03/11/2014 三陸海岸大津波(吉村 昭):再録書評「「一つの地方史」の記録ではなく」

2011年3月11日、金曜日。
午後2時46分。
東日本大震災がおこった。
あれから、3年。
被災者の皆さんの
心は少しでも癒えただろうか。
どれほど悲しみが深くとも
残ったものは
前を向くしかない。
がんばれ、という言葉も
絆、という思いも
どれだけ被災者たちの心に
届いただろう。
言葉は空虚かもしれない。
それでも
私たちには言葉しかない。
前に向かって下さい、と
言うしかない。
今日紹介するのは
吉村昭さんの『三陸海岸大津波』。
再録書評です。
この本をこのブログで
紹介するのは
今日で3度めになります。
これからも
何度も
この本のところに戻ってくると
思います。
書評の最後に書いたように
「この国の記録として大事に読み継がれなければならない」と
思っています。
あの日を
しずかに想います。
じゃあ、読もう。
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3月11日の東日本大震災以後、多くの関連書籍が出版されている。ある意味それは出版人としての心意気でもあるが、他方大きな惨劇が多くの関心を集めるため売上という点からも出版を急ぐという意味も持つ。そのなかでひと際異彩を放つのが本書の存在だろう。
何しろこの本の初版は今から40年以上も前の昭和45年(1970年)なのだ。
はじめ『海の壁』と題され、中公新書の一冊として刊行された。吉村昭は名作『戦艦武蔵』を発表し、自らの方向性をようやく確立したばかりであった。その後の吉村の活躍については言うまでもない。
そんな吉村が「何度か三陸沿岸を旅して」いるうちに、過去かの地を何度か襲った津波の話に触れ、「一つの地方史として残しておきたい気持」で書き下ろしたのが本書である。
「津波の研究家ではなく、単なる一旅行者にすぎない」吉村ではあるが、今回の大震災後に慌ただしく出版された関連本と違い、腰の据わった記録本として高い評価を得ていいだろう。
もちろん、吉村がこの時想像をしていた以上の悲惨な大津波がまたも三陸沿岸を襲った事実はあったとしても、この本の評価はけっして下がることはない。また、今後何年かして、吉村のように丁寧に今回の津波の惨状を伝える書き手が現れることを期待する。
本書は明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)の大津波、それに昭和35年(1960年)のチリ地震による津波の惨劇が、当時の資料と生存者の声の収集から成り立っている。
執筆された当時からすると明治29年の生存者はわずかであるが、吉村は根気よく探しつづける。そういう地道な努力が文章の記録性を高めているといっていい。
このような大きな津波のあとを訪ねても、いかに三陸沿岸が津波の被害に苦しめられてきたかがわかる。そして、そのつど、人々は復興してきたというのもまぎれもない事実である。
吉村は「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」としながらも、「今の人たちは色々な方法で充分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」という地元の古老の言葉を信頼し、安堵もしている。
今回の津波による大惨事をもって、吉村の考え方が甘かったということもいえるかもしれない。
しかし、甘かったのは吉村だけではない。多くの日本人は何かを見落としてしまっていたのだ。この本を前にしてそのことを反省せざるをえない。
この本はいまや「一つの地方史」の記録ではなく、この国の記録として大事に読み継がれなければならないだろう。
(2011/07/22 投稿)

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