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プレゼント 書評こぼれ話

  介護疲れで心中とか自殺といったニュースを
  目にするたびに
  私の母も父もえらかったなぁと
  思います。
  母は病気がわかってから半年ばかりの入院で
  父も介護の生活も送りましたが
  2年にも満ちませんでした。
  二人とも残された子どものことを
  考えてくれたのでしょうか。
  できれば
  私もそうしたいもの。
  今日紹介する伊藤比呂美さんの
  『父の生きる』は
  親の介護の問題を
  伊藤比呂美さん自身の体験から
  描いています。
  伊藤比呂美さんは両親の介護を通じて、
  
   人生の最後に二人がそういうことをさせてくれたような
   気がしてならない。

  と、書いています。
  私の父が亡くなった2年前の正月
  兄とふたりで
  父を抱えながら
  お風呂にいれたことを
  思い出します。
  もし、今介護で悩んでいる人がいたら
  ぜひこの本を
  教えてあげてください。

  じゃあ、読もう。

父の生きる父の生きる
(2014/01/18)
伊藤 比呂美

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sai.wingpen  親の介護は自分の成長の完了                   

 母が亡くなって、2年後父が亡くなった。
 母が亡くなったあとの父は、少し介護がいるようになった。兄が会社に申し出て、実家に戻って、そんな父の面倒をみてくれた。
 弟である私は父と兄夫婦の暮らしぶりを、遠くの街で、電話で聞くばかりだった。
 兄夫婦には感謝している。
 父と兄夫婦の暮しが、わずか2年であったのは、父の最後の「子のため」だったと思う。
 世の中には介護疲れで自ら倒れてしまう人さえいる。
 両親がいないのは寂しいが、子どもの生活を脅かしてまでも生きてことなく、亡くなった両親はりっぱだった。
 死ぬことまで、親に教えられたと思っている。

 この本は詩人伊藤比呂美さんの父親介護日記だ。
 伊藤さんの場合、生活の中心がカルフォルニアという海外の地でありながら、何度となく父親のいる熊本に帰っている。なかなかできることではない。それでも時に、父親に向かってののしりたくなることがある。
 「それは、怒りでもむかつきでもなく。やるせなさとしか表現できないような感情だ」と、伊藤さんは書いている。
そんな伊藤さんだからこその、介護をしていた父親が亡くなったあとの言葉が、深い。
 「親をこうして送り果てて、つらつら考えるに、親の介護とは、親を送るということは、自分の成長の完了じゃないかと。」

 結論を急ぎ過ぎたかもしれない。
 介護の途中での伊藤さんのさまざまな言葉が胸をうつ。
 「人がひとり死ねずにいる。それを見守ろうとしている。いつか死ぬ。それまで生きる」人を見守るのは、「生きている人ひとり分の力がいるようだ」。
 それでも、父親を介護し続けた伊藤さんに父親の死という現実が待っている。
 遺体となった父親と二人きりになった伊藤さんの口から出たのは、「ありがとう」だったという。
 その言葉の意味を伊藤さんは「これまでの父としての存在に」と書いている。
 親と子の、美しい姿がそこにある。
 父の死に顔をみて、涙を流す伊藤さんは、その涙の意味を「悲しくない。後悔もしてない」とし、「子どもだった頃の父が思い出されてきて、なつかしい」と書いた。

 4年前に逝った母のことを、2年前に逝った父のことを思い出した。
 母に、父に流した涙の意味がようやくわかったような気がした。
  
(2014/03/22 投稿)

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