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プレゼント 書評こぼれ話

  還暦同窓会から
  一週間近くありますが、
  まだ同窓会の余韻のまま。
  大阪の高校を1973年に卒業しました。
  今回の還暦同窓会
  その時の高校のもの。
  会場ですでに還暦を迎えて同級生は
  半分以上。
  私はこれから。
  あと半年を切りました。
  一年の浪人のあと
  東京の大学に行きました。
  好きだった同級生の女の子には
  上京して間もなく
  見事に振られました。
  そのあと、いいことはありませんでした。
  寮生活も二年で嫌になり
  彼女が住んでいる街に引っ越しました。
  それが今日紹介した
  高平哲郎さんの『ぼくたちの七〇年代』の時代でしょうか。
  今日は再録書評で紹介します。
  一度だけ彼女と引っ越した街で会ったことが
  あります。
  なんとも甘酸っぱい思い出です。
  そんな頃流行っていたのが
  小坂恭子さんの「思い出まくら」。
  そんなことを
  今でも思い出します。

  じゃあ、読もう。

ぼくたちの七〇年代ぼくたちの七〇年代
(2004/01/01)
高平 哲郎

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sai.wingpen  こんな日はあの人の真似をして−私の思い出まくら  

 「わが巨人軍は永久に不滅です」そういってミスター・ジャイアンツ長島茂雄が引退したのは、一九七四年十月だった。
 私はその中継を東京の学生寮の食堂で見ていた。特に巨人が好きだったわけでもなかったし、長島のファンだったというのでもない。なのに悲しかった。
 あの時、学生寮の食堂に何人かがいて、同じようにテレビを見ていたはずなのに、記憶の中では私一人がポツンとテレビの前にいる。
 十九才の私は、つまらないほど孤独だった。

 どうして人は七〇年代を特別扱いしたがるのだろうか。
 戦後の日本がその姿を大きく変えたのは、六〇年安保を経て、岩戸景気といざなぎ景気という高度経済成長期であったはずだが、六〇年代はうっちゃられて、七〇年代を懐かしむのは何故だろう。
 七三年のオイルショックで時代はひとつの終焉をむかえたが、その少し前から人々は走ることに疲れていた。
 みんなが同じスピードで走ることに疑問を持ち始めていた。それぞれが自分にあった速度で歩き始めたのが七〇年代だといえる。
 そういう意味で、情報だけを提供する雑誌『ぴあ』が創刊(72年)されたのは、時代の象徴ともいえる。自分が好きなものを自由に選べる時代、それが七〇年代であった。

 雑誌『宝島』の元編集長であった高平哲郎の七〇年代クロニクル(年代記) であるこの本は、極めて個人的な回想録である。
 植草甚一や赤塚不二夫、山下洋輔といった仲間たちとしゃべり、酩酊し、はしゃぐ著者は時代の先端にいたはずなのに、なんの衒いもない。
 タモリというタレント(まさに才能というべきだろう)を生み出したその現場にいながら、気分の高揚こそあれ特段の感慨を描写するまでにはいたらない。実はこれこそが七〇年代そのものかもしれない。
 この本に描かれているのは、高平氏にとって、あるいはその仲間たちにとっての七〇年代であり、私にとっての、あるいはあなたにとっての七〇年代はもっとちがったところにあるのだろう。
 それぞれが自身の七〇年代をもっている。そのことに気がつかされた一冊である。

 「本当に私たちは幸せでした」そういってキャンディーズが解散したのは、一九七八年四月だった。
 長島茂雄が引退した同じ後楽園球場での解散コンサート。私の記憶にはその時の映像があるが、それをどこで見ていたのかまるで思い出せない。特に彼女たちのファンだったわけではない。なのに悲しかった。
 二三才の私は、まだつまらないほど孤独のままだった。
  
(2004/02/29 投稿)

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