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プレゼント 書評こぼれ話

  このブログでは
  読者の皆さんが読みたいなぁと思う本を
  できるだけ紹介しようと
  思っているのですが、
  もっともかなり個人的な好みもはいっていますが、
  今日紹介する
  みやにしたつやさんの『ふじさんファミリー』を
  見つけた時は
  まさに

   紹介するなら 今でしょ!

  って小躍りしましたね。
  富士山が世界遺産になって
  この絵本ですよ。
  ピース!
  よく銭湯と富士山の絵といわれますが
  私は見たことがないんですよね。
  学生時代は銭湯だったのですが
  ちっとも覚えていません。
  本当に富士山が描かれていたのでしょうか。

  じゃあ、読もう。
  

ふじさんファミリー (新しいえほん)ふじさんファミリー (新しいえほん)
(2012/02/17)
みやにし たつや

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sai.wingpen  富士山世界遺産登録を祝して                   

 富士山が世界遺産に登録されました。
 めでたい。
 あっぱれ、日本一。
 やっぱり富士山というのは日本一の山ですから、正直うれしいと感じるのは、日本人だからでしょうね。
 初めて富士山を見たのはいくつだったかしら。中学生の修学旅行が東京だったから見るとしたらその時が最初。 でも、まったく記憶がありません。
 大学受験の時にも東京に向かったはずですが、これも記憶にない。
 東京の大学にはいって帰省の都度、富士山が見れたら運がいいやぐらいは思っていました。新幹線の車窓からつい見てしまうのは、今でもそう。
 見るたびにほれぼれする。いつ見ても、いいお姿です。
 きっと今年のかき氷は「富士山氷」なんて流行るんでしょうね。

 そんな時に見つけた、みやにしたつやさんの楽しい絵本がこれ。
 富士山に家族があったなんていう発想が素晴らしい。
 主人公は「ふじ さんしろう」という男の子(というより、山なんですが)。パパは日本一の、というか今は世界遺産の、「ふじパパ」。ママは「ふじママ」。ママのピンクの山肌がなんともいえない。
 このたび、さんしろう君に妹が誕生して、ふじママの関心はすっかり赤ちゃんにとられてしまいます。
 怒ったさんしろう君はついに家出を敢行したから、さあ大変。
 山の仲間総出で、さんしろう君を探すのです。

 物語はよくあるパターンですが、なんといっても登場するのは富士山ですから、その魅力でひっぱっていきます。
 ふじパパもふじママも山肌の色はちがっても、頭に雪の冠をのせ、鋭角になだれおちる姿は富士山そのもの。
 さんしろう君はまだ子どもですから、そこまでりっぱな形をしていません。どちらかといえば、台形。
 成長したら、ふじパパのようにりっぱな姿になるんでしょうね。

 でも、パパが世界遺産になっちゃって、さんしろう君もクラスで自慢してるんだろうなぁ。ふじパパはPTAの会長なんか頼まれるのだろうか。
  
(2013/06/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日まで昭和30年代、昭和40年代に
  関係した本を紹介してきましたが
  いかにあの頃アニメに夢中になっていたか。
  その一方で
  性に関心も持ち始めた頃だというのも
  面白いというか
  少年というのは難しいですね。
  今日紹介する
  大崎善生さんの『赦す人』は
  SM官能作家の団鬼六さんの生涯を
  描いた長編です。
  団鬼六さんというのが
  いかに破天荒に生きたか
  そしてそれがなんとも生き生きしていたかが
  わかる本です。
  団鬼六さんは
  その名前があったからこそ
  巨匠になったともいえて
  こんな素晴らしいペンネームは
  これから先も出てこないんじゃないかな。
  三島由紀夫よりはいいでしょ、多分。

  じゃあ、読もう。

赦す人赦す人
(2012/11/30)
大崎 善生

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sai.wingpen  That's 団鬼六                   

 その訃報がNHKニュースにも流れたという、国民的「変態SM作家」団鬼六の波乱に富んだ一生を描いた長編力作である。
 著者の大崎善生氏は昭和32年生まれで昭和6年生まれの鬼六とは父と子ほど年が離れている。
 その大崎が「変態SM作家」の第一人者である鬼六の生涯を描くに至るには、鬼六のもうひとつの道楽である将棋が関係している。
 団鬼六には『真剣師 小池重明』というアマ棋士を描いた代表作があるが、大崎もまた『聖の青春』という天才棋士を描いた代表作がある。
 二人は官能の世界ではなく、将棋の世界で関係を結ぶ。

 私が団鬼六というおぞましい名前を知ったのは、雑誌「SMセレクト」や「SMファン」などSM雑がブームとなっていた昭和45年前後の、まだ15、6歳の頃だったと思う。
 刺激的なこれらの雑誌のほとんどに鬼六は連載をもっていて、そのおどろおどろしい名前とともに印象に残った。
 ただ個人的にはけっして好みの作品ではなかった。和装の麗夫人といっても中学生にはピンとこなかった。
 鬼六の代表作『花と蛇』が角川文庫のラインナップになった時は正直びっくりした。それほど鬼六は文学の世界にあっても異端児だった。
 鬼六の晩年、それまでその名前では公表さえできなかった老舗の文芸誌に続々と作品を発表する。世の中はSMという性行為さえ受け入れ可能なほど性文学は熟していたといえる。
 そんな時代背景があったにしろ、鬼六の文学が受け入れられたのは他の官能小説作家と一線を画する文章のうまさであったと思う。
 晩年の鬼六の代表作を読んでも欲望を掻き立てられることはほとんどない。性描写という素材にもたれかかることなく、読ませる技量が他の作家を寄せつけない。

 大崎は鬼六にとってSM小説は「希望の言葉」だったという。「欲望ではなく希望」、それはあまりにも美しすぎる言い方だろう。
 鬼六もそこまで言われると、こそばゆいだろう。
 鬼六が中学の教員をしながらSM小説を書いていたとしても、鬼六自身に「希望」を書いているなどといった思いはなかっただろう。
 ひたすらエロに、ひたすらスケベに。
 だから、「変態SM作家」団鬼六に多くのファンがついていったのではないか。

 こうして鬼六の華やかさと影に彩られた79歳の生涯をたどった時、やはり最後の「文士」としてこれからも愛されることを願わずにはいられない。
  
(2013/06/29 投稿)

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  今日は昨日のつづき。
  昨日テレビアニメのことを書きましたが
  『テレビアニメ魂』(山崎 敬之)という本の書評を
  書いていたことがあって、
  書いたのは2005年。
  今日は蔵出し書評です。
  久しぶりに読みかえすと
  『巨人の星』のこと
  いっぱい書いていますね。
  私たちの世代には
  「鉄腕アトム」派と「鉄人28号」派があるように
  「巨人の星」派と「明日のジョー」派があって、
  アニメでは「巨人の星」の方が好きかな。
  そういえば、
  女の子の漫画でも
  「アタック№1」派と「サインはV」派がいたのかな。
  でも、「サインはV」はどうしてアニメではなく
  実写でしたのかな。

  じゃあ、読もう。
  

テレビアニメ魂テレビアニメ魂
(2005/05/19)
山崎 敬之

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sai.wingpen  だけど涙が出ちゃうアニメ好きだもん                   

 新聞を読む楽しみのひとつに本の広告がある。
 忙しくてほとんど記事を読むことがなくても、新聞下段の新刊本の広告には目を通す。本好きの人ならそんな心理はわかってもらえるだろう。
 過日そんな私を惹きつけたのが「講談社現代新書」の新刊広告だった。<星飛雄馬は最終回で死ぬはずだった。(ええっ、どういうこと!)『アタック№1』の歌詞を書いたのは二日酔いの僕(僕って誰よ)…>(注:括弧内はその時の私の心の声である)この広告を見つけただけで、この日の新聞を読んだ価値はあった。

 あの有名は「だけど涙がでちゃう 女の子だもん」というテレビアニメ『アタック№1』の主題歌の歌詞を書いたのが、この本の著者山崎敬之氏である。
 山崎氏はかつてアニメ製作会社「東京ムービー」(この社名を聞いただけで胸おどる人も大勢いるのではないだろうか)に勤務して、多くのアニメの製作にかかわってきた。そんな氏の書いたこの本は今や日本が誇る文化となったアニメの歴史の一端を垣間見せてくれる。

 特に驚異的な視聴率で私たちを虜にした『巨人の星』のエピソードは今更ながら興味をひくものだ。(その中のひとつが<星飛雄馬は最終回で死ぬはずだった>だ)
 当時十代の前半だった私もテレビアニメ『巨人の星』には夢中になった。
 オープニングの映像は今でも覚えている。
 二塁への走塁、続けての応援団の歓声、それに続く主題歌の伴奏の始まり…(この一連の流れが判る人こそ同世代の仲間だといえる)。
 それほどまでに夢中になったアニメ『巨人の星』だが、この本の中で秘話が語られる最終回を私は見ていない。ちょうど高校受験前の中学三年で、最終回の当日に塾に行かなければならなかったのだ。
 再放送でも見た記憶がないから、あの憾みの日以来、私にとってのアニメ『巨人の星』は終了していないことになる。

 私が子供だった頃、テレビアニメはまさに宝の箱に仕舞われた至宝の番組だった。
 今も多くのチャンネルでアニメが放送されているし、映画の世界では海外の有名な映画賞を受賞するまでに成長している。
 そのリアルさやスピードはアニメ黎明期だった昭和四十年代初めとは比較しようもないくらい進化した。しかし、当時のアニメが私たちを魅了したような強い力が今のアニメにあるかは、私にはわからない。
 私は子供ではなくなった。
 私自身が現在のアニメを純粋に見る方法を持ち合わせていないのも事実だろう。その一方で爛熟期にはいった文化が初期の情熱を失いつつあるのも真実かもしれない。
 山崎氏のこの著作はアニメ黎明期から脈々と続く、子供たちにいい作品を届けたいと念じる多くのアニメーターたちの「テレビアニメ魂」の発露であると、昔アニメ好き少年だった私は信じたい。
  
(2005/06/05 投稿)

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  今日紹介する
  黒沢哲哉さんの『ぼくらの60~70年代宝箱』も
  昨日紹介した『なつかしの昭和30年代図鑑』と同じく
  いやもう
  私にはたまらない本です。
  子どもの頃に目の前にあったモノのオンパレードなんですから。
  しかも、この本は
  当時の漫画やおもちゃの写真図録が
  てんこもり。
  いやもう。
  書評にもチラッと書いた
  「スーパージェッター」や「狼少年ケン」ですが
  それ以外に宇宙エースとか
  風のフジ丸とか
  大好きなアニメもいっぱい。
  すぐ思い出すのは
  いかにたくさん見ていたかということですよね。
  ゲームとかスマホとかなかった時代、
  ぼくらにはたくさんのアニメがありました。

  じゃあ、読もう。

ぼくらの60~70年代宝箱ぼくらの60~70年代宝箱
(2006/09)
黒沢 哲哉

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sai.wingpen  「メンコ」と「ベッタン」                   

 昭和30年代の男の子たちの遊びとして人気の高い「メンコ」。大阪の子どもだった私には「べったん」という方が懐かしい。
 「メンコ」なんて気障ったらしい。
 1960年代から70年代の懐かしい漫画やおもちゃや文具などを紹介したこの本の著者黒沢哲也さんは昭和32年東京葛飾で生まれたからもちろん「メンコ」派。
 「メンコ!!ながめるだけでこんなに楽しい」の項を読むと、呼び名はちがっても「地面に置いたメンコに、自分のメンコをぶつけ、裏返したら相手のメンコがもらえる」と、遊び方の基本は同じ。
 地面に叩き付ける音から「ベッタン」となったのだろうか。実際は「パシッ!」という感じだが、関西風になまったとか。

 「ベッタン」(東京の人は「メンコ」に読み替えて下さい)の魅力はその図柄にもあって、当時流行っていた漫画やテレビのヒーローが多く印刷されていた。
 この本の秀逸なのは、冒頭に「鉄腕アトム」ではなく、「鉄人28号」のことから書き始めていること。
 この二つの漫画はともに昭和30年代を代表する漫画雑誌「少年」に掲載されていたもので、男の子たちの人気を二分していた。
 作者は「アトム」が手塚治虫で、「鉄人」は横山光輝。二人とも昭和の巨匠だ。
 ともにTVアニメにもなっているが、面白いのは提供会社が二つともお菓子メーカーだということ。ここでもライバルである。
 そういえば、当時のアニメの提供はほとんどお菓子メーカーだったような気がする。何故かそういうこともよく覚えている。

 その頃の漫画の主人公なら今でもソラで描ける。「鉄人28号」なんてバッチリだ。
 ロー石(といってもわからない人が多いだろうが、この本にももちろん載っている)とか棒きれで道とかにでっかい「鉄人」を描いた世代は、白紙の紙がふんだんになかった世代だし、車も今のように多くはなかったから道で遊んでも平気だった。
 何しろ著者が同世代ということもあって、「スーパージェッター」の項や「狼少年ケン」の項など懐かしさに感涙もので、特に「楳図マンガ」の項は少女漫画雑誌に掲載されていた「まだらの少女」などを男の友達に見つからないようこっそり読んでは恐怖に陥っていた話で、よくぞ書いてくれましたと拍手したくなる。

 「ベッタン」と「メンコ」のちがいはあっても、なんだ、あの頃の子どもはどこに住んでいても、やっぱし同じなんだということを実感させられた宝物本である。
  
(2013/06/27 投稿)

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  若い人には
  表紙に描かれたイラストが何なのか
  わからないでしょうね。
  月光仮面、力道山、美空ひばり…。
  それに、ダッコちゃん。
  これはビニールの人形で腕につけて
  歩く人がたくさんいました。
  今日紹介するのは
  奥成達さんの『なつかしの昭和30年代図鑑』。
  そう、なつかしいのです。
  イラストはながたはるみさん。
  その魅力は書評にも書きました。
  書評の中には
  私の文通体験も書きましたが、
  確か毎日小学生新聞かなにかで
  始めたのではなかったかな。
  写真も交換した? かな。
  猪苗代湖の女の子だと覚えているのは
  その子がその湖畔で映っていたから。
  それから何十年もして
  実際の猪苗代湖に行ったことがあって
  もしかした偶然に出会ったら
  それはドラマでしょうが、
  もちろん会うことはありませんでした。
 
  じゃあ、読もう。

なつかしの昭和30年代図鑑なつかしの昭和30年代図鑑
(2005/11)
奥成 達

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sai.wingpen  タイムマシンにのって                   

 世代論というのがどこまで有効なのかはわからないが、少なくとも上は兄(または姉)の世代、下は弟(または妹)の世代であれば同世代として話が通用するのではないかしらん。
 もっともうんと年の離れた兄さんとかは別だが。
 この本を書いた奥成達氏は昭和17年生まれだというから、昭和30年生まれの私にとって一回りも上の世代となる。
 「昭和30年代」とひとくくりにいっても、小学生だった私と、中学から高校ともうしっかり記憶に残る時期の奥成氏とは印象もちがう。ましては、昭和30年代なんておじいちゃんの時代だという若者にとっては、映画「 ALWAYS 三丁目の夕日」の世界だろう。

 まず書いておくと、この本には写真図版は掲載されていない。
 当時の様子はながたはるみ氏のイラストで再現されている。がっがりされる向きもあるだろうが、これが実にうまいし、いいのである。おそらく実物や写真をもとに描いているのだろうが、写真以上に当時に雰囲気がよくでている。漫画雑誌の表紙絵や映画のポスターなど実物以上といっていい。
 イラストだけでも十分楽しめる。
 例えば、「伏臥上体そらし」や「垂直とび」といった、女子のブルマ姿も懐かしい運動能力テスト風景など、あの頃を知っているものには極め付きといっていい。

 この時代のことを書いた本はすでに数多く出版されているから、出版物としてどう特色を出すかはどれだけあの頃の雰囲気を伝えるアイテムを抽出するかだ。
 この本でいえば、「文通」がそれにあたるかもしれない。昭和30年代の雑誌には「文通希望」コーナーが必ずといってあったものだ。
 ネットが広く流通している現代では想像できないかもしれないが、「文通」は異性を知る、あるいは異空間を知る情報ツールであったことはまちがいない。
 私にも経験がある。
 小学6年か中学1年の頃だ。昭和でいえば40年の初めだ。記憶でいえば、「文通」相手は福島の猪苗代の女の子だった。いやあ、まったく懐かしい。

 昭和30年代を過ごしたものにとって、ささやかなヒントがあればあの時代に還ることができる。
 そういえば、TVドラマに「タイムトンネル」という番組があったが、この本もさしずめ「タイムマシン」といえる。
 あなたならどの時代に還るだろうか。
  
(2013/06/26 投稿)

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  谷川俊太郎さんの新しい詩集です。
  この春まで、
  朝日新聞に毎月一回連載されていたものを
  集めたものです。
  詩を読むのは
  言葉を信じることともいえます。
  そんな時間をもっと大事にしないと。
  書評の中にもいくつかの詩を
  紹介しましたが
  そのほかにも「キンセン」と題された
  認知症のおばあちゃんを詠んだ作品が
  印象に残っています。

   ひとりでご飯を食べられなくなっても
   ここがどこか分からなくなっても
   自分の名前を忘れてしまっても
   おばあちゃんの心は健在

   私には見えないところで
   いろんな人たちに会っている
   きれいな景色を見ている
   思い出の中の音楽を聴いている

  この詩を読みながら
  亡くなった父のことを思い出していました。
  亡くなる前、私の名前を忘れてしまった父。
  きっと、この詩のように
  それでも父の心は健在、だったのでしょう。
  いろんなことを思う、
  いい詩集でした。

  じゃあ、読もう。

こころこころ
(2013/06/07)
谷川俊太郎

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sai.wingpen  ひとりひとりの心に                   

 こころは、自分のもののはずなのに、どうして時に自分を置き去りにしてしまうのだろう。
 詩や小説を読んだりすればそんなことにも慣れていくはずなのに、そうだそれらにはそんなこころのことがいつもたくさん書かれていてこころに置き去りにされることなんて十分にわかっているはず、それでもこころが離れていくのはつらい。
 「自分で作った迷路に迷って/出口を探してうろうろしてる」、この詩集に収められた「出口」という詩の、冒頭の一節。
 こころが自分を置き去りにしたのではなく、自分がこしらえた「迷路」。
 その詩に書かれた「心は迷子」という一節に、胸がいたくなる。

 この詩集は谷川俊太郎さんが朝日新聞に毎月「今月の詩」として2008年4月から2013年3月まで連載していたものを集めたもの。
 連載時に時々は目にしていたが、こうして一冊の詩集にまとめられると、「こころ」というキーワードで谷川さんが毎月詩を詠んでいたことに初めて思い至る。

 連載期間でわかるように、東日本大震災が起こった2011年3月11日も、たぶん谷川さんは「こころ」について思いを寄せていただろう。
 その時の詩が「シヴァ」。「大地の叱責か/海の諫言か/天は無言/母なる星の厳しさに/心はおののく」と、「破壊と創造」の神シヴァになぞらえて詩を詠んだ。
 その次の、「言葉」と題された詩がいい。
 「何もかも失って/言葉まで失ったが/言葉は壊れなかった/流されなかった/ひとりひとりの心の底で」で始まる詩にどれだけの人が癒されたことだろう。
 私たちは、こころを「流されなかった」。

 連載の最後の詩、「そのあと」の最後の節で、谷川さんはこう詠った。
 「そのあとがある/世界に そして/ひとりひとりの心に」と。
 こうして並べてみるとよくわかる。震災直後に詠んだ詩と見事につながっている「ひとりひとりの心」。
 わたしたちはこころを置き去りにすることなんてできない。こころより少し先走るものは、拙い感情。それをどう抑え込んで、生きていくか。
 谷川さんの後期の代表作になるだろう、素晴らしい詩集である。
  
(2013/06/25 投稿)

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  いよいよ官軍が会津に攻め寄ってきた。
  NHK大河ドラマ「八重の桜」の話です。
  いよいよ会津での戦いが本格化して
  ドラマも佳境に入ってきました。
  NHK大河ドラマをこの時期まで見たことはなかったのですが
  今回は面白いですね。
  これまでにも何冊か「会津もの」の本を紹介してきましたが
  案外大河ドラマって
  こういった歴史書と読むと
  面白いかも。
  大河ドラマを楽しく見るための秘訣。
  今日紹介する星亮一さんの『幕末の会津藩―運命を決めた上洛』も
  そんな一冊。
  ここでは京都からひきあげるまでが
  描かれています。
  中公新書にはほかにも
  この時代関連のものがいくつもありますので
  また紹介したいと思います。

  じゃあ、読もう。

幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書)幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書)
(2001/12)
星 亮一

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sai.wingpen  至誠の心                   

 歴史に「もしも」はありえないが、もし会津藩主松平容保が京都守護職を受けなかったら、幕末期会津藩が受けた悲劇は避けられたかもしれない。
 少なくとも何度かの守護職辞職の願いが聞き入れられていたら、幕末の会津藩の様相は変わっていただろう。
 あるいは、最後の将軍が徳川慶喜でなければ。歴史に「もしも」はないが、それを考えてしまうのは、歴史書を読む面白さでもある。

 もちろん論点に「もしも」をいれることはできない。どころか、当時の史料をていねいに読むことでその実態を明らかにする細かい作業でもある。
 数多くの会津藩の歴史書を描いてきた星亮一氏は、中公新書にも何冊かの幕末の会津藩の姿を記した好著を残している。この本はそのうちの一冊で、2001年12月に刊行されている。
 この本では、偶然に発見され2000年に会津若松市が刊行したばかりの『幕末会津藩往復文書』を読み解くことで、京都での会津藩士たちの苦難の姿が明らかにされている。

 容保には最後の将軍慶喜を恨む詩が残されているという。「なんすれぞ大樹(将軍のこと)、連枝(一門や自分のこと)をなげうつ」と詩の一節にある。
 守護職辞意を認めず、藩士を見捨てて大阪を離れる道連れとし、江戸に戻るや投げ捨てるように会津に帰藩させた慶喜。いくら将軍家に忠誠を示せと家訓にあれど、容保は終生慶喜を恨んだのではないだろうか。
 それは星氏にもあるようで、本書の端々に慶喜の批判が書かれている。例えば、「慶喜は思い込みの激しい人で、他人を心から信じることはなかった」、「やり方は強引」、「家康の再来とまでいわれた慶喜だったが、家康の足もとにも及ばないただの将軍」と、言葉は苛烈だ。

 それらは慶喜の性格であった。そういう人を将軍職に選ばざるを得なかったというのが幕府の不幸である。その一方で、会津武士たちの心はどうだったか。
 星氏は「至誠貫天」が「会津藩全体を貫く思想」だったと見ている。ただ、「至誠」だけでは生き延びることはできない。不条理だがそれは理(ことわり)だろう。
 会津藩の不幸は、「至誠」だったがゆえの、美しい悲しみである。
  
(2013/06/24 投稿)

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  今年にはいって
  新美南吉の絵本を何冊か読みました。
  それが新美南吉の生誕100年と関係していたことを
  最近知りました。
  たまたま訪れた
  東京・上野にある国際子ども図書館では
  新美南吉の特別コーナーの展示が
  ありました。
  小さい展示でしたが。
  ちなみに、
  この国際子ども図書館
  国立国会図書館の分館になっていて
  子どもの本だけが収集されています。
  絵本や児童文学に興味のある人は
  行かれてみてはどうでしょう。
  私が行った時は
  外国の人たちもかなりいました。
  では、新美南吉の『あかいろうそく』を
  お楽しみください。

  じゃあ、読もう。

あかいろうそく (フレーベル館復刊絵本セレクション)あかいろうそく (フレーベル館復刊絵本セレクション)
(2013/05)
新美 南吉

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sai.wingpen  新美南吉が願ったもの                   

 童話作家新美南吉は今年生誕100年を迎えます。
 少しおさらい程度に新美のことを書くと、1913年愛知県半田市に生まれました、
 二十歳前には新美の代表作ともいえる『ごん狐』を雑誌「赤い鳥」に発表。その年には上京し、現在の東京外国語大学に入学しています。しかし、その後身体を壊して、帰郷、地元の教員として働きます。
 1943年、わずか29歳にして逝去。
 生前に発表した童話集は一作。死後、何冊か刊行されます。
 あまりにも切ない、一生だといえます。
 けれど、こうしていまだに多くのファンがいるというのは、作家としては幸福でしょう。
 幸福の基準はそれぞれあるとしても。

 この本は新美が22歳の時に書いた作品です。
 新美の作品の中では『ごん狐』や『手袋を買いに』といった作品ほど知名度はありません。
 物語自体も、小品といっていいかもしれません。
 山で暮らすさるが里で一本の赤いろうそくを拾うところから始まります。
 さるはそれが赤い色をしていたので、花火だと思い込んでしまいます。少しだけ智慧があるゆえに、山のほかの動物たちは花火すらどんなものか知らないのです、さるは山の動物たちに鼻高々です。
 この絵本の絵を担当しているのは、鈴木寿男さんという童画画家ですが、鈴木さんの絵の素敵なところは、このさるをけっして悪意で描いていないところです。
 知ったかぶりをする人は現代にもたくさんいます。どうしてもそういう人を絵にすると、狡賢い表情になるのですが、鈴木さんは新美のさるを人(さるですが)の良さそうな表情で描いています。
 さるは山の動物たちをだまそうとしたのではありません。花火(本当は単なるろうそくですが)を独り占めしようとした訳でもありません。

 この童話では、さるも、山の動物たちも、誰も悪さはしません。
 花火に火をつけようとする、動物たちの表情を楽しんでいるだけです。
 この作品の新美は明るい作家です。ほのぼのとした作家です。すでに喀血が出始めていたと思いますが、まだ生きる力を感じます。
 まさかこの作品から十年も経たずに、死んでしまうなど、思いもしなかったのではないでしょうか。

 新美南吉が願ったもの、それはひとつの赤いろうそくの、小さいけれど、明るいあかりに集まる平安だったのかもしれません。
  
(2013/06/23 投稿)

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 手塚治虫さんが「漫画の神様」と呼ばれることに異存はありません。
 「神様」を崇める多くの若者が、
 手塚さんのあとを追いかけるようにしてわんさと集まり、
 漫画が日本の文化の代表とまでなったことは事実そうだと思います。
 ただし、この「神様」は御簾の向こうでただ鎮座するだけではなかった。
 後輩たちの人気に嫉妬し、その手法を盗もうとし、
 時には出し抜くための小細工までした。
 そんな「神様」はいないでしょ。
 手塚治虫さんという漫画家の歴史を追跡すれば、
 実は「神様」とはほど遠い、自身の切磋琢磨と研究があったことがわかるのです。

 1928年(昭和3年)に生まれた手塚治虫さんは
 今年(2013年)生誕85年を迎えます。
 残念ながら、手塚さんは1989年(平成元年)2月9日、
 60歳で亡くなったのですが、
 もし生きていたとしてもまだ85歳なのです。
 いま85歳で元気な人はたくさんいる。
 いかに手塚さんが早く亡くなったか、
 神様と比べること自体勿体ないが、私は58歳。
 いやはや、なんとも、です。
 この雑誌、「手塚治虫とキャラクターの世界」は
 「漫画の神様」手塚治虫さんの生誕85周年を記念して編集された、「完全保存版」。
 しかも、第二次世界大戦中に描かれたという未発表漫画「南方基地」の
 独占初公開付き、
 それも袋とじなんですから
 檀蜜さんのヌード以上に興奮します。

『手塚治虫とキャラクターの世界』 (SAN-EI MOOK)『手塚治虫とキャラクターの世界』 (SAN-EI MOOK)
(2013/06/14)
不明

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 「漫画は世界共通言語ともいえるのです
 これは手塚治虫さんの名言のひとつ。
 「クール・ジャパン」をしっかり見据えていたんでしょうね、手塚さんは。
 手塚さんが描いた人気作はたくさんありすぎて
 どれが一番好きかと聞かれても、
 えーとアトムでしょ、
 レオでしょ、
 ブラックジャックでしょ、
 マグマ大使ははずせない、みたいにたくさんあるのですが、
 この雑誌ではなかでも外せない、人気6作品を貴重な第一話とともに
 その魅力に迫るという大特集が組まれています。
 ええい、ここは檀蜜さんみたいに袋とじしたいところですが、
 思い切って書いちゃうと、
 「鉄腕アトム」(当然でしょ)
 「ブラック・ジャック」(手塚後期の人気作)
 「ジャングル大帝」(TVアニメのオープニングの感動が忘れられません)
 「リボンの騎士」(宝塚に影響を受けた手塚らしい)
 「火の鳥」(文学に迫る漫画)
 「ブッダ」(個人的には未読ですのですみません)
 の6作品。
 おいおい、「マグマ大使」がないじゃないか、
 「ビッグX」はどうした?
 「どろろ」は? 「アドルフに告ぐ」は? 「奇子」は?
 なんて言いだしたらとまらない。
 それだけで手塚漫画の魅力がわかるというもの。

 この雑誌、ほかにも
 「限定特典」として「リボンの騎士」と「ジャングル大帝」の単行本未収録原画や
 「未公開原画集」までついていて、
 贅沢そのもの。
 手塚ワールドを満喫して下さい。
 ちなみに、来週6月29日から東京都現代美術館
 「特別展 手塚治虫×石ノ森章太郎 「マンガの力」」展が開催されます。
 行きたい。
 行きたい。
 行きますよ。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  直木賞作家北原亞以子さんの
  『傷―慶次郎縁側日記』。
  いわゆる「慶次郎縁側日記」シリーズの第1作め。
  「縁側日記」というように
  この物語の主人公森口慶次郎は
  かつて南町奉行所同心でしたが
  隠居となって
  活躍します。
  そういう年令の主人公に
  魅かれるのも
  そろそろ私もそういう年だからでしょうか。
  それに、時代小説というのも
  いいですね。
  激しいチャンバラ劇はありませんが
  江戸の人情といえば
  古典落語の味わいもあります。
  読書の傾向も
  年と共に変化していくようです。
  とびとびにはなるでしょうが、
  しばらく「慶次郎縁側日記」シリーズを
  読んでみようと思います。

  じゃあ、読もう。

傷―慶次郎縁側日記 (新潮文庫)傷―慶次郎縁側日記 (新潮文庫)
(2001/03/28)
北原 亞以子

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sai.wingpen  「おいしい」時代小説                   

 時々無性に「おいしい」ものが食べたくなる時がないだろうか。
 だからといって高級食材を使った西洋料理とかでなくて、なんとも素朴な味わいのある料理。そう、肉じゃがとか厚焼き玉子とか。
 そんな感覚は読書にもあって、無性に「おいしい」ものが読みたくなることがある。
 2013年3月亡くなった北原亞以子さんの人気時代小説シリーズ『慶次郎縁側日記』を読もうと思ったのは、「おいしい」ものが読みたくなったから。
 確か、故児玉清さんがこの作品がお気に入りであったという、うっすらとした記憶が、引き寄せてくれた。
(いま、調べると児玉さんはシリーズの『蜩』という作品が出版された時に「今やこのシリーズに中毒症状を呈するといった有様」と書いている)

 この『傷』は、『慶次郎縁側日記』シリーズの記念すべき第一作めとなった作品集。11篇の短編が収められている。
 シリーズ全体の第一作となる「その夜の雪」から始まる。
 おそらくこの作品を読んだ読者は、このシリーズが江戸の人情話だったはずという期待を大きく逸脱するだろう。いきなり、主人公である元南町奉行所同心の森口慶次郎の一人娘三千代が何者かによって乱暴され、自刃するところから始まる。
 狂ったように三千代を乱暴した男を探す慶次郎。罪を憎んで人を憎まず、といったきれいごとで自分を律しきれなくなる慶次郎の姿は「おいしい」ものを期待した読者には辛すぎる展開だ。
 最後、男を追い詰めた慶次郎の刀さえおそれず、男の命を助けようとする娘がその男の実の娘であることで慶次郎はすべてが終わったことに気づく。
 慶次郎の怒りを鎮めたのは、もう一組の父と娘の姿だった。
 ここで「おいしさ」がぐっとくる。

 この巻で一番おいしかったのが「片付け上手」という作品だった。
 自暴自棄になって他人の物の盗みを繰り返す器量映えしない娘おはるをなんとか更生させようとする慶次郎は、おはるの貧しい生い立ちまでたずね歩く。このあたり、慶次郎の人情派としての性格がいかんなく発揮されている。そして、そんなおはるにも「片付け上手」という美点があることに気づく慶次郎。
 欠点ばかりの人間などいない。慶次郎の目は暖かく、人を見ている。

 児玉清さんのように「中毒症状を呈する」のはまだだが、「おいしい」作品で満足した。
  
(2013/06/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日の『寅さん、あなたが愛される理由』の
  書評にも書きましたが
  2008年に『男はつらいよ』全48作を完全制覇したことがあって
  その直前に書いたのが
  今日紹介する南正時さんの『「寅さん」が愛した汽車旅』。
  2008年の蔵出し書評です。
  書評を読むと
  全作を観たあとの興奮が
  まだ感じられますよね。
  それにここでも
  「無所属の時間」って言葉を使っていますが
  これは城山三郎さんの影響です。
  思えば、なんともいい時間でしたね。
  もっとも家のものには
  だいぶ嫌われましたが。
  あれから5年。
  そろそろ、また「無所属の時間」の準備を
  したいのですが。

  じゃあ、読もう。

「寅さん」が愛した汽車旅 (講談社プラスアルファ新書)「寅さん」が愛した汽車旅 (講談社プラスアルファ新書)
(2008/04/18)
南 正時

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sai.wingpen  とかく西に行きましても東に行きましても                   

 映画「男はつらいよ」シリーズ全48作を観終わった。
 今まで録りためていたDVDをようやく鑑賞できたのも「無所属の時間」があればこそなのだが、毎日寅さん(説明するまでもないが、渥美清演じる主人公)が例の啖呵口調で「よぅお、元気か」と聞いてくるものだから、ついこちらも「あにきーぃ」って感じで寅さんの世界にはまりこむはめになる。
 考えてみれば、寅さんこそ「無所属の時間」を生きた見本のような人物だ。
 だから、旅に出、恋をし、ふらりと故郷に戻ってきては、またぷいと旅に出ていけたのだ。
 なんという贅沢は生き方だろう。
 寅さんに限っていえば、失恋も「無所属」であるがための方便かもしれない。(全作をご覧になればわかるが、寅さんというのは失恋ばかりしたわけでなく、何人かのマドンナからは寅さんの方が恋の成就を求められている。そのたびにひょいと逃げてしまうのは寅さんの方であった。気弱というより家庭をもったときの不自由を寅さんなりに理解していたのだろう)

 映画「男はつらいよ」の第一作が封切られたのが1969年。渥美清の死で、最後となった第48作は1995年。
 この26年という期間は、日本が高度成長期からバブル期、そしてその破綻とまさにめまぐるしく変化した時代であった。
 その中で、どうして多くの観客が映画「男はつらいよ」に笑い、涙したのか。
 寅さんの破天荒な行動に笑いはするが、実は多くの観客が最後には「馬鹿だよな」といって寅さんの生き方そのものを決して肯定しなかったのは、寅さんがもっていた「無所属」そのものがうらやましかったからかもしれない。
 できうるならば、寅さんのように生きたいと思いつつも、そこには「無所属」を拒否する時代背景があった。(いくつかの作品で会社勤めに嫌気がさして寅さんと同行する男たちが登場するが、やはり最後には元の世界に戻っていく)

 そのように映画「男はつらいよ」は色々な見方ができる作品(その一端は本書の中でもいくつか描かれている)だが、書名の示すとおり、著者が焦点をあわせたのは、寅さんと汽車旅である。
 その視点に感服。
 著者が書くように「寅さんの旅にはいつも鉄道があり、寅さんは小さなローカル線を愛し、温かい目で鉄道を見つめていた」(まえがきより)のである。
 まさに鉄道写真家としての著者だから書けた一冊だ。
 そして、著者も廃線や廃駅に対して多くのオマージュを捧げているが、鉄道も寅さんの生きた時代とともに盛衰した産業といえる。あるいは、新幹線に象徴されるように格差社会の縮図がそこにもある。
 寅さんに喝采したのは寅さんにあこがれながらなれなかった人たちだけでなく、グリーン車など乗ったこともない人たちであり、若い人たちに去られた老人たちであった。
 著者のように鉄道からの視点でみた場合、時代の変遷が理解しやすい。
 映画「男はつらいよ」は、日本の格差社会の誕生を描いた作品群でもあるといえるのだ。

 この本を読んだのが、全48作を観終わったあとだったが、「寅さんが只見線の越後広瀬駅で」(奮闘篇)とか「函館本線を走るデコイチ」(望郷篇)とか書かれるともう一度初めから観たくなる。
 これから「男はつらいよ」を観ようと思っている人はこの本を読んでから観るのも楽しいかもしれない。でも、やっぱり観てから読むのがいいかな。
 「まあ、どうかねえ。まあ、このへんでお開きということにしますか」(もちろん、これは寅さんの決めゼリフです)
  
(2008/06/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  楽しい本、見つけました。
  以前NHKBS、
  今はNHKプレミアムっていいますが、
  放映されていました
  山田洋次監督の『男はつらいよ』全作放映の際に
  上映前にあったミニコーナーが
  一冊の本になったのです。
  NHKの渡辺俊雄さんと映画監督の山本晋也さんの
  絶妙なやりとりもそのまま。
  題して、『寅さん、あなたが愛される理由』。
  この本を読んで
  また『男はつらいよ』が観たくなったのは
  ほんとう。
  今日の書評タイトル「けっこう毛だらけ」は
  寅さんの名調子の一節。

   結構毛だらけ、猫灰だらけ、おしりの回りはクソだらけ

   四谷(よつや)赤坂(あかさか)麹町(こうじまち)、
   チャラチャラ流れるお茶の水、粋(いき)な姐(ねえ)ちゃん立ち小便

   白く咲いたはユリの花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい

  なんて続きます。
  そういう調子もまた聞きたくなる
  一冊です。

  じゃあ、読もう。

「山田洋次 映画監督50周年」記念企画 寅さん、あなたが愛される理由「山田洋次 映画監督50周年」記念企画 寅さん、あなたが愛される理由
(2012/12/12)
山本 晋也、渡辺 俊雄 他

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sai.wingpen  けっこう毛だらけ                   

 2008年初夏、30年働いた会社を早期退職した。「無所属の時間」を慰撫してくれたのは、山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズだった。
 ちょうど2005年から2007年にわたってNHKBS(現在NHKプレミアム)で放映され録画していた全作品が手元にあった。
 何しろ全48作であるから、毎日1本ずつ観ても、1ヶ月半かかる。
 全作を見終わった頃に腰痛になり、しばらくベッドに伏せた。家のものは、「毎日寅さん観てたものね」とちくちく嫌味を今でも言うが、「それをいっちゃあ、おしまいだよ」とこちらは寅さん気分のまま、横を向いている。

 この本はNHKBSで放映されていた際に本編上映前にNHKの渡辺俊雄アナウンサーが支配人となり映画監督山本信也と二人で「レビュー」を担当したものを活字化したものである。
 渡辺アナはアナウンサーにしておくにはもったいない程の映画通で、軽妙な話術の山本監督と、一話一話撮影秘話やその作品の寅さんとマドンナの関係などを語り尽くす、寅さんファンにとってはたまらない一冊となっている。

 そうはいっても、寅さん役を演じた渥美清の死で終了した『男はつらいよ』最終作からもう18年という時間が過ぎている。
 最後の作品となった第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」は1995年12月公開。その年の初めに阪神大震災が起きて、この作品ではあの寅さんも被災地でボランティアをするという挿話もはいっていた。
 あれから、阪神大震災を凌駕する東日本大震災を経験することになった私たちにとって、寅さんが生きた世界も少し遠のいたといえるかもしれない。
 なにしろ、第一作の「男はつらいよ」が公開されたのが1969年だから、もう40年以上経っている。

 渡辺支配人と山本監督の「レビュー」の中でよくでてくるのが「映像文化遺産」という言葉だ。
 長いシリーズだから、舞台となる土地を走っていたSLが電車に変わるといったこともあったりするし、町の風景もこの作品で撮られていたものと今とはすっかり違うだろう。
 その点で映画は「映像文化遺産」という側面をもっと評価されていい。

 この本を読んだあと、また「男はつらいよ」を観たくなったが、さて、どの作品を観ようかしら。
 やっぱり第1作から見るしかないか。
  
(2013/06/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  村上春樹さんのファンは幸福だろうか。
  たとえば、ほとんどTVとかに姿を見せない
  村上春樹さんですから
  ファンにおっては動向がいつも気になるところ
  ではないでしょうか。
  かといって、
  村上春樹さんほど有名な顔はないかもしれず
  でも、どちらかといえば
  あまり特長がないから
  街で逢ったとしても
  わからないかもしれませんね。
  作品も何年かに一作のペースでは
  待ち焦がれの状態になりますよね。
  だから、新作がドーンと売れるということにも
  なるのでしょうが。
  でも、今日紹介する『パン屋を襲う』のように
  形を変えて刊行されるのですから
  これはこれで幸せですよね。
  こういう作家も日本では
  珍しい。
  やっぱり村上春樹さんファンは幸福にちがいありません。

  じゃあ、読もう。

パン屋を襲うパン屋を襲う
(2013/02/28)
村上 春樹

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sai.wingpen  新しい酒は新しい革袋に盛れ                   

 本を「読む」というが、実際は「読む」のは作品であって、本は「触る」、「見る」、「嗅ぐ」であろう。
 電子書籍であろうと紙の書籍であろうと、作品を「読む」という点では大差ない。むしろ、利便性という側面では圧倒的に電子書籍が有利だ。
 しかし、作品は作品だけで成立するわけではない。数篇の短編集を拵えるとしても、編年体で編むのか長短で編むのかでまったく印象は違ってくる。
 版の大きさ、紙の質、文字の濃淡、でもそれはいえる。
 作品は、「本」という媒体を持つことで、全く違うものにもなりうる。紙の書籍と電子書籍の大きな違いだ。
 電子書籍を読み端末機器に鼻を近づける人はいないだろう。

 この本には、村上春樹の「キャリアの本当に初期に」書かれた、1981年というから30年以上前の作品であることに驚くとともに村上春樹という作家も昔なら文豪と呼ばれているだけのキャリアを持つ作家になったという感慨、『パン屋襲撃』と、その後日談として書かれた、それにしても1985年の発表であるが、『パン屋再襲撃』が収録されている。
 もっとも、両作には細かい改変がなされ、タイトルも『パン屋を襲う』、『再びパン屋を襲う』に変更されている。
 それに、ドイツ人のイラストレーター、カット・メンシックがイラストをつけている。
 村上春樹は、「あとがき」の中で「絵本」という表現をしているが、これはカットさんへの感謝と労わりだろう、「絵本」というのは無理がある。
 強いて言うなら、「絵本」のような雰囲気を持った本、だろう。

 この作品のどこにどのような改変がなされているのかといった書誌的な興味は全くない。
 そもそも、初出である「早稲田文学」「マリ・クレール」で読んでものと全集で読んだもの、あるいは文庫本で読んだものは同じ作品とはいえ、まったく違う本なのだから、読者の印象は違って当然だ。
 それが、本を「読む」ということだ。
 もし、この二つの作品をこの本で読んだ読者にとっては、新しい作品だし、固有の作品でもある。

 村上春樹という作家の稀有な点は常に新しい読者を獲得するところにある。
 古い村上春樹のファンも、この本を手にすることで、新しい読者になりえるのだから、本というのは面白い。
  
(2013/06/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  子供の頃家族で遊園地に行ったことがある。
  昭和30年代後半のこと。
  行ったのは、奈良ドリームランド
  きっとディズニーランドを意識して
  つくられた遊園地だ。
  まだその当時は戦後10何年だから
  戦車なんかの展示があって
  戦車の前で「シェー」している
  写真がどこかに残っているはず。
  「シェー」といっても
  知らない人も多いかも。
  赤塚不二夫さんの人気漫画「おそ松くん」に出てきた
  イヤミというキャラクターのギャグ。
  当時ものすごく流行った。
  ところが、東京ディズニーランド
  1983年にオープンしてから
  日本の遊園地の概念が大きく変わる。
  郊外の大きめの遊園地が
  いくつも閉園になってしまいました。
  唯一東京ディズニーランドだけが生き残った格好。
  一体何が違うのでしょう。
  今日紹介する『ディズニー白熱教室 「仕事で大切なこと」を知る授業』には
  それを知るヒントがたくさん
  あるような気がします。
  でも、東京ディズニーランドでは
  絶対戦車なんて
  置かないだろうなぁ。

  じゃあ、読もう。

ディズニー白熱教室「仕事で大切なこと」を知る授業ディズニー白熱教室「仕事で大切なこと」を知る授業
(2013/02/01)
ディズニー国際カレッジプログラム運営事務局

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sai.wingpen  ディズニーランドでは、誰でもスター                   

 東京ディズニーランドが誕生して、今年30周年になる。
 開業は1983年4月15日。その日はあいにく雨模様でしたが、1万8千人のゲストが訪れたという。
 私が最初に訪れたのがいつなのかもう忘れてしまったが、夢の国に迷い込んだという印象は残っている。こんな素敵なところがあるなんて!
 もちろん、開業までの苦労は並大抵のものではなかったはず。延べ約150人のキャストが米国ディズニーランドの研修に参加して、ディズニーの歴史、テーマショーなどの基礎知識を学んだという。
 それから、30年。
 東京ディズニーランドは常に変化をし続け、今も人気が高い。それだけでなく、ビジネスの世界にあっても、ディズニーランドは高い評価を得ている。その手法を紹介したビジネス本もたくさん出版されている。

 この本もその中の一冊だ。「ディズニー流の働き方」を理論と実践から学べるという学生向けの教育プログラムがあっで、そこでどんなことを学ぶかということが紹介されている。
 もともとがアメリカの学生向けに1981年から始まったものだが、今では全世界の学生に門戸が開かれている。毎年1万人近い学生がここで学ぶらしい。
 受講を終えた学生は「顔つきや雰囲気からしてまったく違」ったり、「自信が表れる」というから、ディズニーランドは研修の世界でも魔法の国のようだ。

 本書では「ディズニーの基本原則」を紹介する「chapter1」から「主体的に動き、楽しく仕事をするコツ」、「最高のホスピタリティの舞台裏」、「チームでも個人でも結果を出す絶対法則」、そして「chapter5」の「ビジネスパーソンとして進化し続けるために」まで、研修プログラムに参加している学生たちの気分が味わえるようになっている。
 ディズニーランドでの仕事はけっして華やかなものばかりではない。それはどんな職場でも同じ。
 華やかな営業職もあれば、地味な営繕の仕事だってある。職場とはさまざまや役目が互いに補完し合って成立するものなのだ。

 本書の「おわりに」でこんなことが書かれている。
 「一見つまらなさそうに見える仕事でも、自分のものにすることで、仕事を取り巻く環境や位置づけ、改善点など、成長につながるヒントが見えてくるもの」だと。
 ミッキーマウスだけがスターなのではない。ディズニーランドでは、誰でもスターなのだから。
  
(2013/06/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日までの二日間紹介しました
  『絵本作家のアトリエ』は
  未知の絵本作家たちとその作品を
  知るきっかけになりました。
  今日紹介する岸田衿子さんの『かばくん』の
  絵を担当した
  中谷千代子さんも
  『絵本作家のアトリエ』で教えられた
  作家の一人です。
  書評の中にも書きましたが
  中谷千代子さんは
  51歳でなくなっています。
  『絵本作家のアトリエ』には
  若かりし頃の中谷千代子さんの写真もあって
  本当にすてきなお嬢様という人です。
  40歳を過ぎてからは
  保育者やお母さん向けに
  絵本の話をすることも
  多かったそうです。
  いいお話は
  絵本の中だけではありません。

  じゃあ、読もう。

かばくん (こどものとも絵本)かばくん (こどものとも絵本)
(1966/12/25)
岸田 衿子

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sai.wingpen  かばをしばらく見ていない                   

 この絵本のかばくんの、どっしり感、やさしそうな目、愛嬌のある耳といったら、どうでしょう。
 絵を担当したのは中谷千代子さん。
 この絵本を描くために中谷さんは上野動物園に通います。実際に目にすると、「きたなく、グロテスクでどうにも困った」といいます。でも、じっくり観察すると、「何ともユモラスで、可愛い」ことに気づきます。
 中谷さんの創作ノートには、さまざまなかばの姿が鉛筆デッサンで残されています。

 絵本『かばくん』が発表されたのは、1962年ですから、半世紀も前になります。
 いまでも、子どもたちに愛されているのは、動物園の一日のようすがかばくんと遊びにきたかめくんの交流をシンプルに描いた岸田衿子さんの文章の魅力もさることながら、中谷さんの絵の素晴らしさに負うところも大きいと思います。
 赤い表紙にでっかく描かれたかばくんを見て、嬌声をあげる子どもたちの姿が目に浮かびます。

 『絵本作家のアトリエ2』という本の中に中谷千代子さんも紹介されています。
 中谷さんは絵本への取り組みをこんな言葉で語っています。
 「子どもたちに与える絵本は(中略)おとなの頭で考えた甘いオブラートでくるんだものではなく、リアリティを持った絵、そしておとなの鑑賞にも絶対に耐えられるような高度の芸術性を持ったもの」であるべきだというのです。
 子どもだから適当でいいのではなく、子どもだからこそ本当のものを伝えていかなかればならない。中谷さんのこの考えは終生変わらなかったそうです。
 そう、残念ながら中谷さんは1981年、51歳の若さで亡くなっています。

 『かばくん』は中谷さんの代表作のひとつです。
 小さい頃に読む機会がなかった人も読んでみる価値はあると思います。「大人の鑑賞に堪えうる芸術性」を読み取って下さい。
 きっと、子どもたちに人気がある理由を見つけられると思います。

 そういえば、本物のかばくんをもう何十年も見ていないことに気づきました。
  
(2013/06/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日のつづき。
  『絵本作家のアトリエ』のその2
  今日の書評のタイトルは
  ちょっと長かったですね。
  もう少しひねった方はよかったかも。
  でも、今日はストレートに
  直球勝負でいきます。
  この2では、
  一人だけ外国の絵本作家が紹介されています。
  マーシャル・ブラウンさん。
  彼女の言葉にいいのがありましたから
  紹介しておきますね。

   想像力がなくては絵は描けません。
   (中略)
   自分の内側で物事を十分に感じられるだけの感受性も必要です。

  絵本作家になりたい人は
  この言葉を大事にするといいですね。
  
  じゃあ、読もう。

絵本作家のアトリエ2 (福音館の単行本)絵本作家のアトリエ2 (福音館の単行本)
(2013/04/17)
福音館書店母の友編集部

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sai.wingpen  絵本を楽しむためには絵を担当している人の名前を憶えておくといい                   

 多くの人には、思い出となる絵本があるのではないでしょうか。
 小さい頃母のひざで読んでもらった絵本、日曜日に父と寝ころびながら読んだ絵本、兄弟で競い合って読んだ絵本、といったように。
 私の場合、父も母も本を読む習慣を持たなかった人でしたから、小さい頃に絵本を読んだという記憶があまりありません。だから、思い出の絵本となると、結婚して娘が生まれて、娘が読んでいた、あの一冊ということになります。
 あの一冊。『どうぶつのおやこ』。表紙に猫の親子が描かれた絵本です。
 娘たちがとても気にいっていた絵本です。あまりに彼女たちが開くものですから、父親の私にも刷り込まれた一冊になりました。
 その作者が、この本でも紹介されている薮内正幸さんです。
 薮内さんは絵本作家だけでなく、その精密な動物画で1973年サントリーの新聞広告「愛鳥キャンペーン」シリーズを担当してもいます。

 シリーズの2作めとなるこの本では、薮内さんのほかにナンセンス感覚が冴える長新太さんや『ぞうくんのさんぽ』のなかのひろたかさん、文字のない絵本にこだわる安野光雅さん、『いやだいやだ』のせなけいこさんといった、12本の絵本作家が紹介されています。
 本書によれば、「多様な表現によって新しい絵本の世界を切り拓いた十二人」です。
 前作が戦後の創始者たちだとすれば、この巻では、絵本の世界を広げた人たちということになります。

 絵本を読むといっても、なかなか絵を担当している作家たちを意識することは多くはないでしょう。
 薮内さんにしても、この本を読まなければ名前と作風が一致することはなかったと思います。
 さすがに長さんや安野さんのようにビッグネームとなれば、もちろん絵本好きの人にとっては本書で取り上げられた全員がそうでしょうが、絵本を見ただけでわかりますが。
 絵本を楽しむコツとしては、文を担当する作家だけでなく、絵を担当する画家たちもしっかりおさえることかと思います。
 そのためには、読む冊数を数多くこなすことが必要ですが、お気に入りの絵本作家を見つけたら、ずっと読みつづけることも大切です。

 薮内さんだけでなく、追いかけてみたくなる絵本作家満載の、シリーズ2作めといえます。
  
(2013/06/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日と明日は
  シリーズものの紹介となります。
  『絵本作家のアトリエ』という本。
  今日は、その1
  書名でわかるとおり、
  絵本作家の皆さんの
  アトリエがきれいなカラーで紹介されていて
  それに絵本作家の皆さんから
  インタビューをうけたものが
  文章で紹介されています。
  その一方で
  ある意味日本の絵本の歴史を
  読むような感じもあります。
  絵本というのは
  実はとっても息の長い作品だということが
  この本を読めば
  わかると思います。
  絵本作家に興味のある人だけでなく
  絵本に興味のある人にも
  最適の一冊、
  いや、明日もいれて
  最適の二冊といえます。

  じゃあ、読もう。

絵本作家のアトリエ1 (福音館の単行本)絵本作家のアトリエ1 (福音館の単行本)
(2012/06/06)
福音館書店母の友編集部

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sai.wingpen  十人十色というのは絵本作家にふさわしい言葉                   

 イメージです。
 図鑑などでよく目にする、脳の図。形は柿の種のようであって、しかも柔らかい。ぐじゅぐじゅした固まり。
おそらく、どんな人でもそのイメージは変わらないのではないでしょうか。
 それでも、例えば科学者とか自分がまったく理解できない分野を得意とする人では、その形はちがうのではないかしら、と思ってしまう。
 それと同じようなことが、絵本作家にもいえるのです。彼らの頭の中はどういう脳をしているのでしょうか。
 たやすく、脳を見ることはできないのですが、きっと見てもその違いはわからないでしょうが、絵本作家のアトリエを覗けば、彼らの頭の構造の幾分かかわかるかもしれません。

 本書は絵本作家の創造の現場から彼ら自身の口を通して、絵本作家とは何かをさぐる作家小論といっていいと思います。
 名作『おおきなかぶ』を描いた佐藤忠良さん、『だるまちゃんとてんぐちゃん』の加古里子(さとし)さん、念のために書き添えておくと加古さんは女性ではなくれっきとした男性です、乗り物絵本を得意とした山本忠敬さん、『ぐりとぐら』だけで通じてしまう大村(山脇)百合子さん、たくさんのファンがいる田島征三さんなど、紹介されているのは10人の絵本作家たち。
 本書によれば、「戦後の日本で新しい絵本の礎を築いた十人」です。

 戦後まもないこの国では、まだ絵だけでは食べていけないといわれました。
 本書で紹介されている作家たちも事情は同じで、それでも絵に対する熱意は変わらず、やがて絵本という表現世界にはいっていくのです。
 そのきっかけはさまざまですが、まさに十人十色というのは絵本作家にふさわしい言葉です、児童文学者で福音館書店の創業にたずさわり、「母の友」「こどものとも」の編集長でもあった松居直(ただし)さんとの出会いが大きく影響しています。
 絵本作家たちがいう松居さんとの出会いもまたさまざまですが、いずれの場合であっても、松居さんは褒めているのがわかります。褒めることで、絵本作家の可能性を引き出すのが、松居さんの手法だったのではないでしょうか。

 たくさんの絵本が並んだ書棚、さまざなな絵筆が立つ机、そして、あふれんばかりの色、色、色。
 こんな人たちから、私たちを楽しませてくれる絵本が生まれたのかと思うだけで、うれしくなります。
  
(2013/06/14 投稿)

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  今日は「百年文庫」の83巻め、
  「」を紹介します。
  町と村の違いって分かりにくいですが
  それぞれの都道府県の条例で定めている
  町としての要件があるようです。
  単に人口が少ないとかということでは
  ないようですね。
  私の故郷は
  れっきとした町ですが
  気分的には村ですね。
  親戚の家が固まってありますし。
  山の中にあるような
  村ではないのですが
  どちらかというと
  村。
  今日紹介するこの巻は
  いままで読んだ「百年文庫」の中でも
  一、二の面白さ。
  オススメの一冊です。
  村って、こわいですよ。

  じゃあ、読もう。

村 (百年文庫)村 (百年文庫)
(2011/07)
黒島 伝治、杉浦 明平 他

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sai.wingpen  人間という、おもしろいものたち                   

 この国は高度経済成長を経て、いつの間にか誰もが中流という意識を持つようになった。同時に、「村」という共同体意識も薄まったといえるが、実態はまだ「村」とか「家」という意識が根底にあるような気がする。
 実際、私の生まれたところはずっと「町」だったが、時々人々は自分たちの住むところを「村」と呼ぶことがある。
 田畑を耕す者もほとんどいないが、「村」という共同体が残っているのだ。
 「百年文庫」の83巻は「村」。
 物語の舞台が「村」である、黒島伝治の『電報』『豚群』、葛西善蔵の『馬糞石』、杉浦明平の『泥芝居』の四篇が収められているが、これがめっぽう面白い。
 「村」という狭い共同体の中で、他人の足をひっぱったり、噂が充満したり、欲に走ったりと、生の人間が蠢いているから、面白いのだといえる。

 葛西善蔵は『子をつれて』を代表作とする破滅型の私小説作家である。太宰治と同郷の青森の出身だ。
 この巻に収められた『馬糞石』はそんな作家の作品のつもりで読まない方がいい。小さな生活に縛られた私小説ではなく、もっとダイナミックなおろかな人間が描かれている。
 死んだ馬の腹から奇妙な石が見つかる。何気なく、若い獣医に譲ったものの、その石は大変な価値があるという噂が村中を駆け巡る。あわてたのは、死んだ馬の持ち主三造。あの手この手を使って、その石を取り返そうとする。
 その滑稽さは、欲にあおられたものだ。しかも、村の噂が三造の気持ちをさらにあおりたてる。

 小さな共同体である「村」では、他人の口ほど怖いものはない。
 黒島伝治の『電報』もそうだ。資産家の子供ぐらいしか上の学校に進まなかった時代、裕福でもない家の子が中学受験というだけで、口さがない村人たちの餌食となる。
 受験に賛成していた父親も母親もやがて村中の悪口に心がくじかれていく。

 ここに収められた作品が面白いのは、作者がけっして当事者でないからだ。だから、冷ややかな目で人間だけを描けているといっていい。
 その顕著な作品が杉浦明平の『泥芝居』といえる。杉浦の目は「村」とは離れたところにある。その分、冷静に欲に振り回される人間を見ている。
 杉浦の場合もそうだが、この巻の作者たちは冷ややかに「村」を見ているだけではない。むしろ、その目は暖かく、だから作品の質も高い。
  
(2013/06/13 投稿)

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  いい小説を読んでいないという
  物欲しさが、
  最近つきまとっています。
  本屋さんに行っても
  ぴぴっとくる本が少ないのは
  私自身のせいでもあるのでしょうが。
  そういえば、
  気になって読み逃した小説があったなぁと
  思い出したのが、
  第135回直木賞受賞作
  井上荒野さんの『切羽へ』でした。
  気にはなっていたのです。
  でも、もう5年も経っていますね。
  そういう本の読み方も
  あっていいのだと
  思います。
  読んでみて、いい作品だったことに
  満足しています。

  じゃあ、読もう。

切羽へ (新潮文庫)切羽へ (新潮文庫)
(2010/10/28)
井上 荒野

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sai.wingpen  恋愛小説の心臓を失くして、しかも生き生きと                   

 第135回直木賞受賞作。(2008年)
 この回の林真理子選考委員の選評に思わずどきっとした。「性交のシーンは、恋愛小説において心臓部分である」と、あまりにも大胆、かつ作家の本音をこんなにもあからさまに表現していいのかと。
 続けて、井上荒野の作品を評して、「この心臓部分をまるっきり失くしたのだ。そのかわり、指から踵の端まで、神経と血液を張りめぐらし」ていると絶賛している。

 「明け方、夫に抱かれた。」。
 これは、この物語の書き出しである。けれど、林がいうように、この作品において性交シーンは書かれることはない。
 書き出しの一文のように、言葉がすべての官能を生み出しているに過ぎない。それでいて、胸のうちにわく高まりは情愛の感じに似ている。
 そもそもこの書名であるが、炭鉱用語ともいえる「切羽」がここでは男女の心と肉体のある種の緊張を巧みに表現する言葉として用いられている。
 「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。(中略)掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」

 この作品はこの「切羽」という言葉がすべて物語っている。
 そして、井上ひさし選考委員がいうように、主人公たちが使う「これほど美しく、たのしく、雄弁な九州方言」が、物語を豊かにしている。
 九州の小さな島。その島の小学校の養護教諭として働くセイは、かつてともに島の子供であった夫と東京で再会し、結婚をし、ふたたび島に戻って4年が経つ。画家である夫を兄のように、父のように、愛している、31歳の女性である。
 セイの学校に四月、新任の男性教師が赴任してきた。
 一見無愛想なその男、石和にセイは何故か磁力のようなものを感じる。セイ自身が自分の奥底の思いに戸惑うのだが、無視しようとするほどに石和の存在が大きくなっていく。

 物語の先を急げば、セイは「切羽」まで行くのだが、最後の一掘りを決断しない。それは石和も同じだ。
 もし、その時、セイが、あるいは石和がつるはしの切っ先を「切羽」に打ちつけていれば、まったく様相は違ったものになっただろうが、井上の描こうとしたのは、そこに至る、男と女の息苦しいまでの官能だ。
 五木寛之委員が巧みな「文章のもつ官能の力」を評価しているように、井上の文学はそれだけで成立する、強さを持っているといえるだろう。
  
(2013/06/12 投稿)

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  映画『おくりびと』(滝田洋二郎監督)が公開されたのは
  2008年ですから
  もう5年も前のことです。
  公開時の宣伝惹句は、

   キレイになって,逝ってらっしゃい。

  だったそうです。
  あの映画のおかげで
  納棺師という職業が
  市民権を得たのではないかと
  思います。
  東日本大震災の月命日である今日、
  紹介するのは、
  笹原留似子さんの『おもかげ復元師の震災絵日記』。
  刊行時には話題にもなった本ですから
  読んだ人も多いと思います。
  笹原留似子さんの職業は復元納棺師。
  東日本大震災の際には
  被災地にはいって
  多くのご遺体とさようならをしました。
  この本では
  ページを繰ることに
  あの日の悲しみが胸に迫ってきます。
  あの日の時を忘れないために
  この本を紹介します。

  じゃあ、読もう。



おもかげ復元師の震災絵日記 (一般書)おもかげ復元師の震災絵日記 (一般書)
(2012/08/07)
笹原留似子

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sai.wingpen  あの時のまま、あることを。                   

 悲しみはいつまでもひきずっているべきではありません。
  どこかに置き去りにしないと。
 そんなことは誰もがわかっています。けれど、できない。悲しみは置いていけない。

 東日本大震災から2年以上が過ぎて、それでも復興は遅い。いや、もしかしたら被災地ではない私たちが知らないだけかもしれない。それならいい、とはいえない。
 あの時、この国の人たちは、いつも東北と一緒、と誓ったはず。それなのに、いつか復興のことさえ実感としてわからなくなっているとしたら。
 あの時、置いてきた悲しみは、新しく前に進むためのものだったはず。
 忘れてはいけない、東北の人たちの悲しみを。
 置いてきた悲しみを。

 この本を読んで何度でも突き上げてくる悲しみを、私たちはもう忘れてはいないだろうか。
 あんな笑顔だった父や母や子どもたちのことを。胸に落したたくさんの涙を。
 復元納棺師という仕事。損傷のあったご遺体を美しく整え、納棺する、敬虔な仕事。
 そんな仕事をもつ著者は東日本大震災で犠牲となった人たちをお見送りした数々の場面。やさしい似顔絵。思いに揺れる言葉。
 そこには生者と死者の区分ではなく、人として、心といういのちを持つものとして、ただある姿だけが描かれているように感じる。

 頭の位置を何度直しても母親の方を向く、息子。
 それは遺体ではなく、息子の魂そのもの。
 そんな魂がすべてのページにあふれている。
 そっと描きとめた自分の手に、こんな言葉がそえられる。「笹原さんの手は、これから沢山の悲しみに出逢うんだね」。
 でも、その手はさよならするみたいに広げられて恰好をしている。バイバイ。また会おうね。

 悲しみは置いていくしかないない。
 でも、さよならする前に出逢った、父も母も子どもたちも、みんな生きていた時のままだった。だから、しばらく、さよならするね。
 新しいいのちに出逢うために。新しい町で生きていくために。
 忘れてはいけない。この本には、あの日、置いてきたたくさんの悲しみが、あの時のまま、あることを。
  
(2013/06/11 投稿)

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  今日紹介するのは
  川本三郎さんの『美女ありき―懐かしの外国映画女優讃』。
  昭和30年頃人気を博した外国映画の女優さんを
  ここでは映画評論家といっていいですね、
  川本三郎さんが評しています。
  書評では私の好みを書きませんでしたが
  昭和30年代といえば
  まだ子どもでしたし、
  時代がすすむのですが
  私のお気に入りは
  1967年公開の「冒険者たち」に主演していた
  ジョアンナ・シムカス
  もう少し時代がさがれば
  1971年公開の「おもいでの夏」の
  ジェニファー・オニール
  彼女はいいなぁ。
  書評にも書いたアンジェリーナ・ジョリー
  大好き。
  皆さんのお気に入りが
  この本にはいっていればいいですね。

  じゃあ、読もう。

美女ありき―懐かしの外国映画女優讃美女ありき―懐かしの外国映画女優讃
(2013/01)
川本 三郎

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sai.wingpen  美女は涙かため息か                   

 最近ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーさんの乳がん予防のための手術が話題になっている。
 彼女は肉体派ではないが、きれいな胸をした女優の一人で、代表作の一つ「トゥームレイダー』では見事な脚線美を披露していた。
 日本でも人気の高い女優の一人だし、だから今回の手術が余計に話題になったのだろう。
 映画にはさまざまな要素があって、やはり作品の良し悪しが一番だろうが、好きな監督、好きな男優、女優が出演しているとわかれば、欠かさず観るという人も多いと思う。
 特に洋画の場合、日本人とは体型や容姿が大きく違うから、俳優たちの好みは映画本来のもっている夢の世界にかかわるといってもいい。

 この本は昭和30年代のいわゆる映画が黄金期だった頃観客を魅了した女優たちを、川本三郎氏が熱い想いで綴った讃歌だ。
 「昔の女優たちはどうしてあんなにもきれいだったのだろう。いま彼女たちの写真を見ていて改めてその美しさに溜め息が出る」と、川本氏は「あとがき」に書いている。
 この本は、川本氏の「溜め息」集ともいえる。

 こういう本の難しい点は、(書き手ではなく)読者の好みが反映されているかどうかだろう。
 ここでは、エリザベス・テイラーやヴィヴィアン・リーといった33人の女優たちが紹介されているが、「どうして、オードリー・ヘップバーンがいないの?」とか「マリリン・モンローが取り上げられていないなんておかしい」という苦情はうんと出る。
 そういった有名女優だけではなく、個人的に思い入れがある女優がいれば、いくら少数意見であろうと、その人にとってはその女優が「美女」なのであるから、川本はゆるせない、なんてことになる。
 だから、こういう本は難しい。

 作品としては女優たちの写真も豊富にあるし、身長や配偶者、主な作品といったデータもうまくまとまっていて、読み物としてよく出来ている。
 自分の大好きだった女優が書かれていないのであれば、それはそれで自分の心にそっとしまっておける。
 思い出の美女たちは、永遠に美しいのだから。
  
(2013/06/08 投稿)

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  最近の習慣。
  仕事から帰って
  NHKの朝の連続テレビ小説あまちゃん」と
  NHKBSで再放送している「てっぱん」を
  見ること。
  見て、どちらの方がよかったか
  採点をつけること。
  「あまちゃん」は近年まれなる面白さですが
  私の採点では
  ほぼ「てっぱん」が勝ってしまいます。

   じぇじぇじぇじぇ!

  この作品を見逃した人はぜひ見てほしい。
  そんな勢いで
  今日はさとうわきこさんの『ばばばあちゃんのなんでもおこのみやき』を
  紹介しました。
  この絵本、実は冬のお話なんですが
  そういう事情なんで
  お許しを。

  じゃあ、焼こう。

ばばばあちゃんのなんでもおこのみやき (かがくのとも傑作集)ばばばあちゃんのなんでもおこのみやき (かがくのとも傑作集)
(2009/02/15)
さとう わきこ

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sai.wingpen  かならず腹はへる。かならず朝は来る。                   

 大阪の出身だというと、「大阪では一家に一台たこ焼き器があるって本当ですか?」と訊かれることがある。
 都市伝説じゃあ、あるまいし。
 私の家にはたこ焼き器、ありますが。
 「大阪の人って晩御飯にお好み焼き食べるんですよね?」なんていう愚問もあります。
 都市伝説にもなりません。
 常識すぎて。

 でも、お好み焼きといっても奥が深い。
 屋台でよく見かけるのが、焼きそばにたまご焼きをいれた広島風お好み焼き。
 この絵本でも、ばばばあちゃんがこしらえるのがこれ。
 そんなのは邪道と、関西風お好み焼きが割ってはいります。お好み生地にキャベツなどを混ぜ合わせて焼くのが、それ。この絵本でも、おさげの女の子はすました顔で作ります。
 NHK朝の連続テレビ小説第83作「てっぱん」で主人公が作るのは、尾道風お好み焼き。
 このドラマのキャッチ・コピーが「かならず腹はへる。かならず朝は来る。」。
 哲学です。もっとも、「てっぱん」になぞらえれば、鉄学かも。

 それほど愛されるお好み焼き。この絵本でも子どもたちの楽しそうな笑顔といったら、最高。
 お好み焼きはただ食べておいしいだけではない。作って楽しい食べものなのだ。
 そういう点では、鍋ものに近いかもしれませんが、鍋もの以上に作っていく工程が目に見えますから、楽しいといえます。
 しかも、最後の仕上げのソースとマヨネーズ。これがまた絶妙。ハートなんかこしらえちゃったりする。
 遊びごころ、満載なのです。

 この絵本ではちゃんとレシピまでついていますので、読むだけでなく、作らないとお好み焼きのよさがわかりません。いやいや、この絵本のよさもわからない。
 お好み焼きのいいところは、何よりひとつの鉄板を囲んでみんなが顔突き合わすことだともいえます。
 そういえば、NHKの朝ドラ「てっぱん」にこんなセリフがありました。
 「ひとりだけ幸せにはなれん。ひとりだけ不幸にもできん。それが家族じゃ」。
  
(2013/06/09 投稿)

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  NHK大河ドラマ「八重の桜」のことである。
  先週、江戸近くまで攻め寄った
  西郷隆盛率いる官軍に
  勝海舟が江戸城の無血開城を願うところで
  終わりました。
  見ました?
  見ていない?
  まだこれからドラマは面白くなりますから
  今まで見ていない人も
  明日の日曜の夜はぜひ。
  つまり、いよいよ
  官軍による会津攻めが始まるのです。
  主人公の山本八重の活躍も楽しみですが
  会津の人たちの
  悲しい戦いぶりにも
  ひかれます。
  どんな展開になるんでしょうね。
  そこで、今日は
  司馬遼太郎さんの『街道をゆく』シリーズから
  「白河・会津のみち」を
  紹介します。
  明日の前に読むと
  ドラマも一層面白くなりますよ。

  じゃあ、読もう。

街道をゆく〈33〉奥州白河・会津のみち、赤坂散歩 (朝日文芸文庫)街道をゆく〈33〉奥州白河・会津のみち、赤坂散歩 (朝日文芸文庫)
(1994/02)
司馬 遼太郎

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sai.wingpen  大河ドラマを見て会津に行きたくなったら、その前にこの一冊を                   

 今年のNHK大河ドラマは幕末の会津で育ち、後に同志社大学を設立した新島襄の妻となる山本八重を主人公にした「八重の桜」ということで、観光地福島県会津若松は多くの観光客で賑わっている。
 東京から会津まで東北新幹線で郡山まで出て、磐越西線に乗り換えて、およそ3時間の旅程だ。
 司馬遼太郎サンが旅した昭和63年(1988年)当時よりは、うんと手軽な旅になっている。

 司馬サンの代表作のひとつでもあり、長期連載でもあった『街道をゆく』シリーズにあって、「白河・会津のみち」は後半期に属する。
 司馬サンに興味がなかったわけではない。むしろ、反対だ。
 会津に入る冒頭部分に司馬サンはこう書いている。
 「なにから書きはじめていいかわからないほどに、この藩についての思いが、私の中で濃い。」と。
 司馬サンはこの連載の20年ほど前に『王城の護衛者』という作品を書いている。会津藩最後の藩主となった松平容保に対する思い、会津人の朴訥な人柄への信愛の情が深い。
 幕末の歴史小説を数多く書いた司馬サンには、会津の悲劇が深い吐息とともにあったのだろう。

 司馬サンは幕末日本を大きく二分したかもしれない戦いをその智によって回避した「最後の将軍」徳川慶喜を、ある意味「統一日本の成立の最大の功績者」とみている。
 だが、その慶喜に切り捨てられたがゆえに、会津は悲劇の渦中に追い込まれる。
 「統一日本の成立」の痛みや悲しみは、会津が一人背負い込むことになった。
 現代の私たちは、そのことだけでも、会津に感謝しなければならない。

 このみちでは前半の「白河のみち」での記述が長くなって、会津のことを楽しみにしている読者にとっては、早く会津を書いてよと言いたくなる。
 それほどゆっくり会津に入る。
 しかも、駆け足のようにして会津を歩いていく。
 もっと書き残してほしいことがあったのだが、例えば白虎隊のことについてもほとんど触れていない、
 この会津の旅は司馬サンにとって、「どうも適(あ)いにくかった」らしい。
 そのことは、いまの会津とはまた違っているかもしれない。司馬サンが歩いた昭和の時代の会津と比べながら歩くのも面白いだろう。
  
(2013/06/08 投稿)

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  週刊誌はほとんど読みません。
  でも、電車の吊り広告は大好き。
  特に、週刊新潮週刊文春
  発売日も同じだし、
  結構色合いも違いますし、
  面白いですね。
  よほど気になると
  コンビニで立ち読み。
  今日紹介する『黒い報告書』は
  週刊新潮の名物連載
  かなりきわどい読み物です。
  だから、青少年の子供がいるお家では
  お父さん、十分気をつけて。
  まあ、青年なら、こういう記事に興味をもつのも
  健全といえばいえるのですが。
  名物になるにはそれなりの理由があって
  もちろん記事のきわどさもありますが
  初期においてはしっかりした作家を
  執筆陣にしたことは
  大きいですね。
  今日紹介する本では
  すごい作家たちが名を連ねています。
  読み応え十分の一冊。

  じゃあ、読もう。


黒い報告書 (新潮文庫)黒い報告書 (新潮文庫)
(2008/10/28)
「週刊新潮」編集部

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sai.wingpen  昭和の時代の名作短編を読むように                   

 白石一文の『快挙』という小説の主人公は有望な新人作家となる一歩手前で挫折し、実際の男女のもつれを週刊誌で物語風に描くルポライターとして生活を営む設定となっている。その傑作選が単行本化され、ベストセラーになるのだが、かつて文芸誌で世話になった編集者から「そういう仕事は才能をだめにする」と罵倒される場面がある。
 おそらく、その週刊誌とは「週刊新潮」だし、人気となる記事は「黒い報告書」がモデルとなっているのだろう。
 本当に記事、あるいは物語を書く作家たちを罵倒した編集者がいたかはわからないが、作家志望の人間にとってやはり一種の挫折感はあったかもしれない。
 白石の作品の主人公も、こういう記事を書くことに悩むように描かれている。

 しかし、この一冊の執筆陣をご覧頂きたい。
 直木賞作家の水上勉、新田次郎、城山三郎、重松清、大宅壮一ノンフィクション作家の高山文彦、杉山隆男、さらには中村うさぎ、内田春菊、岩井志麻子といったイケイケ女史やビートたけしまで、なんという贅沢な布陣だろう。
 それが全員、事件を基に多くの物語を執筆しているのだ。しかも、多くは男と女の愛欲の果てに生まれた事件を。
 さすがに新田次郎や城山三郎の作品では男と女の愛欲は描かれていないが。

 「週刊新潮」の人気連載「黒い報告書」は1960年(昭和35年)に連載を開始する。当時はまだテレビもまだ普及途上で、情報といえばラジオか新聞だった。
 それまで新聞社系の週刊誌界に出版社系の週刊誌が続々と刊行されだすのが1956年(昭和31年)以降である。
従来の週刊誌にはないものとして、「週刊新潮」が生み出したのが「黒い報告書」だ。
 三面記事の、読者が興味をそそられる内容を、一流の作家たちに書かせることで、読み物としての厚みを醸し出す。
 この連載の発案者である斎藤十一の功績が大きい。

 こうして傑作選としてまとめられた一冊を手にすると、男と女の愛欲のもつれがさまざまな悲喜劇を生んだという事実を描いた作品群が、昭和の時代の名作短編のアンソロジーのなっていることに、ただただ満足するのだ。
  
(2013/06/07 投稿)

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  今日もたまたま岩波書店の本に
  なりました。
  菅野昭正さん編の『ことばの魔術師 井上ひさし』です。
  書評の中にも書きましたが、
  横浜の港の見える丘公園にある
  神奈川近代文学館で開催されている
  「井上ひさし展」も
  いよいよ6月9日、今週の日曜で終了です。
  もし、時間があれば
  行ってみるといいですよ。
  なかなかこういう企画展には
  出会えませんからね。
  この本は世田谷文学館での講演が
  ベースになっていますが、
  世田谷文学館は私のお気に入り。
  とっても素敵な文学館です。
  ああいう場所のそばに住めたら
  どんなにいいか、
  行くたびにいつも思います。

  じゃあ、読もう。

ことばの魔術師 井上ひさしことばの魔術師 井上ひさし
(2013/04/24)
菅野 昭正

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sai.wingpen  中継走者・井上ひさし                   

 この春、神奈川近代文学館で「井上ひさし展」が開催された。
 亡くなって3年になる井上ひさしの足跡と代表作である『吉里吉里人』を中心とした井上のメッセージを読み解く内容で構成され、話題となった。
 この展覧会では「21世紀の君たちに」という副題にあるように、東日本大震災以降さまざまな困難に立つ私たちへ、井上が残していったものの意味がいかに大きな希望であるかを再確認した人も多かったのではないだろうか。
 入り口横にあった、福島原発の爆発後、町を捨てざるを得なかった車の渋滞の写真こそ、いまの私たちだ。
 井上ひさしという作家がいたら、あるいはもう少し、この国のその後のありかたも変わっていたかもしれない。

 本書は井上が亡くなったあと、世田谷文学館で開催された、作家や演劇人による5回の連続講演と長い間井上と交友関係にあったロジャーパルバース氏の講演(これも世田谷文学館友の会によって主催されたもの)をまとめたものである。巻頭に文芸評論家の菅野昭正氏の評論がそえられている。
 菅野氏は連続講演の企画にも携わっていて、「井上氏の劇作がどのような革新をもたらしたか。また小説がどんな新しい領域を開拓することになった、綜合的に考察する機会を作ることができれば」と考えたという。
 井上氏の場合、小説家という顔と劇作家という顔の大きな領域があり、これらの講演ではどちらかといえば劇作家としてのものの方が比重が大きくとられているように感じた。
 できれば、井上の初期の作品を顧みる論点があってもよかったかもしれない。

 面白かったのは、井上が映像プロデューサー横山眞理子氏による「自立と共生の街、ボローニャに恋して」という講演記録だ。
 井上には『ボローニャ紀行』という作品もあるが、その現地撮影での井上の行動がまるで彼の物語の主人公のようにおかしく、それでいてあの街を愛する井上の気持ちが、その旅に同行した人間だから知りえた挿話として語られている。

 世田谷文学館での講演、神奈川近代文学館での展覧会など、これからも井上ひさしを読み解くさまざまな企画があるにちがいない。井上の遺したものは、それほどに大きい。
 井上は自ら「中継走者」と位置付けた。井上から継がれたものを、また、つないでいく役目が、私たちにはある。
  
(2013/06/06 投稿)

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 昨日『3.11を心に刻んで』の書評で
 岩波書店の創業100周年について少し
 触れましたが、
 いま、書店に行くと
 その記念フェアの一環で
 岩波文庫/岩波現代文庫の「読者が選びこの一冊」フェアを
 しています。
 岩波
 これは昨年読者に岩波文庫/岩波現代文庫の「この一冊」を
 募集した結果を紹介するもので
 小冊子もありますので
 ぜひゲットされますよう。
 読書案内としても
 岩波文庫/岩波現在文庫を知るにも
 いいカタログです。
 なんといっても、タダ。
 タダよりおいしいものはありません。

 さて、「読書が選ぶこの一冊」で
 岩波文庫で1位になったのは何だと思います?
 なんだか、これ、当たりそうですね。
 そう、夏目漱石の『こころ』。
 岩波書店といえば、夏目漱石
 夏目漱石といえば、『こころ』。

こころ (岩波文庫)こころ (岩波文庫)
(1989/05/16)
夏目 漱石

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 では、2位は?
 これはなかなか難しいかな。
 中勘助の『銀の匙』?
 惜しいなぁ。
 『銀の匙』の根強いファンはいますが、これが3位。
 2位は、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』。
 4位はもっと予想外かも。
 宮本常一の『忘れられた日本人』。
 ね、予想外でしょ。
 外国文学で10位にはいったのが、
 デュマの『モンテ・クリスト伯』。

 ちなみに、この小冊子には
 岩波文庫/岩波現代文庫のミニ知識が収められていて
 それによると
 岩波文庫の総観光冊数は約5650冊。
 最初に刊行された1927年(昭和2年)でした。
 岩波現代文庫は2000年(平成12年)創刊で、
 総刊行冊数は約750冊。
 言い忘れましたが、
 「読者が選ぶこの一冊」の岩波現代文庫の1位は
 ファインマンの『ご冗談でしょう、ファインマンさん』。
 2位に吉村昭の『白い道』がはいっています。

 ミニ知識の続きですが、
 そのほか、「岩波文庫の表紙の装丁はどのように決まったのでしょうか?」とか
 「一番厚い本と薄い本は何でしょうか?」といった
 まわりの人にプチ自慢できるネタが
 収められています。
 これで、あなたも、岩波文庫通?

 本好きな人なら
 いままでに岩波文庫は何冊かお世話になっているはず。
 あなたの「この一冊」と比べてみるのも
 いいですね。
 ちなみに、私が「この一冊」をあげるとしたら
 正岡子規の『病床六尺』かな。

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日6月1日2日と
  「東北六魂祭」が福島市で開催され、
  賑わいをみせたというニュースを見ました。
  福島のわらじ祭り、青森のねぶた、岩手のさんさといった
  東北の祭りが一堂に会して、
  復興を願う取り組みです。
  6月2日の福島民報のコラム「あぶくま抄」には
  こう書かれていました。
  
   風評をなくしたい。復興途上のありのままの姿を見てほしい。 
   県民の切実な祈りは、祭りの神々に届くだろう。
   震災や津波で亡くなった人々、原発事故や震災関連死の犠牲者は、
   きっと天国から見守っている。

  東北の人たちにとって、
  東日本大震災は終わったことではなく、
  今も現在進行形なんですよね。
  そのことを私たちも
  忘れてはいけません。
  今日は、『3.11を心に刻んで 2013』という本を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

3.11を心に刻んで 2013 (岩波ブックレット)3.11を心に刻んで 2013 (岩波ブックレット)
(2013/03/07)
岩波書店編集部

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sai.wingpen  すべては,そこからはじまる                   

 岩波書店は今年創業100年を迎える。
 会社の歴史だけでなく、出版事業としてこの国に雄であることは多くの人が認める。
 「創業100年を迎えて」というメッセージの中に「出版事業とは人間の環にほかならない」とあるが、出版は読者だけでなくそれに携わる、例えば取次であったり書店であったりという、たくさんの人々とともにあるという思いだ。
 また、創業者の岩波茂雄の思いであった「文化の種をまく」という志は「文化の配達夫」という言葉で表現され、岩波書店はこの国の文化の代名詞になっているともいえる。

 2011年3月11日、この国を襲った未曾有の災害、東日本大震災。そのことを記録するたくさんの本が出版された。小さな出版社、被災地の出版社、それはさまざまであるが、やはり岩波書店がそのことを出版する意義は大きいと思う。
 出版界はけっして繁栄しているわけではない。
 生まれては消えていく、過酷な業界といっていい。あるいは、書店の店頭に並ぶまでの流通網にのらないこともあるだろう。
 残さなければならない記憶。伝えなければならない思い。
 それは大手出版社の責任でもある。
 だから、岩波書店が東日本大震災以降、それに関連して多くの刊行物を出している意義は大きい。

 本書は「岩波ブックレット」の一冊として出版されたものである。
 岩波書店のホームページに掲載されたさまざまな著者のメッセージを出版物にまとめあげ、それに地元の新聞社である「河北新報社」の記事の一部を収録し、できあがっている。
 著者たちの専門が多方面にわたるので、震災あるいはそれにつづく福島原発事故に対する、思いや意見もさまざまだ。和合亮一という詩人もいれば、湯浅誠という社会運動家もいる。川上弘美や森まゆみ、高橋源一郎という作家もいれば、宇梶剛士という俳優もいる。
 東日本大震災というひとつの天災ではあっても、この本の中でさえ36人の思いは違う。
 そして、この本を読んだ、たくさんの読者の思いもまた。

 冒頭にあげた岩波書店の「創業100年を迎えて」というメッセージの締めくくりにこうある。
 「いま大切なことは何か」を問い続け,発信する岩波書店の姿勢は変わりません.すべては,そこからはじまるからです。」と。
 東日本大震災も同じ。すべて、2011年3月11日、あの日から始まるのです。
  
(2013/05/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  沢木耕太郎さんの新刊紹介の
  今日が最後の三冊目。
  『ホーキのララ』という児童書です。
  絵本にちかいかなぁ。
  絵は、貴納大輔さんという若い書き手。
  沢木耕太郎さん自身が
  この人にお願いしようと決めたそうです。
  絵本というのは
  文と絵がうまくあわさった時、
  魅力が増す媒体です。
  私はもう少し深い感じの方が好きかな。
  でも、きっと貴納大輔さんの絵が
  大好きな読者も大勢いると
  思います。
  そんな絵。
  書評の中で沢木耕太郎さんのインタビューのことを
  書いていますが、
  あれは絵本ナビというサイトに掲載されていたもの。
  興味のある方はぜひ。
  沢木耕太郎さんの児童書は
  まだ続きそうですよ。

  じゃあ、読もう。

ホーキのララホーキのララ
(2013/04/19)
沢木 耕太郎、貴納 大輔 他

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sai.wingpen  親にとっては一番仕合せな時間                   

 むずかる小さな子どもに困った顔をしている若い夫婦を見かけると、つい「それでも今が一番いいんだよ」と言いたくなる。成長して分別ができてしまうと、自分の子どもというより自分とは別個の人間になっていく。
 どんなに親不幸な子どもであっても、小さい時に一生分の仕合せをもらったのだから、ということも聞いたことがある。
 そんなふうに思うのは、小さかった娘もすっかり大きくなったせいだろう。いつのまにか、こちらも親としてすっかり先輩格になっている。
 同じようなことが沢木耕太郎にもあったという。
 あるインタビュー記事で「いちばんいいとき」は一瞬のうちに過ぎ去ってしまうものなんですね」と、沢木は話している。
 「あっという間でした」。

 ノンフィクション作家沢木耕太郎は近年絵本や児童書の分野に新しい足跡を残している。
 そのきっかけは知人の編集者が児童書部門に異動したとからだという。作家と編集者の関係の深さがわかる挿話である。
 もっとも沢木にも読者の幅を広げたいという思いもあったし、彼の子どもが小さかった頃創作童話を話していた経験も動機のひとつになった。
 このホーキに乗って空を飛ぶ少女の物語の原型も、沢木が娘に話しきかせたものだという。
 父親は子どもの前では一級の童話作家になるのだ。

 ある日物置の奥で一本の竹のホーキを見つけた、少女のサラ。
 もしかして、昔読んだ絵本の物語のように空を飛べるのではないかしら、サラは無邪気に思うのだが、そう簡単にはいかない。
 ホーキにララという名前までつけたが、空を飛ぶなんて。
 でも、サラの根気がまさって、本当にホーキのララは空を飛ぶ。
 児童の物語だから、空を飛ばないことには前に進まない。空を飛んだホーキのララが巻き起こす事件・・・?、沢木はそう簡単に物語を進めない。

 この物語は子離れの物語でもあり、親離れの物語でもある。
 ホーキのララに乗って空を飛んだサラは、いつしか若い娘に成長していく。
 誰かが通過しなければならない、旅立ち。けれど、それは親にとっては一番仕合せな時間とのお別れ。
 沢木がこの物語で描いたのは、親と子の、それぞれの成長物語でもあるのだ。
  
(2013/06/03 投稿)

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  今日は沢木耕太郎さんの新刊二冊め
  絵本『いろは いろいろ』です。
  今日の書評は結構辛口になってしまいましたが
  愛ゆえのもの。
  書評タイトルに「走れ、コウタロー」とつけましたが
  若い人は知らないかもしれませんが
  1970年に大ヒットした曲のタイトルを
  拝借しました。
  歌っているのは
  ソルティー・シュガー
  競馬の歌なんですが
  老いも若きも歌っていたのではないかしら。
  そういえば、
  沢木耕太郎さんがデビューしたのも
  この頃。
  まさに「走れ、コウタロー」でした。
  今日の絵本の絵は
  表紙だけでおわかりでしょうが
  和田誠さん。
  いつもながらに、いい絵です。

  じゃあ、読もう。

いろは いろいろいろは いろいろ
(2013/04/19)
沢木 耕太郎、和田 誠 他

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sai.wingpen  走れ、コウタロー                   

 作家が表現の世界を広げるのは悪くない。
 小説家がルポタージュを書いてもいいし、人生訓話も書いても構わない。書きたいという、内面からわきあがるものがあれば、それでいい。
 ノンフィクション作家沢木耕太郎がノンフィクションではなく小説を発表した時、2000年に発表した『血の味』、はとまどいがあったし、作品としての出来栄えも沢木のノンフィクション作品に比してよいとも思わなかった。
 やはり、沢木には足で描くノンフィクションの世界が似合っている。
 そんな沢木が2012年に『わるいことがしたい!』『月の少年』と児童書の世界に乗り出してきたのは、小説よりもさらに驚き、期待もした。
 しかし、正直それも期待以上のものではなかった。
 何故沢木が児童書なのか。絵本なのか。
 そのことが読む側である私にはすとんと落ちてこなかった。

 そのつづきであろうが、今年もまた沢木は児童書を手掛けた。
 そのうちの一冊が、和田誠が絵を担当したこの絵本である。読者年齢は『わるいことがしたい!』よりもさがるのではないだろうか。
 色についてのお話で、初めて色に興味ももつ幼児が対象になる。
 和田の絵は相変わらず冴えている。
 でも、どうしてこれが沢木の文でなければならないのだろう。

 繁殖する言葉をどう刈り取るか。
 作家沢木耕太郎にとっては面白い<実験>かもしれないが、ならばいっそのこと、言葉のない絵本だってありえるだろう。
 どうして沢木は子どもたち向けに良質なノンフィクションを書かないのだろう。
 沢木ならそれはできるだろうし、それが沢木耕太郎というノンフィクション作家の意義だと思うのだが。

 走るのをやめた沢木耕太郎は面白くない。
 昔、こんな歌があったではないか。「走れ、走れ、コウタロー」。
  
(2013/06/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

   今日から6月。  
  しばらく梅雨のじめじめがうっとうしい。

   六月の万年筆のにほひかな  千葉皓史

  そんな時こそ
  さわやかな本を読みたいものです。
  さわやかといえば
  沢木耕太郎さんの新刊が
  立て続けに刊行されています。
  今日から三日間、
  沢木耕太郎さんの新刊を
  紹介します。
  まず初めは
  『旅の窓』。
  旅の途中で沢木耕太郎さんが撮った写真と
  短いエッセイでまとめられた一冊。
  沢木耕太郎さんのファンには
  たまらないでしょうね。
  こういう本をバックにいれて
  旅にでも出たいもの。
  人生、いつも旅の途上。

  じゃあ、読もう。

旅の窓旅の窓
(2013/04/26)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  センチメンタルジャーニー                   

 1986年に刊行が始まった沢木耕太郎さんの『深夜特急』は、いまも旅行記としては絶大な人気を持っている。
 この作品に誘発されて、旅の一歩を歩み出した人も多いのではないかと思う。
 インドからイギリスまでをバスだけで旅するというこの旅行記は、沢木耕太郎のイメージそのものでもあった。
 大きな荷物、くたびれたジーンズ、足の長い青年、埃まみれの背。それでも前に進む沢木の姿に熱い視線が注がれたことは間違いない。
 組織に属さず、常に一人で活動する<行動派>の青年のイメージは、すでに60歳を超えてもなお、沢木にはある。

 沢木は行動派でありながら、センチメンタルな表現を好んで使う。それが、いつまでも枯れない秘訣であるともいえる。
 この本は、沢木が今までの旅(旅行という言葉も沢木には似合わない)の途中で「気まぐれに撮った写真」に沢木の文章が添えられたフォトエッセイ集だ。雑誌連載時には「感じる写真館」というタイトルとなっていた。
 もちろん、読者は沢木の撮った写真から何かを感じてもいいし、沢木の文章に感じても構わない。
 それを沢木の文章でなぞると、「旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景のさらに向こうに、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある」となる。
 こういう文章のやわらかさが沢木の持ち味といえる。

 沢木はデビュー当時から風景や人、あるいは事件に対しても、慈しむ目を持ち続けてきた。
 この小さなエッセイにも、その視線がふんだんに盛り込まれている。
 例えば、スペインバスク地方の小さな街で深夜灯りがついている古いオモチャ屋のショーウインドのオモチャを見て、「このオモチャたちなら動き出すかもしれない」なんて、60歳を超えた大人はそう思うものではない。
けれど、沢木はそういうことを軽々と越えてしまう。
 そういう点では、沢木ファンにはたまらない作品だ。

 中国、ヴェトナム、バルセロナ、ポルトガル、フロリダ、カトマンズ、世界の街をいとも簡単に旅してしまう沢木耕太郎。
 これは、沢木の、そして私たちの「センチメンタルジャーニー」なのだ。
  
(2013/06/01 投稿)

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