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プレゼント 書評こぼれ話

  先日の函館旅行の際に
  鞄にいれた本が
  今日紹介する
  上田紀行さんの『生きる意味』。
  函館紀行にも書いたように
  今回旅をした仲間は
  私も含めて
  60歳の還暦を迎えた「おっさん」です。
  20歳の若い人たちも
  「生きる」ということに悩むと思いますが
  私たちのような「おっさん」も
  結構悩むものです。
  私はそれでいいと思っています。
  会社というレールの中で生きてきて
  ある日それが終点を迎え
  レールから降りてしまえば
  前にあるのは
  広大な荒野。
  それで悩まないなんて嘘です。
  悩むのが怖いから
  またレールに乗ろうとするのではないかしらん。
  そんなことも
  今回の函館旅行で
  考えたいと思って
  この本を鞄に入れました。
  私にとっての
  「生きる意味」とは。
  少なくとも今目の前にあるのは
  荒野ではなく
  緑あふれる田園のような気がしています。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  あなたのワクワクすることは何?                   

 「キャリア(career)」という言葉はよく聞くが、その定義は難しい。
 アメリカのキャリア研究の第一人者であったドナルド・スーパーは、「キャリアとは人生のそれぞれの時期で果たす役割の組み合わせ」といっている。
 スーパーのいう「役割(ライフロール)」とは、「息子・娘」であったり「職業人」であったり「余暇を楽しみ人」であったりする。ほかにも、「学生」「市民」「ホームメーカー」という役割がある。
 それらが組み合わさって「キャリア」を構成するという。
 わかりやすいのが、定年退職。今まで「職業人」という役割を担ってきた人が定年によりその役割を終える。余った時間をどんな 役割で過ごすのか。あるいは、どんな役割で過ごしたいのか。
 それがその人の新しい「キャリア」となっていく。
 ところが、私たちは自分が何を求めているのかはたと悩む。「自分の「生きる意味」がどこにあるのかも」をも含めて。

 本書は文化人類学者の上田紀行氏がそんな現代人の「生きる意味」を探った提言書である。
 前半では何故現代人は「生きる意味」を喪失したのかを歴史面や社会面から見ていく。後半で、「内的成長」という言葉を使って、「生きる意味」の成長を促していく。
 上田氏は、人は生きていく中で「生きる意味」が変化していくという。その上で「人生とは「生きる意味」の成長とともにある」と記している。
 先のドナルド・スーパーも、人生の中で「役割」が変化していくといっていることに似ている。

 では、「内的成長」を促すきっかけとは何だろう。
 ここに「生きる意味」の大きなヒントがあるように感じる。
 上田氏は「ワクワクすること」と「苦悩」の二つであるとしている。「苦悩」については飛躍のきっかけとしてあげられているが、大事なことは「ワクワクすること」ではないだろうか。
 どんな人にも「ワクワクすること」はあるだろう。これから何をしたらいいのだろうと悩んでいる人は、ぜひ自分の「ワクワクすること」を見つけ出してもらいたい。

 人は死ぬまで変化成長していく動物だ。最後には、「いい人生だったなあ」で終わりたいものだ。
  
(2015/06/30 投稿)

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 先週の「わたしの菜園日記」で
 今週はカレーまつりでーす、なんて
 書きましたが、
 金曜の段階で土曜日曜に
 雨マークがついていて
 中止になってしまいました。
 ところが、
 昨日の日曜日(6月28日)は
 朝からとってもいい天気。
 屋外のイベントの難しさですね。
 残念、だけどがまん、がまん。

 そんな気分を収穫がふっとばしてくれました。
 昨日はいつものキュウリナスだけでなく
 エダマエも収穫しました。

  CIMG0265_convert_20150628202250.jpg

 枝からごっそり収穫するのも豪快でいいのですが
 ここはチマチマといきます。
 それでも
  ビールに合うぐらいは取れました。
 これから
 何度か美味しいエダマエが食べられます。

 そして、何よりも
 トウモロコシ

  CIMG0276_convert_20150628201318.jpg
 
  CIMG0278_convert_20150628201458.jpg

 皆さんは宮崎駿監督の「となりのトトロ」って
 知っていますよね。
 その中に
 トウモロコシが登場するシーンって
 覚えています?
 小さな主人公メイちゃんが
 病院にいるお母さんにトウモロコシをもっていくシーン。
 「メイが採ったトウモコロシお母さんにあげるの
 トウモロコシがトウモコロシになっています。
 このシーンを次女が覚えていて
 収穫は彼女にしてもらいました。
 次女が「となりのトトロ」を見たのは
 小学生の頃だと思いますが
 それでも
 そんなシーンを覚えているなんて

   恐るべし、スタジオジブリ
   恐るべし、宮崎駿
   恐るべし、トウモロコシ


  

 このウモロコシですが
 こんなおいしいトウモロコシ
 60年生きてきて
 初めてというくらい。
 いやぁー、生きててよかった。

 次に楽しみなのは
  トマト。
 わたしの菜園で育てているのは
 大玉トマトミニトマトなんですが
 なかなか赤くなりません。
 実りはとってもいいのですが。

  20150626_102329_convert_20150628202003.jpg

 これが赤くなったら、
 どんなにきれいでしょう。

 菜園を始めて3ヶ月。
 なんて愉しい時間を過ごせていることか。
 感謝の毎日です。

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 今日も昨日の続き。
 「三匹のおっさん、函館に遊ぶ」の3回め。
 昨日の記事で
 函館ベイエリアで紹介したい人…というところで
 終わりましたが、
 その人は下の写真の人。
 誰だかわかりますか。

  20150623_125641_convert_20150625210008.jpg

 同志社大学の創設者新島襄です。
 一昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で
 オダギリジョーさんが演じていましたね。
 ドラマでも描かれていましたが
 新島襄
 ここ函館の地から密航で
 アメリカに渡ったのです。
 その記念の像が上の写真というわけです。

 海に開かれた函館ですが
 新幹線の開通も
 間近になってきました。
 函館までの開業予定は
 2016年3月だとか。
 東京から乗り換えなしで約4時間。
 着々と開業準備が進んでいますが
 新駅となる「新函館北斗駅」を
 見てきました。

  20150623_110447_convert_20150625205817.jpg

 この新駅は残念ながら
 函館市ではなく
 隣の北斗市にあります。
 だから、長い駅名になったようです。
 初めて東京から行くと
 なんだ、函館じゃないじゃないかという
 ため息が聞こえそうですが
 北の国の人たちが
 長年待ち望んできた
 本州からの新幹線です。
 函館の活性化につながればと
 願っています。

 函館の旅の最後に訪れたのは
 蔦屋書店
 なんで函館の最後が
 TSUTAYAなんだと思われたでしょうが
 なにしろここは本のブログなもんで
 本屋さんで締めくくりたいと
 思います。

  20150623_134921_convert_20150625210056.jpg

 この函館蔦屋書店
 代官山の蔦屋書店の志を受け
 全国展開されるその第1号店として
 2013年12月にオープン。
 行ってみて
 その巨大な場に圧倒されます。
 函館蔦屋書店のホームページには
 こんなことが書かれています。

   もう、商業施設をつくるだけで、地域がいきいきとする時代ではありません。
   (中略)
   ものを買う場所は、ヒトもコトもつながる場所であるべきだと思います。
   函館蔦屋書店がめざすのは、これからの時代のスタンダード。
   地域のみなさんが気持ちよく過ごせる”居場所”になります。

 すてきですよね。この宣言。
 そもそも代官山蔦屋書店のコンセプトが
 「大人のための文化の牙城」で、
 この函館蔦屋書店
 地方都市での人のありようを
 目指していこうとしているように思えます。
 さまざまなジャンルの本があり
 レンタルショップあり、
 コーヒーショップあり、
 この空間にいるだけで
 ゆっくりとした豊饒な時間が
 流れていきそう。
 もともと地方都市というのは
 そうであったかもしれません。
 大都市のような雑多さはないけれど
 人と人とが
 人として触れ合うことができる場であった。
 函館蔦屋書店が目指しているのは
 そういうことなのではないかなぁ。

 地方都市の郊外型店舗であることは
 間違いないですから
 今後車を持たない弱者の人たちを
 どんなふうに取り込むかが
 大きな課題だと思います。
 新幹線も大事だけれど
 函館蔦屋書店のこういう文化を
 きっちりと育てることが
 函館に生きる人々の
 本当の課題ではないでしょうか。

 こうして、三匹のおっさんの
 函館の旅は終わりました。
 17歳で出会った三匹のおっさんは
 60歳になる前に再会し
 函館で楽しい何日間を
 過ごすことができたのは
 奇跡みたい。
 一人はさらに北海道の旅をつづけ、
 一人は函館での仕事に戻り、
 私は家に帰りました。
 それぞれがそれぞれの60歳を迎え
 それぞれがまた新しい時間を
 生きていく。
 函館蔦屋書店で感じた幸福は
 そういうことなのかもしれません。

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 今日は昨日の続き。
 「三匹のおっさん、函館に遊ぶ」の、続きです。



 6月22日。
 夏至ですよ。
 二匹のおっさんは、
 三匹めのおっさんは函館にいるものですから
 ゴルフまではしっかりお仕事。
 月曜ですから。
 きままな二匹のおっさんは
 ホテルの近くの
 五稜郭へ。
 そうです、あの土方歳三
 最期まで戦った激戦地です。

  20150622_084538_convert_20150625205359.jpg

 実は私はかつてこの函館の地で
 仕事をしたことがあったのですが
 何故かこの五稜郭
 初体験。
 しっかりと五稜郭タワーから
 五角形した敷地を見てきました。

 さあ、そして
 函館の友人も合流して
 いよいよメインのゴルフです。
 これまでの人生、
 ゴルフ経験はわずかに3、4度の私に
 これこそ過酷な試練の時間です。
 しかし、この6月に退職した
 千葉県民の友人が
 ずっと前から楽しみにしていたのですから
 高校の友人として
 行くしかない。

  ♪ 友よ この闇の向こうには
    友よ 輝くあしたがある

 この歌、知らない人が多いでしょうが
 岡林信康さんの「友よ」という歌。
 私たちが高校生の頃は
 この歌とか歌っていましたね。
 あ、ゴルフの話でした。
 ここで私がゴルフを愉しんでいる写真でも
 載せたいところですが
 それはご勘弁頂きたい。
 じゃあ、本当にしたかどうかわからないじゃないかと
 怒られるのも嫌なので
 ゴルフ場の写真だけでも。

 20150622_120754_convert_20150625205507.jpg

 結果はといえば
 前進あるのみの歩兵でした。
 それでも
 高校時代の友人と遊ぶ、
 なんと楽しい時間だったことか。

 その日の夜は湯の川温泉泊。

 夜が明けて、函館も最後の日。
 この日は函館朝市からスタート。
 下の写真は
 朝市で見つけたヒラメたち。
 函館といえば
 イカですが、
 ヒラメの大群もいいものです。

  20150623_084737_convert_20150625205716.jpg

 このあとは国定公園の大沼公園
 なんと、この公園に
 あの名曲「千の風になって」の記念レリーフが
 あるのです。

  20150623_100306_convert_20150625205623.jpg

 こっそりいうと、
 私、この歌、持ち歌のひとつなんです。

  ♪ 私のお墓の前で 泣かないで下さい
    ・・・
   千の風に 千の風になって

 聴かせてあげたいなぁ。
 歌っている場合じゃないですね。
 先を急がないと。

 昼は函館ベイエリア
 ここは金森赤れんが倉庫群で人気のスポッット。
 その一画に
 函館の人気のお店、
 「ラッキーピエロ」があります。
 昼食はここで人気ナンバー1という
 チャイニーズチキンハンバーガー
 頂きました。

 このエリアで紹介したい人がいるのですが
 それは明日ということで。
 ええー、本の話ですよね、
 明日こそ。

  ♪ 友よ むくわれるその日がくる
    夜明けは近い 夜明けは近い


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 『三匹のおっさん』といえば
 有川浩さんの人気小説ですが、



 まさにその三匹のおっさんで
 北海道・函館
 6月20日から23日まで
 遊んできました。
 どんなおっさんかというと
 今年還暦を迎えた
 高校時代の友人3人です。
 東京組、
 といっても関東地方を総称して呼んでいるだけで
 実際は千葉県民と埼玉県民の
 2人。
 もう1人は
 現地の函館に住んでいます。
 3人とも
 大阪の高校出身ですから
 ここに流れつくまで
 紆余曲折ありました。
 人生、流れる水の如く、です。

 出発は茨城県大洗海岸
 ここからフェリーで
 北海道苫小牧に向かいます。
 出発は18時00分。
 苫小牧に着くのが
 翌日の13時30分。
 いやあ、長い。
 東京組は
 私も友人も今は自由人。
 時間はたっぷりあります。
 私はフェリー初体験。
 60歳になっても知らないことばかり。
 出航時はちょっと揺れました。
 気分はもう「タイタニック」といいたいですが
 ちょっと大げさですね。
 することもないし
 ちょっと気分も悪くなりそうだし
 明日の日の出はみたいしで
 早々にベッドにもぐり込みました。

 なんといっても
 日の出です。
 千葉県民の友人は
 フェリーで行くのだから
 洋上の日の出は見ないとなんて云っていたのに
 起きません。
 仕方がない。
 君の分まで私がしっかり見てきてあげましょう。
 3時半ぐらいから起き出して甲板へ。
 さあ、来い。日の出。
 俺たちの明日を照らしておくれ。
 待つこと、およそ30分。
 出ました、
 出ました。
 これが太陽。
 生きる力。
 青春じゃないですか。
 下の写真はまさにその瞬間。

  20150621_040805_convert_20150625205110.jpg

 このあと、私はぐっすり寝ました。

 先を急ぎましょ。
 苫小牧に着いて、一路
 もう一匹のおっさんの待つ函館へ。
 この日のめあては
 もちろん
 函館の夜景
 ところが、三匹のおっさんともに
 函館の夜景は体験済み。
 函館山の頂上には
 たくさんの中国から来た観光客。
 おっさんたちは写真を何枚か撮って
 早々に退散。
 頂上には10分ばかりしかいなかった。

  20150621_205727_convert_20150625205235.jpg

 何しろ
 三匹のおっさんは
 明日(6月22日)今回のお遊びのメイン、
 ゴルフが待っているので。

 ところが、その中の一匹のおっさん、
 つまり私ですが
 ゴルフは15年近くしたことがない。
 本当にできるのか
 フェリーの揺れ以上に
 心は揺れています。
 もっとも、その夜はしっかり眠れましたが。

 三匹のおっさんの函館紀行は
 明日も続きます。
 本の話がないじゃないかと怒っている皆さん、
 このあとはちゃんと
 本のこともありますから。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  山崎ナオコーラさんの
  『ボーイミーツガールの極端なもの』。
  久しぶりにコカコーラを飲んで気分。
  げふっ。
  そんなことないか。
  でも山崎ナオコーラさん
  本当に久しぶりです。
  この本には
  たくさんサボテンが出てきます。
  サボテンといえば
  中学生の頃に
  サボテンに興味を持ったことが
  ありました。
  友だちがサボテンを集めていたんですね。
  その頃、
  ちょっと親とケンカして
  家出をしたことがあって
  その友だちのサボテン小屋に
  匿ってもらったことが
  あります。
  なんだかいい匂いは
  しなかったなぁ。

  じゃあ、読もう。

  

 sai.wingpen  ボーイ&ガール・ミーツ・サボテン                   

 「ボーイ・ミーツ・ガール」というのは物語の一つの類型だ。
 日本語に直すと、「少年が少女と出会う」、つまりは少年が少女と出会い、恋のおちるという形。そういう物語は古今東西たくさんある。
 特に青春ものといわれる作品のどこかには必ずといえるほど、この要素がある。
 山崎ナオコーラの連作集であるこの作品も、タイトルの通り、「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語なのだが、そこに「極端なもの」と付いているわけだから、出会うのは少年少女と限らない。

 巻頭の「処女のおばあさん」では、72歳の鳥子という「おばあさん」が街で偶然出会った30代の玉田に恋をする話。少女ではなく、「おばあさん」というのがいい。
 鳥子は甥っ子の48歳の竜子とその義理の娘である21歳の伽奈と同居しているという設定がいい。
 第2話では伽奈が、第3話では竜子が主人公になって、それぞれの「ボーイ・ミーツ・ガール」を展開していく。
 ここまではいい。
 ところが、3話で3人の「ボーイ・ミーツ・ガール」を書いてしまって、4話め以降の展開を想定していなかったのか、物語は大きく変わってしまう。
 引き込まり青年、いい子息子、その父と母、という展開が果たして連作としてよかったのかとなれば、それはどうだろうか。

 それぞれの作品をつなげているのが、さまざまな特長を持ったサボテンであるが、まさかサボテンを描きたくて書いたのではないだろう。作品集としての甘さがある。
 もちろん、さすがは山崎といえる、詩的な文章がないではない。
 「自分の人生を進めるために人と関わるのではない。何の意味もなく、人と関わるのだ」(第2話)。
 「絶対的な恋なんてない。ひとりひとりの、個人的な恋しかないのだ」(第9話)。
 山崎らしい文章だ。
 せっかくの魅力が全体の構成が弱いために、作品集としては魅力が半減しているのが残念だ。

 それにしても、サボテンである。
 この本で紹介されている不思議な形態のサボテンの数々。好きな人にはその写真(この本には作品で取り上げられたサボテンが写真付きで紹介されている)を見ているだけで至福な時間となるだろう。
 「ボーイ&ガール・ミーツ・サボテン」物語だ。
  
(2015/06/25 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  吉野弘さんの詩集紹介の二日め
  ずばり、『吉野弘詩集』です。
  皆さんにお聞きしたいのですが
  最近詩集を開いたことが
  ありますか。
  梅雨のじめじめしたこの季節
  言葉の光を浴びるのも
  いいかもしれません。
  今日の書評にも書きましたが
  昔、十代の頃
  詩人にとても憧れていたことがあります。
  中原中也立原道造宮沢賢治
  どれもこれも
  切なくて
  ああ、このようにして
  私も若くして死んでいくのかなぁみたいなことを
  思っていたら
  還暦まで来てしまいました。
  今詩を読むその気分と
  若い時読んだそれとは
  おそらくうんと違うと思います。
  でも、
  詩が読める
  詩を読みたいと思えることを
  大切にしたいと
  思います。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  あなたは風だったかもしれない                   

 遠い昔、中原中也が好きだった。
 「中原中也の詩だろう」と問われれば、「いや、中原中也その人が」と答えたい。
 巷間に知られた恥じらったような美少年の写真といい、長谷川泰子という女性を小林秀雄ととりあったことといい、若くして亡くなったことといい、中也そのものが詩であるような気がする。
 まさに「汚れつちまつた悲しみに」だ。
 中也そのものがある意味詩人の典型のように思っていた。
 それからたくさんの水が橋の下を流れ、中也が亡くなった年齢もとっくに越してしまって、どうもそうではないのではないかと気づいた。
 詩人であれ、まっとうな社会人であり、家庭人たりうる。
 そんな詩人の一人は、吉野弘であることは間違いない。

 吉野弘といえば、「祝婚歌」といわれるほど有名な詩がある。あるいは教科書にも載った「夕焼け」という詩も広く知られている。
 この詩集にはそういう代表作も収録されているが、吉野弘の単独詩集であるから、目にしたこともない詩も多いだろう。
 例えば、私は「生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい」という節で始まる、「生命は」という詩が気にいった。
 その詩の最後はこうだ。「私も あるとき/誰かのための虻だったろう//あなたも あるとき/私のための風だったかもしれない」、そんな虻と風が出会って、「愚かでいるほうがいい/立派すぎないほうがいい」という「祝婚歌」の世界につながっていくのだろう。

 もうひとつ、この詩集の特長でいえば、言葉遊びの詩が数多く収録されていることだ。
 言葉遊びといえば谷川俊太郎が数々の詩を発表しているが、吉野弘も負けてはいない。
 気に入ったのは、「主婦」という詩。「婦」という言葉を分解して、「主(おも)に帚(ほうき)を使う女」と読めることに詩人はそうではないと異議を申し立てる。「主(あるじ)に帚(ほうき)を使う女」。
 詩人の目の鋭さと文字に対するセンスの良さを感じないだろうか。

 吉野弘に「「汚れつちまつた悲しみ」は隠されているが、もっともっと読まれるべき詩人だ。
  
(2015/06/24 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日と明日、
  2014年1月に亡くなった
  詩人の吉野弘さんの詩集を
  紹介したいと思います。
  まず今日は
  奥さんと二人の娘さんが選を行った
  『妻と娘二人が選んだ「吉野弘の詩」』。
  特に吉野弘さんの詩には
  家族を詠んだものがたくさんありますから
  ご家族の人も
  相当の思い入れがあったかと思います。
  そんなあたりも
  鑑賞する手立てにあるかもしれません。
  でも、
  吉野弘という詩人が亡くなっても
  詩を書いてくれた父親は
  詩とともにずっと
  家族とともにあることを
  思えば
  なんと幸福なことでしょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  生きていることのなつかしさ                   

 2014年1月に亡くなった詩人の吉野弘の詩集は今も静かに読まれている。
 「二人が睦まじくいるためには/愚かでいるほうがいい」という書き出しで始まる「祝婚歌」は何度読んでもいい。
 吉野弘にはかつての詩人のような破天荒さはない。どちらかといえば、それとは反対の規律正しさを感じる。
 勤め人として、家庭の人として、吉野は詩を詠んだ。
 それは、例えば、長女の名前を題名にした「奈々子に」などの作品を読めば、そのまっとうさを強く感じる。
 いまも読まれるのは、そのまっとうさゆえではないか。

 吉野の遺された妻と二人の娘が選した詩集が、本書である。
 「あとがきにかえて」と題された巻末の文章で、長女の奈々子は自分の名前がついた「奈々子に」という詩についてこう書いている。
 「父の、私への溢れんばかりの優しさが、私にとっては照れでしかなかった」と。
 「奈々子に」という詩の一節を引用すると、「お父さんが/お前にあげたいものは/健康と/自分を愛する心だ」とある。
 たしかにこのような言葉を残された本人には照れでしかないだろう。
 それにしても、なんと深い父親の愛なことか。
 吉野だけでなく、初めての子どもを持った父親の気持ちは、誰であれこうなのだ。
 もし、違っていることがあるとすれば、奈々子の父親が詩人であったということだ。
 「あまりに身近にありすぎたために、味わい損ねたこの詩」と奈々子は書いている。そして、そのあとに「敢えて味わなくても、私の全身に沁み渡っていた」と。
 この詩は、吉野を離れて、長女を育ててきたのだ。

 この詩集には選ばれていないが、子どもたちの姿を描いた素敵な詩が、ほかにもある。
 「一枚の写真」と題されたその詩の中で、二人の姉妹はこう描かれている。
 「姉は姉らしく分別のある顔で/妹も妹らしくいとけない顔で」、そんな姉妹にカメラを向ける父、吉野。
 父の指に重ねてシャターを押したのは、「幸福」だと、吉野は詠った。

 「生きていることのなつかしさに/ふと 胸が熱くなる」、「祝婚歌」の一節そのものの、吉野弘の詩であること、よ。
  
(2015/06/23 投稿)

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 梶原一騎原作・川崎のぼる漫画の
 『巨人の星』は
 中学生の頃のバイブルみたいな
 マンガでしたが、
 その中に星飛雄馬が
 父親の星一徹から千本ノックを受ける場面が
 あったような。

  コラ、立つんだ! 飛雄馬!
  ワシの千本ノックを受けてみよ!

 すごい、お父さんです。
 その点、私はやさしい。
 私の菜園のキュウリにはこうしか言わない。

  おい、キュウリ!
  わたしに100本収穫させろ!

 キュウリはかわいそうに
 青くなって震えてます。
 あ、キュウリはもともと青いですが。
 そうなんです、
 キュウリが豊作で、
 100本はこの夏に収穫できるのでは
 ないかと。
 捕らぬ狸の皮算用
 でも、土曜日(6月20日)までに
 すでに30本以上収穫しましたので
 夢ではないかも。

 今日は夏至
 昼間が一番長い日。

    夏至ゆうべ地軸の軋む音少し   和田 悟朗

 けれど、
 世の中全般梅雨なのです。
 野菜にとっては
 適度な光と適度な水が大事。
 雨がしとしと降る梅雨は
 あんまり野菜にはよくない。
 私にとっても
 よくない。
 晴耕雨読ですよ、やっぱり。

   夏至の日の弦のびる先まだ日向      夏の雨

 キュウリばかりに激をとばしましたが
 トマトにもいいたい。
 早く赤くなっておくれ。(ちょっと弱き)

  CIMG0247_convert_20150620104840.jpg

 ナスにもいいたい。
 お前とはまだ1個しか会っていないよ。
 もっと会いたいじゃないか。

  CIMG0249_convert_20150620105125.jpg

 ピーマンにもいいたい。
 お前のこと結構好きなんだけど。

  CIMG0250_convert_20150620110343.jpg

 さて、いよいよ来週6月28日は
 私の菜園、
 というか
 私が借りている菜園で
 初めてのイベント、
 カレーまつりがあります。
 さてさて、どうなりますやら。

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プレゼント 書評こぼれ話

  この4月から菜園を始めて
  お隣の菜園の人とも
  楽しい会話を楽しんだりしています。
  一番小さい友だちが
   ゆうだい君という男の子。
  幼稚園ぐらいかな。
  一緒になると
  いつも遊びに来てくれます。
  彼はおとうさんとおかあさんと
  妹さんと一緒に来ています。
  お手伝いをしないで
  ここのピーマンはそろそろだとか
  こっちのナスは大きいねだとか
  巡回しています。
  よその家の男の子ですが
  かわいいったら。
  私も彼に会うのが楽しみで
  菜園に出かけているところもあります。
  そんな ゆうだい君が読んだら
  喜びそうなのが
  今日紹介する絵本。
  松田奈那子さんの『やさいぺたぺたかくれんぼ』。
  野菜を使ってスタンプ遊びができる
  絵本です。
  きっと、彼とやったら
  楽しいでしょうね。

  じゃあ、読もう。

         

sai.wingpen  やさい王国をつくろう!                   

 最近「やさいクレヨン」というものが評判らしい。
 このクレヨンには赤色も緑色も黄色もなくて、とうがらし色とかキャベツ色とかかぼちゃ色とかがあるそうです。
 なにしろ、それぞれの色の野菜でできているのですから、わかりやすいといえばわかりやすい。
 野菜そのものを粉末にして米粉のワックスで固めるそうです。
 こういうクレヨンで描いたら、どんな世界が広がるのでしょう。
 野菜と親しむという点でも、優れているではありませんか。

 野菜は色だけでなく、形もさまざま。
 この絵本はそんな野菜の断面を使って、絵をこしらえています。
 わかりやすい例でいえば、れんこん。断面に穴がたくさんあいていますよね。これを使って、あなたならどんな絵をこしらえますか。
 この絵本では、自転車の車輪。雰囲気がでてますよね。
 そのほか、割とわかりやすいのが、ゴーヤ。表面のごつごつに特長があります。
 ピーマンの断面は面白い。
 脳の断面図のように見えてしまうのは、私が大人だからでしょうか。
 この絵本では猫や犬の鼻に、ぺたん。

 面白いのは、ちんげんさい。
 断面に色をつけて、ぺたんとスタンプにすると、なんと、バラの花のように見えます。
 ちんげんさいがバラになるなんて。
 なんだか楽しくなってきます。
 うれしいことに、この絵本のおしまいには「やさいスタンプであそぼう」というページもあって、あそび方が書かれています。
 その前に、野菜をまず準備しないといけません。
 お母さんに頼んで、冷蔵庫にある野菜を取り出してみるところから。そして、まずは自分で想像してみて下さい。どんな形になるかなぁって。

 そして、「やさいクレヨン」を使って絵を完成させるのもいいですね。
 こんな形のやさい、あんな色のやさい。なんだか夢のやさい王国ができるようではないですか。
 あ、それと最後に注意を。
 やさいは食べ物。スタンプやお絵かきで遊んでも、親しむためのもの。
 クレヨンがかわいそうだとか、スタンプはこわれてしまうって、やさいを食べないのはいけません。
  
(2015/06/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は川本三郎さんの
  『映画の戦後』という本を
  紹介するのですが
  この本の中にも書かれている映画を
  先日DVDで観ました。
  野村芳太郎監督の『張込み』(1958年)です。
  脚本は橋本忍さん。
  この映画は松本清張さんの短編が原作なんですが
  わずか30ページほどの作品を
  2時間にも及ぶ映画に仕上げた技量の
  素晴らしさを
  川本三郎さんも書いています。
  それに
  この作品のヒロイン役の
  高峰秀子さんの美しさも。
  『映画の戦後』の中には
  その高峰秀子さんの魅力を
  まとめた小論も
  掲載されています。
  川本三郎さんの映画評の良さは
  そのあたたかさにあります。
  映画を愛する気持ちが
  文章にもよく表れています。

  じゃあ、読もう。

       

sai.wingpen  やくざ映画はあだ花だったのか                   

 高倉健が亡くなったのが2014年11月。川本三郎氏は「「やくざ」が輝いていた時代」を、その追悼として書いた。それが本書の冒頭で紹介されている。
 その中で、川本氏はアメリカで書かれた「日本のクリント・イーストウッド、死す」というニュース記事を引用し、「二人ともヴェトナム戦争の時代の影を背負っている」と記している。
 東映のやくざ映画が大衆に受け容れられていく背景を川本氏はじっと視ている。学生運動に熱中していた若者だけでなく、社会の底辺に生きる人々もまた、高倉健を、やくざ映画を絶賛した。
 川本氏はいう。「やくざ映画とは実はほとんどプロレタリア文学と同じ世界を描いている」。
 そして、その時代すでにTVが家庭に入り込んでいたはずであるが、やくざ映画に拍手喝采を送った観客はそういう家庭にはなじまなかった人々ではなかったのではないだろうか。ぜひ、川本氏にはその視点からも考察を願いたい。

 この「「やくざ」が輝いていた時代」という高倉への追悼文を執筆中に、もう一人のヒーロー菅原文太の訃報が、川本氏の元にとび込んでくる。(菅原文太が亡くなったのは、高倉の死から数週間後だった)
 急遽、川本氏はこの文章に菅原文太への追悼を書き足している。
 日数的にそれは仕方なかっただろうが、やはり高倉健と菅原文太は別々の原稿にしてもらいたかった。

 本書では、この一文を含め日本映画編とでもいえる「戦後映画の光芒」と洋画編といえる「アメリカの光と影」の二部構成になっている。
 「戦後映画の光芒」では高倉や菅原以外にも高峰秀子や杉村春子、森田芳光といった映画人の追悼文が紹介されている。
 あるいは、原節子や小津安二郎がどのようにして戦後を表現していったか、山田洋次の「男がつらいよ」で描かれた地方都市といったように、その一文一文は映画評であるとともに、まさに戦後の日本が歩んできた記録にもなっている。

 また、「アメリカの光と影」では、高倉健と同じ時代を演じた「クリント・イーストウッド論」は力作であるが、なんといってもハリウッドの赤狩りを記した数篇の評論は興味をひく。
 映画は大衆に愛されたゆえに、時代というものから逃れられない宿命を帯びている。
 この本の中の川本氏の評論は、そのことを言い当てている。
  
(2015/06/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  いつもの書評サイト「本が好き!」から
  献本いただいた、
  保坂隆さんの『平常心』。
  副題に「なにがあっても折れない心の育て方」と
  あります。
  私なんか、
  心は折れっぱなし。
  平常心が「ときめき」とか「緊張」とか「怒り」とか「溜め息」とか
  みたいなものです。
  最近ようやくわかるようになってきたのは
  ダメでもいいんじゃないかと
  いうことかなぁ。
  普通の穏やかさでいられないということは
  どこかでうまくやろうとか好まれたいとか
  思っているのだと思います。
  うまくやらなくてもいい、
  嫌われてもいい、
  そんなふうに思えれば
  心が乱れることはないかも。
  でもな、
  となってしまう自分がいるもの確かなんですが。

  じゃあ、読もう。


 

sai.wingpen  いいかげんに生きる                   

 人が平常心でいられない時はどういう時だろうか。
 大事な面接に向かう時。資格試験の一時試験にのぞむ時。ここぞという一戦に立ち向かう時。娘さんを頂きますと彼女の親と対面する時。
 よおく考えてみれば、平常心でいられない場面はたくさんある。平常心って何だろうというくらい、いつもとはちがうことの連続といっていいくらいだ。
 案外、いつもが平常ではないのかもしれない。

 心が乱される時。といってもいい。それを落ち着かせることが、平常心になるということだろう。
 この本にはその心得がふんだんに紹介されている。
 例えば、第1章の「「ここぞ!」というシーンで実力を発揮する法」では、「間」の取り方を教えている。
 「時を稼ぐことができれば、気持ちは落ち着いてきます」と、著者は書いている。「ほんの一瞬」の「間」が大切なのだ。
 緊張している時、手のひらに「人」という字を書いて飲みこめということを、よく耳にする。「人」に飲みこまれるのではなく、逆に飲みこめということだろうが、これはそういう動作を行うことで、「間」をとっているともいえる。
 だとすれば、迷信ではなく、根拠のあることではないか。

 この本の著者保坂隆氏は精神科医であるから、色々なケースを診断してきた結果として、事例を紹介しているのであろう。
だから、わかりやすい。
 第2章「「負の心」を引きずらない「切り替え」の法則」では、「負けの原因」を「運のせい」と考えることで、自分のせいで負けたという心の負担が軽くなると書いている。
 反省しなくていいのかということはあったとしても、それは他人に言わせておけばいいので、「運のせい」にすれば、確かに自分の負担が軽くなりそうだ。
 精神的なことがらだけでなく、第5章「なにがあっても心が折れない平常心の育て方」では、早起きを習慣にするであったり、朝の散歩の励行であったり、しっかり朝食をとるであったりといった肉体的な取り組みにも言及している。

 最後の第7章のタイトルがもっとも言い得ている。
 すなわち、「人生は「いいかげん」でちょうどいい」。この「いいかげん」にはこんな漢字をあてるという。
 好い加減。
  
(2015/06/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日
  「京都、夏の愉しみ」という
  特集が組まれた
  雑誌「ノジュール」の6月号を
  紹介しました。
  京都といえば
  花房観音さん。
  何しろ京都のバスガイドを
  されていた(まだ現役かも)作家ですから。
  花房観音さんが
  京都の(実在しない)神社を舞台に描いたのが
  今日紹介する
  『神さま、お願い』。
  ちょっとホラー的でもあるので
  書評のタイトルは
  「ノジュール」の特集名から
  頂戴しました。
  そういえば
  「ノジュール」6月号には
  「京都MAP 2015」といった
  最新の京都の地図も掲載されています。
  もちろん、
  花房観音さんがこの作品で描いた
  神社は載っていません。
  念のため。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  京都、夏の愉しみ                   

 私たちが神様に手を合わす時は大抵何かをお願いする時だけ。
 それこそこの短編集の各タイトルのように、「安産祈願」「学業成就」「商売繁盛」「不老長寿」「縁結び祈願」「家内安全」と。
 これだけのお願いを、神様の方もよく聞いてくださるものだ。
 京都を舞台にさまざまな女性の官能を描いてきて花房観音だが、官能をほとんど描かず、女性ならではの妬みや恨み、泣き言を、神様にすがる姿で描いたのが、この短編集である。

 場所は「京都の下鴨神社近く」の、「鳥居がまるで人を阻むかのようにすっくと立」つ小さな神社。
 そこで、自身の生血を捧げれば、「願いという名の呪いを叶えてくれると言われている」。
 女たちはまるでその神社に吸い寄せられるようにして、自らの手を傷つけ、血を滴らせる。そして、口にする。「神さま、お願い」と。

 「安産祈願」の主人公明日菜もその一人。学生の頃から兄のように慕っていた新倉を軽薄だと見下げていた光実に奪われ、二人に子どもが出来たことを知るや、生まれなければと、神様に願う。
 しかし、光実は無事出産。しからばと、新倉に身体で迫る明日菜。そうして、手にいれたはずの新倉とかつて明日菜が生まれないことを願った子どもだが、明日菜の願った幸福とはほど遠いものであった。
 「学業成就」は息子の有名校への進学を願うあまりに破綻していく妻を描かれている。「家内安全」もいつまでも円満な家庭を願いながらも、夫も息子も離れていく。
 最後に神様に願いはするが、そしてそれはある意味叶えられるが、「家内安全」では事業に失敗した夫と恋人を失った息子が自分のところへ帰ってきただけ。
 それでも、主人公は満足している。
 誰もが狂気をはらんでいる。
 そして、神様はそんな人間たちを嘲笑いかのように、願いを叶えていく。

 「縁結び祈願」という作品ではようやく手にいれた男性のDVによって別れることを決心した主人公があの血染めの神社に別れさせて欲しいと願う。
 神様はここでも忠実に彼女の願いをききいれる。男の手によって、殺されてしまうということで。

 官能描写がない分、花房の作品としてはやはり物足りなさを感じる。
 神さま、花房に官能小説を書いてもらって下さい、お願い。
  
(2015/06/18 投稿)

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 いつか書こう、書こうと思いつつ
 なかなか書く機会がなくて
 やっと今回実現しました。

 何の話かっていうと
 NHKの朝の連続テレビ小説まれ」のこと。
 4月から始まって
 能登編が終わって
 今は横浜篇。
 主人公の希(まれ)がパティシエめざして
 頑張っています。
 演じているのは土屋太鳳さん。
 お父さんを大泉洋さん、
 お母さんを常盤貴子さんが
 演じています。
 中でも田中裕子さんが抜群の存在感。
 その田中さんが演じるのが
 能登で希たちの一家を助けた民宿のお母さん。
 だんなさんの元治さんは塩田をやっています。
 これを田中泯さんが演じていますが、
 これもいい。
 両田中に「まれ」の面白さが凝縮されています。

 何故「まれ」の話を書いたかというと
 <50代からの旅と暮らし 発見マガジン
 「ノジュール」6月号の特集に
 「日本の原風景 能登八景」が
 紹介されているのです。

  20150607_120028_convert_20150614164527.jpg

 その中に元治さんがやっている塩田もあり、
 輪島塗もあり
 巨大燈篭のキリコ(これもドラマに出てきました)もあり
 朝市も載っています。
 もちろん、
 「「まれ」が伝える“能登のココロ”」なんていう記事も。
 能登は
 ドラマだけでなく
 実際にたくさん見るところがありそうです。

 「ノジュール」6月号の大特集は

   涼を求めて 京都、夏の愉しみ

 それにしても
 さすが、京都。
 春もいいし、
 秋もいい。
 冬もよければ
 当然夏もいい。
 「京で味わう夏料理」という記事では
 当然、(はも)が一番に
 紹介されています。
 湯引きされた鱧のおいしいことといったら。
 関東ではあまり見かけませんが
 関西の夏はこれがないと。
 亡くなった父親の好物でした。

   大阪の祭つぎつぎ鱧の味    青木 月斗

 その他、
 この号には「朝から始める旅」という特集があって
 湘南とか神戸の朝の様子が
 紹介されています。
 でも、やっぱり朝は
 NHKの朝の連続テレビ小説まれ」でしょ。

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日
  東京谷中をぶらり。
  今評判の谷根千というのは
  この谷中、根津、千駄木の頭文字を
  とったもの。
  ぶらり、ということで
  食べたのは
  肉のすずきの元気メンチカツ。
  220円。
  肉のサトーの谷中メンチ。
  200円。
  ふたつのメンチカツだけ。
  この20円の微妙な差。
  それぞれに好みがあるでしょうが
  私は肉のすずきの元気メンチカツが
  おいしかったかな。
  20円の差。
  ふたつのメンチカツを食べながら
  安西水丸さんのように
  美女散歩にはなりませんでしたが。
  ということで、
  今日は
  安西水丸さんの『東京美女散歩』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  美女散歩ではなく、水丸さんの女性遍歴かも                   

 安西水丸さんは『ちいさな城下町』という作品の中で、自身「その町の歴史のあれこれに強く興味を持つ」「歴史派」であると、告白している。
 それは、「小説現代」に長く連載(2007年~2014年)されたこの作品にもいえる。
 「美女散歩」のはずが、「歴史散歩」になっている。
 東京に美女がいないわけはないし、水丸さんはとにかくもてるし、それは文中にもたびたび出てくるが村上春樹さんの作品でイラストを担当したせいでもあるが(やれやれ)、美女との邂逅はもちろんある。
 それでも、「東京というところにはいい町が多い。興味深い歴史がある」と書いているように、歴史にいってしまう。
 美女より歴史なのである。

 そうはいっても、「美女散歩」なのだからと、水丸さんは過去の女性遍歴を惜しげもなく書いている。こういう話を読むと、イラストレーターっていい商売だとうらやましくなる。
 出てくる女性の数を数えたわけではないが、到底10本ではおさまりきらないだろう。しかも、東京のあちこちに女性の思い出が散らばっているのだから、なんともかんとも。
 しかも、そんな美女を振り切って、歴史に走るなんていうのがカッコいいではないか。それがまた女性にモテるコツなのかもしれない。
 水丸さんがもっと生きていたら(水丸さんは2014年3月に亡くなってしまった)、吉行淳之介ばりの小説を書けたにちがいない。

 さて、東京である。
 東京の面積は47都道府県の45位の狭さだ。うしろには大阪と香川があるだけだ。それなのに、その奥の広さはどうだろう。水丸さんのこの本を読んでも実感できる。
 ここにも行ったことがない。あそこも知らない。こんなに面白そうなのに、美女もたくさんいそうなのに、そんな街ばかりだ。
 もちろん人が多いからそういうこともになるのだろうが、小さな土地に歴史がどっさり詰まっているからでもあるだろう。
 だから、水丸さんの東京散歩は面白い。

 それなのに、こんなにたくさんの東京の街を歩きながら、水丸さんは東京の北の端、赤羽には行っていない。
 美女がいないと思ったのか、それともまさか赤羽は埼玉県だとも思っていたのか。
 残念でならない。
  
(2015/06/16 投稿)

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 東京オリンピックまで、あと5年。
 去年日本中が熱狂しましたが
 ここにきてメイン会場の新国立競技場ができるかなみたいな
 問題が出てきて
 本当に大丈夫でしょうか。
 お・も・て・な・し。
 競技会場のいくつかも
 東京ではなく
 神奈川とか千葉にいくようで
 これはもしかして
 お・も・て・な・し、ではなく、

 お・す・そ・わ・け

 なんじゃないかと
 思ってしまいました。

 わたしの菜園も
 キュウリが豊作で
 6月14日の収穫は
 写真のとおり。

  CIMG0243_convert_20150614152357.jpg

 キュウリはもうすでに20本近く
 収穫しています。
 毎日キュウリを食べるわけにもいかず
 近所の友人に

 お・す・そ・わ・け

 この日は
 写真でおわかりのとおり
 トウモロコシの若い実、
 いわゆるヤングコーンも収穫しました。
 大きく育ったトウモロコシの様子は
 以前紹介しましたが
 実を大きく育てるためには
 1本の茎に1個残すのがいいそうで
 他は若いうちにもぎとってしまいます。
 これがヤングコーン
 かわいいですよね。

 ところで
 俳句の世界では
 玉蜀黍は秋の季語。
 夏の季語となると
 「玉蜀黍の花」と限定になります。
 「なんばんの花」ともいいます。

    地平まで玉蜀黍の花畑     阿部 月山子

    夕暮れのなんばんの花紳士然    夏の雨

 そのトウモロコシには
 防虫ネットをかぶせました。
 この中で育てていきます。

  CIMG0235_convert_20150614152732.jpg

 前に植えた
 サトイモラッカセイですが
 ごらんのとおり
 芽を出してくれました。
 よかった、よかった。
 左がサトイモ、右がラッカセイ

  CIMG0233_convert_20150614152622.jpg   
  CIMG0232_convert_20150614152513.jpg

 トマトの収穫はもう少し先ですね。
 梅雨明けぐらいには
 赤くなるかな。
 エダマエも順調。

 夏野菜の収穫の本番は
 これから。
 どこまで

 お・す・そ・わ・け

 できるかな。

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  今日紹介する
  シゲタサヤカさんの『キャベツがたべたいのです』は
  先日「雑誌を歩く」で紹介した
  「やさいの時間」の6月号の
  「菜園家がやさいの絵本を読んでみた。」という
  連載記事で
  書かれていたものです。
  「やさいの時間」では
  金田妙さんというライターの方が
  紹介しています。
  実はその記事は
  この書評を書いてから読んだのですが
  赤ちゃんのおっぱいの話、
  金田妙さんも書いていて
  考えることは同じなんだと
  安心しました。
  私だけが
  変なこと考えているのではありませんよ。
  金田妙さんも書いていますが
  実に変な絵本ですが
  とってもたのしい絵本でも
  あります。

  じゃあ、読もう。

      


sai.wingpen  キャベツの丸かじり                   

 大阪・新世界の名物といえば、二度漬け禁止の串カツですが、実は串カツのそばにデーンとあるキャベツがおいしいのは、知る人ぞ知るなのです。
 そう、キャベツは生のまま、ざくざくで食するのが一番。
 ということは、キャベツの葉を「シャッキリ ムシャ ムシャ」と食べる青虫を同じということになります。
 俺は、青虫か。
 そうめげないで下さい。いずれ可憐な蝶々になるのですから。

 この絵本、不思議な話なんです。
 花の蜜をおいしそうに吸う蝶々たちをみて、「あんなもの、うまいはずがない」と怒っている別の蝶々たちがいます。
 この蝶たちは、幼い頃に食べたキャベツの味が忘れられないはぐれもの。
 幼い頃のおいしい記憶が成人しても忘れられないってこと、ありますよね。
 彼らがエラいのは、その記憶をたどって行動を起こしたことです。
 一軒のやおやに行って、キャベツを食べようとするのです。

 ところが、残念ながら、今は蝶になっていますからキャベツを齧れない。
 人間でいえば、赤ちゃんの時に吸えたおかあさんのお乳が大人になったら吸えないのと似ています。
 ちがうかな。
 そこで、やさしいやおやのおじさんがそんな蝶たちのために不思議なジュースをこしらえてくれます。
 ジュースなら、蝶たちも吸えます。
 と、どうでしょう。「ボワン!」と、蝶たちはやおやのおじさんに変身してしまうのです。
 人間に変身してしまえば、キャベツは食べれます。二度漬け禁止の串カツは食べなくても、キャベツは食べれます。
 それで元蝶のやおやのおじさんたちは、一生懸命に働いて、本当のやおやのおじさんを助けるのです。
 えらいな、元蝶たち。
 それをうらやましそうに見ていたのが、花の蜜を吸っていた他の蝶たち。
 やっぱりキャベツの味が恋しくて、やおやのおじさんのところにやってくるのです。
 そして、また「ボワン!」と特製ジュースでやおやのおじさんに変身して、キャベツを食べます。
 絵本の中に、やおやのおじさんがいっぱい。
 ちょっとホラーっぽい。

 そんな不思議な感覚の絵本を読みながら、大阪・新世界の名物二度漬け禁止の串カツのそばでデーンと山積みされたキャベツのことを思っています。
  
(2015/06/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近日本経済新聞
  電子版の購入を始めました。
  紙の日経新聞も購読しているのですが
  娘たちが
  私たちも読みたいというので
  だったらと、電子版も
  購入しました。
  新聞と同じように読める版だと
  スマホで読んでも
  違和感はあまりありません。
  あまり、というのは
  新聞をめくる、
  あの感覚が好きなんですよね。
  娘たちには
  毎週月曜の朝刊に連載されている
  池上彰さんの「大岡山通信」だけは
  絶対読むようにと言っています。
  その「大岡山通信」がまとめられて
  一冊の本になったのが
  今日紹介する
  『いま、君たちに一番伝えたいこと』。
  娘たちには
  この本も読んでもらいたいものです。

  じゃあ、読もう。

   

sai.wingpen  若い君たちと同じ地平に                   

 新聞はその重みで記事の多さがわかるものだ。
 薄っぺらだと今日はニュースが少ないとか、重さを感じたら、ニュースが多そうだとか。
 日本経済新聞という経済紙はそのあたりが顕著にわかる新聞だ。
 月曜日の朝刊がそうだ。日曜日に経済活動が少ないということだろう。
 ところが、その月曜日の朝刊に読みたい連載記事があるのだから、困ったものだ。
 それが、この本の基になった池上彰氏の「大岡山通信」だ。
 大岡山というのは東京の大田区にある地名で、ここ池上氏が教鞭をとる東京工業大学のキャンパスがある。池上氏は2012年からこの大学のリベラルアーツセンターで、理系の学生たちに現代史やニュースを題材にして教養を教えている。
 その授業で取り上げられた内容が日本経済新聞月曜の朝刊の連載記事となっている。

 授業では様々なテーマが語られているのが、本書の章立てでもわかる。
 「生きるということ」という章から、「自分の頭で考えよう」「キャンパスでは今」、そして「世界は動いている」と続く。
 「世界は動いている」は池上氏が得意とする現在起こっている国内外のニュースを解説している記事を集めたものだが、大学を出てから40年近くも経った私が面白かったのは「キャンパスでは今」で括られた記事群だ。
 ここで書かれていることは今まさに池上氏が授業をしている学生たちの様子を描いているが、そういえば、私たちの頃も同じではないとしても近いことを言われていたような気もする。
 「知識を与えるのではなく、自分で考える力を育てる」などは、まさにそうだ。
 若い人たちは安心することはないが、若いということはそういうことを言われやすいのだろう。

 「大学選びは慎重に」という記事では少子化の進むなか、大学自体の広報活動を冷静にみた内容だが、さすがに40年近く前にはそういうことはなかった。需要と供給のバランスが逆転すれば、大学であっても胡坐をかいていられない。
 池上氏が教授を勤めるということだって、いってみれば、大学間の競争に勝つための知恵だ。
 その期待に十分応えているのではないだろうか、池上氏は。
  
(2015/06/13 投稿)

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  2015年の春闘は
  多くの会社でベアアップとか
  景気のいい話が多かったですね。
  でも、うちは・・・、
  なんていう人も当然いるわけで
  どうして俺だけ、なんて
  恨み言の一つもいいたくなります。
  今日紹介するのは
  あのSONYの厳しいリストラの姿を
  描いたノンフィクションです。
  清武英利さんの『切り捨てSONY』。
  まだSONYはいいよ、
  もともとの給料が高いし
  早期退職にはたくさんの上乗せ金がプラスされるのだから。
  きっとそう思う人も
  多いでしょうね。
  そういう人には
  SONYから切り捨てられた人は
  どう答えるのかでしょう。
  それが人生、となれば
  企業に残るのも
  切り捨てられるのも
  人生の一コマ。
  と、いえないでしょうか。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  損得勘定ではなく                   

 かなり衝撃的なタイトルである。
 しかも、副題は「リストラ部屋は何を奪ったか」なのだから、有名企業のあからさまな人員削減策にあきれる読者もいれば、早期退職の上乗せ金の大きさにやはり大企業は違うと吐息をつく読者もいるだろう。
 企業内でそういった組織があることを知ったのは、2012年12月31日の朝日新聞朝刊の一面トップ記事であった。なんと大晦日に朝にその記事が出たのであるから、驚いた。
 それはSONYではなくパナソニックであったし、「リストラ部屋」ではなく「追い出し部屋」という表現ではあったが、内容的には変わらない。
 その記事では、パナソニックだけでなく、SONYにも同様の「部屋」があることが指摘されていた。

 もちろん、企業側は「リストラ部屋」とか「追い出し部屋」とか呼ぶはずはない。その時期時期で名称はちがうが、「キャリア開発室」等まっとうな名が付いている。
 しかし、そこには仕事はない。「終日、語学を勉強したり、ネットサーフィンをしたり、新聞や雑誌を読ん」で過ごすことになる。
 残業はない。定時に帰宅する。
 うらやましいということ、勿れ。
 仕事がない会社員ほどつらいものはない。ましてやSONYという大会社の一線で活躍していた人材であればなおさらだ。

 母船が沈んでしまえば、それでおしまい。だから、リストラ、あえていうなら首切り誘導は仕方がない。そういう論理がないわけではない。
 それでも、リストラされる側からすれば、「何故自分が」という思いはあるだろう。残った側も、いつ自分に「部屋」への異動が通達されるかわからない不安もあるだろう。
 許されないとすれば、それでも高額報酬を受け取っていた経営陣だ。
 SONYが社外取締役を採用したのが早い段階だし、さすがSONYと喝采をおくった人も多いと思う。
 けれど、実際には、個々の従業員の痛みには目が届かないのが実体だ。

 著者の清武氏は2011年にプロ野球の巨人の球団代表を解任されて騒動となった本人。前作『しんがり 山一証券最後の12人』で2014年度講談社ノンフィクション賞を受賞している。
 知らなかっただけに、そのことも驚きの一冊だった。
  
(2015/06/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から、4年と3ヶ月。

  先日茨城県の潮来という街に
  行ったのですが、
  その時ガイドさんが
  この街も東日本大震災の時は大変だったのですよ、と
  話されたのが
  印象に残りました。
  東日本大震災では
  東北が被災地のようにいわれるし
  それはそれで間違いではないのだが
  関東の茨城県とか千葉県でも
  大きな被害が出ている。
  私たちはそのことを知らないか
  忘れているが
  関東の地であっても
  まだ復旧工事が行われているということを
  知らないといけないですね。
  今日は
  池澤夏樹さんの講演録である
  『文明の渚』を
  紹介します。
  いつも思うのですが
  岩波書店はいい本を出しています。

  じゃあ、読もう。
 
  

sai.wingpen  声の力                   

 耳で聴くというのは難しい。元に戻るにしても、一度耳を通り過ぎたものは、録音でもしない限りは無理だ。
 その点、目を読むというのは、いい。この論点は、前のあそこに書かれていたことか、と確かめることができる。
 それでも、「講演」を聴きたくなるのは、声の個性があるからだろう。
 声の高い人、低い人、こもる人、突き抜ける人、その人の持っている声の質を体感できるのは、書物ではできない。そういう生(リアル)感が「講演」にはある。
 そして、その「講演」がこの本のように活字になると、目で読むことの利点も叶う。
 きっと、この池澤夏樹の「講演」を生で聴いた人は、この本を手にして、その時の池澤の声の質感を思い出しているのではないだろうか。

 この本は、2012年8月に長野県須坂市で行われた池澤夏樹の「講演」と「質疑応答」を加筆訂正したものだ。
 一度、池澤の「講演」を聴きに行ったことがある。その時は、東日本大震災のことではなく、池澤の個人編集となる全集の話であったが、静かな彼の声のトーンが記憶に残っている。
 おそらくこの時も声高に話さなかったのではないだろうか。原発問題という重いテーマを語る時でさえ、きっと池澤の声は静かであったと思う。
 静かだから思いが小さいのではない。静かな中に逃れられない思いが満ちている。
 そんな感じであったのではないだろうか。

 池澤は「講演」終了後の「質疑応答」の中で、この「講演」のタイトル「文明の渚」に込めた思いを訊ねられて、こう答えている。
 「昔、生物は海の中で生まれて、(中略)、やがて渚を越えて地上に上がってきて、ここまで来た。(中略)文明もどこかで渚を越えてきたのです。そこまで戻って考えようということです」。
 東日本大震災とそれに続く福島原発事故は、私たち日本人の生き方そのものを試された災害であったといえる。
 一つは地震国で生きるということ、一つは原爆被爆国でありながら経済優先の中で原発推進を図ってきたこと。
 あの日は悲しい出来事だったけれど、あの日を境にして私たちが学んだことは多い。
 月日が過ぎて、そのことを忘れてはいないか。
 2012年の池澤の声は、そう問うている。
  
(2015/06/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  しばらく
  本のことを書かなかったので
  今日は
  直球ド真ん中の
  葉室麟さんの『山月庵茶会記』。
  やっぱりいい作品を読むと
  心が豊かになりますね。
  この作品、好きだな。
  葉室麟さんらしい
  静かな中にも
  熱情があって、いい。
  本を読む時間を
  しっかりとるようにはしているのですが、
  菜園に夢中になったり
  あれやこれやで
  困ってしまいます、
  読みたい本はたくさんあるのですが。
  梅雨にはいれば
  晴耕雨読で
  しっかり本が読めるかしら。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  よき香りに包まれて                   

 葉室麟には直木賞を受賞した『蜩ノ記』の舞台となった豊後羽根藩のシリーズ以外に、豊後黒島藩を舞台としたシリーズがある。すでに『陽炎の門』、『紫匂う』と作品がある。
 本作もその黒島藩が舞台である。
 藩がシリーズの舞台となっているが、それぞれ単独で楽しめる。あるいは、将来大きな山となるのかもしれない。

 この作品では、かつて黒島藩の勘定奉行まで務め、将来を嘱望されながらも政争に敗れ、16年前に藩を捨てた柏木靫負(ゆきえ)が主人公となっている。
 政争に明け暮れていた最中に柏木の愛した妻藤尾は不義密通の噂を晴らすことのないまま自害して果てた。
 藩を出たあと、茶人として成功した柏木であったが、いまだに妻の死の謎を解くために、黒島藩に戻ってくる。
 何故、妻は不義密通の噂を否定もしなかったのか。それは真実であったのか。
 藩に戻った柏木は元の屋敷の別宅に小さな茶室をこしらえ、そこを「山月庵」と名づける。
 柏木はそこで当時の事情を知るであろう人物たちとの茶会を通して、16年前の謎に迫ろうとする。

 葉室の作品の魅力は女人の造型である。
 ひそかに男に想いを寄せる女人を描かせれば、葉室ほどの筆の人は怱々いない。
 この作品では柏木の養子息子の嫁千佳がそれにあたる。けれど、千佳は息子の嫁であり、千佳にとって柏木はどんなに想いがあっても義父である。
 実は、千佳の想いを借りて、亡き妻藤尾の想いが深いことを読者は知ることになる。
 物語の終盤、そんな藤尾の思いと柏木が向かい合う場面がある。
 柏木は言う。「茶を点てる心は、相手に生きて欲しいと願う心」だと。だからこそ、「茶を点てるおのれ自身も生きていよう」と。
 亡き藤尾が答える。「十六年の間、旦那様がお点てになる茶の中に生きておりました」と。
 男と女の思いが、小さな茶室の中で交差する。

 茶室の中での謎解きという趣向をこらし、単に謎解きに終わらない葉室の物語の作り方に感服するほかない。
 藤尾ではないが、「温かく、よき香りに包まれて幸せ」な、読書であった。
  
(2015/06/10 投稿)

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 先日(6.6)、初めての
 バス旅行に行ってきました。
 「那珂湊デカネタ回転寿司・鉾田メロン食べ放題・水郷潮来あやめ祭り」という
 長い名前のツアーです。
 これに阿見のアウトレトットでのショッピングもついています。
 私的には
 水郷潮来あやめ祭り>那珂湊デカネタ回転寿司>鉾田メロン食べ放題>阿見アウトレトット
 の順番ツアーなんですが
 それにしても
 長いなぁ。

 潮来といえば、あやめ
 しかも、今が満開の時期。
 NHKのニュースなんかで
 いつもこの時期に流れますよね。
 一度は行きたかった。
 でも、
 潮来ってどこにあるの?
 って、あまり位置がよくわからない。
 茨城県です。
 知ってました?

 でも、この潮来。
 何気なく潮来って書いてますが
 なんて読むのかわからない人もいるかもしれない。
 これは、いたこ。
 私たちの世代でいえば
 橋幸夫さんのデビュー作「潮来笠」で有名。

   ♪ 潮来の伊太郎 ちょっと見なれば

 まだ、唄える。

 で、下の写真が
 当日の風景。
 ここは「あやめ園」です。
 この写真に
 「潮来笠」の銅像が立っているのがわかるかしらん。

  20150606_093459_convert_20150607160539.jpg

 そして、ご覧ください。
 満開のあやめの群生を。
 見事としかいいようがありません。
 今年は5月の天候がよかったせいで
 1週間ほど満開が
 早いそうです。

  20150606_095850_convert_20150607160739.jpg

 ところでわかりにくいのが
 あやめ、菖蒲、杜若(かきつばた)。
 俳句で、その違いをといっても
 わかるかな。

    一人立ち一人かがめるあやめかな    野村 泊月

    はなびらの垂れて静かや花菖蒲     高浜 虚子

    よりそひて静かなるかなかきつばた    高浜 虚子

 やっぱりわからない。

 このあやめ園の横を
 川? 運河? が流れていて
 ここを嫁入り舟が行き来するのですね。

  20150606_100016_convert_20150607161028.jpg

 嫁入り舟といえば
 「潮来花嫁さん」という歌もあって
 こちらも銅像があります。

  20150606_093336_convert_20150607160842.jpg

 唄ってみますね。

   ♪ 潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは 舟でいく

 まだ、唄える。

 このあと、メロンと寿司の食べ放題に向かったのですが

   ♪メロン食べ放題 寿司食べ放題は バスでいく

 こんな歌、ありません。

 今日も
 本の話でなくて、ごめんなさい。

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 近畿地方まで梅雨入りをしたそうですが
 そうなると関東もそろそろ梅雨の季節

    梅雨の夜の金の折鶴父に呉れよ    中村 草田男

 初めての梅雨の季節となる
 わたしの菜園では
 その前に追肥を体験しました。

 追肥という言葉はよく耳にしていたのですが
 畝には黒マルチを張っているし
 さてさて追肥といっても
 どのようにするものなのかわからない。
 追肥というのは
 字のごとく追加で肥料をまいて
 成長をうながすこと。
 わたしの菜園では鶏フンを使いました。
 例えば、ピーマンの場合でいえば
 1本の苗の周辺に三か所、
 苗を中心に三角形のかたちで
 黒マルチに穴をあけ
 少し掘って中に鶏フンをいれて
 土になじませます。
 6月7日に、この要領で
 ピーマンナスとうもろこしキュウリ
 追肥しました。

 いま野菜たちはどんな表情をしているかも
 報告しておきます。
 まず、キュウリ
 りっぱにすくすく育っています。
 写真の2本は、このあと収穫しました

   CIMG0209_convert_20150607150722.jpg

 次は、ピーマン
 こちらもいい感じ。
 写真の2個は、このあと収穫しました

   CIMG0215_convert_20150607151308.jpg

 次は、トマト
 葉のしげみの中に
 大玉トマトの実がすくすくと大きくなっています。
 収穫まではもう少しかかるかな。

   CIMG0217_convert_20150607151351.jpg

 とうもろこし
 てっぺんの穂が大きく開きました。
 こちらも収穫までは
 もう少し時間がかかるかも。

   CIMG0213_convert_20150607151135.jpg

 先日植えた
 サトイモラッカセイ
 こちらはやっと芽がでたところ。
 左がラッカセイ、右がサトイモ
 わかりにくいですね。

   CIMG0212_convert_20150607150930.jpg   CIMG0211_convert_20150607150845.jpg

 しまった!
 ナスの写真を撮るのを忘れましたが
 こちらも順調に生育しています。

 野菜たちには適度な雨も必要ですが
 梅雨が長引いたら
 どうしよう。
 まさか傘をたてかけてあげるわけにもいかないでしょうね。

   鍬の刃の泥をぬぐひて梅雨に入る     夏の雨

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プレゼント 書評こぼれ話

  ナスは夏野菜の代表のひとつ。
  歳時記の中には
  茄子とついたものが3つもあります。
  「茄子苗」「茄子の花」「茄子」と。
  さすが。

    右の手に鋏左に茄子三つ   今井 つる女

  私の菜園でも
  これぐらい実ればいいのですが。
  ということで、
  今日の絵本はナスが主人公です。
  川端誠さんの『なすの与太郎』。
  ナスが武芸家なんて
  いいじゃないですか。
  です。
  でも、こんな楽しい絵本を読んでしまったら
  ナス食べれなくなっちゃうかも。
  そんなこと、ね。

  じゃあ、読もう。

      

sai.wingpen  水ナスもいいですよ                   

 私が生まれた大阪・岸和田は泉州とも呼ばれているのですが、そこにはおいしい水ナスという野菜があります。
 私が子どもだったうんと昔、水ナスなんていつもあった、どこにでもある(と思っていた)野菜だったのですが、今や全国的な名産品のひとつになっています。
 東京で買おうと思えば、百貨店に行かないといけない。
 おいおい、水ナスがそんなにえらくなってどうするの? みたいな気持ちですが、おいしいのだから仕方がない。

 ナスは野菜の中でも料理のバリエーションの多い方です。
 この絵本の裏表紙の中に、「茄子料理づくし」が載っています。
 茄子のぬか漬け、米茄子の田楽、焼ナス、麻婆茄子、など、たくさん、たくさん。
 それにナスはその色がいい。
 独特の紫色。
 あんな顔色をした人がいたら驚くでしょうが、この絵本の主人公なすの与太郎じいさんは、ナスですから紫色の顔をして、頭にちょうんまげのようにヘタをのせています。
 様になっているから不思議です。
 ある日、与太郎じいさんは孫の小茄子ちゃんに昔話をせがまれて、自身の弓の修業の話を始めます。
 子どもたちは知らないかもしれませんが、昔那須与一というたいへん有名な弓の名手がいたので、ナスつながりの話になっています。

 奇想天外な与太郎じいさんの話が終わったあとに、近所に住む茶人千休利さんがたずねてきます。
 キュウリというだけあって、顔は長く、まさにキュウリ顔。
 しかも、この休利さんは、昔の茶の名人千利休にかけています。
 この二人のことを紹介するだけで、この絵本の面白さがわかるような気がします。
 ナスが嫌いという子どもに、ナスの美味しさをわかってもらうのに、与太郎じいさんの話はいいかもしれません。
 ナスの色であったり、形であったり、色々な物語ができそうな気がします。
 野菜は身体にいいし、なによりも生産者さんの気持ちがはいっています。
 こういう絵本を読みながら、野菜に親しんでもらいたいと思います。

 今年も故郷から水ナスを頂戴しました。
  
(2015/06/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  私の近所の
  レンタルショップ「TSUTAYA」では
  毎週金曜は
  60歳以上の人は
  旧作ビデオが1本無料で
  借りれます。
  せっかく60歳になったのですから
  この特典を利用しない手は
  ありません。
  毎週せっせと
  旧作ビデオを借りています。
  その他
  図書館でも借りたりしています。
  映画も
  旧作だけでも見ておきたい名作が
  たくさんありますから
  本もそうですが
  人生の終わりまでに
  全部観れるなんてことはない。
  悔しいけど。
  でも、
  せっかくの人生なんですから
  いい本、いい映画はたくさん読みたいし
  観ておきたい。
  今日はシナリオ指南の一冊、
  安倍照雄さんの『シナリオを一度あきらめた君へ』。
  シナリオの面から
  映画を読むのも面白いですよ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  書いて、書いて、書きまくる                   

 シナリオは創作手段の一つだが、小説とかと大きく違う点がある。
 シナリオは撮影のための「設計図」だということである。そのために「言葉の修飾」はいらないということである。
 あくまでも、監督や現場のスタッフ、役者たちがシナリオを読んで、撮影現場であったり演技のやり方であったりを組み立てるもので、完成品は映画でありドラマということになる。
 実際に書いてみると、小説や論文を書くのとは使う筋肉が違うことがよくわかる。
 それはサッカー選手とテニス選手が使う筋肉のように違う。
 文章を書きなれているからシナリオが書けるということではない。
 本書は一度はシナリオを書くことを目指して取り組んだもののやはり書けずに挫折した人だけでなく、これからシナリオを書いてみようと考えている人向けの、入門書である。

 著者の安倍照雄は『こんちねんたる』という作品で第21回城戸賞を受賞し、かつてはシナリオ学校で講師をしたこともある脚本家である。
 書いていることは破天荒のような感じがするが、著者は真面目だし、シナリオの本質を掴んでいる。
 しかも、わかりやすいというのが、いいではないか。
 シナリオは他の表現方法と違って、「柱」と呼ばれるシーンの特定、「ト書き」と呼ばれる場面や行動の表記、そして「セリフ」でできあがっている。
 よく言われるのは、映像にならないことを書かないということだ。
 例えば、主人公が「こう思った」と書いたとしても、それは映像にはならない訳で、「こう思った」ことを映像につなげる工夫がいる。
 手にしたハンカチをぎゅっと握りしめたでもいいし、コップの水を一気に飲んだでもいい。
 映像にならないものを書いてはいけない。

 登場人物の描き方、構成の取り方、パターンや法則性、あるいは数あるコンクールへの挑戦の仕方など著者の口調以上に細かいところまで説明が及んでいる。
 そして、結局は書き続けることに行きつく。
 それは小説であれ論文であれエッセイであれ、書くということ全てにあてはまる。
 書いて、書いて、書きまくるしか、成功への道はない。
  
(2015/06/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日
  東京・神保町にある古書店街に
  行ってきました。
  神保町の古書店街は
  世界でも有数の
  古本屋さんの街なのです。
  矢口書店は中でも
  映画関係の本がたくさん並んでいることで
  有名な古書店。

   20150528_115946_convert_20150531170805.jpg

  あります、あります
  私が購読していた頃の
  1970年代の「キネマ旬報」なども
  ずらりと。
  いやあ、懐かしいな。
  今日紹介する
  橋本忍さんの『複眼の映像』は
  黒澤明監督との脚本作りを描いたものですが
  橋本忍といえば
  シナリオの神様的な存在なんですよね。
  矢口書店には
  映画やTVに使われた脚本なんかもあって
  マニアにはたまらない
  古書店なんです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  人生もまた複眼                   

 橋本忍といえば、戦後の日本映画界を代表する脚本家だ。
 普通映画やドラマを観て、脚本家の名前を意識することは少ないが、例えば向田邦子とか倉本聰とか数人のビッグネームはそれだけで視聴者をひきつけることができる。
 橋本忍は映画界のビッグネームだった。
 私が橋本忍を知ったのは、1974年に封切られた『砂の器』(野村芳太郎監督)だったと思うが、橋本の作品歴からいえば、この作品はほとんど後期の作品となる。
 この後、黒澤明監督作品で橋本の名前を見つけた時は、あの橋本がそういう脚本家だったことの驚きがあったくらいだ。

 橋本の名を一躍有名にしたのは、日本映画ではじめてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した
 黒澤明の『羅生門』(1950年)からである。
 そういうことを思うと、私が橋本を知ったのはうんと遅いくらいで、恥ずかしくなる。
 この本はそんな橋本がシナリオの世界にどのように目覚め、戦時中の傷痍軍人療養所で隣のベッドにいた男から借りた雑誌でシナリオを知るこのエピソードも極めてドラマチックだ、その後黒澤明との出会いと共同脚本で作品を仕上げていく過程を描いたものだ。
 副題に「私と黒澤明」とあるように、黒澤作品のほぼ全容が描かれている。

 橋本は黒澤明についてこんなことを書いている。
 「黒澤明は芸術家になったために失敗した」と。
 随分辛辣ではあるが、自身は職人と認じていた橋本にとって、黒澤はひとつの憧れでもあったのかもしれない。
特に、晩年黒澤は日本映画界の天皇のように祀りあげられていくが、そういう黒澤を見ていて、橋本自身は悲しかったにちがいない。

 この本では黒澤との交流だけでなく、シナリオの基本のような事柄も多く記載されている。
 例えば、この本のタイトルにもなっている「複眼の映像」とは、黒澤久美の共同脚本方式を評した文章の中で、こう綴られている。
 「同一シーンを複数の人間がそれぞれの眼(複眼)で書き、それらを編集し、混声合唱の質感の脚本を作り上げる」ことで、それが黒澤作品の特長であると。
 そのように観れば、黒澤作品の深さが理解できる。

 橋本忍という脚本家を意識して、映画を再発見するのもいい。
  
(2015/06/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  草壁焔太さん編の
  『ホンネの五行歌』も
  書評サイト「本が好き!」からの
  献本です。
  書評ではあまり過激な歌の紹介は
  できなかったのですが
  「ホンネ」とあるように
  結構ドキッとする作品も
  あります。
  それにしても
  女性の感性というのは
  素晴らしい。
  男性が鈍感すぎるのか
  しれませんが。
  五行歌というのは
  聞いたことがありような
  ないような
  短詩の形式ですが
  せっかくだから
  女性だけでなく
  男性の作品も
  読みたかった。

  じゃあ、読もう。

   

sai.wingpen  あなたも詠える五行歌                   

 この国には古えから続く、短詩の歴史がある。
 短歌であり、俳句である。その人気は現代へと続く。
 五行歌も短詩の系統であるが、作歌の縛りはほとんどない。
 本書は五行歌の教則本であるとともに、参考歌が数多く収録されている。まず、初めに五行歌とはどういうものかを頭に入れてから読むのがいい。
 五行歌には五つのルールがあるが、それも緩やかだ。
 例えば、「五行で書く」というルールの横に「例外として、四行、六行も認める」なんてあったりする。一行は一息で読める「程度」。この「程度」も緩い。
 全音数についても制限はない。おおよそ、29.5文字だという。
 これ以外の「制約」がない、というのも五つのルールのうちの一つだ。
 つまり、五行歌は、自分の感じたままに詠むことができる創作なのだ。

 では、その五行歌で女性たちはどのような思いを吐露しているのか。
 例えば、「叱りすぎたと/母は/自分を/叱りながら/眠るのよ」という作品がある。実によくわかる情景だ。俳句であれば、これほどストレートに描かれることはないだろう。短歌であれば、もう少しドラマがはいるかもしれない。
 しかし、これなら書けると思う読者も多くいるだろう。
 それが五行歌の魅力といっていい。
 もう一首、「おお!/おいしそうな/煮物だこと/でも私はいらないからネ/姑の一言」。これなども目にしやすい光景だが、これを五行に切り取る力は相当なものだ。
 おそらく、作者はそういう言葉を実際に耳にしたのだろうが、それを五行歌として残す時、やはりかなりの時間を要した気がする。
 誰にでも出来そうで、実はそこに創作の知恵と根気が必要なのだ。
 五行歌を難しいといっているのではない。
 それが創作である限り、どのような型式であれ、生の感情のまま差し出すことはできない。

 まだまだ五行歌という文芸は広く知られているわけではない。
 けれど、この本で五行歌に少しでも魅力を感じたならば、そっと寝る前にでもつぶやいてみたらいいだろう。
 制約があるとすれば、睡魔だけかもしれない。
  
(2015/06/04 投稿)

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 いきなり問題です。
 ギリシャ三大悲劇詩人の名をあげよ。
 私は答えられない。
 大学受験で世界史を勉強している学生さんなら
 答えられるかな。
 答えは
 アイスキュロスソポクレスエウリピデスの三人。
 名前を聞いても
 わからない。
 その中の一人、ソポクレスが書いた
 『オイディプス王』が
 今日から始まる
 NHKEテレの「100分 de 名著」の
 今月の一冊なのです。



 またまた問題です。
 「物語」とは何かを答えよ。
 私たちは日頃「物語」という言葉を
 何気なく使っていますが
 あらたまって聞かれると
 答えられない。
 私も答えられなかった。
 おそらくさまざまな定義がある。
 実は今回の「100分 de 名著」の
 テキスト表紙に
 こんなことが書かれている。

   「物語」の元型はこれだ!

 もしかしたら
 一ヶ月の間「100分 de 名著」につきあえば
 「物語」の意味するところが
 わかるかもしれません。
 すごく期待しています。
 今回の講師は
 作家の島田雅彦さん。
 島田さんといえば
 芥川賞の受賞を何度も逃しながら
 芥川賞の選考委員を務めています。

 第1回めの今日は
 「運命とどう向き合うか?
 2回め以降は
 「起承転結のルーツ
 「人間の本質をあぶり出す
 「滅びゆく時代を生き抜く」、と
 続きます。

 さてさて
 「物語」の意味は
 解決されるか、
 期待の一ヶ月のはじまりです。

   

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 5月は例年以上に
 暑い日が続きました。
 初夏というより
 すっかり夏日和。
 私の菜園にも
 何やら涼しげなものが立ちました。

   CIMG0173_convert_20150531114059.jpg

 ここで講習を聴いたり
 休んだり。
 菜園をしていると
 日焼けも気になるところ。
 今回の「雑誌を歩く」で紹介する
 NHKテレビテキスト「やさいの時間」6月号(NHK出版・669円)には
 「菜園家のためのイチから知ろう! 日焼け対策」が
 載っています。
 理想の形は
 ゴルフ場のキャディーさんスタイルだとか。

   

 なんといってもこの号は
 「夏を乗りきる 菜園の知恵」の
 特集ですから
 日焼け対策だけでなく、
 「解決! 虫と病気のトラブル」といった記事も
 ありがたい。
 でも、こういう記事を読むと
 わたしの野菜にも
 かかってしまったらどうしようと
 心配になってきます。
 せっかく大きくなってきたところなのに。
 収穫が目前なのに。
 それでも知っていたら何かの時には
 役に立つでしょう。
 あとは経験のみ。
 そういえば
 先日もナスの葉にアブラムシがびっしり。
 テントウムシは
 そのアブラムシを食べてくれるそうで
 そんなことも
 初めて知りました。

 「やさいの時間」のTV放映は
 毎週日曜ですが
 テキストでは
 それ以外に
 この月からスタートできる野菜も
 たくさん紹介されています。
 そう見てくると
 野菜の種類も多いんですよね。
 例えば
 6月からスタートできる野菜に
 モロヘイヤやウコンが
 あります。
 へえ、あの「ウコンの力」は
 野菜だったんだ。

 最近すっかり野菜にはまってしまった私ですが
 この夏は
 収穫した野菜を食べて
 夏バテ防止となりますか。

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 今日から、6月

    六月を奇麗な風の吹くことよ    正岡 子規

 4月から始めた
 私の菜園ももう2ヶ月が経ちました。
 うれしいことに
 初収穫も続いています。
 5月30には
 キュウリナスピーマン
 初収穫です。
 最初の実はできるだけ早くとるように
 言われています。
 だから、ナスはご覧のように
 小さい。

   1432785549890_convert_20150531114236.jpg

 ところが、
 キュウリは育ちすぎて
 30cm近くになってしまいました。
 まるで、ゴーヤみたい。
 写真の下にあるのが15㎝のものさしですから
 大きさがわかるかと
 思います。

   CIMG0208_convert_20150531114207.jpg

 ナスキュウリは浅づけにしました。
 キュウリはモロキュウリにも。
 ピーマンは天ぷら。
 実が引き締まっていて
 歯ごたえ十分。
 食する前には
 神様へお供え。
 土、太陽、水、まさに自然が作ってくれた
 ありがたい野菜たちです。
 感謝、感謝、の2ヶ月と
 いえます。

 5月30日はまず
 講習を聴いて、そのあと
 トマトたちの支柱を本支柱に変えること、
 ラッカセイの種蒔き、
 ラッカセイの種は食べるラッカセイと
 見分けはつきませんね。

   CIMG0182_convert_20150531114359.jpg

 水菜や春菊のあとには
 中国野菜の空芯菜の種を
 蒔きました。

 そうそう、とうもろこしですが
 ご覧のように
 姿勢ただしく育ってくれています。

   CIMG0176_convert_20150531114509.jpg

 菜園に行ったあとに
 飲むビールのおいしいことといったら。
 そのたびに、
 日焼けをしてきた手を
 じっと見ています。

    手の甲の日焼け増すなり茄子の苗    夏の雨

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