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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日のつづき。
  宮本輝さんの『朝の歓び』の下巻を
  紹介します。
  昨日書いたように
  私のニックネーム「夏の雨」は
  この物語の一節から
  頂いています。
  その一節にもう一度出会いたくて
  再読しました。

     あなたが春の風のように微笑むならば、
     私は夏の雨となって訪れましょう。

  これがその一節。
  私はこの一節がとても大切なところで使われているように
  記憶していました。
  ところが、上巻を読んでも
  この一節が出てきません。
  あれ、引用する小説を間違えたかと思いました。
  下巻も100ページほど読む進んだところで
  やっとこの文章に出会えました。
  自分でも驚くくらい
  さりげなく。
  ほとんど物語に重要な感じではなく。
  それなのに
  どうして私はこの文章に強く魅かれたのでしょう。
  今なら
  読み過ごしたかもしれない一節。
  これが再読の面白さかもしれません。
  夏の雨は
  慈愛の雨。
  今度再読するのは
  いつになるでしょうか。

  じゃあ、読もう。

新装版 朝の歓び(下) (講談社文庫)新装版 朝の歓び(下) (講談社文庫)
(2014/10/15)
宮本 輝

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sai.wingpen  私は夏の雨となって訪れましょう                   

 文庫本にして上下二冊の長編小説は、宮本輝の新聞小説として発表された作品である。
 主人公の江波良介は人生の「階段をのぼっていくか、下っていくかの境い目」である45歳の誕生日を前にして会社を辞めた。
 大学生の娘と高校生の息子がいるが、半年前に亡くなった妻の生命保険でしばらく食いつなぐつもりだ。
 長い物語はそんな良介が能登の海を眺めているところから始まる。
 4年前に別れた恋人日出子に会いにきたのだ。
 妻が亡くなって自由になり昔の恋人に会いに行く。なんて勝手な男だ。良介自身もそう思っている。
 けれど、階段の「境い目」に立って、そこから始めないと進めないということはある。
 この時、良介の「そこ」は能登の海だったのだ。

 再会をした良介と日出子はそのあと若い頃に父親と喧嘩別れした兄と会うためにイタリアへと向かう。
 日出子は学生時代にその地であった障害児の少年に会いたいという。
 舞台はこうしてイタリアへと移る。
 イタリアの地で現地の母子と暮らす兄、障害を持ちながら成長した青年を育む家族の姿に触れて、二人は幸福とは何だろうと考えていく。
 ホテルの同じ部屋で寝起きしながら、互いに隠し事をする二人。
 「幸福になるために生まれたのに、どうして、物事を、不幸に、ややこしく、複雑にしていくのだろう」。
 旅の終わりに関係を終わらせることを決める。

 東京に戻った二人はやはり別れられないことを互いに知る。今度こそはやりなおそうと決めた二人はイタリアで見た少年の家族の姿を思い浮かべる。
 「感謝する心の大切さ」、「明るく振る舞うことの凄さ」。
 これからの生き方を模索する良介に不登校になりかける息子や愛人に子どもができてうろたえる友人や過去に人生の傷を負った老人といったさまざまな人間模様がからみついて、物語は深く進んでいく。

 「ゆだねてしまうってことが、幸福の始まり」。
 長く複雑に入り組んだ物語であるが、実はたったひとつのことを追い求めている。
 それは「幸福」。
 それこそ、「生きる歓び」だということを、宮本輝はさまざまな場面で言葉は違っても言い続けている作品である。
 私たちははこの作品ときちんと向き合えるだろうか。
  
(2014/10/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今月の講談社文庫
  新刊の中に
  宮本輝さんの『新装判 朝の歓び』が
  ありました。
  私のニックネーム「夏の雨」は
  この物語の一節から
  頂いています。

    あなたが春の風のように微笑むならば、
    私は夏の雨となって訪れましょう。

  慈愛の風と
  慈愛の雨。
  この一節にもう一度出会いたくて
  再読することにしました。
  この物語を初めて読んだのは
  単行本として刊行された1994年あたりだと思います。
  文庫化された時も読んでいるはず。
  さすがにほとんど忘れていました。
  再読書評には間違いないですが
  ほとんど初読のような感じです。
  今日は上巻の紹介です。
  明日は下巻を紹介します。

  じゃあ、読もう。

新装版 朝の歓び(上) (講談社文庫)新装版 朝の歓び(上) (講談社文庫)
(2014/10/15)
宮本 輝

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sai.wingpen  あなたが春の風のように微笑むならば                   

 まずは書誌的なことから書こう。
 1978年に『蛍川』で第78回芥川賞を受賞した宮本輝はそのあとも『錦繍』『道頓堀川』『優駿』といった力作を発表し多くのファンを魅了していった。
 芥川賞受賞からほぼ14年、1992年9月から翌年10月の間日本経済新聞朝刊の新聞小説として連載したのが、この作品である。
 まだ阪神大震災もオウム事件の片鱗すら見えなかった時期だ。
 経済的にはバブルが崩壊した時期と重なる。

 経済新聞の新聞小説を意識してか、ゴルフのことや教育問題、あるいは政治的なことまで、宮本がかなり意識して書いただろうことは容易に推測できる。
 それは前半部(文庫版でいえば「上巻」)の主人公たちのイタリア旅行の場面にもいえる。
 単に観光案内的に描かれている訳ではないが、そのほとんどが海外赴任も当然ともいえる読者層を意識した舞台設定だと思う。
 あるいは、主人公の男女の性の営みに関する描写も、この作品のあと1995年から同じ新聞紙上に連載される渡辺淳一の『失楽園』ほどではないにしても、宮本作品としては踏み込んだ筆運びとなっている。

 単行本として講談社より刊行された1994年4月。講談社文庫に収録されたのが1997年4月。
 その間に阪神大震災やオウム事件が起こり、文庫化された年には神戸で酒鬼薔薇事件と呼ばれることになる神戸での児童連続殺傷事件が起こっている。
 しかし、宮本がこの長編小説で描こうとしたことは、そんな社会的現象が起こる前のことだtったとはいえ、幸福の意味、幸福のありようを模索するものだったといえる。
 バブルという時代を経たから、幸福の意味を問いたいと宮本は思ったかもしれない。まさか、このあとに大きな悲劇が起こるということを想定はしなかったはずだが、それらすら凌駕する形で、この作品が描こうとした世界は大きい。

 もっというならば、この世界がどのような乱世であれ、人は生きることの意味を問い、幸福であるためにはどうあるべきかを考え続けるものだ。
 新聞の朝刊に掲載される新聞小説という舞台を得たことで、宮本は幸福のあるべき姿を見いだしたといえるし、そのあとに続く厄災のことを思えば、宮本が描こうとした世界そのものはやはり重要であったと思えて仕方がない。
  
(2014/10/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  川上弘美さんが好きだ。
  あのふんわり感がたまらない。
  飛ぶような勢いで過ぎる時代にあって
  川上弘美さんの
  そんな感覚は貴重じゃないだろうか。
  そんな川上弘美さんの新しい小説が
  今日紹介する『水声』。
  「すいせい」って読みます。
  なかなか日頃使わない言葉ですよね。
  でも、川上弘美さんは
  そんな言葉をうまく掬いあげます。
  作品の中にも
  たくさんそんな言葉が使われています。
  そういえば
  昔の日本語には
  ゆったりとした時間が
  流れていたような気がします。

  じゃあ、読もう。

水声水声
(2014/09/30)
川上 弘美

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sai.wingpen  水の声とは何だろう                   

 水は液体、水蒸気は気体、氷は固体。
 さしずめ川上弘美の文学は水蒸気であろうか。
 掴もうとしてもつかめず、払った先に異世界があり、それも瞬く間に閉じていく。
 気がつけば、足元には水が水位を増し、やがて氷の世界に閉じ込められている。
 にっちもさっちも。
 タイトルの「水声」とは、水の流れる音をいう。
 立ち込めた靄の中を水声に誘われて歩く。川の流れはそこにあるか。読者は迷子だ。いつまでも水声だけが聞こえる。
そんな小説だ。

 都と陵。一つ違いの姉と弟。しかし、二人には肉体関係がある。もちろん、男と女の。
 都たちのパパとママは兄と妹だ。二人の間に肉体関係があったかどうかはわからない。少なくともパパは都たちの本当の父親ではない。
 そんな四人の家族が物語の登場人物。
 よしもとばななが好みそうな世界だ。きっとよしもとなら、もっと明確にこの四人の関係を描いただろう。
 けれど、川上は掴みどころのない、水の音だけが聞こえる世界として組み立てた。
 しかも、それに過去や現在、あるいはその間の日々といったような時間さえもが自在に動く。
 それは各章のタイトルにもよく表れている。
 物語の始まりが「1969年/1996年」、物語の終わりが「2013年/2014年」。
 刻まれた時間は動きようがないはずなのに、都と陵が初めて関係をもっと時もママが亡くなった時も都と陵がママの居なくなった家に二人だけで住み始めた時も、揺らいで、今でもあり過去でもある。

 そんなあやふやさが川上弘美の、よしもとばななとのおおきな違いだろう。
 読了後にそんな世界があったのだろうかと考えてしまう。
 もしかしたらすべては幻視だったのではないか。
 いや、確かに水の音が聞こえていたはずだ。では、その音とは何だ。
 川上が描きたかったものは、人として先祖から続く連続性ではないだろうかと思う。
 ちょうど水の流れが川上から川下へ流れる一筋の道のように。
 水の音は、その連続性が生み出すものだ。

 兄と妹でパパとママであった人たち。決して子どもを産むことはないだろう都と陵。
 この家族によってせき止められた水の流れがたてる音は、川上弘美という水蒸気に閉ざされた向こう側から聞こえてくる。
  
(2014/10/29 投稿)

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  読書週間ということで
  昨日は
  永江朗さんの『本について授業をはじめます』という本を
  紹介しましたが、
  今日は2009年に紹介した
  『本の知識』という本を
  再録書評で紹介します。
  この本も本のことがよくわかる構成に
  なっています。
  もちろん
  こういう本を読まなくても
  本は読めます。
  昨日書いたように
  それでも本がどのようにできているのかということを
  知るだけで興味がもっとわくはず。
  たくさんな人が本に関わっています。
  出版社の人、取次の人、本屋さんの人、図書館の人
  もちろん私たち読者。
  もっとたくさんの人に
  本を読んでもらいたいなぁ。

  じゃあ、読もう。

本の知識―本に関心のあるすべての人へ!本の知識―本に関心のあるすべての人へ!
(2009/05)
日本エディタースクール

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sai.wingpen  本が好き!                

 人を好きになると、その人の出自とか性格とか知りたくなるのと同じように、本のことについてもっと知りたくなって手にしたのが、日本エディタースクールという編集や校正などを教えている学校が編集した、この本です。
 「本の大きさ」や「本の各部分の名称」といった基本的なことから、「本ができるまでの」の製作工程、出版界の概況とその流通と販売まで、わずか六〇ページばかりの書籍ながら、ほぼ本のことが理解できるようになっています。
 これだけわかれば、うまく付き合っていけるでしょう。

 ところで、本とはそもそもどういうものをいうのでしょうか。
 この本では五つの要件があると説明されています。
 まず、「内容のあること」。確かに。
 次に「持ち運びが容易にできること」。なるほど。
 三つめが「紙葉がとじられていること」。つまり、頁はばらばらになっていないこと、カードばかり集まっても本とは呼びません。
 四つめは「中身とそれを保護するもの(表紙)があること」。これは案外重要かもしれません。
 最後の要件は「ある程度の分量があること」です。ですから、リーフレットやパンフレットは本とはみなされないとあります。
 この五つの要件は、本というものを考えるにあたっては大事なことです。

 最近携帯電話や電子ブックでも小説などが読める時代です。
 では、それらを本と呼ぶのかというと、やはりそれは本ではないと言っていいのだと思います。なぜなら、それらは第三の要件や第四の要件を満たしていないからです。だから、私は現時点においてはまだそれらに浮気するつもりはありません。
 ただし、この五つの要件を満たす本は空間を占有する欠点も持っています。
 個人の家にしろ図書館にしろ、このまま膨張を続ける本を置いておく場所が足りません。おそらく、すべての書き物がデジタル化すれば、そういう問題は解決されます。
 このあたりが悩ましい問題です。
 好きだけど家にはおけないんだよ、と別離を告げざるをえない状況は避けたいものです。

 この本には「本ができるまで」の細かい工程も書かれています。
 本はそういう点では著者だけのものではなく、限りなく共同作業による産物だとわかります。
 もちろん書き手である著者が読み手を満足させるものを書くことは大事ですが、商品として売れるものに仕上げるためには編集者も装丁者も印刷業者もおろそかにできない、重要な人たちです。さらにいえば、それを流通させ販売する人たちもいます。

 私はそんな本たちに幸せになってもらいたい。
 どうしてって?
 本が好き、だからです。
  
(2009/07/16 投稿)

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  今日から読書週間が始まります。
  11月9日まで。
  これが今年のポスター。

  読書週間

  なかなかいいですよね。
  ファンタジーを感じます。
  せっかくの機会ですから
  日頃本を読まない人も
  一冊ぐらいは読んでみては。
  読書週間ということで
  今日は児童向けではありますが
  永江朗さんの『本について授業をはじめます』という
  本を紹介します。
  本を読まない人でも
  本を見たことはないという人はいないと思います。
  でも、案外本って何かということは
  知らないもの。
  本の歴史とか未来とか
  知ることで
  今以上に興味がわくのではないかしら。

  じゃあ、読もう。

本について授業をはじめます (ちしきのもり)本について授業をはじめます (ちしきのもり)
(2014/09/22)
永江 朗

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sai.wingpen  めくる めぐる 本の世界                   

 2014年の読書週間(10月27日~11月9日)の標語は「めくる めぐる 本の世界」。
 読者人口が減少する中、せめてこういう機会にでも本を開いてみたいもの。
 では、どういう本を読めばいいのか。
 子どもよりも案外ベストセラーや話題書だけを読んでいるおとなの方が戸惑うかもしれない。
 それに、本とは何だろうということを考えてみないおとなにとって、「本の世界」というもの自体が実はちっともわかっていないような気がする。
 夏目漱石の『坊っちゃん』なんて中学生が読む小説でしょ。そんなわかったフリがもっとも妨げになっていることに気がつかない。
 だから、最初から、本って何かということから始めるのも悪くはない。

 この本は児童書。
 どのような経路で本が私たちのところに届くのか、一本の木が海を渡り紙になり、本の形になって、出版社や取次といわれるところ経由して本屋の棚におさまる。
 この本を読みたいと強く思うこともあるし、たまたまその本と出合うこともある。
 私たちが本というものに出会う瞬間だ。
 もしかしたらそうして出会った本が一生の思い出になることもある。
 生き方を決めることもある。
 だから、本の世界は奥が深い。

 そんなことから始まり、本のルーツはどうであったかというところに説明が及ぶ。ここでは印刷技術の歴史だけでなく電子書籍がもたらすこれからのことを書かれている。
 最後は「本と仲よくなるには」。
 子どもだけでなく、おとなの方にも読んでもらいたい単元だ。
 著者の永江朗氏はその中で「本とつきあうこつ」をこんなふうに書いている。
 「できるだけ気持ちを楽にすることです。本はどんなふうに読んでもいいのです」。
 おとなは本以外の愉しみをたくさん知っていて、逆に本に対する心構えを過剰に考えすぎているかもしれない。
 もっと気持ちを楽にして読めばいい。
 みんなが読んでいるから読まなければ。この本を読んで仕事に生かしたい。そうではなくて、この本を読むと気持ちが落ち着くな、で構わないのではないか。
 おとなだから児童書を読むのは恥ずかしいなんて思わないこと。
 「いやなこと、つらいこと、悲しいことがあったら、本を開いてみましょう」と永江氏はいう。
 それは子どもだけでなく、おとなも同じ。
 まさに「めくる めぐる 本の世界」だ。
  
(2014/10/27 投稿)

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  今日は
  C.V.オールズバーグの『まさ夢いちじく』という
  絵本を紹介します。
  翻訳はすっかりおなじみの
  村上春樹さん。
  皆さんはいちじく好きですか?
  私は好きです。
  昔、私の家にいちじくの木があって
  たくさん実がなっていました。
  近所のおじさんに
  いちじくが大好きな人がいて
  旬になると食べてきていたように
  かすかに覚えています。
  それが今では
  高価な果物になってしまって
  少し不思議な感じがします。
  それと逆なのが
  バナナ。
  昔は高価な果物でしたが
  今は毎日でも食べれるように
  なりました。
  時代とともに
  食べ物の価値も変わるのですね。

  じゃあ、読もう。

まさ夢いちじく (The Best 村上春樹の翻訳絵本集)まさ夢いちじく (The Best 村上春樹の翻訳絵本集)
(1994/09/22)
クリス・ヴァン・オールズバーグ

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sai.wingpen  無花果は何と読むのでしょう?                   

 漢字の問題から。
 「無花果」という漢字を読んで下さい。よくある問題ですから知っている人も多いでしょうが、答えは「いちじく」。
 夏から秋にかけて食卓にあがることの多い果物です。
 家にいちじくの木があると家が栄えないとか子どもができないとか、いちじくには迷信の類が結構ありますが、一方で不老長寿の果実と呼ばれることもあるそうです。
 おいしいのでやっかんだのかもしれません。
 そんないちじくを食べると夢が本当のことになってしまう。そんなお話がC.V.オールズバーグのこの絵本です。

 主人公は「おそろしくやかましや」である歯医者のビボットさん。
 少しばかり髪が薄くなっています。鼻の下には「エヘン」といわんばかりの八の字ひげ。蝶ネクタイもキザっぽい。
 ある日歯の治療をしたおばあさんが治療費の代わりに置いていったのがふたつのいちじく。
 怒るビボットさんにおばあさんはこういいます。
 「これはまさ夢いちじく。あなたの夢を何でも叶えてくれます」

 いちじくはふたつ。
 まずひとつめを食べたビポットさんは本当にそれが「まさ夢いちじく」だということに気づきます。
 そうなると、残ったいちじくを食べる時はうまい話が叶うようにしないとと欲が出ます。
 こういうところは日本の昔話にもよくあるパターンです。
 それからの何週間をビポットさんは自分が世界一の金持ちになる夢を見る特訓を始めます。
 夢をコントロールしようというのですから、人間は欲がでると何を考えることやら。
 宝くじがあたるように枕の下に忍ばせるのによく似ています。
 そんなビポットさんがようやく残りの一個のいちじくを食べることを決心しました。
 さて。

 この絵本でもC.V.オールズバーグの絵筆はさえわたっています。
 まず構図が大胆です。上からの目線、下からの目線、対象を大胆に大きく。
 それによって絵に動きがでています。
 それにビポットさんのいやらしいさがいいですね。この人なら、こういう結末になっても仕方がないと読者に思わせるくらい、いやらしく描かれています。
 もちろん、この作品も村上春樹さんの翻訳。

 あなたがもし「まさ夢いちじく」を手にしたら、ビポットさんにならない保証なんてありません。
  
(2014/10/26 投稿)

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  10月から始まった
  NHKの朝の連続テレビ小説マッサン」を
  見てます?
  私、見てます。
  「カーネーション」以来
  すっかり朝ドラファンになってしまいました。
  「マッサン」といえば
  私の父もそう呼ばれていました。
  父の名前は増雄。
  だから「マッサン」。
  関係なかったですね。
  ドラマはニッカウヰスキーの創業者夫妻を
  モデルにしています。
  朝ドラ史上初となる外国人ヒロインで
  どうなることか
  いささか心配ではありましたが
  出足好調のようです。
  主題歌は
  中島みゆきさん。
  中島みゆきさんが朝ドラの主題歌を担当する
  時代になったのかと感慨深いものが
  あります。
  つまり、中島みゆき世代の人たちも
  シニア世代になって
  朝ドラを見る世代になったということでしょうか。
  今日紹介するのは
  ドラマのモデルとなった竹鶴政孝とリタ夫妻
  記録として描いた
  オリーヴ・チェックランドの『マッサンとリタ』。
  これで朝ドラがもっと楽しめます。

  じゃあ、読もう。

マッサンとリタ ジャパニーズ・ウイスキーの誕生マッサンとリタ ジャパニーズ・ウイスキーの誕生
(2014/09/25)
オリーヴ・チェックランド

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sai.wingpen  口あたりのいいウイスキーを飲んだように                   

 NHKの朝の連続テレビ小説の第91作めとなる「マッサン」は、朝ドラ史上初の外国人ヒロインで話題を呼んでいる。
 モデルとなっているのはニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝とその妻リタである。
 実際にリタは政孝のことを政孝の「まさ」と日本語の敬称である「さん」を合体させて「マッサン」と呼んでいたようである。
 本書はドラマの原作本ではない。
 著者のオリーヴ・チェックランドは日英交流史の専門家としてこの本を1998年に刊行している。その際の日本版のタイトルは『リタとウイスキー 日本のスコッチと国際結婚』である。
 それが朝ドラとして描かれるということになって、タイトルも変え新版として出版されることになった。
 どういう機会にしろ、新しい陽の目を見ることはいいことだ。
 ましてや良書であれば、なおさらである。

 朝ドラではスコットランドから政春(ドラマでの政孝の名前)が連れてきたエリー(ドラマでのリタの名前)はすでに日本語が話せることになっているが、実際にはリタが来日した際にははほとんど日本語が話せなかったという。
 そんな彼女が政孝を支えたのは事実で、晩年故郷に宛てた手紙の一節が本書に紹介されている。
 「老いていくのは孤独なことだけれど、自分の人生は自分でつくってきたのだということを忘れたくないわ」。
 リタの芯の強さを感じる。

 この本自体が外国の女性の手によるものであるが、その内容は実に密であり、ウイスキーの製法に関することなどもしっかり描かれている。
 まるで日本人の筆かと錯覚するが、「日本では、部屋に畳が敷き詰められ、その数を単位として部屋や家の大きさが測られていた」といったくだりなどはさすがに外国人の目線だ。
 そんな著者だからこそ描けたリタの姿だともいえる。

 著者のオリーヴ・チェックランドは政孝夫妻のことをこう評している。
 「夫も妻も何かを犠牲にした夫婦であった。自らの義務として課せられたこと、あるいはそれ以上のことを成し遂げた二人であった」。
 朝ドラはドラマであり、事実にすべて忠実ということにはならないだろう。
 しかし、この夫婦が著者が評したような夫婦として描かれることを楽しみにしたい。
  
(2014/10/25 投稿)

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 今年、東海道新幹線の開通東京オリンピックの開催から
 50年めにあたります。
 昭和39年(1964年)のことです。
 どうもこの時代は西暦でいうより
 元号の方が似合います。
 私は9歳。
 まだまだ子どもです。
 この頃どんな物語を読んでいたのか
 キップリングの『ジャングル・ブック』あたりかな。
 ともかく子どもでした。
 そんな年に創刊されたのが
 「講談社現代新書」です。
 だから、「講談社現代新書」も今年で50年になります。

 新書といえば「岩波新書」が有名ですが
 これまでにいくつかのブームがあって
 昭和37年(1962年)に「中公新書」の創刊があって
 昭和39年創刊の「講談社現代新書」とともに
 「第二次新書ブーム」になるのです。
 私が新書を読みだしたのは
 高校生になってから。
 この頃は新書なんて知りませんでした。

   教養は万人が身をもって養い創造すべきものであって、
   一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手もとに配布され
   伝達されうるものではありません。

 これは「講談社現代新書」の刊行の言葉の冒頭の一節です。
 最近また「教養」という言葉がよく言われていますが
 戦争が終わって19年のこの当時も
 「教養」が必要ということが実感されていたのかもしれません。
 そんな「講談社現代新書」の第一回配本は
 都留重人さんの『経済学はむずかしくない
 池田弥三郎さんの『光源氏の一生
 南博さんの『現代を生きる心理学
 の三冊でした。
 著者の顔ぶれがいいですよね。
 今でもりっぱに通用します。

講談社 創刊50年を記念した小冊子を
 本屋さんで入手したのですが
 これがなかなかいい。
 「社会・出版そして講談社現代新書の50年」は
 10年ごとのくくりで
 世相であったりその年に読まれた本であったりが
 うまくまとまったクロニクルになっています。
 このほかにも
 『タテ社会の人間関係』を書いた中根千枝さんや
 『知的生活の方法』を書いた渡部昇一さんなどの
 特別エッセイなどもあって読み応え十分の
 小冊子となっています。
 ちなみにこの2冊ともに
 ベストセラーとなった「講談社現代新書」です。

 そんな「講談社現代新書」ですが
 最近の新書の多様化で
 今ひとつ元気がなさそうに感じます。
 ここは同じ昭和30年代生まれとして
 がんばってもらいたい。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  昨日に続いて
  「ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>」の一冊、
  『長谷川町子』を紹介します。
  長谷川町子さんといえば「サザエさん」。
  ちょっと前には「サザエさん症候群」という言葉が
  流行りましたが、
  日曜の夕方6時半から始める
  アニメ「サザエさん」を見ていると
  明日からの仕事が気になり始めるという
  とっても重い? 病気ですが
  最近私はこの時間に「サザエさん」を見ることは
  ほとんどありません。
  娘たちがいないことが多くて
  「サザエさん」にチャンネルを合すことが
  なくなったのがその理由ですが
  娘たちが小さい頃は
  よく一緒に見てました。
  それにしてもこのアニメは
  いつまでも人気がありますよね。
  今の子どもたちにとっては
  おじいちゃんおばあちゃん、
  お父さんお母さんの
  三代につづくアニメです。
  こういうのはさすがに珍しい。
  それほどサザエさん一家の個性はしっかりしているのでしょうね。
  そんな「サザエさん」を描いた長谷川町子さんが
  どんな女性であったか、
  この本で楽しんでください。

  じゃあ、読もう。

ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉長谷川町子ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉長谷川町子
(2014/08/27)
筑摩書房編集部

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sai.wingpen  お魚くわえたドラ猫 おっかけて                   

 筑摩書房から新しく中高生向きの評伝シリーズとして刊行された<ポルトレ>。
 <ポルトレ>は、ポートレートとか肖像のことらしい。
 21世紀になって子どもたち向きの伝記とか評伝も様がわりして、ラインナップをみると新しい人たちが顔を揃えている。
あるいは、そんな人たちの職業も幅広い。
 例えば、第Ⅰ期15巻の中に漫画家が二人はいっている。
 一人がこの本で取り上げられている長谷川町子さん。いわずとしれた『サザエさん』の作者である。
 もう一人は、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄さん。手塚治虫さんでないところが、編集者の工夫を感じる。

 この評伝を手にする主な読者である中高生にとって、『サザエさん』はテレビアニメとしてなじみがあるだろう。長谷川さんが描いた新聞連載の4コマ漫画は知らないだろう。
 中高生にはそんなところからまず知ってもらいたい。
 評伝であるから、長谷川さんが田河水泡(漫画『のらくろ』は戦中戦後と国民的な人気を得た)の内弟子になったこと、父親を早くに亡くして母と町子たち三人姉妹の結束が高かったこと、『サザエさん』で人気漫画家になったもののしばしばスランプに陥り描けなくなったことなど、『サザエさん』の作者はそういう人だったのかと知ることは多いだろう。

 それとは別にこの巻が面白いのは、長谷川さんの生きた時代「昭和」がきちんと説明されている点だ。
 長谷川さんの評伝というより「昭和史」(それも戦後の)の趣きがある。
 中高生には長谷川さんの一生というより、お父さんやお母さんが生きた「昭和」を実感してもらいたい。
 そうすれば長谷川さんが描いた『サザエさん』がより面白くなるだろう。

 巻末エッセイを書いているのは夏目房之介さんだが、夏目さんは「なつかしさ」というのは「一種の理想化された過去なので、いつも安定している」と、だからこそ『サザエさん』がいつまでも人気の高い漫画だと分析している。
 アニメ『サザエさん』を楽しみにしている視聴者は今の中高生でないかもしれない。それでももっと幼い頃お父さんの膝にのって見たことはあるだろう。
 彼らに「なつかしさ」を求めることはできないだろうが、この本をきっかけにしてそういう近い歴史を知ってもらいたい。
  
(2014/10/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  筑摩書房から中高生向けに
  あたらしい偉人伝シリーズが
  刊行されました。
  「ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>」です。
  <ポルトレ>というのは
  ポートレート、肖像の意味です。
  子どもの頃に読んだ偉人伝とは
  人物が大きく様変わりしています。
  エジソンもいない。
  野口英世もいない。
  かわりに
  今日紹介する『藤子・F・不二雄』といった
  なじみのある人たちが
  取り上げられています。
  確かに今の子どもたちにとって
  藤子・F・不二雄さんなんかは
  偉人でしょうね。
  偉人というより
  ヒーローかも。

  じゃあ、読もう。

ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉藤子・F・不二雄ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉藤子・F・不二雄
(2014/08/27)
筑摩書房編集部

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sai.wingpen  あんなこといいな、できたらいいな                   

 「あなたはだめな人間なんかじゃない。」
 これは、筑摩書房から新しく出た中高生向きの評伝シリーズ<ポルトネ>の「創刊の辞」の冒頭の文章です。
 <ポルトネ>というのは、ポートレート、肖像のことです。
 いわゆる伝記といわれるジャンルに該当するのでしょうが、そのラインナップが斬新です。
 第Ⅰ期15巻のラインナップもみてもアップルの創業者ジョブスがあったり即席麺を作った安藤百福がいたりします。
 そして、この巻では、漫画家の藤子・F・不二雄さんが描かれています。
 漫画家が評伝として取り上げられることもあまりなかったと思います。あってもせいぜい「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫さんぐらいです。
 ところが、このシリーズでは、「ドラえもん」を描いた藤子・F・不二雄さんが取り上げられています。
 このこと自体が、このシリーズのもっている新しさといえます。

 私たちの世代、私は昭和30年の生まれです、にとって、藤子さんはFでもAでもありません。石ノ森章太郎さんが石森章太郎でしかないように、藤子不二雄でしかありません。
 もともとこのペンネームは藤本弘さんと安孫子素雄さんの二人が合わさったものということは子どもの頃から知っていました。
 二人が富山県の漫画少年で、手塚治虫さんに憧れて漫画家の道に進んだことも有名です。
 トキワ荘という東京のアパートで石森章太郎さんとか赤塚不二夫さんといった後に漫画界の巨匠となる若者たちと互いに切磋琢磨したことも知っています。
 藤本さんと安孫子さんの筆づかいが違うことも興味の方向が相違していることもわかっていて、それでもやはり二人は藤子不二雄だったと思いたい。

 若い人にとって「ドラえもん」を描いたのがこの本で紹介されている藤本弘さんで「怪物くん」を描いたのが安孫子素雄さんなのでしょうし、だから藤本さんだけの評伝になっているのですが、やはり多くの活躍の場は藤子不二雄だったということをわかって欲しいと思います。
 漫画が多くのファンを獲得していく昭和30年から40年という時代を読む時、それは重要です。
 一人の人間が生きてきた、そのことをどう理解するかは、その人が生きた時代とその時代に生きた人たちのことも思うことではないでしょうか。
 漫画家藤子・F・不二雄は、そう読み解く人だと思います。
  
(2014/10/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  鳥羽亮さんの『妻恋坂情死行』も
  書評サイト「本が好き!」からの
  献本です。
  鳥羽亮さんは
  人気時代小説の書き手ですが
  私は初めての作家です。
  こういう機会がないと
  なかなか読むことはなかったかもしれません。
  だから、今回の献本は
  ありがたかった。
  鳥羽亮さんは
  もともと小学校の教員をされていたという
  経歴をもっています。
  作家としてデビューしてからも
  教員を続けていたそうで
  執筆はお休みの日だったとか。
  書いて書き続けてきた
  熟練の筆を
  お楽しみ下さい。

  じゃあ、読もう。

妻恋坂情死行妻恋坂情死行
(2014/10/24)
鳥羽亮

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sai.wingpen  夜桜が散ってあとに闇が残った                   

 ひとつの色といってもさまざまな名前がある。
 たとえば、黒。鉄黒、漆黒、薄墨色、暗黒色、濡羽色、等々。
 さしずめこの物語は黒でも濃い暗黒色ということになろうか。
 ほとんど光を閉ざした世界に望みはあるのだろうか。

 舞台は天保の頃の江戸。
 非役の旗本の次男京四郎はある時野犬に襲われた幼なじみのふさを助けたことをきっかけにして恋心を抱くようになる。ふさもまた。
 二人が出会った妻恋坂は桜が満開だった。
 しかし、桜が散るように、二人の淡い恋情も咲き続けることはない。
 ふさとのことを剣術道場の仲間から妬まれからかわれ、没落寸前の御家人の娘であるふさとの交際を兄や母から戒められ、京四郎は次第に行き場を失っていく。
 ふさも同様に家の没落で吉原に身を沈める。
 そんなふさに会うためにはお金がかかる。そして、ついに京四郎は辻斬りまで犯してしまう。

 満開の桜から始まる物語は次第に色を深め、夜の帳に沈んでいくかのよう。
 淡い恋情をまわりから否定されてきた京四郎にはまだ同情の余地もあるが、辻斬りを咎める道場の先輩を切ったところからその生き方は否定せざるをえない。
 人を殺めることにどんな大義があるのか。
 恋することと人を殺めることは京四郎の中ではつながっているのだろうが、そうまでしても自身の恋に生きようとする京四郎の生き方は悲劇と呼べない。
 あえていうなら、狂気である。

 吉原に身を沈めたふさはやがて病となり、闇はいっそう深くなる。
 京四郎もふさもその闇の中に沈んでいくしかない。
 悲恋の物語といってもどこかに光をひそませないといけない。読者はその光を目途にする。
 カバー装丁は満開の夜桜だが、物語にはそんな桜の光もほとんどない。
 宴のあとの残光もなく、物語はおわっていく。

 ひとつの色にさまざまな名前があるように恋のありようもさまざまだ。
 京四郎とふさの悲恋をなんと呼ぶべきか、私にはいまだ答えはない。
  
(2014/10/21 投稿)

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 来週の10月27日から読書週間が始まります。
 あわせて、10月27日は
 何の日から知っています?
 「文字・活字文化の日」なんだって。
 たくさんの人に文字・活字文化のついての関心と理解を
 深めてもらえるように記念日となったそうです。
 その日を記念して
 埼玉県さいたま市の中央図書館(浦和)
 「文字・活字文化の日記念講演会」が
 開催されました。

 講演は
 尾崎真理子さんの「評伝石井桃子を書き終えて」。
 タイトルにもあるように
 尾崎真理子さんといえば
 先ほど『ひみつの王国 評伝石井桃子』を上梓した
 読売新聞東京本社編集委員の人です。
 『ひみつの王国』のことは
 このブログでも紹介しましたが
 とても読み応えのある一冊でした。
 あれほどの作品を書いた
 人はどんな人なのか興味がわきます。

    『ひみつの王国』の書評はこちらから。

ひみつの王国: 評伝 石井桃子ひみつの王国: 評伝 石井桃子
(2014/06/30)
尾崎 真理子

商品詳細を見る

 会場はさいたま市中央図書館のイベントルーム。
 定員が70名の予約制。
 ほとんどが中年以上の女性で
 若い人や男性が少ないのは残念でした。
 特に若い人については
 石井桃子さんのことをもって知ってもらいたいことを思うと
 どうしてなのでしょう。

 尾崎真理子さんは小柄な女性。
 こういう講演をあまりしないのでしょうね、
 あまり前を向かずに
 用意してきた原稿をきちんと話される方。
 講演の途中で
 主催者が用意されたペットボトルのふたをとって
 コップにいれるところまでしたのですが
 とうとう90分の講演が終わるまで
 飲まれなかった。
 思わず、「お水、飲んでください」と
 いいそうになりました。

 まず初めに
 浦和在住の読者から
 『ひみつの王国』に書かれた内容について
 いくつかの指摘があったことを
 尾崎真理子さんはしっかり話されていました。
 浦和の人ならではの指摘に
 さすが文教都市と、これも笑いをとるのではなく
 恥ずかしそうに話される姿が好ましい。
 これは最後の締めくくりで話していましたが
 「埼玉県の文化は深い。子どもたちが育ちやすい環境ではないか。
 だから、子どもの本にとっても故郷のようなもの」
 といった話をされています。
 こういう話こそ
 若いお母さんやお父さんにも聴いてもらいたい。

 尾崎真理子さんは
 石井桃子さんが子どもの頃住んでいた浦和の点景などを描いた
 『幼ものがたり』が書かれた理由を
 二つあげています。
 一つは、作家としての達成感を得るため
 もう一つが、自分とは何かという自分自身への探究心。
 石井桃子さんと浦和は
 石井桃子さんにとって自分とは何かの根っこにある町だといえると
 思います。

石井 講演 浦和はせっかく石井桃子さんという
 偉大な児童文学者を生んだのですから
 石井桃子さんだけでなく
 児童文学の拠点になるような取組みを
 すべきではないかと思います。
 左の写真のように
 会場には石井桃子さんの著作が数多く展示されて
 いました。
 将来石井桃子さんの研究者が
 さいたま市の図書館に通うのがベストといわれるような
 資料の収集に努めてもらいたい。

 聴きごたえある
 90分間の講演。
 尾崎真理子さんは水も飲めず
 お疲れさまでした。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  谷川俊太郎さんの『なおみ』という
  絵本を紹介するのですが
  この絵本は絵ではなく
  写真が使われています。
  沢渡朔さんが担当しています。
  秋も深まってきているのに
  少し背筋が寒くなるような作品です。
  こういう作品は
  お父さんとかお母さんと必ず
  一緒に読んでもらいたいですね。
  どうしてこの絵本を?
  と聞かれたら、
  やっぱり谷川俊太郎さんが書いているとしか
  言いようはありません。
  それに
  目を惹きますよね、やっぱり。
  この絵本、
  子どもだけだと
  夜中にトイレに行けなくなるかも。
  あ、
  お話は怪談話ではありませんよ、
  念のため。

  じゃあ、読もう。

なおみ (日本傑作絵本シリーズ)なおみ (日本傑作絵本シリーズ)
(2007/10/10)
谷川 俊太郎

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sai.wingpen  怖い絵本 - なおみ、あなたはいくつ?                   

 子どもの頃読んだ漫画雑誌に「日本の怪奇現象」みたいな読み物がよく特集されていた。
 その中のひとつに「髪の毛が伸びる人形」という記事があったのを、この絵本を見て思い出した。
 あれはどこかのお寺に奉納されていた人形ではなかったか。
 あれから何十年も経っているから、もしいまだに伸びているとすれば、すごい。
 あの記事が本当の話なのかわからないが、子ども心になんとなくありそうだと思っていた。
 それは、人形の力だろう。
 人の魂によりそうような力が人形にはある。

 その時の記事の人形も、この絵本の人形のような市松人形だったように思う。
 それにしても、怖い絵本だ。
 詩人の谷川俊太郎さんが文を書き、写真家の沢渡朔(はじめ)さんが写真を担当している。
 沢渡さんといえば、『少女アリス』で人気を博した写真家だ。
 写真といえば、その技術がこの国に入ってきた時、被写体の人の魂をとるとか、三人並ぶと真ん中の人が先に死ぬとかよく言われたものだ。
 昭和30年生まれの私でさえ、そんな迷信を耳にしたことがある。

 この作品でいえば、逆に写真が人形に魂を吹き込んでいるかのよう。
 窓辺に佇む市松人形、彼女の名前が「なおみ」、はまるで生きているようだ。
 本物の少女(モデルは石岡祥子)と二人で本を読んでいる場面など、息をしているのがどちらかわからない。
 まだ初潮すら迎えていない少女と「なおみ」。
 けれど、少女は確実に成長する。
 しかし、「なおみ」はいつまでも「なおみ」のままだ。
 「なおみ なおみ/わたしは むっつ/なおみ なおみ/あなたは いくつ?」
 やがて、少女は口をきかない「なおみ」を遠ざけることになる。
 箱に静かに横たわる「なおみ」。
 目は開いたまま。
 「なおみ」はこうして時間の奥へ追いやられていく。
 「なおみ」もまたいつか読んだ怪奇記事の人形のように、いつまでも髪の毛が伸び続けたのだろうか。

 怖い絵本である
  
(2014/10/19 投稿)

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  昨日
  角田光代さんの『笹の舟は海をわたる』という
  長編小説を紹介しました。
  あの本は昭和という時代を生きた
  女性の物語でしたが、
  今日も昭和そのものを勉強する一冊です。
  池上彰さんの「現代史授業」。
  シリーズ8巻のうちの最初の巻、
  『昭和編① 昭和二十年代 戦争と復興』です。
  このシリーズはまだ刊行が始まってばかりで
  これから2巻め以降が出版されます。
  私が生まれたのは
  昭和30年ですから
  2巻めですね。
  まだ影も形もありませn。
  少しはあったかも。
  書評にも書きましたが、
  時間というのは不思議なもので
  私がこの時代を知らなかっただけで
  私のまわりのおとなたちは
  この時代のことを
  身体で覚えていたのではないでしょうか。
  これからの巻が楽しみなシリーズです。

  じゃあ、読もう。

昭和編1昭和二十年代 戦争と復興 (池上彰の現代史授業——二十一世紀を生きる若い人たちへ)昭和編1昭和二十年代 戦争と復興 (池上彰の現代史授業——二十一世紀を生きる若い人たちへ)
(2014/09/10)
池上彰

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sai.wingpen  私たちはこんな時代を生きてきた                   

 今年昭和39年(1964年)の東京オリンピックから50年となる。
 その頃を契機として、日本は大きく成長期を迎える。
 しかし、よく考えてみれば昭和39年というのは終戦からわずか19年しか経っていない。
 最近のニュースでいえば、1995年に起こった阪神大震災から今年が19年だから、そんな時間の感覚だ。
 阪神大震災のことはよく覚えている。忘れるわけはない。
 そんな感じで昭和39年の時、戦争中のことを終戦時のことを身体で覚えている人がたくさんいただろう。
 時間の不思議としかいいようがない。

 これは人気ジャーナリストの池上彰さんが監修を務めた歴史の本だが、表題に「21世紀を生きる若い人たちへ」とあるように小中学生の子どもたちにも読みやすい形式となっている。
 全部で8巻シリーズだという。
 しかも、そこで扱われているのが「学校で習うことが少ない現代の歴史」で、半分が「昭和編」、残り半分が「平成編」という構成になっている。
 この巻はその第1巻めで、「昭和編① 昭和二十年代」となっている。
 私が生まれる、たった10年前の時代だ。

 このシリーズの特長はなんといっても図版の豊富さだ。
 この時代以降、写真技術が進んで多くの写真が残されているという事情もあるだろうが、目で見れるだけにインパクトもある。
 写真だけでなく、漫画もうまく使われている。この巻でいえば、水木しげるさんやちばてつやさんが挿絵を書いている。水木さんは戦争で片手を失い、ちばさんは満州からの引き揚げを体験している。
 それと日本史と世界史がきちんと対比されていることも、いい。
 この巻でいえば冷戦下の「ドイツの占領」の一方で日本の「占領政策の転換」が語られている。

 歴史でいえば鎌倉時代にしろ江戸時代にしろ茫とした世界だ。
 だから、ロマンを感じるし、想像の力が働きやすい。
 その一方で昭和といえばあまりにも近すぎて、実はあまり理解していないのにわかったつもりになってしまう。
 「過去の失敗と成功を学ぶことで、よりよい未来は築けます」と池上彰さんは「はじめに」で書いている。
 おとなの読者にとっては、自分たちが生きてきた時代を再確認にするための、うってつけのシリーズといっていい。
  
(2014/10/18 投稿)

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  昨日につづいて
  今日も角田光代さんの本を
  紹介します。
  今日は『笹の舟で海をわたる』という
  最新長編小説です。
  昭和という時代を生きた
  女性の物語。
  この作品はいいですよ。
  時代の変遷に
  どう関わり、
  どう生きていったか。
  女性の視点がしっかりしていて
  重厚な仕上がりです。
  角田光代さんは
  うまいですよね。
  昨日の『紙の月』でもそうですが
  しっかりと女性という性を
  見つめている感じがします。
  こういう女性作家がいると
  女性たちは心強いですよね。
  だから、
  角田光代さんが好きという女性読者が
  多いのかも。
  ぜひ、読んでもらいたい
  一冊です。

  じゃあ、読もう。

笹の舟で海をわたる笹の舟で海をわたる
(2014/09/12)
角田 光代

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sai.wingpen  わたしが一番きれいだったとき                   

 「わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた/そんな馬鹿なことってあるものか/ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた」
 この「わたしが一番きれいだったとき」という詩を書いた茨木のり子は、大正15年6月に生まれて、平成18年に79歳の生涯を閉じた。
 昭和という時代が茨木の生まれた年の12月から始まるから、昭和とともに生きた詩人だったといえる。
 第二次世界大戦が終わったのが昭和20年。まさに茨木が「一番きれいだった」二十歳の時である。
 国の無謀な暴走に自分の青春を奪われたという思いは、戦後この国が見事に復興しても、茨木は終生もち続けたように思う。
 昭和という時代はもしかしたらそういう尻尾のようなものをひきずっていた時代なのかもしれない。

 角田光代のこの作品はそんな昭和を描いている。
 主人公は左織と風美子という二人の女性。二人は小学生の頃疎開先で同じ生活を営んでいた。そうであれば、終戦時二十歳であった茨木のり子より十歳ばかり年下であろうか。
 そんな二人が朝鮮戦争の好景気でわく偶然再会する。
 しかし、疎開先で左織に大変めんどうを見てもらったという風美子のことを、左織はまったく覚えていない。
 風美子のことばかりではない。疎開先でのことを彼女は封印しているかの如く、記憶があいまいだ。

 この再会をきっかけに左織と風美子は親しく、姉妹のように、そして左織が結婚する男の弟と風美子は結婚し本当の義姉妹になるのだが、生きていくことになる。
 昔ながらの家や家族のありかた、あるいは女性の生き方をなぞる左織とそういうものを壊していく風美子。
 そんな二人の構図そのものが昭和という時代であったといえる。
 角田の筆は昭和という時代に起こった事象をほとんど描くことはないが、それでもそこに昭和の景色が点在している。
東京オリンピックや高度成長期、「敗戦も、飢えたことも、くみ取り便所だったことも、公害問題や公害病も、みんななかったことにして、浮かれ騒い」だバブルという時代。
そ んな中で、左織はいじめなどがあった疎開地の記憶を思い出していく。

 昭和が終わり、平成になって、家族がみんな自分のそばからいなくなった時、左織は自身の人生がまるで「笹の舟で海をわた」ったものであるように感じる。
 それはひとり、左織だけのものではない。昭和を生きた詩人の茨木のり子もそうであったし、茨木と同じ年に生まれた私の母もまた、そうであっただろう。
  
(2014/10/17 投稿)

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  今日紹介する
  角田光代さんの『紙の月』は
  以前NHKドラマで
  見ていました。
  主人公の梅澤梨花役は原田知世さん。
  恋人の平林光太役は満島真之介さん。
  最近NHKのドラマを見ることが多く
  今は日曜にしている
  木皿泉さん原作脚本の「昨日のカレー、明日のパン」を
  見ています。
  『紙の月』は普通の主婦だった女性が
  銀行のパート社員になって
  億という大金を横領する物語ですが
  原田知世さんの熱演が光りました。
  今度映画化されます。
  映画では
  宮沢りえさんが主演です。
  さて、どちらの方が
  合っているでしょうか。
  でも、この作品、
  映画に向くかな。
  だって、結構内容濃いですからね。

  じゃあ、読もう。

紙の月 (ハルキ文庫 か 8-2)紙の月 (ハルキ文庫 か 8-2)
(2014/09/13)
角田 光代

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sai.wingpen  お月さま、とって                   

 「ペーパー・ムーン」というアメリカ映画があった。日本語にすると、「紙の月」だ。
 1973年の映画で、監督は、ピーター・ボグダノヴィッチ。ライアン・オニールとテイタム・オニールの親子共演で話題になったが、この作品でテイタム・オニールは史上最年少で助演女優賞を受賞してお父さんを驚かせた。
 彼女の役は詐欺師の男に同行する娘の役で、次第に二人の絆が結ばれていくような話だったと思う。
 角田光代のこの作品のタイトルから、昔見た映画をほのかに思い出したのだが。

 この長編小説は一人の女性の破滅を描いている。
 主人公は41歳の梅澤梨花。夫は働き者の営業マン。子どもはいない。
 平均以上の生活をしているが、専業主婦である梨花の心にいつしか隙間が生まれている。
 梨花の心だけではない。
 夫婦という関係に隙間ができていることに夫は気がつかない。
 何気ない夫の言葉に、妻を食べさせているという傲慢が忍び込んでいる。
 女性の読者を惹きつけるのは、こういう点にあるのだと思う。
 男性の読者からすれば、どうということのない夫の言葉にしか読めないのではないか。

 梨花は銀行のパート社員として働き始める。そして、一人の若い男と出会ってしまう。
 男は何も求めない。求めないが、梨花はその男に貢ぎ始める。銀行の金を横領してまで。
 きっと女性の読者ならこういうだろう。「何言ってるのよ、あなたは全身で求めていたわよ」。
 男性の読者はどういうだろう。「狂っているのは、梨花の方じゃないか」。
 若い男はお金で梨花に縛られていると感じる。梨花はお金で男を自由にしてやっていると思っている。
 それは梨花と夫との関係を裏返しにしただけだ。

 梨花という女性の転落の話であるが、彼女は何を失ったのだろう。
 物語の隙間に梨花と関係のあった二人の女性と一人の男性の話がはさまっている。
 このことで、この作品はぐんと奥行が広がっているのだが。
 一人は倹約家、一人は浪費癖、もう一人の男性の妻もまたお金に縛られている。
 梨花も含めた4人がお金に縛られているような構図になっているが、角田はお金の物語を書こうとしたのではないだろう。
 「お月さまを取ってよ」とねだる子どもに差し出される「紙の月」の脆さを描こうとしたような気がする。
  
(2014/10/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  長南瑞生さんの『生きる意味109』も
  書評サイト「本が好き!」から
  献本を頂いたものです。
  副題に「後悔のない人生のために」とありますが
  これが仏教の本だと
  知りませんでした。
  書き出しからして
  「あなたは、何のために生きていますか?」ですから
  びっくりしました。
  夏に座禅を初めて体験し、
  その時の体験から先月は
  Eテレの「100分de名著」という番組で「般若心経」を学び
  それに今日の本ですから
  ちょっと仏教づいています。
  この年になって
  まだ「生きる意味」を問いたいと
  いうことなのかな。
  正直に書くと、
  書評を書くのは難しかったです。

  じゃあ、読もう。

生きる意味 109 ~後悔のない人生のための、世界の偉人、天才、普通人からのメッセージ生きる意味 109 ~後悔のない人生のための、世界の偉人、天才、普通人からのメッセージ
(2014/09/21)
長南 瑞生

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sai.wingpen  私の前の門は、開いたか。                   

 高校の同窓会の案内が来た。
 卒業してから42年になるだろうか、今年から来年にかけて還暦を迎える年になって、集まろうという。
 今にして思えば、17歳の頃はどうしてあんなに何もわからなかったのだろう。
 生きる意味も、幸福のことも。人を愛するということも。
 だから、高野悦子の『二十歳の原点』に夢中になって口吻をとばした。映画館の暗闇でじっと何かをさぐった。
 あの時代にもっと真剣に考えていたら、60歳になろうとする今、ちがった人間になっていただろうか。
 そういうことを考えても所詮仕方がない、ということだけを学んできたわけでもないだろうに。

 この本は仏教の本だ。
 しいていうなら、仏教の「入門書」の「入門書」といっていい。
 大きな門をちょっと開けて、もしかしたそこに「生きる意味」があるのではないか。その先にまだ閉じている門がある。そういう感じだ。
 だから、大変読みやすい。
 ところどころに古今東西の哲人や文学者、心理学者などが語ったメッセージがあって、ここに書かれていることが昔からの問いであることを裏付けている。
 では、その問いは何か。
 それこそ、タイトルの通り、「生きる意味」とは何かという、深淵なものだ。

 難解でかつ重要な問いかけではあるが、私たちは普段の生活でそのことをあまり気にすることはない。
 何かにつまずいた時、落ち込んだ時、人より不幸であると感じた時、ふっと出てくる問いかもしれない。
 自分が生きる意味とは何だろう?
 この本には答えがあるが、それは書かない。
 あえて書くなら、この本で大きな門は開いたとしても、まだ本当の門は閉じたままだということだ。

 それにしても、どうして高校生の頃あんなにも「生きる意味」が知りたかったのだろう。
 死はまだまだうんと先にあったけれど、あの時思っていたことはひょいと飛び越えてしまえるところにあるように思えたこと。
 あれから橋の下をたくさんの水が流れた。
 私の前の門は、開いたか。
  
(2014/10/15 投稿)

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  今日は鉄道の日

   ♪汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
  
  というのは、
  「鉄道唱歌」の歌いだし。
  懐かしい。
  新橋と横浜を結ぶ汽車が走った今日を記念して
  できたのがこの日。
  各地で鉄道にちなんだ催しがあるようです。
  それに今年は
  東海道新幹線が誕生して50年
  東京オリンピック開催にあわせて
  まさに夢の超特急が
  走り出した年です。
  初めて
  新幹線「ひかり」に乗ったのは
  いつだったかな。
  中学の修学旅行は東京だったですが
  バスだったように思います。
  だとしたら、
  東京の大学受験の時かしらん。
  今では
  どうということのない新幹線ですが
  当時はまさに乗るのも夢でした。
  今日は鉄道の日にちなんで
  南正時さんの『「寅さん」が愛した汽車旅』を
  再録書評で紹介します。
  読んだのは2008年です。

  じゃあ、読もう。

「寅さん」が愛した汽車旅 (講談社プラスアルファ新書)「寅さん」が愛した汽車旅 (講談社プラスアルファ新書)
(2008/04/18)
南 正時

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sai.wingpen  とかく西に行きましても東に行きましても                   

 映画「男はつらいよ」シリーズ全48作を観終わった。
 今まで録りためていたDVDをようやく鑑賞できたのも「無所属の時間」があればこそなのだが、毎日寅さん(説明するまでもないが、渥美清演じる主人公)が例の啖呵口調で「よぅお、元気か」と聞いてくるものだから、ついこちらも「あにきーぃ」って感じで寅さんの世界にはまりこむはめになる。
 考えてみれば、寅さんこそ「無所属の時間」を生きた見本のような人物だ。
 だから、旅に出、恋をし、ふらりと故郷に戻ってきては、またぷいと旅に出ていけたのだ。
 なんという贅沢は生き方だろう。
 寅さんに限っていえば、失恋も「無所属」であるがための方便かもしれない。(全作をご覧になればわかるが、寅さんというのは失恋ばかりしたわけでなく、何人かのマドンナからは寅さんの方が恋の成就を求められている。そのたびにひょいと逃げてしまうのは寅さんの方であった。気弱というより家庭をもったときの不自由を寅さんなりに理解していたのだろう)

 映画「男はつらいよ」の第一作が封切られたのが1969年。渥美清の死で、最後となった第48作は1995年。
 この26年という期間は、日本が高度成長期からバブル期、そしてその破綻とまさにめまぐるしく変化した時代であった。
 その中で、どうして多くの観客が映画「男はつらいよ」に笑い、涙したのか。
 寅さんの破天荒な行動に笑いはするが、実は多くの観客が最後には「馬鹿だよな」といって寅さんの生き方そのものを決して肯定しなかったのは、寅さんがもっていた「無所属」そのものがうらやましかったからかもしれない。
 できうるならば、寅さんのように生きたいと思いつつも、そこには「無所属」を拒否する時代背景があった。(いくつかの作品で会社勤めに嫌気がさして寅さんと同行する男たちが登場するが、やはり最後には元の世界に戻っていく)

 そのように映画「男はつらいよ」は色々な見方ができる作品(その一端は本書の中でもいくつか描かれている)だが、書名の示すとおり、著者が焦点をあわせたのは、寅さんと汽車旅である。
 その視点に感服。
 著者が書くように「寅さんの旅にはいつも鉄道があり、寅さんは小さなローカル線を愛し、温かい目で鉄道を見つめていた」(まえがきより)のである。
 まさに鉄道写真家としての著者だから書けた一冊だ。
 そして、著者も廃線や廃駅に対して多くのオマージュを捧げているが、鉄道も寅さんの生きた時代とともに盛衰した産業といえる。あるいは、新幹線に象徴されるように格差社会の縮図がそこにもある。
 寅さんに喝采したのは寅さんにあこがれながらなれなかった人たちだけでなく、グリーン車など乗ったこともない人たちであり、若い人たちに去られた老人たちであった。
 著者のように鉄道からの視点でみた場合、時代の変遷が理解しやすい。
 映画「男はつらいよ」は、日本の格差社会の誕生を描いた作品群でもあるといえるのだ。

 この本を読んだのが、全48作を観終わったあとだったが、「寅さんが只見線の越後広瀬駅で」(奮闘篇)とか「函館本線を走るデコイチ」(望郷篇)とか書かれるともう一度初めから観たくなる。
 これから「男はつらいよ」を観ようと思っている人はこの本を読んでから観るのも楽しいかもしれない。でも、やっぱり観てから読むのがいいかな。
 「まあ、どうかねえ。まあ、このへんでお開きということにしますか」(もちろん、これは寅さんの決めゼリフです)
  
(2008/06/29 投稿)

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  今日は体育の日

    体育の日なり青竹踏むとせむ    草間 時彦

  お休みの人も多いでしょうが
  近づく台風19号の行方が気になるところです。
  今日紹介するのは
  寺山修司さんの絵本『かもめ』、
  絵は下谷二助さん。
  この本は先日紹介した
  岡崎武志さんの『読書の腕前』に載っていました。
  私たちの世代にとって
  寺山修司さんというのは
  異能の人というイメージが
  大変つよい。
  書評にも書きましたが
  同じタイトルの
  浅川マキさんの唄を
  覚えている人も多いのでは。
  浅川マキさんといえば
  黒の衣装で独特な世界観をもった歌い手。
  寺山修司さんも
  浅川マキさんも
  いまは鬼籍の人。

  じゃあ、読もう。

かもめかもめ
(2005/05)
寺山 修司

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sai.wingpen  いかにも寺山修司らしい作品                   

 寺山修司とカモメといえば、浅川マキが唄った楽曲「かもめ」を思い出す。
 昭和44年(1969年)に発表された。
 「おいらが恋した女は港町のあばずれ/いつもドアを開けたままで着替えして男達の気を引く浮気女/かもめ かもめ 笑っておくれ.」
 寺山の独特な世界観と浅川のしゃがれた声が胸に染み込む楽曲だ。
 寺山修司はともかくとして、浅川マキを覚えている人も少なくなった。
 そんな、昔の唄だ。

 寺山修司は同じタイトルで童話も書いている。
 それに下谷二助の絵がついて、絵本のようにして刊行されたのがこの本だ。
 絵本のようで、絵本ではない。
 あえていうなら、大人が読む絵本。
 子どもの頃に思いをはせるのではなく、青春期を経て、おとなになった人だけに許される時間。
 例えば、物語の中のこんな文章。
 「世の中には、人生の上手なやつと、人生の下手なやつがいる」。
 そんなことを思うのは、子どもではない。
 子どもの頃には人生はいつも未知数だ。上手とか下手とかない。
 ところが、ある時、子どもは気づく。
 もしかしたら、この世界には「人生の上手なやつ」と「下手なやつ」がいることに。
 果たして自分はどちらだろう。

 若い日の寺山修司もそうだったのではないだろうか。
 寺山は自分のことをどちらだと思っただろう。
 そんな寺山に海上を飛ぶかかもめは、何かをしめした生き物だったのではないか。
 捨てられた女、夢を実現できなかった男、哀しみ、後悔。

 17歳の少年と、15歳の少女。
 初めての航海に出る少年は1年後には必ず戻ってくると少女に約束したが、帰ってこない。
 何年も何年も待ち続ける少女に町の人たちは哀れな視線を向ける。
 そんな時、一羽のかもめが少女のいる町に飛んでくる。
 帰るといって帰らなかった少年なのか。

 浅川マキが唄った「かもめ」の最後のフレーズはこうだ。
 「かもめ かもめ さよなら あばよ」。
  
(2014/10/13 投稿)

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  今年のノーベル賞
  文学賞では村上春樹さんが今年も残念でしたが
  物理学賞に青色LEDの開発に成功した
  3人の日本人、
  赤崎勇さん、天野浩さん、それに中村修二さんが
  選ばれて
  日本中が歓喜の声に包まれました。
  それに加えて
  平和賞に17歳の
  これは史上最年少の受賞らしいですね
  マララ・ユスフザイさんが選ばれて
  トップニュースになりました。
  日本でも
  マララさんの人気はとても高い。
  そこで
  今日はマララさんのノーベル平和賞受賞記念として
  再録書評ですが
  マララ・ユスフザイさんの
  『武器より一冊の本をください 』を紹介します。
  この書評を書いたのは
  今年の始め。
  この時にはマララさんが
  平和賞を受賞するなんて
  思ってはいませんでした。
  でも、
  この時からマララさんは日本でも
  注目を集めていたのは事実です。
  マララさんに
  受賞おめでとうといいたいですが
  彼女の取り組んでいる
  女子の教育環境の拡大のことを思えば
  まだまだ
  マララさんには頑張ってもらいたいと
  思います。

  じゃあ、読もう。

武器より一冊の本をください 少女マララ・ユスフザイの祈り武器より一冊の本をください 少女マララ・ユスフザイの祈り
(2013/12/05)
ヴィヴィアナ・マッツァ

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sai.wingpen  マララを動かす                   

 2013年のノーベル平和賞は、授賞こそしなかったものの、一人の少女に話題が集中しました。
 少女の名前はマララ・ユスフザイ。パキスタンに生まれた、まだ16歳の少女です。
 何故マララが世界の注目を集め、ノーベル平和賞の候補にもなったのでしょう。
 数発の銃声がマララの名を一躍世界に広めました。
 事件が起こったのは、2012年10月9日。当時15歳だったマララは通学途中にタリバンの兵士によって襲撃されたのです。
 それは巻き添えの事故ではありませんでした。兵士はマララを狙って襲撃したのです。
 何故15歳の少女が狙われなければならなかったのでしょう。
 彼女は強く恐ろしい大人たちがすすめていること、例えば女子校の閉鎖や女子の地位の差別などに抗議する行動をとっていました。
 そのことで標的にされたのです。

 マララの名前を耳にした人は多いと思います。銃撃されて一命を取り留めた、そのニュースが世界中を駆け巡ったことも、聞いた人もいるでしょう。
 でも、実際にマララはどんな少女だったのか、何故命を狙われなければならなかったのか。詳しくはわからないのではないでしょうか。
 この本では、マララが生まれたパキスタンという国が抱えている問題とそこに生きるマララの姿が子どもたち向けにやさしくわかりやすく描かれています。
 女子であっても男子と同じように教育を受けている私たちの国で、あるいは服や音楽といったさまざまなものがあふれているこの国の子どもたちにとって、マララが直面している悲しみや苦しみは実感できないかもしれません。

 本の中には活字があるだけです。でも、本を読むということは活字を読むことではありません。
 物語の主人公を生き生きと動かすのは、読者の想像力といっていいでしょう。
 想像力でこの本のマララにいのちを与えてみて下さい。そうすれば、マララが願っているものがいかに根源的なことであるかがわかるのではないでしょうか。

 2013年7月、国連の場でマララは演説を行いました。その演説の中でマララはこう話しました。
 「一人の子ども、一人の教師、1冊の本、そして1本のペンが、世界を変えられるのです」。
 この本を読んだ読者もまた、同じです。
  
(2014/01/14 投稿)

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  東日本大震災から3年7ヵ月。
  今年の夏は
  大きな災害が続きました。
  広島の水害、
  そして9月27日に起こった
  御嶽山の噴火
  犠牲者は50人を超えました。
  もし、噴火が土曜日でなかったら
  昼近い時間でなかったら
  ここまで大きな災害になっていなかったかも
  しれません。
  けれど、
  運命は過酷です。
  そういう「もしも」は存在しません。
  そして、
  多くの人がほんの少しの違いで
  生死を分かてしまいます。
  それは
  東日本大震災の時に
  私たちが気づいたことであったのですが
  それは新たな災害に通用しません。
  生きるということは
  どこかで
  死ぬということとつながっていて
  もしかしたら
  それは私の番なのかもしれないという
  ことかもしれません。
  今日紹介する本は
  遠藤美恵子さんの『虹の向こうの未希へ』、
  東日本大震災から3年以上経って
  それでも生きることを模索している
  人びとがいることを
  教えてくれます。

  じゃあ、読もう。

虹の向こうの未希へ虹の向こうの未希へ
(2014/08/26)
遠藤 美恵子

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sai.wingpen  ヒロインではなくただ普通に生きて欲しかった                   

 大きな災害には美談と呼ばれる美しい話が多く生まれる。
 子どもを守って犠牲になった親、何十時間後に救出された人、飼い主を助けた飼い犬。
 まるで大きなマイナスをプラスに転じなければ辻褄が合わないかのように、新聞などは被災よりもそういった美しい話を多く取り上げようとする。
 そうでないと、悲しすぎる。辛すぎる。
 2011年3月11日に起こった東日本大震災の時もそうだ。
 多くの犠牲者、家をなくした被災者の涙は尽きなかったが、そこにも美しい話は生まれた。

 この本で紹介される南三陸町の遠藤未希さんもそうだ。
 想定もしなかった大津波の接近にも関わらず、防災無線で住民に避難を呼びかけ続けた未希さん。
 最後まで「高台に避難してください」と呼びかけ続けた未希さんは津波に巻き込まれて犠牲となってしまう。彼女のことはその後「命の呼びかけ」「天使の声」と、マスコミに大きく取り上げられていく。
 そのことは、美しい話だ。
 未希さんの呼びかけに助けられた町の人は多い。
 しかし、娘だった、妻だった未希さんを喪った家族の思いは複雑だ。
 この本は未希さんの母親である著者が震災からのちの、娘をなくした切ない思いを綴った手記である。
 美しい話も、見方を変えれば、あまりにも辛く、切ない。

 「家族として逃げてほしかった。あとでなんといわれようと生きてほしかった」。
 これは未希さんの夫が記した文章だ。
 美しい話のヒロインにならなくても、生きてもう一度会いたい、というのが、残された家族の本当の思いだろう。
 喪失感は、もしかすれば彼女がどんどんヒロインになっていくことで増したかもしれない。
 「忘れることができたと思っていたことが蘇ってしまい、もう平気だと思っていたものにも苦しめられる」と、母親でこの本を綴った美恵子さんも書いている。
 美しい話に出てくる彼女をヒロインにしているのは、私たちだ。
 彼女の家族たちは、娘がヒロインになることなど求めていなかった。
 願ったものは、ただ生きていることだけ。

 あの日から3年半を過ぎ、ようやく悲しみを押しやって、皆それぞれの道を歩み始めた。
 著者もそうだ。
 今はただ一筋の虹になった娘未希さんに恥じないように、そう決心した母親や家族たちこそ、美しい話の登場人物だ。
  
(2014/10/11 投稿)

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  今日10月10日は
  昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催から
  ちょうど50年めにあたります。
  そう、私は9歳。
  でも、その日のことはよく覚えています。
  我が家はカラーテレビ、
  こんな言葉も今では不思議な感じがしますが
  昔は白黒テレビが主流で、
  ではなかったはずなのに
  何故かその日の東京の空が
  真っ青だった記憶があるのは何故でしょう。
  この時のオリンピックのことは
  さまざまな映像や文章で語られてきたから
  それで植え付けられたのかもしれません。
  せっかくだから
  オリンピックの本でも紹介すれば
  よかったですね。
  残念ながら今日は
  益田ミリさんの『女という生きもの』。
  オリンピックと益田ミリさん。
  あるいは
  オリンピックと女。
  何の関係もありません。
  そういえば、
  東京オリンピックといえば
  女子バレーの金メダル。
  彼女たちは「東洋の魔女」と
  呼ばれていました。

  じゃあ、読もう。

女という生きもの女という生きもの
(2014/07/10)
益田 ミリ

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sai.wingpen  彼を知り、己を知れば百戦危うからず                   

 「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」。
 孫子の兵法の一節だ。
 「彼」というのは、敵のこと。
 男にとって、女というのは「彼」にあたるかな。もちろん、「敵」ということではないですが。
 女のことをよく知らないと、ということで、別に勝ちたいとかいうことでもないが、益田ミリさんのこの本を手にしました。

 さてさて、「女という生きもの」はどういうものか。
 男と女といっても、同じ人間だし、今や男女雇用機会均等法の時代だし、男子も育休をとる時代だし、それでも男は女の何たるやをわかっていない。
 わかっていないから、どこかの街の議会であんなやじを平気で飛ばせてしまう。
 もっと女のことを知らないと。
 あの議員さんもこの本を読んだ方がいい。
 たぶん読んでもわからないでしょうね、わからないことを知ることが大事。

 例えば、ブラジャーなる下着を男は身につけたことがない。
 寄せてあげて、に女がどんなに苦労しているか、知る由もない。
 ましてや、まだ大きくなる前のカチコチの胸の頃の悶々を知らない。
 知ってどうするの?
 だから、「彼を知り」ですよ。百戦するんですよ。
 でも、敵ではないけど。

 そうはいっても、生理のことなどわかりません。
 そもそも小学生の頃に、女子だけ別の教室に集められて何やら行っていたのが、来たるべき初潮への対処方法で、その時幼い男子たちはたわいもない妄想を膨らませていたはず。
 女はそのことをご存じだろうか。
 そんなものよ、男なんて、っていわれそう。

 この本にはそういう話がたくさんあって、そうか、そうだったのか、と男は納得する。
 益田ミリさんの面白さは、女にとって同性の納得であり、男にとっては「彼を知る」手段となる。
 だから、心配なのだ。
 男に手の内を見せ過ぎ、と女たちから非難されないかと。
 この人男のスパイじゃない、と女たちから疑われないかと。
 今のところはそんな心配はないようだ。
 女の支持も高い。

 この文章の「男」とか「女」とあるのは、「男性」とか「女性」と書くべきですが、本のタイトルに「女」が使われているためです。
 けっして、蔑視しているわけではありませんから、念のため。
  
(2014/10/10 投稿)

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  今日は
  松田哲夫さんの『縁もたけなわ』という
  本を紹介します。
  実はこのタイトル、
  松田哲夫さんは最初気にいらなかったそうだ。
  「宴もたけなわですが、そろそろお開きに」みたいな
  感じがしたそうです。
  だから、雑誌連載中は別のタイトルだったのだが
  単行本化にあたって
  このタイトルにした。
  松田哲夫さんは、
  「ぼくも六十六歳、そろそろ「お開き」の時間」と
  書いているが、
  松田哲夫さんのような人がいないと
  さらに本離れに拍車がかかります。
  『縁もたけなわ』の
  パート2がでるくらい
  いっぱいいっぱいがんばってください。

  じゃあ、読もう。

縁もたけなわ: ぼくが編集者人生で出会った愉快な人たち縁もたけなわ: ぼくが編集者人生で出会った愉快な人たち
(2014/08/29)
松田 哲夫

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sai.wingpen  人の縁とは不思議なもの                   

 本の広告を見ていると、「王様のブランチで絶賛!」とかいう惹句をよく見かける。
ならば、読んでみるか、と思う人も多いと思う。
 「王様のブランチ」というのはTBS系の情報番組だが、その中の本の紹介コーナーが今やどんな長い書評よりも多くの読者の関心をひいているのだ。
 ここで絶賛されれば、発行部数まで伸びるともいわれている。
 その顔が、この本の著者松田哲夫さんだ。
 本当は「王様のブランチ」というより、本当は松田哲夫さんが絶賛というのが正しい使われ方だろう。

 松田哲夫さんは筑摩書房の編集者として数々の本と関わってきた。
 『ちくま文学の森』とか『ちくま文庫』とか、そういえば『ちくまプリマー新書』も、松田さんの手によるものだ。
 だから、筑摩書房という会社ではエラい人(専務)までなった。
 そんな松田さんだが、「王様のブランチ」で筑摩の本だけを推奨したのではないところが、エラい。
 松田さんがいなかったら、最近のベストセラー事情も変わっていたかもしれないと思えるくらいだ。

 本書は「松田さんの編集者人生で出会った愉快な人たち」56人を紹介したエッセイだ。
 最初に紹介されるのが、画家の安野光雅さん。そういえば、筑摩の本の装丁は安野さんのものも多いし、みたいなつもりで読んではいけない。
 松田さんにとって安野さんは小学生の頃の美術の先生なのだ。
 松田さんはこのエッセイの冒頭にこう書いている。
 「世の中のほとんどのことは、偶然の重なりで起こっている」と。
 まさに、人の縁とは不思議だ。
 続く文化人類学者の山口昌男さんもそうだ。松田さんの中学の日本史の先生。
 松田さんが恵まれていたというより、そういう出会いを松田さんが大事にしていたということだろう。

 そのあと松田さんは伝説の漫画誌「ガロ」と運命的な出会いをし、長井勝一さんというこれまた伝説的な編集長と出合うことになる。
 そこから水木しげる、つげ義春、と縁はつながっていく。
 若い頃の縁も面白いが、最近の「王様のブランチ」の縁もたけなわである。
 関根勤さん、神田うのさん、そして優香さんと、満開だ。

 紹介されている人すべてに南伸坊さんの似顔絵がついていて、これもまたいい。
  
(2014/10/09 投稿)

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先週から始まった
10月のNHKEテレの「100分de名著」は
清少納言の『枕草子』。
学生の頃に習ったでしょ。
「春はあけぼの」なんて。
そこで、問題です。
「秋」のことを、
清少納言さんはなんていっているでしょう。
① 夕暮れ ② 紅葉 ③ 食欲
わかるかな。
答えは①の夕暮れ。
原文にこうあります。
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ。 二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。」
うまいですよね。
今でも十分に通用します。

清少納言『枕草子』 2014年10月 (100分 de 名著)清少納言『枕草子』 2014年10月 (100分 de 名著)
(2014/09/25)
山口 仲美

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でも、古典って苦手。
学生の頃からそうでした。
ですから、今回の「100分de名著」でその苦手を克服しようと
思っています。
題材的には申し分ありません。
講師は、日本語学者の山口仲美先生。
この先生、学術だけでなく
2007年には日本エッセイスト・クラブ賞まで
もらっています。
だから、とってもわかりやすい。

放映はいつものように毎週水曜夜11時から。
今夜が第2回めの放送になります。
2回めの今夜は、
「魅力的な男とは? 女とは?」なんて
核心をついてきますね。
ちなみに
先週の第1回めは「鮮烈な情景描写」、
来週は「マナーのない人、ある人」、
そして、
最終回は「エッセイストの条件」です。

山口仲美先生は
『枕草子』は「描写力抜群のマナー集」と
おっしゃっています。
男と女の関係にも
マナーが大事ですものね。

この番組はおもしろくて
為になります。
これまで見逃してきた
名著の数々に
残念で仕方ありません。
これからは
しっかり勉強していきます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  渡邉洋介さんの『「そのひと言」の見つけ方』も
  サイト「本が好き!」からの献本です。
  渡邉洋介さんは
  大手広告代理店電通のコピーライターです。
  私も若い頃コピーライターになりたいと
  漠然と思っていたことがあります。
  ちゃんと勉強もしなかったし
  思いもそんなに強くなかったのでしょう。
  とてもなれませんでしたが
  短い言葉で言い切る魅力は
  今でも憧れに近いものがあります。
  渡邉洋介さんはまだ若い方ですから
  その試行錯誤が
  却ってわかりやすさにつながって
  いるように思います。
  皆さんも
  「そのひと言」をぜひ見つけて下さい。

  じゃあ、読もう。

「そのひと言」の見つけ方  −言葉を磨く50のコツ−「そのひと言」の見つけ方 −言葉を磨く50のコツ−
(2014/09/17)
渡邉洋介

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sai.wingpen  「人たらし」になるための方法                   

 「誑(たら)す」という言葉がある。
 「言葉巧みにだますこと」みたいな意味で使われる。「女たらし」というのはこの言葉からできている。
 よく似た言葉に「人たらし」というのがある。
 これが「人の心を掴んで、誰からも愛される」と逆の意味に使われることが多い。
 「あの人は、人たらしだからね」と感心している様子が浮かぶ。
 気鋭のコピーライターである渡邉洋介氏が書いたこの本を読んで、「言葉を磨く」ということは、「人たらし」になることではないかと思った。
 もちろん、いい意味で。

 「ビジネスというのは人を動かすもの」と著者は書いている。
 人というのは動的なものでその活動のエネルギーが経済や社会を動かすのだが、実は実に動きがたいものだというのは、多くの場面で経験する。
 上司の指示であっても動かない部下、約束を破る友人、宣伝惹句にとびつかない消費者、等々。
 それはどうしてだろう。
 動かない相手が悪いのではなく、動かせない当方の方に問題があるかもしれない。
 「人たらし」の人から言われれば、何故か言うがままに動いてしまう。
 「人たらし」たる由縁であり、魅力だ。

 この本は「人たらし」の本ではない。
 広告の現場の実例を紹介しながら、「書く」「選ぶ」「練る」「粘る」「語る」といったそれぞれの過程でのコツを説いている本だ。
 けれど、それらの総体はそのようにして出来上がった言葉が人を動かす力になるというもの。
 そして、それは単に言葉が磨かれるというだけでなく、そのことによって人が動いてくれるということだ。
 これはりっぱな「人たらし」ではないか。

 「どうも口下手で」という人は多い。
 しかし、「言葉数が多いとか達者であることが重要ではない」と著者はいう。
 「そのひと言に発見があり、重みがあり、提案があり、実績があ」れば「人を動かす力」が生まれる。
 豊臣秀吉の「人たらし」は有名で、それは秀吉の天性のものだったかもしれないが、「言葉を磨く」ことで「人たらし」になれるのであれば、この本を読んで学習するのも悪くない。

 この書評でこの本が売れるとしたら、これもまた「人たらし」だろうが。
  
(2014/10/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私は昭和30年2月生まれです。
  ちょうど私と同じ学年の人は
  還暦を迎えます。
  すでになった人もいます。
  だから、還暦同窓会というのが流行っていて
  中学、高校と
  還暦同窓会開催の案内が届きました。
  もちろんいずれも大阪の学校です。
  せめてひとつくらいはと思って
  11月に開催される高校の同窓会に
  出ようと思っています。
  どんな話がでるのか
  わかりませんが
  同級生は
  つまりは同世代ですから
  いろんなことを同じように
  体験しています。
  今日紹介する
  『読書の腕前』を書いた
  岡崎武志さんは昭和32年生まれ。
  大きくいえば
  同世代です。
  だから、
  とっても馴染みます。
  そんな人が書いた読書の話ですから
  すみずみまでうれしくなってしまいます。

  じゃあ、読もう。

読書の腕前 (光文社新書)読書の腕前 (光文社新書)
(2007/03)
岡崎 武志

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sai.wingpen  わたしに似た人                   

 世の中にはよく似た人がいるものだ。
 そういえば、この本にロアルド・ダールの『あなたに似た人』という本も紹介されているが。
 特に世代が近いと、似ている点が多くなる。
 例えば、流行歌。例えば、TV番組。例えば、漫画。そして、作家たち。
 この本の著者岡崎武志氏は1957年生まれ。私より2歳年下。ほとんど同世代といっていい。
 だから、似ている点が多くなる。経験していることがよく似ている。
 「国語の教科書は文学のアンソロジー」という章では、著者の青春時代の読書体験が語られているが、「中学の頃漫画家になりたかった私にとって、永島(慎二)は神様だった」なんて、まったく同じだ。
 あるいは、北山修の『戦争を知らない子供たち』に夢中になったこと、うんうんそうだったよな、と肩を叩きたくなる。
 漫画誌「COM」の人気漫画家宮谷一彦へのことなど、あの時代を知っているものでしか書けない。

 さらには、イラストレーター和田誠への礼賛である。
 この本を読もうとしたきっかけは目次を見ていて、「もし和田誠がいなかったら・・・」というくだりがあったからだ。
 「もし、この世に和田誠が生まれていなかったら・・・そんな空想を許さないほど、もうわれわれは和田誠に浸かっている」と岡崎氏は書いているが、まったくもって同じである。
 もし和田誠が装丁をしなければ、読書量も減っていたかもしれない。

 そんな一つひとつがよく似ている。
 極めつけは、「気がついたらいつも一人だった。一人で、ただ黙々と本を読み、十代後半が過ぎていったのだ」という記述である。
 これ、私? といいたくなるくらいそっくりだ。
 ここまでくると、怖いくらいだ。
 もしかしたら、本好きには同じような習性があるものだろうか。

 岡崎氏は「なるべくほかのことにわずらわされず、ただ本を読むためだけに生きる。そんな人生もありか、と考える」と書いているが、本好きにとってそんな人生ができればいうことはない。
 その時に、青春時代に読んだ本たちをもう一度たずねるのも、またいい。
 本たちは、「あなたも読書の腕前があがったね」と言ってくれるだろうか。
  
(2014/10/06 投稿)

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  今年は残暑もきつくなく
  いい秋のはじめです。
  鈴木真砂女さんという俳人の句に
  秋の七草を詠んだこんな句が
  あります。

    秋七草嫌ひな花は一つもなし

  この花は男と読み替えてもいいのでは
  ないでしょうか。
  少なくとも
  真砂女さんはそうだったのではないかと
  勝手に推測してしまいそうになります。
  今日の絵本は
  そんな句とは遠いですが、
  秋の季節にはぴったりの作品です。
  いわむらかずおさんの
  『14ひきのやまいも』。
  この作品では
  山芋ほりの様子が描かれています。

    山芋を摺りまつしろな夜になる     酒井 弘司

  なんていう俳句もあります。
  山芋ほりを満喫した
  14ひきのねずみたちも
  まっしろな夜になったのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

14ひきのやまいも (14ひきのシリーズ)14ひきのやまいも (14ひきのシリーズ)
(1984/07/20)
いわむら かずお

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sai.wingpen  秋の七草、いえますか?                   

 萩、芒、葛、撫子、女郎花、桔梗、藤袴。
 秋の七草である。
 これらは秋に咲く代表的な植物だ。
 秋は紅葉だけでなく、七草のように花として愛でることもできる季節でもある。
 いわむらかずおさんの人気シリーズ「14ひき」は季節ごとに作品があって、花を愛でるようにページを開けば季節が味わえるのがいい。

 この巻は秋の山に14ひきのねずみ家族がやまいもほりにでかけるお話。
 一面秋の、あたたかい色調でうまっている。
 さて、やまいもの長いつるが伸びている場所にやってきた14ひきだが、ここで登場するのが「むかご」。
 「むかご」って何だ?
 文にはこうある。「やまいものつるになってる、おいしいむかご」。
 絵は木に登ってその「むかご」を取っている子どもねずみたちの姿。
 「むかご」って何だ?

 ネットで調べると「やまいもなどの地上の茎の葉腋にある芽が肥大して,球根と同様の性質をもつ塊状組織を形成する」とある。
 なかなか実物を見る機会は、今の子どもたちにはないかもしれない。
 こういう丁寧さがいわむらかずおさんの魅力といっていい。
 14ひきの中のおじいさんねずみが「いもほりめいじん」なように、失礼かもしれないが、いわむらかずおさんはおじいさんの知恵袋だ。
 そもそも子どもたちはやまいもがどういう状態であるのかも知らないのではないか。
 スーパーに行けば、風情もなく積んであるだけだし。

 本来そういうことは自然と学べたはず。
 秋の七草にしても、街の中ではなかなか見ることはない。
 そうなると、秋の七草さえ身近でなくなってくる。季節感がなくなって、ひどい目にあうのは私たちなのに。
 だからこそ、いわむらさんの「14ひき」シリーズは私たちが大切にしないといけない絵本だ。
 子どもたちに「歳時記」は難しいかもしれないが、いわむらかずおさんの絵本ならやさしい。
 やさしくて、季節感があって、しかもとろろ汁のおいしい匂いまでついてくる。
 いうことないではないか。
  
(2014/10/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  ポプラ社の「百年文庫」を
  読み続けていますが
  もう少しで半分くらいになるでしょうが、
  今まで読んだ巻の中でも
  白眉ともいえるのが
  31巻めの「」。
  ここに収められた作者の名前を書くと
  わかってもらえるのでは
  ないでしょうか。
  夏目漱石
  ラフカディオ・ハーン
  正岡子規
  まさに日本文学の礎を築いた3人です。
  国語の授業だけでなく
  歴史の授業にも出てくる
  3人ですが
  さすがに文章もうまい。
  そのうまさを堪能してもらいたいと
  思います。
  読書の秋ですよ、
  こういう作品に触れたら
  いい秋になりますよ。

  じゃあ、読もう。

(031)灯 (百年文庫)(031)灯 (百年文庫)
(2010/10/13)
夏目漱石、ラフカディオ・ハーン 他

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sai.wingpen  この巻は自信をもって薦めます                   

 各巻、名作であったり有名でないが個性のあったりする短編小説3編を収録する「百年文庫」。
 その31巻めは、豪華だ。
 収録されているのは、夏目漱石、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲である)、それに正岡子規の作品である。
 巻につけられたタイトルが「灯」。
 この三人はさしずめ日本の近代文学の「灯」であったといえる。
 短編であるから、漱石は「琴のそら音」、ハーンが「きみ子」、子規は「熊手と提灯」他の作品、なじみがないかもしれないが、いずれもいい作品が収録されている。

 この巻の3人には関連がある。解説も収録順ではなく、その関係で書かれている。
 まず、ハーンである。小泉八雲の日本名も有名で、彼の書いた怪談は今も愛読者が多い。
 ここに収録されている「きみ子」は芸者として生きた女性の凛とした姿を描いた好編だ。わざわざ訳者の名前がはいっているから、ハーンはこの作品を英語で書いたのだろう。
 それでいて、日本人の美しい姿が見事に描かれていることに、ハーンの日本への愛情を感じる。
 ハーンが東京帝国大学の職を解任されたあと、その後任を勤めたのが夏目漱石である。
 漱石のこの「琴のそら音」は初期の作品ながら、そして中期以降の重厚さはないが、軽妙で微笑ましい短編になっている。
 結婚を控えた男が許婚の風邪の容態に右往左往する姿が描かれている。『坊っちゃん』の主人公を彷彿させるものがある。
 この時期の漱石は、書けることの喜びに嬉々としていたのではないか。

 そして、正岡子規である。子規と漱石は友人であり、漱石にとって子規は俳句の先生でもあった。
 子規と漱石がいたから、日本語は格段に進歩したといえる。
 もし、あの時代にこの二人がいなかったら、日本文学の様相はもっとちがったものになったはず。
 この巻では、「飯待つ間」「病」「熊手と提灯」「ラムプの影」という、いずれも短いエッセイが収められている。
 中でも「病」はこのあと生涯子規を苦しめた肺結核を発症した頃の様子を描いているが、子規自身動揺があったはずだが、そんな自身を突き放して描く姿は早すぎる晩年に彼が描き続けた『墨汁一滴』などにつながっている。

 この巻こそ「百年文庫」の「灯」ではないだろうか。
  
(2014/10/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は「図書館のすべてがわかる本」シリーズの
  最終巻、
  『図書館をもっと活用しよう』を紹介します。
  このシリーズ全4巻ですが
  4巻とも監修は秋田喜代美さん。
  秋田喜代美さんは
  教育学者です。
  このシリーズの素晴らしいところは
  とっても幅広く図書館のことが書かれている点。
  しかも
  簡潔で図版もあってわかりやすい。
  こういう本を子どもだけに独占させておくのは
  もったいないですね。
  大人の皆さんも
  ぜひ読んでみて下さい。
  図書館の魅力、
  本の魅力、
  読書の魅力に触れることができますよ。

  じゃあ、読もう。

図書館をもっと活用しよう (図書館のすべてがわかる本)図書館をもっと活用しよう (図書館のすべてがわかる本)
(2013/03/04)
不明

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sai.wingpen  図書館は進化し続ける                   

 児童向けに書かれた「図書館のすべてがわかる本」全4冊の最後の巻は、最新の図書館事情を紹介しながら今後の図書館のありかたまで描かれて、読み応え十分である。これが児童向けなのかと思いたくなるぐらいだ。
 この巻の刊行が2013年3月ということで、佐賀県武雄市図書館の最新の情報まで収められている。
 武雄市図書館の場合は、民間のカルチュア・コンビニエンス・クラブを指定管理者にするということで話題を呼んだが、この本の中では図書館を変えることで地域の活性化につながるというねらいもあったと、これからの図書館の新しい役割が提起されている。
 これからの図書館は単に本を借りたり読んだりするだけでなく、「本を通して交流する場所」であるということだ。

 最近の図書館に行ってみればよくわかる。
 子ども向けの「おはなし会」だけでなく、ビジネスマン向けに経営指導も行っていたりする。
 「孤読」(個人で読書すること)ではなく、「共読」の企画があったりする。
 人が交流する機会を図書館が考え始めたということだ。
 第1巻の「図書館のはじまり・うつりかわり」にも紹介されていたが。エジプトの新アレクサンドリア図書館は図書館という以上に文化センターとしての役割も大きい。
 この本では古代のアレクサンドリア図書館を舞台にした映画の紹介までしている。
 至れり尽くせり、とはこのことだ。

 最近の図書館はほとんどインターネット検索ができる。
 この本でもそのことがきちんと紹介されている。
 一方で図書館の「レファレンスサービスの上手な活用法」といったことも説明されている。
 ついネット検索で調べ物をすることが多いが、図書館司書による「レファレンスサービス」は高齢化社会とともにさらに必要になってくるのではないだろうか。

 このシリーズは児童向けではあるが、内容はとてもいい。
 しかも、最新の図書館事情がよくわかる。
 こういう本が児童図書館で所蔵されていては大人たちはなかなか読むことができないのではないか。
 児童図書だって、大人も借りれることをお忘れなく。
  
(2014/10/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は「図書館のすべてがわかる本」の3巻め、
  『日本と世界の図書館を見てみよう 』を
  紹介します。
  前にも書いたことがありますが
  私の住んでいるところから近いところに
  公立図書館が3つあります。
  みんな同じかというと
  やっぱり個性があります。
  社会人に力をいれている、
  児童書が充実している、
  最新の設備がそろっている、
  さまざまです。
  多分
  皆さんの住んでいる街の図書館も
  そうだと思います。
  あるいは、
  この本の中でも紹介されていますが
  東京・上野の「国際子ども図書館」。
  ここには私も何度か行きましたが
  児童書は充実していて
  なかなか普通の公立図書館ではない
  本がそろっています。
  図書館もたくさんあります。
  図書館散歩も楽しいかも。

  じゃあ、読もう。  

日本と世界の図書館を見てみよう (図書館のすべてがわかる本)日本と世界の図書館を見てみよう (図書館のすべてがわかる本)
(2013/02/22)
不明

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sai.wingpen  世界は図書館にあふれている                   

 児童向けに書かれた「図書館のすべてがわかる本」全4冊の3冊めは、世界と日本のさまざまな図書館を紹介している。
 埼玉の鉄道博物館にある「てっぱく図書室」や長野県小布施にある「まちとしょテラソ」など、新しくてユニークな図書館が紹介されているのは、うれしい。
 最近話題となっている佐賀県武雄市図書館はこの巻では紹介されていないが、4巻めに登場してくる。

 それでも世界の図書館の紹介館数は少ないが、これは仕方ない。
 それでもストックホルム市立図書館の写真を見ると、一度は行ってみたい気になる。
 この本自体が児童向けであるから、「学校図書館と大学図書館」という章もある。
 「学校図書館」は学校図書館法で原則的に学校の数だけあるという。ちなみに、小学校、中学校、高校までの図書館が「学校図書館」で、大学は「大学図書館」と呼び方が変わる。

 この本では「国立図書館」も紹介されている。
 実際に何度か「国立国会図書館」に行ったことがあるが、街の公共図書館とちがって、厳かな感じがする。ここに日本の叡智がすべてあるのだと、思ってしまうからだろうか。
 あまり知られていないのが、東京上野にある「国際子ども図書館」。ここは国立国会図書館の分館で、国立の児童書専門図書館。
 なにしろ、この建物は1906年に帝国図書館として建てられたものを利用している。
 この本では、この図書館の館内施設の案内図や館内の写真も掲載されている。
 ぜひ、一度は行っておきたい図書館である。

 私たちは近くにある公共図書館を使うことが多い。
 大きな街の図書館は充実しているが、小さな街では所蔵冊数も限られている。
 それでも、この巻で紹介されている図書館は、できるだけ多くの人に利用してもらおうとさまざまな工夫をしている。
 そのことを子どもたちだけでなく、おとなの私たちもしっかり学ばないといけない。
  
(2014/10/02 投稿)

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