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プレゼント 書評こぼれ話

  詩集を読む人って
  どれくらいいるのかしら。
  私は、好きです。
  今日紹介するのは
  今年の5月に亡くなった長田弘さんの詩集
  『最後の詩集』です。
  詩を読むことで
  たくさんのイメージが広がります。
  詩人が思った以上の
  イメージといってもいいかもしれません。
  言葉が世界を連れてくる。
  そんな感じでしょうか。
  長田弘さんは亡くなったけれど
  長田弘さんが遺した
  言葉がここにはあります。
  その世界を広げるのは
  読者である私たちだと思います。
  明日から8月。
  鎮魂の月を前にして
  この詩集を。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  平和は詩                   

 5月3日に亡くなった詩人長田弘さんの、まさにタイトル通りの「最後の詩集」である。
 この詩集には長田さんの故郷福島県の地方紙「福島民報」に2014年元旦と2015年元旦に掲載した詩2篇も収録されている。
 それにしても、この詩集の最後の「発表後、詩のおおくに推敲を徹底し、(中略)本書を以て決定稿とした」と長田さんの言葉が記されている文章を読むにつけ、詩人は命の火が燃え尽きるその寸前まで自分の言葉と向き合うものだと姿勢を正される思いがした。

 故郷の新聞の元旦紙に載った詩のひとつ、「詩のカノン」(2015年)を読んでみたい。
 「昔ずっと昔ずっとずっと昔、/川の音。山の端の夕暮れ。/アカマツの影。夜の静けさ。/毎日の何事も、詩だった」と、格調高く詠い出されている。「晴れた日には、空に笑い声がした。/神々の笑い声は平和な詩だった」と続く。
 新しい年の最初の朝、詩は澄んで、空の神々の笑い声を聞くかのように。
 けれど、続けて長田さんは、2015年という戦後70年の節目の年に、鋭く切り込んでいく。
 「平和というのは何であったか。」と。
 長田さんは明治22年に作られた大槻文彦の「言海」に書かれた言葉を引用する。
 「タヒラカニ、ヤハラグコト。/穏ニシテ、變ナキコト。」
 その定義には詩があると、長田さんは詠う。
 「平和は詩だったのだ。」
 そして、「全うする。それが詩の本質だから、/死も、詩だった。無くなった、/そのような詩が、何処にも。」と続けた。

 長田さんはそれでも詩の力を信じていなかったのではない。
 こうして、新しい年の、それは戦後70年という年で、最初の朝に、この詩を載せた意味を信じていたにちがいない。しかも、福島原発事故により多くの被災者を出した故郷の地方紙に、詩の力を信じる一篇を載せたのは、長田弘という詩人の意志であっただろう。

 この詩集には「最後の詩集」のほかに、2014年に書いたエッセイ「日々の楽しみ」6篇も収められている。
 その中に、「本の楽しみは、わたしの場合、本屋にゆく楽しみであり、本屋は、そこにゆくまで思ってもいなかった本に遭遇する場所」と、本好きの長田さんらしい一節がある。
  
(2015/07/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  かつて
  「私作る人、僕食べる人」で物議を醸したCMが
  ありました。
  昭和50年のインスタントラーメンのCMです。
  女性差別だというわけです。
  最近では
  料理をする男性も増えていますから
  差別以前にそういう感覚の人は
  少なくなっているのでは
  ないでしょうか。
  残念ながら
  私は料理ができません。
  残念だと思います。
  きっと料理ができたら楽しいでしょうね。
  レシピを見ながら
  どんな味だろうかと想像するだけで
  楽しくなるのではないでしょうか。
  今日紹介するのは
  そんな料理研究家たちの歴史を描いた
  阿古真理さんの
  『小林カツ代と栗原はるみ』。
  料理をしない人も
  楽しめる歴史書といっても
  いいでしょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  僕、食べる人!?                   

 書店に行けば、さまざまな料理本がしっかりと一つのコーナーを構築している。さらには女性誌のほとんどには料理記事がある。テレビにも料理番組があり、街の料理教室は多数の生徒で賑わっている。
 その反面、スーパーや百貨店では中食と呼ばれる惣菜コーナーが活気を呈している。
 一体、女性たちは料理を作ろうとしているのか、それとも間に合わせようとしているのか。いや、女性たちという言い方はよくないだろう。料理は女性だけのものではない。今や料理の出来ない男性は生き残れない時代になった。
 それでも、長い歴史を振り返れば料理と女性との関係は深い。
 女性史をたどる方法はたくさんあるが、料理研究家の変遷をみることで、それが深まるということに着眼した著者の視点に、まずは感服する。
 著者はいう。「本書は料理研究家とその時代を研究した本である。しかし。執筆を進めるうちに女性史としての側面が思いの外強くなった」と。
 その分、この作品に厚みが出たのは間違いない。

 料理といえば、母親のことがまず浮かぶ。おそらくその人の食に関するこだわりは小さい頃の母親の料理の姿勢とつながっていると思う。
 私の母親は料理が得意な方ではなかった。珍しい料理をつくることもなかったし、レシピを見ながら料理することもなかった。外食を好まなかった父親だったから、口にする料理の幅も限られていた。
 それでも、母はいつも台所に立っていた。
 そういう昭和初期生まれの母親を見ながら育ったが、残念ながら料理に興味を持つことはなかった。
 この本で紹介されている料理研究家でいえば、江上トミさんや土井勝さんは知っているが、小林カツ代さんとなるとわからない。栗原はるみさんはわかるが、その息子さんの栗原心平さんは知らない。
 そんな料理オンチの私でも、この本がすこぶる面白かったのは、料理研究家の歴史だけでなく女性史であることだ。
 そして、それは裏返せば男性史になりうるということだ。

 それぞれの料理研究家のレシピを比較するというのもユニークで、新書版ではあるが、読み応えのある一冊だ。
  
(2015/07/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  家の近くの
  書店の大型チェーン店でも
  第153回芥川賞を受賞した
  又吉直樹さんの『火花』が
  品切れ状態です。
  すでに100万部を突破したとか。
  これだけのニュースになると
  どんな話なのか読んでみたいという読者は
  大勢いるのでしょうね。
  これがきっかえに
  又吉直樹さんも言っていたように
  本好きになってくれたら
  いいのですが。
  なかなかそうはいかないでしょうね。
  今日は
  まだ余熱の残る芥川賞にちなんで
  鵜飼哲夫さんの
  『芥川賞の謎を解く』という本を
  紹介します。
  『火花』を読みたいけれど
  読めない人は
  この本をまずは読んでみてはいかがですか。
  この本なら
  書店にきっとありますよ。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  芥川賞は、スタート賞                   

 「芥川賞は、スタート賞である」。これは「該当作なし」になった第91回芥川賞の遠藤周作委員の選評である。「これから長距離競争がはじまり、長い苦しい文学のマラソンがつづく」と続く。
 第153回芥川賞は漫才芸人の又吉直樹氏の『火花』が受賞(同時に羽田圭介氏の『スクラップ・アンド・ビルド』が受賞)し、久しぶりに活況を呈した。又吉氏の受賞作は多くの書店で品切れとなっているようだ。
 けれど、かつて遠藤周作が言ったように、芥川賞は数多い文学賞の、新人賞に過ぎない。
 又吉氏にとって、これからが作家としての正念場といえる。
 芥川賞選考委員であった川端康成もこんなことを書いている。
 「新人にとって、芥川賞もいろんな意味でもちろんよいが、ほんの入口の門と自らいましめるべきである。門のなかは広く深い」。

 よく知られているように、芥川賞直木賞は昭和10年菊地寛の発案により始まった。本書はその第1回めの太宰治が芥川賞が欲しいと選考委員にねだったとされる事件から書きおこし、選評に書かれた側面から芥川賞とはどんな賞であるのかをみていく。
 自身、読売新聞の文化部記者として芥川賞の取材を担当してきた著者だけに、芥川賞に対する思いも深い。
 これだけ長く続く文学賞であるから、さまざまな歴史と交差していったことは、本書の章立てにも現れている。
 「戦争と選評」「純粋文学か、社会派か」「女性作家たちの時代」、それ以外にも文学の衰退が取り沙汰される「該当作ない!」と、新人賞とはいいながら、芥川賞の歴史は現代日本文学の歴史でもあることがよくわかる。
 あわせて、村上春樹に芥川賞がいかなかったことや直木賞との関係も語られていて、又吉氏の受賞で芥川賞に興味を持った読者にはもってこいの一冊になった。

 賞であるから選考する側と選考される側の問題もある。芥川賞は選考委員の選評が雑誌「文藝春秋」に掲載されるのが通例で、芥川賞作品が掲載される号はよく売れる。
 果たして今回の又吉氏の作品について、各委員はどんな選評を書くのだろうか。それもまた楽しみである。
  
(2015/07/29 投稿)

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  今月連載されている
  日本経済新聞の「私の履歴書」が面白い。
  女優の浅丘ルリ子さんだ。
  デビュー当時の小林旭さんとの恋愛とか
  石原裕次郎さんや勝新太郎さんとの
  思い出など
  ここまで書いちゃって大丈夫というくらいだ。
  おそらく最近の「私の履歴書」では
  出色の出来ではないだろうか。
  そういえば、ニトリの社長の「履歴書」も
  面白かったけど。
  政治家や経済人よりも
  女優の方が面白いのは
  飾らないからではないか。
  どこまで真実かは本人でないとわからないだろうが
  少なくとも
  飾っていないなぁと思わせる
  何かがあるような気がする。
  今日紹介するのは
  石田修大さんの『「私の履歴書」−昭和の先達に学ぶ生き方』。
  ちなみに書くと、
  石田修大さんは俳人石田波郷のご子息である。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  さまざまな道程                   

 日本経済新聞朝刊のコラム「私の履歴書」を楽しみにしている人は多い。
 昭和31年に連載が始まってすでに788人(平成27年5月時点)の「履歴書」が紹介されている。以前はそうでもなかったようだが、現在は一ヶ月に一人の連載である。
 経済人だけでなく、政治家、作家、学者、俳優、コメディアンなど多士済々だ。
 かつて直接間接にこの連載にたずさわったことのある著者が、今までの「履歴書」を振り返り、人としての「生き方」をまとめたのが本書である。

 連載時の肩書がどうあれ、人として誕生した限りは父と母がいる。
 どの「履歴書」にもそんな父母の姿が描かれるところから始まる。
 本書でも時に母とのことをまとめた「哀しくも逞しい母の生き方を教訓に」とタイトルされた章でまとめられている。そこで紹介されているのは、政治家田中角栄であり女優田中絹代であったりする。
 やがて、成長して子どもは自らの道を歩むことになる。
 「履歴書」を書く彼らの道は一本ではない。
 「いくつかの仕事を転々としたあげく適職にめぐりあったり、偶然与えられたチャンスを生かして成功したりと、職業選択の方法はさまざまである」。
 将来のキャリアに悩む若者にはぜひ「私の履歴書」を読むことをすすめたい。
 自身の進むべき道がわからないのは現代の若者だけではない。「履歴書」を書いた人たちもこれが自分の進むべき道と決断した人もいれば、そうではない人もたくさんいる。
 そういう人の道程を見てもらいたい。

 その後結婚して、配偶者のことを書く人もいれば、ほとんど触れない人もいる。
 その人なりの思いがあってのことだと思うが、そのあたりも面白いといえば面白い。
 そして、仕事上の転機を向かえることになる。その辺りは、サラリーマンの読者が一番気になるところだろうか。
 そして、連載が終了したあとの「履歴書」は、読者自身が見ていくしかない。

 2015年は戦後70年にあたる。「履歴書」を書いた人々の多くも、自身が体験した戦争や戦後の貧しい時代に筆を割いていることが多い。本書でも最後の章で、「生きぬいた戦争体験」としてまとめられている。
 巻末に読者に向けて「自分史をまとめるコツ」を紹介しているのも、いい。
  
(2015/07/28 投稿)

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 夏といったら、花火でしょ 

    暗く暑く大群衆と花火待つ     西東 三鬼

  CIMG0396_convert_20150726181355.jpg

 7月25日は各地で花火大会があったみたい。
 上の写真はわが家のベランダからの花火。
 多分、荒川の花火大会かな。

 夏といったら、向日葵でしょ 

    向日葵の一茎一花咲きとほす    津田 清子

  CIMG0409_convert_20150726181542.jpg

 上の写真は
 わたしの菜園の隣に咲いていたもの。
 それにしても
 暑い。
 こう暑いと畑仕事も大変です。
 昨日の日曜日(7月26日)は
 朝7時半に行ったのですが
 すでに暑い。
 野菜たちも暑いですし、
 水を好むサトイモとかクウシンサイとかありますので
 水やりも欠かせません。

 下の写真は右側がサトイモ
 左がラッカセイ

  CIMG0408_convert_20150726181814.jpg

 オクラもしっかり育ってきましたね。
 最初ベランダ菜園で育てるつもりだったのですが
 畑の空き地を利用して
 やっぱり畑の方が育ちがいいような気がします。

  CIMG0404_convert_20150726181658.jpg

 この日はクウシンサイも収穫。
 この野菜、
 空芯菜というだけあって
 芯の部分が空洞なんですね。
 知らなかった。

  20150726_092125_convert_20150726181912.jpg

 こんな茎だから
 水もいっぱい必要なのかなぁ。
 こちらは暑くて大変なのに。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  『クレヨンからのおねがい!』も
  今年の課題図書の一冊です。
  ドリュー・デイウォルトさんが文を
  オリヴァー・ジェファーズさんが絵を描いています。
  小学校低学年向きということなので
  もし、
  小学一年生が感想文を書いたら
  こんな感じかなと
  書いてみました。
  書いたのは
  60歳の私。
  50歳以上年が離れている子どもたちの
  気分になって書きましたが
  もしうまく書けていたら
  それはちょっと困ったことかも。
  でも、たまには
  こういう感じで書いてみるのも
  楽しいですね。
  夏休みの宿題で
  この本の感想文を書こうとしている子どもたちは
  けっしてマネをしないでね。

  じゃあ、

  
sai.wingpen  みんなの感想文                   

 この本を読みおわって、1学期の時につかっていたクレヨンを見てみました。
 白いクレヨンはほとんどへっていませんでした。ぼくは、ケビンのように「ゆきのなかのしろねこ」とかかかないので。
 一ばんへっていたのは、青いクレヨンでした。どうしてかというと5月のれん休がおわったあとでおとうさんとおかあさんと弟でいった海のえをかいたからです。
 このとき、ぼくはたいようを赤いクレヨンでかきました。だから、黄いろのクレヨンとだいだいいろのクレヨンがけんかをしているのは、おかしいとおもいます。

 この本はクレヨンからケビンにあてた手がみでできています。
 たくさんのクレヨンがケビンにもんくをいったり、感しゃをいったりしています。
 わたしはそんなケビンがうらやましくなりました。だって、手がみをくれるのは、なかよしだからだとおもうからです。
 わたしもなかよしのきみちゃんにはてがみをかきます。でも、男子にはかきません。
 こんど、たくさんのクレヨンできみちゃんにでがみをかこうとおもいます。

 ぼくはえがにがてです。
 クレヨンも、だからあまりつかったことがありません。せんせいはなんでもいいからかきましょうといいますが、なにをかけばいいのかわかりません。
 だから、ケビンというこどもがすごいとおもいます。こんなにいっぱいクレヨンをつかっているのですから。
 ぬりえみたいなものもありました。ぼくもぬりえならできそうです。
 かいじゅうのぬりえがいいです。

 この本を読んで感想文を書いてくれて、先生、とってもうれしいな。
 この本にはたくさんの色のクレヨンが出てくるでしょう。それって、クラスのお友達みたいだと思わない?
 黒いクレヨンは、あの子みたいだし、ピンクのクレヨンはかわいいあの子みたいだし。いつもケンカばかりしているあの子とあの子は黄いろのクレヨンとだいだいいろのクレヨンみたいだし。
 たくさんの色があるから楽しいのだと思います。だって、最後のケビンがかいた絵はとってもよかったでしょ。
 みんなの色を大切にしてくださいね。
  
(2015/07/26 投稿)

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  今日は
  今話題になっている
  岡田尊司さんの『愛着障害』という本を
  紹介します。
  この本の広告記事を見た時
  あれ、もしかして私も愛着障害じゃないかと
  思ったのが
  この本を読むきっかけです。
  そして、
  多分そうなのだろ思います。
  本文にこんな記述があって
  私にぴったりなんですね。

    不安定型愛着障害の人は、
    しばしば三枚目やオッチョコチョイや道化役を演じることで、
    周囲から「面白い人」「楽しい人」として受けいれられようとする。
    (中略)
    道化役を演じてしまう人は、自己卑下的な傾向が強く、その根底には自己否定感がある。

  でも、私はすでに人生の後半生にいますから
  愛着障害
  どこかで乗り切ったかもしれません。
  自分を知ることは
  大切ですから
  読者は果たしてどうなのか
  調べてみるのも
  いいですが
  あまり気にしないこと。
  むしろどう障害を克服するかを
  考えてみましょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「愛着障害」は恐れるに足りず                   

 「人に気をつかいすぎる」「親しい関係が苦手」、その裏側には愛着障害が潜んでいるかもーなんて言われると、もしかしても自分もそうかもなんて心配になる人もいるはず。
 そもそも「愛着障害」なんていう言葉も知らない人にとって、「障害」なんて言葉がつくだけで怖くなってくるものだ。
 精神科医の岡田尊司(たかし)さんが書いたこの本では「愛着」のことがまず書かれている。
 「愛着」は「人と人とを結ぶ能力であり、人格のもっとも土台の部分を形造っているものと、説明されている。それが安定している人は、対人関係等で高い適応力を示せるという。一方、そこに障害があるということは、対人関係にストレスを感じることが多いということになる。

 「愛着形成」に大事なのは、母親との関係という。それも、「抱っこ」がいいのだそうだ。抱っこされることで、子どもは安心し、そこから「愛着」も育つらしい。その時期は、生後六ヶ月から一歳半くらいが重要だとか。
 この本では第一章「愛着障害と愛着スタイル」で「愛着障害」にあたる型の説明がなされ、第二章で「愛着障害が生まれる要因と背景」が、第三章では「愛着障害の特性と病理」が語られていく。
 その時々で夏目漱石や川端康成、太宰治といった著名な作家たち、あるいはヘミングウェイやルソーなど海外の人までの障害についても説明がされていく。
 「愛着障害」があるといわれても、これらの人たちが成した業績をみれば、けっしてそれが「障害」という面だけを持っていないということがわかると思う。

 この本の巻末には「愛着スタイル診断テスト」が付いているから、自身がどの型の愛着スタイルを持っているか理解できるようになっている。第五章の「愛着スタイルと対人関係、仕事、愛情」でもそれぞれの型の特長が描かれているから、自分はこの型なのか推測できる。
 もし、「障害」があれば、どう克服すればよいかは、第六章で処方されている。「役割と責任をもつ」ことも、克服の有効な手段だという。
 「障害」という言葉は重いが、逆にそのことを自身認知し、それを克服するために前進していく。
 「愛着障害」は恐れるに足りず、である。
  
(2015/07/25 投稿)

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  先日東京・赤坂の「シナリオ講座」で
  映画監督の三島有紀子さんの
  創作論講義がありました。
  そこでレンタルショップで
  三島有紀子さんの「しあわせのパン」という映画を
  観たのですが、
  これがよかった。
  「しあわせの映画」っていってもいい。
  それではと手にしたのが
  今日紹介する
  『しあわせのパン』です。
  映画の原作といってもいいかも。
  映画を観た人は
  この小説も読んでもらいたいし、
  この小説を読んだ人は
  絶対映画も観てもらいたい。
  三島有紀子さんの講義ですが
  この作品のきっかけになった
  分け合うことの大切さや
  自身がシナリオを書く際にラブレターを書くつもりだということや
  息詰まった時には一度たたんでみることといったことを
  懐かしい大阪弁で語ってくれました。
  映画にあった台詞で
  もちろんこの小説にもありますが
  気にいったものがありましたので
  書きとめておきます。

    乾杯の数だけ人は幸せになれるそうです。
    いいことがあったら乾杯して、何か残念なことがあっても乾杯して、
    一日の終わりを乾杯でしめくくれたら、それは幸せだと。

  この本を読んで
  乾杯 できたらいいですね。

  じゃあ、読もう。

        

sai.wingpen  大泉洋さんの顔を思い浮かべながら                   

 ノベライズというのは、ヒットした映画やドラマを小説化した作品のことだが、この作品はヒットした映画と同じものだが、映画を監督した(脚本も)三島有紀子さんが初めて手掛けて小説である。
 映画「しあわせのパン」は2012年1月に封切られてヒットし、今も人気の高い映画だ。主演はヒロインリエ役に原田知世さん、その夫の水縞君を大泉洋さんが演じている。

 この小説も映画とほぼ同じ内容で進んでいく。
 映画で最初のエピソードとなる、失恋し沖縄に行くところが北海道の月浦の小さなパンカフェ「マーニ」に宿泊する娘と土地の青年との出会いと旅立ちを描いた「さよならのクグロフ」。
 映画では二つめのエピソードである、少女と父親の心の回復を描いた作品は「ふたりぼっちのポタージュ」。
 そして、映画では中村嘉葎雄さんと渡辺美佐子さんが老年の夫婦を見事に演じたエピソードは、「壊れた番台とカンパニオ」と題されている。
 映画でいい台詞だと感じたところは、小説でも表現されている。例えば、水縞君が中村さん演じる阪本さんに「カンパニオ」の意味を訊ねる場面。
 「カンパニオの意味わかりましたわ。共にパンを分け合う人々、“家族”って意味ちゃいますか?」「おしいです。“仲間”って意味なんです。でもそれが、家族の原点だと、僕は思っています」。
 小説のいいところはこうして言葉を何度でもたどれる点だろう。

 この小説には映画にはない、エピソードもある。
 それは、水縞君とエリの出会いを描いた「カラマツのように君を愛す」という章だ。映画ではほとんど描かれていない。
 ただ脚本が書かれる過程でおそらく三島さんは登場人物の履歴として用意していたのだろう。
 映画が描かれなかった水縞君の思いとして読むのはいい。
 けれど、だからといって小説の方がいいかというと、それは別の話だろう。
 作品の出来としては、映画の方が数段いい。
 俳優さんの力ということもあるだろう。変なおじさん阿部さんを演じたあがた森魚さんの個性が光る。そして、何よりも物語に流れる時間が、映画はいい。小説には、それがない。
 映画の冒頭に紹介される絵本「月とマーニ」が、この本の巻末に収めれらている。
  
(2015/07/24 投稿)

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  今日は24節気のひとつ、
  大暑

    兎も片耳垂るる大署かな   芥川龍之介

  この俳句を詠んだ芥川龍之介の忌日が
  河童忌
  明日、7月24日がそうです。

    青年の黒髪永遠に我鬼忌かな   石塚  友二

  そういえば
  先日芥川賞を受賞した又吉直樹さんが
  受賞会見の時に
  芥川龍之介なら自分の髪型は嫌いでしょうね、
  と答えて笑いをとっていましたね。

    新作家髪を洗ふて我鬼忌かな   夏の雨

  そうやってみていくと
  今日紹介する
  小宮一慶さんの
  『ビジネスマンのための「発想力」養成講座』の本に
  近づいてくるような気がします。
  いろんなところに
  発想できるモノが転がっているのでは
  ないでしょうか。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  「発想力」養成ギブス                   

 いいビジネス本を選ぶコツは、「はじめに」と題されたイントロダクションと目次を見ることだ。
 経営コンサルタントですでに何十冊もビジネス本のベストセラーを書いてきた小宮一慶さんの本にもそれはあてはまる。
 この本の「はじめに」を読めば、この本がテーマとしている「発想力」がまず定義されている。ここで、読者は著者がいおうとしている本がどういう力をつけるためのものかが理解できる。
 とてもいい作りだ。

 小宮さんがいう「発想力」はこうである。
 「ユニークでかつ実行可能なアイデア」で「成功につながる」こと。
 他者の思いつかないアイデアがひらめいたとしても、実行できなければダメだし、成功につながらないとそれもいけない。
 思いつくだけでも大変だが、こういう条件まで持っていくのは容易ではない。
 それでは、どうしたらいいか。この本ではどう語られているのか、は目次を読むといい。

 第2章で「「発想力」を鍛える12の原則」が並んでいる。
 例えば、「具体的な目標のあるところに生まれる」だとか「徹底して行うなかから生まれる」といったように、目次を読めば著者が言いたい大筋は掴める。
 第3章では「「発想力」を阻害する13の要因」が、ここでも「日常生活の活動の場が狭い」だとか「ユーモアのセンスがない」といったように、具体的に目次に書かれている。
 さらに第4章では「発想力」養成のための「11の習慣」がまとめられている。
 目次には、この本のエッセンスが詰め込まれている。
 気がついた人もいるだろうが、「12の原則」だったり「13の要因」だったり「11の習慣」といったように、数字が入ることで、さらにわかりやすくなってもいる。

 この本を読んだからといってすぐさま「発想力」が身につくわけではない。
 大事なことは「発想力」養成のための「11の習慣」ともいえる。
 「多くの人に会う」「迷ったらやる」「いろいろな場になれる」「すぐに書き留める」など難しい習慣ではない。要は、やるかやらないかで、「発想力」がつくかどうか変わってくるといっていい。
 できれば、まずこの本を読むところから、始めてみるのもいいのではないか。
  
(2015/07/23 投稿)

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 今年も各文庫の
 夏休みフェアが始まりました。
 20150715_162008_convert_20150719181515.jpg
 長い夏休みですから
 ぜひ一冊は読破してもらいたいですよね。
 でも、何を読んでいいかわからない。
 そんな皆さんのために
 各文庫がたくさんの名作を揃えています。
 こういう時こそ
 本を探しやすいもの。
 本屋さんへ行ってみましょう。

 まずは、新潮文庫
 おなじみ「新潮文庫の100冊」。
 実は大人の皆さんもぜひ
 この100冊をのぞいてみて下さい。
 開高健が一冊もはいっていない。
 大江健三郎もはいっていない。
 ノーベル賞作家なのに。
 井上ひさしもはいっていない。
 井上靖松本清張も、いない。
 これって、どうなの?
 って、言いたくなる。

 ぼやいていても仕方がないので
 角川文庫にいきます。
 こちらは「カドフェス 発見!角川文庫」ということで
 細田守監督の「バケモノの子」がメインキャラクター。

  自分を変えろ。
  夏を変えろ。

 こちらには寺山修司がいるぞ。
 中勘助もいるぞ。
 もちろん、いっぱいいない人もいるけど。
 1冊買うと
 「動く!ブックカバー」がもらえるそうです。

 最後は、集英社文庫
 「踊れ、ココロ、ナツイチ」がキャッチコピー。
 山下健二郎さんを全面に出しています。

   いい本に出会うと、
   心は躍る。
   この夏はきっと
   そんなナツになる。

 こちらには桜木紫乃がいるぞ。
 益田ミリだって。
 おお、渡辺淳一もいた。
 1冊買うと
 「踊る しおり」がもらえるそうだ。

 動いたり、踊ったり
 今年の夏はいそがしい。

 戦後70年を迎える
 この夏。
 井上ひさしさんの『父と暮せば』は
 読んでもらいたいな。
 新潮文庫にあるはずだけど。

  

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プレゼント 書評こぼれ話

  連休明けの今日
  夏休みで寝ている子どもを見ながら
  「いいなぁ、子どもは」とぼやいて
  家を出たお父さんもいたと思います。
  でも、子どもも大変なんですよ。
  夏休みの宿題がありますからね。
  特に読書感想文。
  しっかりと本を読まないと。
  今日はそんな子どもたちへ
  今年の課題図書の一冊を紹介します。
  小学校低学年向きですから
  お父さんお母さんも
  読んでみて下さい。
  もりやまみやこさんの『あした あさって しあさって』。
  さあ、どんな感想文ができるのかな。
  ところで
  書評のタイトルで
  「しあさっての次の日は?」としましたが
  皆さん知ってました?
  私は知らなかったので
  調べました。
  答えは「やのあさって(弥の明後日)」ですって。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  しあさっての次はなんていうの?                   

 夏休みといえば、読書感想文。読書感想文と聞くだけで嫌な気持ちになる人も多いかもしれません。それでも宿題だからと嫌々暑い日々を過ごしたそんな気分が読書嫌いを生みだすのだとしたら、本当に読書感想文は必要なのでしょうか。
 青少年読書感想文コンクールも今年で61回。戦後間もなく青少年の育成のために作られたのでしょう。嫌な思い出の人もいれば、これをきっかけに本好きになった人も多いはず。
 感想文はともかくとして、課題図書で推薦されて一冊が本の世界を広げてくれたら、どんなにいいでしょう。

 もりやまみやこさんのこの本は今年の小学校低学年向きの課題図書の一冊です。
 はたこうしろうさんのかわいい絵がついて、絵本から少し字数の多い本で移行する子どもたちにも読みやすい本。
 しかも、「あした あさって しあさって」という日にちの数え方も自然と覚えることができるようになっています。
 遠くの町で仕事をしているおとうさんの帰りを待っているくまの子の話。
 くまの子はおかあさんに「おとうさんはいつかえってくるの」と聞きます。おかあさんは、「しあさって」って答えます。くまの子は「しあさって」がわかりません。だから、「しあさってって、いつ」と聞きます。
 おかあさんは「あさってのつぎのひ」と教えてくれます。
 そして、ちゃんとカレンダーでいつが「しあさって」なのかをくまの子に教えます。
 あしたはわかっても、「あさって」も「しあさって」もわかりにくい言葉です。くまの子のおかあさんのように、カレンダーの数字で示すと、わかりやすいものです。

 くまの子はおとうさんが帰ってくるのが楽しみで仕方がありました。次の日になれば、「しあさって」は「あさって」になり、またその次の日は「あした」になる。
 くまの子はそうやって日にちの数え方を学んでいきます。
 子どもたちはこの本で時間のことを少しは勉強します。「夏休みなんてあっという間よ」とけしかける前に、「しあさって」までに感想文を書こうね、なんていうのも、いいかも。
 「しあさっての次はなんていうの?」なんて聞かれたら、困りますが。
  
(2015/07/21 投稿)

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 昨日(7.19)関東地方は
 梅雨明けしました。

   山並を引き寄せて梅雨明けにけり    三村 純也

 これから暑い夏のはじまりです。

 そんな私の菜園に
 小さな訪問者を見つけました。
 雨蛙

  20150718_171948_convert_20150719165323.jpg

   野菜の葉守りを致す雨蛙     夏の雨

 蛙は虫を捕ってくれるそうです。

 キュウリの支柱に
 軽井沢で買ってきた
 かわいい木製のかざぐるまをつけてみました。
 ミツバチの形をしています。

  20150719_100859_convert_20150719165707.jpg

 先日の台風は西日本に大きな被害がでましたが
 わたしの菜園でも
 キュウリトマトの支柱が少し傾いたりしました。
 風で倒れてしまったおうちもありました。
 直撃だったら、
 危なかったですね。
 ああいうニュースにはきまって農家の皆さんの被害が出ますが
 なんかわかりますね。
 丹精込めて育ててきて
 一瞬でダメになってしまうのですから、
 泣きたくなりますよね。
 私のような小さな菜園でも
 雨が降ったり風が吹くだけで気になるのですから。

 収穫の方ですが
 ミニトマトドーンと採れました。
 下の写真は
 7月18日に採ったもの。
 いくつあると思います? 

  20150718_174125_convert_20150719165443.jpg

 なんと、50個
 これが一日の収穫ですから
 すごいです。

 これから夏本番。
 どこまで採れるやら。

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プレゼント 書評こぼれ話

  わたしの菜園では今
  大玉トマトミニトマトを栽培しています。
  ミニトマトはさすがに鈴なりに実をつけていますから
  収穫ももうすぐ100個になります。
  ところが、
  大玉トマトはなかなかそうはいきません。
  収穫も少し。
  すでに虫に何個か食べられてしまいましたし。
  実がついてから
  赤くなるまでがなかなか。
  トマトというのが
  これほど時間をかけて赤くなるなんて
  知りませんでした。
  そこで、今日は
  真赤に熟したトマトの絵本を
  紹介します。
  田中清代さんの『トマトさん』。
  こんなに赤く熟したトマトなら
  さぞおいしいでしょうね。
  絵本を読みながら
  そんなことを考えてはいけません。
  がんばって、赤くなれ、大玉トマト。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「トマト太郎」にはなりません                   

 表紙の絵を見て、泣き出す子もいるかもしれません。
 その一方で、かわいいと頬ずりする子もいるかもしれません。
 それほどインパクトのある表紙。大玉トマトの「トマトさん」の顔がデーン。ぜひ、裏表紙も見て欲しいのですが、「トマトさん」の後頭部が、こちらもデーン。しかも、真っ赤。
 これだけ見れば、この絵本がトマト、そしてこれは大玉トマトです、の物語だってわかります。しかも、タイトルが「トマトさん」。
 大玉トマトの「トマトさん」にどんなことが起こるのでしょう。

 ある夏の昼下り、真っ赤に熟れたトマトさんが枝から落ちてしまいます。トマトと結構簡単に枝から落ちてしまいます。ミニトマトをもぐのも、指でチョチョイとすれば、ポトリととれます。
 そんな具合に「トマトさん」は枝から離れたのですね。
 「トマトさん」の耳に小川の音が聞こえてきます。しかも、その小川にミニトマトたちがころころ転がって、飛び込んでいます
 何度もいいますが、本当にミニトマトは枝からポトリと落ちやすいのです。
 ところが、大玉トマトはそういうわけにはいきません。
 ミニトマトにようにころころ転がって小川で泳ぎたいのに、転がれないのです。

 そこで、みんなで「トマトさん」を転がそうと虫たちが集まってきました。
 ここから、虫たちの懸命な努力が始まるのですが、読み方次第では落ちた大玉トマトを食べようと虫たちが集まってきたみたいに見えてしまうのです。
 それというのも、「トマトさん」の表情がなんだか熟し過ぎて、虫たちに狙われそうなんですもの。
 ここでは虫たちはみんないい子。小川で泳ぎたい「トマトさん」のために、皆で力を合わせます。
 そして、ついに「じゃっぷーん!」。

 熟し過ぎたトマトも冷たい水で冷やしたら、きっとおいしくなるのでしょうね。
 結局、「トマトさん」はひと泳ぎして、河原にあがることになります。
 本当は「トマトさん」に川をどんぶらこどんぶらこって流れて欲しかったな。
 おばあさんに見つけられて、そこから生まれたのが「トマト太郎」なんてなれば、また別の話になってしまいます。
  
(2015/07/19 投稿)

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 今日から夏休みという学校も
 多いのではないかしらん。
 いいな、子どもは。
 おとなにも夏休みが欲しいですよね。
 仕事を辞めちゃったら
 毎日夏休みみたいなものですが
 やっぱり夏休みは特別でしょ。
 いつもの<50代からの旅と暮らし 発見マガジン
 「ノジュール」7月号の大特集は
 
   思い出の風景に会いに  おとなの夏休み

 なんですよね。

  20150712_121423_convert_20150712164425.jpg

   「夏休み」 ―
   その言葉を聞くだけでワクワクしたあの気持ちを覚えていますか?

 なんて、リード文に書かれています。
 そうなんですよね、
 五月の連休とも違う
 ワクワク感が夏休みにはありますよね。
 何しろずっと休みなんですから。

 最初の企画が
 「青春18きっぷで行く夏の旅」。
 いいですよね、「青春18きっぷ」。
 ネーミングが最高。
 7月号では
 東京発で人気列車をハシゴして日本海へとか
 大阪発で瀬戸内と昔町めぐりとかが
 紹介されています。

 ちなみに読者に
 もう一度戻れるとしたいつの時代がいいですか? なんていう
 アンケートも載っていて
 第1位が20歳前後の大学時代でした。
 やっぱりあの時代、
 なんか甘酸っぱいですものね。
 私はいつも大阪に帰省していましたね。
 帰ってきたら
 下宿がなんとなく黴臭くって。

 そして、先日晴れて
 世界遺産に登録された
 「ニッポン産業遺産の旅」も特集で
 取り上げられています。
 その先輩挌である富岡製紙場
 去年行きました。
 今その近くに人気スポットがあります。
 それが、こんにゃくパーク

  20150713_092020_convert_20150714214958.jpg

 先日(7月13日)バス旅行で
 こんにゃくパークに行ってきました。
 ここのウリは
 無料バイキング。
 20150713_094151_convert_20150714215102.jpg
 しかもすべてこんにゃくというのですから
 すごい。
 左の写真がそれ。
 こんにゃくソーメン、こんにゃく焼きそば、こんにゃくラーメン、
 こんにゃくカレーなんていうのもありましたから
 すごい。


 バス旅行の話を続けると、
 そのあと旧軽井沢銀座に行ってきました。

  20150713_144146_convert_20150714215357.jpg

 軽井沢といえば
 避暑地のイメージなんですが
 ちょうど猛暑と重なって
 軽井沢といえども
 暑かった。
 うーん、昔の人はそれでも涼しいと
 感じたのでしょうか。
 下の写真は
 そこで見つけたマンホールの蓋。

  20150713_141551_convert_20150714215303.jpg

 なんだ、夏休みしてるじゃないと
 言われたら、
 絵日記代わりにブログに書いちゃいましたと
 いうしかないかな。

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 いやあ、やりましたね。
 昨夜発表のあった第153回芥川賞・直木賞のことです。

    ピース又吉直樹「火花」が芥川賞 お笑いタレント初

 これは日刊スポーツのWEB記事。
 どうしても、又吉直樹さんの扱いが
 大きくなるのは仕方ありません。
 ちゃんと書くと
 芥川賞又吉直樹さんの『火花』
 羽田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』のW受賞。
 直木賞東山彰良さんの『流(りゅう)』

 皆さん、おめでとうございます。

 芥川賞の選考結果で
 選考委員の一人山田詠美委員は
 又吉直樹さんの作品について
 「切実なものが迫ってくる感じ。欠点も多々あるが、何か強いものを感じた」と
 話したそうです。
 さらに、又吉直樹さんが芸人だという点についても
 「彼がどういう職業かは関係なくて知らなかった世界を読めた」と
 言っています。
 まっとうなコメントですね。
 私なんかピースの漫才をあんまり見たことがないので
 又吉直樹さんが漫才師であっても大企業のエライさんであって
 同じだと思います。
 肝心なことは
 作者として作品をどう作り上げていくかということです。

 今日は、又吉直樹さんの芥川賞受賞祝いで
 『火花』の書評を再録しておきます。



sai.wingpen  これは、いい作品だ                   

 作者には属性がある。
 男、女、若い、中年、初老、会社員、契約社員、無職、もちろん作家。
 それが大手商社の人事マンであっても構わないし、まして人気漫才師であっても、小説を書いてはいけないということはない。
 又吉直樹という現役の漫才師が純文学を書いて、「文学界」という作家志望の人ならそこに掲載されることを一度は夢見る文芸誌に掲載され、話題となる。
 何故、話題となったのだろう。
 又吉が漫才師であったからか。
 まるで、漫才師などは文学ともっとも遠いところにでもいるかのような騒ぎ方だ。
 きっとそんな騒ぎ方をされている本は読みたくないと思っている人もいるだろうが、読まないとあるいは損をする作品かもしれない、これは。

 若手漫才師の「僕」はたまたま同じ現場で仕事をした先輩漫才師「神谷」に弟子入りをすることになる。
 「弟子入り」といっても、「漫才師とはこうあるべきやと語ることと、漫才師を語ることとは、全然違うねん」、そんなことを語る神谷のあとをついてまわって、お酒を飲んだり、神谷の彼女の部屋に転がりこんでばかりいる。
 「僕」も神谷も売れないことには変わりない。
 しかも、神谷は「僕」の先輩ゆえに、いつも出費は神谷だ。
 いつしか、少しは名前が売れ出した「僕」のコンビ。その一方で、神谷のコンビは芽が出ない。

 立場が逆になり、「僕」はとうとう神谷をこき下ろすことになる。
 「徳永やったら、もっと出来ると思ってまうねん」という神谷に「ほな、自分がテレビ出てやったらよろしんやん」と毒づく「僕」。
 漫才の世界の話ではあるが、そこにはもっと深い世界がある。
 その世界を男二人のせめぎあい。それは昔見たアメリカン・ニュー・シネマの主人公たちのような世界観。
 例えば、「真夜中のカウボーイ」のような。

 やがて「僕」たちのコンビも絶頂を知らないまま、コンビ解散となってしまう。
 「一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう」、そのことに気づいて、やっと「僕」は自分の人生を手にいれたことを知る。

 漫才師は漫才だけをすればいい、と神谷ならいうだろうか。
 いい作品なら書けば、もう作家だ。
  
(2015/05/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  いよいよ今夜
  第153回芥川賞・直木賞
  受賞発表です。
  又吉直樹さんの『火花』は
  受賞するでしょうか。
  いやがうえにも盛り上がりますね。
  今日は直木賞作家葉室麟さんの
  『蒼天見ゆ』を紹介します。
  葉室麟さんが直木賞を受賞したのは
  第146回。
  2012年のこと。
  葉室麟さんはそのあとも
  絶え間なく作品を発表し続けています。
  今もっとも油ののっている
  直木賞作家かもしれません。
  受賞しても
  なかなか作品を書けない作家も
  たくさんいます。
  今夜受賞されるだろう
  作家さんは
  ぜひ葉室麟さんのように
  なってもらいたい。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  その心意気、よし。                   

 「日本最後のあだ討ち」として記録されている臼井六郎の生涯を描いた、葉室麟の歴史小説。
 葉室は時代小説の書き手であるが、この小説は歴史小説といっていい。
 時代小説と歴史小説は混同して使われることが多いが、時代小説はその主人公等は作者の創作によるが、歴史小説の場合主人公は歴史上実在した人物で、物語はほぼ史実の通りに進んでいく。といっても、当時の主人公の心情などは書き手の想像に委ねられるところが多いし、細部はやはり想像で描くしかない。
 よく遺跡から発掘される土器などを見ると、実際発掘された破片は一部で大部分は石膏などで固められていることがある。
 歴史小説はそういうものかもしれない。

 葉室は土地を愛する作家でもある。
 その作品のほとんどが九州を舞台に描かれている。
 この作品の舞台も、九州の小さな藩秋月藩であり、主人公の臼井六郎はこの藩の出身である。「最後のあだ討ち」をしたのが九州以外の藩の武士であれば、葉室は書かなかったかもしれない。
 臼井六郎は九州男児であればこそ、自分が書かなければと、葉室は思ったのではないか。
 その心意気、よし。

 物語は史実であるが、事件の経緯のあらましを簡単に書いておく。
 明治維新の際、秋月藩という小さな藩に臼井亘理という優秀な藩士がいた。その才能を恨む男の手により亘理は惨殺され、その際に妻も殺されてしまう。
 亘理の息子六郎は仇を討つため、明治開化の時代を翻弄されることになる。
 明治6年には「仇討禁止令」が公布され、仇討は新国家へ背を向ける行為となり、六郎はいよいよ追い詰められいく。
 しかし、ついに六郎はその恨みを晴らすべき機会を得る。明治13年、ついに「あだ討ち」を完徹する。
 その後の六郎は終身刑を言い渡されるが恩赦で出獄。大正6年まで生きることになる。

 幼き六郎に父亘理は「蒼天を見よ」と教えたと、葉室は書いている。そのあたりが史実なのか葉室の創作なのかはわからないが、六郎という人物に葉室が託そうとした思いが、そうなのであろう。
 六郎にも、葉室の時代小説の主人公のような、耐え続ける男の血が流れている。
  
(2015/07/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日窪美澄さんの
  『さよなら、ニルヴァーナ』を紹介しましたが、
  窪美澄さんは着実に作家としての才能を
  開花させつつあります。
  新人の時は書きたいことばかりでしょうが
  書いていくにつれ、
  創作力はしぼんでいくこともあります。
  窪美澄さんはまさにその壁を越えました。
  今日は
  山崎ナオコーラさんの『可愛い世の中』を
  紹介するのですが、
  どうも最近の山崎ナオコーラさんの作品は
  感心しません。
  つい、書評も辛口になってしまいました。
  とても気にいっていた作家でしたから
  芥川賞の候補になった頃の
  イキのいい
  山崎ナオコーラさんの作品が
  読みたいものです。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  可愛いってちっぽけ?                   

 どこかにヒントはあるものだ。だから、シャーロック・ホームズは謎が解ける。
 山崎ナオコーラのこの狭苦しい世界感の物語がどうして成立したのか、そのヒントは著者紹介の中にあるのかもしれない。
 「目標は、」とある。
 「目標」だって? 
 著者紹介に、「目標」なんて、普通あまり書かない。
 では、その「目標」にはなんて書いてあるか。
 「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
 きっと山崎はどこかで自分の世界観を見間違っているような気がする。「誰にもわかる言葉」、いいだろう。「誰にも書けない文章」、それもいい。
 でも、「目標」ってなんだ?
 作家の「目標」なんて、聞きたい読者はいるのだろうか。

 35歳の長女花を頭に、32歳の会社員豆子、27歳のニートの草子、末っ子の24歳の星は主婦、そんな四人姉妹の、次女豆子の「金銭感覚」、「結婚感」、「勤労観」を描いた作品である。
 多分結婚はしないだろうと着実に貯金をしてきた豆子はある時、「結婚」に目覚める。ところが、豆子が目指したのは、「可愛い女性」の結婚とは別の価値観なもの。
 この物語に貫かれている「多様化」という言葉を、あえて書いてしまうところに、今の山崎が置かれているのっぴきならない作家としての在り様が浮かびあがってくるようだ。

 「多様化」なんて書かなくても、物語はいつだって「多様」なものを描いてきたのではないか。
 「目標」なんて書かなくても、作家は目指そうとする世界観は描いてきたのではないか。

 結婚式の会場で、「皆から仲良くしてもらいたくて、貯金をはたいて頑張ったのに」と叫んでゲストにドン引きされる豆子。「世間に理解されたい欲」が結婚式をやることになったと反省する豆子。
 これって、山崎ナオコーラそのもの?
 言葉が新鮮で独自の世界観を持っていた山崎が、まるで物語という世界を誤解してしまったような作品を生みだすなんて思ってもいなかった。
 山崎は「可愛い世の中」を誤解していないか。山崎がこの作品で描いたのは「可愛い」ではなく、「ちっぽけな世の中」にすぎない。
  
(2015/07/15 投稿)

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  最近出版された
  神戸連続児童殺傷事件の犯人「元少年A」の手記
  『絶歌』が話題となっています。
  そのことについて
  書いておきます。
  出版の自由は民主主義の根幹とよくいわれます。
  その通りです。
  だから、元少年Aの本が出版されたことについて
  とやかくいうことはできないでしょう。
  けれど、
  もし私が出版社であれば、出版はしません。
  もし私が本屋さんであれば、この本は置きません。
  もし私が図書館であれば、この本の貸出についてはよく検討します。
  読者である私は、『絶歌』は、読みません。
  一律にこれはいい、これはダメだということはできないでしょう。
  読むことも
  読まないことも
  決めるのは読者自身です。
  今日紹介する窪美澄さんの
  『さよなら、ニルヴァーナ』は
  少年Aの事件をモデルにしています。
  少年Aを描くことで
  窪美澄さんは真剣に表現するということを
  考えています。
  労作、力作以上の作品だと思います。

  じゃあ、読もう。


sai.wingpen  これが小説の重さというものか                   

 重い小説だった。読み手がそうである以上に、作者の窪美澄はよく書き終えたものだ。力作とか労作とかよく言われるが、この作品はそれを越えている。
 1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件を起こした少年Aをモデルとしているが、これはどこまでいっても小説だ。事実ではない。
 少年に共鳴し、更生中の少年のあとを追い続ける少女。少年に殺害された少女の母親。まるで何かに吸い寄せられるようにして3人が交わっていく。
 そこに小説家を目指す女性が加わることで、事件のことを描く重みが語られていく。

 興味本位で書かれたものではないことは、物語を読めばわかる。
 興味本位ではない重さがここにはある。一体これは私たちが生きる地球と同じ重力圏の物語なのか。
 この犯罪も犯人の少年Aも、作者は糾弾しているのではない。
 多分窪はこの作品を書くにあたって、さまざまな情報を調べ、入手しただろう。
 インターネットという、少年が犯罪を起こした頃にはまだ十分でなかった道具を駆使すれば、窪が描いたさまざまな細部の実際がわかるかもしれない。
 けれど、読者はそうすべきではない。
 何故なら、これは小説なのだから。

 窪のこの物語では少年は人間の「中身」が見たかったから犯罪に及んだと記されている。
 そして、窪はこう書く。
 「Aのいう「中身」とはなんだろう。それは私が小説を書きたい、ということと近くはないだろうか。人には見られたくない感情、欲望、妄想。(中略)そこを見ずに一生を過ごす人もいるだろう。でも、そこを見ずにはいられない、という人間が確かにこの世界にはいるのだ。私とAのように。」
 この文章の「私」は窪自身ではない。物語に登場する小説家志望の女性だ。
 しかし、それは窪でもある。
 これは窪による作家宣言のようなものではないか。

 窪はあるインタビューでこんなことを語っている。
 「たとえば家族や友人に対して、思ってはいても出せない気持ち。その煮詰まっている感情を私の本が肩代わりして、読者が前に進めると思ってくれたらうれしい」。
 いつの間にか、窪美澄は、うんと遠くにいっていた。
  
(2015/07/14 投稿)

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 7月にはいって
 雨ばかり続いていて
 晴れたと思ったら
 途端に、ドーンと猛暑
 暑いこと、暑いこと。
 昨日(7月12日)も朝9時から
 畑に行って、
 2時間ばかり作業していたのですが
 もうフラフラ。
 皆さんも熱中症には気をつけて下さいね。

    みじろぎもせず炎昼の深ねむり    野見山 朱鳥

 そんな中、
 小学生のイモ掘り体験が
 私が借りている菜園で行われました。
 私もしたかったなぁ。
 でも、小学生以下の子どもという限定。
 いいなぁ。子どもは。
 下の写真はイモ掘りをしている子どもと家族の皆さん。

  CIMG0307_convert_20150712164303.jpg

 もう一枚は
 彼らが掘り出したジャガイモ

  CIMG0308_convert_20150712164221.jpg

 収穫したジャガイモも子どもだけで山分け。
 いいなぁ。子どもは。

 ラッカセイの花なんて見たことがなかったのですが
 菜園を始めて
 見ることができました。
 かわいい、黄色の花です。

  CIMG0299_convert_20150712164002.jpg

 花を愛でる。
 おとなだもんね、私は。

 下の写真は土曜日に収穫した野菜たち。

  20150711_175511_convert_20150712164348.jpg

 土曜に採って
 日曜にも採って
 毎日キュウリを食べて
 カッパみたいになっています。

 7月12日現在で
 キュウリの収穫本数は、65本。
 ミニトマトは53個。
 ピーマン、26個。
 ナス、9個。
 大玉トマト、5個。
 トウモロコシは6個で終了。
 エダマメも終わりました。

 そのエダマメの収穫の跡地に
 オクラの苗を植えました。

  CIMG0305_convert_20150712164134.jpg

 エダマエの跡地は冬野菜の栽培が始まるまで
 空地だということで
 家のベランダで種から育てていた
 オクラを持っていって植えてみることにしました。
 空地利用。
 どうも、おとなは強欲ですね。
 さて、どうなることやら。

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プレゼント 書評こぼれ話

  名古屋のうまいものばかりを集めた絵本を
  今日は紹介します。
  描いたのは
  長谷川義史さん。
  『名古屋うみゃあもんのうた』という絵本。
  昨年の秋、名古屋に行った際に
  この絵本で紹介されている
  「うみゃあもん」の一部を
  食べてきました。
  小倉トースト、きしめん、ひつまぶし、みそカツ、
  あーあ、今思い出しても美味しかったなぁ。
  あんかけスパゲティ食べたかったなぁ。
  みそ煮込みも。
  えびフリャーもいいなぁ。
  こんなうみゃあもんいっぱいに絵本みたら
  名古屋に行きたくなりますね。
  待ってろやー、名古屋。
  前回の名古屋食べ歩きは
  『目玉焼きの丸かじり』の記事に
  載っていますよ。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  ハヤシどころか、たくさんあるデヨ                   

 「ハヤシもあるデヨ」。
 昭和のコメディアン南利明さんがCMで使って、1970年代に大流行した名古屋弁だ。
 その頃の子どもたちは、北海道であろうと東北であろうと東京であろうと大阪であろうと四国、九州、沖縄であろうと、みんな名古屋弁で話していた。
 それから半世紀近く経って、今や名古屋は全国区。
 名古屋には「うみゃあもん」がたくさんあることは、みんな知っている。
 「ハヤシ」どころか、「キシメンもあるデヨ」、「ういろもあるデヨ」、「小倉トーストもあるデヨ」と、「デヨ」のオンパレード。
 この絵本を開いて、あなたも言ってみて下さい。「○○もあるデヨ」。

 長谷川義史さんの絵は名古屋の豪快さによく合っている。
 名古屋城のでっかい金のシャチホコにも負けてはいない。
 「みそカツ」「みそオデン」「みそ煮込み」の、みそ三兄弟とタッグも組んでいる。
 信長、秀吉、家康も、長谷川さんにかかれば、名古屋人の皆さんと同じ。
 それくらい、名古屋らしい絵本だ。

 大阪に代表される関西人は東京に暮らそうが東北で暮らそうが、大阪弁にこだわりつづけている。
 名古屋の人はどうなんだろう。
 東京と大阪という大都市に挟まれて、肩身のせまい思いをしてるかと思いきや、まったく意に介さずに独自の文化を作り上げたような気がする。
 特にこの絵本に描かれている食文化においては顕著だ。
 東京にも大阪にもおいしいものはたくさんあるが、それに影響されることもなく、我が道をゆく。
 名古屋の人たちにとって、東京も大阪も眼中にはない。
 あるとしたら、「東京も(ついでに)あるデヨ」「大阪も(ついでに)あるデヨ」ぐらいの感覚だろう。

 もっとも大阪出身の長谷川さんにとっては、なんとか大阪文化をしのばせたいと思ったのか、大阪を代表して「なんでやねん」をこそっといれているのが、面白い。
 そんな長谷川さんであっても、名古屋の人たちは、「ようこそいりゃーた ゆっくりしてってちょ」と暖かく迎えてくれたのだろう。
 長谷川さんの満腹顔が目に浮かぶ。
  
(2015/07/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から、4年と4ヶ月。

  あれだけ大きな地震と津波があったにもかかわらず
  時の流れを
  私たちが暮らすこの国が
  地震の多い国だということを
  忘れてしまう。
  時に震度3のような揺れがくると、
  そうだ、私たちの国は
  水布団のような国なんだということを
  思い出させる。
  私たちがこの国で
  生きることを覚悟したということは
  東日本大震災のような大きな地震が
  またくることもあるということを
  覚悟したということだ。
  そのための準備を忘れるな、
  東日本大震災の月命日が来るたびに
  みんながそのことを
  自覚するのもいいのではないでしょうか。
  今日は石井麻木さんの写真集、
  『3.11からの手紙/音の声』を
  紹介します。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  写真の力                   

 写真にある力。
 カメラの向こうの被写体だけを写しとるのではなく、被写体が抱えている感情までもを封じ込める力。
 私たちは報道写真で文章や映像ではない、迫るものを感じ取ることがある。
 特に米国同時多発テロや東日本大震災のような大きな事件の場合、報道写真で知ることは多い。
 涙ながらに逃げまどう人たち、避難所生活で疲れ果てる人たち、時に報道写真のカメラはそういった人たちも変わり果てた街々も非情に写しとらなければならない。
 写真家石井麻木さんが東日本大震災のあと、被災地や被災された人々をカメラに収めたこの写真集の中で、石井さんはこんなことをつぶやいている。
 「写真家として生きるわたしにとっては、カメラはからだの一部ともいえるものだけど、避難所で暮らす方たちや被災された方たちにとっては武器になってしまうのではないか」、だから石井さんは時にカメラを背に隠し、支援物資を届けたこともあった。
 そんな石井さんの背を押したのが、「写真を撮って欲しい」という被災された人たちの声だったという。
 「かけがえのない存在の写った紙切れ一枚が、明日を生きる糧に、心の支えになるかもしれない」。石井さんはその時、写真の力を自分のものにしたといえる。
 そして、被災された人たちを写真に収めることで、石井さん自身が成長していく。

 小さな写真集と呼んでいいこの本には石井さんの写真とともに、石井さんが書きとめた文章が収められている。
 その文章の一つひとつがいい。
 「忘れないことが 関心をもちつづけることが 巡って誰かの希望につながる と」。
 「正解なんてない 間違いもない」。
 生きていくことは多様だ。原発事故で故郷を離れた人もいるだろう。ふんばっている家族もあるだろう。誰が正しくて誰が間違っているなんてない。
 ただ、そういう多様な人々の暮らしが社会であることを忘れてはいけない。そういう多様さを生んだのは大きな天災と大きな事故であったことを忘れてはいけない。

 本書の後半は「音の声」と題された、被災地への支援活動を行った音楽家たちの姿。
 彼らの躍動感こそ、被災者たちの希望につながっていっただろう。
 石井さんの写真の力は、そう伝えてくる。
  
(2015/07/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  梅雨前線がどっかりと居座って
  関東地方も連日の雨。
  こんな日は
  スカッとするような本が読みたくなります。
  そこで、
  今日は益田ミリさんの
  『そう書いてあった』という
  エッセイ集を紹介します。
  益田ミリさんの本を読んで
  ジメジメしちゃいました、
  なんていう人はいないと思います。
  雨の日でも
  かわいい長靴なんか履いて
  おしゃれな傘をさして
  外におでかけしたくなるのではないかしら。
  たとえ、部屋干しの洗濯物が
  いっぱいあったとしても。
  素敵な装幀は
  クラフト・エヴィング商會さんの手によるもの。
  こんな美しい表紙を見ていると
  虹  がかかってきませんか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  二本の線                   

 鼻の横から口元にかけて、線を二本引くだけで、年をとる。そんな漫画の描き方を、益田ミリさんのイラストで知った。
 二本の線は、ほうれい線である。
 絵の好きな人は試しに人の顔を描いてみるといい。その顔に二本。
 絵が苦手な人は漫画の主人公に二本の線を描きたしてみれば、二本の線の効果がよくわかる。
 鏡に写った自分の顔を引っ張って、ほうれい線を消したら、少しは若くなることに気がつくはずだ。
 益田ミリさんの描くマンガやエッセイは、この二本の線が大切にされている。

 益田ミリさんは1969年生まれのイラストレーター。『すーちゃん』シリーズなどの作品で女性たちから支持されている。
 益田さんの素敵なところは、年齢を隠さないところだ。エッセイ集であるこの本の著者紹介にも、誕生年が堂々と書かれている。
 益田さんにほうれい線があるかどうかは知らないが、少なくとも著者紹介には、二本の線がきちんと書かれているといえる。
 このエッセイ集は、朝日新聞に連載されている「オトナになった女子たちへ」に書かれたものをまとめたものだ。

 そのどれひとつとっても面白い。
 例えば、冒頭の「事件は銀座で」は、品のいい浴衣で銀座の納涼会に出席していた益田さんはゴキブリの襲撃にあったという話。その夜着ていたのは「絹紅梅」という上品なもの。それにゴキブリの取り合わせがなんとも無様。でも、笑ってすませられる。
 これなんかも、二本の線がくっきりとはいっている話だといえる。
 これが若い人なら、笑い話にはならずに「カワイソー」みたいな同情話になるのだろうが、二本の線のおかげで、へえー、銀座にゴキブリね、という感心ネタに変わってしまう。
 また、「美しい夢」と題されたエッセイでは、小さい頃の夢が魚釣りに行くお父さんのための、えさの「うどんを切る人」だったというカミングアウト。
 もし、こういう夢が二本の線のないまま書かれてとしたら、悲痛だろうが、けっしてそうならないところがいい。
 最後にそれが「本当に美しい夢だった」と書かせるのも、私には二本の線の力に思えて仕方がない。
  
(2015/07/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はシナリオ関係の一冊。
  野沢尚さんの『野沢尚のミステリードラマは眠らない』。
  野沢尚さんの名前を知らない人も
  たくさんいるでしょうから
  書評の中にも
  書いておきましたが
  一時は超売れっ子の
  シナリオライターでした。
  2004年に亡くなっていますから
  亡くなってから
  もう11年になります。
  知らない人が多くなっても
  仕方がありません。
  でも、この本の魅力は
  今でもあります。
  シナリオを書きたいという人は
  ぜひ一度手にとってもらいたい一冊です。
  いえ、シナリオだけでなく
  最近の作家の皆さんも
  プロットを書くことから
  始まることが多いそうです。
  いわゆる、企画書。
  ーん、苦節何十年でやっとデビュー、
  なんていう時代では
  なくなってきたのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  シナリオに至るまでが詳しい                   

 文章を書くというのは、個性だと思ってきた。
 だから、書き方と教えてもらうのはどうかと。ところが、どうもそうではないらしい。
 小説にしろエッセイにしろ教えてもらうに価いする書き方があるようだ。
 特にシナリオといわれるものは、その領域が大きいかもしれない。シナリオが他の文章表現と違い、映像化のための「設計図」ということだ。
 そのために、「プロット」であったり「人物表」であったり「ハコ書き」と呼ばれる専門用語が飛び出す。
 しかし、最近の小説でも編集者にまず求められるのは「プロット」だという。「人物表」、これは登場人物の履歴書だ、を書くことは小説を書くことでも必要だし、「ハコ書き」は構成を俯瞰することでは誰もが無意識にしていることかもしれない。
 シナリオはその点ではわかりやすく指導しているのだろう。

 日本大学芸術学部を卒業と同時に第9回城戸賞佳作入選した野沢尚はその後シナリオだけでなく、『破線のマリス』で第43回江戸川乱歩賞を受賞し、作家としてのデビューも果たす。
 もちろん、野沢の書くドラマは人気も高く、有望なシナリオ作家として嘱望もされていた。
 シナリオを書きたいと願う若い人のために書いたこの本が出版されたのは2000年。まさに油の乗り切っていた時期だといえる。
 残念ながら、野沢は2004年自死をする。44歳の早すぎる死であった。

 そんな野沢はシナリオ作家を目指す若い人たちにこれほどはないという教材を残してくれているのがありがたい。
 人からは「教えすぎではないか」と言われるほど、ここには野沢の創作スタイルが描かれている。
 ただ野沢自身は、こうも書いている。「全て教えてしまうほど、僕は優しい人間ではありません。商売仇は出てこない方がいい」と。
 けれど、この時期の野沢には自身があったにちがいない。たとえ、どんなに創作のスタイルを教えたからといって、誰もがいい作品は書けないのだと。自分を越えるものはなかなか出ないだろうと。

 そんな野沢の自信が彼の死後シナリオを目指す人たちにもわかりやすい教科書を残すことになった。
 野沢が今いないことを、やはり残念に思う。
  
(2015/07/09 投稿)

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 今月のNHKEテレ
 「100分 de 名著」は
 小泉八雲の『日本の面影』。

  

 前フリもなく書いたのは
 先週7月1日の第1回めの放映を
 すでに見たからです。
 今日放映されるのは
 第2回めとなります。

 小泉八雲って知っていますよね。
 そうそう、「耳なし芳一」を書いた人。
 本名はラフカデイオ・ハーン
 イギリス人です。
 明治時代の日本にやってきて
 今でも読まれる作品を書いた人ですから
 えらい人のように思っていましたが
 日本に来るまでは
 結構苦労、というか相当苦労してきた人。
 第一回めの「原点を訊ねる旅」では
 そのあたりもレクチャーありました。

 ハーンは小さい頃に
 お母さんと生き別れています。
 お父さんは別の女性と再婚。
 そのため、大叔母に育てられました。
 16歳の時に、遊具で左目を強打、
 失明してしまいます。
 だもんで、ハーンの写真は
 右半分から撮ったものがほとんどだとか。
 わぁー、これだけで
 「100分 de 名著」見た甲斐があったというもの。

 日本にやって来たのは
 1890年.
 ハーン、40歳の時。
 その後、小泉節子さんと結婚して
 小泉八雲になります。
 そんな八雲が見た日本を描いたのが
 今月取り上げられる『日本の面影』。
 先日の女子Wカップの決勝、
 日本対アメリカは残念な結果でしたが、
 こういう時だけ
 日本っていいと感じるのではなく、
 本来日本が持っている美しさを
 外国人であるゆえに
 小泉八雲は持っていたともいえます。

 今日の第2回めは
 「古きよき日本を求めて」、
 第3回は「異文化の声に耳をすます」、
 そして、最後となる
 第4回は「心のとびらを開く」。

 ついでに書くと、
 なでしこというのは秋の季語。
 こんないい句を見つけました。

   撫子やそのかしこきに美しき    惟然

 お疲れさま、なでしこジャパン

 あれ、今日は「100 分 de 名著」だったはずなのに。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は二十四節気のひとつ、
  小暑
  二十四節気の中でも地味な存在。
  私が愛用している
  「俳句歳時記 第四版増補」でも
  たった一句しか載っていません。

    塩壺の白きを磨く小暑かな    山内 雅子

  ぜひ小暑ファンには
  がんばってもらいたいなぁ。
  今日紹介するのは
  中島京子さんの『長いお別れ』。
  表紙に老人の絵が描かれていますから
  だいたいそんな話だと
  わかるかと思いますが、
  認知症をわずらった男性と
  その家族の奮闘を描いた
  小説です。
  アメリカでは
  認知症のことを
  長いお別れと呼ぶことも
  あるそうです。
  亡くなった私の父は
  亡くなる直前私のことも忘れることがありました。
  家族にとって
  やはりつらいですね。
  そのあたりをこの小説は
  どう描いているか。

  じゃあ、読もう。

  

  sai.wingpen  『恍惚の人』から遠く                   

 この物語の主人公東昇平が認知症をと病名がついたきっかけは高校の同窓会の会場にたどりつけなかったことだ。
 元中学校の校長、その後図書館館長などの要職に就いていた昇平だが、70歳を過ぎて、道に迷うことになる。
 昇平は妻曜子と二人暮らしだ。子供は三人いるが、いずれも娘で、長女の茉莉は夫の仕事の関係でアメリカ西海岸にいるし、次女の奈菜も家庭を持って、夫の実家にはいることとなる。三女の芙美は独身ではあるがフリーのフードコーディネーターとして仕事に油がのってきたところ。
 つまりは、昇平の世話は曜子の肩に重くのしかかる。
 昇平をめぐる家族の右往左往は少し考えれば十分悲痛なのだが、中島京子はあえて悲痛感や苦労話に持っていくことをしない。むしろ、コミカルともいえる物語に仕上げた。

 有吉佐和子が認知症を扱った『恍惚の人』を書いたのは1972年のことだ。
 本もベストセラーになったし、豊田四朗監督によって映画化もされた。森繁久弥の演じる老人とそれを介護する嫁高峰秀子の姿を見て、笑う人などいなかったにちがいない。
 『恍惚の人』の主人公と同じように、昇平もまた帰り道がわからず彷徨するし、家族たちは必死に探すのだが、この作品はどうして笑えてくるのだろう。
 有吉の作品から40年以上経って、社会は認知症を特別な病気とは考えなくなったともいえるし、老人介護の問題は多くの人が直面している課題でもある。
 特別な苦労ではなくなったといえるが、悲痛なだけではやっていけないということを自覚したともいえる。
 岡野雄一の『ペコロスの母に会いに行く』(2012年)も認知症の母と息子の物語(まんが)だが、やはり有吉の悲痛さはない。
 社会は強くなったのだ。

 そうはいっても、実際の介護は大変だ。笑えることは少ないだろう。特にこの物語のように老々介護ともなれば、妻曜子の心情は軽易に「強くなった」なんていえないだろう。
 それでも、中島はこの物語に「長いお別れ」とつけたように、老人介護はゆっくりと残されたものへのお別れだとすれば、それを大切な経験の再現として受けとめることも大事なことだ。
  
(2015/07/07 投稿)

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 東京は、
 あ、すいません、
 埼玉ですが、
 梅雨前線が停滞して
 雨続き。
 雨ばかりだとつい畑が気になって
 本を持つ手をパッと開いて
 長靴を履いて、
 畑へという日が続いています。
 晴耕雨読ならぬ
 雨耕雨読

 今回は
 そんな雨の日の菜園の様子を。
 まずはサトイモ
 どうです、風情があるでしょ。

  CIMG0282_convert_20150705205124.jpg

 次は雨のしずくのようなナス

  CIMG0284_convert_20150705205238.jpg

 そして、トマト

  CIMG0285_convert_20150705205356.jpg

 雨の合間をぬって
 夏野菜の収穫もあります。

  1435977391256_convert_20150705205027.jpg

 大収穫です。
 大玉トマトを収穫しました。
 本当はもう少し太陽の光を吸収させたかったのですが
 雨が続くとあまりよくないとか。
 と、いうことで初収穫。
 先週のトウモロコシの美味をもういちど、と
 願ったのですが、
 少し水っぽい。
 やはりトマト
 太陽の下でガブリといきたいもの。
 早く梅雨明けしないかな。

 そういえば、先週は
 エダマエの収穫もすべて終わりました。
 トウモロコシも終わり。
 次の秋野菜まで
 しばらくお休み。
 でも、エダマメおいしかったな。
 トウモロコシ、おいしかったな。
 梅雨が明けたら
 トマトとかナスとか
 夏野菜の本番。
 早く梅雨明けてくれないかなぁ。

   抱く吾子も梅雨の重みといふべしや     飯田 龍太

   黙々と梅雨の菜園わき芽かき        夏の雨

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 平成27年7月5日、日曜日
 午後1時15分。
 なんだか事件記事みたいな
 時間の刻み方ですが、
 埼玉県さいたま市の浦和にある
 さいたま市立中央図書館の来館者が
 1000万人に到達した瞬間です!

   おめでとうございます 

  20150705_171542_convert_20150705183225.jpg

 日頃この図書館にはとてもお世話になっていますから
 我がことのように
 うれしい。
 本当はその瞬間に立ち会いたかった、
 もっといえば
 1000万人めの来館者に
 なりたかったなぁ。
 さすがに、それは無理でしたが。

 さいたま市立中央図書館
 平成19年11月29日の開館ですから
 およそ7年半にして
 大きな数字にたどり着いたわけです。
 図書館員の皆さんの
 日頃の努力の賜物です。
 これからも
 市民の愛される図書館として
 がんばって下さい。

 もちろん、
 これからもバンバン利用させてもらいます。

   おめでとうございます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  くせさなえさんの『ゆびたこ』を
  見つけた時、
  読みたいと思った。
  なぜなら、
  書評にも書いたように
  私の長女にもこの「ゆびたこ」が
  あったからだ。
  長女に「ゆびたこ」があった時
  この絵本はまだ描かれていなかった。
  でも、もし、
  長女に「ゆびたこ」があった時に
  この絵本があっても
  読んだかどうかわからない。
  まして、
  「ゆびたこ」ができた長女には
  読ませなかっただろう。
  すっかり成長したから
  平常な気持ちで読めるので
  「ゆびたこ」ができた当時は
  結構真剣に
  対策を考えたものだ。
  そんなことを思い出しながら
  この絵本を読んだ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  長女の「ゆびたこ」                   

 長女にも「ゆびたこ」があった。
 「ゆびたこ」というのは、ゆびしゃぶりがやめられなくてできる「たこ」のことだ。
 長女のゆびしゃぶりが始まったのは、妹である次女が生まれてから。寝る間際などはずっとしゃぶっていた。
 この絵本の主人公はもうすぐ小学校にはいる女の子。おねえちゃんがいる、妹の方。
 お父さんに説教されたり、お母さんに包帯まかれたり、おねえちゃんにわさびを塗られたりしても、ゆびしゃぶりが治らない。
 長女にも、包帯をまいたり、わさびを塗ったりした。それでも治らない。しまいには、布団にもぐって、「ちゅうちゅう」と吸うようになった。
 本人にすれば、よくないということの自覚があったのだろう。ゆびしゃぶりをしたら、また叱られるとも思っていたにちがいない。
 ある日、長女の親指に「ゆびたこ」ができた。ちょうど、この絵本の女の子のように。

 長女も「ゆびたこ」を話をしたのだろうか。
 「ゆびたこ」が「すってくれってばー!」とねだっても、「すわへん」と、女の子のようにがまんしたのだろうか。
 女の子が想像したように、いつか「ゆびたこ」が自分の体よりも大きくなることなんか思っただろうか。
 絵本の女の子は、「ゆびたこ」の誘惑にも恐怖にもマケズに、じっとがまんをする。
 そして、無事、小学校の入学式までには「ゆびたこ」を消してしまう。
 長女の場合は、小学校にはいってもゆびしゃぶりの習慣はなくならなかったし、「ゆびたこ」は消えなかった。
 あれからたくさんの時間が過ぎて、長女のゆびしゃぶりは自然となくなった。「ゆびたこ」も多分、今はない。
 長女の指をしげしげと見ることもなくなったから、実際に消えたのかどうかは確認しようもないが、多分ない。
 きっとゆびしゃぶりの習慣は成長するにしたがってなくなるのだろう。
 「ゆびたこ」がいなくなるのは、成長の証しだ。

 この絵本は2013年の作品だが、くせさなえさんの絵はどこか昭和風だ。
 きっと今の女の子はもう少し洒落ているかもしれないが、その絵の雰囲気が「ゆびたこ」には似合っている。
 長女にこの絵本を読ませたいが、きっと嫌がるだろうから、それはしない。
  
(2015/07/05 投稿)

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 6月も終わって
 企業でいえば
 第一四半期の反省の頃かな。
 反省している間に
 第二四半期、中間期を迎えるなんて
 ことのないようにしないと。

 私の第一四半期は
 菜園のおかげで
 充実していました。
 4月に種を蒔き
 5月に苗を植え、
 6月には早くも収穫。
 いいサイクルですね。
 収穫した後は
 せっせと写真を撮っているのですが
 いつも平凡で嫌になります。
 今回の「雑誌を歩く」で紹介する
 NHKテレビテキスト「やさいの時間」7月号(NHK出版・669円)の
 表紙写真の
 キュウリのおいしそうなことといったら。



 水をいっぱいはって
 その中にキュウリを浮かべて
 さらに水をかけて。
 夏のキュウリはこうでないと。
 今度してみたいな。

 表紙だけでなく
 「四季折々のやさいのしつらえ」という
 連載では
 四季の行事とともに
 野菜の魅力が生きています。
 7月号では「七夕」。
 ナスにキュウリ、
 それにそうめんが添えられて
 いかにも夏のしつらえに
 なっています。

 今号の特集は
 「秋まで長~く楽しむ 夏越し野菜」。
 夏野菜の収穫のピークは
 7月上旬から8月中旬と
 あります。
 それをきちんと管理して
 しっかり収穫しましょ、という特集。
 そうか、
 夏野菜の収穫は
 今月がピークなんだ。
 キュウリの収穫目標を100本にしたのですが
 ちょっと厳しいかな。
 おい、第二四半期は始まったばかりで
 そんな弱腰でどうする、
 夏のボーナス査定はこれからだぞ、
 しっかり頑張らないと
 株主様にどう説明するんだ、
 これが企業なら
 それくらいはいわれますね。

 そうそう、野菜の写真の話でした。
 「やさいのある風景を撮る」という記事が
 今号にはあります。
 写真家の福田稔さんがその極意を披露。
 撮影のコツは、

   もう一歩、近寄って、拡大して撮る

 ようし、今度やってみよう。
 一眼レフやミラーレスカメラがいいとか。
 困った、
 持ってない。

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プレゼント 書評こぼれ話

  ほとんどのドラマは
  起承転結と思っていましたが
  そうではなく
  3幕というのが
  今日紹介する
  新藤兼人さんの説。
  今日の本、『シナリオ人生』にも
  書かれています。
  これは新藤兼人さんだけでなく
  シド・フィールドという人の理論にも
  ちゃんとあります。
  新藤兼人さんは、発端、葛藤、終結。
  シド・フィールドさんは、設定、対立、解決。
  まあ実際にドラマを観ていて
  これは発端だとか
  ここから終結だとか意識しないですよね。
  意識しないで
  視聴者を満足させるのが
  うまさともいえます。
  新藤兼人さんは
  どの作品も三幕だと書いていますが
  私には
  なかなかわかりません。
  いつかわかるように
  なるのかな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  人生こそドラマ                   

 新藤兼人さんといえば、2012年5月に亡くなった日本の映画監督であり、名脚本家である。
 亡くなった時、新藤さんは100歳であった。
 99歳の時に監督した『一枚のハガキ』は2011年のキネマ旬報ベストワンに輝いている。
 そんな新藤さんが92歳の時に人生の前半を振り返って書いたのがこの本である。
 「監督人生」でなく、「シナリオ人生」というのが、新藤さんらしい。

 映画の世界に入りたいと願った若き新藤さんが最初に担当したのは現像の現場であった。監督とは大違いのその現場で新藤さんは黙々と働く。そのあと、美術部にはいり、より撮影現場に近いところで仕事をするようになる。その合間合間に脚本を書き続ける。
 そうして、師となる溝口健二と出会う。
 溝口に「何か書いてみなさい」と言われ、勇躍持参した脚本を溝口はこう言い放つ。
 「これは脚本ではありません。ストーリーです」。
 新藤さんに大きな試練が訪れる。
 そんな新藤さんがやがて日本映画有数の脚本家になっていくには、ある発見があった。
 それが「ドラマは三段階」で出来ているということだ。

 三段階、すなわち発端、葛藤、終結。
 よく物語の構成として、起承転結ということが言われるが、新藤理論はもっとわかりやすい。
 新藤さんのこの理論は現在のシナリオ作りにも実践されている。
 実は、この本は新藤さんの自伝のようなものだが、新藤さんの長い人生のほんの始まりだともいえる。
 ここでは戦争が終わった頃までが描かれているだけだ。
 その後の新藤さんの映画人生も面白いのだが。
 でも、ここまででも十分、発端、葛藤、終結の三段階である。

 新藤さんはドラマについて、「あとがき」にこうも書いている。
 「あらゆるドラマは破綻をはらんでいる。それはなぜか。ドラマはつねに未知の世界を目ざしているからだ。破綻のない安全なドラマは人間が躍っているだけだ」と。
 本当の映画の現場で働けない苦悩、愛する妻の早すぎる死、そして無理強いされた軍隊への入隊。
 新藤さんの人生もまたドラマそのものだ。
  
(2015/07/03 投稿)

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