02/08/2014 火の鳥 (8)(手塚 治虫):書評「風の前の塵に同じ」

今日は昨日のつづき。
手塚治虫さんの『火の鳥』「乱世編」の
下巻の紹介です。
舞台は平氏と源氏の戦いですが
そこは手塚治虫さんのマジックによって
微妙に作り替えられています。
源義経の造形も
かなり違います。
でも、実際に義経という人が
どんな青年であったかは
わかっていないんじゃないかな。
だから、手塚治虫さんは縦横無人に
空想の羽を広げている。
そう読んでいいと思います。
今日の書評の中で
『平家物語』の冒頭の文章を
引用しましたが、
これって古典の授業で
必ず覚えこまされる定番ですよね。
日本人なら誰でも知っているみたいな
ところがあります。
もっとも、私は
冒頭も冒頭
「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」ぐらい
ですが。
じゃあ、読もう。
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一昨年のNHK大河ドラマ「平清盛」は視聴率も悪く、すこぶる不評だった。
そもそも平氏そのものが日本人に受けはよくない。
「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」の冒頭でよく知られる『平家物語』を生み出した功績はあるとしても、「驕り」というものを嫌う日本人に、いくらNHK大河ドラマだとはいえ人気が出ないのも頷ける。
手塚治虫の『火の鳥』「乱世編」も、そんな平清盛と平家滅亡を描いた作品である。
主人公弁太は源義経の家来である弁慶を模して創造された青年だが、その恋人おぶうは清盛の側女となって命が尽きる間際の清盛を支える役どころとなっている。
自分の死が平家滅亡につながることをわかっていた清盛が求めたのは、不老不死の鳥火焔鳥。つまり、「火の鳥」である。
火焔鳥として宋から送られてきたのは孔雀。清盛は書物で知るばかりで実際の火焔鳥など見たこともないから孔雀であってもそれが火焔鳥といえば信じるしかない。
しかし、山育ちのおぶうにはそれが不老不死の鳥ではない、普通の鳥だということがよくわかっていた。
やがて、平家は木曽義仲の軍によって京を追われる。義仲もまた火焔鳥の血を求めていた。
不老不死の願いは昔からある。手塚の『火の鳥』の大きなテーマのひとつでもある。
死なないことの苦行は『火の鳥』第2巻の「未来編」で描かれているが、人は手にはいらないものゆえに求めざるをえないのだろう。
この「乱世編」で火の鳥、不老不死を求めないのは、主人公の弁太と平家への恨みだけが生きがいの義経ぐらいであろうか。
弁慶を模した弁太であるが、最後には義経にも刃向う。
弁太が求めたものは平凡な生活でしかない。
鳥は鳥として、虫は虫として、獣は獣として生きている世界。
平家だけが「おごれる」ものではない。
不老不死という自然の摂理に反するものを求めるのは、人間の「驕り」そのものだ。
「たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」と、「平家物語」はつづけていのであった。
(2014/02/08 投稿)

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