プレゼント 書評こぼれ話

  先週ショーン・タン
  『夏のルール』を
  絵本として紹介しましたが
  やはりあれは
  難しかったですね。
  そこで今日は
  絵本らしい一冊を紹介します。
  五味太郎さんの
  『ぞうはどこへもいかない』。
  五味太郎さんの絵本は
  娘たちが小さい頃
  たくさん読んであげました。
  五味太郎さんの
  絵のタッチが好きでした。
  娘たちが成長して
  絵本と触れ合うのは
  子ども抜きの
  私だけの世界になって
  いせひでこさんとか長谷川義史さんとか
  たくさんの絵本作家を
  知るようになりましたが
  五味太郎さんは
  私にとって
  絵本の原点のような
  作家さんの一人です。
  今日の一冊は
  ぜひお子さんと一緒に
  読んで下さい。

  じゃあ、読もう。

ぞうはどこへもいかないぞうはどこへもいかない
(2013/10/17)
五味 太郎

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sai.wingpen  ぞうはどこでも人気者                   

 童謡「ぞうさん」は、詩人まどみちおさんの代表作である。
 「ぞうさん/ぞうさん/おはながながいのね/そうよ/かあさんもながいのよ」。
 きっと誰もが唄ったことがあるだろうこの詩は、実にシンプルで明解だ。
 だから、親しまれているのだろう。
 この歌がなくても、子どもはぞうさんが大好きだ。
 身体が大きく、動きもゆっくり。大きな耳、長い鼻。子どもにもわかりやすい体型をしている。
 パンダやコアラといった新しい人気者が現れても、ぞうさんはダントツに人気が高い。

 絵本作家五味太郎さんの描くぞうさんもわかりやすい。
 たぶん写実という点ではちがうのだろうが、これはやはりぞうさんでしかない。
 ある日草原を歩いているぞうさんに近寄る怪しいヘリコプター。そこからのびる大きな網。
 ぞうさん、あぶないよ。
 ページから子どもたちの叫ぶ声が聞こえそうだ。
 連れ去られたぞうさんはもっと大きな飛行機に乗せられて、もっと遠くに運ばれていく。
 そして、ついに、ぞうさんは飛行機から落とされて。
 ページをめくる子どもたちの心臓の音が聞こえそうだ。

 心配しないで。
 ぞうさんはぞうさんよりもっと大きな落下傘でふんわりと地上に届く。
 そこは街の動物園。
 ぞうさんを歓迎する人々でいっぱいだ。
 でも、ぞうさんはうれしくなんてない。
 だって、突然連れてこられたんだもの。
 さあ、ぞうさんは住んでいた草原に帰れるでしょうか。

 五味さんの絵は、まどさんの詩のようにとてもシンプル。
 配色もごちゃごちゃしない。
 緑、赤、青、灰色、クレヨンそのままでわかりやすい。
 僕にも描けるよ、そんな子どもたちの声が聞こえそうだ。
 それでいて、ちょっとハラハラ。
 だって、ぞうさんがどこに行くのか心配したり、あんなに大きなぞうさんが空に浮かびあがったりするのだから。

 きっと子どもたちは五味さんの絵本が大好きにちがいない。
 だって、五味さんの絵本には子どもの心がいっぱいだもの。
  
(2014/11/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日
  17歳の時に書いた
  アーサー・ペン監督の「奇跡の人」の映画評を
  紹介しましたが
  あの頃、
  私は映画にはまりこんでいました。
  高校の授業が終わると
  よく友人たちと試写会に行ったものです。
  映画にはまる一方で
  漫画にも夢中になっていました。
  そんな時代に大好きだったのが
  今日紹介する永島慎二です。

  永島

  この本は
  1970年に筑摩書房から刊行された
  全12巻の『現代漫画』(第2期)の内の一冊です。
  ちなみにそのラインナップを紹介すると
  清水崑富永一郎馬場のぼるなどの名前が
  あります。
  写真に載せたのは
  永島慎二の自画像ともいえる
  漫画家のイラストです。
  なんだか同窓会以来
  あの時代が懐かしくて
  たまりません。
  とっくに過ぎ去ったはずですが
  どうしてこんなに
  懐かしいのでしょう。

  じゃあ、読もう。

現代漫画〈第2期 8〉永島慎二集 (1970年)現代漫画〈第2期 8〉永島慎二集 (1970年)
(1970)
鶴見 俊輔、佐藤 忠男 他

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sai.wingpen  1970年私は永島慎二の漫画に夢中だった                   

 永島慎二は1970年代「青年漫画の教祖」と呼ばれるほど若者たちの人気を集めた漫画家です。
 初めて永島の漫画を読んだのはいつだったか、それが何だったか忘れてしまったが、17歳の頃永島の漫画に夢中になったことだけははっきり記憶している。
 なかでも『漫画家残酷物語』には夢中になったし、そこから永島の短編作品を読み漁った。
 しかし、商業的には成功を治めただろう梶原一騎原作の『柔道一直線』は読んでいない。なんとなく永島にとっても不本意な作品だったような気がする。

 本集は初版が1970年となっている。
 『漫画家残酷物語』から3編(残念ながら私の好きな「陽だまり」は掲載されていない)、『フーテン』、『若者たち』からそれぞれ1編、そのほかに初期の作品『愛犬タロ』や『殺し屋人別帳』などが収めれている。
 さらには永島自身による自解と佐藤忠男の解説がはいっている。

 1970年といえば、私は15歳。
 日本中が大阪で開催された万博に熱狂していた年でもある。
 しかし、誰もが浮かれていたわけではない。
 生きることに悩み、何をすべきかわからず、どこに行くべきかを模索していた若者たちがいたことは間違いない。
 学生たちは70年安保にさまよい、その弟分である私たちはぼんやりしていた。
 永島慎二はそんな世相にあって、生きることの悩みを隠すことはなかった。
 だから、若者たちは永島の漫画に吸い寄せられていったのではないだろうか。

 永島の描く青年たちは、それは男であれ女であれ、どうしてあんなに悲しそうな表情をしていたのだろう。
 万博に象徴されるようにこの国は高度成長期にあったが、若者たちにとって生きやすい社会とはいえなかった。
 永島の漫画はそんな若者たちをしっかりと見つめていた。
 そして、何よりもそんな若者たちを非難することはなかった。

 永島慎二は2005年6月、70歳にもならないうちに亡くなった。
 晩年は漫画家として大きな活躍をしたわけではない。
 けれど、1970年代に若い世代であったものたちにとっては、永遠に私たちのダンさん(これが永島の愛称)であったといえる。
  
(2014/11/29 投稿)

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   昨日
  原田マハさんの『奇跡の人』を
  紹介しましたが
  その中で
  アーサー・ペン監督の映画『奇跡の人』に
  少し触れました。
  実はこの映画は
  私が17歳の時に
  映画雑誌「キネマ旬報」の「読者の映画評」に
  掲載された作品でも
  あります。
  2009年12月にそのことを
  このブログで紹介したことがありますが
  今日は
  昨日の続きのようにして
  再録しておきます。
  機会があれば
  またぜひ観てみたい
  映画です。
  それにしても
  17歳の私は暗いなぁ。

  じゃあ、観よう。

奇跡の人 [DVD]奇跡の人 [DVD]
(2007/02/02)
アン・バンクロフトパティ・デューク

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sai.wingpen もし、うつむくことが一つの自己表現として許されるのなら、ぼくはうつむく若者でありたい。
 空をふりあおぐことだけが若者の特権であるというなら、ぼくはそれに反発したい。
 強い人間よりも弱い人間になりたい。
 近ごろのぼくは、しみじみそう思っていた。

 そんな頃、この<ふりあおぐ>映画を見た。
 それは、ぼくに対する挑戦だった。
 見ることも聞くことも、それにしゃべることもできない一人の少女がふりあおぐことによって得た”水”という言葉。
 そして、その少女をふりあおがせてみせた女先生。
 二人がかりでふりあおぐことのすばらしさを、喜びを、これでもかとばかり、うつむいたぼくに見せつけてくる。
 ぼくは、ただ、試写会の固い椅子の上で、身を震わせているだけだった。
 恐かったんだ。
 生きることに、これほどまでに執念を燃やす、二人の人間が。

 ぼくのまわりには、欲望を満たすだけのある程度の自由がある。
 その中で、ぼくは権力を持ちたくはないのだ。
 弱い人間でいたいのだ。
 しかし、少女には色も音もない暗黒の世界しかない。
 彼女は、自分のまわりの全てを知りたいのだ。
 欲望を満たしたいのだ。
 だから、彼女にはうつむくことは<死>であり、ふりあおぐことしかできないのだ。-彼女が、両手を宙にかざし、ヨロヨロと何か(!)を求めて歩くシーンは、ぼくを強烈にたたきのめした。
 だが・・・・。

 見終わった時、ぼくはやっぱりうつむいたままだった。
 三重苦をふりあおぐことによって乗り越えた少女を見たからといって、ぼくはふりあおげないんだ。
 ふりあおいで生きることはすばらしい。
 でも、ふりあおいで権力をもちたくない。
 ぼくは、うつむくことこそ、権力を捨てた、自己表示ではないかと思うのだ。


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プレゼント 書評こぼれ話

  どうも私の中で
  原田マハさんの評価は
  乱高下するようだ。
  『楽園のカンヴァス』や『太陽の棘』はよかったが
  『翔ぶ少女』』は期待はずれでした。
  その時の書評のタイトルが
  「原田マハなら別の少女が描けたはず」。
  その時と同じような感想を
  今日紹介する
  『奇跡の人』にも
  持ちました。
  読んだ作品のことは
  できるだけほめてあげたいと思うのですが
  この作品は
  あまり好きになれませんでした。
  ヘレン・ケラーの話を
  題材にしているのはよくわかりますが
  こういう書き方でない方が
  よかったのではないでしょうか。
  ヘレン・ケラーが介良(けら)れん、
  サリバン先生が去場安(さりばあん)という
  名前に変わっているのには
  あんぐりです。
  日本には珍しい苗字もたくさんあるでしょうが
  去場さんって
  本当にいるのでしょうか。

  じゃあ、読もう。

奇跡の人 The Miracle Worker奇跡の人 The Miracle Worker
(2014/10/21)
原田 マハ

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sai.wingpen  ヘレン・ケラーが介良(けら)れんになるなんて                   

 『奇跡の人』というタイトルですぐに思い出すのは、1962年に制作されたアメリカ映画だ。
 もともとは演劇作品だが、好評でその後アーサー・ペン監督によって映画化され、話題を呼んだ。
 「奇跡の人」と呼ばれたのは見えない、聞こえない、話せないという三重苦の障害を持ちながらそれを克服したヘレン・ケラー女史のことで、少女時代の彼女を演じたのはパティ・デュークでこの年のアカデミー助演女優賞を受賞している。
 彼女以上の熱演で主演女優賞を受賞したのが、ヘレンを奇跡へと導く家庭教師アン・サリバン役を演じたアン・バンクロフトだ。
 この映画を初めて観たのはリバイバル上映された1972年、高校生の時だ。
 草原を何かを求めさまようヘレンの姿に感動したことをよく覚えている。

 その物語を下敷きにして、日本の明治の物語に置き換えたのがこの作品である。
 原田マハがどのような意図でヘレン・ケラーとサリバン女史の物語を書くつもりになったのか知らないが、障害を持った少女の名前が介良(けら)れん、彼女の家庭教師となる女性を去場安(さりば あん)と名づけたのは、遊びが過ぎる気がする。
 ヘレンの物語を日本を舞台に置き換えるのであれば、名前もそうすべきであったと思う。
 それとも原田は近い名前にすることで、元の戯曲なり映画を喚起しようとしたのだろうか。

 ヘレンが「水」という言葉を最後にさがしあてる有名なラストシーンも、この作品でも同じように使われているが、あまりにも無理があるような気がする。
 もっと肩の力を抜いて描けば、まったく違った作品になっただろうに。
 あえていうなら、れんの物語の導入部に登場する盲目の津軽三味線をひく女性が、少女の頃にれんの最初の友人となってれんの教育に一役買っているという設定が面白いといえばいえる。

 原田マハはもしかしたら、あまりに映画作品がよくて、自分でも書きたくなったのかもしれないが、それならもっと大きく自分の世界に変えてもよかったのではないか。
 残念である。
  
(2014/11/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  従軍慰安婦報道や
  福島第一原発事故に関わる吉田調書問題といった
  朝日新聞の誤報問題で
  朝日新聞だけでなく
  新聞のありかたそのものが問われている昨今。
  特に朝日新聞は購読者離れもあるとか
  事態は深刻です。
  私もここ数年はずっと朝日新聞
  購読しているのですが
  やはりこういうことが起こると
  気にかかります。
  そんな眼で読むからなのか
  最近の「天声人語」も力がないように
  感じます。
  今日紹介する
  後藤正治さんのノンフィクション作品
  『天人』は
  副題に「深代惇郎と新聞の時代」とあるように
  かつて「天声人語」の名を高めた
  深代惇郎の人生をたどったものです。
  昔がよかったという言い方は
  月並みですが
  戦争をとめられなかった戦時中の新聞の反省もあって
  深代惇郎の活躍した時代は
  まっとうだったような気がします。
  今だからこそ
  この本が読まれる意味は
  大きいと思います。

  じゃあ、読もう。

天人 深代惇郎と新聞の時代天人 深代惇郎と新聞の時代
(2014/10/10)
後藤 正治

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sai.wingpen  新聞人が今なすべきこと                   

 新聞各紙には有名なコラムがそれぞれある。
 朝日新聞は「天声人語」、読売新聞は「編集手帳」、毎日新聞は「余禄」、産経新聞は「産経抄」、日本経済新聞は「春秋」といったように。
 なかでも、「天声人語」は人気が高い。
 「天に声あり、人をして語らしむ」という故事からつけられた名前で、1904年から掲載が始まったというから100年以上続いていることになる。
 「天人」と呼ばれる「天声人語」の書き手は歴史の数だけいるが、今でも人気が高いのは、この本で取り上げられている深代惇郎(じゅんろう)だ。
 深代が「天声人語」を担当したのは1973年2月15日から75年11月1日までの2年9ヶ月である。歴代の「天人」の執筆期間と比べて短い。
 それでも人気が高いのは、深代の文章がうまかったこともあるが、46歳で逝去したこともある。
 深代の最後の「天声人語」からわずか1ヶ月余りの突然の死は多くの読者を驚かせた。
 そして、深代は伝説の「天人」になっていく。
 本書は深代惇郎という「一人の新聞記者の生涯」をたどりつつ、深代の生きた「戦後の新聞史」も描いてみせる労作である。
 皮肉にも「天声人語」の朝日新聞に誤報問題が起こっている今、本書は新聞のありかた、新聞人のありかたを問うた作品ともいえる。

 当然深代の人物についての言葉が随所にあるが、端的に表せば「深代は<社会>に寄り添い、<素人>目線でコラムを書き続けた人」ということになる。
 生まれもった素養もあるだろうが、子どもの頃から青春期、そして新聞人という時代が深代を作り上げていったともいえる。
 著者の後藤正治の言葉でいえば、「人はだれも、たまたま生まれ落ちた時代のなかで人生を送る」のだ。
 ふりかえれば、誰もが時代の子である。

 「人間のもつ弱さや愚かさや挫折を噛み締めたことのないものがどうして人の心に届くものを書けようか」と、後藤は深代の離婚の話も書いているが、最近の朝日新聞の問題もこんなところにあるような気がする。
 新聞人がいつのまにか高慢になって、自分の声を「天の声」だと誤解しているのではないだろうか。
 深代はかつて「天声人語」の中でこう書いた。「民の言葉を天の声とせよ、というのが先人の心であったが、その至らざるの嘆きはつきない」。
 深代惇郎の天からの声に、しばし耳を傾けたい。
  
(2014/11/26 投稿)

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  今日は
  池井戸潤さんの「半沢直樹」シリーズの
  第2作めにあたる
  『オレたち花のバブル組』を
  紹介します。
  私がTBSドラマ「半沢直樹」にはまったのは
  丁度ドラマの後半、
  この本が原作になったあたりから。
  だから、
  今回原作を読んで
  随分雰囲気が違うと感じました。
  そもそもあれほど
  「倍返し!!」というフレーズが話題になりましたが
  原作ではあまり使われていないのですね。
  まさにドラマの勝利。
  そろそろ
  ドラマの続編の声が聞こえてきそうな気がしますが
  はたしてどうでしょうか。
  あえて
  書いておきますが
  原作ももちろん面白いですよ。

  じゃあ、読もう。

オレたち花のバブル組 (文春文庫)オレたち花のバブル組 (文春文庫)
(2010/12/03)
池井戸 潤

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sai.wingpen  小説はドラマほど劇的ではない                   

 テレビドラマ「半沢直樹」は、2013年にTBS系で放映され人気を博した番組である。
 放映されたのは2013年7月から9月と今から振り返れば思った以上に短い期間だが、キャッチコピーである「やられたらやり返す、倍返しだ!!」で、めきめきと視聴率が上昇し、最高視聴率は平成の時代になってのドラマ部門の記録を更新した。
 銀行を舞台にしたビジネスものだが、歯切れのいい半沢の言い回しは時代劇風でもあり、そのスーパーマン的活躍に視聴者は熱狂した。
 本作はそのドラマの第二部の原作である。
 主人公の半沢が東京本社の営業第二部次長に栄転してからの活躍を描いている。

 東京に戻った半沢は伊勢島ホテルという老舗のホテルの再建を任される。
 しかし、そこには銀行内部の確執や出世欲にからんだ不正がうずまいていた。過剰融資の返済が滞りそうなところに金融庁検査がはいってくることになる。
 半沢は次々に追い込まれていく。
 この伊勢島ホテルの問題が縦糸だとすれば、半沢の同期の近藤の出向先であるタミヤ電機を舞台にしたずさんな経理と謎の融資問題が横糸だといえる。
 ドラマでもこの近藤の登場する場面は面白かったが、原作であるこの作品を読むとほとんど一個の作品ともいえるくらいのめりこむ出来栄えである。
 半沢が活躍する伊勢島ホテルよりも近藤が苦悩するタミヤ電機を舞台にしたエピソードの方が面白いくらいだ。
 もちろん、最後には二つの糸が織りなされ、半沢の宿敵ともいえる大和田常務を追い詰めていく。

 半沢や近藤は「空前の大量採用時代」に入行した「バブル入行組」だが、だからといって安定していた訳ではない。むしろ、「大量採用だけにセレクションは厳しく」、本店営業部の次長になった半沢のような人物がいたり、近藤のようにすでに出向組になったものもいる。
 近藤の登場する場面が面白いのは、そのように負け犬になった者がそれでも必死に働こうとする姿だし、最後には正しい選択を捨ててまで本流に戻ろうとする、人間の弱さが描かれている点だろう。

 ドラマを見た人には原作は物足りないかもしれないが、あのドラマほど世界は劇的ではない。
  
(2014/11/25 投稿)

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  今日は三連休の最後で
  お休みという人も多いでしょうね。
  まさに紅葉のシーズンまっ盛りで
  紅葉狩りを楽しんだ人も
  多いのではないでしょうか。

    紅葉

  紅葉は秋の季語ですが、
  あえて一句紹介します。

    手に拾ふまでの紅葉の美しき    和田 順子

  そして、今日紹介する一冊は
  そんな季節にぴったりの
  愛の物語です。
  葉室麟さんの『風花帖』。
  さすがに
  葉室麟さんはうまい。
  葉室麟さんらしい作品に仕上がっています。
  紅葉を愛でながら
  こういう物語を読むという贅沢。
  まさにお薦めの一冊です。

  じゃあ、読もう。

風花帖風花帖
(2014/10/07)
葉室 麟

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sai.wingpen  人はどれだけ人を愛せるか                   

 人はどれだけ人を愛せるのだろう。
 葉室麟のこの物語を読みながら、そのことを思った。
 かつて生涯守ると約束した愛する人がいて、さまざまな事情で別れを余儀なくされ、しかも別の人と結婚したあと再会する。それでも、人はその人を愛し続けることができるのか。
 答えは、できる。
 私はできると信じたい。

 物語の舞台は江戸時代の九州小倉。
 藩を二分するお家騒動に巻き込まれる主人公の新六。新六は夢想願流を遣う剣の使い手だが、性格はきわめて静かだ。
 夢想願流というのはまるで蝙蝠が飛翔するかのごとく秘伝の剣法を有しているが、二つの対峙する派閥に揺さぶられていく新六そのものが、鳥でもなく獣でもない蝙蝠の悲しみに重なる。
 新六にはかつて思いを寄せた吉乃という女人がいた。
 以前その吉乃が一人の侍に悪戯をされかかった時、新六はそれを助け、その侍を御前試合で叩きのめしたことがあった。
 新六は吉乃を助けた際に「生涯吉乃を守る」と伝えている。
 しかし、新六は御前試合の振る舞いを問われ、江戸詰となり小倉を離れざるをえなくなる。

 吉乃は新六の思いを知らないまま、他家に嫁いでいく。
 その婚礼の場に江戸から戻った新六が現れる。新六にとって、他人の妻となっても吉乃は守らなければならない女人に変わらなかった。
 吉乃の夫が派閥争いに巻き込まれようとすればそれを助ける。
 夫が罪に問われれば、吉乃が悲しむ、そのことが新六には耐えられない。
 そうして、新六は派閥争いの深みにどんどんはまっていく。
 それでも、新六はただ一人の女人吉乃のために生きようとする。それが、死につづく道であっても。

 新六の行動は蝙蝠のようと謗られても、彼は動じない。
 行動のすべては愛する人を守るただそのことだけ。
 新六に救いがあるとすれば、吉乃がやがて新六の思いに気づくことだ。
 「藩の政争に巻き込まれながらも汚れることのなかった新六」の姿こそ、冬晴れの青空に舞う風花のようだ。
 人はどれだけ人を愛せるか。その答えが、ここにある。
  
(2014/11/24 投稿)

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  今日は勤労感謝の日

     何もせぬことも勤労感謝の日     京極 と藻

  もう街はすっかり冬気分。
  それなのに今日紹介するのが
  ショーン・タンの『夏のルール』という
  絵本というのも
  自分でもどうかと思っています。
  もし風邪でもひいているようであれば
  すみません。
  でも、
  この絵本読みたかったんです。
  何しろ描いたのが
  『アライバル』のショーン・タンでしたから。
  この人の絵のタッチ、
  なんともいえないですよね。
  こういう作品は
  日本の絵本作家では
  なかなかいませんよね。
  そもそも
  絵本は子どものものという先入観を
  私たちは持ちすぎではないかな。
  大人も楽しめる
  そんな絵本はいっぱいあるのですよ。

  じゃあ、読もう。

夏のルール夏のルール
(2014/07/23)
ショーン タン

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sai.wingpen  これは夢か、それとも「近未来」か。                   

 「近未来」というのは、どのぐらい先のことをいうのだろう。
 手塚治虫の代表作「鉄腕アトム」で主人公のアトムが誕生するのは2003年という設定になっている。漫画雑誌に連載されていたのが、1950年代だから、50年先あたりが「近未来」ということになるのだろうか。
 SF映画などでは核戦争が起こって地球に人が住めなくなるのも「近未来」だし、宇宙への移民が始まるのも「近未来」だ。
 どちらかといえば、けっしてバラ色ではないのが「近未来」のような気がするがどうだろう。

 名作『アライバル』で多くの読者を魅了したオーストラリアの絵本作家ショーン・タンのこの作品も「近未来」を描いた作品だ。(あるいは、夢か)
 登場するのは、兄と弟。
 この二人以外に人の影はない。
 二人だけで過ごした「去年の夏」。弟はそこで生きる知恵のようなものを学ぶ。
 たとえば「赤い靴下を片方だけ干しっぱなしにしないこと。」
 では、干しっぱなしにしたらどうなるのか。それは絵で解説されている。
 兄弟の数倍もある巨大ウサギが赤い目を光らせて横行する。
 たとえば「裏のドアを開けっぱなしたまま寝ないこと。」
 ではどうなるか。
 部屋の中に異界のものたちであふれかえってしまう。
 そういうなんともいえない世界に兄弟を二人きりで生きている。

 はたしてこれは夢か、それとも「近未来」か。
 どうしてショーン・タンはこのような世界を描いたのか。
 実は私には何にもわかっていない。
 そこにファンタジーすら感じえない。
 それってどうなの?
 読む時を間違ったのだろうか。
 もし、私が十代の少年であったら感じるものは違うのだろうか。
 勇気とか冒険とか。
 もし、私が二十代の青年であったら受け取るものは違うのだろうか。
 反省とか悔恨だとか。

 一冊の絵本は読者にさまざまな思いをもたらす。
 そこにあるのは、自由だ。
 けれど、この作品は私には少し難解すぎる。
 それはショーン・タンのせいではなく、私のせいだと、たぶんそう思う。
  
(2014/11/23 投稿)

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  還暦同窓会から
  一週間近くありますが、
  まだ同窓会の余韻のまま。
  大阪の高校を1973年に卒業しました。
  今回の還暦同窓会
  その時の高校のもの。
  会場ですでに還暦を迎えて同級生は
  半分以上。
  私はこれから。
  あと半年を切りました。
  一年の浪人のあと
  東京の大学に行きました。
  好きだった同級生の女の子には
  上京して間もなく
  見事に振られました。
  そのあと、いいことはありませんでした。
  寮生活も二年で嫌になり
  彼女が住んでいる街に引っ越しました。
  それが今日紹介した
  高平哲郎さんの『ぼくたちの七〇年代』の時代でしょうか。
  今日は再録書評で紹介します。
  一度だけ彼女と引っ越した街で会ったことが
  あります。
  なんとも甘酸っぱい思い出です。
  そんな頃流行っていたのが
  小坂恭子さんの「思い出まくら」。
  そんなことを
  今でも思い出します。

  じゃあ、読もう。

ぼくたちの七〇年代ぼくたちの七〇年代
(2004/01/01)
高平 哲郎

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sai.wingpen  こんな日はあの人の真似をして−私の思い出まくら  

 「わが巨人軍は永久に不滅です」そういってミスター・ジャイアンツ長島茂雄が引退したのは、一九七四年十月だった。
 私はその中継を東京の学生寮の食堂で見ていた。特に巨人が好きだったわけでもなかったし、長島のファンだったというのでもない。なのに悲しかった。
 あの時、学生寮の食堂に何人かがいて、同じようにテレビを見ていたはずなのに、記憶の中では私一人がポツンとテレビの前にいる。
 十九才の私は、つまらないほど孤独だった。

 どうして人は七〇年代を特別扱いしたがるのだろうか。
 戦後の日本がその姿を大きく変えたのは、六〇年安保を経て、岩戸景気といざなぎ景気という高度経済成長期であったはずだが、六〇年代はうっちゃられて、七〇年代を懐かしむのは何故だろう。
 七三年のオイルショックで時代はひとつの終焉をむかえたが、その少し前から人々は走ることに疲れていた。
 みんなが同じスピードで走ることに疑問を持ち始めていた。それぞれが自分にあった速度で歩き始めたのが七〇年代だといえる。
 そういう意味で、情報だけを提供する雑誌『ぴあ』が創刊(72年)されたのは、時代の象徴ともいえる。自分が好きなものを自由に選べる時代、それが七〇年代であった。

 雑誌『宝島』の元編集長であった高平哲郎の七〇年代クロニクル(年代記) であるこの本は、極めて個人的な回想録である。
 植草甚一や赤塚不二夫、山下洋輔といった仲間たちとしゃべり、酩酊し、はしゃぐ著者は時代の先端にいたはずなのに、なんの衒いもない。
 タモリというタレント(まさに才能というべきだろう)を生み出したその現場にいながら、気分の高揚こそあれ特段の感慨を描写するまでにはいたらない。実はこれこそが七〇年代そのものかもしれない。
 この本に描かれているのは、高平氏にとって、あるいはその仲間たちにとっての七〇年代であり、私にとっての、あるいはあなたにとっての七〇年代はもっとちがったところにあるのだろう。
 それぞれが自身の七〇年代をもっている。そのことに気がつかされた一冊である。

 「本当に私たちは幸せでした」そういってキャンディーズが解散したのは、一九七八年四月だった。
 長島茂雄が引退した同じ後楽園球場での解散コンサート。私の記憶にはその時の映像があるが、それをどこで見ていたのかまるで思い出せない。特に彼女たちのファンだったわけではない。なのに悲しかった。
 二三才の私は、まだつまらないほど孤独のままだった。
  
(2004/02/29 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  司馬遼太郎さんの奥さん
  福田みどりさんが
  11月12日に亡くなった。
  福田みどりさんは
  1996年に司馬遼太郎さんが亡くなったあとも
  「菜の花忌」の運営など
  内助の功に尽くされました。
  司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の
  取材風景のスナップ写真を見ると
  仲良く歩く福田みどりさんの姿が
  散見されます。
  さすがの司馬遼太郎さんも
  奥さんには頭があがらなかったのでしょうね。
  というか
  司馬遼太郎さんは
  奥さんを愛していたのだと思います。
  夫唱婦随
  夫が言い出し妻がそれに従うという意味が転じて
  夫婦仲がいいことをいいます。
  「お前、やっと来たのか」
  天上で司馬遼太郎さんが
  笑顔で迎えていることでしょう。
  今日は追悼の心で
  福田みどりさんの『司馬さんは夢の中』を
  再録書評
  掲載します。

  ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。
 
司馬さんは夢の中司馬さんは夢の中
(2004/10)
福田 みどり

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sai.wingpen  追悼・福田みどりさん - 交々(こもごも)と  

 司馬遼太郎が亡くなって九年が経つ。その死後も作品やエッセイ、講演録といった著作が数多く出版され、そういう点でも司馬さんがいかに稀有な作家であるかがわかる。また友人知人による作品論や挿話の類の発表も陸続と後を絶たず、司馬さんの世界の広さを実感する。その中でも本書は司馬さんに最も近いところにいた夫人が描いた回想録であり、多分これまで出版されてきた多くの司馬遼太郎読本とは一線を画した内容に仕上がっている。言い換えれば、司馬さんの本名である福田定一氏の素顔が垣間見れる回想録である。

 司馬さんとみどり夫人は新聞社で席を並べていた同僚である。やがて、二人はトモダチからコイビトの関係になり(この本の中の「遠出しようか」という章ではコイビトとなった二人が夜の奈良の街をデートする初々しい挿話が語られている)、昭和三十四年一月、小さなホテルで写真もない「小さい小さい宴」だけの結婚式をあげる。いわゆる社内結婚だった。その後の新婚時代の司馬さんや「風邪恐怖症」だった司馬さんなど、国民的作家と呼ばれた司馬遼太郎にも当然そういった私たちと同じ生活があったことを知る。当たり前すぎることではあるが。

 司馬遼太郎にはいくつかの顔がある。歴史小説家としての顔、思索家としての顔、旅行家としての顔、そして詩人としての顔。特に司馬サンには詩人としての香りが色濃い。『街道をゆく』シリーズや『草原の記』に限らず、時に司馬さんの作品には過剰ともいえる詩的な表現がのぞく時がある。本書の中で夫人が描く生活の中の司馬さんも時に夢の中で生きているかのような横顔をみせる。そういうことでいえば、司馬さんはずっと夢を見続けた、少年みたいな人だったのかもしれない。

 夫人はそんな司馬さんをこう表現して本書を締めくくっている。「少年のような表情だった。意思とかかわりなく感情が、ごく自然に吹きこぼれてしまったような邪気のない表情だった。なんともいえない甘い雰囲気が漂っていた」(262頁)その表情が司馬さんがいなくなってから後も夫人の胸にしばしば去来するのだという。切なくて、深い、夫婦の姿である。

 交々(こもごも)と 思ひ出尽きぬ 菜の花忌 (夏の雨)
  
(2005/02/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日11月20日は
  ボジョレーヌーボーの解禁日
  さて今年の出来栄えは、と
  楽しみにしている人も多いと思います。
  最近休日前には
  ワインを飲む習慣があるのですが
  まだまだ本当のうまさが
  よくわかりません。
  ワインの世界も奥が深いのです。
  今日は
  3年前に亡くなった児玉清さんが最後に書かれた
  『人生とは勇気』という本を
  紹介するのですが
  やはり児玉清さんはワイン党だったのかな。
  ワイングラス片手に
  海外文学の原書を読んでいる図なんて
  さまになりますよね。
  いや、あるいは
  日本酒党かも。
  藤沢周平を読みながら
  ちびりちびりと杯を傾ける図もまたいい。
  いやいや
  案外甘党だったりして。
  ケーキを食べながら、
  なんていうのも案外いい。
  つまりは
  児玉清さんというのは
  何をしてもかっこいいのです。

  じゃあ、読もう。

人生とは勇気 児玉清からあなたへラストメッセージ (集英社文庫)人生とは勇気 児玉清からあなたへラストメッセージ (集英社文庫)
(2014/10/17)
児玉 清

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sai.wingpen  ちっともお変わりなく。                   

 俳優、クイズ番組の司会として人気の高かった児玉清さんだが、本好きの人からすると長年NHKBSの「週刊ブックレビュー」で共演していた女優の中江有里さんがいうように「同志」と呼びたくなるほど本好きとしての側面が強い。
 児玉さんは77歳でにふいに逝ってしまった。2011年の5月だった。
 あれから3年が過ぎた。
 最後の著作となったこの本が文庫化され、表紙には児玉さんのトレードマークともいえる優しそうな笑顔の写真が使われている。
 ちっともお変わりなく。
 そんな声をかけたくなるような、笑顔だ。

 児玉さんの御子息北山大祐さんによる「あとがき」によれば、この本が児玉さんが「司会力」をコンセプトに「仕事と人生を自由闊達に語った」生き方読本になる予定だったという。
 しかし、残念ながらそれは完成することはなかった。
 第一章である「きらめく言葉の花束」はやはり中途半端である。
 タイトルの「人生とは勇気」はこの章の児玉さんのインタビューからとられた言葉だが、やはりもの足りない。
 それを補ってあまりあるのが、第二章の「エッセイ 祈りの旅路」だ。
 このエッセイの中で、学童疎開時にいじめにあった話や大学生の頃に演劇に夢中になったこと、卒業式の当日に母の死と直面したこと、さらには俳優となったものの身に覚えのない中傷に絶望したことなどが、訥々と書かれている。
 児玉さんとはこういう人だったのですね。
 読んだあと、表紙の児玉さんの写真をじっと見る。

 「人間の生きている場所は心の中だ」、児玉さんはそのエッセイの中でそう書いている。
 きっかけは、藤沢周平作品だったという。
 そのあたりが本好きの児玉さんらしい。
 穏やかそうに画面では映っていた児玉さんにもこのエッセイに書かれているような苦悩があった。それを救ったのが、本を読むということであり、月にむけての祈りであった。
 読者は児玉さんのそんな意外な一面をこの本で知ることになる。
 本を読むということは、それまで知らなかったことを知ることでもある。
 きっと児玉さんはそのことに気づき、そのことで救われていたのだろう。
 私なら、この本のタイトルは「人生とは祈り、もしくは本との出会い」としたいところだ。
  
(2014/11/20 投稿)

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  突然の訃報に驚きました。
  俳優の高倉健さんが
  11月10日亡くなりました。
  83歳だったそうです。
  高倉健さんといえば
  耐える男の印象があります。
  それはやくざ映画の健さんから
  最後の主演作となった「あなたへ」まで
  変わらなかったと
  思います。
  みんなが健さんになりたかったけれど
  誰もがなれるはずもない、
  そんな男性が
  高倉健さんだったのではないでしょうか。
  今日の横尾忠則さんの
  『憂魂、高倉健』という一冊を
  紹介します。
  2009年12月に書いたものの
  再録書評です。
  掲載した時の
  書評のタイトルは
  「待ってました、健さん」でしたが
  今回「背中(せな)で泣いてる」に変えました。
  もちろん、これは
  高倉健さんが歌った「唐獅子牡丹」の一節。

  ご冥福をお祈りいたします。

  じゃあ、読もう。

憂魂、高倉健憂魂、高倉健
(2009/06/01)
横尾 忠則

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sai.wingpen  追悼・高倉健さん - 背中(せな)で泣いてる              

 グラフィック・デザイナー横尾忠則の編集による役者高倉健の、豪華写真集である。
 一冊まるごと高倉健なのであるが、同時にこの本全体が横尾の作品であるともいえる。
 そもそもこの写真集は復刻版である。その経緯は、「付録」リーフレットに収められた、今回の出版元である国書刊行会の「プロダクション・ノート」に詳しいが、本書のオリジナル版は1971年に刊行されたものなのだが、色々な事情があってそのオリジナル版が書店に並ぶことはなく、その一部は古書店に流通しただけだという。それに、それよりも以前に、この本のもとになった『高倉健賛江』にいたっては見本数冊を作っただけで出版さえ実現しなかった。
 それから38年めにして、ようやくこうして復刻したのである。

 ただ時代があまりにも変わってしまって、当時の高倉健を支持する大衆の熱もすっかり冷めてしまったといえる。高倉健という役者は、ヤクザ映画のそれではなく、『幸福の黄色いハンカチ』や『鉄道員(ぽっぽや)』を演じた俳優として記憶されている。
 「あの時代の空気を胸いっぱいに吸い込んでぼくはこの本を編集、製作をした」という横尾忠則は今回の出版に関して、「当時の映画をオンタイムで観ていない現在の若者にぜひこの本を手に取らせたい」と綴っている。
 しかし、これはもはや、役者高倉健の写真集というよりも、1970年という時代の写真集だといっていい。
 東映やくざ映画のなかの高倉健はたしかにカッコよかったが、そのカッコよさそれさえもがあの時代の残光に思える。
 うらぶれた映画館の固い座席にうづくまりながら、オールナイトで高倉健の忍従と刹那にしびれて、「待ってました、健さん」と大向こうから声を発した多くのファンたちもまた、あの時代の風景となっている。
 実際この写真集でもっとも強く見入ってのは、高倉健の姿ではなく、当時の映画館のロビーのベンチに転がり眠る男たちであり、臭いまで思い出しそうな映画館のトイレの写真だった。
 それらを見ていると、70年代は、映画館の暗闇が時代に疲れた者たちを慰撫した、最後の時代だったかもしれないと思える。

 現在の若者たちにとって、父親や母親が青春を生きた時代はどのように映るだろうか。高倉健という役者に熱狂した時代をどのように見るだろうか。
 健さんの背中一面の唐獅子牡丹に飛び散った血に涙した時代を想像することさえできないのではないだろうか。
  
(2009/12/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  同窓会の余韻のまま。
  実はほとんど覚えていなくて
  同窓会に出席するのが
  怖かった。
  でも、会いたい人がいましたからね。
  今日の書評に書いた
  女の子に会えたかどうかは
  ・・・。
  何人かをのぞいて
  ほとんど女子のことは覚えていませんでした。
  男子は記憶の底から
  あぶくのように浮き上がってきて
  話をすると
  高1の時同じクラスだったり
  高2で同じだったり。
  記憶って面白いですね。
  そんな今の気分にぴったりの一冊、
  今日の本は
  進藤 いっせいさんの『一九七七青春の記憶  喫茶店と受験と仲間たち』。
  書評サイト「本が好き!」からの献本ですが
  この時のためのような
  本でした。

  じゃあ、読もう。

一九七七青春の記憶 喫茶店と受験と仲間たち一九七七青春の記憶 喫茶店と受験と仲間たち
(2014/10/02)
進藤 いっせい

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sai.wingpen  あの時の唄は聴こえない                   

 フォークグループGARO(ガロ)が唄った「学生街の喫茶店」が流行ったのは1972年。
 「学生で賑やかなこの店の/片隅で聴いていたボブ・デュラン」。
 その当時17歳だった私だが、あれから40年以上過ぎても歌詞を見なくても歌える。
 「あの時の唄は聴こえない/人の姿も変わったよ/時は流れた」
 あの当時まだ街にはコーヒーショップチェーンはなかった。あったのは、「喫茶店」。
 無理をして苦いコーヒーを飲みながら、煙草の煙にむせ返っていた。
 あれから、たくさんの水が橋の下を流れた。
 こんな表現はあの当時夢中になって読んだ開高健の作品に見つけたのだった。

 「この暑い中を毎日予備校に通っていると思いますが、この夏をのりきって目的を達成してくださいね」。
 高校を卒業して浪人生になった私に届いた女の子からの暑中見舞い。
 彼女は家の事情で東京に越していた。
 私は大阪の街で予備校に行ったり図書館に行ったり、映画館の暗闇に逃げ込んだりしていた。
 これはこの物語の話ではない。
 読者である私の話。

 物語は札幌の予備校に通う主人公の山田一(はじめ)君の1977年、一年間の浪人生活の話。
 私の場合は家から予備校に通う生活だったが、山田君は家を離れて札幌での下宿生活。
 馴染みの喫茶店ができ、そこには素敵なママ祥子さんがいて、山田君と同じ浪人生がいる。
 まったく違う生活だったはずなのに、どうしてこの物語はこんなに懐かしいのだろう。
 模試があるたびに志望校の合格判定にやきもきし、一年という長い受験生活に時には投げ出したくなり、それでも何かに追い立てられていた日々。
 山田君も私と同じように片思いの彼女がいるが、受験が終わるまで逢わないと決めている。
 私は合格する学校次第で彼女のいる東京に行ける、そしてかぐや姫の歌う「神田川」みたいな生活ができるなんて思っていたのだから、どうしようもない。
 先に答えを書いておくと、東京の大学に受かったものの、彼女には見事にふられた。

 「俺は一体何をしているんだろう」、そんなことばかりつぶやいていた日々。
 あれから40年以上過ぎて、あの頃のことがしきりに懐かしい。
 そうだ、やっぱりあの頃私たちは輝いていたのだ。
  
(2014/11/18 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  還暦同窓会のことを少し。
  いやあ懐かしい顔、顔、顔。
  みんな年齢をそれなりに重ねている。
  今回は高校の同窓会。
  クラスは3年生の時のもの。
  私たちの時代は10クラスありましたから
  多いですよね、やはり。
  一応進学校になるのかな、
  高校のレベルでいえば
  松の下あたりでしょうか。
  松竹梅です。
  うな重でいえば、
  特上にはなれない、上あたり。
  私はそこをでて
  一浪して東京の大学に行きましたから
  高校の友人といっても
  疎遠になってしまって
  申し訳ない。
  しかも
  同窓会というイベントには
  人生初参加の人間ですから
  いやあ、まったくもって
  やれやれ、です。
  彼らとこれから会うことがあるのかないのか
  人生どうなるやら。
  私たちの同級生は
  昭和29年生まれと昭和30年生まれ。
  昭和30年生まれの私にとって
  ちょっと時代がちがいますといいたいところですが
  やっぱり同じですね。
  こういうのを見栄っ張りと
  呼ぶのでしょう。
  今日は
  そんな気分の高揚にぴったりの一冊。
  「池上彰の現代史授業」の
  『昭和編2 昭和三十年代  もはや戦後ではない』。
  なにはともあれ書評の最後に書いたように
  この時代から
  私は始まるのです。

  じゃあ、読もう。

昭和編2昭和三十年代 もはや戦後ではない! (池上彰の現代史授業——21世紀を生きる若い人たちへ)昭和編2昭和三十年代 もはや戦後ではない! (池上彰の現代史授業——21世紀を生きる若い人たちへ)
(2014/10/10)
池上彰

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sai.wingpen  私は昭和30年生まれです                   

 最初の記憶が産湯をつかっている時と書いたのは、確か三島由紀夫だったと思う。
 では、昭和30年に生まれた私はといえば、どれが最初であったかそれすらおぼろだ。
 「池上彰の現代史授業」シリーズの「昭和編②」は、まさに私の子どもの頃の時代、「昭和三十年代」である。
 タイトルの「もはや戦後ではない」は、1956年の「経済白書」に書かれた文章だが、もちろん私の記憶にはない。
 この巻で、はっきりと記憶しているのは、昭和38年(1963年)11月に起こったケネディ暗殺事件だ。
 この時、私は8歳。
 初めての記憶ということではないだろうが、この事件は日本とアメリカとの間で初めて衛星放送がつながった日で、日本人は歴史的な事件の証人となったといえる。

 では、これより前といえば「60年安保」と呼ばれる昭和35年(1960年)の大規模なデモはまったく記憶にない。テレビもまだなかったにちがいない。
 子どもの世界でいえば、紙芝居を見た記憶はあるが、貸本屋に出入りしたことは覚えていない。近所になかったのだろうか。
 この本の中には「ヒーローの登場!」という項目もあって、その中に昭和34年(1959年)から『少年ジェット』という番組の放送が始まったとある。
 「少年ジェットは、「ウーヤーター」と大声でさけんで地響きを起こす「ミラクルボイス」という技をつかって敵を倒します」と記述されているが、これは覚えている。
 「ウーヤーター」って叫びながら、遊んでいた。
 なんとも記憶とは曖昧だ。

 戦後の日本を見た場合、昭和30年代というのはそれからの繁栄と衰退の前ぶれというか、ここからすべてが始まった感がある。
 この10年のなんという豊富なことか。
 政治にしても経済にしても世相にしても、この1巻では収まりきらないものがある。
 若い人にとっては「へえー」という時代だし、シニアの世代にとっては懐かしい時代だ。
 そして、昭和30年生まれの私にとっては、霧の中から記憶が現れてくる瞬間といっていい。
 個人的すぎるが、私はここから始まり、もうすぐまた暦が還える。
  
(2014/11/17 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今週は後半から
  なんだかイラストレーターさんの紹介のような
  本が続きましたが、
  今日紹介する絵本『かしの木の子もりうた』も
  そんな一冊になりました。
  絵を描いたのは、いせひでこさん。
  私の大好きな絵本作家です。
  書評にも
  いせひでこさんの絵の特長を書きましたが
  心がゆっくりとする
  やわらかさが、
  とても好きです。
  実は今日、
  私は大阪にいます。
  何故いるかというと
  以前にもちょこっと書きましたが
  高校の還暦同窓会
  今日大阪であるのです。
  高校を卒業してから
  42年.
  同級生は昭和29年か昭和30年生まれ。
  つまり、
  還暦を迎えるのです。
  いったいどんな顔に出会えるのか
  楽しみです。

  じゃあ、読もう。

かしの木の子もりうた Love you foreverかしの木の子もりうた Love you forever
(2014/03/03)
不明

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sai.wingpen  耳をすまして思い出して                   

 私たちは一人で生まれたわけではありません。
 お父さんがいて、お母さんがいる。
 そして、私たちは生まれます。
 赤ちゃんから少年少女に、そして青年へ。
 やがて、お父さんやお母さんとも離れていく。
 でも、自分がお父さんになったりお母さんになって、また新しいいのちを授かる。
 最近は児童虐待や親を殺害といった暗いニュースが多いですが、新しいいのちを授かった時、どんなにうれしかったか、どうして人はそのことを忘れるのでしょうか。

 この絵本はカナダで人気の高いロバート・マンチの原作を基に、小児科医でもある細谷亮太さんが文を書き、絵本作家のいせひでこさんが絵を描いた作品です。
 いせさんの絵の素晴らしさは、この作品でも味わえます。
 なんといっても、木や花や草々といった植物の絵がいい。
 風にそよぎ、夜露にぬれ、朝の光にときめく。
 子どもと別れる母の悲しみもそんな母をおいて旅立つ青年の勇躍とした思いも、いせさんの筆にかかると、それらをすべて許してしまいたくなります。
 誰が悪いのでもない、誰をせめるのでもない。
 人はそうやって生き、成長していくのだと納得がいく。

 この絵本の中に描かれている、おおきなかしの木のように、いせさんの絵を見ると大きな手に、それはきっと母の手のような温もりがあって、抱かれているように感じます。

 中島みゆきさんに「誕生」という歌があります。
 その中のリフレンの歌詞がいい。
 「Remember/生まれた時/誰でも言われた筈/耳をすまして思い出して/最初に聞いた/Welcome」
 誰もがそうだったはずなのに、いつしか忘れてしまった言葉、「Welcome」。
 この絵本ではそれはこう置き換えられています。
 「だいじなだいじな わたしのあかちゃん/あなたのことが だいすきよ/ずーっと わたしのたからもの/すてきなすてきな わたしのあかちゃん」。
 そんなに愛されたすべての人に、この絵本の心が届けばどんなに素敵な世界になるでしょう。
  
(2014/11/16 投稿)

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  一昨日の宇野亜喜良さん、
  昨日の安野光雅さん
  と、イラストレーターさんの話が続いたので
  今日は私の一番大好きな
  イラストレーター和田誠さんの画集
  『画廊の隅から 東日本大震災チャリティ・イラストレーション作品集』を
  再録書評で紹介します。
  2013年8月に書いたものです。
  和田誠さんのイラストを知ったのは
  高校時代に読んでいた
  「キネマ旬報」だったように
  思います。
  ということは、
  和田誠さんより宇野亜喜良さんの方が
  先に知ったのではないかしらん。
  和田誠さんの絵に
  最初は似顔絵や文字の形に魅了されて
  文字などは随分真似をしました。
  和田誠さんは
  本物を講演会や展覧会で見たことがあって
  そうなると
  まるでアイドルのおっかけのようでも
  あります。
  それくらい好き。
  私の本好きの一つの要因は
  和田誠さんの装丁が気にいっているということも
  あるかもしれません。

  じゃあ、読もう。

画廊の隅から 東日本大震災チャリティ・イラストレーション作品集画廊の隅から 東日本大震災チャリティ・イラストレーション作品集
(2013/06/26)
和田 誠

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sai.wingpen  ありがとう                   

 この画集のことを書くには、それが誕生した経緯のことを書くのが一番いいだろう。
 2011年3月11日の東日本大震災のあと、イラストレーターの和田誠さんが東北の人々への支援を一過性のものではなく続けたいという思いから、東京表参道にあるHBギャラリーという画廊の片隅で自身が描いたハガキサイズのイラストを毎週展示販売し始めた。
 販売されるのは毎週10枚と決められ、購入は一人1枚と限定されている。
 一枚1万円。売上金は全額義援金へと回された。
 ハガキサイズのイラストが1万円。それを安いとみるか高いと思うかはそれぞれだろうが、何しろ日本の代表的なイラストレーターである和田誠さんの原画だ。
  ひっそりと始まったこの企画はいつの間にか多くの人の知るところとなった。

この画集は開始から50週に及ぶ、そんな和田誠さんの「東日本大震災チャリティ・イラストレーション」を集めたものだ。
 驚くことにこの企画は今も続いている。
 和田さんといえば、映画俳優たちの似顔絵、本の装幀画、絵本の作画、レコードのジャケットなどさまざまな分野で独特な線と色使いで多くの人を魅了するイラストラーターだ。
 文学の世界だけでも丸谷才一さんや村上春樹さん、井上ひさしさんの多くの装幀を担当している。
 あるいは、映画愛好家としてチャップリンやヒッチコックといった特徴ある映画人を巧みに描いてきた。
 和田さんはかつて描いてきた作品をわざわざこの企画のために書き直している。だから、白黒の線画だった作品が彩色され、さらに生き生きとしている。元のイラストを覚えている人にとっては、たまらない。

 もちろんこの画集を単純に和田さんのイラストを楽しむということで構わない。
 それだけでなく、この画集には東日本大震災で被災した人たちへの和田さんの思いがあふれている。
 和田さんのすごさは自分ができることを、とぎれることなく続けていることだ。
 できるようで、なかなかできるものではない。

 画集を開く。そこのある和田さんのイラスト。
 それはどんなテーマであれ、翼をもって、被災地へと飛びだす。
 それこそ和田誠さんの思いといっていい。
 見るものに感動を与える、画集である。
 ありがとう、和田誠さん。
 
(2013/08/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日は
  宇野亜喜良さんがイラストを担当した
  『踊りたいけど踊れない』を
  紹介しましたが、
  今日は
  やはりイラストレーターで絵本作家の
  安野光雅さんの『マッチの気もち』を
  紹介します。
  安野光雅さんも書いていますが
  最近マッチを見ることは
  ほんとに少なくなりました。
  子どもたちで
  マッチを知らない人も
  いるのではないかも。
  これは困った。
  マッチを知らないと
  どうして困るかというと
  あれをつけるのは
  結構難しいというか
  子どもにとっては
  怖々のところがあって
  そういう経験を通じて
  火のすごさというか
  人生の大変さがわかるという面が
  あるのではないかしらん。
  マッチのない人生なんて
  つまらない。

  じゃあ、読もう。

マッチの気もちマッチの気もち
(2014/09/12)
安野 光雅

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sai.wingpen  マッチのない人生なんて                   

 燐寸と書いて、マッチと読む。
 なかなか読めないが、そもそもマッチを知らない世代もいるかもしれない。
 そういえば、最近マッチを見たのはいつだろう。
 100円ライター(今は消費税で100円では買えないが)が普及して町からマッチが消えてしまった。
 かつては喫茶店の洒落たマッチを収集する人もいたほどだが、今ではどうだろう。
 どこの家にも必ず徳用マッチがあったものだ。
 これも今では稀少品だろう。

 そんなマッチの気持ちを代弁して、いやマッチへの愛をこめて書かれた本が、この本。
 まえがきのような文章の冒頭、作者の安野光雅さんは「マッチはどこへ行ったのかしらん」と書いている。そんな気持ちで「こんな本」を書いたと続けている。
 但し、「こんな」と「本」の間に、吹き出しで「え」とある。
 つまりは、「マッチの気持ち」を絵本にしたということになる。

 中にはさまざまなマッチが描かれている。
 たんぽぽの綿毛のように飛んでいくマッチであったり、吹き矢のようにマッチの赤い頭が飛んで行く絵であったり、ドミノのように倒れていくマッチであったり、耳かきのように先っぽが折れているマッチであったり。
 そういえば、マッチで耳をほじくっている人、昔はたくさんいた。
 さらに思い出したのだが、マッチでクイズをよくしていた。
 「一本のマッチを動かして数字の5をつくりなさい」なんて。

 この本はお遊びだけど、単に笑うだけでないものがなる。
 それは今消えようとするものへの哀悼の気持ちだ。
 代用品がちゃんとあるマッチがこの世界から消えてしまっても誰も困らないだろう。けれど、マッチが生き生きとしていた時代を知っている人にとって、それがどれほど切なく、悲しいものか。
 この気持ち、マッチを知らない世代にはわかってもらえないだろう。

 何故か、「うしろすがたのしぐれてゆくか」、山頭火の句が頭をよぎった。
  
(2014/11/14 投稿)

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  今日は寺山修司さんの
  『踊りたいけど踊れない』という
  絵本、大人のですが、を
  紹介します。
  イラストは宇野亜喜良さん。
  宇野亜喜良さんのイラストには
  昔とっても魅了されたことが
  あります。
  青年期の私の胸を
  どきどきときめかしてくれたものです。
  寺山修司さんの世界観も
  そうですね。
  若い感性でないと
  なかなか理解できないところが
  あります。
  この絵本には
  童話のような短い物語と
  詩篇がいくつか。
  若い人だけでなく
  大人の人も
  往時に想いをはせて下さい。

  じゃあ、読もう。

踊りたいけど踊れない踊りたいけど踊れない
(2003/04)
寺山 修司、宇野 亜喜良 他

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sai.wingpen  若い感性の無垢さ                   

 この本の絵を担当した宇野亜喜良について書こうと思う。
 宇野にはイラストレーターというよりグラフィックデザイナーという肩書きが似合う。
 カタカナにして数文字多くなる職業。それだけで何か先鋭的な感じがする。
 宇野の作品に初めて接したのは、児童文学の今江祥智の『海の日曜日』の装丁だったように思う。
 おぼろげだが、何しろこの作品は1966年のものだから、私自身が11歳の時に読んだ記憶でしかない。
 今江の物語がどのような内容であったかまったく忘れているのだが、そこに宇野の作品が使われていたことだけは鮮明に覚えている。
 子ども期から少年期になろうとしていた時代に出会った、宇野の絵。
 そのあと、宇野の作品は多くの本の装丁や挿絵として、私を魅了した。

 ほとんど胸のない少女。手足の長い少年。
 宇野の絵は、この本でも寺山修司という天才が書いた童話のような作品に見事に合っている。
 宇野の描く妖しげな世界が寺山の感性を余計に際立たせているといっていい。
 自分の意志とは関係なく、勝手に動く手、勝手に踊る足、そんな少女ミズエはある時恋におちる。でも、心の打ちあけかたがわからない。
 そんなミズエが手にした本は、サドの『ジュスチーヌ』。
 ここで描かれている宇野のエロチックな絵のときめきは、若い頃の宇野の絵から喚起された青臭い青春期のそれを思い出させてくれる。
 そんな絵にうろたえたものだ。

 恋したミズエはけれど相手の少年に「きらいです」と言ってしまう。
 言葉さえ彼女を裏切ってしまうのだ。
 寺山はこの小さな童話の最後に、「たよりない初恋のお話です」と書いた。
 宇野の絵はそういう「たよりない」感性を掬いとるようにして出来上がっているような気がする。
 溶けていく砂糖菓子。
 うごめく青虫。
 おそらく若い頃でしか感じることのないようなものが宇野の絵にはある。
 それは寺山という詩人の感性にもつながっている。

 若さは不十分かもしれないが、その無垢さは若さでしか手にはいらないものだ。
 大人のためにできたこの絵本はそんな傷みをあからさまにする。
  
(2014/11/13 投稿)

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  今、神奈川近代文学館
  「須賀敦子の世界展」が開催されている。(~11月24日)
  その案内文の一節。

   作品のなかで須賀は、
   「書く」という行為を「私にとって息をするのと同じくらい大切なこと」と記しました。
   その思いが結実した作品群は、没後15年を経た今もなお読み継がれています。

  ここにあるように
  須賀敦子の作品は
  今なお読み継がれています。
  その秘密はどこにあるのか。
  今日紹介する
  松山巌さんの『須賀敦子の方へ』は
  そのことを考える上で
  とてもいい本です。
  松山巌さんは
  若い頃の須賀敦子が好きだったという
  サン=テグジュペリの『戦う操縦士』の
  一節を何度もこの本で引用している。
  書評に書けなかったので
  ここで書きとめておく。

    建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、
    すでにその瞬間から敗北者であると。
    それに反して、何人であれ、
    その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、
    すでに勝利者なのである。

  須賀敦子の生き方は
  これからの私にも
  大いに参考になる。

  じゃあ、読もう。

須賀敦子の方へ須賀敦子の方へ
(2014/08/29)
松山 巖

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sai.wingpen  須賀敦子という美しい生き方                   

 作家でエッセイストの須賀敦子さんが69歳で亡くなったのは1998年だから、16年の歳月が過ぎたことになる。
 執筆活動にしてわずか10数年の作家ながら、今だにファンの途切れることはない。
 巨匠と呼ばれる人や文豪と称賛される作家たちがその死後ほとんど顧みられることのないことを思えば、そのこと自体不思議といえる。
 それほどに須賀の作品はあたたかく、時にそれは「追憶のエッセイ」と呼ばれるほどだ。

 本書は須賀の年下の友人として生前親交のあった作家で評論家の松山巌氏が須賀の若い日々をその生きた土地土地とともに描いた労作である。
 松山は『須賀敦子全集』でも詳細な年譜を作成した人物である。

 須賀敦子は1929年(昭和4年)2月兵庫県芦屋に生まれた。成長してカトリック系の学校に進み、入信もする。
 そのようなことを思えば、須賀の姿勢の良さが納得できる。
 同時に戦争という体験を得た世代として、須賀もまた過酷な青春期を過ごしたともいえる。
 松山は晩年の須賀のこんな言葉を書きとめている。
 「じぶんのあたまで、余裕をもってものを考えることの大切さを思う。五十年まえ、私たちはそう考えて出発したはずだった」。
 須賀が終戦後どのような思いで生きていたかしのばれる。

 そんな時期に須賀は宗教と出会う。
 宗教の問題になれば奥に踏み込むことは難しいが、松山は丁寧に須賀の妹や学友たちの声を拾いながら、須賀の心のうちを求めている。
 同時に父の愛人問題が須賀を苦しめる。
 須賀の短いながら豊饒な作家活動でそういうことも描いたことを松山は、「忘れたい記憶は歳を重ねれば重ねるほどかえって思い出し、忘れることができない。その忘れられない記憶も自分の人生だ」という美しい文章で綴っている。

 美しい文章は須賀の作品の特長でもある。
 難しいことを柔らかな言葉で表現する。それは海外で半生を過ごした須賀ならではのものといっていい。
 松山のこの本も須賀に負けじと美しい文章にあふれている。
 もし、須賀が生きて、この本を手にしていればどのような言葉を残しただろう。
 そんなことを思うだけで、心の奥に灯がともるような気がする。
  
(2014/11/12 投稿)

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  東日本大震災から3年8ヶ月。

  被災地東北には
  また厳しい冬が到来します。
  今日紹介するのは
  松瀬学さんの『負げねっすよ、釜石』。
  副題に「鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント」と
  あります。
  「・・・ねっす」という方言がいいですね。
  あったかい。
  地方の良さというのは
  言葉の響きでもそうですが
  やはりあって
  東北は寒いけれど
  言葉がとてもあたたかい。
  もちろん言葉だけど復興できるということでは
  ありませんが、
  くじけそうになる心を支えるのも
  また言葉です。
  東北に一日でも早く
  「福来旗」がはためく日まで。

  じゃあ、読もう。 
  
負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント
(2011/10/18)
松瀬学

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sai.wingpen  ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため                   

 岩手県釜石市。2011年3月11日に発生した東日本大震災で甚大な被害を得た。
 釜石といえば津波をもたらした海と共存共栄していた漁業の町でもある。同時に新日鉄の製鉄所を抱える鉄の町としても知られる。
 そして、スポーツ好きの人であれば、かつて日本選手権で七連覇を成し遂げた「北の鉄人」と呼ばれたラグビーチームのある町というだろう。
 鉄と魚とラグビー。
 一見何の関連性もなさそうな三つの事柄を結びつけているのが、「ふらいき」と呼ばれる大漁旗だ。
 ラグビーの試合会場でたくさんの大漁旗がたなびく光景を目にした人は多いはす。
 この本もまた、大震災のあと懸命に復興に生きる人たちを励ます大漁旗だ。

 「ふらいき」は「富来旗」とも「福来旗」とも書くらしい。
 大漁となった船が寄港する際にその成果を陸に待つ人々に知らせるすべとして使われる。
 かつて、新日鉄釜石が連勝していた国立競技場にはこの旗が多く打ち振られていた。
 なんだか男たちの心意気を感じる。
 そんな男たちの夢や希望を一瞬にして打つ壊したのが、東日本大震災だった。
 ラガーマンたちもまた同じだった。
 本書は自身学生時代にラグビー部員として活躍し、現在はスポーツライターである著者が、大きな打撃を受けたラガーマンたちにインタビューし、その行動をたどったドキュメントである。

 知人を亡くし、家を流された選手もいるが、選手たちは希望を捨てていない。
 自分たちが釜石のラグビークラブの選手だからこそ、人より余計に前を向こうとしている。
 それは、彼らこそ釜石の誇りだからだ。
 残念ながら今のチームにかつてのチームのような強さはない。しかし、だからこそそのチームを支えようとする町の人たちがいる。その声援に応えようとする選手がいる。
 本書の中に「復興とラグビー精神は似ている」といった人がいる。
 ラグビーを語る上で有名な言葉「ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため」が、そのあとに紹介されている。

 東日本大震災という大きな悲しみに押し込まれながらも、ここに生きる人たちはスクラムを組んではねのけようとしている。
 著者はいう。「「めさ、進むべ」/めさは「前さ」の釜石弁。どんな時でも人は前へ進むしかないのである」。
 「ふらいき」がはためく、熱い一冊だ。
  
(2014/11/11 投稿)

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  作家の赤瀬川原平さんが10月26日に亡くなった。
  赤瀬川原平さんのことは
  以前紹介した松田哲夫さんの『縁もたけなわ』にも
  紹介されていて
  そのユニークな人柄が
  たくさんの人とのつながりを
  つくった人だと思います。
  なかでも面白いのは
  路上観察。
  街中でのちょっとしたイタズラのような風景を
  赤瀬川原平さんの大好きなライカで
  写しとるという
  面白さ、興味だけで
  しているようなこと。
  これからの生き方として面白いと思います。
  赤瀬川原平さんの本の中で
  たぶんもっとも売れたのが
  今日紹介する『老人力』ではないでしょうか。
  実は今まで読んでなかった。
  ということで
  赤瀬川原平さんを悼んだ
  読んでみました。  
  もうすぐ私も還暦。
  「老人力」は間近?
  それとも
  もうすでに。

   ご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。

老人力老人力
(1998/09)
赤瀬川 原平

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sai.wingpen  追悼・赤瀬川原平さん - 還暦すぎて「老人力」                   

 赤瀬川原平さんが亡くなった。77歳だった。
 特に赤瀬川さんの愛読者ということではなく、読んだ作品はせいぜい尾辻克彦という名前で書いた『父が消えた』、これは第81回芥川賞受賞作にもなった、と『新解さんの謎』ぐらいである。
 それ以外では南伸坊さんや松田哲夫さんとの交流、「トマソン」と呼ばれる光景との出会いを真剣にめざした路上観察など、読んだ作品は少ないが興味をひく作家ではあった。
 なかでも、1997年に刊行されベストセラーになった『老人力』。
 この作品以降、何でもなかんでも「○○力」とする風潮が出版界には横行する。その現象はそれから17年近く経った現在でも続いている。
 それほどに何故この本は読まれたのだろう。
 赤瀬川さんの訃報を聞いて読むというのも不謹慎かもしれないが、ここで読んでおかないと。

 この本が最初に出版された1997年、私はまだ40歳を少しばかり超えたところ。
 その年齢で、『老人力』なる本を読む気は起こらない。
 なぜ売れているのだろうと横目ですかしながら、気になって仕方がなかった。
 赤瀬川さんがこの本を書いたのは、まだ還暦を過ぎたばかりのことだと今回気がついた。
 今の私と同じ年ぐらいではないか。
 それなのに、「老人力」だったのだ。
 「あくまで冗談なんだけど、冗談を保持したまま、冗談じゃない世界に突入していくという」そんなところから、この「老人力」は始まっている。
 そういうなんというか軽さが赤瀬川さんの魅力なんだと思う。
 それが「老人力」にもよく出ていて、「とにかく楽しむことが一番、嫌なものはとりあえず放っておけばいい」なんていう、ええかげんさが時代に受けたともいえる。
 書かれた当時よりも高齢者比率は増えているが、だからといって「老人力」ではなく、その当時よりももっとストレスが高く逼塞している現在の方が、「老人力」は評価されるべき力だと思う。

 「ボケ味、つまりダメだけど、ダメな味わいというのの出るところが老人力だ」と書いた赤瀬川さん。
 この作品以降もたくさん活躍された。
 この作品を書いた赤瀬川さんの年齢にやっと追いついた私も、これから「老人力」を発揮させてもらうつもりだ。
  
(2014/11/10 投稿)

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  今日は
  中川ひろたかさん文、村上康成さん絵の
  『さつまのおいも』という
  楽しい絵本を紹介します。
  さつまいもは別名甘藷。
  青木昆陽という江戸時代のえらい先生が
  広めたそうです。
  習ったでしょ、昔。
  さつまいもは
  秋の季語。

    ほの赤く掘起こしけり薩摩芋   村上 鬼城

  という句もいいですが、

    ほつこりとはぜてめでたしふかし藷   富安 風生

  なんていうのも
  さつまいもらしい。
  焼きいも屋さんの声を聞かなくなって
  久しいですが
  なんだか昭和が遠くなってしまった
  そんな感じがします。
  焼きいも屋さん
  元気にしているのかな。

  じゃあ、読もう。

さつまのおいも (絵本・ちいさななかまたち)さつまのおいも (絵本・ちいさななかまたち)
(1995/06/20)
中川 ひろたか

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sai.wingpen  スイートポテトでおならがでるか                   

 さつまいもが好きです。
 あの形、紡錘形なんてりっぱな名前ではなく、頭とお尻がすぼまって、細長いのがあったり、でぶっちょがいたり、型にはまっていないのがいい。
 色もいい。茶色というか土の色というか、いってみれば「さつまいも」色なんですが。
 何より味がいい。
 天ぷらにしてもおいしいし、ふかしてもおいしい。最近はスイートポテトなんて洒落た名前で出たりしていますが、やはり焼き芋が一番。
 そういえば、焼きいも屋さんの「いしやきーも」なんていう声も聞かなくなりました。

 私たちにそれほど親しみのある「さつまいも」を絵本にしたら、こんなにおいしい、いえ楽しい絵本になりました。
 まあ素材はいいですから。
 中川ひろたかさんが文を書いて、村上康成さんが絵を描いています。
 ごはんも食べるさつまいもなんて想像するだけで楽しいです。トイレでしゃがんでるさつまいも、なかなか絵にするのは大変だったでしょう。
 村上さん八百屋さんでさつまいもをいっぱい買ってきて、このさつまいもはお風呂にはいっているのにしようとか、トイレはこれに座らせよう、なんて考えたのかな。
 もちろん、最後はきっと食べちゃったでしょうが。

 そんな平和なさつまいもの世界にある日子どもたちがやってきて、いもほりが始まりました。
 いもほりを「つなひき」に見立てるなんて、中川さんのセンスのよさが光ります。
 もちろん、子どもたちが勝って、最後は恒例の落葉を集めて焼きいも大会。
 でも、落葉で焼きいもなんていう光景はすっかり見かけなくなりました。
 今の子どもたちは知らないのではないかしらん。
 それでも、そんな絵がすっと子どもたちにはいってくるとしたら、日本人のDNA恐るべし、です。
 それほど、さつまいもは日本人に愛されているのです。

 そして最後はこれも恒例の、おなら。
 おならがプーとでるくらい、さつまいもを食べたい。
 スイートポテトでは出たことがない。
 あれはどうしてでしょう。
 現代日本の7不思議かもしれません。
  
(2014/11/09 投稿)

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  今日は重松清さんの『一人っ子同盟』を
  紹介します。
  重松清さんは昭和38年(1963年)生まれですから
  私より少し年下の弟世代。
  ちょうどこの物語の主人公信夫たちに
  近い世代です。
  私が小学生の頃には
  すでに一人っ子問題はありましたが
  当時は「かぎっ子」と呼ばれていました。
  家に帰っても
  誰もいないので、
  いつも家の鍵をもっている子ども。
  私には兄や弟がいて
  いいことも兄弟三分割みたいなことがありましたから
  「かぎっ子」のことは
  少しうらやましくありました。
  でも、実際はこの物語に書かれているように
  そうじゃなかったのでしょうね。
  いつも大人だけの家に
  ひとりだけ子どもがいるのですから。
  時代とともに
  家族のありようもすっかり変わってしまったように
  思います。
  昔はよかった、とも
  思いませんが
  なんだかさみしく感じないわけでもありません。

  じゃあ、読もう。

一人っ子同盟一人っ子同盟
(2014/09/22)
重松 清

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sai.wingpen  子どもたちは夕日の中を走っていった                   

 日本は今高齢化と少子化という人口形態の大きな波に揺らいでいる。
 そもそも結婚そのものをしない若者が増えているが、結婚をしても出産する子供の数は2人にも満たない。
 つまりは一人っ子の割合が多くなっている。
 加えて、親と同居する夫婦も減っているから、小さな家族になってしまう。
 いつのまにか、そんな家族が当たり前になっている時代になった。

 昔はちがった。
 ちょうどこの物語の時代背景である昭和50年頃はまだ一人っ子はクラスでも少数派だった。
 この物語の主人公小学6年生の信夫のクラスには、信夫と公子の二人だけが一人っ子だ。37人のクラスだから、かなり低い。
 しかも信夫にしても本当は一人っ子ではない。信夫が4歳の時、兄和哉が交通事故で亡くなっている。
 公子も微妙な一人っ子だ。母の再婚で新しく4歳の弟が出来た。だから、戸籍上は一人っ子ではない。
 そんな信夫と公子だが、同級生から「一人っ子同盟」といった訳のわからない名前を付けられてしまう。
 「同盟は困ったときに助け合わなきゃいけない」らしい。

 そんな同盟と関係なく信夫は公子のことが気になって仕方がない。
 信夫たちの住む団地の公園から見える「まばゆく発光する」給水塔のことを初めて教えてあげたのは公子だし、信夫の住む階の下の老夫婦のもとに預けられてきた嘘つき少年オサムのことを相談したのも公子だ。
 公子もまた突然出来た弟の扱いに困って、信夫に押し付けたりする。
 この世代のことを書かせたら随一の重松清であるから、信夫も公子も彼らの級友たちの姿も生き生きとしている。
 しかも、「昭和」という時代が、「まだ、あと十数年つづく」そんな風景に、信夫たちの姿が、何故か夕焼けの中を走り回る子どもたちのように見えて仕方がなかった。

 卒業式とともに信夫から去っていくもの、新しく信夫の記憶にとどめられること、長い物語はそのようにして終わっていくのだが、高度成長期のあと、この国はもっと何かを失ってきた。
 この時代を生きた信夫たちはすでに50歳を越えている。
 一人っ子だった信夫も公子も、自分たちのさみしさを思い出すことはあるだろうか。
 今、彼らに何人の子どもがいるのだろう。そんなことをふと思う。
  
(2014/11/08 投稿)

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  今日は立冬

     投函の封書の白さ冬に入る     片山 由美子

  早いもので
  今年もあと二か月を切りました。
  来年私は還暦を迎えて
  いよいよ定年となります。
  今の職場は雇用延長制度がありますが
  それを利用しませんと
  早々に宣言しています。
  つまり、あと数か月で晴れて「無所属の人」になるのですが
  さてさて
  その先はといえば
  しっかり見えているかといえば
  そうでもありません。
  結構行きあたりばったりです。
  でも、矢部武さんの『60歳からの生き方再設計』なる本を
  読むくらいですから
  それに今年はそういう系統の本を
  結構読んでいますから
  自分の中でも気になっているのだと
  思います。
  どんな冬になるのか
  どんな春を迎えるのか。

  じゃあ、読もう。

60歳からの生き方再設計 (新潮新書)60歳からの生き方再設計 (新潮新書)
(2014/08/11)
矢部 武

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sai.wingpen  第二の人生こそ、私たち自身の問題                   

 最近は年金の繰上げ支給もあって雇用延長制度を利用して定年を迎えても会社に残る人が増えた。
 経済的な問題もあろうが、伸びる平均寿命のことを考えれば、新しい職場を探すといっても容易ではないだろうし、後輩が上司になろうがどのような仕事を仰せつかろうが、今の職場に留まる方がいいと考える人も多いのだろう。
 もちろん、その仕事が好きであればその方がずっといい。けれど、自分に合っていないと思っていて残ることはない。
 いずれにしても、定年から先の時間はたっぷりあるから、初めて就職活動を行うように、重要な選択になる。
 「人はいくつになっても元気なうちは誰かの役に立ちたい、誰かとつながっていたい、誰かに必要とされたいという気持ちがあり、それが新たな生きがいにつながる」と、本書にも書かれているように、どうしてもそういう種類の本も多く出版されている。
 この本も、タイトルの通り、その種類の本だ。

 本書では海外(特にアメリカ)の事例が多く紹介されているのが特長といえる。
 著者がロサンゼルスタイムス紙の東京支局記者を経験したりアメリカの事情に詳しいことも関係している。
 そんななかで、定年後の人とのつながりや「愛と性の再設計」が語られているのだが、果たしてそれは有効だろうか。
 事例として知ることは必要だが、アメリカ人の生き方と日本人のそれは大きく違うような気がする。
 もし海の向こうの定年を迎えた人たちの生き方を学ぶとすれば、赤ちゃんの時代からの生活環境も変える必要があるのではないだろうか。
 日本人として60歳まで生きてきて、それから先の生き方はアメリカ様式がいいといわれても困惑するだけだ。

 おそらく定年を迎えてどう社会とつながっていくかで迷うのは男性の方が多いような気がする。
 それだけ組織に対する依存度が高いのであろう。
 雇用延長制度で会社に残るのもいいが、ある意味では問題の先送りでもある。
 いつかは誰にも組織を離れるという事実がやってくる。
 そのためにも早めに「生き方再設計」を行うに越したことはない。
 第二の人生こそ、私たち自身の問題なのだから。
  
(2014/11/07 投稿)

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  今日紹介する
  梶井純さんの『トキワ荘の時代』は
  副題にあるように
  「寺田ヒロオのまんが道」でもあります。
  寺田ヒロオさんは
  昭和40年代に活躍した漫画家です。
  書評にも書きましたが
  この本を読むきっかけは
  先日読んだ
  ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉『藤子・F・不二雄』でした。
  田舎から
  漫画家を目指して上京してきた
  藤子・F・不二雄さんたちを
  親身になって迎えてくれたのが
  寺田ヒロオさんでした。
  そのことが書かれていて
  では、寺田ヒロオさんとは
  どんな漫画家だったのかを知りたくて
  読みました。
  私自身は子どもの頃に
  寺田ヒロオさんが書いた
  『スポーツマン金太郎』とか『暗闇五段』を
  読んだことがあります。
  そんな懐かしさとともに
  トキワ荘での漫画家たちの日常に
  青春の時を感じました。
  昭和30、40年代の漫画そのものが
  青春だったといえます。

  じゃあ、読もう。

トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道 (ちくまライブラリー)トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道 (ちくまライブラリー)
(1993/07)
梶井 純

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sai.wingpen  そこにはまちがいなく青春があった                   

 本が本を呼ぶ。
 「どんな本を読んでいいかわからない」という人へのアドバイスとして、まずは何でも構わないから自分の興味のある本を一冊読んでみること。あとは、本が次に読みたい本を示してくれる。
 読書というのは、そのようにしてつながっていく。
 「寺田ヒロオのまんが道」とサブタイトルのついたこの本は、筑摩書房から新しく刊行された「ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉藤子・F・不二雄」が呼んだ一冊だ。
 手塚治虫からつづく若い漫画家たちの伝説の地、東京豊島区にあったアパート「トキワ荘」。
 先の評伝は漫画「ドラえもん」を生み出した藤子・F・不二雄のものだが、藤子たちが上京してきた時に住んだのがこの「トキワ荘」で、そのアパートでの生活もそこには描かれていた。
 そして、田舎から出てきた藤子たちの面倒を見たのが、先輩住人であった「テラさん」こと寺田ヒロオであった。

 この本には寺田や藤子だけでなく、その後この「トキワ荘」に住んだ漫画家たち、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、つのだじろう、といった漫画家たちの姿が生き生きと描かれている。
 また、あのつげ義春や佐藤まさあき、辰巳ヨシヒロといった劇画家も登場し、まさに今の漫画界の盛況の下地を作った人たちのスケッチも怠らない。
 手塚治虫を頂点とする彼らの中で、寺田ヒロオは異彩を放っているといっていい。
 何故なら少年週刊誌の創刊後一定の人気を保った寺田だが、その漫画誌が隆盛しようとするその時に漫画家として筆を折ったのだから。

 寺田ヒロオという漫画家を現在知っている人は昭和30年代以前に生まれた人に限られるのではないか。
 寺田の代表作は「スポーツマン金太郎」であり「暗闇五段」である。あれだけの人気漫画を描きながら、寺田は少年週刊誌が進みつつある方向を拒み、筆を折る。
 寺田にとって漫画とは生活費を稼いでいたが、生活ではなかったのだろう。
 寺田にとって漫画とは荒削りの青春そのものであったにちがいない。
 だからこそ、「トキワ荘」での生活は終えた時から寺田の漫画人生は終わっていたのかもしれない。

 寺田ヒロオ。漫画家。1992年9月24日、享年61歳の短い生涯を閉じる。
  
(2014/11/06 投稿)

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 ここしばらく
 毎月紹介しています
 NHKEテレの毎週水曜夜11時からの
 「100分de名著」ですが、
 今月の1冊は
 洪自誠(こうじせい)の『菜根譚』です。
 名前を聞いても
 チンプンカンプンという人も多いと思います。
 私もそうです。
 先月は『枕草子』という
 とってもポピュラーな古典だったのに、
 今月は『菜根譚』。
 このギャップは大きい。

洪自誠『菜根譚』 2014年11月 (100分 de 名著)洪自誠『菜根譚』 2014年11月 (100分 de 名著)
(2014/10/25)
湯浅 邦弘

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 そもそも何て読むの? という
 ところからですよね。
 これは「さいこんたん」と読みます。
 「菜根」は野菜の根っこのこと。
 ははん、昔の料理本かと勘違いしそうですが
 これは16世紀から17世紀頃に書かれた
 中国の処世訓だそうです。
 処世訓?
 つまり生きていく上で役に立つこと、です。
 このあたりで
 グッと興味がわきますよね。
 何やってもうまくいかない、
 上司には嫌われるし
 仕事はうまくいかない。
 彼女も見つからないし
 財布も落しちゃった。
 なんていう人は
 見たくなりませんか。

 読んだことないし、と
 ひっこんでいたらダメ。
 そんな人のために「100分de名著」は
 あるのですから。
 ちなみに
 今日の夜の第1回めは「逆境を乗り切る知恵」。
 ほら、興味が増した。
 2回めが「真の幸福とは?」。
 お、おおっ。
 3回めが「人づきあいの極意」。
 な、なにーぃ。
 最終回が「人間の器の磨き方」。
 決めた! 見るぞ。

 今日から私はサイコンタン。
 あんぽんたんを卒業します。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  長岡美代さんの
  『親の入院・介護に直面したら読む本[新訂第2版]』は
  書評サイト「本が好き!」からの献本です。
  書評にも書きましたが
  私の両親は二人とも
  ほとんど介護することなく
  亡くなりました。
  二人とも80歳を越えていました。
  90歳の人からすれば
  若かったけれど
  息子たちに介護の苦労もさせずに
  逝ったのは
  自分の親のことながら
  頭がさがります。
  おそらく皆さんのまわりにも
  親の介護に苦労されている人が
  いると思います。
  自分の親ですから
  いつまでも長生きしてもらいたいと思うのは
  人情です。
  でも、生きることで
  子どもたちに苦労をかければ
  元も子もありません。
  人間はいつ死ぬかわかりません。
  入院や介護がいつあるかも
  しれません。
  そのためにも
  この本を家の常備本としておいておくのも
  いいでしょう。

  じゃあ、読もう。

親の入院・介護に直面したら読む本[新訂第2版]親の入院・介護に直面したら読む本[新訂第2版]
(2014/10/21)
長岡美代

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sai.wingpen  娘の枕もとにそっと                   

 娘の枕もとにそっと、といってもサンタではありません。
 この本を置いておきましょう。
 こちらも来年には還暦。元気ではありますが、いつどんなことが起こってもおかしくはありません。
 同級生たちの話を聞くと親の介護で手が離せませんという人も多いですが、ありがたいことに私の両親はほとんど介護を受けることもなく命を全うしました。
 親から教えてもらったことはたくさんありますが、その死に方ほどりっぱだと思うことはありません。
 ともに80歳を越えての死ですから、早すぎるということはないでしょうし、いい時代を生きたといえます。
 それに私たち子どもにあまり負担をかけることなく逝ってくれたのですから、これほどありがたいことはありません。
 そんな両親の死に方を見習いたいと思いますが、こればかりはどうしようもない。
 せめて、娘の枕もとにこの本をそっと置いておくぐらい。

 この本は「新訂 第2版」とあるようにもともと2006年に初めて書かれて、その後2009年に「新訂 初版」が出て、今回の版ではさらにリニューアルされています。
 それほどに医療や介護の現場では制度や仕組みがどんどん変化しているということです。
 変化している理由は高齢化社会が進行しているということでもあります。
 老老介護の問題が最近よくいわれますが、親の入院・介護にしても体力知力経済力が必要です。
 それを短時間にこなすためには準備を怠らないこと。
 その点では、この本はよくできています。
 「親にかかる医療費の負担を減らすには?」「医療機関の上手なかかり方・使い方」「親の認知症が気になり始めたら?」といったような章立てはもちろんのこと、その中のサブ項目も細かく丁寧です。

 これから親の介護に時間がとられそうだという人だけではなく、私のように親がなくなっていますが、そろそろ自分がそうなるかもしれない年齢の人にも必要な一冊です。
 頭がしっかりしているうちに読んでおけば、子どもたちにも負担をあまりかけないで済むかもしれません。
 やっぱり、娘の枕もとにそっと置きます。
 もっとも娘の夢に親の介護がでてくるのは、まだまだずっと先でしょうが。
  
(2014/11/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は文化の日

     叙勲の名一眺めして文化の日
   深見 けん二

  今日親授式が行われる文化勲章
  今回ノーベル賞を受賞した2人を合わせて
  7人。
  文学系でいえば
  河野多恵子さんが受章されています。
  ここまで書いて気がついたのですが
  受賞と受章。
  日本語は
  やはり難しいですね。
  そんな文化の日らしく
  今日は
  ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>から
  「ネルソン・マンデラ」の巻を紹介します。
  マンデラといえば
  昨年惜しまれながら亡くなった
  南アフリカの指導者です。
  超有名人ですから
  ご存じの人も多いですし
  映画「インビクタス-負けざる者たち」でも
  描かれています。
  この映画でマンデラを演じたのは
  モーガン・フリーマン
  この映画もよかった。
  なんだか文化の日らしい
  「こぼれ話」になりましたね。

  じゃあ、読もう。

ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉ネルソン・マンデラ: アパルトヘイトを終焉させた英雄 (ちくま評伝シリーズ“ポルトレ”)ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉ネルソン・マンデラ: アパルトヘイトを終焉させた英雄 (ちくま評伝シリーズ“ポルトレ”)
(2014/09/25)
筑摩書房編集部

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sai.wingpen  憎むことが学べるのなら、愛することだって学べる                   

 南アフリカ共和国にかつてあった「アパルトヘイト」。人種差別制度だ。
 子どもの頃に習った記憶がある。その頃はまだ現在進行形だった。
 単語だけではわからないことがある。言葉はわかっていても、それがどのような経緯で生まれたものなのかわからないと本当のことはわからない。
 それは、「ネルソン・マンデラ」についてもそうだ。
 2013年12月に亡くなった、南アフリカの英雄。「アパルトヘイト」を終焉させた人としてノーベル平和賞も受賞している。
 私が「アパルトヘイト」を習った頃は終身刑を言い渡されて刑務所に閉じ込められていた。だから、彼のことは習わなかった。
 マンデラとはどんな人物だったのか。名前だけではわからない。
 あるいは、一冊の評伝でも困難かもしれない。
 しかし、少なくとも単語だけでは見えてこないものが、ここにはしっかりと描かれている。

 筑摩書房が中高生向けの評伝シリーズとして刊行した<ポルトレ>の一冊。
 マンデラがこのような形で取り上げられるそのことが、このシリーズの新しさともいえる。
 では、指導者マンデラの素晴らしさはどこにあったのだろうか。
 この評伝では、マンデラが「生涯を通してもっとも大切にした原点」として、こう説明されている。
 「普通の人々一人ひとりが話をするところからすべてが始まる」。

 簡単なようでなかなかできることではない。
 マンデラは27年に及ぶ獄中生活でもそのことを実践した。監獄の看守たちでさえいつしかマンデラの魅力にはまっていく。
 憎しみだけでは解決できないことを、マンデラはその生涯をかけて実践してきた人といえる。
 マンデラの自伝にこんな一節があることをこの本では紹介している。
「憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。そして、憎むことが学べるのなら、愛することだって学べるだろう」。

 このシリーズでは著名な人が解説を書いているが、この巻では元国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんがマンデラとの交流体験も交えながら説明している。
 その中にもマンデラの自伝の同じ一節が紹介されている。
 中高生だけでなく、大人にとってもわかりやすいマンデラの評伝である。
  
(2014/11/03 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  日本は先の戦争が終わってから
  戦争の経験はありません。
  しかし、残念ながら
  世界では今でもたくさんの国で
  戦闘状態が続いています。
  人類は進歩どころか
  ちっとも変っていません。
  子どもの頃には
  戦争って厭、平和がいい、
  と教えられてきたはずなのに
  大きくなると
  エゴが出てしまう。
  国と国。
  民族と民族。
  70年近く戦争をしてこなかった国だからこそ
  いえることもあるはず。
  今日紹介する絵本は
  小学生が書いた詩がベースになっています。
  安里有生(あさとゆうき)君の
  『へいわってすてきだね』。
  絵は絵本作家の長谷川義史さんが
  書いています。
  小学生が見た平和の姿を
  大人の皆さんにも
  見てもらいたいと思います。

  じゃあ、読もう。

へいわってすてきだねへいわってすてきだね
(2014/06/17)
安里有生

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sai.wingpen  素直な心で見てみれば                   

 この絵本の文(実際には詩ですが)を書いた安里有生(あさとゆうき)くんは2007年生まれの小学生です。
 沖縄で生まれ、お父さんに仕事の関係で与那国島に移りました。
 この詩は2013年に沖縄県平和祈念館が募集した「児童・生徒の平和メッセージ」で、小学生低学年・詩の部門で最優秀賞を受賞したものです。
 絵を描いたのは、独特のタッチと軽快な大阪弁で人気の高い長谷川義史さん。
 ダジャレの絵本もたくさん描いていますし、『ぼくがラーメンたべてるとき』といったような考えさせられる絵本も描いています。

 この絵本を描くにあたって、長谷川さんは実際に与那国島まで行って安里くんや安里くんの家族に会っています。
 与那国島の風景や与那国馬のことも描かれていますが、実際に見たそのままなのではないかと思います。
 平和についての強いメッセージ性のある絵本ですが、実は与那国島の風景や動物、人々の姿が生き生きと描かれているからこそ、メッセージが生きているように思います。
 「平和」といえば、多くの人がそれを願います。
 では、具体的にどのような状態を「平和」というのか、そのあたりを安里くんはさりげなく書いています。
 だから、伝わってくるといえます。

 安里くんが思う「平和」は、「おともだちとなかよし」だし、「かぞくが、げんき」だけではありません。
 「ねこがわらう」のも「平和」だし、「よなぐにうまが、ヒヒーンとなく」のも「平和」なのです。
 だからこそ、そんな「平和」がずっと続けばいいと思うし、「ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」とうたえるのです。
 私たちは「平和」の意味を難しく考えすぎることがあります。
 おとなだから、難しい言葉で説明しようとします。
 おとなだから、さもわかったふりをします。
 でも、安里くんはそんな重荷をひとつも持っていません。
 自分の目の前に広がる風景を大事にしたいと願っているだけです。

 タイトルはストレートですが、それでいいのではないでしょうか。
  
(2014/11/02 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から11月
  来週には立冬を迎えます。
  俳句の世界には
  「暮の秋」や「行く秋」、
  「秋惜しむ」「冬隣」といった
  きれいな季語があります。

    秋惜しみをれば遥かに町の音     楠本 憲吉

  今日は楠部三吉郎さんの『「ドラえもん」への感謝状』という
  本を紹介します。
  アニメが好きな人は多いと思いますが
  そのアニメがどこの制作会社で
  作られているかは
  知らない人も多いと思います。
  アニメ『ドラえもん』を制作しているのは
  シンエイ動画という会社です。
  楠部三吉郎さんはその会社で代表をしていたという人。
  『ドラえもん』がここまで人気者になったのも
  楠部三吉郎さんの努力があったからこそ。
  そのあたりのことが
  この本に書かれています。
  アニメが好きな人、
  『ドラえもん』が好きな人、
  必読の一冊です。

  じゃあ、読もう。

「ドラえもん」への感謝状「ドラえもん」への感謝状
(2014/09/01)
楠部 三吉郎

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sai.wingpen  格好いい男                   

 『ドラえもん』はいうまでもなく漫画家藤子・F・不二雄さんの代表作である。
 同時にアニメ『ドラえもん』を見て育った人たちも多いのではないかと思う。
 テレビ朝日系のアニメ『ドラえもん』が始まったのは(わざわざテレビ朝日系とことわったのは、この本にも書かれているがそれ以前に日本テレビ系で放映されていたから)1979年4月2日で、2014年には35周年を迎えた長寿アニメである。
 雑誌とテレビという媒体を比べた場合、やはりテレビの方が圧倒的な力を持っている。だから、ドラえもんが動く姿やドラえもんの声といったことはテレビアニメから刷り込まれていっただろう。
 その現象は長谷川町子さんの『サザエさん』にもいえる。

 この本はテレビアニメ『ドラえもん』の制作会社であるシンエイ動画の代表取締役を経て現在名誉会長である楠部三吉郎氏の半生を綴ったものだが、そういう組織上の肩書よりもアニメ『ドラえもん』を生み出した人といった方がわかりやすい楠部氏の、破天荒な生きざまと『ドラえもん』誕生秘話が語られた一冊という方が、この本には似合っている。
 ここにはMBAで習うようなビジネスモデルはない。
 一昔前の、剛毅で義理に熱く涙もろい浪花節のような営業の世界があるだけだ。お酒があって女がいて、啖呵があって、怒声がある。
 一見『ドラえもん』の優等生ぶりとは程遠いようではあるが、『ドラえもん』がこれほどに愛されるのはかつて私たちが日常ふれていた世界がそこにあるからで、そこには野原があり土管がありやはり浪花節のような情にもろい世界があるからだと考えれば、楠部氏のビジネスのありようも『ドラえもん』の世界に合い通じるものがあるような気がする。

 アニメ『ドラえもん』を見て育った子どもたちも今では40歳になって仕事人としては中堅どころだろう。
 『ドラえもん』の自由奔放さをどこかに追いやって。MBAの行儀のいい仕事をしているのかもしれない。
 しかし、アニメ『ドラえもん』を生み出した人物は今も変わらず奔放である。
 そんな楠部氏を称して「格好いい男」と作家の大沢在昌氏が「あとがき」にかわる巻末の寄稿文で書いている。
  
(2014/11/01 投稿)

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