プレゼント 書評こぼれ話

  NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」を楽しみに
  見ています。
  今は官兵衛の息子長政が元服をし
  長政役には人気俳優の松阪桃李さんが
  演じています。
  これで視聴率も上がるかな。
  司馬遼太郎さんの『播磨灘物語』は
  今日紹介する4巻めで最後。
  本能寺の変あたりまでが
  描かれています。
  『播磨灘物語』を読むと
  黒田官兵衛豊臣秀吉の関係が
  いかに親密であったかよくわかります。
  でも、最後には
  微妙な関係になっていくのですね。
  黒田官兵衛をサラリーマンに模す人もいますが
  その点では
  宮仕えも難しいものですね。

  じゃあ、読もう。

新装版 播磨灘物語(4) (講談社文庫)新装版 播磨灘物語(4) (講談社文庫)
(2004/01/16)
司馬 遼太郎

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sai.wingpen  友人にもつなら、こういう男                   

 戦国時代の軍師黒田官兵衛の半生を描いた全四巻に及ぶ長編歴史小説の「あとがき」で、作者の司馬遼太郎は官兵衛のことを「友人にもつなら、こういう男を持ちたい」と評している。
 司馬がいう「こういう男」とは自身が描いてきた男の半生を読めばわかるということなのだろうが、まとめていえば、官兵衛が言ったといわれるこんな自評の言葉に尽きるのではないだろうか。
 「臣ハソレ中才ノミ。」
 言葉を紹介しつつ、司馬は官兵衛が上才であれば天下をとっていたであろうし、下才というほどもない。つまりは、中才であったと官兵衛が言い、それは本音だったのではないかと書いている。
 我執が乏しかったと、それに続けた。
 司馬が友人として求めたのは、そういう資質であったといえる。

 官兵衛が生きた時代にあって、官兵衛を知る人物がどれだけいただろう。
 秀吉のあと政権を握った徳川家康にいたっては、ほとんど官兵衛のことを知らなかったという。
 それほどに官兵衛は表だったことをしたわけではない。
 官兵衛は「天才的な才幹を秀吉という他人の運命を画布にして描いてきた」のであって、自身が歴史の表舞台に出ることはほとんだなかった。
 それゆえに、軍師として今でも賞賛されているともいえる。

 全四巻の最終巻となったこの巻では秀吉による高松城の水攻めの戦いが主となり、講和間近に起こった本能寺の変、それにつづく光秀との戦さまでを描いている。
 物語の主人公は秀吉を見紛うばかりで、官兵衛の登場場面も多くはない。
 さらに光秀討伐をひとつの括りにして、物語はのちに如水と名を改めた官兵衛の後半生を駆け足で辿るだけである。
 もしかすれば、秀吉の亡きあと天下をとっていたかもしれない度量をもちながら、さらには関ヶ原の戦の時には官兵衛自身そういう動きをしながら、遂には決起しなかった官兵衛の後半生も物語として面白かったはずだ。
 けれど、司馬はそのことを書くことはなかった。
 おそらく、それは官兵衛の魅力はないと思ったのではないか。
 あるいは、官兵衛が資質が発揮されたのは、天下をとるまでの秀吉があったればこそという思いがあったのであろう。

 司馬遼太郎にとって、「友人」とは、そういう人物だったにちがいない。
  
(2014/06/30 投稿)

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  今日は
  長谷川集平さんの『ホームランを打ったことのない君に』という
  絵本を紹介します。
  長谷川修集平さんからは
  以前『およぐひと』という絵本を紹介した時に
  わざわざコメントを頂いたことがあります。
  今は長崎に住んでおられます。
  ですから、この絵本の裏表紙見返りには
  福岡ダイエーホークス(懐かしいな)のユニフォームを着た
  長谷川集平さんの写真が掲載されています。
  今のソフトバンクホークスですね。
  以前の仕事の関係で
  私も福岡ダイエーホークスを応援していたことがあるので
  うれしいですよね。
  もともとは南海ホークス、
  それが福岡に移って
  今では福岡だけでなく
  九州全部の皆さんに愛される
  球団になった観があります。
  よかったですよね。
  今はドーム型の球場がほとんどですが
  昔ながらの球場もいいですよね。
  風がここちよい。
  そんな風にのって
  ホームランが打てたら
  もっといいでしょうね。

  じゃあ、読もう。

ホームランを打ったことのない君にホームランを打ったことのない君に
(2006/01)
長谷川 集平

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sai.wingpen  ホームランを打てる人生なんてそうそうあるものではない                   

 ホームランを打ったことがない。
 たぶんホームランを打ったことのある人の方がうんと少ないのではないだろうか。
 ホームランを打てる人の条件、まず野球をやったことがある人、バッティングにセンスがある人、相手投手の調子がよくない時、あるいは風の強さ。
 だから、ホームランを打った人はとってもうれしいはずなのに、ちょっと照れくさい。笑いがこみあげてくるはずなのに、それを奥歯で噛みしめている。
 でも、そんなことどもも、あくまでも想像。
 だって、ホームランを打ったことがないのだから。
 それは人生でもそうかもしれない。
 ホームランを打てる人生なんてそうそうあるものではない。

 長谷川集平さんの絵本はいつも何かを考えさせる。
 大きなことのはずなのに、けっして声高に語るのでもない。絵も派手ではない。
 静かに、大切なことを話しかけてくれる。
 この絵本はホームランを打ったことのないルイ少年が町でかつて野球がうまかった仙吉にホームランの何事かを教えてもらう話だ。
 仙吉は交通事故にあって野球ができなくなって、今はリハビリ中。
 けれど、ルイにホームランの魅力をやさしく伝える。
 仙吉は野球ができなくなったことを愚痴ることもしない。ただ、野球の素晴らしさを話し、ホームランの美しさを語るだけだ。
 それでいて、静かに、だ。
 仙吉を別れたルイはそのあとでゆっくりとバットを振り続ける仙吉の姿を見る。

 仙吉がどうしてバットを振り続けるのかをルイは知っている。
 ホームランを打つために、だ。
 けれど、そのホームランは野球の世界だけのホームランだけではないことにルイは気づいたかもしれない。
 そんなことを長谷川集平さんは声高にはいわない。
 長谷川さんの文と絵で、読者である私たちがわかるだけだ。
 ホームランを打つことは難しい。
 でも、ホームランを打ったことのない悔しさとか寂しさとかはホームランを打ったことがない者だけがわかることではないだろうか。
 そのことを大事にしているなんていえば、負け惜しみに聞こえるだろうか。
  
(2014/06/29 投稿)

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  昨日ハマっている話を書きましたが
  少し前にはマイ・ブームなんていう言い方をしましたよね。
  それでいえば、
  平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」も
  ちょっとしたマイ・ブーム作品です。
  今日は
  その傑作選の三、『源太郎の初恋』を
  紹介します。
  昨日の弘兼憲史さんの『黄昏流星群』でもそうですが
  どうも私のマイ・ブームは
  世間より少し遅れていますよね。
  『黄昏流星群』も『御宿かわせみ』も
  以前にはTVドラマ化されていて
  もし今だったら見ようと思ったでしょうが
  いかんせん、
  世の中の方が進んでいます。
  これらの作品がブームになっていた頃は
  仕事に夢中だったのかな。
  まあ、これからゆっくりと
  追いついていきますか。

  じゃあ、読もう。

御宿かわせみ傑作選3 源太郎の初恋 (文春文庫)御宿かわせみ傑作選3 源太郎の初恋 (文春文庫)
(2014/03/07)
平岩 弓枝

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sai.wingpen  さらに読ませます                   

 平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」傑作選の三巻め。
 表題にある「源太郎」というのは主人公神林東吾の友人畝源三郎の嫡男のこと。
 このシリーズの面白さは、物語のそれもあるが、東吾たちの成長のそれでもある。連載の最初ではまだ付き合っていただけの東吾と「御宿かわせみ」の女主人るいだが、愛読者の期待通り、無事に結婚し、この三巻めに収められている「立春大吉」ではかわいい女の子も誕生する。
 源太郎の初恋の相手である花世もすでに傑作選に登場しているが、東吾の友人麻生宗太郎の娘で、子どもたちの活躍がしばしばこのシリーズを明るくしている。

 この傑作選三ではさらに東吾の隠し子かもしれない少年が登場する。
 「虹のおもかげ」という作品である。
 その冒頭、東吾は溜池あたりの樹木の立ち並ぶところで蝉を捕る少年に出くわす。なかなか捕れない少年に手を差し出す東吾であるが、この時東吾だけでなく読者もまたこの少年が何者であるかわからない。ただ物語の最初の場面として印象に残るだけだ。
 「虹のおもかげ」では相続のもめごとが描かれているが、これは暗に東吾の隠し子の存在とそれがもたらすであろう悲しみを秘めているといっていい。
 事件が解決して再び東吾の前に現れた蝉捕りの少年と一緒の女の顔を見て、東吾はその少年が意味するところを一瞬で覚とる。

 その少年のことはこの巻の別の作品、「紅葉散る」でも描かれる。
 少年の名は麻太郎。母親が巻き込まれた藩の事情により、江戸へ再び訪れる。その途中、母親を亡くし、偶然にもまた東吾のもとに引き寄せられる。
 孤児となった麻太郎は東吾の兄のもとで養子となるのだが、こうして物語がどんどん幅と深みをもっていくのが「御宿かわせみ」の面白さなのだ。

 この巻でも7篇の作品が収録されている。
 東吾の周辺の人の中でも人気の高い、「御宿かわせみ」で働く女中頭お吉が主人公になった作品、「お吉の茶碗」が一番面白かった。
 こういうどこにでもいそうな女性の描き方が平岩弓枝の巧さだろう。
  
(2014/06/28 投稿)

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  今日は弘兼憲史さんの人気シリーズ『黄昏流星群』の
  第二集「鎌倉星座」を紹介します。
  先週『黄昏流星群』の第一集を紹介したばかりですから
  あ、この人(私のことです)
  ハマっちゃったんだと思われたと思います。
  そうです。
  ハマってしまいました。
  本を読んでいると
  そういうこと、ありませんか。
  私は結構あります。
  好きな作家とか
  最近でいえば池井戸潤さんとか葉室麟さんとかは
  ハマっている作家です。
  だから、
  どうしても読むことが多くなります。
  この『黄昏流星群』もそうかな。
  けれど、漫画といって侮らないで下さい。
  もしかしたら、
  文学以上にものごとの本質を衝くということは
  よくあるのですから。

  じゃあ、読もう。

黄昏流星群 (2) (ビッグコミックス)黄昏流星群 (2) (ビッグコミックス)
(1997/02)
弘兼 憲史

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sai.wingpen  雑誌の読者層は成長する。                   

 中高年の恋愛を描いて人気の高い、弘兼憲史の『黄昏流星群』の第2集である。
 このシリーズは青年漫画誌「ビックコミックオリジナル」に連載されたものだが青年といってもその読者層は広い。
 おそらくこの漫画に登場するような70歳になろうというような読者は少ないだろうが、これから中高年を迎える読者は自らの未来をのぞきこむような感じでこの作品と接していたのではないだろうか。
 雑誌の読者層は成長する。
 漫画雑誌で見ても、「少年サンデー」や「少年マガジン」あるいは「少年ジャンプ」といった少年誌の読者もいずれ成長し、青年になっていく。これら少年誌はあらたに少年になってくる読者を相手にしながら、成長した読者をどうつなげていくかが課題となる。
 そこで誕生したのが、「モーニング」であったり「ビックコミック」だったりする。
 しかし、青年もやがて年を重ねる。
 さすがに中高年向きの漫画誌というのは難しいようだ。
 それは一般の週刊誌でもいえる。
 「週刊ポスト」や「週刊現代」が最近高年齢者のSEX記事を頻繁に掲載しているが、これなども成長する読者への対応の戸惑いのように見える。
 高齢化社会が進みつつある今、雑誌の世界は対応に苦慮している。

 この第2集には、表題作の「鎌倉星座」と「星の王女様」それに「鈍色の星」の三つの短編漫画が収録されている。
 ちなみに、『黄昏流星群』の作品には「星」という文字が必ず使われている。
 この三つの作品では70歳を越える男女の恋愛が描かれている。
 印象的だったのは、「鈍色の星」という作品。
 この物語では50歳になる地方都市の開業医小早川稔が主人公だが、彼に想いを寄せる78歳の老婆の方が強く心に残る。
 ある日小早川の元に訪ねてきた高校時代付き合っていた袴田美保。25年ぶりの再会であった。
 美保は数年前に夫を亡くし、夫の母親とともに自身の田舎に戻ってきたという。母親には少し痴呆の症状がでていて、美保は小早川に母親の診断を頼む。
 小早川の診断を受ける母親はまるで少女のように恥じらい、毎週の往診を乞うようになる。そして。

 一体人はいくつまで人を愛することができるのだろう。
 あるいは、人と肌を合わせることができるのだろう。
 何歳も年下の小早川に人生最後の恋心を抱く美保の義母。失禁しながらもそれに気づくことなく愛する男をもてなす老婆。
 残酷ではあるが、残酷ゆえに印象に残る最後の恋を描いて秀逸である。
  
(2014/06/27 投稿)

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  今日は画家の安野光雅さんの
  『絵のある自伝』を紹介します。
  安野光雅さんは
  島根県津和野の出身。
  司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の挿絵や
  『旅の絵本』シリーズなど
  人気の高い画家です。
  安野ワールドにしびれている人も
  多いのでは。
  この本は日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」を
  ベースにしていますが、
  さすが画家だけあって
  これに絵をつけたのが、この本。
  それと、
  書評にも書きましたが
  個人名がたくさん出てくるのが
  異色ともいえます。
  読者にとって
  鈴木一郎さんであっても田中太郎であっても
  本筋とは関係のですが
  安野光雅さんはそれにこだわっています。
  なかなか昔であった人の名前なんか
  覚えていないものですが。

  じゃあ、読もう。

絵のある自伝 (文春文庫)絵のある自伝 (文春文庫)
(2014/05/09)
安野 光雅

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sai.wingpen  神話のような世界                   

 司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の挿絵を担当した画家は3人いる。
 連載開始時の1971年から亡くなる1990年まで描き続けた須田剋太、その後を継いだのは桑野博利さったが、1年後の1991年から安野光雅に代わる。
 須田の荒々しいが骨太い絵になじんできたものにとって、精緻にして繊細な安野の画風はいささかもの足りなさを感じていたのが、私個人の、正直な感想だ。
 けれど、司馬さんとの相性がよかったのだろう、安野は司馬さんが急逝する1996年までいいコンビを組み続けた。
 本書は2011年2月に日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」をベースに加筆されたものだが、その中で「司馬さんと街道をゆく」という章があって、人間司馬遼太郎の魅力と死後安野の譲られた靴のことが書かれているが、「街道をゆく」の挿絵を担当する経緯を、安野は語ることはない。

 もちろん「私の履歴書」という名物記事だが、安野の筆は実に自由自在だ。
 文章に一貫性がない。気がつけば、まったく異なった世界を歩いている感じになる。
 これ安野の本職である絵画の世界でもそうであって、時に安野は自ら楽しみながら「だまし絵」に挑戦している。
 そういう癖を安野は持っているのかどうかわからないが、文章でも読むものを混乱させる。それでいて読み難いということはない。
 これは安野光雅という画家の個性であり、特性のようなものだろう。
 起承転結の文章の在り方だけが正しいわけではない。
 読者の心にどう響くかが大切で、安野はそのことを絵画でも文章でも実践しているのではないだろうか。

 安野自身による半生記の特長はといえば、個人名が頻繁に出てくることだ。
 読者にとって、安野がいかに個人名を出そうが、その彼がどういう人物であったなどわかる訳はない。
 安野がそういうことに全く気づかなかったなどとは考えにくい。
 「過ぎたことはみんな、神話のような世界だ」と書く安野にとって、名前を与えられた者たちは神話に登場する神々に匹敵するのではないかしらん。

 安野がその時々の文章に挿絵をそえる。
 それは絵にしかできない表現方法だろう。
 画家として、文章だけでなく絵でもその時代時代を表現できる安野光雅さんはさすがという他ない。
  
(2014/06/26 投稿)

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  昨日赤木かん子さんの
  『今こそ読みたい児童文学100 』を紹介しましたが
  そのほとんどが海外の児童文学でした。
  日本には児童文学がないのかというと
  けっしてそんなことはありません。
  その代表選手ともいえるのが
  石井桃子さん。
  この本、『石井桃子のことば』は
  石井桃子さんのエッセイや作品の中の文章を
  抜粋して紹介されています。
  石井桃子さんは
  埼玉県浦和の出身です。
  私は今その近くに住んでいるのですが
  もしかしたらこのあたりで
  幼い頃石井桃子さんが遊んでいたのかなと
  想像するのは
  楽しいです。
  それにしても
  石井桃子さんという人がいなければ
  この国の児童文学はとっても遅れていたような
  気がします。

  じゃあ、読もう。

石井桃子のことば (とんぼの本)石井桃子のことば (とんぼの本)
(2014/05/23)
中川 李枝子、松岡 享子 他

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sai.wingpen  いしいももこさんと石井桃子さん                   

 せっかく『石井桃子のことば』というタイトルですから、石井桃子さんの言葉から始めましょう。
 「おとなになってから/老人になってから/あなたを支えてくれるのは/子ども時代の「あなた」です」。
 これは石井さんが2001年に杉並区立図書館で開催された「石井桃子展」に寄せた色紙に書いた言葉です。
 この時、石井さんは94歳でした。

 石井桃子さんは児童文学者。
 作品によっては、いしいももことひらがな表記されています。
 日本で最初にミルンの『くまのプーさん』を翻訳した人です。最近阿川佐和子さんによる新訳が話題となっていますが、石井さんの後半生の活動として有名な「かつら文庫」にその阿川さんも小さい頃通っていたといいます。
 これは新潮社の「とんぼの本」という写真を多用するシリーズの一冊なのですが、おかげで石井さんの横で絵本を読む阿川さんの写真もあったりします。
 石井さんはその他にもバートンの『ちいさいおうち』といった絵本の翻訳もされています。
 翻訳だけではありません。『ノンちゃん雲に乗る』、これは題名だけは知っている人も多いと思いますが、戦後の児童文学の代表作ともいえる物語の作者でもあります。
 石井さんは後半生にも『幼ものがたり』や『幻の朱い実』といった重厚な作品も書いています。

 石井さんは図書館の活動にも熱心に取り組んでいます。
 現在どこの公共図書館にも児童室といった絵本や児童書を集めた一画がありますが、これも石井さんたちの地道な活動の成果といっていいでしょう。
 それに関する著作もたくさんあります。
 この本の中でも圧巻なのが、「石井桃子全著作リスト」です。
 石井さんは実に多くの作品、本を残されています。その多さに、そしてそれらがすべて児童文学であることに感動さえ覚えます。

 先にも書いたように写真を多用する「とんぼの本」だけあって、石井さんが生まれた明治時代の埼玉県浦和時代のものや戦後宮城県の田舎で始めた農業時代など、石井さんの歩んできた人生が写真と文章で構成されています。
 当然「石井桃子のことば」とあるように、石井さんがさまざなな作品やエッセイで残された言葉がその間に散りばめられています。

 「こうして生涯話しあえる本と出あえた人は、仕あわせである」と、石井さんは書いています。
 この本で石井桃子さんに出会えた人は、その仕あわせの気分が少しでもわかるのではないでしょうか。
  
(2014/06/25 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日は角田光代さんの
  書評集『ポケットに物語を入れて』を
  紹介しましたが
  今日は児童文学を紹介する
  赤木かん子さんの『今こそ読みたい児童文学100 』を
  紹介します。
  なんとここには児童文学の名作が
  私が子供時代に読んだ
  『ジャングル・ブック』や『小公子』といったものをはいっていて
  もうこの一冊を持っていれば
  60歳からの人生後半期は
  大丈夫かな。
  お子様にいるご家庭だけでなく
  熟年夫婦だけの一家に
  常備しておきたい一冊です。

  じゃあ、読もう。

今こそ読みたい児童文学100 (ちくまプリマー新書)今こそ読みたい児童文学100 (ちくまプリマー新書)
(2014/05/07)
赤木 かん子

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sai.wingpen  60歳からも楽しめる本がずらり                   

 高齢者社会が進んでいる。
 平均寿命が90歳近くなって、例えば60歳で定年を迎えたとしてそれから30年近い月日をどう過ごしたらいいのかわからないと困惑している人も多いだろう。
 併せて年金問題やら労働人口問題もあって、それなら雇用延長をして働くという選択をする人が出てきてもおかしくない。
 本当にそれでいいのだろうか。
 90歳というのはあくまでも平均寿命だし、健康寿命ともなればもっと低い。
 だとしたら、60歳後の生き方を単に働くという選択ではなく、もっと充実した過ごし方をすべきではないか。
 児童文学評論家の赤木かん子さんが書いたこの本は、そう考えている人にはぴったりの一冊だろう。

 何しろここで紹介されている児童書は100冊もある。
 すべてを読むのはかなりの時間が必要だ。
 しかも、これは赤木さんが書いていることだが、児童文学は「文字も大きいので読みやすい」。
 さらには児童文学は「ほぼハッピーエンドなので、読み終わって幸福な気持ちになれる確率が高い」とくれば、これからの高齢者対策として児童文学は欠かせないということだ。
 赤木さんは児童文学の研究者ではあるが、昔の児童文学(といっても赤木さんは1980年代までが児童文学の黄金期といっているので、現在60歳くらいの人であればつい最近の青春期の頃ということになる)が、現在の子どもたちに受け入れられるかといえばけっして胸を張ってYESとはいい難い点があると書いている。
 黄金期の児童文学はこれから高齢者の範疇に入る人たちによって再度読まれていくのかもしれない。

 この本の中で紹介されている100冊の児童文学は書店ではなかなか入手できないのではないかと赤木さんは懸念している。
 そこで薦めているのが、図書館の活用である。
 実は高齢者と図書館の相性はとてもいい。
 平日の図書館利用者は時間をたくさん持った高齢者で賑わっていると聞いたことがある。
 その人たちが赤木さんが薦める100冊の児童文学に目覚めたら、いったいどのような新しい社会が生まれるのだろう。

 この100冊を読んでいく楽しみだけでなく、そんな社会を見たいという楽しみも増えたといえる。
  
(2014/06/24 投稿)

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  先日第151回となる芥川賞・直木賞の候補作の
  発表がありました。
  芥川賞が5人、直木賞が6人のノミネート。
  芥川賞では、戌井昭人さんがノミネート5回目、
  直木賞ではノミネート6回目となる黒川博行さんといった
  常連? の顔が並んでいます。
  さて、どなたが受賞されるか
  発表は7月17日です。
  新しい作品も楽しみですが
  すでに世評の高い作品も楽しい。
  今日紹介するのは
  直木賞作家でもある角田光代さんの
  書評集『ポケットに物語を入れて』。
  角田光代さんは
  本読みの達人でもあって
  この本の中にこんな一節が。

    本は開くとき、読んでいるときばかりでなく、選んでいるときからもう、
    しあわせをくれるのだ。まるで旅みたい。

  こんなことを感じるのが
  達人ゆえかな。

  じゃあ、読もう。

ポケットに物語を入れてポケットに物語を入れて
(2014/05/28)
角田 光代

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sai.wingpen  本と一緒に旅しよう                   

 文庫本は解説から読む、という人がいるくらい、文庫本についている「解説」は面白い。
 私も東海林さだおさんの食のエッセイ「丸かじり」シリーズの文庫本(文春文庫)では、次々と替わる解説者の文章の技を楽しみにしている一人だ。(この本の著者角田光代さんも『ホットドックの丸かじり』という文庫本に解説を書いていて、この本に収録されている)
 しかし、所詮「解説」は「解説」であって、作品こそが大事なのはいうまでもない。
 作品を読まずして、「解説」を読むな、といいたい。
 けれど、その「解説」だけが切りだされれば、「解説」そのものの、あるいは「解説」を書いた人の、物事に対する見方や表現方法などが手にとるようにわかる。
 書評家でもあった丸谷才一氏は、書評は読ませる文章であるべきだと論じていたが、まったく同感である。
 よい「解説」は読ませるだけの力量を持っているといえる。

 直木賞作家角田光代さんのこの本はこれまで角田さんが文庫本の「解説」や週刊誌での書評欄に書き綴ってきたのものをまとめたものだ。
 まえがきにあたる文章(「あなたのポケットの、あなただけの物語」)の中で、角田さんは文庫本の「解説」はその作品の答えのように思っていたが、忌野清志郎の『忌野旅日記』の「解説」を頼まれた時、答えではないのではないかと気づいたとある。
 もし「解説」がその作品の答えであったとしても、自分はそうでないものを書けばいいのではないかと。
 この時書いた「解説」もこの本に収録されているが、確かにここには作品から自由になった角田さんがいるし、けれども「作品」にしっかりつながっている角田さんもいる。
 それと同じことが、東海林さだおさんの『ホットドックの丸かじり』の「解説」にもいえる。
 どちらかといえば、小説以外の作品の「解説」を書く時の、角田さんの自由度は高い。
 文学作品ともなれば、やはり正統な「解説」になっている。それはそれで角田さんの小説世界ともつながっているし、角田さんの文学世界の秘密を解く鍵にもなっているが、けっして面白い訳ではない。

 それでもこの本が面白いとすれば、ここに紹介された文章そのものが角田光代さんを形成しているからだといえる。
  
(2014/06/23 投稿)

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  今日は、
  あべ弘士さんの『ぼく、みつけたよ』という絵本を
  紹介します。
  書評を読んで頂くとわかるとおり、
  今回の書評は三重県総合博物館(愛称「MieMu ミエム」)の
  ホームページを参考にしました。
  三重県にこんな素敵な博物館があったなんて
  知りませんでした。
  この博物館には
  ミエゾウの他に
  お伊勢参りに関連した展示もあるようです。
  さすが三重県。
  この絵本を読むまで
  ミエゾウのことは知りませんでした。
  きっと古代が好きな人にとっては
  たまらない魅力なんでしょうね。
  近年の地球温暖化で
  もしかしたらいずれこの国でまた
  ゾウたちが闊歩する時代にくるのでしょうか。
  ロマンがありますが
  それはそれで困った問題かも。

  じゃあ、読もう。

ぼく、みつけたよぼく、みつけたよ
(2014/04)
あべ 弘士

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sai.wingpen  あべ弘士さんの魅力を、「ぼく、みつけたよ」                   

 この4月に開館して間もない、愛称「MieMu ミエム」と呼ばれる三重県総合博物館は、6月1日に入館者数10万人を達成した、三重県津市の人気スポットです。
 この館の目玉はなんといっても、「ミエゾウ全身復元骨格」でしょう。
 「ミエゾウ」というのは、名前の通り、2010年に三重県内で最初に発見されたことからその名がついた太古のゾウです。
 350万年前にこの日本の地に生きていた8メートルの巨体と2メートルにもなる牙をもつゾウ。
 この絵本は、そんなミエゾウへの夢と太古へのロマンで生まれた作品だ。

 作者は動物絵本の第一人者、あべ弘士さん。
 あべさんは旭川動物園に25年間勤務しただけあって、動物の生態に詳しい。だから、あべさんが描く動物たちの表情や動きはいつも溌剌としている。動きがあります。
 そんなあべさんだが、太古のミエゾウにはもちろん会ったことはない。
 それなのに、絵本いっぱいに描かれたミエゾウたちの堂々とした姿はどうだろう。
 デフォルトされているのですが、それでもそれはまるで生きているかのようです。

 物語は現代の少年と犬のタロが川で大きなあしあとを見つけたところから始まります。
 もしかしたら、恐竜のあしあとかも。
 いつのまにか、うとうとした少年の夢に出てきたのは、ゾウの大群。
 ゾウたちと一緒にあしあとを見つけた川をめざす、少年とタロ。
 そして、そのあしあとがゾウたちのものだったことに気づくのです。

 350万年前という途方もない時間。
 けれど、少年の夢はそんな時間さえ、あっという間に飛び越えてしまうのです。もしかすると、それは作者あべさんも同じかもしれません。
 生きているものを求めて、あべさんには時間であったり空間であったり、場所なんて関係ありません。
 そこには想像の翼を持った少年の心があります。
 この絵本はミエゾウを紹介するものながら、あべ弘士という絵本作家の魅力が思う存分描かれているともいえるのではないでしょうか。

 あべ弘士さんの魅力を、「ぼく、みつけたよ」と言いたくなる、一冊です。
  
(2014/06/22 投稿)

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  今日は24節気のひとつ、夏至

    地下鉄にかすかな峠ありて夏至   正木ゆう子

  正木ゆう子さんは若い俳人ですが
  自身『夏至』という著作もあるくらい
  この季節がお好きなようです。
  今日が昼の一番長い日と
  子どもの頃に教えられました。
  まさに峠のてっぺん。
  これからは徐々に短くなっていきます。
  そんな季節感はいつまでも大切にしたいですね。
  今日紹介する『こども歳時記』は
  「大人も読みたい」とあるように
  大人の鑑賞にも十分耐えうる歳時記です。
  私が今使っている歳時記は
  角川ソフィア文庫の『俳句歳時記 第四版増補』版です。
  正木ゆう子さんの句も
  ここから引用しました。

  じゃあ、読もう。

大人も読みたい こども歳時記大人も読みたい こども歳時記
(2014/02/26)
季語と歳時記の会

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sai.wingpen  こどもだけではなく                   

 近年夏になると、猛暑日やゲリラ豪雨だと、過激な気候が顕著だ。
 元来この国の四季は、もっと優しかったはずなのに。
 優しい季節に育まれて、山の緑が映え、川のせせらぎが癒し、波の音が胸にしみた。動物たちは命をつなぎ、植物は四季折々に色をそえてきた。
 そこで生きる私たちもそんな優しい四季に寄り添うような営みを続けてきたのだ。
 多分、「歳時記」は俳句の世界だけでなく、そんな私たちが生み出した叡智だと思う。
 私たちの先人がこしらえてきた豊かな四季を終わらせてはならない。
 子どもたちへ、それに続くものたちに、この優しい四季をつなげていかなければいけないのだ。

 この本は「歳時記」を小学生や中学生にも使いやすいように編集したもの。
 見出し季語あるいは傍題季語が並んでいるのは普通の「歳時記」と同じで、「歳時記」と同じように例句もついている。
 「こども歳時記」であるから、例句にも小学生や中学生が詠んだ句も収められているが、有名な俳人たちの句もあって、鑑賞にも十分耐えられるようになっている。
 例えば、「暑し」という夏の季語の例句は中学3年生の松田君の「暑い夏ヒートなハートがビートする」もあったり、芥川龍之介の「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」であったりする。

 文豪芥川龍之介と無名の少年の句を並べてみたが、読者にはどう響いただろうか。
 さすがは芥川、と感じた読者もいるだろうが、松田君の俳句だって負けてはいないと私は思った。
 この本の監修をした俳人の長谷川櫂氏は子どもの俳句には二つの資質が必要だと書いている。
 ひとつが子どもにしか作れない俳句であること、もうひとつが大人の鑑賞にも堪えるものであることだという。
 松田君の俳句にはその二つもがある。むしろ、芥川の俳句に子どものような感性を感じてしまうのは私だけだろうか。
 大人はつい考え詠んでしまう癖がある。
 「カレンダーいちまいぜんぶなつやすみ」(小5・武田君)のような平易でありながら、素直な心持ちを大切にしたい。

 表紙絵は先日急逝した安西水丸氏の作品。
 安西氏の絵もまた芥川の俳句のような生き生きとした子どもの目を感じる。  
  
(2014/06/21 投稿)

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  昨日漫画家弘兼憲史さんの
  エッセイ『ヒロカネ流』を
  紹介しましたが、
  今日は本業で漫画を紹介します。
  中高年の恋愛模様を描いた
  人気シリーズ『黄昏流星群』の第1集「不惑の星」。
  この漫画の連載が始まったのは
  1995年ということですから
  私はまさに不惑の40歳だったのですが
  自分の意識では
  まだまだ中年なんていうものは
  なかったですね。
  それから20年近くなって
  まもなく60歳になろうとしている今
  頭によぎるのは
  これからの人生、後半生のこと。
  この作品の主人公のように
  新たな恋にめぐりあえるのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

黄昏流星群 (1) (ビッグコミックス)黄昏流星群 (1) (ビッグコミックス)
(1996/08)
弘兼 憲史

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sai.wingpen  流れる星に願いをこめて                   

 年金の支給年令が繰り上がったことで60歳の定年を超えても雇用延長制度を利用して働く人が多くなった。
 人は一体いつまで働けばいいのだろう。
 寿命がいつ尽きるのかわからない中で、人生の後半の過ごし方も様変わりしてきたように思う。
 弘兼憲史の人気シリーズ「黄昏流星群」が青年漫画雑誌「ビックコミックオリジナル」に連載を開始した1995年では、不惑の時、40歳にはそろそろと人生の後半生を考える年令だったのだろう。
 長期連載シリーズの第1話である「不惑の星」は、そんな男の揺れる心を描いた作品だ。
 それから20年近く経って、40歳で人生の後半生を思案する人は少なくなっているのではないだろうか。
 おそらく、不惑の年を越え、還暦を迎えようとする男の戸惑いと読み替えた方がすっと読者の心に入りこむような気がする。

 主人公盛本芳春は大手銀行の支店長。52歳。長女に国家公務員との結婚話が持ちあがる中、出世コースの道筋はやや危うい。
 自分を見つめ直そうとする芳春は、単身スイスへ旅立つ。そこで出会ったのが誠子。
 上品で知性があって美貌の誠子に一目ではまった芳春は、ホテルでの一夜に強引な行動に出て、彼女に逃げられてしまう。
 もう二度と会えないと傷心の内に日本に帰国した芳春はある日偶然にも社員食堂で栄養士として働く誠子と再会する。
再び燃え上がる芳春の熱情。そして、誠子もまた。

 「不惑」とは読んで字の如く「惑わず」であるが、52歳の芳春はここから惑っていく。
 人生の意味など誰も本当はわかりはしないのかもしれない。
 実際には「不惑」ではなく「諦観」といってもいい。
 けれど、それでは人生は面白くない。
 人生の第二幕もそれなりに面白いことを、芳春と誠子が教えてくれる。

 冒頭にこんなプロローグがはいっている。
 「四十歳を越え、多くの大人達は、死ぬまでにもう一度、燃えるような恋をしてみたいと考える」。けれど、現代の高齢化社会では50歳を越え、あるいは60歳を越え、があっている。
 たくさんの流星群が、まさに今、流れている。
  
(2014/06/20 投稿)

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  今日も昨日につづいて
  漫画家さんの本。
  書いているのは
  「島耕作」シリーズや「黄昏流星群」で人気の高い
  弘兼憲史さん。
  『ヒロカネ流』。
  副題は「後半生は「人生楽しんだもん勝ち」」。
  実は昨日紹介したちばてつやさんと
  弘兼憲史さんとは
  少なからぬ因縁があります。
  弘兼憲史さんが1974年に
  「風花薫る」でデビューした時
  ビッグコミックちばてつやさんの
  「のたり松太郎」の後ろのページだったそうです。
  そういうことって
  印象に残りますよ。

  じゃあ、読もう。

ヒロカネ流 後半生は「人生楽しんだもん勝ち」ヒロカネ流 後半生は「人生楽しんだもん勝ち」
(2014/04/25)
弘兼 憲史

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sai.wingpen  幸福な男の人生訓                   

 弘兼憲史。職業漫画家。代表作に「島耕作」シリーズや「黄昏流星群」などがある。
 今年漫画家としてデビューしてから40年になる。
 その活躍の場のほとんどは青年漫画誌で、「島耕作」に代表されるようにビジネスマンにも人気が高いし、中高年の恋愛模様を描いた「黄昏流星群」は女性の愛読者も多い。
 1947年生まれだから、世にいう「団塊の世代」だ。
 そんな弘兼がどのようにして漫画家になったのか。
 本書の前半で漫画家になるまでの日々が綴られている。
 それは「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫や、その手塚を慕ってのちに「トキワ荘」という漫画の梁山泊を築いた石ノ森章太郎や赤塚不二夫とはまったく様相が違っている。
 それはひとり弘兼の「まんが道」であるともいえるし、まさに「ヒロカネ流」の生き方であったともいえる。

 弘兼は大学卒業後大手家電メーカーに就職している。
 絵に自信のあった弘兼はどのような仕事であっても宣伝部に配属されるよう努力する。
 このあたり、若いビジネスマンにはとても参考になる。
 弘兼は会社の方針に逆らった訳ではない。会社が自分を宣伝部に登用させるべき、さまざまな努力をしただけだ。
 こういう経験を持った弘兼だからこそ、ビジネスマンが読んで納得のいく作品を生み出すことができたのだと思う。

 本書の後半は、弘兼の人生訓のような章立てになっている。
 「休みはいらない」「我慢の時代の過ごし方」「サラリーマンに出世欲は必要不可欠」といった文章が続く。
 それは67歳の弘兼だから書ける内容だといえるが、漫画家という自分の好きな仕事を職業にした幸福な男の文章でもある。
 それがどうあれ、「団塊の世代」は発言することは、それに続く世代としては歓迎すべきだ。
 高度成長期に日本経済を牽引した「団塊の世代」だからこそ、定年後の生き方をさまざまに発言してもらいたいものである。
 「団塊の世代」にはそういう意味で、兄貴としての責務があるのではないか。

 弘兼はいう。
 「人生の年輪を重ねた年寄りほど、「逆らわず、いつもにこにこ、従わず」の姿勢を貫き、毎日の生活を愉しむべき」だと。
 人生の先輩はさすがにいいことをいう。
  
(2014/06/19 投稿)

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  初めて漫画雑誌を読んだのは
  いくつだったのかなぁ。
  近所の年下の男の子の家でみた
  少年マガジンだったような
  淡い記憶がある。
  石ノ森(当時は石森)章太郎さんの
  「怪傑ハリマオ」が載っていたような。
  それからですから
  漫画とは長い付き合いですね。
  ちばてつやさんの漫画にも
  たくさん触れてきました。
  好きな漫画家の一人です。
  そんなちばてつやさんが作品に沿いながら
  自伝のようにして書いたのが
  『ちばてつやが語る「ちばてつや」 』。
  できればもっと図版がはいればよかったのですが
  ないものねだりというものかな。
  ところで、
  みなさんはちばてつやさんの作品では
  何が一番好きでしょうか。
  私はやっぱり「あしたのジョー」かな。

  じゃあ、読もう。

ちばてつやが語る「ちばてつや」 (集英社新書)ちばてつやが語る「ちばてつや」 (集英社新書)
(2014/05/16)
ちば てつや

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sai.wingpen  人生はマラソンのようなもの                   

 ちばてつやの漫画が好きだ。
 「ユキの太陽」「紫電改のタカ」「島っ子」「ハリスの旋風」「みそっかす」「おれは鉄兵」「のたり松太郎」、そしていうまでもなく「あしたのジョー」。
 漫画家生活60年近い長い画業だが、ちばてつやは寡作の漫画家である。
 漫画雑誌が月刊から週刊化されたことを考えれば、あるいは手塚治虫や石ノ森章太郎の作品の数と比較しても、ちばの作品数は多くない。
 それでいて、なんと印象に残る作品の多いことか。
 そんなちばてつやが自身の漫画とともにその半生を綴ったのが、この本である。
 ちばてつやファンにとって、こんなうれしい一冊はない。

 戦後満州から死と背中合わせで生き延びて日本に戻ったちばが、ほとんど奇跡のような経緯で「復讐のせむし男」という作品でデビューしたのは1956年(昭和31年)である。
 手塚治虫や「トキワ荘の住人」が漫画の世界で切磋琢磨していた時代、ちばはどんな先生にも漫画仲間たちと接することもなくデビューし、独特な表現方法を開拓していったのは、漫画家となるべき運命のようなものであったように感じる。
 偶々私が1955年(昭和30年)ということもあって、ちばの作品は私の生きてきた日々のそこかしこに顔をのぞかせる結果となったといえる。

 ちばは女性を描くのが苦手と、この本の中で書いている。
 しかし、ちばの描く少女がとても好きだ。
 手塚治虫の描く少女よりもスマートで、石ノ森章太郎の描く少女よりも現実的であった、ちばの少女たち。
 その極めつけはなんといっても、「あしたのジョー」の白木葉子であり、矢吹丈に心を寄せる紀子だ。
 両極端な二人だが、彼女たちの時に見せる切ない表情は、ちばが自覚する以上に女性の美しさをまとっているといえる。
 ちばは少女漫画でデビューしたが、ちばが苦手だったとしても、当時の編集者はちばの描く少女の魅力を感じとっていたのではないだろうか。

 漫画家はその作品とともに成長する。
 描いてきた漫画そのものが自身の人生そのものだといえるだろう。
 「人生はマラソンのようなもの」という言葉をちばは好きだという。漫画もまたマラソンのようなもの、それを実践してきたちばてつやの、この本は記念アルバムだ。
  
(2014/06/18 投稿)

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 「東京人」という雑誌がある。
 センスのいいのは、
 さすが東京の人が作った雑誌だけのことはある。
 これが「関西人」だと
 ここまでスマートにはいかないのではないか。
 けっして関西人をけなしている訳ではありません。
 私自身が根っからの関西人だからいうのですが
 関西人の魅力はまったく違うところにあります。
 関西人の良さを話すと長くなるのでやめますが
 東京の人のスマートさは好きです。
 そういうことで、
 常々、雑誌「東京人」には魅かれるものがあったのですが
 今回紹介する
 「東京人」7月号(都市出版株式会社・930円)の特集には
 まいりました。

    ガロとCOMの時代  1964-1971

東京人 2014年 07月号 [雑誌]東京人 2014年 07月号 [雑誌]
(2014/06/03)
不明

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 漫画雑誌「COM」のことはこのブログでも
 何度か書いてきましたが、
 私が高校生の頃
 夢中になった雑誌のひとつであることは間違いありません。
 つまり、「東京人」の今号は
 私の青春レクイエムなんです。

 編集後記から書くのも変ですが
 書いちゃいます。

   『ガロ』という伝説の漫画雑誌に出会ったのは高校生の頃で、
   昭和四十代年代の終わりのことです。
   ・・・・(中略)・・・・・
   時は流れ、あの時代が思い出になると、
   なぜか突然『ガロ』を思い起こし、『COM』とセットで取り上げました。
   私にとっての、生々しさが消えた証でしょう。


 これは編集長の高橋栄一氏の筆によるもの。
 あの時代の生々しさは消えてほしくないというのが、
 私の思いなのですが、
 だって、
 あの時代がなければ今の私もないわけで
 だから、そんな時代の象徴であった
 「COM」という雑誌も
 私にはとても大切な雑誌なんです。

 「東京人」の話でした。
 もくじを見るだけで
 うれしくなってしまいます。
 「ねじ式」のつげ義春のインタビューの聞き手が
 川本三郎さんというのもいい。
 川本三郎さんは、このほかにも
 「二つの青春が重なった幸せ」というエッセイも
 寄稿しています。
 その中の一節。

   永島慎二の『漫画家残酷物語』をはじめて読んだ時は、
   これは自分の漫画だと思った。

 これは私も同じで
 高校大学と永島慎二の漫画にはまっていった。
 その他にも
 「ジロがゆく」や「はみだし野郎の子守唄」を描いた
 真崎守さんのインタビューもある。

 「COM」と「ガロ」の懐かしい表紙。
 「COM」と「ガロ」で活躍した漫画家たち。

 押入れを改造したベッドで
 深夜放送から流れる吉田拓郎の唄を聞きながら
 「COM」のページを開いていた、あの頃。
 好きだった女の子の、こっそり手にいれた写真を
 見つめながら、
 何度もため息をついていた、あの頃。

 どうしてあの頃のことを
 忘れることなんかできようか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  「STAP細胞」をめぐる騒動は
  おわるところがない。
  日々新たな報道がされ
  この騒動の中心ともいえる
  小保方晴子さんに関する週刊誌記事も
  絶えない。
  なんだか科学のニュースというより
  三面記事的になってしまったのが
  残念だ。
  今日紹介するアクセル・ハック
  『ちいさなちいさな王様』は
  小保方晴子さんが読書感想文コンクールで
  賞を受賞したことで
  脚光を浴びた児童書です。
  今回の騒動とは関係なく
  正当な一冊です。
  ぜひそうしてお読み下さい。
  そうでないと
  本がかわいそうです。

  じゃあ、読もう。

ちいさなちいさな王様ちいさなちいさな王様
(1996/10/18)
アクセル ハッケ

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sai.wingpen  本に罪はない                   

 1996年に日本で出版されたドイツの児童文学書が2014年突如として売れ出した。
 書店の平台にうず高く積まれた本の帯には万能細胞「STAP細胞」の作成に成功したと報じられた小保方晴子氏がこの作品で「読書感想文コンクール」で優秀賞を受賞したと謳われた。(正確に記すと小保方氏が中学2年生だった時この作品の読書感想文で青少年読書感想文の千葉県コンクールで最優秀賞の「教育長賞」を受賞している)
 まさに日本中が小保方フィーバーに沸き上った瞬間である。
 その後、小保方氏の研究姿勢に疑義が生じ、「STAP細胞」の存在そのものが怪しくなってくると、この本を書店で見かけることも少なくなった。
 小保方フィーバーに煽られてこの本を売り込もうとした出版社や書店に落ち度はない。
 あの時の熱狂ぶりをみれば、誰だってそうしただろう。
 一番の被害者は、この本かもしれない。
 本には罪はない。
 小保方氏はこの本を読んで感銘を受け、読書感想文としてまとめた。そのことの事実は変わらない。
 中学2年の晴子ちゃんが十何年かして、これほど渦中の人になることなど誰も思わなかっただろう。

 ある日ふらりと僕の部屋にあらわれた、人差し指サイズの小さな王様「十二月王二世」。
 人間の世界とは逆に、王様は年とともに小さくなるのだという。
 鏡の中の世界のように、王様の生きる世界と人間の世界はまるっきり逆の世界だ。
 夢もまた、そう。
 王様は夢の世界が本当で、夢を見ている世界こそが夢ではないか、などと言ったりする。
 あるいは目に見えないものが世界には充満していることを、僕に教えたりする。
 この作品から中学2年の晴子ちゃんは何を感じとったのか知らないが、むしろ今小保方晴子氏になってようやくこの作品の本当の意味がわかったのではないだろうか。

 小保方晴子氏の今は、ちいさな王様がいうところの本当の世界ではないのかもしれない。
 本当の世界では「STAP細胞」が全人類の希望となって命を救っているともいえる。
 それがまったくないなんて、誰がいえるだろう。
 そういうことを考えれば、小保方晴子氏にとってこの作品はあまりにも皮肉だ。
  
(2014/06/16 投稿)

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  今日は父の日

    父の日の隠さうべしや古日記   秋元不死男

  娘たちも小さい頃は
  父の日には「いつもありがとう」みたいな言葉も
  あったものですが
  最近はなんだかそういうこともなくなって
  おかしいな、
  娘にとっては私はいつまでも父親なんだけど
  みたいなことを
  ここ何年か思ったりしています。
  父の日にちなんで
  今日は高畠純さんの『おとうさんのえほん』という
  絵本を紹介します。
  動物たちのお父さんの
  涙ぐましい努力に
  人間のお父さんも涙するのではないでしょうか。
  それとも
  あまりに自分の姿に似ていて
  「まいったなぁ」なんて
  つぶやくのでしょうか。
  なにはともあれ
  全国のお父さん、がんばって。

  じゃあ、読もう。

おとうさんのえほんおとうさんのえほん
(1991/03)
高畠 純

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sai.wingpen  お父さんは喜劇なのかしら                   

 人生は、喜劇と悲劇でできている、とよくいわれる。
 さしずめ子育てにおいては、父親が喜劇で母親が悲劇の役を担っているともいえる。
 父親なんて役名さえつかない端役よ、という厳しい母親からの声が聞こえそうでもあるが。
 喜劇といわれようと端役と蔑まれようと、それでも父親は父親なりに子どものことを愛してやまない。
 そんな父親を動物たちの姿を借りながら表現したのが、この絵本である。

 ゴリラ、ペンギン、しろくま、わに、ぶた、ひつじ、ぞう、そしてライオン。
 子どもたちに愛され、なじみの動物たち。
 だから、子どもたちも楽しく、お父さんの姿を楽しむことができる。
 たとえば、ペンギンお父さん。
 子どもペンギンのために大きな雪だるまをこしらえようとがんばっている。やっとこさできたので、さっそく子どもペンギンを呼んでくるが、なんと雪だるまは倒れてしまう。不思議な表情で寝ころんだ雪だるまを見る子どもペンギン。
 大丈夫ですよ、ペンギンお父さん。読者はあなたのがんばりをちゃんと見てますよ。

 たとえば、ひつじのお父さん。
 子どもひつじを驚かそうと壁の向こうで隠れています。「おとうさん、どこいったかな」、子どもひつじの声に喜ぶひつじのお父さん。もうすぐわぁーっと驚く子どもひつじを抱きしめられる。
 ところが、お母さんひつじの「おやつよー」の声にさっさと行ってしまう子どもひつじ。
 鬼の面をかぶって、ヌーと飛び出しても誰もいない。
 大丈夫ですよ、ひつじのお父さん。読者のあなたの切なさがちゃんとわかってますよ。

 たとえば、ライオン父さん。
 壁にお母さんライオンの顔の落書きで遊んでいる子どもライオンをびしっと叱る。ここは父親の威厳を発揮。
 でも、叱られて子どもライオンがいなくなると、壁のお母さんライオンにたてがみを書きくわえて、「おとうさん」と修正するライオン父さん。
 大丈夫ですよ。ライオン父さん。読者はあなたのいじらしい気持ちに涙してますよ。

 お父さんは喜劇なのかしら。それとも、案外悲劇かも。
  
(2014/06/15 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

   明日いよいよ日本代表のキックオフ。
  その試合に長谷部誠選手が出場するかどうか
  わかりませんが
  ここまで日本代表をひっぱってきた
  長谷部誠選手の功績は大きいと思います。
  そんな長谷部誠選手が書いたのが
  『心を整える。』。
  実はこの本、
  このブログでは3回めの登場になります。
  再録書評ですね。
  今度ぜひ再読しないといけませんね。
  サッカーというスポーツは
  とても体力のいるスポーツですね。
  それぞれポジションがあるのですが
  ボールとともに
  走りまわる。
  それでいて、
  ボールの位置、仲間の動き、敵チームの様子を
  見続けないといけない。
  組織スポーツであることは間違いありません。
  そんななかで
  キャプテンとしてチームを率いるのは
  大変でしょう。
  もしかすると
  長谷部誠選手にとって
  最後のワールドカップになるかもしれない
  この大会、
  長谷部誠選手の活躍を
  楽しみにしています。

   ガンバレ! ニッポン!

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 (幻冬舎文庫)心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 (幻冬舎文庫)
(2014/01/29)
長谷部 誠

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sai.wingpen  天は二物を与えたのか                   

 著者、長谷部誠はいわずと知れた、サッカーの全日本チームのキャプテンで、2009年のワールドカップではその冷静沈着なリーダーの姿に日本国中が感動した。
 「天は二物を与えず」とよくいう。一人の人間にいくつもの長所や美点はないという意味で使われることわざだ。ただ物事には例外はつきものだ。長谷部をみていると、その甘いマスク、落ち着いた言動、そしてアスリートとしての運動量。天は二物どころか、長谷部に限っていえば、三物も四物も与えているようにみえる。
 さらに、本書である。今、出版界では注目の一冊になっている。
 みんなの視線が長谷部の方に向いている。
 これって不公平ではないか。
 天は二物を与えないんじゃないの、と思われる人もいると思う。だから、我々のような一物も与えられないような凡人と、著者とは所詮比べようがない、と。
 そう思われる人にこそ読んでもらいたい一冊である。

 長谷部誠はけっしてエリートではなかった。
 藤枝東高校時代はさほど目立つ選手ではなかった。ところが、浦和レッズからオファーが来る。両親は大学に行くことを熱望した。しかし、長谷部はプロの道を選択する。
 それでも、長谷部はすぐさまトップスターではなかった。なかなか出場の機会すらもらえなかった。もちろんサッカー選手を夢みる人にとってはプロ選手になることがすでに一流のあかしだともいえるだろう。ただ長谷部は三浦和良や中村俊輔のようなスターではなかった。
 だが、長谷部は欧州のプロチームに招かれ、全日本のメンバー、そしてキャプテンという道を歩んでいく。どうして、それは長谷部だったのか。
 その秘密が本書にふんだんに書かれている。

 長谷部は「心を整える」ことで、「どんな試合でも一定以上のパフォーマンス」を実現できたのだ。それは特別な技術を要するものではない。
 物事をみる考え方の問題だ。
 だから、この本はサッカー選手が書いた根性論ではなく、冷静に自身の置かれている立場を見、あるべき方向に進むための心のありようが書かれている。おそらくどんなビジネス本よりも自己の能力をあげるための秘訣が公開されているといっていい。

 誰にも人生の絶頂期はある。プロサッカー選手長谷部誠にとっては、今がそうなのかもしれない。それとも、やはり天は、長谷部に二物以上のものを与えてのだろうか。
 私たちが長谷部誠になれる確率は低いだろう。
 しかし、長谷部誠に近づくことはできるはずだ。なぜなら、長谷部自身がそのようにして、今をつかんだのだから。
  
(2011/07/04 投稿)

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   さあ、いよいよワールドカップが始まりますね。
  しばらくは日本中がサッカー一色になるんですね。
  そこで
  本のブログであるこのブログも
  サッカー特集とまいります。
  まず今日は
  沢木耕太郎さんの『』。
  これは2002年の日韓共同開催となったワールドカップの模様を描く
  スポーツノンフィクション。
  2004年に書いた蔵出し書評です。
  それにしても
  日韓共同開催のワールドカップから
  もう12年なんですね。
  そのあと、
  2006年がドイツ、
  2010年が南アフリカ、そして
  今回2014年がブラジル大会。
  日本代表も確実に力をつけていますよね。
  それにファンもどんどん増えているような
  印象があります。
  まあ私たち世代にとっては
  あのドーバの悲劇と呼ばれる1994年のアメリカ大会の
  予選のことが
  忘れられないですね。
  思えば
  あれから20年。
  このブラジル大会で
  日本代表はどこまで勝ち進んでくれるのでしょう。

   がんばれ! ニッポン!

杯 WORLD CUP杯 WORLD CUP
(2004/01/17)
沢木 耕太郎

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sai.wingpen  神よ、男たちを楽しく憩わしめたまえ                   

 2006年6月、ドイツ。サッカーワールドカップが始める。 
 まだまだ先のことかと思っていたら、この2月には早くも一次予選の第一試合がある。
 日本の初戦の相手はオマーン。11月まで続く、長い一次予選だが、確実に勝ち進んでいかないとワールドカップへの出場はない。
 カーニバルは、まさに始まろうとしている。

 菊池信義の装丁による沢木耕太郎の新刊が2冊同時に刊行された。
 『冠』と『杯』。
 なんと素敵な書名だろう。
 しかし、読む側としてはどちらを先に読めばいいのか、贅沢な選択を迫られることになる。
 『冠』(コロナと読む)は1996年に行なわれたアトランタオリンピックの観戦記、『杯』(カップと読む)は2002年日韓共同開催となったサッカーワールドカップの観戦記。
 いずれも単行本としては沢木の久々のスポーツノンフィクション作品だ。
 あとは自分の好みで選ぶしかない。
 私はまず『杯』から読むことにした。さすがに少し熱気はおさまったが、あのワールドカップの日本代表の活躍がまだ記憶として残っていたことが決め手となった。
 それに8年前のオリンピックというのはいささか時間が経ちすぎている。
 いずれにしても何日かすれば『冠』も読むのだ。
 もちろんサッカーよりはオリンピックだという人もいるだろう。読む本は誰も拘束はしない。自由な旅のはじまりだ。

 『杯』は2002年夏に日本と韓国で共同開催されたサッカーワールドカップの期間中に雑誌『アエラ』に連載された「コリア・ジャパン漂流記」という観戦記を大幅加筆した作品である。
 沢木が「あとがき」に書いているように「観戦記であると同時に旅行記でもあるという不思議なもの」になったのは、ワールドカップ史上初めての共同開催という事情によるものだ。
 でも「スポーツ」と「旅」とくれば、誰もが期待するにちがいない、沢木耕太郎の得意とする分野だ。
 しかし、残念ながら、この本はかつてのように競技に熱くなる沢木を見ることもないし、旅に楽しむ沢木に出会うこともない。
 私はそのことにいささかがっかりした。どうしてこの本の沢木はちっとも私を感動させてくれないのだろうか。

 沢木が「サッカーに関してはほとんど無知」だということが観戦記をつまらなくしたのか、あるいは「旅のための旅、移動のための移動をしているように思える瞬間」が沢木を疲れさせたのか。
 この本がもし感動を生み出さないとすれば、実はこの本のもとになった雑誌掲載時に沢木がとった取材のスタイルの誤算だったような気がする。
 「私がしようとしたのは、試合の分析でも批評でもなく、日本と韓国を足早に移動しつつ、そこに流れている気配を感じ取り、写し取るということでしかなかった」と書いた沢木は、その段落の最後に「私は自分を日本と韓国の間を漂流する小さな船と位置づけていた…」と結ぶ。
 この文章には沢木らしい感傷もあるだろうが、この観戦記で何も描けなかった自戒がこめられているように思えてしまう。

 今回の書評タイトルはヘミングウェイの短編から採った。
 2002年の日本代表たちと彼らの試合に熱狂した多くの日本人を語るにはいいタイトルだと考えたのだが、著者の沢木耕太郎をもっとも慰安する言葉だったかもしれない。
  
(2004/02/15 投稿)

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  絵本は毎週日曜のブログで
  紹介するようにしています。
  今日紹介するのも絵本なのですが
  たくさんの人に読んでもらいたいので
  今日紹介することにしました。
  今話題の絵本でもあります。
  『かないくん』。
  作者は谷川俊太郎さん。
  絵は松本大洋さん。
  松本大洋さんは「ピンポン」などで人気のある
  漫画家です。
  お母さんが詩人の工藤直子さんということを知って
  少し驚きました。
  これは死を考える絵本です。
  それは同時に
  いのちを考えることでもあります。
  そういえば、
  昔小学生の頃
  金井君という友達がいました。
  どうしてるんだろう、私の金井君は。
  できれば
  子どもたちと一緒に生きることとか
  死ぬことについて
  話し合うのもいいですね。
  とっても、いい絵本です。

  じゃあ、読もう。

かないくん (ほぼにちの絵本)かないくん (ほぼにちの絵本)
(2014/01/24)
谷川俊太郎

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sai.wingpen  死を考える                   

 人は他人の死をどう受けとめていくものなのだろうか。
 よく若い人たちは身近な人の死にあまり接することがないといわれる。ゲームの世界での死は何度でも繰り返される。だから、若い人にはいのちに対する敬意が薄いと論じられることがある。
 近所付き合いが少なくなったり、葬式の場所が自宅ではなくセレモニーホールで行われることが多くなったなったいまは、死に接することは減っていることは確かだろう。
 けれど、本当に若い人にとって、死は遠くにあるものだろうか。
 肉親の死だけでなく、友人の死だっておこりうる。
 たとえ、その友人とほとんど話すことがなかったとしても、昨日までそこに躍動していた肉体が消えてしまうことについて、無関心でいられるはずはない。
 昨日まであった、いのち。
 そんな時、私たちはきっと向き合うはずだ。
 死ということに。いのちということに。
 それがなくても、私たちに想像という力があれば、向き合えることができる。
 例えば、一冊の絵本を読んだとしても。
 谷川俊太郎作、松本大洋絵の『かないくん』はそんな絵本だ。

 となりの席のかないくんが死んだ。
 クラスの仲間たちはたくさんの涙を流した。
 けれど、いつかみんなかないくんのことを忘れてしまっているようだ。
 「いきてれば/みんなとともだちだけど/しぬとひとりぼっち。」
 谷川俊太郎の詩のような物語は、ここで一旦終わる。
 「かないくん」のお話を書いているのは、おじいちゃん。そこから先が描けないという。
 孫娘はおじいちゃんに「かないくん」って本当にいたのってたずねる。
 「ほんとにいて、ほんとに死んだんだ、四年生のとき。」と、おじいちゃんは答える。
 孫娘は「かないくん」がおじいちゃんの先輩だと思う。
 死んでいるのに、先輩?
 おじいちゃんは病気で、いのちはあとわずか。「かないくん」はおじいちゃんの死の先輩なのだ。
 物語の最後。
 孫娘のところにおじいちゃんの死の連絡がはいる。
 その時、彼女はこう思うのだ。
 「始まった」と。

 彼女は何が始まったのかわかっていない。
 その答えは読者にゆだねられている。
 人は人の死と向き合うことで、いのちを知り、死を知る。そして、自分の死との対話を始めていくのではないだろうか。
 松本大洋の絵が音楽のように物語をやさしく包む。
  
(2014/06/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から3年3ヶ月。
  そして、今日は入梅です。

    世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る    高野素十

  雨というのは
  どことなく悲しい感じがあります。
  雨の日に震災で犠牲になった人のことを
  思い出すこともあるのでは
  ないでしょうか。
  今日は彩瀬まるさんの『暗い夜、星を数えて』という
  本を紹介します。
  「3.11被災鉄道からの脱出」と副題にあるように
  彩瀬まるさんは
  あの日いわきに向かう列車に乗っていて震災に遭われたそうです。
  彩瀬まるさんのことは
  書評に書きましたので
  読んでみて下さい。
  彩瀬まるさんは本の中で
  こんなことも書いています。

    家というのは記憶の蓄積なのだ。

  被災された人々がそれでも家を離れられないのは
  そういうことなのかもしれません。
  被災地東北に
  やさしい雨が降ることを願って。

  じゃあ、読もう。

暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出
(2012/02/24)
彩瀬 まる

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sai.wingpen  被災地は遠くない                   

 東日本大震災が起こった、2011年3月11日、あなたはどこで何をしていたのでしょう。
 金曜の午後2時過ぎという時間でしたから、多くの人はいつもと変わらない、それでいて週末の休みの予感にやや心を急くようにして仕事をしていたのかもしれません。
 2010年『花に眩む』という作品で第9回「女による女のためのR-18文学賞」の読者賞を受賞し作家としてデビュー、その後『あのひとは蜘蛛を潰せない』などの作品を持つ作家彩瀬まるさんは、あの日二泊三日の東北旅行を楽しんでいた。
 そして、あの時間、福島県いわき市に向かう常磐線の電車に揺られていたのだ。
 本書は著者が自身体験した地震と津波そして福島原発事故からの脱出劇を綴った「川と星」、その後東京に戻った彼女がボランティアとして福島の地を訪れる「すぐそこにある彼方の町」。
 そして震災の時見ず知らずの彼女を自宅に泊めてくれた人を再訪する「再会」という、三つの章にわかれたノンフィクションである。

 あの日被災鉄道に乗り合わせ九死に一生を得た著者であるが、所詮は旅人であることにちがいはない。
 地震のあと津波から追われるように見知らぬ土地で逃げまどう著者。そこで知り合った女性に助けられ家にまで招かれるが、続けざまに放射能からの避難を強要される。
 しかし、著者には交通機関が復旧すれば帰るべき家がある。
 実際3月15日には、被災地を離れ、自宅に戻ることができた。

 そのあと、福島へボランティア活動で訪れた著者は被災地福島と東京の距離について、「すぐそこにある彼方の町」という章の最後にこう書いている。
 「私は東京駅へ向かう高速バスに乗った。行きと同じくたった三時間で、バスはまったく異なる意識を持つ二つの町を繋いだ。その距離の短さがかえって少し、かなしかった」。
 わずか三時間で被災地を離れることができる者と、それがどんなに近くとも住むところを離れられない者との差は大きい。
 震災から3年以上経っていまだに故郷に戻れない多くの人たちがいる。
 そのことを悲しみを考えるには、わずか三時間であっても離れることのできない者たちの心の襞をのぞくしかない。
 私たちがわずか三時間で被災地を離れることができる者だからこそ、なおさらに。
  
(2014/06/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日花房観音さんの『楽園』という
  官能小説を紹介しましたが
  官能小説の世界では
  今女性作家が大変がんばっています。
  女性だから書けることってあるのでしょうか。
  今日は最近の性愛事情を牽引する
  女性たちの様子を事典のようにしてまとめた
  『セックスペディア』という本を
  紹介します。
  副題はズバリ、「平成女子性欲事典」。
  書評の中で
  私の知らない言葉のひとつに「一徹」というものを
  あげていますが
  私たちの世代でいえば
  「一徹」といえば
  漫画「巨人の星」の頑固な父親星一徹しか
  ありません。
  ちなみに
  平成女子が使う「一徹」はイケメンのAV男優の名前らしい。
  世も変われば変わるもの。
  「ルナルナ」というのは
  生理日を予測したり基礎体温をつけたりするアプリだそうです。
  もちろん、私のスマホにははいっていません。

  じゃあ、読もう。

  
セックスペディア 平成女子性欲事典セックスペディア 平成女子性欲事典
(2014/03/12)
三浦 ゆえ、平成女子性欲研究会 他

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sai.wingpen  男性諸君、負けるな!                   

 最近は「ウィキペディア」の浸透で、ペディアという言葉をよく耳にする。
 もともとはギリシャ語で「教育」を意味するpaideaの短縮形、これもインターネットで調べたのだが、らしい。
 百科事典で有名なブリタニカは英語表記すると「The Encyclopaedia Britannica.」となる。
 つまり、昔からペディアという言葉はあったわけだ。
 しかし、ここまで一般化したのは、やはり「「ウィキペディア」のおかげといえる。
 ペディアを付けることで、なんだか辞典ぽくなるから、言葉というのは面白い。

 この本『セックスペディア』も、これでどういう本かおおよそわかるだろう。
 しかも、副題にちゃんとある。「平成女子性欲事典」。かなりインパクトのある、副題だ。
 平成の女子たちがどのような性欲をお持ちなのかわからないが、こういう本が出たからといって全員が欲情してしまったわけではない。
 ただ従来の「性は密かに語るもの」みたいな雰囲気が少なくなってきたのはまちがいない。
 本書の「はじめに」に高らかにこうある。
 「本書は、身を守りながらも、好奇心を全開にして「女性」として生まれてきた自分自身を享受し、健全な欲望に突き動かされるための事典」だと。

 では、この本で紹介されている言葉を昭和男子であった私がどこまで知っていたか。
 実は、ほとんど初めて目にする言葉の連続であったのが、悲しい。
 「一徹」「キスフレ」「セルフプレジャー」「TENGA」「マタハラ」「ルナルナ」・・・。
 なんじゃこりゃ、の連続である。
 なんとかついていけたのが、「壇蜜」「美魔女」なんていうのも、なさけない。

 「女女官」(余計なお世話かもしれないが、その読み方を書けば「じょじょかん」)というのは、作家も編集者も読者もすべて女性という官能作品につけられた言葉らしいが、そうえいば官能小説(最近ではエロス小説というのかしらん)の最近の書き手は女性作家の氾濫である。
 こういうところにも、平成女子の流行を生み出す影響が出ているのだろうか。

 世の男性諸君、負けてはなりませぬぞ!
  
(2014/06/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今私が注目している女性作家の一人が
  花房観音さん。
  花房観音さんはいわゆる官能小説の書き手ですが
  京都という土地を舞台に
  女性ならではの繊細な官能表現に
  長けた作家です。
  今日紹介するのは
  花房観音さんの新作『楽園』。
  これも京都が舞台ですが
  あまりその雰囲気を感じさせません。
  登場人物たちは40代の女性たちですから
  これまでの作品とは
  いささか趣きが異なります。
  結論をいってしまえば
  あまり面白くありませんでした。
  情愛の場面ももうひとつ盛り上がりに欠けるかな。
  残念。
  中央公論新社という大手出版社からの刊行で
  力が入り過ぎたのかも。
  それでも、次を期待していますよ、
  花房観音さん。

  じゃあ、読もう。

楽園楽園
(2014/04/09)
花房 観音

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sai.wingpen  生活の澱みの中で                   

 良い物語は前に進める力が強い。その点、官能小説は難しいといってもいい。
 官能小説のポイントとなるあの描写にしても所詮は密室での行為であるから、前に進めるためにはあの手この手のさまざまな技法描写が必要になってくる。
 当然あの場面にたどりつくまでの男女の機微や行動で良い物語になる可能性も多いにあるのだから、官能小説であっても良い物語になることもあるだろう。

 花房観音の『楽園』は、ヒロインたちが30代後半から40代にかけての熟女ものとして異色の官能小説だが、良い物語とはなっていない。
 かつて昭和の遊郭があった京都の「楽園」という地に建つ「楽園ハイツ」。そこに住む5人の女たち。夫もいるありふれた妻、離婚歴がある美貌の薬剤師、単身赴任の夫の帰りを待つ妻、かつての「楽園」で男たちを楽しませていた経験を持つ人妻、そして夫の死後他人の眼を釘づけにするような変貌をとげた女。
 それぞれの章がこれらの女たちの独白の形でできた物語なのだが、ほとんど物語は動かない。

 それでは物語になるはずもないから、大きな筋立てとして夫の死後変貌をとげた女であるみつ子の謎に迫る形にはなっているが、それゆえにみつ子の17歳の娘の挿話もはいるのだが、一つひとつの彼女たちの物語は澱んだままだ。
 彼女たちの欲望も澱んでいる。若い頃とはちがっていつの間にか男たちの視点さえ受けなくなってきた年齢。肌の衰えやくすみ、肉体のどことないくずれ。夫との性愛もほとんどなく、それでいて官能の炎は消えていない。
 みつ子の男の欲望を刺激するような変貌に、女たちは蔑視しているのだが、その一方でみつ子になりきれない自己嫌悪に女たちは苛立っている。

 しかし、どんなに彼女たちがその欲望の炎を語ったとしても、澱みは変わらず、所詮彼女たちの欲望は澱みに浮かんでは消える泡でしかない。
 彼女たちが官能小説のヒロインになることはないだろう。
 もしあるとすれば、最後には娘を置いてまで男とこの地を離れるみつ子以外にはいない。
 彼女は、まだ45歳なのだから。
  
(2014/06/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  マーガレット・ワイルドさんの
  『ぶたばあちゃん』は
  BOOK asahi comで見つけました。
  読んでみて思ったのは
  絵本の世界の広さです。
  この絵本は
  書評に書いたように
  「終活」のことが描かれています。
  子どもに向けた絵本ですよ。
  それなのに「終活」ですよ。
  本当は
  この絵本を読むのは
  これから「終活」を迎えようという人かもしれませんし、
  そういう人と生活を共にする人かもしれません。
  それでも作者はこれを子ども向けの絵本に
  しました。
  生きることとか
  死ぬことというのは
  年令には関係しないのかもしれませんね。
  とってもいい絵本です。

  じゃあ、読もう。

ぶたばあちゃんぶたばあちゃん
(1995/10)
マーガレット ワイルド

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sai.wingpen  いま、この時                   

 「終活」という言葉があります。
 ネットで調べると「残りの人生をよりよく生きるため、葬儀や墓、遺言や遺産相続などを元気なうちに考えて準備する」ことらしい。
 ここ何年か前にできた言葉でまだ「広辞苑」には載っていません。
 加えて、相続税の基準が変更されるということで、最近の経済新聞やビジネス雑誌にも「相続」の記事が多くみられるようになりました。
 うまく相続させることも「終活」のひとつです。

 そんな「終活」という言葉さえなかった1995年にそんなことを描いた絵本があったことにまず驚きます。
 シドニーの絵本作家マーガレット・ワイルドの作品であるこの絵本は、ぶたという動物の姿をかりて、「終活」の様子を、もちろんこの作品が発表された時はそんな言葉はありませんでしたが。

 孫むすめと仲良く暮らしていたぶたばあちゃんはある時自分の死が近くことを悟ります。
 突然逝ってしまえば、小さな孫むすめは困るだろうと、「わたしは、したくをするんだからね」と忙しそうに家をでていきます。
 「かりていた本を図書館にかえし、もうつぎのぶんはかり」なかったぶたばあちゃんは銀行に行って口座を解約します。
色んなお店の支払いもみんな済ませてしまいます。
 そして、家に帰ると、残ったお金を孫むすめに差し出します。
 「だいじにして、かしこくつかうのよ」と。

 それから、ぶたばあちゃんは孫むすめと自分が生きた町をゆっくり散歩します。
 それはぶたばあちゃんが最後に目にする光景です。
 ロン・ブルックスの絵の美しいこと。
 雨の匂い。風のささやき。夕日のやわらかさ。木々の、鳥たちのいのち。
 ぶたばあちゃんにはすべて美しいものとして、映ったことでしょう。

 その夜、ぶたばあちゃんと孫むすめは、二匹だけで最後の夜を迎えます。
 もうそこには、いのちの未練はないように思えます。
 ぶたばあちゃんは、何も思い残すことはなかったでしょう。
 いま、この時が、幸福でありさえすれば。

 「終活」という言葉の本当の意味を、一匹のぶたが教えてくれる、素晴らしい絵本です。
  
(2014/06/08 投稿)

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  今日は「百年文庫」の79巻め
  「」を紹介します。
  収録されている作者の中で
  もっとも有名なのは
  小林多喜二でしょうね。
  皆さんは小林多喜二の『蟹工船』という作品は
  文学史として聞いたことがあると思います。
  もちろん
  私も知っています。
  何年か前に
  再ブームが起こって
  映画化もされたほど。
  でも、今は人手不足で
  就職戦線もさまがわりしました。
  派遣社員の問題とか
  就職氷河期のこととか
  すっかり昔の感があります。
  一体どうなっているのか
  経済はそこまで変わってしまったのでしょうか。
  それとも
  団塊の世代の大量引退で
  様変わりしたのでしょうか。
  小林多喜二の時代というより
  小林多喜二を蘇らせた時代との
  かい離に愕然とします。
  一体何年経ったというのでしょう。

  じゃあ、読もう。

隣 (百年文庫)隣 (百年文庫)
(2011/06)
小林 多喜二、宮本 百合子 他

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sai.wingpen  隣人を愛せよ                   

 「百年文庫」は各巻に漢字一文字のタイトルをあてている、短編作品のみを収録している特異なシリーズである。
 79巻めには「隣」という漢字があてられている。
 収録されているのは小林多喜二の「駄菓子屋」、十和田操の「判任官の子」、そして宮本百合子の「三月の第四日曜」である。
 小林と宮本の名前が並ぶとプロレタリア文学かと思いたくなるが、けっしてそうではない。
 小林の作品は有名な「蟹工船」が書かれる何年も前のものだ。
 この巻にどうして「隣」という漢字があてられたのかわからないが、私にはこれらの作品に描かれた貧しい人々のいた時代そのものが現代という時代の「隣」のような気がして仕方がない。
 宮本の作品に出てくる集団就職の風景をすっかり忘れてしまったような顔をしているが、それは「隣」の時代の話ではないか。
 そんな「隣」のことを忘れてはいけないように思う。

 小林多喜二は言うまでもなく「蟹工船」に代表されるプロレタリア文学の旗手である。
 しかし、1924年に発表された(小林が特高の拷問で亡くなるのは1933年)「駄菓子屋」は貧しい駄菓子屋を営む一家の姿を描きながらも希望を失わない作品だ。
 物語の最後に届く姉からの手紙に綴られた「もう少しの我慢ですよ」という言葉は深い。

 宮本百合子の「三月の第四日曜」は、その前日に卒業式を済ませたばかりの少年たちが何万と東京に就職のために出てきた様子から書かれている。
 その中に主人公のサイの弟勇吉もいる。サイも何年か前にそうして東京に出てきた一人だ。
 サイにしても勇吉にしても、故郷に残った家族にしても生きることに精一杯である。そんな生活は戦争の足音が高まるなか、一層厳しくなっていく。
 この短編も最後が印象的だ。
 もうひとつの短編「判任官の子」の作者は十和田操。ほとんど未知の作家だ。この作品で芥川賞の候補になったという。1936年のことだ。
 ここでは当時の子どもたちの溌剌とした姿が活写されている。正しいことだけでなく、妬みや僻みといった子どもたちの残酷な一面もうまくとらえられている。
  
(2014/06/07 投稿)

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  今日紹介するのは
  池井戸潤さんの『金融探偵』。
  書評の中に
  講談社が出した小冊子について
  書いていますが
  これは本屋さんではなく
  JRの新宿駅構内の広告看板に
  ついていました。
  先日その看板そのものもなくなり
  この小冊子の配布も終わっています。
  でも、あれだけの乗降客がいる新宿駅で配布されたのですから
  池井戸潤さんのファンも
  たくさんいるんでしょうね。
  ああいう駅を舞台に
  書いてみるのも
  面白いのではないですか、
  池井戸潤さん。

  じゃあ、読もう。

金融探偵金融探偵
(2004/06/20)
池井戸 潤

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sai.wingpen  試行錯誤の日々                   

 この春から始まった池井戸潤原作の2本のTVドラマ化を記念して、講談社が無料の「池井戸潤から目が離せない!」という小冊子を配布した。
 ドラマ化された作品がメインの小冊子ながら、池井戸のインタビュー記事や全作品リストなどが収録されていて、池井戸ファンにはうれしい一冊といえる。
 インタビューの中で池井戸は「デビューから四、五年は試行錯誤の日々」だったと語っているが、2004年に発表されたこの作品もその「試行錯誤の日々」に書かれたものといえるかもしれない。
 余談のように書けば、池井戸が「会社や銀行という組織を書くことを目的とした小説ではなく、そこで生きている人たちを書かなければ駄目」と気づいて書かれたのが『シャイロックの子供たち』という作品である。
 この作品を契機に、池井戸はより人間を深く見つめ、描きだしたといえる。

 この『金融探偵』は破綻した銀行をリストラされた元銀行員大原次郎がかつての経験や知識を駆使して金融にからむ問題を解決していく連作長編である。
 設定にやや甘さが残るという点では、まさに「試行錯誤」の作品だろう。
 まず持ち込まれた問題は融資を拒否する銀行の裏事情とそれに絡む競争相手の粉飾決算である。この「銀行はやめたけど」を皮切りにして次郎は「金融探偵」という仕事を始めることになる。

 次の「プラスチックス」という作品は次郎が引き起こした交通事故から始めるミステリーで、この連作の中で最後の作品まで登場することになる警官勝村をうまく引き出している。
 三作めは「眼」という角膜ドナーからの提供を受けた男に発生した幻覚が実際の事件を解く鍵となるミステリーだ。ここでは被害者、つまり角膜の提供者が銀行員である設定になっている。
 「金融探偵」と付いた以上、そういう形で次郎を登場させざるをえないのは、やや苦しい展開といっていい。

 「誰のノート?」「藤村の家計簿」も元銀行員である次郎があえて主人公である必要もない。
 題材そのものは島崎藤村のパリ逃避行時代の家計簿という文芸ミステリー仕掛けになっていて、面白くはあるが、銀行を舞台にしたミステリー『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞した池井戸を知っているファンにはもの足りなかったのではないだろうか。

 この連作集の主人公次郎だけでなく、作者池井戸潤もまた「試行錯誤の日々」だったにちがいない。
  
(2014/06/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日の「エロスの記憶」をたどって
  2003年に書いた
  小池真理子さんの『虚無のオペラ』という作品を
  蔵出し書評で紹介します。
  先日2002年に書いた『リクルートの奇跡』という
  蔵出し書評を掲載しましたが
  その際友人から
  その頃の書評には力があったと
  いわれました。
  うーむ。
  やっぱり若かったから
  書くことにも力があったのですかね。
  今回の書評も
  なかなかいいですね。
  自分でいうのも変ですが。
  ところで
  この本の表紙、いま見てもいいですね。
  小池真理子さんらしい雰囲気も
  よく出ていますしね。

  じゃあ、読もう。

虚無のオペラ虚無のオペラ
(2003/01/10)
小池 真理子

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sai.wingpen  本を読む動機についての、ささやかな考察                   

 「何故、私なんですか」。
 主人公結子は、日本画家堂島から裸婦モデルを勧められた時、思わずそう口にする。
 職業として堂島のモデルを選択した結子が、恋愛の対象として出会ったのは妻子のあるピアニスト島津であった。
 仕合わせの時を経て、やがて二人は別れを決意する。
 この物語は、そんな二人が真冬の京都で最後に過ごす四日間を描いた恋愛物語だ。
 可もなく。不可もなく。
 小池真理子の達者な文章運びだけが印象残る作品であった。

 本を読むということは、その本を選ぶところから始まる。
 話題になっている本だからという理由で読む人は多いだろう。
 他人に勧められた、あるいは書評を読んで、という人もいるに違いない。
 好きな著者だというのも、りっぱな本を読む動機だろう。
 では、私は何故この小池真理子(直木賞を受賞した「恋」しか読んだことのない作家)の、最新作を読むことになったか。  「何故、私なんですか」。
 本がそう、私に問いかけているような気がする。

 表紙の装丁に魅かれて、私はこの本を手にした。
 背を向けた若い女性の裸身が描かれた表紙。
 その裸身をはさんで、銀色の文字で書名と作者名が印字された白い表紙。
 本屋さんの新刊の平台で、その表紙は強烈な印象を私に与えた。
 後頭部で括られた髪、薄い背、ふとももに添うように置かれた長い指。
 そして、豊かではないが引き締められた臀部。かかとをあげてバランスをとる左足。
 おそらく、物語の主人公結子をイメージしたと思われる装丁は、一瞬手にするのも躊躇うようにリアルである。
 実はこの表紙の裸婦こそ、どのような惹句や書評よりも、この物語を語っているように思える。

 本を読む動機は人それぞれだろう。
 読んだあとの感想も同じだ。
 もし、どんな長い物語よりも、一片の言葉や写真が有効だとしたら、それは作者にとっても、物語にとっても不幸なことかもしれない。
  
(2003/02/09 投稿)

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 昨日勝目梓さんの
 作家生活40周年を記念して刊行された
 『あしあと』という短編集を紹介しましたが
 あの本の帯に

   文学 × 官能

 と、大きくあります。
 なかなか深いメッセージですね。
 そんなことを思っていると
 本屋さんで
 「オール讀物」の6月増刊号「エロスの記憶」という雑誌を見つけて
 思わず手が伸びました。

オール讀物増刊号 エロスの記憶 2014年 06月号 [雑誌]オール讀物増刊号 エロスの記憶 2014年 06月号 [雑誌]
(2014/05/22)
不明

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 この雑誌、かつて「オール讀物」に掲載された官能小説や
 官能エッセイなどが収録されています。
 『あしあと』という短編集に収録されている
 勝目梓さんの「」という作品も掲載されています。

 まず「編集後記」の抜粋から。

   小説雑誌の全盛期は昭和四十年代。
   その一翼を担ったのが、川上宗薫さんを始めとした
   官能小説のジャンルでした。

   ・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   時代も人も少しずつ変わるものですが、
   古今東西いかなる世であっても、男と女の仲に秘められた情理を
   描くのが小説の神髄であり、永遠不変の真理でもあります。

 そして、最後にこう記されています。

   どこまでも真剣に、そして熱意をこめて作りました。

 うーむ。
 高らか。
 馬のいななきのようです。
 だから、読者もどこまでも真剣に
 そして熱意をこめて読みますよ。

 官能小説の最近の傾向は
 女性作家たちの活躍です。
 この雑誌にも
 小池真理子さんや村山由佳さん
 桜木紫乃さん、林真理子さんの小説が再録されています。
 花房観音さんはいないの? と心配されている読者もいるでしょうが
 小説ではありませんが、
 「おとなの京都案内」というエッセイで登場していますので
 ご安心を。

 しかも、あの平松洋子さんが
 かつて官能小説の雄であった宇野鴻一郎さんを訪問している
 「宇野鴻一郎と会って」という記事を書いています。
 そのほかにも
 団鬼六さんと阿部牧郎さん、永田守弘さんの対談や
 先頃亡くなった渡辺淳一さんと弘兼憲史さんの対談と
 ボリュームたっぷり。

 さらに「愛と奇跡のラブレター」と題されて
 芥川賞作家池田満寿夫さんが妻の陽子さんにあてた
 「MからYへ」という書簡も収められています。

 これから寝苦しい夜が続く暑い日々。
 悶々として
 エロスにはまってみませんか。
 あついな、やっぱし。

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プレゼント 書評こぼれ話

  SM官能作家団鬼六
  その晩年とてつもなく巧い作家になったのは
  どうしてだろう。
  もともと作家としてと良質な素養があって
  それを官能小説を量産することで
  消耗していたのだろうか。
  今日紹介する勝目梓さんの
  短編集『あしあと』も
  大変うまい作品だとつくづく感じました。
  うまい小説を読むのは
  娯楽としての読書の醍醐味では
  ないでしょうか。
  しかも、それに官能の媚薬がはいってるとすれば
  まさに大人の読書の愉しみと
  いっていいと思います。
  若い人はこれからを楽しみに
  していて下さい。
  これからも
  勝目梓さんの作品を
  読んでみたいと思います。

  じゃあ、読もう。

あしあとあしあと
(2014/04/15)
勝目 梓

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sai.wingpen  読むことは娯楽                   

 勝目梓とはこんなにも巧い作家だったのか。
 バイオレンス&官能作品で人気を博し、かつて月間の執筆枚数は800枚を超えた時もあるという勝目だが、若い時代に同人誌「文藝首都」で中上健次らとともにその筆を競い合ったぐらいであるから、文章の巧さ物語の巧みな構成など巧さが際立つのは当然かもしれない。
 そんな勝目が作家生活40周年の記念刊行として世に出したのが、この短編集である。
 初出はいずれも2011年から2013年にかけてのもので、まさに円熟の作品10篇が収められている。

 表題作の「あしあと」は若い頃男遍歴を重ねた早苗が39歳の時に初めて結婚して出会った漁師保との蜜月のような結婚生活のあと、保の不慮の死によって寂しい一人身の生活に忍び寄る新しい男の影と保の死んでもなお残る思いを描いた作品である。
 冒頭早苗の身体に這い上る蟹のうごめく姿の官能性の高まりの表現。保の霊と重なるような猫の描写。
 ありえない世界を描きながら、人間の奥底に潜む思いが見事に描かれている。
 勝目が得意とする官能の作品では「人形の恋」ではレズビアンの世界を、「影」では獣姦の世界といったような過激な題材ながら、けっして下品でなく、格調を高める文体で読ませる官能小説にできあがっている。

 「ひとつだけ」「橋」は、記憶の奥底に眠っていたものがあぶくのように浮かび上がる男たちの姿を描いた作品だが、そのいずれもが性に関するものだ。
 勝目にとって、性とは興味ある素材であることは間違いなく、すべての作品にその濃淡の差はあれ、潜んでいる。
 その表現の揺れ幅が巧い。

 そのほか、「万年筆」「記憶」「封印」といったように、10篇の作品ともにそっけないようなタイトルだが、それぞれの企みは深いといっていい。。
 企みは巧さにつながっているともいえるだろう。
 あまりにも作為的だと興ざめするものだが、勝目の作品は物語を読む愉しみの地点でとどまっている。
 読むことは娯楽でもある。そんなことを深く思う作品集である。
  
(2014/06/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  鈴木則文監督の『東映ゲリラ戦記』を
  読むのを楽しみにしていた。
  そこに突然著者の鈴木則文監督の訃報が
  はいってきたから
  驚きました。
  まさか、鈴木則文監督から最後のメッセージが
  届いたとも思えないし。
  鈴木則文監督は東映の映画監督。
  東映には内田吐夢とか深作欣二とか
  有名な監督がたくさんいますが
  その中でも鈴木則文監督は
  異彩を放っています。
  映画そのものが
  映画史に残るかどうかはわかりませんが
  少なくとも
  鈴木則文作品をその時代とともに見てきた観客には
  忘れられない映画人の一人だったのでは
  ないでしょうか。

  鈴木則文監督の
  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

東映ゲリラ戦記 (単行本)東映ゲリラ戦記 (単行本)
(2013/11/25)
鈴木 則文

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sai.wingpen  追悼・鈴木則文監督 - B級映画でわるいか                   

 日本映画界には、黒澤明や小津安二郎といった巨匠と呼ばれる監督がいる。
 けれど、隆盛だった昭和30年代前半から斜陽化していく時代にあって多くのB級映画を作った監督たちも、一方ではいた。
 5月15日、80歳で亡くなった鈴木則文監督も巨匠ではなく、B級映画の監督の一人だ。
 代表作は菅原文太さん主演の「トラック野郎」シリーズだ。藤純子さん主演の「緋牡丹博徒」シリーズの監督や脚本も担当している。
 あるいは、自身の作品を語ったこの本のメインである東映ポルノ路線の映画の多くを撮った監督といっていい。
 本名の「のりぶみ」ではなく、誰からも「そくぶん」と呼ばれて愛されたB級映画の監督。
 「映画界の大きな流れや東映映画正史とはほとんど無縁の」歴史もまた、忘れてはならない貴重なものといっていい。

 主演女優は池玲子であり杉本美樹でもある。則文監督が見出した新人ポルノ女優たちだ。
 今では覚えている人も少ないかもしれないが、「女番長(スケバン)」シリーズなどで、肉体をはって観客を魅了した女優たちだ。
 プロデューサーは天尾完次。則文監督はこの本の中で「ポルノ」という言葉を最初に考えついたのは天野だったことを記している。
 「日活ロマンポルノ」が始まる1971年前夜のことだ。
 面白いことに、「日活ロマンポルノ」では多数の監督と女優たちが繚乱していたのに対し、東映の方はそのほとんどを則文監督と池玲子たちだけで対抗していたことだ。
 やはり、東映では任侠映画や実録映画といった東映の御家芸的やくざ映画の添え物という扱いがあったからだろう。

 この本では前半を「京都ポルノ戦線」、後半を「帝都進攻作戦」(東映にはかつて京都と東京に撮影所があった。
 天野の東京への異動に引きずられるようにして則文監督も東京でメガホンを撮ることが多くなった)、それと則文監督のまわりに蠢いていた俳優や作家たちの人物妙が収められている。
 則文監督の代表作ともいえる「トラック野郎」シリーズのことがほとんど語られていないのは残念だが、それもまた則文監督の照れのような気がする。

 亡くなったのは残念だが、この本を残してくれたことに感謝したい。
  
(2014/06/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

   今日から6月
   雨が多くなりますが
   その分
   紫陽花(あじさい)の綺麗な季節です。

     あぢさゐや軽くすませる昼の蕎麦   石川桂郎

   雨の日には
   図書館に行くのもいいですね。
   今日は
   『おさるのジョージ としょかんへいく』という
   絵本を紹介します。
   『おさるのジョージ』は
   絵本のロングセラーですから
   皆さんも何冊かは讀んだことが
   あるかも。
   私は、実は、初めてなんですよね。
   今回は
   「としょかんへいく」というところにひかれて
   読みました。
   こういう絵本がきっかけになって
   図書館に行く子どもたちが増えると
   いいですね。

   じゃあ、読もう。

おさるのジョージ としょかんへいくおさるのジョージ としょかんへいく
(2006/04/14)
マーガレット レイ、ハンス・アウグスト レイ 他

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sai.wingpen  図書館は笑顔の似合う場所                   

 「おさるのジョージ」はH.A.レイとマーガレット・レイ夫婦によって生み出された、絵本のキャラクターです。
 あまりの人気に次々と作品が発表されました。
 この絵本も、その中のひとつです。
 「としょかん」が舞台ということで読んでみようと思いました。
 なかよしの「きいろいぼうしのおじさん」と図書館に行った「おさるのジョージ」ですが、外国の、たぶんこれはアメリカでしょうが、図書館事情を知ることができます。
そ の点では、図書館好きにはとても興味深い絵本だといえます。

 まず、「おさるのジョージ」が向かったのは、図書館のお姉さんが本を読んでいる「こどものへや」です。
 最近では日本でも盛んに行われている「読み聞かせ会」です。
 椅子に腰かけて図書館のお姉さんが絵本を読んでいます。子どもたちは床にじかに座っています。もちろん。この中に「こさるのジョージ」もいます。

 次に、図書館の棚の高さです。
 本を探すおとなたちの姿も描かれています。頭が出るくらいですから、そんなに高くはありません。
 背もたれのゆったりした椅子に座っているおじさんも描かれています。日本の図書館ではなかなかこういう贅沢な椅子を見つけることはありません。
 「こさるのジョージ」が乗っていたずらをする「ブックトラック」は、日本の図書館でも見かけます。
 貸出カウンターは円型になっていて、利用がしやすそうです。
 貸出しカードもちゃんとあります。
 もちろん、「こさるのジョージ」も作ってもらいました。

 そんな図書館にいる子どもたちの、なんと溌剌とした笑顔でしょう。
 「おさるのジョージ」が巻き起こす珍騒動のせいではなく、図書館そのものが楽しくてしょうがないのだと思います。
 「おさるのジョージ」のせいで散らばってしまったたくさんの本を書架に戻す子どもたち。
 本を大切に扱わないといけない、という図書館の約束を知っているのでしょう。

 図書館から帰る「おさるのジョージ」を見送る子どもたちの手にもたくさんの本があります。
 本好きの、図書館好きの子どもたちの本が楽しい、いい本だったらいいですね。
  
(2014/06/01 投稿)

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