02/04/2014 爛(瀬戸内 寂聴):書評「たちのぼる芳香に圧倒されました」

今日は立春。
立春の雪白無垢の藁屋かな 川端茅舎
そういえば
朝の明けも少しずつ早くなっています。
まだ少し寒いでしょうが
春はそこまで。
そんな日にぴったりの本を
今日は紹介します。
瀬戸内寂聴さんの『爛』。
私、大満足の一冊です。
こういう本を一年の初めの方で
読んでしまっていいのかと思いたくなるような
くらいです。
それにしても瀬戸内寂聴さんって
すごいですよね。
もう90歳を超えておられますが
その齢で
こんなに色気のある小説を書くのですから
まさにまだまだ春。
お見事というしかない、
名作です。
じゃあ、読もう。
![]() | 爛 (2013/12/20) 瀬戸内 寂聴 商品詳細を見る |

瀬戸内寂聴さんは大正11年(1922年)生まれだから、今年92歳の齢となる。
2010年から2011年に雑誌「新潮」で発表した作品とはいえ、執筆時には90歳近い高齢であることは間違いがない。
それでいて、これだけの骨格の太い作品を、それでいて何という瑞々しさであろう、書くのであるから、新進作家が束になっても適わない。
脱帽というほかない。
物語は83歳の人形作家上原眸のもとに長年の友人だった大西茜の、死因と享年の書かれていない死亡通知が届くところから始まる。
茜は眸より4歳年下だから79歳のはず。そして、死因は自殺だろうと眸は思う。
そう思うには理由があった。生前、茜が「八十の老後まで生きていたくない」と口癖のように言っていたからだ。
自分の美意識が八十を許さないのだと。
死亡通知を追いかけるようにして、茜の娘たちや孫から思い出の品とともに手紙が届くようになる。
それらに誘われるようにして、茜と出会った40年前からの時間を眸自身がたどることになる。
「深い心には無数の襞があって、その中に数えきれない秘密が縫いこまれています」、その秘密が徐々に明かされていく面白さは、これこそ文学を読むこと、そのものといっていい。
しかも、作者が「襞」という言葉を使っているのは、女性の奥底を表すようでいて、悩ましい。
90歳を超えた女性が書いたものとして、蕩けるような官能はいかばかりだろう。
「あたくしのいう愛はいつだって男と女の、あるいは男どうし、女どうしの、性を伴った愛のことです」と茜に語らせてはいるが、これはいうまでもなく作者の思いだろう。
奔放に生きる母親茜を許せなかった娘の晶子が60歳を過ぎての男との情事で愛の深さ、母の人生を知る終盤の場面は感動すら覚えます。
それは、愛の美しさといってもいいのではないでしょうか。
瀬戸内寂聴さんは最初この小説のタイトルを「残炎」にしようと迷ったという。
だが、茜の人生はそんなものではなかったはず。
そこで、「光り輝く、満ち溢れる」という意味がある「爛」にしたという。
眸にしろ、茜にしろ、あるいは今を生きる高齢者の人々にこそ、「爛」はふさわしい。
(2014/02/04 投稿)

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