プレゼント 書評こぼれ話

  9月のおしまいの月曜日。
  また、仕事だ、嫌だなぁ、と
  思っている人もいるでしょうね。
  あの嫌な上司の顔がチラチラ浮かぶ。
  冷たい女子の同僚や
  にやけて中年おじさんの顔も。
  まあ、そういわずに
  悩んでいるのはあなただけじゃありませんよ。
  益田ミリさんの人気シリーズ「すーちゃん」の3作目、
  今日紹介する
  『どうしても嫌いな人 すーちゃんの決心』の
  すーちゃんも
  あなたと同じ。
  嫌いな人がいる仕事場に行きたいないらしい。
  しかも、タイトルにあるように
  なにやらすーちゃん一大決心をするようです。
  「すーちゃん」シリーズを読んで
  いつも思うのですが
  女の人は「すーちゃん」のような
  漫画が読めて
  いいですよね。
  きっと癒されるんだろうな。

  じゃあ、読もう。

どうしても嫌いな人 すーちゃんの決心 (幻冬舎文庫)どうしても嫌いな人 すーちゃんの決心 (幻冬舎文庫)
(2013/04/10)
益田 ミリ

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sai.wingpen  雲形ふわふわふふきだしの効果                   

 漫画には「ふきだし」があって、登場人物たちのセリフは普通ここにはいります。
 声にだしている時は楕円形の空間にシッポのようなものがついて、誰が喋っているセリフなのかわかるようになっています。
 それ以外にも、雲のようなほわほわした形に、だんだん小さな雲がくっついて、心の中の思いが表現されるものもあります。
 これは便利ですね。日常の中でこれがあれば、どんなにいいでしょう。
 というか、世の中、この雲でいっぱいになってやりにくいかもしれません。何しろ心の声なもので、人に知られない方がいい。
 益田ミリさんの人気四コマ漫画「すーちゃん」シリーズの三作目にあたるこの作品では、この雲形ふわふわふふきだしがたくさん使われています。
 それに、益田さんの漫画は漫画の中にさりげなく登場人物や作者の独り言もはいっていますから、独り言二重奏といってもいいでしょう。

 特に今回は「嫌いな人」が大きなテーマになっていますから、この独り言二重奏が効果をあげています。
 どんな職場にも、学校だっていいのですが、嫌いな人や苦手な人がいるものです。相性が合わないっていうか。
人のよさそうなすーちゃんだって、嫌いな人がいます。
 しかも、自身が憂鬱になるくらい、とっても嫌い。
 「なにかひとつのことが嫌いなんじゃなくて、いくつかの小さいイヤな部分がまるで、たんすの裏のホコリみたいに、少しずつ、少しずつたまって」嫌いになる、なんて悩んでいます。(ちなみに、この箇所は漫画でいうと五コマに分かれて表現されています)
 また、「人の悪口ばっかり言ってるアンタがうっとうしんだよ」なんていうセリフは雲形ふわふわふきだしに書かれていたりします。
 こういう独り言が表にでてしまえば、ケンカになってしまいます。
 だから、どうしてもたくさんの雲形ふわふわふきだしでいっぱいになるのです。
 でもどうしてでしょう。
 雲形なのに、ふわふわなのに、重いのは。

 嫌い人がいるから「仕事行きたくない」と悩む36歳独身のすーちゃん。
 わかるなぁ、という人はいっぱいいるはず。
 きっとこういうあたりが女性たちに人気なのでしょうね。
  
(2013/09/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  週末叔母の法事があって
  大阪に帰ってきました。
  故郷とはいえ
  父も母もいなくなって
  用事がないとあまり帰ることが
  なくなりました。
  今日紹介するのは
  あおきひろえさん文、長谷川義史さん絵の
  『シバ犬のチャイ』。
  書評に書いたように
  子どもの頃犬を飼っていたことが
  あります。
  でも、あまりいい飼い主では
  なかったな。
  名前すら忘れています。
  よその家の犬の名前は覚えているのに。
  子どもの頃に
  ペットに親しむのと
  そうではないのでは
  やはり違うように思います。
  できれば
  子どもの頃から命にふれるのは
  いいような気がします。

  じゃあ、読もう。

シバ犬のチャイシバ犬のチャイ
(2013/04)
あおき ひろえ

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sai.wingpen  これこそ家族                   

 犬とか猫とか、あるいは牛でも山羊でもかまわないのだが、ペットというのは愛おしいものだと思う。
 半世紀を超えた自分の人生を振り返ってみても、子どもの頃に兄弟でねだって飼った犬一匹、結婚して飼ったハムスター何匹、あるいは夜店の金魚すくいで我が家にやってきた金魚数匹、それはなれなりに思い出がある。
 ペットとの生活は現在進行形もいいけれど、過去形でたどる思い出もどことなくしんみりする。

 子どもの頃に犬を飼ったのには理由がある。
 近所の工務店にジロという賢い犬がいた。昭和30年代終わりの町では飼い犬も放し飼いであったか、ジロは少し離れた我が家にも時々顔を見せた。
 何をするでもなく、顔を見せた。
 とことこ歩いて来て、吠えることもなく、とことこ歩いて帰った。
 そんなジロのような犬が飼いたかった。
 残念ながら、我が家に来た犬はジロのように賢くはなかった。その犬がいなくなったわけは覚えていない。しばらく主のいない小屋だけがあったように思う。
 賢いジロがシバ犬だったら、この絵本につながるのだが、覚えていない。

 この絵本のシバ犬は「チャイ」と呼ばれている。
 作者のあおきひろえさんの生活で実際にあった話として、生まれてたての豆柴犬があおき家にやってきた時当時4歳だった子どもが茶色の毛並をみて「チャイ!」と叫んだところからついた名前らしい。
 「チャイ」は茶色の意味だったのだろう。
 絵を担当しているのが、長谷川義史さん。あおきさんのそんなほほえましい話などお構いなしに、「チャイ」のさまざまな姿を長谷川さんのパワーで描いていく。
 顔が異様に大きかったり、お尻の穴も丸見えにしたり、本物の「チャイ」が見たら嘆き悲しみにちがいない絵本の「チャイ」なのだが、だからこそ、家族に愛されるペットとして生き生きと描かれているのだ。
 犬好きの人なら間違いなく「うちの○○ちゃんにそっくり」と思うだろうし、犬以外のペットを飼っている人なら「これこそ家族」と満足するだろう。

 ところで、私のジロは何犬だったのだろう。
  
(2013/09/29 投稿)

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  大島真理さんの「司書は魔女」シリーズは
  4冊あるそうです、
  今日紹介する
  『司書はひそかに魔女になる』は
  そのうち一番新しい本。
  東日本大震災のあとに
  書かれたものというので
  読んでみることにしました。
  東日本大震災
  漁業関係の仕事だけでなく
  さまざまな仕事や場所に
  影響を与えました。
  それは本屋さんだったり
  図書館だったりします。
  光があたる仕事や場所ではありませんが
  そのことは忘れないように
  しないといけません。
  災害の時にも
  人は本を求めるのですから。

  じゃあ、読もう。

司書はひそかに魔女になる司書はひそかに魔女になる
(2013/02/14)
大島 真理

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sai.wingpen  魔女は時々空を飛ばない                   

 先頃引退を表明した宮崎駿監督作品の中でも「魔女の宅急便」は人気の高い作品である。
 主人公のキキが魔女の定番であるホウキにまたがり空を飛ぶ浮揚感、多感な少女の思い、そしてユーミンの主題歌、まさに宮崎駿の魅力は凝縮された作品といっていいでしょう。
 この作品で「魔女」のイメージも大きく変わったのではないでしょうか。
 魔女はちっとも怖くない。
 魔女はかわいくて、私たちは別の世界に連れていってくれる。
 そんなふうに思った子どもたちも多いと思います。

 図書館の司書は魔女。
 実際に図書館司書だった大島真理さんのその発想は図書館というイメージをファンタジックなものにしてくれます。
 『司書はときどき魔女になるから』から4作めになるこの本では、2011年3月11日の東日本大震災のあとの日々が綴られています。
 大島さんは宮城県の生まれ。東日本大震災への悲しみだけでなく、その後まもなくお母さんを病気で亡くします。
 「親の思惑とは外れた軌跡を辿った」という大島さんですが、きっと「ときどき」は魔女になる娘をお母さんは慈しんでいたはずです。
 だって、こんなにもお母さんを愛した人ですから。

 このエッセイ集では震災後の図書館のありかたを問う「非常時の図書館」を始め、震災に関連する文章も収められています。
 そこでは図書館という機能だけでなく、いうまでもなくそこで働く人々の思いがより図書館を支えていることを再確認されています。
 それは、図書館で働いていた大島さんならではの矜持だと思います。
 ああいう大きな被災では実は図書館のような、心を潤してくれる場所ほど、人々の心を慰めてくれるということが多くの実例としてあります。
 まさに、図書館で働く人たちが魔女たる由縁です。

 切ないのは福島原発事故で大きな悲しみを背負うことになった南相馬市の「市立図書館」を訪れた際の見学記です。
 大島さんが訪問したのは2010年4月。その前年に開館したばかりの図書館。その近くの町の通りにあった桜並木を観て大島さんは「いつか絶対に」満開の桜を見たいと綴っています。
 そして、そっと「2012年春、誰も見ることのない桜の名所」と書かざるをえない悲しみ。
 魔女はときどき空を飛ぶのをやめて、涙をぬぐうのです。
  
(2013/09/28 投稿)

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  書評にはネタバレ禁止という
  鉄則があります。
  推理小説で犯人がわかるようなことは
  書かないのが
  ルールですよね。
  今日紹介する
  石田衣良さんの『水を抱く』の
  結末についても
  やはりネタバレに相当するので
  書けません。
  ただし、重要なヒントになるこんな文章が
  あったので
  書きとめておきます。
  印象深い、ひとことですし。

    誰もが今、洪水の跡を生きている。

  水のイメージで全体に覆われている作品です。
  でも、宣伝文にあるような
  「著者史上、最高にセクシャル」は
  ちょっと過大かな。
  そういう場面もありますが
  直裁的過ぎて
  あまり官能的ではありません。

  じゃあ、読もう。

水を抱く水を抱く
(2013/08/22)
石田 衣良

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sai.wingpen  手のひらに残ったものが、愛であれば、いいのだが。                   

 水は液体。空気は気体。氷は固体。小学校で習った。
 しかし、液体である水を抱くなんては習わなかった。
 気体は抱けるのか。空気人形ってどんなのだろう。固体なら抱けそうだ。ならば、水はどうなのか。ウォーターベッドとうのがあるくらいだから、抱けなくはないかも。けれど、とらえどころがないような気がする。

 「著者史上、最高にセクシャルで切ない、純愛小説」という謳い文句のこの作品であるが、「最高にセクシャル」かどうかは読んでみてのお楽しみ。少なくとも、私はさほど「セクシャル」には思わなかった。
 現代風な言葉でいえば、「痛い」物語ではあるが。

 主人公は29歳の草食系男子である伊藤俊也。最近付き合っていた女性と別れたばかりだ。その落ち込みを紛らすためにネット漂流していたところで知り合ったのが、少し年上の魅力的な女性ナギ。
 知り合ったとはいえ、俊也はナギの何も知らない。
 それでもナギの悪魔的ともいえる性的魅力にはまっていく俊也。
 「無数の男と寝る性依存症の傾向がある、精神的には極端に不安定」な、ナギとは何者か。
 物語の終わりには、ナギの精神的な不安がどこから生まれたのか解き明かされるが、物語の最中は東京という都会の夜にひそむものとして描かれている。

 渋谷、新宿といった若者の街の深夜。時計の針が午前零時を過ぎても、街のどこかで息づいているものとして、ナギはある。
 多くの人が、俊也と同じように、明日になれば嫌な仕事が待っているそんなしばしの休息をしている時間でも、都会の闇に蠢くものたちがいる。
 それは依存症になったものたちだけではない。
 そこには正常も、異常もない。あるのは、ただ、この時代を生きる人たち。

 俊也とナギの世界はかけ離れているようで、俊也がナギに魅かれていくように、実はそんなに遠い地平ではないのかもしれない。
 そう思えば、なんとも怖い世界を描いた物語だといえる。

 水は液体。すくったつもりでも、指の間からこぼれおちるもの。
 この物語で読者の手のひらに残ったものが、愛であれば、いいのだが。
  
(2013/09/27 投稿)

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  お待たせしました。
  第149回芥川賞受賞作
  藤野可織さんの『爪と目』を
  紹介します。
  今回の選評を読むと
  選考委員から石原慎太郎さんがいなくなって
  なんだか芯がなくなった印象が 
  ありますね。
  石原慎太郎さんがいたら
  この作品は芥川賞を受賞しなかったかも。
  だって、
  石原慎太郎さんはこういうそっけない題名は
  あまり好きじゃないですものね。
  現在の選考委員の中で
  私が一番信用しているのが
  村上龍さんかな。
  その村上龍さんが
  「今回は低調だった」と書いているのが
  印象に残ります。
  ただ、この『爪と目』は
  私には面白かったなぁ。
  さあ、あなたはどうでしょうか。

  じゃあ、読もう。

爪と目爪と目
(2013/07/26)
藤野 可織

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sai.wingpen  二人称のもつ面白さ                   

 第149回芥川賞受賞作。(2013年)
 東日本大震災から2年経過したこの年の芥川賞の選評を読むと、多くの選者がいとうせいこう氏の『想像ラジオ』にコメントをしていることがわかる。
 それは島田雅彦委員のいうように「3.11以後に作家がどのようなものを書くのかについてはジャーナリスティックな関心も集まって」、芥川賞もその関心のひとつであることは否めない。
 しかし、結果としていとう氏の作品はのけられ、藤野可織氏のこの作品が選ばれたわけだが、選評を読むかぎりにおいてこの作品が強く推されてという印象を持たなかった。
 
 よくいわれるようにこの作品は二人称である「あなた」を巧みに使った作品で、そのことで奥泉光選考委員がいうように「小説世界に奥行きを与えることに成功」しているといえる。
 読んでみるとわかるが、「あなた」という二人称が持っている力は全体をまるで違った世界に見せてくれる。
 こういう作品をあまり読んだことのない読者にとって、これは新鮮であり、文学がもっている、まだまだ不可思議な力の存在を強く思わざるをえない。

 物語は「三歳の女の子」である「わたし」が、実の母の死によって父が新しく迎えいれて次の母の候補者である「あなた」の姿を描いている。
 母の死のあと、爪を噛む癖が始まった「わたし」、それをとめようとスナック菓子を「わたし」に与え続ける「あなた」。
 ハードコンタクトなしではほとんど外界を認識できない「あなた」は、父と眼科で出会い、「あなた」の微笑に意味づけをもった父は、その時実際には「あなた」が何も見えていなかったことに気がついていない。
 「あなた」は実像があるようで虚像しかないように見える。
 過去があっても、未来の気配が淡い。今という営みの積み重ねが、未来となっていくような感覚。

 物語の終わりはかなり難解である。
 宮本輝委員は「単なるホラー趣味以外の何物でもない」と酷評しているが、この場面こそ作品を終わらせるには必然だったように思う。
 「あなた」という二人称がもたらすものは、ひどく歪んだ世界、けれどそれもまた世界だと思う。
  
(2013/09/26 投稿)

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  さあ、子母澤寛の「新選組三部作」の
  最後の巻、
  『新選組物語』ですよ。
  三部作を読んで思うのは
  昭和の初めに書かれた作品ながら
  ちっとも古ぼけていないという
  驚きです。
  この巻に収録されている
  近藤勇の最期を描いた「流山の朝」だって
  これが昭和の初めに書かれたものかというくらい
  現代の作家たちが逃げ出すのではないかとも
  思える作品です。
  明治から大正にかけて
  文学史的にいえば
  夏目漱石から芥川龍之介につづく
  系譜でしょうが、
  どっこい大衆文学もしっかり
  生きているのです。
  もしかしたら、
  平成の世になっても
  十分読み応えがあるほど
  うんとしっかりしていたとも
  いえるのではないでしょうか。
  ともかく、
  子母澤寛の「新選組三部作」は
  全部面白かったです。

  じゃあ、読もう。

新選組物語―新選組三部作 (中公文庫)新選組物語―新選組三部作 (中公文庫)
(1997/02/18)
子母沢 寛

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sai.wingpen  近藤勇派? 土方歳三派?                   

 明治維新という大きな歴史の変革期にあって長州や薩摩は官軍、つまりは新しい時代をつくった側にあたる。それと対峙し、多くの志士たちを殺戮した新選組は新しい時代のいわば「敵」。
 新選組のせいで維新が一年遅れたといわれるくらいだ。
 だが、その人気は高い。単にアウトロー集団としての魅力だろうか。
 多くは下級武士や農民あがりであったが、彼らは「最後の武士」だったともいえる。
 その強さによって。その純粋さによって。その潔さによって。

 昭和の初めに刊行された子母澤寛の「新選組三部作」の、これは三作め。
 先の二作と比べると、近藤勇の最期を描いた「流山の朝」のように創作の収録が多い。近藤たちの科白、心理描写など、これまでの二作から得た史実をたくみに生かしながら、読ませる作品に仕上がっている。

 新選組の中でもっとも人気の高いのは土方歳三かそれとも沖田総司か。
 子母澤は明らかに近藤勇派だろう。
 この巻でも鳥羽伏見で伊藤甲子太郎の残党から銃撃される場面を描いた「新選組」や斬首されたあとの近藤の死体を掘る「近藤勇の屍を掘る」など、土方などの記述に比べ、近藤を描いた作品が多い。
 三部作を振り返ると、土方歳三を描いたものが市井の人気に比べほとんどないことが目をひく。

 それは創作「流山の朝」に描かれたように、近藤と土方の関係性にあるかもしれない。
 「局長として彼の上にあったが、実力の相違は、いつも彼に負け、彼に押され、彼の方寸に従わざるを得なかった」と、この作品の中で、官軍側に捕縛(のち斬首)される前の近藤は土方との関係をこう振り返っている。
もちろんこれは子母澤自身の思いである。
 新選組という集団を近藤勇というトップが動かしていたというのではなく、土方歳三という影の主役が握っていたのでは、と子母澤は見ていたのではないだろうか。

 流山での近藤と土方の別離のあと、近藤は斬首、土方は会津から函館と戦いの地を求めていく。
 土方は函館で戦死するが、そのことをこの三部作で子母澤は触れていない。
 子母澤にとって、新選組は近藤勇の死とともに終焉したのだ。
  
(2013/09/25 投稿)

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  私の亡くなった母は小学校しか出ていない。
  けれど、晩年まで字を書くのが好きだったし、
  向学心をもった人でした。
  今日紹介するのは、
  強い母を描いた出町譲さんの
  『母の力  土光敏夫をつくった100の言葉』です。
  「言葉」とあるとおり、
  この本ではたくさんのこれはという言葉が
  紹介されています。
  いくつかを書きとめておくと、

   仕事に困難や失敗はつきものだ。
   そのようなとき、困難に敢然と挑戦し失敗に屈せず
   再起させるものが、執念である。

   誰だって長所があるもんだ。
   長所をみないで人事をやるなんておかしいですよ。


   つぶれない企業はない。すべて人間次第だ。
   一般社員は、これまでより三倍働け。
   重役は一〇倍働く。僕はそれ以上に働く。

  いい言葉ですね。
  そういうことがきちんといえる
  人の素敵なこと。
  
  じゃあ、読もう。
  
母の力 土光敏夫をつくった100の言葉母の力 土光敏夫をつくった100の言葉
(2013/07/26)
出町 譲

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sai.wingpen  火種のような母と子                   

 「土光敏夫」を知らない世代もきっと多いだろう。
 石川島播磨重工業、東芝の社長を歴任し、経団連会長にもなった「土光敏夫」、その後、「メザシの土光さん」として国民に支持され、臨時行政調査会会長として行革の先頭に立ったのが1981年だから、もう30年以上前になる。
 固有名詞「土光敏夫」を知らなくてもいいとしても、「土光敏夫」が持っていた国の未来を憂う強い信念を持っている人を、いまの私たちはどれだけ知っているだろうか。
 「暮らしは低く、思いは高く」と手帳に書き留めていたという「土光敏夫」を再認識することは、けっして遅くはない。
 多くの借財を持ち、放射能の影響から脱却できず、少子高齢化といった未来に進むしかないこの国にあって、かつて自分の生活よりも国の未来を憂うる信念の人がいたのだということを知ることは、けっして遅くはない。

 本書ではそんな「土光敏夫」の生み、育てた、もう一人の人物にも光をあてている。
 それが「土光敏夫」の母、「登美」である。
 常に強くあった母とその母を生涯尊敬し続けた子、それは「土光登美」と「土光敏夫」という固有名詞ではなく、「母親がいかに息子に影響を与えているか」というテーマを書きたかったと、著者の出町譲氏はいう。
 私たちは「母と息子」の関係もまた忘れかけているのかもしれないのだ。

 「土光敏夫」はけっして若い頃から優秀であったわけではない。
 四度受験に失敗している。そんな息子に母「登美」は、「入試の失敗など長い人生の一コマのこと、さあ明日からがんばりましょう」と激励したという。
 「登美」にとって、世間体や家の資力は問題外であったにちがいない。息子を信じていたからこそ出た言葉であったろう。
 その裏には「登美」自身が小学校以上の学校に進めなかった悔いがあったと思われる。
 そして、その向学心が「登美」をして70歳を過ぎて学校を造ろうという思いにつながるのである。

 本書は「土光敏夫」とその母「登美」の生涯をたどってはいるが、強い母が強い子を育てるという普遍性を描いたものだといえる。
  
(2013/09/24 投稿)

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 今日は秋分の日
 彼岸の中日です。
 「暑さ寒さも彼岸まで」とよくいわれますが、
 ここしばらくは朝晩めっきり秋らしくなりましたね。

   赤松の幹の明るき秋彼岸    矢島房利

 俳句の世界では
 「彼岸」といえば春の季語。
 それに対して、秋は「秋彼岸」とわざわざことわることに
 なっています。

 昨日、秋晴れの日曜、
 20130922_115127_convert_20130922160149.jpg
 さいたま市にあるさいたま市立漫画会館
 出かけてきました。
 というのも、
 今この会館で「生きる伝説 松本零士展」が
 開催されているのです。
 しかも、入場無料という
 なんとも贅沢な展覧会です。

 松本零士さんといえば
 最近実写版の映画化で話題を呼んでいる
 「宇宙海賊キャプテンハーロック」や
 おなじみ「銀河鉄道999」、「宇宙戦艦ヤマト」といった
 SFファンタジーで人気の高い漫画家です。
 私たちの世代は
 サルマタケで一大ブームとなった「男おいどん」も
 忘れがたい作品です。
 20130922_100653_convert_20130922160244.jpg
 この展覧会では
 松本零士さんの原画とか初期の頃の漫画雑誌とかが
 展示されています。
 入口をはいると
 さっそくハーロックがお出迎えです。
 規模的にはこぶりの展示ですから、
 あれれっていう感じもなきにしもあらずですが
 まあ入場無料ですから
 ちょこっとのぞいてみるにはいいのでは
 ないでしょうか。

 会場のさいたま市立漫画会館ですが、
 20130922_101739_convert_20130922160337.jpg
 ここは近代漫画の先駆者といわれる
 北沢楽天の晩年の住居跡なんですね。
 楽天の書斎やりっぱな庭園をみることが
 できます。
 しかも、
 2階が漫画資料館になっていて
 漫画本がずらりと並んでいます。
 真崎守さんの「ジロがゆく」とか永島慎二さんの「フーテン」とか
 青春時代の漫画本もあって、
 ここで何時間も過ごしたい気分になります。
 ただし、ここでは館外の貸出はしていなくて、
 しかも閲覧は日曜、祝日だそうですから
 利用の際には気をつけて下さい。

 東武野田線大宮公園駅から徒歩5分、
 まわりは盆栽町の閑静な住宅地。
 秋の半日、
 ぶらっと歩くには最高です。

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プレゼント 書評こぼれ話

  毎週一度は図書館に行きます。
  借りた本を返し、
  新しく本を借りる。
  そして、必ず児童室を見て歩きます。
  若いパパやママ、そして子どもたちで
  賑わっている児童室を
  うろうろしている変なおじさんと
  思われているかしらん。
  でも、構いません。
  変なおじさんは
  まだまだ子どもの気持ちで
  楽しい本と出逢いたいのです。
  そこで出会った一冊が
  ジャン ピンボローさんの
  『図書館に児童室ができた日』。
  これは、アン・キャロル・ムーアという女性の
  物語です。
  図書館のことに興味がある人には
  絶対読んでもらいたい絵本です。
  あるいは、
  女性の活躍を知りたい人にも
  いいかもしれません。
  こんな素敵な本に出会いたくて
  変なおじさんは児童室を
  うろうろしているのです。

  じゃあ、読もう。

図書館に児童室ができた日: アン・キャロル・ムーアのものがたり (児童書)図書館に児童室ができた日: アン・キャロル・ムーアのものがたり (児童書)
(2013/08/08)
ジャン ピンボロー

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sai.wingpen  本という不思議に出会えるワンダーランド                   

 図書館にある児童室にはいると、そこはまるでアリスの不思議な国の世界だ。
 小さな椅子、テーブル、背の低い本棚、色とりどりの本。
 あのチェシャ猫がこちらを向いて、にやっと白い歯を見せている。

 いまでは多くの公共図書館にある児童室だが、何十年前まではそれほど充実していなかった。
 公立図書館が拡充していくに合わせて、児童室にもさまざまな趣向がこらされていったという印象がある。
 核家族化が進み、街から空地がなくなり、子どもたちが遊べる場所が減っていくのに反比例して増えていったのだろうか。
 その点では半世紀前とは数段も違う施設なのに、けっして子どもたちは豊かになったとはいえない。
 まだまだ児童室のありかたを考える必要があるような気がする。

 この本は児童図書館サービスの先駆者の一人である、アメリカの女性、アン・キャロル・ムーアの生涯を絵本で紹介している。
 絵本という子どもに合わせた媒体を使ってはいるが、アンという女性を知るには大変わかりやすく、ここを出発点にして図書館や児童室の歴史をたどるにはいい本だ
 この絵本のあとがきで訳者の張替惠子さんもアンと出逢った石井桃子さんの著作を紹介している。

 1870年頃、アメリカ・メイン州のリメックという小さな町に住んでいた小さな女の子という紹介で、この絵本は始まる。アン・キャロル・ムーアのことだ。
 アンは「じぶんのかんがえをしっかりもった、女の子」だった。
 その当時の図書館は子どもたちが自由に入ることはできなかったという。
 成長してアンはニューヨークで図書館について学んでいく。そして、実際に図書館で働くようになって、「児童室」の設立に尽力していく。

 それでも当時の人たちにとって子どもは本を汚したり壊したりする邪魔者という意識もあった。そこでアンは「図書館のやくそく」を作り、子どもたちに本を大切にあつかうことを約束させたりする。
 アンにとって、子どもはしっかりとした自己をもった人間に見えたのだろう。

 図書館の児童室はいつだって不思議な国だ。
 たくさんの本たちが、そこで子どもたちを待っている。
 本という不思議に出会えるワンダーランドなのだ。
  
(2013/09/22 投稿)

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  さあ、いよいよ
  TBSドラマ「半沢直樹」も
  明日の日曜の夜で最終回ですね。
  先週には瞬間最高視聴率が40.1%だったそうですから
  最終回の視聴率が気になるところ。
  このドラマ、脇役たちの個性もさることながら
  主人公の半沢直樹役の堺雅人さんが
  最高!
  私なんか、半沢直樹の唇の色に
  しびれっぱなしです。
  その原作は池井戸潤さん。
  今週号の「週刊文春」には
  池井戸潤さんの特集まで組まれるほどの
  ヒートぶり。
  そこで、明日の最終回を前にして
  池井戸潤さんのデビュー作ともいえる
  『果つる底なき』を
  紹介します。
  まずはこの本を読んで
  明日の100倍返し
  備えましょう。

  じゃあ、読もう。

果つる底なき (講談社文庫)果つる底なき (講談社文庫)
(2001/06/15)
池井戸 潤

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sai.wingpen  池井戸潤、ここからはじまる                   

 第44回江戸川乱歩賞受賞作(1998年)。
 テレビドラマ「半沢直樹」で今や大ブレーク中の池井戸潤のデビュー作である。
 銀行を辞め、作家への道をめざした池井戸は、乱歩賞受賞の「言葉」に、「作家になるのは私の夢」と書いている。そして、「受賞することではなく、書き続けることが作家になるということ」だと続けている。
 この作品から何度かの直木賞候補作、そして『下町ロケット』で第145回直木賞受賞(2011年)と、当初の目標どおり書き続けている。
 乱歩賞の受賞から直木賞まで実に12年の歳月が流れていることを思えば、池井戸もまた努力の人であったといえる。

 池井戸は自身が実際に経験した銀行実務を背景に銀行内部の暗躍を描いた作品が多い。
 ブレークした「半沢直樹」も原作の『オレたちバブル入行組』で銀行を舞台にしている。最近は銀行だけにとどまらず、下町の工場などに幅が広がって、その分、人物描写なども深くなっている。うまさではこの作品はまだまだ手始めというところだろうか。

 舞台は渋谷にある銀行。主人公の伊木はその銀行の融資課の課長代理である。かつて正義感にかられ、大きなプリジェクトを破談させてことが響いたのか、本店からこの渋谷支店に異動になった。
 渋谷支店には伊木と同期入行の坂本がいる。その坂本がある日、不審な死をとげる。
 蜂アレルギーによるショック死。故意か、偶然か。
 坂本の仕事を引き継いだ伊木は、かつて自身の顧客でもあった半導体の会社東京シリコン破綻の裏に何やら蠢くものを嗅ぎつける。
 坂本は何を見つけ、何を暴こうとしていたのか。

 伊木は東京シリコンの社長の娘である菜緒をたずねるところから調査を始める。
 やがて浮かび上がってくる銀行内の黒い影。しかし、怪しいと問い詰めた副支店長もまた不審な死をとげる。
これは単に銀行内不正の問題なのか、それとももっと大きな陰謀なのか。
 大きな悪に単身立ち向かっていく伊木はかっこいいが、物語とはいえあまりにも超人的すぎるのが長所でもあり、欠点ともいえる。
 伊木の先輩が事件解決後伊木にこういうのが印象的だ。
 「銀行がお前に向いてないんじゃない。お前が、そもそも会社組織というものに向いていないんだ」。
 あるいは、池井戸もまたそう言われた一人かもしれない。
  
(2013/09/21 投稿)

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  先に津村節子さんと加賀乙彦さんの対談
  『愛する伴侶(ひと)を失って』を
  紹介しましたが、
  あの本では 
  対談のあいまあいまに
  津村節子さんの作品の一節が紹介されていて
  今日紹介する『ふたり旅』は
  そこで初めて知りました。
  もちろん、作家吉村昭さんとの
  出会いや生活なども描かれていますから
  そういう点もひかれた理由です。
  吉村昭さんと津村節子さんは
  作家どうしの夫婦、
  しかも吉村昭さんが手にできなかった芥川賞を
  津村節子さんが受賞するという
  皮肉なめぐり合わせをもった夫婦です。
  もちろん、
  その後吉村昭さんはりっぱな作品を
  続々と発表しています。
  こういう本を読むと、
  津村節子さんの作品をほとんど読んでいないことに
  思い至ります。
  まだまだ読むべき本は
  たくさん。

  じゃあ、読もう。

ふたり旅―生きてきた証しとしてふたり旅―生きてきた証しとして
(2008/07/25)
津村 節子

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sai.wingpen  こんな夫婦があってもいい                   

 吉村昭の死後、妻で同じく作家の津村節子は自身が作家であったために十分な看護ができなかったことを悔やむ内容のことをいくつもの作品に書いている。
 そのことは吉村との結婚の際にも、彼女を悩ませ躊躇したことでもあった。
 学生時代に同人誌に同じように関わった二人はいつしか互いに魅かれあう。しかし、「小説を書く女なんて男だったら辛抱できない」と、津村は躊躇う。
 吉村はこう言ったという。「小説を書く女など男だったら辛抱出来ないだろうから、きみが離婚するまで待っている」と。
 二人の間を吉村の弟が取り持ち、二人は作家を目指す男と女のまま、結婚をするのだ。

 けれど、二人には過酷な日々が待っていた。生活のため、商品を売り歩く行商の旅。何度も芥川賞の候補になりながら落選をする吉村。受賞の報せに嬉々として会場に向かう吉村に落選の報が追いかけるということまであった。
 さらには、妻である津村が芥川賞を受賞。「おまえのヒモになるぞ」とまでいう吉村だったが、生活のためにやむなく会社勤めを続ける。
 そんな夫の姿に津村はいう。「あなた、会社をやめて下さい」。
 吉村が「小説を書くために生きている」ことを誰よりも、津村は理解していた。
 なぜなら、津村もまた書くという業を抜け出せない、作家であったから。

 本書は作家津村節子が『津村節子自選作品集』の巻末に掲載した「私の文学的歩み」を書き継ぎまとめられたもの。
 福井で虚弱児として過ごした幼年時代に始まり、若い日に母と父を亡くしてしまう悲しみ、勉学へのあくなき思い、そして文学を志す日々。
 津村のファンだけでなく、戦前から戦中、そして戦後を生きる昭和3年生まれの女性の歴史もまた堪能できる。
 もちろん吉村昭の愛読者にとっては、彼をもっとも知る理解者からの吉村像が描かれているのであるから興味深いだろう。

 結局吉村と津村は作家を目指す男と女として見事に作家としての、夫婦としての「ふたり旅」を全うしたといえるだろう。
 吉村の晩年を十分に共に過ごせなったという悔いが津村にあったとしても、吉村は満足であったにちがいない。
  
(2013/09/20 投稿)

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  今回紹介する
  新海均さんの『カッパ・ブックスの時代』は
  題名の通り、
  昭和30年、40年代に数々のベストセラーを
  生み出したカッパ・ブックスを
  描いているが、
  同時に出版社光文社の社史の様相もある。
  光文社といえば
  カッパ・ブックス以外に
  漫画月刊誌「少年」を
  作った出版社でもある。
  手塚治虫さんの「鉄腕アトム」、
  横山光輝さんの「鉄人28号」といった
  人気漫画をそろえ、
  当時の漫画月刊誌では
  トップを走っていた。
  そんな光文社が漫画週刊誌の隆盛を
  読み取れなかった。
  カッパの伝説を作った出版人神吉晴夫
  その当時70歳近く、
  時代の風を読み取れなかったのではと
  この本に記されている。
  はたして真相はどうだったのだろう。

  じゃあ、読もう。

カッパ・ブックスの時代 (河出ブックス)カッパ・ブックスの時代 (河出ブックス)
(2013/07/11)
新海 均

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sai.wingpen  ヘのカッパ                   

 「カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのヘのカッパと、自由時代に行動する」。
 昭和30年代から40年代にかけて、次々とベストセラーを量産したカッパ・ブックスの「誕生のことば」の一節である。
 その当時の人で、カッパ・ブックスを手にしなかったという人は少ないのではないか。それほど売れた。
 個人的な思い出でいえば、小学6年生の時に松本清張の『点と線』をカッパ・ノベルズで読んでいる同級生がいて驚いたことが忘れがたい。しかも、その同級生はカバーをしっかりとセロテープで固定し、傷まないように補強までしていた。
 多湖輝の『頭の体操』に夢中になったし、佐賀潜の法律シリーズもこっそり読んだ。
 当時の中学生でも高校生でもカッパの本は魅力的だった。
 そのカッパが書店から消えている。
 発行元である光文社がどのようにしてカッパを生み、何故多くの読者を得、どのようにカッパを捨てていったか、この本は実際に現場にいた著者が丹念に取材をした「カッパ興亡記」である。

 カッパ伝説はすでに多くの言い伝えがある。その多くは生みの親である神吉晴夫に関するものだが、伝説が生まれるのは人が羨む程カッパの本が売れたということだ。
 それは1961年に出版された『英語に強くなる本』につけられた、「パンのように売れる」というキャッチコピーがよく物語っている。俗にいえば、「飛ぶように売れた」だろうが、「パンのように」はは、もっと日常の生活に根差した印象がある。

 そもそもカッパ・ブックスは先発の岩波新書に対抗して出されたものだ。
 岩波新書の想定読者が「大学生と小中学校の教員」だったというのも面白いが、カッパ・ブックスはインテリとは違う読者層をねらって創刊された。
 権威ではなく、新鋭の書き手の掘り起しも行っている。
 神吉にはそれだけではない、ベストセラー作法10カ条もある。
 時代は戦争のあと、人々が物資だけでなく知識にも飢えていたし、現代のように情報があふれているようなものでもなかった。
 人々は自分たちが欲するもの、それはわかりやすさを伴っていたが、を求めた。

 多くの人々を夢中にさせてカッパ・ブックスが何故消えていったのか。
 それはこの本にあるように労働争議による疲弊、経営層の未熟と傲慢、など色々あるだろう。
 この本はひとつのブランドの興亡というより、昭和という時代の興亡ともいえる。
  
(2013/09/19 投稿)

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  映画は好きだ。
  好きになったのは高校生の頃。
  せっせと試写会プレンゼントに応募しては
  でかけていたものだ。
  当時は洋画全盛の頃、
  というか日本映画の勢いがなくなっていて
  東映のやくざ映画か
  渥美清さんの「男はつらいよ」が
  人気作でした。
  そんなのはだめだ。
  若気の至りですが、
  大衆娯楽のような日本映画を横目で
  見ていたようなところがあって
  今思うと恥ずかしい。
  だから、映画館で「男はつらいよ」を観たのは
  2、3本じゃないかしらん。
  それがいまではすっかりはまって
  当然全作観ましたよ。
  テレビ録画の鑑賞でしたが。
  観るたびに
  日本というところはいいところだと
  これを郷愁というのかなぁ。
  今日は
  そんな「男はつらいよ」関連本。
  『「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド』。
  旅にでもでますか。

  じゃあ、読もう。

「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド「男はつらいよ」寅さんロケ地ガイド
(2013/07/19)
「男はつらいよ 寅さんDVDマガジン」編集グループ

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sai.wingpen  気分は風                   

 最近ではあまり聞かれなくなったが、1970年代の頃には「フーテン族」と呼ばれる人々がいた。永島慎二が青春漫画『フーテン』を描いたのもそんな頃だ。
 漢字で書くと、「瘋癲」となるが、元の意味はともかく、仕事もせずにぶらぶらしているという意味で使われていた。
 山田洋次監督の「男はつらいよ」の三作めはズバリ、「フーテンの寅」(この作品は森崎東監督)で1970年1月の公開だった。
 その主人公、つまりフーテンの寅こと車寅次郎を演じた渥美清は俳号を「風天」としていたが、風の吹くまま流れ歩く寅さんのイメージは「瘋癲」よりもこちらの方が近い。

 映画「男はつらいよ」はかつて松竹という映画会社を支えてドル箱シリーズであった。
 1969年8月公開の「男はつらいよ」から1995年12月、渥美清が亡くなる直前まで作られた「寅次郎紅の花」までの全48作は、今でも人気が高い。
 不定期ではあれ、TV放映されたり、関連本も多く出ている。
 DVD付きのマガジンも刊行されて、この本はその中の連載記事「ロケ地を歩こう」を再編集したものだ。

 「男はつらいよ」にはよく知られているように基本の型がある。
 旅から戻ってきた故郷の葛飾柴又に戻ってきて、マドンナと呼ばれるヒロインに恋をするのだが失恋し、また旅に出ていくというものだ。
 旅と旅の間に故郷がある。「フーテン」と呼ばれる由縁だ。
 だから、日本各地の風景が映像の中に生きていて、高度成長期の日本にあって徐々に失いつつあった光景で、それもまたこの映画の人気を支えてともいえる。

 このガイド本では、寅さんが歩いた日本全国のスポットを撮影当時と現在の写真をまぜながら紹介している。
 山田洋次監督が大好きだったという蒸気機関車がほとんど姿を消したように、寅さんが歩いた街々の様子も様変わりしているところもある。
 時代時代に封切られた映画は等身大であっても、時代を経ると、文化遺産になっていくのが、「男はつらいよ」を観ているとよくわかる。
 私たちは寅さんの歩いた街をどこかに追いやってきたのだろう。それを進歩とか発展という言葉に置き換えて。

 この本を片手に、寅さんのようにブラリ歩いてみるもの楽しい。
 気分は、風だ。
  
(2013/09/18 投稿)

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  今日紹介する
  鈴木博毅さんの『「空気」を変えて思いどおりに人を動かす方法』は
  このブログを通じて
  著者の鈴木博毅さんから
  献本頂いたものです。
  わざわざお手紙も頂いて
  その中でこの本のことをこう書いていらしゃいました。

   本書は、日本に特有の「空気」という存在に
   新しい光を当てると共に
   空気により繰り返される失敗を、
   私たちが避ける方法を提案しています。


  私の書評でそのあたりのことが
  どこまで伝わったかわかりませんが
  本屋さんで見かけたら、
  どれどれと一度は手にしてみて下さい。

  鈴木博毅さん、ありがとうございました。

  じゃあ、読もう。

「空気」を変えて思いどおりに人を動かす方法「空気」を変えて思いどおりに人を動かす方法
(2013/09/05)
鈴木 博毅

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sai.wingpen  酸素ボンベが必要な会議などやめた方がいい                   

 会社にはさまざまな会議がある。
 幹部会議、進捗会議、プロジェクト会議など名称は違えど、その多さに辟易している人もいるのではないかしら。
 それだけ決めなければならないことが多いということだが、あまり活発な会議というのは少ない。
 会議室にはいれば、なんだ、この淀んだ空気は、と感じる人も多いだろう。
 ましては、終わってみれば、決定事項などは議論の上で出てきたというより、すでに出来上がっていたのではと思いたくなることもしばしば。
 会議室を出て、大きく深呼吸したくなるのも無理はない。

 よく「空気を読む」という言葉を耳にし口にするが、ここでいう「空気」というのは「暗黙の了解」だと本書の著者鈴木氏は定義する。
 会議で発言しない人は「どうせ言っても仕方がない」と、「暗黙の了解」をしている人なのかもしれない。
 しかし、もしその「空気」が悪い方向を向いていたらどうするのか。
 鈴木氏は、人生の敗者になるのはそんな「空気」に追い詰められて最悪の選択をする人だという。反対に勝者となるのは、その「空気」を上手く活用する人だと。
 勝者とか敗者、そのような言い方がいいのかどうかはあるにしても、淀んだ「空気」の中で呼吸困難となって生きたくはないものだ。

 鈴木氏は「空気」を四つのタイプに分類している。その一つが「選択肢を限定したことで生まれる「空気」」だ。
 A案かB案か、二者択一しかない議論をすることはままある。選択肢を限定することで自ずと答えが導き出されるという「空気」は、誰にも経験があるだろう。
 その他の三つのタイプも、そういえばこの間の会議はこのタイプだったなぁと思われるようなものばかり。
 一体自分がどんな「空気」にまかれてしまっているのかを知ることは、大事だろう。

 その上で、それぞれのタイプの「空気」を動かす方法やテクニックが紹介されている。
 すぐに使えそうなのが、「空気」を動かすための「キラーフレーズ」だ。
 「空気」が淀んでいたら、「○○さんだったら、どうします?」と言ってみよう。できれば、居眠りしている上司を指名すれば、効き目は大きいかも。
  
(2013/09/17 投稿)

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 今日は敬老の日

   おのが名に振り仮名つけて敬老日   長谷川双魚

 ところで、敬老されるって何歳からいうんでしょうね。
 調べてみると
 65歳からみたいですね。
 東京にオリンピックが来る7年後の2020年に
 私も65歳。
 もしかしたら、敬老割引なんかあったりして。

 元気なうちにぜひとも行きたいところがあります。
 その筆頭が、
 フランスのルーブル美術館
 死ぬまでに一度は行ってみたい。
 せめて、その香りだけでもということで
 先日東京・上野の東京都美術館で開催されている
 「ルーブル美術館展 地中海四千年のものがたり」に
 行ってきました。

ルーブル  ルーブル美術館といえば
 モナ・リザに代表されるように絵画が主流のように思いがちですが
 この展覧会のように
 歴史の遺物の名品も数多く展示されているようです。
 さて、今回の展覧会の目玉は
 日本初の公開となる
 「アルテミス、通称”ギャビーのディアナ“
 と呼ばれる彫像です。
 展覧会では丸い円台で展示されていますから、
 正面、側面、背面とゆっくり見ることができます。

 それにしても
 地中海は奥が深いですよね。
 なんとなく世界史で習った国の名前や人物がでてくるのですが
 こちらは世界史怠けたから、
 どうもイメージがつかない。
 子どもの頃、しっかり勉強しておけばと
 今頃になって反省しています。

 それにしても
 ルーブル美術館
 行きたいなぁ。
 この展覧会は来週23日まで開催。
 上野の森で
 ルーブルをプチ体験するのもいいのでは。

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日突然の引退発表で
  世間を驚かせた宮崎駿監督の
  引退記者会見で
  宮崎駿さんのこんな言葉が
  印象に残りました。

   僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入った人間ですので、
   基本的に子どもたちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが
   自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。

  そう、この世界は生きるに値するのです。
  宮崎駿さんの作品は
  全作観てきました。
  私が一番好きなのは、
  「天空の城ラピュタ」。
  私は宮崎駿さんがいうことを
  世界中の大人たちが実践していかないといけないと
  思います。
  今日紹介する
  長田弘さんといせひでこさんの『最初の質問』も
  生きるに値する一冊です。

  じゃあ、読もう。
  
最初の質問 (講談社の創作絵本)最初の質問 (講談社の創作絵本)
(2013/07/26)
長田 弘、いせ ひでこ 他

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sai.wingpen  あなたは言葉を信じていますか。                   

 生まれて初めて聞いた「質問」は何だったろう。
 「どうしてそんなに泣くの?」だったか、「おちちが欲しいの?」だったか。
 記憶はない。覚えていないが、たぶんやさしい問いかけであったろう。
 いのちの終わりに聞く「質問」は何だろうか。
 「痛くないかい?」だろうか、「お水飲みたい?」だろうか。
 どんな終焉か想像もできないが、「幸福だった?」なんては質問されないだろう。

 詩人の長田弘さんと絵本作家のいせひでこさんの、なんとも素敵で贅沢な絵本ができあがった。
 長田さんの詩にいせさんの絵の似合うことといったら。
 いせさんの絵に長田さんの詩がぴったりとも、いっていい。
 言葉がやわらかい。絵がやさしい。
 絵が語りかけてくる。言葉が寄り添う。
 こういう世界で私たちの世界はできあがっているはずなのに、いつのまにかそれすら忘れてしまっている。
 やさしい言葉と絵が合わさって、こんなに確かな世界ができあがっていることを、どこかに置き忘れてしまった。

 詩人は問いかける。
 「雲はどんなかたちをしていましたか。/風はどんな匂いがしましたか。」
 絵本作家は描く。
 大きな水たまりに映る雲を、黄色い長靴をはいてその雲をみつめる小さな女の子を。

 詩人はこうも問いかける。
 「世界という言葉で、まずおもいえがく風景はどんな風景ですか。」
 絵本作家はこんな風景を描く。
 雪をかぶった大きな木をじっと見つめる、コートを着た男性を。

 絵本作家のそれは、もしかしたら詩人の「質問」の答えかもしれない。
 詩人が問いかけ、絵本作家が答える。
 言葉と絵は静かにお話をしているのだ。
 世界はたくさんのお話でできていることに気づく。伝え、聞き、話す。
 そんな単純なことさえ、忘れてしまっていることに、この絵本は気づかせてくれる。

 詩人は、最後にこんな「質問」をする。
 「あなたは言葉を信じていますか。」
 絵本作家の絵はない。
 読者にゆだねられて、絵。
 あなたなら、どんな絵を描くだろうか。
  
(2013/09/15 投稿)

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  子母澤寛新選組三部作
  二作め、『新選組遺聞』を
  今日は紹介します。
  ちょっとハマリましたね。
  面白い。
  新選組のファンの人なら
  何を今さら、と思っているでしょうが、
  まあ人にはハマる時期のようなものが
  ありますから。
  晩生(おくて)なんです。
  笑わないで下さい。
  新選組を好きな人は
  どんどんハマっていくのでしょうね。
  人名、事件、はたまた愛人の名前なんて
  すらすら言えるみたいです。
  その点でも
  現代の人気グループのファンの心理に
  近いともいえます。
  さあ、三部作の最後の作品も
  読まないと。

  じゃあ、読もう。

新選組三部作 新選組遺聞 (中公文庫)新選組三部作 新選組遺聞 (中公文庫)
(1997/01/18)
子母沢 寛

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sai.wingpen  新選組はSMAPに似ているかも                   

 この文庫本の解説を任された尾崎秀樹は新選組の魅力について「史実そのものよりも。虚構化され、巨大化されたところ」にあり、「さまざまな人間模様」があることだと書いている。
 そして、「忠臣蔵」の魅力に類似しているとしている。
 幕末にあってわずか5年ばかり日のあたる世界にいた新選組が今でも人気が高いのは、新選組という組織の中で近藤勇や土方歳三、あるいは斎藤一といった個性がきらめいていたからだといえる。
 現代でいえば、SMAP。中居正弘さんとか木村拓哉さんのように個人としても技量ときらめきがある集団。
 そういえば、メンバーの香取慎吾さんはかつて近藤勇を演じたことがあった。

 新選組三部作の第一作にあたる『新選組始末記』では新選組誕生から近藤勇の死までを俯瞰的に捉えた子母澤寛であるが、第二作めのこの作品にあっては新選組ゆかりの人たちへの聞き書きをいうスタイルを主にしている。
 もともと子母澤という人は新聞記者の経験があったから、関係者に話を聞くというのは得意であったといえる。 けれど、聞き書きの面白さは語る人の息遣いまでが刻印される点にあるが、この作品ではそれが見事に成功している。
 特に、近藤たちが拠点を構えた壬生で家を提供した八木家の子ども為三郎の聞き書きの面白さといったらない。
 まるで時代劇を見ているような臨場感を味わえるのは、子母澤の筆の力といっていい。

 八木為三郎は子どもの頃に見た新選組のメンバーたちの姿をよく記憶している。隊そのものというより個性豊かな集団であったことがよくわかる。
 土方歳三は「役者のような男」、沖田総司は「色の青黒い人」など、具体的である。
 同志であった芹沢鴨暗殺の場面などそのまま映像にできるのではないかと思うほど迫力がある。
 その他にも池田屋事件の際の当時の様子など、さすがに新選組モノの王道といえる。

 最後は近藤勇の最期を聞き書きしたものであるが、斬首された近藤の亡骸を掘り起こす場面など、まるで今そこで行われていたような感じさえする。
 この作品を単に歴史小説と呼ぶべきかどうかわからないが、作者自身のときめきが伝わってくる作品だろう。
  
(2013/09/14 投稿)

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  昨日紹介しました
  山口果林さんの『安部公房とわたし』でも
  そうですが、
  男と女の関係というのは
  不可解ですよね。
  だから、文学の主要なテーマで
  ありつづけるといっても過言では
  ないでしょう。
  今日紹介する
  井上荒野さんの『雉猫心中』も
  そんな作品のひとつです。
  井上荒野さんは女流作家ですが
  官能性の高い作品を
  描きつづけています。
  ことわっておくと、
  官能性が高いといっても
  直接的な描写がある訳ではありません。
  文体が官能性にあふれていると
  いうことです。
  どちらかというと
  男性の目線をよく知っている
  女性作家でしょうか。

  じゃあ、読もう。

雉猫心中 (新潮文庫)雉猫心中 (新潮文庫)
(2011/11/28)
井上 荒野

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sai.wingpen  男と女の間には                   

 男と女はまったく違う生きものかもしれない。
 愛くるしさでは同じだけれど、犬と猫がまったく違う生きもののように。
 だから、わかりあうことなんてできない。できないから、わかりあおうとする。時に身を寄せ、交じり合い、愛し、憎しみ、互いをけなげにも知ろうとする。
 井上荒野のこの作品でも、男と女は互いの身体を交えても何一つ答えを見いだせない。
 いや、もしかすると、男と女はまったく違うものという答えを導き出したともいえる。

 男が飼っていた一匹の雉猫に引き寄せられるようにして男と女が出逢う。
 東京郊外のまだ雑木林が残る住宅地、女には中学教師の夫があり、古書業を営む男には時にはマスコミに出るほどの綺麗な妻と中学生の娘がいる。
 そんな二人が何故逢瀬を重ねるようになったのか、これといった理由があるわけではない。
 平凡な、それは夫の異常な性癖を隠したものだが、日常に倦んだ女が「はじめた」のだ。その時、女は「男というものを知ってはいるが、見たのは生まれてはじめて」という顔をしていた。
 けれど、男だって何一つ女のことを知ってはいない。

 この作品では女側から描いた「おわりのはじまり」と男の側から描いた「はじまりのおわり」という二つの大きな章で構成されている。
 女が「はじまり」と同時に「おわり」をはじめていたのを、男は知らない。
 何度も何度も身体を重ね、ついには愛の予感すら感じる男にとって、それはまだ「はじまり」だったはずなのに。突然「おわり」が来てしまう。
 なんと女とは怖いいきものか。なんと男とは愚かないきものか。

 井上荒野の作品の魅力はその官能性にある。
 事細かく男女の交わりの描写があるわけではないが、ふきだす汗やぬめっとした感触、互いの体臭や熱が文章にあふれている。なんとエロチックな文体だろう。
 けれど、そんな男女の交わりを雉猫の目のように冷ややかにみているのもまた、井上荒野である。
 きっと、読後の感想も、男と女では違うのだろうと、予感できる作品だ。
  
(2013/09/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  山口果林さんの『安部公房とわたし』の
  出版の記事を読んだ時は
  正直驚きでした。
  安部公房という作家は
  恋愛や不倫というところから
  とっても遠いところにいると思っていたもので。
  しかも、その相手が 
  女優の山口果林さんだというので
  驚きはひとしおでした。
  この本はゴシップめいた一冊になるのかも
  しれませんし、
  奥さん側の言い分や光景もあるでしょうから
  一方的な報告を鵜呑みにするのは
  慎まないといけないでしょう。
  私の中では
  安部公房もまた男性の肉体を持った
  作家だという
  そんな至極当然な思いがあります。
  この本を書いたことで
  山口果林さんはまた色々な風当りを受けるのでしょうか。

  じゃあ、読もう。
  

安部公房とわたし安部公房とわたし
(2013/07/31)
山口 果林

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sai.wingpen  誰も傷つけないで生きていくことなんて出来はしない                   

 安部公房に夢中になったのは、高校から大学の頃だった。
もう40年近く前になる。
 安部の作品のほとんどを新潮文庫で読んだ。装幀は安部真知、つまり安部の奥さんだった。
 仲のいい夫婦なんだぐらいには思っていた。
 安部と女優の山口果林の関係はこの本が出るまで知らなかった。40年前には安部と妻との関係はまだ文庫本のように良好だったのだろうか。
 安部が山口と出会うのは、1966年春のことだ。

 ノーベル文学賞に近かった男、安部公房が亡くなって今年で20年になる。
 生前安部と親密な関係にあった女優の山口果林が当時の二人の生活を赤裸々に綴ったのが、この本だ。
 山口といえば、NHKの朝の連続小説「繭子ひとり」で実質的にデビューし、その知的で清純なイメージで人気を博した女優だ。
 この本の中では「繭子ひとり」の直前安部の子供を堕胎するというショッキングなことまで書かれている。
 それは読者以上に山口にとっても記憶から消えない光景だろう。
 そういう光景を引きずりながら、山口は安部の死まで共に生きていく。

 おそらく多くの読者は何故今こういう形で出版されるのだろうと思うにちがいない。
 興味本位であれば、安部の死後それほどの時間を措かず発表された方が衝撃的だったかもしれない。
 しかし、山口は安部との日々を一旦は死ぬまで語ることはないと思っていた。
 けれど、山口も60歳を過ぎ、自身の日々を振り返ることを思ったし、彼女だけが知る安部公房を書き残すべきと心をかすめた。
 もちろん、出版に至るまでさまざまな人の思惑があるのだろうが、それは読者の思うところではない。
 安部公房という作家がいて、山口果林という女優とひっそりと生きようとしていた、というだけだ。

 山口はその容貌のように強い意思を感じる文体で安部との日々を綴る。
 安部が癌に冒されていた時、母もまた癌の宣告を受けるという過酷な状況が彼女を襲う。その中で、山口はこう記している。「告知はすべきだ。人は必ず死ぬのだ。死も含めて、その人の人生なのだと思う」と。
 山口果林にとって、安部公房こそ人生そのものだったに違いない。
 たとえ、それが過ぎ去った時間とはいえ。
  
(2013/09/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  岩手の海岸沿いの町を舞台にした
  NHK朝の連続小説「あまちゃん」は
  先週2011年3月11日の様子を描いていました。
  東京でアイドルデビューを果たした主人公のアキでしたが
  ばあちゃんや知人、それに友達のユイちゃんのいる
  岩手の海に戻ってきました。
  あれだけ大きな災害を
  どうドラマ化するのか
  興味がありましたが、
  あまり悲しみが大きくてもいけないでしょうし
  笑い飛ばすにはまだ傷が大きいし、
  脚本の宮藤官九郎さんも
  だいぶ悩まされたんじゃないかぁ。
  それまで絶好調でしたから
  違和感を感じた人もいたかもしれませんし、
  もっとしっかりとあの震災と向き合って欲しかったと
  思った人もいるかと思います。
  私は、
  ぎりぎりのところでよく踏ん張ったなぁという
  印象です。

  東日本大震災から今日で2年半。

  私たちはまだまだあの災害を
  きちんと表現しきれていないと思います。
  2020年の東京オリンピックで
  世界から期待の集まるこの国ですが
  復興と福島原発の問題もまた
  注目を集めているのです。
  今日紹介するのは、
  指田和さんと伊藤秀男さんの絵本、
  『はしれ、上へ! つなみてんでんこ』です。

  じゃあ、読もう。

はしれ、上へ!  つなみてんでんこ (ポプラ社の絵本)はしれ、上へ! つなみてんでんこ (ポプラ社の絵本)
(2013/02/22)
指田 和

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sai.wingpen  自然と共に生きる                   

 書名にある「つなみ てんでんこ」は、東北地方に昔から伝わる言葉で、「津波が来たら、みんながてんでんばらばらに逃げろ」という意味です。
 実際2011年3月11日に起こった東日本大震災の時にも、この教えを生かして命を守った釜石市の中学生や小学生の行動がたくさんの人たちの賞賛をえました。
 この絵本は、釜石東中学や鵜住居(うのすまい)小学の子供たちのその時の様子を作品にしたものです。

 文を担当した指田和さんも絵を描いた伊藤秀男さんも直接的には東北とは関係はありません。しいていうなら、指田さんは親類の人が釜石で被災されています。
 指田さんはそれがきっかけで釜石にたびたび足を運ぶようになります。そして、出合ったのが、「つなみ てんでんこ」なのです。
 どうして小さな子どもたちがあの大きな津波の災害から自身のいのちを守れたのか、指田さんのそんな素朴な思いが実はたどりつけば昔から言い伝えられていた言葉だったのです。

 「てんでんばらばらに逃げる」といっても、子どもたちは思いおもいの方向に逃げたわけではありません。逃げる方向は大人たちや先生がしめしてくれています。
 転んだ子どもには友達が手を差し伸べます。女子中学生は小学生の手をひっぱってあげます。保育園に通う小さな子をおんぶしてあげた中学生もいます。
 いのちを守るのはそれぞれ自分だけれど、互いに助け合うことを忘れません。
 「つなみ てんでんこ」は生きる知恵だし、助け合うこころでもあるのです。

 あの日の夜、子どもたちはどれほど悲しかったでしょう。
 どんなに寂しかったでしょう。
 でも、助かった多くのいのちがまわりにはいっぱい、いっぱいいたのです。

 この絵本の最期では、その年の夏、少年とそのおじいちゃんが海にむかって話をしています。
 「じいちゃんは、海・・・こわくないの?」、少年は聞きました。
 おじいちゃんは「つなみは、おっかねえ」と答えますが、こう続けます。「でもな、なにも海がわるいんでねえ・・・。しぜんはこういうもんなんだ」。
 あれほどの大きな悲しみをもたらせた海に対しても、こういえるおじいちゃんこそ、いのちの尊さを一番わかっているのではないでしょうか。
  
(2013/09/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今、NHKで土曜夜に
  織田作之助原作の『夫婦善哉』が
  放映されている。
  今週の土曜が最終回だが。
  蝶子役には尾野真千子さん。
  柳吉役には森山未來さん。
  尾野真千子さんといえば、
  NHKの朝の連続小説「カーネーション」で
  大阪・岸和田の女性を熱演したが
  今回も熱く、ほたえてます。
  で、昔からずっと気になっていて
  読む機会のなかった織田作之助の原作を
  ぜひ一回は読んでみようと
  思った次第。
  しかも、調べると
  2007年に続編が発見されていて
  それなら、正続が収められて本がいいと
  手にしたのが、
  今日紹介する
  雄松堂出版の『夫婦善哉』。
  この作品には
  大阪のおいしいもんがたくさん出てきて
  読んでもおなかが鳴ってしまいます。
  特に、自由軒のカレー
  織田作之助のここの卵入りカレーが大好きで
  こんな言葉を残しています。

   トラは死んで皮をのこす 織田作死んでカレーライスをのこす

  本当にこのカレーはおいしいでっせ。

  じゃあ、読もう。

夫婦善哉 完全版夫婦善哉 完全版
(2007/10)
織田 作之助

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sai.wingpen  ごっつう贅沢でんな                   

 大阪の人は、オダサクが好きだ。
 オダサク、織田作之助。昭和の初めの作家。代表作はもちろん、『夫婦善哉』。というか、この作品が織田作之助という作家を後世に残したともいえる。
 NHK大阪放送局テレビ放送開始60周年記念してドラマ化されたのも、オダサク好きな大阪らしい。しかも、今年はオダサクの生誕100年である。

 『夫婦善哉』は数奇な作品でもあって、2007年にその続編が発見され、話題を呼んだ。
 最近の本の中にはその続編を収めているものも流通しているが、この雄松堂出版のものは正編、続編と平成になって発見された続編の直筆原稿が写真で全文紹介されている。
 大阪の人なら、きっと「ごっつう、ぜんたくでんな」ぐらいはいうだろう。
 この作品は文庫本でもたくさんでているが、堪能するなら、この版がおすすめだ。

 オダサクが、あるいは『夫婦善哉』が何故いつまでも人気が高いのか、それは文体の流れるようなリズムにあるといえる。もちろん蝶子というたくましい大阪の女の魅力もあるし、柳吉というエエとこの若旦那であるながらふらふら名前の通り柳のように遊びまわるダメな男の造形もいいのだが、なんといってもオダサクの語りがたまらない。
 蝶子たちが始めた関東煮屋でいえば、ネタもおだしもいいが、それ以上においしいのが店の雰囲気、ということになろうか。
 オダサクの文章はおいしいのだ。

 かつて正編は豊田四朗監督で、蝶子役は淡路景子、柳吉役は森繁久彌で映画化されたことがあるが、1955年公開の作品で、まさか続編が存在するとは豊田監督も思わなかっただろう。
 今回のNHKドラマではもちろん続編も描かれるそうだ。
 その続編であるが、あいもかわらず遊び呆けている柳吉は競馬にはまってしまい、正編同様、蝶子がせっせと貯めたお金をもって帰ってこない。聞けば、九州小倉で競馬三昧。ところが、今回ばかりは大穴をあてたか、大金持って、しかも別府にいい店がでてたと買ってしまう。
 つまり、続編の舞台は大阪ではなく、別府に移るのだが、そこでも蝶子のたくましさは衰えることはない。
 正編の終わり方もいいが、続編の結びもいい。
 「柳吉は五十一、蝶子は三十九、丁度ひと廻りちがいのの夫婦だった。」
  
(2013/09/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  せっかく2020年のオリンピック
  東京で開催されることが決まったのに
  今日は新聞休刊日。
  多くの新聞人たちはほぞを噛んでいることだろう。
  こういうビッグなニュースの日は
  休まないとか、
  もう少し小回りのきいた対応が必要だろう。
  だから、ネットで十分なんていう
  人が増えてくるんじゃないかな。
  せっかくオリンピックの開催が決まったのですから
  今日はオリンピックの本をと
  昔書いたものを探してみました。
  ありました、ありました。
  沢木耕太郎さんが1996年のアトランタオリンピックを描いた
  『』。
  2004年に書いた蔵出し書評ですが、
  なんだかとても懐かしい。
  えーと、この年(2004年)がアテネで
  それから北京で、去年がロンドンでしたっけ。
  2020年の東京オリンピックまで7年。
  沢木耕太郎さんは
  そんな東京をどう書くのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

冠 OLYMPIC GAMES冠 OLYMPIC GAMES
(2004/01/17)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  勝者に報酬はない                   

 2004年8月、アテネ。第28回オリンピックが始める。すでに出場が決まった代表チームや選手たちもいるし、その結果を待ち受けるアスリートもいる。今回はどんな感動を私たちにもたらしてくれるのだろうか。シドニーから4年。
 カーニバルは、まさに始まろうとしている。

 菊池信義の装丁による沢木耕太郎の新刊が二冊同時に刊行された。1996年に行なわれたアトランタオリンピックの観戦記『冠』(コロナと読む)と2002年日韓共同開催となったサッカーワールドカップの観戦記『杯』(カップと読む)。
 どちらか一冊を読み始めなければならないとしたら、あなたはどちらを先に手にするだろうか。
 誰もそのことを強制はしない。
 私は『杯』から読んだ。
 その選択は正しかったのだろうか。
 書かれた順番でいえば、もちろん1996年のアトランタを描いた『冠』だ。
 ただ私はいまさら8年前のオリンピックでもあるまいしと『杯』の頁から開いたのだが、期待していたほどこれは面白くなかった。
 もしかしたら、私は読む順番を間違ったのだろうか。
 沢木耕太郎を読みたいと思うならば、やはり何年か前の作品から手にすべきだったかもしれない。
 沢木だって年をとり、その視点も思考も変質していったとしても不思議はない。昔の彼に会いたければ、やはり時計を巻き戻した方が正解だったのだろうか。
 自由な旅は時に不安を感じる不自由な旅でもある。

 『冠』は1996年夏のアトランタで開催されたオリンピックの期間中に雑誌『ナンバー』に連載された「廃墟の光」という観戦記をもとに単行本化された作品である。あれから8年、なぜ今になって単行本化されたのかといった事情は「あとがき」に書かれているが、沢木が書くほどにオリンピックの姿を描いた『冠』と日韓共同開催となったサッカーワールドカップを描いた『杯』とが「明瞭に対のものになっていった」とは思えない。
 もしこの二つの作品に共通するものがあるとすれば、商業化するスポーツに対する沢木の執拗なまでの不快感だろう。
 その不快感が漢字一文字の素敵な書名で浄化されただけのような気がする。

 沢木はこの作品の中で銅メダルを取った有森裕子の「自分で自分をほめてあげたい」という有名な言葉も田村亮子のまさかの銀メダルも描いていない。
 沢木は沢木の視点でオリンピックを描いている。
 そのことを彼はこう表現した。「人はオリンピックに何を見ようとするのか。私は何を見たいと思ってアトランタに足を運び、また過去のオリンピックを見てきたのか。考えていくと、答えはただひとつのところに行くつく。たぶん、私はスポーツにおける<偉大な瞬間>に遭遇したいと望んでいるのだ」
 確かに沢木がかつて描いてきたスポーツノンフィクションの秀作はそのような瞬間を描いたものだった。
 沢木が好んで描いたアスリートはこの作品で描かれるカール・ルイスのように報酬を目的とする選手ではなかったし、そもそもが勝者でさえなかった。
 敗者でありながら笑顔をたやさない有森裕子を見る沢木の目は厳しい。
 そのことは一位で一次リーグを通過しながらもトルコに敗れた日本代表に対するまなざしと共通している。   『杯』が『冠』よりも面白くないとすれば、沢木がアトランタオリンピック以上にあのワールドカップに<偉大な瞬間>を見つけられなかったことからくるのかもしれない。

 今回の書評タイトルもヘミングウェイの短編から採った。
 沢木がこの作品で書きたかったことはこの言葉に近かったはず。
 そして、沢木は今年もオリンピックを描くのだろうか、期待と不安が、私にはある。
  
(2004/02/15 投稿)

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 2020年のオリンピック、東京に決まりましたね。

 先の東京オリンピックの時、
 9歳の子どもでした。
 それから50年近く経って、
 それでもあの時テレビで観ていた
 東京の青空を思い出せます。

 2020年の東京オリンピックが
 未来の子どもたちに何を残せるか、
 それは今、はじまったばかりです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  まだまだ残暑が厳しいですね。
  それなのに、
  雪だるまのお話ですかって
  いわないで。
  先日新宿ベルクというお店に
  長谷川集平さんの原画展を見に行ったことを
  書きましたが、
  その時展示されていたのが『およぐひと』と
  この『小さなよっつの雪だるま』でした。
  この絵本は小さな判型ですが
  原画も小さくて
  驚きでした。
  『およぐひと』の記事では
  作者の長谷川集平さんから温かいコメントを 
  頂戴したので、
  残暑は厳しいですが
  お礼のつもりで
  今日『小さなよっつの雪だるま』を
  紹介しました。

  じゃあ、読もう。

小さなよっつの雪だるま (単行本)小さなよっつの雪だるま (単行本)
(2011/11/16)
長谷川集平

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sai.wingpen  それを思い出と呼んでいいかしらん                   

 絵本というのは大きな判型のものが多い。
 ところが、この絵本は手のひらにおさまるぐらいの大きさだ。子どもの手では、ちょうど両手だろうか。
 舞い落ちる雪をそっと両手で受けとめる、そんな大きさ。
 しかも、色がついていない。
 白と黒の世界だ。
 小さくて、色もついていない、そんな絵本だが、だからだろうか、そっと大事にしまっておきたくなるような絵本だ。
 それは、ちょうど大事な思い出のような。

 長崎に何年ぶりかで降った大雪。私は小さな雪だるまをよっつ作る。
 「お父さんとお母さんとお姉ちゃんと私。」の、よっつの雪だるま。
 次の日には溶けてしまったけれど。
 そんな雪だるまのように、お父さんは病気で亡くなり、お姉ちゃんは長崎からフェリーで3時間半かかる島の施設に働きはじめる。
 そして、私もまた絵の勉強で京都にでていく。
 あの時作った雪だるまのように、いなくなっていく。

 そんな私もやがて結婚して子どもができる。
 ユウキと名づけられた、かわいい男の子。

 溶けてしまった「小さなよっつの雪だるま」は、別の場所で新しく生まれる。
 いつか、ユウキもそのことに思いを馳せる日がくるだろう。
 
 声高に話すことばかりではない。
 生まれたばかりの赤ちゃんにはそっと話しかけるでしょ。だって、大きな声だと赤ちゃんがびっくりしてしまうから。
 時にはそんなふうに絵本を読んでみるのもいいではないか。
 誰にも「小さなよっつの雪だるま」はあるのだから。
 溶けないように、そっと両手でくるみたくなるような、思い出みたいな絵本だ。
  
(2013/09/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日50歳を過ぎてから
  時代小説にはまったと書きましたが、
  今の出版界において
  時代小説はたくさん書かれています。
  だから、
  はまったといってもまだ序の口。
  まだまだ読むべき作品がたくさん
  あります。
  今日は時代小説の先達
  子母沢寛さんの新選組三部作
  最初の本、
  『新選組始末記』を紹介します。
  なにしろ子母沢寛さんは
  司馬遼太郎さんとか池波正太郎さんの
  大先輩。
  それほどすごい人なのです。
  しかも、
  この『新選組始末記』は昭和の初めの出版にもかかわらず
  ちっとも古ぼけていません。
  すごい、の一言。
  これからも時代小説を
  読みますよ。

  じゃあ、読もう。

新選組始末記―新選組三部作 (中公文庫)新選組始末記―新選組三部作 (中公文庫)
(1996/12/18)
子母沢 寛

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sai.wingpen  この本読まずして新選組を語る勿れ                   

 先日司馬遼太郎や池波正太郎が子母澤寛に宛てた手紙が見つかったと話題になった。
 いずれも先輩格である子母澤が後輩の二人に資料をあげたお礼状だった。
 子母澤寛は明治25年生まれ、多くの歴史時代小説を書いて人気を集めた作家である。
 その子母澤が自身の後継者たる二人の作家に歴史資料をあげたということが、子母澤の人間性をくっきりと浮かび上がられる。
 「今朝またまた御蔵書をたまわり、しばらくは家内と顔を見合せ、ただもう恐縮いたすばかりでございました」と池波正太郎は1968年4月の手紙に書いた。子母澤が亡くなる4年前のことである。

 子母澤寛の代表作のひとつでもあるこの『新選組始末記』(新選組の表記についてはこの本の巻頭で子母澤自身書いているが、よく「新撰組」と書くが、「新選組」であっても構わないのではないか。「自分の書きやすい便利な字を書いた」とある。このおおらかさが、いい)は、今や新選組を語る際の原点とその評価は高い。
 新選組を描いた作品は数多くあるが、この作品を外すわけにはいかない。
 あの司馬遼太郎でさえ新選組を描くにあたって、子母澤を訪れ、話を聞いたという。

 この作品が昭和3年に発表されたということに驚くが、その頃であれば新選組の隊士たちを見知った人も数多く生存していたということだろう。
 歴史資料的側面もあるが、この作品は滅法面白いのは、子母澤の筆力によるところが大だ。
 第一にテンポがいい。
 「歴史を書くつもりはない。ただ新選組に就ての巷説漫談或いは史実を、極くこだわらない気持で纏めたに過ぎない」と、子母澤が書いているが、そのこだわりのなさがこのテンポを生んだともいえる。

 幕末史を語るに際して除くことのできない新選組の誕生からその滅びの姿までを関係者の談話や関係資料をまじえながら、しかも時代小説の持っている興奮や悲哀を散りばめ、狂気であったともいえる集団を生々しく再現している。
 確かにこの小説を読まずして、新選組を語る勿れである。

 子母澤宛ての手紙の中で司馬遼太郎は「うれしさ、感激でいっぱいであります」と書いている箇所があるが、それはそっくりそのままこの本を読んだ読者の感想になるにちがいない。
  
(2013/09/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  時代小説はあまり読んできませんでした。
  というか、
  いつかこの国の人の好みは
  チャンバラとか時代小説から
  離れていくんじゃないかと
  ずっと思っていたところが
  あります。
  50歳を過ぎて
  時代小説の魅力にはまりました。
  そのきっかけは
  葉室麟さんにあります。
  もちろん、
  司馬遼太郎さんや藤沢周平さんを
  読まなかったわけではありませんが、
  葉室麟さんの本を読まなかったら
  私の読書生活はもっと狭かったかも
  しれませんね。
  それこそ『柚子は九年で』です。
  それとも
  私の年令が時代小説を求めるのでしょうか。
  電車の中などで
  時代小説を読んでいる人がいると
  うれしくなります。

  じゃあ、読もう。

随筆集 柚子は九年で随筆集 柚子は九年で
(2012/04/18)
葉室 麟

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sai.wingpen  あきらめない                   

 直木賞発表号の「オール讀物」は選評やら受賞者の自伝エッセイなどで読み応えがあるが、それ以外にも資料的に保存すべき記事がある時もある。
 第146回(平成23年)受賞の『蜩ノ記』の葉室麟の時がまさにそれだった。
 葉室のロングインタビューだけでなく、島内景二氏による「全十八作! 葉室文学の熱きロマン」と題された記事は直木賞受賞までの葉室の作品を丁寧に紹介している。
 授賞前の葉室の作品を読みたい人にとって、この記事ははずせない。

 葉室が時代小説を書くようになったのが50歳の時だという。
 直木賞を受賞したのは、それから10年。
 2010年4月から葉室の地元である西日本新聞で「たそがれ官兵衛」と題され発表されたエッセイを中心にまとめられた随筆集は『柚子は九年で』と題されている。
 「桃栗三年柿八年」という言い方はよくされるが、そのあとに続く物言いとして「柚子九年」というのがある。
葉室にとってデビューから直木賞受賞までの期間が、まさにそれに相当する。

 さきのことわざは物事が成就するまで時間がかかるという意味だが、人が時に辛抱できずに諦めてしまうことがある。
 「勝てないかもしれないが、逃げるわけにはいかない。できるのは「あきらめない」ということだけだ」と、「柚子の花」と題されたエッセイに葉室は書いているが、きっと葉室自身不安であったに相違ない。
 もっとも葉室はデビュー早々に『銀漢の賦』で第14回松本清張賞を受賞し、手ごたえは感じていたはずだ。
 それでも黙々と書き続けた、葉室を支えたのは、「あきらめない」の一言であっただろう。

 この随筆集では葉室文学の魅力の一端を垣間見ることができる。
 歴史時代小説に対する自身の考え方、地元福岡へのあたたかな眼差し、自身を育ててくれた人たちの横顔、そして漢詩への愛。
 葉室は漢詩について「悲哀を基調とする作品が多い」と書いている。(「吾生如寄」)さらに「絶望や悲哀は人間の負う宿命なのか」と続けている。
 まさにこれこそ葉室文学を読む解くキーワードだ。
 葉室麟に多くの愛読者がいるのがわかる、そんな随筆集といっていい。
  
(2013/09/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  作家の吉村昭さんが亡くなって
  もう7年が経ちます。
  奥さんの津村節子さんは
  吉村昭さんが亡くなってからも
  精力的に活動をされています。
  今日紹介する
  『愛する伴侶を失って』も
  そんな活動のひとつですが
  同じく奥さんを亡くされた
  加賀乙彦さんとの対談集です。
  津村節子さんが吉村昭さんとの死に向かいあう姿も
  大変でしたが
  加賀乙彦さんの方が
  つらかったのではないでしょうか。
  書評にも書きましたが
  浴槽で亡くなっている妻を発見するなんて
  私には想像もつきません。
  いや、正直に書けば
  怖くてなりません。
  あなたなら
  伴侶の死にどう対峙するでしょう。

  じゃあ、読もう。

愛する伴侶を失って 加賀乙彦と津村節子の対話愛する伴侶を失って 加賀乙彦と津村節子の対話
(2013/06/26)
加賀 乙彦、津村 節子 他

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sai.wingpen  話すことで癒されることもある                   

 母が亡くなった時、父は暗い心の闇に堕ちた。
 それから2年ばかりして父も亡くなったが、母のいない日々を父はよく生きたと思う。
 父と母が仲のいい夫婦であったかどうか息子の目ではよくわからないが、少なくとも父は母を愛していただろう。昔の人のことだから、愛していたという言葉が適当かどうかはともかくとしても。
 息子として、父が一人の時間を長く過ごさなかったことだけでもよかったと思っている。

 この本は2006年に夫吉村昭を亡くした津村節子さんと、2008年に妻あや子さんを亡くされた加賀乙彦さんの、それぞれの「伴侶」との出会いからその死、そして死後の日々を語り合った対談集である。
 すでに津村節子さんは名作『紅梅』でも小説ではあるが吉村昭の最期の日々を見事に描いているが、この対談の中でも自身が作家であるがゆえに「仕事を持っている女房というのは最悪ですよ」と、吉村との最後の日々をじっくりと過ごせなかったことを悔いている。
 「吉村の最期を介護できなかった悔いがずっと残っている」という。
 それはくさびのようにいつまでも津村さんの心に喰い込んだままだ。

 加賀さんの場合、ある日突然に最愛の妻を亡くしている。
 死因はクモ膜下出血。翌日から長崎への旅行の予定だったが、浴槽に沈んでいる妻を見つけたのは加賀さん自身だった。
 夫の最期を十分に介護できなかったと悔やむ津村さんだが、愛する妻の突然の死に立ち会わなければならなかった加賀さんの悲嘆はそれ以上だっただろう。
 一体、人は愛する伴侶の死をどう受け止めたらいいのだろうか。

 この対談では伴侶亡きあとの日々をどう迎えるかといったことが語られているが、実は先だった夫、あるいは妻への恋慕が話されている。
 津村さんと加賀さんは愛する伴侶を亡くされたが、まだ語ることができるだけ仕合せだといえる。
 私の父は愛する母のことを話すことなく亡くなった。
 父には話すことよりもいち早く母のもとに行きたいという思いだけがあったのかもしれない。
 どちらか仕合せなどとはいえないが、少なくとも愛する伴侶との日々があったことは確かだろう。
  
(2013/09/05 投稿)

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  作家の私生活など
  あまり追いかけるべきではない。
  ところが、つい
  この『晴れたり曇ったり』を読んで
  ネットで川上弘美さんの「離婚」について
  調べてみました。
  結論からいって
  あまりよくわかりませんでした。
  そもそも川上弘美さんが
  そういうネットの監視みたいなものから
  遠い存在でもあるかもしれませんね。
  川上弘美さんが「離婚」したからといって
  どうなるものでもありませんし。
  でも、気になるなぁ。
  だって、川上弘美さんの
  大ファンなんですから。
  書評のタイトルにもしましたが
  好きな作家というのは自分だけの像を
  こしらえるもの。
  そういう気持ちにさせるのが
  人気作家ともいえるんじゃあないかな。

  じゃあ、読もう。

晴れたり曇ったり晴れたり曇ったり
(2013/07/26)
川上 弘美

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sai.wingpen  自分だけの川上弘美                   

 「雑文」という言葉はなんだかどうでもいいような文章のような印象を与える言い方だし、「気軽に書き流した文章」という意味すらあって、なんだか気持ちいいものではない。
 この本は収められている内容にテーマがあるわけでもないから、川上弘美さんの「雑文集」といえるものだが、書き手はけっして「気軽に書き流し」ている訳ではないだろう。
 出版社や新聞社から原稿用紙に何枚で、時にはテーマを与えられながら、執筆を求められたもので、ご本人に「気軽に書き流」すつもりはないだろうし、書くことが「気軽」なんていうことはない。
 「雑文集」だが、書き手はおおまじめなのだ。

 川上弘美さんの「雑文」が好きだ。
 短い文章の中に、揺らぎとかときめきとか恥じらいとかがはいっているからだろうか。
 それらが川上弘美ワールドの大切な構成要素だからだろうか。
 こういう「雑文」の方に、川上弘美さんらしさが出ているともいえる。
 川上弘美ファンにとってはたまらない。

 巻末に挙げられた「初出一覧」を見ると、2000年から今までに書かれた、つまりは2011年の東日本大震災や福島原発事故の日々も含んで、「雑文」が収められている。
 発表紙はさまざまだ。新聞、雑誌、週刊誌、女性雑誌、文庫本解説、その時々で書かれている内容は違うが、そこには間違いなく川上弘美さんがいる。
 それが、いい。

 「牛について」という短文では、作家になるまでの苦悩、というか川上弘美さんの場合「苦悩」という言葉自体「らしくない」が、「気軽に書き流」されている。川上弘美誕生の秘話として、ファン必読だろう。
 また、「この前、好きだったひとを、みかけた。」という素敵な文章で始まる「もういない、でもまだいる」という文章では、「生きていても、会わなければ、いないと同じだ。同じように、生きていなくとも、思いだせば、会っているのと同じだ。」なんていう、いい文章に出会える。
 あるいは、「こぶまき」という文章では「離婚」の事実のカミングアウトまである。

 そういうさまざまなピース(小片)を組み立て、あなた(読者)だけの川上弘美を作っていくのだ。
  
(2013/09/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  遅まきながら
  今TBSの日曜のドラマ「半沢直樹」にはまっています。
  何しろ視聴率が30%を超えようという勢いの
  人気ドラマですから
  面白さは抜群。
  池井戸潤さんの『オレたちバブル入行組』と『オレたち花のバブル組』が
  原作です。
  半沢直樹役の堺雅人さんがいい味だしています。
  このドラマのヒットで
  池井戸潤さんの作品が今本屋さんの店頭で
  大ヒートしています。
  原作本だけでなく、
  今までの作品も大いに売れているようです。
  きっかけはどうあれ
  いいことですね。
  池井戸潤さんの作品は面白いですから
  これをきっかけに本好きになってくれたら。
  それで私もということで
  池井戸潤さんのかつての作品『シャイロックの子供たち』を
  紹介します。
  これも面白いですよ。
  はまってしまいます。

  じゃあ、読もう。

シャイロックの子供たちシャイロックの子供たち
(2006/01)
池井戸 潤

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sai.wingpen  歯車じゃない!                   

 「シャイロック」というのは、シェイクスピアの有名な戯曲『ヴェニスの商人』に出てくるユダヤ人の金貸しの名前。「その子供」というのだから、お金の魔力に取り憑かれた人たちだと容易に想像がつく。
 シェイクスピアの高名の賜物といえる。
 今や「半沢直樹」で人気急上昇中の池井戸潤だが、この作品も銀行を舞台にしてサスペンス仕立てで一気に読ませる。
 誰が主人公というのではない。
 銀行、あるいは組織の中で蠢くものが主人公といえる。

 事件はさりげなく起こる。
 大田区という町工場の多いところにある東京第一銀行長原支店。大学卒業のエリート社員の多い銀行にあって、この支店で副支店長を勤める古川はその成績次第では支店長の椅子が目前にある。
 勢い、古川は営業成績を過酷に迫る。そんな古川に公然と刃向う男がいた。融資課の小山だ。
 「私は、歯車じゃない」と古川に盾突く小山につい、古川の手が出る。
 それは行内でのささやかな事件のはずだった。
 しかし、それは大きな歯車が動き出した瞬間でもある。

 一つの支店にどれだけの人が働いているのだろう。誰もが古川のように出世だけを望んでいるわけではないが、大きな歯車が動いてしまえば、それからはみ出すのは並大抵ではない。
 営業成績が伸びず、精神に支障をきたすもの、悪の道に走るもの、そこにあるのは人というより銀行の仕掛けの中で動くさまざまな歯車だ。
 だから、それがどんな小さな歯車にしろ、仕掛けが動いている以上、回り続けるしかない。

 そんな支店の中で、ある日100万円という現金が合わなくなる。その封帯が一人の女子行員のロッカーから見つかる。
 犯人はその女子行員なのか。彼女は罪を認めず、その上司西木は彼女のその言葉を信じようとする。しかし、その西木が忽然と姿を消してしまう。
 小さな傷がやがて大きな音をたて、歯車の動きをいびつにしていく。
 それでも仕掛けは止まることはない。やがて、いくつかの歯車が縊ようとも、それに変わる歯車はいくらでもある。
 「負け犬は最初から負け犬なのではなく、負け犬だと思ったときから負け犬になる」。
 登場人物のそんな思いが切なすぎる。
  
(2013/09/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  本が好きですから
  本屋さんも好きです。
  でも、どうしてもいつもの本屋さんに
  行ってしまいます。
  最近私がよく行くのは
  浦和のパルコ内にある紀伊国屋書店
  ここができる前は
  須原屋書店によく行っていました。
  あとは赤羽駅の構内にある本屋さん。
  乗り換えの度にちょっとのぞいてみるには
  欠かせません。
  いつもの本屋さんだったら
  だいたい書棚の地図が頭にはいっていますから
  本を探すのにはいいのです。
  でも、今日紹介する嶋浩一郎さんの
  『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』には
  たくさんの素敵な本屋さんが
  紹介されていて、
  そういうのを読むと
  行ってみたいと、つい
  思ってしまいます。
  本屋さん大好きな人にはぴったり、
  また仕事で色々な企画を考えている人にも。  

  じゃあ、読もう。

なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか(祥伝社新書321)なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか(祥伝社新書321)
(2013/06/03)
嶋 浩一郎

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sai.wingpen  街角に吹く風のように                   

 先日、本当に久しぶりに新宿・紀伊国屋書店に行ってきた。
 さすがに日本が誇る大型書店だけあって品揃えが充実している。入って早々、ああこの本読みたい、あ、こんな本もあるんだという感動! に出くわす。
 新宿・紀伊国屋書店は地方出身者にとっては、あこがれの聖地のような存在だった。
 東京に出てきたら、一度は行きたい書店。
 いやいや、紀伊国屋書店があったから、東京に行きたかったともいえる。

 新宿・紀伊国屋書店のような大きな本屋さんもいいけれど、街の小さな本屋さんもいい。
 ちょっと、ぶらりと立ち寄れる、そんな感じが好きだ。
 残念ながら、そんな街の本屋さんがどんどん消えている。
 私の住んでいる街でもそうだ。
 大きなスーパーとか少し電車に乗れば大型チェーンの本屋さんに行けるが、どこの棚にどんな本があるのか見知った街の小さな本屋さんが消えていくのは、やはり寂しい。

 この本は、本と本屋さんを使いこなすためのアイデアがたくさん詰まっているが、一方で本屋さんへの愛がたくさんつまった一冊でもある。
 本屋さんが何故いいのか、(この本のタイトルに則していえば、なぜアイデアが生まれるか)、それは「いますぐ役に立たないものの宝庫」だからだと、著者はいう。
 それは図書館にもいえることだが、本屋さんには当然のようにたくさんの本がある。お目当ての本の横に知らなかったような本が並んでいる。お目当てではないが、興味がわく。
 そういう出会いがあるのが、本屋さんなのだ。
 いってみれば、そこには自分さえ気がつかない思いの発見がある。
 だから、常に新鮮な空気にあふれているのが本屋さんなのだ。
 「新しい疑問が生まれる場所」という、別の言い方もこの本にはある。

 著者は本屋さんの「書棚を巡るのは、世界を旅することに似て」いるという。旅先で出会うさまざまな感動が本屋さんにもある、というのである。
 そんな素敵な本屋さん(街角)で待ち合わせをしたら、どんなにいいだろう。
 本屋さんの書棚の本が新しい時間を運んでくる。まるで、街角に吹く風のように。
  
(2013/09/02 投稿)

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