08/31/2015 わたしの菜園日記(8月29日) - 「やさいの時間」9月号にダイコンが載っています

月の初めは猛暑の連続で
毎朝畑の水やりに行っていましたが
後半になって
ガクッと温度も低めで
10月並みだとか聞くと
猛暑のことも忘れてしまいます。
ましてや、
雨も続いて水やりも必要ないし
夏野菜の収穫も終わったし、
先週の畑は一服。
土曜日(8月29日)の雨の畑など。
これは、ラッカセイ。

こちらは、サトイモです。


始まります。
ダイコンとかミニハクサイを栽培するのですが
NHKテレビテキスト「やさいの時間」9月号(NHK出版・669円)の特集は
「地方ダイコンを育てる!」です。

ダイコンの種蒔きの旬。
「大根蒔く」というが、秋の季語にちゃんとあります。
大根をきのふ蒔きたる在所かな 大峯 あきら
ダイコンにもいろんな種類があるんですね。
代表的なものは練馬ダイコン。
東京の世田谷近郊の大蔵ダイコンもおいしい。
青首ダイコンは愛知の宮重がルーツだとか。
そういえば、ちょっと昔、
ダイコン足って女性の脚を蔑んだ言い方をしていましたが
最近言わなくなりましたね。
女性の脚がそれだけきれいになったってことですね。
でも、白くてぽっちゃりしたダイコン足も
いいですが。

香味野菜とハーブを特集。
ミツバとかローズマリーとか。
ハーブもいいですよね。
なんとなく上品そうじゃないですか。
菜園を始めて思うのですが
知らない野菜が世の中にはたくさんあって
そういう野菜を栽培していくのも
面白いんじゃないかな。

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08/30/2015 パンやのろくちゃん なつだよ!(長谷川 義史):書評「マネはしないで」

学校によっては
すでに2学期が始まっているところも
あるかもしれませんね。
それでも9月1日から2学期という
子どもが多いかな。
となると、
今日が夏休み最後の日曜日ということで
最後に楽しいことをしたいけど
夏休みの宿題におわれているという
子どもたちもたくさんいることでしょう。
絵日記はちっとも書いていないという
子どもたちのために
今日紹介する
長谷川義史さんの『パンやのろくちゃん なつだよ!』は
夏を思い出すのに
ぴったりの絵本です。
『パンやのろくちゃん』シリーズの絵本は
短いお話が四つもはいっていて
絵本の構成としては
面白いですね。
相変わらず長谷川義史さんの
ユーモラスは健在だし。
さあ、子どもの皆さん。
しっかり宿題を終わらせましょうね。
じゃあ、読もう。

夏休みもそろそろ終わり。
子どもたちは宿題で大忙し。「ねえねえ、お母さん、この夏何をしたっけ、ぼく」なんて聞いている子どもはいないでしょうね。
誰も教えてくれないよ。
それでも、思い出せない時は、長谷川義史さんのこの絵本を読んでごらん。何かのヒントになると思うよ。
「かおがパンパン パンやのろくちゃん」が主人公のこのシリーズは、パン屋の子どもろくちゃんと商店街のお店の人たちの交流を描いて人気ですが、今回の絵本には夏のお話が四つも収められています。
「なつまつりのきんぎょすくい」「ゆきちゃんさそってプールにいって」「きもだめしでがんばって」「はなびたいかいにでかけたよ」。
どれも夏の行事を舞台にろくちゃんの変な活躍が楽しめます。
金魚すくいは、たくさんの子どもたちがしたのではないかな。逃げる金魚を追いかけても、すぐに破けてしまった経験はきっと誰にもある。ろくちゃんの場合は、お母さんに一回しかしてはいけないという約束をお父さんと破ってしまうのだけど、金魚すくいって子どもだけでなく、大人も夢中になるよね。
そんな光景、見なかった?
そういうのが、面白い絵日記になったりするのじゃないかな。
花火のお話は切実。だってろくちゃんがおしっこしたくなって、トイレに行くのですが、長い順番待ちの列が出来ていて、とうとうおもらししちゃう話。まさか、そんな子どもはいないでしょうが、いたとしてもそれは絵日記には書けないよね。
やっぱり書くとしたら、きれいな花火を見ましたぐらい。でも、長谷川さんの絵本にあるように、花火の音ってとても大事ですよね。 「ドドドドドドドド ドドドドドドドドン ドーン!」
きっと耳にした時は、もっとたくさんの音が聞こえたはずだよ。そんなところに工夫をしたら、先生にほめられるんじゃないかな。
この絵本はそんなふうに子どもたちの夏そのもの。大人の読者には懐かしい夏かもしれません。
でも、これはあくまでもパンやのろくちゃんの夏のお話。
そっくりマネするのは、よくないからね。
(2015/08/30 投稿)

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08/29/2015 流(りゅう)(東山 彰良):書評「これぞ、青春小説」

「オール讀物」9月号に掲載されていた
第153回直木賞の「選評」を読んで
驚いた。
9人の選考委員全員が
東山彰良さんの『流』を絶賛しているのだ。
選考委員の一人、東野圭吾さんの選評は
「いきなり満票」というタイトル。
書き出しはこうだ。
こんなこともあるのだなと驚いた。
ヨーイドンで○が九つ揃い、『流』で満場一致。
あっけなく決まってしまった。
こういう受賞作も珍しいのではないだろうか。
私の書評は少し前に書いたもの。
戦後70年談話が発表される前に書いたので
書き出しがこんな風になっている。
もちろん、だからといって
この東山彰良さんの『流』の
青春小説の本流ということには
変わらない。
この長い小説を読まれる方は
ぜひ直木賞の選評も
読んでもらいたい。
こちらもうれしさからか
躍動している。
じゃあ、読もう。

戦後70年という節目の今年、昭和29年生まれの、それは戦争が終わってわずか9年という年でもあるが、この国のリーダーがどのような「談話」を公表するか衆目を集めている。「戦争を知らない子供たち」の一人であっても、彼が刻んできた時間はやはり固有のものなのであろう。
歴史は歴史として、それでも人は自身の時間を生きるしかない。
戦後の台湾に生きる一人の青年の波乱万丈な生き方を描いて第153回直木賞を受賞したこの作品も、中国と台湾という二国間の難しい歴史の流れにあって、主人公葉秋生(イエ チョウシェン)固有の物語である。
太平洋戦争後の台湾は日本の敗戦により平和になったというより、より混沌とした歴史を有している。かつて中国本土で多数の村民を殺戮したこともある荒くれ男秋生の祖父尊麟は中国共産党に追われて台湾に渡った外省人である。
「心はいつも大陸」にある祖父たちの世代を戦後台湾で生まれた秋生は「不可解ながらも理解」していたつもりだった。
そんな祖父が蒋介石の亡くなった同じ1975年に惨殺される事件が起こる。
浴槽に沈む祖父の死体を最初に発見したのは、17歳の秋生。秋生には祖父が惨殺された理由がわからない。たどればそれは祖父自身のことであり、祖父が生きた歴史であり、さらにいえば自身の根そのものだといえる。「理解」ではなく、自身のものにしようと秋生は奔走していく。
秋生は、祖父の人生をたどることで歴史の流れとそれに翻弄されても生きて行く人々の姿を見ることになる。
この作品の魅力は、重厚な歴史が巻き起こす祖父殺し犯探しのミステリーだけではない。
主人公秋生の、切ない恋であったり、無邪気な暴力行為であったり、行く手の定まらない日常といった、青春の日々のなんと生き生きしていることか。
誰にしもある、振り返れば甘くて苦い時間。そんな時間を経て、人は大人になっていくのだということを、この物語は思い出させてくれる。
歴史という大きな流れに流されつつも、人は自身の固有の物語を生きるしかない。
これは青春小説の本流である。
(2015/08/29 投稿)

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08/28/2015 雑誌を歩く - 「オール讀物」9月号:『火花』だけじゃなく直木賞『流』もいいですよ

又吉直樹さんの『火花』が注目されすぎて
残り2作が霞んでしまっている感がありますが
「オール讀物」9月号(文藝春秋・980円)は
第153回直木賞発表号で
全選考委員満場一致の受賞となった
東山彰良(あきら)さんの『流(りゅう)』の抜粋と
選考委員の選評が掲載されています。
そちらの方は
明日私の書評とともに
紹介したいと思います。
この号には
池上冬樹さんの「多彩なる東山ワールド」と
題された
全作品解説付きの評論も掲載されています。
『流』で東山彰良さんのファンになった方には
必読ですよ。
もちろん、恒例
受賞作家による「自伝エッセイ」や
先輩直木賞作家葉室麟さんとの対談など
直木賞もがんばっているのです。

もう少し歩いてみましょう。
「オール讀物」9月号の小特集は
「伝統の生きる」。
歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんのインタビュー
「芸を伝えていくこと」が読み応え十分。

南伸坊さんの人気連載
「今月の本人」。
これって毎回南伸坊さんが
その人になりきりメークで読者を大笑いさせてくれるのですが
今回は夏の甲子園で注目を集めた
清宮幸太郎君。
なんと肩書きに「自信家」とあるには
笑ってしまいました。
この記事だけでも
今月は読む価値ありですよ。

東山彰良さんの『流』をお楽しみに。

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08/27/2015 ナイフの行方(山田 太一):書評「山田太一の、ひとつの答え」

昨日倉本聰さんのシナリオ本を
紹介しましたが
今日は山田太一さんの
シナリオ『ナイフの行方』です。
山田太一さんといえば倉本聰さん以上に
人気の高いシナリオ作家です。
代表作はNHKで放映した「男たちの旅路」。
こちらも今日本映画専門チャンネルで
放映されています。
小説『異人たちの夏』を書いた作家でも
あります。
このシナリオのドラマは
残念ながら観ていませんが
いいシナリオは
読むだけで
映像が浮かんできます。
ちょっとまた
追いかけたい作家です。
じゃあ、読もう。

これは2014年12月に、2夜連続でNHK総合テレビで放映されたテレビドラマのシナリオ。
いま、このようにシナリオだけ一冊の本になる作家はほとんどいないのではないかしら。山田太一はそういう点でも、稀有なシナリオライターといえる。
主となるシナリオのほかに、このドラマのプロデユーサーだった近藤晋による「回想シーンがまったくない“傑作”」と山田太一へのロングインタビュー「正義がどこにあるのか、分からない時代に」が収められている。
ドラマは、かつて青年海外協力隊の経験がある拓自という老人が自暴自棄になって自分にナイフを突きつけてきた青年次男と生活をともにすることで自身が経験した惨たらしい内乱の様と向き合い、生きることの意味、正義のありようをみつめる物語である。
近藤はこの作品のすばらしい点は「回想シーンがまったくない」ことだと書いているが、セリフだけで拓自という老人が経験したことを再現しているのだから、確かに最近のドラマでは珍しいかもしれない。
その分、そのシーンでの拓自のセリフは長くなっている。ドラマではこの役を松本幸四郎が演じたらしいが、これだけのセリフをしゃべれる役者も少なくなっているともいえる。
近藤の山田作品への評で「いつも凛として、人間を追っている」と表現している。
このドラマでいえば、拓自という主人公がまさにそうだ。青年次男に何かを教えるでもなく、かつて自身が見た何かに憑りつかれて命を捨てていった若者と次男を重ね、静かに次男を変化させていく。
いまどきそんな人間がいるのかわからないが、きっと山田太一の中では、変わることのない人間像なのだと思う。
また近藤はこうも書いている。
「大事なのは、「自分が存在するこの時代」に「どう生きるか」」、それを山田太一は一貫して描いてきたのだと。
それは、山田太一へのロングインタビューのタイトルと呼応しあう。
まさに私たちは「正義がどこにあるのか、分からない時代に」、ナイフと向かいあっているのかもしれない。
そして、この作品は山田太一の、ひとつの答えでもある。
(2015/08/27 投稿)

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08/26/2015 北の国から 前篇(倉本 聰):書評「あ~あ、ああ~あ」

日本経済新聞の人気コラム
「私の履歴書」は
先月の浅丘ルリ子さんに続いて
今月は脚本家の倉本聰さん。
倉本聰さんといえば
代表作は「北の国から」ですが
いよいよ今週そのドラマのことが
「私の履歴書」に登場しました。
倉本聰さんいわく、
このドラマを貫くコンセプトは
「小さな一家の大きな愛の物語」だったそうです。
ちょうど日本映画専門チャンネルで
その再放送がされています。
純君(吉岡秀隆さん)、蛍ちゃん(中嶋朋子さん)の
可愛いことといったらありません。
そこで今日は
そのシナリオを紹介します。
書評タイトルの「あ~あ、ああ~あ」は
さだまさしさんの歌のつもりなんですが
わかったかしら。
じゃあ、読もう。

「この本は、テレビドラマのシナリオです」と、この本の冒頭の「読者へ」という文章の中に倉本聰さんは書いています。
「北の国から」といえば、1981年10月から翌年3月まで金曜の夜に放映された人気ドラマで、翌年以降はスペシャルドラマの形で2002年まで放映されました。倉本さんの代表作のひとつです。
舞台となった北海道富良野はその後有数の観光地にもなりました。
この本はそのドラマの前半12回分のシナリオが収められています。
「読者へ」という文章に戻ります。
倉本さんはシナリオは「普通の小説を読むのとはちょっと違って最初はとまどうかもしれません」と書きつつ、「シナリオを読むことに馴れてみてください」としています。
「ただ読むだけではない、創るよろこびをも同時に持てるでしょう」という言葉で、終えています。
シナリオはよく設計図だと言われます。
どういうことかといえば、シオリオを読んで演出家は表現を考えます。役者は演技を考えます。大道具はどんな場面なのか組み立てます。衣装はどんな服を着たらその場面にあうかを考えます。
そのすべての基が、シナリオなのです。
いいシナリオはきっと読むだけでいろんな役割の人が動きやすいそういうホンなのかもしれません。
この「北の国から」の場合、すでに見たことがある人なら真っ先に浮かんでくるのが、さだまさしさんのスキャットかもしれません。あの唄が流れれば、もうそこは「北の国から」の世界ではないでしょうか。
妻の浮気をきっかけに東京を引き揚げ、自身の故郷北海道富良野に戻る五郎。純と蛍という小学生の息子と娘を連れています。
ファーストシーンはその妻である令子とその妹雪子の会話です。
浮気をして離婚させられた令子が「あの人には東京が重すぎたのよ」というセリフがあります。「あの人」というのは五郎のことです。
とても、重いセリフだと思います。この短いセリフに、主人公の五郎が背負ってきたもののすべてが込められているような気がします。
ドラマが放映されてから34年経ちました。もう五郎のような人はいなくなったような気がします。
(2015/08/26 投稿)

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08/25/2015 佐治敬三と開高健 最強のふたり(北 康利):書評「「人間」らしくやりたいナ」

書評にも書きましたが
今日紹介する北康利さんの
『佐治敬三と開高健 最強のふたり』を読んでいる時、
画家の柳原良平さんの訃報を
聞きました。
開高健と柳原良平さんがつくった
アンクル・トリスの世界は
昭和の広告を論じる時には
欠かせない傑作でしょう。
ウイスキーの話でいえば
大学生の頃に飲んでいたのが
ホワイトかレッド、
角瓶を飲めればいい方でした。
ましてや、オールドなんて。
オールドを飲めた時は
うれしかったなぁ。
自分で買ったのは
会社勤めをしてからではないでしょうか。
それでも今も角瓶ですから
あまり学生時代から変わっていませんね。
ホワイトよりは暮らし向きは
よくなったかな。
柳原良平さんのご冥福を
お祈りします。
じゃあ、読もう。

サントリーの代名詞ともいえる「アンクル・トリス」を生みだした柳原良平氏の訃報が、奇しくもサントリーの二代目として辣腕を奮った佐治敬三とその畏友でもあった開高健の評伝である本書を読んでいる時にはいってきた。
8月17日のことだ。
開高が作ったという「「人間」らしくやりたいナ」のコピーとともに昭和36年の傑作広告の図版が本書にも収録されている。柳原の「アンクル・トリス」とともに。
そして、柳原のサントリー入社のことも数行ではあるが、ここに描かれている。
開高がいなければ、いや佐治がいなければ柳原の活躍の場もうんと狭まっていただろう。柳原の訃報は、あらためて佐治や開高の人間としての深さと広さを思い出させてくれるとともに、人間にはこうした出会いがその人の一生を左右することもあるのだと思い知ることになる。
もし開高健という稀有な作家がいなければ佐治敬三の人生はちがった光景だったろうし、もし佐治敬三がいなければ開高健という作家は生まれなかったあるいはその作品はちがったものになっただろう。
北康利の大部の評伝となったこの作品は労作であるし、魅力的でもある。
取り上げられた佐治にしろ開高にしろ、人間的な魅力を十分にもった人たちだから、その評伝が魅力的になって当然なのだが、北の筆はその魅力がどう創られたいったか、丁寧に細部まで書き込まれている。
サントリー(当時は寿屋)の創業者鳥井信治郎がどうして二男であった敬三を佐治家に養子に出したのか。巷間言われているように佐治は母親方の縁者ではなかったという真実には驚かされたし、開高の死後彼と情愛をもったという女性が自死したという話も目を開かされた。
そういう話をきちんと書かないことには、人物が立ち上がってこない。
だから、北の取材は徹底的だ。まさにそれがこの本の魅力になっている。
当初「佐治敬三伝」を書こうとしていたと、北はいう。その中で開高健の存在を外せないことに気が付く。外せないどころか、対として書かなければならないことに北が気付いた時点で、この作品は実に見事に昭和という時代を駆け抜けた男たちの姿をとらえたともいえる。
労作であり、好著であり、傑作でもある。
(2015/08/25 投稿)

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08/24/2015 わたしの菜園日記(8月22日) - 秋冬野菜の畝づくり

二四節気の一つ、処暑。
まだまだ残暑が厳しいですが
暦の上では暑さが収まってくる頃。
水平にながれて海へ処暑の雲 柿沼 茂
そんな中、
いよいよ秋冬野菜の準備の畝作りを
土曜と日曜にかけて
行いました。
下の写真はその前のもの。

さあて、これがどうなりますか。

最後の収穫を終えて
数えたら、
なんと161本

ありがとうね、キュウリくん

その記念に
掘り起こしたキュウリの根をごらん下さい。

こんなにも根を伸ばしていたんですね。
いやあ、よく頑張った、頑張った。
ピーマン

こちらも59個

大満足。
ナス

今回は残します。

家に持ち帰って栽培を続けます。
問題はオクラ。
一つの畝に空芯菜とオクラを栽培していたのですが
ここは畝を作らないといけないので
オクラをしばらく使わないところに
移植することにしました。
どうしても移植をすると
野菜は弱るので
成功するかどうかはわかりませんが
せっかく花も付けたので
挑戦してみます。
名づけて



残暑もあって
かなりきつい作業になりました。
水はガポッガボッ、
汗はダラダラ、
疲れました、さすがに。
できたのが、
下の写真。

さすがに移植したオクラはしょんぼりしています。
おなじみ黒マルチの下で
しばらく土をなじませて
苗や種を植え付けるのは
9月の上旬。
大根とかミニ白菜、キャベツなどを
育てていきます。

ベランダでも栽培していて
前回までにオクラの子をご覧いただきましたが
ついに収穫しました。


断面をみると
やはりオクラですね。
当たり前か。

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昨日紹介しました
西村匡史さんの『悲しみを抱きしめて』という
本の帯に
こんな言葉が記されています。
「あの人は私の心で生きている」
日航機墜落事故とか東日本大震災といった
大きな事故や災害で
たくさんの犠牲者が出て
どうしても悲しみの度合いの大きさに
立ち尽くしますが
愛する人を喪うのは
それだけではありません。
病気で亡くす、
事故で亡くす、
その形はさまざまです。
それでも喪うということに変わりはないし
その悲しみは同じでしょう。
今日紹介するレベッカ・コッブの絵本
『おかあさん どこいったの?』も
お母さんを亡くした男の子の物語。
この絵本のお母さんも
きっとこの男の子の心で
生きているのでしょう。
じゃあ、読もう。

愛する人を喪うのはつらい。
そういう人にどう声をかければいいのか、そばにいてもわからない。
それが小さい子どもであれば、余計につらい。
この絵本は、愛する人を喪う悲しみ、それを克服していく過程を描いている。
雨の告別式が最初の場面。たくさんの参列者の傘の列。父親に抱かれて小さな男の子。そしてそのお姉さん。
「おかあさん、どこに いっちゃったんだろう?」
男の子はお母さんの死が理解できない。
家の中をさがしても、お母さんはいない。お墓の花を替えにいっても、枯れている花を見て、お母さんは取りに来ないと、思うほど幼い。
男の子はもしかしてお母さんが戻ってこないのは、自分のいたずらのせいかと心配する。
ある日、お父さんにお母さんはいつ帰ってくるのってたずねてみた。
お父さんは、男の子にお母さんは死んで天国に行ったのだと教えてくれたが、男の子は天国がどこにあるのかわからない。
でも、しだいに男の子はお母さんがいなくても、お父さんやお姉さんとやっていかないといけないのだとわかるようになっていく。
男の子の大好きだったお母さんはもどってくることはない。
悲しみを小さくしていくことだけ。
男の子は少しずつお母さんの不在を受け止め、残された家族との暮らしを受けいれていく。
イギリスの絵本作家レベッカ・コッブは色あざやかな色彩を使いながら、しかもハデにはならないようにして、愛する人を喪ったものがどのようにして立ち直っていくかを見事に描いた。
日本語訳を担当したおーなり由子はこの絵本の最後にこう記している。
「のこされたひとは、生きていかなくてはならない。(中略)わたしは、くりかえす毎日の、なんでもない時間にたすけられました」。
もちろん、何年経っても何十年経っても、悲しみは消えないだろう。それでも少しずつ残された人は前に向かうしかない。
子どもたちにこの絵本が伝えたいことを教えるのは難しいかもしれないが、きっと子どもたちにもわかるだろう。絵本は心に届くはずだから。
(2015/08/23 投稿)

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08/22/2015 悲しみを抱きしめて(西村 匡史):書評「あれから30年」

今年、2015年は
1985年8月12日に起こった日航機墜落事故から
30年めにあたる。
今日紹介する西村匡史さんの
『悲しみを抱きしめて』は
副題に「御巣鷹・日航機墜落事故の30年」とあるように
この事故のその後を取材した記憶である。
この事故の犠牲者は520名。
未曾有の事故であった。
しかし、その中奇跡的に助かった人がいた。
その中の一人川上慶子さんのお兄さん川上千春さんが
今月発売された「文藝春秋」9月号に
「妹・川上慶子と私の三十年」という手記を
掲載している。
川上千春さんは奇跡的に助かった慶子さんのお兄さんであるとともに
父親、母親、もう一人の妹を喪った
遺族でもある。
世間の目がそそがれる中、
戸惑いながらの30年であったことが
この手記では綴られている。
遺族だからしっかり生きないといけないのではない。
遺族ゆえの苦痛もある。
そのことを川上千春さんの手記は語っている。
だれもが生きることを願ったであろう、あの日から30年。
これからも
私たちは亡くなった人たちのことを
遺された人たちの悲しみを
忘れてはいけない。
じゃあ、読もう。

1985年8月12日に起こった日航機墜落事故の時、大阪に住んでいた。事故からしばらくして、お店をしている夫婦がいて、日航機の事故で被害に遭われた家族みたいなことも聞いた記憶がある。あの夫婦はどなたが犠牲になったのだろう。今はどうされているのだろう。
30年が過ぎた。
「まわりながら急速に降下中だ/本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」。
今年(2015年)、あの事故から30年ということで多くの新聞やTVで特集が組まれていた。被害者の一人河口博次さんの、この機中で書いた遺書も多く取り上げられていた。その都度、涙が止まらなかった。
どんなに悔しかったことだろう。どんなに怖かったことだろう。けれど、河口さんは感謝の言葉で終えた。残された家族の悲しみは計り知れないが、素晴らしい父親であったことに感謝もあっただろう。
事故当時まだ8歳だった著者が、TVの報道という仕事に携わって、その後遺族の方々と交流を結んで一冊の本にした。事故のことなど記憶にないはずだ。けれど、こうして遺族の方々の心に寄り添い、あの時のことを書き遺そうとする心映えがいい。
これからもあの事故のことを知らない人たちが増えていく。事故のことが風化していく。
それでも、著者の西村匡史氏のように、事故のことを書きとめようとする若い人が現れる。私たち読者もそのことをしっかりと受け止めないといけない。
西村氏が日航機墜落事故と寄り添うきっかけになったのは、本書の第1章で紹介されている田淵夫婦との出会いだった。
田淵夫婦はこの事故で3人のお嬢様を亡くされている。取材を拒否する田淵夫婦に西村氏は何年も寄り添っていく。取材という報道関係者が持つ意気込みはあっただろう。
しかし、西村氏は田淵夫婦のその後を取材していく中で、単に伝えることだけではない思いを知ることになる。
田淵夫妻だけではない。
墜落現場となった上野村の人々、加害者である日航社員の人たち、遺族会のメンバー、そして遺族となった多くの方々、西村氏は報道という立場ではなく、一人の人間としてこの大惨事に付き合ってきたのだ。
これからも、この事故がもたらした悲しみを風化させてはいけない。
(2015/08/22 投稿)

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08/21/2015 ユーミン・陽水からみゆきまで(富澤 一誠):書評「あの年この歌」

毎週金曜の夜、
つまりは今夜ですが
BSジャパンで夜11時から放送されている
「あの年この歌〜時代が刻んだ名曲たち〜」という番組を
楽しく見ています。
アルフィーの坂崎幸之助さんと高見沢俊彦さんが
交互にコメンテーターとして登場。
進行役のテレビ東京の佐々木明子アナウンサーが
いいですね。
そこで解説をしているのが
今日紹介する『ユーミン・陽水からみゆきまで』の著者
富澤一誠さん。
この番組では
その時代時代に流行った歌を取り上げているのですが
やはり青春時代だった
1975年前後の歌はよく覚えています。
この本でも
その時代の歌が多いですから
夢中になっって
一日で読了してしまいました。
あの時代のベストワンは
やっぱり井上陽水の「心もよう」かな。
じゃあ、読もう。

もう40年前になる。大学生の頃、中島みゆきの歌を聴いていたら、暗い曲だねと言われてことがある。その時、本当は山崎ハコというもっと暗いシンガーにはまっていたのだが。
そういえば、と思い出したことがある。ユーミンがテレビで特集されて時のことだ。テレビの前にカセットを持っていって、録音したことがある。周りの家族には静かにしてもらって。
まるで、少し前の青春映画みたいだ。
そんな場面にいつもカセットプレイヤーがあった。もちろんラジオもはいる。FM放送でよく録音したものだ。その頃の私がもっていた唯一の音楽プレーヤーだ。
そんな時代に聴いた歌。そんな時代に一緒だった歌。
音楽評論家富澤一誠がこれまでの「傍観者」としてではなく、その時代の「当事者」として綴った、音楽極私的評論集が、この本である。
この本に登場するミュージシャンはユーミン、岡林信康、吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫、さだまさし、アリス、松山千春、小田和正、そして中島みゆきの、1970年前半に登場し、私たちを夢中にさせた10人である。
それに、若き日の「フォーク評論家」富澤一誠だ。
そして、今やおそらく60歳を超えた私たち「読者」の青春の群像だ。
もちろん、小椋桂がはいっていないとか高石ともやははずせないとか、加川良は、とか個人的な好みはあるだろうが、この10人はどうしてもはずせないような気がする。
歌の流れでいえば、ユーミンこと荒井由美の登場はそれまでのフォークソングの大きな流れを一気に変えた事件であった。この時からニューミュージックという大河になっていく。
でも、あの時代は歌が同伴者だった。
文学的にいえば、太宰治の文学に似ていた。読んでいる(聴いている)私だけに語って(唄って)くれた。手を伸ばせば、歌と肩を寄せ合えた。歌が背中をとんとん叩いてくれた。
ユーミンが作詞作曲した「いちご白書をもう一度」のように、就職をして長い髪を切った時から、私たちは彼らの歌をどこかで切り捨てていったような気がする。
どんなにしても、中島みゆきの「麦の唄」は、「時代」にはなれないのだ。
(2015/08/21 投稿)

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08/20/2015 鳥辺野心中(花房 観音):書評「幽霊飴」

この夏京都に遊びに行った人も
多いと思います。
そういう時は
「るるぶ」とか京都観光を特集した雑誌を
持っていきますよね。
できたら、
花房観音さんの本を
一冊持っていくのもいいですよ。
何しろ花房観音さんは
京都観光検定も持っているぐらいですから。
今日紹介する『鳥辺野心中』も
清水寺あたりのいいつたえなども
満載の
観光案内、
いえちがいました。
花房観音さんらしい女性の文芸作品。
旅行カバンにいれていて
友だちから
あら、これって官能小説じゃないなんて言われたら
京都観光ガイドよって
説明して下さい。
けっして、嘘ではありません。
じゃあ、読もう。

「幽霊飴」という話が、京都を舞台に作品を発表し続けている花房観音のこの作品に出てくる。
その昔、飴屋に飴を買い求める女がいて、それを訝しんだその店の主がある夜、そっと女の後を追うと、墓場の中に姿を消してしまう。と、墓の中から赤ん坊の泣き声。掘り起こしてみると、赤ん坊は飴を食べて生きのびていたという話。
よく似た話は全国にあって、確か小泉八雲も書いていた。
花房が紹介しているのは、京都六波羅にあると書かれているから、おそらく「みなとや」というお店のことだろう。正式には「幽霊子育飴」という。
怪談めいているが、死んでも子どもを守ろうとした母の愛が教えとなっている。
この物語に母の愛が描かれているかといえばそうではない。
花房は「幽霊飴」の挿話のあと、この女は「子どもへの執着」が執念深くて怖いと、主人公である中学教師の樋口の同僚の女性教師に語らせている。
「子どもへの執着」は女性が持つ特別なものかもしれない。母性と書けば聞こえはいいが、執着となれば男性は身をひくだろう。
樋口にしてもそうだ。何をしてもパッとしない樋口だが、同じ教師であるまり子に積極的にアプローチされる。まり子は子どもが欲しくて、樋口と結婚する。
そういう出産願望は男性にはない。
ひたすら男性の精子を求め、出産だけを望む女性というのは、「幽霊飴」以上に怪談めいている。
樋口は事情のある教え子音葉と卒業後再会し、関係を結ぶことになる。しかし、まり子にすべてを知られ、音葉との関係は終わりを告げるが、その時音葉の胎内には新しい命が宿っていた。
音葉に関係の修復を迫る樋口に、彼女はこう答える。「もう、先生はいらんねん。必要がない。この子さえ、おってくれたらええ」。
ここでも、樋口は子どもを授ける道具に過ぎない。
子どもを産めない男性には到底わかりえない世界観かもしれない。
死んだ母親から飴をもらって生きのびた赤ん坊は成長して高僧になったと、「幽霊飴」の言い伝えは終わる。果たして、この男は女のどんな欲望を見たのだろう。
(2015/08/20 投稿)

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昨日は
小宮一慶さんの『一流の人は本気で怒る』を
紹介しましたが、
今日は「気配り」ということで
横浜市長の林文子さんの
『ちょっとした“気配り”で仕事も人間関係もラクになる!』を
紹介します。
以前林文子さんには
仕事の関係で講演をお願いしたことが
あります。
その時林文子さんは
今日の聴衆はどんな年齢の人ですか
男性が多いの、女性が多いのと
細かく聞かれました。
聴衆によって
話の内容や声の調子を
変えるのだそうです。
さすがプロですね。
この時の講演、もちろん盛り上がりました。
林文子さんは覚えているかな。
じゃあ、読もう。

横浜市長林文子。本書の著者である。林氏の経歴は本書の著者履歴にある。1946年東京生まれ。高校卒業後、数社のセールスレディを経て、BMW東京のトップセールスに昇りつめる。その手腕を買われ、経営に参画。2005年に経営破綻した大手流通業のダイエーの舵取りを任される。もっともさすがの林氏をもってしてもダイエーは浮上することはなかった。さすがに忸怩たる思いはあったのだろう、本書にはその当時のことは書かれていない。
しかし、林氏にとって全国規模のダイエーのCEOは大きな布石になったのだろう。ダイエーを退いたあと、いくつかの経営に携わって、2009年横浜市長となる。
ダイエーは浮上しなかったが、林氏は大きなものを手にいれたのではないだろうか。
林氏の話は人を魅了する。林氏の話に目の色を変えて耳を傾ける人は多い。特に女性、年齢を重ねた女性だけでなく、若い女性も林氏の話に夢中になる。
何故なら、林氏の語るエピソードに男性に虐げられていた頃の話があるからだ。男女雇用機会均等法が施行されても、実際の仕事の現場では女性の地位はまだまだ低い。そんな場にいる彼女たちにとって、林氏の話は共感できることが多い。
林氏はそういう点では「人たらし」だろう。本書では「気配り」と書かれているが、「人たらし」の極意書なのかもしれない。もっとも、そう書かないところが、林氏らしいともいえる。
林氏は「気配りとは、相手の立場に立ち、相手が「してほしい」ことをしてさしあげる気づかい」と書く。
そういえば、「人たらし」で有名な豊臣秀吉の若い頃の逸話で、織田信長のぞうりを懐で温めたというものがあれば、あれなどはまさに「気配り」の最たるものだ。
そして、林氏は「大切なのは、その人に関心をもつこと」とも記しているが、特に上司であれば部下への関心がその人のモチベーションを高めることを知っておくべきだろう。
林氏には天性として備わっている素養なような気がする。
林氏が今後どのように活躍の場を広げていくかわからないが、きっと林氏の「気配り」術は変わらないだろう。
なぜなら、林氏は偉大な「おばちゃん」そのものだから。
(2015/08/19 投稿)

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08/18/2015 一流の人は本気で怒る(小宮 一慶):書評「「怒る」ことにけっして臆病になってはいけない」

長い休みがあると
どうしてもダレてしまいます。
そういう時こそ
ビジネス本を読んで
気持ちを高揚させるのもいいのでは。
そこで今日は
小宮一慶さんの『一流の人は本気で怒る』を
紹介します。
ビジネスの現場で
難しいのは部下を叱ること。
あんまり叱り過ぎて
それってパワハラじゃありませんか、
なんて言われないようにしないと。
でも、
本気だったら声を荒げたくなりますよね。
机も叩きたくなります。
要は、どこまでその本気度が
相手に伝わるかではないでしょうか。
じゃあ、読もう。

仕事の現場で「叱ることと怒ることはちがう」とよく聞かされたし、そうも言ってきた。
「叱る」のは相手を諭す、「怒る」は自分本位。だから、「怒る」はしばしばパワハラにもなっていく、みたいなことを。
しかし、本書の著者経営コンサルタントの小宮一慶氏は、「怒ることと叱ることは区別できない」という。
「本当に相手のことを思うなら、感情をむき出しにして、「正しい怒り」をぶつけるべき」と書いている。叱る方に本気の覚悟があれば、怒ったとしても伝わるはずだし、そのことが何より相手のことを考えていることではないか、という小宮氏の意見はもっともだ。
但し、その時には両者には信頼関係があることが大事だろう。
本書には過去のりっぱな経営者たちの「叱る」逸話も多く紹介されているが、経営の神様松下幸之助に罵倒されその場で失神してしまった部下の話もあるが、そこには信頼関係があったというしかない。
「叱る」ことがヘタになった現代のビジネスマンは、「叱る」以前に部下との信頼関係が築けていないのかもしれない。
小宮氏は「正しく怒れてこそ、人は成功する」と書き、「正しく怒ること」は「正しく生きること」と同義ではないかとしている。
ビジネスの現場だけではない。教育の現場でも同じことがいえる。よくないことをしている生徒を怒れない教師の、なんと多いことか。あるいは、社会の現場でもそうだ。電車内のマナーの乱れは一向に収まることはない。それらは誰も怒らなくなったからだ。
怒って逆ギレされたらどうしょうというためらいが社会に蔓延している。
確かに現代社会は多様性を否定しない。けれど、「正しい」ことと「正しくないこと」は区別しないといけないし、そのことは多様性とは関係ないだろう。
そもそも小宮氏のいうとおり、「理解は偶然、誤解は当然」なのだから。
怒られることを経験してこなかった世代がこれからどんどんリーダーになっていくだろう。その時、彼らは次の世代を本気で怒ることができるだろうか。
「怒る」ことにけっして臆病になってはいけないと、この本は教えている。
(2015/08/18 投稿)

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08/17/2015 わたしの菜園日記(8月16日) - さよなら、夏野菜

今日からまた仕事という人も多いでしょうね。
まだまだ残暑は厳しい。
とはいえ、「残暑」はもう秋の季語。
朝夕がどかとよろしき残暑かな 阿波野 青畝

今日はそのオクラの子。

今週には食卓にのぼりそうです。

おしまい。
昨日(8月16日)菜園では秋冬野菜準備の
講習がありました。
まずは、大玉トマトとミニトマトを伐採。
結局、この夏、
大玉トマトは10個、
ミニトマトは487個

この畝には、ピーマンとナスがあるのですが
ナスを残してピーマンもおしまいにします。
まだ実があるので
来週まで残すことにしました。

キュウリもおしまい。
こちらもまだ実がつきそうなので
あと1週間残します。
でも、いずれにしても夏野菜はおしまい。
たくさんの楽しみをくれた君たちと
お別れしないといけないのはつらいけど
こればかりは自然の営み。
いくら残暑が厳しくても
秋はそこまできているのでしょう。
最後の記念撮影で、



また、来年、会おうな。

「バッタ」も秋の季語。
はたはたの脚美しく止まりたり 後藤 比奈夫

はたはたの背にまだ夏の光かな 夏の雨

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08/16/2015 いるの いないの(京極夏彦/町田 尚子):書評「ぎゃーあ!!」

気がつけば
夏休みも半分以上すぎてしまいましたね。
おじいちゃんやおばあちゃんのいる田舎から
戻ってきて
これから宿題しないとって
思っている子どもたちもたくさんいるでしょうね。
田舎のお家って考えれば
怖くなかったですか。
廊下を歩けばギシギシ。
天井裏をネズミがトコトコ。
電気冷蔵庫も夜中にはひとりブーン。
そして、
障子の向こうでなんだか黒い影が―。
今日は「怪談えほん」の一冊
京極夏彦さん作、
町田尚子さん絵の『いるの いないの』を
紹介します。
この絵本より怖いものがあるとしたら
それはきっと
宿題かも。
いつまで本なんか読んでるの!!
宿題たまってんでしょ!!
お母さんはもっと怖いかも。
じゃあ、読もう。

寝る前に絵本を読んでもらう。最後まで聞いていたためしがない。でも、なんだかとっても気持ちのいい気分になって、うまくいけば夢でもほんわかとした気持ちになる。
そんな経験をしたこと、ありませんか。
でも、この絵本はちがいます。
とってもこわい絵本です。
夜、寝る前にこの絵本を読んでもらったら、オメメはぱっちりして、最後に出てくる「すごく こわいかお」をした男の顔が忘れられなくなるかもしれません。
寝れるかな。
わるくすれば、夢にまで追っかけてきそうじゃないですか。
お母さん、今日、一緒に寝てもいい?
何しろ、この絵本の書き手はあの京極夏彦さんなんですから、怖くないわけがありません。
京極さんは「怪談之怪」発起人だったり、全日本妖怪推進委員会肝煎だったりするのです。きっと怖いものが大好きにきまってる。
それに加えて、町田尚子さんの絵がすこぶる怖い。天井の高い梁の上の「すごく こわいかお」をした男の顔の怖いことといったら。
そればかりではありません。猫の使い方がとても怖いんです。読み方によっては、田舎の猫好きなおばあさんの家に来た男の子の話ってことなのですが、たくさんの猫の一匹一匹の表情が恐怖感を忍ばせています。あるいは田舎の庭の間垣に掛けられているゴム手袋だって、人間の手にしか見えないのですから、ページを開くのも怖い。
都会暮らしになれた子どもにとっては田舎の家そのものに妖しいものを感じ取るかもしれません。この絵本の男の子のように。
おばあさんは「みなければ いないのと おんなじ」というけれど、男の子は「みちゃう。いるかもなと おもうと みちゃう。みたら。みたらみたら。」
― ぎゃーあ!!
怖がりの子どもは昼間に読みましょう。
もし、勇気を出して夜に読んでもけっして天井を見たりしないで下さい。
だって、この絵本から抜け出して「すごく こわいかお」した男が天井からこちらを見ていないとも限らないですから。
それにしても、怖い絵本です。
(2015/08/16 投稿)

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08/15/2015 映画「この国の空」のことなど

いつまでもいつも八月十五日 綾部 仁喜
昨夜「戦後70年談話」が閣議決定され
発表されました。
「侵略」や「おわび」といった「村山談話」を継承する
いい表現になっていたのではないでしょうか。
今日は、本ではなく
映画のことを書こうと思います。
先週から公開が始まった
荒井晴彦監督の『この国の空』のことです。

高井有一さんの原作の映画化ですが
挿入詩として
茨木のり子さんの『わたしが一番きれいだったとき』が使われているからです。
茨木のり子さんの詩を
どういう風に使うのか観たかった。

小津安二郎の映画を観ているような感じがしました。
特に主人公の里子を演じた
二階堂ふみさんの言い回しや表情は
原節子さんにそっくり。
かなり勉強されたのではないでしょうか。

映画評論家の白井佳夫さんの映画評が
掲載されていた。
その冒頭、
戦後も70年。天下国家のことを声高に言う戦争映画や、
戦争の悲惨を深刻荘重に描く映画などはもう力を失った、
という気がする。
戦争の時代を知る人間がほとんど居ない。従ってその概念的
総括は絵空事化する。今必要なのは往年の松竹大船映画の
ように「それを典型的な庶民の家庭の、家族の会話の範囲内で、
具体的に描く、鋭いリアリズム」でしか、普遍化のしようがないだろう。
と、記している。
松竹大船映画とは、小津安二郎の世界といっていい。
白井佳夫さんの評価は★4つ。

長谷川博己さんが演じた市毛という役どころだが
終戦間近でああいう男性がいたのだろうか。
その男にヒロインの里子が魅かれるのも
理解できなかった。
少なくとも
茨木のり子の『わたしが一番きれいだったとき』に詠われた「わたし」は
そんなふうではなかったはず。
・・・・・・・
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
・・・・・・・
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

月刊誌「シナリオ」9月号に
掲載されています。

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08/14/2015 運命を切り開く因果の法則(伊藤 健太郎):書評「まかぬタネは絶対、生えない」

今日紹介する
伊藤健太郎さんの
『運命を切り開く因果の法則』も
書評サイト「本が好き!」からの献本です。
この本に即していえば
何もしないで献本を頂戴しているわけではありません。
「本が好き!」からこんな献本がありますよって案内があって
あ、読みたいと思ったら
応募して抽選にあたるわけです。
応募が「原因」かもしれないし
それ以前に「本が好き!」からの献本情報が
「原因」かもしれません。
抽選に当たることが「結果」ともいえるし、
本を読んで書評を書くことが
「結果」ともいえるし、
もっといえば、この本を読んで
なんらかの智慧がつくことが「結果」かもしれない。
「原因」と「結果」とは
そう簡単には割り切れるものではありません。
やっぱり、生きていくのは
大変だ。
じゃあ、読もう。

人生とはままならない。
善い行いをしたからといっていい結果になるわけではないし、悪いことをしてものうのうと生活できたりする。運が悪いんだとあきらめるしかないことだって多々ある。
世の中原因があって、結果があるはずなのに、理解できないことばかりだ。
きっとこの本はそんな悩みを持つ現代人になんらかの道を示してくれるかもしれないが、頭では理解できても心がついていけないのではないかしらん。
最近野菜作りを始めた。手入れをしている方だと思う。ほとんど世話をしない畑もある。それなのに、成果となれば、世話しない畑の方があったりするのは何故だろうと考えることがある。
種を蒔くあるいは苗を植えるという原因があって、実がなるという結果がある。
しかし、この間には土壌であったり日照時間であったり害虫であったり、さまざまな要因(この本でいうならば「縁」)が関係してくる。実は手入れというのもひとつの要因でしかない。
もし、不作という結果しかもたらさなかったとして、そのことを嘆くよりも、その結果に至った原因に問題がなかったか(種や苗が不十分だったということも考えらえる)、育てる過程に問題がなかったかをさぐるべきだ。
他人の成果を羨んでも仕方がない。
手入れをしたこと自体は次に生かせるだろう。来年大きな実をつけるかもしれない。
本書の中に「「偶然」と呼んでいるものは、実は原因が「分からない」だけ」という記述がある。
「まかぬタネは絶対、生えない」。
道でばったり旧友に会ったとする。「偶然だね」と片づけてしまうことが多いが、どこかに何かしらの原因があるのだという。例えば、旧友の住居や行動範囲を考えれば、「偶然」は「必然」なのかもしれない。
そういうことがこの本にはたくさん書いてある。
生きていくことはうまくいくことばかりではない。そもそも、うまくいくって何だ?
多くの哲学者や宗教人たちは「いかに生くべきか」を考え、それでもやっぱり人生とはままならないのだ。それが人生、だが、されど人生。
「善因善果(善い行いをすれば、善い結果が現れる)」を信じて、今日も生きていくしかない。
(2015/08/14 投稿)

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08/13/2015 雑誌を歩く - 「ノジュール」8月号:帰省も見方を変えれば観光旅行

多いのではないかしら。
いや、今週からずっと休んでるよという
人もいるかも。
故郷の帰省したり
海や山にでかける人も多い。
水打つて暮れゐる街に帰省かな 高野 素十

「ノジュール」は
さすがに旅の発見マガジンですから
8月号では
「今が旬の最新美術館案内! 」ということで
「アートな街の美術館」を特集にしています。
表紙の写真は
金沢21世紀美術館。
「スイミング・プール」というアートらしい。
今回の「ノジュール」の写真、
わが家にあったダッフィーあしらえてみました。
アートですから。


「名画のある美術館」のページもいいですね。
秋になれば
一度は行ってみたい全国の美術館が
紹介されています。

“オモロイ”以上の物語がある 大阪時間旅行
そうです、大阪の特集です。
まずは、中之島。
浪人生の頃よく行きました。
デートじゃなくて、勉強にしに。
ホンマでっせ。
そして、堺。
高校が堺にありましたから
いやああの街が観光スポットになったの、
みたいな驚きがありますが
これがいい。
「さかい利晶の杜」なんていう
ミュージアムができてます。
もちろんこれは
堺が生んだ偉人
千利休と与謝野晶子にちなんだもの。
地元もりっぱだったんですね。
くいだおれ大阪だけあって
グルメの記事も満載。
帰省ではなく
観光に行きたくなります。

表情を変えます。
単なる帰省も
楽しい観光旅行になってしまう。
いやいや、
帰省しなくても
住んでる街も観光できたりする
そんな視点を持ちたいものです。

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08/12/2015 ぼくは愛を証明しようと思う。(藤沢 数希):書評「難破しないために」

今日紹介するのは
書評サイト「本が好き!」からの献本、
藤沢数希さんの
『ぼくは愛を証明しようと思う。』なんですが
この本の帯に
あの堀江貴文、ホリエモンさんがコメントを書いていて
それが
モテない大学生のとき読みたかった!!!
なんです。
それは私も同じですが
私が大学生の頃は
LINEなんてものも
スマホなんてものもなかったので
アドレス交換なんて
とてもとても。
精々電話番号を聞いたとしても
携帯電話なんてあるわけもなく
学生寮のピンクの電話で
胸ときめかして
電話するのがオチ。
もっともそんな時代でも
ひっきりなしに寮のピンクの電話を
独占していた先輩がいましたが。
いまさら
この小説を実践するには
もっと勇気がいるかも。
じゃあ、読もう。

「ナンパ」の語源は「軟派」だという。
女性との交際強要やおしゃれに気を使う男性を「軟派」と呼んで、その逆は「硬派」という。最近ではもっぱら女性に声をかける行為を指すことが多い。そういう時はカタカナ表記の「ナンパ」になる。
まさか「難破」という漢字をふることはないだろう。
もっとも最近は草食系男子が増えて、「ナンパ」男性にとっては競争相手が減ったとみるべきなのか。
本書の惹句に「恋愛工学を使った戦略的恋愛小説」とある。
物語の主人公渡辺君は付き合っていた彼女に振られ、非モテスパイラルに陥っている。そこに救世主のように現れたのが、仕事の付き合いがあった永沢さん。
渡辺君は永沢さんからモテるための個人レッスンを受けることになる。
永沢さんが示したのはひとつの方程式。
それが、「モテ=ヒットレシオ×試行回数」。
「ヒットレシオ」というのは最後までいける確率のこと。「試行回数」というのは簡単にいえばチャレンジする回数ということになる。
かくして、渡辺君のモー挑戦が始まる。
渡辺君は永沢さんの指導のもと、どんどんモテ度があがっていく。
この二人の言葉がふるっている。
「この東京の街は、僕たちのでっかいソープランドみたいなもんですね」
「ああ、無料のな」
でも、こんなことを女性に知られたらどうなるのか。まさか自分たちがソープランド嬢みたいに扱われていると知ったら、女性だって怒るにちがいない。
最後には渡辺君の野望は挫かれ、本当の愛に目覚めるのだが、あまりにうまくいきすぎて、ちょっと小説としては無理があるのではないだろうか。
一層のこと、ノウハウ本にした方がいいような気がするが。
しかし、こんな文章もある。
「単に理論を学ぶだけで恋愛スキルが改善されるわけではない。十分な量の演習をすることによって、はじめて理論が腹に落ち、それをものにすることができる」。
これってノウハウ本を読む極意だ。
書かれていることを実践して初めてノウハウが生きてくる。
では、書かれていることをまずは試してみますか。そう思いたくなるから、不思議だ。
(2015/08/12 投稿)

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08/11/2015 初夏の色(橋本 治):再録書評「東日本大震災をどこかで経験してしまった日本人

東日本大震災から4年と5ヶ月。
夏の全国高校野球が
今年100年ということで
話題を集めています。
出場校のひとつ岩手の花巻東高校の
千田京平君のことが
先日大きく取り上げられていました。
千田君のお母さんは
東日本大震災で亡くなったそうです。
当時中学生だった千田君は
「甲子園に応援に行きたい」という
お母さんとの会話を契機に
強豪花巻東高校に進路を決めたといいます。
そして、今回
お母さんが念願だった甲子園への出場を
決めたのです。
天国のお母さんも
千田君の活躍に喜んでいるでしょうね。
今日は橋本治さんの『初夏の色』を
再録書評で
紹介します。
じゃあ、読もう。

あの日。
2011年3月11日。東日本大震災があった日。
被災した東北地方の人々だけでなく、この国のたくさんの人が感じただろう思い。それは、老いた人々も若者たちも、男の人も女の人も、重苦しい、逃げることのできないものであっただろう。
この短編集の著者橋本治は、そのことを「東日本大震災をどこかで経験してしまった日本人」と、書いている。
私たちは、あの日を経験してしまったのだ。
そこから逃げることはできない。
経験してしまったことから、どう歩みだし、どんな日々を生きるか。
この短編集には6つの作品が収められている。2012年4月に発表された巻頭の「助けて」を始め、ほとんどは震災から1年めの2012年に書かれたものだ。
「助けて」は同棲中の男女の物語。大学時代からの知り合いだが、強い思いがあるわけではなさそうな博嗣と順子。卒業後放送局のアナウンサーとなった博嗣は東日本大震災のあと、取材で被災地を訪れる。
取材から帰ってきた博嗣は、被災の現実に追い詰められていた。酒を飲み、涙を流す博嗣の姿に揺れる順子。
実際に被災したわけではないのに、男は被災者以上に嘆き、悲しんでしまう。
その姿はあの日を経験した多くの日本人に共通したものだともいえる。
何もできないことの罪悪感。
それをいかに受け止め、そこから抜け出すために、主人公たちのようにパスタを食べるしかない。
唯一の書き下ろしである「団欒」は、まだ来ぬ、あの日から5年後の世界が描かれている。
大災害で大きな被害のあった酪農家一家。久しぶりに父と母と娘と息子が食卓を囲む。酪農業を黙々と営む父親、そのあとを継ごうと進路を変更する息子。
「周りが闇でも、明かりが点っているだけでいい。その光が生きる意志で、誰もがそれぞれに意志を持っている。四人で囲む食卓を明るくするのは、そのそれぞれの持つ意志の光だった。」
それはもしかした、この国の人々に共通する光かもしれない。
被災した人だけでなく、被災しなかった人も、あの日を「経験してしまった日本人」が持つ「意志の光」こそ、私たちが忘れてはいけないものなのだと、この短編集は教えている。
(2013/10/10 投稿)

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08/10/2015 わたしの菜園日記(8月5日) - ごほうびのスイカ

セミです。ミーン、ミーン。

蟬時雨もはや戦前かもしれぬ 攝津 幸彦
オクラの花です。

先週畑のオクラの花を「追伸」で
紹介しましたが
今週はベランダのプランター栽培のオクラに
花が咲きました。
朝起きて、
蕾だったオクラの花は
2時間かけて
花を咲かせました。
きれいですよね。

夏のイベントがありました。
自分たちの畑でとれた野菜をトッピングして
ピザを焼いたり、
アドバイザーさんたちがつくったスイカ割りをしたり
生ビール

かき氷を楽しんだり、
ヨーヨーつりをしたり
だいたい100人が参加しました。
下の写真は
その風景。

私は生ビール

お手伝い。
この担当のいいところは
生ビール

あ、誤解があったらいけないので説明しておくと
生ビール

時に失敗するじゃないですか。
そういうのって捨てるのはもったいないし
じゃあ飲むか
ってなるじゃないですか。

りっぱなスイカ、頂きました。



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08/09/2015 ソフィーのやさいばたけ(ゲルダ・ミューラー):書評「土の中の世界ものぞけます」

菜園を始めたのは4月ですが
やはりその頃が始めるのに
一番いいのかもしれません。
理由は夏野菜の栽培の開始時期だからです。
夏野菜の多くは
上へ上へと延びていきます。
花が咲いて、たくさんの実をつけます。
菜園ビキナーにとって
自分で種をまいたり
苗を植えた野菜たちがどんな風に成長するのか
観察できるのが
楽しみになります。
これが地中で育つ野菜であれば
収穫の時はいいですが
成長の様子がわからない分
楽しみが少ないような気がします。
今月の下旬からは秋冬野菜の準備が
始まります。
さて、どんな楽しみが待っているかな。
今日はゲルダ・ミューラーさんの
『ソフィーのやさいばたけ』という絵本を
紹介します。
じゃあ、読もう。

小さな菜園を始めて4ヶ月が過ぎました。
トマト、キュウリ、ナスといった夏野菜の収穫も最盛期を終え、そろそろ次の季節の野菜の準備が始まります。
野菜と絵本という取り合わせもなかなかなもので、それは子どもと野菜の取り合わせがいいということの証明かもしれません。
野菜が嫌いな子どもは多いですが、野菜を育てることで野菜の素晴らしさに触れることができるような気がします。自分が育てた野菜だから、本当の味がわかる。
菜園で楽しそうに収穫している子どもたちを見て、そう感じるようになりました。
この絵本は当然子ども向けに描かれているのですが、とってもしっかり野菜のことが描かれています。
夏休みにはいった主人公の女の子ソフィーは田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに行きます。そこには広い畑があって、町のスーパーで売られている野菜の姿しか知らなかったソフィーを驚かせます。
その畑でソフィーはいろんなことを学びます。
例えば、テントウムシのこと。テントウムシは野菜についたアブラムシを食べてくれるということ。実際アブラムシはたちまち葉を真っ黒にしてしまうくらいの勢いがありますが、テントウムシが退治をしてくれます。テントウムシは姿もかわいくて、子どもたちも大好き。それに野菜にとって正義の味方だとくれば、子どもたちの目の色も変わります。
そういう話も、この絵本にはきちんと描かれています。
畑は暑い日もあれば雨の日もあります。強い風が吹く時もあります。
そんな時それぞれに野菜の顔があります。風で倒れてしまったトウモロコシのこともこの絵本では描かれています。
作る人の大変さがソフィーには徐々にわかってきます。
夏だけでありません。冬の準備をする時のこと、雪の日の畑のようす。一年を通じて畑の表情が変わっていきます。
この絵本にはとても大きな特長があります。
野菜たちの姿が地上だけでなく、地中の根の様子まで描かれていることです。きっとこの絵本を読んだ子どもたちは、土の中で育つ野菜は見えないけれど、「知ってる」ってちょっと自慢したくなるのではないでしょうか。
(2015/08/09 投稿)

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08/08/2015 雑誌を歩く - 「文藝春秋」9月号 :芥川賞掲載の今号は特装版もあるデヨ

今日から秋ですよ、っていわれても
いくら暦の上ではとはいえ
立ちの悪い冗談のようにしか思えません。
今日は立秋なんですね。
そよりともせいで秋たつ事かいの 鬼貫

昨日発売された「文藝春秋」9月号(文藝春秋)も
熱いことになっています。
初刷92万3千部なんですって。
普通でも50万近い部数だそうで
芥川賞掲載の号はだいたい60万部。
それが今回は一気に100万部に迫る勢いですから
又吉直樹さんの『火花』効果が
いかに大きいか。
もちろん、第153回芥川賞受賞の
羽田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』も
掲載されていますから
これから作品を読みたいという人には
たまらないですよね。

芥川賞関連の記事以外にも
戦後70年関連の大特集「「昭和90年」日本人の肖像」や
あの事故から30年の日航ジャンボ機墜落事故関連の
「妹・川上慶子と私の30年」という独占手記も
掲載されています。
川上慶子さんは奇跡の生存者の一人です。
そのお兄さん川上千春さんの苦悩の日々が
綴られています。
ほかにも「東芝問題」や「新国立競技場問題」など
この夏は暑いのは天候だけでは
ありません。

本体とは別に昭和2年9月の
「芥川龍之介追悼號」が合本された
特装版。
これで1200円なんですね。
文藝春秋も粋なことをしますね。
ちなみに
こちらにはカルピスの広告が
掲載されているのですから
ちょっとびっくり。
朝 晝 夕 カルピスによりて 涼し
夏の滋養飲料だったんですね、カルピスって。

熱い記事。
暑い毎日。
それなのに、立秋。
冗談っていってよ、暦さん。

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今日紹介するのは
谷川俊太郎さん詩、
田淵章三さん写真の
『今日までそして明日から』という
詩集もしくは写真集です。
このタイトルといえば
吉田拓郎さんの歌を思い出す世代も
多いと思います。
♪ わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力を借りて
時にはだれかに しがみついて
昔、よく唄いました。
1971年の曲ですから
私が16才の時。
もうあんな頃には戻れないのですね。
今日の本に登場する女性たちも
この歌を唄ったのかな。
聞いてみたいような気がします。
じゃあ、読もう。

知名度でいえばまちがいなく谷川俊太郎だが、やはりこれは田淵章三の写真の方が主だと思う。
詩集として分類されるよりは、写真集としての方がふさわしい。
群馬県嬬恋の森の、春夏秋冬の姿も美しいが、それよりもなによりもその横に配置された女性の顔の美しさはどうだろう。
しかも、女性たちは全員が50歳だという。
「今回は50才の女性を撮った。ずっと前から興味があった。どんな世代よりも一番リアルに人生が顔に出るのではないかと思った」
「あとがき」の、田淵の言葉だ。
じっとカメラを見つめる女性。恥ずかしげに微笑む女性。化粧をしっかりした女性。目尻にしわのよった女性。同じ50歳といっても、若くみえる人もいるし、年相応だと思える人もいる。
そんな女性たちに寄り添うように、谷川の言葉がはさまれる。
「これが私です」「これも私です」「私から目をそらさないで下さい」「平泳ぎで国体に出たことがあるんです」「私はもう若くはありません」・・・言葉。言葉。
彼女たちとともにある言葉の、なんと豊饒なことか。
「私は老いてゆきます」「あなたも老いてゆきます」「夫は身内でもあり他人でもあり」・・・言葉。
詩人が紡いだ言葉。
「どんなに人を愛しても」「どんなに人を憎んでも」「私は私でしかなかった」・・・言葉。
ページはいらない。ページから離れて、言葉がつながっていく。そして、女たちの一生を描いていく。
「自然の力」という巻末の文章の中で、谷川はこう書いている。
「女性たちの数だけの物語が隠されています。そしてその奥にはまた、物語では書ききれない詩も秘められているのです」と。
たくさんの言葉がある人生は、いい。
カメラのファインダー越しに彼女たちと対峙した田淵は「シワに50年の老いを見た」と書きつつも、「その凛とした佇まいに、しなやかさと、たくましさと、したたかさを見た。女はすごいと思った」と感嘆している。
生きるってこんなに素晴らしいことなんだ。
そう、この写真集を見て思った。
(2015/08/07 投稿)

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08/06/2015 ひろしま(石内 都):再録書評「無題」

今日は
70回めの広島原爆忌。
死は今も現し身に添ふ原爆忌 下村 ひろし
先日掲載した
広島テレビ放送編『いしぶみ 広島二中一年生全滅の記録』で
紹介したTV番組を見ました。
そこで、実は「一年生」は全滅ではなかったことを
知りました。
電車が遅れてしまった子、
体調がすぐれなかった子、
何ヶ月前に引っ越していた子などが
いたようです。
当時の担任だった先生の遺児が
もちろん今ではすっかりお年をめされていますが
こんな話を語っていました。
何年か経って生き残った子どもたちが
慰霊に集まってきた時、
遺族からあなたたちの姿を見るのはつらい。
もう来ないで欲しい、といわれたそうです。
言われた子どもたちもつらいし、
言った親たちの気持ちもわかります。
けれど、これだけはいいたい。
生き残った人たちに罪はない。
生きるのも人生だと。
遺された者たちにもつらい思いをさせてきた戦争。
その悲しみを
石内都の写真は静かに視つめ続けます。
『ひろしま』という写真集の
再録書評です。
じゃあ、読もう。

衝撃が 走る
言葉にすれば なんのことはない でも
ショウゲキガ ハシル
咽喉の奥
こころにつながる咽喉の奥
何匹もの蟋蟀(こおろぎ)が
羽を鳴らす
震えが 走る
言葉にすれば なんのことはない でも
フルエガ ハシル
足の裏
こころからのびた足の裏
何匹もの飛蝗(ばった)が
足踏みをする
石内都という写真家の
『ひろしま』という写真集
「透視光によって」浮かびあがる
「縫い目や形やしわなどの細部」 (注)
それは あの日 あの時
彼らに 彼女らに
流れていた 血
そして あの日 あの時
とまってしまった
彼らの 彼女らの 時間
少女のワンピース
少年の学生服
スリップ
眼鏡
くりかえせば
燃え残った 少女のワンピース
ちぎれかかった 少年の学生服
黒い雨のあとが残った スリップ
とけた 眼鏡
くりかえせば
すべて主人を喪った
ものたち
石内都という写真家の
『ひろしま』という写真集
一着のワンピースが
少女の去った方向を
まっすぐ さししめす
『ひろしま』という写真集
(注)「 」内の文章は、写真集『ひろしま』の「栞」に掲載されていた柳田邦男氏の文章より引用しました。
(2009/02/07 投稿)

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08/05/2015 今月の「100分 de 名著」 - ダーウィン『種の起源』:おばあさんは重要な存在

「進化論」だし、
その本といえば『種の起源』。
中学か高校で習いますよね。
本を読まなくても
お題三つで正解が書けます。
でも、一体どんなことは書かれているのかな。
と、いうことで
今月のNHKEテレの「100分 de 名著」は
ダーウィンの『種の起源』なのです。

「進化」とは何かということですが、
今回の先生、長谷川眞理子先生は
「生物とは不変のものではなく、世代を経て次第に変化していくもの」と
まとめられています。
むずかしい。
まあ一ヶ月先生の講義を聞いて
学習していくとしましょう。

「「種」とは何か?」。
2回めは「進化の原動力を解き明かす」
3回めは「「不都合な真実」から眼をそらさない」、
そして最後は「進化論の「今」と「未来」」。
この最後の講義には
「おばあさん」はなぜ存在するのか、という面白そうな話も
あります。
「おばあさん」には進化論に説明できる意味が
あるというのです。
それは、テキストから引用すると
「一人の女性が死ぬまで子を産み続けるのではなく、
途中で自分が産むのをやめにして、
まだ残っている体力と、それまで蓄えた知識とを
次の世代の子育てに向けた方が、
より多くの孫が残った」
からだそうです。
えらいなぁ、「おばあさん」。

いいかも。
生き残るために。

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08/04/2015 本屋になりたい(宇田 智子):書評「自分と他者をつなぐ本という存在」

沖縄に行きたい。
行ったことがないところはたくさんあるが
沖縄に
行きたいな。
水族館が見たい。
おいしい沖縄料理が食べたい。
ひめゆりの塔にも
頭をさげに行きたい。
海が見たい。
そして、もうひとつ加えるとしたら
宇田智子さんの古本屋にも
行ってみたい。
宇田智子さんは
大手の書店を辞めて
沖縄に古本屋を開業した若い女性。
そんな生き方とか
本に対する思いだとかをまとめたのが
今日紹介する
『本屋になりたい』。
こういう若い人の確かな生き方を知ると
自分は何をしてるのだと
しょんぼりしてします。
まだまだ。
でも、沖縄に行きたいな。
じゃあ、読もう。

本作の著者、大手ブックチェーンに入社するも退職し、沖縄那覇の第一牧志公設市場の向かいに「市場の古本屋ウララ」を開店した宇田智子さんは2014年に第7回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞しています。
この賞は2007年に亡くなった哲学者池田晶子さんの意思と業績を記念し、新しい言葉の担い手を発掘する目的で創設された賞で、「考える日本語の美しさ、その表現者としての姿勢と可能性を顕彰し、応援してゆこうとする目的」だと、賞の趣旨の中で説明されています。
では、宇田さんの時の受賞理由はどうだったのでしょう。
「自分にとって生きている、暮らしているとはどういうことか、自分と他者、その間をつなぐ本の存在とは何であるのか、それらを見つめ、言葉にしてゆこうとする著者の姿が表わされていた。」と、なっています。
この時には、まだこの本は出版されていません。この受賞以降、さらに自身と他者をつなぐ本の存在について書いたのが、この本だといえます。
すでに古本屋と営む宇田さんが「本屋になりたい」というのはおかしな感じがしますが、ここに宇田さんが書きたかったことのすべてがあるように思います。
宇田さんが目指している「本屋」というのは古本屋やとか新刊書店とか図書館とか本を扱う世界を大きく広げたもののような気がします。
宇田さんは新刊書店の良さも古本屋のいい点も、図書館があるから本が読まれている現状も理解しています。図書館のありようが出版不況の要因であるという議論があることも理解しつつも、「図書館がなければ本は生活から遠ざかり、本を買う人も減るような気がします」と書いています。
宇田さんの本を見る目は確かで、複眼的です。
この本を読んで「本屋になりたい」と思う若い人がいるかどうかわかりませんし、宇田さん自身今の古本屋を将来続けているかわからないと正直に書いています。けれど、そのあとではっきりとこう記しています。「自分の店があってもなくても、「本屋になりたい」という気持ちは、ずっと持ち続けていく気がします」と。
高野文子さんが挿絵を担当した、とてもカッコイイ一冊です。
(2015/08/04 投稿)

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08/03/2015 わたしの菜園日記(8月2日) - ついに達成!! キュウリ100本収穫!!

炎天下。
熱帯夜。
言葉だけで暑くなります。
炎天に照らさるる蝶の光りかな 太祇
夏場になって
畑に行くのはほとんど朝7時頃。
すでにお日様はカーッと照っていますが
それでもまだなんとか。
水を欲しがるサトイモとかクウシンサイとかには
水をいっぱいあげます。
作業時間が長くなると
熱中症になるやもしれません。
中年男性、畑で倒れて・・・なんて
いやですもの。

キュウリの収穫100本達成

7月31日金曜日、
よく頑張ってくれました。
さすがに最近はいびつな形をしたものが多いのですが
それでも100本ですからね。
エライな、キュウリ。
ところが、それ以上に収穫しているのが
ミニトマト。
300個収穫目前。
キュウリ 「だって、アイツは小さいものね」
ミニトマト 「小さくても一個は一個だし」
まあまま、ケンカはしないで。
この二つの野菜の独走は間違いないですね。

そろりそろりと地中に茎を伸ばし始めました。
写真でもわかりにくいかもしれませんが
ちょっと茶色ぽいのが子房柄(しぼうへい)と呼ばれているもの。

これが地中で
ラッカセイの実に育っていきます。
地上で華々しく実をつける
夏野菜と比べると
とっても地味。
サトイモもそうですね。

地上に出ている葉は大きくなりますが
食する実は
地中で黙々と育つしかありません。

どちらの人生を望むますか。
まあ、そんなおおげさなものではないですが。
≪追伸≫
今朝(8月3日)咲いた、オクラの花です。
きれいな花ですね。


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最近話題となっている「安保法案」。
国会での議論が尽くされているのか、だとか
国民への説明が十分でない、とか
自民党の横暴だとか
よくいわれます。
勉強しない国民がよくないという意見や
自民党を選択したのは国民ということも
聞きます。
しかし、そうではないような気がします。
自民党を選んだのは国民ですが
選挙の際にきちんとこのことが説明されていたのでしょうか。
手の内に持っていて、開示されていても
あたかもそれより大事なことは
経済力の回復みたいなことに
なっていなかったでしょうか。
消費税を延長することで国民の意志を問う選挙があるならば
「安保法案」で
再度国民に問うべきではないでしょうか。
戦後70年という節目の年に
「安保法案」を通そうというのは
どこかに私たちの知らない
真実が隠されているような気がしないでもありません。
今日は
アリス・ウォーカーさんの
『なぜ戦争はよくないか』という絵本を
紹介します。
じゃあ、読もう。

「なぜ戦争はよくないか」、とってもシンプルだけど、とっても深い問いかけだ。
作者のアリス・ウォーカーは『カラーパープル』で黒人女性として初めてピューリッツァー賞を受賞した作家でもある。
この作品は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件のあと、アメリカが行った報復戦争に衝撃を受けたアリスが書きあげたものだが、その時の戦争だけを否定しているわけではない。
今まで人類が経験してきた、そしていまだに終わることのない「戦争」全般について、アリスは書いている。
まるで一つの物体のように描かれる「戦争」。
日本語訳は今年5月に亡くなった詩人の長田弘さんだが、「戦争だって じぶんの考えをもっているわ」と綴られる。だけど、「戦争」は「じぶんがいまおそおうとしているのが だれなのか」を知ろうとしない、と続く。
だったら、戦争って何だろう。
人は「想像力」をもっている。遠い国の人たちのことも想像できるし、カエルの世界だって想うことはできる。だから、本当は爆弾で逃げまどう人々の悲しみも、タンクの下敷きになるカエルの気持ちも想像することができるはずだが、「戦争」はそれすれ知ろうとしないのだ。
「戦争はたくさん経験を積んでも すこしも賢くならない」。
経験を積めば、よくないこととかしてはいけないことはわかるのが、人だ。
原爆でたくさんの人が亡くなって、そういうことを経験した人なら、もうああいう武器は使ってはいけないと、考えることができるのが、人。でも、「戦争」はそういうことを考えない。
そんな「戦争」って誰が生み出しているのだろう。
「想像力」も「経験知」も持った人間が「戦争」を生みだしているなんて、「戦争」以上に人間って怖い。
それでも、そうじゃないということができるのも、人間だ。
アリスは、そうじゃないといえる人。
世界中を巻き込んだ大きな「戦争」から70年が経って、もしかしたらまた「戦争」を私たちは生みだしかねないところに来ているのかもしれない。
その時、自分はアリスのように、きちんとそうじゃないといえる側にいれるだろうか。
絵本の形になっているけれど、子どもだけでなくおとなにも読んでもらいたい。
(2015/08/02 投稿)

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