって、
  特段その時代にバブルだったという
  ことはなかったように思います。
  バブルといっても
  その恩恵を受けた人と
  そうでない人が
  いるのです。
  そんなつい最近のこともわからなくなっている時代だからこそ、
  池上彰さんの東工大講義シリーズ第2弾
  『この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」』を
  勉強するのはいいことです。
  政権の変遷など
  へええと思うこと間違いありません。
  さて、本書を読み終わって
  皆さんは今はバブルだと思うでしょうか。

  じゃあ、読もう。

この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 池上彰教授の東工大講義この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 池上彰教授の東工大講義
(2013/03/27)
池上 彰

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sai.wingpen  こんな時代を生きてきました                   

 もっと大学で勉強しておけばよかった。
 学校を卒業してから30年以上経ちますが、だからこそかもしれませんが、そう思います。
 勉強しなかった、後悔なのか反省なのか、社会人になってから何年も卒業できない夢を見ていたことがあります。あれは何だったのかしら。
 大学で勉強しなかったのは、多分目標が曖昧だったからでしょう。できれば、あの教授の授業を聴いてみたいとか、この分野を極めてみたいとか、といったはっきりとした目標があればよかったのでしょう。
 例えば、池上彰先生の生の授業を受けたいから、東京工業大学を受験するとか。

 この本は池上彰さんが東工大で行った講義をまとめた『この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう』に続く、講義録の第二弾です。
 テーマは戦後の日本史。
 「現代史」ともいうのですが、高校の歴史の授業でも、古代から始まって三学期終了間際になって、「まだ明治じゃないか」なんて駆け足で教えられた時代です。ひどい時には、「君たちの時代だからわかるよね」なんてはしょられる時代でもあったはずです。
 遠い昔も大事ですが、それでも聖徳太子や源頼朝が何をしたかよりは案外戦後人々がどう暮らしたかの方がより身近に感じられる歴史のありようだったかもしれません。
 池上先生はそのあたりのことをしっかり教えています。

 15コマの授業で取り上げているのは、「原子力」「復興」と東日本大震災に関連づけたもの(「復興」とは戦後の焦土からの復興です)や「バブル」(2012年暮れの自民党政権復権と安倍政権によるアベノミクスという最新の話題もここでは取り上げられています)といった内容です。
 講義の中で、池上先生はしばしば「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を使っています。
 「歴史に学び」ためには、そのことの本質を知る必要があります。
 現代史だからといって、すべての本質が明らかではないのです。池上先生の講義で教えられたことはたくさんあります。
 東工大の学生だけに、池上先生の授業を独占させるのはもったいない。
 特に、学生時代に勉強を怠けたと反省している人にはうってつけの、日本の「戦後史」の学びだと思います。
  
(2013/05/15 投稿)

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  最近の毎日の日課。
  仕事から帰ると、
  夕食を食べながら、
  NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」を見る。
  毎回大笑いしている。
  宮藤官九郎さんの脚本がいい。
  最近のお気に入りは、
  北三陸鉄道副駅長役の荒川良々さん。
  もう絶品!
  最近はアキちゃんが使う「じゃじぇじぇじぇ!」も
  自然に出るようになって
  そんなに自慢できるものでもありませんが、
  すっかり「あまちゃん」にはまっています。
  日課の続きでいえば、
  NHKBSで再放送されている「てっぱん」も
  欠かさず見ています。
  「今日はあまちゃんがよかった」「てっぱんの方がいい」
  なんて、
  たわいもない評価をして喜んでいる。
  今日紹介する一冊は、
  大崎映晋(えいしん)さん『海女(あま)のいる風景』。
  この本を読んで
  もっと「あまちゃん」の世界を
  極めましょう。

  じゃあ、読もう。

海女(あま)のいる風景海女(あま)のいる風景
(2013/03/29)
大崎 映晋

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sai.wingpen  裸海女さんの姿に、じぇじぇじぇじぇ!                   

 NHKの第88作目めとなる朝の連続テレビ小説「あまちゃん」は、宮藤官九郎さんの軽妙な脚本と出演者の息のあった演技で好評らしい。
ドラマの舞台は北三陸という架空の港町。そこが故郷である母親春子に連れられてきた高校2年のアキは祖母の海女(アマ)姿に感化されて、海女をめざして修業中という設定である。
 毎回、笑いのツボが仕込まれていて、いつも楽しませてもらっている。

 海女とはどんな仕事なのか、この本は水中撮影家の大崎映晋(えいしん)さんがかつて撮った海女さんの姿がふんだんに収められている。
 この本の海女さんは、なんと、褌ひとつの裸海女なのだ。
 じぇじぇじぇじぇ!
 NHKの番組ではさすがにこれはできない。
 主役の能年玲奈さんの裸海女は見たいけど、先輩海女の弥生さん役の渡辺えりさんも裸海女だとしたら、それはそれで、じぇじぇじぇじぇ! ものだ。
 もっとも残念ながら、今は全国どこに行っても、裸海女さんは見られないらしい。
 だから、ここに収められている写真はとても貴重な記録でもある。

 撮影されたのは昭和30年代。石川県の能登半島の先にある舳倉島(へぐらじま)の海女さんの姿。
 海底に向かうその姿の美しいことといったら、ない。
 身体に余計な着衣がない分、その肢体のなめらかなこと。まさに、人魚とはこういう姿をしていたのではないか。
 裸であるが、決していやらしさは感じない。健康的だし、隠さないことで逆に恥ずかしさもない。むしろ、誇らしげなのだ。
 「あまちゃん」のセリフを借りれば、「かっけーっ」だろう。

 当時の海女さんの稼ぎはよかったという。娘が15歳になると一家五人の暮しを支えられたというし、娘が三人もいれば蔵が建ったそうだ。
 それらい海女さんたちが採集するアワビとかが高級だったということだろう。
 近年は海女さんが裸でなくなったと同様、けっしてそれで生計が潤うことはなさそうだ。

 この本では舳倉島の海女さんだけでなく、伊豆や房州の海女さんの姿も描かれている。
 また、三重県鳥羽の親子孫三代つづく海女さんの母子との対談もあって、まだ21歳の三代目の海女さんは、ドラマ「あまちゃん」の主人公アキのように「海が大好き」と話している。
 著者の大崎氏はいう。
 「海女さんたちが潜れる海が、もうありません、なんて悲しいことにならないように」と。それは、願いに近い。
  
(2013/05/14 投稿)

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  昨日紹介しました
  石倉欣二さんの『海をわたった折り鶴』は
  佐々木禎子さんという
  一人の少女の
  短くも悲しい生涯を
  描いた絵本でした。
  サダコさんは広島の少女。
  原爆による被害者でした。
  今日紹介する
  中沢啓治さんの『はだしのゲン』シリーズも
  原爆の悲惨さを描いている漫画。
  文学だけでなく
  さまざまなジャンルで
  原爆の悲劇は描かれてきました。
  それでも、
  この地球から核の脅威は
  消えることはありません。
  だから、
  いえ、だからこそ
  『はだしのゲン』は
  読みつがれないといけない
  漫画だと思います。

  じゃあ、読もう。

はだしのゲン 第8巻はだしのゲン 第8巻
(1984/01)
中沢 啓治

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sai.wingpen  変わらないものと変わっていくもの                   

 東日本大震災から2年が過ぎて、その時間の経過というのは一体どんな思いとして人は感じているのだろうか。
 時間が身体的に、あるいは精神的に及ぼすものを、どう表現できるのか、私はうまくいえない。
 『はだしのゲン』第8巻は、終戦、この物語では原爆投下から5年が過ぎた昭和25年(1950年)6月から始まる。
 主人公の中岡元ももう中学生である。壊滅的な被害を受けた広島の街も活気を取り戻しつつある。
 たった5年。けれど、5年。
 ゲンにとってはあの悲しみは癒えるものではない。しかし、多くの人にとってはすでに過ぎ去った日々。
 曳きずるものの重さではなく、これは時間という不思議。
 そのことを私たちは今でもうまく説明できないような気がする。

 「赤」(共産主義者のことをこう呼んだ)だと教員の職を追われた担任を慕うゲン。朝鮮戦争であぶく銭を手にした成金に怒るゲン。原爆症で治る傷も癒えない友人夏子を励ますゲン。
 彼の中では5年という時間を清算するには生々しすぎる。
 いつまでもこだわるなという声もあるだろう。
 しかし、誰も他人のもっている時間をとやかくいうことはできない。

 『はだしのゲン』シリーズは、戦争や原爆の悲惨さを訴える漫画であるが、その一方で人間にとっての時間の意味を問う漫画でもある。
 ゲンの行動や思いを読者がどこまで理解できるか。もしくは、ゲンの気持ちをそのままに変わっていく風景や社会をどこまでわかるだろうか。
 そういうことでいえば、原爆ドームはゲンそのものだ。
 変わらないものと変わっていくもの。
 変わらないことがいいことでもないし、変わっていくことが正しいのでもない。
 13歳にして完全な自立をめざして歩きはじめたゲンは、どんな道を歩んでいくのだろうか。
  
(2013/05/13 投稿)

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  今日は母の日

    母の日のかがやくばかり塩むすび  角川照子

  今日紹介する絵本は
  実話をもとにつくられています。
  新聞やテレビで見たり聞いたりしたことが
  あるかもしれませんね。
  主人公は佐々木禎子(さだこ)という
  12歳の少女です。
  原爆症で幼い命をうしないます。
  彼女が病床で折ったのが
  折り鶴。
  彼女のつくった折り鶴が
  9.11と呼ばれるアメリカのテロ事件の
  現場に贈られた話が
  絵本になっています。
  石倉欣二さんの『海をわたった折り鶴』が
  絵本のタイトルです。
  お母さんと一緒に
  そうだ、
  たまにはお母さんに読んできかせてあげるのも
  いいですね。
  お母さん、
  泣いちゃったりして。

  じゃあ、読もう。

海をわたった折り鶴 (えほんひろば)海をわたった折り鶴 (えほんひろば)
(2010/07)
石倉 欣二

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sai.wingpen  祈り                   

 ハモニカが吹けない。
 昭和30年代の人間として、少し恥ずかしいが、小学校に入学した時はちょうどハモニカからリコーダー、当時は縦笛って言っていたけど、に変わったところに原因があると思っています。
 鶴もうまく折れない。
 祈りをこめて折り鶴を作るって機会がなかったのもあるけれど、元来手先が不器用。
 昭和30年代生まれとしては、これも少し恥ずかしい。

 実話をもとにした感動的なこの絵本の巻末には「鶴の折りかた」が載っていて、第二段階ぐらいはなんとか覚えているのですが、あとはさっぱり。
 「わからないところは、おばあちゃんやお母さんに教えてもらってね」とありますが、「おじいちゃんやお父さん」でなくてよかった。
 そんな私が最近鶴を折ったのは、東日本大震災の被災地へのお見舞いだった。仕事場でみんなと折った。
 見ていると、やはり女性の方がうまい。男性は形無しだ。
 でも、どんな形になったとしても、心がこもっているかが大事。 
 自分にそう言い聞かせて、いくつか折った。

 この絵本の主人公佐々木禎子(サダコ)さんは、原爆の犠牲者です。
 原爆を落とされた日から10年後の1955年に、わずか12年の短い生涯を閉じます。
 病院に入院していたサダコさんは薬を包んでいた紙やお菓子の袋を使って、たくさんの折り鶴をつくっていました。
 「早く元気になって家に帰りたい」。そう祈りながら、折っていました。
 でも、サダコさんの祈りは叶いませんでした。
 残されたのは、サダコさんの折り鶴。
 そして、彼女の祈りを支えたたくさんの人たちの思いと願い。
 「世界に平和をきずくために」。

 サダコさんの折り鶴はその後2001年9月11日のアメリカで起こったテロの悲しみの場所に届けられます。
 この絵本ではそのことも描かれています。
 人はいろいろな事由で人を憎悪し、殺戮します。サダコさんもその犠牲者の一人ですが、彼女は誰も恨むことはありませんでした。
 ただ、元気になりたかった。そして、生きたかった。

 サダコさんの鶴につながる鶴を、折ってみませんか。
  
(2013/05/12 投稿)

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  東日本大震災は遠くのできごとか。
  毎月11日が来るたびに
  こうして関連の本を紹介していますが、
  もしかしたら、
  もういいのではと感じている人もいるかも
  しれません。
  それでも、できるだけ
  関連本は紹介していきたいと
  思っています。
  戦争の記憶を忘れてはいけないように
  東日本大震災の記憶もまた
  語りつづけないといけない。
  そう思っています。
  今日紹介するのは
  河北新報社編による
  『私が見た大津波』です。
  この本は岩波書店から出版されていますが
  その意味は大きいと思います。
  ぜひ、皆さんにも
  忘れないで頂きたいと思います。

  じゃあ、読もう。

私が見た大津波私が見た大津波
(2013/02/28)
河北新報社

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sai.wingpen  黒い海                   

 記憶は時に嘘をつく。
 小さなものを過大に覚えたり、長いものを短く思いこんだりする。
 もちろん、厳密にいえばそれは嘘ではない。間違いでもない。
 記憶とはあくまでも個人のものだ。その人がそうだと思ったのであれば、それは真実だし、正しい。
 人の数だけ記憶があるといっていい。

 同じようなことがこの本にも書かれている。
 「大震災の現場は被災者の数だけあります」。
 大震災というのは、2011年3月11日に起こった東日本大震災のこと。ここでは津波に焦点をあて、津波で被災された人たちの記憶をその人が描いた絵と文章で再現されている。
 本書は、多くの震災記事を追い続けている地元新聞の河北新報に震災から一ヶ月後から連載が開始された記事がもとになっていて、先の文章に続けて、本書の「まえがき」にこうある。
 「教訓としての大震災は、そうした個々の死と生を記録し、見つめることで初めて意味を持つ」のだと。
 記憶が記録として残される意味を、さすがに河北新聞は身をもって捉えている。

 ここには75人による被災証言が掲載されているが、その人たちの年令も職業も被災した場所もばらばらである。 襲ってきた津波の速度を30~40キロだと感じた人もいれば、新幹線のようだったと証言する人もいる。
 落ち着いて行動した人がいたり、九死に一生を得た人もいる。
 稚拙な絵の人もいれば、本格的な筆づかいの人もいる。
 ただ、一様に証言されているのは、津波の黒い色である。
 記録された映像を見ても、その色が異様に黒いことがわかる。
 被災者にとってはそれまではきれいな海だったはず。自然災害とはいえ、それが豹変したのであるから、恐怖の瞬間だったにちがいない。

 印象に残る証言は仙台市荒浜に住む渡辺アキコさんの証言。車に乗ったまま濁流に流されるのだが、そのそばに9年前に亡くなったご主人の車が寄り添うように流れていたという。沈みかけた車から何とか脱出し救助された渡辺さんは「夫が助けてくれた」と、今でも信じている。
 偶然かもしれないが、その気持ちはわかる。
 これこそ、渡辺さんだけの記憶だろう。そして、その記憶は誰の胸をもうつのだ。
  
(2013/05/11 投稿)

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  今日も女性の作家。
  川上未映子さんや江國香織さんのような
  華やかさはありませんが
  女性作家(というかエッセイスト)としては
  いま、あぶらがのっている感じの
  平松洋子さんの『小鳥来る日』。
  ね、大人の女性でしょ。
  今日の書評の中で
  平松洋子さんの文章の魅力について
  書きましたが、
  平松洋子さんのような女性と
  食事をしたら
  どんな感じかなぁ。
  お酒も飲めそうだし、
  いいなぁ。
  でも、なんだか
  東海林さだおさんが
  お供についてきそうな感じも
  ありますね。
  あはは。
  今日は大人の女性のエッセイを
  存分にお楽しみください。

  じゃあ、読もう。

小鳥来る日小鳥来る日
(2013/01/30)
平松 洋子

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sai.wingpen  彼女のリズム                   

 書名の『小鳥来る日』は、「小鳥の(!)来る日」でもないし、「小鳥が(!)来る日」でもない。
 わずか一文字の省略ながら、これが平松洋子さんの文章の魅力といっていい。
 リズムと、いってもいい。
 平松さんのエッセイが魅力的なのは、料理にしろ旅にしろ、あるいはこの作品のように日常のありふれた一場面にしろ、文章の歯切れのよさだ。歯切れがいい分、映像を言葉にしていくように丁寧に書いていく。
 だから、わかりやすい。読者は自身の目の前に映像を結びやすい。

 このエッセイ集は毎日新聞日曜版に2012年12月まで連載されて好評をえていたものをまとめたものだ。
 毎週日曜の朝、それこそ「小鳥来る」ように、こういう洒落た文章が届くのは気持ちがいい。
 書かれている内容は、平松さん自身の日常の何気ない風景。目にしたもの、耳に残ったもの、舌が感じたもの、さまざまだが、少し見方を変えればまったく印象のちがうものでもある、そんな風景。
 平松さんは自身に届いたそんな「小鳥来る」ようなものを、自身の中で文章にして読者に届ける。
 自身が小鳥のようにして。

 平松さんは子どもの頃に「読むこと書くことが、自分には一番大事」だと気づいたそうだ。
 それでわかる。平松さんの文章を読むと、楽しくて仕方がない、という感じがとても出ている。
 ひょいひょいと書いていることはないだろうが、うんうんうなっていても、書くことが楽しいんだろうなという気分がいい。多分、それが平松さんのリズムにもなっている。

 この本に収められている70篇近いエッセイの中で、きっと好みがちがってくるだろう。読者それぞれにその好みがあっていい。
 例えば、私なら、平松さんが公園で偶々出会った二組の幼児たちの姿を描いた「ひよこの隊列、ごぎげんさん」が好きだ。
 まるでスキップして歩くような、平松さんが素敵だ。

 この本の装幀は、吉田浩美さん吉田篤弘さんによるクラフト・エヴィング商會の手によるもの。これもまた「小鳥来た日」のように、つい見つめたくなる。
  
(2013/05/10 投稿)

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  昨日の川上未映子さんに続いて
  今日も女流作家の作品の紹介です。
  今日は江國香織さん。
  この人も巧いですよね。
  どうして
  こんなにも物語をつくるのが
  巧いのか、
  今回は長編小説ですが
  ほとんど破たんがありません。
  川上未映子さんの時にも書きましたが
  この作品でも
  表紙絵がいいですね。
  タイトルの『はだかんぼうたち』もいい。
  こういう感覚は
  男性ではちょっとでないかも。
  ところで、今日の作品は
  ほんとうにオススメ。
  母と娘の感覚は
  私にはわかりませんが、
  なんとなくこんな感じなのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

はだかんぼうたちはだかんぼうたち
(2013/03/27)
江國 香織

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sai.wingpen  あやとり                   

 あやとり、というのは不思議な遊びだ。
 たった一本の紐さえあれば、遊べてしまう。紐を輪にして、両手に指にかけて、はずしたりひっかけたりして形を作っていく。右手の親指と左手の小指、あるいは逆の手の中指と薬指。
 時には、もう一人の手も加わって、さらに複雑になる。
 ほうきができたとか、梯子ができたとか、たわいもない。
 それでも、指と指の間にかかる紐の関係の複雑さといったら、ない。
 「みんな一体何を求めて、あっちとくっついたりこっちとくっついたりするのだろう」、この長編物語の登場人物の一人、42歳で独身をつらぬく女性陽の言葉は、まるであやとりのことを言っているように聞こえる。
 陽たちの関係は、どんな図柄をこしらえただろう。
 人間関係というあやとりで。

 歯科医の桃は陽の妹。36歳になる彼女もまた未婚。最近結婚間近だった男と別れて、9歳年下の鯖崎と付き合い始めた。性交渉はあるが、結婚の意志はない。
 二人の両親は仲のよい夫婦だ。妻の由紀は夫との生活に満足している。だからだろうか、自由きままな娘二人の生活に理解できないでいる。
 娘たち二人も、父親にべったり寄り添う母親のことが理解できない。
 親子だから、すべてわかりあえるというものではない。特に、母と娘の関係は微妙にもつれてしまう。
 桃の学生時代からの友人響子もまた小学生の娘のことがだんだんわからなくなっている。
 独身のままの桃と違って、響子には四人の子どもがいる。そんな響子に、桃と付き合っている鯖崎がひかれていく。

 彼らとつながる人たちはまだいる。
 響子の母和枝の恋人山口。二人はインターネットの出会い系サイトで出会った。しかも山口には妻子がいる。和枝と出会った山口は、妻子と別れようとしている矢先、和枝が突然亡くなってしまう。
 和枝の家に一人残された山口に、下宿人の安寿美が実家の農業の手伝いを紹介したり、さらに紐はこんがらがってくる。

 それでも、一人ひとりは、みんな「はだかんぼう」なのだ。
 あやとりの指が「はだかんぼう」のように。
 しかし、人は一人では生きていけない。どんな関係にしろ、さまざまな人とのつながりで生きていくしかない。
桃や陽、響子たちのそれぞれの思いが、あっちへつながり、こっちで捩れる。
 できあがった模様こそ、その人の人生そのものなのだ。
 江國香織の巧さは、この作品でもみごとだ。

 表紙装画は、庄野ナホコの作品。不思議な感覚の絵だが、これもまた、いい。
  
(2013/05/09 投稿)

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  最近本屋さんに行って
  目につく本のほとんどが
  女流作家の作品なのは
  どうしてかと、自分でも思う。
  まず、彼女たちの本の装丁がいい。
  本、ここでは紙の本だが
  をファッション感覚で
  こしらえているように思います。
  今日紹介する
  川上未映子さんの『愛の夢とか』の
  表紙のなんとすてきなこと。
  それにタイトルのつけかたのうまさ。
  男性作家ではこうはいきせんね。
  もちろん、
  作品だって、いい。
  大きな声でいえば、
  私は女流作家が好きです。

  じゃあ、読もう。

愛の夢とか愛の夢とか
(2013/03/29)
川上 未映子

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sai.wingpen  アイスクリームのようにとろけさせて                   

 最近女性作家の活躍が著しい。
 川上弘美とかよしもとばなな、小川洋子に角田光代、さらにはこの作品の川上未映子のように、作品がどれもこれも安定している。しかも、彼女たちの人間を視る目や恋愛、これには性愛も含めていいが、についての深みなど、かつて男性作家たちが暗い顔をして描いていたことを、いとも簡単に乗り越えてしまっている。
 彼女たちの特長といえば、まず第一に文章がうまい。
 かつて作家になるためには苦難の修業時代があってみたいなところがあったが、彼女たちもきっと見えないところで苦労しているはずだが、それを感じさせないほどうまい。
 特に、川上未映子はその筆頭の一人だろう。

 恋愛について書かれた7つの短編を収めたこの短編集でも、文章や言葉の巧さにひき込まれる。
 アイスクリームを買いに来る彼にほのかな思いを寄せる少女を描いた「アイスクリーム熱」の書き出しがいい。 「まず冷たいこと。それから、甘いこと。」なんて、まるで川上の文章みたいではないか。
 表題作でもある「愛の夢とか」の書き出し、「ばらの花には何百という種類があるから、このばらの、ほんとうの名前はわからない。」も、いい。
 隣家の初老の女性が弾くピアノ曲に付き合わせられる四十女の「わたし」。終盤、見事に一曲弾き終った初老の女性とかわす「こころのこもったくちづけ」。まるで、映画のような場面である。

 7つの短編の中で一番好きなのは、「お花畑自身」。
 「悪魔がきたかと思いました、と声がしました。」という書き出しは、太宰治を感じさせる。
 そういえば、太宰治もとても文章の巧い作家、あまりに巧みすぎて誰もが一度ははまってしまう、だったが、川上も太宰のような人たらしの面がある。
 つい、聞き惚れてしまうのだ。
 豪奢な家と庭をもっていた主婦が夫の事業の失敗でそれらを手離すことになるのだが、諦めきれずにその庭に舞い戻る物語。狂気のようでありながら、自身はまっとうだと感じる姿は、太宰の作品にも登場する女性像でもある。
 最後の文章、「言いそびれておりましたが、わたしは悪魔ではありません。」も、太宰っぽい。

 この短編集の表紙装画(題字も)は、前田ひさえ。うまく作品の雰囲気を伝えている。
  
(2013/05/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  長かったゴールデンウィークも終わって
  やれやれ今日からまた仕事だと
  落ち込んでいる皆さんに、
  今日は気分を高める本を
  紹介しましょう。
  おなじみ、小宮一慶さんの
  『なれる最高の自分になる9つの行動』です。
  小宮一慶さんの本の中でも
  この本は自分を高めるためには
  ぴったりの一冊です。
  ビジネス本は
  時にビタミン剤よりも
  有効に効くと思っています。
  連休明け、仕事嫌だなぁと思っている人には
  抜群の効き目があると
  思いますよ。
  「時には自分を甘やかす」ことも大事と
  小宮一慶さんは書いています。
  ゴールデンウィークはまさに、そう。
  それが終わったのですから、
  さあ、なれる最高の自分をめざして
  がんばりましょう!

  じゃあ、読もう。

なれる最高の自分になる9つの行動なれる最高の自分になる9つの行動
(2013/03/26)
小宮一慶

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sai.wingpen  あなたにエールを                   

 経営コンサルタントの小宮一慶さんはよく大リーガーのイチロー選手のことを例にして書いています。誰もがイチロー選手みたいになりたいと思うけれど、イチロー選手に誰もがなれるわけではないと。
 つまり、なれるのは自分としての最高でしかない。
 もっとも、その「なれる最高の自分」さえ、あきらめてる人が多いのですが。
 この本はそういう人のために書かれた、自己啓発本です。

 本書のプロローグで著者の小宮氏は自身のキャリアについて振り返っています。小宮一慶とはどんな人なのか興味のある人はぜひお読み下さい。
 その冒頭、小宮氏はこう書いています。
 「誰でも、なれる最高の自分になれるのです」と。
 もっともこれは言い過ぎです。「誰でも」なれるわけではありません。それなりの努力をしないとなれません。
まず、そのことは理解して下さい。

 では、どうすればいいか。
 手っ取り早いのは、この本を読むこと。
 この本の中で小宮氏が書いている「9つの行動」をまず、実践することから始めるといいでしょう。
 「目標達成力」「考え方」「素直さ」「考える力」「時間力」「人間関係」「家庭円満」「ストレスマネジメント」「成長」という9つの側面から、どういう行動、考え方をとるべきかが書かれています。
 ビジネス本を読むコツでもありますが、まず目次を読んでみるのも方法です。

 その中でも、「考え方」は大事な側面です。
 これを間違うと、いくら成長しても間違った方向にいってしまいます。
 それでもいいんだ、それが自分のなれる最高の姿だ、と思っている人には、この本はふさわしくないでしょう。
 小宮氏のいう正しい考え方は、「前向きに生きる」と「利他心を持つ」です。特に後者の「利他心を持つ」が大事です。「利他心」とは、「自分だけ良ければそれでいいのではなく、関わる人みんなを幸せにしたいと、と思う気持ち」です。
 これがなかなかできません。わかっちゃいるけど、です。
 これは、リーダーの心得そのものといっていいでしょう。

 まず、正しい考え方をもって、「なれる最高の自分」をめざして下さい。
 そのための、エールと思って下さい。この本は。
  
(2013/05/07 投稿)

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 ゴールデンウィークも今日でおしまい。
 今日が仕事という人もいるでしょうし、旅行先から帰宅という人もいるでしょうね。
 私はこのゴールデンウィークに
 義母の墓参りをかねて
 兵庫県朝来市竹田にある
 天空の城と呼ばれる竹田城に行ってきました。
 今、お城ファンにとっては熱いスポットです。
 電車で行けば、姫路から出ている播但線の竹田駅がもより駅。
 私は地元に義姉が住んでいるので
 車でおくってもらいました。

 まず、お気に入りに一枚を紹介。

       竹田3


 ね、すごいでしょう。
 この緑、この空、この空間。
 まさに天空の城。
 5月4日の朝8時にふもとに着いたのですが、
 すでに渋滞。
 中腹にある駐車場には30分近く待ちました。
 あとで聞くと、
 これでもいい方ですって。
 4時間近く待った人もいるのだとか。
 待っている時間に誘導警備のおじさんに話を聞いたのですが
 写真とかで有名な雲海に浮かぶ城ですが
 あれは秋口にでる現象らしいです。
 人気になったのはここ何年か前かららしいのですが
 なんといっても
 昨年封切られた高倉健さん主演の『あなたへ』の映画で
 紹介されたのが大きいそうです。
 この映画は観ましたが、
 映画だからきれいに撮れているのだろうと思っていましたが
 竹田城に限っていえば、
 リアル竹田城も素晴らしかったです。
 おじさんの話のつづき。
 ファンが増えて、全国(沖縄から北海道)から押し寄せているそうです。
 ところが、マナーが悪くってと困っていました。
 これから、竹田城を訪問したいという皆さん、
 ぜひマナーは守りましょうね。

 このお城、とにかくすごいし、
 広い。
 標高353.7メートルの山城ですが
 お城そのものはありません。
 つまり、城跡ですよね。
 義姉に聞くと、昔はただ「城跡」と呼ばれていたそうで、
 「そういえば、遠足で登ったかな」という程度。
 地元の人の感覚では
 今のブームが過熱ぎみなんでしょうね。
 ここの石垣は穴太(あのう)積と呼ばれるもので
 信長の安土城と同じだとか。
 まずは、とくとご覧ください。

   竹田1
   竹田2


竹田4 帰りに、昔の民家を利用した「寺子屋」という喫茶店で休憩。
 竹田駅のそばにあります。
 町おこしの一環のチャレンジショップらしいですが、
 雰囲気がよくて、休憩に最適。
 おいしいバームクーヘンを頂きました。
 そうそう、
 竹田駅側からは
 竹田城行のシャトルバスもでていますので
 これを利用するのもいいですよ。
 名付けて、天空バス
 気分でてますよね。

 このあと、義姉に大町藤公園に連れていってもらいました。
 竹田5
 少し早かったかな。
 でも、ごらんのように、あたり一面藤、藤、藤。

 竹田6
 ここでは、ごらんのように
 立派な鯉のぼりの行列も楽しめました。

 朝来市生野には
 生野鉱山とか観光スポットもたくさんあります。
 なにより、町全体が観光に力をいれているのが感じられます。
 何度か来ましたが、
 旅人の目でみれば、これはこれでいいところ。
 黒澤明監督の出演で有名な俳優志村喬記念館
 (志村喬はこの生野で生まれたそうです)に入ったり
 昭和の時代に生野鉱山の社宅で食べていたという
 復刻生野ハヤシライスを食べたり、
 いやあ、いい旅でした。
 ちがった、
 義母の墓参りでした。

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プレゼント 書評こぼれ話

   今日は子供の日
  子供の日といえば
  柏餅、ちまき、菖蒲湯、
  でも、なんといっても
  こいのぼりでしょう。
  そこで、今日はそのものズバリ、
  西本鶏介さんの『そらとぶこいのぼり』を
  紹介します。
  こいのぼり
  表紙は左の写真を参照して下さい。
  この絵本のいいところは
  お話もいいですが、
  巻末に子供の日の由来とか
  さまざまな飾り付けのことが
  丁寧に書かれていることです。
  私たちは風習のもっている
  本来の意味を忘れていることが
  たくさんあります。
  こういうことって
  とても大切なことだと
  思います。

  じゃあ、読もう。

そらとぶこいのぼり (1980年) (えほん・こどもの四季)そらとぶこいのぼり (1980年) (えほん・こどもの四季)
(1980/10)
西本 鶏介

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sai.wingpen  こいのぼりのある風景                   

 私たちの国は小さな国だし、地震とか台風とかの自然災害もたくさんあります。
 でも、四季というとてもすばらしい季節があって、縦に長い国だから、桜という花でもそうですが、3月に満開になるところもあれば5月になってようやっとお花見が楽しめるところまであります。
 季節が豊かですから、それぞれにあった行事もたくさんあります。お隣の中国とか韓国から渡ってきたものもありますが、私たちの生活風土にあった行事に変わっていったものも多い。
 ところが、最近はそんな行事の意味さえわからなくなっていることが残念です。

 5月5日は子どもの日。
 男の子の節句とは知っている人も多いでしょうが、この日に鯉のぼりを飾るのはどうしてでしょう。
 最近はマンション用の小さな鯉のぼりが多くなって、悠然と大空に泳いでいる光景を見ることもあまりありません。
 もしかしたら、この絵本に出てくる男の子のように、鯉のぼりに乗って大空を飛びまわるといったことを想像する子どもも少なくなっているかもしれませんね。

 こうちゃんは幼稚園児。ビニールの袋で作った小さな鯉のぼりをおうちに持って帰る途中で、風で鯉のぼりを飛ばされてしまいます。
 こうちゃんはあわてて、木にひっかかった鯉のぼりを取ろうとします。ところが、鯉のぼりの丸い口に「ペロリ」と呑み込まれてしまいます。
 さあ、大変!
 でも、こうちゃんは逆に鯉のぼりの空の旅を楽しもうと思います。

 ベランダの鯉のぼりではなかなかこういう発想は出てこないと思います。田舎のおじいちゃんの家にあるくらいの鯉のぼりでないと。
 でも、どんなに小さな鯉のぼりであっても、子どもの成長を願う親の気持ちは同じです。
 鯉は滝のぼりといわれるように立身出世をあらわしているそうです。

 「みちのくは小家小家の鯉幟」。
 これは原石鼎(はらせきてい)という俳人の句。山の緑、花の白、ぽつんぽつんとある田舎の村の、小さな家に立つ鯉のぼり。
 こういう風景を大事にしたいものです。
 
(2013/05/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  おなじみ斎藤隆介さんと滝平二郎さんの
  コンビによる絵本
  『半日村』です。
  滝平二郎さんの絵は
  子供の日にぴったりな感じがしています。
  男の子はこうでないと、
  みたいな感じがあります。
  それって男の子の、
  勇敢といってもいいような気が
  しています。
  男の子は
  少しぐらい滝平二郎さんの絵のような
  男の子のようであっていい。
  だから、
  ゴールデンウィークには
  ぴったりの絵本だと
  私はひそかに思っているのです。

  じゃあ、読もう。

半日村 (創作絵本 36)半日村 (創作絵本 36)
(1980/09/25)
斎藤 隆介

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sai.wingpen  愚公、山を移す                   

 「ローマは一日にして成らず」という言葉は聞いたことがあるでしょう。
大きな事業は長年の努力なしにはできあがらないということ。
 これと同じような意味のことわざが中国にもあって、「愚公、山を移す」といいます。
 愚公というとても年老いた男が家の前の山を動かそうと土を運びはじめる。まわりの人はそんな愚公を馬鹿にするのですが、愚公は自分の子孫がそれを引き継いでくれたらいずれ山を動かすことができるだろうと怯まなかったという故事に由来しています。

 斎藤隆介さんと滝平二郎さんのコンビによる、この『半日村』は「愚公、山を移す」の教えを創作にしたものといえます。
 物語の舞台は半日村。朝はなかなか明けず、夜はうんと早くやってくる。
 だから、稲の育ちも悪く、半日村ではよその村の半分しかお米がとれません。
 どうしてかというと、村のうしろに高い山があるから。
 そんな村に生まれたから仕方がないと、村の人たちはあきらめていました。
 
 ある日、その山を登っていく男の子がいます。名前は一平。
 山のてっぺんにつくと持ってきた袋に土をいれて、それを山のふもとの湖に投げいれるということを始めます。
 中国の故事にあるような、愚公と同じです。
 でも、ひとつだけ違うことがあります。
 子どもたちです。
 初めの時こそ一平のことを馬鹿にしていた子どもたちですが、そのうちに二人、三人と一平の仲間になっていきます。
 そうなると、仲間はずれにされるのが嫌で、みんな一平の仲間になっていきます。
 そんな子どもたちの様子を見ていたおとなたちも、土の掘り方や運び方を教えるようになり、ついには村中の人が一平の仲間になるのです。
 半日村の全員が愚公になったのです。

 それでも、山が小さくなるなんてなかなか叶うことではありません。
 一平もいまではりっぱなおとな。子どももいます。それでも、この村の人たちは山をけずりつづけます。
 そして、ついに、鶏の声とともに朝日がさすようになります。

 現代を生きる私たちは、愚公のことや半日村の人たちのことを忘れてしまいがちです。
 できないとすぐにあきらめてしまいます。
 どんなに技術が向上しても、すぐにはできないことがたくさんあります。
 あきらめるのではなく、できるまで続ける。
 山だって動くのです。
  
(2013/05/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日からゴールデンウィーク後半。
  今日は憲法記念日
  最近憲法改正の論議が活発ですが
  丁寧にしてもらいたいと
  思います。
  戦後日本人がとっても大切にしてきた
  憲法なのですから。
  さて、今日から
  子供の日をはさむ
  ゴールデンウィークですから
  児童文学や絵本を
  紹介していきたいと思います。
  子どもたちと一緒に
  いい作品に出会えますことを。
  今日は、
  児童文学の名作中の名作、
  ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生アフリカゆき』を
  紹介します。
  この「ドリトル先生シリーズ」は
  13冊もありますので
  これから毎月一冊は
  紹介していきたいと
  思っています。
  楽しみにしていて下さい。

  じゃあ、読もう。

ドリトル先生アフリカゆき (岩波少年文庫 (021))ドリトル先生アフリカゆき (岩波少年文庫 (021))
(2000/06/16)
ヒュー・ロフティング

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sai.wingpen  奇跡的な出会い                   

 もしかしたら、子どもの頃にこの本にめぐりあっていたら、少しばかり人生がちがっていたかもしれないと思わされるものがここにはあります。
 50歳代も後半になって、この本を初めて読んだというのも少々恥ずかしいのですが、そしてもしかしたら変わっていた人生をうらやみたくもなりますが、それはそれで、今ここで出会うのもよかったのではとも思ってもいます。
 これから人生の終焉にどう迎えるにしても、「ドリトル先生」に出会えない人生よりは少しマシではないかしらん。

 児童文学の定番、ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生アフリカ行き』は、作者が第一次世界大戦中に作者が息子たちに戦場から書き送った物語が元になっています。
 最初の本が刊行されたのが1920年。日本の年でいえば、大正9年のことです。
 この本が日本でいつまでも愛されているのは、もちろん、物語の楽しさもありますが、二人の日本人の功績を忘れてはいけません。
 一人が児童文学者の石井桃子さん。そして、もう一人が作家の井伏鱒二さん。
 井伏さんはこの本所載の「あとがき」の中で、この物語との出会いをこう書いています。
 「私が「ドリトル先生物語」を知ったのは、昭和十五年の春、児童文学作家の石井桃子さんに一読を勧められてからでした」。
 当時井伏さんと石井さんは近所に住んでいたそうです。
 昭和15年といえば、どんどん戦争の暗い雲が日本を覆い始めていた頃です。
 石井さんは子どもたちの世界が軍事色に染まることを危惧し、この物語を自分の手で出版しようとしたのです。
 そして、そのパートナーに井伏さんを選びました。
 結果として、井伏さんの訳は今でも楽しい日本語として読まれ続けています。
 もし、この作品が井伏さんの訳でなかったら、ここまで愛され続けることはなかったかもしれません。

 物語は紹介するまでもないでしょうが、動物語を話す獣医のドリトル先生が動物たちのために大活躍するものです。
 ドリトル先生はけっして最初から動物語を話せたわけではなく、ある日飼っていたオウムのポリネシアに動物たちも言葉を話すことを教えられて猛勉強したおかげなのです。
 人間、何がきっかけで才能が開花するかわかりません。

 やっぱり、子どもの頃にこの本に出会っていたら、動物語を話せたかもしれないなんて考えるのも、少しばかり楽しいものです。
  
(2013/05/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昔、鬼畜という言葉が
  流行ったことがあります。
  野村芳太郎監督で映画化もされた
  松本清張の作品にもなっています。
  映画化されたのが1978年。
  当時は子どもを虐待する親というのは
  鬼畜生と呼ばれるくらい
  珍しいことでもあったのです。
  今では
  そんなことが日常茶飯になっていて
  あ、またかと思うくらいです。
  安易に子どもを産む。
  その始末に困った親たち。
  今日紹介する
  よしもとばななさんの
  『さきちゃんたちの夜』は
  そんな話ではないですが
  書評に書いたようなことを
  思わないでもありません。
  せっかくいい名前をつけた子どもたちの
  明日をなくしてはいけません。

  じゃあ、読もう。

さきちゃんたちの夜さきちゃんたちの夜
(2013/03/29)
よしもと ばなな

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sai.wingpen  名前がついた日、みんな幸福だったはず                   

 子どもに対する親の虐待があとを絶たない。「シンデレラ」の時代のまま母のイジメならともかく、実の親による虐待事件は心を暗くする。
 子どもが誕生し、その子にどんな名前をつけようかと悩んでいた時、それはきっと何ごとにも変えられない幸福の時間であったろう、親はその子の未来の仕合せを祈らずにはいられなかったはず。
 それなのに、名前のついたその子の命を自らの手で絶つという、なんという悲しさ。
 名前をもったその時から、子どもには生きる意味があったはずなのに。親が願った、名前の意味とともに。

 早紀、紗季、咲、沙季、崎、さき、「なんとも言えない明るいものや楽しいもの、ほうっておけない気持ち、いろんなものがこもって」いそうな、「さき」という名前のついた女性たちを主人公にした、よしもとばななさんの五つの短編集である。(表題作でもある『さきちゃんたちの夜』には、二人のさきちゃんが登場する)。
 よしもとさんの小説はいつもながら心がほっとして、この短編集の物語もけっして幸福な風景ではないにもかかわらず、けっして惨めでも不幸でもなく、ああ明日がまた来るのだとあまりに当然すぎてみんなが忘れているような、しかしそれは実はとって仕合せなことだということを、思い出させてくれるのが、とてもいい。
 子どもに何があったにしろその命に手をかけようと思い詰めている親がいれば、よしもとさんの作品を読めば、どんなに小さな命であれ、それがあったかいものだということがわかるだろうに。

 かつて自分の担当作家であった高崎くんの失踪事件にまきこまれる早紀を描いた「スポンジ」、宮崎で家族もなく一人亡くなったおばさんの家を訪ねる紗季は「鬼っ子」という作品の主人公。
 別れた父の祖父母たちが作る豆スープ作りに勤しむ咲の姿は「癒しの豆スープ」で描かれる。「天使」という作品は、自分(沙季)のことを天使と呼ぶ男との切ない恋物語。
 そして、表題作の「さきちゃんたちの夜」は、父親を不慮の事故で亡くしたばかりの小学生の女の子さきと、父親と双子だったおばさんの崎との、悲しみから希望へて向かう一夜の物語。

 「基本的にはきつい時代をなるべく軽々と生き抜こうとする」彼女たちの姿は、ほしよりこさんの挿画と合わさって、清々しい。
  
(2013/05/02 投稿)

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