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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は立春
  
   立春の雪白無垢の藁屋かな   川端茅舎

  そういえば
  朝の明けも少しずつ早くなっています。
  まだ少し寒いでしょうが
  春はそこまで。
  そんな日にぴったりの本を
  今日は紹介します。
  瀬戸内寂聴さんの『』。
  私、大満足の一冊です。
  こういう本を一年の初めの方で
  読んでしまっていいのかと思いたくなるような
  くらいです。
  それにしても瀬戸内寂聴さんって
  すごいですよね。
  もう90歳を超えておられますが
  その齢で
  こんなに色気のある小説を書くのですから
  まさにまだまだ春。
  お見事というしかない、
  名作です。

  じゃあ、読もう。

爛
(2013/12/20)
瀬戸内 寂聴

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sai.wingpen  たちのぼる芳香に圧倒されました                   

 瀬戸内寂聴さんは大正11年(1922年)生まれだから、今年92歳の齢となる。
 2010年から2011年に雑誌「新潮」で発表した作品とはいえ、執筆時には90歳近い高齢であることは間違いがない。
 それでいて、これだけの骨格の太い作品を、それでいて何という瑞々しさであろう、書くのであるから、新進作家が束になっても適わない。
 脱帽というほかない。

 物語は83歳の人形作家上原眸のもとに長年の友人だった大西茜の、死因と享年の書かれていない死亡通知が届くところから始まる。
 茜は眸より4歳年下だから79歳のはず。そして、死因は自殺だろうと眸は思う。
 そう思うには理由があった。生前、茜が「八十の老後まで生きていたくない」と口癖のように言っていたからだ。
 自分の美意識が八十を許さないのだと。
 死亡通知を追いかけるようにして、茜の娘たちや孫から思い出の品とともに手紙が届くようになる。
 それらに誘われるようにして、茜と出会った40年前からの時間を眸自身がたどることになる。

 「深い心には無数の襞があって、その中に数えきれない秘密が縫いこまれています」、その秘密が徐々に明かされていく面白さは、これこそ文学を読むこと、そのものといっていい。
 しかも、作者が「襞」という言葉を使っているのは、女性の奥底を表すようでいて、悩ましい。
 90歳を超えた女性が書いたものとして、蕩けるような官能はいかばかりだろう。
 「あたくしのいう愛はいつだって男と女の、あるいは男どうし、女どうしの、性を伴った愛のことです」と茜に語らせてはいるが、これはいうまでもなく作者の思いだろう。
 奔放に生きる母親茜を許せなかった娘の晶子が60歳を過ぎての男との情事で愛の深さ、母の人生を知る終盤の場面は感動すら覚えます。
 それは、愛の美しさといってもいいのではないでしょうか。

 瀬戸内寂聴さんは最初この小説のタイトルを「残炎」にしようと迷ったという。
 だが、茜の人生はそんなものではなかったはず。
 そこで、「光り輝く、満ち溢れる」という意味がある「爛」にしたという。
 眸にしろ、茜にしろ、あるいは今を生きる高齢者の人々にこそ、「爛」はふさわしい。
  
(2014/02/04 投稿)

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