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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昨日のつづき。
  『日本名作シナリオ選』の下巻。
  私が映画のシナリオを初めて読んだのは
  高校のはじめの頃でした。
  当時映画雑誌「キネマ旬報」には
  公開間もない映画のシナリオが掲載されていて
  日本映画だけでなく
  洋画のシナリオもありました。
  その頃チャップリンの映画が
  リバイバル公開されていて
  チャップリンの映画のシナリオも
  掲載されていました。
  それだけをとっていたはずなのですが
  今はどこかに行方不明。
  惜しいことをしました。
  DVDの普及で
  簡単に映画を楽しむことができましたが
  映画はやはり映画館で観たいですね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  シナリオライターたちの心意気                   

 上下巻二冊に分かれているこの下巻には10本のシナリオが収録されている。
 橋本忍による「切腹」、笠原和夫の「総長賭博」、橋本忍と山田洋次の「砂の器」、あるいは中島丈博の「祭りの準備」などである。
 上巻と比べると少しは新しい時代だが、今の人たちにとってはまだ往年の名作といったところだろうか。
 各作品ごとに現役のシナリオライターが解説を書いているのも上巻と同じである。
 例えば、荒井晴彦は長谷部慶次と今村昌平の「にっぽん昆虫記」の解説を書いている。

 加藤正人氏による「巻頭の言葉」の下巻は、ずばり「シナリオを読む」。
 その中で加藤氏はシナリオが昔ほど刊行されなくなったという。その理由はDVDなどの普及と加藤氏は見ている。
 昔は映画は映画館で観るしかなかった。だから気に入った作品は映画館で何度でも観た。それでも足りずにシナリオで読んだ。
まさに中島丈博の「祭りの準備」などはそんな作品の典型ではなかっただろうか。
 しかし、今はその必要はない。DVDで何度も繰り返し観ることができる。あるいは気になる場面では映像を休止させることも可能だ。
 そうやって、人々はシナリオを読まずに映画の鑑賞ができるようになった。
 だが、と加藤氏はいう。
 「映画をほんとうに理解するためには、シナリオを読まなければならない」。

 巻末の全体を通しての「解説」を上巻同様書いた西岡琢也氏は、「シナリオ」を見失ってはならないと書いた。
 では、どんなシナリオがいいシナリオであるのか、その「ものさし」を示したかったと、いう。
 この上下巻で収録されたシナリオはわずか21篇でしかない。
 あの名作はどうした、自分が好きな作品がはいっていない、など不満がない訳ではない。
 しかし、日本映画が低調といわれるこの時代にあって、シナリオの「ものさし」となる作品集を刊行した意義は大きい。

 上下巻の大冊にかけた現役シナリオライターの心意気そのものを評価したい。
  
(2016/04/30 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は昭和の日

    泣き虫の正義の剣士昭和の日   夏の雨

  そして、今日からゴールデンウィークですね。
  皆さんは何連休のお休みでしょうか。
  黄金週間とも呼ばれる由来は
  もともとは映画界の言葉だそうです。
  休みが続くこの時期に
  正月興行やお盆の上映よりも
  映画は大ヒットしたそうです。
  そこで
  今日と明日
  『日本名作シナリオ選』上下巻を
  紹介したいと思います。
  映画を観るのではなく
  映画を読むのも
  いいかもしれません。
  まずは上巻。
  ここには小津安二郎の名作
  「東京物語」もはいっています。
  シナリオを読んで
  映画を観るという順序でもいい。
  では、上映です。

  じゃあ、読もう。

    

sai.wingpen  名作がずらり                   

 シナリオライター加藤正人氏による「巻頭の言葉 シナリオの誕生」に、この本とこれに続く下巻2冊の誕生の経緯が綴られている。
 それによれば、1972年から79年に編まれた『日本シナリオ体系』全6巻、収録シナリオ127本の中から日本シナリオ作家協会会員へのアンケートで、今回収められた上巻11本下巻10本が決められたという。
 上巻の収められたシナリオは、山中貞夫による「盤獄の一生」、伊丹万作の「無法松の一生」、黒澤明菊島隆三の「野良犬」、同じく黒澤明と橋本忍による「羅生門」、あるいは野田高梧と小津安二郎の「東京物語」、山内久の「豚と軍艦」などの11本である。
 日本映画ファンであれば一度は観た作品、あるいは観ておきたい作品がずらりと並んでいる。
 そして、それぞれの作品のあとに現役シナリオライターによる解説が付記されている。例えば、小津たちの「東京物語」には山田太一が解説を書いている。

 上巻全体の解説をシナリオライターの西岡琢也氏が書いている。
 その中で西岡氏が指摘しているように、「シナリオの書式が徐々に形を整えて行ったのが判る」。
 現在のシナリオは、「柱」と呼ばれる場面、「ト書き」と呼ばれる状況説明、そして「セリフ」で出来上がっているが、上巻でもっとも古い山中貞夫のシナリオはその定型ではできていない。
 そのことを創作表現ということで考えれば随分不自由になったとも思えるが、シナリオが映画やドラマの「設計図」であるという認識に立てば、今の表現形式は理に適っているといえるかもしれない。
 その点が小説とは大きく違う点だ。
 しかし、俳句という表現手段であっても五七五という字数制限、季語の組み入れ等不自由な形式ながら、その不自由さが多様な自由さを生んでいることも思えば、シナリオであっても表現の奥行きは深いといえる。

 西岡氏は「文字から撮影されるであろう映像を想像する」ことが「シナリオを読む」ということだと書いている。
 「映像を想像する」ためには、映画をたくさん観るしかない。
 この本は映画を文字で楽しむ一つの方法でもある。
(2016/04/29 投稿)

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  今日も漫画本の紹介です。
  ただ、昨日紹介した上村一夫とは大違いの
  漫画です。
  岡野雄一さんの『ペコロスの母の贈り物』。
  漫画というのは
  実に広い世界を表現できる方法です。
  上村一夫のような官能も描くことができれば
  この岡野雄一さんの作品のように
  介護の世界であったり
  私小説のような世界であったり
  自在に表現できます。
  岡野雄一さんは
  『ペコロスの母に会いに行く』で
  脚光を浴びましたが
  私は今回のような作品の方が
  好きです。
  文学の世界でいえば
  三浦哲郎のような
  世界観です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  母を恋ふる記                   

 『ペコロスの母に会いに行く』で介護マンガと称賛された岡野雄一の、『ペコロスの母の玉手箱』に続く作品集である。
 人気作となった最初の作品では認知症をわずらってグループホームで暮らす母親との生活が描かれているが、その母親光江(漫画ではみつえと平仮名表記)は2014年8月、91歳で亡くなった。
 それ以降の岡野の作品は、第一作以上に母恋いの印象が強くなっている。
 これは漫画版母恋物語だ。

 岡野自身1950年生まれで今初老の域に入りつつある。
 人生を振り返る時期ともいえる。
 そのために母は避けては通れないし、それは父も同様であろう。
 この漫画集には数編のエッセイも収められていて、そのうちの一つが父の思い出である。
 父岡野覚はアララギ派の歌人でもあり、そんな若き日の父の姿がエッセイに綴られている。
 酒の力で憂さを晴らすしかなかった若き父。岡野は「家を建てる」という漫画で、子どもの頃に父から受けた暴力も描きつつ、それでもその時酔いつぶれた父の肩を貸す成長した自分の姿を描いている。
 その時の自分のことを謝りたい、という岡野は、父親ともこうして和解していく。

 母、父、そして長崎で生まれた岡野にはもうひとつ大切な記憶がある。
 原爆である。
 岡野は「戦後5年経って生まれている」と、エッセイの中で振り返る。「手を伸ばせば届く距離にあった、戦争。原爆」。
 「青空(そら)」とつけられた作品には、原爆で妹をなくしたケン坊兄ちゃんが登場する。兄ちゃんは夏になるときまって妹のことを思い出し、血の涙を流すような子どもだった。
 子どもたちがかくれんぼをしている夏。隠れたままで誰にも見つけてもらえない兄ちゃんの妹。
 戦争とか原爆を描いた漫画作品も多いが、この一篇も心に響く作品になっている。

 岡野はその一つひとつは母を媒介にしてたぐりよせていく。
 母の口ぐせであった「生きとかんば!」は母からの贈り物であったと岡野は綴っているが、岡野にくれた母の最大の贈り物は、時間を超える力そのものであったと思える。
  
(2016/04/28 投稿)

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  今年の初め
  東京・弥生美術館
  昭和の絵師とよばれた上村一夫
  没後30年回顧展「わが青春の『同棲時代』 上村一夫×美女解体新書展」があった。

   回顧展に行った時の記事はこちらから。

  上村一夫が亡くなって30年。
  その歳月に
  感慨深いものがある。
  おそらくその企画と連動しているのだろうが
  松本品子さん編の『上村一夫 美女解体新書』を
  今日は紹介します。
  上村一夫の絵の魅力を
  存分にとはいきませんが、
  何しろ上村一夫の作品には
  かなりエロティックなシーンもあって
  そういうことを全部含んで
  上村一夫の魅力なんですよね。
  上村一夫の作品は
  今でも十分通用すると思うのですが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  上村一夫は青春だった                   

 上村一夫(かみむらかずお)。漫画家。代表作に「同棲時代」「修羅雪姫」など多数。「昭和の絵師」とも称された。1986年(昭和61年)、45歳で逝去。
 それから、30年という月日が過ぎたのか。
 漫画が日本文化の中核となった現在、上村の業績や絵柄を知らない人の増えた。
 思えば、上村が「同棲時代」で一躍人気漫画家になったのは1972年(昭和47年)以降のことだ。
 その絶頂期間は10年あまりしかない。
 しかし、自身のことを振り返れば、なんと印象深い漫画家であっただろう。

 今、上村の業績を振り返るこの本を手にして、一篇の漫画にたどりつく。
 「週刊少年マガジン」の1970年10月18日号に掲載された「完全なる答案用紙」だ。
 高校一の美少女と彼女を取り巻く男子高校生を描いた作品で、主人公山根順子の醒めた視線に痺れたものだ。
 この作品は私が15歳の時のもので、同じ雑誌に「鶏頭の花」という、上村らしい官能的な作品もあったことを思い出す。
 「少年マガジン」という漫画週刊誌が当時子どもだけでなく、青年と呼ばれる世代も取り込もうとしていたことがよくわかる。
 上村の作風はもう少し高い。
 それでも出会ってしまったものは仕方がない。
 上村の絵には少年さえも虜にしてしまう魔物が潜んでいたというしかない。

 2016年初春、東京弥生美術館で上村一夫の没後30年となる回顧展が開催されていた。
 本書の監修を務めた松本品子氏はその美術館の学芸員。
 本書はその回顧展の図録ではないが、ほぼその内容にそって上村の作品が紹介されている。
 最も有名なのが「同棲時代」の飛鳥今日子。続いて、「修羅雪姫」の鹿島雪。ともに映画化されたが、上村の描く女性とはイメージが違った。
 上村の美少女たちはどちらかといえば狐目にインパクトがあったが、実際の女優となればそこまでは遠い。「修羅雪姫」を演じた梶芽衣子が一番近いだろうか。

 上村の作品を昭和という時代に置いておくにはもったいない。
 むしろ、平成の絵師となる漫画家が現われないものか。
 春は回るというではないか。
  
(2016/04/27 投稿)

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  最近電車に乗ると
  ほとんどの人がスマホを見ています。
  本を読んでいる人は
  ほんのわずか。
  スマホでゲームをしている人も
  たくさんいます。
  攻略ゲームなどはしたことがないので
  その面白さがわからないのですが
  今日紹介する
  鈴木博毅さんの
  『戦略は歴史から学べ』を読むと
  攻略ゲームも面白いかもと
  思ってしまいます。
  もっともこの本は
  ビジネス本なのですが。
  この本も
  著者の鈴木博毅さんからの献本
  いつもありがとうございます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  ゲーム感覚でビジネスを学ぶ                   

 最近TVCMを見ていて、スマホのゲームのそれがやけに目をひく。
 産業は時代とともに盛衰するが、スマホのゲームなどは数年前には想像もつかなかった。
 しかも、その多くがバトル形式のもののようで、陣地をとったり取られたちといったものまである。
 自身そういうことに疎いので、その面白さがわからないのだが、ビジネス本の範疇に入るこの本を読むと、きっとそれらは面白いに違いないと思われてくる。
 もちろん、本書はゲーム攻略本ではない。
 真面目なビジネス本だ。
 けれど、ハンニバルやカエサルといった古代の英雄たちの戦争から始まって、現代のベトナム戦争や湾岸戦争に至る歴史上有名な32の戦いの黄金律を説いたこの本の面白さは、ゲームに通じるところもある。

 「どう戦えば勝てるのか?」は、歴史が証明している。
 そして、翻って考えれば、ビジネス用語のさまざまな戦略がすでに歴史の中で繰り返されているのだ。
 例えばよく耳にする「選択と集中戦略」にしても、紀元前のカイロネイアの戦いですでに実践済だと著者は見ているし、「コア・コンピタンス戦略」は幕末期の戦略家大村益次郎がとったものだという。
 おそらく当時の戦略家にとっては、そういう戦略名称を認識していたわけではあるまい。
 希代の知恵と知識がそういう戦略を生んだのであろう。

 著者は戦いの勝敗を決める要素を4つとしている。
 ひとつが「局所優位」、つづいて「強みの活用法」「外界の翻訳力」、最後が「目標」である。
 その中で、「外界の翻訳力」と「目標」は極めて重要だろう。
 戦うのは個人ではなく組織であるから、一兵卒にいたるまでその戦いの意味を理解していかなければ、いくら強固なものであっても一穴から崩れさる。
 そのために、戦いの意味とその先にあるものを正しく提示する必要がある。
 逆にいえば、そういうものがないと兵力において優っても負けてしまうことがあるということだ。

 最近の人たちがゲームをしながらそういうことを学んでいるかは知らないが、もしかしたら、彼らはうんと進んでいるかもしれない。
  
(2016/04/26 投稿)

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 菜園を始めてから
 天気予報をよく見ます。
 特に週間天気は気になります。
 昨日の日曜日(4月24日)も予報では
 朝方まで雨が残るが
 午前中には雨があがるという予報でしたが
 結局あがったのは昼近く。
 気持ちは朝から行く気満々でしたから
 お昼を食べて早速でかけました。

 菜園に行くまでに
 季節の花をちょっと紹介しましょう。
 今回は
 春の花です。
 今が見頃かも。

  CIMG1099_convert_20160424155107.jpg

    藤棚の中にも雨の降りはじむ    三村 純也

 雨が降ったあとなので
 草取りにはちょうどいい土の柔らかさ。
 ニンジンの畝は
 けっこう草がはえるのでこまめにとっています。

  CIMG1105_convert_20160424155258.jpg

 草取り後のニンジンです。

 インゲンもしっかり芽がでてきました。

  CIMG1098_convert_20160424155029.jpg

 俳句の世界では
 春の季語に「豆の花」があります。
 この場合、春咲きのエンドウソラマメの花をさしているそうです。

    豌豆の花の飛ばんと風の中     勝又 一透

 ウスイエンドウもエンドウなので
 まさに今の季節。
 莢もしっかりついてきました。

  CIMG1103_convert_20160424155142.jpg

 あとは莢の中の実がぷっくりしたら収穫です。

 タマネギも収穫一歩手前まできました。

  CIMG1104_convert_20160424155213.jpg

 来週かさ来週には
 収穫できるのではと
 とらぬタヌキならぬ、
 とらぬタマネギの皮算用、です。

 収穫といえば
 シイタケ
 先日書いたように
 栽培キットで育て始めて
 あっという間に、
 ごらんの通り、大収穫。

  CIMG1096_convert_20160424154956.jpg

 キットひとつで100個近い
 シイタケの収穫となりました。

 いよいよゴールデンウィークも間近。
 菜園も夏野菜の植え付けにはいってきます。
 また天気予報とにらめっこです。

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  絵本の原作が
  どれくらいの長さのものなのか
  調べたくて
  今日紹介する
  最上一平さんの『じぶんの木』を
  そのまま原稿用紙に置きかけてみました。
  およそ、400字詰め原稿用紙で
  11枚ほど。
  内容にもよるでしょうが、
  この絵本は内容が多い部類じゃないでしょうか。
  私の書評は
  およそ800字ぐらいの見当ですから
  その5倍。
  やはり幼児がひとりで読むには
  早いかな。
  いやいや、最近の子どもは勉強してるからな。
  5歳ぐらいで
  読んじゃうかも。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  どこかで育っているのかしら                   

 絵本だからといって幼児だけが読むものではない。
 大人が読むのに十分な絵本や中高生でも読んでもおかしくない絵本はある。
 この絵本の場合、小学高学年あたりの児童を読者として想定しているのだろうか。
 ちょうど、生とか死について考えだす年頃といっていい。

 山奥の村に住む、わたるという少年がこの物語の主人公。
 村の小学校は今ではわたる一人になっている。
 そんなわたるの友人というと、ひいじいちゃんの「伝じい」、93歳。
 伝じいは昔熊撃ちとして鳴らした猟師。32頭の熊を撃ったり、雪の中熊の穴で一緒にいたこともあるという。
 そんな伝じいが病気で入院してしまう。
 わたるは伝じいの話を聞くのが大好きだから、毎日病室に通っている。けれど、病室のドアを開ける時、少し怖くもなるのだ。
 だから、伝じいからおそわったいのりの言葉をつぶやくこともある。
 いよいよ伝じいが弱ったきた時、わたるは伝じいが見たいといっていた大朝日岳を替わりに見てくることを約束して、それを実行するのだ。

 「伝じい、見てきたぞ」と病院に駆け込むわたる。
 このページに描かれたわたるの顔がいい。絵を担当しているのは松成真理子さん。
 わたるの目の奥に山の風景が見えるといった伝じいの気持ちが伝わってくるような絵だ。
 死のまぎわ、伝じいはわたるに「じぶんの木」の話をしてくれる。
 それは、人は生まれると「どこかにポッと」同じように木の芽がでるのだという。それが「じぶんの木」。
 その木はその人が死んでもいつまでも生き続けるのだと。

 子どもたちに死のことを話すことは難しい。
 それは生きることを説明するのと同じくらい難しい。
 いや、逆かもしれない。生きることを話すのが難しいから死のことは話しづらいのかも。
 この本は絵本だけれど、とっても深い意味が込められた作品だ。
 深い意味を松成真理子さんの絵がやさしく包んでくれている。
  
(2016/04/24 投稿)

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  今日から
  子ども読書週間が始まります。
  5月12日まで。
  子どもが大きくなると
  こういうことにも疎くなりますが
  せっかくの機会ですから
  絵本とか児童書を読むのもいいかも。

  2016kodomopos4c_convert_20160422113543.jpg

  今年の標語は

    四角い本に まあるい心

  心が丸かったら
  いざこざも起こりにくいですものね。
  そこで、今日は
  クリス・ドネールの『わたしの世界一ひどいパパ』という本を
  紹介します。
  本を読む楽しみに
  あふれた児童書です。
  騙されたと思って
  読んでみて下さい。
  いいですよ、これ。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  子どもには気をつけろ                   

 おとなになると、色々なものを手にいれることができる。
 お金、恋愛、家庭、その他もろもろ。
 その反面、失うものもたくさんある。
 その一つが絵本とか児童書の世界だ。
 もっとも絵本であれば、子どもができればもう一度出会えることもあるが、児童書ともなれば、子どもたちは自分で読んでしまえるから、なかなかおとなが読む機会が少ない。
 だから、その世界がどんなふうになっているのか、知らないことが多い。
 この本もそうだ。
 「小学校中級から」となっている、フランスの作家による翻訳児童書。
 小学校の中級ともなれば、こういう世界観さえ理解できることに驚く。

 表題作である「わたしの世界一ひどいパパ」は、このタイトルから書かれている内容は本当は世界一いい父親を描いた物語ではないかと想像していたのだが、何しろ読むのは小学校中級ですよ、本当にひどい父親が登場する。
 元消防士のパパは自分で放火してそれを消し止めていたくらいですから、なんという悪人。けんか、賭博、それにかわいい娘がいるのに愛人までいる、どうしようもない男。
 今は刑務所にいる。母親と娘が面会にやってくるのだが、その機会をうかがって、なんと脱走してしまう。待っていたのは、愛人。父親と愛人に連れられて、娘の逃避行が始まる。
 児童書でここまで書いていいのと、つい思ってしまう。
 ところが、なんともすがすがしいのだ。
 ラスト、「世界一ひどいパパ」から救い出された娘が、父親とのことを生き生きと絵にする場面では、子どもの感性とは、いいこととか悪いことといった区分けではなく、どうしようもなく生きていることに反応することがわかる。

 その他の二つ、「弟からの手紙」も「ぼくと先生と先生の息子」も、行儀のいい家族が登場する訳ではない。
 「弟からの手紙」のお兄ちゃんは、同性愛者(といっても、それをあまり感じさせないが)という設定というのもすごい。

 子どもはおとなが考えている以上に、ずるがしこいし、欲深い。
 愛の独占なんて、当然と思っている。
 おとなになるということは、そういうことを捨て去ることかもしれない。
  
(2016/04/23 投稿)

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 先日の20日は
 二十四節気のひとつ、穀雨

    まつすぐに草立ち上がる穀雨かな   岬 雪夫

 夏まであと少し。
 この日の関東は初夏みたいにすっきりと晴れて、
 友人の車に乗せてもらって
 房総にある鋸山まで行ってきました。

 鋸と書いて
 「のこぎり」と読みます。
 この山の山頂付近に日本一の大仏さまが鎮座する
 日本寺があるというので
 そこまで出かけました。
 鋸山は千葉の小学校では遠足の定番らしく、
 標高は329.4m
 友人のおかげで頂上近くの駐車場まで
 車で登ることができるのですが
 最後はやはり歩くしかありません。

 この山は良質の石材がとれるそうで
 採石あとの山肌が鋸のようにギザギザしているところから
 鋸山と呼ばれるようになったそうです。

 登り始めて少し行くと
 巨大な観音様を目にできます。

  20160420_125014_convert_20160421163319.jpg

 百尺観音
 写真では古そうに見えますが
 昭和41年に完成されたもの。
 ここから山頂までもう少し。

  ふーふー、はー、はー。

 山頂展望台には
 地獄のぞきと呼ばれる
 突き出た巨大な岩があります。

  20160420_130229_convert_20160421163353.jpg

 ここから見た景色の
 なんという絶景でしょう。

  20160420_130834_convert_20160421163432.jpg

 向こうに見えるのは
 三浦半島
 広がるのは東京湾
 手前には
 新緑が広がります。
 新緑は夏の季語
 でも、感じるのは、もう夏です。

     摩天楼より新緑がパセリほど    鷹羽 狩行

 ここから
 おめあての大仏さままで
 くだったりのぼったり。
 樹々の間から鳥のさえずりが。

  20160420_131531_convert_20160421163552.jpg

 こういう瞬間がなんとも贅沢。

 さあ、大仏さまの登場です。

 20160420_140723_convert_20160421163631.jpg

 山の壁面に彫られた大仏さまの高さは
 31.05m
 東大寺の大仏さまが18.18mなので
 その大きさがわかります。
 もともとは1783年に造られたようですが
 その後風雨で傷んでいたのを
 昭和44年に復元修理したそうです。
 この日も何人かの外国からの観光客に会いましたが
 新宿とか秋葉原に比べたら
 ぱらぱら。
 交通の便もあるでしょうが、
 もっと知られていい
 観光地だとは思うのですが
 大仏さまの近くには
 まだ八重桜も満開。

  20160420_141204_convert_20160421163724.jpg

     惜春のわが道をわが歩幅にて     倉田 紘文

     石仏の額にひかり夏近し       夏の雨

 帰りは木更津から
 東京湾アクアラインで。
 最後に
 アクアラインのパーキングエリア
 海ほたるから撮った
 夕焼けです。

  20160420_174018_convert_20160421163756.jpg

 いい一日でした。

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  今日は昨日のつづき。
  心理学者アルフレッド・アドラーの関連本の
  2冊めの紹介です。
  今日は
  岸見一郎さんと古賀史健さんの
  『幸せになる勇気』。
  NHKEテレの「100分de名著」で
  アドラーを講義していたのが
  岸見一郎さん。
  真打ちの登場です。
  昨日のこぼれ話で
  還暦を過ぎて今さら自分を変えようとしなくてもと
  思わないでもないと
  書きましたが、
  その答えを本書の中に見つけました。
  「人間が変わるのにタイムリミットはあるのか」と
  たずねられたアドラー
  こう答えたそうです。
  「寿命を迎える、その前日までだ」と。
  「最良の別れ」のために
  人は最後まで変わり続けないと
  いけないのですね。
  この本の中にはいくつもの名言が散りばめられています。
  書き留めておきます。

     暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段

     自分の人生は、自分で選ぶことができる

     「人と違うこと」に価値を置くのではなく、
     「わたしであること」に価値を置く

     自立とは、「自己中心性からの脱却」

 そして、

     運命とは、自らの手でつくり上げるもの

 じゃあ、読もう。


  

sai.wingpen  いま、ここを真剣に生きる                   

 アルフレッド・アドラーは今もっとも人気の高い心理学者ではないかしらん。
 書店に行けば、アドラー関係の著作がたくさん並んでいる。その多くはアドラーの著作ではなく、アドラーの説いた心理学を、現代のさまざまな課題、自己啓発であったり子育てであったりとやさしく解説した本である。
 その先駆けとなったのが、岸見一郎と古賀史健による『嫌われる勇気』。
 何しろ心理学の本としては異例の100万部突破の大ベストセラーだ。
 この本はその続編として同じ著者によって編まれたもので、2016年2月刊行以来、前作同様着実に読まれているようだ。

 設定も前作同様一人の青年が哲人と問答しながら、アドラー心理学を勉強していくもの。
 前作で哲人からアドラー心理学を学び、念願の学校教師になった青年であるが、現実の教育現場に触れ、アドラーの教えに懐疑的となって哲人を訪れるところから始まる。
 前作を読んでなければアドラー心理学が理解できないのではないかと心配されるかもしれないが、二人の問答の端々で前作の復習も織り交ざっているので大丈夫。この本を読んで、前作に戻る方法もありだろう。

 アドラーは教育界にも多大な影響を与えた心理学者だから、この本の中で語られる数々の示唆は教育の現場や家庭での現場で子育てに悩んでいる人には有意義なものだと思われる。
 特に子どもに対する「尊敬」の必要性については、単に教育だけでなく会社における上司部下の関係の中でも生きてくるだろう。
 ちなみに本書では、「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」という社会心理学者エーリッヒ・フロムの言葉が紹介されている。

 子育ても終わったし教育には関係のない人には、こんな言葉はどうだろう。
 「すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける」。
 これは本書の最後の方で記されているのだが、アドラー心理学が人生の晩年にいたるところまで突き詰めたものであることに驚いてしまう。
 この本に登場する青年ではないが、まだまだアドラーから学ぶことは多い。
  
(2016/04/21 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日紹介した
  『その幸運は偶然ではないんです!』でもそうだが
  今自分を変えようと
  手探り状態です。
  還暦も過ぎて
  今さら自分を変えようなんてと
  思わないでもないのですが
  やはりいい人生の終盤を迎えるにあたって
  よりよい自分でいたいものです。
  そこで今日と明日
  二回にわたって
  今注目の心理学者アルフレッド・アドラー関連の本を
  紹介したいと思います。
  まず今日は
  向後千春さんの
  『人生の迷いが消えるアドラー心理学のススメ』。
  向後千春さんは
  アドラー心理学にも長けた
  早稲田大学の教授です。
  書評にも書きましたが
  自分を変えるための第一歩として
  「不完全な自分」を受け入れること。
  年をとるほど
  なかなか難しいことですが
  自分への戒めとして
  今日の記事は書きました。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  不完全な自分を受け入れる                   

 テレビは娯楽だけではない。時には教養だってある。
 NHKEテレで長年続いている番組に「100分de名著」という25分番組などはその最たる例だろう。
 毎月一冊25分×4回分、100分で、古今東西の名著を解説している。
 今年(2016年)の2月に放映されたのがアルフレッド・アドラーの『人生の意味の心理学』。講師は『嫌われる勇気』などの著作がある岸見一郎さんだった。
 アドラーという心理学者は全然知らなかったのだが、のっけから驚いた。
 私たちはよくあることの帰結を過去の原因に求めるが、アドラー心理学では帰結を求める目的があるのだという。
 つまり、その目的を変えれば、未来を変えられるというのだ。

 アドラーの心理学の本は現在書店では花ざかりだ。
 この本もそのうちの一冊だが、とても読みやすかった。
 アドラー心理学では「100分de名著」でも単に先ほどの目的論だけでなく、「課題の分離」や「共同体感覚」といったことが記されているのだが、その究極はいかにして幸せな生きることができるかがまとめられていると思えばいい。
 この本でも終盤、「私たちを幸せにするのは、収入ではなく、日々の充足感」と赤い色で記されている。
 つまり、その「充足感」をどのように手にいれたらいいのかを記した心理学であるといえる。

 この本で特に注目した章がある。
 それが「変わりたいのに変われない自分」という章で、上記の「目的論」を説明している章といっていい。
 いろんな言い訳をアドラーは「自己欺瞞」と呼んだというところから始まり、何故自己欺瞞してしまうのかを分析し、その解決方法を記している。
 解決方法を書いておくと、「不完全な自分を認め、受け入れること」とある。それができないから悩んでいるという人もいるだろうが、「自己嫌悪を感じてしまうということは、あなたがより良い自分を目指しているということの証拠」という言葉に勇気づけられて、「受け入れる」しかない。

 本書にはその他にも「イライラする自分」をどう抑制するか、「子育てに正解はあるのか」といった章もある。
 アドラーが果たして劇薬かどうか、自身の扱い次第だと思う。
  
(2016/04/20 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  キャリア理論の本。
  J.D.クランボルツA.S.レヴィン
  『その幸運は偶然ではないんです!』。
  よく人は運がよかったとか悪かったとか
  口にしますが
  この本ではそれが偶然ではなく
  自身が呼び込んだ結果と教えています。
  書評では紹介できなかった
  「訳者あとがき」にこんな一節があります。

     オープン・マインドを持ち、
     自分の変化・成長のためにアクセルを踏み
     不確実な状況や偶然的に起こる事態に対して準備を行い
     とりあえず行動を起こしてみる

  赤字にした箇所は
  私が気になったところです。
  もしかしたら、
  何もできないのは
  できないのではなく
  何もしていないからかもしれません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  待っていても何も変わらない                   

 友人からこの本を読めば生き方が変わると薦められた一冊。
 著者のクルンボルツとレヴィンは米国のキャリアカウンセリング理論者。
 「キャリア」という言葉は最近では広く浸透していますが、単に就職とか仕事という狭義的な意味でなく、人生そのものととらえる広義的な意味付けの方がいいと思いますが。その中で二人が注目したのが「プランド・ハプンスタンス・セオリー」です。
 これは「偶然の出来事は人のキャリアに大きな影響を及ぼし、かつ望ましいもの」とする理論です。
 「プランド・ハプンスタンス(Planned Happenstance)」というのは「計画された偶然」と訳されるようです。
 自分の人生を振り返ると、そのキャリアにおいて偶然がもたらしたものが多くあることに気づくはずです。
 しかし、その偶然をキャリアの機会として利用できるためには5つのスキルが必要だといいます。一つには「好奇心」、二つめが「持続性」、これは失敗しても続けていく力です、三つめが「柔軟性」、四つめが「楽観性」、最後が「冒険性」です。

 本書には米国の例ではありますが、たくさんのキャリアを生み出した事例が紹介されています。その様々な例が上記の5つのスキルと関連しあっていることに気がつくはずです。
 本書の冒頭に「人生には保証されているものは何ひとつありません。唯一確かなことは、何もしないでいる限り、どこにもたどり着かないということ」と記されています。
 その意味では「冒険性」というスキルが重要だとわかります。
 同じような言葉がほかにもあります。
 「失敗を恐れて何もしなければ、あなたの人生にどんな幸運も訪れてはくれません」。

 この本で紹介されている事例は運だけに頼ったものではありません。
 こうあります。
 「幸運は、ただ電話が鳴るのを待っているだけの人たちにはめったに起こらないものなのです」。
 もしかしたら、次の曲がり角の向こうに幸運が待っているかもしれない。そのためには歩き続けるしかないのです。

 私にこの本を勧めてくれた友人はきっとこう言いたかったのかもしれません。
 待っていても何も変わらない。勇気をもって、前に進め、と。
  
(2016/04/19 投稿)

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 春は花の季節。
 街にはいたるところで
 咲き誇った花々や若々しい樹々の緑を
 目にします。
 これはチュリーップ

  20160412_090517_convert_20160417162744.jpg

 そして、こちらは「花の王様」とも称される
 牡丹です。

  20160415_123715_convert_20160417162906.jpg

 実は牡丹というのは夏の季語
 春の季語を探せば
 「牡丹の芽」がでてきます。

    牡丹の芽ひくき土塀をめぐらせる     奈良 鹿郎

 牡丹によく似た花で芍薬がありますが
 この芽が違いを比べる大きなヒントらしい。
 牡丹は先がとがって
 芍薬は丸いそうです。
 今度見つけたら、花より芽を見て下さい。

 菜園の方は
 ウスイエンドウの実があちこちに出てきました。

  CIMG1092_convert_20160417163023.jpg

 まだまだぷっくらしないと収穫は
 できません。

 先々週に種を蒔いた
 トウモロコシの芽が出てきました。

  CIMG1091_convert_20160417162952.jpg

 一つの穴に3つ蒔いたのですが
 写真のように2つしかでていなかったり
 まるでダメだったり。
 仕方がないので
 また蒔き直ししました。

 そして、なんといっても
 今回の目玉は
 シイタケ栽培を始めたこと。
 NHKEテレの「やさいの時間」のテキストに載っていた
 懸賞に応募したら
 シイタケ簡易栽培セットが当たりました。

  20160413_165816_convert_20160417162817.jpg

 見た目はグロテスクですが
 これに毎日水やりをします。
 すると、どうでしょう。

  CIMG1093_convert_20160417163055.jpg

 こちらが栽培を始めて4日めの
 4月17日の写真。
 びっくりぽん、です。
 テレビで栽培方法を見た時は
 シイタケ栽培には1年以上かかると言ってましたが
 このセットは
 超簡単。
 不思議です。

 シイタケはさすがに畑で育てられないので
 私の部屋で
 育てていますが
 眠っている間にシイタケの菌が
 はいってきたら
 どうしようか悩んでいます。

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 21年前の阪神・淡路大震災
 5年前の東日本大震災
 そして、私たちはまた
 大きな地震に見舞われました。
 被害にあった熊本やその周辺の人たちに
 どう言葉をかけていいか
 わかりません。

   この大都市(神戸)に、災害が襲った。
   私は、呆けたように、連日報道まみれの暮らしをした。

 これは、司馬遼太郎さんが
 1995年1月に起こった阪神・淡路大震災のあと
 産経新聞の1月30日の「風塵抄」という記事に綴った一節です。
 このあと、司馬さんはこう続けています。

   ひとびとは、家族をうしない、家はなく、途方に暮れつつも、
   他者をいたわったり、避難所でたすけあったりしていた。

 司馬さんはそれを
 「市民の尊厳」と記しました。

 今回の地震で
 大きな被害の出た熊本
 そのシンボルでもある熊本城の損傷した姿は
 見るものの心を痛ませます。
 熊本城を築いたのは
 加藤清正です。
 その地を司馬さんも『街道をゆく・肥薩のみち』で
 訪れています。

  

 急ぐ旅の途中ながら
 司馬さんは熊本の旧城下地域で足をとめている。
 昔ながらの鍛冶屋に目にして
 職人の人柄に触れ、こう綴っています。

   日本という国がもし尋常ならぬ国であるとすれば、
   こういう鍛冶屋さんが存在しているからだといえるし、
   あるいは熊本という大藩の城下の奥行きの深さであるといえるかもしれない。

 熊本という土地の素晴らしさです。
 熊本の皆さん、大分の皆さん、
 負けないで下さい。

 今回の地震は今までとは違い
 何度も余震が続いています。
 被害も拡大するかもしれません。
 それでも
 早く収まってくれることを
 願わずにはいられなく
 今日、この項を書きました。

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プレゼント 書評こぼれ話

  私がJPIC読書アドバイザーの講習を受けていた頃
  専任講師の永江朗さんが
  この本のことを
  少し話していたことがある。
  題して
  『51歳からの読書術』。
  中高年向けの読書アドバイス本といえば
  いいのだろうか。
  副題は「ほんとうの読書は中年を過ぎてから」。
  私はこの本のタイトルよりも
  10歳も年を重ねてきたが
  もう少し早く読みたかったなぁ。
  まあ、それでも
  読書の時間を大幅にとれるなんて
  51歳ではまだまだできないだろうから
  今の私あたりがちょうどいいのかもしれない。
  生の永江朗さんは
  けっしてこの本に登場する作者のようには
  年を感じない。
  これも30分の歯磨きの賜物だろうか。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  中高年の読書を応援する本                   

 この本の著者略歴を読むと、「財団法人出版文化産業振興財団で読書アドヴァイザーを養成する講座の監修および専任講師を務める」とある。
 その講座を受講し、永江さんから講義や添削を受けた人間からすると、永江さんは実にやさしく丁寧に教えて下さった。
 一番驚いたのは、一回の歯磨きに30分をかけるということであったが、この本の中にも「歯磨き読書のすすめ」として推奨? している。
 歯磨きだけでなく、この本では少々傷んできた身体に関しての記述もある。
 それが目。
 タイトルのとおり「51歳」ともなれば誰しも老眼となる。永江さんの場合、加えて飛蚊症、白内障と目の老化に襲われて、たどり着いたところが「電子書籍は中高年の味方だ」。
 永江さんは最近の読書傾向からけっして若い人だけの読書離れを危惧しているのではなく、中高年の読書離れを気にされている。
 読書というのはこの本のとおり「51歳から」が(も)面白いのだが、やはり肉体的な衰え、特に目の負担が大きいのではないかと推測している。
 こういう時、文字の大きさを変えられる電子書籍が役に立つのだという。
 さにあらんや。

 その流れでいえば、「本を持ち歩く」という項目でも電子書籍が携帯にいいということも書いている。
 しかし、それよりももっといいのは「分冊化」ではなかろうか。
 この本では永江朗流「分冊化」のススメもちゃんと伝授されている。
 年をとれば、「本を持ち歩く」といっても大変なのだ。
 若い読者には理解されないかもしれないが、還暦を過ぎた私にはわかる。

 永江さんは1958年生まれ。還暦にはまだ少しあるが、中年になってから「いろんなことが楽になった」という。
 その一つが読書だ。
 「見栄や義務感でする読書」をやめて、「読みたいものを読んで、自由に感想をもち、ときには意見を述べる」。それがいいという。
 もう少し引用を続けると、「中年には中年なりの、若者にはまねできない読書がある。ご同輩たちよ、一緒に本を読もうではありませんか。」となる。
 その問いかけに、「はい」と応えたい。
  
(2016/04/16 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  直木賞つながりでいえば
  今日紹介する
  森史朗さんの『司馬遼太郎に日本人を学ぶ』で
  紹介されている
  司馬遼太郎さんが『梟の城』で
  直木賞を受賞したのが第42回にあたる。
  昭和35年のことだ。
  当然直木賞は新人賞だから、
  この作品を緒にして
  広大な山脈といえる作品群を生み出していくことになる。
  長編ともなれば
  文庫本で5冊以上は当たり前の
  司馬作品だから
  全作踏破は難しい。
  せめて代表作でもと思いつつ
  これもシンドイかな。
  とはいえ、
  まだまだ司馬遼太郎さんの本は
  読みたいと思っている
  自分もいたりする。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  まだまだ読まないと                   

 作家司馬遼太郎さんが亡くなったのが1996年2月12日。今年(2016年)没後20年ということもあってTVや出版での企画が相続いている。
 この本もそういう一冊となるのだろう。
 司馬さんの最後の病床を見舞った、かつて「文藝春秋」で司馬さんの担当でもあった著者が、長短編合わせると67篇に及ぶ司馬さんの著作をどのように読み進めればよいかを指南した一冊である。
 物心ついた時には司馬さんがこの世にいなかったという世代が増えているし、これからも益々増えていく。
 一時の情熱で読まれる作家は多いが、漱石のように時代を越えて読まれる作家は数多くない。どんな時代であっても揺るぎない作品の力が必要だろう。
 司馬さんの作品は小説だけでなく、『街道をゆく』といった紀行文や『草原の記』といったエッセイに至るまで、後世の日本人にも読んでもらいたいし、生き残る力は大きい。
 とはいっても、これだけの作品群があるのだから、この本のような読み方の指南書があってもいい。しかし、残念ながらこの本をもってしてももれている司馬さんの著作は多い。
 例えば、直木賞を受賞した『梟の城』や後期の代表作である『菜の花の沖』などである。
 これはやや惜しい。
 惜しいついでに書けば、司馬さんの年表は入れて欲しかった。

 著者がまず第一にあげている作品は、新選組副長土方歳三の生涯を描いた『燃えよ剣』である。この選択には賛成である。
 小説として滅法面白い。しかも生き生きとした青春小説になっている。
 この作品で司馬さんの山脈に踏み入るのはいい。
 あとはどちらかといえば歴史年表をたどるように紹介されている。
 すなわち『竜馬がゆく』、『最後の将軍』、『世に棲む日日』、『翔ぶが如く』、そして『坂の上の雲』。
 もちろんこれらは司馬さんの代表作に過ぎない。
 ましてや、自分の読書歴と合わせても、まだまだ司馬さんの作品全貌まではおいつかない。

 この本には司馬さんが書けなかったノモンハンや太平洋戦争への記述もあるが、むしろ紙面は紹介されなかった作品の記述にあてて欲しかったという思いも、少しある。
  
(2016/04/15 投稿)

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  昨日
  川口則弘さんの『ワタクシ、直木賞のオタクです。』という本を
  紹介しましたが
  その本の中で
  選考委員浅田次郎さんと直木賞受賞に至るまでのバトルを紹介されていた
  池井戸潤さんの作品を
  今日は紹介します。
  『七つの会議』です。
  池井戸潤さんは
  『下町ロケット』で第145回直木賞を受賞。
  この作品は受賞後の作品となります。
  池井戸潤さんは今でこそ
  圧倒的な支持を集める
  作家ですが
  直木賞には何度か候補になりつつも
  「文学性が低い」といった理由で
  落されてきた経緯があります。
  それを『下町ロケット』で
  選考委員を力で押し切ったそうです。
  川口則弘さんの本、
  役に立つな、さすがに。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  よく似た不祥事は後を絶たない                   

 会社というものはとかく会議が多いものだ。
 数十人が出席する大きな会議もある。それが1時間も開かれれば、総時間は馬鹿にはならない。
 実際その場でほとんど発言しない人もいたりするし、持ち越しとなる案件も多い。
 それでも意思の統一を図るためには、会議は欠かせない。
 池井戸潤のこの長編小説のタイトルはいささかそっけない。初出の日本経済新聞電子版に連載時にはタイトル通り7つの作品だったが、単行本化の際に一篇が加筆されたので、実際には「八つの会議」になるはずだったのではないだろうか。奇妙なタイトルだ。
 しかも、長編小説とは書いたものの一つひとつの作品は主人公が別々で、8つの短編で出来上がっているともいえる構成になっている。
 作品の完成度からいえば短編としてよりやはり長編小説というのが合っているだろうが。

 大手総合電機メーカーソニックの子会社東京建電という中堅メーカーが舞台となっている。
 物語の発端はパワハラ。営業一課の優秀な課長坂戸が出来の悪い部下八角に厳しい指導をしたことで訴えられる。誰もが坂戸の肩を持つが、会社が下した判断は坂戸の異動。
 しかし、その裏には大きな闇がある。
 回を追うごとにその闇が明らかになっていく手法は、読むものの手を休めさせない。
 どうなる、どうなる、と止まらない。
 こういうのを読書の快感と呼ぶのだろう。

 その中にあって、第三話の「コトブキ退社」は異質だ。
 社内の不倫の果てに退職することになった浜本優衣が主人公。退職にあたり「これは自分がやった仕事」といえるものがないことに気がついた優衣。退職までの数カ月で彼女は必死に駆けずり回る。それまで退屈であった会議にも積極的に発言するようになっていく。
 長編の中ではあまり関連がないように感じる一篇だが、もしかしたらこの一篇こそ会議の本質を突いているのかもしれない。
 誰もが「自分の仕事」と思っていれば、会議への参加意欲も変わってくる。

 会社の不祥事を扱ったこの作品が発表されたのが2012年。
 現実の世界ではこの作品と同様の不祥事が数多く明らかになっているのが現実だ。
 その点では、もっと読まれていい作品だろう。
  
(2016/04/14 投稿)

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  今日紹介するのは
  川口則弘さんの『ワタクシ、直木賞のオタクです。』。
  私は芥川賞は若い頃から
  ずっと好きでした。
  家に『芥川賞全集』を持っているぐらいですから。
  その一方で
  直木賞の受賞作はほとんど
  読んできませんでしたね。
  結構芥川賞偏重者。
  長い作品が苦手ということもあります。
  今はどうかというと
  猛省しています。
  訳のわからない芥川賞作品を読んでいるより
  直木賞作品の方が
  うんと読んでいて楽しい。
  これは直木賞というより
  芥川賞がまだまだ文学臭に
  こだわりすぎているからではないでしょうか。
  直木賞の受賞作も
  もっと短くなれば
  さらにはまるのですが。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  芥川賞の話もでてきます                   

 巻末の著者履歴を読む。
 川口則弘さんは1972年の東京生まれ。肩書は「直木賞研究家」とある。著書に『直木賞物語』『芥川賞物語』がある。そして、何よりも「直木賞のすべて」というサイトの主催者である。
 芥川賞直木賞というのはもちろん文藝春秋の菊池寛が1935年に発案した新人文学賞で、すでに150回を超す回数を数える、多分日本で最も有名な文学賞だ。
 芥川賞が純文学、直木賞が大衆文学というおおくくりの区分けはあるが、最近ではというかかなり以前よりその境界は明確ではない。
 多くの人が芥川賞偏重の中で、川口さんは一貫して直木賞にこだわっている。
 その理由はタイトル通り、「直木賞のオタク」だからだ。
 「オタク」とは「大衆文化の愛好者」をいうとしたら、直木賞はぴったりではないか。

 この本は直木賞の公式本ではない。賞にまつわる裏話が満載という本だ。
 芥川賞の影に隠れてパッとしない直木賞だからこそ今まで陽の目を見なかった(といっても、そもそも直木賞に関心がなかったのだから陽の目を見ることはない)話がごろんごろんとしている。
 川口さんも「まだまだ未開の地の多い直木賞の世界」と書いている。
 その裏話にどんなことが書かれているかというと、巷間よく言われる「推理小説は不利」や「直木賞と芥川賞の交差史」、あるいは「文学性」について、エピソードを交えながらの考察である。それらの面白いこと。
 面白かったのは落選した候補作についての数編だ。さすが川口さん、「オタク」というだけあって候補作への目配りも丁寧で、文壇史から消えた作者や作品をよくフォローしている。
 特に同人誌の出身である北川荘平(1960年代の候補者)に関する記述は読めば読むほど北川荘平という作家の作品を読みたくなること必至だろう。

 それでも直木賞でしょ、やっぱり芥川賞です、という芥川賞フリークの読者にも、菊池寛が本当にこの二つの賞をつくったのかであったり、最初の反響が薄かったのは事実なのかといった芥川賞関連の文章もあるので、それはそれで楽しめると思うのだが。
  
(2016/04/13 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは
  泉麻人さんの『僕とニュー・ミュージックの時代』。
  ニュー・ミュージックといえば
  すぐに荒井由実さんのことが
  頭に浮かぶが
  私の遠い記憶では
  まだ荒井由実さんが出始めの頃
  (確か)TBSで彼女の番組があったような気がする。
  テレビの前にラジカセを置いて
  必死になって録音しようとしていた
  自分を思い出すのだが
  あれはいつの頃だろうか。
  今のように
  簡単に音楽を自分のものにできなかった
  昭和40年代終わりの頃の話だ。
  なんだか泉麻人さんの本を読むと
  ついあの頃のことが
  思い出される。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  歌は世につれ                   

 本書の著者泉麻人さんの誕生日は1956年4月8日。これはキャンディーズのスーちゃん、田中好子さんとまるで同じだそうだ。
 二人とも私の一学年下にあたるが、同世代といっていい。
 この本は泉さんの十代終わりから二十代初めにかけての極めて私的な「LPのアルバムで聴いたニュー・ミュジックについての思い出話」なのだが、私が聞いていたものとあまりに違う。
 泉さんがはっぴいえんどとか吉田美奈子とか荒井由実に夢中になっていた頃、私は中島みゆきだとか山崎ハコばかりを聴いていた。
 そういえば「暗い歌ばかり聴いてるな」と友人にもあきれられていた。
 そんな歌の傾向は今でも続いているが、確かに今思えば暗い歌聴いていたものだ。

 泉さんといえば東京で生まれた慶応ボーイ。
 一方私といえば大阪の郊外で生まれ、大学生になって東京に出てきたものの、いわば地方からでてきた人間。
 大学にはいって東京人の同級生たちに接すると、なんとも世界観が違うものを感じたものだ。
 それは泉さんと私の聴いていた音楽の違いのようなもので、本書に並んだアルバムの数々(そのすべてを私は聴いたことがない)がその証明みたいにしてある。

 そもそも「針キズがあって、そこに差しかかると音が微かに飛ぶ。プツッと飛ぶ瞬間、ほろ苦い思い出が蘇る」なんていう感慨は、私にはなかった。
 私と音楽をつないでいたのは、一台のラジカセ。東京に出てきて初めて知ったFM局の、音源をたどって、録音のボタンをガタンと落とす。その指の感触に「ほろ苦い思い出が蘇る」のだ。
 私にとってLPアルバムなんて高嶺の花だった。

 泉さんとこれだけ生活感が違うのに、それでも本書の文章の端々に同じ時代の匂いを感じてしまうのはどうしてだろう。
 同じ時期に東京のどこかですれちがっていたかもしれない幻想。それが同時代感覚というものかもしれない。
 だから、泉麻人さんのエッセイがいつまでも好きなんだろうと納得して、本書を閉じた。
  
(2016/04/12 投稿)

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 花といえば
 俳句の世界では桜の花をさします。
 それに関連した
 綺麗な季語もたくさんあります。
 花の雨花の雲花衣、・・・
 そのうちのひとつ、
 花筏も落花の頃の綺麗な季語。
 水面を重なって流れる花びらを筏(いかだ)に
 例えた季語です。

    一片のまた加はりし花筏      上野 章子

 20160408_085042_convert_20160410165014.jpg

 この写真は
 菜園の側を流れる鵜沼川に浮かんだ
 花筏

 桜も散り始めて
 いよいよ菜園の作業も本格化してきました。
 4月10日の日曜は
 夏野菜の準備のための畝作りと
 インゲンの種蒔き。
 まず畝の方ですが
 溝施肥で肥料をまきます。
 溝施肥というのは
 畝に深く溝を入れ
 そこに肥料をいれること。
 こうすることで
 長期間にわたって肥料の効果が続きます。
 やっぱり農業検定3級らしいでしょ。
 そのあとに黒マルチを張ります。

  CIMG1089_convert_20160410165311.jpg

 この畝に
 ミニトマトナスピーマン
 植えつけますが
 それはもう少しあと。

 別の畝には
 インゲンの種を蒔きました。
 
  CIMG1085_convert_20160410165225.jpg

 インゲンは今回初めて栽培する野菜。
 この畝にはキュウリもこのあと
 育てます。
 横はニンジン

  CIMG1082_convert_20160410165130.jpg

 ニンジンもうまく芽がそろいました。

 さてわたしの菜園の期待の星
 ウスイエンドウ
 実をつけはじめました。

  CIMG1079_convert_20160410165050.jpg

 この写真で
 実を見つけられますか。
 ウスイエンドウの実は
 花の中からついてきます。
 どれくらいの実をつけるのか
 楽しみです。

 ここ何日か
 温かい日が続いたおかげで
 タマネギもぷっくらしてきました。
 今月下旬には収穫できそうかも。

 菜園は畝づくりで今大忙し。
 ほかの菜園家さんとの会話も弾みます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日の絵本は
  誰かがそばについていてほしい
  そんな作品です。
  トム・クロージー・コールさんの
  『壁 ベルリンひきさかれた家族』。
  そばについて
  補助線をひいてあげて下さい。
  歴史にほんとうにあった世界ですから
  どうしてこういう壁が作られたのかといったことも
  話してあげないといけないし
  今その壁がどうなったのかも
  話してあげて下さい。
  大人である私たちも知らないことがあります。
  だったら、少し勉強しましょう。
  今日の絵本は
  そんな絵本です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  絵本の可能性                   

 絵本はくまさんやうさぎちゃんだけを描く世界ではない。
 怪獣やあおむしだけが絵本の主人公ではない。
 絵本は実に広い世界を描ける、表現形態だと思う。
 例えば、昔話。しかも誰もが知っている世界であっても、絵本作家の画風によってとらえられる印象は違うし、現代風にアレンジすることもできる。
 例えば、ファンタジー。これは絵本の得意とするところ。空を飛ぶ象がいたってダンスをするカバがいたっておかしくない。恐竜と戦うのだってへっちゃら。
 例えば、今のおはなし。パパがいてママがいて、弟がいる。いや、パパのいない家庭だってあるし、ママのいない家だってある。おかしい話、悲しい話、たのしい話。なんでもあり。
 そして、この絵本のように本当にあった歴史のひとこまを絵本として表現することだってある。できれば、誰かがそばにいて、周辺のことも話せたらずっといい。
 絵本の世界は実に多様。
 絵本に描けない世界は、もしかしたらないんじゃないかな。

 この絵本が描かれたのは2014年。
 1989年11月にベルリンの壁が壊されてから25年の月日が経っていた。
 それまで描けなかったと訳ではないだろう。
 だとしたら、その月日は何を意味しているのだろうか。
 それは、記憶の風化のような気がする。
 第二次世界大戦が終わって、冷戦時代にはいっていた1961年、突然西ベルリンを包囲するように作られた「ベルリンの壁」。
壁によって分断されたのは国家や思想だけでなく、家族や恋人たちもそうであった。
 この絵本に登場する家族もそうであった。
 父は西に、母と子どもたちは東に。
 この「壁」を決死の覚悟で越えようとする人々がいた。
 ある人は運よく、またある人は力尽き。
 そして、絵本の少年もまた「壁」を越えようとする。

 「壁」が壊されてたくさんの時間が過ぎていった。
 その時間の経過の中で、かつて「壁」を乗り越えようとした人たちがいたことの記憶が薄れていく。ましてや、小さな子どもたちは「壁」の存在そのものを知らない。
 絵本はそんな記憶をくっきりと蘇させる力さえもっているのだ。
  
(2016/04/10 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  NHK朝の連続テレビ小説あさが来た」が
  面白かった理由のひとつは
  その時代背景にもあったのではないだろうか。
  時代は江戸末期、
  いわゆる幕末から明治維新の嵐の中で
  あさの嫁ぎ先である両替屋の商いも
  変革をせざるを得なかった。
  その向かい風に昂然と向かっていったのが
  あさだった。
  幕末から明治にかけての歴史は
  とても面白い。
  そして、あさのモデルとなった
  広岡浅子だけでなく
  実に多くの有名無名の人たちが
  生き生きと生きていた時代といえる。
  葉室麟さんの『神剣』の主人公は
  幕末「人斬り彦斎」と怖れられて
  河上彦斎(げんさい)
  尊王攘夷の熱情に駆られて
  死ぬまで純粋に生きた男。
  面白くないはずがない。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  時代を駆け抜ける男                   

 最近の漫画事情に詳しい人なら葉室麟のこの作品の主人公河上彦斎(げんさい)が、人気漫画「るろうの剣心」の主人公のモデルだということをきっと知っているだろう。
 幕末の混乱期、「人斬り」と呼ばれた人物が四人いた。
 薩摩の田中新兵衛、中村半次郎(のちの桐野利秋)、土佐の岡田以蔵、そしてこの物語の主人公である肥後の河上彦斎である。
 この内、明治維新後まで生きたのは半次郎と彦斎であるが、半次郎は西南戦争で、また彦斎は謀反を疑われて斬首された。
 尊王攘夷の熱き思想が彼らを「人斬り」へと駆り立て、道半ばで命を捨てたもの、また彦斎のように攘夷を捨てた新政権に怒りを持ち続けたものとさまざまだが、彼らは時代にあまりにも純粋すぎたのかもしれない。

 この物語にも描かれているが、彦斎は佐久間象山を暗殺した人物として名を残した。しかし、結局は象山の予想した通り新政府は攘夷などできなかったわけで、その意味で彦斎の為したことは何であったかと自身も考えたに違いない。
 しかし、それは歴史というものを結果という視点で見るから言えることで、進行形のあの場であれば攘夷を唱えるものとすれば彦斎の剣は否定できなかっただろう。

 葉室麟の作品としてみれば、耐える男とそれに寄り添う女といった抒情性がこの作品においては少ない点を物足りないという人はいるかもしれない。
 彦斎に心を寄せる由依という女人との絡みが唯一それに類するが、残念ながら彦斎の剣がそれすら寄せつけなかったといえる。 読者としては彦斎と由依との情の交わりをもう少し見てみたかったともいえるのだが。

 だからといって、この作品が面白くなかった訳ではない。むしろ、一直線に時代の渦に剣ひとつで突き進む彦斎の姿は生き生きとして面白かった。もちろん幕末という時代そのものの面白さもあるだろうし、そこに生きる多彩な人々の熱情が面白いから、この時代を描けばそれなりに面白く出来上がる。
 それでも葉室麟の筆はそれ以上に彦斎という男を、彦斎が生きた時代を巧みに描いていることは間違いない。
  
(2016/04/09 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  若い頃に「書斎」がちょっとした人気で
  私も御多分にもれず
  将来いつか「書斎」を持ちたいものだと
  思っていたものです。
  それから幾星霜。
  結局「書斎」は持てませんでしたが
  その必要もあまり感じなくなっています。
  何故なら、
  図書館があるからです。
  そっと目をあげれば
  幾多の本を収めた書架が目にはいります。
  もちろん私の本ではないですが
  いつでも自由に読むことができます。
  時間にあきれば
  絵本を読むのもいいでしょう。
  まあ難を言えば、
  コーヒーを片手にとはいかないこと。
  この図書館では水は飲めます。
  今日紹介するのは
  そんな大好きな図書館の本、
  奥野宜之さんの『図書館超活用術』。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  図書館という「知的空間」                   

 今、この文章は図書館の無線LAN接続エリアで書いています。
 私は利用している図書館にはそのほかにも無線LANは使えないけれど電源が利用できるエリアや一区画ずつ囲われている書斎エリアといったように、閲覧コーナーもその用途に応じて分かれています。
 あるいは別の図書館ではパソコンを持参しなくてもwordやexcelが使えるパソコンを置いているところもあって、これは助かりました。
 図書館には単に本の貸し出しだけではないサービスが増えています。
 そのことを知らないのは、なんとももったいない。
 この本では、新しい図書館の使い方と図書館を使ってどうビジネスに生かしていくかといった方法が説明されています。

 本書は序章を除くと6つの章に分かれています。
 第1章から第4章までは図書館の「超」活用法が説明されています。
 これらの章で説明されているNDC(日本十進分類法)を理解して閲覧能力を高める方法などマスターしておきたい項目は多いのですが、それは本書を読んでいただくとして、本書の後半部分の第5章と第6章について書き留めておきたいと思います。
 まず第5章は「図書館のトリセツ」です。「もっと図書館を知り、使い倒す達人になる!」とあるように、図書館の利点をこの章でまずはしっかり理解しておくことが必要です。
 特に近隣地域を含めた図書館ネットワークのことを知っているととても便利です。
 もちろん、司書や図書館員の人たちの役割をしっかり理解しておくことも重要です。

 第6章は「「使える図書館」を探すための7つのチェックポイント」。
 この中に「閲覧室は快適か?」というチェックポイントもあります。
 大きめの机、座り心地のいい椅子(これはなかなか難しい)、明るさ、静かさといった項目がはいってきます。

 本書はまずこの第5章と第6章から読み始められることをお薦めします。
 ここまで読めば、図書館に行ってみようという気分になることは間違いありません。
 さあ、そこであなたは何を作り上げていくか。そのあたりは、第1章から第4章をしっかり読んでみましょう。
  
(2016/04/08 投稿)

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  今日も昨日に続いて
  書評サイト「本が好き!」から献本頂いた
  本を紹介します。
  いつもありがとうございます、「本が好き!」さん。
  むらかみかずこさん監修の
  『そえぶみ箋の使い方』。
  とってもかわいい本です。
  この本を読むとわかるのですが
  私、こういうテイストの文房具で
  好きなんですよね。
  レターヘッドにもでも使ってみたい。
  一筆箋なんかも今では人気は高いですよね。
  よく美術館のミュージアムなんかでも
  販売されていますものね。
  そえぶみ箋は一筆箋よりもサイズがミニですから
  忙しい現代人には
  ふさわしいかもしれません。
  そうそう、この本には
  「限定デザイン」のそえぶみ箋が
  付録でついています。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  心がほっこり                   

 「そえぶみ箋」とはどんなものなのか。
 小さな一筆箋といえばわかりやすいかもしれない。
 もう少し詳しく書こう。本書から引用する。
 「そえぶみ箋は小さなサイズながら、1300年ある美濃和紙の伝統を受け継いでおり、年間35万個の売上実績」を誇っている。
 上部にワンポイントの「ほっこりイラスト」がついていて、1枚の行数は7行。つまりは「手のひら」サイズ。
 今では250種類以上のデザインがあるという。全国の文具店や雑貨店で販売されている。
 郵便局に行くとオリジナルな商品があるから、目にした人も多いかもしれない。
 ざっと、こういう商品。
 この本はそんな「そえぶみ箋」の使い方やどう書くかといったことをまとめた一冊。
 この中に295柄の「そえぶみ箋」がカラーで紹介されているから、目にしているだけで心が「ほっこり」してくる。

 こういう小さなメモはつい雑に書いてしまうことが多い。
 仕事場で不在時の電話を受けた時など、いつ、誰から、どんな要件で、までは書きとめるのだが、誰が受けたのか書き忘れることがある。遠くの席から「誰だー、この電話受けたのは?」なんて叫んでいる上司がいたりする。
 たとえ「そえぶみ箋」を使わなくても、そういったミスやトラブルを避けるためにも、この本で書き方をマスターしておくのもいい。
 ちなみにかわいい「そえぶみ箋」で上司に連絡なんてすると、ランチのご馳走なんてことは、書いていない。

 ITが発達して私たちは「書く文化」を忘れかけてきた。
 メールやSNSが発達し、「書く」というより「打つ」文化になっている。
 そのこと自体は時代の流れであるから否定はできないが、どこか殺伐としている。
 コミュニケーションの取り方がよく問題視されるが、そういうことも要因の一つになっているのだろう。
 「書く」ことは「打つ」より面倒くさいのか。打って変換すれば知らない漢字でも表すことができるから確かに利点がある。けれど、その代わりに失っていることも多いのではないか。

 ためしにそっと「そえぶみ箋」を添えてみないか。
 生活が変わるかもしれない。
  
(2016/04/07 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  おなじみ書評サイト「本が好き!」から
  献本を頂いた
  足立紳さんの『乳房に蚊』を
  紹介します。
  足立紳さんといっても
  知らない人は多いかもしれませんが
  シナリオの世界では
  今注目を集めているシナリオライターです。
  シナリオと小説とは
  書くとき使う筋肉が少し違います。
  シナリオは映像化されて初めて作品として完成しますが
  小説は作品としては独立しています。
  きっと足立紳さんも
  そういう苦労をされたと思います。
  けれど、面白かったなぁ、この作品。
  この作品を映画化するとしたら
  やっぱりシナリオは足立紳さんが
  されるのでしょうね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  足立紳は「来ている」。                   

 文芸評論家北上次郎に「中年男性なら共感必至の小説」と言わしめた脚本家足立紳の作家デビュー作である。
 足立紳について少し説明すると、1972年生まれ。あの相米慎二監督に師事し、助監督や脚本を勉強してきた。第1回「松田優作賞」を「百円の恋」で受賞、どうもそのあたりから運がつき始め(あるいは才能が開花)、同作で「菊島隆三賞」「日本アカデミー賞優秀脚本賞」を受賞。一躍注目を集める脚本家になった。
 そして、遂に作家デビューである。すごい。
 しかし、このように脚光を浴びだしたのは最近の話で、それまではどうしていたかというと、おそらくこの小説の主人公柳田豪太のような売れないシナリオライターであったのだろう。(違ったら申し訳ないが)

 シナリオライターで生活ができるという人はホンノ一握りしかいないという。別にシナリオライターだけではなく、作家もそうだと耳にしたことがある。
 この国の人口が1億人だとすれば、こういう仕事を生業にしている人でそれ単独で生活できている人は一握り以下であることは間違いない。
 豪太のように年収35万(年金生活者以下ではないか)という人の方がきっと多い。
 ではどういう生活をしているかというと、豪太のように働き者の奥さんの稼ぎでなんとか生きていくしかない。
 まさに乳房にとまった蚊の如くである。

 そんな豪太が奥さんと娘を連れて香川まで取材旅行に出かけていくのが、この小説のメインストーリー。
 随所に豪太の情けない、しかし切実な話が散りばめられている。
 特に女房とのセックスのハードルが高くなっていることに気づく豪太の、それでもとばかり奥さんの豊かな胸に迫る場面では、つい応援したくなる。

 作品全体は中編小説に位置づけられる長さだが、やはり豪太のみじめさが終盤やや鼻につく感じがした。
 できれば、うんと短くして短編連作の方がもっと鋭くなったかもしれない。
 でも、こういう作品が直木賞の候補になれば面白いのだが。
 まさか、いやありえる。
 何しろ今足立紳は「来ている」。
  
(2016/04/06 投稿)

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プレゼント 書評こぼれ話

  さあ、「とと姉ちゃん」が始まりましたよ。
  あ、NHK朝の連続テレビ小説の話です。
  何しろ、先週まで放映していた
  「あさが来た」は今世紀にはいってからの
  朝の連続テレビ小説の中で
  最も高い視聴率だったそうで
  当然期待は次の「とと姉ちゃん」にも
  集まっています。
  主人公の「とと姉ちゃん」を演じるのは
  高畑充希(みつき)さん。
  彼女は以前の朝ドラ「ごちそうさん」でも
  出演していましたね。
  ミュージカルもこなす舞台女優としての実績も
  あるくらいですから
  期待大です。
  昨日第1回めを見ましたが
  昭和の雰囲気がいっぱいの作品に
  なるのでしょうか。
  そこで今日は「とと姉ちゃん」のモデル
  「暮しの手帖」の大橋鎭子さんの
  『「暮しの手帖」とわたし』という自伝の
  再録書評を紹介します。
  でも、やっぱり少し
  「あさが来た」ロスです。
  最終回の録画を消せないでいます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  とと姉ちゃんを楽しむために(原題 女性はいつだって強い)                   

  「私たちは、いま、暮しのことを、女だけの領分とは考えていません。男も、子供も老人も、みんな、とにかく毎日暮しているのですから、その暮しを、すこしでもよくしてゆこうというには、男も、子供も、老人も、女のひとと一しょにやってゆかなければ、なかなかうまくゆかないものだ、と思っています」
 これは、昭和33年、雑誌「暮しの手帖」の「編集者の手帖」という編集後記に、本書の著者であり暮しの雑誌社の創業者である大橋鎭子さんが書かれた文章の一部です。
 戦後女性と靴下は強くなったといわれたのは昭和28年頃だそうですが、そうはいっても昭和33年といえば、まだまだ男性の地位が高かった時代といってもいいでしょう。そんななかで、この大橋さんの文章は時代の先を鋭く読みといた、いい文章です。こういう信念があったからこそ、雑誌「暮しの手帖」は多くの読者から高い支持をえてきたのだと思います。

 「暮しの手帖」といえば花森安治さんという名編集長がいたことは有名です。戦中から戦後をたくましく生きた大橋鎭子さんという出版人の半生を読むとき、やはり花森安治さんとの出会いはまず初めにあります。二人が出合わなかったら、「暮しの手帖」という雑誌は生まれなかったでしょうし、大きな視点でみれば戦後のありようも少し違ったかもしれません。
 大橋さんはそれを「運命的な出会いだった」といい、その頃まったく別な職業に就こうとしていた花森さんを「暮しの手帖」へと導いた、それは「タイミングと決断が大事」だということだとふり返っています。

 もちろんすべてが順調だったわけではありません。それは人気雑誌「暮しの手帖」であってもそうです。それなのに、大橋さんが綴る半生にはちっとも湿っぽいものもありませんし、暗澹となることもありません。きっと女性社長としてたくさんの苦労もあったはずなのに。
 そういう突き抜ける明るさが大橋さんのバイタリティにつながっているのではないでしょうか。
 「暮しの手帖」といえば、花森さんの功績が目立ちますが、大橋さんの明るさや思いやりが底流にあればこそ、昭和23年の創刊からずっとつづいているように思えます。
 編集長だったの松浦弥太郎さんの「今日もていねいに。」という言い回しも、大橋さんのそんな気持ちが受け継がれているのでしょう。

 「ささやかな、それでいて心にしみてくる」というのは花森安治さんが「暮しの手帖」の人気記事「すてきなあなたに」が単行本になったとき書いた宣伝文ですが、大橋さんのこの本も、まったくそのとおりにできたすてきな一冊です。
  
(2010/07/17 投稿)

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 私の菜園の横に
 鵜沼川という川が流れていて
 さいたま市でも有数の
 桜の名所となっています。
 下の写真がそれ。

  CIMG1060_convert_20160403163236.jpg
  
 奥に見えるのが埼玉スーパーアリーナなどがある
 さいたま新都心です。

 菜園を始めた昨年の春は
 桜が散りかけた頃のスタートでしたので
 今年満開の桜の下で
 畑仕事ができるのを楽しみにしていました。
 下の写真が
 満開の桜とわたしの菜園。

  CIMG1059_convert_20160403163154.jpg

    新しき土の匂いや桜満つ       夏の雨

 4月2日の土曜日は
 花曇りでしたが
 菜園のカレー大会
 朝からジャガイモとかニンジンタマネギの皮むきから始めて
 お昼には大鍋4つのカレーを準備。

  CIMG1063_convert_20160403163305.jpg

 100人近い人が
 桜を見ながら
 カレーと菜園を楽しんでいました。

 そして、いよいよ
 新シーズンの本格的な到来です。
 翌3日の日曜も菜園に出かけました。
 この日は今シーズン最初の講習で
 今年から菜園を始める人たちも
 大勢参加していました。
 私はちょっと余裕。
 昨年の自分を懐かしく思い出します。
 この日の作業は
 まずは浅葱の最後の収穫。

  CIMG1051_convert_20160403163037.jpg

 それにスナップエンドウの断念。
 スナップエンドウが育たなかったのは残念でしたが
 次の栽培のために
 土を耕して、肥料を入れました。
 その畝の半分、すでに休ませていたところに
 トウモロコシの種を蒔きます。
 その前に畝全体を黒マルチで覆います。

  CIMG1072_convert_20160403163417.jpg

 どうです、今年の黒マルチ
 しっかりと張れていると思いません?
 このあたりが2年めの実績かな。
 と、プチ自慢。
 そして、おなじみマルチ開け器の出動。

  CIMG1075_convert_20160403163452.jpg

 この日はトウモロコシを4本育てる種を蒔きました。

 タマネギの生育状況も順調。

  CIMG1067_convert_20160403163339.jpg

 根元がぷっくりと膨らんでいるのがわかるように
 なってきました。

 そして、私が今もっとも期待している
 ウスイエンドウ

  CIMG1057_convert_20160403163118.jpg

 桜とのコラボレーションです。
 白く見えているのが
 ウスイエンドウの花。
 たくさん咲き始めました。
 花のあとに莢がつくのですが
 いつ頃になるでしょうか。

 これから畑もいろいろな植え付けが始まってきます。
 来週のことを思うだけで
 わくわくしてきます。

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プレゼント 書評こぼれ話

  桜が満開です。
  ここ何日か、満開の桜を満喫しています。
 
    さくら満ち一片をだに放下せず      山口 誓子

  この俳句のような写真を一枚。

  20160401_140654_convert_20160402161811.jpg

  この時期には
  花曇りとか花冷えといった時候の季語も
  多くあります。

     花冷えや柱しづかな親の家     正木 ゆう子

  ついこちらも一句詠みたくなります。

     花を食む嘴ながき鳥の来て     夏の雨

  いかがでしょ。
  今日は電車の絵本。
  といっても、電車に乗っている乗客を
  描いた絵本です。
  やすいすえこさんの『がたたんたん』。
  こんな電車に乗って
  花をめぐる旅もいいですね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  幸せな人たち                   

 吉野弘の「夕焼け」という詩が好きだ。
 満員電車の中の風景。お年寄りに席を譲る娘。礼も言わず平然と座る「としより」。駅で「としより」が降りて、娘はまた席に座った。と、別の「としより」が来たので、彼女はまた席を譲った。今度は礼を言われた。そして、その「としより」も別の駅で降りて、娘はまた座った。今度も「としより」が来たが、娘は席を替わらなかった。
 「やさしい心の持ち主は/他人のつらさを自分のつらさのように/感じるから。」
 そんな少女を見つめている、吉野弘という詩人の心に惹かれる。

 電車にはさまざまな人が乗ってくるから、いろいろな心情がうかがえる。
 この絵本の乗客たちも、そうだ。
 ひとつの長いシートに座っているのは、新聞を読んでいる会社員。膝に猫を入れたバスケットを抱えている女の子。おばあさんは席に正座で眠っている。男の子は本を読んでいる。隣には柔道着を持った体の大きな青年がアンパンを食べている。そして、一番端っこには赤ちゃんを抱いたお母さん。
 一人だけ立っている青年は絵を描いているのだろうか、スケッチブックを持っている。
 これが全部の登場人物。

 「がたたん たん」と電車が揺れると、女の子のバスケットから猫が飛び出した。
 男の子が席を立って、猫を抱きかかえてあげる。
 「キキキキキーッ」と、今度は電車が急停車。おばあさんの膝から毛糸の玉が転がって。おや、みんなでそれを拾ってあげる。
 と、今度は電車の中に小鳥が飛び込んできたぞ。さあ、どうなるのか。

 小さなことでまったく知らない人が少しずつ笑顔をかわすようになっていく。
 そのたびに絵本の中の人たちに彩色されていくという憎い工夫がなされて、やがて電車は駅に着いて、みんな降りていく。
 なんだか楽しそうだ。
 ふたたび、吉野弘の「夕焼け」に戻ると、最後にはこう書かれている。
 「やさしい心に責められながら/娘はどこまでゆけるのだろう。/下唇を噛んで/つらい気持ちで/美しい夕焼けも見ないで。」
 この絵本の人たちは、美しい夕焼けを見る人たちだ。
  
(2016/04/03 投稿)

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 あーいよいよ今日、
 NHK朝の連続テレビ小説あさが来た」が
 最終回。
 これから見るんですが
 どんな終わり方になるんでしょう。
 終盤からのあさの夫新次郎の人生の重さが
 際立っていました。
 演じていた玉木宏さんも好演でしたし。
 このドラマ、
 なんといってもタイトルがいいですよね。
 朝の連続テレビ小説に今までなかったのが
 不思議なくらい。
 ドラマの途中途中に
 「また、新しい朝が来ました」みたいな
 ナレーションがはいるのですが
 朝が来るという至極当たり前のことが
 本当はそうではなく
 朝を来て、また新しい一日を向かるということが
 とっても有難いということだと感じました。
 そうそう、ナレーションを担当した
 杉浦圭子さんの声の魅力も特筆ものです。
 なんだか、「あさが来た」ロスになりそう。

 4月からはテレビ局もさまざまに意匠をこらしてきます。
 いつも紹介している
 NHKEテレの「100分 de 名著」も
 4月から放送時間が変わります。
 毎週月曜夜10時25分からの放送です。
 気をつけて下さいね、皆さん。
 それと、今まで伊集院光さんとMCをしていた
 武内陶子アナウンサーから
 礒野佑子アナウンサーに変わります。
 私、武内陶子アナのちょっとしたファンだったのに。
 まあ、NHKだった人事異動があるだろうし
 それはそれで気分を切り替えて。
 何しろ4月ですから。

 さて、その4月の「100分 de 名著」は
 親鸞の『歎異抄』。

  

 お、さっそくクレームがつきましたね。
 『歎異抄』は親鸞の教えを
 弟子の唯円という人がまとめたもの。
 だから、親鸞の(書いた)『歎異抄』ではなく
 親鸞の(教えをまとめた)『歎異抄』です。

 『歎異抄』といえば、これ。

    善人なほもつて往生をとぐ。いわんや悪人をや。

 思い出しました?
 高校の時に習ったでしょ。
 それくらい有名。
 でも、覚えていないし、何が書かれている本なのかも知らない。
 だから、「100分 de 名著」がある。

 今回の講師は
 如来寺住職の釈徹宗さん。
 第1回めは来週4月4日の月曜放送で
 「人間の影を見つめて」。
 2回め以降は
 「悪人こそが救われる!」、
 「迷いと救いの間で
 「人間にとって宗教とは何か
 と続きます。

 とりあえず、放送時間を
 間違えないこと。
 ちなみに月曜からの朝の連続テレビ小説
 「とと姉ちゃん」が始まります。
 こちらも楽しみ。
 なんて、
 ちっとも「あさが来た」ロスしてないね。

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プレゼント 書評こぼれ話

  今日から4月
  なんだかワクワクしますね。

    四月の朝てのひらは水を信じて    宮崎 斗士

  仕事を辞めて
  2年めの春を迎えました。
  昨年は気分新たに
  学校に通い出したり
  なれない菜園を始めたりと
  ワクワクドキドキしっぱなしだったのですが
  学校も先月には終わったし
  菜園も2年めにはいって
  昨年とはちょっと気分が違います。
  学んできたことを
  自分の時間できちんと育てていかないと
  いけませんよね。
  そこで今日は
  本田健さんの『人生の目的』という本を
  紹介しますね。
  還暦を過ぎて1年、
  まだまだうろうろしている
  私がいます。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  自分の喜びをさがして                   

 「目的」という言葉を調べると、「実現しようとしてめざす事柄」という意味だけでなく「行為において 目指すもの」といったものも出てきます。
 では、この本のいう「人生の目的」とはどういうことでしょうか。
 これは結構難しい問いです。何故なら、私たちが生きていく上で、あまりそういうことを考えないからです。生きていく付随のような仕事の場では「目的」とか「目標」といった言葉はよく耳にするのに、人生にとなるとハタと考えてしまいます。
 著者の本田健氏はこんな表現をしています。
 「人生の目的は「使命」ではなく、「自分の喜び」になることを見つけること」。
 この本は、「自分の喜び」を見つけるための解説書といえます。

 「自分の」という修飾語がついているのに、人は時に「自分の」喜びすら見つけられないものです。忙しいとかお金がないとか周りの人たちの理解がないといった言い訳をしてはいますが、「自分の」喜びがわからないというのが実情ではないでしょうか。
 本田氏は「人生の目的」は「その人が心からやりたいと思っていることの周辺に」あるといいます。
 そのためにも、一度言い訳のようにしてあるものを全部取っ払ってしまうのもいいかもしれません。その時、あなたの「やりたい」ことが浮かびあがってくるかもしれません。

 本田氏はこういう言い方もしています。
 「ワクワクすることに挑戦してみること」。
 ワクワクすることは、「どれだけそれをやっても疲れない」し、「お金や時間を費やしても気にならないこと」だといいます。
 そういう経験は誰にしもあると思います。
 「人生の目的」だからといって、高尚な言葉でまとめる必要はないということです。

 では、その「目的」を実現させるためには、どうしたらいいか、本田氏はこう言います。
 「自分のいまの生き方を変える勇気をもつ」ことだし、「何もしないで、ただ待っているだけでは、いまとは変わらない人生」だと。
 せっかく等分に与えられた人生です。ワクワクすることをやり遂げて終わりたいじゃないですか。
  
(2016/04/30 投稿)

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