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 おまけというのはなんであっても
 うれしいもので
 それが時間でも同じこと。
 今日は4年に一度の
 おまけの日。
 2月29日
 そこで、今日はおまけのように街で見つけた
 一枚の写真から。

  20160225_091325_convert_20160228163536.jpg

 きれいに咲き誇ったミモザ
 今がちょうど見頃です。
 まさに春の季語

    沸き立つといふ咲きぶりの花ミモザ     大橋 敦子

 ミモザの黄色が映えれば
 春はもう少し。

 最近の海外ドラマは
 本編の続編に「season(シーズン)」という言葉をつけるのが
 はやりのようですが
 それにならえば
 わたしの菜園も
 いよいよ「season2」に突入です。
 先週は週の半ばに深夜に雪が降ったのですが
 週末は春を感じさせる気候に
 なりました。
 それにあわせるように
 ニンジンの種まきの講習会が
 土曜日(2月27日)にありました。
 わたしの菜園season2
 ニンジンから始まります。

 次の日の日曜(2月28日)は
 気温も春のようにあがりましたから
 さっそくニンジンを育てる畝づくりの
 スタートです。
 土曜にはそれまでたくさん収穫した
 茎ブロッコリーを伐採した畝を
 耕して施肥して
 新しい畝を作ります。
 下の写真は作業前の菜園のようす。
 奥に葉物野菜の畝があるのがわかるかと思います。

  CIMG0996_convert_20160228163935.jpg

 season2では
 丁寧に畝を作ろうとしっかりと
 時間をかけました。
 そして、できた畝がこちら。

  CIMG1001_convert_20160228164013.jpg

 さすがseason2でしょ。
 我ながらいい出来栄えに
 満足しています。
 ここにニンジンの種を蒔きますが
 それはまた次の機会。
 今は肥料をじっくりなじませます。

 先ほどの葉物野菜ですが
 少し生育が遅いですよね。
 ホウレンソウは2月中に収穫するようにって
 NHKEテレ「やさいの時間」の藤田智先生も言っていたのですが
 まだまだ小さい。
 そこで間引きがてら
 小さいながらも収穫をしました。

  CIMG0990_convert_20160228163849.jpg

 夜、おひたしにして戴きました。
 しっかり甘さのでたホウレンソウでした。

 ナバナも育てていますが
 こちらももう少し時間がかかるかな。
 ちょうど写真の中央部分に小さな花蕾が
 見えます。

  CIMG0988_convert_20160228163757.jpg

 これがもっと伸びてこないといけません。

 わたしの菜園season2では
 去年栽培しなかった
 ニンジンとかスイカにも挑戦したいと
 思います。
 お楽しみに。
 それと、これもおまけですが
 先日受験した農業検定3級
 無事合格しました。
 うーん、この話は
 おまけというより
 蛇足かな。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は2月のおしまいの日と思いきや、
  今年は4年に一度のうるう年
  明日の29日がある
  ありがたい年です。
  今週の木曜はひなまつりですから
  今日は
  野村たかあきさんの
  『おばあちゃんのひなちらし』という絵本を
  紹介します。
  先日三浦半島を歩いた時に
  とっても美しいおひなさまを見つけました。
  それが下の写真。

  20160219_125913_convert_20160221151627.jpg

  とても上品そうなお顔をなさっています。
  「人形は顔がいのち」とよく言われますが
  このおひなさまの美しいことをいったら。
  そして、ひなまつりといえば
  ひなちらしにうしお汁。
  この絵本を読んで
  ぜひ作ってみて下さい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  二人そろってすまし顔                   

 野村たかあきさんの「おばあちゃんの行事料理」シリーズの一冊。
 野村さんは1949年生まれですから、こういう行事を実際に体験してきた年齢かと思います。最近では行事料理をしないおうちも結構あるのではないでしょうか。
 でも、やはりその由来なんかを知ることは行事の持っている印象を深めます。
 子どもたちと一緒に料理をしながら、そういうことを語り継いでいくことの大切さを感じます。

 今回の料理はひなまつりの行事料理。
 もちろん、3月3日の女の子の節句に戴く料理です。
 登場するのはいつものきりかちゃんと弟のこうたくん。そして、料理名人のおばあちゃん。
 今回のメニューは「ひなちらし」と「うしおじる」。それに「ひしもち」や「ひなあられ」も出てきます。
 料理の前には雛飾りも出しましょう。

 絵本では二十四節気のひとつ「雨水」の日に雛飾りを出しています。その方が良縁に恵まれるそうです。さすがおばあちゃん、よく知っています。
 きりかちゃんのおうちは七段飾りのりっぱな雛飾りです。きっと飾るのも大変でしょうね。そんな時こそおばあちゃんとたくさん話ができる貴重な時間。
 そういうことの一つひとつが思い出になっていくといいですね。

 さあ、桃の節句の当日、おばあちゃんと一緒に「ひなちらし」を作ります。
 色鮮やかな「ひなちらし」はさすがに女の子の節句らしく華やかです。
 もう一品は「うしおじる」。これははまぐりの汁物です。
 どうしてはまぐりかというと、はまぐりは「にまいのからがぴったりかさなって、ほかのかいとはぜったいにあわない」そうです。だから、「じぶんにぴったりのひとにであえますように」という願いが込められているそうです。
 これ、全部、おばあちゃんの受け売り。

 我が家にも娘二人いますが、成長して、ここ何年も雛飾りは出していません。
 だからなのでしょうか、「ぴったりのひと」には出会えていないようです。
 娘さんがいる家族はきっとこの絵本を楽しく読んでいるのではないでしょうか。
  
(2016/02/28 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  重松清さんは好きな作家のひとりです。
  読んだ作品の数も
  それなりに多いと思います。
  だから、新刊の『たんぽぽ団地』も
  楽しみにして読み始めました。
  でも、結論からいえば
  あまりいい作品ではなかったように
  思います。
  どうもあるパターンにはまりすぎている感じが
  拭えません。
  もちろん、重松清さんならではのテーマなり
  書き方がありますし、
  それを楽しみにしている読者も多いでしょうが
  ここまで構成が破たんしていると
  やはり残念でなりません。
  このあたりでまったく違う世界を
  作り上げる方はいいのではないかとも
  思ってしまいます。
  そうはさせまいとする
  編集者はいるでしょうが。
  さて。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  あの重松清でも                   

 新しいものもいつかは古くなる。
 人間もまたしかり。
 この物語は、昭和35年に完成した団地を舞台に描かれている。
 出来たばかりの団地に住んだ若い家族も半世紀の時を経れば、連れ合いが亡くなることもあろう、子どもが家を出てしまうこともあっただろう、急な坂道は楽しい語らいの場であったとしても今では負担ばかりが大きい。
 住居というのは人と密接な関係が持っているから、余計に時の残酷さを感じる。

 その団地が昭和48年にテレビドラマの舞台となったことがある。タイトルは「たんぽぽ団地の秘密」。けっして好評というわけではなかったし、主人公を演じた少年ワタルはその後売れないまま52歳になっている。
 その団地が2014年に老朽化で取り壊されるという。
 団地ができて、54年。古びたのは団地だけではない。かつてそこに住んだ人たちも家族も年をとった。
 妻を亡くして一人団地に残った父親に引っ越しの決断をさせるために団地を訪れる直樹とその娘杏奈。二人がそこで見たものは何であったか。

 重松清の筆はいつものように達者で、親と子、孫娘と亡くなった祖母、子どものいじめ問題と多彩な世界を描いているが、どうも全体の出来がよくない。
 いつの間にかSFの世界のように、昭和48年のテレビドラマが入り込んできたり、主人公の杏奈たちが夢の世界からの指令のままに現実を探索したり、どうにでもこしらえてしまえる世界になってしまっているのが残念だ。
 いじめの問題にしても、その解決は中途半端で、いやそもそも何も解決されていない。
 読む者としては、どうして重松はこういう作品に仕上げてしまったのか理解に苦しむ。

 重松はあまりにも同じような世界を描き過ぎている気がする。
 重松のような筆巧者であっても、さすがに何度もなんども同じような関係、同じような問題を描けば、そのドラマ性は枯渇してくるだろう。
 もちろん、重松がたびたび描いてきた子どものいじめの問題にしても今だに何も解決していない。
 それでも、ここまで作品が枯れてしまうのであれば、重松は違う世界を描いた方はいいのではないか。
 筆だって年をとるのだから。
  
(2016/02/27 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介した
  オードリー・ヘップバーン
  洋画の清純派女優とすれば
  日本映画の清純派女優は
  吉永小百合さんですよね。
  これは異存のないところでしょ。
  しかも、
  オードリー・ヘップバーンと同じように
  吉永小百合さんも
  社会貢献の一環として
  長年「原爆詩」の朗読会を
  続けています。
  今日紹介する
  『吉永小百合の祈り』は
  その活動がTVで放映されたものを
  活字化したものです。
  NHKアーカイブス制作班編です。
  アーカイブスというのは
  文書や資料の保管庫みたいな
  意味ですね。
  女優をしながら
  社会貢献をしているなんて
  生きる姿勢がいいですよね。
  その点でも
  吉永小百合さんも妖精かも
  しれません。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  ここにも妖精がいた                   

 女優吉永小百合さんの魅力はその眼ではないでしょうか。
 女として生きる辛さの表現もその眼が語っていると思えます。それは、高校生の時の作品「キューポラのある街」(1962年)から変わっていません。
 その一方で声はけっしていい方ではないのではないかと思います。いわゆる鈴を転がしたような細い澄んだ声ではない。むしろ、しっかりと落ち着きのある太い声のように感じます。
 だからこそ、その声が30年以上続く「原爆詩」の朗読会の源泉となっているのではないでしょうか。
 生きることの素晴らしさ、戦争の悲惨さは、あの声だから心の底に響いてくるような気がします。

 この本は吉永小百合さんの「原爆詩」を語り継いでいく姿を記録したNHKの番組を書籍としてまとめられたものです。
 「プロローグ」に吉永さんのこんな言葉が紹介されています。
 「“戦後何年”という言い方がずっと続いてほしい」。
 昨年(2015年)は戦後70年という年でした。この国に住む私たちは幸いなことに太平洋戦争の終戦から70年、直接的に戦争の当事者になったことはありません。残念ながら世界に視線をうつせば、70年の間にたくさんの戦争がありました。
 だからこそ、吉永さんがその言葉に込めた意味の大きさに感じ入ります。

 第一章では吉永さんと「原爆詩」との出会いがインタビュー形式で描かれています。
 いつまでもお若い吉永さんですが、1945年の東京大空襲の3日あとに生まれた世代でもあります。
 だから、戦後の食糧のない日々も経験しているのです。
 「戦争を知らない子どもたち」は幸いなことにそういうことを知らないまま大きくなりました。しかし、吉永さんは幼いながらも、自分の体で体験されている。
 そういうことは生きることの強みになっていると思います。
 そして、映画作品の中で戦争の悲惨さを追体験していく。
 吉永さんはそうやって「原爆詩」と出会います。

 第二章では語り続けるにあたっての思い、第三章では戦争を知らない子どもたちへの思い、そして第四章で原発事故で大きな悲しみを受けた福島の人たちにも思いを馳せます。

 女優吉永小百合さんは日本を代表する映画女優ですが、「原爆詩」の朗読もまた吉永さんの大いなる人生のひとつであることは間違いありません。
  
(2016/02/26 投稿)

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  今日は
  ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>の一冊、
  『オードリー・ヘップバーン』を
  紹介します。
  オードリー・ヘップバーンといえば
  映画「ローマの休日」ですが
  晩年の映画「オールウェイズ」の頃は
  これがあのオードリーかと驚いたものです。
  海外の女優さんは
  しわとかをあまり隠さないんですね。
  しかし、ユニセフの活動など
  彼女は終生
  妖精でありつづけた女優でした。
  書評にも書きましたが
  そんな彼女を<ポルトレ>の一冊に
  選んでもらって
  これほどうれしいことは
  ありません。
  若い人たちは
  オードリー・ヘップバーンという女優を
  知らないかもしれません。
  だから、言っておきたい。
  彼女は妖精だった、と。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  彼女は妖精だった                   

 映画好きな人で「ローマの休日」を観ていない人はいないのではないか。
 知らない人のために覚書のようにして書いておくと、1953年に制作されたアメリカ映画で監督はウィリアム・ワイラー。主演女優はこの映画が本格的なデビューとなったオードリー・ヘップバーン。オードリーはこの作品でその年のアカデミー最優秀主演女優賞を受賞している。
 この映画は何度観ただろう。何度観ても飽きるということがない。
 この作品の素晴らしさはなんといってもオードリーの美しさに尽きる。
 その美しさは透明感といってもいい。色がない分、誰にでも愛されたといえる。
 オードリーの登場はそれまでのグラマラスで官能的な女優のイメージを大きく変えた。何しろ、彼女は「ほっそりと華奢で、胸が薄く」少女のようであったのだから。

 ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>の面白さは、その人選にある。
 いくらオードリーが有名で人気が高かった女優とはいえ、中高校生が読む評伝に取りあがられるとは思ってもいなかった。
 中高校生でもオードリーなら知っているかもしれない。もし、まだオードリーを知らなくても、この評伝を読んでみれば、「ローマの休日」は観たくなるに違いない。
 人生であの映画を観ているのとそうでないのとは、やはりすこしばかり幸福度が違うような気がする。

 この評伝では「ローマの休日」のことが描かれるのはほぼ半分を過ぎたあたり。
 つまり、オードリーの人生は「ローマの休日」で大きく変化するが、その前半生も第二次世界大戦という戦争に翻弄される厳しい生活を余儀なくされている。
 それはひとりオードリーだけではない。あの時代に生きた少年少女たちもまた同じであったはず。そのことを忘れてはいけない。
 そして、この評伝にはオードリーのいくつかの恋愛と結婚事情も描かれる。
 一本の映画でシンデレラガールとなったオードリーゆえに、その一方でごく普通の結婚を求めたともいえる。
 もしかすると、オードリーという生き方をそういう面から読み解くことも大事かもしれない。

 オードリーの映画に夢中になった世代からいえば、よくぞこのシリーズで取り上げたくれたとただただうれしい。
  
(2016/02/25 投稿)

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  放送作家のはかま満緒さんが
  2月16日に亡くなった。
  最近TVではあまり見かけなくなったが
  TVの活況期には始終出ていた。
  今日の本、
  萩本欽一さんを育てた人としても
  有名だ。
  78歳で亡くなったのだが、
  だとしたらはかま満緒さんが大活躍したのは
  30代前半だったわけで
  まさにTVの申し子だったといえる。
  萩本欽一さんとは
  「先生」「欽ちゃん」と呼び合う仲だったという。
  今日紹介するのは
  「欽ちゃん」と呼ばれ多くの人に愛される
  萩本欽一さんが
  日本経済新聞の「私の履歴書」に書いた
  半生を本にまとめたもの。
  自身が育てた「欽ちゃん」が
  ここまで大きくなれたのを
  はかま満緒さんも
  喜んでいたにちがいない。

   はかま満緒さんのご冥福をお祈りします。

  じゃあ、読もう。
  
  

sai.wingpen  欽ちゃん、走る                   

 日本経済新聞朝刊の人気コラム「私の履歴書」に欽ちゃんの愛称で人気の萩本欽一さんが登場した時はびっくりした。
 「私の履歴書」には政治家や経済人の大御所が執筆者に名を連ねていて、時々小説家や俳優が書くと新鮮な感じがするが、さすがに欽ちゃんだと、新鮮を通り越して、拍手喝采を送りたくもなる。それほどに欽ちゃんは私たちのそばにいる存在だといえる。
 しかも、2014年12月の連載のあと、欽ちゃんの駒澤大学への進学が報じられ、またまた読者を驚かしてくれる。欽ちゃん、73歳である。
 もちろん、「私の履歴書」にはその話の記述はない。
 だから、この本では「私の履歴書」に「欽ちゃんのキャンパスライフ、教えます」がくっついて、さらには欽ちゃんが育った浅草の笑いの世界を滝大作さんと対談までしちゃっているのだ。
 欽ちゃん、サービス満点でしょ。

 欽ちゃんの芸が他のコメディアンと大きく違うのは、観客を巻き込んでしまう点だろう。
 それは爆発的に売れたコント55号の時代からそうであったように思う。
 右へ左へと走り回る欽ちゃんとジローさん(坂上二郎)の笑いはあの二人が作り出したことは間違いないが、そこに観客も参加していたように思う。観客の笑いがあったからこそ、ブラウン管の向こうで見ている視聴者も入り込みやすかったのではないだろうか。
 専門的にはどういうか知らないが、観客を「くすぐり」続けたのが、欽ちゃんの芸のすごさのような気がする。

 それは、73歳での大学進学(裏口入学ではありません)ということでも感じることだ。
 シニア世代が増えて、仕事を辞めてさて何をしたらいいのかと悩んでいる人は多い。そんな世相にあって、あの欽ちゃんが大学! というニュースはシニア層を勇気づけたこと間違いない。
 欽ちゃんだって大学に行ったんだから、俺だってと思った人は多かっただろう。
 もちろん、欽ちゃんはそんなことを思ったわけではないだろうが、萩本欽一という人が持っている力みたいなものだと思う。

 欽ちゃん、これから先、どんなびっくりを私たちにくれるのだろうか。
  
(2016/02/24 投稿)

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   相模国(神奈川県)の三浦半島は、まことに小さい。

 今年没後20年になる
 作家司馬遼太郎の『街道をゆく』42巻めの「三浦半島記」の
 書き出しである。
 この作品が連載誌だった「週刊朝日」に連載されたのは
 1995年3月から11月のことだった。
 このあと、『街道をゆく』は
 1996年に連載を始めた「濃尾参州記」をもって中断する。
 司馬遼太郎は1996年2月12日に亡くなる。
 それから、20年。
 「三浦半島記」で武士のことを思い、
 明治維新の当時に思いを馳せた司馬遼太郎と違い、
 まぐろ料理を楽しみに
 「まことに小さい」三浦半島の小さな旅に出た。

 最初に向かったのは
 横須賀を下った先、
 半島の先端に立つ観音埼灯台である。
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 この灯台は明治元年11月1日にできた。
 日本最古の洋式灯台である。
 当初はレンガ造りだったが、
 もちろん今は違う。
 それでも、関東大震災後の大正14年に建てられたものだから
 古い。
 急な階段をつたって上ることができる。
 ここから房総半島は見える。
 実に、狭い海域だということが実感できる。
 そして、この海が幕末期江戸の玄関口であったことが
 よくわかる。
 1853年ペリーが黒船で久里浜(のちに浦賀に誘導)に来た時
 幕府は驚いたに違いない。
 玄関まで来て、「OPEN !」なんて言われたら
 時の幕府でなくとも慌てるだろう。
 それほどに狭い。
 どうしてペリーが浦賀に来たのか
 観音埼の灯台から海を見れば
 納得する。
 この海は狭くて小さな玄関なのだ。

  20160219_112252_convert_20160222130307.jpg


 灯台のそばに
 高浜虚子の句碑があった。

    霧いかに深くとも嵐強くとも

 高浜虚子は昭和23年秋にこの地を訪れたそうだ。

  20160219_113314_convert_20160222130442.jpg

 碑といえば
 観音埼公園の中に
 詩人の西脇順三郎の文学碑がたっている。

   燈台へ行く道
   まだ夏が終らない

 で始まる「燈台へ行く道」という詩が刻まれている。
 さしずめ私たちは「燈台へ行く道/まだ冬が終らない」だろうか。
 観音埼は詩人にも俳人にも愛される
 ところだったんだ。
 観音埼で思いのほか
 ゆっくりした。
 司馬遼太郎の思索の旅のように
 上品ではない。
 まぐろが待っている。

 三崎港そばにある「三崎館本館」で食事。
 ここは明治41年創業で
 旅館でもあって宿泊もできる。
 ここでランチの限定メニューを食べた。
 マグロのハツ(心臓)を時雨煮にした料理は絶品。
 マグロの尾の身の天ぷらもいい。
 心臓も尾も食べたことは、
 もちろんない。

  20160219_133101_convert_20160222130518.jpg

 人生、長く生きるといいことがある。

 続いては、城ケ島に向かう。は
 城島といえばTOKIOのリーダー、
 城ケ島といえば、「雨はふるふる」。
 これは北原白秋作詞の「城ケ島の雨」という歌の出だし。
 私も友人も覚えているのは、ここだけ。
 せっかくなので、もう少し。

   雨はふるふる 城ケ島の磯に
   利久鼠の 雨がふる
   雨は真珠か 夜明けの霧か
   それとも私の 忍び泣き

 うーむ、覚えてない。
 確か、「鼠の雨」ってなんだ? みたいな。
 「利久鼠」というのは色のこと。
 緑がかった灰色。
 この日天気はよかったので
 「鼠の雨」は降りませんでした。
 そのかわり、風が強くて
 海岸には強い波が打つ寄せていました。
 それでも、釣りが好きな人は多くて
 「釣りバカ日誌」のハマちゃんみたいな人が
 たくさんいました。
 最後に訪れたのは
 馬の背洞門

  20160219_155534_convert_20160222130553.jpg

 自然の力のすごさを感じます。
 ここは城ケ島公園から少し歩きます。
 案内板も小さいので
 わかりにくいから気をつけて下さい。
 まさに、2時間サスペンスドラマのラストシーンに出てくるような
 景観。
 犯人は女性がいいかな。
 「どうして殺したんだ」
 「愛していたのよ」
 なんて。
 「鼠の雨」が似合いそうです、やっぱり。

 日が影ってきました。
 三崎口駅のそばの
 満開の河津桜をみて、

  20160219_163957_convert_20160222130628.jpg

 三浦半島の小さな旅を
 終わりにしましょう。

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 まだまだ風は冷たいですが
 差し込む陽光に少しづつ
 春の気配を感じるようになってきました。
 先日、友人と
 早春の三浦半島をぶらり旅してきました。
 そこで見つけた、春の海。

  20160219_150126_convert_20160221151706.jpg

 城ケ島の海です。

    春の海ひねもすのたりのたりかな       与謝 蕪村

 有名な蕪村の句ですが、
 まだ「のたりのたり」というより
 光が生まれたばかりのような
 強さを感じる風景でした。

 続いては観音埼で見つけた椿。

  20160219_115126_convert_20160221151547.jpg

 そして、三崎口駅そばの
 満開の河津桜です。

  20160219_163621_convert_20160221151757.jpg

 河津桜を見るのは初めてでしたが
 ピンクが濃い桜なんですね。

    川沿を海へと河津桜かな      阿部ひろし

    夕暮れに残れよ河津桜かな     夏の雨

 2月21日は
 日差しは暖かでしたが、
 風の強い日曜でした。
 菜園のそばの川べりの桜が咲くには
 まだひと月ばかりかかるかな。
 今は冬をしのいだ野菜たちの
 がんばりを楽しみにしています。

 色々と大変だったタマネギ
 新しい芽を大きく伸張させているところ。

  CIMG0983_convert_20160221151451.jpg

 収穫は葉桜の頃でしょうか。

 スプラウト栽培の第三弾となった
 豆苗ですが
 ごらんのとおり
 大きく成長しました。

  CIMG0982_convert_20160221151418.jpg

 ここまで大きくなったので
 収穫して
 おいしく頂きました。
 やっぱり豆腐水切りセットの方が
 栽培しやすかったですね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  私たちは時に誤解する。
  例えば、自分たちが子どもの頃に当たり前であったことが
  現代の子どもにはけっして当たり前ではないことを。
  私たちの子ども時代には
  スマホもネットゲームもなかった。
  現代の子どもは生まれた時から
  ネットの世界に生きている。
  それほどの差があるのに
  親の言い分が通るものなのだろうか。
  今日紹介する 
  いしいしんじさんの『赤ずきん』にしても
  理解不能と投げ出す人もいれば
  大好きという人もいるだろう。
  これってどうすればいいのだろうか。
  年を重ねることで
  人間は利口になるわけではない。
  気がつけば
  置いてけぼりになっていたりする。
  どうしたらいいのか、
  おばあちゃんの家にたどりつけない
  赤ずきんの心境だ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  赤いリトマス試験紙                   

 先日『絵本の心理学-子どもの心を理解するために』などの著書がある教育学の佐々木宏子先生の講義を聴く機会があった。
 その中で「昔話の面白さと深さ」という単元で、この絵本を紹介されていたのが、読むきっかけになった。
 『赤ずきん』という昔話は誰でも知っているだろう。もともとが民話の類だったようで、それをペローが作品に仕上げていったといわれる。
 グリム童話で読んだ人も多いだろう。
 この作品を佐々木先生は「世代で解釈出来る物語」と位置付けて、さらには「世代間継承で変化する物語」として、いしいしんじ氏のこの絵本を紹介したのだ。

 作者のいしい氏は1966年生まれ。(絵は『きょうの猫村さん』のほしよりこさん)
 ペローやグリムの時代から遠く隔たった世代である。
 ここでは「赤ずきん」というのは記号のようなものでしかない。きっとタイトルと表紙絵でこの絵本を手にした読者はびっくりするだろう。
 「えっ、これが『赤ずきん』?」って。
 「あたい赤ずきん」という女の子はいくつぐらいだろう。マグロ船ドンデコスタ丸で出ていったジローの帰りを待っている。
 彼女の「赤ずきん」は透明で、まわりの人には何も見えない。でも、彼女の目には「真っ赤っ赤」に見えるし、今はいないジローにも真っ赤に見えたはず。
 そんな話ってある?

 「赤ずきん」とジローは嵐の晩の箱根ターンバイクで一緒に走ったことがあるらしい。
 その時、ウィンドゥから半身を乗り出した彼女は真っ赤な「赤ずきん」をなびかせていた。
 そんな「赤ずきん」の話ってある?
 佐々木先生は「時代を越えてよみがえる」から昔話は面白いと話されたが、私にはどうにもこうにも。
 佐々木先生は「親の世代が「理解できない」ことを排除するならば、新しい価値は生まれない」というが、この作品には「裸の王様」のような仕掛けがありはしないか。
 「赤ずきん」なんか見えないよ、というべきではないか。
 それともやはり、彼女とジローに見える「赤ずきん」を愛の記号として認めるべきか。
 あなたは、この感覚についていけるだろうか。
  
(2016/02/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  ついに読みましたよ。
  再読しましたよ。
  川上弘美さんの『センセイの鞄』。
  ずっと気になっていたのですが
  やはりそろそろ読まないと、と
  一大決心をして(おおげさな)
  ページを開きました。
  もっと長い小説のように思っていたところが
  あります。
  実際はほどよい分量。
  しかし、いいなぁ。
  この世界。
  きっとこれはファンタジーに近いんでしょうね。
  センセイのような先生はいないし、
  ツキコさんのような女性も少ない。
  これから何度この本開くことになるのか
  わかりませんが
  きっとツキコさんもセンセイも
  変わらずに待っていてくれそうです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  おとなのファンタジー                   

 再読というのは、少し怖い。
 その本がお気に入りであればあるほど、怖さが増す。
 再読をしてがっかりしたらどうしよう。最初の感動が薄れやしないか。
 手にしたいけど、なんとなく遠ざけておきたい。
 私にとってのそんな一冊が、この本だった。
 結果は杞憂であった。
 やっぱりあったかい気持ちになって、それはこの物語のツキコさんとセンセイが居酒屋で口にする肴や酒の感じに近く、満足して外に出れば月が煌々と輝いていたりする気分になっていたりする。

 新潮文庫のこの本には文芸評論家の斎藤美奈子さんの解説が載っていて、その冒頭にこの作品が「出るまでの川上弘美は、もちろん文学好きの根強いファンがついていたとはいえ、「知る人ぞ知る」くらいの作家だった」とあるのは、まったくその通りで、川上弘美はこの作品で大ブレークして、現代作家きっての恋愛小説の書き手になった。
 私もその一人で、おそらくこの作品以降の川上弘美の作品はすべて読んでいる。

 この作品は17編の作品でできた長編小説だが、最初読んだ時は、終盤のツキコさんとセンセイがざわざわした心持ちで何やら異界で遊ぶ「干潟―夢」の章に違和感をもったが、今回はそれもすっとはいってきた。
 これは私の成長なのだろうか。
 そもそもこの小説をずっととても長い小説のように感じていたが、けっしてやたらに長いわけでもないし、読み始めると短編小説を読んでいるかのような感じすらした。
 恋をしたらその対象を過大に評価するかのような、そんな思いがこの作品にも持ってしまったのであろうか。

 ツキコさんはセンセイと一緒にいる気持ちを、本の帯にたとえてこんな風にいう。
 「買った本の帯を取るよりも取らずに置いておきたいのと同じ」。
 こういう気持ちというのは、ただただわかるというしかない。
 37歳のツキコさんが学生時代の恩師であるセンセイに恋するというのも、じつはこのただただわかるということでしかない。
 だからといって、何がわかるというのだと聞かれても、うまく答えようもないのだが。

 再読して思った。
 やはり川上弘美のこの作品はいい。とってもいい。
  
(2016/02/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は二十四節気のひとつ、
  雨水(うすい)
  降る雪が雨に変わって
  積もっていた雪が水へと変わる、
  そんな意味があるようです。

    雪とけて村一ぱいの子ども哉      小林 一茶

  一茶らしい句ですね。
  今日紹介するのは
  水木しげるさんの
  『カランコロン漂泊記』。
  カランコロンといえば
  水木しげるさんの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」の
  ゲタの音。
  水木しげるさんは昨年11月に93歳で亡くなりましたが
  これから先も
  カランコロンとゲタの音をたてて
  この世を楽しませてもらいたいものです。
  小林一茶の俳句に通じるような気がします。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  水木漫画よ、永遠に                   

 昨年(2015年)11月30日に93歳で亡くなった漫画家水木しげるさんを追悼するコーナーが多くの書店で展開された。
 エッセイから漫画まで、その活動の旺盛なことを示すように数多くの本が並んだが、その中から選んだのが、本書である。
 その理由は、漫画である。
 この本は「少年のころの思い出」「兵隊のころの思い出」「忘れられない人々」「カランコロン幸福論」という四つの章に分かれていて、全体でいえば水木しげるという人物を知るにはわかりやすい一冊にできていて、しかもエッセイに加え、「コミックエッセイ」と題された漫画が載っている。
 水木さんの人生はNHKの朝の連続テレビ小説になったように波乱万丈であるが、漫画家だということを忘れてはいけない。
 紙芝居から始まったそのルーツは手塚治虫氏が王道をなしたストーリー漫画を踏襲しながらもその絵のタッチは大きく違う。
 水木さんの代表作ともいえる「ゲゲゲの鬼太郎」にしても、アニメの鬼太郎はビニール人形のようにかわいいが、もともとはもっとオドロオドロしい妖怪漫画だった。
 水木漫画は手塚漫画と両極をなす存在だったことは間違いない。

 93歳まで生きた水木さんだから、幸福論であったり人生論であったり傾聴に値いすることは間違いはない。しかし、水木さんの魅力はなんといっても漫画である。
 この本はその点をしっかり押さえていて、半分はそれぞれの時代を描く漫画にページを割いている。
 「カランコロン幸福論」に掲載されている漫画には、水木さんの愛してやまない「ねずみ男」や「死神」が登場してくる。
 時代とともにいつしか彼らは人気キャラクターになったが、水木さんにとってはいつも自身のそばにいて、悪だくみを吹き込んだり、死を誘う存在であったのだろう。
 そのあたりは、漫画を読むしか理解できないのではないだろうか。

 もちろんエッセイだっておろそかにはできない。
 「人間なんていつ死ぬか分からんもんだ。そう思うと、毎日の『小さな幸福』といったようなものは、案外大切なものなんだ」
 なかなかこういう文章に出会えない。
  
(2016/02/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はマンガです。
  岡野雄一さんの『みつえばあちゃんとボク』。
  岡野雄一さんといえば
  『ペコロスの母に会いに行く』で多くの支持を集めました。
  特に日々介護に追われている読者の共感を
  得ました。
  厳しいけれど
  ほんわかとした絵のタッチがよかったのでしょう。
  マンガだから
  よかったといえます。
  今やマンガはどんな世界でも描けます。
  その点では
  文学よりもうんと世界が広がっているように思います。
  マンガを描く人が増えた分、
  文学を目指す人が減っているのではないかと
  心配になるくらいです。
  しかもクールジャパンでもてはやされていくと
  活字の文化が先細りしないでしょうか。
  岡野雄一さんのマンガの話ではなく
  マンガ全般、
  あるいは日本の文化全般の話になりました。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  お孫さんが登場します                   

 岡野雄一さんが描いた『ペコロスの母に会いに行く』は、マンガながら25万部を超えるベストセラーになり、映画化ドラマ化と社会現象にもなった作品です。
 ペコロスというのは西洋玉ねぎに似た自身の形状を揶揄したものですが、ボケ始めた母親との交流が介護に苦心する多くの人たちの心にズシリと響いたといえます。
 それから『ペコロスの母の玉手箱』ではその母親の死を描いています。
 続くこの作品では岡野氏の息子さん(つまりは孫)が登場し、また違った顔を見せる母親を描いています。
 「みつえばあちゃん」というのは、岡野さんのお母さん。
 「ボク」は、岡野さんの息子さん、みつえばあちゃんの孫です。

 この作品に登場するキャラクターは前の2作と同じです。
 みつえばあちゃんの連れ合い(岡野さんのお父さんです)も登場します。
 もともと西日本新聞長崎県版で2012年から連載されていたそうですから、『ペコロスの母に会いに行く』が売れたということと少し関係しているかもしれません。
 一ページに三コマのマンガですから、新聞マンガとしては、この作品も読みやすかったと思います。

 岡野さんのマンガの特長で目立つのは、俯瞰の視線です。
 それはこの作品でも多く描かれています。
 空から地上を見つめている視点。
 長崎にとんびの生息がどれくらいあるのかわかりませんが、その視点で描くことで人間の世界ではない、神の視線のようなものを感じます。
 『ペコロスの母に会いに行く』でもそれは感じましたが、この作品でも岡野さんは描いています。
 おそらくそれは岡野さんが意識している視線だと思います。
 お母さんのボケとのこともあるかもしれません。
 つまりは、この世界のことがらが色々なことがあったとしても、もっと大きな人の手にゆだねられているということを、岡野さんは描きたかったのではないでしょうか。

 この作品では「ボク」という孫を登場させることで、小さな子供の視点からみたボケていく母親を冷静に見ている作者、岡野さんが確保されています。
 こんなおばあちゃんと少しでも時間を共有できた「ボク」は幸せだったのではないでしょうか。
  
(2016/02/18 投稿)

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 先月の終わり
 2015年の紙の出版物の推定販売額
 発表されました。
 それによると
 前年比5.3%減の1兆5220億円だったそうです。
 減少率は過去最大で
 出版不況は深刻です。
 中でも、雑誌の落ち込みが大きいのだとか。
 前年比8.4%減ですから大変です。
 最近雑誌を何冊読んでも
 定額で読める携帯サービスが人気のようですから
 雑誌がまったく読まれなくなったわけでもないようです。
 もともと雑誌は気軽に読めるというコンセプトだったとすれば
 電子化がさらに進みそうですね。

 そんな中、やはり内容次第で
 雑誌を購入するということはあって、
 今日の「雑誌を歩く」で紹介する
 「サライ」3月号(小学館・780円)は
 衝動買いをしてしまいました。

  

 何しろ今月号の特集は

   みんな「漫画」で大きくなった

 ですから。
 ちょうど今、さいたま市民大学
 全8回の「北沢楽天からアニメまで」と講座を受講していて
 この間は伝説の「トキワ荘」のメンバーでもあった
 漫画家の水野英子さんが講師で
 当時のエピソードなどを聴いたばかり。

 特集記事のリード文を紹介すると

   『鉄腕アトム』に未来を夢見て、
   『おそ松くん』で大笑い。
   『カムイ伝』に生き方を学び、
   『あしたのジョー』から勇気をもらった。
   生まれたときから漫画で育ち、漫画は友であり、師であった。

  
 うーむ、うなりますよね。
 しかも、手塚治虫の『新寶島』と『ジャングル大帝』が
 抜粋収録ですが
 別冊付録になっているのですよ。

 単に思い出さがしの漫画紹介ではなく

   「ストーリー漫画」の歴史をひもとく

 という、漫画の歴史を解説した記事も丁寧にできています。
 図版が多いのがいい。
 その冒頭に、さいたまが生んだ
 北沢楽天の名前が出てきます。

 そして、多彩な識者による

   「私」の名作案内

 「鉄腕アトム」「火の鳥」「おそ松くん」「サイボーグ009」
 「カムイ伝」「ゴルゴ13」・・・
 涙がでそう。
 しかも、「いま、あらためて読むべき⑩作品」の中に
 永島慎二さんの「漫画家残酷物語」にあって
 この漫画に胸うたれた者としては
 拍手喝采。
 よくぞ挙げてくれましたという感じです。

 もともと「サライ」という雑誌の購買層が
 昭和30年代、40年代に生まれた人ですから
 「サライ」初の漫画大特集は
 どんぴしゃの企画だと思います。
 できれば、これの少女版も実現して欲しい。
 そして、楳図かずおさんの「半魚人」とか紹介して欲しいな。

 それに漫画ファンなら一度は行ってみたい

  全国漫画博物館・図書館案内

 まであって、
 こんな内容であれば
 もう買うしかないでしょ。

 もうひとつの特集が
 「「家飲み珈琲」を極める」で
 これはこれでうれしくて
 最高の一杯を味わいながら
 漫画を読むなんて
 小確幸どころか
 大確幸(大きくて確かな幸せ)
 間違いありません。
 「サライ」3月号は、我が家の宝にします。


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 年が変わって
 どうもゲスな話ばかりで
 気持ちが沈みます。
 人気グループの解散話から
 センテンススプリング発信の不倫話、
 さらには有名野球選手の薬物逮捕、
 芸能界やスポーツ界だけではなく、
 政治の世界も荒れてます。
 育休宣言議員の女性問題は
 これぞゲスの極み
 経済再生担当大臣のお金の問題が
 さすが大物議員は昔ながらの正攻法と
 感心してしまうのも、
 どこか、変。
 この国がゲス話に夢中になっている間に
 株安・円高、原油安に世界経済減速、
 ミサイルだテロだと
 一体世界はどうなってしまうのか。
 認知症にならないためには
 皮肉屋にならないことだとか。
 困った。困った。

 そうはいっても
 芥川賞・直木賞の発表はやってきて
 第154回芥川賞
 前回に続いてW受賞。
 本谷有希子さんの『異類婚姻譚』、
 滝口悠生さんの『死んでいない者』。
 二人受賞ながら
 前回の『火花』のような勢いは
 感じられない。
 しかし、それでも
 「文藝春秋」3月号(文藝春秋・930円)は
 受賞作2作の全文掲載の
 おなじみの企画です。

  

 少し前なら
 「文藝春秋」の全文掲載号で
 芥川賞受賞作を初めて読むということが多かったのですが
 「文藝春秋」ばかりにいい思いはさせないと
 この号が出るまでに
 すでに2作とも単行本で出版されています。
 それでも「文藝春秋」を買うのは
 選考委員の選評が載っているから。
 作品はどこでも読めるけど
 選評はなかなか読めないので
 これは逃せられません。

 「文藝春秋」3月号の
 もうひとつの大型企画は

   生きる意味を教えてくれる
   88人の「最期の言葉」

 リード文の一部を紹介します。

   人は自らの最期を悟った時、
   あるいは死を意識した時、
   どんな言葉を遺すのか。

 深いですよね。
 88人にはどんな人がいるかといえば
 田中好子さん(キャンディーズのスーちゃんです)
 やなせたかしさん(いうまでもなくアンパンマン)
 手塚治虫さん(もちろん鉄腕アトム)
 円谷幸吉さん(東京オリンピックのマラソン銅メダル)
 川島なお美さん(昨年多くの人の涙を誘いました)
 美空ひばりさん(川は流れています)
 など、多士済々。

 毎晩一人ずつ読んでいけば
 88夜ですよ。
 すごいなぁ。
 「最期の言葉」を読んで
 ゲスの世界から少しでも離れたいもの。
 石原裕次郎さんの「最期の言葉」は

   人生耐えることなのよ

 育休宣言から
 あっという間に議員辞職までしちゃった
 ゲス議員の元先生に
 ぴったりの言葉だこと。
 おっと、
 皮肉屋は認知症になりやすいんだった。
 危ない、危ない。

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 この土日、
 東京は一気に春めいて
 温度も5月上旬並みにまであがりました。
 各地の梅の便りも
 これですっかり綻んだことでしょう。

    近づけば向きあちこちや梅の花      三橋 敏雄

 古来、花といえば桜ではなく梅でしたから
 梅をめでる習慣も風流。
 写真は東京湯島の湯島聖堂の紅梅と白梅。

  20160213_135427_convert_20160214160327.jpg

    白梅に枝からめおり紅き梅         夏の雨

 日曜(2月14日)の菜園も
 ぽかぽか陽気。
 せっかくなので
 菜園で見つけた春の気配を
 紹介します。

  CIMG0977_convert_20160214160114.jpg

 浅葱(アサツキ)の新芽です。
 暖冬とはいえ
 霜が降りたり
 雪が降ったり
 そんな中を土の中で春が来るのを
 待ちわびていたのでしょうね。
 こういう姿を見ると
 春が来るのが
 楽しみです。

 ホウレンソウコマツナなどの葉物野菜を植えた畝も
 ごらんのとおり、

  CIMG0978_convert_20160214160156.jpg

 あと数週間で収穫ができそうです。
 これから気温がぐんぐん上がってくれば
 成長も早いのではないでしょうか。

 久しぶりに
 収穫の様子もごらんください。
 茎ブロッコリーです。

  CIMG0981_convert_20160214160238.jpg

 この日は今まで以上に採れました。

 今わたしの菜園では
 契約更新の時期にはいっていて
 やはり何人かの人は
 辞めてしまうようです。
 中には、会えば話が弾む人もいたりして
 残念で仕方ありません。
 一年という期間
 野菜の世話をするというのも
 大変なんですよね。
 春からどんな新しい人が
 やってくるのか。

 行く風も
     来る風も
       それも春。

 
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プレゼント 書評こぼれ話

  今日はバレンタインデー
  この日の俳句としては
  極めつけの一句があります。

    いつ渡そバレンタインのチョコレート     田畑 美穂女

  俳句には古臭いイメージがつきまといますが
  この俳句を読むと
  これ以外の表現はないと感心します。
  そこには古臭さなど微塵もありません。
  どころか、
  女の子のなんともいえない気持ちが
  見事に描かれているように思います。
  でもですね、
  女の子だけではないんですよね。
  もらう方の男の子だって
  ドキドキしているものなんですよ。

    えっ僕にバレンタインのチョコレート     夏の雨

  もうチョコレートをもらえる年齢ではなくなりましたが
  それでも差し出されたらうれしいものです。
  今日はそこで
  チョコレートの本を紹介します。
  小川京美さんのマンガ
  『まんが社会見学シリーズ チョコレートって楽しい!』。
  もらえない男の子も
  楽しめるまんがです。

  じゃあ、読もう。

  CIMG0975_convert_20160212173306.jpg

sai.wingpen  チョコに愛をこめて                   

 ひと昔前なら、「いつまでまんがなんか読んでるの。早く勉強しなさい」と叱られたものだが、最近では「勉強しないなら、マンガで勉強したら」ぐらいには変化しているのではないだろうか。
 それほどマンガ文化は私たちの生活を一変させたといえる。
 「社会見学シリーズ」と銘打たれたこのシリーズもちゃんとその前には「まんが」と表記されて、「いろいろな情報をわかりやすくまんがで解説」されている。
 多分子どもたちには大人がわかる以上のまんがに対する読解力があるのだろう。
 ただ、この本を作った大人たちには、「きっかけ」づくりである。ここから先に子どもたちがどう進むか、それも楽しみのひとつだ。

 この本では「チョコレート」に関することがまんがで解説されている。
 しかも、ストーリーまんがの手法を踏襲している。
 主人公は小学5年の女の子、さくら。親友の桃花と最近うまくつきあえなくて悩んでいる。そこに現れたのが近所に住むチヨコおばあさん。
 チヨコおばあさんに連れられてさくらはチョコレートの歴史やチョコレート工場に潜入することになる。
 そして、いつしか桃花との仲も元通りに。
 そんなストーリーにチョコレートの話がふんだんにはいっている。

 特に歴史は丁寧に描かれている。
 チョコレートの四大発明なんてあることすら知らなかった。ちなみに書くと、「ココア、ココアバターの誕生」「固形チョコレートの開発」「ミルクチョコレートの開発」「コンチングの開発」の四つらしい。
 まんがだからといって解説があやしいわけではない。実際この本にはお菓子のロッテが協力している。チョコレート工場への潜入はたぶんロッテの工場が参考にされたのだろう。

 最後には「手作りチョコレートレシピ」まで載っている。
 「ガーナたこ焼き」とか「ガーナカレー」があるなんて知らなかった。
 子どもたちが顔付き合わせてそんなレシピに夢中になっている姿は容易に想像がつく。もしかしたら、女の子たちの頭の中にはお気に入りの男子に食べてもらう、そんな姿が浮かんでいるのだろうか。
  
(2016/02/14 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介した
  「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いた一人が
  井上ひさしさん。
  この番組のあと
  直木賞を受賞したり
  戯曲を書いたりと
  大作家の道を歩んでいきます。
  井上ひさしさんが亡くなったのは
  2010年の4月9日。
  亡くなる前に
  三女の井上麻矢さんにこまつ座の経営を
  譲ります。
  単に譲っただけではありません。
  病床から
  毎晩のように麻矢さんに
  電話をかけたそうです。
  そこで話された
  井上ひさし語録を集めたのが
  今日紹介する
  井上麻矢さんの
  『夜中の電話 父・井上ひさしの最後の言葉』。
  井上ひさしさんが亡くなったのは
  75歳の時。
  やっぱりエラい人は
  早く亡くなるなあ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  言葉が残った                   

 親はわが子に何を遺せるだろう。
 小説家で劇作家でもあった井上ひさしは2009年の秋にがんの告知を受け、その後治療に専念したが翌2010年4月亡くなった。75歳であった。
 死の直前三女の麻矢さんに自身の劇を上演する「こまつ座」の社長に任命する。そして、深夜麻矢さんに向けて毎晩のように電話をかけてきたというのだ。しかも、その電話は時に朝まで延々と続くこともあったという。
 井上は麻矢さんに何を遺そうとしたのだろうか。

 この本の著者でもある麻矢さんが井上の前妻との間にもうけた三人の娘の一番下である。
 井上の離婚後、麻矢さんとの間に確執が残った。それまで平和であった家庭がある日修復不可能となるのであるから、しかもそれが自身の多感な時期ともなれば、辛いことであっただろう。
 しかし、麻矢さん自身がその後結婚したものの離婚を経験し、あるいは井上のそれをも理解できたということもあったのだろうか。
父と娘はやがて和解し、父は娘に「こまつ座」を託すことになる。
 そして。多くの言葉を、この本ではそのうち77つが紹介されている、その子に残した。いや、それは「こまつ座」と同じように、託したというべきだろう。
 その言葉は麻矢さんという娘だけでなく、多くの人々の胸を打つ。
 このようにして井上は考えていたのか。
 麻矢さんが「夜中の電話」に教えられたように、読者もまた井上の言葉に教えられることが多い。

 井上の遺した言葉の中にこういうのがある。
 「言葉はお金と同じ。一度出したらもとに戻せない。だから慎重によく考えてから使うこと」。
 言葉を生業にしていた井上らしいともいえるし、きっと井上もまたそういう取り返しのつかない言葉を発したことがあったのだろう。
 芝居について。「観終わった後に、人生はそんなに悪いものではないかもしれないと、沸々と勇気が湧いてくるような」そんな芝居がいいと。おそらく芝居だけでなく、小説にしてもそうだし、生き方そのものもそうかもしれない。
 父親にこんなに素晴らしい言葉を遺してもらった娘はきっと仕合せだろう。
  
(2016/02/13 投稿)

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  正月から始まった
  NHKの大河ドラマ真田丸」は
  視聴率はともかく
  評判はいい。
  やはり三谷幸喜さんの脚本が面白い。
  中でも、大泉洋さんが演じる
  真田信之(幸村こと信繁の兄ですね)と
  内野聖陽さん演じる徳川家康が
  とても面白い。
  毎年大河ドラマは途中で挫折しているが
  今年は最後まで続くかな。
  三谷幸喜さんは大河ドラマで
  テレビドラマの面白さを
  知ったという。
  NHKの番組でテレビの面白さを知った人は多いだろう。
  私もその一人かもしれない。
  私にとっては
  夕方放映していた人形劇、
  「ひょっこりひょうたん島」。
  今日紹介するのは
  その「ひょっこりひょうたん島」の裏話満載の
  武井博さんの
  『泣くのはいやだ、笑っちゃおう-「ひょうたん島」航海記』。
  小学生の頃に夢中になっていた
  「ひょっこりひょうたん島」と再会した気分です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ひょうたん島に夢中になった日々                   

 昭和39年(1964年)4月6日、月曜の午後5時45分、私がどこにいたかはっきり記憶している。
 大阪の実家のテレビの前にいた。
 どうしてそんなことがわかるかというと、NHKでこの日始まった「ひょっこりひょうたん島」を見たことをはっきり覚えているからだ。
 最初陸続きだったひょうたん島にサンデー先生以下5人の生徒たちがピクニックにやってきて、ひょうたん山の大爆発に遭遇する。そして、ひょうたん島は子どもたちを乗せて、漂流を始める。
 そんな島に黒づくめのギャングのダンディが空から、出来損ないの海賊トラヒゲが海からやってくる。
 驚いたのは政治家ドン・ガバチョ。なんとテレビから飛び出してきた。

 人形劇「ひょっこりひょうたん島」はそれから5年放映が続くのだが、途中で見なくなったから最後の方のエピソードはあまり知らない。
 見なくなった理由は中学生になって、クラブ活動とかに忙しくなったからだ。
 それでもこうしてこの番組のことをよく覚えているのは、子どもを夢中にさせる面白さがあったということだろう。
 本書はNHKでこの番組を担当した著者が放映の始まるまでの準備期間から放映が始まってからのエピソードと声優や作者、人形を操ったひとみ座のこと、作品の概略などをまとめた「ひょうたん島」大好き人間にはたまらない一冊である。

 「ひょうたん島」が井上ひさしと山元護久(もりひさ)によって書かれたことは有名である。
 この二人がどういう分担で作品を仕上げていったのか不思議だったが、そばでその執筆を見ていた著者はこう記している。
 「まず二人で話し合ってあらすじを決め、シーン割りを決め、偶数シーンと奇数シーンをそれぞれ分担して書き、それを最後に合わせて一回分の脚本に」したのだという。
 二人の息が合わないとなかなかできないだろう。

 私たちの記憶に残る映像やニュースはそれに携わった多くの人がいる。
 著者のように高齢になってそれらが生まれた経緯などをまとめたいという思いは、これからも多くの誕生秘話を明らかにしていくに違いない。
 著者の武井博さんはなんともいい仕事をしてきたものだ。
  
(2016/02/12 投稿)

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  東日本大震災から4年11ヶ月。

  今日は建国記念日

    むらさきの山河建国記念の日     井上 弘美

  しかし、
  5年近い前、私たちは
  そんな山河を失いかけたのです。
  大きな津波と
  原発事故。
  きれいな海岸線は大きく崩れ、
  美しい山河に見えない放射能が
  流れ込みました。
  東北の人たちは
  故郷を喪い、
  あるいは故郷を追われました。
  あれからもうすぐ5年。
  美しい山河は戻ったでしょうか。
  福島には
  まだ故郷に帰れない人たちが
  たくさんいます。
  今日は
  あの日津波に大きな被害を受けながら
  紙をつなぐという責務から
  地道に努力していった人々を描いた
  佐々涼子さんの『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』を
  紹介します。
  紙をつなぐということは
  絆を結ぶことでもあったと思います。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  彼らがいたから本が読めた                   

 東日本大震災から5年が経とうとしている。
 あの日のことをどれだけ記憶しているだろう。
 被災地だけではない。この国全体があの日から節電に努めたはずが、今では煌々と灯りをともす震災前の状態に戻っている。
 いつの間にか震災以前の生活に戻っている。それを復興というのであろうか。
 「人は簡単に環境に順応する。ひとたび緩んでしまえば、震災前と同じだ」、東日本大震災で致命的な損害をえた日本製紙石巻工場の再生の姿を描いたこの作品の中の一節だ。
 元に戻ってしまうことは悪いことではない。
 しかし、あの日のことを忘れてはいけない。忘れそうになった時、もう一度あの日に戻る、あの日に続く日を思い出す。
 震災を記録した本は、だからいつまでも読む価値がある。読む理由がある。

 紙の本か電子書籍か。出版業界はここ数年いつもこの二者択一に揺れている。
 その時、本が成立する紙のことを忘れてはいないか。
 「読書では、ページをめくる指先が物語にリズムを与える。人は指先でも読書を味わっている」と書かれて、はっと気づかされる。
 本はそのコンテンツだけでなく、紙の質感なくして成立しないということに。
 東日本大震災の時、その紙の供給が覚束なくなったという。
 日本製紙石巻工場が津波で大打撃を受けた。
 瓦礫が工場内に押し寄せ、マシーンは泥水に沈んだ。
 工場で働く人たちの中にも犠牲者はいた。それでも、出版の灯を消すわけにはいかない。
 わずか半年でマシーンを稼働させるという、誰もが無理だと思った目標に向けて、彼ら石巻工場の人たちは前を向いた。

 震災の起こったあの日の行動からマシーンの再稼働までを丁寧に追跡したノンフィクション。
 この本の中には美談のように語られた被災者の人たちの冷静さだけでなく、被災した町を強奪する人たちがいたこともきちんと描かれている。
 美談だけでは正しい記録といえない。あの日とあの日につづく日々を、人々はどう生き、行動したのかを正しく伝えることが大切だ。
 被災地だけではない。東京だって同じだ。この国全体がそうだ。
 一冊の本が伝えることはわずかなことかもしれない。それでも、それすら伝えきれなければもっと悲惨だ。
 紙をつないだ彼らの意味は大きい。
  
(2016/02/11 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日のつづき。
  角田光代さんの新刊
  『坂の途中の家』を紹介するのですが
  まずは講演で話されていた
  角田光代さんの小学生の時の
  感動的なお話を。
  角田光代さんは小学一年の時に書いた作文を
  先生に褒められたそうです。
  そのことで書く喜びに目覚めた少女は
  それからというのも
  書くことに夢中になっていきます。
  先生もその都度褒めてくれたり
  感想を書いてくれたりしたそうです。
  ところが、三年生になって
  先生が変わってしまいます。
  それでも書き続けていた少女に
  その先生は「いつまでそんなことばかり書いているのだ」と
  ひどい言葉を投げつけます。
  少女は書くことをやめてしまいます。
  生活も乱れていきます。
  そして、迎えた六年生の通知簿に
  一年生の時の先生がこう書いてくれたそうです。
  「どうして書かないのか」
  角田光代さんはハッと気づきます。
  きっとこの時の先生の言葉にずっと励まされてきたのにちがいない。
  自分が生きるためには
  書くことが必要だということを
  知ったのだと思います。
  なんだか泣きそうになるくらい
  いい話だと思いませんか。
  もし、その先生がいなければ
  作家角田光代さんは誕生しなかっただろうし、
  少女は生きる糧すら見つけられなかったかもしれない。
  子どもが持っている上質なものを
  見つけてあげることの大切さを
  このエピソードは語っているように思います。
  この話を聴けただけでも
  この講演には意味がありました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  家庭という密室                   

 角田光代はまたひとつ金字塔を打ち立てた。
 きっと多くの女性読者の共感を呼ぶだろうこの長編小説に男性読者は震撼とするだろう。
 女性は怖い。いや、違う。怖いのは、絶対にわかりあえない個としての人。
 その点では女性であろうと男性であろうと変わりはしない。もしいえるとすれば、角田光代という作家が女性の方にいることだ。

 33歳の専業主婦里沙子。2歳年上の陽一郎は優しい。もうすぐ3歳になる文香のお風呂にもちゃんと手伝う。義父母とは適度に距離を置き、ママ友とのどうということのない会話も楽しむ。
 きっとどこにでもいるだろう、若い夫婦。
 里沙子のもとに裁判員制度の候補者になったという手紙が届いたところから、二人の間に少しずつ亀裂がはいっていく。
 里沙子が担当することになった裁判は30代の母親が浴槽で八カ月になる赤ん坊を殺めてしまった事件。
 被告の裁判を通じて、里沙子の心は少しずつ崩れていく。

 崩れていく、のではない。露わになっていくということだ。
 母乳の出なかった自分は何気ない義母の言葉に傷ついたことがあった。被告と同じではないか。陽一郎の優しい言葉に棘が隠されていたことにも気づく。被告が夫の言葉に恐怖を感じていたように。そして、里沙子も泣き止まぬ文香を床に落としたことがある。被告がその子を浴槽に落としたように。
 被告席に座っているのは、事件の被告ではなく、里沙子本人であるかのように思えてくる。裁判席に座っているのは、読者である私たち。

 私たちは里沙子を裁けるのか。
 陽一郎に罪はないのか。幼子をお風呂にいれることで育児に協力しているなんて言わないで欲しい。
 義父母に罪はないのか。あなたたちが心配なのは自分の生んだ息子だけではないか。
 里沙子に罪はないのか。一体あなたは何におびえているというのだ。夫か。義父母か。それとも小さな娘なのか。

 公判中、里沙子がずっと気になっていたことは、食い違う被告と夫や義母の証言の本当のことがわからないことだ。何故なら、家とは密室だから。
 この事件にどんな結審がなされるのか、それは物語の最後に明かされる。
  
(2016/02/10 投稿)

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 60歳最後の日となった昨日、
 つまり今日が61歳の誕生日ということですが、
 昨年の7月より受講した
 JPIC読書アドバイザー養成講座
 最後のスクーリングが終了し、
 無事修了式を迎えました。
 これで、晴れて
 私も読書アドバイザー
 養成講座の最後は
 『八日目の蝉』や『紙の月』の角田光代さんの
 記念講演で締めくくりです。
 8回の養成講座と3回のレポートで
 ずっと私たち受講生と付き合ってくれた
 永江朗さんが聞き手となった
 対談形式の講演です。

 まずは最新刊の『坂の途中の家』のことから。
 この本のことは
 明日のブログで紹介しますが
 角田光代さんは「言葉のもろさ」を
 書きたかったと話されています。
 さて、私はどう書評を書いたかは、
 明日をお楽しみに。
 ちなみに、「書評は気にするか」という受講生からの質問に
 「読後感は読み手が持っている。だから、十人いれば
 十通りの読み方がある」と
 答えていましたから、
 書評する側としては、ひと安心ですね。

 続いて、
 プルーストの『失われた時を求めて』を
 全一冊に縮約されたことについて。

  

 そもそもプルーストなんて
 名前ぐらいしか知らない私には
 それがどれくらいすごいことか
 よくわからないのですが、
 角田光代さんの大学の兄弟子ともいえる
 仏文学者の芳川泰久先生から頼まれて
 引き受けた仕事だとか。
 「縁には弱いんです」
 角田光代さんはぼそっとそう答えてます。

 私の席が結構後ろだったので
 角田光代さんの表情はあまりよくわからなかったのですが
 声がすごくかわいいんですよね。
 ああいう声で
 直木賞の選考とかされているのかと
 ちょっと信じられないくらい。
 池澤夏樹さんの個人編集で話題となった
 『日本文学全集』で
 『源氏物語』の現代語訳を依頼された時も
 「池澤夏樹さんが好きな作家だったので断れなかった」と話す
 角田光代さんの声の
 かわいいことといったら。
 楽しみにしてますよ、
 角田光代の現代語訳『源氏物語』。

 このように
 角田光代さんの最近の活動をみていくと
 圧倒されます。
 「年とともに変わっていく」のだと
 はっきり自覚されているところが
 また凄い。
 興味深かったのは
 「書くことと読むことの関係」について聞かれて
 こう答えていること。
 「小説は海みたいに広いので
 海みたいと感じるには読むしかない。
 だから、たくさん読みなさいと新人の頃に言われたことが
 ようやく実感できた」

 本の世界もそうですよね。
 海みたいに広い。
 小説があったり
 詩集があったり、ノンフィクションがあったり
 絵本があったり、写真集があったり
 ビジネス本があったりする。
 だから、面白いのですが
 大切なことは「海みたいに広い」のだと
 自覚することではないかしら。

 角田光代さんの小学生の時の
 エピソードもとっても素敵なのですが
 今日は長くなったので
 明日書きますね。

 最後に受講生からの質問の時間があって
 私も元気よく「ハーイ」と手を挙げたのですが
 残念ながら2番めになりました。
 私が質問したかったのは
 角田光代さんが自身の作品の映画化を
 どう捉えているかということだったのですが
 同じ質問を最初の受講生がしてくれました。
 ちなみに角田光代さんの答えは
 「映画化は別の表現方法」。
 脚本家や監督はホッとするだろうな。
 それでもマイクがまわってきたので
 私は以前池澤夏樹さんの講演会で
 角田光代さんの『源氏物語』を
 池澤夏樹さんが楽しみにしていたことを話したら
 角田光代さんは
 「うれしい。日記に書いておきます」と
 かわいい声で言われた。

   2月8日(月) 今日講演会で池澤夏樹さんが
   私の『源氏物語』を楽しみにしていると聞いた。
   がんばろう。

 なんて、書くのだろうかと
 うれしくなってしまった。

 充実の一時間半の講演。
 読書アドバイザー養成講座を受講して
 よかったなぁ。

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 子どもの頃
 アサガオの観察日記とかつけたことあります?
 多分書いたことがあるはずですが
 どうも記憶がうすい。
 もしかしたら
 誰かに手伝ってもらったのかも。
 その点、現代は便利で
 スマホとかデジタルで写真を撮っておけば
 観察日記になります。
 先週スプラウト栽培のことを書きましたが
 今日はその後の成長日記を報告します。

 水切りかごを使って
 カイワレダイコンブロッコリースプラウトの栽培を始めたのが
 1月28日。
 栽培は箱の中にいれて行います。
 それから5日めの2月2日。
 きれいな水に替えるため
 箱から取り出しました。

  CIMG0964_convert_20160206164453.jpg

 お、お、芽が出ています。
 種の殻を頭にのせて、ちょっと異様な感じですが。
 それにしても
 ちょっと種を蒔きすぎましたかね。
 この日から一日2回水を入れ替えます。

 それから2日後の2月4日。

  CIMG0965_convert_20160206164527.jpg

 伸びました、伸びました。
 背の高い方がカイワレダイコン
 なかなかいいんではないでしょうか。
 そして、また2日。
 2月6日の朝、
 いよいよこの日から
 箱から取り出して光にあてます。

  CIMG0969_convert_20160206164600.jpg

 スプラウトにしてみれば
 今まで暗い牢獄に閉じ込められていて
 晴れて無罪が証明されて
 自由を手にいれた気分なのかも。
 これでスプラウトは緑の色が濃くなって
 食べ頃になります。
 いい感じですね。

 実は丸形の水切りかごではどう育つか心配で
 新たに豆腐の水切りセットを購入して
 豆苗を育て始めました。

  CIMG0966_convert_20160206164632.jpg

 豆苗エンドウマメスプラウト
 栽培用具としては
 いい形ですよね。

 菜園の方の収穫が
 まだまだかかりそうですから
 こんなことをしながら
 収穫の気分を楽しんでいます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  絵本というより絵画集、
  あるいはマンガに近いような気がします。
  でも、
  私たちのような昭和生まれの人間にとっては
  絵本の世界のように
  ただただ魅き込まれる本なので
  日曜の今日、
  紹介することにしました。
  ロコ・まえださんの
  『昭和の子どもブック』。
  ここに描かれているのは
  昭和30年代の世界。
  昭和40年になれば
  少し世界が違います。
  現代の子どもたちからすれば
  ドラえもんの世界に
  近いのではないでしょうか。
  この世界を知っている世代は
  もうおじいさんおばあさん世代に近いかも。
  なんだかそれもつらいですが。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  懐かしいな                   

 この絵画集の作者ロコ・まえださんは昭和24年生まれです。この本に登場する、まえださんがモデルでもあるやっちゃんという女の子が7歳ですから、描かれているのは昭和31年あたりでしょうか。
 私は昭和30年生まれですから、1歳あたりの風景です。でも、ここで描かれている風景の多くが、私にも懐かしく、読んでいてほくほくした気持になりました。
 例えば、「入学式」。
 さすがに私の頃は「白いハンカチに墨で名前を書いた名札」というのはなかったですが、付き添う母親が着物姿だったのは間違いありません。
 昭和の母親たちはまだ着物をよく着ていたように思います。
 「給食」にコッペパンと脱脂粉乳というのも同じです。小さなマーガリンがついていたのも同じ。
 チーズを初めて目にしたのは「給食」の時間だった、と、この本には描かれていないことも思い出したりしました。

 「虫下し」の検査でマッチ箱に便を入れて学校に持っていったのは、私も経験しています。あれは、いつ頃終わったのでしょう。
 今から思えば、なんて不衛生なという感じですが、それが普通でしたから、何とも思わなかった。そういう時代だったのです。
 「風呂敷のマント」に「手ぬぐいで覆面」して「月光仮面」ごっこは、私もしたことがあります。そういえば、その当時は縁日ではお面がよく売られていました。
 「メンコ」は、地方によって様々な呼び方があるようです。私が生まれた大阪近郊の小さな町では「べったん」と呼んでいました。これはよく遊びました。
 「紙芝居」も経験しています。でも、これも小学生のなかばぐらいまでだったように思います。

 この本には「より道やっちゃん」という副題もついていますが、「より道」をしているのは昭和生まれの私です。
 まるで思い出のアルバムを見るようにページを繰って、その実、自分の昭和に遊んでいます。
 「ひみつ基地」というのはあの頃の子どもが夢中になっていたようですが、私にもありました。
 もしかしたら、この本そのものが「ひみつ基地」のようなものです。誰にも触れられたくない。小さい頃の「ひみつ」がいっぱい過ぎて。
 
(2016/02/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  最近ラジオを聴くのは
  散髪屋さんか
  接骨院の施術ベッドの上ばかり。
  学生の頃は
  もっぱらラジオを聴いていた。
  もっともテレビのない生活であれば
  それもまた仕方がない。
  今日は北阪昌人さんの『ラジオドラマ脚本入門』という
  本を紹介するのだが、
  書評に書いたように
  一本のラジオドラマに
  深くはまったことがあります。
  「海に降る雪」。
  今でもそのドラマに流れていた曲を
  口ずさむことができるし
  セリフの一節も覚えています。
  どうしてかというと
  このラジオドラマをカセットで
  録音してたから
  何度もなんども聴きました。
  物語は都会ですれちがった若者のラブストーリー。
  その心のすれちがいに
  胸打たれた学生時代でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ラジオの向こうの世界                   

 ラジオドラマには思い出がある。
 大学生の頃、だからかれこれ40年も前のことだ、一本のラジオドラマに打ちのめされたことがある。
 タイトルは『海に降る雪』。芥川賞作家の畑山博の作品だ。
 それがラジオドラマとして放送された。
 当時テレビのない学生生活を送っていた私にとって、ラジオは生活の中の唯一の情報源。どうしてそのドラマを聴くことになったのか忘れてしまったが、ドラマで使われていた音楽やセリフ、どれもが今でも記憶に残っている。
 何故なら、カセットテープに録音して、何度も何度も聴いたから。
 そのあとに原作も読んだし、その後映画化された作品も観たが、このラジオドラマの方が秀逸であった。

 最近ラジオを聴くことがなくなったが、ラジオドラマの人気は今でも高い。
 この本の作者北阪昌人さんは人気のラジオドラマの脚本家である。これは月刊誌「ドラマ」にラジオドラマの脚本の書き方として連載されていたものをまとめたものだ。
 ラジオドラマの脚本は映画やテレビドラマと違って、映像で情景を見せられないという大きな枷がある。だから、シナリオの勉強がそのままラジオドラマで活かせるかというと、そうでもないところに、ラジオドラマなりの脚本の面白さがあるといえる。
 シナリオを書く際に小説とは違うということをよく言われる。それは映像があるから、映像でドラマを語らせることができるからだ。 その点では、ラジオドラマの方が小説の近いような気がする。

 北阪さんは先輩作家のこんな言葉を覚えているという。
 「ラジオドラマが、テレビでも映画でも舞台でも劇画でもない、歴史と伝統の上に培われている優れた表現方法であること」。
 映画やテレビドラマの愛好家は多いが、実はラジオドラマには映像が伴わない分、リスナーの想像力を高めることが多い。そういう点では、もっと聴かれてもいいと思うし、評判になってもいい。

 この本では北阪さんの作品がしばしば登場する。良い脚本はどこが違うのか、それはもう読んでわかるしかない。
 北阪さんも書いているが、いずれこの本を読んでラジオドラマを書くようになった、そんな脚本家が現れることだろう。
  
(2016/02/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  学生時代に流行った
  イルカの「なごり雪」。

    汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる
      季節はずれの雪が降ってる

  という、名曲。
  この「なごり雪」とは
  どんな雪なのかで友人と議論になったことがある。
  友人は雪国を通ってきた汽車に降り積もっている雪のことだといい、
  私は季節はずれに降る雪だという。
  たわいもない議論だが
  青春の議論とはそんなものだ。
  では、
  葉室麟さんの『はだれ雪』とは
  どんな雪なのか。

    はだれ雪は、はらはらと降る雪だとも
    とけ残り、まだらになった雪だともいう。

  皆さんはどちらだと思います?
  この長編小説は
  忠臣蔵を題材にしていますが
  そういえば討ち入りも雪の夜でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  これぞ正当派時代小説                   

 元禄15年12月14日に起こった赤穂浪士47人による吉良上野介討ち入りほど、日本人に愛される事件はない。何度となく小説に描かれ、映画化テレビドラマ化され、それでもまだ飽くことを知らない。
 赤穂浪士の討ち入りが日本人に愛されるのは、主君の仇をどううつのかといったサスペンスの要素を持ちながら人情話や恋愛の要素もはいってくるエンタテイメント色が強いからだろう。
 葉室麟によるこの作品も赤穂浪士による討ち入りを題材としつつ、人として生きるには、愛する者を守るにはを描いた、正統派時代小説である。
 どこまでが史実でどこからが創作なのか知らなくとも、十分に楽しめる娯楽小説といってもいい。

 討ち入りより一年前の元禄14年3月14日、江戸城松之廊下にて赤穂藩藩主浅野内匠頭長矩による刃傷事件が起こる。これにより、浅野内匠頭は切腹を命じられた。この時、浅野の最後の言葉を聞き取った一人の男がいた。
 この物語の主人公永井勘解由(かげゆ)である。
 このことで永井は将軍綱吉の怒りに触れ、扇野藩へ流罪となる。
 流罪とはいえ旗本である永井を受け入れるに際してどう対処すべきか扇野藩でも困窮する。
 結果、永井の世話をする女人を置くことが決まり、紗英にその任が回ってくる。
 男と女の心の動きを縦糸に、浅野の最後の言葉を知ろうと永井のもとを訪れる赤穂の浪士たちの思いを横糸にして、物語は見事な刺繍を編んでいく。

 刺繍には色糸が使われる。ここではそれが季節そのものでもある。
 タイトルになっている「はだれ雪」もそうだし、季節の花々も物語に色をつけていく。
 藩主の無念の切腹から討ち入りまでわずか2年弱、この時間も赤穂浪士の討ち入りが日本人に愛される理由の一つかもしれない。

 討ち入りがなって扇野藩に預けられた永井と紗英にも危険が迫っていく。
 「悲運に負けて立ち止まらぬこと、歩き続けること」こそ大事と、永井はいう。赤穂浪士たちと共鳴する永井の言葉である。
 永井こそ48番目の志士である。
 いや、葉室麟もまた常に前を向く志士といっていい。
  
(2016/02/05 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は立春
  暦の上では春。

    立春のまだ垂れつけぬ白だんご    中山 純子

  今シーズンは暖冬といわれて
  確かにその通りなのですが
  寒波が来て震えあがってみれば
  やはり春が待たれて
  立春を過ぎてもまだまだ
  寒いでしょうが
  春は、もうそこまで。
  陽も少しは長くなってきたように
  感じます。
  今日は池澤夏樹さんの
  『砂浜に座り込んだ船』。
  本を選ぶ際に
  表紙のようすとタイトルは
  とても重要。
  この本もぐっと来ました。
  生きるということは
  春の感じですが
  そこにまだ寒さ、
  つまりは死のイメージをはらんでいて
  立春にそんなことを思いながら
  読むのもいいかもしれません。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  休むこともまた良し                   

 死はどこにあるのだろう。
 人間なら誰にしも訪れる、死。古今東西の文学は多くの死を描いてきた。
 何故か。死と対峙する生を知るために。
 池澤夏樹のこの短編集もそんな作品集だ。

 この短編集には8つの作品が収められている。
 表題作である「砂浜に坐り込んだ船」は海岸の砂浜に座礁した大型貨物船を見に行った主人公が今は死者となったかつての親友と語り合うという作品だ。
 この作品でははっきりと死者が登場する。
 しかし、そのことよりも砂浜に打ち上げられた貨物船の方に強く死を感じてしまう。だからこそ、主人公は死者を呼び寄せたともいえる。
 「心ゆくまでそこに坐って休むといい」、砂浜の船への思いは亡くなった友への思いにつながる。
 死は休むということかもしれない。
 生きることをしばし休む。死はそういう時間ともいえる。

 「苦麻の村」という短編にもっとも魅かれた。
 福島原発事故で故郷の大熊町から東京の地に避難を強いられた菊多さんという老人。避難所である住宅を訪ねてきた福祉課の人に「地元の新聞が読めないか」と頼む。しかし、菊多老人は福祉課の人がせっかく手配してくれた図書館で、その新聞の記事を切り取るという行為に出てしまう。そして、何かにせかされるように、誰も住まない故郷の町へと戻っていく。
いうまでもなく、東日本大震災の大きな悲しみを題材とした作品だ。
 ここには菊多老人の奇行を通して、あの時亡くなった多くの命だけでなく、故郷を追われた原発被害者の数かぎりない悲しみが描かれている。
 そもそも菊多老人のそれは奇行なのか。菊多老人こそ、「砂浜に坐り込んだ船」ではないか。

 東日本大震災を描いた作品として、「大聖堂」がある。
 三人の少年が海に浮かぶ無人島にピザを焼きに行く話なのだが、彼らが一旦あきらめた三月のあの日に大きな津波が町を襲う。それから半年、少年たちは再度ピザ焼きに挑戦しようと舟を漕ぎだす。
 少年たちにとってその行為は何であったのか。
 あの日隔絶された日常。
 ここにもまた「砂浜に坐り込んだ船」がいるように感じる。「心ゆくまでそこに坐って休むといい」、と。
  
(2016/02/04 投稿)

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 今日は
 NHKEテレの「100分 de 名著」の
 2月放映のアドラーの『人生の意味の心理学』のことを
 書こうと思っていますが
 その前に先月放映された
 内村鑑三の『代表的日本人』のことを
 少し書きます。

 先月の「100分 de 名著」は
 実に見応えがありました。
 講師の批評家若松英輔氏の話が
 とてもわかりやすかったことも大きいですが
 やはり内村鑑三の思想が
 胸に迫ってきました。
 特に第4回めの「後世に何を遺すべきか」、
 この回では
 内村鑑三の『後世への最大遺物』をテキストに
 説明されていきます。
 これは内村鑑三の講演録で
 その中で彼はこう語っています。

   この世の中は悲嘆の世の中でなくして、
   歓喜の世の中であるという考えを
   われわれの生涯に実行して、
   その生涯を世の中への贈物として
   この世を去るということであります。

 内村鑑三
 私たち一人ひとりが生きた生涯そのものが
 後世に遺るのだと示唆したのです。
 さらに、こう言っています。

   人間の生涯は、
   自分が何をしたかなどということはわからないまま
   過ぎていくものだ、
   それでよいではないか、
   だからこそすばらしい

 そして、こう言ったそうです。

   真面目に生きよ

 ここでいう「真面目」は「真摯」と同じだとか。
 いやあ、教えられました。

 さあ、それでは今月の「100分 de 名著」。
 アルフレッド・アドラーの『人生の意味の心理学』。

  

 アドラーというのは
 フロイトユングと並ぶ
 近代心理学の三大巨頭の一人。
 最近では『嫌われる勇気』がベストセラーに
 なっています。
 しかも、今回も「人生の意味」ですからね。
 先月の内村鑑三も最後の回には
 「人生の意味」だったように
 今月もしっかり学びましょう。

 講師は哲学者の岸見一郎先生。
 第1回めの今夜は
 「人生を変える「逆転の発想」」。
 2回め以降は
 「自分を苦しめているものの正体
 「対人関係を転換する
 「「自分」と「他者」を勇気づける」と
 続きます。

 放映は夜の10時からですから
 豆まきをすませて
 年の数だけの豆をかじりながら、
 「人生の意味」を考えるのもいいかも。
 食べきれない人生、というのも
 いいではないですか。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  村上春樹さんの最初の短編集
  『中国行きのスロウ・ボート』。
  何度この短編集を読んだだろう。
  私の手元にある中公文庫
  昭和61年発行になっている。
  ちょうど30年前だ。
  私の人生の半分、か。
  昨日日本経済新聞朝刊コラムの「春秋」がいいという話を
  書きましたが、
  昨年の12月26日の「春秋」に
  この『中国行きのスロウ・ボート』の話が
  取り上げられています。
  ちょうど日韓で慰安婦問題が協議されていた頃です。
  「春秋」にはこうある。
  長いですが、引用します。

    ▶(村上春樹さんの)エルサレム賞受賞時のスピーチにあった。
    そこでは、前年に亡くなった父親が20代で徴兵され、中国でも
    戦闘に参加したことが明かされる。村上さんが子供のころ、
    父親は毎朝仏壇の前で、敵味方の区別なく、死んだ人々のため祈った。
    その場に漂った死の気配は父親から引き継いだ大事なものだ、と話す。
    ▶個人と歴史が深く関わり合う場をリアルに感じ取った村上さんは、
    自らの思いを作品に昇華させた。

  短編「中国行きのスロウ・ボート」に漂う
  死の気配の意味が解けたように感じました。

  じゃあ、読もう。


sai.wingpen  初めてこの本を読んだのはいつだったろう                   

 よくある質問に、「好きな本」とか「印象に残った本」と訊かれる。
 よく似たことが映画でもある。
 こういうのは自分の人となりを理解する基本的質問だから、答えは用意しておいて損はない。できれば、その理由も。
 村上春樹さんの作品から一つ選ぶとすれば、私はこの『中国行きのスロウ・ボート』をあげたい。しかも、少し指定があって、中公文庫の同作である。
 何故なら、安西水丸さんのカバー絵がいい。これだけで30点はプラス。
 次に、裏表紙の作品紹介がいい。これはあまたの文庫本の中でも傑作だ。これにも30点。
 そして、村上春樹さんの初めての、しかも上出来の短編集に40点。
 これで、満点だ。

 ここには7篇の短編小説が収められている。
 表題作の「中国行きのスロウ・ボート」は感傷的過ぎるかもしれないが、そのあたりは読者の好みもあるだろう。私は好きだ。
 ここには主人公の「僕」が出会った三人の中国人、この作品が書かれた1980年代より今はうんと中国人と接する機会は多いが、が描かれている。どうしてか、私には死の匂いがするし、2人めの学生時代に出会った中国人の女子大生との思い出はあまりにも切なくて、恋愛小説としてもとてもよく出来ている。こういう心のすれちがいのような恋愛を初期の村上春樹はうまく描いていたような気がする。
 感傷的過ぎるといえば、そのラスト。
 「友よ、友よ、中国はあまりに遠い。」は今ならどう書くだろう。私は好きだが。

 その次に好きなのが、「午後の最後の芝生」。芝生刈りのバイトをしている「僕」がバイト最後の日に訪れた家。そこで出会った大柄な奥さん。そして、存在しない彼女の娘。
 この作品に登場しない娘も、「中国行きのスロウ・ボート」に出てくる女子大生と同系統にあるような気がする。そこにいながらも、そこにはいない。
 それは矛盾しているようだが、わかる。
 結局は理屈ではなく、情感で納得している。

 「好きな本」というのも、理屈ではないのかもしれない。
 人との出会いがそうであるように、一瞬の間合いが印象を残す。
  
(2016/02/02 投稿)

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レビュープラス
 俳句の世界に
 春隣という、とても美しい季語があります。
 今日から2月になって
 まさに今がその春隣

    叱られて目をつぶる猫春隣     久保田 万太郎

  CIMG0963_convert_20160131131351.jpg

 昨日の日曜日、
 久しぶりに温かさが戻った町で見かけた梅は
 ちらほら咲きかけていました。

 昨日の日本経済新聞朝刊のコラム「春秋」に
 立原道造のこんな詩が紹介されていました。

    今は二月 たつたそれだけ
    あたりには もう春がきこえてゐる

 俳人や詩人だけでなく
 なんとなく私たちもうきうきしてくる季節です。
 そういえば、
 最近の日本経済新聞の「春秋」はいいですね。
 日本経済新聞を読んでいる人は
 仕事をしている人が多いでしょうが
 最近の「春秋」はかつての「天声人語」ばりの上手さを感じます。
 執筆担当が変わったのでしょうか。
 ちょっと興味を持って見ています。

 今日の菜園日記は
 ちょっと趣向を変えて
 スプラウト栽培について。
 スプラウトというのは
 野菜やマメ類、穀類などの発芽直後の新芽のこと。
 先日の農業検定試験にも出てきましたが
 スプラウトという言葉が覚えきれなくて
 スプライトという清涼飲料水の名前の発想で
 覚えました。
 そのスプライト、
 ちがった、
 スプラウトの話。

 1月17日放映の
 NHKEテレの「やさいの時間」で
 キッチン用品を使って
 家の中でスプラウトを栽培する方法をしていて
 さっそくわが家でも挑戦しました。
 水切りかごがなかったので
 100円ショップで探したのですが
 いいものがない。
 そこで購入したのが
 下の写真のような
 水切りかご。

  CIMG0955_convert_20160131131157.jpg

 見た目もかわいいし、
 とってもついて使いやすそう。
 栽培するのは
 スプラウトの定番
 カイワレダイコンブロッコリースプラウト
 中央に仕切りをいれて
 種を蒔きます。
 蒔いたあとの様子がこちら。

  CIMG0956_convert_20160131131235.jpg

 この状態で空箱にしまいます。
 光がはいらない状態で
 発芽までもってきます。
 収穫前に光をあてるそうです。
 蒔いたのが
 1月28日ですから
 来週には収穫できるはず。
 ただ、底が丸い水切りかごは
 適していないかも。
 来週そのあたりのことも
 報告しますね。

 菜園の野菜たちのことも
 知りたいですよね。
 ホウレンソウコマツナです。

  CIMG0957_convert_20160131131318.jpg

 いかにも春隣の野菜たちです。


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