11/30/2013    手帳を買う
 今日は手帳の話です。
 えーっ、このブログって本のブログでしょ。
 手帳は文房具じゃないですか、と
 批判や罵声が出るかもしれませんが
 それが大いに関係するんですよね。
 この季節、本屋さんには本以上に
 手帳とか日記、家計簿、カレンダーといったものが
 並んでいますよね。
 今や手帳は本屋さんで買うのは当たり前。
 しかも、明日12月1日は「手帳の日」。
 そこで、今日は手帳の話です。

 私が毎年使っているのは
 能率手帳の「Excel8」というもの。
 ものすごくシンプルです。
 同じ手帳をもう10年以上使っています。
 かつては大変流行したシステム手帳を使ったりしていたこともありますが
 何しろあれはとっても嵩張るので
 その嵩張るところが魅力もあったのですが
 さすがにもっと携帯に便利な手帳ということで
 これに落ち着きました。
 経営コンサルタントの小宮一慶さんは
 3年手帳を推奨されています。
 しかも、自分流にしっかり作っちゃって
 本屋さんでも買うことができます。

小宮一慶のビジネスマン手帳 2014小宮一慶のビジネスマン手帳 2014
(2013/09/09)
小宮 一慶

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 3年手帳は確かに去年何したかなとかおととしは? なんていう時は
 きっと便利なんでしょうが、
 3年めから4年めの変わり目はやっぱり困る訳で
 私は能率手帳を3年分持ち歩いています。
 やれやれ。

 能率手帳は今年(つまりは来年の手帳)から、
 名前を「NOLTY(ノルティ)」に変えています。

 New style (新しいスタイル)
 Original (そしてたったひとつの存在で)
 Life Time (ずっと毎日)
 Your will (あなたの想いを叶えたい)

 という思いを込められてついた名前のようですが、
 私は能率手帳の響きの方が好きだったけど。

 新しい手帳を買うと
 さて、この白いページにどんな日々が書き込まれていくのか
 うふふ、となりますが
 なりませんか、なってください、
 手帳には「読書」という印をつけて
 読んだ本は必ず記録しています。
 そのためにわざわざ印鑑も作っちゃいました。

 さてさて、来年はどんな年になるやら
 新しい手帳を使い始めるまで
 あと一ヶ月です。

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  日経文芸文庫の2冊目、
  今日は北杜夫さんの「私の履歴書」、
  『どくとるマンボウ回想記』を
  紹介します。
  北杜夫さんが歌人斎藤茂吉の息子だと
  いうのは有名ですね。
  ちなみに精神科医斎藤茂太さんは
  お兄さんにあたります。
  書評の中にも
  書きましたが、
  北杜夫さんが躁うつ病だったのは
  有名な話。
  うつというのは
  漢字で書くと鬱。
  漢字そのものがうつっぽい。
  パソコンだから漢字変換できるので
  これは書けないなぁ。
  この本の中には
  躁状態の北杜夫さんの姿も
  描かれていますが
  全財産を使い果たしても
  平気らしいですから
  これはこれで怖い病気です。
  読者には
  北杜夫さん=躁うつ病ぐらいに映っていましたが
  本人と家族には
  やっぱり大変だったのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

どくとるマンボウ回想記 私の履歴書 (日経文芸文庫)どくとるマンボウ回想記 私の履歴書 (日経文芸文庫)
(2013/10/25)
北 杜夫

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sai.wingpen  どくとるマンボウは後悔しません                   

 日本経済新聞の人気記事「私の履歴書」では、経済人にととまらず政治家や作家、音楽家といった文化人、さらには海外の要人といった幅広いジャンルの人が取り上げられている。そのあたりが、長期連載の秘訣だろう。
 新しい文庫本として参入した日経文芸文庫は、「私の履歴書」をひとつの目玉にしているようだが、その初回刊行では経済人から2作品、作家から2作品と、ここでもバランスがいい。
 作家の2作品のうちのひとつが、北杜夫の「私の履歴書」である。もうひとつが遠藤周作というのも、北と遠藤の交友を思えば絶妙な取り合わせだ。

 北杜夫は歌人斎藤茂吉の子であり、『夜と霧の隅で』で第43回芥川賞を受賞した純文学の作家であるが、それよりも「どくとるマンボウ」という名前で出版した作品の方が有名だし、人気が高い。
 近代短歌において斎藤茂吉は巨星だ。そんな父の作品を若い北はほとんど読むことはなかった。というより、文学そのものに目覚めたのは旧制松本高校にはいってからだ。
 その時に父の短歌を読み、感銘を受けている。しかし、実際接している父はどうも違う。
 「茂吉という男は、どうもそばにいるより遠くから書物を通して知るのがよいと思わざるを得なかった」とある。

 松本高校時代に北は生涯親交のあった作家の辻邦生とも出会っている。
 勉強はできたが病気がちだった北だが、この時代を経て、卵が孵化するように夢をもった若者に変わっていく。
 この「履歴書」では父との確執も自身の躁うつも深刻に語られることはない。
 終始、明るさに満ちているといっていい。
 そういえば、「躁うつ病」という病気のことを北の作品から知った人は多いだろう。
 この作品の中でもそのことに触れられているし、躁状態の時の自身の写真も収められている。それでも、悲壮な感じはしない。

 この本には北が亡くなる(2011年)前、2006年の1月に連載された「私の履歴書」に、いくつかの短文、それと単行本化時の書き下ろしの文章が収められている。
 「わが人生をふり返ってみて、さして満足もしないが、それほど後悔するわけでもない」。
 北杜夫の、それが歳晩の思いだった。
  
(2013/11/29 投稿)

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  今年の流行語大賞の候補作が
  先日発表されたが
  やっぱり「半沢直樹」の名セリフ

   倍返し

  がはいっていましたね。
  そのほかも、「あまちゃん」の「じぇじぇじぇ」とか
  「今でしょ」「お・も・て・な・し」とか
  「ブラック企業」や「アベノミクス」まで。
  さあ、大賞はなんでしょうね。
  12月2日発表です。
  しまった、本の紹介でしたね。
  今日は池井戸潤さんの『銀行狐』。
  私の今年のブームも
  池井戸潤さんの作品群かも。
  なにしろ面白いのが
  何より。
  この『銀行狐』は銀行ものの短編集ですが
  どこか「半沢直樹」を彷彿させます。
  池井戸潤さんを読むなら、「今でしょ」。
  やっぱりこれかな、大賞は。

  じゃあ、読もう。

銀行狐 (講談社文庫)銀行狐 (講談社文庫)
(2004/08/10)
池井戸 潤

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sai.wingpen  今年の池井戸潤ブームの原点ともいえる短編集                   

 銀行マンという言い方をする。仕事の業種を冠につけるのはあまりない。 商社マンともいうが、電機マンとは言わない。
 スーパーで働く人はスーパーマンというのかという笑い話もあるが、店員さん止まりだろうか。
 たくさんある業種の中でも、銀行や商社にはそれだけの特別なものがあるのかもしれない。
 だから、銀行や商社は身ぎれいにしておかなければならないし、不祥事があればすぐに叩かれる。
 そんな仕事って一体どんなものなのか。誰もが興味のあるところだ。

 直木賞作家の池井戸潤が元銀行マンというのは有名である。
 『果つる底なき』(1998年)でデビューした初期の頃は銀行を舞台にミステリー物を量産してきた。2001年に刊行されたこの短編集はその頃のもの。池井戸潤の成り立ちを知る上で面白い作品集である。
 特に「ローンカウンター」は「小説現代」に1998年10月発表されたもので、作品の出来はよくない。描写そのものがよくわからない。
 池井戸の若書きの作品である。それが直木賞作家になるのであるから、池井戸の鍛錬は想像にあまりある。

 5つの短編の中では「現金その場かぎり」という作品が面白かった。
 一日の現金有り高が合わなくなった銀行の支店。店内から出たゴミまで調べるが合わなくなった3百万円は出てこない。さらには行員たちの私物検査、女子ロッカーの調査まで行う。しかし、現金は出てこない。
 銀行には「客に渡す現金の過不足は、その場で確認しなければならない」という「現金その場かぎり」の原則がある。
 しかし、主人公の執拗な調査で不審な行員が浮上する。きっかけは窓口で客に渡される景品。それはまさに3百万円の札束の厚み。
 普通の読者は絶対にはいることのできない銀行の窓口カンターの向こう側の世界。はいることができないから興味がわく。
 池井戸の初期の作品はまさにそんな読者の心理をついたといえる。

 ただ最近の池井戸はこんなことも語っている。
 「銀行員だったという経験は確かにありますが、金融の世界は急速に変化しているので、10年前の経験は陳腐化して使えない」。
 だとしたら、貴重な初期作品集だ。
  
(2013/11/28 投稿)

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  今日はガラリと趣きを変えて
  花房観音さんの『恋地獄』という 
  小説を紹介します。
  花房観音さんは第1回の団鬼六賞の受賞者。
  ということは
  と舌なめずりしたわけではないですが
  少し期待したのも事実。
  でも。
  まあ、今日の書評を読んでみて下さい。
  ところで
  今日の書評を書くにあたって
  JR東海のあの有名なキャッチコピー
  「そうだ京都、行こう」を
  書きましたが、
  私はずっと「そうだ京都に行こう」だと
  ばかり思っていました。
  20年も勘違いしていたことに
  なりますね。
  やれやれ。

  じゃあ、読もう。

恋地獄 (幽BOOKS)恋地獄 (幽BOOKS)
(2013/10/18)
花房観音

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sai.wingpen  そうだ京都、行こう                   

 JR東海の「そうだ京都、行こう」キャンペーンはTVのCFや駅のポスターで見かけた人は多いだろう。
 思い立って旅行鞄を取り出した人もいるにちがいない。それほど、インパクトのあるキャッチコピーといえる。
 このキャンペーンは1993年から始まって今年で20年になる。
 京都観光にどれだけ寄与したことか。
 秋の盛りの清水寺。桜満開の大覚寺。夏来る詩仙堂。そして、雪の舞う知恩院。
 けれど、京都には別の顔がある。
 「長いこと都があって、権力のとりあいして、たくさん人が死んで恨みが詰まっとる街」という、顔。

 作者の花房観音は『花祀り』で第1回団鬼六賞を受賞した女性官能作家である。
 団鬼六という稀代の官能作家の名を冠する文学賞だけあって、その受賞作もかなりハードな作品であった。
 花房は受賞作でもそうだが、一貫して京都を舞台に男と女の関係を描いてきた。
 それはこの作品も同じである。
 売れない映画監督と不倫の関係の果てに京都に居を移した37歳の女性作家鷹村妃。ある時、幽霊が見えるという女性への取材企画が持ち込まれる。
 かつて愛した男は彼女に死んでから自分のすべてを描けばいいと言い置いて死んだ。
 その男に、また会いたい。幽霊でもいい。男に会いたい。

 花房らしい官能描写を期待する向きには少し期待はずれかもしれない。
 どちらかといえば、幽霊話である。
 いや、それとも少し違う。
 では何かと問われれば、これは京都の観光ガイドではないか。
 主人公が住むのは「鳥辺野」。かつて「死者を葬る場所だった」ところ。
 「平安時代の貴族の小野篁が地獄へ通ったといわれる井戸のある六道珍皇寺、地獄絵のある西福寺」と、あたりはなんやら怪しい。
 秋の紅葉を愛で、桜散る中を歩くのだけが京都ではない。
 光があたらない影の部分こそ、京都の妖しい魅力があるような気がする。

 花房は明るい陽射しの京都ではなく、暗く愛憎のうずまく京都だからこそ、男と女の解けない答えが潜んでいることを知っている。
 大人であればこそ、大人だけが知る、「そうだ京都、行こう」。
  
(2013/11/27 投稿)

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  昨日沢木耕太郎さんの『流星ひとつ』という
  ノンフィクション作品を
  紹介しましたが
  沢木耕太郎さんの作品に出会ってから
  もうかなりの時間が
  過ぎました。
  作家の好みも時代とともに
  変わっていくのですが
  沢木耕太郎さんだけは
  長い時間好きな作家という点で
  変わりません。
  沢木耕太郎さんが
  『敗れざる者たち』で
  颯爽とデビューした頃
  とにもかくにも
  かっこいい兄貴的でした。
  それから40年近く
  沢木耕太郎さんの背中を
  見続けてきたように
  思います。
  今日紹介する後藤正治さんの
  『探訪 名ノンフィクション』の中にも
  沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』が紹介されていますが
  私的にはやはり『敗れざる者たち』を
  紹介して欲しかった。
  惜しい。

  じゃあ、読もう。

探訪 名ノンフィクション探訪 名ノンフィクション
(2013/10/09)
後藤 正治

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sai.wingpen  かつて「ノンフィクションの時代」があった                   

 かつて「ノンフィクションの時代」が、確かにあった。
 1970年代から80年代にかけてだろうか、書き手たちも出版社も、ノンフィクションに燃えていた。
 けれど、その熱も冷め、佳作といわれる作品が出ないわけではないが、奥行きに乏しく、まるであの時代は何だったのかと思わないでもない。
 あの頃、フィクションと呼ばれる小説が空疎になって、その隙間を埋めるように重厚な取材に裏打ちされたノンフィクションの「事実」に読者は引き寄せられたといえる。
 しかし、時代がバブル景気を経てお金至上主義になるにつれて、より早く実のなる木を求めた。「事実」などもはや必要としない時代になったのではないか。
 その基調は現在も変わっていない。
 けれど、もう一度、あの時代、「ノンフィクションの時代」を求める人もいる。

 本書はノンフィクションの名作の書かれた背景、著者たちの思い、取り上げられたテーマの再考を自身ノンフィクション作家である後藤正治氏が辿る論考である。
 後藤氏自身があの時代を求めているといってもいいだろう。
 巻末に付けられた沢木耕太郎氏との対談で沢木氏が「もし作品ではなく書き手に重心を置いたら、このラインナップにはならなかったかも」と指摘しているように、本書で取り上げられた作品18篇がノンフィクションの押さえておくべき名作かといえばそうではない。
 後藤氏は「これまで読んできたなかでインパクトを受けた作品」を基準にしたと、作品選びについて述べている。もちろん、後藤氏がという主語がつく。
 そういう意味では、この本そのものが後藤氏の手によるノンフィクション作品とも読めないわけではない。

 ちなみに本書で撮りあげられた作品を一部紹介しておくと、柳田邦男『空白の天気図』、本田靖春『不当逮捕』、澤地久枝『妻たちの二・二六事件』、沢木耕太郎『一瞬の夏』、佐野眞一『カリスマ』などである。
 立花隆の『田中角栄研究 全記録』はあるが、児玉隆也の『淋しき越山会の女王』はない。
 本文にこんな一節がある。
 「すぐれた作品の共通項は、個別のテーマ、個別の出来事を取り扱いつつ、人生のあり様としてそれが普遍へと及んでいること」、だとしたら、これらの作品選択は、後藤氏の基準に寄り添い過ぎたものになっているのが少し残念だ。
  
(2013/11/26 投稿)

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  今年も残すところ
  あと一ヶ月余となって
  そういえば今年もたくさんの著名人が
  亡くなっていることに思いがいく。
  喪中のハガキが届くのも
  この季節ならでは。
  夏、藤圭子さんの自死のニュースには
  正直驚きました。
  さらびっくりしたのは
  沢木耕太郎さんが昔藤圭子さんに
  インタビューして作品にならなかったものが
  あったということです。
  それがこの『流星ひとつ』です。
  全編インタビューだけで構成された
  異色のノンフィクションですが
  藤圭子とはどんな歌手だったのか
  いえ、どんな女性だったのかが
  見事に描かれています。
  刺激的な作品です。

  藤圭子さんの
  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

流星ひとつ流星ひとつ
(2013/10/11)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  追悼・藤圭子さん - どう咲きゃいいのさ この私                   

 藤圭子が好きだった。日本人形のような彼女の容姿が好きだったのか、世をすねたような態度が好きだったのか、それとも掠れた彼女の声に魅了されたのか、そうではなくて藤圭子が唄う歌にはまったのか。
 多分、そこには答えはない。
 藤圭子そのものが好きだったというしかない。
 それでもあえていうなら、藤圭子が喝采を浴びていたあの時代が好きだったといえる。
 藤圭子の歌手としての活動期間は短い。1969年秋のデビューからわずか10年、まるで一瞬の時を駆け抜けている。
 自分の人生となぞってみれば、二十歳の時をはさんだ青春期。
 藤圭子の何が好きだったのだろう。

 2013年8月22日、藤圭子は高層マンションから飛び降り自殺した。
 ニュースにも取り上げられた。新聞にも載った。どうして藤圭子の死がこれほど大きく取り上げられるのかわからないという人が私の周りにはいた。
 藤圭子自身を知っている人も少なくなった。むしろ宇多田ヒカルの母としての方が有名だともいえる。
 けれど、美空ひばりや石原裕次郎の死よりも、彼女の死は衝撃的だった。あるいは、キャンディーズの田中好子さんの死よりも。
 何故なら、藤圭子は見えない翼で空を飛ぼうとしたのだから。そして、墜落したのだから。
 藤圭子の人気が絶頂だった時、私も空を飛びたかった。
 あの頃と同じようにして、藤圭子という流れ星がひとつ、堕ちた。

 同じ頃沢木耕太郎という若きノンフィクション作家に魅了されていた。
 『敗れざる者たち』という作品で若い読者を夢中にさせ、その後のちに『深夜特急』という若者たちのバイブル的存在の基になる長い旅を経て、再びノンフィクション作品を模索していた頃の、沢木。
 1979年秋。引退を表明した藤圭子に31歳の沢木はインタビューを申し入れる。ホテルの上層階のバーで行われたそれを、出版の予定のあったそれを、沢木は引退後の藤のことを考え、お蔵入りにした。
 もし、藤圭子が空を飛ばなかったら、私たち読者に触れることのなかった作品。
 この時、藤圭子は28歳。貧乏な生活から彗星のようにして演歌の星になり、結婚、離婚を経て、引退へと辿る人生。
 けれど、まだ28歳。

 62歳の死まで、このインタビューからたくさんの時間を生きた藤圭子。
 しかし、藤圭子の一瞬の時はこの時終わっていたのかもしれない。
  
(2013/11/25 投稿)

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  今日紹介するのは
  安野光雅さんの『シンデレラ』。
  最初この絵本を見つけた時は
  ええっ、あの安野光雅さんが、と
  我が目を疑いました。
  もしかして、
  まったく違う話ではと
  思わずページを繰ってみました。
  でも、やっぱり「シンデレラ」のお話でした。
  俄然興味がわいてきました。
  さてさて、どんな絵本だろうという興味です。
  読み終わって
  大満足。
  これは子どもだけでなく
  大人も楽しめる絵本です。
  「シンデレラ」を楽しむというより
  安野光雅さんの絵を愉しむという
  ことですが。

  じゃあ、読もう。

シンデレラシンデレラ
(2011/07/05)
安野光雅

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sai.wingpen  ディズニーランドのシンデレラはここにはいないけれ                   

 「シンデレラ」の絵本の話をします。
 えーっ、そんな話知ってらーい、と逃げ出そうとする子どもたちもたくさんいるでしょうね。
 でも、大切な話ですから、戻ってきて。
 もちろん、お話はみんなよーく知っていますよね。ディズニーのアニメ映画にもなっているし、ディズニーランドにあるシンデレラ城で結婚式まで挙げたお二人もいるくらいですから。
 パレードには本物? のシンデレラが手を振ってくれますもの。

 原作はグリム兄弟やペローだと言われていますし、原題が『灰かぶり姫』というのも最近ではクイズにもならないくらい有名。
 だから、お話のことは書きません。書かなくても、みんな、よーく知っていますとも。
 書きたいのは、この絵本を描いたのが安野光雅さんだということ。
 安野さんといえば、司馬遼太郎さんの『街道をゆく』(この本のことはお父さんに聞いてごらん)の二代目の挿絵画家だったし、『旅の絵本』という絵だけの絵本も作っていて絵本の世界でも有名です。
 その他にも、本の装幀とかもたくさん手がけています。
 そんな安野さんが描いた『シンデレラ』ですよ、この絵本は。
 ちょっと開きたくなりませんか。

 童話と絵本はとっても仲のいいコンビです。
 特に昔話のような作品はたくさんの絵本作家さんが描いています。
 例えば「桃太郎」とか「一寸ぼうし」とか「赤ずきん」とか。
 絵本の愉しみの一つは、そういうたくさんの絵本作家がどんな風に馴染みのある作品を描いているかを知ることでもあります。
 安野さんの『シンデレラ』は子どもたちが喜ぶような派手さはないかもしれませんが、建物の様子とか町の描き方など安野さんならではのきめ細やかさが随所に見られます。
 安野さんのファンだけでなく、「シンデレラ」を知っている子どもたちもまったく新しい気分でページを開くように思います。
こ こにあるのは、今まで目にしたことのない『シンデレラ』といってもいいでしょう。

 ディズニーランドのシンデレラはここにはいないけれど、また違った世界に出会えるのも悪くはありません。
  
(2013/11/24 投稿)

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  今日は勤労感謝の日

    降り積めば枯葉も心温もらす  鈴木真砂女

  勤労に感謝しないと。
  働く場があることに感謝。
  働ける体力があることに感謝。
  働いている人に感謝。
  誰です?
  給料袋に感謝してるのは。
  そこで
  今日は池井戸潤さんの『ルーズヴェルト・ゲーム』という
  作品を紹介します。
  この作品は
  池井戸潤さんが直木賞受賞後に発表したもので
  銀行ものではありません。
  なーんだとがっくりした人もいるかもしれませんが
  いいんですよ、
  この作品。
  泣けますよ。
  正しく働くのって
  やっぱりいいですよね。
  正しい心に、感謝。

  じゃあ、読もう。

ルーズヴェルト・ゲームルーズヴェルト・ゲーム
(2012/02/22)
池井戸 潤

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sai.wingpen  絶望と歓喜                   

 業績不振が続く青島製作所。ついには人員整理もやむなしの決断を強いられる。
 リストラである。
 そんな会社が抱える社会人野球部。創業者の現会長である青島が作り育てた野球部も廃部の噂が絶えない。
 そして廃部の決定。それでも懸命に戦う野球部が東京都の代表を決める決勝で戦う相手は会社のライバル社であるミツワミツワ電器。会社の業務でもしのぎを削る両社がベース上で相い対する。
 そして、・・・。
 お決まりの結末だといってしまえばそれまでだが、それでも涙が出てしまう。「がんばれ、青島ナイン」と声援をおくってしまう。
 グラウンドにいつまでも残る熱気とどよめきのように、読後感は気持ちがいい。

 2011年に『下町ロケット』で第145回直木賞を受賞した池井戸潤の受賞後初の単行本として人気を呼んだこの作品は、『下町ロケット』と同様、開発技術を誇りとする中堅企業を舞台として企業エンターテイメント小説である。
 企業がスポーツ部を保有するのは、広告宣伝や従業員の一体化の醸成といっ効果があるが、採算という面ではかなりの負担を損益に強いることはよく知られている。だから、業績が悪化すればリストラ(廃部)の対象になりやすい。
 実際リーマンショック後の多くの企業で、伝統のあるスポーツ部が消えていった。
 その時失ったものを、池井戸はこの作品で見事に描いたといえる。
 それは、誇りだ。

 この作品では業績不振の中ライバル企業の強烈な営業攻勢と無謀な統合要請に立ち向かう青島製作所のトップ細川たちの苦悩と決断を縦糸に、負けが続き主力選手もライバル会社に引き抜かれていく低迷する野球部のそれでも必死に戦う姿を横糸にして、彼らの誇りを描いている。
 長期の低迷期にある日本経済と自信をなくした日本人への、池井戸のメッセージともいえる。
 それはまた、直木賞受賞による池井戸の自信の現れでもある。

 「ルーズヴェルト・ゲーム」というのは、「フランクリン・ルーズヴェルト大統領が、もっともおもしろいスコアだといった」という「八対七」のスコアのことをいう。
 息詰まる投手戦も面白いが、打たれれば打ち返すという打撃戦。
 時に絶望し、時に歓喜する。
「絶望と歓喜は紙一重」。それは経営でもそうだし、物語でもそうだ。
 この作品の息詰まる展開こそ、「ルーズヴェルト・ゲーム」だ。
  
(2013/11/23 投稿)

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  少し前に日経文芸文庫創刊のことを
  このブログに書きましたが、
  今日はその中の一冊
  松下幸之助の『夢を育てる  私の履歴書』を
  紹介します。
  ついでに、このブログに
  新しいカテゴリ「私の履歴書」まで
  作ってしまいました。
  日経文芸文庫のことについて
  ちょっと書いておくと
  なかなかいいんですよね、造りが。
  何が気にいったかというと
  スピンがついていること。
  これは栞紐とも呼ばれていますが
  最近の文庫本はほとんどこれが
  ありません。
  新潮文庫が律儀に守っていますが。
  それと「解説」。
  つまり、日経文芸文庫
  文庫の王道を守っているのです。
  これからも楽しみです。
  せっかくですので
  この本からこれはという文章を
  書きとめておきますね。

   自己観照ということが大事である。
   特に経営者が判断するときには、
   この心がまえが不可欠にように思うのです。


   経営というものは、本来このように非常に
   高い価値をもった芸術的行動だと思う。

  いいでしょ。

  じゃあ、読もう。

松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書 (日経文芸文庫)松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書 (日経文芸文庫)
(2013/10/25)
松下 幸之助

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sai.wingpen  松下幸之助の人気衰えず                   

 日本経済新聞の朝刊文化面の「私の履歴書」を楽しみにしている人は多い。
 この企画を考えた記者が誰なのか知らないが、まさに新聞の歴史に残る功績だ。
 連載が始まったのは1956年(昭和31年)、鈴木茂三郎が最初の連載だったそうだ。現在のように一ヶ月一人のスタイルになったのは1987年(昭和62年)からで、国内にとどまらず海外の著名人まで執筆している。
 10月に創刊された「日経文芸文庫」のラインナップには「私の履歴書」から4作品が選ばれている。
 その一冊が松下幸之助のこの本である。
 「私の履歴書」が面白いのは幸之助のような経済人だけにとどまらない点にもある。けれど、日本経済新聞だけあって、やはり経済人の「履歴書」は人気が高いのではないだろうか。

 松下幸之助は「私の履歴書」を2回書いている。
 一度めは昭和31年8月というから、企画が始まってまもなくだ。もう一回は昭和51年。
 だから、この本は2つの「履歴書」をまとめたものである。
 一回めの連載時に「少年時代」から創業、そして敗戦を経て、会社がようやく発展していく時代まで描かれている。
 二回目は昭和25年から稿が起こされ、会長退任となる昭和48年までが書き継がれている。
 よく「私の履歴書」を執筆するのは現役の引退が近いという噂を耳にするが、幸之助の場合、そのあとも活躍が続く。
 幸之助の経営に対する考え方は、後半の中で存分に語られている。

 この「履歴書」の中で「週休二日制」を導入した当時のことが描かれている。
 松下電器産業(現パナソニック)が「週休二日制」を導入したのは、昭和40年。その時幸之助の頭にあったのは「グローバル化」で、海外との競争に勝つためには週休を二日にしないと疲れてしまうだろうという配慮だったことを、本書で初めて知った。
 なんという先見だろう。
 けれど、幸之助はこうも書いている。
 「若い社員がふえた一日の休みを、単なる遊びに終わらせないで、経済人、社会人として向上していくための勉強に充てるかどうか」だと。

 教えられることの多い、「私の履歴書」である。
  
(2013/11/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日は東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの
  36巻めとなる
  『サンマの丸かじり』を紹介しましたが、
  今日は36巻にはまだまだ追いつきませんが
  早くも3巻めとなる
  『池上彰教授の東工大講義 学校では教えない「社会人のための現代史」』を
  紹介します。
  書評のタイトルで
  「新聞を読みましょう」なんて大きなことを
  書きましたが、
  昔はどこの家でも新聞を読んでいたように
  思います。
  そもそも新聞紙の使い方も多様でしたし。
  おトイレの紙にも使いましたし、
  焼き芋を包むのにも使いましたし、
  学校に持っていく弁当はいつも新聞紙で
  くるんでありました。
  紙としての使い道が
  たくさんあったから、
  読むかどうかはともかく
  一家に一紙あったのではないでしょうか。
  それはともかく
  やっぱりさまざまな情報を得るためにも
  新聞か欠かせません。
  それでもわからなければ
  池上彰さんに訊きましょう。

  じゃあ、読もう。

池上彰教授の東工大講義 学校では教えない「社会人のための現代史」池上彰教授の東工大講義 学校では教えない「社会人のための現代史」
(2013/10/15)
池上 彰

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sai.wingpen  新聞を読みましょう                   

 若い人にお願いしたいのは、新聞を読んで下さいということ。
 私の娘もそうだし、甥っ子もそうだし、同じ職場で働く若い人もそうで、どうも新聞を読まない風潮にある。
 インターネットがあるから十分というもっともらしい言い訳を聞くけれど、新聞にはネットにはない関連性があるし、さまざまな情報が展開されていることに気がついていない。
 一見ネットには情報が氾濫しているように感じるが、実は自分が指向する情報だけを取捨している。
 今の若い人だけのことだけではない。
 自身を振り返ると、実に情報に疎かったことがわかる。
 池上彰さんが東京工業大学で教鞭をとっている講義を本の形にしたシリーズも三冊めになるこの本では、現代社会が抱える問題をわかりやすく解説している。
 読み終わって得た感想は、若い人に新聞を読むことを薦めている私も、若い頃はほとんど何もわかっていなかったという反省だった。

 たとえば、昭和48年(1973年)に起こったトイレットペーパー騒動。
 石油危機の際にトイレットペーパーがなくなるという風評からスーパーの店頭から本当にそれは姿を消した事件だが、当時18歳だった私だが、今そんな記憶は全然ないのだ。
 石油危機ということはあったと理解はしているが、そんな騒動があったのはまるで記憶にない。
 多分当時の私には届かなかったのだろう。
 もし、新聞をちゃんと読んでいればそれは記憶に残ったかもしれない。
 せっかく同時代を生きていながら、この本に書かれていることのあまりにも知らないことの多さに愕然とする。

 「東西冷戦」「台湾と中国」「北朝鮮」「中東」「通貨」「エネルギー」等々の現在の重要な事柄について、池上さんの講義はいつものようにわかりやすい。
 実はわかっているようでわかっていないことも多い。
 何故、中国での反日感情はなくならないのかといったことも、中国国内の事情と併せもって考えないといけないことなどいかに自分が知らないかを教えられる。
 幾多の情報をどう組み合わせて読み解くか。
 それもまた「学校では教えない」内容だといえる。

 池上さんのようになるのは難しいとしても、まずは新聞を読むことから始めてみてはどうだろう。
  
(2013/11/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  お待たせしました。
  というか、
  お待ちしてました。
  今日は
  東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズの新刊
  『サンマの丸かじり』の紹介です。
  サンマといえば思い出すのが
  佐藤春夫の「秋刀魚の歌」。
  知ってます?

    あはれ
    秋風よ
    情(こころ)あらば伝へてよ
    ――男ありて
    今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
    さんまを食(くら)ひて
    思ひにふける と。


  思い出しました。
  聞いたことがあるでしょ。
  今日の書評にこれ書けばよかったなぁ。
  NHKの朝の連続テレビ小説に
  こだわりすぎました。
  かたや文豪佐藤春夫
  かたやNHK。
  まあいいか。
  おいしければ。

  じゃあ、読もう。
  
サンマの丸かじり (丸かじりシリーズ36)サンマの丸かじり (丸かじりシリーズ36)
(2013/10/18)
東海林さだお

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sai.wingpen  ごちそうさま                   

 NHKの朝の連続テレビ小説の、第89作めの「ごちそうさん」は前作「あまちゃん」の勢いそのままに好評らしい。
 このドラマ、とにかくおいしいもののオンパレードなのだ。
 主役を演じる杏さんをはじめ、食べること食べること。実にうらやましい。
 放映そうそう、主人公の祖母は亡くなってしまうのだが、おばあちゃんの一言がこのドラマのテーマそのものといえる。
 「お客さまに料理を出すために、馬を馳せて、走り回って野菜や魚を集めさせたんだって。そこまでしてくれたことへの感謝を、「御馳走様(ごちそうさま)」って言葉に込めたんだよ」。
 いい言葉でしょ。
 食べ物エッセイ「丸かじり」シリーズを書き続けている東海林さだおさんに言いたい。
 「ごちそうさん」。

 おなじみのシリーズもこの巻で36巻になる。
 今回は2012年7月から2013年4月まで週刊誌に連載されていたものをまとめたもの。
 馬を馳せたかどうかはともかく、相変わらず北においしいものがあれば飛んでいき、南に珍しいものがあればよだれを流し、といった宮沢賢治ばりの活躍である。
 ちなみに「丸かじり」といえば、「ごちそうさん」の主人公が食材をとことん使いきる「始末の精神」を学んだことそのもので、彼女はひそかに東海林さだおさんの本を読んだにちがいない。
 ちがうかな。

 「ごちそうさん」の主人公はともかくご主人に365日おいしいものを食べさせようと工夫を重ねるのだが、そのチャレンジ精神もどこか東海林さだおさんに似ている。
 ソーメンをストローで食べようなんて(「ソーメンをストローで!!」)人はそうそういない。チクワの穴をのぞいてみようと思う人もめったにいない(「チクワの穴をよく見れば」)。カラスミを自分で作ろうと(「カラスミを作ろう」)、誰も思う訳ではない。そんなことをするのは、東海林さだおさんか杏さんだけだ。
 ちがうかもしれないが。

 そこまでして、読者に喜んでもらおうという気持ちがあるからこそ、「丸かじり」シリーズはいつまでも面白いのだ。
 ね、やっぱり言いたくなるでしょ。
 「ごちそうさま」って。
  
(2013/11/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は文春文庫の新刊から
  おなじみ東海林さだおさんの『ホルモン焼きの丸かじり』を
  紹介します。
  最近の文庫本は「解説」のないものも
  多くあって
  「解説」受難時代ともいえますが
  この「丸かじり」シリーズの文庫本は
  「解説」を読むのが楽しみで
  手にとっています。
  解説者があの手この手で
  東海林さだおさんに追いつこうとしているのですが
  その負けっぷり? が
  面白い。
  この巻では
  早稲田漫研の後輩漫画家ラズウェル細木さんが
  挑戦しています。
  さてその結果やいかに。

  明日はいよいよ
  「丸かじり」シリーズの
  新刊を紹介しますよ。
  お楽しみに。
  
  じゃあ、読もう。

ホルモン焼きの丸かじり (文春文庫)ホルモン焼きの丸かじり (文春文庫)
(2013/10/10)
東海林 さだお

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sai.wingpen  文庫解説の書評-早稲田漫研、恐るべし                   

 東海林さだおさんの食べ物エッセイ「丸かじり」シリーズは文庫本になっても面白いのはいうまでもない。
 しかも、文庫本は和田誠さんのカバー画だし、解説までもついている。
 この解説がまた面白い。
 解説、なんて固い言葉で書かれているが、どのお方も東海林さんの本文に負けじとさまざまな工夫をこらしているのが涙ぐましい。
 それでいて、やはり東海林さんに負けているのも好感度が高い。

 2009年に単行本化(初出である「週刊朝日」の連載は2008年11月から2009年7月)されたこの作品の文庫本の解説を担当したのは、東海林さんの早稲田漫研のうんと後輩にあたる漫画家ラズウェル細木さん。
 ラズウェル細木さんといえば、『酒のほそ道』で手塚治虫文化賞を受賞した漫画家で、この解説でもラズウェルさん(といえばいいのか、細木さんといえばいいのか)の漫画が載っています。
 ちなみにその漫画は東海林さんの漫画をかなり意識して書かれていて、大先輩をたてようとしているのか蹴落とそうとしているのか、その意図は不明。

 ただこの後輩、ひそかに(というか、解説の中できっぱりと)東海林さんの後釜を狙っている節があって、しかし残念ながら「後釜どころかまだまだ足下にも及ばない」と、あるとき気づいたようです。
 その点は後輩として極めて謙虚。
 ところが、「丸かじり」シリーズの魅力のひとつを。東海林さんの「実践物」にあると看破する力はさすが。
早稲田漫研、恐るべし。

 そこで細木さん(といえばいいのか、ラズウェルさんといえばいいのか)が挑戦したのが、東海林さんが実践した「豆腐丸ごと一丁丼」。その出来栄えが漫画になっているのです。
 見た目の出来はさすが漫研先輩の東海林さんにあるのですが、細木さんは失敗こそ面白さみたいなウケねらいに来ているように思える。
 これは漫画家の業でしょうね。
 転んでもただでは起きない。
 で、最後に「まだまだ東海林先輩にはかなわない…」とありますが、本当にそう思っているのかな。
 「もうすぐ東海林先輩に追いつきますよ」に聞こえてしまう・
 早稲田漫研、やはり、恐るべし。
  
(2013/11/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  島倉千代子さんの逝去のニュースに
  そうだ、あの本があったと
  思い出したのが、
  田勢康弘さんの『島倉千代子という人生』。
  出版されたのは1999年ですが
  刊行されてすぐに読んだことがあります。
  島倉千代子さんが
  その頃から好きだったみたい。
  告別式の様子は
  たくさんの番組で流れていました。
  最初最後の歌となった「からたちの小径」を聞いた時
  ちょっと残酷だなと感じないわけでは
  ありませんでしたが
  何度も聞いていると
  これは間違いなく島倉千代子さんだと
  胸に迫るものがありました。
  ちっとも変っていない。
  声ではなく、
  歌を唄う心が。
  今日の書評タイトルは
  島倉千代子さんの代表作「人生いろいろ」の歌詞の
  一節です。

  島倉千代子さんのご冥福を
  お祈り申し上げます。

  じゃあ、読もう。

島倉千代子という人生島倉千代子という人生
(1999/02)
田勢 康弘

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sai.wingpen  追悼・島倉千代子さん - 髪を短くしたり つよく小指をかんだり                   

 子どもの頃、昭和40年代の初め、美空ひばりさんより島倉千代子さんが好きだった。
 子ども心にひばりさんの強さが苦手で、同じことが越路吹雪さんにもいえた。所詮歌のうまさなどわからない、子どもの評価だし、成人してからひばりさんや越路さんの巧さにやっと気づいた。
 その一方で島倉さんは子どもの目から見てもはかなげで、かわいく、女性の代名詞のように映った。
 島倉さんの伸びのある高音が特徴の歌も好きだった。
 ひばりさんが昭和とともに亡くなったあとも、島倉さんは後期の代表作ともいえる「人生いろいろ」など活躍を続ける。
 そんな島倉千代子さんが11月8日、75歳で亡くなった。

 この本は政治ジャナーリストの田勢康弘さんが1999年に発表したものだ。もちろん、島倉さんはまだ活発に歌手として活動していた頃だ。
 政治ジャナーリストと流行歌手。
 不思議な取り合わせのように感じるが、田勢さんは島倉さんを通して「戦後を懸命に生きた日本の庶民を書きたいと思った」という。
 さらに「戦後すべてのものが欧米化、グローバル化する中で、私たちが忘却の彼方に追いやろうとしている「日本」(中略」を探し求めるための旅のようなもの」と続けた。
 それだけではない。
 田勢さんは島倉さんに「母」のような温かさを感じていたに違いない。
 この本の「母に捧げる」という献辞にも、「私は母の懐に戻ったような奇妙な落ち着きを覚えている」と最後の文章に綴っていることでも窺い知れる。

 離婚、中絶、巨額の借金、そして乳がん。島倉さんの波乱に満ちたさまざまなことがらが改めて逝去の報道とともに語れている。この本にもそれらは書かれている。
 けれど、それがどんなに不幸なことであっても、島倉さんははねのけてきた。
 「運は黙って待っているだけでは回ってこない。島倉は手で小舟を漕ぐようにして大海を渡ってきたのである。ひとときも休むことなく。」
 あくまでも田勢さんの島倉さんを見る目は温かい。

 告別式の時、島倉さんが亡くなる三日前に吹き込んだという最後の歌「からたちの小径(こみち)」が流れ、そのあとに「人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」と語る島倉さんの生前の声に会場は悲しみの涙をあらたにしたという。
 「島倉千代子という人生」を共有させて頂いた私たちこそ言いたい。
 「島倉千代子さん、ありがとうございました」。
  
(2013/11/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先週の日曜に
  くどうなおこさんの『ちいさなはくさい』という
  絵本を紹介しましたが
  今日は白菜シリーズというわけでは
  ありませんが、
  韓国の絵本『きょうはソンミのうちでキムチをつけるひ!』を
  紹介します。
  韓国のチェ インソンさんの作品です。
  韓国には一度行ったことがあります。
  その際にソウルで
  「キムチ博物館」に立ち寄りました。
  昔の作り方とか
  さまざまなキムチの展示とかがあって
  これから韓国に行く計画のある人は
  ちらっとのぞいてみるのも
  面白いですよ。
  キムチはどちらかといえば
  好きな方かな。
  食べだすと
  とまらない感じで食べていますね。
  鍋にしてもおいしいですし。

  じゃあ、読もう。

きょうはソンミのうちでキムチをつけるひ!きょうはソンミのうちでキムチをつけるひ!
(2005/12)
チェ インソン

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sai.wingpen  今夜は「キムチ鍋」にしようかな                   

 食べ物の記憶は結構残っているものだが、どうも「キムチ」を初めて食べた記憶がまったくない。
 あれだけ癖がある食べ物だから覚えていてもおかしくないのだが、まるで、ない。
 チーズは小学校の給食で初めて体験(昭和30年代後半)し、「なんだ、この腐った食べ物は!?」と驚愕した記憶があるのだが。
 漬け物といえば、キュウリとかハクサイ、あるいはナスの浅漬けと決まっていたから、「キムチ」を食べたら印象に残るはずなのに。
 いつの間にか、「キムチ」のブームはやってきたのだ。

 もちろん、「キムチ」は韓国の代名詞になるほどで、今や日本の食卓にもしばしば登場する食べ物だ。
 韓国では秋の終わりごろひと冬食べる分の「キムチ」をまとめて漬ける行事「キムジャン」があって、韓国の絵本であるこの作品ではその時の様子が描かれている。
 「ソンミ」の家の裏庭の小さな家に住むねずみたちが主人公になっているのは、絵本ならでは。
 このねずみたちも、「キムチ」づくりに挑戦していく。
 ねずみにできて、我々にできないはずはない。
 この絵本を見ながら、本場韓国の「キムチ」づくりをやってみるのも楽しそう。
 つまり、この作品は絵本として楽しむだけでなく、料理の愉しみも味わえるようになっている。

 ちなみにこの絵本ではハクサイを使った「キムチ」の作り方が紹介されているが、たくさんの種類の「キムチ」が紹介されている。
 大根、キュウリ、芥子葉。とさまざま。
 韓国に行けば、目からウロコの「キムチ」のオンパレードが体験でsきる。

 この絵本は韓国の作品で、絵を担当しているのも韓国の人だが、どこか欧米風なのが面白い。
 「キムチ」という代表的な韓国料理を紹介しながら、お父さんもお母さんもシャレている。
 もっとも韓国だから、民族衣装のチマチョゴリを着ていないといけないというわけではない。
 「キムチ」が日本の食卓で普通に食べられるように、服装とか文学とかいったものも日本と韓国の間でもっと交流ができればいいに、きまっている。
  
(2013/11/017 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  父を亡くすのも
  母を亡くすのも
  子どもにとって悲しい。
  そんな気持ちを文章にするのは
  難しいが、
  よしもとばななさんは見事に
  表現してくれました。
  それが今日紹介するエッセイ集
  『すばらしい日々』です。
  書評の中にも
  いくつか心にとめておきたい文章を
  引用してきましたが、
  そのほかにも
  子どもとの関係を描いた文章の中に
  こんな言葉もありました。

   信じると期待は違う、そう思う。  「すこやかに」より

  これもいい文章ですね。
  私たちはつい子どもたちに過度の期待を
  してしまいます。
  信じることを忘れて。
  題名どおり
  いいエッセイ集です。

  じゃあ、読もう。

すばらしい日々すばらしい日々
(2013/10/24)
よしもとばなな

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sai.wingpen  賛歌                   

 表紙の写真に写っているのは、よしもとばななの父吉本隆明が亡くなる直前まで付けていた血糖値の記録をメモした手帳である。
 毎日指先から採血して血糖値を計ったという。
 写真でもわかるように、その血が手帳のいたるところに付いている。
 その手帳を姉から譲り受けたよしもとばななは「血まみれの手帳」と題したエッセイの中で、「どんな教えよりもはっきりと、父が最後まであきらめなかったことが伝わってきて、泣けてきた」と書いている。
 よしもとばななのいいところはそういう感傷だけに終わるのではなく、先の文章に続けてこう書けることだ。
 「このように無益であっても、人は生き続ける。記録し続ける」。

 このエッセイ集には父と母の死に向き合った日々、あるいは若くして亡くなっていった友の姿など、死の影が濃厚に漂っている。しかも、四十代後半を迎え、よしもと自身が老いを意識し始めたものもある。
 しかし、先の父の「血まみれの手帳」の文章のように、よしもとはけっして死を畏れていない。常にそれは生の輝きとともにあるといえる。
 父を見舞いに病院の階段をのぼるとき、「いつも逃げ出したかった」と書くそのあとで、「でも、逃げちゃいけないと思った」と続ける強さこそ、彼女の魅力といっていい。
 「なんの希望もないのに逃げないということ」で、「自分が死ぬとき」にも逃げないでいられると、書く。
それにしても吉本隆明は娘ばななに、死の間際でさえ、無言のうちに生きる意味を教えていたことになる。
 父とはなんと偉大だろう。

 生きるということは青々と茂る時もあれば紅く色づき葉を落とす季節もある。育ててくれた老木もいつか朽ちる。やがて、自分という木もまた老いていく。
 それでも、生きていく限り、幹に流れる命がある限り、人は人として生きる。
 たとえ一つひとつが小さなエッセイであれ、よしもとばななはそんな命を愛おしみ、励まし続ける文章をくれた。
 「ほんとうに、なんでもなく暮らしていることこそがすばらしい」とよしもとばななは、この本の最後のエッセイ「歳をとる」に書いた。
 この小さなエッセイ集こそ、賛歌だ。
  
(2013/11/16 投稿)

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  これはたまたまなんですが
  昨日新直木賞作家桜木紫乃さんの
  『蛇行する月』を
  紹介しましたが
  今日は桜木紫乃さんと同じように
  第149回芥川賞を受賞した
  藤野可織さんの『おはなしして子ちゃん』を
  紹介します。
  新しい受賞作家の競作みたいに
  なりましたね。
  昨日は桜木紫乃さんの『蛇行する月』を
  受賞作以上と書きましたが
  藤野可織さんの方は
  受賞作『爪と目』の方が
  私にはよかった。
  でも、きっとこの『おはなしして子ちゃん』という
  短編集の方が好き、
  っていう読者もいるだろうな。
  これは好みの問題。
  このあたりの作風をつききれば
  藤野可織さんも川上弘美さんのように
  なるのではと
  期待しています。

  じゃあ、読もう。

おはなしして子ちゃんおはなしして子ちゃん
(2013/09/27)
藤野 可織

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sai.wingpen  言葉で視覚を刺激する作品集                   

 「怖いものは美しい」。
 これは第149回芥川賞を受賞した藤野可織が受賞の記者会見の際に口にした言葉で、確か受賞作が掲載された「文藝春秋」の広告にも使われていたと思う。
 このことについて、藤野は受賞者インタビュー(「文藝春秋」9月号)で「人に強い印象を与えるものや、感情にある種の刺激を与えるものは、すべて、美しいのでは」と語っている。
 授賞作『爪と目』でも、主人公から「あなた」と呼ばれる継母の目の捉え方は「人に強い印象」を与えた。
受賞後に刊行されたこの短編集では、さらに怖さは増殖している。

 どのように「美」を表現するかは、さまざまな芸術で試され、今も果てしなく追及されている。
 それは単にデザインや絵画といった視覚に求められるものだけではなく、文学の世界でもそうだ。
 物語性を壊しても、「美」とは何かを追い求めることがあっても構わない。それほどまでに人間は「美」を追求してきたのだ。
 新芥川賞作家によるこの短編集もそうである。
 収録されている10の短編に現実性とか物語性を求めてはいけない。日常にはないもの、どちらかといえば夢に近いものだからこそ、藤野が志向するのは、「美」のありようだといえる。
 言葉で視覚を刺激する作品といってもいいだろう。

 表題作にもなった「おはなしして子ちゃん」は藤野自身が小学生の頃に体験したいじめが影響した作品だ。
 友達に苛められる小川さんを「不気味な場所」である理科準備室に閉じ込めた私。そこにはホルマリン漬けされたさまざまなものがある。中でも猿の標本の怖さは尋常ではない。そんな準備室に一晩閉じ込められた小川さんは誰のせいと告発することもなかったが、ある日、逆に私を閉じ込めてしまう。
 そんな私に「話して」と標本びんの中の猿が話しかける。夢中で話をする私。さらにねだる猿。ついに猿は標本びんから抜け出して、私に話を迫る。

 現実にはありえない物語だが、もしかするとそれはどこかに潜んでいるかもしれない世界。
 時には文体を変えながら、そういう世界を藤野は紡ぎだしていく。
 それは藤野の、「美」へのこだわりともいえるし、「美」の追求ともいえる。
 これから、藤野はどんな世界を描いてくれるだろうか。
  
(2013/11/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  この夏、第149回直木賞を受賞した
  桜木紫乃さんの新しい作品
  『蛇行する月』を紹介します。
  この作品も連作短編集といえるでしょうが
  私の評価では受賞作の『ホテルローヤル』より
  数段いいですね。
  受賞作ということで
  『ホテルローヤル』を読んだ人も
  多いでしょうが
  せっかくだから
  この『蛇行する月』も
  読んでみて下さい。
  きっと桜木紫乃さんの巧さに
  しびれますよ。
  しかも、
  できれば女性に読んでもらいたい。
  女性の幸せと向き合った作品だから。
  いい作品を
  読ませて頂きました。

  じゃあ、読もう。

蛇行する月蛇行する月
(2013/10/16)
桜木 紫乃

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sai.wingpen  直木賞受賞作以上の出来栄え                   

 直木賞の選考委員の一人桐野夏生さんは桜木紫乃さんの作品を評して、「若干気になったのは、うま過ぎること」と書いていた。
 桐野さんは「よく滑って引っかかりがない」ことを心配している。
 言い換えれば、選考委員が気になるほど、桜木さんは巧い書き手だということだ。
 高校を出て就職をした和菓子屋の、親子ほども年の離れた男を愛し、妊娠し、男とともに東京へと駆け落ちをしていった順子という女性を核にして、彼女の周辺の女性たち、それは同級生だったり男の妻であったり順子の母であったりする、を描いた連作短編集のこの作品は、直木賞を受賞した『ホテルローヤル』よりも数段読ませる作品に仕上がっている。

 『ホテルローヤル』でもそうだが、この作品でも時間軸がうまく作用している。
 ここでは、最初の短編が「1984年」の順子を描き出し、順をおって、最後の作品の「2009年」まで、6つの短編がその時代時代の順子をあぶりだしていく。
 最後の作品ではおそらく40歳を過ぎた順子は、病に冒され、死の間際にいる。
 つまり、この作品は、順子の周辺の女たちを描きながら、男と駆け落ちをし、東京の郊外で小さな中華料理店を営み、息子は目に障害をもち、見た目には年以上に老けたしまった女性の、それでも「幸福」だという、一生をたどっていく。
 同時に、人の幸せとは何かという根源的な問いに向き合っている。

 順子の周辺の女性、例えばかつて順子が想いを寄せた現国の教師と結婚しようとしている同級生、看護師としてそれなりの経験と地位を得た同級生、順子に夫をとられた形になった老舗和菓子屋の女主人、などとくらべて、順子は不幸であるなんて誰がいえるだろう。
 もしかすると、順子は身なりこそ貧しいものであったとしても、「幸福」は彼女の側にあったのではないか。
 そもそも「幸福」とは何だというのか。

 桜木さんのこの作品はうま過ぎる。
 けれど、桐野さんが心配するような「「引っかかり」がない作品ではない。
 作品の最後に桜木さんが書きとめたように、「曲りながら、ひたむきに河口へ向かう」一本の暗い川のような作品である。
  
(2013/11/14 投稿)

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 さいたま市図書館協議会委員に任命されちゃいました。

 昨日(11.12)新しい委員による初会合があって
 そこで委嘱状を頂きました。
 さいたま市図書館協議会は15名の委員によって
 構成されています。
 そのうち、3名の委員を公募で選びます。
 私はその3名の公募委員の一人で選ばれました。

 公募ですから
 厳正な? 審査を突破したかどうかはわかりませんが
 履歴書とか小論文を提出しました。
 まさか履歴書に貼った顔写真が選考基準だったということは
 ないと思います、絶対。

 ところで、図書館協議会って何をする機関かというと

   図書館の運営に関し館長の諮問に応ずるとともに、
   図書館の行う図書館奉仕につき、
   館長に対し意見を述べる機関

 と、「図書館法」の第14条に定めれています。
 すごーい。
 って、感心している場合ではないですね。
 さいたま市の図書館が市民に愛されるように
 よく見ていかないといけないんですよね。

 ちなみにさいたま市には24の図書館があります。
 さすが政令指定都市、さいたま市。
 本を読む環境としては
 充実しています。
 貸出数は、1050万点というからすごいですね。
 人口一人あたりにすると、8.5点で
 これは政令指定都市の中でも一番らしい。
 さいたま市の人は
 たくさん本を読むのですね。
 それも図書館が充実しているからだともいえます。
 図書館が充実して
 本を読む人が増える。
 図書館がきっかけになって
 本を読む人が増える。
 それってとてもいいことです。

 さいたま市に住んでよかった。
 たくさんの人にそう言ってもらえるように
 図書館協議会委員としてお役に立てればと
 思います。

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 日記の習慣は今はありませんが、
 中学生の頃に何年か書いていたことがあります。
 感傷にまかせて燃やしてしまったのですが、
 青春ドラマによくあるじゃないですか、たき火にポンと投げ出すみたいな、
 そういうわけで今は手元にないのですが
 その日記の表紙につけたタイトルが
 「あしたのために」、
 もちろんこれは梶原一騎さんとちばてつやさんの名作『あしたのジョー』に出てきた
 フレーズで、
 おまけに少年マガジンからジョーの絵を切りとって貼っていました。
 うーん。
 思い出すだけで、純な中学生だったこと。
 それから、幾星霜。
 実はまだ我が家には「あしたのジョー」のポスターが貼ってある。
 もちろん、「あしたのジョー」全巻、本棚に並んでいる。

 そんな私が飛びついたのが
 「あしたのジョー 大解剖」(三栄書房・752円)。
 これがすごい。
 まず、表紙。
 そうです、あのラストシーンのジョーの姿が惜しげもなく。
 その横に、赤字で「ジョー、ふたたび!」。
 もうたまらんです。
 裏表紙をお見せできないのが残念ですが、
 こちらは宿命のライバル力石徹。
 鼻血、ブー、です。(ちょっと古いけど)

あしたのジョー大解剖 (SAN-EI MOOK)あしたのジョー大解剖 (SAN-EI MOOK)
(2013/10/31)
不明

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 まず始めにリード文を紹介しておきますね。
 これが、また、いい。

   『あしたのジョー』は週刊少年マガジン誌上にて
   1968年(昭和48年)1月1日から連載スタート。
   当初から絶大なる人気を博し、
   1973年(昭和48年)5月13日号にて
   伝説のあのラストシーンとともに最終回を迎えた。
   すでに完結から今年で40年。

 そうなんです、この雑誌は

  連載終了40周年記念 完全保存版

 なのです。

 中身がまたすごい。
 章立てはボクシング形式に「ラウンド1」とか「ラウンド2」とかなっているのも
 こ憎たらしいほどの目配り。
 この雑誌の編集者のこだわりがたまりません。

  R(ラウンド)1   カラー画集 美しきジョーの世界
  R2         あしたのジョー早読みガイド
  R3         初代担当編集者・宮原照夫インタビュー
 少し飛ばして
  R7         名場面&名言集!!
  R8         宿命のライバル 力石徹
 また飛ばして
  R15        原画で読む最終話 ジョーよ、永遠に!

 最後のラウンドは表紙の惹句の方がいいから書いちゃいますね。

   本邦初公開! 原画で読む!!感涙の最終話全20ページ!

 わあー、たまりません。
 鼻血がとまりません。

 しかも、この雑誌には
 梶原一騎さんの直筆原作原稿とちばてつやさんの漫画を比べるという
 驚愕ものの付録までついているのです。
 もうこの雑誌、死ぬまで手離しませんよ。

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から2年8ヶ月。

  そんな日に紹介するのは
  『遺体』という衝撃的な書名の
  ノンフィクション作品です。
  作者は石井光太さん。
  東日本大震災の犠牲者数は15千人強。
  まだ行方不明の方もおられます。
  その後の心労や過労で亡くなった関連死で亡くなった人も3千人ほど
  おられます。
  あらためて被害の大きさを感じます。
  その直前、次々と運びこまれてくる遺体と
  向き合った人たちの
  これは記録です。
  著者の石井光太さんは
  「取材を終えて」というあとがきに
  こんな文章を残しています。
  
    復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。
    人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように
    背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。

  この作品で描かれた人々も
  そんな決意を固めた人たちです。
  東日本大震災を忘れないためにも
  一度は読んでおきたい一冊です。

  じゃあ、読もう。
  
遺体―震災、津波の果てに遺体―震災、津波の果てに
(2011/10)
石井 光太

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sai.wingpen  つらいけれど、貴重な読書体験                   

 つらい読書でした。
 けれど、読書ならつらいと思えばそこでページを閉じることができます。でも、この本に書かれているのは、つらいといってそこで終えることができなかった人たちの姿です。
 読むのはつらくなりましたが、途中でページを閉じなかったのは彼らのがんばっている姿があったからだと思います。
 本の中の人々の姿に救われる。
 それは貴重な体験でもありました。

 2011年3月11日。東日本大震災があった日のことを誰もが忘れていないと思います。東北での大きな犠牲。福島原発事故による避難生活。
 それはさまざまな報道によって私たちに伝えられました。
 けれど、それは生き残った人たちのものです。犠牲になった人たちは自分たちの苦しみや悲しみを口にすることはありませんでした。
 生き残った人たちは、だから、彼らの声を聞きたいとどんなに思ったことでしょう。
 この本は釜石市の津波で犠牲となった「遺体」の処置の記録です。
 緊急の「遺体安置所」となった閉校された中学校の体育館。そこで「遺体」と向き合う、医師や歯科医。震災前は市役所の職員だった人が被災現場から「遺体」を安置所に移す仕事をする。町の消防団の人たちが火葬のできる遠方の地まで運ぶ仕事に従事する。
 震災がなければ、彼らの生活もまったくちがったものだったはずです。

 釜石市はけっして小さな街ではありませんが、彼らは当然親しい人の「遺体」にも出あいます。
 けれど、彼らはけっして手を休めることはありませんでした。自分たちの悲しみよりももっと深いものがそこに あったからです。
 市の職員でありながら「遺体」を運ぶ任務が与えられた男性はこう述懐しています。
 「僕はたまたま津波の被害に遭わずに生き残ることができた。(中略)だからこそ、犠牲者のために何かをやってあげたい気がする」。

 「遺体」の多くは遺族の元に届けられました。けれど、身元がわからない「遺体」も多くありました。それは今もあります。
 東日本大震災が残したものを私たちはいつまでも忘れてはいけないのです。どこにも還る「遺体」がある限り。
 この本を読むのはつらかったですが、あらためて、あの日と、あの日につづく日々の重さを実感できた、いい読書でもありました。
  
(2013/11/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  11月の中旬にさしかかって
  朝晩が冷たい季節になってきました。
  そろそろコートの準備ですよね。
  そうなると、
  鍋がおいしい季節になります。
  うどんすき、水炊き、キムチ鍋、おでん…。
  毎日鍋でもいいかな。
  そこで登場するのが、
  はくさい。
  はくさい無くして、鍋料理はないんじゃないかな。
  そんな季節にぴったりの絵本を
  今日は紹介します。
  くどうなおこさんの『ちいさな はくさい』。
  絵本の面白さは
  それぞれの季節にあった
  絵本に出会えることでもあります。
  せっかく鍋のおいしい季節なんですから
  子どもたちとこの絵本を読みながら
  鍋の準備もするのも
  また楽しいかもしれませんね。

    白菜を軒に並べて農閑か  矢頭萩花

  じゃあ、読もう。

ちいさな はくさい (にじいろえほん)ちいさな はくさい (にじいろえほん)
(2013/04/22)
くどう なおこ

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sai.wingpen  今夜は鍋にしようかな                   

 白菜といえば、冬野菜の王様といっていいでしょう。
 鍋によし、漬物によし。
 ずっしりとしたひと球なんかがスーパーの店頭に並んでいようものなら、「お、今夜は鍋か」って誰もが思ってしまいます。
 そんな白菜だって主人公になってしまうのが、絵本の面白さです。

 白菜を育てるには8月中旬から下旬にかけてが種まきの時期だといいます。
 だから、「おかのうえにぽつんとたっている」柿の木が畑一面の白菜の双葉を見ているのは、正しい知識です。
さすが、『のはらうた』でたくさんの植物をうたってきた詩人の工藤直子さん(この絵本では、ひらがな表記のくどうなおこです)らしい視点です。
 小さな植物であっても、それが詩のような創作であっても、嘘はいけない。
 工藤さんの心根を感じます。

 柿の実が熟する頃、白菜はどんどん大きくなります。
 12月には大きく育った白菜から順次収穫ができます。そして、私たちの食卓へと運び出されていくのです。
 でも、かわいそうに「ちいさなはくさい」は、なかなかトラックに乗せてもらえません。
 人間の世界でいえば、「落ちこぼれ」でしょうか。
 一生懸命大きくなろうとする「ちいさなはくさい」ですが、どうしても大きくなりません。
 やがて、霜が降りる季節になると、麻紐で縛られことになります。これは、中の葉を傷めない工夫らしい。
 「ちいさなはくさい」もはちまきをするようになります。

 畑の白菜はみんなトラックに乗っていってしまいました。
 「ちいさなはくさい」だけが取り残されます。
 「かげえのようになった」柿の木が春までお休みといってくれました。
 春になったら、「ぐんぐんおおきくなるよ」と、柿の木は教えてくれます。
 「たくさんのゆきのよると こおりのあさがすぎて」(なんていう、美しい言葉でしょう。この絵本の工藤さんの文章に心打たれます)、「ちいさなはくさい」は「くきをのばし てっぺんにきんいろのかんむりのようなはな」を咲かせています。

 「落ちこぼれ」だった「ちいさなはくさい」は、きっと他の白菜が味わえなかった季節を知るのです。
 保手浜孝さん(この絵本ではほてはまたかし)の絵が日本の季節を見事に表現している、この季節にぴったりの絵本です。
  
(2013/11/10 投稿)

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  今日は手塚治虫さんの
  『火の鳥』シリーズの4巻め
  「鳳凰編」を紹介します。
  「鳳凰」というのは
  火の鳥のこと。
  英語でいえば、
  フェニックスになるのかな。
  日本語では不死鳥とも呼ばれています。
  つまり、不老不死というのは
  洋の東西を問わず
  人間が常に追い求めたものだったのでしょうね。
  それを
  鳥で表現したのも不思議と同じ。
  多分最近の人は
  手塚治虫さんの漫画があるから
  イメージしやすいでしょうね。
  昔の人には
  それがなかったから
  「鳳凰」といわれてもピンとこなかったはず。
  もしかして、
  神輿のてっぺんに付いていた飾りで
  わかったかも。

  じゃあ、読もう。

火の鳥 (4) (角川文庫)火の鳥 (4) (角川文庫)
(1992/12)
手塚 治虫

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sai.wingpen  シリーズ屈指の名編                   

 「なんと、立派な平城京」、なんていう語呂あわせで平城京の遷都の年710年を覚えて人もいるだろうが、奈良東大寺の大仏が建立された752年はどうやって覚えただろう。
 日本史が苦手だという人はこの時代の人々の名前が覚えにくかったという経験はないだろうか。
 そんな奈良時代が、手塚治虫の『火の鳥』第四巻、「鳳凰編」の舞台である。

 『火の鳥』シリーズの中でもこの作品は屈指の出来といっていい。
 物語の重厚さ、絵の魅力、どれをとっても手塚の魅力があふれている作品だ。
 何よりも我王という主人公がいい。造形は『火の鳥』シリーズで重要な役どころを常に演じる醜く大きな鼻をもつ猿田だが、この編では我王と名づけられている。
 我王は生まれてすぐに大けがを負い片腕で育った乱暴な青年。人を殺めることも平気で、ある日偶然すれ違った都の仏師茜丸の利き腕を使えないようにすることにも罪の意識はない。
 そんな我王のあとを追う妖しい美少女、速魚。実は、彼女は乱暴者の我王がかつて助けたてんとう虫の化身なのだが、我王はそのことに気づかないまま、彼女さえ殺めてしまう。
 一方、茜丸はその後、左手のみで技術を高め、仏師としての評判を高めていく。
 やがて、その評判から時の権力者に鳳凰(つまり「火の鳥」)を彫ることも求められる。

 罪の意識に目覚め、命の業の深さに打ちのめされる我王は片手で仏を彫ることを覚える。
 名声により大仏建立の実行者までになっていく茜丸。
 互いの運命に導かれるようにして交差していく二人。
 「火の鳥」は茜丸の物語に語られるが、それがいきていくのは我王の過酷な人生があるからだ。
 二人の命は縦糸と横糸であり、それによって織られたものは華麗であるが深く生命の意味を問いかけてくる。
 さらには権力者たちの横暴、飢饉にさまよう貧しい人々、あるいはてんとう虫の化身である速魚や茜丸を慕うブチという娘。いや、大仏さえも、一幅の布絵の糸だ。

 『火の鳥』という大きな宇宙は終わることがない。
  
(2013/11/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  書評の中でも紹介しましたが
  10月25日に亡くなった
  作詞家岩谷時子さんを追悼する
  日本経済新聞のコラム「春秋」は
  いい内容でした。
  きっと私より少し上の世代の記者が
  書いたのではないかな。
  思い入れがとてもあったから。
  そこで
  岩谷時子さんの本を探して
  手にしたのが
  『人生はすぎゆく』です。
  1993年発行の
  自選の歌詞集です。
  書評の中にも
  たくさんの曲名を書きましたが
  実際にこの本で紹介されているのは
  もっともっとあります。
  全部を紹介できないのが
  悔しいくらい。
  それくらい
  岩谷時子さんの作品は
  印象に残っています。

  岩谷時子さんの
  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

*岩谷時子「人生はすぎゆく」*岩谷時子「人生はすぎゆく」
(1998/12/10)
岩谷 時子

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sai.wingpen  追悼・岩谷時子さん - 詩人が死んだ時                   

 「ゴジラ」が子どもたちのヒーローになりつつあった昭和40年代初め、若者たちは加山雄三さんの「若大将」シリーズに熱中していた。
 「ハワイの若大将」(1963年)「エレキの若大将」(1965年)「アルプスの若大将」(1966年)といった作品で、加山演じる若大将が歌った多くの歌もまた大ヒットとなった。
 作曲を担当した弾厚作が加山の別名だと知った時、その才能の豊かさこそ「若大将」と呼ばれる所以だと、幼いながらも感心したものだ。
 そして、それらのヒット作の作詞のほとんどが作詞家岩谷時子の手によるものだ。
 岩谷が自ら選んだ歌詞集であるこの本の第二章「海のある風景」には、加山と組んだ多くの作品が収められている。
 「君といつまでも」、「夜空の星」、「お嫁においで」、「蒼い星くず」、そして「旅人よ」。
 いつの間にか、これらの歌を口ずさんでいる。
 歌詞を見ながら、今でも歌えることが不思議なくらいだった。

 10月25日、97歳で亡くなった岩谷時子さんを追悼する日本経済新聞のコラム「春秋」は、「岩谷さんの訃報には「戦後は遠くなりにけり」の一言を添えておきたい」という一文で終わっていた。
 岩谷さんが活躍した昭和30年から40年は思えば、まだ戦後だったかもしれない。そんな時代に越路吹雪さんと組んでフランスの匂いをいっぱい持った作品をは発表する。
 そして、高度成長期にはいる頃、加山雄三と組んで先にあげた名曲を次々と書いた。
 それだけではない。
 「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)、「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナッツ)、「逢いたくて逢いたくて」園まり、「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)といったヒットの数々。
 あの時代の歌そのものを岩谷さんがけん引したといえる。

 この詩集を手にしてさらに驚いたのは、「♪大きな空に 梯子をかけて」で始まる青春ドラマ「これが青春だ」の主題歌もスポ根(若い人のために注釈をいれると、スポーツ根性)ドラマとして大ヒットした「サインはV」の主題歌も、岩谷さんの作品だということだ。
 あの時代、私たちが口づんでいた多くの歌が岩谷さんの作詞だった。

 「詩人が死んだ時/世界の 世界の/人達が泣いた」。
 越路吹雪さんが岩谷さんが亡くなった時に歌ってあげると約束した「詩人が死んだ時」の、これは一節である
  
(2013/11/08 投稿)

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  今日は立冬
  
    海辺の町両手をひろげ冬が来る   岡本眸

  冬といえばコートの襟を立てる姿を
  思い浮かべますが
  そんなイメージもどこか昭和めいて
  聞こえるかしらん。
  今日は
  先日訃報が届いた連城三紀彦さんの
  直木賞受賞作恋文』を
  書きます。
  私はけっして連城三紀彦さんのファンでも
  なかったし、
  多分読んだ作品は
  この『恋文』だけですが
  なんだかその訃報は
  残念で仕方がありませんでした。
  昔読んだ作品の余韻だったのかも
  しれません。
  それほどに
  この『恋文』は
  切ない恋の物語です。
  五つの短編が収まっていますが、
  私の好きなのは
  「私の叔父さん」です。

  連城三紀彦さんの
  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

恋文 (新潮文庫)恋文 (新潮文庫)
(1987/08)
連城 三紀彦

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sai.wingpen  追悼・連城三紀彦さん - 「恋文」が切なかった時代                   

 第91回直木賞受賞作。(1984年)
 10月19日、直木賞作家の連城三紀彦さんが亡くなった。
 早稲田大学時代から小説を書き始めたという連城さんはミステリー小説でも人気作家であったが、直木賞を受賞したこの短編集は恋愛小説の名品である。
 この時の選考委員からは「推理をはなれて、人間を描くところにこの人の世界はもっともっとひらけるだろう」(水上勉委員)や「殺人がなく、はたして、格段に良くなったことを喜びたい」(山口瞳委員)といったように、ミステリー作家としての資質よりもこの方面の作品が高く評価されているが、連城さんにとってはどうだったのであろうか。

 表題作となった「恋文」は、年下の夫将一からある日突然家を出ると宣告された郷子の切ない心を描く恋愛小説である。
 ネット社会で育った現代の若者には「恋文」はあまり実感のわかない言葉かもしれないが、昭和の時代にはこの言葉だけでほんのりと胸が熱くなるものがある。
 この短編集は発表当時に読んだ記憶があるが、きっとこの題名に魅かれたところが大きい。今はなかなかこう率直に書けないだろう。

 「恋文」だが、将一にはかつて想いを寄せていた女性がいた。その女性が余命いくばくもない病に冒されているという。だから、家を出る、という夫。郷子はついそれを許してしまう。
 さらに、結婚までしたいという。さすがにためらう郷子だが、あらためて将一との日々をふりかえることになる。そして、決心して将一に送る「離婚届」というラブレター。
 その他の作品、「紅き唇」も「十三年めの子守唄」も「ピエロ」も「私の叔父さん」も、連城さんから読者に送られた「恋文」だったと思う。
 そして、何よりも連城さん自身にあてた思いだったのではないか。

 この回の選考では、渡辺淳一委員が「一段抜きんでていた」というように、ほとんどの委員が連城さんの作品を推している。
 「どの作品にも男の優しさがにじみ出ていて、この人生の機微をよく描き出している」と評価したのは源氏鶏太委員だが、男の優しさとは照れにもつながる。

 連城さんはその後半生ガンとの闘いだったという。
 もしかしたら、連城さんは本当の「恋文」を持ったまま、逝ってしまったのかもしれない。
  
(2013/11/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は丸谷才一さんの
  『別れの挨拶』を紹介します。
  書評の最後に
  丸谷才一さんの俳句のことを
  少し書き足したのですが
  これは11月4日の朝日新聞朝刊の
  俳句欄で
  俳人の長谷川櫂さんが
  丸谷才一さんの俳句のことを
  書いていたことを
  思い出したから。
  長谷川櫂さんは
  丸谷才一さんのことを
  「人を傷つけるということがなかった」と
  書いています。
  それが丸谷才一さんの俳句にも
  よく出ていると。
  そのコラムのおわりに
  長谷川櫂さんは
  「小説家諸氏よ、俳句を詠まれたし」と
  締めくくっている。
  長谷川櫂さんが選んだ
  丸谷才一さんの冬の句がこちら。

   ふるさと富士北から順に眠りだす

  さすが、丸谷才一さん。

  じゃあ、読もう。

別れの挨拶別れの挨拶
(2013/10/04)
丸谷 才一

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sai.wingpen  「あいさつ」を漢字で書くと                   

 「あいさつ」って、漢字で書けますか。
 小さい頃に兄からこの漢字の書き方を教わったことがあります。まず、二つの漢字とも「手」偏だということを覚えますしょう。「あいさつ」は握手しますからね。
 次に、「ム・ヤ・サン・ユウ」という呪文です。「ム・矢・三(これは横に倒して)・夕」です。
 ほうら、「挨拶」に漢字変換できたでしょ。
 小さい頃に覚えてことって、妙に記憶に残っています。

 2012年10月に亡くなった作家・書評家の丸谷才一さんの、2010年9月以降に発表された文章を中心に編まれた「最後の文集」です。
 この本の中に和田誠さんを論じた「ルネサンス人をたたえる」という文章がありますが、それは和田誠さんというのは単にイラストレーターという業績だけではなくたくさんの得意があってそれが「ルネサンス人」に匹敵するという人物論ですが、丸谷さんこそその名に値するのではないでしょうか。
 この文集に収められた内容を見ると一目瞭然。
 文芸評論あり、作家論あり、日本語論あり、詩歌論あり、当然書評もあります。
 最後は「挨拶」の数篇。
 結婚式とかパーティで行われる「挨拶」の文化を高めたのは、丸谷さんであることは間違いありません。

 それほどに丸谷さんの活躍した場は広い。
 そういう活動とか作家としての実績を認められて2011年には文化勲章を受章した訳ですが、その際「お礼言上」というものもした。宮内庁から頂いた「御礼言上書」の書き直しまでしてしまうくらい。
 その原稿が「御礼言上書を書き直す」という文章に載っているが、比較をすると丸谷さんが何にこだわっていたかがよくわかります。
 文章はわかりやすく。
 それが丸谷さんの小説だけでなく、文章の基本となっています。
 丸谷さんの文章を読むのが心地いいのはそれもあるし、実にリズムもいい。
 読んでいるだけで気持ちよくなる書き手なんて、そうそうにはいないだろうなあ。

 いそいで追記しておくと、丸谷さんは俳人でもあって、この文集の中にもこっそり自身の句がはいっていたりする。
 「桜桃の茎をしをりに文庫本」。
 俳句にも味わいがあります。
  
(2013/11/06 投稿)

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 先月のおわり、日本経済新聞社から
 日経文芸文庫が創刊されました。
 キャッチフレーズは

   読む! 大人のエンターテイメント

 創刊時は一挙に20冊の刊行です。
 そのラインナップを紹介すれば
 隆慶一郎さんの『花と火の帝』のようなベストセラーがあったり、
 村上龍さんの『カンブリア宮殿 村上龍の質問箱』があったり、
 海外ミステリーの『情況証拠』があったり、
 そしてもちろん、日経新聞の人気連載記事「私の履歴書」からは
 遠藤周作さんの『落第坊主の履歴書』とか
 松下幸之助さんの『夢を育てる』とか、
 さすがに豪華。

松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書 (日経文芸文庫)松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書 (日経文芸文庫)
(2013/10/25)
松下 幸之助

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 「日経文芸文庫 刊行に際して」というメッセージの中に
 こうあります。

   極上の娯楽と優れた知性、そして世界を変えた偉大なる人物の物語。
   私たちが考える「文芸」は、小説を中心とする文学はもとより、
   文化・文明、芸術・芸能・学芸の魅力を広く併せ持つものです。
   すべての時代において「文芸」の中心には人間がいて、
   その人間の営みが感動と勇気を与えてくれます。

 いいでしょ。

 そもそも日経新聞には
 かつては洛陽の紙価を高めたとまでいわれた
 渡辺淳一さんの『失楽園』とか『愛の流刑地』といった新聞小説をあって
 これらは残念ながら
 他社の文庫本になってしまったくらいで
 もし「日経文芸文庫」が前からあったら
 まちがいなくラインナップにはいったでしょうね。
 惜しい。
 でも、これからはしっかりと
 自分たちの文庫で出せるのですから
 こんな強みはないですね。

 それになんといっても
 「私の履歴書」という最強の四番打者がいます。
 これまでにも文庫とかにはなっているのですが
 こういうきっちりとした舞台が与えられると
 読みやすくなるのも
 読者にとってはうれしい。
 経済人だけでなく、
 政治家や作家さまざまな世界の人々の
 「私の履歴書」が、
 これからは文庫で手軽に読めます。

 さあて、どの本から読みましょうか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は振替休日で
  お休みの人も多いでしょうね。
  そんな日は
  こんな本もいいのではと
  選んだのが、
  いせひでこさんの『プロセス』。
  いせひでこさんのファンの方なら
  泣いて喜びそうな一冊です。
  秋の日に
  色づきはじめた木々を
  遠目にみながら
  こういう本のページを
  ゆっくりめくる。
  ちょうど読書週間の真っ最中。
  なんとも
  贅沢な読書の時間。
  いい秋の日を。

  じゃあ、読もう。

いせひでこ作品集「プロセス」 (玄光社MOOK)いせひでこ作品集「プロセス」 (玄光社MOOK)
(2013/08/29)
いせ ひでこ

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sai.wingpen  魔法の手をもてただろうか                   

 今年の秋の読書週間は11月8日までですが、その標語が「本と旅する 本を旅する」。
 絵本作家のいせひでこさんの代表作ともいえる『ルリユールおじさん』のあとがきの最後に、「旅がひとつの出会いで一変する」とあって、そういえば本の旅というのはまさにそれだと思い至ることがあります。
 いせさんの作品を読むことは、「本と旅する」ことによく似ています。
 どこかに読者を連れていってくれる。
 たとえば、それは風のように。

 いせひでこさんの絵本が大好きだという読者はたくさんいます。
 『ルリユールおじさん』『大きな木のような人』『にいさん』『まつり』といった作品たち。
 水彩画のにじむような筆さばきは繊細でありながら、力強くもあります。
 少女の薄い背と大きな男の厚い胸がまるで同居している感じさえあります。
 いせさんの描く木々の葉の緑が好きだという人もいるでしょうし、それを支える太い幹の少し青みがかった茶色が好みという人もいるでしょう。
 あるいは、いせさんの詩のような文章がいいという読者もいると思います。
 それらをひっくるめて、いせさんの絵本という造形が素晴らしいという人もいます。
 とにかく、いせさんにはたくさんの読者がいます。

 そんな読者にとって。いせさんの絵本原画やタブロー、スケッチなどをあつめたこの本はたまらない一冊でしょう。
 言葉はなくても、絵はたくさんの制作過程(PROCESSUS)を見せてくれます。
 過程は魔法が生み出される種あかしでもあります。
 いせさんがこだわった線。いせさんがためらった色。いせさんが決断した表情。
 こういう過程を経て、『ルリユールおじさん』などの名作が誕生したのだと、読者はまるで遠い記憶をたどるような思いでそれらと接することになります。

 いせさんのすべてがこの本でわかるわけではないでしょう。
 しかし、ここにはいせさんの絵本が生まれるまでの、微かだけれど、確かな息ぶきがあります。
 「わたしも魔法の手をもてただろうか」。
 『ルリユールおじさん』の一節ですが、いせひでこさんは間違いなく、その手をもっていると思います。
  
(2013/11/04 投稿)

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  今日は文化の日

   菊の香よ露のひかりよ文化の日   久保田万太郎

  ということで
  今日の絵本も文化の日らしく
  詩人の長田弘さんが文を書いた
  「」。
  この「ん」という字、
  一文字で書けますから
  さまざまな形に変化できるんですよね。
  そのあたりを
  絵を担当した山村浩二さんが
  うまく描いています。
  ところで、
  皆さんは
  最後に「ん」がつく言葉
  いくついえますか?
  メロン。ごめん。パン。コイン。
  おもいつくまま
  書いてみましたが
  もちろんもっと
  たくさんあります。
  「文化の日」らしく
  「ん」三昧もおもしろいかも。
  今夜の夕ご飯は
  うどんにしますか。

  じゃあ、読もう。

ん (講談社の創作絵本シリーズ)ん (講談社の創作絵本シリーズ)
(2013/09/21)
長田 弘、山村 浩二 他

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sai.wingpen  詩人は言葉の魔術師                   

 この絵本の文を書いたのは、詩人の長田弘さんです。
 詩人というのは、言葉の魔術師のような人です。
 ポケットからハトは出しませんが、言葉でさまざまな光景を見せてくれます。
 長田さんの言葉に絵を描いたのは、イラストレーターの山村浩二さんです。
 線、それはまっすぐだったり、波線だったり、丸い線だったりですが、それだけで詩人の言葉と巧みに調和がとれています。

 「ん」は、言葉のおわり。
 では、最初はといえば、「あい」。
 私たちが習うあいうえおは、「あい」で始まって、「ん」でおわります。
 「ん」は人間でいえば、死なのかもしれませんね。
 死は悲しいことですが、死があるからいのちは輝くのです。だから、とっても大事なこと。
 「ん」も、そうです。
 この絵本のなかにこんな言葉があります。「ごめんも ごめ。/ん がなきゃ。/こまる。/ん がなきゃ。」
 私たちの生活の中にたくさんの「ん」があります。
 この絵本を読んで、そんな「ん」をさがしてみるのも面白いですよ。
 例えば、この絵本。ほうら、「ん」がついています。
 ようちえんにも「ん」があるし、かばんにも「ん」があります。うーん、(ほらここにも)ほかにないかな。

 この絵本には、長田さんからひとつ注意点(ここにも「ん」が)がついています。
 それは、「こえに だして よんでみよう。」です。
 せっかく楽しくてきれいな日本語が並んでいるのですから、声に出して読んでみましょう。
 声に出す。自分の声は耳から聞こえる。
 それだけで、きっと言葉が生き生きとしてきます。

 言ったでしょ、詩人は言葉の魔術師なんですと。
  
(2013/11/03 投稿)

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  手塚治虫さんの
  『火の鳥』シリーズです。
  前回の第2巻めから
  少し時間があいてしまいました。
  ごめんなさい。
  今回は第3巻めの
  「ヤマト編・異形編」です。
  『火の鳥』は
  何度も読んできたと書いたことが
  ありますが、
  この「異形編」は初めて読みます。
  さまざまな媒体で
  発表されてきた
  ライフワークですから
  読み落としもあるようです。
  まあ、せっかくの機会ですから
  そういう作品にも
  出会えるのも
  楽しみのひとつ。

  じゃあ、読もう。

火の鳥 (3) (角川文庫)火の鳥 (3) (角川文庫)
(1992/12)
手塚 治虫

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sai.wingpen  時間という不思議                   

 手塚治虫のライフワークともなった『火の鳥』の第三巻めは、第一巻の「黎明編」の続編ともいえる「ヤマト編」と、応仁の乱前後の戦乱期を描いた「異形編」二作を収める。
 「ヤマト編」は石舞台古墳から喚起された物語となっている。どうしてこのような形の古墳が残っているのか。手塚の推理というより、ロマンという方が正しい。
 古墳時代にはいっているヤマトの国。一方九州ではクマソが勢力を握っている。その王、川上タケルを討ちクマソ征伐に王の末の息子ヤマト・オグナが選ばれる。
 クマソの国では火の鳥が守り神として崇められている。
 そこには、「黎明編」で最後に火の山の深い穴から抜け出した青年が年老いてはいたが生存していた。
 物語は続いている。

 「火の鳥」は永遠の命をもっている。その血を飲めば、永遠の命が授かると信じられている。
「 黎明編」ではその血をめぐって多くの勇者たちが火の鳥に挑む姿が描かれたが、この「ヤマト編」では心優しいオグナに火の鳥自らその血を捧げようとする。
 オグナはそれを拒む。
 彼は今までの勇者とはちがう。死すら恐れることはない。
 自分の命とひきかけに彼は古墳とともに生き埋めとなる民のために、火の鳥の血を使おうとするのだ。
 そんなオグナに恋するクマソの王の妹カジカ。
 ラストはともに王の古墳とともに死んでいくオグナとカジカであるが、手塚らしいロマンあふれた作品に仕上がっている。

 もうひとつの「異形編」は残酷非情な武将の父親に女でありながら男として育てられた左近介。
 そういう仕掛けは手塚の代表作のひとつ『リボンの騎士』を彷彿させる。
 恋さえ禁じられた左近介はいつしか父親の死さえ願うようになり、父親の病を救おうとした尼の八百比丘尼を殺してしまう。
 彼女は死の間際、左近介に時間が逆行する場所から抜け出せないことを予言する。
 その言葉の通り、左近介は不思議な空間に取り残され、いつしか自分が若い八百比丘尼になっていることに気づく。
 「異形」とは不思議な治癒能力をもった八百比丘尼のもとを訪れる妖怪たちのこと。
 彼女はすべての生きとし生けるものを治癒することを火の鳥を約束したのだ。
 ここでは、時間は閉じられたままだ。
 左近介がなった八百比丘尼は、新たな左近介に殺され、新たな左近介もまた八百比丘尼になって。

 『火の鳥』全体が大きな時間の輪の中にあって、この中編は独自の時間の小さな渦を描いている。
  
(2013/11/02 投稿)

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  早いもので(という言い方は月並みですね)
  今日から11月

   風紋をつくる風立ち暮れの秋  鈴木真砂女

  都会ではこれから秋本番ですが
  俳句の世界では
  もう秋も末の季節感です。
  今日は
  重松清さんの『ゼツメツ少年』という
  長編小説を紹介します。
  結構深刻な物語です。
  最近重松清さんの表紙には
  杉田比呂美さんの
  絵が使われることが多いような気が
  します。
  きっと相性がいいのでしょうね。
  この作品では
  かつての重松作品の登場人物たちが多く
  でているようですが、
  私はわかりませんでした。
  重松清ファンの方には
  たまらないかも。

  じゃあ、読もう。

   
ゼツメツ少年ゼツメツ少年
(2013/09/20)
重松 清

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sai.wingpen  想像力は希望                   

 「物語」とはなんだろうと考えることがある。
 辞書で調べると、「さまざまの事柄について話すこと。語り合うこと。また、その内容」と、実にそっけない。
もっとちがったものが、「物語」の中にはある。
 喜びとか悲しみとか、悔しさとか諦めとか。
 そういった諸々の事柄と向き合っていくことが、「物語」ではないだろうか。
 私たちが本を手にする時、そんな「物語」に出会いたくて、ページを開く。そして、活字の森にはいっていくのだと思う。
 主人公たちのそばに、読者である自身が必ずいる。
 励ますこともできないし、助けることもない。けれど、主人公たちと一緒に笑ったり、泣いたり、悔しがったりはできる。
 そんなふうにして、「物語」は読者にはいっていくような気がする。

 優秀な兄と何かにつけ比べられるタケシは中学二年生。しかも、その兄からは見えないところで酷い仕打ちを受けている。
 そんなタケシから小説家のセンセイに手紙が届く。そこには「僕たちを助けてください」「僕たちはゼツメツしてしまいます」と書かれている。
 「僕たち」。タケシのほかに、イジメにあっている友人を助けたせいで逆にイジメにあっている小学五年生のリュウと両親が幼い頃に亡くなった姉を溺愛するあまり自分の居場所を失ったジュン。彼女も小学五年生。
 二人の少年と一人の少女は化石発見の体験教室で出会う。
 タケシがいう「ゼツメツ」とは何だろう。
 絶滅。かつて恐竜たちがそうであったように生きる場所を失ったものたちは絶滅するしかない。けれど、その絶滅から逃れようとクジラの祖先は勇気を出して海に救いを求めたという。
 少年たちも同じように救いを求めて、家を出る。

 重松清はこれまでにもイジメの問題や家族のありかたを「物語」にしてきた。
 この長編小説ではそれらの物語の登場人物も描かれ、「物語」は「物語」の中をさまようような不思議な描き方をしている。
 「大事なのは想像力」という言葉が度々作中にでてくる。
 「物語」を実際に動かすのは、読者でしかない。
 その時、私たちはそこに何を見、何に涙するだろう。

 「想像力は希望」。
 重松清の熱いメッセージがあふれる作品である。
  
(2013/11/01 投稿)

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