プレゼント 書評こぼれ話

  わずか2、3日少ないだけなのに
  とても短く感じますね
  2月は。
  しかも、今月は2回も大雪に降られて
  そういうこともあってか
  あれ、気が付けば
  もう2月も終わり。
  今日は
  原田マハさんの『翔ぶ少女』を
  紹介します。
  表紙の少女像が素敵ですが
  これは前川秀樹さんという作です。
  この物語は
  1995年1月に起こった
  阪神淡路大震災を題材に
  しています。 
  あの当時
  私は大阪の豊中に住んでいました。
  職場は西宮北口に
  ありました。
  ですから、あの日のことは
  あの日からつづく日々のことは
  よく覚えています。
  もちろん
  あの日火災に包まれたわけでも
  身内に犠牲者が出たのでもありませんが
  心には傷が残りましたし
  それは今もあります。
  ですから、原田マハさんが
  どんな物語を紡ぐのか
  とても興味がありました。
  あなたなら、
  どんな感想をもたれるでしょうか。

  じゃあ、読もう。


翔ぶ少女 (一般書)翔ぶ少女 (一般書)
(2014/01/10)
原田マハ

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sai.wingpen  原田マハなら別の少女が描けたはず                   

 悲しみを描くのにどれだけの時間があれば足りるのだろう。
 敗戦という大きな悲しみのあと、戦後たくさんの良質な文学作品が書かれてきたことは小さな文学史を紐解けば明らかだ。
 そこに描かれたさまざまな人間の姿は、戦争という枠組みを超えて、普遍だから、文学作品として今も読み継がれている。
 戦後50年という年、1995年1月17日の早朝起こった阪神淡路大震災は、戦後成長し続けてきたこの国を驚愕の淵に落した出来事だった。
 燃え上がる炎、倒壊した高速道路、逃げまどう人々。死者の数は6400名を超える。
 それは戦争を知らない世代にとって、戦禍をイメージするには十分な災害だった。
 あれから20年近く経つが、戦後の文学のような普遍となる作品を生み出してはこなかったように思う。
 そして、残念ながら、阪神淡路大震災を題材にして描かれた原田マハのこの作品もまた、十分ではない。

 長田の町でパン屋を営んでいた一家は、あの日の地震で父と母を喪う。
 残ったのは、長男の逸騎、その妹の丹華(にけ)、そして末娘の燦空のきょうだい。丹華はしかも足を傷を負って動けない。そんな三人を救ったのが、自身目の前で妻を亡くした心療内科医の佐元良(さもとら)先生。
 両親を亡くして身寄りのないきょうだいを佐元良先生は養子として育てていくことにする。
 不自由な足のせいで人とうまく交われない丹華だが、先生のあとについて被災者支援にまわる。そこで出会った一人の少年に心ときめくまで、少女として成長した丹華。
 しかし、ある日、自分の身体に異変を感じる。
 少年のことを思えば思うほど、背中に強い痛みを感じ、それはついに肉を破り、翼となって丹華を驚かせる。
 誰にも知られてはいけない事実。
 けれど、そのことを丹華に見せただけで、落ちて消えた翼。

 その不思議な経験から何年かして、佐元良先生が持病の心臓病で倒れてしまう。
 必死で先生を助けようとする丹華たちきょうだい。その時、また丹華の背中には翼が。

 両親の死という悲しみを乗り越えて、人を愛する気持ちに目覚めた少女は、自身の翼で翔ぶことを知る。
 それは正しい見方だと思うし、そういう表現もあっていい。
 しかし、せっかく地元の神戸に育った原田マハであるなら、そんな彼女だから描かる作品であってもよかったのではないだろうか。
 翔ぶことも大事だが、大地をしっかり踏みしめることから逃げてはいけない。
  
(2014/02/28 投稿)

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  今日は手塚治虫さんの
  「火の鳥」シリーズの
  第9巻めの『宇宙・生命編』を
  紹介します。
  書評にも書きましたが
  「宇宙編」は1969年に
  「COM」で発表されたもので
  手塚治虫さんの
  並々ならない熱意を感じます。
  それは「COM」という雑誌の
  新しい取り組みの
  ひとつの形だったのだと
  思います。
  手塚治虫さんにとって
  「COM」という雑誌は
  重要な意味をもっていたのでしょう。
  「生命編」には
  ジュネという少女が描かれていますが
  どうも手塚治虫さんの描く
  少女のイメージとは
  違います。
  もしかして、誰か違う人の手による
  作画かもしれませんね。
  どうかな。

  じゃあ、読もう。
  
火の鳥 (9) (角川文庫)火の鳥 (9) (角川文庫)
(1992/12)
手塚 治虫

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sai.wingpen  彼らが犯した罪                   

 「角川文庫版」の「火の鳥」9巻めは、「宇宙編」と「生命編」の2編が収められている。
 ともに、未来の話である。
 「宇宙編」は1969年に雑誌「COM」に連載されたもの。「生命編」はそれから11年後の1980年に雑誌「マンガ少年」に発表されている。
 作品の出来としては「宇宙編」の方がいい。
 1969年当時、手塚治虫の頭の中にはマグマのような捉えどころのない、けれど熱い命の課題が、ぐつぐつと煮えたぎっていたのではないだろうか。

 「宇宙編」は、2577年オリオン座の付近にいる宇宙船から始める。
 宇宙船には5人の乗組員がいたが、惑星との衝突で冷凍冬眠から目覚めた4人は当番であった牧村の無惨にも変わり果てた姿を目にする。牧村は何者かに殺されたのか。
 脱出カプセルで別々に宇宙船をあとにする4人。交流は電波のみ。このあたりの大胆なコマ割りが、手塚のこの漫画に対する熱意を感じる。
 手塚は「火の鳥」シリーズでさまざまな技法を実験している。
 「火の鳥」の素晴らしさはそんなところにある。
 やがて、判明していく牧村の真実。
 生き残った猿田(「火の鳥」シリーズで重要な役どころとなるキャラクター)と女性乗組員ナナ。
 二人の前に現れるのは、鳥の姿をした宇宙人。これが「火の鳥」の正体なのか。

 もう一編の「生命編」は、2155年の地球が舞台。
 クローン人間狩りで視聴率をあげようとするTVプロデューサーの青居。しかし、その原種となってしまった青居は、自身のクローン人間とともに人間狩りの対象となってしまう。
 懸命に生きようとする青居と彼と出会い行動をともにすることになる少女ジュネ。
 そして、ジュネが知ることになる青居が犯したまちがい。

 「宇宙編」の牧村も「生命編」の青居も、いのちを蔑にした報いとして、牧村は永遠に死なない苦悩を、青居は死ぬまでハンターから狙われる恐怖を味わいことになる。
 ふたつの作品はまったくちがうものだが、根幹にはいのちの尊さがある。
 そして、それは「火の鳥」全体の大きなテーマだ。
  
(2014/02/27 投稿)

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  久しぶりの「百年文庫」です。
  どうも読みたい本が
  次から次へとあって
  「百年文庫」にまで至らずというのが
  実情で、
  それはそれでうれしいのですが
  せっかくの100冊読破という目標も
  先行きがあやしいばかり。
  反省しきりの
  第28巻は「」と題された一冊。
  収められているのは
  中勘助寺田寅彦永井荷風
  日本文学史でつとに有名な作家たち。
  こういう三人を読めるのは
  「百年文庫」の面白さ。
  それをうっちゃっていたなんて
  またまた反省しきり。
  でも、今回の巻は
  かなり難しい、
  読みにくい巻ではありました。

  じゃあ、読もう。


(028)岸 (百年文庫)(028)岸 (百年文庫)
(2010/10/13)
中勘助、寺田寅彦 他

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sai.wingpen  「此岸」と「彼岸」                   

 「百年文庫」というシリーズの特長の一つに、漢字一文字の書名が付けられていることがあげられる。
 第28巻めのこれには、「岸」とつけられている。
 けれど、中勘助の「島守」、寺田寅彦の「団栗」他二篇、永井荷風の「雨蕭蕭」を収めたこの巻に何故「岸」という漢字がつけられたのかわからない。
 どの作品も、水辺と接する「岸」が描かれているわけではない。
 だとすれば、「此岸」「彼岸」の「岸」ではないか。
 つまり、これらの作品は生と死のはざまにあるような作品群である。

 特にその色が濃いのは、寺田寅彦の「団栗」だろう。
 寺田寅彦といえば、夏目漱石を弟子として、文章も巧みな物理学者である。また漱石の『吾輩は猫である』の寒月のモデルと言われてもいる。
 「団栗」は小説というより随筆になろうが、若くして亡くなった妻の生前の姿を描いて切ない。
 植物園で無心に団栗を拾う妻の姿を描き、つと「団栗を拾って喜んだ妻も今はない」と文章を置く巧さ。
 愛する者を喪う悲しみが、寺田の文章ではあまりにも簡に描かれて、それゆえに深さを知ることになる。
 科学者であった寺田にとって、生きることと死ぬことは生命体が連続しないだけだったといえる。ただし、感情的にはいつまでも続いていく。
 文学者寺田寅彦はそのことをはっきりとわかっていたのだろう。

 同じく夏目漱石と縁のある中勘助。彼の代表作『銀の匙』が漱石の推薦を受け新聞に掲載され好評を博したのは有名だ。
 しかし、中は人気作家の道を歩くことはなかった。
 「島守」は野尻湖に浮かぶ弁天島で隠遁生活のように暮らした日々を描いた作品だ。
 人と会うのもめったになく、ほとんど息だけをしているような生活は、生きながらにして「彼岸」にいるようでもある。
 中が何故文壇を嫌ったのか不勉強でわからないが、当時の彼を突き動かしていたのは生きることと死ぬことの未分明でなかっただろうか。

 もう一篇は永井荷風の「雨蕭蕭」。1921年(大正10年)に発表された作品である。
 旧知のヨウさんという資産家が古式の芸を若き娘に託そうとするも叶わない顛末で、ここでは江戸から明治へと続いてきた芸事が消えていく一瞬が描かれている。
 これも「此岸」から「彼岸」へとつづく短編といっていい。
  
(2014/02/26 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近花房観音さんの
  官能小説を意識的に読んでいる。
  今日紹介する
  『萌えいづる』も花房観音さんの作品。
  R-15かな。
  ただ、この本は
  実業之日本社文庫の一冊なんですが
  裏表紙にあるミニ解説文では

    古都を舞台に抒情豊かに描く、
    感動の官能小説。

  とあって、
  「感動」という言葉と
  「官能」という言葉の
  絶妙なバランスに
  こちらも感動しています。
  花房観音さんの魅力は
  情愛場面も
  うまいこと。
  これからも
  しっかり読んでいきます。

  じゃあ、読もう。

萌えいづる (実業之日本社文庫)萌えいづる (実業之日本社文庫)
(2013/08/06)
花房 観音

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sai.wingpen  男たちが知らない世界                   

 官能小説だからといって、情愛場面だけがあるのではない。
 むしろ、その場面にいたる物語の組み立て、キャラクターの創造が重要になってくる。
 一時の快楽に読み捨てられるのか、再読に耐えうるのか。
 2010年に『花祀り』で第一回団鬼六賞を受賞した花房観音は官能小説としては王道ではないかもしれない、再読に耐えうる官能小説をめざして歩み続けている作家の一人である。

 この連作集でも、得意とする京都を舞台に、さらには「平家物語」に登場する女性をめぐるさまざまな愛憎劇を契機として作品を紡いでいく手腕は、今までの官能小説家にはなかったものだといえる。
 また京都が舞台か、と思われる読者もいようが、京都にはまだまだ官能が秘されているらしい。
 ここには5つの物語がある。
 結婚前に交際していた相手との性が忘れられない人妻を描いた「そこびえ」。司法試験に何度も落ちながら甘えてくる足フェチの男をあきらめきれない女を描く「滝口入道」。
 「想夫恋」は夫とのセックスレスを当然のように思っていた妻に突然迫られる離婚宣告、そんな彼女が求めた何年かぶりの夫婦の性愛を描いて、切なくもある、
 今は亡きかつて愛した男性をうばった女性と過ごす女性同士の密やかな時間を描いた表題作「萌えいづる」は、亡くなった男との性愛の様子をたどるそれは、官能の果てなきものをよく書き切った作品だ。
 そして、最終話「忘れな草」では、幼き子を亡くしたせいで夫と離婚をしたもののいまだ性の関係を続ける女性が訪ねる、かつて平清盛の娘徳子が出家したと伝えられる長楽寺におかれた「忘れな草」というノートに綴られた、女たちの悲しみ、怨み、嘆きの数々が、これらの物語を束ねるようにして置かれている。

 官能とは身も心もここにない心持をさすのであろうか。
 表題作「萌えいづる」に漂う死の感覚は、女性だけが感知しえる世界なのかもしれない。
 もしかすると、男はその世界を知らないがゆえに、官能の世界をのぞきこんでいるのではないだろうか。
  
(2014/02/25 投稿)

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  週末から日曜にかけて
  ソチ冬季オリンピック浅田真央選手の報道が
  過熱していましたね。
  そういう私も
  昨日のブログで書いたばかり。
  しかも
  今日紹介する小宮一慶さんの
  『間違いだらけの仕事の習慣』の書評でも
  浅田真央選手のことを
  書きました。
  でも、この本で
  小宮一慶さんがいいたかったことを
  浅田真央選手の演技は
  体現したのだと思います。
  そういう点では
  スポーツの世界というのは
  とてもわかりやすい。
  ソチ冬季オリンピック
  結果として
  多くのことを私たちに
  残してくれました。
  出版界ではしばらく
  写真集とかの刊行が続くでしょうね。
  いいオリンピックでした。

  じゃあ、読もう。

間違いだらけの仕事の習慣 (青春文庫)間違いだらけの仕事の習慣 (青春文庫)
(2014/01/09)
小宮 一慶

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sai.wingpen  なれる最高の自分になる                   

 4年前のバンクーバー冬季オリンピックではメダルにこだわったフィギアスケートの浅田真央だったが、今回のソチ冬季オリンピックではメダルは目指すとしたもののそれ以上に、「最高の演技」であった。
 むかえたショートプログラムの試合での痛恨のミス。日本中が悲鳴をあげた。
 そのわずか一日後、フリーの演技で浅田真央がみせたのは、日本中を歓声に変えた「最高の演技」だった。
 メダルをとったバンクーバーで見せた悔し涙。メダルには届かなかったが、笑顔で終えたソチ。
 浅田真央自身、「最高の演技」に満足した証しだ。
 これはスポーツの世界だけではない。ビジネスの世界でも同じだ。
 経営コンサルタント小宮一慶氏が言い続けている「なれる最高の自分になる」という言葉を思い出した。
 まさに、浅田真央はソチ冬季オリンピックで「なれる最高の自分」になったのだ。

 はじめに書いておくと、この文庫本は2011年に刊行された小宮氏の『報われない人の9つの習慣』を改題・加筆したものだ。
 文庫の世界ではよくある。いつも思うのだが、こういうことはできるだけ表紙に大きく表示すべきだろう。
 改題をしても、その本には読む価値があれば、読者は手にとるだろうし、小宮氏のこの本は何度でも読むべき内容だから、巻末に小さく表示することはない。
 「文庫版のための「はじめに」で、小宮氏は「結果が出るためには、「正しい努力の積み重ね」が必要です」、と書いている。
 「結果が出る」とは、「なれる最高の自分になる」と言い換えていい。
 浅田選手もきっと「正しい努力の積み重ね」を行っていたにちがいない。バンクーバー冬季オリンピックのあと、ジャンプを跳べなくなった浅田選手の姿を覚えている人も多い。
 それでも、彼女は必死になって、跳ぼうとした。
 「正しい努力の積み重ね」があったからこそ、ソチ冬季オリンピックでの「最高の演技」につながったのだ。

 間違った努力や習慣はどれだけやっても成功には結びつかない。
 そして、人間は時に「正しい努力」を忘れてしまう。
 この本は、その振り返りのためにも何度でも読めばいい。
 浅田真央の「最高の演技」は、多くのことを私たちに教えてくれた。
  
(2014/02/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  気がつけば
  ソチ冬季オリンピック
  もうおわり。
  先日の女子フィギアスケートの
  浅田真央選手の
  フリーの演技に
  日本中が感動したのではないかなぁ。
  ショートプログラムが終わって
  16位と出遅れた浅田真央選手。
  TVのコメンテーナーが
  「痛々しくて見るのがつらかった」と
  いっていましたが、
  日本中がそんな気分でした。
  そのあとのフリーの演技ですから
  メダルには手が届かなかったけれど
  記憶に残るオリンピックに
  なったかもしれませんね。
  メダルをとった選手も
  期待に応えられなかった選手も
  等しく
  拍手を送りたいと思います。
  今日は
  スギヤマカナヨさんの『ほんちゃん』を
  紹介します。
  まったく私はマイペースですね。
  ははは。

  じゃあ、読もう。

ほんちゃんほんちゃん
(2009/06)
スギヤマ カナヨ

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sai.wingpen  本は友だち                   

 これは「ほんのくにに すんでいる、ほんのこども」のお話。
 まだ子どもですから、中身はまっ白。
 将来どんな本になろうか、迷っている最中です。
 お父さんとお母さんは図書館にいます。お母さんは「ほんちゃん」に「りっぱなずかんに なりなさい」と薦めているようです。
 お兄さんたちは「りっぱなずかん」になって、本が好きな子どもの本棚に住んでいます。
 「ほんちゃん」の希望は、音がなったり画面が変わったりする「かっこいいほん」。
 でも、お母さんはそんな「ほんちゃん」のことを叱ります。
 さて、「ほんちゃん」はどんな本になるのかな。

 この絵本の中には、さまざまな本が出てきます。
 例えば、赤ちゃん用の絵本。よだれのあとや齧られたあとがいっぱいついている絵本。
 「ほんちゃん」はそんな絵本を見て大変だなと思うけど、「それが赤ちゃんに気に入られたしるし」と喜んでいます。
 年をとっているのは、りっぱな辞典じいさん。ほとんど使われることはないけど、それでも調べ物をされたりするとうれしい。
 有名な物語の本は親子三代にわたって読み継がれてきたことが自慢。
 ある日、やってきた古い絵本は、昔人間のお母さんが読んだことのある絵本だって。今、お母さんの小さな娘さんが喜んで読んでいる。

 本は誰ともでもつながる友だち。
 小さい頃のおもちゃがそうだったように、本も子どもの頃からずっと一緒だった友だちなんだ。
 たぶん、誰もが思い当たるはず、そんな友だちの顔が。
 この絵本を読んだ子どもたちが、本当の友だちとなる本を見つけられたらいいなあ。
 もちろん、この絵本もその候補。

 「ほんちゃん」は本屋さんの棚の中でそんな出会いを待っています。
 けれど、「ほんちゃん」の夢だった、音がなったり画面が変わったりする「かっこいいほん」は、今や電子書籍になって実現しましたね。
 もしかしたら、「ほんちゃん」は電子書籍になりたかったのでしょうか。
 いいえ、お父さんやお母さん、お兄さんたちのように人間のやさしい手でページをめくってもらえる、紙の本だったのではないでしょうか。
 だって、やっぱり友だちって、あったかいものだから。
  
(2014/02/23 投稿)

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 世の中は
 ソチ冬季オリンピックで盛り上がっていますが
 私のブログでは
 第150回を迎えた芥川賞・直木賞で
 盛り上がって? いました。
 ええい、このままいっちゃえと
 今日は文藝春秋特別編集
 「芥川賞・直木賞150回全記録」(文藝春秋・1800円)を
 紹介します。

芥川賞・直木賞150回全記録 (文春MOOK)芥川賞・直木賞150回全記録 (文春MOOK)
(2014/02/17)
不明

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 これはMOOK本なのですが
 今年の正月元旦の文藝春秋の広告にでていたので
 ずっと楽しみに待っていた一冊です。
 「全記録」というだけあって、
 資料本として欠かせない一冊です。
 たとえば、記念すべき第1回芥川賞を見ると
 『蒼氓』で受賞した石川達三の写真と
 その時の候補作、
 第1回でいえばあの太宰治がいます、
 とか、
 選考会の日時(昭和10年8月10日 午後4時から)であったり
 選考委員の名前とかが
 1ページ乃至は2ページにつき各1回紹介されています。
 直木賞も同じページではいっています。
 第150回となった今年の芥川賞・直木賞も
 ありますので、
 まさに150回分の「全記録」です。

 さっそく第115回芥川賞受賞者の
 川上弘美さんのページを拝見。
 なんとも初々しい川上弘美さんの写真に感動。
 この時、川上弘美さんは38歳でした。
 まったくの余談です。

 こうして「全記録」で振り返ってみると
 私が芥川賞の受賞作を覚えているのは
 第66回(1971年)の東峰夫さんの『オキナワの少年』と
 李恢成さんの『砧をうつ女』あたりかな。
 齢16歳の頃。
 うーん、早熟というか
 幼いながらに憧れていたのでしょうね。
 その当時から芥川賞には
 そういう風格があったのだと思います。
 村上龍さんが『限りなく透明に近いブルー』で
 芥川賞を受賞したのは
 第75回(1976年)ですが、
 この時には20歳の大学生でしたから
 よーく覚えています。

 芥川賞・直木賞
 所詮ひとつの文学賞ですが
 自分の人生に寄り添うようにして
 脈々と続いてきた賞だと思います。
 芥川賞・直木賞のことで
 自分の生きてきたことに
 何かちがったことが起こったかといえば
 それはないでしょうが、
 あの時そういえばこういう受賞作に
 出会ったのだという感慨が
 やはりあります。
 それは、私の中の記憶につながる記録でもあります。

 私の本棚には「芥川賞全集」をはじめ
 何冊かの芥川賞・直木賞関連の本が
 並んでいます。
 もちろん、この「芥川賞・直木賞150回全記録」も
 本棚にきちんとしまうつもりです。

 そういえば、
 いうのを忘れていました。

  芥川賞・直木賞 150回
  おめでとうございます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  直木賞の候補作品が
  単行本化されているという現象は
  そんなに古い話ではない。
  1996年の第115回あたりかららしい。
  最近では
  芥川賞候補作の単行本化も早くなっている。
  それまでは「文藝春秋」で
  まず受賞作を読んで、という
  パターンだったが、
  受賞後ほどなく単行本化されている。
  芥川賞も直木賞も
  本のセールスのための
  一大イベントになっていることは
  否めない。
  今日紹介するのは
  川口則弘さんの『直木賞物語』。
  川口則弘さんといえば
  ネット上で「直木賞のすべて」という
  HPを運営していて
  私も過去の直木賞受賞作を読む時は
  いつも活用させて
  もらっている。
  それほど直木賞大好きの川口則弘さんが
  書いた『直木賞物語』だから
  面白さはずば抜けている。
  この本を読んだら、
  受賞作すべて
  読みたくなってくる。
  それはそれで困るのだが。

  じゃあ、読もう。
  
直木賞物語直木賞物語
(2014/01/15)
川口則弘

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sai.wingpen  直木賞って、何?                   

 著者の川口則弘さんは「直木賞研究家」を自認し、「直木賞のすべて」という素晴らしいホームページを運営している。
 そんな川口さんに出版の話がきたのは、「芥川賞」のことだった。先に上梓した『芥川賞物語』である。
 その「あとがき」で川口さんは「芥川賞よりも直木賞が好き」と書き、それでも「自分の本が出せる誘惑に勝てず」と苦しい胸の内を吐露している。
 しかし、待てば海路の日和あり。ここに念願の『直木賞物語』が完成したのである。

 2014年に第150回を迎えた「直木賞」であるが。これまでの受賞者は実に179名に達する(ちなみに、本書は第149回までの受賞記録なので177人の受賞者が紹介されている)。
 回数よりも受賞者数が多いのは、二人受賞が多いせいだ。(もちろん、受賞者ナシの回もある)
 そこに、「直木賞」らしさがあるといってもいい。
 1934年(昭和9年)に菊池寛によって制定された「直木賞」・「芥川賞」だが、「芥川賞」の対象が「純文芸」だったのに対して「直木賞」は「大衆文芸」がその対象とされた。
 「大衆文芸」といってもその範囲は広い。推理小説。時代小説、ミステリー、経済小説等々さまざまある。そのせいで、直木賞の間口は広くなり、受賞対象者も多くなったといえる。

 本書は単にその時々の選考結果を記録したものだけではない。
 ここにあるのは「直木賞」そのものがもっている、不可思議さといえる。
 500頁近い大作ながら、では「直木賞」という文学賞はどんな賞なのか判明しない。「大衆」向きなのか、「文芸」向きなのか、さえわからない。
 川口さんは、それこそ「直木賞」の魅力だと考えている。
 「頼りなくて、だらしがない。とにかく頑迷で、世間知らず」と、「直木賞」のことを川口さんは評している。
つまり、とても人間くさい文学賞といえる。
 もしかすると、今まで受賞してきた「直木賞」の作品よりももっともその制定の趣旨に近いのが、賞自体かもしれない。

 これから先、「直木賞」がどのような作品を選び、どんな作家に賞を与えるのかわからないが、「芥川賞」よりは面白いといえる。
 たとえ、直木三十五がどんな業績の人だと忘れられても。
 
(2014/02/21 投稿)

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  昨日紹介した
  第150回直木賞受賞作
  姫野カオルコさんの『昭和の犬』につづいて
  今日は
  第150回芥川賞受賞作
  小山田浩子さんの『』を
  紹介します。
  書評にも書きましたが
  この題名、
  私はあまり好きではありません。
  もう少し考えた方がよかったのではと
  思っています。
  内容は満足です。
  文章の巧さが光っています。
  150回という節目ということもあって
  各選考委員の選評にも
  力がはいっていたのは印象的です。
  宮本輝委員は
  「選考にたずさわる多くの人々が真摯に
   作品と向き合って、この数十年間の日本の
   文学を担ってきたことは
   間違いのない事実なのだ

  と、書いています。
  これをきっかけに
  さらなる新しい書き手が
  登場することを
  願っています。

  じゃあ、読もう。

穴
(2014/01/24)
小山田 浩子

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sai.wingpen  正統な芥川賞作家                   

 第150回芥川賞受賞作。(2014年)
 第150回という節目になっただけに、各選考委員の選評も格調のあるものが揃った。
 中でも村上龍委員の「第150回という大きな節目に、そのような正統な意思を持った作家が受賞したことは、芥川賞にとって、幸運なことだった」という言葉が印象に残った。
 村上委員のいう「正統な意思」というのは、作品名であり、作中でも何やら印象的に出てくる「穴」の意味を明らかにしないという意思、それが「現代を描く作家として、正統」ということを指す。
 もし石原慎太郎が選考委員を退任していなければ、この題名を良しとしたかどうか。
 作品の出来とは別に、やはりこの題名はよくない。村上委員のいうような、「正統な意思」を感じるまでには至らない。もっとも、好みといえば好みの世界だが。

 夫の転勤を機に夫の実家の隣の貸家に入居することになった主人公のあさひ。それまで働いていた非正規の職場もやめ、専業主婦の生活が始める。
 食事の最中でも携帯電話を手離さない夫(この夫が一番怖い、と看破した山田詠美委員の視点はさすが)、明るく元気な姑、ほとんど姿を見せない舅、どうやら認知症が進んでいそうな祖義父。
 夫と二人だけの生活からコンビニに行くにもかなりの距離を歩くことになる生活圏で、あさひはあらたな人間関係にもとまどう。
 そして、出合う、不思議な動物と「穴」、夫の兄だと名乗る男。
 あさひが見ているものは、暑い夏の陽炎であろうか。
 それでも、真実だろうか。

 奇妙な非日常が描かれながら、あまりにもあたりまえの日常がしっかりと描かれているから、非連続性は感じない。
 物語に破綻がない。
 川上弘美選考委員は「文章が、よかった。言葉が、大切に使われていた」と強く推しているが、この作品の良さはまさに文章の巧さに尽きる。
 それは、村上龍のいうところの「正統な意思」という言葉にも通じるような気がする。
 芥川賞が一つの文学賞であるだけでなく、その時代時代において意味をもってきたとすれな、そういう文章の正しさがあればこそだったようにも思えるのだ。
 まさに、小山田浩子は「正統な芥川賞作家」といっていい。
  
(2014/02/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は第150回直木賞受賞作2作のうちのひとつ
  姫野カオルコさんの
  『昭和の犬』を紹介します。
  この長い物語、
  一つひとつの章が
  「ララミー牧場」とか「逃亡者」といった
  昭和の人気テレビ番組の名前が
  つけられていて
  これは単行本化するにあたっての工夫のようですが
  いい効果を出しています。
  選考委員たちの評も
  すこぶるよくて
  満票に近い受賞だったようです。
  昨日紹介した「オール讀物」3月臨時増刊号を
  お読み下さい。
  東野圭吾さんが今回初選考ですが、
  その初々しい選評が
  いいですよ。
  受賞会見ではジャージ姿で話題を呼んだ
  姫野カオルコさんですが
  女性こそ度胸、
  そんなふうに感心していました。

  じゃあ、読もう。

昭和の犬昭和の犬
(2013/09/12)
姫野 カオルコ

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sai.wingpen  名犬ラッシーに夢中になった時代                   

 第150回直木賞受賞作。(2014年)
 失礼な話かもしれないが、姫野カオルコが直木賞を受賞したという報に、意外な感じがした。作品そのものは知らずにきたが、その筆名の不思議感、最初に直木賞候補作となった『ツ、イ、ラ、ク』の印象的な作品名などで耳目にとまる作家だったからだ。『ツ、イ、ラ、ク』は2004年の作品である。
 「苦節何年」という言い方は最近しなくなったが、そもそも苦節をしてもらうほど有難い賞があるかどうか賞自体の権威も変遷している、姫野にとって直木賞はもうとっくに通過してきたラインだったような気がしたからだ。
 選考委員の中で「こんなにうまい作家だったと思わなかった」という言葉がでたとも聞くが、これはあまりにも姫野にとって失礼な話だろう。
 もっとも、そんなことに動じていては、姫野らしくもないが。

 物語は昭和33年生まれのイクという女性と、その人生をともに歩んでき何匹かの犬の話、「イクと犬のパースペクティヴ」とあるが、「パースペクティヴ」というのは「遠近法」のこと。
 「そのころは今から見ると遠くにあり、小さい。だが、そのころまで近づくと大きい。大きくてすべてを掴めない。(中略)今いるところまで瞬時に視点を引けば瞬時に小さくなり、掴める」、そのようにして描いたのは、「昭和」という時代。
 イクの生まれた(作者の姫野自身も同じ)昭和33年というのは、戦争が終わって10年余りしか経っていなく、まだあちらこちらに戦争のあとが残っていた時代であった。
 イクの個性的な父親はシベリアでの抑留生活でなにごとかを心の奥にしまったままであるし、母もまた変わった存在である。
 あの時代、日本中が戦争のことを忘れようとしながら、目にするものがまだ生々しいものだったともいえる。

 ただ、姫野のこの長編は主人公が小さい頃の話よりも成長し東京で暮らし始めて以降の方が断然面白い。
 選考委員の一人、桐野夏生は「昭和という時代の「翳り」がうまく描かれている」と評しているが、その「翳り」が出てきたのはイクが大学生の頃、昭和50年あたりかもしれない。
 若い人には遠くになった「昭和」だが、団塊世代や姫野の世代にとってはどこかで「総括」をしなければならない風景でもあるだろう。
 そういう点では、第150回という節目の賞にふさわしい受賞作だといえる。
  
(2014/02/19 投稿)

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 芥川賞全文掲載の「文藝春秋」が発売されて
 あら、うれしと思っていたら、
 今度は

  第150回直木賞決定発表!

 と、「オール讀物」の3月臨時増刊号
 発売されて、
 あらら、うれしとあいなった。
 今までは、いつもの定期号で特集として組まれていたが
 さすが第150回ということで
 「オール讀物」も力の入り方が違う。
 雑誌もなかなか売れない時代だし、
 臨時増刊でも出すかということに
 なったのかもしれない。

オール讀物 臨時増刊号 2014年 03月号 [雑誌]オール讀物 臨時増刊号 2014年 03月号 [雑誌]
(2014/02/10)
不明

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 まず、表紙。
 今回の第150回直木賞受賞作家のお二人、
 姫野カオルコさんと朝井まかてさんが
 並び立つ写真。
 うんうん、晴れの授賞記念の増刊号にふさわしい。
 このお二人、
 姫野カオルコさんが1958年
 朝井まかてさんが1959年、と
 ともに50代。
 しかも、姫野カオルコさんが
 受賞作『昭和の犬』の舞台でもある滋賀県出身、
 朝井まかてさんは大阪府出身と
 関西圏の出である。
 関西では
 親しみをこめてこのあたりの年の女性を
 「おばはん」と呼ぶが、
 あえていえば、
 お二人の「おばはん作家」が
 並ぶと迫力があります。

 この臨時増刊号では、
 選考委員による選評授賞のことば
 それに受賞作である
 姫野カオルコさんの『昭和の犬』と
 朝井まかて さんの『恋歌』の
 抜粋が収録されています。
 「自伝エッセイ」がつくのも
 「オール讀物」の直木賞だけ。

 この号は「完全保存版」とうたっているだけに
 直木賞関連で
 川口則弘さんによる「映画・テレビが愛した直木賞」と
 「わが故郷の直木賞作家」は
 資料としても面白い。
 ちなみに
 未だ直木賞受賞者がいないのは
 福島県、群馬県、奈良県、徳島県。大分県、宮崎県、沖縄県らしい。
 受賞者が一番多いのは、東京で48人と
 突出している。
 さらには、
 全選考委員総覧と歴代全受賞者・作品
 載っているから
 直木賞に興味のある人には
 お得な一冊といえる。

 また、直木賞短編傑作選
 過去の受賞作の一部が楽しめる。
 例えば、
 浅田次郎さんの『鉄道員(ぽっぽや)』とか
 重松清さんの『ビタミンF』とか。
 「編集後記」には、
 「平成以降の受賞作から、枚数の比較的少ない短編を
 並べました。音楽でいえばベストアルバムの趣きです

 とあります。

 この「編集後記」の最後は
 こう締めくくられています。

   さまざまな小説の面白さと出会えるチャンス、
   それが直木賞の幸せかな・・・。

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  春だというのに
  関東地方は2週連続の記録的大雪
  見舞われました。
  特に先日の15日の朝はひどかった。
  どうしても仕事場に行かなければならないので
  朝早く出たのですが、
  積もって雪に加えて、雨と風。
  車のタイヤのあとの轍が
  川のようになっていました。
  久しぶりに傘も折ってしまいました。
  しかも、熱っぽかったので
  医者で見てもらうと
  インフルエンザということで
  これも初めて? かもしれません。
  というわけで、
  医者からは今日まで外出しないように
  宣告されました。
  やれやれ。
  そんなふうな生活で
  なんかうつらうつらしていると
  ソチ冬季オリンピックでは
  日本人男子フィギアでは初となる
  羽生結弦選手が金メダルに輝いたり
  スキージャンプで
  葛西紀明選手が銀メダルといった
  日本人選手の活躍の
  ニュースが続々とはいってきています。
  なんだか、
  いろいろある2月です。
  そこで、
  今日は『俳句歳時記 第四版増補 春』を
  紹介します。
  季節を感じるに欠かせない一冊。
  ずっと手元においておく
  私の大切な一冊です。

  じゃあ、読もう。

俳句歳時記 第四版増補 春 (角川ソフィア文庫)俳句歳時記 第四版増補 春 (角川ソフィア文庫)
(2011/08/25)
角川学芸出版

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sai.wingpen  春だというのに                   

 かつて朝日新聞朝刊に、詩人大岡信による「折々のうた」という人気コラムがあった。
 俳句、和歌といった短詩に限らず詩歌全般を、引用の詩句を200字に満たない本文で紹介するコラムで、新聞掲載後岩波新書の人気シリーズにもなった。
 新書版の「あとがき」で、大岡は連載に至る経緯と新書版とすることの決意のような文章を書いている。その中の一節に、次のような文章が出てくる。
 「詩句を一日一日配列しながら、全体をゆるやかな連結方法でつなぎとめる場合、最も大きな枠組としては、春夏秋冬という枠組がある」
 日本の詩歌の伝統は、大岡のいうように、春夏秋冬を重んじていることは、誰にもわかる。日本人のDNAともいっていい。
 特に俳句の場合、季語というものを配さなければならないという決まりごととあいまって、その意識は強い。

 この本、「俳句歳時記 第四版」の「序」の冒頭に、「季語には、日本文化のエッセンスが詰まっている」とあるように、言葉一つひとつに、その情景なり支えていることがらがつまっているのが、季語といっていい。
 それゆえに。生活様式の変化によって、なじみのない言葉が増えてくるのも、仕方のないことだといえる。
 例えば、この「春」の部にある「炉塞ぎ」など、「炉」というものすら知らない人も多いだろう。
 その一方で、今やすっかり行事として定着した感のある「バレンタインの日」などは、旧版の第三版のそれには掲載されていなかった季語である。
 春夏秋冬は変わらずとも、私たち日本人の営みが変わってきた、それは証しでもある。

 この「第四版 増補」版は、一段作りであった第三版から上下二段となり、新しい俳人たちも多く採用されている。また、「バレンタインの日」のように、新しい季語も増えている。
 ただ、第三版の「序」にあった、「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」という、寺田寅彦の言葉がなくなっているのが、個人的には寂しい。
 もちろん、それ以前に、思いがけない春の大雪に、いくらひねって句のでない、自分の才能が、もっと寂しい。
  
(2014/02/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  新しい年になって
  また俳句を作ろうと思っています。
  しばらく、うんうん考えても
  何一つ浮かんでこなかったのですが
  もっと季節を感じないと
  いけないと反省しつつ、
  五七五をひねっています。
  歳時記も新しくなって
  気合いははいっているのですが。
  朝日新聞の俳壇コーナーに
  採用される日は
  来るのでしょうか。
  今日紹介するのは
  内田麟太郎さん文、喜湯本のづみさん絵の
  『ことばであそぼう 五七五』です。
  書評の書き出しに
  「「俳句」の絵本ではありません」と書いていますが
  間違えたのは
  私です。
  そういうおっちょこちょいの人もいるかと思って
  書きました。
  でも、いつも「五七五」で考えるというのは
  作句をするには
  必要なこと。
  これからも、精進します。

  じゃあ、読もう。

ことばであそぼう五七五 (えほんをいっしょに。)ことばであそぼう五七五 (えほんをいっしょに。)
(2013/05/25)
内田 麟太郎

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sai.wingpen  こんな親子を見かけたら                   

 この絵本は題名に「五七五」とありますが、「俳句」の絵本ではありません。
 「リズム」の本です。
 「俳句」では「五七五」が基本です。短歌はもう少し長くて、「五七五七七」。
 これも、「リズム」です。
 どうも、日本人にはこの「五七五」や「五七五七七」という「リズム」があっているようです。
 暮らしのさまざまな場面で使われています。

 さらにこの絵本では「だじゃれ」の言葉遊びや季節感といったものを描かれています。
 最初に出てくるのは、「たかげたで/げたげたげたと/タカわらい」という言葉。
 絵は、初夢のシンボル、富士山と鷹(もちろん、この鷹は高下駄をはいています)が描かれています。
 内田麟太郎さんのひねった言葉(きっと内田さんは、首もひねったと思います)も面白いですが、喜湯本のづみさんの 絵もユニークで楽しめます。
 私が一番笑ったのは、「はるさめや/サメさめざめと/まちぼうけ」についている絵。
 大きな柳の下で、薔薇の花束をもった鮫が黒い傘をさして涙を流しているところ。これが、実に、鮫なのです。
 もしかしたら、言葉遊び以上に、その言葉に合わせた絵を描くセンスも学べるかもしれません。

 こういう言葉で遊ぶことから、「リズム」に親しむというのは大事なことです。
 子どもたちもスマホでメールをする時代。絵文字ばかりではつまらない。自分の言葉で何を伝えるかです。
 コミュニケーションの時代と言われながら、それをよくする方策がなかなか見つけられないのが現実。
 子どもだけではなく、大人も「五七五」を使った言葉遊びが必要です。

 指を折りながら、口で中でぶつぶつ言っている親子を見かけたら、変な親子だと思わずに、ははん、あの絵本を読んだんだなぁ、言葉の「リズム」を楽しんでいるのだなぁと、やさしく見守ってあげて下さい。
  
(2014/02/16 投稿)

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  昨日勝目梓さんの『秘事(ひじ)』という
  小説を紹介しました。
  主人公の女性は男性だけでなく
  女性ともセックスができる「両性愛者」でした。
  その相手となる女性は
  「同性愛者」という設定。
  今日は、その「同性愛」を
  真面目に解説した新書を
  紹介します。
  牧村朝子さんの『百合のリアル』。
  牧村朝子さん自身、同性と結婚されていますから
  内容は想像で書かれたものでは
  ありません。
  さらにいうなら、
  「同性愛」というくくりの問題ではなく
  愛の問題が書かれていると
  思った方がいいでしょう。
  人類は今「同性愛」の問題を
  解決する動きにあります。
  けれど、これからもさまざまな
  指向を持った人たちが
  あらわれてくると思います。
  愛はそれほどに
  複雑な問題なのです。

  じゃあ、読もう。

百合のリアル (星海社新書)百合のリアル (星海社新書)
(2013/11/26)
牧村 朝子

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sai.wingpen  どの性を愛するかではなく、誰を愛するかだ                   

 華々しく開催したソチ冬季オリンピックだが、その裏に「同性愛」についての問題が起こっていた。
 というのも、昨年「同性愛」の宣伝を禁止する法律がロシアで制定され、それに反対する国々が猛烈に抗議したのである。
 今や「同性愛」さらには「同性婚」を容認する動きは世界の潮流といえるほど活発になっている。
 異性であろうが同性であろうが、愛するというのは、誰を愛するかということだ。
 もちろん、今でも「同性愛」を否定する人々は多くいる。慣習や宗教上の問題として反対する声もある。
 けれど、「同性愛」はマイノリティの声ではなくなってきている。
 この本も「同性愛」の問題を真剣に捉えた一冊である。
 タイトルの「百合」であるが、「女性同士の同性愛を指す」隠語として、使われることもある言葉だ。
 ちなみに著者は、26歳の女性で。フランス人の女性と結婚をしている。

 「しこう」という言葉があるが、漢字表記をすると「指向」「嗜好」とある。
 「性的指向」というのは、「どの性別の相手と恋愛やセックスをしたいか、もしくは、したくないか」ということで、「性的嗜好」の場合は「何に対して性的に興奮するか」ということになる。
 「同性愛」者というのは愛の対象が「同性」という「指向」の人を指す。
 思うのだが、男性から見た時の「同性愛」は女性同士の「レズビアン」ということが多いのは官能の刺激としてであろう。だから、AVなどにもレズ物といわれる企画がある。この場合は、「性的嗜好」といえる。

 著者は冒頭に「この本は、レズビアンのためだけの本ではありません。同性愛者の自伝でもありません」と書いている。
 では、どういう本かというと、人間をさまざまに分類する状況(例えば、男性と女性といった性であったり、優等生と劣等生といった区分けであったり)との、「向き合い方を見つけるための本」とある。
 人にさまざまな「指向」があり、「嗜好」も違う。それを何かのグループに押し込めることで、安心感が得られる。その反面、そこからはみだすものを排除しようとする。
 あくまでも、人間は元をただせば、個にいきつく。
 この本では、そのことが書かれている。

 どの性を愛するかではなく、誰を愛するかが、大切なのだ。
  
(2014/02/15 投稿)

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  今日はバレンタインデー

   いつ渡そバレンタインのチョコレート  田畑美穂女

  なんていう俳句もあるくらい。
  最近では女友だちにあげる習慣も
  あるくらい。
  女性にとって
  男性ばかりが愛の対象でないのかも。
  まあ、今はやりの
  草食系男子には
  チョコレートはきついかも。
  今日紹介するのは
  勝目梓さんの『秘事(ひじ)』。
  ちょっと過激な内容ですし
  情愛シーンもあったりして
  まさに大人のチョコのような
  作品。
  しかもテーマは
  同性愛異性愛、さらには両性愛
  愛の日、バレンタインデーに
  ぴったりの作品。
  そういえば
  こんな俳句もあります。

   バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ  上田日差子

  あなたの心の鍵は
  誰がもっているのでしょう。

  じゃあ、読もう。

秘事(ひじ)秘事(ひじ)
(2013/11/16)
勝目 梓

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sai.wingpen  どんな愛も困難                   

 瀬戸内寂聴の『爛』は高齢者の性の問題を美しく描いた傑作だが、勝目梓のこの作品もまた同性愛、異性愛を描いて異色である。
 ともにベテランの巧さが光った作品といえる。しかも、性という問題をとらえて。
 勝目梓はバイオレンス作家として人気を博したが、もともとが北杜夫や佐藤愛子、さらには中上健次などが同人であった同人誌「文藝首都」で文学の道をめざした一人で、どうしても作品の内容で目を背ける人もいるかもしれないが、文章力をもった作家である。

 この作品では異性愛と同性愛、それと両性愛の嗜好をもった三人の人物の、覚書ノートや日記の形式を交互に入れ込まれながら、さしずめ寄木細工のように出来上がっている。
 中心となるのは両性愛者の純子である。学生時代に自分が「異性にも同性にも同じように情欲をそそられてしまう人間」である両性愛者であることに気づいた純子は、男と同棲しながらも仕事場の経営者の娘である綾子にもひかれていく。
 その綾子は同性愛者(レズビアン)で、男性にはまったく興味をしめしていない。綾子もまた純子にひかれ、ついに二人は同性愛の妖しげな夜をともにする。
 男性である勝目がどのようにしてレズビアンの性愛の様子を描けたのかはわからないが、女性作家が描くとまたちがったものになったであろう。

 そんな二人にとってその性愛は人には知られてはならないものであった。
 けれど、純子の同棲相手によってそのことが純子の家族に耳にはいることになる。驚愕する家族。それでも、純子は綾子と別れることはなかった。
 さらに、両性愛者である純子は信雄という男性と知り合い、関係を持つようになる。
 そのことを知って苦悩する綾子に純子もまた悩むことになる。
 やがて、純子は信雄と結婚、子どもも誕生する。いっけんごく普通の家族のような信雄と純子であるが、純子と綾子の関係は続いていた。

 純子という両性愛者を真ん中にして同性愛者の綾子と異性愛者の信雄がいる。
 この作品は興味本位に情愛が描かれたものではない。
 「同性愛でも異性愛でも、愛を信じ切るということはたやすいことではないのかもしれない」と綾子が日記に描きとめたように、どのような形であれ、愛の困難さは変わらない。
 そういう点では、この作品が描こうとした世界は深い。
  
(2014/02/14 投稿)

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 芥川賞が発表されたあとの
 総合誌「文藝春秋」は芥川賞受賞作全文掲載
 売れ行きが伸びるらしい。
 本屋さんでも大量に並べられている。
 今回は第150回という節目となる芥川賞なので
 「文藝春秋」3月特別号(文藝春秋・900円)も
 芥川賞関連の記事でいっぱい。

文藝春秋 2014年 03月号 [雑誌]文藝春秋 2014年 03月号 [雑誌]
(2014/02/10)
不明

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 まずはグラビアのページ。
 「芥川賞クロニクル1935-」と題されて
 懐かしい受賞者の顔が並ぶ。
 石原慎太郎開高健大江健三郎
 皆さん、若い時は痩せておられた。
 最近は女性作家の活躍が著しくて、
 高樹のぶ子小川洋子、川上弘美
 今では選考委員になられた女性作家は
 授賞当時から美しく華やいでおられる。

 巻頭随筆も
 「芥川賞・直木賞 百五十回記念随筆」ということで
 佐藤愛子野坂昭如柴田翔、といった受賞作家の
 名前が並ぶ。
 ちなみに今回直木賞を受賞した姫野カオルコさんも
 随筆を書いています。

 もちろん「文藝春秋」3月特別号は
 第150回芥川賞受賞作となった
 小山田浩子さんの『』の全文掲載と
 詮衡結果が大目玉なんですが
 「決定保存版」と銘打たれた
 「芥川賞150回記念大特集」がなんといってもいい。
 リード文を抜粋しておきますね。

   「無名若しくは無名に近い新進作家を世に出したい」。
   菊池寛が賞制定を発表したのは、昭和十年一月号の本誌だった。
   爾来八十年。受賞者の喜び、落選者の涙、選考委員の賞賛と憤慨…。

 なるほど、なるほど。
 では、この記念企画の中にどんな記事があるかといえば
 今やお二人とも選考委員になった
 宮本輝村上龍の「特別対談 他の賞とは責任も緊張感も違います」に
 始まって、
 「元選考委員が今だから明かす舞台裏」、
 川上弘美、小川洋子川上未映子綿谷りさ、4人の美人受賞作家による
 「作家の本音大座談会」と続く。
 さらに「私が感動した芥川賞ベスト3」。
 この記事などは一般アンケートなどをいれてもよかったと
 思うのですが、
 そうすると最近の受賞作の票が増えるのかも、
 もっと多人数の方が面白かったと思います。

 もし、私なら何をベスト3にするかを考えてみたのですが
 三浦哲郎の『忍ぶ川』、中上健次の『』、
 それに森敦の『月山』でしょうか。
 庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』もいれたいけど。
 皆さんそれぞれの芥川賞があって
 その生きた時代を呼吸する作品が
 自分自身の形成するひとつの要素になっているのでは
 ないでしょうか。
 それが芥川賞の特質でもあるように思います。

 もちろん、「文藝春秋」3月特別号は
 芥川賞だけでなく
 安倍首相の靖国参拝をめぐる問題、
 都知事選に落選した細川元総理の「私はなぜ火中の栗を拾ったのか」といった
 政治の記事、
 あるいは新しい経団連会長となる榊原体制の「土光さんが泣いている」といった
 経済記事まで
 いつもいつもながら、読み応え十分の540ページです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  毎月11日に
  東日本大震災関係の本の書評を
  書き続けているのには
  理由があります。
  被災地への支援を自分なりにできることということで
  関連書の本を紹介すること。
  もうひとつは
  あの時のことを忘れないために。
  人間ですから
  忘れてしまうのは仕方がないと思います。
  けれど、すっかり無いものにしてしまうのは
  やはりいけないと思うのです。
  そのためにも
  思い出す仕掛けをもたないといけない。
  それが11日の書評なのです。
  今日紹介する
  塩野七生さんの『日本人へ  危機からの脱出篇』は
  「文藝春秋」に連載ものを
  まとめたものですが、
  ちょうど東日本大震災があった時期のものです。
  あの時に
  多くの日本人が考えたことは
  何だったかを思い出す
  ひとつの手だてにも
  なると思います。

  じゃあ、読もう。

日本人へ 危機からの脱出篇 (文春新書 938)日本人へ 危機からの脱出篇 (文春新書 938)
(2013/10/18)
塩野 七生

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sai.wingpen  あの時を振り返る                   

 総合誌「文藝春秋」の巻頭随筆で好評連載の、塩野七生の「日本人へ」の、2010年5月から2013年10月までに発表された作品をまとめたものである。
 副題に「危機から脱出篇」とあるように、2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故という未曾有の危機がこの期間に発生している。
 さらには国民の大いなる期待を受けて自民党から政権を奪った民主党だが、そのあまりに稚拙な政治力で未熟な面ばかりが露呈した政治の世界でも、自民党の復活と安倍総理の再登場による景気上昇があった期間でもある。
 つまり、この三年間は、この国の歴史にあっても、重要な時間であったといえる。
 その時、塩野七生は何を見、何を語ったのか。
 それはイタリアという遠い外国の地から見えてくる、日本の姿ともいえる。

 東日本大震災の際に書いた文章につけられたタイトルは。「今こそ意地を見せるとき」とある。
 その中で塩野はこうな文章を書いている。「人間は、不幸なときこそ真価が問われるのだし、予期していなかった事態にどう対処するかに、その人の気概が表われるのだ」と。
 あの時この国のリーダーは何を発言し、どう行動し、そして何をしてこなかったか。塩野のいう「気概」があったのかどうか。
 あれから3年が経とうという今、それはもっと検証されていいような気がする。

 この国の首相がやたらと代わる現象については、この連載があった3年間で何人の首相がいたのか数えるのも億劫になる、「中心軸を欠いてしまった組織は機能不全におち入る」と明解だ。
 この本をよく読むと、これだけでなくリーダーとは何かという問題について、塩野はたくさんのメッセージを残している。
 例えば、カエサルの言葉として「地位が上がり権威や権力を持てば持つほど、その人には自由が制限される」というのが紹介されているが、これなどは多くの経営者が身をもって自覚してもらいたいことだ。
 あるいは、「考えのちがう人や疑っている人を説得してこそ、説得も「力」になる」などは、リーダーにも必要なスキルといえる。

 危機の3年間から、果たして私たちは脱出できたのであろうか。
 その答えは、まだ出ていない。
  
(2014/02/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から
  今日で2年11ヶ月
  今日は池上正樹さんと加藤順子さんによる
  『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』を
  紹介します。
  石巻市の大川小学校で起こった大惨事のことは
  ほとんどの人が知っていると思います。
  何故子どもたちの多くが犠牲となったのか
  それは遺族だけでなく
  多くの人が知りたいことだと思います。
  あの時、どんな指示がでたのか
  それすら判明しないことに
  腹立ちさえ覚えます。
  1月19日発表された事故検証委員会による
  最終報告書案に対して
  遺族側から「十分に検証されたとは言えない」という
  不満が出たといいます。
  月日がたてば
  記憶もどんどん風化します。
  ぜひ、真実を明らかにしてもらいたいと
  思います。
  犠牲となった子どもたちのためにも。

  じゃあ、読もう。

あのとき、大川小学校で何が起きたのかあのとき、大川小学校で何が起きたのか
(2012/10/24)
池上 正樹、加藤 順子 他

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sai.wingpen  これは事件なのである                   

 東日本大震災は多くの人たちに悲しみの傷あとを残した。
 住む家を失った人、生まれた土地を捨てざるをえなくなった人、家族全員を津波にのみこまれた人、生まれたばかりの赤ん坊を亡くした人。
 悲惨さに大きいも小さいもない。被災された人たちの悲しみに大小はない。
 けれど、石巻市の大川小学校で起こった悲劇は、誰の胸にも痛みと、何故という疑問がつきまとう。
 震災から3年近くなるが、犠牲になった子どもたちの遺族だけでなく、東日本大震災の大きな悲しみとして今でも私たちの記憶から消えることはない。
 本書は、大川小学校で何故これほどまでに多くの児童が犠牲になったのか、その原因の解明に遺族たちが、学校関係者たちが、あるいは町の人々がどのようにそれと向き合ってきたのかレポートしたものだ。
 この本自体は2012年11月の出版だが、それから1年以上経ってもまだ何も解決していないことも、書いておく。

 宮城県石巻市にある大川小学校。震災のあった時の児童数は108人。そのうち、実に74人の児童が死亡または行方不明という痛ましい惨事となった。児童以外にも10名の教職員が犠牲となっている。
 本書の中でしばしば使われているのが、「学校管理下」という言葉である。
 地震の起こった2011年3月11日午後2時46分、大川小ではクラスの帰りの会が終わって下校寸前の時刻だった。そういう点では「学校管理下」である。
 児童たちは校庭に集められた。それから51分の間、近くの裏山に逃げようという児童の声があったにもかかわらず、結果として校庭にとどまり、ほとんど避難することもなく津波の犠牲になった児童たち。
 遺族たちが求めたのは、その51分の間に何があったのかという真実だ。
 ちなみに、この時校長は年休で不在であった。

 「本当に何で子どもたちが死ななければならなかったのか、真実を知りたいだけだ」と、遺族はいう。
 ともに犠牲となった教職員たちを責めるのではないともいう。
 誰かが真実を知っているはずなのに、(教職員では唯一一人の教師が生存)、説明すべき学校や市の教育委員会の説明は曖昧のままだ。
 小さな町であるから色々なしがらみがあるのでもあろう。けれど、これだけの犠牲者を出した学校側の対応を明確にしない限り、「学校管理下」での安全神話は揺らいだままだ。
 けっして「藪の中」にしてはいけない、これは事件なのである。
  
(2014/02/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  まずはおわびから。
  昨日の記事で東京では20年ぶりの大雪なんて
  書きましたが、
  実はなんと45年ぶりの大雪だったそうです。
  生まれていませんでしたといいたいところですが
  もちろん生まれていましたが
  その頃は大阪にいましたから
  知らないんです。
  さて、今日は気分を変えて
  小宮一慶さんの
  『守るお金、攻めるお金』という本を
  紹介します。
  副題は「将来不安をなくすために知っておきたい70のこと」と
  あります。
  将来のお金の心配で
  夜も眠れないという人もいるかと
  思います。
  そうならないためにも
  読んでおきたい一冊です。
  この本の中で、
  株式投資について
  小宮一慶さんはこんなことを書いています。

    株式は安い時に買って、長期保有する

  安い時に買うなんて誰だってわかると思います。
  それができれば苦労はしない。
  でも、この文章の後段が重要。
  「長期保有する」、つまり「時間」を有効に活用するのです。
  それともう一つ、

    訳の分からないものは買わない

  これも大切です。
  どんなに利率のいい投資話であっても
  自分が理解ができないものには
  手をださないことです。
  先週乱高下した株式市況ですが
  さて今週はどうなるのかな。

  じゃあ、読もう。

守るお金、攻めるお金―――将来不安をなくすために知っておきたい70のこと守るお金、攻めるお金―――将来不安をなくすために知っておきたい70のこと
(2013/11/01)
小宮 一慶

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sai.wingpen  一寸先は、誰だって、闇                   

 私の父は大変手堅い人でした。貯金はしていましたが、投資などという考えはなかっただろうと思います。
 父は大きな遊びもしませんでした。そのかわりに、私たち家族をきちんと守ってくれました。
 派手好きな人からみれば、そんな父はつまらない男に見えたかもしれませんが、それが父の性格だったのですし、他人がとやかくいえるものではありません。
 もし、父が投資などをしていたとしても父にとってはそれはそれで大きなストレスになったと思います。
 お金を貯めるとか増やすというのは、その人の性格に左右されます。また逆にいえば、お金によって性格が変えられることだってあります。
 自分の性格はコツコツ型なのか少しばかりの損がでても平気なタイプなのか、そのあたりをしっかり見極めないとお金に振り回されることになります。

 本書は人気経営コンサルタントの小宮一慶氏が書いたお金の本です。
 小宮氏が行っている投資の内容であったり、具体的な記述も多いのですが、まずは基本となるお金に対する考え方を読み解くことが大事です。
 小宮氏はこの本の冒頭で、「自分が持つお金には、「守るお金」と「攻めるお金」の2種類があります」と書いています。これが本書のタイトルにもなっています。
 「守るお金」というのは、「あなたと家族の生活を守るためのお金」。「攻めるお金」とは、「ゆとり資金などの当分の間は使う予定のないお金」のことで、「攻める」(つまりは殖やす)元手となるお金です。
 「効率的に殖やすのであれば、元手は大きければ大きいほど、利益を上げやすく」なります。

 アベノミクスの影響で株価が上昇し、大儲けしたといったことを耳にしたことがあるかと思いますが、それは誰でもということではないことは認識する必要があります。
 間違っても「守るお金」にまで手をつけてはいけないのです。
 「一寸先は闇」は言葉の世界だけでなく、日常的に誰にでも起こる世界だということです。
 お金をなくして、家族の生活が守れなくなるなんていう不幸になる前に、読んでおきたいものです。
  
(2014/02/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  いやあ、久しぶりに
  すごい雪です。
  東京では20年ぶりの大雪だとか。
  えーと20年前。
  何をしてたかちっとも思い出せないのが
  なさけない。
  その時、38歳、若いなぁ。
  さて、
  今日紹介する絵本は
  本好きなあなたにぴったりの一冊。
  カズノ・コハラさんの『よるのとしょかん』。
  私は題名だけ見て
  読みたいって思いました。
  読んでみて
  いいなって思いました。
  本って、さらには絵本って
  こういうあったかいものをくれるから
  大好きです。
  こういう一冊を紹介できる時が
  あるから、
  このブログもやめれないですね。
  図書館のことを少し書くと
  私は毎週日曜の朝、
  電車で一駅の図書館に行きます。
  ここは大きな図書館ですから
  たくさんの本があります。
  利用者も多いですね。
  ここでは最後に必ず児童書のコーナーに
  立ち寄ります。
  素敵な絵本に出会えるのが
  うれしい。
  日曜の、それが習慣です。

  じゃあ、読もう。

よるのとしょかんよるのとしょかん
(2013/12)
カズノ・コハラ

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sai.wingpen  夢の世界の図書館                   

 図書館には毎週行きます。
 昭和30年代とか40年代は今のように図書館もきれいで明るいところではありませんでした。住んでいた地域にもよりますが、あまり多くもなかったと思います。
 今は公共図書館も充実しています。私の家からは歩いていける距離に二か所、電車で一駅のところに一か所ととても便利です。そもそもそういうところをねらったのですが。
 閉館の時間も遅いところでは夜の9時までというところもあって、会社帰りに立ち寄ることもできます。
 でも、さすがにコンビニのように深夜まで開いている図書館はないのでは。

 ところが、あったのです。「よるのとしょかん」が。
 この図書館の開館時間は「まよなかからよあけまで」なんですから、すごい。
 そこで働いているのは、カリーナというおさげがとってもかわいらしい女の子と三羽のふくろうたち。
 どんな人が利用するのかだって?
 たくさんの動物たちです。
 ここでのルールも私たちがよく知っている図書館と同じ。
 大きな音で楽器の演奏なんてできません。
 演奏前の曲探しに図書館にやってきたリスたちが案内されたのはプレイルーム。ここならどんな大きな音をたてても大丈夫。いいですね、こういう部屋があって。
 悲しいお話に大粒の涙を流しているおおかみは、よみきかせコーナーでじっくりと大きな耳を傾けます。
 もちろん、「よるのとしょかん」では貸出もしています。
 のろまのかめさんも、このサービスにご満悦。

 朝になる前にカリーナたちは屋根裏でいってしまいます。
 残念ですが、そういうわけで私たちはカリーナたちに会うことはありません。
 もしかすると、「よるのとしょかん」をのぞくことはできるのでしょうか。
 それも残念ながら、できないのです。
 だって、「よるのとしょかん」が開いている時間は、私たちは夢を見ているから。

 作者のカズノ・コハラさんの絵はリノリウム版画で描かれているそうです。
 あったかくて、かわいくて、「よるのとしょかん」こそ夢の世界の図書館かもしれません。
  
(2014/02/09 投稿)

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  今日は昨日のつづき。
  手塚治虫さんの『火の鳥』「乱世編」の
  下巻の紹介です。
  舞台は平氏と源氏の戦いですが
  そこは手塚治虫さんのマジックによって
  微妙に作り替えられています。
  源義経の造形も
  かなり違います。
  でも、実際に義経という人が
  どんな青年であったかは
  わかっていないんじゃないかな。
  だから、手塚治虫さんは縦横無人に
  空想の羽を広げている。
  そう読んでいいと思います。
  今日の書評の中で
  『平家物語』の冒頭の文章を
  引用しましたが、
  これって古典の授業で
  必ず覚えこまされる定番ですよね。
  日本人なら誰でも知っているみたいな
  ところがあります。
  もっとも、私は
  冒頭も冒頭
  「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」ぐらい
  ですが。

  じゃあ、読もう。

火の鳥 (8) (角川文庫)火の鳥 (8) (角川文庫)
(1992/12)
手塚 治虫

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sai.wingpen  風の前の塵に同じ                   

 一昨年のNHK大河ドラマ「平清盛」は視聴率も悪く、すこぶる不評だった。
 そもそも平氏そのものが日本人に受けはよくない。
 「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」の冒頭でよく知られる『平家物語』を生み出した功績はあるとしても、「驕り」というものを嫌う日本人に、いくらNHK大河ドラマだとはいえ人気が出ないのも頷ける。
 手塚治虫の『火の鳥』「乱世編」も、そんな平清盛と平家滅亡を描いた作品である。
 主人公弁太は源義経の家来である弁慶を模して創造された青年だが、その恋人おぶうは清盛の側女となって命が尽きる間際の清盛を支える役どころとなっている。

 自分の死が平家滅亡につながることをわかっていた清盛が求めたのは、不老不死の鳥火焔鳥。つまり、「火の鳥」である。
 火焔鳥として宋から送られてきたのは孔雀。清盛は書物で知るばかりで実際の火焔鳥など見たこともないから孔雀であってもそれが火焔鳥といえば信じるしかない。
 しかし、山育ちのおぶうにはそれが不老不死の鳥ではない、普通の鳥だということがよくわかっていた。
 やがて、平家は木曽義仲の軍によって京を追われる。義仲もまた火焔鳥の血を求めていた。
 不老不死の願いは昔からある。手塚の『火の鳥』の大きなテーマのひとつでもある。
 死なないことの苦行は『火の鳥』第2巻の「未来編」で描かれているが、人は手にはいらないものゆえに求めざるをえないのだろう。

 この「乱世編」で火の鳥、不老不死を求めないのは、主人公の弁太と平家への恨みだけが生きがいの義経ぐらいであろうか。
 弁慶を模した弁太であるが、最後には義経にも刃向う。
 弁太が求めたものは平凡な生活でしかない。
 鳥は鳥として、虫は虫として、獣は獣として生きている世界。
 平家だけが「おごれる」ものではない。
 不老不死という自然の摂理に反するものを求めるのは、人間の「驕り」そのものだ。
 「たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」と、「平家物語」はつづけていのであった。
  
(2014/02/08 投稿)

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  手塚治虫さんが亡くなったのは
  1989年の2月9日。
  平成の始まりの年だ
  亡くなって、もう25年になる。
  四半世紀になる。
  若い人は
  手塚治虫さんの現役時代を
  知らないんだ。
  それでいて、いまだに
  手塚漫画が古びることはない。
  今読んでもちっともおかしくはない。
  それが手塚治虫さんのすごいところだ。
  今日と明日は
  ずっと読み継いでいる
  『火の鳥』シリーズの第7巻と第8巻を
  紹介します。
  「乱世編」の上下巻ですから
  そうなりました。
  まず、今日は上巻。
  明日の下巻もお楽しみに。

  じゃあ、読もう。

火の鳥 (7) (角川文庫)火の鳥 (7) (角川文庫)
(1992/12)
手塚 治虫

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sai.wingpen  「鳳凰編」から続く物語として                   

 手塚治虫の『火の鳥』はさまざまな出版社から色々な判型で出ている。
 私は角川文庫版で読んでいるが、もちろん文庫本なりの良さはあるが、漫画はできれば大きな判型の方がいい。手塚のように群衆を描くのを得意とする漫画家の場合は特にそうかもしれない。
 その角川文庫版では、第7巻と第8巻は「乱世編」の上下巻になっている。
 『火の鳥』はそれぞれの篇により時代背景も登場人物も異なり、シリーズ全体として時間や生命という大掛かりな物語の設定になっている。
 「乱世編」では源平の戦いが取り上げられている。

 シリーズの中でいうと、第4巻の「鳳凰編」に続く物語となる。
 角川文庫版でプロローグとして猿のボスと犬のボスの、友達でありながら互いに敵としていがみ合う動物たちのエピソードが収められているが、そこに登場する両手のない老人こそ「鳳凰編」の主人公我王のその後の姿で、読者はこの「乱世編」が「鳳凰編」に続く物語であることに気づく仕掛けになっている。
 「鳳凰編」は『火の鳥』シリーズの中でも屈指の作品だが、残念ながら「乱世編」では我王は物語の半ばで死んでしまう。
 『火の鳥』の中で「猿田」と呼ばれる大きく醜い鼻をもった男が主人公もしくは狂言まわし的に描かれているのはよく知られているが、「鳳凰編」の我王の造形も「猿田」と同様である。
 「鳳凰編」は我王を描くことで『火の鳥』各篇との共鳴が生きているといえる。
 「乱世編」では早々にその姿を失ってしまい、大きな広がりを欠いたのは残念というしかない。

 「乱世編・上」にあたるこの巻では平家の治世が描かれているが、「驕れるもの」として都の治安は乱れている。
 節操のない兵士たちによって家を焼かれ、親を殺された主人公弁太は、兵士たちによって都へ連れ去られた恋人おぶうを追いかけ、都へと出ていく。
 おぶうはその美しさゆえに平清盛の側女に召し抱えられて、そのことを知らない弁太は五条大橋で通りゆく武士たちにおぶうの行方を問い、力でもって刀をまきあがる男になっていた。
 つまり、弁太は弁慶をもとにつくられた主人公である。
 やがて、弁太は鞍馬の山で義経と出会うことになる。
 清盛の死までを描いて、下巻へと続く。
  
(2014/02/07 投稿)

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  昨日和田宏さんの『余談ばっかり』という
  本を紹介しましたが
  もう一冊司馬遼太郎さんの担当編集者だった人の本を
  蔵出し書評で紹介します。
  村井重俊さんの『街道をついてゆく 司馬遼太郎番の6年間』。
  昨日の和田宏さんが文藝春秋の編集者、
  今日の村井重俊さんは週刊朝日の編集者です。
  週刊朝日といえば
  司馬遼太郎さんが晩年力を注いた
  紀行文『街道をゆく』の連載誌です。
  とにかくすごいボリュームのシリーズです。
  司馬遼太郎さんの小説もいいけれど
  私は『街道をゆく』に深く打たれたました。
  もう一度読みたい本のリストには
  はいっているのですが、
  読むのもなかなか体力がいります。
  いつか、紹介できればいいのですが。
 
  じゃあ、読もう。


街道をついてゆく 司馬遼太郎番の6年間街道をついてゆく 司馬遼太郎番の6年間
(2008/06/20)
村井 重俊

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sai.wingpen  「記憶」としての司馬遼太郎                   

 以前たわむれにこんな俳句を作ったことがある。
 「菜の花忌 三歩離れて 従(つ)いていく」(2000年2月)。
 俳句の季語の中には文人の忌日もあり、太宰治の桜桃忌(夏の季語)や芥川龍之介の河童忌(夏の季語)といったものが使われている。
 「菜の花忌」というのは司馬遼太郎の命日につけられた名称で、最近の歳時記に採りあげられているかどうかわからないが、当時どうしてもこれを季語として作句をしたいと思った。
 忌日にいいわるいという言い方もおかしいが、司馬サンらしい清々しいいい名がついたものだ。
 中句以降は<三歩下がって師の影を踏まず>という言い回しを、「気分」のようにして詠んだのだが、私にとって司馬遼太郎は多くの著作を通じての師ということになる。

 本書の著者である村井重俊氏にとっては朝日新聞社の記者として副題にもあるように「司馬遼太郎番」として6年間司馬サンと一緒だった訳だから、従(つ)いていくというのは、私のように「気分」ではなく、実際その言葉通りであった。
 村井氏が司馬さんとともに『街道をゆく』の旅の同行を始めたのが、村井氏が三十一歳の時で、まだ気鋭の記者だったろうと思われる。
 その時司馬さんは六十六歳。
 今から思えば、早すぎる晩年の頃だ。
 年の差は三十五歳ある。
 そういう若い人に司馬さんのような大作家の担当をまかすのか、と些か驚きもしたし、朝日新聞社の懐の深さというのも感じた。
 本書の中の口絵に「東京の夜」と題された一枚の写真があるが、食事にくつろぐ司馬さんの横で若い村井氏は両膝を抱え、大作家のそばにいるとも思えない太々(ふてぶて)しい表情をしているのがおかしくもある。若いということはそういう力をいうのかもしれないと、楽しくなる写真だ。

 司馬遼太郎という作家はその生涯において大変多くの作品を残した。
 ひそかにそれを<司馬山脈>と呼んでいて、そのすべてを踏破できるのかと目が眩む思いがすることがある。
 『街道をゆく』はもちろんその<司馬山脈>の中でも長々とつながる一大山塊である。
 著者が司馬サンと歩いたのは「本所深川散歩・神田界隈」が最初で、最終巻の「濃尾参州記」までを担当した勘定になる。
 その間に長年『街道をゆく』の挿絵を担当していた須田剋太が亡くなったのを初めとして、最後には司馬さんという書き手まで失うのであるから村井氏の苦労は本書でも書ききれていないかもしれない。
 あるいはその苦労を補ってもあまりある喜びのようなものが「司馬遼太郎番」としての著者にはあったにちがいない。

 『街道をゆく』の中でどの巻が好きかというのは意見が分かれるところだと思うが、私の場合著者の村井氏が同行した巻に多くある。
 漱石と明治を描いた「本郷界隈」もいいし、時の李総統との対談を収めた「台湾紀行」も捨てがたい。
 中でも「北のまほろば」が最高にいい。
 このタイトルに接するたびに、司馬さんの北に対する優しい思いや古代に対する夢のような思いが沸沸としてくる。
 そのタイトルがどのようにしてできたのか、例えばそのような挿話の一つひとつが、著者の<今>を、そして私たちの読書の幅を広げていくだろう。
 本書には「気分」ではなく、「記憶」としての司馬遼太郎がいる。
  
(2008/07/21 投稿)

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  司馬遼太郎さんが亡くなったのは
  平成8年(1996年)2月12日ですから
  もうすぐ18年になります。
  すっかり遠い日になりましたが
  今日紹介する本のように
  今でも司馬遼太郎さんのファンが
  たくさんいます。
  名作『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』など
  若い新しいファンも増えているのではないかしらん。
  今日紹介するのは
  和田宏さんの『余談ばっかり』という
  文春文庫のオリジナルです。
  和田宏さんは
  元文藝春秋で司馬遼太郎さんの
  担当編集者をされていました。
  そばにいたから見えている
  司馬遼太郎さんの魅力が
  たくさん収められています。
  司馬遼太郎さんのファンだけでなく
  これから司馬遼太郎さんを読んでみようと
  思っている人にも
  ぴったりの一冊です。

  じゃあ、読もう。

余談ばっかり 司馬遼太郎作品の周辺から (文春文庫)余談ばっかり 司馬遼太郎作品の周辺から (文春文庫)
(2013/12/04)
和田 宏

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sai.wingpen  「余談」以上の「余談」                   

 司馬遼太郎さんが亡くなって、もう18年になる。
 それでもこの本のように司馬さんの人柄やエピソードを綴ったものが新たに出版されるのであるから、司馬さんの人気は根強い。
 しかも、この本の著者のように司馬さんを担当した各社の編集者たちは司馬さんのことを語っても語り尽くせない思いがあるようだ。ちなみに、著者の和田宏さんは文藝春秋で司馬さんを担当し、この文庫本で解説を書いている山本朋史さんは週刊朝日の編集者だった。
 山本さんは「司馬ワールドの中に入ってしまうと、仲間意識が生まれていたのかもしれない」と書いているが、名うての編集者をしてそうであるのだから、司馬さんの魅力は如何ばかりであったろう。

 この本は文庫オリジナルということだが、もともとは「週刊司馬遼太郎」という雑誌に掲載されていた「余談の余談」というコラム。その内、和田さんが執筆したものを編集して出来上がっている。
 「余談」というのは、司馬さんが小説の中で多用した表現だ。「余談であるがー」とか、「閑話休題」という言葉を知られる。
 その表現の始まりを和田さんは司馬さんの代表作『竜馬がゆく』だったと書いている。
 坂本竜馬は明治維新の立役者のようにいわれることが多いが、それも司馬さんのこの作品があったからだといえる、幕末の初期の頃には竜馬はその影さえ残していない。
 「ついに司馬さんはじれったくなって」、竜馬の時間とは別に説明文を入れ出したのだという。
 それがきっかけになったにしろ、司馬文学の面白さはこの「余談」があればこそで、作品に厚みを増したことは間違いない。

 その「余談」という言葉を借用して、和田さんはさまざまな司馬さんの横顔を描いている。その数、111。
 その上で「司馬文学の魅力は、つまるところ司馬さん自身の人間としての魅力によるものといっていい」と書いているのだから、司馬文学を読む解くためにも、ここに書かれた「余談」は「余談」以上の価値があるといえる。

 著者の和田宏さんはこの文庫の出版を待たずして、2013年10月22日に亡くなった。
 今頃は天国で司馬さんと愉しい時間を過ごしていることだろう。天国から「余談」が届けばいいのだが。
  
(2014/02/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は立春
  
   立春の雪白無垢の藁屋かな   川端茅舎

  そういえば
  朝の明けも少しずつ早くなっています。
  まだ少し寒いでしょうが
  春はそこまで。
  そんな日にぴったりの本を
  今日は紹介します。
  瀬戸内寂聴さんの『』。
  私、大満足の一冊です。
  こういう本を一年の初めの方で
  読んでしまっていいのかと思いたくなるような
  くらいです。
  それにしても瀬戸内寂聴さんって
  すごいですよね。
  もう90歳を超えておられますが
  その齢で
  こんなに色気のある小説を書くのですから
  まさにまだまだ春。
  お見事というしかない、
  名作です。

  じゃあ、読もう。

爛
(2013/12/20)
瀬戸内 寂聴

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sai.wingpen  たちのぼる芳香に圧倒されました                   

 瀬戸内寂聴さんは大正11年(1922年)生まれだから、今年92歳の齢となる。
 2010年から2011年に雑誌「新潮」で発表した作品とはいえ、執筆時には90歳近い高齢であることは間違いがない。
 それでいて、これだけの骨格の太い作品を、それでいて何という瑞々しさであろう、書くのであるから、新進作家が束になっても適わない。
 脱帽というほかない。

 物語は83歳の人形作家上原眸のもとに長年の友人だった大西茜の、死因と享年の書かれていない死亡通知が届くところから始まる。
 茜は眸より4歳年下だから79歳のはず。そして、死因は自殺だろうと眸は思う。
 そう思うには理由があった。生前、茜が「八十の老後まで生きていたくない」と口癖のように言っていたからだ。
 自分の美意識が八十を許さないのだと。
 死亡通知を追いかけるようにして、茜の娘たちや孫から思い出の品とともに手紙が届くようになる。
 それらに誘われるようにして、茜と出会った40年前からの時間を眸自身がたどることになる。

 「深い心には無数の襞があって、その中に数えきれない秘密が縫いこまれています」、その秘密が徐々に明かされていく面白さは、これこそ文学を読むこと、そのものといっていい。
 しかも、作者が「襞」という言葉を使っているのは、女性の奥底を表すようでいて、悩ましい。
 90歳を超えた女性が書いたものとして、蕩けるような官能はいかばかりだろう。
 「あたくしのいう愛はいつだって男と女の、あるいは男どうし、女どうしの、性を伴った愛のことです」と茜に語らせてはいるが、これはいうまでもなく作者の思いだろう。
 奔放に生きる母親茜を許せなかった娘の晶子が60歳を過ぎての男との情事で愛の深さ、母の人生を知る終盤の場面は感動すら覚えます。
 それは、愛の美しさといってもいいのではないでしょうか。

 瀬戸内寂聴さんは最初この小説のタイトルを「残炎」にしようと迷ったという。
 だが、茜の人生はそんなものではなかったはず。
 そこで、「光り輝く、満ち溢れる」という意味がある「爛」にしたという。
 眸にしろ、茜にしろ、あるいは今を生きる高齢者の人々にこそ、「爛」はふさわしい。
  
(2014/02/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は節分
  戸口に鰯の頭を挿した柊(ひいらぎ)の小枝を挿すという
  風習があるが、
  今はそういうことをしている家も
  ほとんどない。
  豆まきの声すら
  とんと聞かない。

   豆撒くきの昔電燈暗かりき  川崎展宏

  年の数だけ豆を食べるというが
  60近い豆もそう食べれるものではない。
  一夜明ければ
  立春
  春はそこまで来ています。
  ただ今年の春は消費税の値上げで
  厳しくなりそう。
  そこで今日は
  菅野誠二さんの『値上げのためのマーケティング戦略』を
  紹介します。
  この本もクロスメディア・パブリッシング
  Yさんから
  献本頂きました。
  いつもありがとうございます。
  普通の読者にはなかなか難しいかもしれませんが
  価格とマーケティングのなんとなく
  ニュアンスでも感じ取れれば
  いいのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。

値上げのためのマーケティング戦略値上げのためのマーケティング戦略
(2013/11/08)
菅野 誠二

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sai.wingpen  値上げの春、近し                   

 いよいよ4月から消費税があがる。
 早々と運賃や切手、さらにはタバコの値上げが報道されている。
 その一方で税率アップ分値上げできない企業も多くある。売上先からの強い要請、競合先との熾烈なせめぎあい、お客様の真剣な目。
 せめて税李アップぐらいは値上げをしたい経営者にとって、厳しい季節は続く。

 物(あるいはサービス)には当然価格がある。
 その価格をどう設定するかは企業がもっている様々な要因に左右される。
 この本が戦略としての「価格」をどう設定すべきか、マーケティングの観点から、さまざまな事例を参照しながら問うたもので、一読難しく感じるかもしれない。
 一般読者にとってそれは仕方がない。
 価格戦略は一流企業であっても難しいものだ。一歩間違えば、会社の趨勢にも影響しかねない。

 一旦値下げをした商品を通常価格まで戻すことは容易ではない。
 かつて価格戦略で右往左往したハンバーガーチェーンもあるし、「牛丼戦争」と互いに疲弊してしまうまで熾烈な競争を繰り返すところもある。
 その一方で、値下げしないことがブランドだとセールすら打たない外国ブランドもある。
 どのような商いにしろ、売上は単価×数量で算出できる。
 著者は下げた単価分を取り戻す数量を確保するのは容易ではないという。
 だからといって、単純に値上げできるとはいっていない。
 値上げするまでにはさまざまなマーケティング手法を駆使し、お客様に納得してもらうだけに努力が必要だ。

 「日本企業の復活のために、今こそ顧客価値創造プライシング力を強化すべき」と、著者はいう。
 「プライシングは最も柔軟に対応策が打てる戦略であり、唯一利益を生む打ち手」とも。
 さらには価格設定は自分らちのブランドを市場のどこに位置付けるかをお客様や競合に知らしめるシグナルにもなるのだと説く。
 私たち消費者は、春からの消費税値上げによる便乗値上げを許すはずはない。
 そんな中で、どのような価格戦略を打ち出し、顧客の心をつかむか、経営者の春はまだ少し遠く、厳しい。
  
(2014/02/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  絵本作家酒井駒子さんの絵が
  好きです。
  だから、本屋さんで絵本のコーナーなんかを
  歩いていても
  すぐに引きつかれます。
  強い引力のようなもの。
  これは私の興味がそこにあるからで
  長谷川義史さんやいせひでこさんの絵なども
  同じです。
  それにしても
  酒井駒子さんと長谷川義史さんの絵柄は
  かなり違いますよね。
  それでも、
  私の中では大好きの範疇。
  今日は
  酒井駒子さんが絵を担当し、
  石井睦美さんが文を書いた
  『しろうさぎとりんごの木』を
  紹介します。
  書評のタイトルは
  いささかストレート過ぎたかも。

  じゃあ、読もう。

しろうさぎとりんごの木しろうさぎとりんごの木
(2013/10/10)
石井 睦美

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sai.wingpen  酒井駒子さんの描くうさぎが好き                   

 ずっと昔、聞いたことがあります。
 「幼い子どもからは一生分のしあわせをもらっている。だから、その先、どんな悲しいことや苦しいことがあっても許さないといけない」って。
 そうかもしれない。
 子どもが生まれ、まだ歩くことも話すこともできない頃のかわいさ。
 パパって叫びながら抱きついてくるあたたかさ。
 ほっぺのやわらかさ。はえかけの歯の白さ。
 そんなこんなのしあわせをあの何年間でもらったのだなあ。
 それは一生分のしあわせなんだなあ。
 石井睦美さん文、酒井駒子さん絵による、この絵本を読んで、そんなしあわせを思い出しています。

 森の中の小さな家で生まれたしろうさぎは、まだ秋を知りません。
 春にうまれたばかりだからです。
 だから、玄関の脇にあるりんごの木が赤い実をつけたのを見たことがありません。
 ある日、おかあさんの作ったりんごジャムのおいしさにたまらず、りんごの木をかじればきっとおいしいはずだと思ってしまいます。
 そして、それをためしてみようと。
 そんな朝を楽しむ夜のしろうさぎの様子や、家を出るときのおかあさんとの会話のかわいらしさといったらどうでしょう。
 おかあさんに「どこにいくの?」ときかれて、「ほんとのことと うそっこのこと。おかあさんはどっちがききたい?」なんて、子どもと過ごすたくさんの時間をもったおかあさんならではの特権のような会話です。

 りんごの木にかじりついて、泣き出すしろうさぎ。びっくりして外にでてきたおかあさんといっしょに見つけた、「まだあおい ちいさなりんごの実」。
 そして、おかあさんがあかいクレヨンで描いてくれた、大きくて真赤なりんご。

 しろうさぎとの会話。しろうさぎの表情やしぐさ。
 そういえば、こういうしあわせな時間を子どもたちはくれたんだ。
 いや、こんなしあわせな時間を今も過ごしている若いおとうさんやおかあさんがいるんだ。
 そう思うだけで、しあわせになりそうです。
  
(2014/02/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から2月
  えー、新しい年が明けたばかりなのに
  もう一ヶ月経っちゃた、
  なんて思っていたら
  2月なんてあっという間ですよ。
  それに、
  春はもうすぐ。
  俳句の季語には
  春隣なんていう美しい言葉もあるくらい。

    春隣吾子の微笑の日日あたらし  篠原 梵

  2月は私の誕生月でもあって
  今年59歳になります。
  すっかりおじさん
  そこで、今日は
  なかむらるみさんの『おじさん追跡日記』を
  紹介します。
  いろんなおじさんが登場しますが
  なんだか人生を感じます。
  はたして
  私はそんなりっぱな? おじさんに
  なれたかどうか。

  じゃあ、読もう。

おじさん追跡日記おじさん追跡日記
(2013/11/25)
なかむら るみ

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sai.wingpen  おじさん気をつけて                   

 私はりっぱな! 「おじさん」です。
 「おじさん」の定義があるのかないのかわかりませんが、少なくとも年齢的には「おじさん」でしょ。
 けれど、年齢は「おじさん」の定義にはいるのでしょうか。
 50歳以上70歳未満くらいかな。(この本では70歳以上の「おじさん」も紹介されていますから、上限はないかもしれません)
 では、「おじさん」とは何か。
 それは生態にかかわる大きな!問題ではないかと思います。
 まず、匂い。
 これは「加齢臭」という言葉がある通りでそこはかと(強烈な人もいますが)匂ってくるどうしようもないもの。しかし、これは一説によれば(どんな説だ?)経験臭という、若い人には絶対ない匂いといっていいでしょう。
 次に、容姿。特に毛髪。
 禿(どうもこの漢字がよくない)とか白髪とか。少なくとも後退は気になります。最近の私も毛髪は気になっていて、どうも艶がなくなっているのは「おじさん」故なのか。
 それと、これは著者も把握しているようですが、時間感覚。
 著者いわく「おじさんは時間前集合する」。
 これは「おじさん」たちが育った環境にも寄るでしょうが、そういう育て方をしたせいではないかと考えています。
 つまり、今の「おじさん」は庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』の主人公薫君世代になるようで、あの品行方正がこの時間感覚につながっているのではないでしょうか。

 そんな「おじさん」をカワイイ! と喜んでくれる女の子たちもいるようで、著者の前作『おじさん図鑑』に人気が沸騰。
 そこで今回さらにパワーアップして24人の「おじさん」を追跡調査とあいなったのが、この本。
 ここに登場する「おじさん」のすごさに「おじさん」である私もびっくり。
 カワイイ! なんていうものではなく、おぞましいすぎる「おじさん」の生態に、それでも何故か、うらやましくもあったりするのはナゼ?
 女装趣味の「おじさん」もいれば刺青ばっちしの「おじさん」、まさかまさかの文藝春秋社長の「おじさん」に政治家の「おじさん」(名は石破茂というのですが)もいます。
 そんな「おじさん」に突撃する著者の姿の涙ぐましいこと。
 でも、やはりこの「おじさん」さんたち、薫君のその後に見えてしまうのは何故だろう。
  
(2014/02/01 投稿)

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