プレゼント 書評こぼれ話

  正直に書くと
  最近の葉室麟さんの出版ペースは
  尋常ではない。
  次から次へと新しい単行本が出るし
  既刊本は文庫にと
  なっていく。
  葉室麟さんを読むだけで
  一年が過ぎていくのではあるまいか
  そう思ってしまう。
  読む側がそうなのだから
  書く葉室麟さんは息つくひまもないのではないか。
  そのせいか、
  ここ何作は作品の出来としてはいまひとつの感があったが
  今日紹介する
  『鬼神が如く』はまるで出来が違う。
  きっと葉室麟さんも
  この作品にかける意気込みが
  ちがったのであろう。
  読書の秋にふさわしい
  重厚さと質の高さ。
  おいしい珈琲とゆったりとした時間で
  味わいたい名品である。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  葉室麟の新たな世界                   

 昨年(2014年)のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を見た人ならご存知だろうが、戦国時代の智将黒田官兵衛を支えた家臣の一人に栗山利安がいる。善助と呼ばれていた人物である。
 善助の子供がこの長編小説の主人公栗山大膳である。善助は官兵衛(如水)の死後、その子長政にも仕え、黒田家にとっては欠かせない重鎮の人であった。
 大膳もまたそのように育った。しかし、長政の子である忠之とはソリが合わなかったようで、忠之に謀反のおそれありと時の幕府に進言。それによって大膳は盛岡藩預かりとなるほどの騒動となった。三代将軍家光の時代である。
 このことはのちに「黒田騒動」として歌舞伎の演目になったり森鷗外が作品として残したほど人々に印象を残した。
 その題材を葉室麟が実に重厚に描き出したのが、本作である。

 北九州小倉生まれの葉室麟は「地方の視点から歴史を描く」ということをこれまでも一貫としてきたが、この題材などはおそらく長年温めてきたものに相違ない。
 デビューが遅かった葉室麟は書きたいものがたくさんあるからと直木賞受賞後も精力的に執筆活動をしているが、この作品の体温は極めて高いことを見ると、「黒田騒動」に対する思いの強さを感じる。
 しかし、これが歴史小説かといえば、それは違うかもしれない。「黒田騒動」という史実にのっとりながら、栗山大膳に葉室麟がこれまでにさまざま描いてきた男のいきざまを見ることができる。

 どこまでは史実における解釈なのか「黒田騒動」の全体像を知らないのでなんともいえないが、大膳を危機から守る杖術使いの卓馬と舞という兄妹は葉室麟の創作だろう。
 この二人がいて、彼らに自身の思いを投影することで大膳の姿が明確になっている。
 時代をたどる補助線のような役目をこの兄妹が担っている。
 それだけではなく、彼らの杖術の活躍の場はエンタテインメントとしての見せ場である。葉室は時代小説の面白さを心得ている。
 おそらくこの作品は葉室麟の作品の中にあっても重要な位置をしめる作品になることは間違いない。
 「鬼神の如く」とは、この作品に取り組む葉室麟の姿そのものだ
  
(2015/10/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する花房観音さんは
  デビュー以来ほとんどの作品を読んでいる
  お気に入りの作家です。
  もちろん当初は官能作品としての興味もあって
  読んでいたのですが
  ここ何冊かは官能度はめっきり減っています。
  今日紹介する『黄泉醜女(ヨモツシイコメ)』にいたっては
  ほとんど官能表現はありません。
  表紙がおどろおどろしい分、
  損をしています。
  もっとまっとうな作品です。
  「黄泉醜女」というのは
  日本神話に登場する恐ろしい顔をした
  黄泉の国の鬼女だということです。
  ぜひ女性にも読んでもらいたい作品です。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  「官能」を捨てた官能作家                   

 花房観音さんは2010年に『花祀り』で第1回団鬼六賞大賞を受賞した官能作家である。
 冠となる「団鬼六」が官能小説と第一人者ということもあって、花房さんへの期待は女性視点に立った官能表現ということになろう。だから、どうしても作品に官能度が少ないと期待外れのような感じになってしまうのは、花房さんにとって不幸なことだ。
 同じような賞が新潮社にもあって、それが「女による女のためのR-18文学賞」。この賞の大賞を受賞した作家に窪美澄さんがいるが、賞自体が性にこだわらなくなったせいか、窪さんを官能作家と呼ぶ人は少ないのではないだろうか。
 その点、花房さんの場合、官能作家という肩書はつきまとう。
 さすが「団鬼六」のネームは偉大だ。

 そんな花房さんが官能小説をはっきり捨てたのがこの作品といっていい。同時に、この作品では花房さんがこれまでずっと描き続けてきた「京都」からの離脱でもある。
 物語の舞台は東京。この物語では東京にも強い磁力があって、誰もかれもが東京という街に吸い寄せられていくのだ。
 物語の核にあるのはブスデブの容姿の女性が男たちを虜にして経済的満足だけでなく命さえ奪った事件だ。実際そのような事件は確かにあったと思う。
 その容疑者となった春海さくらという女性の正体を暴くべく、官能作家である桜川詩子とフリーのライター木戸アミが春海さくらの周辺の人物に聞き取り取材をする物語である。
 春海さくらと同じ料理教室に通った女性、同級生、春海に殺された男性の姉、春海の実の母、そして木戸アミ。
 いずれも見えてくるのは、春海の姿ではなく、彼女との関係を話す女性たちだ。
 春海という理解できない女神を通じて、彼女たちの苦悩が浮かびあがってくる。
 それは官能作家と呼ばれる桜川も同じだ。
 「努力して官能小説以外の仕事のほうが多くなったのに、いつまでたっても私は「官能作家」と呼ばれてしまう」、これは桜川の述懐だが、花房さんにも同じ思いがあるのだろうか。

 きっとこれは花房さんの罠だろう。
 花房さんももっとあっさりとそういうところから離れているのではないだろうか。
 この作品がそれを証明している。
 もし、花房観音さんが「官能作家」と呼ばれなくなるとすれば、直木賞の受賞しかないかもしれない。
  
(2015/10/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日藤原和博さんの
  『本を読む人だけが手にするもの』という
  読書についての本を紹介しましたが
  その巻末に
  「付録」として藤原和博さんが薦める50冊のリストが
  ついていることは
  書評にも書きました。
  どんな本が紹介されているかというと
  『天才!』(マルコム・グラッドウェル)、
  『昭和史』(半藤一利)、
  『13歳のハローワーク』(村上龍)、
  『ぐりとぐら』(なかがわりえこ・おおむらゆりこ)、
  と、実に多彩。
  たしかにこの50冊を読むだけでも
  かなりの読書家になれそう。
  その中に
  藤原和博さん自身の本も
  何冊か紹介されていて
  今日はそのうちの一冊
  『坂の上の坂』を再録書評
  紹介します。
  読んだのが2012年。
  もう3年も前の書評ですが
  坂をのぼってくる
  自分を見ているような気分になります。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  坂の上のそのまた上の                   

  『坂の上の雲』は司馬遼太郎の代表作である。明治の日露戦争を核にしてその時代に生きた人々を描いて、今なお人気が高い。
 司馬はそのあとがきの中で「このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語」と書いている。そして、「楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく」と続けた。
 本書はもちろんそんな司馬の『坂の上の雲』をもじっている。著者の藤原和博氏は現代は司馬が描いた時代とは状況が違うといい、坂の上にあるのは雲ではなく、次の新たな坂だととらえている。
 寿命がのびたことで現代の人には過酷ともいえる老後の長い時間が待っている。定年延長の論議や年金問題など、働くことをやめた後も二十年以上生きなければならない現代人にとって、ぼんやり雲をみている場合ではないと藤原氏は警告している。その準備を老後にはいる55歳までにしておくべきだと。

 もしかすると、現代人はこの日本史上類のない不幸な悲観家たちになったのかもしれない。
 不安な資金、乏しい人間関係、経済破綻の恐怖、不意に襲う天災。まさに坂の上にあるのは坂、いやあるいは崖だということもある。
 本書はそういう時代だからこそ学んでおくべき55のヒントがまとめられている。
 社会、幸福、会社、消費、コミュニティ、パートナー、死、お金。不幸な悲観家だから準備は怠らない。それゆえに、司馬が描いた時代に強く惹かれもする。

 幸福な楽天家たちの時代。
 明治の人にとって、あの後日本を覆い尽くす経済の破たんや戦争の拡大が見えていなかったのだろうか。彼らにも予感があったはずだ。それでも彼らは楽天家であったのは何故だろう。
 おそらく彼らと現代人とは幸福の基準が大きく違う。現代の成熟社会では幸福こそ成熟しきっているといえる。もっと単純な、それこそ一日三膳の食事ができる喜びのようなことが幸福であると思わないかぎり、常に不幸な悲観家でありつづけるだろう。
 老後は長い。
 できれば、幸福な楽天家として生きていきたい。
  
(2012/2/17 投稿)

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  読書週間でもあることなので
  今日は新しい読書論の
  一冊を紹介します。
  藤原和博さんの『本を読む人だけが手にするもの』。
  いってみれば
  これからの社会において通用するのは
  「本を読む人」という内容なのですが
  その「あとがき」で
  もしあなたが有望な会社の人事部長だとして
  電車の前の席に座っている
  例えばスマホをしている人と
  本を読んでいる人、
  どちらを採用しますかという問いかけが
  書かれています。
  さて、あなたなら
  どちらを採用しますか。
  最近はほとんどの人がスマホをしています。
  いささか依存気味でもあります。
  せめて読書週間ぐらいは
  スマホを閉じて
  本を読んでみませんか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  スマホを閉じて、本を読もう                   

 株式会社リクルートからはさまざまな特異な人材が輩出されている。
 本書の著者藤原和博氏もその内の一人で、今や有数の出版社となったメディアファクトリーの創業を手掛け、2003年からは東京都初の民間校長として5年間勤めあげ、その経験を生かして現在は教育改革実践家として活躍している。
 本書はそんな藤原氏が「なぜ本を読むといいのか」について考えた一冊である。
 藤原氏は「これから先の日本では、身分や権力やお金による“階級社会”ではなく、「本を読む習慣がある人」と「そうでない人」に二分される“階層社会”がやってくるだろう」と言い切っているが、それには前提となる社会変革が存在する。
 藤原氏は1997年を境として、「みんな一緒」という時代から「それぞれ一人一人」の時代に変わったとみている。
 「それぞれ一人一人」の時代こそ、「本を読む習慣がある人」が有利になってくるというのだ。

 この本全体がそのことを丁寧に説明している。
 例えば、「読書によって身につく、人生で大切な2つの力」を、「集中力」と「バランス感覚」としている。
 本が好きだからといって、このようにロジカルに説明できる人はあまりいない。
 だから、「なぜ本を読むといいのか」といった単純な問いにもなかなか答えられないのだと思う。
 答えは一つではないだろう。藤原氏のように考えることもあるだろう。
 本を読むということは、そういう多様性を認識することだろう。何か一つが正しい答えではない。それは他を排斥することではなく、他を受けいれ尊重することで社会が成立する。
 本書を読むことで、読者一人ひとりがこの問いについて考えてみるのもいいだろう。

 藤原氏は「本の読み方」として「乱読」を推奨しているが、その一方で読書をするにもトレーニングが必要だとみている。まったく同感である。
 日頃読書をする習慣がない人が「乱読」を薦められてもできるものではない。
 また「本には、人それぞれに読むのがいいタイミングがある」というのも正しい意見だ。
 読書好きだけではなく、読書嫌いな人にも読んでもらいたい一冊。
 何を読んでいいかわからない読書嫌いな人には、「付録」として藤原氏が薦める50冊の本を活用するのもいい。
  
(2015/10/28 投稿)

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  今日から来月9日まで
  読書週間

    いつだって、読書日和


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  せっかくの機会ですから
  日頃本を読まない人の一冊ぐらいは
  読んでみてはどうですか。
  今日紹介するのは
  草凪優さんの『黒闇』。
  草凪優さんって知らないよ、という人も
  多いかもしれません。
  小説の世界も多様で
  純文学からビジネス小説、時代小説とか
  いろいろありますが
  草凪優さんは
  官能小説の第一人者。
  この『黒闇』は官能場面が少ない作品ですが
  草凪優さんに興味がある人は
  いかがですか。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  草凪優を読んでみる                   

 闇というのは黒いものだ。
 それをあえて「黒闇」というぐらいだから、闇の中の闇。自分の手すら見えない闇のことであろうか。
 この作品の著者草凪優は『どうしようもない恋の唄』で2010年「この官能小説がすごい!」大賞を受賞し。今もっとも人気の高い官能小説家である。これまでに120冊を超える著作がありながら、単行本化されたのはこの作品が初めてという。
 草凪もそんな闇を経験したのだろうか。

 何をやってもうまくいかない迫田修一は離婚寸前の妻が付き合っているスター手塚から奇妙な依頼を受ける。手塚が若い頃付き合っていた女に産ませた娘を探しだしてもらいたいという。
 迫田は杏奈という娘が風俗で働いていることを突き止めるが、その母美奈子につよく魅かれる。手塚の依頼をないがしろにして、美奈子と結婚する迫田。平安な暮らしを願った迫田だが、若い杏奈の魅力に負けて、身体を重ねることになる。そして、それが美奈子にばれることで、迫田は闇へと堕ちていく。さらに、迫田はもっと深い闇を味わうことになる。

 官能小説というジャンルでくくるには、さほど情愛の場面が描かれるわけではない。もし、この作品にそれを期待しているなら、きっと期待はずれとなるだろう。
 官能よりもっとドロドロとした、逃れられない世界。
 きっと普通の人なら経験することのない世界を味わうことが官能であるならば、それはそれで成り立つのだが。
 小説という架空の世界であれば、何を描いてもそれは真実かもしれない。しかし、それを拒む読者もいるだろう。それでも、草凪は書かざるをえない。
 それが、官能作家草薙優の宿命だ。

 「セックスはやはりセックスだ」、それでどこが悪い。セックスこそ、「言葉のいらないコミュニケーションだ」。
 性も暴力も草凪にとってはひとつの地平線だ。そんな作品で溜飲を下げる読者はいる。
 作者と読者は、荒くれる文章によって、コミュニケーションを持つのだろう。
 この本をきっかけに、草凪優という、作家を知ることはけっして悪くはない。
  
(2015/10/27 投稿)

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 昨日(10月25日)東京では
 木枯らし1号が吹いたそうです。
 早くも冬の足音ですね。
 菊がいま盛り。
 菊といえば
 夏目漱石の有名な句があります。

    有る程の菊なげ入れよ棺の中     夏目 漱石

  CIMG0608_convert_20151025153834.jpg

 なげ入れられたのは
 写真のような白菊だったのでしょうか。

 昨日の菜園は
 キャベツ茎ブロッコリーの追肥作業と
 ルッコラとワサビ菜の収穫を
 してきました。
 まずは、キャベツ
 今回2苗植えたのですが
 一つが3回植え直しで
 今でもあまり成長してくれません。
 収穫にはちょっと厳しいかな。
 もうひとつは
 下の写真のように大きくなってきました。

  CIMG0602_convert_20151025153555.jpg

 中心部が次第に巻いてきています。
 期待してますよ、キャベツくん。

 葉物野菜は
 大きくなってきたルッコラワサビ菜
 収穫しました。
 しばらくそのあとは何も植えないようなので
 再度ルッコラ
 新しくホウレンソウに挑戦してみることにしました。
 これから寒くなる季節。
 果たしてうまく成長するでしょうか。
 下の写真は収穫した
 ルッコラワサビ菜です。

  CIMG0609_convert_20151025153929.jpg

 葉物野菜の横には
 ダイコンを植えています。
 葉物野菜の収穫の際に防虫ネットをはずしたので
 その隙に
 ダイコンの最新の姿をパチリ。

  CIMG0607_convert_20151025153746.jpg

 ほー、ダイコンらしくなってきてますね。

 今週末には
 いよいよタマネギの植え付けです。
 秋冬野菜も
 楽しめるものですね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  めっきり暮れるのが早くなりました。
  秋の夜長とはよくいったものです。
  「夜長」というのも、秋の季語

    妻がゐて夜長を言へりさう思ふ     森 澄雄

  夜というのは
  なかなかいいものです。
  しかも夏のような熱帯夜もありませんから
  読書などしているのも
  秋の夜らしい。
  今日紹介する絵本は
  みやこしあきこさんの『よるのかえりみち』。
  静かな夜を描いた
  いい絵本です。
  みやこしあきこさんの絵は独特。
  こんな絵本を読みながら寝たら
  どんな素敵な夢を
  みることでしょう。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  夜を楽しむ                   

 季節の移ろいは寒暖の変化もあるが、夜の長さでも季節が変わったことがわかる。
 夏から秋へ、気がついたら夜はうんと早くその帳を下し、どことなく暗さも増したような気がする。
 秋の夜長とはうまくいったものだ。
 長くなった夜に少し得をした気分になる。
 みやこしあきこさんのこの絵本を読んだあとも、その少し得をした気分を味わった。

 お母さんウサギに抱っこされて家に帰る、子ウサギ。
 レストランも本屋も店じまいを始める時間。都会では夜中になっても煌々と灯りがついているが、本来夜は誰もがその日の活動をやめて、明日にそなえるもの、だったはず。
 「よるって とても しずか」、そんなことさえ忘れている。
 静かだから、家の灯りから人の話声がぼそぼそと聞こえてくる。
 誰かが電話で話している。
 どんな話をしているのだろう。

 おいしそうな匂いもする。
 一日の営みの終わりにおいしい料理をこしらえる。作ってくれる人がいて、それをおいしいと食べる人がいる。
 くつろいでいる人も、パーティで騒いでいる人も、みんな夜を愛おしみ、楽しんでいる。
 これから出かける人が、さよならの抱擁をしている。
 みやこしさんの絵のタッチの、なんという優しさだろう。
 例えるなら、静かな夜にふっと浮かび上がる蝋燭の明かりのような。

 やがて、夜はふけていく。
 お風呂にはいってくつろぐ人、昨日の続きの本を読みながらいつの間にか眠ってしまう人、こつこつと静かな足音が去っていく。
 「いつもの よる/とくべつな よる」、夜にも色々あるけれど、ベッドの毛布にようにそれはいつもどこか温かい。
 絵本にいれられて言葉はとても少ないけれど、それがまるで夜の静かさをこわさないよう、作者の優しさのようでもある。

 こんな素敵な夜には子ウサギはどんな夢を見るのだろうか。
 寝床の子どもに読み聞かせながら、いつの間にか一緒に眠っている。枕もとには、この絵本があって、もしかしたら、こんな風につぶやいているかもしれない。
 「おやすみなさい」。
   
(2015/10/25 投稿)

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 今日は二十四節気のひとつ、霜降
 この頃から霜が降りるといわれています。

   霜降や鳥の塒(ねぐら)を身に近く    手塚 美佐

 この季節、本屋さんをのぞくと
 手帳コーナーがしっかりできています。
 ここは文具屋かとつっこみたくなるくらい。
 でも、本屋さんと手帳ってなんだか相性がいいですね。
 そこで、今回の「雑誌を歩く」は
 「日経ビジネス[アソシエ] Associe」11月号(日経BP社・750円)を
 歩いてみます。

  

 何しろ、特集は

   1年が劇的に変わる! 手帳術

 しかも「2016年 完全版」なんですよ。

 この手の特集であれば必ずあるのが
 他人の手帳。
 どんなことを手帳に書いているのか興味深々。
 ここでも、ありました、ありました。

   のぞいてみたい プロフェッショナルの手帳

 面白かったのは、今年創刊60周年を迎えた「りぼん」編集長の手帳とか
 水族館飼育員の手帳。
 参考になるかどうかはともかく
 他人の手帳ってどうして面白いのでしょう。

 「目的別”強化手帳”の作り方」という記事は
 さすが「日経ビジネス」系の雑誌だけのことはあります。
 「問題解決」手帳とか「目標達成」手帳とか「貯蓄」手帳とか
 あげくには「婚活」手帳まで紹介されています。
 「”書くだけ”で、理想のパートナーを見つけられる?!」と。
 文章の最後の「?!」を見落としなく。
 ビジネスというのはもちろん働く場のことですが
 実はビジネスで通用することは
 日常生活にも応用される。
 これを見逃す手はありません。

 「まだまだある!手帳の使い方」では
 「”ライフログ“を彩る  「写真シール」「ハンコ」「付箋」活用術」なんていう記事も。
 「ライフログ」というのは
 「生活に関わるあらゆる出来事や変化を記録すること」らしい。
 ここで紹介されている「ハンコ」活用術は
 私も以前から活用しています。
 自分の手帳用の「ハンコ」を特注したくらいですから
 私もかなりの手帳フリーク?
 「その“言葉”があなたを支える 心に効く!「一言」の力を手帳に
 なんていうのもいいですね。

   毎日開く手帳のスケジュール欄に、感銘を受けた「名言」を書いてみよう。

 これなんか、今日から実践できそう。

 私は今年から
 能率手帳の「NOLTY ポケットカジュアル1(オレンジ)」を
 使っています。
 それまではやはり能率手帳のもう少しビジネス向け。
 もちろん、今でも保存しています。
 この号には「調査データでわかったユーザー利用実態」という記事もあって
 その中に「過去の手帳を捨てる? 捨てない?」という問いと回答が
 載っています。
 「年収1000万円未満」の約75%は「保管する」、
 「年収1000万円以上」だと保管する人は約82%。
 この「年収・・・」はいかにも
 「日経ビジネス[アソシエ] Associe」らしくて、笑っちゃいました。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  「本当に売れる脚本術」と副題にあるとおり
  ハリウッドの脚本家ブレイク・スナイダーさんが書いた脚本術
  『SAVE THE CAT の法則』。
  これが実に面白い。
  役に立つかどうかは
  実際にシナリオを書いてみないとわからないが。
  でも、この本を熟読すれば
  いいシナリオは書けるんじゃないかと
  思えてくるから不思議だ。
  もっともシナリオを勉強している人みんなが
  この本を読んだら
  それはそれで競争率が増すだろうが。
  スナイダー氏は「映画は映像で語るストーリー」と書いている。
  「語るな。見せろ」ルールである。
  これなども当たり前のようだが
  名言だ。

  じゃあ、読もう。

 

sai.wingpen  危機一髪の猫を助けろ                   

 著者のブレイク・スナイダー氏流に、この本のログラインを書くとすれば、「ハリウッドの人気脚本家が売れる秘訣を惜しげもなく披露した脚本術の本」となるだろうか。
 もっともこのログラインで出版されるかどうかは別だ。
 本を読んだり映画を観たりしたあと、それってどんな本? それってどんな映画? と訊かれて、うまく答えられるかどうか。きっとそこにも才能があるのだろうが、ログラインは作品にとって背骨のようなものだから、そこを巧く書けたら、「じゃあ、プロットでも書いてみて」ということになるのだろう。

 ログラインと同じくらいに重要なものに「タイトル」がある。
 スナイダー氏は「インパクトのあるタイトルとログラインが組み合わさると、ボクシングの連続パンチみたいにノックアウト確実」とまで書いている。
 この本のタイトルは、いい。
 「SAVE THE CAT」って何? って、つい手にとってみたくなる。それに「法則」がついているから、この「法則」を使えば、面白い脚本が書けるってこと?
 こういう風に「?」がいっぱいつけば、読んでもらえる可能性が増加する。いいタイトルというのは、読者や観客を刺激するのだ。
 では、「SAVE THE CAT」とはどういう意味なのか。
 日本語に翻訳すると、「危機一髪 猫を救え!」となる。
 これはドラマの主人公を観客に「好かれる人物」にする法則なのだそうだ。
 スナイダー氏は映画『アラジン』の主人公が盗人で暴れん坊の青年なのに観客が彼に肩入れし応援したくなるのは、盗んだパンを食べようとする場面でお腹をすかした子どもにそれをわけてあげることで観客が主人公の味方になったと分析している。
 つまり、危機にひんした猫を助けるだけで、観客が主人公に肩入れできるというわけだ。

 こんな具合にこの本が「脚本術」として面白いのは、記述が具体的でわかりやすい(訳は菊池淳子)こと。さすがに実際に脚本を書いている人だけのことはある。
 もし欲をいえば、参考例として紹介されている映画に日本映画があればいいのだけれど、さすがにそれは欲張りすぎだ。
  
(2015/10/23 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  時々自分の本棚を前にして
  ため息がでます。
  そこにある本を再読する機会は
  これからあるのだろうかと。
  どんどん新しい本が出て
  その都度あれも読みたいこれも読みたいですから
  この本棚の本に
  戻ることはあるのかと思います。
  その中でも「開高健全集」。
  戻りたいのに
  戻れない。
  けっして裕福でもなかった
  若い頃に揃えた全集です。
  今日紹介する谷沢永一さんの
  『開高健の名言』は
  この全集をテキストにしています。
  ここで紹介されている以外に
  開高健にはたくさんの
  名言迷言があります。
  そこにもう一度戻ることがあるのでしょうか。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  考える人の名言                   

 人は時に運命的な出会いをするものだ。
 もし、開高健が谷沢永一と出会うことがなかったら、果たして作家開高健は誕生していただろうか。
 若い頃の開高にとって谷沢と谷沢が所蔵していた書籍の山は知識そのものだったはずだ。谷沢の家を訪れ、風呂敷いっぱいの書籍を抱えて帰る開高にとって、至福の時間だったといえる。
 もし谷沢がいなければ、食の飢えだけでなく、知識の飢えにも陥っていたはず。
 そんな開高の姿を目の前で見ていた谷沢にとっても、同じことがいえる。
 そして、そんな二人にもたくさんの水が橋の下を流れた。
 平成元年、開高健が亡くなり、平成23年谷沢も亡くなる。
 しかし、谷沢は開高が亡くなったその時間に開高の文章をこうしてなぞる幸福な時間を得たのだ。

 この本の「まえがき」に、そしてこの「まえがき」は開高健小論にもなっている、谷沢はこう言い切っている。
 「開高健は誰にも似ていなかったし、誰もまた開高健に似ていなかった」と。
 そして、「(開高健は)考える人であった」と。
 つまり、この本は単に開高健の膨大な作品群からその名言となる一言半句を掬い取るのではなく、その言葉から浮かびあがってくる「考える人」開高健を論じた、開高健論になっているのだ。

 谷沢はここでは「開高健全集」22巻から小説群を除いた13冊をテキストにして、「名言」を選んだ。
 周知のように開高は優れたノンフィクション作家でもあったわけで、その称賛を開高自身歓迎したかどうかはともかく、その世界に酔った読者も多いだろう。
 開高のノンフィクション作品の素晴らしさを谷沢はこう分析している。
 「彼は本質的には無骨者で、常に調子をおろす呼吸を知らず、純文学とエンターテインメントを書き分ける手法を遂には知らなかった」。
 つまり、私たち読者は開高のノンフィクションに喝采をおくりつつ、純文学の気高さに酔いしれているという贅沢な時間を持つことができるのである。
 開高がいまなお評価されるのはそういう点だろう。

 開高健と谷沢永一なら天国でいまも喧々諤々の論を交わしているにちがいない。
  
(2015/10/22 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  葉室麟さんの『風かおる』。
  「風薫る」というのは、夏の季語にあります。
  「薫風」ともいいます。
  ちょうど木々の緑の香りを運んでくるような季節感でしょうか。

    風薫る羽織は襟もつくろはず     松尾 芭蕉

  そのタイトルのような作品といいたいけれど
  少し湿っぽいかな。
  すかっとした薫風という感じでもないのが
  残念。
  最近本屋さんに行くと
  葉室麟さんの新作が立てつづけに
  出版されているのがわかります。
  書きたいことがたくさんあるのでしょうが
  じっくりと腰を落ち着けた
  葉室麟ワールドに
  ひたりたいと思います。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  風がかおるように生きなければ                   

 人は時に自分が想像もしていない悲しみや辛さを他人に与えてしまうことがある。
 葉室麟のこの作品は、そんな人の悲しみを描いた長編小説だ。
 物語の舞台は葉室の得意とする九州黒田藩。
 鍼灸医の夫を持つ菜摘が物語の進行役である。彼女は夫の指導のもと、鍼灸だけでなくオランダ医学にも通じて、夫が長崎に修業をしている間、博多で診療をしている。
 菜摘を慕う千沙は男みなりのまま成長し、16歳の頃には縁談話もくるようになっている。けれど、千沙は菜摘の弟誠之助に魅かれている。
 菜摘、千沙、誠之助、もちろん物語の主要な人物だが、主人公とまではいえない。
 主人公はおそらく菜摘が小さい頃養父であった竹内佐十郎であろう。

 佐十郎はかつて藩の新進気鋭の若者だった。その才を買われて長崎聞役に任じられたことがある。ところが、妻に密通の疑いが生じ、佐十郎は妻敵討ちのため致仕し国を出た。
 佐十郎はその妻を討ったとして十年ぶりに国に戻るのだが、彼には別の目的があった。
 それは、自分を妻敵討ちへといざなった男への仕返しである。
 旅に病んだ佐十郎は若い頃に思いを寄せた多佳のもとに身を寄せる。
 そこに呼ばれたのが、かつての養女菜摘であった。
 やさしかった父が何故に仕返しなどを目論むのか、しかも残された生はわすかであろう父を思って、菜摘は佐十郎の相手を探すことになる。

 ここまで書けば、佐十郎は誰かの陰謀によって藩を追われた者ということになろう。
 しかし、佐十郎の相手がじわりじわりと核心に近づいてくるうちに、読者は驚くべき事実をつきつけられる。
 それはここでは書けないが、それこそ佐十郎の長くて悲しい、人生模様といえるだろう。
 例えば、人を愛するという純粋な思いも、もしかすればそのことで他の人を知らない間に傷つけているかもしれない。

 すべてが終わった時、菜摘たちは「風がかおるように生きなければ」と誓うのだが、風がかおる生き方こそ自身に胸をはったものなのだろう。
 彼女たちにそれを教えたものこそ、この物語の主人公かもしれない。
  
(2015/10/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日
  映画『岸辺の旅』を観てきました。
  この作品で黒沢清監督は
  第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で日本人初の「監督賞」を受賞して
  今話題の映画です。
 165550_01[1]
  主人公の瑞希を深津絵里さん、
  優介を浅野忠信さんが演じています。
  深津絵里さんの演技の素晴らしいこと。
  この作品で今年の女優賞を狙えるのではないでしょうか。
  ほかにも小松政夫の演技が光っていました。
  大人のラブストーリーというふれこみですが
  もっと深い作品に仕上がっていたような気がします。
  映画のあと
  どうしても原作が読みたくなって
  一日で読み切りました。
  今日紹介するのが、それ。
  湯本香樹実さんの『岸辺の旅』。
  どちらかよかったかというと
  映画もよかったけれど
  原作はそれ以上によかったというのが
  私の感想です。
  映画を観た人には
  ぜひこの作品を読んでもらいたい。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  映画もいいけど、原作はもっといい                   

 黒沢清監督の手で映画化され、第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の「監督賞」を受賞した話題の映画の原作である。
 単行本にして200頁あまりの作品をおよそ2時間の映画にするわけであるから、原作と映画の違いはある程度やむをえない。
 原作にはないエピソードがあったり、原作にあるエピソードをカットしたり、それはそれで仕方がない。ただ原作がもっている、つまりは作者湯本香樹実(かずみ)の世界観と映画監督黒沢清の世界観がやや違うような気がする。
 湯本の方が生きる側の視点にあるような気がするのだが、どうだろう。

 夫・優介が失踪してから3年、ある日妻・瑞希のもとに優介が帰ってくる。しかし、彼はすでに死んでいるのだという。
 つまり、優介は死者なのだ。
 その彼が「でかける」という。訳のわからない瑞希は「どこへ」と訊ねる。それは優介が肉体を喪い、瑞希のもとにたどりついた道をさかのぼる旅の誘いである。
 その旅で出会った人たちと町。そして、優介のこと。
 優介がいなくなってから、瑞希はずっと優介をたずねる旅をしていたのかもしれない。
 愛する人はただそばにいるだけではだめなのかもしれない。愛の名のもとに本当のその人を知ることを拒んでいる。知ってしまえば、愛は消え失せてしまう。
 瑞希は優介がいなくなることで彼を知ることになる。

 映画には描かれなかった挿話がある。
 それは瑞希が子どもの頃に川に落されて溺れた体験をもっているという挿話だ。なんとか一命をとりとめて瑞希は若くして亡くなった父から「生き運がある」と言われたことがある。
 映画化の際にどうしてこの挿話が割愛されたのかわからないが、水につならるものとして、この挿話は欠かせないような気がする。
 特に作品名に捉われる訳ではないが、この作品には水の流れやせせらぎの音が欠かせないような気がする。
 人の一生は河の流れに例えられることがあるが、人を愛するとか人を喪うことも、どこか川の流れに似てはいないか。

 映画を観た人はぜひ原作を読んでもらいたいし、原作を読んだ人は映画を観てもらいたい。
 そんな作品だ。
  
(2015/10/20 投稿)

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 な、なんだ、これは!?
 菜園に突如現れた、かまど。

  CIMG0581_convert_20151017175108.jpg

 これは10月17日(土)に菜園で行われた
 「安納芋」の試食会
 使われたかまどなんです。
 これで畑で採れた安納芋をみんなで食べようという
 イベントが行われました。

  CIMG0584_convert_20151017175329.jpg     CIMG0585_convert_20151017175436.jpg

 「安納芋」は種子島を代表する、
 甘くてクリーミーなさつま芋なんです。
 今までそんなことを意識したこともなかったのですが
 菜園を始めると
 そんなことも学べるのです。
 出来上がった安納芋は、ほら、こんな具合。

  CIMG0590_convert_20151017175554.jpg

 おいしいったら。

 大人も子どもも、ほっくほく。
 秋ですね、まったく。
 「さつま芋」も秋の季語

    ほの赤く掘起しけり薩摩芋     村上 鬼城

 この日は
 ラッカセイの収穫もしました。
 実はラッカセイ秋の季語なんですね。
 さすがに「歳時記」は季節きせつを言い得ています。

    落花生喰ひつつ読むや罪と罰     高浜 虚子

 ラッカセイをつまみながら
 『罪と罰』という長編小説を読んでいるなんて
 秋らしい光景ですね。
 さて、そのラッカセイ
 サトイモと同様
 今までずっと土の中にありましたから
 どれだけできているか
 さっぱりわからなかったのですが、
 この日、いよいよ
 登場です。
 あります、あります。
 これが、掘れたてのラッカセイ

  CIMG0591_convert_20151017175812.jpg

 計量したのが下の写真で
 638gの収穫でした。

  CIMG0595_convert_20151017180136.jpg

 実は「歳時記」にはラッカセイの食べ方も
 載っています。
 引用しますね。

    未熟な豆は塩茹でにするとおいしい。

 採れたてのラッカセイはなかなか手に入らないので
 菜園ならではのご利益と
 さっそく塩茹でにして頂きました。

 夏から秋にかけての収穫ものも
 これでおしまい。
 秋から冬の野菜の収穫までは
 まだ少し先ですね。
 下の写真は
 すくすくと育ってきたハクサイ

  CIMG0593_convert_20151017180000.jpg

 楽しみです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  野菜の絵本はないかなと
  探していて
  見つけたのが、この絵本。
  石川基子さんの
  『ほしじいたけ ほしばあたけ』。
  干しシイタケが野菜に該当するのか
  よくわかりませんが
  この表紙を見て
  俄然読みたくなった一冊です。
  これがめちゃくちゃ楽しい。
  干しシイタケの特長をよくとらえて
  この種の絵本でも
  高得点の一冊ではないかしら。
  干しシイタケは
  きっとどこの家庭にも
  しまわれているのじゃないかしら。
  そういうありふれた野菜が
  ヒーローになるのですから。
  絵本って面白い。
  でも干しシイタケは野菜かしら、

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  発想豊かすぎる絵本                   

 なんとも発想豊かな絵本だ。
 ほししいたけをモデルに絵本ができるなんて思いませんでした。
 だって、ほししいたけの、しわしわが絵本の主人公になるなんて思います? いくら栄養がうまみがあっても、あまり思わない。
 しかも、このタイトル。ほししいたけに「点々」をくわえて、「ほしじいたけ」。
 うまい。

 もっといえば、いつものしわしわの「ほしじいたけ」ですが、森の「きんるい」、これは菌類です、の仲間はピンチにおちいれば、自らの身体を水につけて、あらま、力強い「わかものしいたけ」に変身するのですから。
 こんな発想は普段台所に立つ人でないとわいてこないのではないでしょうか。
 しわしわのほししいたけを水でもどせば、ぷっくら肉厚のしいたけになる。そのことをしっかり見ていないと、わからない。
 この絵本は、それだけで十分楽しめます。

 さらには、この絵本に登場するきのこの仲間たち。
 タマゴダケ、オオワライタケ、ホウキタケ(このホウキタケがせっせと掃除しているのなんて笑ってしまいました)、ヌメリイグチ、それにキヌガサタケ。
 いやいや「きんるい」の仲間たちも随分楽しそうです。

 どうして「ほしじいたけ」が若者しいたけに変身したかというと、子どもたちがおにごっこをしていたら、タマゴダケが崖から落ちてしまったんです。それを助けようと、「ほしじいたけ」は谷底に降りたのですが、しわしわですから崖をのぼる力がありません。
 そこで自ら水にとび込んで若者しいたけに変身したのです。
 ところが、高い崖の途中で力がなくなってきました。あやうし、若者しいたけ。
 と、そこに「ほしばあたけ」も若者しいたけに変身して、二人を助けます。
 いつも仲のいい「ほしじいたけ」と「ほしばあたけ」は、若者しいたけになっても仲がいいのです。

 「ほしじいたけ」たちの活躍を見ていると、人間の「ほしじいたけ」も「ほしばあたけ」もまだまだやれるのじゃないかと思います。
 案外この絵本は老人たちに受けたりするかも。
  
(2015/10/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  書評サイト「本が好き!」から献本頂いた
  中原かおりさんの『海からの詩』という
  詩集を紹介します。
  湘南のラジオ局で紹介された詩をあつめた一冊です。
  湘南といえば夏のイメージですね。
  先日TVを見ていると
  夏にぴったりの歌手はというアンケート結果をしていて
  TUBEが第2位でした。
  1位はサザンオールスターズ
  やっぱりそうですよね。
  サザンの曲は
  湘南や江の島の海にぴったりですものね。
  それにしても
  海って、特に夏の海って
  人を解放的にしてくれます。
  その一方で
  秋の海は物思いにふけさせてくれます。
  沈み夕日に
  「バカヤロー」って叫んだ青年って
  本当にいたんだろうか。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  誰もいない海                   

 「今はもう秋 誰もいない海/知らん顔して 人が行き過ぎても」、1970年発表されたトワ・エ・モワの楽曲「誰もいない海」の冒頭部分だ。歌詞は山口洋子。
 秋になると、ふと口ずさんでいたりする。
 海は夏がいいけれど、この歌のように秋に秋の風情があって、春にも冬にもそれぞれ表情がある。
 津波や高潮のような災害を生みだすことはあっても、周囲を海に囲まれたこの国では海との共存はさけて通れない。
 もっと地域を限定すれば、水産に重点を置く港町もあれば、貿易港として栄える街もある。
 湘南の海はけれども少し趣きが違うような気がする。
 若者で賑わう顔もありながら、「誰もいない海」が似合う海。

 湘南ビーチFMというラジオ局がある。実際に聴いたことがないので、どのあたりまで電波がはいるのかわからないが、その局の番組で流れたのが、この詩集に集められた詩だという。
 「あとがき」によれば、このラジオ局は開局して21年という。湘南では人気が高いのだろう。
 そんな局から、ここに収められた詩が流れてくるなんて、素敵じゃないか。
 海の風、潮の香り、そしてラジオから詩。
 やっぱり湘南はおしゃれだ。

 冒頭の詩「海の町」にこんな一節がある。
 「この町は/寒い時でもなぜか温かい/海も空も風も町も青/つかれた心を包んでくれる色だ」。
 きっと夏のひととき、湘南の海で遊んでもわからない、住んでいる人ならではの感想だろう。
 それでいて、これらの詩はひととき海に遊び人たちを排除したりしない。
 「夏を待ちこがれて/もう今から/あらゆるものが/いたる所で/スイングしている」、「スイング」と題された詩の一節。そう、湘南の海はスイングしながら、やってくる人たちを待っているのだ。

 この詩集は、湘南の「誰もいない海」に合っている。
 そういえば、「秋の海」と題された詩が最後にある。
 「この夏も/よく働き/よく満たされた/この腕の中で/たくさんの/人々を遊ばせて 夏の記憶に/海は/ふっと目を細める」
 ちょっと感傷的になる。
  
(2015/10/17 投稿)

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  今日紹介するのは
  篠田節子さんの『長女たち』。
  このタイトルの作品はない中編集ですが
  秀逸なタイトルだと
  思います。
  私は3人兄弟の真ん中、
  次男坊ですので
  長男の気持ちも
  三男の感情もよくわかりませんが
  結構次男もつらいですよ。
  それが長女となってくると
  母親との確執とか
  愛憎とか
  とかくなにやらつきまとうのでしょうね。
  この中編集には
  「家守娘」「ミッション」「ファーストレディ」の3篇が収められていますが
  私は「ファーストレディ」がよかった。
  世の中の長女の皆さん
  がんばってください。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  長女という重さ                   

 文学の世界で、男性の心理的葛藤は数多く表現されてきた問題であるが、最近目立っているのが「母娘問題」。それというのも、女性作家が増えることで、女性たちの葛藤が表面化してきたともいえる。
 エディプスコンプレックスというのは母親を手に入れようと父親と敵愛する初期の心理的状況であるが、女性の場合、母親が娘を同一化するという呪縛からどう解き放されるかという問題を抱え込んでいるのかが描かれた作品群ともいえる。
 篠田節子のこの中編集も、タイトルが示す通り、「母子問題」に鋭く切り込んだ作品集である。

 「何のためらいもなく自分と娘とは一体のものとして、平然とそんなことを語る母に、怖気立った」、これは「ファーストレディ」という作品の中の一節だ。
 この作品では街の有力者である医者の妻(母)とその父を支える娘の凄惨なやり取りを描いている。末期の腎炎に冒された母親 を救うために自らの臓器を提供すべきか悩む娘に父親は普通子どもからの臓器提供を親であるものは受けるはずはないと娘に諭すのだが、この母親は娘の提供をさも当然の如く受けいれてしまう。
 では、弟が提供するといえば受けるの、と問う娘に、母親はそんなことをするわけはないと答える。
 母親の答えを聞いた娘に浮かんだ言葉は「一心同体」。「二人の子供のうち、片や愛する者、片やまぐれもない自分の一部」、母親の言葉に殺意さえわく。

 それほど深刻化していなくとも、母と娘の間には友人関係のような心理的感情が生まれる場合も多い。篠田の作品ほどではないにしろ、母親は娘を親子ではなく、友人のように遇していることはままある。そういう関係が深化していくことで、「一心同体」のような感情に至るのであろうか。

 「家守娘」という中編も、認知症の幻覚を生じるようになった母親とその介護に疲弊していく「長女」の物語で、ここでも母親の呪縛が強い。
 かつて、父親と息子の問題が描いてきた文学は、今や母親と娘の問題をあからさまに描きつつあるが、自分の胎内で育てた関係ゆえに、一層深い問題だといえるだろう。
  /span>(2015/10/16 投稿)

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  今日はまず漢字の勉強。
  この漢字、読めますか。
  「琥珀」。
  そう、「こはく」。
  今日紹介するのは、この漢字が使われている
  小川洋子さんの『琥珀のまたたき』。
  では、漢字の問題、第2問め。
  「瑪瑙」。
  これは難しいですよね。
  「めのう」が正解。
  この作品の中の登場人物の名前に
  使われていますから、
  覚えておいて下さい。
  小川洋子さんのこの作品は
  表紙がとても素敵です。
  装幀は名久井直子さん。
  小川洋子さんの不思議な世界観を
  うまく表現しています。
  読書の秋。
  重厚ないい作品にめぐりあえると
  仕合せです。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  静謐な世界                   

 「静謐(せいひつ)」という言葉の意味を調べると、「静かで穏やかなこと」という意味の他に「世の中が治まっていること」という意味がある。
 小川洋子のこの長編小説は、まさに2つの意味から「静謐」な作品であるといえる。

 状況は異常だ。
 物語は、長女を頭に、3歳下の長男、さらに3歳下の次男の三人姉弟が、自分の名前を捨てるところから始まる。三人は亡くなった父親がかつて出版した『こども理科図鑑』の任意のページから名前をもらった。長女はオパール、長男は琥珀、そして次男が瑪瑙。
 三人は3つになったばかりの小さな妹の死をきっかけに、外界と遮断された家に住むことになる。
 母親は断固として外界との接触を許さない。
 何故彼らはそういう状況に置かれたのか、そうして物語の間あいだに年老いた琥珀が登場することでその幽閉状況から脱出したことは推測されるが、どのようにして琥珀は外界に戻ったのか、ミステリーの要素はあるけれど、小川洋子の創作意図はそこにはないように思う。

 小川洋子はひたすら閉じられた世界を描いていく。
 琥珀と名づけられた少年が家にあった大量の図鑑の片隅に描いた、亡くなった小さな妹の絵が、この小さな家族に安らぎを与えていくのと同時に、成長する彼らがまったく外界と接することのない困難性を描いていく。
 小さな家族は大きな声で話すこともなく、それは静謐の一つの意味でもある世界観を表出している。
 そして、母をいれてわずか4人の家族の世界は外界と遮断されながらも、「世の中が治まっている」という、静謐の2つめの意味の世界観も表現している。

 彼らの世界は小さい。そのままであれば何事も起こらなかったかもしれない。
 しかし、ある日、外界から一人の青年が闖入してくることで、そこに綻びが生じる。
 成し得ることのなかった完璧な世界がそこから崩れていく。
 静謐は破られるのだ。
 小川洋子の作品世界が大好きな読者にとってはこの作品は実によく出来た世界観かもしれないが、何気なく手にした読者にとっては、揺れのない静謐そのものが怖くなる作品かもしれない。
  
(2015/10/15 投稿)

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 10月27日から始まる(~11月9日)
 今年の読書週間の標語は

    いつだって、読書日和

 なんといってもこの時期は
 読書に最適。
 歳時記の中にも「灯火親しむ」という
 秋の季語があります。

    且つ忘れ且つ読む燈火亦親し     相良垣  瓜人

 「週刊ダイヤモンド」といえば
 ビジネスマンに人気の週刊誌ですが
 その10月17日号(ダイヤモンド社・710円)の特集は

    闘う書店、使い倒せる図書館の歩き方
    「読書」を極める!

 思わず買ってしまいました。

  

 表紙の写真は
 東京都武蔵野市にある
 武蔵野プレイスという図書館ですね。
 武蔵野プレイスはじめ
 最新の図書館事情が
 「「新しい図書館」戦争」という記事に
 まとめられています。
 図書館の運営費の推移とか
 図書館に関するアンケートのまとめなど
 さすがこのあたりは
 「週刊ダイヤモンド」ならではの
 プレゼンのうまさですね。

 図書館があれば
 書店もあります。
 「出版不況と闘う書店」という記事では
 最近話題となった
 村上春樹さんの『職業としての小説家』という本の出版をめぐっての記事とか
 書店の利益率をあげるための提案とかが
 うまくまとめられています。
 ここでは
 「一度は行きたい! 全国・”哲学”ある書店」という記事で
 ユニークな書店が紹介されています。
 「読書日和」は
 読書するだけでなく
 こういう書店とか
 新しい図書館めぐりをするのもいいですね。

 もちろん
 読書案内もあって
 「知性を磨く読書術」という記事では
 私の敬愛する小宮一慶さんとかが
 自身の読書術を紹介しています。

 今回の特集につけられた編集部のコメントが
 こちら。

    電車内で本を読む人がめっきり減った。
    “隙間時間”に取り出すのは皆、スマホである。
    (中略)
    現代人は「本を読む場所」を探しているのかもしれない。

 本当に実感としてあります。
 いい環境で
 いい本と出合う、
 それが一番の「読書日和」なのではないでしょうか。

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 そろそろ柿の美味しい季節。
 柿といえば、
 正岡子規のあまりにも有名な句があります。

    柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡 子規

 正岡子規は柿が大好物だったとか。
 下の写真は
 街で見かけた柿。

  CIMG0577_convert_20151012180418.jpg

 三連休の最後、10月12日(月)に
 菜園に行ってきました。
 ダイコンの間引きぐらいかなと思って
 行ったのですが
 サトイモの収穫はもう大丈夫ということで
 サトイモを収穫してきました。
 今まで地中でもぐったままのサトイモ
 どんな風に成長しているのか、
 ワクワクドキドキです。
 まずは周辺の土を掘って
 あとは丁寧に手で土をはらっていきます。
 最後はこきこきと茎を揺すって
 ほうら、出てきた。
 とくと、ご覧あれ。

  CIMG0574_convert_20151012180306.jpg

 暑い夏の日、サトイモの水やりをせっせとしたおかげで
 いいイモをつけてくれました。
 全部で2.5㎏
 大収穫です。

  CIMG0580_convert_20151012180610.jpg

 ダイコンの間引き。
 先週1本抜きましたが
 この日は1本を残して
 あとはすべて間引き。
 畝に残った6本の選抜ダイコンたちは
 さあて、どんな風に大きくなるでしょうか。
 選抜されたダイコンのドヤ顔です。

  CIMG0567_convert_20151012175510.jpg

 この日は葉物野菜も
 間引きしました。
 ミズナとかルッコラとかワサビナ
 それに二十日ダイコン
 テーブルの上が
 葉物野菜であふれかえりました。

  CIMG0579_convert_20151012180513.jpg

 ダイコンは小さくても
 ダイコンみたいな形をしています。
 あたりまえですが。

 ついでに、
 浅葱(アサツキ)も少し収穫。

  CIMG0568_convert_20151012180144.jpg

 写真は切ったあとの浅葱と切らない浅葱
 奥に大きく育ってきた
 ハクサイが見えます。

 来週はというか
 今週10月17日(土)は
 菜園で採れたサツマイモの試食会。
 そして、
 いよいよラッカセイの収穫です。
 お楽しみあれ。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は体育の日

    体育の日を耳立てて兎たち   辻田 克巳

  お休みの人も多いでしょうね。
  20151009_173402_convert_20151009174218.jpg
  毎週月曜の「わたしの菜園日記」を
  楽しみにしてくださっている
  皆さんには申し訳ありませんが
  今日これから畑に行きますので
  「わたしの菜園日記」は明日に。
  そこで、今日は
  おおにしひろみさんの
  『おばあちゃんのはたけ』という絵本を
  紹介します。
  実はこの絵本、
  先週紹介した『あっちゃんのはたけ』の
  前作にあたります。
  なんといっても
  おばあちゃんがかわいい。
  あっちゃんもかわいかったですが。
  なかなか新しい絵本として
  手にいれるのが難しいようで
  表紙画がなかったので
  裏表紙の見返しの
  おばあちゃんの絵をいれておきます。
  ね、かわいいおばあちゃんでしょ。
  では、これから
  畑に行ってきます。
  ダイコン はどこまで大きくなっているでしょうか。
  明日の「わたしの菜園日記」を
  お楽しみに。

  じゃあ、読もう。

sai.wingpen  絵本はたねまき                   

 毎日たくさんの本が出版されています。全部を読むことは到底できません。きっと大切な本も読まれないままどこかの本棚にしまわれているのでしょう。
 絵本の世界でも同じです。子ども時代に読んだ絵本はほんのわずか。子どもが生まれて、娘たちと読んだ絵本もあるけれど、それでも読まれなかった絵本はたくさんあります。
 この絵本もそんな一冊です。
 1989年に出版されています。ちょうど娘たちが小さかった頃の絵本ですが、読んであげられませんでした。
 でも、こうして、初めて出会えることができました。

 きっかけはこの絵本のあとに出た『あっちゃんのはたけ』を読んだことです。
 春から小さな菜園を始めて、「はたけ」という言葉に魅かれて、手にしたのが『あっちゃんのはたけ』でした。野菜嫌いのあっちゃんがおばあちゃんの畑を手伝うことで、野菜が大好きになるというお話。
 そのお話にはどうしておばあちゃんが畑をつくるようになったのかというもっと前のお話があったのです。それが、この絵本です。

 土いじりが大好きなおばあちゃん。けれど、家にはそんな場所がありません。
 ある時、ものほしだいの向こうに何も手入れされていない土手を見つけます。
 ここをなんとかできないものか。おばあちゃんは土手にはしごをかけて、耕しはじめるのです。
 なんというおばあちゃんパワーでしょ。
 水を運ぶのも肥料を運ぶのも大変です。でも、おばあちゃんはなんとか苗を植えて種もまきます。
 ところが、ある日おばあちゃんははしごから落ちてしまいます。
 さあ、おばあちゃんのはたけはどうなってしまうのでしょう。

 作者のおおしひろみさんは1954年生まれ。ちょうど私と同世代。
 とてもかわいらしい絵を描いてくれます。
 おばあちゃんの表情はどうでしょう。とてもやさしそうで、それでいてしっかりもの。
 こんなおばあちゃんに育てられた野菜たちはどんなに美味しいでしょう。
 ぜひ、『あっちゃんのはたけ』と一緒に読んであげて下さい。
 おいしい野菜を食べたあとのように、幸せな気分になります。
  
(2015/10/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から、4年7ヶ月。

  今日は東日本大震災でたくさんの犠牲者を出した
  石巻市立大川小学校のお母さんたちが
  取り組んだことがらを描いた絵本を
  紹介します。
  文は、ひまわりをうえた八人のお母さんと葉方丹さんに
  なっています。
  絵は松成真理子さん。
  『ひまわりのおか』。
  大川小学校で犠牲となった児童のうちの
  何人かのお母さんが始めた
  ひまわりの花を植える取り組み。
  きっとドキュメンタリーとして描いても
  読み応えのある作品になったかもしれませんが
  絵本で表現されることで
  ちがった意味を持ったように思います。
  子どもたちも目にすることがきっとあります。
  小学生で命をうしなうことの悲しみやつらさを
  子どもたちにもわかってもらえたらと思います。
  お母さんがどれほど悲しむかを
  わかってもらえたらと思います。
  子どもたちが
  命を大切にする、
  そんな国でありたいものです。

  じゃあ、読もう。


sai.wingpen  いつまでも咲き続けて                   

 宮城県・石巻市立大川小学校。東日本大震災で数多くの悲惨な悲しみの中でも、もっとも大きな悲しみが起こった場所として記憶されています。
 全校児童108人のこの学校で実に74人の子どもたちが津波の犠牲になりました。10名の先生も命を亡くされています。
 どうしてこの小学校でこれほどのたくさんの犠牲者が出たのか。遺族が一番知りたいことです。
 津波は天災だから恨んでも恨んでも答えは出ません。でも、子どもたちは何故逃げ遅れて津波の犠牲になったのか。
 本当のことがわかったとしても子どもたちの命は戻ってきませんが、そのことがいつか来るかもしれない災害の防止になるかもしれない。
 そのことは大事なことです。

 この絵本は犠牲となった子どもたちのうちの8人のお母さんの取り組みを紹介したものです。
 あの日に何があったのかを求めるものではありません。
 命を亡くした子どもたちの笑顔をひまわりの花になぞられた取り組みです。
 それは一人のお母さんの「おかの上の花だんに、ひまわりをうえようよ!」という一言がきっかけでした。そして、次々とお母さんが集まって、夏にはたくさんの花が咲きます。
 その取り組みが新聞に紹介されました。葉方丹さんがそれを読んで、石巻まで出かけます。
 そこで出会ったお母さんたち。
 お母さんの話から浮かんでくる子どもたちの笑顔。
 初め、葉方さんは「絵本になればいいな」は、いつしか、ひまわりの花のように、一冊の絵本として出版されたのです。

 葉方さんを動かしたものはお母さんたちの子どもたちについての手紙だったといいます。あるいは、その手紙を書かせたものは、亡くなった子どもたちの思いだったのかもしれません。
 ぼくたちを、わたしたちを、忘れないで。
 亡くなった子どもたちのそんな思いが、ひまわりの花になり、一冊の絵本になったような気がします。
 大川小学校は東日本大震災のつらい傷跡の代名詞のようになりました。
 しかし、忘れないことが犠牲となった子どもたちには一番大切なことではないでしょうか。
 いつまでも、咲きつづけてほしいものです。
  
(2015/10/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日の大石賢一さんの『マンガ原作 感動をつくる法則』の
  書評の冒頭、
  「マンガ原作者といえば梶原一騎」と
  書きましたが、
  そういえば梶原一騎さんの関連本を
  読んだことがあることを思い出しました。
  そこで今日は2010年に書いたものの
  再録書評です。
  梶原一騎さんの奥さん高森篤子さんが書いた
  『スタートは四畳半、卓袱台一つ』。
  梶原一騎さんといえば、『巨人の星』。
  とくれば、ちゃぶ台返し。
  そのあたりを意識した
  いいタイトルです。
  もっと梶原一騎さんの研究がなされてもいいように
  思います。
  だって、団塊世代の人たちは
  どれだけ梶原一騎さんの作品に
  影響を受けたことか。
  いまこそ梶原一騎論を読みたい気がします。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  飛雄馬&ジョーの女房                   

 夫婦にはいろいろな形がある。
 NHKの朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』(原作武良布枝)は、漫画家水木しげるとその妻の、夫婦としてのありように好感がもたれて人気となった。
 その水木しげるが少年漫画雑誌の連載で人気漫画家になっていく同時期に、水木よりも数段人気を得た漫画原作者がいた。
 『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』などの原作を手掛けた梶原一騎(高森朝雄という筆名も彼)である。
 本書は若くしてまだ無名の梶原一騎と結婚し、その後一躍スター原作者となった彼と離婚し、数多くのスキャンダルと闘病で満身創痍となったその男のもとに再び戻った妻高森篤子が綴った、夫婦の物語である。
 『ゲゲゲの女房』ならぬ、『飛雄馬&ジョーの女房』だ。

 著者である高森篤子は夫梶原一騎のことを「私にとっての主人とは、夫であり師であり、そして父親的存在だった」と書いている。
 夫婦同等であるという考え方をもった人からすると、そんなことはありえないだろうし、だから夫がダメになっていくのだと考えるかもしれない。
 梶原一騎の強面(こわもて)な印象は、本書のなかに描かれている家庭内での怖い父親で裏打ちされる。例えば、幼い子供におしっこを教えようとする場面などは強烈である。おまるに座ったままおしっこの出ないわが子に苛立った梶原は子供の頭にカップラーメンをぶっかけてしまう。そのような仕打ちであっても妻の篤子は、梶原のことを「悪ガキのよう」とむしろ愛情いっぱいに描いている。
 篤子にとって、どのような夫であれ、梶原は「師」であり「父親」であり、従わなければならない存在であった。

 そのことは不幸であるかもしれない。しかし、篤子はそれよりも「夫」としての梶原に愛情をもっていたし、梶原の愛情を感じとっていた。さらに、『巨人の星』などの名作誕生の、「四畳半、卓袱台一つ」の、同じ時間と場所に立ち会った同志であった。
 「理想の夫婦になる前に、あの人は逝ってしまった」と篤子は書いているが、「理想の夫婦」など求めてえられるものではない。
 梶原一騎夫婦の姿は、水木しげる夫婦とはまったく違う。どちらが幸福でどちらが不幸ということではなく、それもまた夫婦という形だろう。
  
(2010/09/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日山田太一さんの
  『夕暮れの時間に』という本を
  紹介しましたが
  山田太一さんは脚本家。
  いわゆるシナリオライターです。
  シナリオは映像化されて初めて生きてきます。
  シナリオを読むということもありますし、
  実際シナリオ集もないわけではありません。
  でも、有名なライターにならないと
  シナリオ本としても成立しません。
  今日はマンガ原作者志望者への本。
  大石賢一さんの『マンガ原作 感動をつくる法則』。
  マンガ原作もそれ自体が本になることは
  シナリオよりも少ない。
  それでもマンガ原作者になりたいという
  人は多くいます。
  この本の中の一節。

    キーボード上で指をチャカチャカ動かすだけで、
    自分の人生が変わる作品ができると思ったらちょっと安易です。

  深い言葉です。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  天の目、地の目                   

 マンガ原作といえば梶原一騎。なんていうと、古いといわれるかも。
 けれど、昭和40年代、梶原一騎原作の多くのマンガに心躍らせ、感動で涙を流した若者は大勢いただろう。『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』、枚挙にいとまがない。
 もしかしたら、あの当時の子どもたちは梶原一騎DNAをもって育っているのではないだろうか。
 それほどマンガの持つ力が大きい。
 特に青少年期にマンガに触れる機会は多いから、マンガ原作者やマンガ家は大きな影響を与える創作者といえる。
 さらにマンガの裾野が単に雑誌媒体だけでなくマンガアプリといったインターネットの世界にも広がっているから、マンガ家だけでなく、マンガ原作者になりたいという人も多いにちがいない。

 この本は、マンガ原作者でマンガ原作に関する多くの著作をもつ著者が「公募ガイド」という雑誌に連載したマンガ原作者志望の人への書き方指導書である。
 「公募ガイド」という雑誌は小説だけでなくさまざまなコンクールの案内を掲載している公募雑誌で、マンガ原作者になりたいという人にとっても、どのような公募があるのか調べるのに欠かせないのだろう。
 もちろん、今は公開講座も多いから、マンガ原作者のための実作講座に参加する人も多いはずだ。
 そういう読者に、著者は丁寧に「キャラクター創作の秘訣」や「感動のつくり方の法則」を指導する。
 マンガ原作もシナリオ同様に漫画化にあたっての「設計図」である。
 マンガ原作だけでは作品として成立しないのも、シナリオと似ている。
 『あしたのジョー』の感動は梶原一騎の原作だけでは成立しない。ちばてつやのマンガがあって初めて名作になったのだ。もしかしたら、ちばてつやのマンガでなかったら、歴史に残るマンガにはなりえなかったかもしれない。

 実作のための入門書であるから、教えられる点も多い。
 ひとつ挙げれば、「書くときは「天の目」(発案)、読み返すときは「地の目」(検証)」。実作者がつい陥る傑作という誤解を解く方法といっていい。
 書きたいという人は、まずは他人の批評に謙虚でないといけない。
 他人の目こそ「地の目」に近いような気がする。
  
(2015/10/9 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は二十四節気のひとつ
  寒露
  露が寒さで凝って霜になるという意味。

    水底を水の流るる寒露かな    草間 時彦

  私の年齢、60歳ですが
  あたりが寒露かもしれません。
  もう少ししたら
  人生の冬の季節になっていく。
  そんなさしかかり。
  今日は山田太一さんのエッセイ集
  『夕暮れの時間に』を
  紹介しますが、
  「夕暮れ」にもなんだか人生の黄昏を
  感じます。
  山田太一さんは私よりも20歳も年上、
  そんな方のあとを
  しっかりとたどれたら、
  どんなにいいでしょう。

  じゃあ、読もう。


sai.wingpen  老人はおのれの老齢に無知な子供                   

 脚本家であり小説家の山田太一氏は昭和9年生まれだから、今年81歳になる。
 その70代に書かれたエッセイや書評を一冊にまとめたのが本書で、おそらくタイトルの「夕暮れの時間」には自身の人生の「夕暮れ」も意味しているのであろう。
 この本では4つの章に区分されている。
 Ⅰが随筆の類、Ⅱが自身の思い出、Ⅲが自身と関係のあった人、Ⅳが書評とか本の話。
 特にⅣでは文庫本での解説や新潮社のPR誌「波」に掲載された小文が集めれている。

 山田氏は若い頃から読書をしていて気になった一文を書きとめる習慣があるようで、本に関するエッセイ以外でもそういった一文が時に顔を出す。
 山田氏の中では書きとめた一文に読んだ時の記憶が重なるのであろうが、エッセイを読む読者からすれば、引用された一文がエッセイの深みを増してくるように思える。
 何故そういうことを書くのかというと、本書に収められている「このごろの話」に引用されているミラン・クンデラの引用文がよかったからだ。
 「このごろの話」は、「文藝別冊 総特集 山田太一」のはしがきに書いた文章なのだが、その中でこんな文章を引用している。
 「老人はおのれの老齢に無知な子供なのだ。」
 つまり、クンデラは人間は常に新しい生活を営んでいるに過ぎなく、そういう点では「人間の惑星は未熟な惑星」だとしたのだが、だからこそ、山田太一さんの文章はいつも新鮮なのだと思いたい。

 けれど、「おのれの年齢に無知」であったとしても、そういう「無知」な人たちが書いた書物というのは万巻あって、例えばこの本にしてもその一つで、「無知」ではなくなろうとして人は書物を紐解くのだろうが、けれど実際には「無知」であることには間違いない。
 もしいえるとすれば、少しばかりの「知恵」はつく。
 その少しばかりの「知恵」を大切にするかどうかで、人生は変わってくるような気がする。

 大人の作家山田太一氏の言葉をなぞるのもまた、少しばかりの「知恵」をつけたい、私の試みである。
  
(2015/10/08 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日ニトリホールディングス社長の
  似鳥昭雄さんの「私の履歴書」、
  『運は創るもの』を
  紹介しましたが、
  似鳥昭雄さんの半生を見ていると
  社長というのも創るものなんだと
  思いました。
  青年期の似鳥昭雄さんは
  将来上場企業の社長になるなどとは
  誰も考えなかったと思います。
  それが今や飛ぶ鳥を落とすニトリの社長。
  社長になるには
  免許もいらなければ
  学歴もいらない。
  そこで、今日は
  蔵出し書評として
  並木忠男さんの『なぜ社長には免許がないのか』を
  紹介します。
  2003年に書いた書評ですから
  なんと12年前に書いた文章だということに
  我ながらびっくり、
  冒頭の書き出しなどは
  時代を感じますが、
  そこはお許し下さい。
  それでも全体的には
  今でも通用するのではないでしょうか。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  親父にもぶたれたことないのに!                   

 最近の日本経済を見ていると、不良債権処理にしろデフレ問題にしろ、何ひとつ解決できない状態が続いている。
 深刻な自信喪失症である。
 「失われた一〇年」は過去形でなく、現在進行形のまま無為に歳月を重ねている。「日出づる」とまで云われた日本経済は、どこで何を間違ってきたのだろう。

 戦後の日本経済を支えた活力は、焼き跡からの復興と豊かな生活への渇望だった。
 明治維新後の日本が西洋を模倣したように、戦後の日本はアメリカ的な豊かさを追及しようとした。戦後の多くのリーダーたちは、何もない原っぱのような世界からこうして出発した。
 彼らが持っていたものは豊かさという夢であり、多くの人々もその夢を唯一のものとして共有したといえる。
 しかし、やがて実現した豊かさは沸点を通過したあと、線香花火のように、多くの光となって飛び散っていった。
 個の多様化である。
 そして、線香花火が燃え尽きるように、バブルという火の玉がぽとりと落ちたのだ。
 日本経済は、飛び散った個の多様化にいつまでも対応できないでいる。

 そういった日本経済不振の原因は、緊張感のないノン・プロフェッショナルな経営だと著者の並木氏は云う。
 バブル崩壊後、多くの社長が報道カメラの前で頭を下げ、そして涙を流した。
 彼らはその時、経営のプロとして、涙を流したのだろうか。
 不祥事を起こした企業の経営者が閉まるエレベーターの中で「私も寝ていないのだ」と報道機関を振り切った言葉は、人気アニメ「機動戦士ガンダム」の中で出撃を拒んだ主人公のアムロが上官に殴られて口にした「二度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに!」というせりふに似て、コミカルでさえあった。
 あの時のアムロに戦いの意味がわかっていなかったように、あの経営者も経営の意味がわかっていなかったのではないか。

 「この国はいま、変化に挑戦する気概と進取の気風が強く求められているはずである」。
 並木氏はこの本の最後に、多くの経営者と読み手に向かって、熱いメッセージとしてこう書いた。
 私からは、ガンダム名言集からこんなアムロの言葉を送りたい。
 「しっかりしろ! 君は強い女の子じゃないか!」(もちろん、女の子は経営者に読み替えて下さい)
  
(2003/03/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  似鳥昭雄さんの『運は創るもの』。
  2015年4月に
  日本経済新聞の「私の履歴書」の連載されたものの
  単行本化です。
  このタイトルについて
  似鳥昭雄さんはこう書いている。

    運は、それまでの人間付き合い、失敗や挫折、リスクが大きい事業への挑戦など、
    深くて、長い、厳しい経験から醸成される

  さすが名経営者の言いことは違うと
  いいたいところだが、
  なになに
  似鳥昭雄さんが若い頃にしてきたことをみれば
  誰にでも運はあるんだと思います。
  それをきちんと
  自分の身の内でできるかどうかだけ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  お、ねだん以上。                   

 日本経済新聞朝刊の「私の履歴書」は人気コラムだ。
 政治家、経済人、文化人、芸能人、ジャンルはさまざまであるが時代を極めた人たちが自身の半生を語るのであるから、面白くないはずがない。
 最近では、本書のもとになった「お、ねだん以上。」のニトリホールディングス社長似鳥昭雄さんの「履歴書」が抜群に面白かった。
 連載が2015年4月、毎朝の新聞を開くのが楽しみだったくらいだ。

 似鳥氏の「履歴書」が面白かったのには理由がある。
 優等生でなかったことだ。いや、そんな言葉以上に「ヤクザ」な生き方が従来の経済人にはない破天荒さを醸し出していた。
 かつて「私の履歴書」を執筆した経済人の中でも、なかなかこういう人はいない。
 そんな生き方は商売を始めてからも続く。70年代前半あたりだ。
 「エアドーム店騒動」とタイトルがついている章などはその最たるもので、雪の重みで開店初日には店が消えていたというエピソードは何度読んでも面白い。
 おそらく一番面白がっているのが似鳥氏なのではないか。

 ところが、ニトリが成長していく頃から似鳥氏の書く内容もまっとうな経営者の言葉になっていくから不思議なものだ。
 こういう「履歴書」を読むと、会社も若いというのは何をしても生き生きとしているし、面白いというのがよくわかる。その点では、人生と変わらない。
 若いから何をしてもいいかといえばそんなことはない。けれど、若さゆえに許されることも多いし、そこから学んでいくこともたくさんある。
 先の「エアドーム店騒動」にしても、今のニトリなら許されないだろう。
 そういう若い勢いが規模の拡大には必要なのだ。

 しかし、こういう破天荒な経営者も少なくなったかもしれない。
 この「履歴書」を読んでニトリが嫌になった読者は少ないのではないだろうか。むしろ、ニトリがもっと親しみやすくなったと感じる読者は多いのではないかと思う。
 特にニトリのような流通業の場合、お客様が多様な感情をもった人だからこそ、似鳥氏のような生き方が似合いそうな気がする。
 まさに「お、ねだん以上。」の「履歴書」だ。
  
(2015/10/06 投稿)

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 この週末
 関東地方は秋晴れにめぐまれて
 運動会のところも多かったのでは。
 最近は春にするところも多いですが
 やっぱり秋がいい。
 「運動会」は秋の季語。

    手廂に子を追ひかけて運動会     土生 重次

 この俳句などは天気のいい運動会の情景を
 よく伝えています。
 私は
 もちろん、 畑日和でしたが。

 10月3日はキャベツ茎ブロッコリーの追肥と
 ダイコンの間引きをしました。
 キャベツは2苗植えているのですが
 またまたその一つが弱って
 先週植え替えるというトラブルが。
 そのキャベツ、3回めの植え替えなんですよね。
 最初に植えたのが
 9月の初めでしたから、
 一ヶ月の間に2苗もダメになってしまったことに
 なります。
 どうもキャベツ茎ブロッコリーは災難続き。
 下の写真は今回追肥した
 もう一つのキャベツ

  CIMG0554_convert_20151003165851.jpg

 そして、ダイコンシュンギクとかミズナの葉物野菜の
 間引きです。
 ダイコンはひとつの穴に4粒の種を蒔いて
 今ではこんなに。

  CIMG0556_convert_20151003165950.jpg

 葉物野菜も順調に育っています。

  CIMG0557_convert_20151003170104.jpg

 自分でいうのもなんですが
 きれいに育っています。
 経験は大事ですね。
 ダイコンは4つの芽のうちのひとつを間引き、
 また少し大きくなったら間引き、
 そして最後には1本にして育てます。
 間引きしたダイコンはご覧のように
 かわいい根をつけています。

  CIMG0558_convert_20151003170242.jpg

 ちょうどキャベツの畝のネットの上で写真をとったので
 2つのキャベツが見れます。
 右のが先週植え替えたキャベツです。

 ハクサイは順調に育っています。

  CIMG0562_convert_20151003170402.jpg

 最近置き去りになっている
 サトイモラッカセイですが
 あと1ヶ月もすれば
 収穫の時期を迎えます。

  CIMG0551_convert_20151003165730.jpg

 なかなかいい育ち具合ですが
 何しろ地中で育っているので
 成長の姿が見れないのが残念。
 その分、期待が大きいのですが。

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近絵本を探す時に
  野菜を描いた作品はないかしらんと
  あちこち見ている自分が
  います。
  今日はそんな中で見つけた一冊、
  大西ひろみさんの『あっちゃんのはたけ』を
  紹介します。
  絵本に出てくる野菜はキュウリですから
  この絵本の舞台が
  春から夏にかけてのものだとわかります。
  自分で実際にキュウリを育ててみて
  実感できる絵本の読み方
  かもしれませんね。
  書評の最後に
  花を描いて欲しかったと書きましたが
  それも私の実感。
  夏野菜たちがきれいなかわいい花を咲かせてくれるのは
  それはそれで
  菜園をしていてよかったことのひとつ。
  これからも
  もっと野菜を描いた絵本を
  紹介できたらと思っています。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  キュウリの花もきれいだよ                   

 野菜嫌いな子はいるもので、いったいどんなきっかけがあったのでしょうか。
 野菜は身体にいいことはわかっているけれど、口にもできないのは可哀想で、できれば子どもが小さいうちに矯してあげたいもの。
 自分で育てた野菜ならどうかしら。これは多くの親が考えつく答えかもしれません。
 実際菜園で野菜を育ててみると、小さな子どもたちがたくさんいます。ぼくんちのキュウリだよ、わたしんちのナスは大きいわ、と随分楽しそうです。
 こういうきっかけで野菜嫌いがなおるなら、菜園もいいものです。

 この絵本の主人公、あっちゃんも野菜嫌いな女の子。
 一緒に暮らしているおばあちゃんが菜園をやっていて、無理矢理連れていかれます。
 おばあちゃんはまずは土を耕します。土の中には色々な虫がいますから、あっちゃんは気になってしかたがありません。子どもというのは、動いているものは好きです。
 だから、つい、「あっちゃんにも やらせて」となります。
 次はキュウリの苗植え。おばあちゃんの作業を見ていると、やっぱりしたくなります。
 水やりだって、やっぱりしたくなって、まんまとおばあちゃんの策略にはまってしまうのです、あっちゃんは。

 とうとう雨が降った日には畑が気になって、ひとりで出かける始末。
 菜園を始めて頃はこの時のあっちゃんの気持ちでした。雨が降ったらどうなるのだろう、風は大丈夫だろうか。農家の人のように野菜で生計を立てているのではないのに、うんと気になります。
 まして水害や台風で畑が被害にあったニュースなどみると、とっても悲しくなるようになりました。育てる苦労が、少しはわかるようになったからかもしれません。

 さて、雨の日一人で畑に出かけてあっちゃんはキュウリに小さい実がついているのを見つけます。
 絵本の世界ですから、限られたページで物語を進行しないといけないことはわかりますが、野菜を育てて最初に感動するのは、花をつけた時かもしれません。さっかくだから、あっちゃんが花を見つけてもっと実がつくのを楽しみにする場面を書いて欲しかった。
 そこがちょっぴり残念。
  
(2015/10/04 投稿)

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 昨年は紅葉の季節に
 いくつかの用事があって
 京都とか名古屋で紅葉を楽しむことができました。
 下の写真は
 名古屋城がある公園の紅葉で
 それは見事に色づいていました。

  20141128_110219_convert_20151001155835.jpg

 10月になったばかりで
 紅葉にはまだ早いかもしれませんが
 実際昨年の11月中旬京都を
 訪れた際も少し早かったかという
 印象でしたね。
 こればかりは天候とかの関係もあるから
 なんともいえませんが。

 <50代からの旅と暮らし 発見マガジン>
 「ノジュール」10月号の大特集は

    紅葉の世界遺産を歩く

 どのページを開いても
 鮮やかな錦繍の世界。
 圧倒されます。

  20151001_082432_convert_20151001155715.jpg

 記事の中に
 「今年の紅葉予想2015」というのがあって
 それによると
 関東の紅葉名所のひとつ
 日光のいろは坂は10月18日頃
 京都の嵐山は11月20日頃になっています。
 せっかく出かけたのに
 紅葉には早かったというのは
 残念だから、
 こういう予想もありがたい。

 「錦秋の世界遺産モデルプラン10」では
 日光東照宮、白川郷、厳島神社、平泉などが
 モデルコースとともに紹介されている。

 紅葉とは漢字で書くと
 紅い葉。
 黄色く色づくのは黄葉と書くのですが
 私はこの黄葉が好きです。
 その紅葉のなぞを
 「秋の散策前に知っておきたい 紅葉のなぜ?」で
 詳しく説明されています。

 10月号のその他の特集では
 「美味しい温泉宿」「正倉院展で出合う秘宝」といった記事が
 面白い。

 今年は紅葉を愛でる機会は
 今のところないから
 「ノジュール」のページを繰って
 楽しむしかないのかな。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今街にはシニアが溢れかえっています。
  若い人が仕事をしている時間、
  シニアの人たちは
  喫茶店で、図書館で、デパートで、公園で
  溢れかえっています。
  私もそんな中の一人ですが。
  見ていると
  女性の方が生き生きしています。
  男性はちょっと時間を持て余している感じ。
  これからはもっと
  そんな光景が増えていくのでしょうか。
  今日は
  内館牧子さんの『終わった人』を
  紹介します。
  自分が「終わった人」なんて
  誰も認めたくないでしょうが
  でも、「終わりつつある人」であることは
  間違いないんでしょうね。
  ちょっと深刻な
  長編小説でした。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  身につまされました                   

 「定年って生前葬だな」。これがこの長い物語の書き出しである。しかも、タイトルが『終わった人』というのだから、内館牧子さんもキツイ。
 物語の主人公壮介は63歳でメガバンクから出向転籍していた社員30人の小さな会社を定年する。最終的な役職は専務取締役。 りっぱなものだ。
 けれど、壮介は東大法学部を卒業、かつてはメガバンクの役員候補までなった男だ。まだまだ仕事に未練がある。
 そんな男が定年になってあり余る時間をどうするか。まずは妻に「温泉にでも行こうか」と声をかけるが、中年になって理容師として自立した妻は「そんなに休めない」という。
 よくある。
 若い時には仕事を終えたら妻とのんびり旅行でもなんて男は考える。いつまでも考える。ところが、妻の方はすっかり忘れている。夫と一緒にいる時間を毛嫌いする。
 壮介の家にしても、理容師として妻が働いているからバランスがとれている。これが始終一緒なら息が詰まる。妻にいわれるのがオチだ。

 壮介は行き場もなくスポーツジムに通い出す。見たくもない映画を観る。カルチャースクールで啄木などを習い出す。ちょっと頑張って大学院でも行くか。
 けれど、それが壮介の定年後にしたかったことかといえば、違う。壮介は何の目的もなく「生前葬」を迎えたのだ。
 ところが、ひょんなことから壮介のIT会社の顧問の要請が来る。嬉々として受ける壮介。
 「俺が何よりも望んでいたのは、社会で必要とされ、仕事で戦うことだ」、定年からそれまでの時間を「地獄の日々」とまで言い切る壮介。
 わかる。実によくわかる。
 壮介でなくとも40年近く組織で働いていると、「仕事で戦う」ことが当たり前になっている。かつての夢なんかとっくに根腐れを起こしている。
 すっかり違う人格になっているのだ。それがわからないから「地獄の日々」になる。
 でも、なんだろう。働いている時にはあんなに辞めたいと思っていたはずなのに。

 さらに壮介はそのIT会社の社長にまでなってしまうのだが、最後は倒産。壮介の身勝手な欲望は老後資金まで失う結果にまでなってしまう。
 さあ、これで壮介は本当の「終わった人」になってしまうのか。
 身につまされる人たちは、たくさんいるだろう。
  
(2015/10/02 投稿)

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