プレゼント 書評こぼれ話

  今日3月31日は
  6年前に亡くなった弟の誕生日。
  亡くなったのが3月でしたが
  誕生日には少し足りませんでした。
  生きていれば
  今年59歳になっていました。
  亡くなった人の時間は
  その時のままとまっているのに
  生きているこちらばかりが
  年をとるのも
  切ないもの。
  今日紹介する
  川本三郎さんの『ひとり居の記』にも
  そんな思いがあります。
  川本三郎さんは
  2008年に奥様を亡くされています。
  風に吹かれて
  どこかに行ってみたくなる
  そんな一冊です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ふと山頭火を思い出していた                   

 映画評論家であり文芸評論家でもある川本三郎さんが奥様を亡くされたのは2008年のこと。その愛妻との思い出と喪失の心情を綴った『いまも、君を想う』は読者の、しかも男性の、心にしんしんと涙を誘う作品である。
 その川本さんが『ひとり居の記』なるタイトルで、雑誌「東京人」に2012年から2015年にかけて掲載したエッセイをまとめた。
 どれほど淋しい男の生活かと、これは読者である私が勝手に想像した、読んでみたのであるが、川本さんの行動力に舌を巻いた紀行日記同然のエッセイである。

 「毎月のように日本のどこかの町に出かけている。(中略)車の運転をしないので、鉄道の旅になる。町に着いたらひたすら歩く。歩くのが好きなので、多少の距離は苦にならない」と、「あとがき」にある。
 連載の途中で古稀になった川本さんが、その健脚ぶりはお見事というしかない。それ以上に常に出かけているという活動力に頭が下がる。
 動いていないと愛妻の喪失感に捕われてしまうのを恐れているかのようだ。

 そして、川本さんは鉄道ファンでもあるので、道中の鉄道案内がいい。旅情をかきたててくる。それに映画評論家でもあって、この駅に高倉健が立ったとか、この場所は「男はつらいよ」の撮影現場だったとか、鉄道ファンだけでなく映画ファンも楽しめる。
 いやいや、それだけではない。永井荷風や北原白秋、さらには林芙美子の研究本まで出版している川本さんだから、場所場所で荷風や芙美子だけでなくさまざまな文人を登場させる丁寧さなのである。
 だから、読者はこの本を鉄道ファンとして読むか映画ファンとして読むか文芸ファンとして読むかということになる。(実はほかにも音楽ファンとして堪能できる場面や美術ファンとしても満足できるところなどもある)

 そうして、毎日出歩いている川本さんだが、どうしてか妻のいない寂しさが文字の背景からひょっこりと浮かびあがってきたりする。
 「どうしようもない私が歩いている」、山頭火のそんな句が頭に浮かんだ。
  
(2016/03/31 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  俳句の季語に
  うまいなと感じ入るものが
  いくつかあって
  その中のひとつに「猫の恋」というものが
  あります。
  春の季語です。
  夜となく昼となく、
  恋の狂態を演じる猫のせつない鳴き声を
  耳にした人もいるでしょう。

     おそろしや石垣崩す猫の恋     正岡 子規

  さしずめ、官能小説を読みたくなるのも
  「猫の恋」状態でしょうか。
  今日紹介するのは
  おなじみ花房観音さんの
  『好色入道』。
  好色に、入道。
  なんだかあまりにもそれで
  読む方も気恥ずかしくなるタイトルですね。
  ですが、今回の作品は
  あまり官能度は高くありません。
  猫の恋ほどには。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  団鬼六と花房観音                   

 花房観音の新しい長編小説には、献辞がついている。
 曰く、「団鬼六に捧ぐ」。
 団鬼六について少し説明を書く。団は2011年5月に亡くなった日本のSM小説の第一人者であった小説家である。
 代表作の『花と蛇』が評判となり、その後SM雑誌の出版や映画にまで進出したが、もちろん団に経営の才覚があるはずもなく、晩年は官能小説の新時代を築くような作品を大手の出版社から続々と出して生涯を終えることになる。
 自身の名前を冠にした「団鬼六賞」を2010年に創設し、自身も審査員を務めた第一回の大賞受賞作が、花房観音の『花祀り』なのだ。
 それから、6年、花房観音は女性でありながら確実に官能作家としてのキャリアを重ねてきて、この作品に至る。

 この作品の大きなテーマが「閑吟集」の「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」という団鬼六が生涯愛した歌でもあり、花房自身がこの作品にかける決意のようなものが献辞につながったのであろう。
 この物語に登場する奇僧秀健は受賞作『花祀り』にも登場することを思えば、花房にはデビューからこれまでの一つの区切りのような思いでもあったのかもしれない。

 物語は京都市長選が舞台になっている。「京都の闇」を一掃するという各務原(かがみはら)とそれを阻止すべき暗躍する秀健たちを描いている。
 もちろん花房の作品であるから、各務原を慕う美貌の元女子アナ東院純子が登場し、さっそく秀健たちの策略で彼の欲望の餌食となって、官能小説としても楽しめるのだが、その後はさっぱり情愛描写もほとんどない。
 せっかく団鬼六に捧げた作品ならば、そのまま官能小説として貫き通せばよかったものの、秀健が奇怪な声で叫ぶような淫らなさまを、花房は残念ながら十分に描けていない。

 純子が一度の色地獄で秀健に恋してしまうと設定にはやはり無理があるような気がする。
 登場する女性の中では各務原の対抗馬として秀健たちが立候補させた澄田の妻亜矢子の方が不思議な魅力をまとっていた。
残念ながらこの亜矢子にも花房は情愛場面を用意しない。

 この作品にもし花房のひとつの区切りのような思いがあるとしたら、花房もまた秀健のように何処へ歩き出すのだろう。
  
(2016/03/30 投稿)

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 今年に入って
 「さいたま市民大学 -北沢楽天からアニメまで-」という
 連続講座を受講した話は
 以前書きましたが
 3月27日に大宮タカシマヤ
 「楽天さんと大宮タカシマヤの素敵な関係」という
 歌とトークと笑いで綴る
 大宮歴史探訪バラエティショーがあったので
 行ってきました。

  CIMG1050_convert_20160327165225.jpg

 「楽天さん」というのは
 漫画講座で習った
 近代漫画の祖、北沢楽天のこと。

 パーソナリティーは
 講座でもお世話になった
 さいたま観光大使で漫画家の
 あらい太朗さん。
 そのあらい太朗さんと組んで
 大宮の歴史について語ってくれたのが
 郷土史研究家の宮内正勝さん。
 歌は結城安浩さん。
 結城安浩さんは先日TVのカラオケ番組に出ていて
 私もそれをチラッと見ていたので
 びっくりぽんでした。
 しかもゲストが
 大宮タカシマヤ山田店長
 「鉄腕アトム」の声を担当した清水マリさん。

 大宮タカシマヤ北沢楽天がどういう関係なのかを語るには
 ひとつキーワードがあります。
 それが「お稲荷さん」。
 実は大宮タカシマヤの屋上に
 「お稲荷さん」があります。
 これがその「お稲荷さん」。

  20160327_145433_convert_20160327164903.jpg
  
 実はこれはもともと北沢楽天の家にあったものだとか。
 そう、今JR大宮駅東口に建つ
 大宮タカシマヤさんの場所は
 たどればもともとは北沢楽天が暮らしているところだったそうで
 そこにあった「お稲荷さん」を
 大宮タカシマヤができた時に
 そのまま祀ったそうです。

 北沢楽天の家にどうして
 「お稲荷さん」があったかというと
 歴史をたどって
 ちょうど今NHKで放映されている
 「真田丸」の時代あたりまで
 遡るそうです。
 そのあたりのことは
 ややこしいので割愛。
 ごめんなさい。

 このイベントが面白かったのは
 まず、手作り感。
 北沢楽天ってどういう人という説明を
 あらい太朗さんのお嬢さんが朗読してくれるという
 家内工業的雰囲気がいいではないですか。
 しかも、このお嬢さんの上もお姉さんも
 音楽部門でトロンボーンを吹いてくれました。
 これもまたいい。

 その次に
 宮内正勝さんの個性。
 こんな人が埼玉・大宮にいたなんて
 びっくりしました。
 北沢楽天のことだけでなく
 昔の大宮の町のことも
 映画のことも
 知っている、知っている。
 清水マリさんが登場した際には
 清水マリさんのお父様の
 俳優清水元の話に終始。
 清水元さんが出演した
 「七人の侍」や「野良犬」の話は
 私なんかはその話だけで
 2時間は聞きたかった。
 しかも、当時の映画パンフレットなんかも持参。
 漫画好きな人は映画も好きなのかしらん。

 映画といえば
 北沢楽天の映画を現在作成中だとか。
 わー、こっちも期待大。
 しかも、この日は
 メガホンをとる大木萌監督も参加していました。

 北沢楽天の「お稲荷さん」の歴史を
 替え歌にした歌を全員で歌ったり
 会場は40人あまりの人でしたが
 終始なごやかなそのもの。
 こんな楽しいイベントが無料だなんて
 やるじゃないですか、大宮タカシマヤ

 地味なさいたま
 北沢楽天をキーパーソンにして
 楽しいさいたまになれば
 いいなと思いながら
 会場をあとにしました。
 満点のイベントでした。

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 桜の開花はあったものの
 先週の後半は 「寒の戻り」ということで
 春というには寒くて 
 一気に満開の桜というわけにはいきませんでした。
 そうはいっても
 春は色んな花が咲いて
 街を歩いていても楽しいものです。

 今週もそんな写真から。
 これはわかります?

  20160321_130930_convert_20160325181627.jpg

 枝ぶりは梅によく似ていますが
 花はピンクが濃い。
 桃色というより淡紅色。
 杏の花です。

    一村は杏の花に眠るなり     星野 立子

 次は雪柳

  CIMG1035_convert_20160327164942.jpg

 本当に名前のとおり雪をかぶったようです。

    朝より夕が白し雪柳       五十嵐 播水

 畑の花も紹介しておきましょう。

  CIMG1047_convert_20160327165116.jpg

 これはナバナの花。
 よく見かける菜の花とはちがうんですね。

 そして、こちらが成長著しい
 畑で花をつけたウスイエンドウ

  CIMG1049_convert_20160327165148.jpg

 スナップエンドウはどうも収穫は難しそうで
 期待はもっぱらウスイエンドウ
 これはわたしの菜園だけで育てています。
 この冬は暖冬のあと
 雪が降ったりで
 どの畑もスナップエンドウの成長が厳しいので
 わたしの菜園を見て
 ほかの皆さんが驚かれるのですが
 やっぱり品種が違うと
 成長の仕方も違うものなんですね。
 聞かれたら、都度説明しています。

 先週ニンジンの芽のことをお話しましたので
 写真を撮ってきました。

  CIMG1042_convert_20160327165024.jpg

 まだまだひ弱な感じですよね。
 周りの雑草の方がしっかりしていて
 3月26日は草取りをしていました。

 来週には菜園の周辺の桜も満開になっているのじゃないかな。
 そこで花見をしながら
 カレーを食べる企画があります。
 桜とカレー、
 なんとなく似合わない。
 雨が降らないといいのですが。

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日つくしを見つけました。
 
  20160324_145252_convert_20160325181713.jpg
  
  書評にも書きましたが
  本当に十何年ぶりに見たような気がします。
  家のそばの道の脇ですから
  きっとずっと春には顔をのぞかせていたのでしょうが
  気付かなかったのですね。
  定年して心にゆとりができた証拠でしょうか。

    定年後つくし見つけし通勤路     夏の雨

  せっかくなので
  つくし尽くしで
  今日の絵本は甲斐信枝さんの『つくし』。
  この絵本にはつくしの料理も紹介されていますが
  私の子どもの頃は
  つくしを甘く煮たものを食べた記憶があります。
  それもうんと遠い記憶です。
  すっかり忘れていた
  つくしに出合えて
  心もどこか春めいてきました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  漢字で書くと土筆                   

 久しぶりにつくしを見つけた。
 久しぶりというのは、十年以上の単位で、もう忘れかけていたぐらいだ。
 それが先日ひょっこりとご対面となった。
 なんだ、いっぱい出てるじゃない。これだけあれば子どもたちだって見つけられる。でも、見つけたのが大きな道路の脇だから、子どもたちがつくしを取るにしては危ないだろう。それに、今の子どもたちがつくし採りをするとも思えない。
 「まゝ事の飯もおさいも土筆かな」。星野立子の俳句だが、「まゝ事」をしている子どももとんと見ない。
 ちなみに、「土筆」はつくしと読む。

 それからしばらくして、つくしの絵本を見つけた。
 昔の絵本かなとページを開くと、有名なコンビニのロゴだとはっきりわかるレジ袋から始まるので意外な気がした。
 つくしだって、古くはないんだ。
 ついている文は「はい! おみやげ。」、コンビニでのお買い物ではなく、そこにはいっていたのはたくさんのつくし。
 どうするのかって。
 食べるのです。「つくしのてんぷら、たまごとじ、つくしごはんに、やきたてのつくしもとってもおいしい。」
 知らなかったな、つくしを材料にしてこんなにたくさんの料理ができるなんて。

 そこで、つくしを探しに行くのだが、ここでは野原まで行くことになる。
 都会で野原はなかなかない。せいぜい道路の脇か。これは勧めない。
 だから、絵本の子どもたちに教えてもらおう。
 何しろ、この絵本ではつくしの土の中の様子もばっちりと描いているのだから。
 こんな言葉を知っているだろうか、「つくし だれの子 スギナの子」。
 そう、つくしとスギナは一本の根っこでつながっているんだ。
 この絵本は科学の好きな子どもには最適だろう、つくしとスギナの関係、土のなかの根についている「たま」のこと、その根っこの断面図なんていうのも描かれている。

 そうか、この絵本は「かがくのとも」に載った作品なのだ。
 つくしを見たことのない子どもだっているだろう。できれば、つくしが出ている場所に連れていってあげたら、この絵本の素晴らしさを実感できるだろうな。
  
(2016/03/27 投稿)

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  今日紹介する
  岩波文庫版『石垣りん詩集』を
  本屋さんの店頭で見つけた時は
  胸が躍った。
  昨年の11月のことだ。
  すぐさま読んだのですが
  書評がなかなか書けずにきました。
  石垣りんという詩人の凄さは
  普通の働き手として生活しながらも
  その言葉は常に鋭かったということです。
  書評には紹介できなかったが
  「雪崩のとき」という
  現在に通じる鋭い詩がある。
  また、今回書評のタイトルにした文章は
  「略歴」という詩の一節である。
  最近の岩波文庫の詩集は
  いい。
  『石垣りん詩集』のあと
  すでに出版されていた
  『谷川俊太郎詩集』もいそいで
  買った。
  しかし、これはまだ読めていない。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私は金庫のある職場で働いた。                   

 詩人は特別な人ではない。
 現代詩の詩人たちを辿ると、それはよくわかる。彼らは時に市井の人として生き、時に詩人として俊悦な言葉を口にした。
 そういう彼らに強く魅かれる。
 茨木のり子の人生を辿ると、確かに彼女は詩人としての領域は濃いが最愛の夫を亡くしてからのハングルへの傾倒などを見ていくと、言葉への固執はありながら、何かを喪った時に我々が陥る「自分探し」に近いものがあったのではないかと思う。
 それが顕著なのは、石垣りんではなかったか。

 石垣りん。大正9年(1920年)東京に生まれる。先の茨木よりは6歳年上になる。2004年12月、84歳で死去。
 代表作として「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「表札」「定年」などがある。いずれの詩も、伊藤比呂美が編んだ岩波文庫版のこの詩集に掲載されている。
 石垣の場合、茨木よりもさらに市井の人という印象が強い。
 高等小学校を卒業後、日本興業銀行に事務見習いとして入行。そして、55歳の定年までりっぱに勤めあげるのである。

 「ある日/会社がいった。/「あしたからこなくていいよ」」とあるのは、「定年」という詩の冒頭である。
 この詩は「たしかに/はいった時から/相手は会社、だった。人間なんていやしなかった」で終わる。
 石垣には親たちの生活を背負っているというハンデがあった。だから、会社の言葉である「定年」という一言で働く場を取り上げられることに忸怩たる思いがあったのだろう。
 石垣の視点は、常にそうあった。
 「自分の住むところには/自分で表札を出すにかぎる。」という言葉で始まる「表札」のなんと凛々しいことか。
 市井の人であったからこそ、石垣も茨木も凛としていた。
 「表札」の最後、「精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/それでよい。」

 石垣と茨木はしばしば行き来するほど仲がよかった。
 茨木が谷川俊太郎とともに石垣を見舞ってから三日後、石垣は生きることを止めた。
 石垣の死から1年少しで茨木も没する。
 生きることとは死も含んであることを、彼女たちは知っていた。
  
(2016/03/26 投稿)

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  最近必要があって
  詩人茨木のり子さんの生涯を
  調べてみる機会があった。
  あらためて
  詩集『歳月』に込められた
  茨木のり子さんの思いに
  胸の奥から突き上げてくる
  感情があった。
  生涯をたどるに
  役に立ったのが
  この『茨木のり子の家』という
  写真集だった。
  精密な写真に映し出された
  床も壁も椅子も机も
  茨木のり子という女性とともに
  あったのかと
  眼前に浮かんでくるような感じさえした。
  今日の再録書評
  2010年12月30日に書いたものだが
  結構熱く書いている。
  あれからずっと
  茨木のり子はそばにいるのかもしれない。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  夏の匂い 夏の音 夏の風                   

  2010年夏、群馬に行った。
 新聞の文芸欄に掲載されていた、その記事は今もちゃんと残しているのだが掲載日を残していなかったのが悔やまれるのだが、詩人茨木のり子の回顧展開催の記事に誘われて土屋文明記念館に行った。この年(2010年)の夏を象徴するような暑い日曜だった。
 入り口側にあった作品展示「花の名」の一節に、それは「棺のまわりに誰も居なくなったとき/私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた」という言葉のつらなりであったが、不意に涙がこみあげた。
 この春、亡くなった母、奇しくも母は茨木のり子と同い年だった、の棺のなかの顔を思い出した。あの時の悲しみはこうして言葉になり、人の心にはいっていくのだ。
 その時、詩のすごさを感じた。

 茨木のり子は2006年2月に亡くなった。それがここにきて、またブームに火がついたかのように、回顧展があったり関連本が出版されたりしている。この『茨木のり子の家』はいくつかの詩篇が収められているが写真本である。
 終の住処となった東京東伏見の詩人の家、正しくいえば茨木のり子が夫であった三浦安信と暮した家である、が対象となっている。
 この家で茨木のり子は夫の死後もひとりで暮らしつづけた。

 なかに、リビングの写真がある。そこに、代表作「倚りかからず」の詩にでてくる椅子、それは茨木のり子の人気を決定づけた作品で、そのなかに「倚りかかるとすれば椅子の背もたれだけ」と詠われたまさにその椅子、が置かれている。
 その椅子の現物を回顧展で目にすることができたのは、こうして家のなかの一部となった写真を見るにつけ、うれしいかぎりだ。夫安信のために購入された椅子だが、この回顧展で初めて家を離れたという。

 そして、「Yの箱」である。
 茨木のり子が夫の死後、ひそかに書きためていた詩の原稿がはいっていた箱である。この写真本にもそれは載っているし、回顧展では現物の「Yの箱」も、それはあまりにもどこにでもある普通の箱だ、目にすることができた。
 そのなかの詩はいくつかクリップどめされていて、一部はその錆で茶色く変色している、そのことさえも茨木のり子のこの詩篇たちへの愛着を感じずにはいられない。
 それにしてもなんという写真技術の発達だろう。写真の原稿は生のものとほとんど変わらない。

 夏。
 戦争があった夏。茨木のり子が「ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた」(「わたしが一番きれいだったとき」)その夏から、何度の夏が訪れただろう。
 茨木のり子は椅子に腰掛け、蝉の声を聴き、風がわたる気配を感じ、この家の住人として生きた。詩人の息づかいが、それはけっして激しいものではなく静かに深くであったろう、今でも残る、そんな家が、なぜか懐かしくもある。
  
(2010/12/30 投稿)

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  今日紹介するのは
  永田守弘さんの『日本の官能小説』。
  この本によれば
  戦後最後に摘発されたのは
  1978年の富島健夫の『初夜の海』だという。
  富島健夫といえば
  今は知らない人も多くなったが
  青春小説もたくさん書いていて
  『雪の記憶』などは
  私が中学生の頃に読んで
  胸ときめかした作品のひとつだ。
  この作品は今では図書館にも所蔵されていなくて
  なかなか読むことができない。
  読みたいものですが。
  そういえば、関根恵子さんが主演した
  映画「おさな妻」も
  富島健夫の原作でした。
  もう一度、読みたいものです、
  富島健夫

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  真面目な官能小説                   

 一口に「官能小説」といっても、さまざまなジャンルがある。
 熟女もの、童貞少年もの、SMもの、時代もの、ロリコンもの、母と息子もの…。
 そういったジャンル分けを横軸とすれば、本書は終戦以降の「官能小説」の歴史的な深化を縦軸として読み解いていこうという、画期的な一冊である。

 作者の永田守弘氏について簡単に紹介しておこう。
 1933年生まれというから現在は80歳を越えておられる。戦後間もない頃から官能小説を読み始め、「ダカーポ」という雑誌に毎号官能小説を紹介し始めた1981年頃より本格的に読みだしたという。その数、年間約300冊というから、おみそれした。
 永田氏の代表作といえば『官能小説用語表現辞典』。これは内容的にも貴重だ。(といっても一般の読者にとってはどうだろう)
 そして、今回の本はまさに労作。「官能小説」をめぐって、その時代背景とともにそれがどのように変化していったかを実に丁寧に綴っている。

 「官能小説」の大きな分岐点として挙げられるのはおそらく「女性官能作家の登場」であろう。
 永田氏もそのタイトルで一章を設けている。
 永田氏が注目したのは1978年の丸茂ジュンの登場。「当時の衝撃は語り草」と記されている。
 それから7年後の1985年には「官能小説の文庫サイズ化」は「戦後の経過のなかでも大きなエポック」と、永田氏は見ている。
 確かに文庫サイズになることで「官能小説」は日常化したともいえる。今日でも駅や空港などでは「官能小説」がりっぱに売られている光景を目にする。
 日常化ということは、すなわち淫靡さが減少したともいえる。「官能小説」を読んでいても恥ずかしくなくなったのだ。

 面白いのは、ファンの中に「お尻派」と「おっぱい派」がいるという考察。
 これは「猫派」対「犬派」の戦いに似ていなくもない。

 こうしてみていくと、「官能小説」もさまざまな書き手と時代の求める嗜好で常に変化していることがわかる。
 ある意味、文学という世界にあって「官能小説」が読み手に対して一番真摯なのかもしれない。
  
(2016/03/24 投稿)

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  今年は司馬遼太郎没後20年にあたる。
  NHKEテレの「100分 de 名著」は
  その企画として
  司馬遼太郎の4つの作品を取り上げていて
  今夜の第4回目で最後となる。
  そこで取り上げられるのが
  『この国のかたち』。
  今までの3回を視聴して
  惜しむらくはやはり一つの作品を
  一カ月じっくり取り上げた方が
  よかったのではないかということだ。
  どうしても25分で一作品では
  内容が希薄になっている。
  『この国のかたち』にしても
  果たして25分でどう説明されるのだろう。
  それはともかく
  今回久しぶりに『この国のかたち一』を読み返した。
  このシリーズは
  文春文庫版で六冊出ている。
  これから毎月一冊ずつ
  再読をしていくつもりです。
  今回はその一回め、『この国のかたち一』。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  私たちは司馬遼太郎の火を消していないか                   

 この本は何度読んでも難しい。
 総合誌「文藝春秋」の「巻頭随筆」として1986年3月号から連載を始めたものがこのシリーズで、この一には2年分のそれが収められている。
 司馬遼太郎は23歳の時、終戦を迎える。その時、「なんとおろかな国にうまれたことか」と忸怩たる思いだった。
 「むかしは、そうでなかったのではないか」という思いがその後の作品を描いていく基本のトーンであり、「二十三歳の自分への手紙を書き送るようにして書いた」。
 手紙を書き続けることで感じたさまざまを「形象としてとりだし、説明的文体」で書かれたのが、この作品である。
 もしかすれば、もっとわかりやすい表現形式はあったかもしれないが、司馬が作品として描けなかった「昭和」を語るとすれば、これしかなかったのかもしれない。

 この巻の中で「-あんな時代は日本ではない。と、理不尽なことを、灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動」があると記した司馬。
 「昭和」という時代(戦前のそれ)を「鬼胎」の時代と呼んだ司馬は、長い連載の中で戦国時代や江戸時代、あるいは幕末、明治という彼がこれまでに見てきた歴史をたどっていくことで、まさにこの国のありようをみていく論考になっている。

 一方で、この1980年代後半の「この国」が置かれていた状況をみて、その将来を憂いている(「14 江戸期の多様さ」)のも、司馬という一人の作家を考えた場合、重要な視点となる。
 晩年の司馬はしばしば「この国」の審判官のようであったことを思い出す。
 この国の未来を司馬が一人で背負っているような悲壮感さえあった。
 司馬もまたそれに実直に答えようとした。
 この作品もそんな司馬の成果物としてある。

 我々日本人を司馬はこう表現している。(「15 若衆と械闘」)
 「日本人はつねに緊張している。ときに暗鬱でさえある。理由は、いつもさまざまの公意識を背負っているため、と断定していい」。
 東日本大震災のあとの被災者たちの姿そのものといえる。もちろん、司馬はその時にはもういなかったのだが。
 司馬遼太郎が亡くなって20年。果たして私たちは司馬の期待どおりの「この国」を持ちえただろうか。
  
(2016/03/23 投稿)

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  愛媛県松山市に
  伯方の塩という会社があって
  さすが俳句王国の松山の会社だけに
  「しょっぱい 五・七・五」という
  俳句コンテストがありました。
  審査員にはTVでおなじみの
  夏井いつき先生。
  なんと応募総数が18379句というから驚きです。
  そのコンテストに
  私も応募しました。
  で、結果は。
  グランプリが2名。うん、これは難しい。
  準グランプリが6名。まだまだ難しい。
  入選20名。何しろ18379句の応募だし。
  最後が「センスあり!~選者の気になる次点作品~」。
  まあ、佳作でしょうか。
  私の俳句がここで登場。
  よかった。

     沢庵の尻尾好みも父譲り

  まあ、何しろ18379句の応募ですから
  良しとしないと。
  今日紹介するのは俳人でもある
  坪内稔典さんの『モーロクのすすめ』。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  モーロクは耄碌にあらず                   

 「モーロク」は漢字で書くと「耄碌」。パソコンで変換できるから書ける(打てる?)だけで、実際に書くとなるとなかなか書けない。耄碌というより難解だから。
 ただ、「耄碌」と書くより「モーロク」の方が軽快で、悲惨な感じがしない。
 そもそも「耄碌」とは「年をとって頭脳や身体のはたらきが衰えること。老いぼれること。」とある。「老いぼれる」ともなれば、その語感のどうしようもなく蔑んだ感じの居心地の悪さ。つい、老いぼれたくないものだと、言いたくなる。
 では、一体「耄碌」するのは何歳ぐらいからなのか。75歳以上のお年寄りを「後期高齢者」というが、「後期高齢者」の人たちが「耄碌」している訳ではない。
 つまり、「耄碌」とは年齢に関係ないものなのだ。
 この本の著者、俳人でもある坪内稔典さんは冒頭のエッセイで「私は六十七歳になった」と記している。
 「六十七歳」で「耄碌」はないでしょう。
 自虐とユーモアを込めての「モーロク」だろう。

 ねんてん先生がこの本の出自となる新聞連載を始めたのが2010年。その一年前に『モーロク俳句ますます盛ん』なんていう本を出版したせいで、エッセーのタイトルが「モーロクのススメ」になった次第。
 代表句といえば、「三月の甘納豆のうふふふふ」というねんてん先生は、河馬とアンパンと柿をこよなく愛しているという、変わったお人。
 変わっているのは世のくだらない常識にあてはめただけで、むしろとても自然。
 だから、ねんてん先生のファンは多い。

 先生、この本の中でこんなことを書いている。
 「自分の体験したことや感じたことは、ほとんどがつまらない。(中略)思い切って嘘をつき、その嘘で自分や日常を活性化したい」。
 「モーロク」している人が「活性化」なんて言いますか。
 さらに、「モーロクとは、はらはら、どきどきすることか」。
 「耄碌」であれば「はらはら、どきどき」するのは周りの人だが、先生の場合、自分が「はらはら。どきどき」するのである。
 こういう「モーロク」がいたら、それはそれで周りの人は大変だ。
 ちょっとぐらい落ち着いてもらいたくなる。
  
(2016/03/22 投稿)

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 春分の日の昨日(3月20日)、
 風は少し強かったですが温かな日和でした。
 近くの公園の桜の木を見上げると
 ありました、ありました、
 桜の花がひとつ、ふたつ。

  20160320_095955_convert_20160320163048.jpg

 俳句の季語に「初桜」あるいは「初花」という
 きれいなものがあります。

    人はみななにかにはげみ初桜     深見 けん二

 とってもいい句です。

 まさに今の時期
 いろんな花が咲いてきます。
 次は街なかで見かけた白木蓮

  20160311_083304_convert_20160312144737.jpg
  
    白木蓮の終りは焼かれゆくごとし    今井 聖

 え、この句、「はくもくれんの」って上句は7文字じゃないと
 思われた人もいるでしょうが、
 白木蓮と書いて「はくれん」と読みます。
 そういえば、白木蓮とよく似ているのが
 辛夷(こぶし)
 一番の違いが花の咲く方向。
 白木蓮は空に向かって咲き、
 辛夷は色んな方向に咲きます。

 次の花はかわいいですよ。
 これ、わかります?

  CIMG1026_convert_20160320163131.jpg

 ウスイエンドウの花です。
 ウスイエンドウは畑でも栽培していますが
 ベランダでも植えていて
 この花はベランダのものが咲いたもの。
 畑の方が少し遅いですね。

 さあ、これは華やか。

  CIMG1032_convert_20160320163327.jpg

 一見菜の花のようですが
 これは畑で見かけた
 茎ブロッコリーの花。
 せっかくの花蕾を残念なことに
 花にしてしまった例ですね。
 やっぱり野菜は食べないと。

 ということで、
 やっと畑にたどりつきましたが
 今回はホウレンソウサニーレタスの収穫。
 まずは収穫前の畑の様子。

  CIMG1027_convert_20160320163209.jpg

 この写真、一カ月前の写真ではないですよ。
 3月18日のもの。
 つまり、全然生育していないんです。
 その原因ですが、
 畝の土中に残った草の根。
 これが土中の様子。

  CIMG1031_convert_20160320163249.jpg

 すごいですよね、
 これじゃあ野菜も生育しないですね。
 この日もせっせとフルイで根を駆除しました。
 とれました、とれました、
 ほぼバケツ一杯分。

  CIMG1033_convert_20160320163409.jpg

 うーん、これではね。
 収穫したホウレンソウサニーレタス

  CIMG1034_convert_20160320163443.jpg

 残念ながら味はもうひとつ。

 そうそう、ニンジンですが
 不織布をめくると
 かわいい芽がちらりほらり。
 来週には写真でお見せできるかも。
 お楽しみに。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は春分の日
  この日を中日にして、彼岸です。
  俳句の世界では「彼岸」といえば
  春の彼岸を指して
  春の季語です。
  じゃあ、秋の彼岸はどうかというと
  「秋彼岸」とちゃんと秋をつけないといけません。
  この春の彼岸といえば有名なのは

    毎年よ彼岸の入に寒いのは     正岡 子規

  の俳句。
  これは子規のお母さんが口にした言葉がそのまま句になったそうです。
  今日紹介するのは
  クリス・ホートンさんの『ちょっとだけまいご』。
  フクロウが登場するかわいい絵本です。
  フクロウといえば
  漢字で書けますか。
  「」。
  パソコンでは変換可能ですが
  自分では書けない漢字です。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  ちょっとだけ しかけ                   

 この絵本、一か所だけ仕掛けがあります。
 しかも、最初の肝心なところ。
 どんな仕掛けかは、絵本を開いて、見て下さい。

 主人公はフクロウの子ども。
 フクロウというのはなかなか見ることはありませんが、最近ちょっとしたブームになっています。
 漢字で書くと「梟」の一文字でなんだか厳めしい感じがしますが、あの容姿が癒しのイメージで「フクロウカフェ」に人気が集まっているそうです。
 本来は猛禽類なんですが、その姿から「森の物知り博士」や「森の哲学者」なんて呼ばれることもあります。
 だから、この絵本のフクロウの子どもが巣から落ちて「まいご」になってしまうのですが、どこかかわいいのです。
 そのちびフクロウを助けるのが、森のリス。
 リスも人気の高い動物です。

 ちびフクロウがママのことを「すごーくおおきいんだ」というのでリスが連れていったのは大きなクマのところ。
 次にちびフクロウは「耳がとんがっている」というのでリスはウサギのところに連れていきます。もちろん、ちびフクロウのママはウサギではありません。
 さあ、ちびフクロウはママのところに帰れるでしょうか。

 この絵本を書いたのはクリス・ホートンさん。イタストとかを描いていますから、この絵本のちびフクロウをはじめ登場する動物たちはみんな個性的でかわいいことといったら。
 こういうフクロウを見ていると、「フクロウカフェ」が流行るのがわかります。
 訳したのは、木坂涼さん。絵本作家でもありますが、詩人でもあります。
 詩人といえば谷川俊太郎さんがたくさんの絵本を書いているし、海外の絵本もたくさん翻訳されているのは有名。
 さすがに言葉をあやつる人だけあって、絵本にはよく合います。

 さて、最初の仕掛けのことですが、この絵本のタイトルのように「ちょっだけ」です。
 この絵本を開いて、「なーんだ」というのは嫌ですよ。
 何しろ「ちょっとだけ しかけ」の、「ちょっとだけ まいご」という絵本なんですから。
  
(2016/03/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から三連休という人も
  多いでしょうね。
  ちょっと桜には早いのが残念。
  早ければ
  来週にでもお花見ができるのでは。
  今日紹介するのは
  R-18の官能短編小説集、
  おなじみ花房観音さんの『指人形』。
  最近の花房観音さんの作品の中では
  官能度が高い作品です。
  花房観音さんといえば
  京都のイメージがありますが
  桜といえば京都を思い浮かべる人も
  多いですし、
  今本屋さんの雑誌コーナーには
  京都への旅行関連の雑誌も
  たくさん出ています。
  この春、
  京都に行かれる人は
  花房観音さんの作品を読んでから出かけると
  また印象が違いますよ、きっと。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  秘すれば官能                   

 花房観音の官能短編集、文庫オリジナル。
 ここには7編の短編が収録されているが、うち3編は書下ろしですから、この文庫が本邦初公開という、贅沢な造りとなっている。
 このうち、花房が得意とする京都を舞台にした作品は「おばけ」と「花灯路」の2編だけだから、花房の魅力が半減ではないかと心配される読者もいるだろうが、心配はない。その分、一つひとつの作品の官能度は高い。

 表題作の「指人形」には男女の情愛の場面はない。
 「指人形」と秘めやかに表現されているのは女性の自慰のことだ。「女同士は、セックスの話はできるけれど、自分でする話はなかなかしにくい」と、作品中に書かれているが、だからこそ官能度が増している。
 そもそも官能小説とは、おおっぴらに見れない世界だから、悩ましいのだ。
 もし、大根を料理することが法律で禁じられたとしたらどうだろう。それでも大根を食べたいという人が現れ、夜中にこっそりと大根を切るにちがいない。
 見れないものを見る、そこに官能があるような気がする。

 「奥さん」という短編もそうだ。本当の夫婦でありながら、「奥さん」と妻に声をかける存在を演技する。そこには普段見ることのないよその「奥さん」の痴態がある。
 この夫婦を異常といってしまえばそれまでだが、花房の筆はまるで谷崎潤一郎の世界のように映る。
 そういえば、谷崎の作品は耽美主義と称されたではないか。
 もちろん、花房の作品を谷崎潤一郎と同じというつもりはないが、どことなくその匂いのようなものを感じてしまう。

 「美味しい生活」も普通ではない。女性同士の性愛を描いているが、それは異常だろうか。見知らぬ男女は互いに愛するようになるのも、考えてみれば不思議な感じがする。
 どんな相手であれ、秘すれば官能になる。
 花房は女性でありながら、堂々とその秘するところを描き続けている。
 そんな花房観音のこれからにも期待したい。

 なお、この文庫の「解説」はAV男優の森林原人が書いている。
  
(2016/03/19 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  先日高校の同級生数人と
  夜の食事会をしたのですが
  楽しかった。
  高校を卒業してから40年以上経って
  もうみんな還暦を迎えている。
  話そのものも特にどういうこともない
  つまりは他愛もない会話なのだが
  それがいい。
  何か競争することもなし
  妬むことも謗ることもない。
  まあどうということのない話なのだが
  とてもいい気分でした。
  それに近い気分が
  今日紹介する益田ミリさんの
  『言えないコトバ』にもあって
  益田ミリさんは私よりもうんと
  年下なのに
  どうしてこんなに気分が似ているのだろう。
  益田ミリさんが大阪出身ということも
  あるのだろうか。
  どうだろう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  チョッキってわかります?                   

 相変わらず(といってもこの本は2006年から2008年にかけて「小説すばる」に連載され、2009年に単行本化された、ちょっと以前のものなのだが)、益田ミリは面白い。
 この作品では自身がちょっと口にできない言葉の、理由とか言い訳とか懺悔とかそういう諸々を集めている。
 では、どんな言葉があるかというと、「おひや(水のこと)」「チャリ(自転車のこと)」「パンツ(下着ではない方の)」「おあいそ(会計のこと)」「サプライズ(びっくりぽん)」「デパート(もちろん百貨店)」・・・どうしてそれらが「言えない」のか、そのあたりの事情を説明する益田ミリ節はこの本でも快調。
 もちろん、それぞれ2ページ分のエッセイのあとにはイラスト付きだからいうことなし。

 読者それぞれ益田さんの魅力はあるのでしょうが、こんなこと書いては益田さんに失礼なことは承知の上で書くのですが、私にとってはほぼ同世代的発言が大好きなのです。
 彼女のためにすぐさま書いておきますが、益田さんは1969年生まれですから私とは10歳以上離れていて、さすがに同世代なはずはないのですが、どうかな、この同世代発言は。
 具体的に証明しましょう。「パンツ」の項で、こんな表現があります。
 「わたしが子供の頃、ベストはチョッキだったし、タートルネックセーターはトックリセーターだった」。
 たぶん若い読者はこの一節がなんのことを書いているのかわからないにちがいない。
 しかし、益田さんより上の世代は「わかる、わかる」にちがいないのだ。
 益田さんは昭和の世代を無性に喜ばせるテクニックをお持ちなのだ。
 だからといって、若い世代に受けないかというと、こういう人にならないように気をつけないといけないと要注意人物として、常に意識される存在でもある訳で。

 益田さん曰く、「流されてよいところでは、ざぶざぶと流される。小さな自己主張はしたくない。そこに、わたしの本質なんてないのだから」ということになるのだが、いえいえ、益田さんの本質は十分出ているように思うのですが。
  
(2016/03/18 投稿)

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  昨日までの山田太一さんつながりでいえば
  今日紹介する
  ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>
  『小泉八雲』の代表作のひとつ
  『日本の面影』を
  山田太一さんが1984年にテレビドラマ化しています。
  ハーン役をジョージ・チャキリスさんが演じています。
  さすが山田太一さんは
  題材をさがすのもうまい。
  この本を読むと
  小泉八雲、つまりラフカディオ・ハーン
  とっても気になってきます。
  というか『日本の面影』も『怪談』も
  読みたくなってきます。
  こういう人が松江という町に
  行ったということ自体
  明治の奇跡のように
  思われます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ハーンとは何者か                   

 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンのことをどれだけ知っているか。
 「耳なし芳一」や「雪女」などの『怪談』を書いた作家であるとか松江に住んで結婚して小泉姓を名乗ることになったとか東京帝国大学で夏目漱石の前に教鞭をとっていたといった断片しか知らない。
 中高生向きのちくま評伝シリーズ<ポルトレ>の「小泉八雲」は評伝だけあって小泉八雲の全体像をコンパクトにつかむことができる。

 そもそもハーンとは何者であったか知らない人も多いのではないか。
 彼の肩書はいうなればジャーナリスト。アメリカ時代(彼はもともとギリシャの生まれ)には多くの新聞に関わった記者であった。
 だから、彼が1890年(明治23年)に日本に来たのは旅行記を書くぐらいの気持ちだった。ところが、原稿料のことでアメリカの会社ともめ、一文無しになってしまう、
 そんな彼のもとに島根県松江の教師の職が空いているという連絡が入る。
 この偶然がなければ、ハーンの人生も八雲の登場もなかったでしょう。

 ハーンの人生にはこんな偶然がしばしば登場する。
 特に松江の場合、その影響は大きい。ひとつは神の国出雲が近かったこと、のちに妻となる小泉セツと出会ったこと、そして彼を師事した青年たちがいたこと、それらはまさに僥倖といえる。
 今でも松江には「ヘルン通り」があるが、この「ヘルン」は「ハーン」を読み間違いしたものだという。
 それほどに八雲と松江の関係は深いが、実際八雲が松江に住んだのは1年2カ月と15日でしかない。
 人は時に人生における大きな頂きを得ることがある。
 八雲にとって、松江で過ごした日々はそうであったのだろう。
 それは時間の長短ではない。
 まさに奇跡のような時間であったにちがいない。

 八雲は1904年、54歳の生涯を閉じますが、日本に来たのは40歳の時。
 つまり早すぎる晩年を日本で過ごしたに過ぎない。
 もし、小泉八雲、ラフカディオ・ハーンの全体像を知ろうとすれば、それまでの人生を見ることを忘れてはいけない。
 この一冊はきちんとその姿も描いて、読み応えあるものになっている。
  
(2016/03/17 投稿)

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  山田太一さんの本を読む、
  2日めの今日は
  『その時あの時の今』です。
  このエッセイ集では
  「自作再見」として
  山田太一さんのこれまでのドラマ作品を
  自身が振り返るエッセイが
  収録されています。
  これがなかなか読み応えあります。
  それにしても
  その作品の多さに圧倒されます。
  映画青年だった私は
  テレビドラマをほとんど見なかったし
  今でもテレビドラマをひっきりなしに
  見ているわけでもありません。
  最近でいえば
  日本映画専門チャンネルで放映されていた
  倉本聰さんの「北の国から」全24回を
  やっと全回見終わった。
  そんな程度。
  そんな私が山田太一さんの作品を
  見終わるなんてこと
  ちっとも考えられない。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  山田太一を観る                   

 テレビドラマの脚本家といえば最近では三谷幸喜さんとか木皿泉さんとか、この文庫本の解説も書いている宮藤官九郎さんとか人気が高い書き手は多い。
 それでも、いまだに倉本聰さんと山田太一さんは別格の扱いである。
 偉大な山塊といっていい。
 ではどちらがいいかとなれば、それはもう好き嫌いの範囲になってしまう。
 私は倉本さんの抒情的な作風が嫌いではない。一方、山田さんの方は知的な叙事的な作風であるが、こちらもいい。観る側の年齢的なことや経験的なこともあるのか、最近は山田さんの方が好みかもしれない。

 そもそも山田太一さんの作品でいえば、山本周五郎賞を受賞した『異人たちとの夏』や『飛ぶ夢をしばらく見ない』といった小説群と出会って、テレビドラマは「ふぞろいの林檎たち」は少し、「岸辺のアルバム」は未見、「男たちの旅路」は初回を視聴しただけ、というお粗末さである。
 山田太一さんの活字表現の方が好みということになる。
 この本は「山田太一エッセイ・コレクション」と冠がついているように、活字表現の一冊だ。けれど、副題に「私記テレビドラマ50年」とあるように、書かれている内容は山田さんがこれまでテレビドラマとして描いてきた「自作再見」で、やはりドラマをみていない読者は不公平になるかもしれない。
 私のように山田さんの活字表現が好きな読者はそれでも構わないのだが。

 連続テレビドラマは一時間ものであれば11回ほど続くことになる。そうすると2時間ほどの映画の何倍もの物語を描くことができる。だから、「テレビドラマの醍醐味があるとすれば、長いものだ」と、山田さんはテレビドラマと映画の違いについて書いている。(「日常をシナリオ化するということ」)
 最近のテレビ事情が山田さんが第一線で活躍していた頃と同じかといえば決してそうではないのだが、それでも描けるものは映画とは大きく違うことには変わりはない。
 「自作再見」で書かれている多くのテレビドラマのタイトルだけ見ていても、山田さんがこの世界で成し遂げてきた業績の凄さに恐れ入る。
 やはり大きな山塊であることは間違いない。
  
(2016/03/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  読み手である私のアンテナのせいかもしれないが
  最近山田太一さんの著作が
  目について仕方がない。
  私の印象では
  山田太一さんの本が続々と
  出版されている感じがする。
  たまたまだが、
  山田太一さんの本を続けざまに読む機会に
  恵まれた。
  せっかくなので
  今日と明日、
  2日続けて山田太一さんの本を紹介します。
  まず今日は
  NHKBSで放送された「100年インタビュー」の
  山田太一さんの回を
  単行本化した
  『光と影を映す』。
  書評にも書きましたが
  これが放送されたのは2013年、
  そして単行本化されたのが2016年。
  やっぱり山田太一さんの本が
  続々と出版されているのかも。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  3年前に戻って                   

 NHKBSでかつて放送された「100年インタビュー」を活字化したシリーズ本の一冊であるが、放送されたのが2013年2月で、この本の初版が2016年1月。実に3年近いタイムラグがある。
 これは何を意味するのだろう。実に面白い現象だ。
 もしかして、案外山田太一の再発見が巷で流行っているのかと勘繰りたくなるが、どうだろう。

 大学を卒業後映画会社にはいって映画監督を目指していた山田がどういうきっかけでテレビの世界にはいっていったのかといったところからインタビューは始める。
 山田がテレビの世界にはいったきっかけは木下恵介に誘われてというのは有名な話で、もし山田が木下の下にいなければ、人生は大きく変わっていたにちがいない。
 このインタビューでは山田の代表作である「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」「日本の面影」といった作品に沿って進められていく。
 そして、最後には「老い」をテーマにした「ながらえば」「冬構え」といった作品へとなるわけであるが、そういう大きな潮流をみていくと、山田の長いテレビドラマの世界が彼自身の人生と重なり合うところが見えてくるのではないか

 インタビューの最終章は「いま、テレビにできること」で、冒頭に書いたようにここでいう「いま」は2013年である。その点を割引ながら読むしかない。
 インタビューは2011年に起こった東日本大震災を経験してドラマはどういうことを描いていかなければならないかを山田に問いかけていく。
 山田は「ドキュメンタリーで「これは映せないよ」というものを、ドラマでは感じさせることができる」と答えている。
 震災の記録を読んでいくとどうしても感動秘話のような「いい話」が多くなる。受け手側も「わるい話」よりは「いい話」を欲しているといっていい。そうした時、本当の真実が歪んでしまう。山田はそのバランスをちゃんと取るためには「ドラマ」が必要だと言っている。
 2013年の「100年後へのメッセージ」の中で「時間というのは本当に立ちどまりません」と記した山田太一は、それから3年後の2016年ならどう記すのだろうか。
  
(2016/03/15 投稿)

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 三寒四温という言葉がありますよね。
 三日間寒さが続いたあと
 四日間温かい日が続く。
 そうやって春になっていく。
 この土日はとても寒くて、
 まさに今の時候の言葉で、
 てっきり春の季語だと思っていたのですが、
 これが違う。
 冬の季語
 ええい、構うものか、一句紹介しちゃいます。

    三寒と四温の間に雨一日     林 十九楼

 やっぱり、今の時期にぴったりですよね、
 三寒四温

 そんな寒い土曜日(3月12日)、
 菜園に行ってきました。
 先週種を蒔いたニンジンの芽が出ているか
 楽しみにしていたのですが
 全然。
 影も形もありません。
 今週は三寒四温どころか
 六寒一温だったからな。
 成長がいいのは
 浅葱

  CIMG1020_convert_20160312153343.jpg

 ぐんぐん大きくなっています。
 その次にいいのが
 ウスイエンドウ

  CIMG1018_convert_20160312153309.jpg

 スナップエンドウがちっとも育たたないのに
 ウスイエンドウは元気。
 これからが楽しみの野菜です。

 葉物野菜を育てている畝が
 どうも雑草の根がはびこっているようで、
 葉物野菜が大きく育たないのは
 そういうことも関係しているのだろうと、
 100円ショップで
 フルイを買ってきました。

  CIMG1023_convert_20160312153541.jpg

 先週半分は土を掘り起こしておいたので
 今回はこのフルイを使って
 雑草の根を除去しようと
 がんばってみました。

  CIMG1017_convert_20160312153218.jpg

 写真でわかるかな。
 土に交じって
 雑草の細い根がからまっているでしょ。
 この畝は夏野菜のエース
 トマトピーマンナスを栽培する予定ですから
 植え付けまでに整備しておかないと。

 ところで、菜園で
 こんな花を見つけました。
 何の花だか
 わかりますか。

  CIMG1024_convert_20160312153616.jpg

 これ、ハクサイの花。
 ハクサイアブラナ科の野菜ですから
 花も菜の花にそっくり。
 花が咲く前の花蕾であれば
 食べることもできるそうです。
 でも、やっぱりハクサイは鍋にいれて
 戴きたいですよね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から5年を迎えて
  今回3日間にわたって
  震災関係の本を紹介しています。
  震災関係の本は
  絵本や児童書にもたくさんあります。
  図書館に行けば
  自分でさがすこともできます。
  震災の時に小学生だった子どもも
  中学生になっているかもしれません。
  中学生は高校生に、
  高校生は大学生に、
  大学生はもう働きだしているかもしれません。
  大人の5年と子どもたちの5年とは
  まったく時間の速さが違うような気がします。
  しかし、残念ながらこの子どもたちが
  大人になっても
  まだ福島原発の事故の収束は終わっていないでしょう。
  あの事故はそれほどの
  最悪のものだったのです。
  今日紹介するのは
  その原発事故から避難した
  3人の姉弟たちが綴った
  『福島きぼう日記』という本です。
  やはり、その後の彼らのことを
  知りたくなります。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  子どもは成長する                   

 文部科学省の調査によると、東日本大震災の影響で転校した小中高生や幼稚園児は2015年5月現在で1万9522人だという。
 そのうち、一番多いのは福島県で1万3906人。
 今だに東電の福島原発事故の影響が続いていることがこの数字でも読みとれる。
 震災が起こった3月11日は季節的には卒業シーズンだった。
 小学校を卒業した子どもたちは離ればなれになって、新しい町の中学校に通い出したはずだ。
 あれから5年が経って、その子たちも今では高校生になっている。
 5年とはそんな時間の長さなのだ。

 この本はあの日福島県の南相馬市小高区に住んでいた3人の姉弟の避難生活を彼らの日記形式で綴られたものだ。
 3人の住む南相馬市小高区は福島第一原発から20キロメートル圏内。
 震災と原発事故があった時、門馬千乃(ゆきの)さんは小学校の卒業をまじかに控えた6年生、弟の健将(けんすけ)くんは4年生、その弟の海成(かいせい)くんは2年生。
 震災の日の日記に千乃さんは「もしかして、ここで私たちも死んでしまうのかなと思った」と記している。
 おそらくこの日の東北の子どもたちの多くがそう思っただろう。
 しかし、この3姉弟たちはその後原発事故の避難を始めることになる。福島市から会津若松市へ。飼っていたペットの犬も連れていくことができなかった。
 彼女たちの父親は市の職員だったので一緒に避難すらできない。
 そんな中で3人の姉弟は知らない土地で揺れ動く思いを日記に綴っていく。

 彼女たちの日記の記述が明るくなるのは、新しい学校になじみだした頃だ。
 特に目を見張ったのは末の弟海成くんの日記かもしれない。
 最初はほとんどあった事実だけを記していた海成くんだが、9月ぐらいになると文章自体がしっかりとしてくる。
 9月12日の日記から。「小高の家からひなんしてから半年がたちました。あいづでの半年間は、短く感じました」
 子どもの成長の速さに驚いてしまう。

 この3人の姉弟があれから5年どう成長したのかわからないが、きっと素敵な中高生になっているのだろうな。
  
(2016/03/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日は東日本大震災から5年ということで
  被災地はあらためて
  悲しみの涙が流された。
  日本経済新聞の朝刊コラム「春秋」には
  石巻市の大川小学校に残された
  児童たちによる卒業制作の壁画の話が
  紹介されていた。
  大川小学校では84人の児童らが犠牲になった。
  その壁画には宮沢賢治のこんな言葉が
  記されているという。

    世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない

  その言葉を頂戴すれば
  「東北が全体に幸福にならないうちに日本の幸福はありえない」ので
  ないだろうか。
  それはあまりに理想すぎるだろうか。
  今日紹介する
  石井光太さんの『津波の墓標』を読むと
  真実ということすら
  わからなくなる。
  つらい5年めを迎えた。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  真実の光と影                   

 悲しみは同じではない。
 東日本大震災の被災時の状況などを耳にするたび、そう思う。
 死者15894人、行方不明2561人。この数の、きっと数倍の悲しみがあの日とあの日に続く日々にはある。
 しかも、震災から5年経っても今なお避難生活をおくっている人が17万人以上いる。
 この作品は2011年3月11日に起こった東日本大震災のあと、ほぼ2カ月半を被災地で過ごした著者が現場で見聞きしたいくつかの話を記している。
 著者には被災地での取材活動の中ですでに『遺体―震災、津波の果てに』という良質の記録作品がある。その中で書き記されなかった多くの人たち、悲しみを、この作品で掬い取る形になっている。
 著者はいう。「一つひとつがまったくちがう意味と重みを持つものになるだろう」と。

 東日本大震災の報道で海外メディアは口々に東北の人たちがまじめでおとなしく淡々と避難生活を送っていたかのように報じた。
 しかし、実際にはそうではない負の面もあったことを、この作品では取り上げている。
 それは商店や住居からの強奪だけではない。ATMからなくなった現金は6億を超えると記されている。
 被災地だから善ばかりが語られることはない。真実を知ることと、悪を過大に解釈することは違う。
 まして、なくなったお金にしろ被災者が盗んだものとは限らない。
 あの混乱の中、被災地にもぐりこんだ多くの人たちがいただろう。
 たくさんの遺体をカメラにおさめて記念撮影する人たちの様子も、ここには書かれている。
 人の行為のすべてが善なのではない。
 大きな厄災は時に人間の本質をさらけ出す。

 それは報道する側も同じだ。被災から数カ月もすれば復興の明るいニュースが目立ってきた。視聴者や読者がそれを欲していることもある。それもまた事実だろうが、報道する側に選ばれた事実である。
 震災から5年経った報道も同じだ。明るいニュースの影でいまだに歯を噛みしめている人たちがいることを、忘れてはいけない。

 真実とはなんと空しいことか。
 もはや数字だけが信頼できる、そんな殺伐としたものを感じる。
  
(2016/03/12 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  東日本大震災から今日で5年。

  きっと各地で追悼の場がもたれることでしょう。
  できれば、各人があの日あの時刻のことを思い出すのも
  いい。
  2011年3月11日14時46分。
  あの時、皆さんはどこにいましたか。
  何をしていましたか。
  あの日の天気を覚えていますか。
  私はしっかりと覚えています。
  東京の空とどんよりと曇っていました。
  そして、少しは携帯もつながりましたが
  すぐに通じなくなりました。
  あの日、帰宅せずに
  仕事場に泊まりました。
  泊まったといっても
  机にふせていただけですが。
  東北の被災のことはあまり知りませんでした。
  次の日に家に戻ってから
  深刻な状況を知ったような有り様です。
  あれから5年。
  これまでにもたくさんの震災関係の本を
  紹介してきましたが、
  今日はやはりこの本に戻ってみようと
  思います。
  吉村昭さんの『三陸海岸大津波』。
  あの日のことを忘れないために。
  東北の人たちと心を寄り添わせるために。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  伝えつづけることの困難さ                   

 2011年3月11日の東日本大震災から5年が経ちました。
 あの震災のあと、書店の平台に並んだ震災関係の多くの本の中にあって、吉村昭さんのこの本は異彩を放っていたように思います。何故なら、吉村さんは震災より5年前の2006年に亡くなっていたのですから。多くの記録文学を描いてきた吉村さんがいち早く手掛けたのがこの作品でした。ここには吉村さんの原点のようなものと被災地となった三陸海岸への思いが詰まっているのです。

 1970年(昭和45年)に刊行されたこの本(原題は『海の壁』)の中で吉村さんはこう綴っています。
 「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」
 東日本大震災は結果として、吉村さんのこの予言のような一言が図らずも当たってしまったのですが、吉村さんが大きく間違ったことがあります。
 この本では三陸海岸を襲った三つの大津波のことが記されています。明治29年、昭和8年、そして昭和35年のチリ地震によるもの。これら3つの津波被害をたどって、「あきらかな減少傾向がみられる」と、吉村さんは書きました。
 その理由として、今回の大震災でも問題となった「高地への住民の移動」だけでなく、「避難訓練」「防潮堤その他の建設」などの進化を挙げています。
 実際、吉村さんは田老町の巨大な防潮堤を目にしています。
 しかし、東日本大震災ではこれら過去の大津波と匹敵する被害をもたらしました。
 吉村さんの見た田老町の防潮堤も決壊したのですから。

 吉村さんの希望のような観測がこの大震災で崩れさったことを責めているわけではありません。
 吉村さんはこの作品において多くの警告を発していたのです。私たちは残念ながらそれを忘れていたのです。
 文庫化に際しての文章の中に岩手県で津波についての講演をした時のことが描かれています。その時、聴衆のほとんどが過去の津波について体験していないことに「奇妙な思い」にとらわれたとあります。
 過去の体験を伝えていくことの大変さを吉村さんは実感されたと思います。

 東日本大震災をきっかけにこの本が再び読まれました。しかし、それから5年経って、私たちはまたこの本のことを忘れかけていないでしょうか。
 何度でも、何度でも、この本に立ち返る。
 それがあの日から5年経った、思いでもあります。
  
(2016/03/11 投稿)

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  今日紹介する
  姜尚中さんの『姜尚中と読む夏目漱石』の書評を書きに際して
  あらためて夏目漱石の業績をみると
  その作家活動はわずか10年だったことに
  驚く。
  そして、他のどんな作家よりも
  読まれ続けていることにも
  稀有な感じがする。
  日本人はどうしてこんなにも
  夏目漱石が好きなのだろう。
  おそらく夏目漱石の作品が
  きちんと語り続けてきたからではないか。
  夏目漱石の作品はもちろん本として残っているが
  案外口承文学的な要素も
  あるのかもしれない。
  この本のように
  姜尚中さんが夏目漱石のことを語ることで
  また若い人たちが夏目漱石を読む。
  そうやって伝わってきたのが
  夏目漱石ではないだろうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  没後100年の今年こそ                   

 今年(2016年)は夏目漱石の没後100年にあたります。
 今年の初めに刊行されたこの本もそういうことを意識して出された一冊ですが、書いているのは文学者でも研究者でもなく政治学者である姜尚中(かんさんじゅん)氏というのがいい。
 なぜかというと、姜氏が漱石に強い思い入れを持っているのが、自身の出身地熊本に漱石がかつて高等学校の講師として赴任したことがあるからだとか自身が通った眼科に漱石も通ったことがあったとか、普通の読者が作家を好きになる、そんな気分が姜氏の文章にはあるからだ。
 漱石を好きな人から漱石の話を聴く。
 これってもっとも理解しやすいかもしれない。

 夏目漱石が処女作『吾輩は猫である』を書いたのは1905年(明治38年)で、作家活動は亡くなる1916年(大正5年)までのわずか10年あまりしかない。
 たった10年でりっぱな全集や幾多の研究本を生み出す作品を書いたのだから、すごい作家であることは言うまでもない。
 それに漱石がすごいのは、それらの作品が今でも読み継がれていることだ。そういう作家は稀有といっていい。
 姜氏はそんな漱石の作品群すべてを論じていない。その点もこの新書のいいところだ。

 姜氏はこの本の中で『吾輩は猫である』『三四郎』『それから』『門』『こころ』の5編に絞って紹介している。
 おそらく『坊っちゃん』がないという人もいるだろうし、『明暗』がないと怒り出す人もいるかもしれない。
 しかし、作品を絞り込むことで漱石がうんと身近になっているように感じる。
 近寄りがたい作家ではなく、読めそうな気がする作家。
 姜氏はこの新書の読者層である中高生には、漱石をそういう作家として接して欲しかったのだと思う。

 これら5編の作品の中でも姜氏がもっとも思いを伝えたかったのは『こころ』。
 この作品を通じて漱石の思いを的確にまとめている。
 すなわち、漱石は「いのち」そのものを伝えたかったということだ。そして、そのことは漱石が亡くなって100年経っても変わらない、人の思いとしてあるということ。
 漱石をいま一度読んでみたくなる一冊だ。
  
(2016/03/10 投稿)

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  先週の土曜(3月5日)は
  どっぷりと本の世界にはまった日でした。
  朝からさいたま中央図書館の図書館友の会主催の
  「読書会」に参加。
  昼からは
  東京北区の中央図書館
  ここは赤レンガ図書館とも呼ばれる
  日本の美しい図書館のひとつ、
  そこで開催されたビブリオバトルを見てきました。
  ビブリオバトルとは
  最近人気の「書評合戦」。
  バトラーがおすすめ本を持ち合い、
  一人5分の持ち時間で書評を発表、
  そのあと、観客と数分ディスカッション。
  最後に「どの本を読みたくなったか」を
  観客とバトラーで投票、
  チャンプ本を決定します。
  この日は6人のバトラーが参戦。
  うち男性が2人。
  テーマは「楽しい」。
  皆さん、それぞれの「楽しい」本を
  紹介していました。
  今度どこかのバトルに参戦してみようかな。
  ということで、
  今日紹介するのは
  「続 次の本へ」。
  こういう本も「楽しい」本ですよ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  広がれ、本の世界                   

 タイトルに「続」とあるように、正編となる『次の本へ』が出版されたのは2014年の11月。そして、この本が出版された2015年12月まで、わずか1年足らずだが、出版界を取り巻く環境はより厳しさを増しています。
 そんな中、神戸の小さな出版社がもう一度、本を読むことを喚起したのがこの本です。
 苦楽堂編集部が書いた「この本の使い方―まえがきに代えて」の中に、こんな文章があります。
 「一冊目の本から、次の本へ。そのつながり方はたくさんあります。(中略)あなたが自分の方法で「次の本」に出合い、あなた自身の楽しさや喜び、考える力を手に入れるために、この本をお使いください」と。
 その意味ではこの本は単なるブックガイドではありません。
 この本で「次の本」に出合う方法を考える本といえます。
 出合える方法がわかれば、あとは無尽蔵な本の森があります。
 時に迷子にもなるかもしれません。
 そんな時に行先を示してくれるのも、一冊の本であったりします。

 正編でもそうですが、この本にも巻末に「「次の本」に出合うきっかけ別インデックス」がついています。
 それによると、「人」つながりがやっぱり多い。
 家族や友人、あるいは本の中に好きな登場人物ができて「次の本」に出合ったという人もいます。
 「こころ」というのもあります。これは書かれていることを「もっと知りたくなって
 という人がたくさんいます。経済学者の野口悠紀雄さんがその一人。
 「あることについて知識を持てば、それに関連することへの興味が増す」と記した上で、「好奇心が自己増殖していく」としています。そうなれば、読む本に困ることはないでしょう。

 きっかけだけではありません。この本にはたくさんの書き手がいます。
 野口さんのような経済学者もいれば柴田元春さんのような著名な翻訳家もいます。山崎ナオコーラさんとか最相葉月さんのような人気作家もいます。
 この人がどんな「きっかけ」で「次の本」に出合ったのか、それを知るのも面白い。
 この本の中から「次の本」を見つけても、もちろん、構いません。
  
(2016/03/09 投稿)

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 今回は
 東京・文京区にある「印刷博物館」訪問記。
 題して、
 「グーテンベルクさん、ありがとう」。
 印刷博物館は大手印刷会社TOPPANのビルにある
 印刷に関する諸々を集めた
 ユニークな博物館なんです。

  20160226_111844_convert_20160228163618.jpg
  
 その名前から一度は行きたいと思っていて
 2月の終わりに
 ようやく行ってきました。

 「印刷博物館」へはいくつかの駅から行けますが、
 私は飯田橋の駅から行きました。
 徒歩で15分ほど。
 大きな看板が道道にありますから
 迷うことはありません。

 着いてまずびっくりしたのが
 TOPPANのビルの大きいこと。
 その一階に印刷博物館のP&Pギャラリーがあって、
 訪れた時は「世界のブックデザイン」展が開催中でした。
 「世界で最も美しい本コンクール」に入選した
 各国のユニークな本がずらり。
 残念ながら、この展覧会は2月に終わっているので
 先を急ぎましょう。

 地下に降りて
 入場券を買います。
 一人300円
 こういう博物館の標準的な値段はよくわかりませんが
 少なくとも印刷博物館のこの値段は
 安いです。
 何しろ展示が素晴らしい。
 とにかく入ってみることにしましょう。

 まずは
 プロローグ展示ゾーン。
 ここは「印刷の世界へと導く空間」だそうです。
 歩いているうちに
 古代から中世、そして現在へと
 導かれていく空間。
 すっかり気分満載ではいっていけば
 そこは総合展示ゾーン。
 あのグーテンベルクが発明した印刷機の復元機が
 まずはドーンと。
 グーテンベルクがこれを発明してくれたおかげで
 私たちは今本を読むことができる。
 ありがたや、ありがたや。

 この総合展示ゾーンは
 古代から近代にいたるまでの
 さまざまな資料が
 復元されたものだけでなく
 本物もちゃんとあって
 あ然とすること、三度四度、いやもっと。
 例えば
 江戸時代の医学書の初めといわれる
 『解体新書』は聞いたことがあると思いますが
 これの元になった『ターヘルアナトミア』、
 その2冊が並んで展示されているのですから
 驚きです。
 それよりも驚きは
 1774年当時そっくり同じ図版を
 版として描いた当時の職人の技術の凄さ。
 日本という国は
 印刷に関しては
 世界でも有数だったと思います。
 それの最たるものが
 浮世絵ではないでしょうか。
 版木を何枚も彫り、
 色刷りを重ねていく技術。
 印刷博物館にも
 浮世絵の版木の展示があります。
 びっくりぽんをしながら
 現代に近づき、
 少年漫画誌の展示まで来た時には
 正直ほっとしました。

 こんなに素晴らしい博物館が
 たった300円で見られるなんて。
 なんという贅沢。
 そして、あらためて
 グーテンベルクに感謝して
 印刷博物館をあとにしました。

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 少しずつ温かい日が
 多くなってきたような気がして
 あたりを見回すと
 菜の花の黄色を見つけたりします。

  20160303_104211_convert_20160306151615.jpg

   菜の花の昼はたのしき事多し     長谷川 かな女

 この俳句のような気分ってありますよ。
 春らしい、いい句です。

 先週作った畝にニンジンの種蒔きに
 菜園まで出かけた
 3月6日の暖かな日曜、
 行ってみると
 ナバナが思った以上に育っていました。
 そこでナバナを初収穫。
 ナバナはまず主枝の花蕾を摘み取ります。
 その次には側枝を摘み取りますが
 葉を何枚か残しておきます。
 そうすると、そこからまた孫枝が育つそうです。
 どちらかというと
 茎ブロッコリーの収穫によく似ています。

 葉物野菜を植えている畝は
 日数が経ってもあまり育ってくれません。

  CIMG1004_convert_20160306151658.jpg

 しかも、コマツナなどは
 花が咲きかけてきました。

  CIMG1006_convert_20160306151729.jpg

 こういうふうに
 花茎が伸びてかたくなり、食用に適する時期を過ぎることを
 「とうが立つ」というそうです。
 よく「あの娘はとうがたってるからな」みたいなことをいいますが、
 この場合は「若い盛りの時期が過ぎる」ということで
 使います。
 私なんか、6回ぐらいとうが立ってます。
 そうか、この言葉は
 野菜の栽培からきているのですね。
 わたしの菜園の葉物野菜たちも
 どうもとうが立ってしまったようで
 残念ですが
 成長の途中で収穫してしまいましょう。
 この日収穫した野菜たちが、これ。

  CIMG1011_convert_20160306151919.jpg

 左がナバナ
 右にコマツナ、奥がホウレンソウ
 あとは少し大きくなっているホウレンソウサニーレタスを畝の半分に残しました。
 大きく育つかな。
 どうでしょう。

 ニンジンの種蒔きもしました。
 先週作った畝にニンジンの種を蒔きます。

  CIMG1009_convert_20160306151805.jpg

 写真のような蒔き方を
 筋蒔きといいます。
 ニンジンの種は採光性ですので
 深くは蒔きません。
 かぶせる土も少し。
 なんだかプロっぽい書き方でしょ。
 さすが農業検定3級
 蒔いた後は水をたっぷりあげて
 不織布で覆います。
 これは温度調整と鳥などに食べられないための方法。

  CIMG1010_convert_20160306151845.jpg

 写真で見ると
 ヌリカベが寝転がっているようですが。
 どんな芽が出るか、楽しみです。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  R.J.パラシオさんの『ワンダー』は
  読書アドバイザー養成講座の受講生の皆さんが
  おすすめの一冊を紹介する時間に
  取り上げてくれた児童書です。
  ほかにも何人かの人が
  この本のことを
  紹介しようとしていたくらいですから
  児童書を好きな読者には
  とっても知られた作品かと思います。
  この作品に登場するオーガストという
  男の子は
  顔にひどい障害を持っています。
  私たちの世界には
  オーガストのように重い症状だけでなく
  色々な障害を持った人たちが
  たくさんいます。
  時にはそれが差別を生んだりします。
  この物語は
  読み手に問いかけてきます。
  読み手はそれに向き合わないといけない。
  この本は、
  そういう本なのです。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  たくさん想像して                   

 私には自信がありません。
 もし、この物語の主人公オーガスト・プルマンのような男の子がそばにいたら話せるなんて。
 オーガストは普通の男の子です。ただし、それは「顔以外」と注釈がつきます。
 オーガストは、目がふつうあるはずのところから3センチも下についています。眉毛もまつげもない。耳は穴があいているだけ。鼻はぼってり肉がついて、そこから口にかけては「とろけた蝋」のようだ。
 オーガストは生まれた時はもっとひどい状態だった。何度も整形手術を受けてきた。正式には「下顎顔面異骨症」というらしい。
想像してみてよ、もしそんなオーガストが自分たちの学校に入学してきたらということを。
 この本を読んだあとでも、ひどいことだとわかっているが、私には自信が持てない。

 オーガストは10歳の男の子。それまでは家でママが勉強を教えていたのだが、今度普通の学校に行くことになった。オーガストは最初すごく嫌がった。もっと小さい頃はずっと宇宙飛行士のヘルメットをかぶっていたぐらいだから。
 それでも彼は学校に行く決心をした。感じの悪い同級生がいることを承知の上で。何故なら、そうではない同級生もいたから。でも、ハロウィーンの夜、信じていた同級生からも嫌な言葉を聞いてしまうオーガスト。

 それでもオーガストには彼を愛してくれる人がいた。パパ、ママ、姉のヴィア。家族ならわかる。オーガストが何か悪いことをしたわけではないということを。だから、彼らは信じている。オーガストが学校になじむことを。友だちがたくさんできることを。
 ただ、姉のヴィアだけは少し複雑。オーガストの存在を知られることで彼女もまた周りの冷ややかな目にさらせれてきたのだから。
 想像してみて下さい。オーガストのような男の子が自分の弟だったらって。
 そう、この物語を読むには、たくさんの想像が必要です。
 もし、・・・。もし、・・・。そこにはいつもオーガストがいるはずです。

 オーガストにたくさんの友達ができるかどうかは物語を最後まで読むとわかります。
 それでも、正直に書けば、私にはまだ自信がありません。
  
(2016/03/06 投稿)

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  今日は二十四節気の一つ、啓蟄
  温かくなってきて
  今まで冬眠していた虫たちが
  穴から出る頃。
  まさに春を告げる言葉。

    啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる     山口 青邨

  蚯蚓はミミズと読みます。
  人間の世界でも
  この頃になると
  4月からはどんなことを始めようかとか
  新しい勉強は何がいいかとか
  悩み出すのが、
  この頃。
  今日紹介するのは
  そんな勉強気分満載のあなたに、
  もしかして私が一番その気になっていたりすのですが、
  とっておきの一冊、
  中野明さんの『ドラッカー流 最強の勉強法』。
  ドラッカーというのは
  マネジメントの神様、ピーター・ドラッカーのこと。
  さて、
  春からどんな勉強を始めますか。

  じゃあ、読もう。

  
sai.wingpen  一生勉強一生青春                   

 タイトルにも出てくる「ドラッカー」というのは、「マネジメントの父」とも呼ばれるピーター・ドラッカー(1909~2005)のことである。
 ドラッカーの著作は数多く出版されているし、読んだ人も、特にビジネスマンの多くは一度は手にしているのではないか、多いと思う。
 しかし、この本にある「勉強法」に関してまとまった著作がある訳ではない。
 著者の中野明氏がドラッカーの著作からこまめに「勉強」についての記述をすくいあげてまとめたのが、この本である。

 気になるワードとして「3カ月と3カ年勉強法」が出てくる。
 この本を読むきっかけになったのも、新聞に載っていたこの言葉だった。
 これは「3カ月間集中的に勉強する」テーマと「3カ年をスパンとする」長距離型の勉強を並行して行うということだ。
 私たちの勉強はついその場限りになってしまうことが多い。そうではなく、じっくりと腰を据えて勉強して、自分のものにしないといけないということだ。

 勉強するに際しては成果物を意識しないといけない。
 「プライベートな勉強で成果を上げようと思うと、厳しい自己管理が不可欠」だし、「目標と具体的な成果物を結び」つけないといけない、とこの本には記されている。
 ありがたいことに、この本では「目標の具体的な記し方」も載っている。
 特に趣味的な勉強になるほど「目標」や「成果物」を具体化しにくいだろうが、この本の記し方を参考にすればいい。

 勉強ということになれば働いている人にとって、勉強時間の確保は重要な問題である。
 ここでは「何をすべきか」ではなく「何をしないか」を決めることが大事であると書かれている。時間に余裕があればついあれもこれもと思ってしまう。そうではなく、「何をしないか」を決めることで、優先順位がおのずと決まってくるという。

 この本の「おわりに」で中野氏は「勉強に終わりなし」だし、「勉強テーマが人生を変えることもある」と記している。
 相田みつをの「一生勉強一生青春」という言葉を思い出した。
  
(2016/03/05 投稿)

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  今日紹介するのは
  ブレイク・スナイダー
  『10のストーリー・タイプから学ぶ脚本術』。
  副題が「SAVE THE CATの法則を使いたおす!」。
  もうおわかりだと思いますが、
  『SAVE THE CATの法則』の続編にあたります。
  昨年(2015年)読んだ本のうち
  私のベスト2の本が
  『SAVE THE CATの法則』。
  だから、この本にも期待が大きい。
  そして、その期待を裏切らなかったのも
  うれしい。
  ブレイク・スナイダーはこの本の中で
  どうだい、法則は正しいだろうって
  証明してくれている。
  まだまだ読み解く力が
  私にはないのだけれど。
  まあ観た映画などは
  シーンを思い出しながら
  本を読めたので楽しかったな。
  今年もこの本、
  上位かな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  映画を観に行こう                   

 第88回米アカデミー賞が発表された。
 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(監督ジョージ・ミラー)が作品賞を逃したものの最多の6冠ということで話題になっていた。
 作品賞は「スポットライト 世紀のスクープ」(監督トム・マッカーシー)。この作品は脚本賞との2冠である。
 作品賞にノミネートされた作品を見ると、脚本賞にも同時ノミネートされた作品が多い。
 やはりいい作品にはいい脚本があるという証でもある。

 脚本家を目指す人にとって話題の一冊となった『SAVE THE CATの法則』の著者ブレイク・スナイダーがその続編として書いたのが、この本である。
 原題は「SAVE THE CAT! GOES TO THE MOVIES」(映画を観に行く)。
 つまり、前作でスナイダーは10のジャンルと作品の構成について書いているのだが、この本では具体的に実際の映画で読み解いていこうというのだ。
 10のジャンルを忘れたって。OK! じゃ、もう一度。(こんな文体でこの本は翻訳されてるんだ、わかりやすいだろ)
 ①家のなかのモンスター②金の羊毛③魔法のランプ④難題に直面した凡人⑤人生の岐路⑥相棒愛⑦なぜやったか⑧おバカさんの勝利⑨組織のなかで⑩スーパーヒーロー、どうだい。思い出したかい。
 それでそれぞれのジャンルで事例として挙げられている映画は、もちろんこんな映画知らないなんていう作品もあるけど、「タイタニック」や「エイリアン」、「ダイ・ハード」に「ライオンキング」なんていう、きっと多くの人が観た有名な作品もあって、日本の読者にも十分楽しめるようにできているのが、うれしい。

 この本の中でスナイダーが何度も書いている言葉ってわかるかい。
 それが、これ。「あらゆるストーリーは変化について語るものだ」。
 映画によっては大変わかりやすい変化もあるし、中にはどこが変化なのかわからないという作品もないではない。
 それは脚本がよくないのか、観客である私たちがその変化に気がつかないか、そしてそんな作品に限って変化に気づいた観客は絶賛するんだろうな、どうかだ。
 この続編もめちゃ楽しめるゼ。
  
(2016/03/04 投稿)

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  1月から受講していた
  「さいたま市民大学 -北沢楽天からアニメまで-」全8回の講座が
  先週修了しました。
  この講座は漫画からアニメまでを網羅し、
  その歴史から現状の問題まで
  充実の講座でした。
  なかでも
  「ドラえもん」の長編映画を数多く監督した
  芝山努さんの講座は
  芝山努の絵コンテも拝見でき
  かなり感動ものでした。
  講座のタイトルにもはいっている
  北沢楽天岡本一平と肩を並べる漫画家で
  さいたま市の出身。
  埼玉は何も自慢するところがないといわれますが
  北沢楽天なんか
  もっと自慢していいのでは。
  そして、もう一人
  児童文学の石井桃子さん。
  石井桃子さんは埼玉の浦和の出身。
  もっともっと自慢できる。
  どうしてアピールしないのかな。
  そこで今日は
  ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>から
  「石井桃子」を紹介します。

  じゃあ、読もう。

  


sai.wingpen  種を蒔く人                   

 何度書いても構わないが、ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>の魅力は取り上げる人のセンスの良さである。
 この巻は児童文学者石井桃子である。
 石井は2008年4月に101歳で亡くなった。没後も石井の作品はエッセイ集など多く出版されている。
 あるいは、本格的な評伝『ひみつの王国』(尾崎真理子 著)が出版されるなど、没後さらに石井の評価は高まっているように思う。
 そして、この中高生向けの評伝にラインナップされることで、その幅が広がった。
 石井が翻訳した絵本で育った子どもたちにとって、石井が歩んできた道を知ることは女性が働くことの大変さ、戦争という時代が人の運命に及ぼす影を知るきっかけにもなるだろう。

 さらに石井には自身の幼年期の姿を描いた『幼ものがたり』や成長してからの姿を小説として描いた『幻の朱い実』といった作品もある。
 子どもたちにきっかけを与えれば、どんどん石井の「ひみつの王国」に踏み入ることができる。そういう作家は少ないのではないだろうか。
 それほどに石井の活動の幅は多様である。

 この本では<巻末エッセイ>を直木賞作家中島京子が担当している。中島が直木賞を受賞した作品は『小さいおうち』。
 石井が翻訳したバージニア・リー・バートンの絵本の題名が『ちいさいおうち』で、中島は二つの関係をエッセイでこう綴っている。
 「この絵本を何度も読み、自分の作家としての骨肉を形成したというほどの存在」であり、石井訳の『ちいさなおうち』に捧げられたオマージュだと。
 一冊の絵本が子どもたちにもたらすものは計り知れないことは、中島のこの文章からもうかがえる。
 もし、石井の翻訳による絵本がなければ、中島京子という作家は生まれなかったかもしれないのだから。

 私は石井桃子の評価は衰えることはないと考えている。
 どころか、これからますます石井の評価は高まるだろうし、彼女の道を歩きだす若い人たちもどんどん誕生するような気がする。
 石井桃子が蒔いた種は確実に大きな実をつけている。
  
(2016/03/03 投稿)

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レビュープラス
 今月のNHKEテレ「100分 de 名著」は
 今年没後20年にあたる
 作家司馬遼太郎さんのスペシャル企画。
 とっても楽しみ。

  

 しかし、その前に
 先月のアドラーの「人生の意味の心理学」の
 復習から始めましょう。
 今までにも
 この「100分 de 名著」では色々と教えられてきたのですが
 先月の心理学者アドラーの講座は
 もっともインパクトがありました。
 なんといっても
 その第一回めで
 「意味づけを変えれば未来は変えられる」とあって
 思わず「おおーっ」となりました。
 アドラーのいうところでは
 私たちが変われないのは
 過去に原因があるのではなく、
 変わろうとしない自分がいることになります。
 「できない」のではなく、
 「したくない」自分がいるというのです。
 これには驚くと同時に
 確かにそうかもしれないと
 思い当たることがないでもない。
 1回めからこうでしたから
 4回とも教えられることがたくさんありました。
 何事も逃げてはいけない。
 自分の人生ですから
 自分が作り上げていくしかないんですよね。
 為になったぞ、
 「100分 de 名著」。

 そして、今月
 今回は没後20年企画として
 司馬遼太郎さんの4冊の本を取り上げます。
 1回めは「国盗り物語」、
 2回めは「花神」、
 以降、「「明治」という国家」、「この国のかたち」と
 続きます。
 講師は歴史家の磯田道史さん。

 司馬遼太郎さんが亡くなったのが
 今から20年前の
 1996年の2月12日。
 阪神大震災から1年が経っていました。
 その時、司馬遼太郎さんは72歳でしたから
 それから20年、
 生きておられたら92歳。
 存命であっても
 不思議でもない。
 もし、司馬遼太郎さんが生きていれば
 聞きたいことの一番は
 やはり今月発生から5年を迎える
 東日本大震災と原発事故のこと。
 司馬遼太郎さんなら
 どんなことを語ったでしょう。

 司馬遼太郎さんがいなくなった今、
 その答えは
 私たちが出すしかありません。
 今月もしっかり勉強したいと思います。
 何しろ
 二十一世紀に生きている私たちなのですから。

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