プレゼント 書評こぼれ話

  今日はよしもとばななさんの新作
  『花のベッドでひるねして』を
  紹介します。
  今週は朝日新聞のネタが多くて
  讀賣新聞や産経新聞、毎日新聞の愛読者には
  申し訳ないのですが
  今日も朝日新聞から。
  1月26日の朝日新聞求人欄に、
  この欄は結構読みます、
  よしもとばななさんのインタビューが
  掲載されていて、
  やっと今日の本につながりました、
  その中でよしもとばななさんは
  こんなことを話しています。

   私が同じ時代に生きて書いていることで
   救われるという人のために書いてきています。

  よーくわかります。
  よしもとばななさんの世界は
  いつだってそうだったと
  私も思います。
  私も救われたひとりかも
  しれません。

  じゃあ、読もう。
  
花のベッドでひるねして花のベッドでひるねして
(2013/11/27)
よしもと ばなな

商品詳細を見る

sai.wingpen  「花のベッド」の午睡の夢                   

 この小説の主人公を「私が描いた人物のなかでもっともかわいい人だと思う」と、作者自ら「あとがき」で書いている。
 あるいは、この小説をよしもとばななが書いてきた小説の中で「もしかしたらもっとも悲しいものかもしれない」と、書く。
 わかめにくるまって捨てられていた女の子がいいひとばかりの大平家に拾われて、人を恨むことも憎むこともない子に育てられ、それでもやがてはやさしいおじいさんもおじさんも亡くなって、父と母との三人の暮しにおさまるのだが、そんな幹(これが主人公の名前)を町の人は色々なよくないことも噂するのは世間ではよくある話。
 けれど、幹はそんな誤解を解く気もない。
 「花のベッドで寝ころんでひるねしているように生きるのは楽なことではないけれど、それを選んだからには、周りにいくらそう思われてもしかたがない」と思っている。

 そんな彼女をかわいいと作者はいうのだが、あるいは幼馴染の野村君の亡くなった奥さんの幽霊と夢の中で交流することを「悲しい」と呼ぶとしても、よしもとばななの作品でもっとかわいい主人公は確かにいたはずだし、もっと切なくなる「悲しい」話もあったはずだ。
 もしかすると、この作品を書いているその時に父親を亡くした作者の、それは願いのようなものではないだろうか。
 「一生忘れられない、小さいけれど大きな作品」と作者が言ったとしても、どうもこの作品からうまく伝わってこない。
 でも、それでもいいようにも思っている。
 作者が父とともに過ごした時間、もっと過ごしたかった時間、それはだれのものでもない。
 よしもとばななと吉本隆明のそんな時間を、誰も否定できない。
 この作品は、そんな小説なのだ。

 わかめにくるまれて捨てられていた女の子、裏のビルで発見された妖しい人骨、幽霊との会話、見えてしまった本当の自分の母親。
 すべてはありえないような非日常であるにもかかわらず、どうしてそれらはどこにでもあるような日常に見えてしまうのであろう。
 これはすべて、「花のベッド」の午睡の夢なのだろうか。
  
(2014/01/31 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  この本は朝日新聞の書評で
  見つけたと思う。
  随分以前のことだから
  違うかもしれない。
  山川徹さんの『それでも彼女は生きていく』。
  副題は「3.11をきっかけにAV女優となった7人の女の子」と
  なっています。
  東日本大震災とAV女優
  この取り合わせに興味をひかれたのは
  事実ですが、
  やはり違和感が残りました。
  この二つの間には
  たくさんの要因があると思います。
  東日本大震災 → ○○ → ○○ → … → AV女優
  といった感じです。
  そのことを
  認識した上で読まないと
  大きな誤解を
  生むような気がします。

  じゃあ、読もう。

それでも彼女は生きていく 3.11をきっかけにAV女優となった7人の女の子それでも彼女は生きていく 3.11をきっかけにAV女優となった7人の女の子
(2013/02/27)
山川 徹

商品詳細を見る

sai.wingpen  それぞれの3.11                   

 世の中にはさまざまな職業がある。そこに上下のあるわけはない。
 それでも人は時に差別的であり蔑むような視線をまじえてしまうこともある。
 そのうちのひとつが、性に関する職業といえる。AV女優もそれに含まれる。
 だから、人はどうしてその職業を選んだのか興味をもつ。
 職業を選ぶ自由は憲法で保証されている。AV女優になろうが、教師になろうが、その人の自由だ。
 けれど、人は耳をそばだてる。
 何故あなたはAV女優になったのですか。

 このレポートは2011年3月11日の東日本大震災をきっかけにしてAV女優となった7人の女の子の姿を追い求めたものだ。
 彼女たちがAV女優になったのは、本当に東日本大震災のせいなのか。
 津波や原発事故で家をなくし、仕事をうしない、金銭的に苦しくなったことは事実としてある。けれど、そのことだけが彼女たちをAV女優にしたわけではない。
 彼女たちの一人が「震災は、自分が大きく変わった何かではあると思うんです」と話しているが、それはAV女優になった彼女たちだけのものではないはずだ。
 そんな思いを抱きながら、教師をめざした人もいれば、建築士になろうとした人もいるだろう。
 レポートを読んでも、彼女たちが何故AV女優になろうとしたのか、わからなかった。
 わかるのは、職業は自由に選べて、たまたま彼女たちはAV女優を選んだ。
 ただそれだけだ。

 けっして東日本大震災が彼女たちをAV女優にしたわけではない。
 あれほどまでに大きな悲しみであったから、それはきっかけではあっただろう。そうであれば、家族の突然の死は今でも日常茶飯にある。企業の倒産によって生計が維持できなくなることもある。
 東日本大震災によって、たくさんのそういう悲劇が起こったことは事実だ。しかし、そこから一足とびにAV女優につながるものではない。
 著者はそのこときちんと理解している。だから、こう書く。
 「一括りに被災地、被災者と語っても、(中略)ひとりひとりの決断も違う」。

 だれもが別々の3.11を持っているのだということを、忘れてはいけない。
  
(2014/01/30 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  男の中には
  いつも一人のさむらいがいます。
  群れるよりも、孤高。
  未練よりよりも、潔さ。
  そういうものに
  憧れています。
  女子の皆さん。
  だから、そういう点をくすぐると
  案外男子は弱いかも。
  今日紹介するのは
  そんな男の中に住んでそうな銀行員が
  主人公の
  池井戸潤さんの『仇敵』。
  仇という漢字をよく見ると、
  人べんに九、
  まさに九人の敵がいるっていわれる
  そんな漢字なんですよね。
  今回も
  とても楽しめたエンターテイメント小説でした。

  じゃあ、読もう。

仇敵 (講談社文庫)仇敵 (講談社文庫)
(2006/01/13)
池井戸 潤

商品詳細を見る

sai.wingpen  男はこういう小説に弱い                   

 1999年から2002年にかけて雑誌に掲載された、池井戸潤の初期の連作長編である。
 『果つる底なき』で1998年第44回江戸川乱歩賞を受賞し、デビューを果たした池井戸が自身の銀行員としての経歴を生かし、銀行を舞台にしてお金にうごめく闇の世界を、小気味よく暴き出していく物語に仕上がっている。
 主人公は東都南銀行の庶務行員として働く恋窪商太郎。
 庶務行員というのは銀行の支店の雑務を行う職種である。「店内案内や様々な雑務をこなすことを仕事としており、昇級も出世も極めて限定」されている。
 恋窪はけっして定年前の年齢ではない。銀行ではむしろ一番油が乗り切っている40歳過ぎの男である。
 それでいて、今の恋窪は「地位も名誉もない職場」で、「今までの人生で欠落していたもの」を実感している。
 働きざかりの彼がそんな心境になったのには理由がある。
 恋窪の前職は東京首都銀行の企画部次長であった。それがある不祥事をきっかけに退職を余儀なくされた。
 恋窪に退職を強いた闇こそ、欲にうごめく銀行上層部とそれに巣食う悪の組織。

 恋窪のまわりで起こる雑多の事件が、奇妙にも自身を追いやった闇とつながって、いつの間にか庶務行員である恋窪は事件の核心にひきよせられていく。
 池井戸潤の小説の魅力のひとつは主人公たちの造型である。痛快であり、ねばりつよく、颯爽としている。つまりは、かっこいいのだ。まるでハードボイルド小説の主人公たちのようでさえある。
 この小説の恋窪もそうだ。今は庶務行員という身分ながら、支店の若手融資担当よりも知識も経験がある。それでいて、けっしてその若手行員をないがしろにはしない。
 さらには自身の挫折と向き合う姿のかっこよさ。
 「人生の途中でやり残したことがある。それをやり遂げなければ、恋窪に新しい人生は訪れない」なんて、読みながらあまりにかっこよさに吐息がもれる。

 ただひとつ難点があるとすれば、本のタイトルだろうか。
 『仇敵』は連作の中のひとつのタイトルで、けっしてこの作品全体を表してはいない。どうせなら、連作のひとつのタイトルでもある「庶務行員」の方がましか。
 それでも、この作品の面白さは十分に伝わってこないが。
  
(2014/01/29 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  この本の出版元であるクロスメディア・パブリッシング
  Yさんから献本頂いた一冊を
  紹介します。
  小杉俊哉さんの『起業家のように企業で働く』です。
  献本頂いた本は
  できるだけ早く読むことを
  心がけていますが
  なかなかそうはいかないのも
  現実で、
  Yさん、すみません。
  働くということ、
  キャリアをつむということは
  よく山のぼりに例えられることも
  多いのですが、
  この本にも書かれています。
  「一つの山を登るにも様々なルートがある」。
  どのルートを登るかは
  あなた次第。
  ルートを変えるのも
  あなた次第。
  さて、今、何合目にいるのでしょうか。
  クロスメディア・パブリッシングのYさん
  いい本ありがとうございました。

  じゃあ、読もう。
  
起業家のように企業で働く起業家のように企業で働く
(2013/10/16)
小杉 俊哉

商品詳細を見る

sai.wingpen  あなたの働き方はそれでいいのか                   

 会社で働く人なら、一度は「社長になったつもりで仕事をするように」と言われたことがあるのではないかと思う。
 そのこと自体は間違っていないが、現実問題として組織の上下関係の中で働いている限りはなかなか難しい。
 ならば、いっそう組織を飛び出してもっと理解のあるところに転職しようか、あるいはいっそ自ら起業するか、といって職場を去る人も多い。
 起業そのものが悪いわけではない。
 新しい芽はそういうところから芽生えるのだから、それをとめる理由はない。
 しかし、一から始めるにはリスクは大きい。
 むしろ、今の会社で、その会社が持っている資産やブランドを使って、自分がしたい仕事に挑戦してみてはどうか。
 慶応大学で教壇に立つかたわら、多くの企業のコンサルティングも行っている著者が、会社から飛び出すのではなく、その会社にとどまって満足のいく仕事を行う手法を論じたのが、この本。
 この本がユニークなのは、「社長のように企業で働く」とせずに「起業家のように」とした点だろう。

 では、「起業家」とはどういう人をいうのか。
 「志があり。切り開く力があり、チャレンジする人」、簡単にまとめてしまえばそうなるのだが、この本では31の項目で説明されていく。
 例えば、「言われたことをやるだけで終わらない」であったり、「ビジョンを持つ」であったり、「腹を括る」であったりといったことが続く。
 そこには理論的な説明だけでなく、著者自身の経歴や著者の人的ネットワークで知り得た実際のモデルが具体例として紹介されている。

 そうはいってもなかなかできないと感じる読者は多いと思う。けれど、単に読み過ごすのではなく、まず31の項目のできることから始めてみるのはどうだろう。
 「社長」になるのではない。
 その会社を飛び出して「起業家」になる覚悟であれば、もっとうまくいくのではないか。
 サッカー日本代表の長友選手は「新しいステージに立つと、自然と新たな目標が見えてくる」といっているが、この本を踏み台にして、読者も新しいステージに立てばいい。
 こういう名言が数多く掲載されていることも、この本の特長だ。
  
(2014/01/28 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  詩人の吉野弘さんが
  1月15日に亡くなって
  次の日の朝日新聞天声人語
  そのことが触れられるのかと
  思っていたのですが、
  見事にスルー。
  吉野弘さんの死は天声人語で書かれてもいいのにと
  思っていたので残念でした。
  ところが、昨日の1月26日の
  天声人語吉野弘さんのことが
  書かれていました。
  その中で、
  「当コラムも何度か詩句をお借りした」という一節があり
  吉野弘さんの詩がいかに
  私たちの心になじんでいたかを
  今さらながらに気付いた次第です。
  天声人語にこうありました。

    言葉の力を信じて言葉をみがき続けた人

  今日は
  そんな吉野弘さんを悼んで
  『吉野弘詩集  奈々子に』を
  紹介します。
  この本は再読になります。

   先の書評はこちらから。

  吉野弘さんのご冥福を
  お祈りします。

  じゃあ、読もう。

吉野弘詩集 奈々子に (豊かなことば 現代日本の詩 6)吉野弘詩集 奈々子に (豊かなことば 現代日本の詩 6)
(2009/12/19)
吉野 弘

商品詳細を見る

sai.wingpen  追悼・吉野弘さん - 小さな虻                   

 詩人の吉野弘さんが、1月15日に亡くなりました。87歳でした。
 吉野弘さんといえば、「二人が睦まじくいるためには/愚かでいるほうがいい/立派すぎないほうがいい」という文章で始まる「祝婚歌」という詩が有名です。
 あまりに有名になりすぎて、一時は結婚式で誰かが必ずというほど披露していたものです。
 この詩は、これから生活をともにする二人への心がまえを詠んだもので、確かに結婚式にはうってつけだが、できればそっと新郎新婦に渡したい詩。
 その詩の中にこんな一節もあって、「正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい/正しいことを言うときは/相手を傷つけやすいものだと/気付いているほうがいい」、これなどは人生の教えとして覚えておきたいくらい。

 吉野弘さんという詩人の詩を読むのに、児童向けに編まれたこの詩集はなかなかいい。
 先の「祝婚歌」だけでなく、「奈々子に」や「夕焼け」といった代表作39編が収められています。
 吉野さんの訃報をきいて、再度手にしたこの詩集で、もちろん「夕焼け」の電車の中で老人に席を何度も譲る少女の、そして最後には席を譲ることをやめてしまう少女の「やさしい心に責められ」ている姿にやはり深く考えさせられるのだが、このたびは「素直な疑問符」という詩に魅きつけられました。
 小鳥の首のかしげる様子を見て、吉野さんはこううたいました。「わからないから/わからないと/素直にかしげた/あれは/自然な、首のひねり/てらわない美しい疑問符のかたち。」と。
 そして、「私もまた/素直にかしぐ、小鳥の首でありたい。」で終わります。

 難しすぎず、それでいて本質を見抜くものをもっていた吉野さんの詩の根っこには、この詩のような「素直にかしぐ」疑問符があったのではないでしょうか。
 あるいは、「命」という詩。その詩にもこんな美しい言葉があります。
 「私は今日、/どこかの花のための/虻だったかもしれない」。

 吉野弘という詩人はそんな虻のようにして、人の心と心の間を飛び回っていたのかもしれません。
 「祝婚歌」という名詩は、そんな虻の大きな果実だったのです。
  
(2014/01/27 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日の絵本も
  この季節ならではの一冊です。
  ユリ・シュルヴィッツの、ずばり
  『ゆき』。
  今回の書評にも書きましたが
  雪国のみなさんの生活は
  とても大変です。
  たとえば、市の支出なんかでも
  除雪費用にかかる金額は
  並大抵のものではありません。
  地方都市などでは
  コンパクトシティとよく言われますが
  街が広がると
  冬場の除雪費用もかさばるからだと
  いわれています。
  それに、
  都会への人口流出もあって
  除雪をする人の多くは
  高齢者になってもいます。
  だから、雪が降って喜んでばかりは
  いられないのです。
  そんな気持ちで書いたので
  「ゆきは好きだと、ちいさな声で」という
  書評タイトルになりました。

  じゃあ、読もう。

ゆきゆき
(1998/11)
ユリ シュルヴィッツ

商品詳細を見る

sai.wingpen  ゆきは好きだと、ちいさな声で                   

 ゆきは嫌いではありません。
 北国の、ゆきの深い地方の人たちの苦労を思うと、大好きともいえません。
 お年寄りが屋根の雪下ろしをしている光景をニュースでよく見ますが、なんと大変なことかと思います。
 季節に一度や二度ではありません。本当に大変です。
 それに残念なことにそんな町には若い人も少なくなっています。
 おじいさんとおばあさんだけで、あれだけの重労働をしているのですから。
 ゆきは、そんな苦労も積もらせるのです。
 ゆきはまっ白で幻想的で、静かで、やわらかくて、いいものですが、北国に住む人たちの厳しい生活も忘れてはいけません。

 それでも、ゆきがもっている、心をざわざわさせる気分は好きです。
 いまにもゆきが降りだしそうな灰色の空。
 そして、ひとつ、またひとつ降ってくる、舞い落ちるという表現の方がふさわしいかもしれません。
 それをみているだけで、外にでてみたくなります。
 ちょうど、この絵本の中の「いぬを つれた おとこのこ」のように。
 でも、ラジオもテレビも「ゆきは ふらないでしょう」といっています。
 そのあとの、文がふるっています。
 「けれども ゆきは、ラジオを ききません」「それに ゆきは、テレビもみません」
 だから、どんどん降ってくるのです。
 町がまっ白になるくらい。

 なんといっても、この絵本の絵が素敵だ。
 作者はユリ・シュルヴィッツというポーランドの絵本作家。
 絵に質感があって、コミカルは表現もあるが下品ではない。こういう絵は心にやさしくしみてくる。
 ゆきがもっている高揚感が見事に伝わってくる。
 ページいっぱいにちりばめられたゆきをみていると、やっぱり、ゆきはいいなと思ってしまう。
 雪の多い北國の人のことも思いつつ。
 ちいさな声で。
  
(2014/01/26 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日はお金の本
  柏本湊さんの『男の本格節約術』。
  柏本湊さんにとっては
  初めての著作になります。
  柏本湊さんは44歳で会社をリタイヤして
  自由になった時間を活用して
  書いた著作ということになります。
  それがこうして一冊の本になるまで
  苦労もあったようですが
  見事に実現されたのは
  りっぱというしかありません。
  書評の中にも書きましたが
  この本の中には
  お金にまつわる英語の格言などが
  紹介されていて
  私が気に入ったのが
  これ。

    Spare when you're young,and spend when you're old.
    (若い時は節約をして年をとってから使え)

  自身60歳という年に近づいてきて
  考えるところ。
  そんな私には面白い一冊でした。

  じゃあ、読もう。
  
男の本格節約術―5年で1000万円貯める52のノウハウ男の本格節約術―5年で1000万円貯める52のノウハウ
(2012/08)
柏本 湊

商品詳細を見る

sai.wingpen  寅さんの預金はどれぐらいだったのだろう                   

 男とは難儀なものだ。(もっとも、女性にいわせると女も難儀なんだろうが)。
時にお金の面になると、そうだ。
 男のくせに節約なんて。こせこせしてけちくさい。男なら宵越しのお金は持つなぐらい、言われかねない。
 それで、泣くのは女性や家族なのだから、男として責任を持たないといけないし。
 お金を増やすには、収入を増やすか支出を抑えるしか方法はない。最近でこそ賃金を増やそうという気運がないわけではないが、それにしてもいつどうなるかわからない。
 かつての高度成長期のような右肩上がりは期待できないだろう。
 となると、方法はひとつ、支出を抑えることしかない。
 そこで『男の本格節約術』。

 著者は自身44歳にして会社勤めをリタイアしている。そこから得たものは、「完全に自由な時間の確保」だという。
 ただ気をつけないといけないのは、著者のように「自由な時間」を使ってしたいことがあればいいが、単に自由を求めただけではうまくいかない。
 何か(できればより具体的に)をしたい、そのためには自由な時間が必要、そのためには余裕のある資産を確保、その手段として「節約」がある、というように読み解くことが大事である。
 この順番を間違ってはいけない。
 この本の中に紹介されているが孟子に「恒産なくして恒心なし」という言葉がある。
 しっかりとした資産があって、ゆるぎない心が持てるということ。
 お金ばかりが世の中のすべてではないが、お金のことをおろそかにしべきではない。

 冒頭に著者も書いているが、「銀行口座残高そして総資産残高を月次管理」することは、貯金へのまず第一歩。
 節約生活を始めるにしても、まずは一体自分がどれだけの資産を持っているのか知ることから始める。
 ただ「月次管理」となると窮屈であれば、半年でも一年でも構わないだろう。このあたりは、読者の生活にあった管理から始める方がいい。
 多くのビジネス本はそれぞれがいいことが書かれているが、それを実践するかどうかが、ポイントになる。書き手の方法そのものを真似るよりは、読者自身にあったアレンジが有効だろう。

 この本のところどころに英語の格言やことわざが紹介されていて、それを読むのも楽しい。
 男は難儀なものだが、男の夢を追いかけるには、少しぐらいは我慢(といっているうちはダメなんだろうが)も必要だ。
  
(2014/01/25 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  かつてのダイエーのマークを
  知っている人も少なくなってきた。
  オレンジの月が欠けたような、
  ダイエーのDの字にも似て
  かつてのマーク。
  今日紹介する恩地祥光さんの
  『中内功のかばん持ち』の
  巻頭で
  ユニクロを運営する
  ファーストリテイリングの柳井正さんが
  そのマークについてこう書いている。

   満たされない何か、完成されない何か
   そういったものを求めて進んでいるような感じがしまして
   大変惹かれます。

  それこそ創業者の中内功さんの
  強い信念を具現化してものであったと
  今なら思います。
  ダイエーの業績はいまだに厳しいようですが
  あのマークを捨てた時から
  すでに中内功のダイエーでは
  なくなっていたのかもしれません。
  もちろん、中内功から決別することで
  再生の道を歩み出したのですが。
  これからも
  ダイエーにはがんばってもらいたい。
  そう願っています。

  じゃあ、読もう。

中内功のかばん持ち中内功のかばん持ち
(2013/08/30)
恩地 祥光

商品詳細を見る

sai.wingpen  「力」ではなく「刀」が似合う人                   

 かつて「流通王」と呼ばれたダイエーの創業者中内功の名前、いさおの漢字はパソコンではなかなか変換できない。
 ここでも便宜上、「功」としているが、実際には「タクミ辺」に「力」ではなく「刀」を書く。
 まさにその字のごとく、中内氏には「刀」のような凄みがあった。
 この本は、中内氏の側近として20年あまりを傍らで過ごした著者の、あまりに面白い昭和の商人(あきんど)の人物伝である。

 中内氏の話はよく聞き取れない。
 関西人ゆえか中内氏はよく喋った。しかし、本人の本意以上には伝わらなかったのではないかと思う。それは滑舌がよくないからだ。
 その原因のひとつが、中内氏の「総入れ歯」説である。
 著者ははっきりと「総入れ歯であることを保証する」と言明している。
 けれど、中内氏の「総入れ歯」こそ、中内氏が戦後流通の世界を一新したことと関係する。
 中内氏が戦争時フィリピン戦線で死線をさまよってのは有名な話だ、生きるために軍靴まで食したといわれる。そのことが一方で「総入れ歯」となり、一方で「すき焼きが食べられる生活への希求」とつながっていく。
 ある日、その「入れ歯」が割れてしまうという事件が起きる。
 しかもその日は銀行回りで身動きが取れない。一つめの銀行訪問から二つめの銀行訪問までの間にそれを修理しておけという中内氏の命令に早朝の街を走り回る著者。
 その話を聞けば、なんという無理なことをいう中内氏かと誰もが思うだろう。わがままで傲慢なオーナー経営者。
 この本の良さは、それを受け止める著者の姿にある。
 大きな歯科医では医者はいないだろう、町医者なら早朝でもいる。そう踏んだ著者は中内氏の「入れ歯」を持って駆け回り、見事無謀なミッションを完遂する。
 中内氏を描きながら、仕事とはこうあるべきという指南書にもなっている。

 それにしても中内氏ほど毀誉褒貶のつきまとう経営者はいない。
 ダイエーが経営危機になるまでに引退をしていれば、今でも昭和の名経営者として賞賛されたかもしれない。
 しかし、中内氏自身がそんなことを求めなかったような気がする。
 栄枯盛衰こそ、商人(あきんど)の証し。
 やはり、「力」ではなく「刀」が似合う、人だった。
  
(2014/01/24 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  書評はだいたい一気呵成に
  書いてしまうことが多い。
  今日紹介する重松清さんの
  『赤ヘル1975』は
  珍しく削除した書き出しがありました。
  たまたま残していたので
  ここでちょっと書きとめておきます。

    「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと
    だれにも言わせまい。」、ポール・ニザンの『アデン・アラビア』の
    冒頭の言葉に魅かれていた、私の1975年。20歳だった。

  ここに書いたように
  この作品の時代背景となっている
  1975年は、私の20歳の時でした。
  特に好きなチームもないプロ野球ですので
  この年広島カープが
  初めて赤ヘルを採用し、
  優勝したことは
  覚えていませんでした。
  まったくもって
  何をしていたのかな、
  私の20歳は。

  じゃあ、読もう。
  
赤ヘル1975赤ヘル1975
(2013/11/28)
重松 清

商品詳細を見る

sai.wingpen  東北楽天の優勝もこうであった                   

 1975年、プロ野球では歴史的な事件があった。球団創立25年めにして、広島カープが優勝したのだ。
 このシーズンのはじめに広島カープは帽子を赤い色に変え、、ジョー・ルーツを球団初の外国人監督として招へいした。しかし、ルーツ監督は開幕早々辞任という事態に。誰もが今年も広島カープはBクラスかと思ったはずだ。
 そんな広島カープが優勝した1975年の広島を舞台に、丸刈りの中学生になったばかりのヤスやユキオ、それにこの渦中の広島に転校してきたマナブたちの、熱い1年を描いたのが、この作品である。

 1975年といえば、終戦から30年の年である。世界で初めて原爆が落とされた時からといっていい。
 ヤスたちのように原爆を知らない世代もいれば、原爆の苦しみ悲しみから逃れられない人たちもいる。原爆だけではない。空襲で犠牲になった人も多くいる。
 30年経っても、そこには戦争の影が重くのしかかっている。
 もちろん、そのことを「語り継ごうとするひともいれば、そうでないひともいる」。主人公のひとり、父の事業の失敗で広島に転校してきたマナブは、そのことに安堵している。みんなが「同じではないから」。
 悲しみの表情はひとつではない。それが原爆という大きな悲しみであってもそうだ。
 広島カープの初優勝に向けての日々を描きながら、重松清がいいたかったことはそういうことだろう。

 それにしても、昨年(2013年)の東北楽天の優勝とこの年の広島カープのそれはよく似ている。
 東北楽天は創立8年めにして初優勝を果たしたのだから、広島カープよりはよほど出来がいい。しかし、球団創立時の負けっぷりはひどいものであった。
 それに、2011年3月の地元東北での大震災。未曾有の犠牲者が出た。
 そんな大きな悲しみの中でも東北楽天を応援してきた人たちがいる。そして、迎えた初優勝。
 きっとそのドラマの中にヤスたちと同じ時間をもった若い人たちがいただろう。

 雑誌への連載開始が2011年夏で、重松が東北楽天の優勝への道を思ってこの作品を書いたのではないと思う。
 もしかしたら重松は1975年の広島で起こった大事件が東北での悲しみを癒すことができるのではないか。あの時の広島のように、東北楽天が悲しみの地を癒すことを願ったのではないか。
 そう思えて仕方がない。
  
(2014/01/23 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  2年前の今日、1月22日、
  父親が亡くなった。
  だから、今日は父の命日
  こうして書いてみて思うのだが、
  亡くなった日のことを命日というが
  漢字にすると
  命(いのち)の日、という不思議。
  不思議だけれど
  とても美しい。
  今日は父の命(いのち)の日。
  今日紹介するのは
  話題の漫画、岡野雄一さんの
  『ペコロスの母に会いに行く』。
  この作品を映画化した森崎東監督の作品は
  2013年キネマ旬報日本映画の
  ベストワンに輝いている。
  今、親の介護で大変な人も多いだろうが
  この本をオススメします。
  親と子の関係を見つめ直すには
  いい一冊だと思います。

  じゃあ、読もう。

ペコロスの母に会いに行くペコロスの母に会いに行く
(2012/07/07)
岡野 雄一

商品詳細を見る

sai.wingpen  どこまでも親子                   

 少し認知症の症状が出た父が息子の名前を言えない。その時、名前は言えないのに、「わかっているに決まってるやろ。からかうな」と照れたように視線をはずした父の姿が忘れられない。
 親子であっても忘れていくもの。
 親子だから忘れずに残っていくもの。
 そんな現代病ともいえる認知症の母親の姿を悲嘆することなくコミカルに描いた、漫画である。
 介護ものといえるかもしれないが、そんな悲壮な感じは少しもない。むしろ、家族漫画といっていい。
 年老いた母と死んではいるが時々母に会いにくる幽霊の父親。そして、ツルツル頭の長男、ペコロス。
 ちなみにペコロスというのは小たまねぎのことである。もちろん、主人公の頭の形状をさしている。

 書名の『ペコロスの母に会いに行く』は変な言い方だが、いい。
 この本全体のスタンスがよく表れている。
 変だというのは、この「母」というのは主人公にとって実の「母」だということ。それに「ペコロス」という自分のあだ名をつけることで、突き放し感がでて、親子というよりは一人の人間として「母」を客体化している。
 ゆっくり始まった認知症と脳梗塞でグループホームに入所した母みつえは子どものような笑顔を見せながら、それはすでに「母」であるというより「みつえ」という女性そのものになっている。
 だから、主人公のゆういちは「母」に会いに施設に出向くのではなく、一個の女性に会いにいくのだ。

 その女性は夫の暴力に嫌というほど悲しい思いをしたけれど、今は幽霊として会いに来る夫と愉しい時間を過ごしている。
 ここにも作者の思いがある。
 幽霊の父の姿は作者には見えないはず。けれど、その姿を描くことは、かつて父の暴力が嫌で故郷を捨てた作者の、赦しのようなものが、ここにはある。
 父を赦すことと母を置き去りにして故郷を捨てたことに対しての赦し。
 だから、幽霊の父は限りなくやさしい。

 漫画と漫画の間にはさまった短い文章の中で、岡野は「母がうらやましい」と書いている。
 「認知症になって、母の中に父が生き返ったのだから、ボケることもそんなに悪いことばかりじゃないんだ」と続く。
 そんな「ペコロスの母」を愛せる岡野自身が、仕合せなのだろう。
  
(2014/01/22 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日はサン=テグジュペリの『星の王子さま
  紹介します。
  初めてこの物語を読んだのは
  いくつの時だったでしょう。
  多分、20歳になる前、
  ただ15歳未満ではないと
  思います。
  あまりにも有名な本ですから
  小中学生でも
  読んだことがある人は
  多いのではないでしょうか。
  夏目漱石の作品でもそうですが
  若い人たちがいい作品を
  読むことはいけないことではないですが
  できたら大人になってから
  もう一度読み直してもらいたいと
  思います。
  この『星の王子さま』も
  実際には大人向けの物語だと
  思います。
  『星の王子さま』を読む年令制限など
  ありません。
  いくつであっても
  その年令の
  『星の王子さま』に出会えるはず。
  なお、私が読んだ本の訳者は
  内藤濯でした。

  じゃあ、読もう。

星の王子さま―オリジナル版星の王子さま―オリジナル版
(2000/03/10)
サン=テグジュペリ

商品詳細を見る

sai.wingpen  おとなたちへのちいさな物語                   

 サン=テグジュペリの『星の王子さま』には有名は言葉が、それこそ星のごとく散りばめられている。
 例えば、冒頭の献辞の中にある「おとなは,だれも,はじめは子どもだった」も、一度は耳にしたことがあるだろう。
 あるいは、「かんじんなことは,目には見えない」(ⅩⅩⅠ章)や「砂漠が美しいのは,どこかに井戸をかくしているからだよ」(ⅩⅩⅠⅤ章)という言葉も印象に残る。
 この二つの言葉は対のようにしてある。
 砂漠の中にある見えない井戸、それは「かんじんなこと」で、それがあるから砂漠は美しい。
 それは人にもあてはまる。誰にも「かんじんなこと」があるのだが、見えないから、つい見落としてしまう。その人が持っている「井戸」をどう見つけるか。
 おとなにゆえに見えなくなっているものはないか。

 この作品はサン=テグジュペリ自身の手によるかわいらしい挿絵と素敵なタイトル、それに平易な文章で児童文学にくくられることも多いが、実際には子どもだったことを忘れてしまったおとな向けのものといっていい。
 若い頃にこの作品を初めて手にする読者も多いだろうが、この作品こそおとなになってからもう一度読み直してもらいたい。
 もしあなたがまだ若い読者であれば、ぜひ読んだあとの感想を書くといい。そして、それを「三十年後のあなた」に宛てて、ちょうどタイムカプセルのようにしてしまっておいてはどうだろうか。
 三十年後、まちがいなくおとなになっている読者がもう一度この作品を読む。そして、三十年前のあなたが書いた感想と比べてみたらどうだろう。
 その時、読者は「はじめは子どもだった」ことに気づくだろうか。
 「かんじんなこと」がもっと見えていないことはないだろうか。
 そして、もう一度「二十年後のあなた」に宛てて、手紙を書いてみよう。

 ウワバミのおなかの中にいるゾウが見えてくるなんてあるだろうか。
 おとなになっていくことで、それが帽子にしか見えないのは仕方があるまい。けれど、ずっと昔、子どもだった頃にはウワバミのおなかの中に、まちがいなく、ゾウはいたはずだ。
 ゾウが見えなくなった、おとなたちへの、これはちいさな物語だ。
  
(2014/01/21 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  昨日まで行われていた
  センター試験の日本史の問題に
  漫画家の手塚治虫さんのことが
  出題されたと話題になっています。
  日曜の新聞にその問題が出ていたので
  ちょこっとしてみたのですが
  まったくわかりませんでした。
  別に手塚治虫さんの個人史が難しいのではなく
  私の知識不足。
  でも、うまく問題を作っているなという
  印象があります。
  今度はぜひ
  東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズから
  出題してもらいたい。
  教科は?
  数学かな。
  今日紹介するのは
  東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズ
  文庫本の最新刊
  『いかめしの丸かじり』。
  試験委員の皆さん、
  ぜひ参考にしてみて下さい。

  じゃあ、読もう。

いかめしの丸かじり (文春文庫)いかめしの丸かじり (文春文庫)
(2014/01/04)
東海林 さだお

商品詳細を見る

sai.wingpen  文庫解説の書評-本日はお日柄もよく                   

 東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズは文庫本になってもおいしい。
 和田誠さんのカバー画が楽しめるし、さまざまな執筆者による「解説」もある。これだけで文庫本を手にする価値がある。
 文庫本として32弾めとなる『いかめしの丸かじり』(週刊誌での初出は2009年8月から2010年4月。単行本は2010年6月刊行)の「解説」は、発酵学の権威で東京農業大学名誉教授で、自身も食についてのさまざまな著作を持つ小泉武夫先生。
 小泉先生の「解説」はまさに一読の価値ある名文なのです。

 小泉先生の「解説」を読んでまず思ったのは、これは結婚披露宴の来賓のスピーチにとてもよく似ているということ。
 新郎の働きぶりを褒め、新婦の眉目麗しさを礼讃し、お二人の今後にいささかなりの注文をつけるという、あのスピーチ。
 小泉先生、それを意識しながらこの「解説」を書かれたんじゃないかな。
 新郎は東海林さだおさん。新婦は「丸かじり」シリーズ。つまり東海林家「丸かじり」家の華燭の宴の場面。
 司会者がいう。
 「それではここで祝辞を頂戴したいと存じます。新郎とはご自身の著作『発酵する夜』で対談もなされたという小泉武夫先生にお願いします」
 万雷の拍手の中、小泉先生がマイクの前に立つ。
 「えー、本日はお日柄のよく、新郎東海林さだおさん、新婦「丸かじり」さん、ご結婚おめでとうございます。」と、このあたりはもちろん「解説」には書かれていませんが、まさにそんな感じです。

 まずは、新郎東海林さだおさんの魅力について語られる。
 「とても頭の回転が速く、リズムのある話し方をされる快活な偉人」なんて東海林さんを持ち上げ、野球大好きの一面をエピソードに加えるあたり、初めて新郎を知る新婦の縁者の人にもわかりやすい。
 そこから一転、新婦の「丸かじり」の魅力にはいります。「私はほぼ全巻を通読しています」と自信の程を見せ、何故このシリーズが面白いかを的確に語る。
 その中にもこの『いかめしの丸かじり』の一節をいれるのは、新婦の近況を伝えているようなもの。
 新郎の縁者からは、「さだおもいい嫁もらって」なんていうため息がもれるはず。
 スピーチの最後は仲人の文春文庫へ注文もあって、これも来賓の定番のようなもの。

 披露宴の挨拶を頼まれて困っている方必読の、これは「解説」でしょう。
  
(2014/01/20 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  明日は大寒
  字のように一年で一番寒いといわれる季節。
  その一方で
  星のとっても美しい時期でもあります。

   寒星や神の算盤ただひそか  中村草田男

  今日紹介するのは
  そんな季節にぴったりの一冊
  いわむらかずおさんの『14ひきのさむいふゆ』。
  いわむらかずおさんの「14ひき」シリーズ
  人気の高いシリーズですが
  季節季節にあった作品で
  とても日本の風土にあった絵本とも
  いえます。
  表紙を見てください。
  雪原をそりで駆けるねずみたちの
  楽しそうなことといったら。
  それに
  お家の中のあったかい場面など
  この季節ならではの絵本です。

  じゃあ、読もう。

14ひきのさむいふゆ (14ひきのシリーズ)14ひきのさむいふゆ (14ひきのシリーズ)
(1985/11/01)
いわむら かずお

商品詳細を見る

sai.wingpen  寒い日に読むあったか絵本                   

 いまが一番寒さの厳しい季節。
 富安風生という俳人が詠んだ句に「大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり」というのがあって、なるほどうまいことをいうと感心しました。
 朝、ぐんと冷えた道を歩いて会社や学校に向かう時などは、まさにこんな気分ではないでしょうか。
 都会ではめったにありませんが、北の雪国では寒さ以上に雪の道を行くこともあって、その大変さに頭がさがります。
 いわむらかずおさんの人気シリーズ「14ひき」のこの巻、『14ひきのさむいふゆ』もねずみたちの住む森をまう雪の場面から始まっています。
 かれらの家も半分以上雪でおおわれています。
 でも、窓からなんだか暖かそうな明かりがもれています。

 14ひきの家族たちの家の中はストーブがあってとてもあたたかいのです。いわむらさんは家の中をとってもあたたかない色で描いています。
 雪に閉じ込められて退屈しているかと思いきや、なんだかねずみたちはとっても忙しそうです。
 おじいさんはのこぎりを使って何を作っているのでしょう。
 おとうさんはハサミで工作をしています。
 おばあさんが手でまるめているのは、おいしそうなおまんじゅうです。
 ほっかほっかにふくらんだおまんじゅうを食べながら、おとうさんがこしらえたゲームに夢中になる14ひきたち。
寒さもわすれるくらい、あったかい家です。

 そうこうしているうちに雪もやんで、ねずみたちは外にでます。おじいさんが作ったそりをひっぱって。ここからいわむらさんは白を基調にした明るい絵を描きます。
 そりあそびに夢中になるねずみたち。すると、たちまち「せなか ほかほか、はなのさき つんつん」。
 この「はなのさき つんつん」という表現のうまいこと。
 実際に寒さが厳しい時に、鼻の先を触ると、そこはとても冷たくて「つんつん」していることがあります。
 いわむらさんの「14ひき」シリーズの人気が高いのは、そういうきちんとした言葉の使い方にも理由があるように思うのです。
  
(2014/01/19 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  待ちに待った
  「丸谷才一全集」の刊行が
  昨年の秋から始まりました。
  今日はその第一回配本となった
  第5巻を紹介します。
  この巻では、
  小説「女ざかり」が中心と
  なっています。
  この作品は
  丸谷才一さんの作品の中でも
  人気の高かったもの。
  気にはなっていたのですが
  私は初めて読みました。
  これがいいんですよね。
  丸谷才一さんの魅力が
  満載。
  丸谷才一さんの小説を
  初めて読もうとする人には
  これはいいんじゃないかな。
  さてさて、
  全12巻の全集、
  完読できるでしょうか。

  じゃあ、読もう。
  

丸谷才一全集 第五巻 「女ざかり」ほか丸谷才一全集 第五巻 「女ざかり」ほか
(2013/10/16)
丸谷 才一

商品詳細を見る

sai.wingpen  これこそ、丸谷才一!                   

 元旦の新聞の一番の楽しみは、出版社の広告。その年の読書の豊作不作を占うようなもの。
 2013年でもっとも楽しみにしていたのが、文藝春秋の「丸谷才一全集」刊行の告知であった。
 2012年10月に亡くなった丸谷才一の偉業をどの出版社が全集とするのか、丸谷は特定の出版社と懇意にしていた風でもないし、新聞社との関係だって悪くない、しかもあれだけ幅広い活動をしていたのだから、全集といってもどれだけのボリュームになるのか、そういった期待と不安を、とりあえずは全集出版社は文芸春秋と決まったことだし、秋の配本開始まで待つとするか。

 元旦から待つこと10ヶ月。いよいよ「丸谷才一全集」全12巻の刊行が始まった。
 その全容はというと、半分の6巻が小説で、これは単行本未収録も含めた全作品を発表順にまとめているらしい。残り6巻が評論で、これはテーマごと。
 最後の12巻めには書誌とか年譜が含まれる。
 丸谷が力を注いだ書評であるとか、丸谷の作品の中でもおそらく人気が高い軽口エッセイの類はどうも全集にははいらないようだ。
 それはそれでどこかの出版社がまとめてくれて出してくれればいいのだが。
 何年か先の元旦の新聞に、「丸谷才一 これで全部!」みたいな新企画がでないものか。

 全集第一回配本となったのが、第5巻めのこの本。
 丸谷の代表作のひとつである長編小説「女ざかり」と短編「おしやべりな幽霊」「墨いろの月」ほか3篇を収録した小説の巻である。
 「女ざかり」をトップにもってきたのは賢明だろう。
 新聞社の女論説委員の奮闘ぶりを扱ったこの作品は、おそらく丸谷の作品の中で世評が高く、かなり売れたのじゃないか。さらには吉永小百合主演で1994年には映画化までされている。
 私小説を嫌った丸谷らしい長編小説で、しかも舞台が新聞社ということで、それはそれで丸谷はじっくり見てきた世界だろうし、主人公たちが作る論説文は日本語にこだわる姿勢もうかがえる。
 さらには仮説と論証の組み立て方、登場人物たちの議論、さらには食通の丸谷らしい食事の場面のこだわり、政治家と女優のゴシップ、送別会での挨拶の中身といったように、この「女ざかり」そのものがまるで丸谷才一の全集みたいでもある。

 解説が池澤夏樹というのも、いい。
  
(2014/01/18 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
 ついに決まりましたね。
 第150回芥川賞と直木賞
 産経新聞のWEBニュースから。

   芥川賞に小山田浩子さん、直木賞に朝井まかてさんと姫野カオルコさんダブル受賞

   第150回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が16日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、
     芥川賞は小山田浩子さん(30)の「穴」に、
     直木賞は朝井まかてさん(54)の「恋歌(れんか)」と
     姫野カオルコさん(55)の「昭和の犬」の2作に決まった。

 150回という記念の受賞は
 奇しくも女性ばかり3人というのも
 なんだか華やか。
 それと、直木賞受賞のお二人が
 ともに50歳を過ぎた女性だというのも
 いいですね。
 女性の魅力は、ここからですよね。
 しっかりしないと、男性諸君。

 さてさて今回で150回となる芥川賞と直木賞ですが、
 おさらいをすると
 1935年の記念すべき第1回の芥川賞受賞作は
 石川達三の『蒼氓』。
 直木賞は川口松太郎の『鶴八鶴次郎』ほか。
 もう、79年も昔のことです。
 ここまで続いてきたことが素晴らしい。
 それはこの賞をめざしてきた作家さんたちの気魄と
 出版社さんの熱意と
 本屋さんのがんばりの
 たまものといえます。
 日本の読者の、これは幸福。

 今日は、直木賞受賞を祝して
 朝井まかてさんの『恋歌(れんか)』の書評を
 再録します。

 小山田浩子さん、朝井まかてさん、姫野カオルコさん
 おめでとうございます。

恋歌恋歌
(2013/08/22)
朝井 まかて

商品詳細を見る

sai.wingpen  甘くはない、恋物語                   

 第150回直木賞受賞作。(2014年)
 主人公は樋口一葉に和歌を教えたことで知られる中島歌子の半生を描く重厚な時代小説である。
 なにしろ舞台は尊王攘夷思想の熱き思想のままに幕末の日本を駆け抜けた水戸藩であるから、女性が主人公といっても熱くならざるをえない。
 この時代の水戸藩は御三家のひとつながら、派閥抗争が絶えず、残忍な処刑と多くの犠牲者を出すことになる天狗党の乱を引き起こすことになる。
 水戸藩士に恋し、その妻となった歌子(若き名は登世)もまた、その紛争に巻き込まれていく。

 タイトルの『恋歌(れんか)』にまどわされて、甘い物語を想像しない方がいい。
 天狗党の乱の悲惨さは筑波山での決起のあと、戦いに敗れ加賀藩まで敗走するものの執拗な幕府軍に捕われ、鯖倉と呼ばれる狭い貯蔵庫に押し込められ多くの犠牲者を生んだことだ。
 また、天狗党に属する藩士の妻子たちも狭い牢屋に押し込まれ、死んでいくものが後を絶たなかったという。
主人公の登世もまたそうした虐げられたものの一人だ。
 恋い焦がれ妻となったものの夫は藩の仕事に奔走し、逢うことさえままならない。しかも、乱以降はその生死さえつかめない。
 それでも夫を信じ、その命を願う登世。
 しかし、時代の波はそんな登世を翻弄していく。

 作品の核に使われるのが、落語「崇徳院」で有名な「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」である。
 この和歌がもっている思いそのものが登世の夫へのそれである。
 急流は時代に流される登世たち。願わくば、時代が落ち着けばまた逢える。
 明治維新は数かぎりない登世を生んだといっていい。

 作者の朝井まかては女性ながらこの難しい題材に挑戦したといっていい。
 初めに樋口一葉と中島歌子の関係をさりげなくいれながら、病床にある歌子を見舞う女弟子が歌子の書付けを見つける。そこに書かれていたのが、恋する人への想いと水戸での生活という展開もいい。
 甘くはないが、味わい深い作品である。
  
(2013/12/19 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  さあ、いよいよ今夜
  芥川賞・直木賞の発表ですね。
  まあ150回という節目の回ですから
  「受賞作なし」はないでしょうね。
  うまくいけば
  芥川賞・直木賞ともに
  W受賞ということもありますね。
  文藝春秋も
  力の入り方が違いますからね。
  私は元々純文学派でしたから
  直木賞にはあまり興味が
  ありませんでした。
  最近は直木賞の方が
  楽しみになってきました。
  純文学と大衆文学の壁が
  なくなってきたからでしょうか。
  今日は過去の直木賞の受賞作から
  江國香織さんの『号泣する準備はできていた』を
  受賞した年の2004年の蔵出し書評
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

号泣する準備はできていた号泣する準備はできていた
(2003/11/19)
江國 香織

商品詳細を見る

sai.wingpen  江國香織は天才である                   

 第130回直木賞受賞作。(2004年)
 福田和也氏の「悪の読書術」によれば「江國香織は天才である」らしい。
 福田氏は江國香織の凄みについて「比類のない文章上の技巧、意識の確かさと、古来天才の症例分析でよく語られる境界症例的な精神の危うさが同居している」と表現している(ちなみに境界症例とは精神科の用語のようで、精神分裂病と神経症の境界という意味で使われているようだ)。
 その上で、江國香織の才能が男性にはわかりにくく、彼女の才能を感じるのは男性としてやや過敏であるかもしれないとしている。
 そういわれても、私はかなり江國香織が好きである。

 この「号泣する準備はできていた」という短編集も上質な作品でできている。
 物語の流れ、文章のうまさ、余韻の残る読後感、いずれをとってもうまいというしかない。まさに油が乗り切った円熟味を感じる。
 喩えていうなら、少女の持つはちきれんばかりの明るさはなくなったが、しっとりとした静謐に満ちた女性のような文章である。
 化粧の濃さや香水の匂いさえも自分自身の一部にしてしまった女性の魅力である。しかも、そんな女性こそがもちうる不安感を描いたのがこの十二篇の物語だ。

 行きつけのスナックで日常生活から少しだけ離れた場所で会話を楽しむ四人の男女を描いた「どこでもない場所」という作品では日常生活こそが「昔々の旅先の恋みたいな、遠い、架空の出来事」と主人公の「私」は「幾つもの物語とそこからこぼれたものたちを思いつつ」陽気になっている。
 しかし、その陽気さこそが危うい悲しさをともなっていることを読者は実感する。
 また、満たされた主婦のなにげないデパートの買い物風景を描いた「こまつま」では、昼下がりのデパートという幸福感の中でいながら、主人公は倦怠感から抜け出せない。「保護した記憶はつねに曖昧に輪郭をぼかし、保護された記憶ばかりが、つねにしみつく」と主人公は、少女の頃を慈しむ。

 江國は「あとがき」の中で、この本は「かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短編集になっているといいです」と書いているが、十二篇の短編のいずれもが喪失をはらみながらも継続していく日常を描いている。
 それは江國自身の、現在の居場所かもしれないし、美しさの絶頂にある女性がもつ不安そのものだともいえる。そして、そのような日常生活をさらりと表現してしまう江國香織は、やはり天才なのかもしれない。
  
(2004/01/07 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  明日(1月16日)の夜
  発表される芥川賞・直木賞だが
  今回が150回めの節目ということもあって
  早くも話題になっている。
  朝日新聞の1月10日夕刊の一面トップは
  「芥川・直木賞 脈々150回」だった。
  記事によると
  この賞は作家にとって
  生涯の支えになる肩書きだとある。
  第1回の芥川賞候補者となった太宰治
  「芥川賞をもらへば、私は人の情に泣くでせう」と
  書いたのは有名な話。
  それほどに欲しかった。
  ということで
  今日と明日は
  芥川賞・直木賞受賞前哨戦として
  過去の受賞作を
  紹介します。
  今日は芥川賞から
  津村節子さんの『玩具』。
  私が読んだのは
  「芥川賞全集」の第6巻。

  じゃあ、読もう。  
  
「さい果て」「玩具」『茜色の戦記』『星祭りの町』『瑠璃色の石』 (津村節子自選作品集 1)「さい果て」「玩具」『茜色の戦記』『星祭りの町』『瑠璃色の石』 (津村節子自選作品集 1)
(2005/01/19)
津村 節子

商品詳細を見る

sai.wingpen  当時の選考委員は過激だった                   

 第53回芥川賞受賞作。(1965年)
 津村節子の夫は作家の吉村昭であることは有名。ともに学生時代に文芸部で活躍し、結婚してからも同人誌で作品を発表し続けた作家夫婦である。
 吉村は何度も芥川賞の候補になりながら遂に受賞しなかったが、妻である津村が受賞作家になったことは二人の関係にどう影響したのだろうか。
 しかも受賞作となった「玩具」という短編では吉村らしき作家をめざす夫のわがままぶりが目をひく。その頃の吉村が書いていた骨にこだわる作品のことまでも丁寧に描かれているのであるから、夫としてはつらかっただろう。

 ところが、この受賞作は当時の選考委員には頗る評判がよくない。
 石川達三委員などは「詮衡結果には、私は不満」とまず始める。さらにはこの作品を「大きさも無いし高い精神も見られない。描写だけで終わっている」と、厳しい。
 この作品が、作品としての短さもそうだし、題材が夫婦ものという狭さもあって、いったいにこの回の選考では小品として低く評価されている。
 この回の前の第52回は「受賞作なし」で、石川委員などは「もし前回に受賞作があったら、「玩具」は当選にならなかったと思う」とまで書いている。

 石川達三は少し言い過ぎだが、芥川賞にはそういうやや出版社側の事情もないではない。
 さらには、津村の場合でもさうだが、前回候補となった「さい果て」の出来との合わせ技受賞ということもある。
 このあたりが芥川賞の性格の難しさといえる。
 芥川賞は作家への受賞なのか、作品への受賞なのかということだ。
 当然何度も候補に選ばれながら受賞できなかった作家がいるくらいであるから、作品に与えられる賞のはずだが、津村のように何作かの作品の評価が高まって受賞ということもある。

 この作品で津村が飛躍的に脚光を浴びたということはない。まして、芥川賞を受賞しなかった吉村がそれ以降爆発的に売れる作家になるなどとは、この時点では誰も思わなかっただろう。
 もしかすると、吉村昭と津村節子という二人の作家にとって、芥川賞はややこっけいな賞だったのではないだろうか。
  
(2014/01/15 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  先日NHKの「クローズアップ現代」で
  今日紹介する本、
  『武器より一冊の本をください』の主人公
  マララ・ユスフザイさんの単独インタビューが
  放映されました。
  マララ・ユスフザイさんのことは
  この本を読むまでは
  名前ぐらいしか知らなかったのですが
  番組の中で
  目をまっすぐにして
  しっかりと話すマララさんの姿は
  印象に残りました。
  いま、マララさんはまだ16歳。
  彼女は政治家になりたいと
  話していましたが
  その目標のなんとしっかりしていることでしょう。
  もしかしたら
  環境がマララさんを作ったとも
  いえるでしょう。
  今のこの日本でマララさんが
  生まれることはないかもしれません。
  でも、マララさんの姿をみて
  これからはこの国にも
  たくさんのマララさんが誕生するかも
  しれません。
  
  じゃあ、読もう。

武器より一冊の本をください 少女マララ・ユスフザイの祈り武器より一冊の本をください 少女マララ・ユスフザイの祈り
(2013/12/05)
ヴィヴィアナ・マッツァ

商品詳細を見る

sai.wingpen  マララを動かす                   

 2013年のノーベル平和賞は、授賞こそしなかったものの、一人の少女に話題が集中しました。
 少女の名前はマララ・ユスフザイ。パキスタンに生まれた、まだ16歳の少女です。
 何故マララが世界の注目を集め、ノーベル平和賞の候補にもなったのでしょう。
 数発の銃声がマララの名を一躍世界に広めました。
 事件が起こったのは、2012年10月9日。当時15歳だったマララは通学途中にタリバンの兵士によって襲撃されたのです。
 それは巻き添えの事故ではありませんでした。兵士はマララを狙って襲撃したのです。
 何故15歳の少女が狙われなければならなかったのでしょう。
 彼女は強く恐ろしい大人たちがすすめていること、例えば女子校の閉鎖や女子の地位の差別などに抗議する行動をとっていました。
 そのことで標的にされたのです。

 マララの名前を耳にした人は多いと思います。銃撃されて一命を取り留めた、そのニュースが世界中を駆け巡ったことも、聞いた人もいるでしょう。
 でも、実際にマララはどんな少女だったのか、何故命を狙われなければならなかったのか。詳しくはわからないのではないでしょうか。
 この本では、マララが生まれたパキスタンという国が抱えている問題とそこに生きるマララの姿が子どもたち向けにやさしくわかりやすく描かれています。
 女子であっても男子と同じように教育を受けている私たちの国で、あるいは服や音楽といったさまざまなものがあふれているこの国の子どもたちにとって、マララが直面している悲しみや苦しみは実感できないかもしれません。

 本の中には活字があるだけです。でも、本を読むということは活字を読むことではありません。
 物語の主人公を生き生きと動かすのは、読者の想像力といっていいでしょう。
 想像力でこの本のマララにいのちを与えてみて下さい。そうすれば、マララが願っているものがいかに根源的なことであるかがわかるのではないでしょうか。

 2013年7月、国連の場でマララは演説を行いました。その演説の中でマララはこう話しました。
 「一人の子ども、一人の教師、1冊の本、そして1本のペンが、世界を変えられるのです」。
 この本を読んだ読者もまた、同じです。
  
(2014/01/14 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は成人の日

   成人の日のストールの中の顔   鷹羽狩行

  せっかくなので
  新成人、もしくは若い人に
  これだけは読んでもらいたいという
  本を紹介します。
  茨木のり子さんの『詩のこころを読む』です。
  この本は
  岩波ジュニア新書の一冊ですから
  もともとが若い人向きに
  書かれたものです。
  茨木のり子さんの有名な詩「わたしが一番きれいだったとき」は
  教科書にも載っていたようですから
  この詩人のことを
  知っている人も多いと思います。

    わたしが一番きれいだったとき
    だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
    男たちは挙手の礼しか知らなくて
    きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

  とあるように
  1926年生まれの茨木のり子さんは
  一番きれいだった時に
  戦争と終戦と戦後の混乱を
  体験しています。
  今日成人の日を迎えられる人は
  今が一番きれいな時だと思います。
  そのことの仕合せを
  今という時代の仕合せを
  しっかりと自分のものに
  してもらえることを
  願います。
  今日のこの本は再読になります。

  じゃあ、読もう。

詩のこころを読む (岩波ジュニア新書)詩のこころを読む (岩波ジュニア新書)
(1979/10/22)
茨木 のり子

商品詳細を見る

sai.wingpen  自分の感受性くらい 自分で守れ                   

 「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄//自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」。
 これは、詩人茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩の最後の一節です。
 あるいは有名な「倚りかからず」でもそうですが、茨木さんの詩には凛とした強さがあります。
 それでいて詩集『歳月』にあるように早くにして亡くなったご主人を愛おしむ女性の官能も合わせもっています。
 そんな詩人茨木のり子さんが若い読者に向けて書いた詩論が、この作品です。

 茨木さんにとっては「一篇五億円くらいの値打ちあり」という詩の数々が紹介されています。
 例えば、谷川俊太郎。例えば、石垣りん。例えば、大岡信。例えば、金子光晴といったように。
 戦後の詩がほとんどですが、戦前のものや外国のものもあります。
 それらの詩にそって、詩論ですから、「詩は感情の領分に属していて、感情の奥底から発したものでなければ他人の心に達することはできません」というようなことも端々に書かれています。
 その部分だけを掬うようにして読むのも方法だと思います。

 けれど、この本ではそれだけを読むのはもったいない。
 凛と生きた茨木さんの強い思いを掴みとってもらいたいと思います。
 「長い模索とあちらにぶつかりこちらにぶつかり」している若い人に、けれど多くの大人たちもそうです、茨木さんは詩の姿を借りて、強く生きることを伝えています。
 まさに「自分の感受性くらい/自分で守れ」です。
 茨木さんは日本の詩歌には人間の喜怒哀楽の「怒」の部分が弱いと感じていたようです。それが「日本の詩歌のアキレス腱」だと思っていました。
 そんな思いが、「自分の感受性くらい」の最後にある「ばかものよ」に込められていたのだと思います。

 この本には詩の美しさ、その成り立ち、言葉の力が描かれているとともに、何ものにも倚りかからず生きた茨木のり子さんがすっくと立ち上がっているように見えます。
  
(2014/01/13 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今年は午(うま)年
  ならば、馬を描いた絵本はないかと
  図書館で探してみました。
  図書館では色々な企画展をよくしていますが
  馬にちなんだ絵本を
  集めているコーナーがさっそくあって
  感心してしまいました。
  そこで見つけたのが
  この『スーホの白い馬』です。
  もう50年近く読み継がれている
  絵本の名作でもあります。
  文は大塚勇三さんが書いて
  絵は赤羽末吉という人が担当しています。
  赤羽末吉さんは末吉という古風の名前の通り
  1910年生まれの画家です。
  1990年に亡くなったそうですが
  赤羽末吉さんの絵が
  とてもいいのです。
  この絵でなければ
  ここまで永く読み継がれなかったのでは
  ないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

スーホの白い馬―モンゴル民話 (日本傑作絵本シリーズ)スーホの白い馬―モンゴル民話 (日本傑作絵本シリーズ)
(1967/10/01)
大塚 勇三

商品詳細を見る

sai.wingpen  午年に読みたい一冊                   

 午(うま)年なので、せっかくだから、馬の絵本を読もうと思いました。
 その時、すぅっと目に飛び込んできたのが、この『スーホの白い馬』でした。
 奥付を見ると「1967年10月」発行とあります。もう50年近く前の絵本です。
 それが何度もなんども読み返され、読み継がれているのですから、驚きです。
 しかも、この物語はモンゴルの民話を組み立て直した作品で、文も絵も日本人によるものです。
 なのに、こうして読み継がれてきたのは何故でしょう。

 この物語はモンゴルの楽器馬頭琴(ばとうきん)がどうして誕生したのかを伝える昔からのお話です。
 モンゴルの草原を生きる少年スーホと彼の白い馬の悲しい物語が読むものの胸を打つといえます。
 実際に馬頭琴がどのような調べを奏でるのかはわかりませんが、モンゴルの草原に吹く風の音、馬たちのひづめの音、
草原を駆ける馬たちの息の音などが相俟って、どのページからも音楽が聞こえるかのようです。
 絵本は文と絵だけでできあがっていますが、この作品には音が常に流れています。
 それが物語に深みを与えているといっていいでしょう。

 スーホはある日草原で迷っていた小さな白い馬を助けます。
 月日が経ち、りっぱに成長した白い馬とともにスーホは殿さま主催の競馬の大会に出ることになりました。
 そこで勝てば殿さまの娘と結婚できるというのです。
 競馬が始まって、一斉に馬たちが駆け出します。先頭は、スーホの白い馬です。
 競技に勝つものの殿さまは約束を守らず、スーホに乱暴さえ働きます。
 白い馬は殿さまの兵士たちを振り切って、草原のスーホのもとに戻っていきます。けれど、白い馬のからだには無数の矢が突き刺さっていました。
 死を目前にした白い馬は自分のからだで楽器を作るようにスーホに願います。
 「そうすれば、わたしはいつまでも。あなたのそばにいられます。あなたを、なぐさめてあげられます」。

 この絵本のもう一つの魅力は、馬と人間の交流です。
 太古の時代から馬は人間にやさしく寄り添ってきたのではないでしょうか。
 馬の大きくてやさしい目をみると、なんだか守られている気持ちになります。
 そんなことが、この絵本にはきちんと表現されています。
 午年なのですから、せめてこの絵本を読んで、馬のことを思ってみるのもわるくありません。
  
(2014/01/12 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から
  今日で2年10ヶ月
  被災地東北は
  また厳しい冬のなかにあります。
  今日紹介するのは
  津村節子さんの『三陸の海』という
  作品です。
  津村節子さんの夫は
  故吉村昭さん。
  吉村昭さんといえば
  『三陸海岸大震災』の著作もある作家ですが
  岩手の田野畑村とは縁が深い。
  太宰治賞を受賞した『星への旅』という作品は
  この田野畑村を舞台に書かれています。
  吉村昭さんの作品とは
  『星への旅』などの初期の作品で
  出会っています。
  二十歳前だったと思います。
  多分『星への旅』というセンチメンタルな題名が
  気に入って読んだのが
  最初だったと思います。
  その村のこと、
  吉村昭さんと津村節子さんとこの村とのつながり
  そして、震災後の姿が
  静かに書かれています。
  そんな津村節子さんの書く姿勢に
  感服します。
  夫吉村昭さんが亡くなったとはいえ、
  この夫婦はいつまでも
  夫婦なんだなあと
  感じています。

  じゃあ、読もう。
  
三陸の海三陸の海
(2013/11/26)
津村 節子

商品詳細を見る

sai.wingpen  海は静かに眠っている                   

 「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」と書き、『三陸海岸大震災』や『関東大震災』で地震の危険性を警告していた吉村昭が亡くなったのは、東日本大震災が起こる5年前の2006年の7月だった。
 もし、吉村が生前東日本大震災を目にしていたとしても、「だからいわんこっちゃない」とは口にしなかったであろう。ただ、瞑目し、静かに涙したのではないか。
 吉村と三陸の海とは深いつながりがある。
 芥川賞の候補に何度も選ばれながら結局は受賞にはいたらない日々。再起をかけて取材したのが岩手県田野畑村だ。そこから生まれたのが『星への旅』で、この作品で第2回太宰治賞を受賞し、作家として実質的なデビューを果たす。
 その縁で吉村はその後何度となく「日本のチベット」とも呼ばれた村を再訪することになる。
 吉村の唯一となる文学碑が田野畑村にある。そこには「田野畑村の空と海 そして星空の かぎりない美しさ」と印されている。

 これらのことは吉村昭の妻で作家の津村節子が書いたこの本の中に書かれている。
 震災のあった2011年3月11日、津村はこれもまた吉村にとって思い出深い長崎にいた。
 その記述から書き起こされ、吉村とともに行商に行った三陸の町々のこと、吉村のデビュー当時の思いなどが綴られていく。
 田野畑の被災を聞いた津村は「村が心配で行きたい」といち早く村役場に電話をいれるのだが、村はまだ混乱状態で津村の希望は実現しなかった。
 強引に行くのではなく、落ち着くのを待つ。このあたりは津村の大人の対応といっていい。
 吉村が生きていてもそうしたかもしれない。
 興味本位で行くのではない。待つこともまた、祈りに近い思いだったに違いない。

 そんな津村が田野畑にはいることができたのは、2012年の6月だった。
 そこで津村は「吉村がいつも釣りをしていた突堤」が残っているかと淡い期待をするが、目にしたのは「コンクリートの残骸」で「漁港としての賑わいは、遠い昔の夢のよう」であったと、作品の後半、被災後の田野畑を描いた訪問記の中に書いている。

 この作品には深い慟哭はない。吉村の警告が生きなかった悔悟もない。
 ただ静かに、吉村が愛した田野畑をじっとみつめている。何故か、そんな津村の横に悲しそうに佇む吉村の姿がいつもあるかのように感じる。
  
(2014/01/11 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  以前から桜木紫乃さんの
  『ラブレス』はいいよって噂では
  聞いていました。
  直木賞受賞前の作品ですが
  さてどれくらいいいのかと
  新潮文庫の新刊になって
  読みました。
  これがまたすごい。
  それぐらいいい長編小説です。
  後半になるにしたがって
  どんどん良くなってくる。
  実は2014年の正月三が日は
  この『ラブレス』の読書真っ最中だったのです。
  それにしても
  桜木紫乃さんって
  すごい作家ですよね。
  今年もしっかりマークしなくては。
  あわせて
  これまでの桜木紫乃さんの作品も
  読んでみなくては。
  今頃何いってるのという
  冷たい視線覚悟で。

  じゃあ、読もう。

ラブレス (新潮文庫)ラブレス (新潮文庫)
(2013/11/28)
桜木 紫乃

商品詳細を見る

sai.wingpen  この作品で直木賞がとれなかったのが不思議なくらい                   

 第146回直木賞候補作。(2012年)
 そのあと、『ホテルローヤル』で第149回直木賞を受賞した桜木紫乃にとってはそれはもうどうでもいいことかもしれない。
 この作品は直木賞こそ受賞しなかったものの、島清恋愛文学賞などいくつかの賞を受賞している。
 しかし、北海道の貧しい開拓地に生まれ、幼くして男性に犯され、この地を訪れた旅芸人一座に身を投じ、流転の人生を生きた女性の一生を見事に描いたこの力作長編が何故直木賞を受賞しなかったのか、不思議な気がする。
 ちなみにこの回の受賞作が葉室麟の『蜩ノ記』だったとはいえ、桜木のこの作品は十分に直木賞の力量をもっていたと思えるほど、骨格の太い作品に仕上げっている。

 この時の「選評」で宮部みゆき委員が「どうして受賞に届かなかったのか、振り返って考えてみると不思議で仕方ありません」と書いているように、それと同じような選評を他の委員も書いていて、「完全にやられ」てしまう巧さが随所にある。
 なんといってもこれだけの長編を読ませる力は並大抵ではない。
 物語は百合江という女性を核にしながらも、その母ハギの貧しくけっして幸福とはいえない一生も、自分の誕生日と同じ日に亡くなったという姉の綾子の人生を謎解きのように感じる百合江の娘理恵につながる女三代の人生は「みな同じように脱皮を繰り返し、螺旋階段を上るように生きて」いったものだ。
 百合江の妹の里実は家の貧しさ暗さを力ずくではがすようにして美容師の資格をとり、世間的にいえば裕福な生活を得ているものも、夫が別の女に生ませた小夜子を育てざるをえない運命をもひきずっている。
 百合江と里実の一生はまるで左右対称のように違う。どちらが幸福でどちらが不幸など、誰もいえはしない。

 死の床にある百合江に「ユッコちゃん、だいすきよ」と囁く男など里実にはいない。だから、その姿を見て、里実は「床にへたり込んだ」ともいえる。
 しかし、それはあまりにもきれいごとすぎるとも思う自分もいる。
 できるなら、生きている間にそう囁いて抱きしめてあげるべきだ。
 いや、そんなことすら気にすべきではない。これは百合江の人生だ。
 読者は少なくともこの長い小説で百合江の悲しみも喜びも、愛の苦しみもともにしてきたのだから。
 この作品で直木賞は受賞しなかったが、まぎれもなく桜木紫乃の代表作になりうる作品だ。
  
(2014/01/10 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は純粋に
  R15の官能小説の紹介です。
  お子様たちは気をつけて下さい。
  おとなの女性は大丈夫。
  何しろ作者の花房観音さんも女性ですし
  官能小説だからといって 
  男性だけのものにしておくのは
  もったいない。
  程度の差こそあれ、
  文学はさまざまな性の世界を描いてきました。
  性とはそれほどに
  人間が人間たる所以なる問題でも
  あるわけで。
  とくちゃくちゃいっても
  始まりませんね。
  紹介するのは
  『女坂』という講談社文庫オリジナル作品
  花房観音さんの作品が好きで
  このブログでも何回か
  紹介していますよね。
  女性ならではのソフト感が
  気にいっています。
  それが舞台となる京都と巧みに
  合っています。

  じゃあ、読もう。  

女坂 (講談社文庫)女坂 (講談社文庫)
(2013/08/09)
花房 観音

商品詳細を見る

sai.wingpen  いややわぁ                   

 花房観音は『花祀り』で第1回団鬼六賞を2010年に受賞した。
 団鬼六といえば官能SM作家としてその名は広く流布されているように、この賞は官能小説を対象にしている。
 花房は女性ながら栄えある第1回受賞作家となったのだ。
 そのあとも、京都を舞台にいくつかの官能作品を上梓し、女性官能作家として注目を集めている。
 この作品も京都の女子大の寮を舞台に女性同士の淫靡な愛を描いた官能小説である。

 主人公の水絵は和歌山の南端の田舎町の高校から京都の「お嬢様学校」といわれる女子大学に入学した。
 「真面目でおとなしい」水絵は、「自分で自分の人生を切り開くような大人」になるために、親元を離れた。しかし、ひとり暮らしは認められず、大学寮に入れられてしまう。
 そこで出会ったのが、有名な日本画家の父をもち、妖しい魅力をもった4年生の日菜子だった。
 物語は水絵を溺愛するようになる日菜子の異常ともいえる官能場面が続く。
 日菜子の愛から逃げようとする水絵が愛した男子学生も日菜子の嫉妬によって壊されていく。
 男とは身体の関係だけを求めるものか。
 愛にもセックスにも絶望した水絵は寮を去り、日菜子とも別れていく。

 官能小説だから、官能場面が続く。
 それを彩るように京都の四季や名所の風情が艶やかに描かれていく。
 花房観音の魅力は何よりも京都を実にうまく使うことにある。
 加えて、京都弁が官能の度合いを高めている。
 主人公の水絵の標準語に対して、水絵に迫る日菜子のうずくような京都弁はどうだろう。
 桜の舞い散る「女坂」で運命的な出逢いをした水絵と日菜子。そのあと、寮の風呂場で水絵の裸を見たいと迫る日菜子の科白。
 「女同士なんやから、そんな恥ずかしがらんでも、ええのに」。
 それに答える水絵。「あ、あの、見せられる裸じゃないんで」。
 日菜子の使う京都弁の官能が全編繰り広げられるのである。

 花房観音は京都という土地の妖力を官能の世界に甦らえさせたといえる。
 京都という街は実に奥深い。
  
(2014/01/09 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  女が三人寄ると
  「姦」しい、になる。
  うまいものだ。
  「嬲」(なぶ)る、という字も
  男二人の間に女が一人。
  なんとなく雰囲気がでている。
  漢字をじっと見つめれば
  なんだろう、
  なんだか物語がすっくと浮かびあがってくる。
  今日はそんな世界を描いた
  吉田篤弘さんの『うかんむりのこども』という
  本を紹介します。
  「字」について
  書かれた小文集です。
  といっても
  字についての論文でもありませんし
  その由来についての本でもあまりません。
  私はどちらかというと
  詩を読んでいる気分で読みました。
  判型自体も横長の変形で
  詩集のようなしゃれた造りに
  なっています。
  こういう本は
  ゆっくり読むのに限ります。

  じゃあ、読もう。
  
うかんむりのこどもうかんむりのこども
(2013/09/30)
吉田 篤弘

商品詳細を見る

sai.wingpen  漢字をじっと見つれば見えてくるもの                   

 不思議な書名だ。
 この書名で何が書かれているかはわかるはずもない。
 まず、「うかんむり」を書いてください。「ウ」。次に「こ」を漢字で書いてみて下さい。「子」。
 二つの字をあわせると、どうなります?
 「字」。
 この本は「字」について書かれた小文集なのです。

 「物事の原初は、字を眺めるうちに浮かんできます」と、著者の吉田篤弘は書いています。
 私たちにもし絶対ということであれば、「死」と「子ども」であったということ。難しいことをいう大人も色っぽいお姉さんも、いつかは必ず死ぬし、かつては「子ども」であったということ。
 そして、大切な「字」という文字の中に「子ども」がいることに、吉田は感心してしまいます。
 「銀座百点」という雑誌に連載エッセイを頼まれた吉田はここから始めるのです。

 「心さみしいときは」という小文にこんな一節があります。
 「日々が好きだ。そして、日々を書くことが好きだ。書く、ということがなかったら、どんなにつまらないだろう」、こんなふうにいえる吉田がうらやましい。
 毎日日記をつけている人は、吉田のこの言葉にうなづくだろう。
 その幸福。
 さらに、吉田は自分の好きなものを並べていく。「夏」「花」「香」…。
 言葉遊びといってしまえばそうなのだが、言葉とじゃれあっている、そういう無邪気さが心を温めてくれる。

 何かを深く考える本ではない。
 腹の底から笑えるものでもない。
 過剰な知識が得られるものでもない。
 しかし、こういう温もりは大切だろうと思う。
 物事が多様化し、拝金ともいえる考えが蔓延し、競争社会だといって走り続ける私たちに、たまには立ち止まってじっと「字を眺める」なんていうことは生産性という概念からはほど遠いかもしれない。
 でも、こういう時間を過ごすことこそ、私たちにとって本当に大事なことなのではないかしら。

 この本を読む仕合せは、そこにある。
  
(2014/01/08 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  小売業というのは厳しい職場だ。
  今では元日営業も当たり前のようになっているから
  正月だからといって
  休みもない。
  何十年前は大晦日ともなれば
  お客様でごったがえしていた風景も
  今ではほとんど見られない。
  元日であろうとやっているのだから。
  でも、そういう人がいて
  初めて経済活動もなりたっている。
  電車の運転手さんも
  警察官も
  病院だって休むことはない。
  温泉でのんびり過ごす人もいれば
  温泉で一生懸命ごちそうを作っている人もいる。
  小売業で働いている人たちにとっても
  お店に来て、「開いててよかった」と
  喜んでもらえるからこそ
  働き甲斐があるというもの。
  お客様の笑顔を
  間近にみられる喜びは
  何にも替えがたい。
  今日紹介する本は
  小売業イオンの創業者岡田卓也さんの
  「私の履歴書」、
  『小売業の繁栄は平和の象徴』。

  じゃあ、読もう。

小売業の繁栄は平和の象徴 私の履歴書 (日経文芸文庫)小売業の繁栄は平和の象徴 私の履歴書 (日経文芸文庫)
(2013/10/25)
岡田 卓也

商品詳細を見る

sai.wingpen  小売りは雑魚ではない                   

 著者の岡田卓也は小売業のイオン(創業当時はジャスコという名前)の創業者。
 元々は三重・四日市の老舗の呉服屋「岡田屋」にさかのぼる。昭和44年(1969年)にフタギとシロと合併し、ジャスコを立ち上げた。
 もし、「岡田屋」が四日市という地方都市でなければ百貨店という選択もあったかもしれない。けれど、現在のイオンの隆盛をみれば、岡田卓也の選択は正しかったといえる。

 岡田は大正14年(1925年)に200年以上続く老舗の大店の世襲として生まれたが幼くして両親をなくしている。それでも、この「私の履歴書」には「あまり寂しいと思わなかった」とある。
 当時の店の店員や姉たちが岡田をかわいがってくれたからだ。
 もちろんこの当時の青年期を迎えた岡田も兵役に召集されている。ただ岡田より三歳年上になるダイエーの創業者の中内功がフィリピンの戦場で飢餓の死線をさまよったことを思えば、岡田のそれは軽微であった。
 中内はこの戦争時の体験を通じ、「物質的な豊かさ」に自身の経営哲学を持ち、それは終生変わることはなかった。
 戦後まもない時期、中内の思いは時代の牽引となったが、高度成長にはいり、豊かさが個々多様になってきたあともそのことから脱却できなかったダイエーの凋落が始まる。
 そして、いま、ダイエーは岡田が作ったイオンの傘下にある。

 戦争が終わり四日市に戻った岡田には焼けてしまったとはいえ、「岡田屋」という看板があった。そこでいち早く店舗の復興を果たす。
 しかし、岡田を悩ましたのは旧態然としたまわりの評価、「小売りは雑魚」という言葉に発奮し、伸びていく。
 その風潮は払拭されたとはいえない。
 イオンやヨーカドーがどれだけ売り上げを伸ばそうが、(もちろんその先駆けとしてダイエーがあるのだが)、百貨店の格式を払拭できているわけではない。
 経済統計ではやはり百貨店売上高は重要な指標だし、スーパーはいまだに新興的な扱いを受けている。
 岡田はこの本のタイトルのように、「小売業の繁栄は平和の象徴」と語るが、まだまだ浸透しているとはいえない。

 いまやイオンは巨大企業だ。その礎を作った岡田の「私の履歴書」。
 その割には、あまりにも優等生的な記述が多い。それもまた、岡田卓也という人間の資質なのかもしれない。
  
(2014/01/07 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今日から仕事始めという
  人も多いでしょうね。
  私は4日が仕事初めでしたが
  実質的には今日から本格始動。
  今年は暦の関係で
  長い休暇となった人も多かったと思います。
  なまった気分を一新するために
  今日は
  城山三郎さんの箴言(しんげん)集である
  『人生の流儀』という本を
  紹介します。
  仕事というのは
  時には自分でムチをいれることも
  必要です。
  ムチをいれることで
  奮い立たせるのです。
  ムチといっても
  心へのものですから
  こういう本を読んで
  仕事モードにすることです。
  「ビジネスマンに贈る珠玉の言葉」とありますが
  ビジネスマンだけでなく
  生きることそのものにも
  時にムチが必要です。
  長い休暇でだれた気持ちに
  この一冊は最適。

  じゃあ、読もう。

人生の流儀人生の流儀
(2008/03/19)
城山 三郎

商品詳細を見る

sai.wingpen  人生あわてても仕方がない                   

 本を読む時はいつも付箋を手元に持つようにしている。
 ここぞという文章に出合った際に印をつけるためだ。ペンで線をひく人もいるが、小さい頃からその癖をもたなかったせいで、本に書き込みをするのに抵抗がある。
 だから、付箋。
 読後に付箋の箇所を覚え書のようにして残しておく。
 ビジネス本だけでなく、小説であれ詩集であれ同じだ。
 ついた付箋の数が多い程、いい読書であったと思う。

 経済小説の第一人者だった城山三郎の数多くの作品からこれはという珠玉の言葉を集めたこの本に、「箴言」という言葉が使われている。
 「箴言」というのは、「いましめとなる短い句。教訓の意味をもった短い言葉」という意味だが、その言葉通り、選ばれた一つひとつの言葉は短い。それでいて、深く考えさせられる。
 それを八つの章立てにしてまとめている。
 一例をあげれば、第一章の「たった一つの人生をゆく」には「人生の成功は、どこに行ったというんじゃなくて、どういう旅をしたかっていうことですね」という言葉が『プロフェッショナルの条件』という作品から紹介されている。
 このような言葉が「ビジネスの世界を生き抜く」「サラリーマンの処世」「上司の仕事、部下の仕事」「リーダーの資質」「経営の要諦」「プロフェッショナルの仕事」、そして「人生の風景」という章立てで続く。

 さすがに選りすぐりの言葉だけあって、こういう本に付箋をつけていけば付箋だらけになってしまう。
 城山の言葉に勇気づけられ、なぐさめられ、よし今日もまた頑張ろうと願うのであれば、できれば、何度でも読み返すのがこの本の「いい読書法」だといえる。
 もしかしたら最初に読んだ時に感銘を受けた言葉が次に読む時には平凡に見え、違う言葉が生き生きとしているなんていうこともあるだろう。
 それはそれで自分が生きている証しでもある。

 「人生あわてても仕方がない」という言葉もある。
 これは城山の『打たれ強く生きる』からの引用だが、その後半はこうある。
 「まわりはどうあろうと、自分は自分で、たったひとつしかない人生を大事に見つめて歩いて行く」。
 まさに城山作品の付箋をまとめたような一冊だ。
  
(2014/01/06 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  今年最初の絵本は
  岩崎京子さんの『十二支のはじまり』という
  日本の民話からの
  紹介で始めます。
  絵本の魅力のひとつに
  四季折々の作品が読めることが
  あります。
  この『十二支のはじまり』は
  正月に読むのが一番。
  春には春の、
  夏には夏の、
  秋には秋の、
  冬には冬の、
  絵本を見つけるのはそんなに
  難しいことではありません。
  子どもたちには
  日本の四季を楽しめる人に
  なってほしいもの。
  そういう絵本を読みながら
  四季って本当に素晴らしいことを
  その四季にあったさまざまな伝統があることを
  わかって、
  さらに次の人たちに伝えていってもらいたい。
  絵本には
  そんな力があります。

  じゃあ、読もう。

十二支のはじまり (日本の民話えほん)十二支のはじまり (日本の民話えほん)
(1997/11)
岩崎 京子

商品詳細を見る

sai.wingpen  もぐら年があってもいいんじゃないか                   

 「トムとジェリー」はアメリカの1950年代のアニメだが、今でも人気が高い。
 いつもネズミのジェリーに騙されているばかりの猫のトム、そんな二匹によるドタバタ劇だが、猫とネズミの関係はどうも古今東西同じらしい。
 その訳は、どうもうんと昔、神様がその年の代表を動物たちの中から決めると発表したところかららしい。
 ネズミは猫にその集合日を騙して教えて、干支、つまり12匹の動物、から猫がはずされたということで、それ以来猫はネズミを追い回しているのだという。
 もし干支に猫がはいっていたら、人気アニメ「トムとジェリー」は誕生しなかったのだ。

 干支は日本人にとっては欠かせない。
 誕生年を聞く際にも、それだと干支は何何だねと必ずくっつける。同じ干支でも一回り違うんだ(つまり、それだけ年上あるいは若い)というぐらいに、日常的にもよく使う。
 十二支の最初はネズミ。でも、どうしてネズミなの、って誰もが思う。もっと大きくて強そうな動物がいるのに、どうしてネズミから始まるの?
 どうしていのししが最後なの?
 子どもなら一度は考える疑問。
 そんな疑問に答える昔話を絵本にしたのが、この絵本。
 正月ならではの絵本だ。

 今年(2014年)は午(うま)年だが、ネズミから始まる干支の7番めに馬がはいって、そのあとに羊が来るのか、この絵本ではどちらかというとすっとスルーされている。
 足の速い馬なら、もっと上位をねらえたはず。せめてへびよりは神様の門に早く到着したのではないか。
 誰もがそう思うだろうが、これは昔話だから、そう真剣にいっても埒がない。
 ここはひとつ大人の対処で、馬はなんとか7番めと覚えておこう。
 一番最初にこの話を考えた人も、たぶんはそうして干支に猫がはいっていないのかという疑問から始まったのだろうから、足の速い馬であっても、7番めにするもっともな理由は考える必要はなかったのだろう。

 干支から選のもれた動物は猫以外にもいる。
 有名? なところでは狐とタヌキ。蛙なんかもはいっていてもよさそうだ。
 どこかの政党が影の大臣を選んだように、影の干支があっても面白いかも。
 「何年?」「今年の干支の、もぐら。年男なんだ」、なんて。
  
(2014/01/05 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ明日(1月5日)から
  NHKの新しい大河ドラマが
  始まりますね。
  2014年のNHK大河ドラマ
  「V6」の岡田准一さんが演じる
  「軍師官兵衛」。
  戦国時代の名将黒田官兵衛を描いた
  ドラマです。 
  織田信長役には江口洋介さん、豊臣秀吉役には竹中直人さんと
  いい役者さんもそろっています。
  「八重の桜」のように
  一年間見れるかどうか
  あまり自信がありませんが
  とにかく明日の初回は
  見ましょうかね。
  ところで、
  その黒田官兵衛を葉室麟さんもかつて書いたことがあって
  それが今日紹介する
  『風渡る』です。
  この作品ではキリシタン大名だった黒田官兵衛の姿が
  描かれていますが、
  果たしてNHKの大河ドラマでは
  そのあたりのところを
  どう描くのか
  それも見ものです。

  じゃあ、読もう。

風渡る (講談社文庫)風渡る (講談社文庫)
(2012/05/15)
葉室 麟

商品詳細を見る

sai.wingpen  2014年の大河ドラマの主人公を葉室麟が描いてみれば                   

 黒田官兵衛。「名将」「軍師」と称される戦国時代の武将である。
 2014年NHKの大河ドラマの主人公に選ばれて、おそらくこの1年、官兵衛の関連本がたくさん出版されることだろう。
『蜩ノ記』で直木賞を受賞した葉室麟にはすでに官兵衛を描いた作品がある。
 それがデビューまもない2008年に書き下ろしで描かれたこの作品だ。もちろん、その主人公がNHKの大河ドラマに描かれるなど想像もしていない。
 NHKの大河ドラマがどんな官兵衛を描くのか興味がわくが、葉室はこの作品で信長や秀吉と関わりあった官兵衛というよりキリシタン大名だったその姿に多くの筆を割いている。

 その姿を鮮明にするためにこの作品ではキリシタン修道士ジョアンもまた濃く描いている。
 ジョアンは日本人ながらその容姿は異国のもので、彼自身、自分の出生についての謎を解きたいと願っている。そんなジョアンはまったく架空の人物ではないようだが、この作品では葉室の想像が生み出した人物といっていい。
 葉室はジョアンを創作することで、官兵衛というより、信長や秀吉の時代のキリシタンたちの姿を描かこうとしたのではないだろうか。
 福岡という地域に思い入れの強い葉室であるから、黒田官兵衛というかの地での祖のような武将を描きたいという思いはあっただろう。けれど、まだ官兵衛という人物を描ききるには、葉室の筆も若かったといえる。
 だとしたら、官兵衛のキリシタン大名という側面で描いてみようかということではなかったか。

 そうはいっては「軍師」と呼ばれた官兵衛を描くのであるから、その知恵もまた描きたいという思いはあったであろう。
 葉室は明智光秀による本能寺の変は官兵衛が巧みに仕組んだそそのかしによるものという設定をしている。
 時代小説のこういう想像の自在さがうれしい。
 戦国時代は信長や秀吉あるいは家康といった大物武将だけでなく、彼らをとりまくさまざまな人間模様が面白い。ましては、記録といっても限りはある。だからこそ、時代小説が生まれる土壌が豊かにあるといえる。
 ただし、その土壌でどんな大輪を咲かせるかは作家次第といえるだろう。
 惜しむらくは、官兵衛を描くにはまだこの時期の葉室は満ちていない。
 『蜩ノ記』『潮鳴り』をものにした葉室麟に、もう一度黒田官兵衛を描いてもらいたいものだ。
  
(2014/01/04 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
プレゼント 書評こぼれ話

  2014年最初に紹介する一冊
  なんとも素敵な小説に
  なりました。
  伊集院静さんの『ノボさん』。
  副題にあるように
  これは明治の文学者正岡子規夏目漱石
  描いた小説です。
  この作品の正岡子規
  なんという若々しさ。
  こういう作品を読むだけで
  心が弾むような感じがします。
  もちろん伊集院静さんの巧さもあるでしょうが
  正岡子規という人の魅力そのものと
  いってもいいんじゃないかな。
  小説の中にこんな一節が
  あります。

   明治という時代の強さは、(中略)
   何よりも清廉、つまりは損得勘定で動かなかったところに
   行動の潔さがあった。

  これは正岡子規という人に
  もっともあてはまるともいえます。
  新年の読み初めにぴったりの一冊です。

   読初や漱石がゐて子規がゐて  夏の雨

  じゃあ、読もう。

ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石
(2013/11/22)
伊集院 静

商品詳細を見る

sai.wingpen  坂の上の<明るく、のびやかな>雲                   

 正岡子規、享年34歳。夏目漱石、享年49歳。
 いずれも今の感覚でいえば早逝である。
 それでもこの二人がいなければ日本の近代文学は今とはまったく違うものになっただろうほどに、二人が遺したものは大きい。
 天才ともいえる二人と自身を比べること自体無謀だが、彼らの年齢以上に生きながら一体自分は何をしてきたかと思わないでもない。
 人は、いくつまで生きたかどうかではない。どのように生きたか、だ。
 しかも、この二人が青春期深い交わりをしたことを思うと、なんという芳醇な日々であったろう。
 そんな二人の姿を描いて、伊集院静のこの小説は、なんとも明るく、のびやかだ。
 かつて司馬遼太郎が同じ時代を描いた名作『坂の上の雲』のように、生きる力を与えてくれる。
 もしかしたら、私たちもまだこんな明るさに満ちた生き方ができるかもしれない。
 
 「ノボさん」というのは正岡子規の本名升(のぼる)の愛称だ。
 この小説の導入部からしていい。「ノボさん、ノボさん」と声をかけられる若者の姿。「どこに」と問われて、「べーすぼーるの他流試合に出かけるんぞな」と答える若者こそ、21歳の子規の姿である。
 上野公園にある野球場は「正岡子規記念球場」と称されているが、子規は若い頃野球に熱中していた。べーすぼーるが野球と翻訳されたのは子規の本名升から、野(の)の球(ぼーる)とされたという説があるくらい。
 子規という人のことを思うと、この時代に野球というまだほとんどの日本人が知らなかったスポーツに熱中する若者の、溌剌とした命の息吹を、晩年「病床六尺」の生活を強いられたにもかかわらず生涯持ち続けたといえる。

 子規がその死後100年以上経ちながら、今でも多くのファンを持つのは、その明るさといっていい。
 伊集院の筆は子規と漱石のさまざまなエピソードをうまく散りばめてつつ、おそらくもっとも力を注いだのは、いかに明るく描くことかではなかったかしら。
 その明るさがあるから、子規も漱石も生き生きと動いている。
 小説は子規の死で終わる。
 その最後に伊集院は「ただ自分の信じるものに真っ直ぐと歩き続けていた正岡子規が何よりもまぶしい」と書いた。
 視線をあげれば「まぶしい」、そんな明るさを感じる青春小説だ。
  
(2014/01/03 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
 今年も元旦の新聞の
 出版社の広告を見ることから
 始めます。
 見たのは、朝日新聞東京版

2014元旦 まずは、講談社
 これが今年の秀逸かな。

  読み継がれ、読み直される。

 簡潔にして、明瞭。
 今年50周年を迎える講談社現代新書の一面広告です。
 内容的にはもうひとつですが
 なんといっても、このキャッチコピーが
 いいですね。
 いい本はこの広告に書かれているように
 読み継がれていくもの。
 私も今年は読み直しをもっとしていきたいと
 思っています。


 次に、
 これも一面広告です。

   人びとは、こうして生きてきた。

 岩波書店の「世界人名大辞典」の広告。
 これはリード文がいい。

   本を読む。
   (中略)
   それは、自分自身が何者かであるかを知ることです。
   本を読む。
   それは、想像力を育てることです。
   偏見や差別や暴力を退け、寛容と自制と対話の力を養うこと。
   
世界を、平和なものに変えていくことです。

 最後は、「岩波書店は、(中略)これからも、本の力を信じ、知の力を信じて、
 この人間の懸命な努力の一端につらなりたいと願っています
」と、
 格調高い。
 思わず、拍手したくなります。

 続いては、
 集英社の一面広告。

   型があっての、型破り。
   型がないものは、型なしってえんです。

 一面に十八代目中村勘三郎さんの化粧する、真剣な写真。
 それにこのコピー。
 リード文はこんな文章から始まります。

   型を極め、型を破りつづけてきたから、
   今日がある。
   挑みつづけよう。
   十八代目 中村勘三郎のように。

 この広告もいいですね。
 がんばれ、集英社! と大向こうから
 声をかけたくなります。

 ところが老舗新潮社文藝春秋の広告は
 もうひとつパッっとしない。
 文芸書の老舗らしい力を見せて欲しかった。
 文藝春秋の広告の中に
 「2014年.芥川賞・直木賞150回!」の案内が出ていて
 それに関連した出版もあるようです。
 これは楽しみ。

 どんな一年になるか、
 どんな本と出会えるか、
 2014年も楽しみです。

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ