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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は終戦の日

   終戦日妻子入れむと風呂洗ふ   秋元不死男

  あの戦争のことを体験した人も
  どんどん少なくなってきています。
  それでも戦争の悲惨さは
  語り継いでいかなければなりません。
  今年になって
  NHK大河ドラマ「八重の桜」に誘発されて
  いくつかの会津の悲劇を
  読んできました。
  戊辰戦争、会津戦争といわれるように
  確かにあれもまた
  戦争だったのです。
  今日紹介する本は
  会津関連としても、
  あるいは明治関連としても
  第一級の歴史書だといえます。
  刊行されたのが昭和46年ですから
  すでに40年以上経っています。
  20万部売れているといいますから
  新書としては異例です。
  それほど人々の胸をうつ
  一冊です。
  『ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書』。
  会津のことだけでなく
  戦争そのものを考える
  重たく、貴重な一冊といえます。

  じゃあ、読もう。

ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))
(1971/05)
石光 真人

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sai.wingpen  明治維新のもうひとつの物語                   

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」はいよいよ後半の<京都篇>にはいりました。
 八重は会津落城ののち、京都で生きていた兄の山本覚馬を頼って多くの会津藩士たちとは違った道を歩みます。 八重にも八重なりの苦労があったでしょうが、それでも藩の再興を願って寒冷地の下北半島斗南藩に出向いた人たちよりはよかったのではないでしょうか。
 そこにはまた別の、会津の悲しく辛い物語があるのです。
 そして、それは明治維新のもうひとつの物語でもあります。

 この本の主人公は柴五郎という元会津藩士です。会津落城の折りにはまだ10歳の少年でした。成長してのち、陸軍大将にまでなる逸材の人です。
 そんな柴が少年期の思い出として書いたのが、「遺書」と呼ばれるものです。
 「遺書」というものは、生きている間に遺しておきたい思いでしょう。
 柴の場合、それは明治維新がもっていた影の部分といっていいかと思います。
 会津の人々は落城後、どのように流浪していったか。
 読むにあまりにもつらい、これは日本史の現実です。

 会津戦争の際、柴の祖母、母、姉妹は自刃しています。焼けた屋敷跡から、その遺骨を10歳の柴少年は拾い集めるという経験もしています。
 それでも藩再興を信じて父と向かった斗南藩では食べることもままならない暮らしが待っていました。
 その地で、柴少年は犬の肉を食べるしかないところまで追いつめられます。
 吐き気を催す柴少年に父は叱責します。「武士の子たることを忘れしか」と。
 そして、いうのです。
 「ここは戦場なるぞ、会津の国辱雪ぐまでは戦場なるぞ」
 多くの会津藩士にとって、自分たちには罪はない、という思いは終生あったものと思います。
 それは「遺書」の最後、西南戦争で西郷隆盛たちとの戦争に勇躍して臨む元会津藩士の姿によくうかがえます。

 柴はこののち大久保利通の暗殺事件の際にも「非業の最期を遂げたるを当然の帰結」とまで書いています。
 さらに、この時の感慨は「青少年の純なる心情の発露」としながらも、それを否定しようとはしていません。
 柴にとっての明治維新とは何であったのか。
 あるいは、会津の人々にとっては何であったのか。
 どんな言い分があるにしろ、それは人と人とが憎しみあう「戦争」そのものであったのだと思われます。
  
(2013/08/15 投稿)

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