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プレゼント 書評こぼれ話

  早いもので
  この間年が明けたと思ったら
  その1月も今日でおしまい。
  今日は
  葉室麟さんの『散り椿』を
  紹介します。
  葉室麟さんの作品は
  できるかぎり
  読んでいるつもりですが
  2012年3月に刊行されたこの作品は
  読み落としていました。
  ちょうど『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞したのと
  同時期の作品になります。
  先月の角川文庫の新刊に出たので
  気がつきました。
  書評にも書きましたが、
  この作品の主人公もいい。
  こんな言葉を
  物語の中で口にしています。

    ひとは大切に思うものに出会えれば、
    それだけで仕合せだと思うております。

  なかなかこんな言葉を口にできる
  男はいませんよ。
  女性の皆さん、
  惚れるならこんな男性がいいのでは。

  じゃあ、読もう。

散り椿 (角川文庫)散り椿 (角川文庫)
(2014/12/25)
葉室 麟

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sai.wingpen  こんな男になりたいものだ                   

 正岡子規門下の双璧といえば、高浜虚子と河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)である。
 子規の没後、二人の運命は違ったものになったが、碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」は今でもなお名句として語られることが多い。
 椿の花は花ごとぽとりと落ちることで知られている。この俳句にはそういう気分も詠まれているような感じがする。
 それもまた風情だろうが、武士は首が落ちるようだと忌み嫌ったという。
 その一方で、この作品のタイトルとなっている「散り椿」は花びらが一片一片散っていくそうだ。

 「もう一度、故郷の散り椿が見てみたい」という妻は病床にいる。
 願いは叶いそうにない。
 そんな妻が夫に願ったもうひとつのこと。
 夫は問う。「そなたの頼みを果たせたら、褒めてくれるか」。
 妻が答える。「お褒めいたしますとも」。
 夫の名は瓜生新兵衛。かつて藩の不正を正そうとしながらも策略にはまり藩を追われる。
 妻の名は篠。かつて好きな男と縁組目前で破断となり、その後新兵衛の元に嫁ぎ、夫とともに藩を出た。そして、短い生涯を閉じる。
 そんな妻の願いを叶えるべく、かつて追われた扇野藩に戻った新兵衛を待ち構えていたのは、以前よりも深刻化した藩の派閥争いであった。

 新兵衛が頼ったのは、篠の妹里美の屋敷。
 里美の夫はかつて新兵衛とともに藩の道場で四天王と呼ばれていた武士だが、何事かの策略により自害し果てていた。
 その遺児藤吾がこの長い物語の語り部のように、さまざまな事件に関わっていく。
 篠が願ったものは何か。
 藩の派閥争いの決着は。
 物語の進行とともにたくさんの人物が亡くなっていくが、まさにそれは散り椿の、散りざまの姿に似ている。

 何よりも主人公の新兵衛の造形が、いかにも葉室麟らしい。
 「生きてきた澱を身にまとい、複雑なものを抱えた中年の男」新兵衛であるが、亡き妻を今なお愛し、若い頃の仲間たちと共に生きようとする姿は、美しい。
 若い藤吾が次第に新兵衛に魅かれていくのもわかる気がする。
 そういう主人公の一途さは葉室麟の得意とするところだし、葉室作品の人気の根源でもある。
 この作品でも、それがよく生かされている。
  
(2015/01/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はちくま評伝シリーズ<ポルトレ>の一冊
  『黒澤明』です。
  何度も書いていますが
  このちくま評伝シリーズ<ポルトレ>
  今までの伝記にはない
  人たちを取り上げている点が
  とてもユニークです。
  この『黒澤明』にしても
  中高生向きの評伝では
  書かれてこなかったのでは
  ないでしょうか。
  私が映画に夢中になったのは
  高校生の頃ですから
  今の高校生でも
  映画が大好きという人は
  たくさんいると思います。
  私たちの時代は
  名画座が全盛でしたから
  黒澤明の作品も
  よく観ることができました。
  今はレンタルショップで
  黒澤明監督作品も簡単に観れるでしょうが
  やはり黒澤明の作品は
  映画館で観たいところです。
  ところで
  私が推す黒澤作品ですが
  『酔いどれ天使』かな。
  
  じゃあ、読もう。

ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉黒澤明: 日本映画の巨人 (ちくま評伝シリーズ“ポルトレ”)ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉黒澤明: 日本映画の巨人 (ちくま評伝シリーズ“ポルトレ”)
(2014/10/24)
筑摩書房編集部

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sai.wingpen  黒澤明という骨太の人生                   

 ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>の一冊。
 黒澤明は確かに「日本映画の巨人」であるが、今の中高生は黒澤作品を観たことがあるだろうか。
 あるいは、中高生の父親母親世代も同時代的に黒澤作品と接していないのではないか。
 私が映画に夢中になっていた昭和40年代、映画監督黒澤明は苦境に立たされていた。
 アメリカの映画会社20世紀FOXと共同して制作を発表した『トラ・トラ・トラ!』はクリンクインしたがトラブルが相次ぎ黒澤は解任される。
 自身初のカラー作品となる『どですかでん』もヒットしない。
 昭和46年の12月には自殺未遂事件まで引き起こしている。
 つまりは、黒澤明ということでは私はいい面をみていない。
 このあと、黒澤は『影武者』や『乱』、『夢』といった作品で復活するが、往年の勢いはない。
 やはり黒澤映画に勢いがあったのは昭和30年代だろう。

 黒澤明は1910年東京に生まれた。幼い頃はひ弱で泣き虫だったという。
 小学校で生涯の恩師となる教師に巡り合ったことで黒澤は変貌していく。のちに偉人と呼ばれる人には黒澤のように良き教師との出会いがよくある。
 若い頃、どの道に進むべきか、人は時に迷う。そんな時、教師はその道筋を示してくれる。
 教師という職業の尊さは、一人の人間の生涯をも左右させるところにあるのだろう。
 若い黒澤が目指したのは絵画の道だが、それにも挫折し、ある日「助監督募集」の記事を目にして応募することになる。
 この本ではこの「助監督募集」の場面が最初に描かれている。
 ここでも黒澤は運命的な人と出会う。映画監督の山本嘉次郎だ。
 黒澤明という人には独裁者的なイメージがあるが、実は黒澤ほど人との出会いで救われた人もいないのではないかと思う。
 三船敏郎ともそうだし、植草圭之助ともそうだ。

 この評伝では父や兄とのこともうまくまとめられている。
 そういった人間関係だけでなく、黒澤の代表作ともいえる『七人の侍』や『姿三四郎』の制作時の裏話も織り交ぜ、黒澤の生涯を知るだけでなく、黒澤作品を観てみたいと思わせるに十分なエピソードが多数入っている。
 この評伝を読んで、まずは昭和30年代の黒澤作品を観てもらいたいものだ。
  
(2015/01/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  NHKEテレビの「100分de名著」の
  今月の1冊、
  岡倉天心の『茶の本』は
  昨日で終了しましたが、
  せっかく番組を見てるなら
  その本そのものも読まないといけないと
  深く反省して
  『茶の本』を
  読みました。
  番組で学んだことが書評に生かされたかというと
  なかなかそういうことでもないのですが。
  もちろん岡倉天心の『茶の本』を
  読むのは初めてで
  番組で取り上げられなかったら
  おそらく死ぬまで
  読んでいなかったでしょうね。
  その点では
  ありがたい機会でした。
  もともとは明治時代の本ですが
  とても読みやすいし
  今でも十分通じるところがあって
  若い人にも
  ぜひ読んでもらいたい1冊といえます。
  なお、本の著者岡倉覚三
  岡倉天心の本名です。

  じゃあ、読もう。  

茶の本 (岩波文庫)茶の本 (岩波文庫)
(1961/06/05)
岡倉 覚三

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sai.wingpen  明治は遠くなりにけり                   

 中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と俳句を詠んだのは、昭和6年(1931年)のことである。
 岡倉覚三こと岡倉天心がこの本をアメリカで出版したのは明治39年(1906年)のことで、岩波文庫の一冊に収められたのが昭和4年(1929年)だから、人々の感慨はまさに「明治は遠くなりにけり」だったかと思う。

 この本はまずタイトルがいい。(出版時は『THE BOOK OF TEA』)
 この本の解説を書いた福原麟太郎によれば、天心の主著はこの本と『日本の目覚め』『東邦の理想』の3冊だということだが、他の2冊に比べてずっとシンプルだし外国の人も手にしやすいタイトルだ。
 もっとも読み始めて、その内容が日本の文明論であることに驚いたかもしれないが。

 この本は「人情の碗」「茶の諸流」「道教と禅道」「茶室」「芸術鑑賞」「花」「茶の宗匠」の、7つの章に分かれている。
 この章題だけを読めば、いくつかの章は茶道の本らしいことも書かれているように思えるが、天心がこの本で言おうとしたのは日本や東洋の理解であったといえる。
 天心は「いつになったら西洋が東洋を了解するであろう」と書いている。
 「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっている間は、野蛮国」と呼び、「満州の戦場に大々的な殺戮を行ない始めてから文明国」と呼んでいるとしている。
 この天心の見方は書かれてから100年以上経った現代でも通用する。
 経済大国になった日本だから先進国になったとすれば、それは天心がもっとも危惧したことかもしれない。
 ようやくにして、日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価 されている「クールジャパン」が注目を集めているが、それは「茶」ではないが、これこそ天心のこの作品に込めた思いの成就といえるのではないだろうか。

 天心は最後に「美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる」と記している。
 ここでいう「美」はまさにこの本に書かれたさまざまなことを指している。
 この本が書かれた時から100年以上経って、私たち日本人がどこまで天心が願ったことを実現しえたかどうかわからない。
 「いつになったら現代人が私の願いを了解するであろう」、天心の声が聞こえてきそうだ。
  
(2015/01/29 投稿)

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本 二日続けて
 宮本輝さんのエッセイ集を
 紹介したので、
 今日は2009年9月に書いた「私の好きな作家たち」の
 宮本輝さんのことを書いた
 記事を再録します。
宮本輝
本 宮本輝さんにはまったのは、
 三〇代前半の頃ですね。
 やっぱり、『錦繍』でとりこになりましたね。
 今でも、秋が深まる頃には読みたくなる一冊です。
 書き出しがいい。
 
   前略
   蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと
   再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。

 この『錦繍』は、元夫婦の間でやりとりされる書簡体文学なんですが、
 本当にきれいで、深い、愛の物語です。
 作中に出てくる、

   生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない。

 なんて、今でもふっとすぐに思い出されます。
 本当にこの『錦繍』は何度読んだことでしょう。

本 もちろん、宮本輝さんの初期の川三部作、
 『泥の川』『蛍川』『道頓堀川』もいいですし、
 『青が散る』『ドナウの旅人』『優駿』の長編もいいし、
 『二十歳の火影』『命の器』といったエッセイ集もいい。
 本当にあの頃は宮本輝さんの本が出るたびに読みふけっていました。
 これほど、いっときにはまった作家も少ないですね。
 たぶん、三〇代の私の心のありようと、
 宮本輝さんの描く作品がうまくあったのでしょうね。

本 そもそも、私がbk1書店というオンライン書店に書評の投稿を始めたときに
 使った「夏の雨」というネームも、以前書きましたが、
 宮本輝さんの『朝の歓び』という長編小説にでてきた一節、

   あなたが春の風のように微笑むならば、
   私は夏の雨となって訪れましょう。

 からとったものです。
 慈愛の風と慈愛の雨。
 この『朝の歓び』が単行本で出たのが1994年ですから、
 本当に私の三〇代は、宮本輝さんの作品にどんなに癒されたことでしょう。

 宮本輝さんの作品のような色合いの物語は、
 人生でたった一度きりの出会いなのかもしれないと思います。

本 それに、宮本輝さんの本の装丁で、
 有元利夫さん(1946-1985)という画家に巡り逢えたのはよかったと思います。
 もし、宮本輝さんの本を読まなかったら、
 有元利夫さんの、深い悲しみをこめたような作品を知ることは
 なかったでしょうね。
 それもありがたい。
 今回掲載した、新潮文庫の『錦繍』のカバーも、
 有元利夫さんの作品です。

本 最近でこそ、あまり宮本輝さんのいい読者ではありませんが、
 この人をはずして、自身のあの頃がないと思うと、
 やはり、大切な作家のひとりです。

 紅葉が織りなす、秋の一冊として、
 『錦繍』はぜひおすすめします。

錦繍 (新潮文庫)錦繍 (新潮文庫)
(1985/05)
宮本 輝

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日宮本輝さんの
  『いのちの姿』というエッセイ集を
  紹介しましたが、
  懐かしさのあまり、
  今日は1983年に刊行された
  『命の器』という
  エッセイ集を紹介します。
  もちろん、これは再読。
  再再読ぐらいかも。
  1983年というのは
  私が28歳の頃。
  昨日のこぼれ話に書いたように
  このあと宮本輝さんは
  どんどん長編小説を
  書いていきます。
  いやあ、懐かしい。
  なんか旧友に再会したような
  うれしい気分にさせてくれます。
  また
  宮本輝さんの作品を
  読み返したくなります。

  じゃあ、読もう。

命の器 (講談社文庫)命の器 (講談社文庫)
(1986/10)
宮本 輝

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sai.wingpen  あの頃のあなた                   

 1983年に刊行された宮本輝のエッセイ集。
 1977年に『泥の河』でデビューし、翌年には第78回芥川賞を『蛍川』で受賞。それからわずかの期間しか経っていないが、この時期このエッセイ集に先行して『二十歳の火影』というエッセイ集も上梓していることを考えれば、若手注目作家として原稿依頼が殺到していたと思われる。
 それから30年近い歳月を経て、宮本は芥川賞の選考委員にもなり、今や日本文学界の重鎮の趣すらある。
 2014年の暮れに刊行されたエッセイ集のタイトルが『いのちの姿』であることを思えば、同じ読みながら初期は「命」と漢字表記され、今は「いのち」とふりがな表記されている。
 おそらくそのことに意味はないのであろうが、読者としては「命」と漢字表記した頃の歯をくいしばっているような印象から「いのち」と柔らかく表記した年齢の重なりを思わないでもない。

 表題作である「命の器」という短いエッセイにしても、まだ一人よがりのところが若書きともいえる。
 しいていえば、必死になって何かに歯をむいているようなぎらぎら感がある。
 初期の宮本作品はそのような思いを抒情的な装飾でくるんでいるところがあって、エッセイでは余計にその部分が出ているともいえる。
 それから30年も経って、「いのち」という表記にした宮本こそ、「どんな人と出会うかは、その人の命の器次第」という「命の器」の最後に書かれた一節を体現したようにも思えるのだ。

 芥川賞の選考委員になった宮本であるが、このエッセイ集には自身の芥川賞受賞時のことを記したものも数篇収められている。
 その中の一つ、「芥川賞と私」では、芥川賞に執念を燃やした自身をこう書いている。
 「芥川賞発表の季節がくると、その受賞作の活字を嫉妬と焦燥に乱れた目で追った。芥川賞だけがすべてあった」。
 若い頃のそんな自身の姿がよぎれば、選考委員としてやさしい言葉もかけたくなるだろうが、どちらかといえば厳しい選評に、それもまた宮本輝らしさがでているともいえる。
 もしかしたら、今でも「嫉妬と焦燥に乱れた目で」読んでいるのではないだろうか
  
(2015/01/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  宮本輝さんの『いのちの姿』という
  エッセイ集を紹介します。
  書評にも書いているように
  私は30代の頃
  宮本輝さんに夢中になっていました。
  10代の頃は
  大江健三郎さんや倉橋由美子さん、
  開高健さんに熱中し、
  20代の頃には沢木耕太郎さんにはまり、
  そのあと宮本輝さんと
  続いていきます。
  そのあとには
  村上春樹さんとか吉本ばななさん。
  そう考えれば
  作家との付き合いというのも変ですが
  人とのつきあいによく似たところが
  あります。
  久しぶりに読む
  宮本輝さんの本。
  書評タイトルに「再会」とつけたのは
  そういう思いもあって。

  じゃあ、読もう。

いのちの姿いのちの姿
(2014/12/05)
宮本 輝

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sai.wingpen  再会                   

 30代の頃、宮本輝の作品に夢中になっていたことがある。
 単行本で読んで、文庫本になってまた読んで、初期の代表作のひとつである『錦繍』などは何度読んだことだろう。
 時代は昭和から平成にかかる頃だった。
 ところが、ある時を境に宮本輝の作品が読めなくなった。新作を読もうとしても途中で投げ出してしまう。どれを読んでも同じではないか。そんな気がした。
 まるでそれまでの華麗な色彩の世界が突然色を失せたように、私は宮本輝の世界から遠ざかった。

 宮本輝は「小説に専念したい」と、ある時期からエッセイを書くことをやめていたという。
 初期には『二十歳の火影』『命の器』といった珠玉のエッセイ集を出しているのに。
 本書はそんな宮本がなじみの京都の料亭「高台寺和久傳」の大女将から頼まれて断りきれずに書き始めたエッセイをまとめたものだ。
 掲載誌が創刊されたのが2007年というからもう8年近く経つ。その間、宮本が書いたエッセイはこの本に収録されている14編だけかもしれない。
 1年に2編。そんなスピードが宮本に合ったのであろうか。

 このエッセイに書かれていることはけっして新しい内容のものばかりではない。
 阪神淡路大震災のあった1995年、シルクロードを旅したことがいくつかの作品に登場する。
 旅といえば、『ドナウの旅人』取材のためのドナウ河紀行。
 あるいは、宮本が得意とする青春期の暗澹たる日々の記憶(「兄」や「ガラスの向こう」)などは初期の宮本作品を喚起させる。

 なんともゆったりとした文章、それでいて宮本らしい自信に満ちた内容。
 私にとっての、久しぶりの宮本輝であったが、宮本輝の世界を十分愉しんだ。
 宮本にも時間が必要であったように、私にも宮本に戻る時間が必要だったのかもしれない。
 まだ読める。また読める。
 小さなエッセイ集で、宮本輝に再会した思いがする。
  
(2015/01/26 投稿)

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  今日紹介するのは
  長谷川集平さんの『れおくんのへんなかお』。
  長谷川集平さんは1955年生まれですから
  私と同い年生まれ。
  学年は一つ下。
  だから、同じ匂いを感じます。
  この作品の中に
  赤塚不二夫さんの「シェー」が
  描かれていますが
  このパフォーマンスを
  わかるのは
  私たちの世代あたりでしょうか。
  今週は今年の歌会始の入選歌を
  いくつか紹介してきましたが
  こんな歌も
  選ばれています。

    雉さんのあたりで遠のく母の声いつも渡れぬ鬼のすむ島

  たぶん「桃太郎」の絵本なんかを
  お母さんに読んでもらっているのでしょう。
  でも、雉(きじ)が登場するあたりで
  いつも眠ってしまう。
  お母さんに絵本を読んでもらえる
  幸福。
  なんともあったかい光景です。
  絵本はそんな温かさも
  つれてきます。

  じゃあ、読もう。

れおくんのへんなかおれおくんのへんなかお
(2012/04/03)
長谷川 集平

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sai.wingpen  喧嘩するほど仲がいい                   

 小学生の頃に大変仲の悪い女の子がいました。
 何かあれば言い合いをしていて、それがどんな内容であったかは全く記憶にないのですが、担任の先生に言われた一言だけはよく覚えています。
 「男と女は喧嘩するほど仲がいいものだ」。
 そのあとその女の子と仲良くなった記憶もないのですが、なんだかその言葉があたっていないともいえなかったような気恥しい思いだけが残っています。
 仲がいいというには、ついちょっかいを出してしまいがちのような気がします。

 長谷川集平さんのこの絵本は、そんな小学生の姿を描いています。
 学校の帰り道、ぼくを待っていたれおくんは「シェー」のポーズ、これは昭和30年代に生まれた子どもならみんなしたと思いますが赤塚不二夫さんの漫画「おそ松くん」に登場するイヤミの決めポーズです、をしたり、顔面七変化をしたりで、ぼくを笑わせます。
 でも、ほかの友だちに聞いても、れおくんにへんなところはありません。
 どうして、ぼくにだけ、れいくんはへんな顔をするのでしょう。

 ある日、ぼくのお母さんがしている太極拳の見た帰り、勇気をだしてぼくはれおくんに訊いてみました。
 「なんでぼくにだけへんなかおするの?」
 れおくんは答えます。
 「ともだちにしかみせられないかおがあるんだよ」って。
 この場面を描く長谷川さんの絵が素敵です。
 この時二人は見晴台の上に立っているのですが、風が吹いていて、二人の髪はなびいています。
 まっすぐ遠くを見つめるれおくんの目は大きく開かれ、澄んでいます。
 れおくんを見つめるぼくの顔も真剣です。
 風、それはこれから二人が向かうであろう人生という風かもしれません、を絵本が見事に伝えてくれます。

 「ともだちにしかみせられないかお」。
 それは愛する人にしか見せられない顔のことです。
 いつもまじめに上品ぶっているのは疲れます。
 本当の私、本当の私の顔を見せた時、人はどれだけ安らげることか。
 長谷川さんのパステル基調のこの絵本に、そんなことを教えられました。
  
(2015/01/25 投稿)

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  今日は
  ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>の一冊
  「レイチェル・カーソン」を
  紹介します。
  このシリーズは
  中高生向きに新たに編まれていますが
  レイチェル・カーソンを取り上げたのも
  いい試みだと思います。
  レイチェル・カーソンが書いた『沈黙の春』は
  残念ながら
  私は読んでいないのですが
  著者の名前だけは
  よく知っています。
  でも、どんな人生であったかは
  この本を読むまで
  知りませんでした。
  そういう人も多いと思います。
  まして、
  中高生の頃は
  虫であったり鳥であったり
  生物に興味が高まる頃でもあります。
  ぜひ、
  若い人に読んでもらいたい一冊です。
  ちなみに
  巻末エッセイは生物学者の福岡伸一さんが
  担当しています。

  じゃあ、読もう。

  
ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉レイチェル・カーソン: 『沈黙の春』で環境問題を訴えた生物学者 (ちくま評伝シリーズ“ポルトレ”)ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉レイチェル・カーソン: 『沈黙の春』で環境問題を訴えた生物学者 (ちくま評伝シリーズ“ポルトレ”)
(2014/10/24)
筑摩書房編集部

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sai.wingpen  あなたは、レイチュル・カーソンを知っているか。                   

 人は誰しも一度きりの、自分の人生しか生きることはできない。
 どんなに素晴らしい人生であっても、それが他人のものであるかぎり、生きることはできない。もしできるとすれば、本を読むこと。
 人の生きた道をたどるということは、読書の一つの効用でもある。
 筑摩書房から刊行されている<ポルトレ>は、中高生向きに編まれた評伝シリーズで、「易し過ぎず、難し過ぎない」をモットーにしている。
 中高生向きだからといって、おとなが読んではいけないことはない。
 おとなだって、知らないことばかりだ。
 ちなみに聞いてみるといい。
 あなたは、レイチュル・カーソンを知っているか。

 レイチュルが合成化学薬品の有毒性を説いた『沈黙の春』の著者であることぐらいは常識として知っているかもしれない。
 しかし、おそらくそれ以上のことはあまり知らないのではないか。私もこの本を読むまでは、知らなかった。
 少しおさらいをすると、レイチュル・カーソンは1907年アメリカのペンシルベニア州で生まれた。生活的にはけっして豊かではなかった。そんな彼女が大学まで進めたのは教育熱心な母親がいたこととレイチュル自身も勉学が好きだったことがあげられる。
 一家は彼女の進学のために少しばかりの資産まで手離していく。
 彼女に転機が訪れるのは大学2年の時。一人の先生と出会い、文学の道を志していた彼女は生物学の世界へ進路を変える。
 そのことでのちに彼女は「海の伝記作家」と呼ばれるほどの書き手になっていく。
 レイチュルは『沈黙の春』の作者だけでなく、すでに海洋ものの著作をいくつも執筆していた人気の高い書き手であったのだ。
 レイチュルが『沈黙の春』を出版したのは1962年。55歳の時。
 しかし、そのあとわずか1年ばかりで彼女は癌で亡くなる。56歳だった。

 『沈黙の春』はその後の環境保護の先がけになった一冊だから、作者の人生とは別の存在になったともいえる。
 しかし、作者の人生を振り返ることで、また違ったものが見えてくるのも事実だろう。
 レイチュルは「目的を達成するためには、人はみな大きな夢を見なければなりません」と友人に手紙を書き送ったという。
 この一冊は、大きな夢を読者に届けてくれる。
  
(2015/01/24 投稿)

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  昨日
  永田和宏さんの『現代秀歌』を
  紹介しましたが
  永田和宏さんの奥さんは
  歌人、故河野裕子さん。
  今日は
  河野裕子さんのエッセイ・コレクションの3冊めにあたる
  『どこでもないところで』を
  紹介します。
  夫婦で同じ職業というのも
  吉村昭さんと津村節子さんの作家同士のように
  大変だと思います。
  それぞれの思いが
  交差しますからね。
  昨日今年の歌会始の入選歌を紹介しましたが
  こんな歌も選ばれています。

    二人して荷解き終へた新居には同じ二冊が並ぶ本棚

  50代後半の男性の歌ですが
  新婚当時と思われる
  若い夫婦の姿が彷彿とされます。
  永田和宏さんと
  河野裕子さんにも
  「同じ二冊」の本があったのかもしれません。

  じゃあ、読もう。

どこでもないところで - 河野裕子エッセイ・コレクション*** (河野裕子エッセイ・コレクション 3)どこでもないところで - 河野裕子エッセイ・コレクション*** (河野裕子エッセイ・コレクション 3)
(2014/10/24)
河野 裕子

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sai.wingpen  死と向き合うこころ                   

 「歌を作りつつ己の死を見つめ、死と懇ろになることによって、死を受け容れようとしていたような気がする」。
 これは、河野裕子の夫である歌人永田和宏が『現代秀歌』という現代の歌人とその代表歌を紹介解説した本の中に描かれている、病魔と戦う晩年の河野裕子の姿である。
 河野裕子は2010年8月に亡くなった現代短歌を代表する歌人であったが、それを裏付けるように没後歌集だけでなく、この本に先立ってすでに2冊のエッセイ・コレクションも刊行されている。

 歌人河野裕子は1972年に出版した第一歌集『森のやうに獣のやうに』で歌人として出発した。
 その際の、それからあとの自身の思いが、このエッセイ集の冒頭に掲載された「生命の混沌」に綴られている。
 「私を作歌に駆り立てて来たもの、それは、(中略)、今のこの一瞬をおいて無いいのちの燃焼感」というものだったと、そこにはある。
 永田が描いたのは「死を受け容れようとしていた」晩年の河野の姿だが、実は歌人として河野は常に生まれては消えていくいのちと向き合ってきたといえないだろうか。
 河野は多くの愛の歌や家族の歌を遺しているが、愛する人も愛する家族もいずれ消え行くものとして、だからいっそう愛しいものとして河野の目に映ったような気がする。

 残念ながら、エッセイ・コレクション3冊目にあたる本書にはそういう作品が少ないが、それを補うようにここでは小さな短歌論であったり歌人論が収録されている。
 特に正岡子規を描いたエッセイ、「家長子規」と「子規と草花帖」は、家制度を濃厚に残した明治という時代を生きた正岡子規の姿を生き生きと描いた好篇である。
 病魔に冒され母親や妹につらくあたる子規ではあるが、その姿を河野は慈しむように見ている。
 後に癌という病に冒された河野自身が家族に持っていき場のない感情を押し付けることになるが、それさえも許しの心があったのであろう。そんなことを予感させるエッセイになっている。

 河野裕子のエッセイ本はこれが最後になるようだが、これからも何度も読まれ続けていくにちがいない。
  
(2015/01/23 投稿)

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  先日皇居で行われた
  歌会始
  今年の題は「」。
  皇后さまの歌がとてもいい。

    来し方に本とふ文の林ありてその下陰に幾度いこひし

  読書家でもあられる
  皇后さまらしい歌です。
  今日紹介する
  永田和宏さんの『現代秀歌』でも
  皇后さまの歌が紹介されています。
  その永田和宏さんは
  歌会始の選者でもあります。
  永田和宏さんが
  詠んだ一首。

    本棚の一段分にをさまりし一生の量をかなしみにけり

  今年の入選歌には
  15歳の女の子の歌もあって
  これがまた、いいんです。

    この本に全てがつまつてるわけぢやないだから私が続きを生きる

  その他の入選の歌も
  いいものが多いのは
  やはり本の持っている力なのかもしれません。
  来年のお題は、
  「」です。

  じゃあ、読もう。

現代秀歌 (岩波新書)現代秀歌 (岩波新書)
(2014/10/22)
永田 和宏

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sai.wingpen  歌の読みには正解はない                   

 本書は2013年に刊行された同じ著者による『近代秀歌』の姉妹編にあたる。
 難しいのは、「近代」と「現代」との区切りであろう。
 著者の歌人永田和宏は「昭和20年代後半におこった前衛短歌運動を境目」として、塚本邦雄や寺山修司が登場してから以降を「現代短歌」とする説に与しているようだが、この岩波新書では『近代秀歌』で取り上げた歌人以降をこの本では対象としているという。
 わかりやすくいえば、『近代秀歌』の続編となる。

 ただ編集にいくつかの違いがあって、取り上げた歌人の数が100人であること、1人1首としていること(但し、これは掲句に限ってで、例えば永田の妻である故河野裕子の場合では色々な箇所で複数の歌が紹介されている)、「恋・愛」「青春」といったテーマで括る方法は同じながら「新しい表現を求めて」という新しいテーマを加えていることが挙げられる。
 いずれにしても永田自身がこの「現代」の範疇にはいる歌人であり、これらの歌を「100年後まで残したい」という思いと相俟って、力作であることにはちがいない。

 歌人や歌の紹介だけではない。
 解説の端々に著者の考える短歌論が紹介されている。
 中でも目をひいたのが、「歌の読みには正解はない」ということだ。「どう読めば、自分にとって歌がいちばん立ちあがってくるか」の「自分にとって」が重要なのだろう。
 わかりやすい例でいえば、俵万智。本書では4首の歌が紹介されているが、自分の「100年後まで残したい」歌はそうではなく別のものであっても構わないのだ。
 本書はあくまでもそのきっかけになればいい。

 本書で気にいった歌をひとつあげるとすれば、私は花山多佳子の「大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり」だ。
 短歌という枠組みながら、とてつもなく広がるドラマを感じる。
 日常でありながら非日常が嵌め込まれていて、この一首に集約される生活が映画のように喚起されてくる。

 本書の「おわりに」で永田は「自らの思いを誰かに<伝える>ということにおいて、歌がいかに大切な表現手段になる得るか」と、自身と河野裕子との最期の日々を追想している。
 これも秀逸だ。
  
(2015/01/22 投稿)

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  今日は
  後藤正治さんの『清冽 - 詩人茨木のり子の肖像』を
  紹介します。
  この本は再読になります。
  
    最初の書評はこちらから。

  2014年11月に
  中公文庫の一冊に入りました。
  文庫解説は
  ノンフィクション作家の梯久美子さんが
  書いています。
  茨木のり子さんの名前を有名にした
  詩「「倚りかからず」のことを記した
  朝日新聞の「天声人語」(1999年10月16日)の全文も
  この本に掲載されています。
  その中にこんなくだりがあります。

    自分がかりにそこまで生きられたとして、
    「倚りかからない」ことを心底学べるだろうか。


  それはこのコラムを書いた天人だけでなく
  詩を読んで誰も感じる思いでしょう。
  茨木のり子さんは
  「現代詩の長女」と呼ばれることもあるが
  「長女」というものがもっている
  背筋の伸びた生き方を
  よく表しているような気がします。

  じゃあ、読もう。

清冽  - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)清冽 - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)
(2014/11/21)
後藤 正治

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sai.wingpen  「長女」として生きる                   

 人生は、人それぞれ様々だ。どんな人生であろうと、他人が口をはさむことはできない。
 ただ、自分の人生だけは生きられる、こうありたいと。
 そのようなことを考えた時、背筋ののびた品格のある生き方をしたいものだと思わずにはいられない、ちょうど詩人茨木のり子の生き方がそうであったように。

 1926年生まれの茨木のり子は、「わたしが一番きれいだったとき」や「倚りかからず」などの詩で戦後の詩壇を牽引してきた詩人で、2006年2月、79年の生涯を閉じた。
 「現代詩の長女」とも呼ばれた茨木であるが、その人生もまた「長女」らしい凛とした一生を全うしたといえる。
 そんな詩人の人生を、丁寧な取材でたどったのが、本作である。

 「姿勢の良さ」。茨木を知るある女性は、記憶の茨木をそう表現した。
 あるいは、著者の後藤正治は「自身に忠実に生きんとする姿勢への意志力」とも書いているし、また別のページには「潔さ―茨木が生来宿した美質のひとつ」とも記している。
 何よりもタイトルの「清冽」という言葉が、茨木のり子という生き方をもっともよく表している。
 「清冽」とは「水などが清らかに澄んで冷たいこと」をいう言葉だが、凛とした冷たさや立ち上がる気は周りの人たちも癒してくれる。
 茨木が持っていたものは、そういうものであったのだろう。

 茨木は48歳にして最愛の伴侶を病気で亡くしている。
 その後、ひそかに夫との日々を書き綴り、のちにそれらは『歳月』という詩集で結実する、およそ30年近い時間を独りで生きた。
 寂しいと思うこともあったであろう。戦争で奪われた青春の時間を悔しいと思うこともあったにちがいない。
 後藤はそんな茨木を「たとえ立ちすくむことはあったとしても、崩れることはなかった」と、取材やその詩篇を通じて言いきっている。そして、「そのことをもってもっとも彼女の<品格>を感じる」と。

 「じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある」。
 詩人茨木のり子の名前を一躍有名にした詩「倚りかからず」の一節であるが、そんな人生を生きたいと思う。
 最幸の人生を。
  
(2015/01/21 投稿)

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  今日は大寒
  24節気の一つで、一年で最も気温が低い時期に
  あたります。

    大寒の紅き肉吊り中華街    池田秀水

  寒い光景を感じさせる
  いい俳句です。
  このブログでも
  季節の折々に俳句を紹介していますが、
  これは『俳句歳時記 第四版増補』(角川文庫)を
  参照しています。
  手元に歳時記があると
  生活がとても豊かに感じられる時が
  あります。
  そういう点では
  一家に一冊、欠かせられません。
  俳句の楽しさは
  日常生活の中に自然とあるような気がします。
  今日紹介するのは
  夏井いつきさんの『超辛口先生の赤ペン俳句教室』ですが
  これはテレビのバラエティ番組「プレバト!!」から
  生まれた本です。
  私も時々見ていますが
  夏井いつきさんの個性が
  冴えわたっていて
  とても面白い番組です。
  せっかくですから
  私も一句。

    大寒の歩幅小さくなりにけり   夏の雨

  じゃあ、読もう。

超辛口先生の赤ペン俳句教室超辛口先生の赤ペン俳句教室
(2014/11/29)
夏井 いつき

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sai.wingpen  夏井先生、今日もキツい                   

 バラエティ番組はほとんど見ない。見てもせいぜい食事の際に右目でのぞく程度。
 ところが、最近そのバラエティ番組で、箸がとまるものがある。
 それがTBS系で放映されているダウンタウンの浜田雅功さんが司会の『プレバト!!』の、俳句コーナーだ。
 さまざまな芸能人が一枚の写真を見て俳句を作って競うというもの。その時の師範の先生が、俳人の夏井いつきさん。
 本書に「超辛口先生」と付いているように、芸能人の俳句を一刀両断、ズバズバと斬りまくっていく。
 そして、赤ペンでどしどし添削をしていく。時にはまるで違う俳句になってしまうことも。
 夏井先生と芸能人の掛け合いも面白いが、実は俳句をつくる上の心得がばっちし入っている。
 見るだけで、俳句が上達すること間違いなし、かも。

 そんな番組から誕生したのが、本書。
 今までに放映されて俳句と夏井先生の添削の理由が活字になってさらにわかりやすい。
 超入門書であるが、俳句作句の基本中の基本が押さえられているから、これから俳句をつくってみようかと思っている人には最適な一冊だ。

 夏井先生は俳句王国松山在住の俳人で、「第8回俳壇賞」というりっぱな賞まで受賞している。
 俳句集団「いつき組」の組長でもある。
 何しろこの「いつき組」の合言葉は「楽しくないと俳句じゃない!」というのだから、組長の語幹といい、まったく楽しい集団だ。
 何しろ俳句にはどうも年寄りの趣味のようなイメージがあるから、それを払拭するにはバラエティ番組での俳句添削もおおいにありだと思う。

 本書の中で夏井先生は「「俳句」とは「型」の文学」と書いている。
 「言葉をパズルのように型に入れると一句作れる、かなりメカニックな性質を持って」いると、そのあとに続けているが、ここでいう「型」とは「五七五」の定型詩であったり「季語」をいれるであったりのことだ。
 基本的にはその「型」を守れば、俳句はつくれるが、それに読ませる詩の要素をいれるのが並大抵ではない。
 アマチュアとプロの差がそこに出てくる。
 夏井先生がどんな風に添削をしていくか、それを学ぶだけでも、かなりちがう。
 ふと気づいたが、夏井先生の名前を反対から読めば「きつい」だ。
  
(2015/01/20 投稿)

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  今日紹介する
  菊地信義さんの『菊地信義の装幀』は
  どんなジャンルにはいるのでしょうか。
  画集ともいえる
  大きな本です。
  値段も高価。
  [本体9000円+税]ですから
  1万円出しても
  わずかなおつりしか戻ってきません。
  でも、
  それに見合うに十分な一冊です。
  絵画の画集を開くのも楽しいですが
  中味がすべて
  本の写真というのも
  なんともうれしい。
  しかも、
  そのすべてが
  菊地信義さんの装幀なのですから
  さらにうれしい。
  私の小さな本棚にも
  菊地信義さんが装幀された本が
  何冊も並んでいます。
  和田誠さんの装幀も大好きですが
  菊地信義さんの装幀も
  大好き。
  あ、
  そういえば
  和田誠さんは装丁と表記していましたね。

  じゃあ、読もう。

菊地信義の装幀菊地信義の装幀
(2014/05/26)
菊地 信義

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sai.wingpen  本の森にわけいる                   

 本は作品だけでできているのではない。
 表紙があり、背文字があり、花ぎれやのどといった部位もある。
 見返し、帯、しおり、そういった数多くのものから、本はできている。
 作品を読むことは電子書籍でも適うが、本を味わうことはできない。
 そういう点では、本と電子書籍はまったく別物ともいえる。

 『本の知識』という小さな本に「装幀」のことがこう書かれています。
 「装幀は、単に表紙やカバーをきれいにデザインすればよいのではなく、書店に置かれたときの展示効果を考慮し、また本の内容を的確に表現できるように考えます。そのため、装幀材料も素材や質感などをよく考えて選択し、文字や色の配置も工夫して、手に取りたくなるような魅力的な本に仕上げるのです」。
 装幀をなすのが、装幀家と呼ばれる人たちです。
 本のとびらの裏あたりに装幀をした人の名前が記されていることが多い。
 たくさんの装幀家の中でも、菊地信義さんはその第一人者として広く知られています。
 菊地さんが手がけた本がどれだけ多いか、この本を開けば、驚きばかりです。しかも、これは1997年から2013年のもので、それ以前をも含めれば一体どれぐらいの数になるのか、目も眩む、本の森のようです。

 菊地さんが手がけて装幀は、独特の斜体文字と著者名の配置で、書店の店頭で輝いていました。
 手にする本のことごとくが菊地さんの装幀した本という頃もありました。
 しかし、実際はそれどころではない。
 この本に掲載されている本の数々をみると、あたりまえですが、自分が手にした本などはほんのわずかなものに過ぎないことに気づかされます。
 それにしても、装幀だけを扱ったこの一冊を見ているだけで、どうしてこれほど幸福な気分に浸れるのでしょう。
 それこそが、本の魅力でしょう。

 この本には菊地さんの装幀作品をじゃましないよう、2篇のエッセイがそっと置かれています。
 作家の平野啓一郎さんと堀江敏幸さんが書いたものです。
 堀江さんは「装幀家はつねに、あとから発見される」とそのエッセイに記していますが、菊地さんの装幀は作品よりも前に「発見」される、稀有なものかもしれません。
  
(2015/01/19 投稿)

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  阪神淡路大震災の被害から
  神戸の街は急速に復旧していきました。
  東日本大震災と比べると
  規模は違いますが
  復興は早かったのではないでしょうか。
  それは関西人の気質も
  ひとつの要因ではないかと
  私は思っています。
  なんでも笑い飛ばせる気質というのが
  関西人にはありますから。
  今日紹介する絵本
  宮西達也さんの『はなすもんかー! 』は
  そんなことを考えながら
  書いてみました。
  宮西達也さんは静岡の出身。
  関西人よりは
  うんとスマートに思えるのですが。

  じゃあ、読もう。

はなすもんかー! (チューリップえほんシリーズ)はなすもんかー! (チューリップえほんシリーズ)
(1997/11)
宮西 達也

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sai.wingpen  絵本作家の風土                   

 宮西達也さんといえば、『おとうさんはウルトラマン』や『おれはティラノサウルスだ』といった作品で人気の高い絵本作家です。
 絵本作家には文章のうまい人、絵の上手な人、きれいな絵を描く人、力のこもった絵の人などさまざまなタイプがありますが、宮西さんの場合は少しコミカルな絵といえるでしょう。
 だじゃれ上手な長谷川義史さんのような人もいますが、宮西さんの場合、そのコミカルさは少しちがいます。
 長谷川義史さんが大阪の出身で宮西さんは静岡の出身。
 絵本作家にも風土ってあるような気がします。

 この作品に登場するかえるくんたちの姿も、どこか飄々としています。
 まず最初に登場するのが、つちがえるくんとあまがえるくん。二匹はよく似ていますが、肌の色がちがいます。つちがえるくんが茶色であまがえるくんが緑。
 しごく簡単。そういうあっさりとしたところが宮西さんの絵にはあります。
 二匹の間にはきれいな一本の紐のようなもの。
 「なんだろう、これ・・・?」と、二匹は紐のようなものの端っこを持って、引っ張り合いを始めます。

 そこに少し身体の大きいあかがえるくんが登場。
 もちろん、色はうすく赤っぽい。
 あまがえるくんの方についたものですから、つちがえるくんはずるずると引っ張られていきます。
 ここにこの絵本のタイトル、「はなすもんかー!」がでてきます。
 その声に現れたのがとのさまがえるくん。
 身体がひとまわり大きく描かれています。
 つちがえるくんに味方したので、形勢逆転。
 あとは、ひきがえるくん、うしがえるくんと、次々に出てきて、ひっぱりっこが続きます。

 六匹のかえるくんたちは、形や色こそちがえ、ほとんど同じように見えてしまいます。
 きっと長谷川義史さんならうんとちがった表情をこしらえたでしょうが、宮西さんはそんなことはしません。
 スマートなんですね、きっと。
 でも、東京人ほど澄ましてはいない。
 そういう中間点のところにいる感じです。

 かえるくんたちが一生懸命にひっぱっていたものって、何だったのでしょう。
 それは、絵本を読んで、確かめて下さい。
  
(2015/01/18 投稿)

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  阪神淡路大震災から20年。

  1995年1月17日、火曜日。早朝の5時46分。
  震災が起こった時私は大阪豊中に住んでいました。
  仕事場がちょうど西宮北口にありました。
  その年の3月25日に書いた、私のノートの断片を
  書き留めておきます。
  私はもうすぐ40歳になろうとしている時です。
  
     この日、私は東京に出張の予定だった。
     だから、いつもより早く起きるつもりだった。
     その少し前、正確にいうと午前5時46分頃、地震が起きた。
     マグニチュード7.2の、いわゆる阪神大震災である。
     グラッときて、布団から子供たちの部屋に行こうとすると歩けないくらいの揺れがあって、
     リビングの食器棚が倒れる。
     食器が割れ、本が本棚から飛び出す。
     TVをつける。豊中で震度5。
     実はこの時神戸は震度7の大被害にあっていた。
     (中略)
     私はこの日ほとんど何も分かっていなかった。
     神戸で何が起きているのかも、何人の人が亡くなったのかも、
     そしてその後自分の生活がどのように変わるのかも、
     その日私は何も知らなかった。

  この日から仕事の関係で
  いろんなことが起こりました。
  だから、この日のことを書きとめられたのが
  2ヵ月後になったということです。
  今日紹介するのは
  村上春樹さんの『神の子どもたちはみな踊る』という
  短編集です。
  雑誌に連載されていた時には
  「地震のあとで」と記されていたように
  阪神淡路大震災のことが
  意識されています。
  いずれの作品も
  1995年2月が舞台です。
  つまりこの月は
  1月の阪神淡路大震災
  3月の地下鉄サリン事件に
  はさまった月になります。
  村上春樹さんは
  この2つの大事件を
  「戦後日本の歴史の流れを変える出来事」と
  記しています。
  確かにこの時
  私たちは自分たちの世界は
  いかに危ういものであるのかを
  実感したのではないでしょうか。
  私は
  この阪神淡路大震災を基準にして
  時間であったり
  物事を考えることがあります。
  幸いにも
  私の知人友人で犠牲になった人はいませんでしたが
  今でも深く心に刻まれた
  悲しみの時といえます。
  もちろん
  私たちはこのあと
  東日本大震災というさらに大きな
  悲しみを体験するのですが。
  今日の書評は
  2002年に書いた蔵出し書評です。

  あの日
  犠牲になった多くの人たちに
  哀悼の心をもって。

  じゃあ、読もう。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)
(2002/02/28)
村上 春樹

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sai.wingpen  人は悲しみを表現できるまでにどれだけの時間があればいいのだろうか                   

 この本には1995年の阪神大震災を核とした六つの短編が収められている。
 震災のあったその年の3月に地下鉄サリン事件が起こったことを、皆さんは覚えているだろうか。
 村上春樹さんはあの悲惨な事件に誘発されて「アンダーグランド」というノンフィクションの快作を発表している。
 そして、同じ年に起こった阪神大震災のことを描くのは、それよりももっと後のことになる。
 この違いこそが、村上春樹さんが故郷神戸の悲劇を描くことの心の迷いを如実に表しているように思う。
 やっと彼自身の心の傷が癒えようとしている。

 六つの短編は「かえるくん、東京を救う」を極北とする春樹ワールドとあの名作「ノルウェイの森」に連なる「蜜蜂パイ」の間を揺れているようでもある。
 そして、神戸の痛みとその癒しは「蜜蜂パイ」の最後の言葉に集約される。
 「これまでとは違う小説を書こう(中略)誰かが夢見て待ちわびるような、そんな小説を」。

 そこには村上春樹さんの決意のようなものが感じられる。
 それは神戸の人たちへの激励の言葉でもある。
  
(2002/07/16 投稿)

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 冷たい雨の降る
 1月15日の東京の夜。
 第152回芥川賞直木賞が決定しました。

     第152回芥川賞に小野正嗣さん、直木賞は西加奈子さん

 直木賞には
 西加奈子さんの『サラバ!』(これは上下本の大作)に
 決まりました。

サラバ! 上サラバ! 上
(2014/10/29)
西 加奈子

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 西加奈子さんといえば
 独特の大阪感をもった女性ですが
 その経歴をみて
 びっくり。
 イランで生まれて
 大阪の堺市に育ちました。
 おおーっ。
 我が故郷の近くじゃないか。
 高校は泉陽高校
 『みだれ髪』の歌人与謝野晶子はこの高校の出身。
 脚本家の橋田壽賀子さんもここを出てる。
 なんだか迫力あるな。
 そんな西加奈子さんですが
 今若い人には人気も高い。
 ですので、
 今回の直木賞受賞はたくさんの西加奈子ファンを
 満足させたんじゃないでしょうか。

 一方の
 芥川賞ですが、
 小野正嗣さんの『九年前の祈り』に決定しました。
 小野正嗣さんはフランス文学者としても
 書評家としても
 評価の高い先生です。
 すでに3回芥川賞の候補になって
 今回が4度目の正直の
 受賞になりました。
 めでたい。

 今回もちゃんと
 受賞者が出て
 本屋さんもほっとしてるでしょうね。
 しかも、
 西加奈子さんの受賞作は
 上下本ですから
 受賞作を読みたいという人は
 普通の時よりも
 倍購入することに
 なりますものね。

 西加奈子さん、
 小野正嗣さん、
 おめでとうございました。

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プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ今日の夜
  第152回芥川賞直木賞が決定します。
  それにあわせて
  紹介するのが
  筒井康隆さんの『大いなる助走』。
  文学賞の選考委員を順番に
  殺していくなんていう
  奇想天外な物語。
  今回の候補者の作家の皆さんは
  読んだことがあるのかな。
  けっこう古い作品だから
  知らないかも。
  でも、こういう作品を読むと
  選考委員の人たちも
  大変です。
  いのちがけ。
  そうでもないか。
  さて、今回はどんな作品が受賞するのか。
  どんな新しい人が登場するのか。
  出版社も本屋さんも
  もちろん読者も
  楽しみにしていますから
  「受賞作なし」だけは
  ありませんように。

  じゃあ、読もう。

大いなる助走 <新装版> (文春文庫)大いなる助走 <新装版> (文春文庫)
(2005/10/07)
筒井 康隆

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sai.wingpen  この恨み晴らさでおくべきか                   

 2015年1月に発表される芥川賞・直木賞は今回で152回を数える。
 昭和10年(1935年)の第1回芥川賞候補にあがった太宰治が狂おしいばかりにこの賞を欲しがった話を有名だ。ちなみにこの時の受賞作は石川達三の『蒼氓』だった。
 あるいは受賞の報せを受け記者発表の会場に向かう途中でそれが誤りだったと知らされた吉村昭など、受賞落選には悲喜劇がつきまとう。
 吉村昭の場合、ともに受賞をめざした妻津村節子が第53回芥川賞を受賞している。
 心中、いかばかりであっただろう。

 この作品の作者筒井康隆は三度直木賞の候補になっている。
 最初に候補になったのが、第58回で対象作品は『ベトナム観光公社』。この時選考委員の一人村上元三は「わたしは買わない。日本のSFの中には、フィクションがあって、サイエンスのない作品が多い、と思う」と、バッサリ斬られている。
 二回目の候補は続く第59回で、作品は『アフリカの爆弾』。この時の村上元三委員の選評は「前回に書いた選評と同じことを繰返すことになるので、ふれずにおきたい」。
 さらに三回目。第67回に『家族八景』で候補になる。三度村上元三委員。「いつものこの作家の軽快な筆致や才気が見られず、八つの話とも後味が悪い」。
 この回が1972年で、その後遂に筒井康隆は直木賞を受賞するに至っていない。

 それから5年後、筒井は「別冊文藝春秋」のこの作品の連載を始めることになる。
 この作品は、「直廾(なおく)賞」落選の憂き目にあった主人公が選考委員を順番に殺していくという、なんとも危ういもので、果たして自身の落選の経緯の恨みがあってのことか、たぶん少しはあっただろうが、かなりショッキングでセンセーショナルな内容になっている。
 ただ、この作品が書かれた時代と今とではブンガク事情もかなり変わっていると思う。
 地方の同人誌に集う、例えばかつて小説家の端くれに名を連ねた人や時間を持てあます奥様やブンガクかぶれの女子高生といった、人たちは今でも存在するのだろうか。
 最近の芥川賞や直木賞の受賞者を見ていると、そういう苦節何十年というようなものとほど遠い気がする。

 それでもこの作品が面白いのは筒井康隆という、直木賞を受賞しなかったけれど、素晴らしい書き手によるものだというのが、皮肉である。
  
(2015/01/15 投稿)

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  今日は
  昨年(2014年)亡くなった
  渡辺淳一さんの『愛の言葉』を
  紹介します。
  渡辺淳一さんといえば
  男女の官能を描いた多くの作品で
  人気を博しましたが
  これは渡辺淳一さんの普通のエッセイ集です。
  タイトルに惑わされてはいけません。
  渡辺淳一さんは
  人気作家である一方で
  貶す人もたくさんいます。
  直木賞の選考委員もしていましたが
  その評価などは
  結構貶されていましたから。
  私は好きですね。
  以前、
  渡辺作品にはまった時期があって
  今でも時間があれば
  読み返したいと
  思っているくらい。
  いつか渡辺作品をきちんと
  紹介したいですね。

  じゃあ、読もう。

愛の言葉 (文春文庫)愛の言葉 (文春文庫)
(2014/12/04)
渡辺 淳一

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sai.wingpen  渡辺淳一という無邪気                   

 渡辺淳一に「愛の言葉」、さぞかし甘く過激な言葉がつまっているだろうと思いきや、直木賞受賞の時から亡くなるまでの間に書かれたエッセイの数々で、「愛の言葉」というにはほど遠い。
 男女小説の大家だった渡辺が語った言葉すべてが「愛の言葉」ということでは、もちろんない。

 渡辺淳一は昭和45年(1970年)に『光と影』で第63回直木賞を受賞している。
 この時の「受賞の言葉」がこの本の巻頭に掲載されている。
 その中で「私のペースで、幅のある新しい作品にとり組んでいきたい」と書いた渡辺はその後、2014年4月に亡くなるまでの間、医療の世界や評伝だけでなく、自身が「男女小説」と呼んだ恋愛小説に至るまで確かに「幅のある」さまざまなジャンルの物語を紡ぎだしてきた。
 ベストセラーになった『失楽園』や『ひとひらの雪』の影響もあって晩年はほとんど「男女小説」を書く作家のように思われていたのではないだろうか。

 この本の中の1999年に書かれた「官能小説と情痴小説」が、そんな渡辺らしい「愛の言葉」のように思える。
 渡辺は「官能小説」を視覚などの「五官を総合的に刺激して性的な感興をもよおさせる小説」と定義している。一方、「情痴小説」は「主人公が、男女の性愛、エロスの世界の豊かさを信奉し、それにのめりこんでいる」ことが第一の条件だと書いている。
 では「ポルノ」とはどう違うのか。その点について渡辺は「ただ読者を刺激したくて書いたものと、人間の性とか男と女、その愛の本然的なものを探り、掘り下げたいという視点からエロスの世界を描く」のとは全く違うとしている。
 渡辺は自身の作品が「官能小説」と呼ばれても嫌ではないという。
 何故なら、「文字で多くの人々の官能を揺さぶるなんて、そう容易にできることではない」と、少し自信をのぞかせている。
 『失楽園』などを読むと、過激な情愛の場面は「官能小説」というしかない。
 あの作品が新聞の連載小説であったことが驚きである。
 実は、このエッセイでは、それに続いて、「自分のなかにある好色性をまず肯定していこう」と書いているが、このあたりの渡辺の無邪気さが面白い。
  
(2015/01/14 投稿)

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  今年最初の
  元旦の記事で
  「60歳=20歳説」なる珍説を
  書きましたが
  そうすると
  昨日は生涯2回めの成人の日だったということに
  なります。
  もちろん、お祝いはしていませんが。
  2月が誕生月ですから
  いよいよ60歳も間近に
  なってきました。
  つまりは
  定年というわけです。
  そのあと
  どんな日々が待っているのか。
  期待6割、不安4割というところでしょうか。
  そんな私のような人のために
  勢古浩爾さんの『定年後のリアル』という本を
  紹介します。
  勢古浩爾さんはこの本を書いた時
  62歳。
  定年から2年経っていました。
  なんともいえない生活を
  紹介していますが
  確かに定年からの時間の
  なんとも長いこと。
  でも、20歳の時と比べたら
  うんと死までの時間は短いはず。
  まさかこれから40年も生きないでしょうし。
  人間、いつ死ぬかわかれば
  もっと楽なのでしょうが
  わからないから
  生きているのは楽しいともいえます。
  さあて、
  これからどう生きてやろうか。
 
  じゃあ、読もう。

文庫 定年後のリアル (草思社文庫)文庫 定年後のリアル (草思社文庫)
(2013/08/02)
勢古 浩爾

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sai.wingpen  僕の前に道はない。                   

 「今日、晴れて定年を迎えられました。長い間お疲れ様でした」。
 そんな言葉とともに花束と拍手と少しばかりのやっかみとで会社を送り出される光景は、今でもあるのだろうか。
 昭和のドラマではよく見かけたが。
 今は定年を迎えても雇用延長制度を利用して会社に残る人が多いから、拍手どころか「まだいるの?」ぐらいの視線は覚悟するしかないし。昨日までの部下が上司になっても我慢するしかない。
 60歳で定年になっても年金の支給はまだまだ先だし、残るしかない。
 それに、定年になって会社に行かなくなっても、何をしたらいいのかわからない。
 妻からの視線は会社以上に冷たくなるかもしれないし。
 それでも、勇気を振り絞って、定年になったら会社を辞めるという人は、「定年後」という未知なる領域に不安が募る。
 だから、その先を知りたいと思うのは仕方がない。
 本屋さんに行けば、たくさんの「定年後」の生き方本が並んでいる。
 すがるような思いで、そういう本を手にとってみる。

 あらかじめ書いておくと、そういう人はこの本を読まない方がいいかもしれない。
 ここに書かれていることで、ようし定年になったらこうしてみようなんて、思いっこない。
 何しろ、ここに書かれているのは「リアル」(現実)なのだから。
 もしかしたらこういう「リアル」にならないために、だから定年前からいそいそと準備を始める読者はいるかもしれないが。
著 者は小さな会社を60歳で定年退職をし、2年めにこの本を執筆。当時、毎日のように自転車で市内の公園で行っているという。
 本の印税がどれくらいなのか知らないが、本を執筆するくらいなら「定年後」それなりに活動しているように、読んでいてそう思うのだが。

 「定年後」には「お金、生きがい、健康」という三大不安があるという。
 不安解消の答えはこの本には書かれていないとしたら、何が書かれているのか。
 「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」ということ。
 当たり前のことだけど、それを再確認するにはうってつけの一冊だろう。
 「定年」をいくら延長したとしても、いずれはやってくるのだから、それを怖がる必要はない。

 「僕の前に道はない」とうたった高村光太郎の「道程」はもしかしたら「定年後のリアル」を詠んだ詩のように思えてきた。
  
(2015/01/13 投稿)

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  今日は成人の日

     成人の日の大鯛は虹の如し    水原 秋櫻子

  祝日で休みの人も多いでしょうし、
  昨日の日曜は東日本大震災関連の本を紹介したので
  一日ずれましたが
  今日は絵本を紹介します。
  ダニエル・カーク
  『としょかんねずみ2 ひみつのともだち』です。
  一作めの『としょかんねずみ』も
  ずっと前に紹介しています。

    その時の書評はこちらから。

  ダニエル・カークの絵柄は素人くさいというか
  アマチュアぽいですね。
  個人的にはもう少し
  絵の力がある方が好きですが
  なにしろ物語の舞台が図書館ですから
  はずせない絵本です。
  それに続編が書かれるくらいですから
  子どもたちの人気も高かったと
  思います。


  じゃあ、読もう。

としょかんねずみ2 ひみつのともだちとしょかんねずみ2 ひみつのともだち
(2012/10/15)
ダニエル・カーク

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sai.wingpen  何かを見つけるって素晴らしい                   

 アメリカの絵本作家ダニエル・カークによる「としょかんねずみ」の第2作めです。
 一作めを読んでいない人のために、ざっとおさらいをしておきます。
 主人公のサムは図書館に住むねずみです。図書館に住んでいるくらいですから。本を読むのが大好き。
 とうとう自分でも本を書くようになります。
 サムの書いた本は子どもたちにも大人気になりますが、誰も著者のサムがどんな人なのか知りません。
 そんなお話。

 2作めのこの絵本では、サムの正体がいよいよばれてしまうのです。
 サムがねずみだとばれたら、図書館は大騒ぎになってしまいます。サムだってきっと追い出されます。
 絵本や物語、漫画の世界ではねずみは愛される動物ですが、実際の世界ではみんなに嫌われます。
 さあ、どうなるのでしょう。
 でも、その前に、一人の男の子を紹介しましょう。
 トムです。
 トムはおとなしい男の子です。
 友だちと一緒に絵本をつくるという集まりに参加したのですが、仲間が見つけられません。
 そんな子どもなら、皆さんの近くにもきっといると思います。
 仲間はずれにしているってことないですか。
 もしかしたら、この絵本のトムのように本当はすごい素質を持っているかもしれないのですから、一緒に遊んであげるときっといいことがありますよ。

 トムは、なにしろ、子どもたちに人気のあるサムという作家の正体はねずみだということに気がついたのですから。
 面白いことに、この時のトムの表情が最初と随分ちがうのです。
 目なんか輝いています。
 図書館の机の上についたねずみの足跡に気づいたトムといったら、すっかり元気のいい男の子の表情です。
 何か素晴らしいことを見つけるというのは、おとなしい子どもであっても、表情すら変えてしまう力を持っているのかもしれません。
 そして、ついにトムはサムの正体をつきとめます。
 「としょかんねずみ」を見つけてしまうのです。

 さあ、「としょかんねずみ」のサムはどうしたでしょう。
 サムの正体を知ったトムはどんな行動をとったでしょう。
 この絵本のタイトルが「ひみつのともだち」となっています。
 本当の友だちってどんな関係なのか、この絵本でわかるかもしれません。
 こんな絵本があることを秘密にすることはありませんよ。
  
(2015/01/12 投稿)

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  東日本大震災から3年10ヶ月。

  今年(2015年)は阪神淡路大震災から20年になります。
  あの日大阪で地震を経験した私にとって
  やはり1995年1月17日は忘れられない日です。
  横倒しになった高速道路、
  道を塞ぐようにして倒れたビル、
  燃えさかる炎。
  地震の怖さを初めて経験した人も
  多かったと思います。
  20年経とうが
  その怖さを忘れられないのですから
  阪神大震災以上の被害をもたらした
  東日本大震災のことは
  4年近くなっても
  忘れられないのは当然です。
  それに
  私たちはあの日のことを
  忘れてはいけないのです。
  被災されたたくさんの人たちの涙もそうだし
  必死に生活を守ろうとした人たちのことも。
  今日紹介する
  稲泉連さんの『命をつなげ』は
  副題に「東日本大震災、大動脈復旧への戦い」とあるように
  基幹道路の復旧にいどんだ人たちの姿を
  描いています。
  新潮文庫の一冊になる時に
  改題されていますが
  単行本の時のタイトル
  『命をつないだ道 - 東北・国道45号線をゆく』の方が
  わかりやすかったのではないかと
  私は思うのですが。

  じゃあ、読もう。

命をつなげ: 東日本大震災、大動脈復旧への戦い (新潮文庫)命をつなげ: 東日本大震災、大動脈復旧への戦い (新潮文庫)
(2014/11/28)
稲泉 連

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sai.wingpen  あの時道を開いた人たちがいた                   

 災害があるたびに、インフラのことが問題になります。
 停電しています。ガスの供給がストップしています。断水です。
 電気、ガス、水道。これらは生活インフラと呼ばれるものです。
 そもそもインフラとは「インフラストラクチャー」の略で、「産業や生活の基盤として整備される施設」という意味。
 生活基盤も欠かせないし、大切ですが、道路というインフラも大事です。
 送電線が直すにしても、その事故現場に行けないとなると、直るものも直らない。
 道は生活の血流のようなものですから、血が流れないことには命が途絶えてしまいます。

 2011年3月11日に起こった東日本大震災でも、その道が消えてしまいました。
 この作品は地震と津波で壊滅的な状況に陥った国道45号線復旧に挑んだ人たちの姿を描いたノンフィクションです。
 国道45号線は青森市と仙台市を結ぶ「約510キロメートルにわたって三陸沿岸を貫く基幹道路」です。
 この本にはその国道45号線の全図が収められていますが、見事に三陸沿岸に沿って作られた道だということがわかります。
 東日本大震災では津波の被害が大きかったことは、震災のあとの報道でよく知っています。
 道路に横たわる大型の船。瓦礫と化した多くの家屋。
 それを取り除かなければ救援活動も復旧活動もままなりません。
 国道ですから国土交通省の管轄になりますが、実際には地元の建設会社もその安全維持にさまざまに関わっています。
 この作品では国道45号線復旧に関わったたくさんの人の姿を三つの場面で描いていきます。

 中でも印象に残るのは、釜石市の事例です。
 第三章の「地元住民が作った「命の道」」がそれです。
 ここでは地元住民が命をつなぐために、自ら「道を作る」姿が描かれています。
 あの日、あの時、多くの涙が流されました。
 肩を落とす被災者の姿を多くの報道で見ました。その一方で、生きるために、道を作った人たちもいたのです。
 災害報道はどうしても被災者に目がいきます。それは正しい。
 しかし、それだけではなく、命をつなぐために、多くの人が知恵と力を寄せ合っていたことも忘れてはなりません。

 文庫本では国土交通省技監の徳山日出男氏の解説もわかりやすく、一読に値します。
  
(2015/01/11 投稿)

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  昨日紹介した
  窪美澄さんの『水やりはいつも深夜だけど』もそうだが、
  今日紹介する
  桜木紫乃さんの『ブルース』も、いい。
  年のはじめに
  こんな面白い物語を立て続けに読んで
  いいものだろうか。
  それくらい面白い。
  特にこの『ブルース』。
  好きだな。
  桜木紫乃さんは本当に巧い。
  巧すぎるくらい、巧い。
  表紙の
  森山大道さんの写真もいい。
  作品の雰囲気がよく出ている。
  実は
  内表紙というのだろうか、
  なかにあるもう一枚の写真もいい。
  ベッドで煙草を吸う全裸の女。
  男の姿は見えない。
  しかし、ことが終わったあとだろうか、
  女の痩せた背中ににじむものが
  なんともいえない。
  初春から
  いい作品に出合った。

  じゃあ、読もう。

ブルースブルース
(2014/12/05)
桜木 紫乃

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sai.wingpen  惚れるな、この男に                   

 この本の宣伝文に「釧路ノワールの傑作、誕生」とある。
 ノワール。フランス語で「黒」の意味。
 小説では暗黒小説などと呼ばれ、闇社会を題材にして、人間の理不尽とかを表現してきた。
 1950年代半ばにはアメリカ映画を中心に描かれたこともあって、そちらはフィルム・ノワールと呼ぶらしい。
 つまり、この作品は北海道釧路を舞台にした暗黒小説ということであろうが、桜木紫乃が得意とする連作集で最初の書かれた「恋人形」の発表が2011年10月で、最後の作品「いきどまりのMoon」が2014年7月であるから、実に3年近くかかって書かれた作品集ということになる。
 その間、桜木は『ホテルローヤル』で2013年に第149回直木賞を受賞している。

 主人公は影山博人。人が寄り付かない「崖の下」で、6本の指をもって生まれてきた男。
 男はやがて闇の王となり、霧深い街の夜を支配していく。
 その男に消息を追うようにして関係していく、女たち。
 8つの作品はどれもその女たちの視点で描かれていく。
 冒頭の「恋人形」で影山という男の、少年時代が描かれている。少年影山に魅かれる少女牧子。牧子が魅かれたのは6本の指であったかもしれない。
 人にはないもの。それに魅せられて牧子は影山と身体を重ねる。
 しかし、影山は自身の育った街に火をつけ、姿を消してしまう。そのあとも影山の姿を追い求める牧子の前に現れた影山には、しかし、6本めの指はなかった。名残りの瘤があるばかりで。
 読者は最初のこの作品で影山博人が新聞の死亡告知に名前が載るほどの人間になったことを知る。
 牧子が知っている6本指の少年から、5本指の街の名士にどのようになっていったのか。
 残りの7つの作品が、そんな影山直人の姿を描いていく。

 女たちは影山の性に夢中になる。牧子がそうであったように、影山の指が忘れられない。
 女にふしだらではない。
 影山はどこかで女を冷たく視ている。
 こういう影山の造型がこの小説の魅力といえる。
 影山を生み出したのは桜木紫乃であったとしても、影山の闇をつくりだしたのは女たちであり、彼の影に魅かれるのは、読者そのものだ。

 影山に惚れてしまう女性読者が、きっと、いる。
  
(2015/01/10 投稿)

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  今日は
  窪美澄さんの
  『水やりはいつも深夜だけど』という
  短編集を紹介します。
  いい題名です。
  ですが、
  同じタイトルの短編はこの中には
  ありません。
  5つの短編にみな
  植物の名前がはいっていて
  それをまとめた本の題名として
  これがあります。
  年を重ねていくと
  つい今の若い人たちは何を考えているかわからないと
  いってしまいがちです。
  それは家族の形でも同じです。
  それでも
  お正月やお盆に帰省する
  親子づれの姿を見ると
  まだまだ家族は変わっていないと
  考えがちですが
  本当は
  ニュースの画面に映らない
  さまざまな家族の姿が
  あるように思います。
  この短編集は
  そんな家族の姿を描いたものです。
  いい一冊でした。

  じゃあ、読もう。

水やりはいつも深夜だけど水やりはいつも深夜だけど
(2014/11/14)
窪 美澄

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sai.wingpen  家族という花はひそやかに咲く                   

 家族の形はいつの間にか変わった。
 父親が一家に大黒柱なんていわれた時代はずっと昔だ。
 母親はいつも家にいることもなくなった。
 教育ママと批判と皮肉を込めて呼ばれた時代を体験しながら、もっとりっぱに教育ママになっている。
 父母の世代の家族像と子供の世代の家族像は、だから、微妙にずれる。
 父母の目で子供世代の家族像を非難するのは容易かもしれないが、それが正しいなんて誰がいえよう。
 子供世代にしてみれば、父母の世代の家族なんて古臭いということになる。
 家族の形が変わったのだ。

 窪美澄の、植物の名前のはいった5つの物語集。
 テーマは「家族」だ。
 「ちらめくポーチュラカ」という作品は、中学生の時にいじめにあった経験をもつ主人公が五歳の息子が通う幼稚園の母親たちとうまくコミュニケーションできずに悩む姿を描く。
 「ほんとうの私。そのほんとうが自分でもよくわからなくなっている」と主人公は悩む。
 一転して「サボテンの咆哮」では、若い父親の姿を描く。
 子どもの頃に父親とのふれあいに抵抗があった主人公は、結婚して息子をもったもののその子とうまく会話ができない。 息子がまだ幼児の頃、妻とその子育てについてぎくしゃくしたまま妻ともうまくいっていない。
 物語の中に「育児を手伝う、って、なに。自分の子どもなのに」と妻になじられる場面が出てくる。
 父母の世代では許された一言が、子供世代では許されない。
 「イクメン」という言葉が流行語になったのは2010年だが、育児を楽しめる男性はまだまだ少ないのが現状だろう。
 「ゲンノショウコ」という作品は幼稚園に通う娘が少し普通ではないかと心配でたまらない若い母親の物語。
 主人公には知的障害があった妹がいて、そのことで自分の娘の言動が心配でたまらない。逃げ出してきた家族から復讐されているように感じる主人公。
 子供を持つということの不安が若い主人公に重くのしかかる。

 そのほか、「砂のないテラリウム」も「かそけきサンカヨウ」も、「家族」をテーマにしている。
 若いパパとママにぜひ読んでもらいたい。
 家族の形はさまざまだということを知ってもらうために。
 同時に、彼らの父母世代にも。
 家族の形は変わっているのだということを理解してもらうために。
  
(2015/01/09 投稿)

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  弟が亡くなって
  今年の春で
  5年になります。
  弟はけっして私の年齢を超すことなく
  亡くなりました。
  2歳年下だった弟ですが
  その年の差は開くばかりです。
  今日紹介するのは
  やなせたかしさんの『おとうとものがたり』。
  やなせたかしさんのイラストがはいった
  詩集と思って下さい。
  書評にも書きましたが
  やなせたかしさんの弟さんは
  戦争で亡くなりました。
  やなせたかしさんにとって
  かけがえのない弟さんでした。
  いえ、やなせたかしさんだけでは
  ないですね。
  弟はいつだって
  かけがえのない存在です。
  そんなやなせさんが
  弟さんとのことを振り返って
  書いたのがこの詩集です。
  弟だけでなく
  愛する人をなくした
  すべての人に
  読んでもらいたい詩集と
  いえます。

  じゃあ、読もう。

やなせたかし おとうとものがたりやなせたかし おとうとものがたり
(2014/09)
やなせ たかし

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sai.wingpen  君の青春はいったいなんだったのだろう                   

 父親を亡くして涙にくれている娘がいた。そこに男が駆け込んできた。
 開口、「よかった、よかった」という。「もし娘が先に亡くなれば、父親の悲しみはどれほどであったか。ものには順番がある。死も同じ」。
 その言葉に娘はどれほど慰められたことか。
 永六輔さんの話で聞いた。
 この話ではないが、死の順番としてはおじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさん、と来るべき。
 兄弟姉妹でいえば、兄が先で弟はあと。姉が先で妹はあと。
 年老いたものが先で、若い人は先には死んではいけない。
 若い人の死はあまりにも悲しい。

 漫画家やなせたかしさんには弟が一人いた。二人兄弟だ。
 父親が32歳で亡くなり、母親は兄弟を残して再婚する。残された兄弟のうち、弟は伯父の家の養子となった。
 それでも兄弟は幸いにも伯父の同じ家に住むことができた。
 小さい頃は優秀だった兄のたかしさんだが、成長するにつれて弟の方が兄を優るようになっていく。
 そんな弟を「ぼくは自慢したかったのだ/弟をほこりにおもったのだ/でも その底にいくぶんか/ねたみの心もありました」と、たかしさんはこの本の詩の一篇に書いている。
 それほど愛した弟であったが、戦争がその命をうばう。
 22歳の若さで弟は「ちいさな木札」になって逝ってしまう。
 年齢で弟は兄を追い越すことはなかった。
 兄はこの詩集を「自分だけの感傷として、弟へのレクイエムとして」、58歳の時に書いた。
 弟が亡くなって、30年以上の月日が経っていた。

 それでも、この詩集には弟を思う哀惜に充ちている。まるで、今も弟が22歳のままでそこにいるかのようだ。
 やなせさんにとって、弟は小さい頃の弟で、青年の若々しい姿のままにある。
 しかし、どんなに愛した弟であっても、弟のすべてがわかるわけではない。ましてやなせさんは学生の時に東京に出ている。故郷に残った弟のことはわからない。
 だから、書く。
 「弟よ/君の青春はいったいなんだったのだろう」。

 本来自分よりあとに逝くべきものに先立たれたものの悲しみは深い。
 やなせさんはその悲しみをいつまでも大事にしていた。
 2013年10月、94歳で亡くなったやなせさんは、きっと天国で22歳の弟と再会したにちがいない。
  
(2015/01/08 投稿)

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 新春といえば
 琴の音、
 生け花、
 そして、お茶。
 「初釜」という言葉もあるくらい
 お茶は日本人になじみが深い。

   初釜に招かれ月日動き出す     山田 弘子

 
 この句のように
 茶道を嗜む人にとって「初釜」は心を新たにする
 そんな茶会です。

 お馴染み
 NHKEテレビの「100分de名著」の
 1月の一冊は
 岡倉天心の『茶の本』。
 ちなみに「100分de名著」のカテゴリーも
 作りましたので
 過去の本はそちらで
 お読み下さい。

岡倉天心『茶の本』 2015年1月 (100分 de 名著)岡倉天心『茶の本』 2015年1月 (100分 de 名著)
(2014/12/25)
大久保 喬樹

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 岡倉天心って
 歴史の時間に習いましたよね。
 明治時代に活躍した美術運動の指導者。
 「100分de名著」のテキストに掲載されている
 岡倉天心の略年表を読むと
 彼は1862年に横浜で生まれて
 1914年に亡くなっています。
 享年50歳。
 若くして亡くなっています。
 東京大学文学部の第一期生として17歳で卒業。
 若い。
 実はその前年に結婚までしてる。
 これが16歳。
 何をしても、若いのです。
 そんな岡倉天心
 欧米の読者に向けて英語で執筆した日本文化論が
 『茶の本』なのです。
 この本を書いたのは
 43歳の時。
 これは、若くない。
 普通。

 日本史の教科書に
 必ず出てくる岡倉天心だが
 私はほとんど知らない。
 岡倉天心フェノロサみたいな名前だけ覚えました。
 ですから、『茶の本』といわれても
 読んだことがありませんから、
 どんなことが書かれているかわからない。
 だから、
 「100分de名著」で勉強します。

 1回めの今夜は
 「茶碗に満ちる人の心」。
 2回めは
 「源泉としての老荘と禅」。
 難しそうです。
ついていけるかな。
 3回めは
 「琴には琴の歌を歌わせよ」。
 いけるかも。
 最後は
 「花、そして茶人の死」。

 さて、どんな話になるのか
 一杯の茶でも飲みながら
 観ようとしましょうか。
 誰です?
 それ、お酒でしょ、なんていう人は。
 お茶です、お茶。

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、
  苦楽堂という神戸の新しい出版社が出した
  『次の本へ』という本を
  紹介しましたが、
  読みたい本が見つからないという人は
  村上春樹さんの本を
  手はじめに読むのも
  いいと思います。
  何しろ
  毎年ノーベル賞候補に名前があがるくらい
  有名な作家ですし
  難解な作品でもありません。
  まあ、難点をいえば
  長編小説が多いことかな。
  最初は
  短編小説かエッセイから
  読むといい。
  気にいってくれば
  長編小説。
  それに絵本の翻訳だってしているから
  そのあたりから読むのも
  いい。
  今日紹介するのは
  村上春樹さんの短編『図書館奇譚』。
  これは
  ドイツで翻訳されたものを
  逆輸入した作品。
  このあたりも
  いいかも。

  じゃあ、読もう。

図書館奇譚図書館奇譚
(2014/11/27)
村上 春樹

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sai.wingpen  幸福な作家が願ったもの                   

 村上春樹さんは幸福な作家だ。
 一つの作品が雑誌に発表される。それが単行本となって出版される。長編小説はいきなりどかんと発表されることもある。何年かすれば文庫本の一冊に収録される。はたまた全作品(村上春樹の場合これまでⅠ期Ⅱ期の作品集がある)の中にも収められる。
 普通の作家であれば、このあたりであろう。
 村上春樹さんが幸福なのは、海外で翻訳された作品が逆輸入されてまた出版されることだ。
 この作品がそうだ。
 これはドイツの出版社デュモン社がカット・メンシックという画家に挿絵を描かせて2013年にドイツで刊行された作品だ。
 ちなみにいえば、この作品は「子供向け」にリライトされて、『ふしぎな図書館』というタイトルで出版されてもいる。

 村上春樹さんとドイツの関係でいえば、昨年(2014年)の秋ドイツの「ウェルト文学賞」を村上さんは受賞している。
 その際の受賞スピーチで村上さんはこんなことを話した。
 「かつてジョン・レノンが歌ったように、私たちには想像する力がある。暗く暴力的な現実に直面する世界で、それは無力ではかない希望に思える。だが、その力は、私たちが気を落とさず、歌い、語り続けることの中に見いだせる」。
 実はこれこそこの『図書館奇譚』という不思議な作品のテーマではないかと思える。

 この作品が最初に発表されたのは、1982年。
 1979年に『風の歌を聴け』でデビューしてまだ間もない時である。
 理不尽に図書館の暗い地下室に閉じ込められた主人公が脱出するという物語に込められたものは、「暗く暴力的な現実」から逃れるための「想像する力」だろう。
 初期の村上作品にしばしば登場する「羊男」はこの作品でも主人公と一緒に脱出する重要なキャラクターだが、彼こそ「想像する力」の権化のように思えて仕方がない。

 その「羊男」であるが、この本の挿絵を担当したカット・メンシックもその奇怪な姿を描いているが、日本の読者としてはやはり佐々木マキさんが描いた、どことなく憎めない「羊男」の方がなじみがある。
 もちろん、だからといって日本人の方が穏やかということでもないが。
  
(2015/01/06 投稿)

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  書評ブログである
  このブログを書き続けて
  7年になりますが
  よくそんなに本が読めるよねとか
  読む本がそんなにあるのだと
  感心されたり
  呆れられたりすることがあります。
  読みたい本が途切れることは
  今までに一度もありませんでした。
  机の上には
  いつも次に読まれる本が
  何冊か出番を待っています。
  ブログが始まって
  7年間のことではなく
  子どもの頃からの
  習慣が続いているのですね。
  だから、
  私にはあまり「次の本へ」という
  感じはありません。
  それでも
  本を読みたいのだげど
  何を読んだらいいのか
  わからないという人は
  たくさんいます。
  そういう人のための一冊
  『次の本へ』を
  紹介します。
  この本は神戸の苦楽堂という出版社が
  初めて出した一冊です。
  そのためにも
  この本をどんどん広めていってほしい。
  読者が
  出版社を応援することだって
  できるのですから。

  じゃあ、読もう。

次の本へ次の本へ
(2014/11/06)
苦楽堂

商品詳細を見る

sai.wingpen  「次の本」に出合うために練習を怠らないこと                   

 本を読まない人は、本が読めないのではなく、本を選べない人なのかもしれない。
 「何を読んだらいいかわからない」という声をよく聞く。
 本屋さんに行けば、あるいは図書館に入れば、あんなにたくさん本があるというのに。
 本書はブックガイドではあるが、単に思い出に残った本や役立つ本を紹介しているわけではない。
 84人の人たち(普通このような時には「著名人」という言い方をするが、この本の84人は特に有名ではない人たちもいる。その点もこの本の特長といえる)が、「次の本との出合い方」を紹介しているのが目新しい。

 この本のことは2014年11月24日の日本経済新聞の朝刊コラム「春秋」で知った。
 コラムではこの本を出版した苦楽堂の石井伸介さんの、「気になる1冊と出合う機会はそこそこある。しかしその次に読む本を自分で選ぶ方法がわからないのだ」という思いがまず紹介されている。
 そして、この本で紹介されている「次の本との出合い方」が「千差万別なところが面白い」と続ける。
 本との出合いでいえば、このコラムを読んでこの本にたどり着いたように、実はきっかけはたくさんある。
 この本でも漫画から次の専門書につながったケースも多く紹介されている。
 その一歩を歩き出せば、すぐ近くに「次の本」があるのだ。
 コラムは小中学生の読書冊数が増えているにもかかわらず高校生のそれが少ない点を取り上げて、「子供向けの本を卒業し、大人と並んで本を選び始める時に戸惑うのか。向上心をそがぬよう、大人たちはしっかり手伝いたい」と結んでいる。

 「次の本」に出会うのはどういうきっかけが多いかといえば、「好きな著者、気になる著者ができて」が多い。
 そういえば、私の読書歴でもそうだった。
 大江健三郎や倉橋由美子、それに太宰治といった作家たちを新潮文庫で次から次へと読んでいった。
 背表紙の同じ色が揃っていくのが楽しくもあった。
 同じ著者の作品を読むのは「次の本」に進みやすい読み方だろう。

 本を読むことはそれほど難しいことではない。
 しかし、本を読み続けること、選ぶことは、やはり難しい。
 そのためには、本を読む練習も欠かさないようにしないといけない。
  
(2015/01/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年最初の絵本の
  紹介です。
  昨日の本もそうですが
  やはり一年の初めということで
  どんな絵本にしようかと
  考えました。
  手にしたのが
  さくらいじゅんじさんが文を
  いせひでこさんが絵を担当した
  『にじ』です。
  空にかかる虹は
  なんだか明日につながる希望のようなものを
  感じさせてくれます。
  それに、
  大好きないせひでこさんの絵が
  見たくて、
  この本を
  今年最初の絵本に決めました。
  絵本って
  読む人の心に架かる虹のようなものかも
  しれませんね。
  今年も
  皆さんの心に架かる虹のような
  絵本をたくさん紹介できたら
  いいなぁ。

   じゃあ、読もう。

にじ (かがくのとも傑作集―どきどきしぜん)にじ (かがくのとも傑作集―どきどきしぜん)
(1998/05/15)
さくらい じゅんじ

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sai.wingpen  虹をつなげて                   

 誰もが虹の思い出をもっているのではないでしょうか。
 別れの場面で見た虹、初めてのデートで見た虹、お母さんと一緒に見た虹、大好きな人と見た虹。
 私にも、あります。
 もう7年も前のことになります。
 短い間だったがお世話になった地方の勤務地を去るその日、アパートの鍵を閉めて表に出た私の前に大きな虹がかかっていました。
 あの虹は希望だったのでしょうか。
 それとも、大きなさようならだったのでしょうか。
 あれから歳月は過ぎましたが、あの時の虹の意味をまだわからずにいます。

 この絵本は「かがくのとも絵本」の一冊となっていて、虹ができる原理なようなものをわかりやすく描いたものです。
 「にじって、おひさまを せにして じぶんの かげの がわに みえるんだ」とあります。
 そんなこと、考えたことはなかった。
 いつも虹は突然目の前に現れてくれていたから。
 何かを教えるために。
 そうだとばかり思っていました。

 実はそんな虹のことを知りたくて、この絵本を手にしたのではありません。
 この絵本の絵を担当しているのが、いせひでこさんだったから。
 この作品が最初に描かれたのが1992年ですから、いせさんの初期の頃の作品といえます。
 いせさんがその後得意とする木々の緑も、まだこの作品ではできあがっていません。
 おかあさんの表情も、ボクの動きもぎこちない。
 虹でいえば、たった今、生まれたばかりの、色の区別さえはっきりしないような作品です。
 たぶん、このあと、いせさんはとってもたくさんのデッサンをしてきたのだと思います。
 うんといっぱいの絵の具を溶かしてきたのだと思います。
 そして、『ルリユールおじさん』や『チェロの木』の生み出してきたような気がします。

 誰もが小さくて、今にも消えそうな虹なのです。
 やがて、しっかりとした大きな虹になっていく。
 そんな虹が誰かを勇気づけ、前に向かわせてくれる。
 虹を見つけた時、うれしい気持ちになりませんか。
 何かをその虹に託したくなりませんか。
 子どもたちに、そんな虹のことも話してあげれたら、どんなにいいでしょう。
  
(2015/01/04 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今年最初の本の
  紹介です。
  ずばり、
  『60歳からの人生の整理学』。
  我ながら
  ストレートすぎるとも
  思ったのですが。
  気の強い剛速球投手みたいな気分です。
  轡田隆史さんの本です。
  今年、
  私は60歳になるということは
  元旦のブログにも書きましたし、
  これまでにも
  しばしばそのような本も
  紹介してきました。
  まだまだ元気に働ける人も多いし
  いやいや一旦ここで小休止という人も
  いると思います。
  これからの人生
  いかに生きるべきか。
  同じことの繰り返しではなく
  ここでゆっくり考えるのも
  いいのではないでしょうか。
  若い人にはこれからの参考のため。
  年老いた人には若輩もののためらいとして。
  この本には、
  老い、仕事、孤独、お金、趣味、退屈、最期、恋愛といった
  42の「人生テーマ」にそって
  人生の先輩である轡田隆史さんの助言が
  書かれています。
  さあて、この一年、
  どんな年になるのか
  自分自身楽しみにしています。

  じゃあ、読もう。

60歳からの人生の整理学: これから「必要なこと」 もう「不要なこと」 (知的生きかた文庫)60歳からの人生の整理学: これから「必要なこと」 もう「不要なこと」 (知的生きかた文庫)
(2014/05/22)
轡田 隆史

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sai.wingpen  60歳になるあなたへ                   

 今年(2015年)は羊年。
 私は年男です。
 村上春樹さん風にいえば、「羊男」です。しかも、還暦。60歳の「羊男」です。
 まだ60歳定年制をひいている会社も多いですから、今年還暦となる「羊男」「羊女」は「定年」を向かえます。。
 最近は雇用延長制度を採用している会社も多いですから、「定年」となってもそれまでの会社で働き続ける人もいます。もちろん、このあたりでひとやすみするかと考えている人もいます。
 「定年」になるとがっくりしてしまう人もいると聞きます。あるいは雇用延長しても元部下の命令に従わないといけないとか辛い思いもあるでしょう。
 これからの人生、これでいいのだろうかと考えるのが60歳かもしれません。
 そんな人のために、人生の先達である著者が記してくれたのが、この本です。
 著者は1936年生まれですからまもなく80歳になろうとする先達です。

 「定年」についてこんなことが記されています・
 「ただの「区切り」にすぎないことを、わたしたちは「終わり」だと考えがち」。
 確かにそうです。
 「定年」で何もかもが終わる訳ではありません。
 人生は仕事だけでできあがっているのではないのですから。
 そもそも人生とは、なんて考える人も少ないのかもしれません。
 これまでの生き方を変えられなくて人生を過ごしてしまう。
 本当にそれでいいのでしょうか。

 それができないから、という人のためにも、この本を薦めたい。
 たくさんの助言がこの本にはあって、そのことにも気がつかない人もいるかもしれない。
 なんともったいないでしょう。
 「人生後半は、それまで読んだことのない分野の本に挑戦して」と書かれていてもピンとこない人にはなりたくはありません。
 このくだりの前に書かれている「読書とは自分自身に会う行為」という文章をどう受けとめるかで、60歳からの人生も変わってくるのではないかしらん。

 仕事から離れるとすることがない、なんていう人も多いでしょう。
 そんな人のためにこんな言葉を引用しましよう。
 「老後を楽しく生きるのは、まず退屈の楽しみを知ることからはじまる」。
 退屈しのぎに本でも読むか。
 その心意気です、60歳からは。
  
(2015/01/03 投稿)

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 元旦の新聞は面白い。
 本好きにとっては、特に。
 各出版社の今年の気合みたいなものが
 そろい踏みするのですから。
 2015年の元旦はどうだったか。
 朝日新聞から見てみます。

 まずは、岩波書店
 戦後70年にあたる今年をみつめて

   「戦」の「後」であり続けるために

 さすがに岩波書店らしい格調の高さ。
 大江健三郎さんと歴史家のジョン・W・ダワーさんの
 エッセイが並びます。
 大江健三郎さんのエッセイの中に一文。

   「狂気」は避けねばならないし、
   他人を「狂気」に導いてもならない。
   冷静が、その行動の準則とならねばならない。

 「狂気」は「不幸」と言い換えてもいい。
 考えさせられる一文です。

新潮 続いては、新潮社
 カラー刷りの広告です。

   新潮文庫が生まれた。
   文学がみんなのものになった。

 新潮文庫が創刊されたのは
 1914年9月。
 昨年100年を迎えました。
 新潮文庫にお世話になった人は多いと思います。
 私も随分お世話になりました。
 太宰治、三島由紀夫、開高健、宮本輝、カミュ、ドストエフスキー、
 みんな新潮文庫でした。

   人間の、歓びを、悲しみを、愛情を、哲学を。
   100年間、愛され続ける文学の魅力を。

 いいな、この文章。
 写真に写っているのは
 創刊時の新潮文庫を再現した復刻版ということです。

 今年一番、「おおっ!」と思ったのが
 小学館

小学館
   本と人で、本人。

 当たり前ですが
 なかなかこの発想は出てこない。

   本で見つけたお気に入りは、きっと一生の宝物になる。
   本でおぼえた知識は、きっと次の好奇心に変わる。

 子ども向けの広告ですが
 おとなだって
 これは忘れてはいけない。
 何しろ、「本と人で、本人」なんですから、
 本人になるのは子どもだけではありません。

 その大人に向けての広告が
 集英社

   一人前の服を着て、
   一人前の顔をして、
   大人のふりをしてみても、
   本を読まない人は
   一人前とは言えない。

 これも、いい。
 これは先の
 「本と人で、本人」とつながっていると
 思います。

講談社 講談社の広告も
 大胆な一面広告。
 大きなふき出しの中に新年の思いを
 書いてみませんかと。

   その言葉から、物語がはじまる。

 みなさんなら、
 どんな言葉からはじめます?
 文藝春秋は月並みな本の広告だったのは
 残念でしたが
 もしかしたら朝日新聞以外ではちがうかもしれません。


 いずれにしても
 今年の広告はよかった。
 さあて、今年は
 どんな物語がはじまるのでしょう。

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