08/31/2016 今日は野菜の日ですよ - 「野菜だより」&「やさいの時間」9月号 :どちらがいいか

語呂合わせですが
野菜(831)の日なんですね。
若い頃は
野菜を意識したことはあまりなかったのですが
菜園を始めてからは
とっても意識するようになりました。
趣味といってもいいですね。
趣味を深めるのに
手っ取り早いのは案外雑誌かもしれません。
野菜づくりは昨年の春から始めたのですが
NHKEテレの「やさいの時間」は
それ以前からたまにテレビで見て
いいなぁ、やってみたいなぁと
思ったりしていました。
その時も番組のテキストである
「やさいの時間」を
気の向いた時には買っていましたが
昨年春から
実際に野菜づくりを始めて
それから毎月購読するようになりました。

最近はさらに趣味が高じてきて
「やさいの時間」だけではあきたりなくなって
本屋さんで家庭菜園の雑誌を
立ち読みするぐらいは当たり前になっています。
この時期、秋冬野菜の栽培が始まるので
そのあたりの雑誌もそれが中心になっています。
そして、見つけたのが
「野菜だより」9月号(学研プラス・1010円)。
何しろこの雑誌「家庭菜園誌」とうたっているぐらいですから
もう野菜づくりの情報が満載なんです。

特集が「植えつけ&タネまきの極意」。
「活着促進”植え穴復元植え”」とか
「発芽率アップ”踏みつけまき”」なんて記事があって
これは本屋さんの立ち読みだけでは
覚えきれない。
さらには
別冊付録までついていて
これが「秋冬野菜らくらく栽培ガイド」。
この別冊は秋植えの定番12種類の栽培方法が
載っています。
なかでも私の関心をぐぐってひいたのが
ダイコンの「おすすめ混植プラン」。
これはどういうことかというと
ダイコンとダイコンの間で
コマツナやホウレンソウの葉物野菜を
育てるというもの。
これだ! って思いましたね。

「やさいの時間」(NHK出版・669円)は
かわいいもの。
これってやはり値段に比例しているのでしょうか。
紙質でいえば
「やさいの時間」の方がいいので
写真写りもいいのですが
あまりにもまっとう過ぎて。
NHKらしいといえばそうなのですが。

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08/30/2016 重版出来! 4(松田 奈緒子):書評「脇役を固めました」

私の住んでいるあたりでは
昨日から小中学校の二学期が始まったようである。
最近が祝日も増えて
決められたカリキュラムを消化するのも
大変だとか。
まあ親からすれば
学校が始まってホッとしていたりするのかもしれないが。
今日紹介するのは
松田奈緒子さんの『重版出来!』の
第4巻。
この巻では
主人公黒沢心(こころ)の編集部の先輩安井の姿が
描かれていますが
家庭と仕事という両輪を
うまく回すのはなかなか難しい。
子どもたちにとっては
家庭と学校の両輪ということになるのだろうが。
じゃあ、読もう。

ドラマであれマンガであれ連載ものをするとしたら、できるだけ主人公のまわりに多くのサブキャストを配置するのは鉄則だろう。
できれば大きな組織の中で活躍する主人公であれば、彼や彼女に関係してくる人が多くなる。それが主人公にプラスに働くこともあるだろうし、マイナスに働く人もいる。
漫画編集者黒沢心の奮闘を描く人気漫画の本作でも同じで、心を支える先輩編集者五百旗頭(いおきべ)はさしずめプラス。
その一方で新人漫画家をダメにしてしまう「ツブシの安井」と異名をとる同僚編集者はマイナスであろう。
では、安井がどうして「ツブシの安井」とまで呼ばれることになったのか。
それを描いた「第二十刷 ホームスウィートホーム!」が収録されているのが、この第4巻である。
かつて安井は家庭を顧みない熱血編集者だった。しかし、会社の経営都合により安井の担当していた漫画雑誌は廃刊することになった。漫画家との絆も失ってしまう安井。
これは漫画編集者だけの姿ではない。
働く人の多くが時には休日を返上したり、夜遅い交際に駆り出されてしまう。
家族を守るという目的がいつか主客が逆転してしまう。それでも頑張れるのは生きがいとなる仕事があったから。それを突然奪いとられるのだから、誰もが安井になってしまう可能性もある。
漫画が好きだからこの漫画が人気があるのではない、
この漫画はビジネスマンガといってもいい要素がたくさんある。
だから、多くの働く若者たちに支持されているのだろう。
(2016/08/30 投稿)

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08/29/2016 さあ、秋冬野菜の畝づくり - わたしの菜園日記(8月26日)

ゲリラ豪雨に見舞われたり
夏野菜の収穫が終わって秋冬野菜の栽培を始めなければいけないのに
なかなか天気がうまくいかない。
しかも土には水が入り過ぎているから
粘土状になっている。
しかも来週にはまた大きな台風が来るかもなんていってるし
天気がよさそうな8月26日(金曜)に
畝づくりをすることに決めました。

さいたま市園芸植物園に隣接した
農業者トレーニングセンターで
「秋冬野菜栽培講習会」があったので
出掛けてきました。

参加者は60人以上いましたね。
男女比は6対4ぐらい。
ほとんどがシニア以上。
家庭菜園をしている人も多いのでしょうね。

長さを感じさせないくらい
充実していました。
土づくりや苗づくり、
あるいは肥料やマルチ資材の話など。
「は種」なんていう言葉が出てきて
何だろうと思っていたのですが
漢字で書くと「播種」。
つまり、種を蒔く時期。
例えば、秋冬野菜の代表格ともいえるダイコンは
9月10日が播種の時期。
この時期に合わせて
土づくりもしないといけないということになります。

天気も晴れたし
まさに畝つくりはこの日しかないという金曜日、
朝8時過ぎから作業を始めました。
今回は一番畝と二番畝を作ります。
すでに今まで野菜を作ってきましたから
畝の形はあるのですが
今回はあえてそれをすっかり壊すところから
始めました。
その写真がこれ。

そこに畝をつくる箇所にひもでしるしをつけ、
肥料を蒔きます。

そして、再度耕します。
今回もダイコンの栽培がありますから
念入りに耕します。
何しろ、
ダイコン十耕というぐらいですから。

できあがり。

この日は暑かったので
何度も休憩しつつの作業になりました。
途中で
指導員さんが差し入れてくれた
皮の表面が黄色のスイカを頂きました。

そうそう、
以前書いたど根性スイカは
一個は割れて腐ってしまいましたが
もう一個は頂きました。
まずまずのおいしさでしたね。

9月の上旬。
その時に何を栽培するのか
書きましょう。

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08/28/2016 まよいが(京極 夏彦/柳田 国男):書評「家に人格を持たせる怖さ」

お前が落した斧はこの斧か?
沼から現れた女神が持っているのは、金の斧。
いいえ、めっそうもございません。
それでは、この斧か?
今度は銀の斧。
いえいえ、めっそうもございません。
正直ものの農夫が鉄の斧を取り戻し、
さらにはもっと大きな幸せも。
これは西洋の昔話だったでしょうか。
これとよく似た話はたくさんありますよね。
自分をわきまえ、謙虚であれば
いいこともあるという教えなんでしょうね。
今日紹介する「えほん遠野物語」の一冊、
『まよいが』もそんなお話。
柳田国男の原作に、京極夏彦さんが文を書いています。
さて、この『まよいが』、
皆さんならどんな漢字をあてますか。
じゃあ、読もう。

柳田国男の『遠野物語』の絵本シリーズの一冊。
文は京極夏彦さん、絵は近藤薫美子さん。
作品によって絵の担当が変わるのだが、それぞれ画家の個性が作品の雰囲気を変え、それはそれで面白い。
この本にしても、白を基調にしたデッサンで怪しい雰囲気を醸し出している表紙をみても、「遠野あたりの山では、不思議なことがよく起きる」のも納得がいく。
さて、タイトルの「まよいが」であるが、私は最初「迷い蛾」みたいなものを思っていた。白い表紙が蛾の銀粉のようにも感じたせいでもある。
ところが、これは「迷い家」という漢字をあてるらしい。
昔、一人の女房が山に迷い込んで、不思議な館に入り込む。
「どこにあるのか、どうやって行き着けるのか」誰も判らないが、「迷い家は、訪れた人に幸運を授けて」くれるらしい。
この本ではその「迷い家」に入り込みながら何もとらずに村に帰った女房が、川の上流から流れてきた朱塗りの椀を拾い上げると、これがまた不思議なことにいくらでも米を生み出したという。
こういう欲のない人が、欲がないゆえにお金持ちになるという話はたくさんある。
この話もそういう話の一つだが、それが「家」という建物が生み出すというところにこの話の不思議さと怖さがあるあるような気がする。
そういえば、昔家が人間を飲み込んでしまうといったホラー映画があったと思うが、これもそういう類の怖さがある。
(2016/08/28 投稿)

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08/27/2016 雑誌を歩く - 「オール讀物」9月号 :メロンを持った荻原浩

荻原浩さんの講演を聞いた際に
「理科年表」を手元に置いているといった話が
印象に残っている。
例えば、今週初めの台風9号は久しぶりの関東直撃だったわけだが
もしあの日の物語を書くとすれば
どこから風が吹いて
どれだけの雨が降ったのか、
そういう骨格のようなものが物語を骨太にするのだろう。
今回の荻原浩さんの受賞は
選考委員にどのように受け止められたのか。
「オール讀物」9月号(文藝春秋・1000円)は
恒例の直木賞発表号である。

「オール讀物」の直木賞選評を読んでいるが
いつも思うことは
直木賞選考委員の選評の方がどちらかといえば
大人の対応をしている感じがする。
今回の荻原浩さんの受賞についても
本当に荻原浩さんに直木賞をあげたかったのか
熱情が感じられなかったですね。
だからといって
穏やかに荻原浩さんに差し上げている風。
なんといえばいいのでしょう、
大人だからわかってよという感じ。
選評として一番まっとうだったのは
高村薫委員のそれだったように思う。
そして、宮部みゆきさんのそれは
こういう人に読んでもらえたら
作家としてはうれしいだろうな。
とっても包容力のある文章。

『海の見える理髪店』は短編集なので
今号の「オール讀物」ではそのうちの3篇、
「海の見える理髪店」「いつか来た道」「成人式」が
掲載されています。
そのうち「成人式」は宮部みゆきさんが
「深いテーマを軽妙に、しかしあくまでも真摯に描くという荻原さんらしい短編」と評した作品です。

荻原浩関連では受賞記念の「自伝エッセイ」や
北上次郎氏による
「私の愛する荻原浩作品ベスト10」など
荻原浩さんをもっと知りたい人には
はずせない記事が満載です。
私は巻頭グラビアの
最近家庭菜園に凝っているという荻原浩さんの
メロンとトマトを持った姿に
感銘を受けましたが。

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08/26/2016 眩(くらら) (朝井 まかて):書評「あっぱれ」

今日紹介する『眩(くらら)』の著者
朝井まかてさんは
第150回直木賞受賞ですが
その記念の講演会を見に行った際に
朝井まかてさんも壇上にあがられていたのを
記憶しています。
あの時は受賞後まもないということもあったでしょう。
気負いと不安がないまぜになっていたのではないでしょうか。
しかし、この作品を読むと
その時の不安はもうないですね。
実に「あっぱれ」。
作品の中に
いくつか気に入った文章があったので
書き留めておきます。
誰かと深くなれば、その分遠ざかるものがある。
これなんかはうまいですよね。
もうひとつ。
まだ一筆も下していない束の間は、今度こそいい絵にできるような気がするのに、
いざ仕上がってみたらいつもがっかりしちまう。
朝井まかてさんの心意気でしょうか。
じゃあ、読もう。

本作の著者朝井まかてさんは『恋歌(れんか)』で第150回直木賞を受賞した。2013年のことになる。
実はその受賞作のあと、朝井さんの作品を読むのはこの本が初めてとなる。
『眩(くらら)』というタイトルがまず気にいった。
漢字に(ふりがな)を付けるのは、ナ受賞作と同じ。それ相応の気魄が込められたのだろうか。
取り上げられたのは、葛飾北斎の娘お栄。彼女自身父親には至らないまでも江戸後期の一流の絵師で、父北斎と一心同体のように生きた女性である。
『恋歌』が歌人中島歌子の生涯を描いてなかなかの硬派の文体であったが、この作品を読んで驚いたのは、まず江戸っ子のきっぷのよさが見事に描かれていたこと。
こういう時は達者になったというのだろうか。
父親同様甥の時太郎の不良に生活まで浸潤され困惑しながらも、どこか飄々として生きているお栄。男の気配があまりないせいかもしれない。
婚家から追い出されながらも親身を傾ける画業に魅入られたといえばいいのか、それでもそんなお栄でもふいと心も体も寄せ合いたく男ができる。
兄弟子の善次郎である。
女が放っておかない男善次郎だからこそ、お栄以外の女と世帯を持ったと聞けばあきらめもつく。
そんなお栄の心持ちを潔いと思ってしまう。
そんな女を描きながら、朝井まかてさんは本作で「書く」という覚悟の程もしめしてくれたのではないか。
絵師お栄の思いとそれはどうしても重なってくる。
その心意気、あっぱれ。
(2016/08/26 投稿)

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先日、小西利行さんの
『すごいメモ。』という本を紹介しましたが
今回も同様な系列の一冊です。
坂下仁さんの
『1冊の「ふせんノート」で人生は、はかどる』。
長いタイトルですが
要は「ふせん」をどう使うかという本です。
やっぱりこういう本は
やってみることが大事なんでしょうね。
どうも私はまだこんなところでうろうろしてて
たくさんのアイデアを取りこぼしているんでしょね。
「三上」という言葉があって、
すなわち「馬上・枕上・厠上」がもの思いを巡らせるのに
最適という
中国北宋時代の欧陽脩の考え。
そんなところでも
「ふせん」を活用できそうですが。
じゃあ、読もう。

「ふせん」はよく使う。
本を読む時には必ず「ふせん」を挟んでいます。気になった箇所にはその「ふせん」をぺたりと貼ります。あるいは、資料の目印に使う人も多いと思います。
この本のキーワードはタイトルにもあるように「ふせん」。
でも、「「目印用」や「補足用」といった補助的ツールとしては使いません。」
この本ではメモとして使います。
著者はこう言います。
「ふせんはもう脇役なんかじゃありません」。
そういえば、文具店の「ふせん」売り場にいけば、さまざまな「ふせん」が売っていて、その中にはしっかり「メモ仕様」になっているものもあります。
あまり形にこだわると、柔軟性に欠けてしまうので、ここはこの本に書かれている本質をはずさないようにすればいいと思います。
つまり、気がついたことなどをすぐその場でメモることができ、それを自在に活用できること。
携帯性ということであれば、「ふせん」はさまざまな大きさがあるので便利ですり、自在な活用はそれこそ「ふせん」の得意とするところ。
それと本書のユニークな点は「ふせん」と「ノート」を組み合わせていること。
つまり基地のような機能を「ノート」に持たせ、前線での機能性を「ふせん」で補うというもの。
この本に書かれていることはそんなに難しいことではありません。
ですから、236ページの本文でこのメソッドが綴られているのはそんなに多くはありません。むしろ、精神訓のようなものが多い。
それほど簡単ということです。
さっそく文具売り場に足を運んでみます。
(2016/08/25 投稿)

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08/24/2016 裸の華(桜木 紫乃):書評「好きだな、桜木ワールド」

あいかわらず桜木紫乃さんは
巧いなと
今日紹介する新作『裸の華』を読んで
感じました。
こういう裏の世界というか
影の世界というか
そういうものを描かせたら
いま一番巧いのではないかしらん。
書評で映画の話を書いていますが
本当にこの作品のクライマックスなんかは
映画館で観たいものです。
でも、だからといって
この物語の主人公ノリカに
誰が演じると一番似合うのか
わからないのですが。
じゃあ、読もう。

1970年代といえばやくざ映画華やかな時代であったが、あれはやくざ映画というよりは任侠映画と呼ぶ方が適切だろう。その掉尾を実録ものと呼ばれた映画に譲ることになるが、高倉健や鶴田浩二、藤純子が銀幕で華麗に演じたものは様式美だったように思う。
冒頭からそんな映画の話を書いたのは、桜木紫乃が描いたこの物語もそんな当時のやくざ映画に似た雰囲気を感じたせいだ。
物語の主人公は骨折で舞台に立てなくなった元ストリッパーのノリカ。四十という年齢が裸を見せる踊り子にはどうであったか、彼女は育った札幌すすきのに戻ってくる。
札幌すすきの。北海道を何度も描いてきた桜木はこの地を「みなそれぞれの事情を抱えてすすきのですれ違」う、「交差点の街」と表現する。
そんなノリカが出会った訳ありなバーテンJIN。若い踊り子瑞穂とみのり。
ノリカがすすきので再出発したダンスシアターで若い肢体が躍動する。すべてが順調に行くかと思われた。しかし。
瑞穂は愛する男の子を宿し、みのりは中央の世界へ羽ばたいていく。
ノリカは再びストリッパーの世界に戻るしかない。
すすきのを去る最後の夜、ノリカとJINの短い会話の連続。
言葉の奥に込められた思い。
まるで高倉健と藤純子ではないか。
そういえば、彼らのやくざ映画にもしばしば雪が効果的に使われていた。
桜木紫乃がやくざ映画を観たかどうかは知らないが、ここには壊してはいけない世界観があるように思える。
だから、大向こうから声をかけても似合いそうな作品になっているのだ。
(2016/08/24 投稿)

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08/23/2016 重版出来! 3(松田 奈緒子):書評「いでよ! 新人」

昨日は台風9号が
関東地方を直撃しました。
埼玉も朝から猛烈な雨と風でした。
皆さんのところは大丈夫でしたか。
子供の頃、
大阪の海沿いの町に住んでいましたから
台風が来ると
高潮と重なって小学校の校庭が冠水したり
屋根瓦が飛んだりしていました。
ですから
台風といえば
まず前準備で雨戸を打ち付けたり
植木を縛ったりしたりしていましたが
最近はそんなこともなくなりました。
マンションというのは
そういう点では住みやすい
住環境です。
今日は
松田奈緒子さんの漫画
『重版出来!』の第3巻を紹介します。
じゃあ、読もう。

女子柔道でオリンピックを目指し、今では漫画週刊誌の新人編集者黒沢心の奮闘ぶりも第3巻。この巻では新人発掘に情熱を燃やす心の姿を描く。
創作の世界は浮き沈みが激しい。「紅白歌合戦」のようなものだといった人がいた。つまりは今年は出場しても来年出れるかどうかわからない。そんな世界だという。
漫画の世界もそうだろう。連載枠は決まっているから、新人が出て来るということはそこから追い出される漫画家もいる。
それでも雑誌の鮮度を維持するためには新人を発掘しなければならない。
心の前に現れた新人2人。東江(あがりえ)絹と中田伯。二人の作画技術は違うものの何かを感じ取った心は編集者として2人を応援していく。
しかし、東江は同じ編集部の安井によって、安易なデビューの道を選ぶことになる。
漫画家の創作ではなく、営業を重視する安井のやり方に反発する心であるが、それを選んだのは東江自身だと先輩編集者五百旗頭(いおきべ)に諭される心。
漫画雑誌の出版の世界を興味深く見せながら、読者の心に訴えてくる。
もっというなら、これから漫画家を志す人たちを勇気づけることは間違いない。
この単行本の巻末についた「おまけ漫画」では作者松田奈緒子のデビューに至る苦節○年がコミカルに描かれている。
漫画家になるのも大変だ。
でも、そういう苦労があったから、こういういい作品が生まれたのだろうな。
(2016/08/23 投稿)

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08/22/2016 台風が三つも - わたしの菜園日記(8月20日)

日本はメダル総数が41個と
実に見事な成績でしたね。
卓球とかバドミントンとか
歴史に残る快挙が続きました。
陸上の男子400メートルリレーの銀メダルなんて
信じられないですよね。
今回のオリンピックで感じたことは
どの選手も4年間必死になって練習してきたんだろうなということ。
今回メダルに手が届かなかっアスリートも
期待は4年後の東京オリンピック。
楽しみですね。

4年後なんて待っていられません。
夏野菜が終わって
秋冬野菜が始まるのですが
はやる気持ちをあざ笑うように
台風が日本近海で3つも発生したり、
毎日のようにゲリラ豪雨が来たり。
毎日天気予報を見ながら
畝づくりをいつにするか
決めかねている状況。

アスリートたちのメンタルな強さが
欲しいですよね。
こういう時はなるようになるさの
気持ちが持てればいいんですが。

鴻沼川(こうぬまがわ)という川が流れていて
桜の季節には両岸が桜の花で
咲きほこります。
春に何度か写真を載せました。
その川に
丸々と太った大きな鮒が
棲んでいます。
なかなか写真に撮れなかったのですが
雨で川の水かさが増えて
上手く撮れました。

金メダル


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08/21/2016 ふじさんファミリー(みやにし たつや):再録書評「富士山に行ってきました」

夏も終盤になって
台風やらゲリラ豪雨やらで
どうも大気の不安定な天候が続いています。
そんな中、
8月18日に

富士山は中学校の修学旅行以来ですから
半世紀近い。
記憶のほとんどはありません。
今回のツアーでは
まず富士山の樹海として有名な
青木ヶ原樹海の富岳風穴にもぐってきました。

そして、こちらが風穴の入り口。

なんとも心地よい涼しさ。
およそ3℃というのですから
冷蔵庫です。
そして、いよいよ富士山五合め。

びっくりしたのは
その天候の変化の速さ。
下の写真は
五合目から頂上を撮ったものですが
このあとすぐに雲の覆われて真っ白になってしまいました。

さすがに世界遺産の富士山だけあって
外国からの観光客もたくさんいました。
これは名物富士山めろんぱん。

半世紀ぶりの
富士山ツアーを記念して
今日は2013年に書いた
みやにしたつやさんの『ふじさんファミリー』を
再録書評で掲載しました。
じゃあ、読もう。

富士山は2013年に世界遺産に登録されました。
めでたい。
あっぱれ、日本一。
やっぱり富士山というのは日本一の山ですから、正直うれしいと感じるのは、日本人だからでしょうね。
初めて富士山を見たのはいくつだったかしら。中学生の修学旅行が東京だったから見るとしたらその時が最初。 でも、まったく記憶がありません。
大学受験の時にも東京に向かったはずですが、これも記憶にない。
東京の大学にはいって帰省の都度、富士山が見れたら運がいいやぐらいは思っていました。新幹線の車窓からつい見てしまうのは、今でもそう。
見るたびにほれぼれする。いつ見ても、いいお姿です。
きっと今年のかき氷は「富士山氷」なんて流行るんでしょうね。
そんな時に見つけた、みやにしたつやさんの楽しい絵本がこれ。
富士山に家族があったなんていう発想が素晴らしい。
主人公は「ふじ さんしろう」という男の子(というより、山なんですが)。パパは日本一の、というか今は世界遺産の、「ふじパパ」。ママは「ふじママ」。ママのピンクの山肌がなんともいえない。
このたび、さんしろう君に妹が誕生して、ふじママの関心はすっかり赤ちゃんにとられてしまいます。
怒ったさんしろう君はついに家出を敢行したから、さあ大変。
山の仲間総出で、さんしろう君を探すのです。
物語はよくあるパターンですが、なんといっても登場するのは富士山ですから、その魅力でひっぱっていきます。
ふじパパもふじママも山肌の色はちがっても、頭に雪の冠をのせ、鋭角になだれおちる姿は富士山そのもの。
さんしろう君はまだ子どもですから、そこまでりっぱな形をしていません。どちらかといえば、台形。
成長したら、ふじパパのようにりっぱな姿になるんでしょうね。
でも、パパが世界遺産になっちゃって、さんしろう君もクラスで自慢してるんだろうなぁ。ふじパパはPTAの会長なんか頼まれるのだろうか。
(2013/06/30 投稿)

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08/20/2016 津軽双花(葉室 麟):書評「小説より奇なり」

今年のNHK大河ドラマ「真田丸」は面白い。
ここまでのところ、
一回の見落としもない。
時に豊臣秀吉が登場してからの「大坂編」が
めっぽういい。
なんといっても
山本耕史さんの石田三成がいい。
本当に石田三成って
こういう人だったのではないか。
そんなこんなで
今日紹介する
葉室麟さんの『津軽双花』を楽しく読んだ。
石田三成に息子さんとか娘さんとかがいた、
しかも東北の名門津軽藩とのつながりがあったなんて
壮大な歴史を感じます。
「真田丸」はいよいよ
関ケ原決戦が近づいています。
興味しんしん、です。
じゃあ、読もう。

歴史小説と時代小説は似ているようで、文学的には大きな違いがある。
歴史小説が実際に歴史上存在した人物や事件を表す一方、時代小説はほとんど作者の創作によって表現される。
葉室麟の場合、直木賞を受賞した『蜩ノ記』などの羽根藩シリーズなどは時代小説だが、本作は歴史小説である。
石田三成の娘辰姫と徳川家康の姪満天姫が津軽藩の藩主にともに仕えたというのは史実である。
本人たちがどのように感じていたかわからないが、本の惹句にあるように「これぞ女人の関ヶ原!」と時の人たちは噂したのであろうか。
こういう題材を見つけてくる。これは時代小説では味わえない、歴史小説の醍醐味ではなかろうか。
残された系図や手紙の端々から文学的な興味をいかに生み出すか。
歴史小説家は石の中から玉を発見するかもしれないし、読者が夢中になるかもしれない。例えば、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』などはその典型だろう。
この本には表題作となった「津軽双花」だけでなく、大阪城開城をめぐる攻防を描いた「鳳凰記」、関ケ原の戦いの中でも三成の絶望を描いた「孤狼なり」、そして本能寺の戦いを光秀側の武将の視点で描いた「鷹、翔ける」が収められている。
いずれも歴史小説である。
歴史の中に真実はひとつである。
しかし、そこに関わった人の数だけ真実があることを思えば、歴史小説はまだまだ面白い史実を読者にしめしてくれるだろう。
慈父のような視点を持った葉室麟ならではの、歴史小説をこれからも読んでみたい。
(2016/08/20 投稿)

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08/19/2016 すごいメモ。(小西 利行):書評「できることから始めよう」

今日紹介する
小西利行さんの本は
『すごいメモ。』となっていますが
ここでいう「メモ」というのは
「メモをとる」ことではなく
アイデアの発想を生み出す
「メモ」をさしています。
ですから、
この本はアイデア発想術の一冊と
思って下さい。
小西利行さんは
この本の中で
ジェームズ・W・ヤングの『アイデアのつくり方』という本から
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」
という言葉を紹介していますが
本当にその通りだと思います。
実は私たちが思いついたことのほとんどは
すでに誰かが思いついている。
それがほんの少し違うだけ。
そのことをわかっていることは
とても大事です。
じゃあ、読もう。

私たちは普段の生活の中で「メモをとる」という言い方をします。実際英訳すると「make a note」になるそうで、そうなると私たちが使っている「メモ」という範疇を越えているような気がします。
コピーライターの小西利行さんがまとめた「人生を変える14メソッド」も、そもそもの発想が「メモを取る」ではなく「メモを使う」ですから、どちらかというと「note」に近いといえます。
では「14メソッド」とはどういうものか。
大きくは情報をまとめる「まとメモ」、アイデアを生む「つくメモ」、大切なものを伝える「つたメモ」の3種類に分類しています。
「まとメモ」には5つの、「つくメモ」には6つの、「つたメモ」には3つのメソッドがあります。メソッドとは方法ですね。
その方法は難しいかといえば、けっしてそうではありません。むしろ方法そのものは誰にでもできると思えます。
例えば「まとメモ」のうち4つは「マル」をつけたり「矢印」や「記号」を使ったり、「吹き出し」を入れたりですから、簡単です。
これを「メモをとる」と考えると、なかなか前には進まないかもしれません。
ノートでアイデアを考え、それを整理すると考えるべきです。
私は「つくメモ」の中の「ハードルメモ」が参考になりました。
中でも、課題に対して「それは本当に、○○するか?」という言葉を付け加えるだけでハードル(目標設定といった方がいいかも)ができるというのは使えると思いました。
巻末には人気作家伊坂幸太郎氏の創作メモ(ノートですよね、完全に)の生まれ方が著者との対談形式で載っています。
(2016/08/19 投稿)

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08/18/2016 星野道夫 風の行方を追って(湯川 豊):書評「星野道夫は風になった」

今日は昨日のつづき。
また星野道夫のことを書いてみたい。
今日は
湯川豊さんが書いた星野道夫論ともいえる
『星野道夫 風の行方を追って』を
紹介します。
この本を読めば、
星野道夫の著作についてはほぼ全容がわかると思います。
ただ星野道夫ファンとしては
もう少しウェット的な表現もありかなと
思います。
例えば、星野道夫がアラスカに魅かれた
写真集との運命的な出会いや
友人の山での遭難死など、です。
そういった運命的なものが
星野道夫という生き方を作っていったのではないかと
思うことがあります。
また、
星野道夫を追ってみたくなりました。
じゃあ、読もう。

写真家星野道夫の、素直で清々しい文才を誰が発掘したのだろう。
本書の著者湯川豊氏は星野の写真家としての初期の段階から付き合いのあった元編集者だが、湯川氏自身も星野の文章に多くの感銘を受けた一人だ。
湯川氏は星野の文章の魅力を、「読む者ひとりひとりに、ささやきかけ、語りかけてくるような平明な文章」と評している。
これこそ純朴な星野を言い得ているような気がする。
星野道夫がクマに襲われるという悲しい出来事で亡くなったのが1996年の8月8日。
没後20年の今年、それにあわせた星野道夫論である。
まず何よりも星野の生涯、星野の文章、星野の写真と星野が活躍したそれぞれのフィールドで論が書かれていることが、「決定版」と呼んでいいいわれであろう。
もちろん、その3つはそれぞれ密接にからんでいるのだが。
特に、星野の場合、写真家としての業績をどう文章として評価していくかは、これからも大切な点である。
星野の写真は何故観る人の心を打つのか、それは写真をどう読むのかといった技術面のこともあるだろうし、湯川氏のように星野の写真から「物語性」を読みとるといった方法もある。
いずれにしても、星野道夫という人をきちんと理解するには写真をしっかり観ることは欠かせられない。
それにしても星野道夫の文章はどうしてこんなにも美しいのだろうか。
試みにどこかの一片を拾いあげてみるといい。
まるで手のひらの中に魚の影がはぜるかのような清らかさではないか。
湯川氏は「星野道夫著作集」全5巻にそって、実にやさしく星野の文章の魅力を伝えてくれる。
星野道夫を知らない読者へのガイドとしても有効な一冊である。
(2016/08/18 投稿)

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08/17/2016 雑誌を歩く - 「BRUTUS」9/1号 :星野道夫へ、何度も

写真家星野道夫が急逝して20年になった。
動物写真家、アラスカの写真家、文筆家、エッセイスト、
さまざまな呼び方があるだろうが
星野道夫は43年という短さであったが
豊穣な人生の旅人であったにちがいない。
彼の写真や文章は
そのあかしであった。
没後20年、私たちはふたたび星野道夫と出会う
旅に出る。
雑誌「BRUTUS」9/1号(マガジンハウス・650円)は
その旅を誘う、一冊となった。
こんにちは、星野道夫。

極北の物語が都会で暮らす人の心を満たすのはなぜなのか。
没後20年目の出会い、「こんにちは、星野道夫」。
20年という歳月は
星野道夫を知らない人もたくさん生み出しただろう。
そんな人のために
作家松家仁之さんが彼の生涯をうまくまとめてくれている。
タイトルは「人生を旅する男。」。
おそらくこれを読めば
星野道夫の短い生涯はたどれる。
しかし、それで星野道夫のすべてが
わかるわけもない。
今号に載った
いくつもの彼の撮った写真。
そして、美しい文章。
なんとあの名作『クマよ』の全文も収録されている。

池澤夏樹さんや養老孟司さん、
あるいは写真家の岩合光昭さん
さらには
女優の蒼井優さんが星野の作品などを管理している
星野道夫事務所を訪問している。
そこでは奥さんの直子さんとの対談も
行われている。

シベリアの先住民の村を訪ねた際の
星野道夫の写真が載っている。
なんともいえない
素敵な笑顔な星野道夫が、そこにいる。
その写真にそえられた文章。
没後20年たったいまも、
星野道夫は残した作品を通じて”出会い”を続けている。
「寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。
離れていることが、人と人とを近づけるんだ」

「星野道夫の旅」が
8月24日から9月5日まで
松屋銀座で開催されます。
星野道夫を知らない人は
ぜひこの機会をのがさないで。
出会いは
いま。

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08/16/2016 ジニのパズル(崔 実):書評「あなたならこの作品を芥川賞に推すか」

「文藝春秋」9月号に載った
第155回芥川賞の選評を読むと
書評に書いたように
高樹のぶ子委員の選評が
ダントツに面白かった。
高樹のぶ子委員を大いに悲しませた作品が
今日紹介する
崔実(チェ・シル)さんの『ジニのパズル』。
この作品を推すのは
高樹のぶ子委員だけではない。
島田雅彦委員は「マイナー文学の傑作」と書き、
奥泉光委員も支持している。
今回村田沙耶香さんの『コンビニ人間』との
同時受賞もあり得たかもしれない。
私は
宮本輝委員のこの作品評を支持する。
つまりは作品の中での文体の変化の違和感。
もっとも
このような作品は若い読者に支持されていいようにも
感じている。
じゃあ、読もう。

第155回芥川賞の選評が「文藝春秋」9月号に掲載されている。
面白かったのは、それも近年まれにみるぐらい、高樹のぶ子委員の「胸を打つ、という一点」と題されたそれである。
今回の芥川賞受賞作はご存知の通り、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』だが、その作品に触れることなく、まして他の候補作など眼中になく、ただこの本、『ジニのパズル』がいかに素晴らしい作品かを論じた短評になっているのだ。
これはなかなか珍しい。
この作品は2016年に第59回群像新人文学賞を受賞した。
作者崔実(チェ・シル)は1985年生まれということだが、この物語の主人公ジニはまだ中学生だ。時代は北朝鮮がテポドンを初めて発射した年1998年だから、ほぼ作者の年とダブってくる。
小学校を普通の日本の学校で過ごし、中学から朝鮮学校に通い始めたジニ。
ちょうど思春期にあたる頃、自分の出自と向かう合うことになったといっていい。子どもから大人に変わる苛立ちが、言葉の差や民族の違いと重なっていく。
やがて、ジニの怒りの対象は学校の壁にかかる北朝鮮指導者の写真へと向いていく。
小さなジニにとって、「革命」という言葉は大人の世界に燦然と輝くものだったのだろう。写真を棄てること、それがジニの「革命」となっていく。
ジニの行為は幼いのか。
あるいはこう言い換えてもいい。ジニの行為を描いたこの作品は未熟なのか。
高樹委員は「この切実で圧倒的な魂の叫びを潰してはならない」とまで書いているが。
(2016/08/16 投稿)

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08/15/2016 最後の小玉スイカ - わたしの菜園日記(8月14日)

菜園の外で育っているど根性スイカの話を
書きましたが、
実はそのほかにも
こんなところに、というものを見つけました。
それが、ど根性トマト。

わたしの菜園の縁ににょっこり芽を出しました。
ミニトマトの畝からは少し離れたところに
今頃芽を出したのですが
いったいどのような出自なのでしょう。
もっともこの時期からは
うまく育たないとのことですので
どうしたもんじゃろな。

これは残暑。
それに残暑はもう秋の季語。
朝夕がどかとよろしき残暑かな 阿波野 青畝
夏野菜もしまいどき。
まず、最初の畝のトウモロコシは
今年もきちんと植えた分だけの6本

小玉スイカは
8月13日に収穫した2136gのものでおしまい。

1本の苗で5個

よかったです。
今年の夏は小玉スイカで楽しませてもらいました。


去年はあんなにたくさんできたのに
今年は苗が1本少なかったことと
品種が変わってせいで
うんと少なくなりました。
キュウリと合わせて育てていた
インゲンは
何本という表現をするのかどうかわかりませんが
306本


作物の撤収と残置の耕しを行いました。

黒マルチをはがすと
中にはコオロギが。

蟋蟀が深き地中を覗き込む 山口 誓子

秋冬野菜の栽培の講習会が始まります。
秋近し、です。

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08/14/2016 やまびと(京極 夏彦/柳田 国男):書評「やまびととは誰だ?」

ちょうどいま
お盆休みで田舎に帰っているという人も
多いだろう。
おじいちゃんとかおばあちゃんに会って
たまには昔話を聞かせてもらうのも
いいかもしれない。
今のおじいちゃんおばあちゃんといっても
結構若いから
昔話といっても
昭和30年代あたりのことかもしれない。
それでも
若い人にとっては貴重な話だ。
今日紹介するのは
柳田国男の『遠野物語』から
絵本になった
『やまびと』。
京極夏彦さんが文を書いている。
今ではこういう話をする
おじいちゃんおばあちゃんもいないだろうが。
じゃあ、読もう。

若い時に読んでこなかった本を最近しきりに惜しくなっている。
そういえば、この絵本の原作である『遠野物語』もそうだ。
もちろん、作者名は知っている。柳田国男。民族学者である。
読みそびれた理由はない。ただなんとなく手をすべり抜けた。
この絵本はその『遠野物語』の一篇を京極夏彦が文を書いて、僧侶でもある中川学が絵を描いてできあがった作品だ。
遠野の山々には「山人(やまびと)」が棲むという。
絵本にも、ひらがなでふりがなが付けられているが「住む」ではなく「棲む」となっている。この漢字はどちらかといえば、動物とか人でないものにあてられることが多い。
これが冒頭であるから、もう怪しげだ。
ある時鉄砲撃ちの男が山奥で「やまおんな」を見つけて、撃ち殺す。そのおんなの髪の毛を持って下山しようとする途中で、大男に襲われてその毛を奪われてしまう。やまおとこだ。
遠野では毎年娘や子どもがさらわれる、そのあたりもこのやまおとこと関係しているのだろう。
ある時、猟師が何年か前にさらわれた娘を山中で発見する。
娘が言うには、さらった男は「ものすごく背が高く、瞳の色が違って」いるらしい。
『遠野物語』は明治43年に発表された岩手県遠野に伝わる伝承話や説話を集めた本だが、そういうことを思うと、この「やまびと」というのは、遠く海外から流れついた異人のことではないかと思いたくなる。
もちろん、もっと怪なるものを想像しても自由だ。
発想を柔らかにするのに、『遠野物語』を読むのもいい。
(2016/08/14 投稿)

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08/13/2016 雑誌を歩く - 「文藝春秋」9月号 :芥川賞だけでなく色々あります

天皇陛下の「お気持ち」表明を
見た人も多いと思います。
それぞれの人が
それぞれのことを感じたのではないでしょうか。
私は
天皇というのは実に大変なお立場なのだという
感想を持ちました。
憲法とかの関係があったり
象徴という立場であったりで
考えておられることを率直に言葉にすることが
いかに大変なことであることでしょう。
私たち普通の人は
こうしてブログやらSNSなんかで
平気でつぶやいたり書いたりしています。
仕事をやめたい、なんか
今までの人生で何度口にしたでしょう。
しんどい、疲れた、今日は行かない、なんてこともある。
でも、天皇陛下は
そんなことを絶対口にできない。
そのことだけでも感心してしまう。

つまりは「生前退位」問題は
マスコミでも大きく取り上げられて
10日に発売された
「文藝春秋」9月号(文藝春秋・950円)でも
総力特集として
組まれています。
半藤一利さんと保阪正康さんの対談「我らが見た人間天皇」、
友納尚子さんの「雅子妃がお元気になられて」などは
興味深い。

「戦前生まれ115人から日本への遺書」。
中でも、先日亡くなった
永六輔さんの「テレビが日本人を恥知らずにした」は
いい得て妙。
もちろん、テレビにだって
功罪あるのですが。
永六輔さんにしても
そのあとしばらくして亡くなった
大橋巨泉さんにしても
ある意味テレビとは密接な関係があったはず。
テレビがものを伝える意味は
今回の天皇陛下の「お気持ち」表明にしてもそうですが
とても大事なこと。
過剰にならなければ。

「文藝春秋」9月号は
なんといっても芥川賞の発表号。
今回第155回芥川賞は
村田沙耶香さんの『コンビニ人間』でしたが
選考委員の評価も高い。
意外だったのは
受賞こそしませんでしたが
山崎ナオコーラさんの『美しい距離』の評価も
高かったこと。
これからどうなるのかな。

昨日紹介した
佐々木健一さんの『辞書になった男』にも出て来る
国語辞典編纂者の飯間浩明さんが
今号より「日本語探偵」というタイトルで新連載が
始まりました。
第1回めは
「賞金首を知らなかった」。
わずか1ページの読み物ですが
面白かったな。

うってつけの
今月号もブ厚い雑誌です。

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08/12/2016 辞書になった男(佐々木 健一):書評「言葉というやっかいなものと戦った男たちの物語」

オリンピック・イヤーの夏は疲れる。
体操に柔道、競泳と
日本選手の連日の奮闘に
見ている側も力がはいる。
卓球の福原愛選手には
メダルをあげたかったなぁ。
ただただ拍手。
そんな日々に
文春文庫から
佐々木健一さんの
『辞書になった男』という新刊が出た。
この作品は
単行本で出た時に読みたい一冊であったが
つい読みすごしてしまった。
辞書作りにかける男たちに
メダルはないが
功績は大きい。
じゃあ、読もう。

辞書を持っている人は今どれくらいいるだろうか。
持っていてもそれを活用している人となるとうんと少なくなるのだろう。
ましてや最近のようにインターネットが発達してくると、言葉を調べるのもネットを使うことが多いのではないか。
本書はそんな中でも人気の高い辞書『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』をつくった二人の編纂者の生涯にスポットをあて、生きる上での言葉のありようという深い森へと読者を誘う。
それはまるでミステリーを読む如くであり、特に『新明解』の人気となった独特な語釈が生まれた謎にも迫って、読書の面白さを満喫できる一冊になっている。
それはちょっとした言葉の行き違いだったのかもしれない。見坊先生が「助手」と山田先生のことを称したことがのちに二人の人生を交えることのない流れに押しやったともいえる。
本書では実はそこまで書かれていない。二人の先生が仲たがいをしたきっかけやそこに出版社の思惑のようなものがあったことまでは追求されている。しかし、人は些細な一言が後々まで残ることがあるものだ。
些細な傷から大量に血の吹き出すこともある。
真実はひとつかもしれないが、実はそれを受け止める人の立場であったり感情であったりで大きく違ってくるのはままある。
二冊の辞書をもって引き比べすることはあまりないが、少なくとも辞書をもっと活用しないことには辞書に人生をかけた二人の先生に申し訳ない。
事の真相よりも二人の先生はそれを望んでいるだろう。
(2016/08/12 投稿)

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08/11/2016 人生を変える勇気(岸見 一郎):書評「自分のことが好きですか?」

今日は
今年からお休みになった
山の日。
子どもたちにとっては
夏休みの中の祝日には意味もないでしょうが。
そうはいってもお休みの大人の人も多いでしょうから
岸見一郎さんの『人生を変える勇気』という
本を紹介します。
副題は「踏み出せない時のアドラー心理学」。
そうです、
この本は相談内容に答える形をとっていますが
アドラー心理学の入門書でもあります。
書評の中にも
いくつかお気に入りの言葉を紹介していますが
あと2つばかり。
現実的な努力をすることもなく、
可能性の中に生きることを選んでしまう。
これは自省として。
もう一つは、アドラーではなく
古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスの言葉。
同じ川には二度入れない
皆さんもこの本から
これはっていう言葉を探してみては。
じゃあ、読もう。

本書は『嫌われる勇気』で日本中をアドラー心理学のブームに仕立てた岸見一郎氏が88の悩み相談に答える形式をとっていますが、もちろん岸見氏の回答の中にアドラーの考え方とか見方が入ってきます。
同じような造りで『困った時のアドラー心理学』が同じ新書レーベルから先行して出ていることを付記しておきます。
「はじめに」で岸見氏はこんな質問をしています。
「自分のことが好きですか?」
きっと私なら、うーん、もぎもぐ、好きっていっても、なんてわけのわからない状態になって、「どっちなんですか?」と声を荒げられて、「ハイ、嫌いです」なんて答えるだろう。
その理由はうまく説明できないが、なんとなく自分を好きになってはいけないみたいに考えている節があるし、この優柔不断な性格はやっぱり好きになれない。
アドラー心理学でよく言われるのは、自分は変えられるということで、私はその一点を信じて、アドラー関連の本を読んでいるくらいだ。
この本の中にもそんなヒントになりうる言葉が多くある。
「自分の人生を生きなければ意味はありません」(これは就職したばかりの男性が会社の人間関係がうまくいかず「初めての挫折」を味わった時の質問の回答に出てきます)
「結婚はハッピーエンドではなく「始まり」でしかありません」(これは付き合っている彼女と結婚しようと考えているが自信がないという相談に対しての回答に出てきます)
この本の中の相談内容が自分と同じでなくても構わない。アドラー心理学のエキスを岸見氏がどう使っているかを知るのも、いい読書体験になるだろう。
(2016/08/11 投稿)

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08/10/2016 このあたりの人たち(川上 弘美):書評「あいかつお」

川上弘美さんは
とっても好きな作家なのですが
時々ついていけないと感じることがあります。
ストーリー性に重きをおいた読み方だと
特にそうなります。
文章のスタイルで読むと
それもまた違ってくるのですが。
新しい本、『このあたりの人たち』もそうです。
一つひとつが短く
とても読みやすいのですが
その世界観は
川上弘美的といえばそうなのですが
ここと少しずれた世界なんですよね。
そういう世界観が
時にしんどい時もあります。
だからといって
嫌いになったりはしませんが。
じゃあ、読もう。

私たちの世界というのは、柔軟性があるようで実はとっても堅硬なもので出来ていると思うことがある。
「あいうえお」。なんていうのもそうで、誰もが「あいうえお」だと信じている。
もし、それが「あいかつお」だったりしたらどう感じるだろうか。
とっても不安になったりするだろう。
それと同じような不安を川上弘美の作品から感じてしまうことがある。
でも、誰が「あいうえお」を「あいかつお」に変えることができるだろう。
このなんでもないような街の人たちの様子を短い文章で綴った作品集の手ごたえのなさはどうだろう。
おいしいプディングを頂いた感じはあるのだが。
「王様は裸だ!」子どもだから言えること。大人は言えない。
「何書いているのかわからない」のではない。平易な日本語を読めないわけではないし、文法に誤りがあるわけでもない。
しかし、それらで組み立てられた世界は私たちがいる世界と同じなのかわからない。
AIが世界を支配する未来ではない。むしろ、恐山のイタコが支配するような世界。
AIがある世界は「あいうえお」と同じ。一方イタコが支配する未来は「あいかつお」と同じではないか。
川上弘美は笑っている。
この世界についてこれるかって薄ら笑いを浮かべている。
「あいうえお」を「あいかつお」に変えたのは彼女。
時々どうしようもなく、「あいかつお」を書いてしまいたくなる作家。
川上弘美にとって「あいかつお」なのか、「あいふせる」なのか、意味はないだろう。
(2016/08/10 投稿)

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08/09/2016 「接続詞」の技術(石黒 圭):書評「「接続詞」なしで生きてられない」

でも。
実は、これ、私の悪しき口癖なんですね。
気がついたら、
「でも・・・」「でも・・・」「でも・・・」の
オンパレード。
まさに「でも」のデモ行進。
よくない口癖ですよね。
このように「接続詞」といっても
書き言葉だけでなく
話し言葉でも気にしたら色々問題が出てきます。
今日は
石黒圭さんの『「接続詞」の技術』。
ツイッターとかの短文では
接続詞は余計になるでしょうが
文章を綴っていると
どうしても接続詞は気にしないといけなくなります。
私もできるだけ接続詞を使わないように意識しているのですが。
でも。
この本は書評サイト「本が好き!」から
いつものように献本頂きました。
ありがとうございます。
じゃあ、読もう。

言葉の世界で、彼の果たす役割は大きい。つい彼の世話になること、しばしばである。
彼の名前、「接続詞」。
そう、「そして」とか「でも」とか「むしろ」とかの「接続詞」。
考えてみれば、日常「接続詞」のお世話にならないことはない。
彼は「単独でその力を発揮しているわけ」ではなく、「前後の文脈と調和して初めて、その力を十全に発揮」するという奥ゆかしい性格なのです。
しかし、彼のことを私たちがどこまで知っているかというと怪しいものです。よく知らないのに、自然と使っている。
正しくは使っている気になっているだけで、本当はもっと彼のことを知ったらもっとうまく書けたり話したりできるはず。
すでに『文章は接続詞で決まる』という著書もある石黒圭氏による「接続詞」実践編が本書にあたります。
まず知っておきたいのは、「接続詞」の数です。
なんと、その数は300を超えるそうです。当然、その使い方はさまざまで、基本的には「論理」「整理」「理解」「展開」の4つの型に分かれます。
4つの型からまた派生していくつもの型に分かれていきます。
例えば、「そして」と「一方」は「整理」という大分類に入りますが、前者はそのうちの「並列」、後者は「対比」という具合です。
今、「例えば」という接続詞を使いましたが、これは「理解」の型の「例示」にくくられます。
ただ「接続詞」を多用していいかといえばそうではないのかもしれません。「接続詞」に頼ることで本来の文章が生きてこないという面もあるかもしれません。
そういう面では「接続詞」はとっても面白い言葉でもあります。
(2016/08/09 投稿)

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08/08/2016 花三題&ど根性スイカ - わたしの菜園日記(8月7日)

昨日立秋でしたから
本当なら秋の俳句を紹介しないといけないのですが
そんな気分にならないくらい
暑い。
黙祷のうなじが並ぶ極暑かな 源 鬼彦
この時期、
この俳句の気分ですよね。
広島、長崎の原爆忌、
そして終戦記念日が続きますからね。

収穫のピークは過ぎた感じだし、
長くいても
熱中症も怖い。
そうはいっても水はあげたいので
昨日は
朝8時過ぎに畑にでかけて
草取りもしてきました。

ちがった世界が見えてくるようで
下の写真は
オクラの葉の下から撮った夏の空。


夏の花ヒマワリが咲いていました。

一面に咲き向日葵は個々の花 片山 由美子
俳人というのは
じっくり見ているものですね。

今度はハスの花。

蓮の花遠くにばかり見えてをり 久保 ともを
写真は
上野の不忍池の、満開のハス。

さて、この花はなんの花でしょう。
けっこうどぎついですが。

これは
パッションフルーツ。
熱帯の花という感じですよね。
これは家のベランダで咲きました。

私の菜園で
昨年の納涼祭の時に
こぼれおちた大玉スイカがにょきにょき
伸びてきたんです。
畑のエリア外ですから
去年だれかがプッーって種を棄てたのかも
しれません。

今では
ど根性スイカとして
みんなに可愛がられています。
大きくなるのかな。

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08/07/2016 畑の一年(向田 智也):書評「畑は生きた図鑑」

関東は梅雨明けが遅れたので
やっと夏本番という感じですが
実は今日、立秋なんですよね。
暦の上では、秋。
秋立や瓜も茄子も老の数 正岡 子規
こんなに暑くて
秋が来たなんてバカにするなと
怒りたくなりますよね。
毎年のことながら
立秋の候だけは違和感を感じます。
今日は
向田智也さんの『畑の一年』という絵本を
紹介します。
この絵本一冊あれば
畑のことがとってもよくわかる
そんな絵本です。
じゃあ、読もう。

情報とはある内容とかを知らせることだが、その方法は多種多様である。
通常使われるのは文字情報であろうが、写真や絵もよく使われる。
絵本を情報を伝える手段と言ってしまえば殺伐とするが、物語にしても昔話にしても大きくいえば情報であることにはちがいない。
もっともこの絵本のような場合だと、情報を伝える一冊といっても異論はないだろう。
しかも、この絵本に扱われるのはすごい情報量なのだ。
畑には栽培する野菜だけでなく鳥や獣、虫や蝶といった動物、草や花といった植物もたくさん存在する。ひとつの畝にどれだけのものがあるのかわからないが、おそらく途轍もない量だろう。
この絵本ではある畑を横断面で切り取って、一年12カ月の様子を描いている。
例えば、「8月」のページを開くと、まずこの月は夜の畑が描かれていて、近隣の町では祭の提灯がぶら下がっている。(できれば、夜空に花火を描いて欲しかった)
畑にはカボチャ、エダマエ、スイカ、サツマイモ、キュウリなどが大きく生育している。空ではフクロウやイエコウモリが飛び、地上にはイノシシまでがうろうろしている。
まだまだ書ききれない情報がわずか見開き2ページの中にたくさん埋め込まれている。
巻末に「付記」として「解説」がついている。
先ほどの「8月」には、「収かく時期が長いナス。新しい枝を出させるために枝を切り、秋ナスを育てる」なんて丁寧な解説が載っていたりする。
この絵本の情報量は半端ないが、それは裏返せば畑の情報量が多いということでもある。
畑は生きた図鑑そのものだ。
(2016/08/07 投稿)

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08/06/2016 今月の「100分 de 名著」 - カント『永遠平和のために』:8月は鎮魂の月

子を抱いて川を泳ぐや原爆忌 林 徹
今年は原爆を落とした国の大統領が
初めて広島を訪れた
記念すべき年になりました。
オバマ大統領のスピーチは
私たちにも感動的なものでした。
歴史を直視して、何をしなければならないかを自問する共通の責任がある。
そこで今月のNHKEテレの「100分 de 名著」は
カントの『永遠平和のために』を
読み解きます。

近代哲学の代表的な存在。
名前は知っています。
代表的な作品は『純粋理性批判』。
うん、うん、聞いたことあります。
でも、読んでません。
そんなのでは
あカント(あかんよ)。
哲学をなんだか高等な学問におしやっているのは
読んでもわからないからではないか。
自己啓発本なんか
わかりやすいですものね。
こちらかあちら。
それしか書いていません。
でもですよ、
人間ってそんなに簡単なものではないはず。
そこのところを
まちがってはいけない。
せっかくだから
カントを読んでみましょうよ。

第1回めの放送があったのですが
そこではまず
カントという哲学者について
説明がありました。
嘘が大嫌いで
時間に厳格な人。
なんだかとっつきにくそう。
今回の『永遠平和のために』は
1795年、カントが71歳の時に
書かれたもの。
きっかけは1789年のフランス革命だったそうです。
現代の私たちにとって
フランス革命は歴史のひとこまですが
当時の人々にとっては
自分たちは社会を変えうる存在であるという
強い自信だったのでしょうね。
だから、カントも
もしかしたら人間は戦争をやめることができる、と
考えたのかもしれませんね。

8月は戦争と平和を考える
とっても大切な月です。
憲法改正の議論もあります。
誰かの問題ではなく、
一人ひとりが対峙していかなければならない
問題です。
今回の「100分 de 名著」は
難しいかもわからないけど
がんばります。

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08/05/2016 青豆とうふ(和田 誠/安西 水丸):書評「文章とイラストによる二人羽織」

昨日も安西水丸さんのイラストに誘われた
一冊でしたが
今回も
「村上春樹とイラストレーター」展で紹介されていた
本の紹介になります。
和田誠さんと安西水丸さん共著の
『青豆とうふ』。
どういう構成なのかは
書評に書いたので
読んでいただくとして
二人のイラストの話をすると
どちらが好みかというと
やっぱり和田誠さんなんですが
安西水丸さんのイラストも
嫌いではないですね。
ええい回りくどいな。
好きです、安西水丸さんも。
じゃあ、読もう。

寄席の二人羽織は今でも人気がある。
二人一組になって、一人が羽織の中にはいって袖から手を出す。顔が見えている者と手を出している者が違うことで、コミカルな動きが出るという簡単なものだ。
そうはいっても単に笑わせばいいというのでもない。口と手との微妙なバランスが芸になる。
この本はイラストレーターの和田誠さんと安西水丸さんによる二人羽織のようなものかもしれない。
一人が文章を書いて、一人がイラストを描く。次の回には攻守が入れ替わって、文章を書いた方がイラストにまわるという具合だ。
しかも、先の人の文章のネタのひとつを次の人が引き継がないといけないルールとなっている。文章によるシリトリ遊びだ。
幸いにも和田さんも水丸さんもイラストは本業だし、文章も上手い。
一体これは今どちらが書いて(描いて)いるのかと勘繰りたくなるほど、絶妙な二人の協同作業になっている。
きっと読み手以上に書いている二人の方が楽しかったのではあるまいか。
ちなみに和田さんは1936年生まれ、水丸さんは1942年の生まれ。和田さんの方がイアストレーターとしても先輩にあたる。
ところが、この二人にあるのは先輩後輩としてではなく、友達としての関係だけ。少しは先輩風も吹かしたいところでしょうが、和田さんにはそんなことはちっとも気にならないというのがいい。
そんな二人だから、ほっこりするような本が生まれたのでしょう。
ちなみにこの本のタイトルは村上春樹さんの考案。
(2016/08/05 投稿)

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08/04/2016 借りたハンカチ(干刈 あがた):書評「安西水丸さんのイラストに初めて出会った作品たち」

先日行った
「村上春樹とイラストレーター」展で
安西水丸さんのイラストも
もちろんあったわけですが
私が安西水丸さんのイラストを知ったのは
今日紹介する
干刈あがたさんの雑誌連載の挿絵からでした。
その連載作品をまとめたのが
この『借りたハンカチ』。
「オレンジページ」に連載されていた
安西水丸さんのイラストが
あまりに素敵だったので
切り取っていたはずなんですが
今はどこにいったのか
わかりません。
惜しいことをしました。
それにしても
干刈あがたさんの作品は
好きだな。
とっても久しぶりに読み返しました。
じゃあ、読もう。

安西水丸さんのイラストを見ていて思い出すのは、干刈あがたさんのことです。
安西さんが村上春樹さんと組むずっと以前、1980年代後半、雑誌「オレンジページ」に連載されていた干刈あがたさんの短編小説に安西さんはイラストをつけていました。
「オレンジページ」は今ではとても人気のある生活雑誌ですが、その当時はまだ発刊して間もなくで(創刊は1985年)とても初々しい雑誌でした。
そこに安西さんのあの素敵なイラストが載っていたのです。
干刈あがたさんは今では知らない人も多くなった作家だと思います。
1982年に『樹下の家族』で第1回海燕新人文学賞を受賞し、作家活動に入りました。しかし、1992年に胃がんで亡くなります。49歳の若さでした。
わずか10年ばかりの作家生活でしたが、何度か芥川賞候補にもなっています。
そんな干刈さんに「オレンジページ」は短編小説の連載をお願いするのです。
それが本書のもとになった「物は物にして物にあらず物語」の数々。
新しい雑誌、気鋭のイラストレーター、干刈さんはどんなにうれしかったことでしょう。
ここで連載された短編小説は『十一歳の自転車』とこの『借りたハンカチ』2冊にまとめられました。
ここには21篇の作品が収められています。
色々な文体、さまざまな舞台設定、多様な登場人物。干刈さんにとってこの連載は作家修行でもあったのかもしれません。
多分きつい連載だったのでしょう。中には中途半端な出来のものもあります。
それでも、「オレンジページ」の中でいつもきらめいていました。
安西水丸さんの思い出とともに、忘れられない作家の、初々しい作品群として私の中に残り続けています。
(2016/08/04 投稿)

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08/03/2016 陸王(池井戸 潤):書評「圧倒的な面白さ」

今本屋さんに行くと
今日紹介する池井戸潤さんの『陸王』が
どーんと積んでいます。
さすがに池井戸潤さんの人気は
衰え知らずです。
そして、読者の期待を裏切らない出来に
とても満足しています。
本作の中に
こんな素敵な言葉があります。
書き留めておきますね。
進むべき道を決めたら、あとは最大限の努力をして可能性を信じるしかない。
でもね、実はそれが一番苦しいんですよ。
保証のないものを信じるってことが。
これは新商品にかけるということだけでなく
自分の夢の実現にむけて
どう生きるかということでも
あるわけなんですよね。
この作品で
いろんなことが学べますよ。
絶対オススメの一冊です。
じゃあ、読もう。

久しぶりに物語を読む、圧倒的な楽しみに触れた気分だ。
600ページ近い長編ながら、一気に読んだ。読みながら、まだまだこの世界にいたいという欲求とこの先はどんな危機が待っているのかという興味のはざまを揺れ動いた。
こういう読書も久しくなかった。
相変わらず池井戸潤氏の筆は冴えわたっている。
「百年ののれん、と安穏と構えているように見えた老舗足袋屋」こはぜ屋。生き残りをかけて、スポーツシューズの世界へと乗り出す。しかし、資金不足やノウハウ不足の危機が何度もこはぜ屋を襲ってくる。果たしてこはぜ屋は生き残ることができるのか。
こんなにも見事に次から次へと危機を生み出せるものだと感心しながら、その都度物語の新奥に入り込んでいることに気づかされる。
池井戸の巧さは物語の構成だけではない。
登場人物たちの配置の巧みさといったらない。
こはぜ屋社長の宮沢紘一、そして就職活動中に息子大地。こはぜ屋の仕事を手伝いながら、やがて働く意味について理解していく、この息子がいい役回りをしている。
シューズのソールに適した素材の特許を持つ飯山は自身の会社を倒産させているくせ者。シューズマイスターの村野は大手スポーツ用品メーカーから組織の理論で追い出される。
一癖も二癖もある人物たちが一足のスポーツシューズ「陸王」の完成に人生をかけていく。
そして、それを履いて走るランナーがいる。
当然、その競技場面が感動の波を高めてくれる。
長い物語を読み終わって、今はドラマ化されるのを楽しみに待っている。
(2016/08/03 投稿)

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08/02/2016 雑誌を歩く - 「やさいの時間」8月号 :畑には物語があふれてる

NHKテキスト「やさいの時間」。
となると、
今月8月号は101号となるわけで、
今回は先月の続き、
「もっと野菜が好きになる! 100のヒント」の
後半が載っています。
特に今月号は
「野菜でコミュニケーション」がテーマ。
さてさて、
どんなコミュニケーションなんでしょうか。

プランター栽培の講師をしている
深町貴子さんがはいった
「菜園女子座談会」の様子をのぞいてみましょう。
座談会の中で
深町貴子さんがこんなことを話しています。
畑って作業をしに行く場にしか思えないだろうけど、
じつは物語がたくさんあふれているのよね。
そうなんです、
畑には物語がたくさんあるから
いろんな人と共感できるのでしょうね。

「野菜作りを貸し農園で始めるための10のポイント」が載っています。
これから貸し農園でやってみたいという人は
参考になりますよ。
私の場合は
民間の貸し農園運営会社がやっている農園を
一区画借りています。
市民農園よりはうんと利用料金は高いと思いますが
何よりも近いのが魅力です。
歩いても10分程度。
水も完備されていますし
道具も備置されています。
つまり手ぶらで行けてしまう。
利用料金は少し高いけれど
とても満足しています。
そして、指導員の方が親切なんですよね。
近隣の畑の利用者とも
野菜を媒介にして
話が弾む。
名前は知らなくても
話ができる。
なんとも素敵な場です。

「考えよう 貸し農園のマナー」という記事には
「近隣の区画が草ぼうぼうです!」
(私の近隣は幸いにもそんなことはないのですが、
これはよく見かけます)
「隣の野菜がうちまで侵入! 」
(これもそうですね。野菜が生育するのは大事ですが
隣の区画までいってはいけません)
など、
ちょっと気になるマナーが紹介されています。
いいコミュニケーションって
いいマナーから生まれるんですよね。

とてもきれいにされている区画があります。
よく見ると、
その方の区画の四方の区画がみんなきれいなんですよね。
きっとその区画を見て、
きれいにすることを学んだんだと思います。
そういうことって
街の美化にもつながる意識の連鎖です。

これからもこのブログで発信していきますから
お楽しみに。

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