09/30/2016 生きっぱなしの記(阿久 悠):書評「阿久悠は作家だった」

昨日三田完さんの『不機嫌な作詞家』という
作詞家阿久悠さんの評伝を紹介しましたが
その本の中にたびたび引用されていたのが
阿久悠さん自身が書いた
『私の履歴書 生きっぱなしの記』で
どうにも気になって
続けて読んでしまいました。
実は今さらに気になっているのが
阿久悠さんが書かれた小説で
これもまた近々読まないといけませんね。
阿久悠さんのこの本の中には
淡路島で過ごした高校時代の時
映画に夢中になった話も書かれています。
この箱に入りさえすれば、どこへでも行けた。
何でも知り得た。
そして、どのようなことも出来た。
と書いています。
あの頃、映画少年だった私も
そんな気分がよくわかります。
じゃあ、読もう。

作詞家阿久悠が日本経済新聞朝刊の人気コラム「私の履歴書」に執筆していたのを知らないできた。
連載時期は2003年5月、亡くなるのが2007年8月であるからその4年前になる。
連載記事に書き下ろしを追記して一冊の本にまとめたのが2004年。
癌の発症からまるで駆けるような生きた最晩年であった。
阿久悠ほどの著名な人の「私の履歴書」であるが、私にはほとんど記憶がない。
今回あらためて読んでみると、阿久悠はあれほどの多くの歌謡曲の作詞をしながらも本当にしたかったことはやはり作家だったのかもしれないという、驚きのようなものであった。
「私の履歴書」にこう記されている。
「ぼくも作詞家の方向へ強く引っ張られ、六十年代から七十年代を大股で跨いだ。賭けでもあった。小説を書くのが十年遅れる」。
もちろん阿久悠は晩年多くの小説を執筆している。
しかし、多くの人は阿久悠を小説家としてではなく、作詞家として賞賛する。そのことに阿久悠は満足していたのだろうか。
この「私の履歴書」を読むと、作詞家という以上に書くことにこだわり、怨念のような感情さえ感じる。そんな人を作詞家とだけ呼んでいいはずはない。
阿久悠は作家であったと、いつの時代かには認められるのだろうか。
そして、阿久悠の人生に大きな影響を与えた昭和の漫画家上村一夫についても阿久悠は何回かの記事に綴っている。
上村一夫が亡くなったのは昭和61年1月。上村は45歳で阿久悠も48歳だった。
それでも阿久悠は上村のことを何度も書かざるをえなかった。
特筆していい、友情だ。
(2016/09/30 投稿)

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09/29/2016 不機嫌な作詞家(三田 完):書評「日記を読むとはなっているが」

阿久悠さんといえば
日本の歌謡界に燦然と輝く
大作詞家です。
亡くなったのは2007年8月ですから
もうすぐ10年になるのですね。
昭和から平成、
あるいは自身が若かった頃の歌に
阿久悠さんが作詞された多くの歌があります。
例えば、森田公一とトップギャランが歌った
「青春時代」も
阿久悠さんの作詞。
おそらく皆さんの記憶に残る歌の中にも
阿久悠さんの作品があるのではないでしょうか。
今日はそんな阿久悠さんが遺した日記を読み解いた
三田完さんの『不機嫌な作詞家』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

中学生の頃、日記を綴っていた。
当時人気の高かった漫画「あしたのジョー」をきどって、「あしたのために」なんてタイトルをつけたりしていた。『アンネの日記』の影響もあっただろう。あれから半世紀近く過ぎたのだから、読み返せれば面白いだろうが、今はない。
青春を気取って燃やしてしまった。
青春なんて気取らなければよかった。
しかし、日記は読み返すことはあるのだろうか。いや、それ以上に他人に読んでもらえることを意識するものだろうか。
作詞家阿久悠は1981年から亡くなる2007年まで欠かさず日記をつけていた。
この本はその日記を基にして、阿久悠の人生を振り返るものだが、阿久悠ぐらいの書くことにこだわりを持った人なら、その日記が死後他人の目に触れることを想定していたのではないだろうか。
この本では阿久の生涯をたどっているが、それは日記を参照ということではない。
阿久が日記を書き始めたのは1981年で、実は阿久の作詞家としての絶頂期はすでに到来したあと。さらには阿久の代表作となった小説『瀬戸内少年野球団』も執筆されていた。
確かに1981年以降も阿久は積極的に様々な活動を行っているが、どちらかといえば早すぎた栄光と長すぎる晩年の日記だといえなくもない。
日記を読むというより、むしろ阿久が最晩年に日本経済新聞に連載した「私の履歴書 生きっぱなしの記」に負うところが多くなっている。
阿久の日記のすべてが記されているわけではない。
もし日記を読むとすれば、阿久の生涯を読むのではなく、晩年に焦点をあてるべきだったのではないだろうか。
(2016/09/29 投稿)

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09/28/2016 重版出来! 5(松田 奈緒子):書評「本には敬意を払って!」

「第23回東京国際ブックフェア」での収穫は
文藝春秋の編集者浅井茉莉子さんの講演を
聴けたことかもしれません。
今日紹介する
松田奈緒子さんの人気漫画
『重版出来!』の主人公黒沢心は
漫画雑誌の編集者で、
浅井茉莉子さんの文芸書とは
少し趣きが違うのかもしれませんが
作家に伴走する姿は
おなじような気がします。
きっとこの漫画を読んで
編集者になってみたいと思う
若い人も多いでしょう。
第二、第三の浅井茉莉子さんが
誕生するといいですね。
じゃあ、読もう。

「こち亀」の愛称で親しまれてきた秋本治氏の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が連載40年で終了することになった。
40年というのはすごい。連載を始めた年に生まれた人も40歳になる。
当然読者層も変化していったはずだが、それでも一度も連載を休むことなく書き続けた秋本氏に脱帽しかない。
そして、この松田奈緒子さんの人気漫画の主人公黒沢心のような熱い思いを持った編集者がいたのだろう。
まさに漫画家と編集者、そして読者の固い絆が生んだ40年だったにちがいない。
週刊漫画誌「バイブス」の新人編集者黒沢心の活躍を描く人気シリーズの5巻めである。
彼女が発掘した新人漫画家中田伯の成長はシリーズの一本の線であるが、それだけではないさまざまな仕事の現場を見せてくれるのが、この漫画の魅力の一つになっている。
この巻では日本漫画界の巨匠西脇の画集を制作するにあたってブックデザインや製版の仕事に携わる職人たちの姿を描いた「美の巨人たち!Ⅰ・Ⅱ」や日頃から黒沢を助ける書店員河さんの本への愛を描いた「右側に気をつけろ!」などが収められている。
「右側に気をつけろ!」は、書店員河さんの仕事の型のようなもので、「本気で推すものは右側に置く。人間は必ず自分の右側を注視しますから」とネームがはいっている。
河さんの名言はまだあって、「本には敬意を払って! 人の人生を変えるかもしれないものなんだから」なんてぐっとくる。
こういう書店員がまだまだたくさんいるにちがいない。
(2016/09/28 投稿)

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09/27/2016 やっとハクサイを植えつけました - わたしの菜園日記(9月26日)

生活で変わったことといえば
天気予報をよく見ることになったことでしょうか。
今年みたいに
秋の長雨が続くと
種を蒔く時期、苗を植えつける時期
そのあとの手当など
なかなかうまい具合にいきません。

東京国際ブックフェアの開催と重なってしまい、
ハクサイの苗の植えつけは
昨日(9月26日)の月曜になってしまいました。


どうしてもやっておきたい作業があったのです。
それが害虫対策。
昨年もそうなんですが
葉物野菜に害虫がついて
大事な葉がぼろぼろになってしまいます。
下の写真は
ダイコンの葉の状態。

実際このダイコンには青虫もいたのですが
キスジノミハムシの被害が結構大きいので
なんとか対策をしないといけないということで
考えついたのが
レンジのまわりなんかに使うアルミ箔。
これをマルチ穴にかぶせるようにしました。
キスジノミハムシやアブラムシは
こういった銀色のキラキラを嫌うそうです。
畝にひきつめた光景は
これはこれで面白い。

ついでに
芽の出たナバナのマルチ穴にも
はめてみました。

さあて、効果のほどは?

下のキャベツの葉にも
ポツポツと虫食いの穴があいているのがわかりますか。

しっかり防虫ネットを張っていたので
まさか青虫なんかはいないと思っていたのですが
いました、いました、
小さくてわかりにくいでしょうが
しっかりといます。

この日、キャベツと茎ブロッコリーの葉からとった
青虫は10匹以上。
油断できないものですね。

秋冬野菜がうまく育ってくれるかわかりません。
まだまだ天気予報にやきもきする
日が続きます。
そして、いよいよ来週の10月2日は
稲刈りにも挑戦します。
てるてる坊主

ぶらさげましょうか。

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09/26/2016 今年(2016年)も「東京国際ブックフェア」に行ってきました - 今年はしかも2日続けて

「わたしの菜園日記」の日だと
ブログを開いて下さった皆さん、
ごめんなさい。
天気がずっとよくなくて
農作業が出来ていないんです。
昨日は久々の農作業日和だったのですが
東京ビッグサイトで開催されている
「第23回東京国際ブックフェア」に行ってきました。
ごめんなさいね、野菜さん。


今回で8回行くことになります。
気がついた人がいるかどうか
実は今年から開催日が
9月の23日から25日の三日間に変更になったんです。
今までは7月の最初。
なんとか来場者数を増やそうという
試みなんですよね。

9月23日の日本経済新聞夕刊には
「本離れが懸念される中、親しみやすいイベントを増やして
「読者本位」を強調、長引く出版不況の打破を目指す」という記事も
出ていました。
確かに講演とか会場ブースでのイベントは多くなりましたが
ブースの魅力としてはどうでしょうか。
全体的には「ぬり絵」と「マンガ」、
そんな印象を受けました。


今年創業130周年を迎える河出書房新社のブースと
トーハンのブース。
特にトーハンのブースに置かれていた
ゴジラのフィギアには思わずカメラを向けました。

そんな「東京国際ブックフェア」に
今年は2日続けて行ってきたのは
いい講演会があったからです。

「出版ってどんな仕事? セミナー」で
登場したのは
文藝春秋で編集の仕事をされている
浅井茉莉子さん。
演題は、
「小説」が生まれるまで 編集者が本作りにどうかかわるのか
という、ちょっと長めのタイトルです。
彼女はあの又吉直樹さんの『火花』だけでなく
今回芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの『コンビニ人間』を担当した
今や伝説の編集者なんです。
こういう大きなイベントの講演会といえば
大作家さんのものが多いし、
実際今回も林真理子さんや湊かなえさんの講演があるのですが
浅井茉莉子さんの場合、
普通に編集をしている女性で
そういう人の話だからこそ
耳を傾ける価値があると思うんですよね。
浅井茉莉子さんは早稲田大学を出て
文藝春秋にはいって10年めの編集者。
働き出して10年めといえば
色々悩むことも多いと思います。
浅井茉莉子さんの話を聴いて感じたのは
彼女はけっして特殊な才能の持ち主でなく
仕事として
文学や作家と向き合っているということです。
だから、
浅井茉莉子さんにとって現在の出版不況は
自分の仕事として考えることはあっても
文学至上主義、あるいは出版至上主義ではないということ。
よりよいものであれば
それがゲームであれマンガであれ映画であれ
夢中になっても構わないのではないかと
話していたのが印象に残りました。
だったら、ゲームよりもマンガよりも
面白い作品を作家と一緒に作れたらいいのではないか。
浅井茉莉子さん、
これからも素敵な作品を生み出す編集者として
活躍して下さい。

アドラーブームの火付け役
『嫌われる勇気』を書いた
岸見一郎先生と
岸見一郎先生に書く勇気を与えた古賀史健さんの
講演会に行ってきました。
こちらも
100年後にも読み継がれる物語を目指して
人生を一変させる新しい古典『嫌われる勇気』の誕生
という、長いタイトルの講演でした。
興味深かったのは
古賀史健さんがどのように岸見一郎先生と出会って
どんな本を目指したかということで
「自動販売機でお金さえいれれば答えが出るような本は作らない」
と岸見一郎先生が言えば、
古賀史健さんも
「現代の古典を作りたかった」と
お二人のこころざしの高さに
圧倒されました。

これからもまだまだ苦労するでしょうが
こういうイベントは
本好き人間にはとてもありがたい。
ぜひ来年も
しっかり開催されることを
願っています。

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09/25/2016 やさいむらのなかまたち 秋(ひろかわ さえこ):書評「しいたけも仲間だーい」

すごい、やりましたね。
豪栄道。
大相撲秋場所の優勝を
昨日の土曜に早々に決めてくれました。
にわか豪栄道ファンの私ですが
まったく縁がないわけでもありません。
結婚して最初に住んだのが
豪栄道の出身地、
大阪・寝屋川市。
ね、ちゃんと関連があったでしょ。
寝屋川には2年少し住んでいました。
まさかあの街から
大相撲の優勝力士が誕生するなんて
びっくりです。
でも、よかった。
今年は広島カープの優勝とか
新海誠さんの映画の大ヒットとか
にわかで過ごしています。
ところで
天気は豪栄道のようにスッキリと
いきません。
ほとんど雨ばかり。
畑に行くのもままなりません。
かわりに
絵本から野菜たちの元気をもらうことにします。
ひろかわさえこさんの『やさいむらのなかまたち 秋』。
じゃあ、読もう。

「こころのちずをひろげると ふるさとちほうのかたすみに 「やさいむら」がのっています」、こんな詩的な書き出しで始まる絵本は、『やさいむらのなかまたち』という季節ごとのシリーズものです。
秋の巻は、男爵さまとおだてられ都会へ出たものの、そこでは「イモ」となじられた「じゃがいもくん」の紹介から始まります。
絵本、というよりも漫画っぽい、でありながら、それぞれの野菜を紹介する「ねほりはほり」というページは、その特徴をうまくまとめています。
「じゃがいも」でいえば、ちゃんと「ナス科ナス属」の野菜とまず書かれています。
そのあとに名前のいわれ、例えば「男爵いも」と呼ばれるのは川田男爵が持ち込んだ品種だとかそういう話。
さらには、栄養とか保存のことも書かれています。
ちょっとした豆知識として、給食の時間なんかに使えそうです。
「やさいむら」の秋編には、どんな野菜が紹介されているでしょう。
じゃがいも、ほうれんそう、さといも、せろり、さつまいも、とうがらし、しょうが、しいたけ、です。敬称は略しました。
この中でひとつだけ本当は仲間はずれがいるのですが、わかりますか。
答えは「しいたけ」。
しいたけは植物ではなく菌類なんですね。
でも、「やさいむら」のみんなは仲良しですから、仲間はずれになんかしません。
そんなところがなんともほっこりする、いい村です。
(2016/09/25 投稿)

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09/24/2016 家康、江戸を建てる(門井 慶喜):書評「東京(江戸)は永遠に普請中。」

NHK大河ドラマ「真田丸」で
徳川秀忠を演じているのは
シンガーソングライターの星野源さんですが
これはにくいくらいに
ぴったりで、
もちろん秀忠には会ったこともないわけですが
きっとこういう人だったんだろうなと
思えてしまえます。
門井慶喜さんの『家康、江戸を建てる』にも
秀忠が主人公となる
第5話「天守を起こす」などは
星野源さん主演で映画でもドラマでもやってみると
楽しいだろうなと思います。
最近では時代劇を作る気概があるのは
ほとんどNHKだけなので
ここはぜひお願いしたいところです。
じゃあ、読もう。

第155回直木賞候補作だが、残念ながら受賞に至らなかった作品である。
それでも東野圭吾選考委員が「スケールの大きさとスピード感に圧倒された」と第一に推していたし、他の選考委員の評価も悪くない。
それにこの作品には受賞作とならなくても、作品の評価は決して堕ちないだけの力がある。なんといっても、面白い。
三谷幸喜氏が脚本を書いて話題のNHK大河ドラマ「真田丸」に小田原の北条氏を攻めている戦場で秀吉が立ちションをしながら、家康に関東八州を差し出す場面があった。三谷氏のお遊びかと思っていたが、どうもそうではなく言い伝えとして残っているらしい。
この作品は5つの短編から成っているが、その冒頭にこの場面が描かれている。
後に「関東の連れ小便」と呼ばれたこの時から、家康の江戸開闢が始まる。
5つの短編では、「治水」「貨幣」「飲料水」「石垣」「天守閣」をどう作っていったかが描かれていく。
それぞれの事業に多くの人々が関わって、その人たちの姿も面白いが、それよりも江戸そのものが一個の人格のようにしてある。
「江戸は永遠に普請中。成長をやめる日は来ない。そこに街があるかぎり」と、作品の中で著者はこんな風に江戸の町を表現している。
最近の東京都の豊洲移転の混乱の有り様などを見ていると、まさか家康の時代ではないにしても、東京は「永遠に普請中」なのではないかと思えてしまう。
この時にこの作品を直木賞に選べなかったのは、選考委員にそこまでの読みがなかったということであろう。
(2016/09/24 投稿)

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09/23/2016 今日もていねいに。(松浦 弥太郎):書評「体温計のような本」

NHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」も
いよいよ来週でおしまい。
このドラマは
雑誌「暮しの手帖」を作った大橋鎮子さんをモチーフにして
出来上がっているということですが
このモチーフには
最後まで違和感が残りました。
モデルではなく
モチーフ。
誰が見ても「暮しの手帖」のお話なのに
それはそうでもない。
よくわかりませんね。
それはともかくとして
今日は松浦弥太郎さんの
『今日もていねいに。』の再読書評です。
この本を読むのは
何回めかなんですが
やはり読み返そうと思ったなかにには
「とと姉ちゃん」の影響も
あったのかな。
ちなみに
松浦弥太郎さんは今は「暮しの手帖」の編集長は
退いています。
じゃあ、読もう。

ふと立ち止まってみたくなって、久しぶりに松浦弥太郎さんの本を開いてみました。
人っていつも前に進んでいくことを性(さが)のように感じているところがあって、いえそうではないんだ、立ち止まってもいいのではないか、松浦さんの本はどことなくそんなことを書いているような気がしたのです。
私にとって、松浦さんの文章はとても心地いいリズムです。
追い込んでこない、ゆったりとした文章です。そういう文章の感じが書かれている内容とも共鳴しあって、こういう暮らし、こういう時間は素敵だろうと思えます。
この本には刊行当時「暮しの手帖」の編集長だった松浦さんの生きていくための秘訣が記されています。
久しぶりに再読した私がしるしをつけたのはこんな箇所でした。
「大切なことをルーティンで流していないか、見直しをしましょう」「ごく普通のことでもきちんとやれば、特別なことになります」。
きっとこの本を読む、その瞬間の自分の中にあるもやもやみたいなものが、ひっかかりをみつけてくるのだと思います。
以前読んだ時とは違う文章に、今回は気にかかったようです。
なんだか自分の心の体調を知るのに、この本は欠かせないのかもしれません。
ちょうど体温計で、発熱しているか調べることに似ています。
「今日もていねいに。」、松浦さんのいう「ていねい」を実践できているか、この本を時に鏡のようにして自分を映してみるのもいいのではないでしょうか。
(2016/09/23 投稿)

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09/22/2016 ノンちゃん雲にのる(石井 桃子):書評「なんとも素敵な児童書です」

今日は秋分の日。
秋彼岸の中日でもあります。

俳句の世界では
単に「彼岸」といえば春の彼岸をいうので
秋は「秋彼岸」または「後の彼岸」といったりします。
人は灯をかこみて後の彼岸かな 三田 きえ子
段々秋も深まっていく頃です。
そういう秋には
いい本を読みたいものですよね。
今日紹介するのは
石井桃子さんの『ノンちゃん雲にのる』。
実はこの作品も
私が読みそびれていたもので
やっと読めました。
そして、思ったのですが
やっぱりいい作品は
もっともっと早くに出会いたかった。
じゃあ、読もう。

児童文学者石井桃子の功績は数多ある。
海外の児童文学の翻訳、家庭図書館の活動、作家としての執筆。
なかでも、この作品は石井桃子の代表作でもある。
初版の刊行は1947年、戦後間もない時期である。出版社が変わって刊行された1951年には第1回芸術選奨文部大臣賞を受賞、その後映画にもなった程だから大いに読まれた。
今はこうして彼女の著作集の第1巻に収録されてはいるが、もっと広く読まれてもいいのではないか。
決して古びていない、いい作品だ。
主人公は小学2年に進級したばかりの女の子、田代信子ちゃん。ノンちゃんと呼ばれている。
ある日ノンちゃんが目を覚ますと、お兄ちゃんとお母さんがいない。ノンちゃんには内緒で、東京に行ったらしい。(ちなみにいうと、ノンちゃんは小さい頃に赤痢になったので今は東京から少し離れた土地で暮らしている)
ノンちゃんは拗ねて、ずっと泣きっぱなし。
家も飛び出して、なんと池に映った雲の中に飛び込んでしまうのだ。それがタイトルの由来。
雲の飛び移ったノンちゃんはそこでおかしなおじいさんに出合って、自分のことや家族のことを話すことになる。
話すうちに、大嫌いだったお兄ちゃんがちっとも嫌いでなくなったり、よくできると思っていた自分がそうではないことに気がついたりする。
特にノンちゃんのお父さんはのんきそうだが、しっかりと子どものことを見ている。
子どもの躾とはこうやってするのかと感心する。
こういう作品がもっと読みやすい文庫本なんかで刊行されたらどんなにいいだろうに。
(2016/09/22 投稿)

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09/21/2016 できたことノート(永谷 研一):書評「人はそう簡単に変われるのか」

今日は
永谷研一さんの『できたことノート』という本を
紹介するのですが
これは自己啓発のジャンルになるのでしょうね。
それでいながら、
今回の書評のタイトルに
「人はそう簡単に変われるのか」なんてつけること自体
きっとこの本の主旨に合わないなぁ。
きっと自分は変われるんだと
信じ込まないと
こういう本を読む理由も生まれてこないでしょうね。
でも、・・・
わかっているのですが。
ちょっと冒頭の文章にひいてしまった
私でした。
じゃあ、読もう。

著者の永谷研一氏はどういう人かというと、この本の冒頭、こう記されている。
「私は「人の行動を変える専門家」です。」
最初にこう言い切れるということ自体すごいことで、想像してもらいたいが、初めて会っていきなり、「人の行動を変える専門家なんです」なんて言われたら、私なら引いてしまいそうになる。
しかし、そういう強烈さがなければ、行動なんてそう変わるものでもないかもしれない。
この本には行動を変えるためのメソッドが書かれている。
「1日5分 「よい習慣」を無理なく身につける」と、副題にあるが、これは「できたことノート」というメソッドは「1日5分」もあればできるもので、それはまた「よい習慣」となれば自分が変えられるというもの。
では、「できたことノート」というのはどういうものかというと、「できなかったこと」を反省するのではなく、「できたこと」を振り返ることでポジィテブ思考になる。
つまりは「自己肯定感が高い状態をつくる」ということである。
大きな成功の前には小さな成功を実現するということは昔から言われている。
いわゆる「成功体験」である。
それを繰り返すことで、自分がどんどん変わっていくというものだ。
この本では単に日々のできたことノートをつけるだけでなく、1週間に一度はその中から一つ取り出して、どうしてうまくいったのかなどを振る返ることが重要と記されている。
このノートをつけたらいきなり「人の行動を変える専門家です」なんて言えるようになるのだろうか。
それもまた嫌だが。
(2016/09/21 投稿)

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09/20/2016 コンビニ人間(村田 沙耶香):書評「文学とはこうでなくては」

連休明けで
気が重いなと出勤した人も
いつものコンビニにはいれば
いつもの生活を取り戻せたのではないですか。
今日は
第155回芥川賞受賞作
村田沙耶香さんの『コンビニ人間』を
紹介します。
村田沙耶香さんといえば
受賞のインタビューでもまだコンビニで働いていると
評判になって
なんだか全くの新人が受賞したみたいですが
実はすでに野間文芸新人賞や三島由紀夫賞を受賞している
新進気鋭の作家なのです。
この受賞作も
とてもいい作品です。
じゃあ、読もう。

第155回芥川賞受賞作。(2016年)
選考委員の村上龍氏から「このような作品が誕生し、受賞したことを素直に喜びたい」と最上級の賛辞を得たこの作品は、近年の芥川賞受賞作の中でも上質であろう。
何よりも読んでいて楽しい。それは読書という体験ではとても大切な心の振幅だと思う。エンターテイメントな作品だけでなく、純文学と呼ばれる作品でもあってもそれは欠かせない資質のようなものだと思う。
山田詠美委員はこの作品を選評で、「候補作を読んで笑ったのは初めて。そして、その笑いは何とも味わい深いアイロニーを含む」と記しているが、これも小説の本質をついている。
30いくつになってもコンビニのアルバイトしか就業の経験もなく、結婚もましてや恋愛さえも知らないこの物語の主人公恵子は、少し社会の基盤からずれた存在かもしれない。
しかし、村上龍氏が書いているように、彼女は「実はどこにでもいる」のだろう。
惠子のようになるのではなく、恵子のまま、その形態はさまざまであっても、社会と同化できない人やそのような性格は「どこにでもいる」。
そして、恵子の場合と同じように、そんな人間を受け入れてくれる世界が必ずある。
大きくいえば、今という現在そのもの全体がそうなのかもしれない。
惠子の場合はコンビニという空間があるがゆえに「コンビニ人間」になりえたが、もっと大きな空間に抱き留められた人間はなんと呼べばいいのだろう。
楽しい読書体験の、先にあるものは深い思索だ。
(2016/09/20 投稿)

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09/19/2016 雨がつづいて - わたしの菜園日記(9月17日)

木曜は秋分の日。
今週はお休みが多いですが
天気はこのところ
秋雨前線が停滞して
すっきりしません。
秋の雨しづかに午前をはりけり 日野 草城
日野草城の句のような日々が続きますが
季節が確かに秋へと進んでいるようで
街中で
栗の実を見つけました。

行く秋や手をひろげたる栗のいが 松尾 芭蕉

食べ物にもじんわり出ているようで
大豆とかじゃがいもの被害も
大きいようだし、
私の菜園でも
9月16日には入荷予定だった
ミニハクサイの苗が
天候不順でまだ出荷できないようです。
なんとか晴れ間ののぞいた
9月17日(土曜日)に
ナバナの種を蒔きました。
確か去年は苗から育てたはずですが
今年は種から。
下の写真の
手前の半分だけ防虫ネットがかかっているところです。


発芽次第でその成長が変わります。
先週蒔いた葉物野菜とダイコンの発芽は
ごらんのように順調です。


その一方で
9月の初めに蒔いた
ロメインレタスはほとんど発芽できていません。
仕方がないので
この日再度種を蒔きましたが
雨が多すぎるのかもしれませんね。

農業をされている人の
ご苦労を痛感します。
はやくすっきりとした秋晴れが
見たいですね。

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明日は敬老の日。
雀来て敬老の日の雨あがり 吉田 鴻司
ということで
今日はおじいちゃんと孫の男の子のお話、
西本鶏介さんの『おじいちゃんのごくらくごくらく』という
絵本を紹介します。
絵は長谷川義史さん。
今日の書評にも書きましたが
私はおじいちゃんもおばあちゃんも
知りません。
祖父も祖母も
今のような長命ではなかったのですね。
最近は
男女ともに平均年齢は伸びていますから
おじいちゃんおばあちゃんというのは
普通にいるのではないでしょうか。
きっと祖父母が生きていたら
またちがった人生だったと思います。
じゃあ、読もう。

世の中には、おじいちゃん子、おばあちゃん子というのは確かにいる。
私は生まれる前におじいちゃん、生まれて間もなくしておばあちゃんを亡くしているので、おじいちゃん子たちの心理というか境遇というか、全く理解できないのだが、なんとなく残念でしかたがない。
おじいちゃんがいたら、おばあちゃんがいたら、何を教えてもらえただろう。
目下のところ、自分がおじいちゃんになることも予定はないから、自分の人生でおじいちゃんやおばあちゃんはうんと遠い。
だからだろうか、こういうおじいちゃん子の男の子を主人公にした絵本を読むと、うらやましい。
この作品ではおじいちゃんが口にする「ごくらく」という言葉を鍵語にして、男の子はおじいちゃんの死に直面することになるのだが、死んでいく順番でいえば初めて目にする肉親の死はおじいちゃんおばあちゃんのものだろうが、私はそれすら経験せずに大人になってしまったのだ。
なんだか、大事なことを学ぶことが随分遅くなったような気がする。
この作品に出て来る「ごくらく」は漢字にすれば「極楽」ということになるだろうが、こういう言葉は現代のおじいちゃんやおばあちゃんは口にしないのではないかしら。
つまり、現代のおじいちゃんおばあちゃん世代は自分とあまり年齢が変わらないはずで、さすがに私は「ごくらく、ごくらく」などとは呟かない。
孫の世代にあの世のことを伝えるのも難しい時代なのかもしれない。
(2016/09/18 投稿)

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09/17/2016 奇跡の文具術(榎本 勝仁):書評「文具は知恵の輪」

今日は
榎本勝仁さんの『奇跡の文具術』という
本を紹介します。
文具は好きですね。
考えてみれば
人生60年以上生きてきて
随分文具のお世話になったものです。
様々な文具が
私を通り過ぎていきましたね。
何が一番お気に入りかと聞かれても
あまりに多くて
答えに困ってしまいます。
憧れたのは
ペーパーナイフ。
きっとあまり使い道がないせいでしょうか。
じゃあ、読もう。

NHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は雑誌「暮しの手帖」の大橋鎭子さんと花森安治さんをモチーフとしていますから、タイトルロールでは編集者の机の上のペン先等の文具が美しく映し出されています。
また花森安治さんがモデルと思われる唐沢寿明さんが演じる編集長が原稿を執筆するにあたって、万年筆を洗う場面が出てきたりして、脚本家や演出家の文具愛を感じたりします。
文房具の効率的な使い方を図解したこの「裏ワザ辞典」でも、万年筆の書き味をキープするのに「ガラスのコップ」を使うといいと書かれていて、うれしくなります。
そもそも男性は家電と文具が大好きな種族らしい。
家電量販店や文具専門店にいるだけで気分が高揚する。
この本を読むきっかけは、「ふせんノート」の活用を知るにあたって、その他さまざまな文具の活用を知りたいと思ったからだ。
ちなみに「ふせん」についてはこの本の中で「今や文房具の定番といえるアイテム」とあって、「透明ふせん」の裏ワザが紹介されています。
この本に登場する文具は、ステンレス製定規、インデックスシール、三角定規、修正液、拡大鏡とさまざまで、(一体何種類になるだろう)きっと日夜正規の使い方以外にどんな使い方ができるかと、寝ないで考えた結果がこの本に結実している。
「とと姉ちゃん」では唐沢寿明さんの編集長が執筆に詰まった時「知恵の輪」で頭をほぐしているが、あれなども文具で代用できるのではないだろうか。
(2016/09/17 投稿)

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09/16/2016 雑誌を歩く - 「ユリイカ」9月号 新海誠特集 : 君はあの映画をもう観たか

映画館の大きなスクリーンで
いい映画を2本立て続けに観た。
庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」と
新海誠監督の「君の名は。 」である。
一本は怪獣映画、
もう一本はアニメと
なんだか日本映画の縮図を見ているような感じだ。
見る前はどちらもバカにしていた。
何しろ怪獣映画とアニメだし。
今更「ゴジラ」と「真知子巻き」でもないだろうって。
そもそも「真知子巻」には注釈が必要だろう。
昭和28年大ヒットした映画「君の名は」のヒロイン
真知子さんが頭に巻いていたファッションで
映画同様大ヒットしたそうです。
映画でこの真知子さんを演じたのは岸恵子さん。
私は昭和30年生まれですが
そういう年代の人が集まると
「君の名は。」の話となればどうしてもこの「真知子巻き」だと
思ってしまいます。
最後の「。」が発音できないものね。

2本の作品とも新聞の映画評とかの評判が
とてもいい。
そして、観終わった感想でいえば
本当によかった。
特に新海誠監督の「君の名は。」は
きっと私のような「真知子巻き」世代向けには作っていないだろうけど
背筋がゾクゾクするような感動を覚えました。
「君の名は。」は新しいのだが
古さをどこかに秘めていて
その古さを否定する(破壊する)のではなく
とても大事に作っているような気がしました。

私が知らなかっただけで
巷には新海誠ファンがたくさんいるようで
総合文芸誌「ユリイカ」9月号(青土社・1300円)で
―『ほしのこえ』から『君の名は。』へ
という、新海誠特集がされています。

「ユリイカ」という雑誌のことを書いておくと
もともとというか
今もというか
「詩と批評」の総合誌なんですが
こうして行われる特集がとてもいいんですよね。
新しい潮流をしっかりと読みとっている。

新海誠は「『ほしのこえ』を独力で作り上げ、プロデビューを飾った」という伝説化した事実がある」(藤津亮太)
アニメーター監督なんですね。
『ほしのこえ』の公開は2002年。
今TSUTAYAに行くと
これまでの新海誠作品はほとんどがレンタル中で
私はやっとこの『ほしのこえ』をレンタルできて
うれしくて飛び上がったくらいですが
このデビュー作からすでに
『君の名は。』につながるものをあります。
それは
同じ空間にいるようで
時空が少しずれている感覚。
一本の線でつながっているようで
ねじれている感じ。
時と空間。
それでもつながっているのだという意識。
今回の『君の名は。』にはそれが強く出ています。

「ここではない場所」に行きたいと願った気分に近い。
「今ではない時間」を生きたいと願う思いに近い。

新海誠監督のインタビューや
主人公の声を演じた神木隆之介さんや
音楽を担当したRADWIMPSの
インタビューも載っています。
もちろん、「新海誠主要作品解説」もありますから
私のようなにわか新海誠ファンには
重宝します。
これからしばらくは
TSUTAYAのレンタルの順番を待ちます。

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09/15/2016 私的読食録(角田 光代/堀江 敏幸):書評「おいしいブックガイド」

昨日三島由紀夫の『美しい星』を
読みそびれた一冊と
紹介しましたが、
今日紹介する
角田光代さんと堀江敏幸さんの
食をテーマにした
100冊のブックガイド
『私的読食録』を読んでも
半分以上は
未読の作品であることに
気付かされる。
本の世界を完全制覇できるなんて
はなから思ってもいないが
読んでも読んでも
その差は広がるばかり。
まったくもって
こればかりはどうしようもない。
じゃあ、読もう。

以前、自分の書いた書評を書評家の豊崎由美氏に読んでもらったことがある。毒舌書評で有名な氏であるからノックアウト寸前まで打たれたが、最後の決め手は「この人はこの本のことをちっとも楽しんでいない」と看破され、あえなく撃沈した。
文章はそういう点では正直である。
芥川賞作家の堀江敏幸氏と直木賞作家の角田光代氏が食をテーマにそれぞれ本を紹介したこのブックガイドでは100冊の本が紹介されているが、さすがにこれだけあれば堀江氏も角田氏もちっとものっていないと感じる本もあれば、もうはまりまくっている本もある。
角田氏が紹介している本の中ではなかがわりえこの『ぐりとぐら』が一番の絶品だろう。
なんといっても、この時のタイトルがいい。「
おいしかったなあ、ぐりとぐらのカステラ」、もうこれだけでこの絵本がいかにおいしい作品かわかる。
角田氏の紹介した本では『ぐりとぐら』のような小さい時に読んだものの紹介に熱がこもるのは、やはり小さい頃の読書の記憶が大事だということだろうか。
『小公女』という本の紹介の最後、「本に出てくる食べものというのは、読むことでしか食べられないのだ」なんていう文章は、角田氏しか書けない一節かもしれない。
角田氏の長編小説を読んでいるような一節がまだある。
こちらはスタインベックの『朝めし』という作品の紹介の中。
「生きることの本質は、かなしみなのではないか。だから私たちは幸福であろうとするのではないか。かなしみに浸らないために」。
いかがです? なんとも、おいしい文章でしょ。
(2016/09/15 投稿)

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09/14/2016 美しい星(三島 由紀夫):書評「三島由紀夫ってやっぱりすごいと思ってしまう」

今日紹介するのは
三島由紀夫の『美しい星』。
この本も
まさに若い時に読みそびれた作品。
三島由紀夫が自決したのは
1970年11月。
私は15歳。
高校1年の時。
もちろんそれ以前から三島由紀夫の名前は
知っていましたよ。
『金閣寺』とか『仮面の告白』なんかは
読んでいたと思います。
三島が亡くなって
三島作品を読破しようと思ったこともありましたが
頓挫。
かなり多くの作品を
読みそびれました。
私にとって
三島由紀夫はそういう作家です。
じゃあ、読もう。

三島由紀夫が昭和37年に書いたSF仕立ての長編小説である。
この時、三島は37歳。
SF仕立てと書いたのは、この作品の登場人物である埼玉県飯能市に住む大杉重一郎とその妻、そして二人の子供(上が男性で下が女性)の四人家族は宇宙人だと、少なくとも全員が認識していることになっている。
実際彼らが本当の宇宙人であるのか一種の狂気であるのか明確には記されていない。
少なくとも大杉一家は核の時代に生きる人類を救済しようとする善の宇宙人であり、一方人類など救うべきではないという仙台に住む、こちらの真の宇宙人なのか不明の三人組の男が登場する。
この作品が書かれた昭和37年というのはどういう時代であったか。
キューバ危機といわれたアメリカと旧ソ連が一触即発の事態に陥ったのが、この年の秋である。
そういう時代の空気を三島は実に敏感に嗅ぎとっている。
もし大杉一家を狂気と呼ぶなら、現実に核の釦を押しかけた人類もまた狂気というしかない。
三島の文学的価値の高さは時代を見事に切り取る行為であり、その一方で芸術至上主義な考えを示しながらも、その材料として宇宙人という極めて斬新なものを持ってきた点にある。
三島ほど時代と寄り添った作家はいなかったのではないか。
この作品においては大杉と仙台からの三人組が人類の運命について論争する第八章、第九章がやはり読みごたえ十分だ。
こういう丁々発止のやりとりは、最近ではあまり読むことはない。
三島とその時代ならではの産物なのだろうか。
(2016/09/14 投稿)

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09/13/2016 世界国勢図会(矢野恒太記念会):書評「ここから世界が見えますか」

今日は珍しい本の紹介です。
矢野恒太記念会の編集・発行による
『世界国勢図会』。
簡単にいえば
世界の色々な情報が
ほとんど数字の羅列で書かれている本。
きっとこの本を買う人は
そういう研究をしている人なんでしょうね。
私は
いつもの書評サイト「本が好き!」さんからの献本で
読む、というか
感心したというか
いや、こういう本があるだけで
部屋の雰囲気さえ変わりそう。
じゃあ、読もう。

現代の私たちがグローバルな社会にいることは間違いない。
インターネットの普及は世界をより身近にした。
しかし、私たちは世界の何を、どれだけ知っているのだろうか。
わかりやすいところでいえば、「人口」。国連によれば2016年の世界人口は74億3266万人で前年より8319万人増えている。ちなみに日本の人口は減少している。
人口が一番多いのは中国、ついでインド。この二つの国を合わせると世界の3分の1以上だそうだ。
たかだか数字の羅列に過ぎないかもしれないが、それを読み解いていくと今の世界の状況が見えてくる。
この本はそういう一冊なのだ。
いくつか説明が必要だ。
まず、この本を刊行している「矢野恒太記念会」のこと。矢野恒太というのは第一生命保険の創立者で1866年から1951年まで活躍された人。矢野は青少年の教育を念頭にして昭和2年に『日本国勢図会』を作り、この『世界国勢図会』は1985年にその姉妹本として刊行されたそうだ。
次に書名の「図会」だが、これは「ずえ」と読む。
「あることを説明するために図を集合させた」という意味で、最初『日本国勢図絵』を創刊した時、矢野恒太には「国勢全般の図説百科事典」のイメージがあったという。
ページを開くと、図というよりは数字の羅列が続く。
「人口」「労働」「経済成長」「資源」「農林水産」「工業」「貿易」「金融」「運輸」「情報」「生活」、そして「軍備」。
数字の向こうに74億という人がいる。
それを想像できるだろうか。
(2016/09/13 投稿)

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09/12/2016 大根蒔く - わたしの菜園日記(9月10日)

季節は秋なので
季節毎の分冊になっていれば
秋の部ということになりますね。
まさに今は
ダイコンの播種の候。
「大根蒔く」がちゃんと秋の季語に
はいっています。
大根蒔く短き影をそばに置き 加倉井 秋を
しかもこの「大根蒔く」という季語が
「生活」の部にはいっているのが
いいですよね。
昔は大根を蒔いたり稲を刈ったりするのが
生活の一部だったのですね。
だから、
蒔く時期も経験でわかっていた。
では、ここで問題。
では、そもそも「大根」はいつの季語だと思います?
これが冬の季語。
秋に種を蒔いて、
冬が一番おいしい。
大根の青首を見て老ゆる日ぞ 木村 紅雨

絶好の種まき日和となった9月10日(土曜日)
菜園の二番畝に
ダイコンの種を蒔きました。
この畝では半分に黒マルチを張ってダイコンを
残り半分は葉物野菜を育てるというのが
基本の形なんですが
根っこが欲張りなんでしょうか
全面に黒マルチを張って
ダイコンを12本育てることにしました。
蒔いたのは
おふくろという品種と紅芯ダイコン。
さらに、その間にマルチ穴を8個開け
赤ミズナ、シュンギク、ちぢみコマツナ、コカブを
育てるという
混植栽培。
それが下の写真。

一体どんな風に育つのでしょうか。
昔話では
欲張り爺さんにいい話などないのですが。

できあがり。


秋冬野菜の植え付け準備で
畝作りと黒マルチ張り。
ナスとかオクラの伐採を
どのタイミングにしようか悩ましいところです。


菜園の脇にできたど根性トマトですが
小さな実をつけ始めました。
それが不思議なことに
ミニトマト風に実をつけだしたのですが
どうも形はアイコではなさそう。

いったい君は誰?

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夏休みが終わって
街の図書館から少しは子どもたちの姿も
少なくなりましたね。
夏休みは
どうしても子どもたちの利用が
多くなります。
だから席の確保に朝早くから
列ができるほど。
そのしわ寄せで
大人の席もすぐに埋まってしまっていました。
それに
暑かったですから
どうしても涼しい施設に集まりますからね。
今日は子どもたち向けの絵本
『としょかんへいこう』を
紹介します。
斉藤洋さんが文、田中六大さんが絵を
書いています。
いつでも
図書館においでよ、みんな。
じゃあ、読もう。

子どもたちが本に親しむ場所といえば、街の図書館で子どもたちだけで本を探してたり本を読んでいる光景はあまり見かけないですから、やはり学校の図書館でしょうか。
街の図書館には子どもたちだけでなくおとなの人もいますし、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちも勉強したりしていますから、なかなか入りにくいかもしれません。
でも、学校の図書館とは違う、もっと専門的な本であったりおとなの人たちが読む本なんかも置いています。
あるいは、子どもたちがもっと小さい時にお世話になったような大きな活字の絵本だってあります。
絵本なんて恥ずかしい? 大丈夫ですよ、だって、図書館のことを書いているこの本だって絵本ですもの。
小さな弟や妹に読んであげながら、自分はしっかりと図書館がどういうところか勉強すればいいのです。
きっと、今まで知らなかったことも書いてありますよ。
たとえば「けんさくき」。漢字で書くと、検索機。
この絵本の中では「いったい なにに つかうのかな?」とまず書かれています。
それから、その使い方が描かれています。
もちろん、皆さんの図書館にはさまざまなタイプの検索機がありますから、この絵本だけではよくわからないかもしれませんが、最後にちゃんとこうあります。
「わからなければ、かかりの ひとにきこう。」
実は図書館って「ひとにきこう。」がとっても大切なことなんです。
聞かれるための人も図書館にはちゃんといます。「司書」さんです。
この絵本を読んで、さあ、「としょかんへ いこう」。
(2016/09/11 投稿)

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今日は
日本シナリオ作家協会編の『'15年鑑代表シナリオ集』を
紹介しますが
書評にも書いているように
10篇のシナリオがあって
観た作品が6本というのは
自分でもなかなかなものだと思います。
そこで
今回映画のお話。
今大ヒット中の『シン・ゴジラ』について書きます。
総監督・脚本は庵野秀明さんで
フルCGの迫力に圧倒されました。
会議のシーンが多いという指摘もあるようですが
私はそんなに違和感はなかったですね。
ただ石原さとみさんが演じた米国大統領特使というのは
ちょっと無理があったような気がします。
まあゴジラのような巨大生物が出てくれば
アメリカ軍の支援は絶対必要で
それはわかるのですが
ここはもっとリアルっぽく外国俳優を使うべきだったのでは
ないでしょうか。
『シン・ゴジラ』のシナリオって
どこかで読めるのかな。
そうそう、『'15年鑑代表シナリオ集』に収録されている
シナリオは以下の通りです。
★が私の観た作品。
「ソロモンの偽証 前篇・事件」 ★
「ソロモンの偽証 後篇・裁判」 ★
「映画 深夜食堂」
「あん」 ★
「さよなら歌舞伎町」
「トイレのピエタ」
「この国の空」 ★
「岸辺の旅」 ★
「デイアーデイアー」
「恋人たち」 ★
じゃあ、読もう。

映画には色々な映画賞があって、有名なところでは日本アカデミー賞や映画雑誌「キネマ旬報」が選ぶベストテンあたりだろうか。
特に「キネマ旬報」のベストテンは歴史も古く権威としては大きいが、観客の好みとかい離しているような感じがしない訳でもない。
この本は映画の製作に重要な位置を占めるシナリオの、年間での優秀作を集めたものだが、それがすべて観客の好みや映画のベストテンと同一ではないのは表現形式の違いでもあるのだろうか。
この本では10本のシナリオが収められている。
うち、「ソロモンの偽証」は前篇・後篇の2篇ともが収められているから真辺克彦氏の作品が多いという結果になっている。(真辺氏はこの他にも「映画 深夜食堂」で収録もされている)
私の収録されている10本の中で実際に観たのは6本であるから、2015年は日本映画の真面目な観客だったといえる。
印象に残ったのは「あん」である。監督・脚本ともに河瀬直美氏。
この本の全体の解説を書いている映画評論家の寺脇研氏もこの作品の意外な大衆性を指摘している。
こういう映画は観客に愛される作品として脚本もきちんと残しておく価値がある。
いささか疑問だったのは観客動員も大きかった「映画 ビリギャル」の扱いである。
シナリオの賞として有名な菊島隆三賞の最後の選考まで残りながら、この「年鑑代表」から外れているのはどうしてなのだろうか。
菊島賞ってそういう軽い賞ではないと思うのだが。
(2016/09/10 投稿)

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09/09/2016 別冊太陽 星野道夫(星野 直子 監修):書評「星野道夫関連本では絶対はずせない一冊です」

人が生きている時間は
短いのだろうか
長いのだろうか。
星野道夫という写真家の43年という生涯を思う時
私はそういうことを
よく考えます。
星野が写した写真、
星野が写った写真、
星野が書いてノート、
星野が送った手紙、
星野が交わった人、
星野が見た風景、
それは実は有限であるはずなのに
私には無限のように思えます。
今日紹介するこの本は
「別冊太陽」の一冊として
奥さんの星野直子さんが監修されたものですが
おそらく「星野道夫」というタイトルでは
もっともよくできた本だと
思います。
東京・松屋銀座での
「没後20年 特別展 星野道夫の旅」は
終了しましたが、
9月から10月にかけて
大阪、京都、そして横浜の高島屋で
開催されます。
まだまだ星野道夫と出会える時間は
あります。
じゃあ、読もう。

写真家でもあり文筆家でもあった星野道夫が亡くなって、今年(2016年)で20年になる。
昭和27年生まれの星野の、43年の短い生涯であった。
星野は写真家としてアラスカを中心とした自然の写真を撮り、カリブーやグリズリーといった動物たちの写真も撮った。同時に文筆家としてエッセイを中心に文庫や著作集に残る作品も残した。
星野との出会いは人様々であろう。
星野道夫の足跡を多くの図版や写真で紹介したこの本の監修をされた奥さんの直子さんの巻末エッセイ「旅の続き」に、「写真集やエッセイ集で星野道夫と出会った人、写真展で彼の作品と出会った人、教科書で彼の存在を知った人、(中略)と様々な出会い方をした人に出会いました」とある。
出会い、そしてもっと深く知りたいと思う感情は、愛に近い。
私は、星野道夫の何に魅かれるのだろう。
それはきちんと言葉にできないが、例えばこの本の表紙に記されたこんな言葉に強く魅かれる。
「僕たちをとりまく風景はすべて物語に満ちているのかもしれない」。
星野が写真や文章で伝えようとしたことは、「物語」の本質そのもので、その「物語」を私自身が強く欲しているからかもしれない。
出会いが様々なように、人それぞれ星野に魅かれるものは違うだろう。
違っていいのだ。
星野はそのことを少しも拒みはしない。
「別冊太陽 日本のこころ」の一冊として編まれたこの本は、おそらく星野道夫の短いが豊饒な生涯を知るのに最適のものだろう。
この本を手にして、星野道夫をもう一度歩いてみたい。
(2016/09/09 投稿)

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09/08/2016 天下人の茶(伊東 潤):書評「次作に期待」

昨日朝井まかてさんの『すかたん』を紹介して
今日は伊東潤さんの『天下人の茶』ですから
時代小説、歴史小説づいていますね。
若い時は
時代小説なんかはいずれ亡びるジャンルぐらいに思っていて
実際テレビとか映画では
ほとんど作られなくなっているのですが
何故か文学の世界では
人気が続きます。
伊東潤さんは直木賞候補の常連になってきましたが
時代小説歴史小説は
何年かに一度は受賞するようなので
きっとそのうちに
直木賞を受賞することも
あるのではないでしょうか。
じゃあ、読もう。

最近の直木賞候補の常連となった感のある伊東潤。
その名前と作品名『天下人の茶』、すなわち豊臣秀吉と千利休を描いたと思われるタイトルに魅かれてページを繰った。
読んだ作品が悪かったのか、確かにこれでは直木賞受賞には至らないと思った。
本作は表題となった作品の「第一部」と「第二部」にはさまれる形で四つの短編で出来上がっている。
それぞれが短編として独立しているが、千利休に関係した歴史上の人物が主人公になっている。
例えば「奇道なり兵部」では牧村兵部、「過ぎたる人」では瀬田掃部(かもん)、「ひつみて候」では古田織部、「利休形」では細川忠興といった具合である。
秀吉の晩年は、利休へ死を命じたように、一筋縄では理解できない事柄が多いし、時代そのものが複雑な様相を持っているので、この作品集のように関連した事項の作品を並べることはわからないでもないが、そのために焦点がぼやけてしまっているように感じた。
それとこれはこの作品だけかもしれないが、伊東のセリフが少しも巧くない。
直木賞を大衆小説というくくりでみるなら、多くの読者をひきつけるものがないといけない。その一つはドラマのような生きのいいセリフだと思う。
伊東の作品はそれがとても弱い。
だから、登場人物が生きてこないのだ。
選考委員の北方健三氏は「実力は充分である。次作に期待したい」と暖かい声援を送っている。それに応えてもらいたい。
(2016/09/08 投稿)

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09/07/2016 すかたん(朝井 まかて):書評「作品はすかたんやおまへん」

今日は24節気の一つ、白露。
猫の髭水平に張る白露かな 滝沢 伊代次
そろそろダイコンの種まきの時期。
朝井まかてさんのデビュー間もない頃の
『すかたん』という作品は
青物問屋が舞台だけあって
さまざまな野菜の描写もあって
野菜好きの私はうれしかった。
大根はえらいもんやな。
芽ぇは貝割菜で味噌汁(おつけ)の実ぃやひたし物になるし、
もうちょっと大きなったら
間引き菜で浅漬けになる。
ほんで種蒔きから数えて八十日で一人前の大根や。
こういう描写だけで
この本を読んだ値打ちがあるというもの。
おもしろいでっせ。
じゃあ、読もう。

朝井まかてさんは『恋歌(れんか)』で第150回直木賞を受賞した。
初候補にしての受賞であった。
この『恋歌』以前の作といえば、わずか5作しかない。しかも直木賞の受賞作と違い、時代小説として残している。
第3回「大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本」に選ばれた本作も時代小説である。『恋歌』とはかなり雰囲気が違う。
こういう痛快で軽快な時代小説がいいと感じる人もいるだろうし、『恋歌』のような重厚な歴史小説が好みの人もいるだろう。
講談社文庫の解説を書いた細谷正充氏は「歴史小説の魅力と時代小説の面白さ。両方をマスターした朝井まかて」と評価している。
この作品は江戸の饅頭屋の娘ながら武士に嫁いだ知里は夫とともに大坂に出てくるが、夫が急死し、なじまぬ大坂に投げ出されてしまう。
ようやく探しあてたのは河内屋という青物問屋。
そこで大坂商人の世界に初めて触れる知里。そして彼女の前に現れる「すかたん」な若旦那清太郎。
ちなみに「すかたん」とは、間の抜けたことをする人を馬鹿にしていう言葉だが、大阪弁特有の「あほ」に似て、毒性は弱い。
この時期の朝井まかてさんの書く時代小説には職業小説的な要素もあって、この作品の中でも「暖簾の値打ちを決めてるんは世間やからな。世間にそっぽ向かれたら、あんなもの、ただの布きれや」みたいな、いいセリフも多くある。
ただ最近の朝井さんの作品と比べると、まだまだ硬さが残っている感じがする。
こういう題材で、今、描けば、また違った世界がでるのではないだろうか。
(2016/09/07 投稿)

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禁煙開始から
一か月が経ちました。
今日紹介する
アレン・カーの『禁煙セラピー』を読んだのは
2009年5月。
その時の書評を再録していますが
おわかりのとおり
この時は見事に失敗。
一日ももたなかったのではないかしら。
今回
禁煙をしようと決めたのは
どんどん喫煙する場所が減ってきたことと
健康に害があって
経済的に負担も大きい。
ちなみに私が吸っていた煙草の銘柄でいえば
ひと箱440円。
だいたい一日ひと箱喫煙者でしたから
一か月の負担が1万3千円強。
これから先も値上がりする公算もある。
それなら
今のうちにやめてしまおうと。
今回は禁煙外来に足を運んでの
必勝モード。
禁煙外来にかかる費用は1万8千円ほどだとか。
病院の扉を開けたのは
7月の末。
まずここで「禁煙宣言」なるものを
書かされます。
まあ、これはそういうモードにはいりますという感じです。
そして、薬の処方を頂きます。
チャンピックスという禁煙補助薬。
最初の1週間はこの薬を服用しながら
喫煙をしても構いません。
1週間後から禁煙。
薬の量も増えます。
私はすぐさま禁煙ができるか不安もあったので
禁煙開始の前日、8月4日の夕方から
禁煙を始めました。
最初の一日めが禁断症状としては
つらかったですね。
それと、
このチャンピックスという薬、かなり気分が落ち込みやすくて
気分的につらい日が続きました。
ちょうどこの頃、
日本経済新聞夕刊に日経記者による「体験学」という記事で
禁煙挑戦が出ていて、
その中にもこの薬のことが書かれていました。(8月23日付)
禁煙経験者の中には鬱状態が出始め
「あまりに辛いのでたばこを再開した」という
同僚もいる。
私の場合は「たばこを再開」ではなく
薬の服用をやめてしまいました。
それで喫煙に戻っても
仕方がないかという気分でした。
結果として、
3か月服用する薬を途中でやめてしまったので
禁煙にかかる費用も当初の予定よりは抑えられました。
そうして
一か月を過ぎたのですが
まったく煙草をよせつけないというより
まだまだ吸いたいと思う時もあります。
水を飲んだり
飴をしゃぶったりして
我慢しています。
それと
コーヒーと喫煙の関係ですが
私は禁煙したらコーヒーはおいしくないんじゃないかと思っていましたが
これは結構大丈夫です。
あと、体重ですが
これは少し増えました。
禁煙体験の
成功報告というより
まだまだ一か月の経過報告です。
あぶなくなったら
またアレン・カーの『禁煙セラピー』を
読みますか。
じゃあ、読もう。

初めて自身で煙草を買い、吸った日のことを、よく覚えている。
高校三年の秋、文化祭の日だった。
買ったのがどこで、その銘柄は何だったのかということも覚えているのだが、どうしてあの日吸おうとしたのか、その理由が思い出せない。
煙草はちっともおいしくなかった。何本か吸って、残りは箱ごと、校舎の屋根に投げ捨てた。
でも、残念ながら、それから何年もしないうちに、りっぱな喫煙者に仕上がってしまった。爾来三十数年、日々煙草を吸い続けて齢を重ねてきた。
結婚をした時。子どもが生まれた時。新居を持った時。身体をこわした時。何度か禁煙できる機会はあったが、「いつだってできる」とたかを括っているうちに「やめる気もない」永遠のニコチン中毒者になろうとしていたのである。
そんな私が「禁煙してみるか」と思い立ったのは、勝間和代さんが『無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法』で本書を紹介されていたからだ。
何かひとつでも本に誘引されて実行してみること。勝間本にそういう習慣を教えてもらったのであるが、先の本を読んだあと、なんなら「禁煙」を試してみるかと思った次第なのだ。
それに世の中のありようが、喫煙者にとって住みにくくなっているのも事実だし、今喫煙がカッコいいとも思えないし、第一煙草なんておいしくもなんともないんだから。
今、この書評は「最後の一本」を吸ってから14時間後に書いているのだが、「体内の小悪魔」が悶え苦しんでいるのがわかる。このあたり、結構瀬戸際だ。
一旦ここで筆をおいて、数日間後の報告を書きたい。
*********************************
ということで、先の文章から数日経ったのだが、結果を書けば、見事に失敗してしまった。
もちろん、本書になんら問題がなかったことは書いておかなければならないが、明らかに「禁断症状」である苛々感に負けてしまったと認めざるをえない。
一本だけ、のつもりが、まあいいかになり、気がつけば今までとはなんら変わらない「喫煙者」というおそまつさ。
本書のために書いておけば、本書を読んでいる間は、禁煙ができると思えたのは事実だし、読了後少なくとも持っていた煙草を一旦は消し去ったのも本当だ。
ただ、やめてから数時間、数日間のケアがもう少し必要だろうか。(なんて、えらそうに云えないのだが)
けっして「禁煙」をあきらめたわけではない。こうなれば、再読しないといけないし、再々読かなとも思っている。
煙草をくゆらせながら、ゆっくり考えたい。
(2009/05/01 投稿)

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09/05/2016 ナスの更新剪定をやってみました - わたしの菜園日記(9月3日)

菜園もいよいよ秋冬野菜の
苗植え、種まきが始まりました。
その前に
畑は十分に手入れしましょうね。
まずは
お世話になったトマトを片付けます。
この夏、
ミニトマトのアイコちゃんは206個の収穫でした。
数的にいえば
昨年の方がたくさん採れましたが
今年のアイコちゃんはしっかりした実を
つけてくれました。
菜園のメニューにはなかったのですが
ということは勝手にしちゃったということですが
ちゃんと指導員さんには相談しましたよ、
中玉トマトは32個の収穫でした。
いいんじゃないですか。
大きさも味もいうことなし。
来年もやりたいなぁ。

今回秋ナスに挑戦します。
指導員さんは次の栽培との期間が短いので
できるかどうかって心配していますが
まあダメでもやってみます。
どうしてかというと
秋ナスは今植えている苗を
そのまま使います。
このやり方を更新剪定といいます。
この更新剪定がしてみたい。
本当なら
もっと暑い時期からがオススメだとか。
下の写真は更新剪定する前のナスの苗。
大きく枝を広げています。

まず、この枝をはらいます。

そして、次に根切をします。
これがしたかったんですよね。
根切ってどういう感じなのか。

写真でわかるように
苗のまわりにスコップを差し込んで
えいって。
と、ブチッと根が切れた音がします。
うまく秋ナスができてくれればいいですが。
この夏採れたナスは60本でした。


手前の黒マルチを張っている畝が一番畝。
ここに秋冬野菜の一番手となる
苗と種を9月3日に植えました。
苗はこの2種類。

右側が茎ブロッコリー、左側がキャベツ。
その横にはロメインレタスを。
こちらは種からです。

防虫ネットをかけて
できあがり。

写真の左隅にど根性トマトが写っています。
このトマト、小さな実をつけかかっていますが
さてさてどうなりますか。

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09/04/2016 クマよ(星野 道夫):再録書評「私の一冊」

いそいで書きます。
何を急いでいるかというと
東京・松屋銀座で開催されている
「没後20年特別展 星野道夫の旅」が
明日、9月5日で終わってしまうのです。

この展覧会では
アラスカに魅せられた星野道夫が残した写真
およそ250点が展示されています。
また星野道夫が使用したカメラやカヤック、
初めてアラスカの村に宛てた手紙などの遺品も
公開されています。
規模的にはいうことのない展覧会です。
星野道夫を知らない人に
星野道夫に再会したい人に
ぜひ見て頂きたい展覧会です。
私も2日の金曜日に行きましたが
たくさんの人が来会されていました。
デパートでの展覧会ですから
やはりご婦人方が多かったでしょうか。
今日は2008年に書いた再録書評になりますが
星野道夫の『クマよ』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

「いつか おまえに 会いたかった」
グリズリーの静かな表情をとらえた一枚の写真とともに、この言葉があります。
私の一冊は、アラスカの自然と動物たちを撮り続けた写真家星野道夫さんの『クマよ』です。
本を開くと最初に出会うこの言葉に深く心を打たれました。
何千語、何万語という言葉で紡ぎ出される思いの世界を、星野さんは、たった十三文字で言い切ってしまわれた。そのことの凄さもまた胸にせまってくる十三文字です。
つづくページにこうあります。
「あるとき ふしぎな体験をした 町の中で ふと おまえの存在を 感じたんだ」。
星野さんは若い頃本当にそう思われました。
私たち人間とくまは全くちがう世界にいるのではなくて、同じ時間を過ごし、同じ空間にいるのだと。
だから、星野さんはクマに会いたいと思います。
そして、たどりついたのがアラスカでした。
星野さんのどの文章でもそうですが、遠く離れていても、そしてそれが人間であれ動物であれ、相手のことを深く感じ合えるという思いは、とても大切なことだと思います。
私が星野さんの写真に初めて出会ったのは、二〇〇六年の秋、私の職場でもあった福島の百貨店での展覧会場でした。
その展覧会ではたくさんの人たちに助けて頂き、会場内で星野さんの本の「読み聞かせ」をしました。その時、読んだのがこの『クマよ』です。
この本の最後にこうあります。
「おまえの すがたは もう見えないが 雪の下に うずくまった いのちの 気配に 耳をすます」
星野さんはもういないけれど、星野さんが残してくれた、たくさんの写真と文章はいつまでも私たちに生命の尊さを教えてくれているような気がします。
(2008/01/30 投稿)

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09/03/2016 今月の「100分 de 名著」 - 石牟礼道子『苦海浄土』:必読・再読・熟読の書

近年まれにみる熱狂を
私たちにもたらしてくれました。
4年後の東京オリンピックを
私たちのDNAが意識しているような感じさえします。
1964年の東京オリンピックに向けて
そしてそれ以降、
戦後の日本は大きな躍進の時代を迎えました。
私たちのDNAは
その熱気を忘れてはいないはずです。
しかし、その一方で
大きな弊害も生み出されていました。
その代表的なものが、公害です。
公害としてその名を知られた水俣で
多くの猫が死んでいったのは
1953年.
国が水俣病を公害病に認定したのは
実に15年後の1968年です。
そして、
今月NHKEテレの「100分 de 名著」で取り上げられる
石牟礼道子さんの『苦海浄土』が刊行されるのは
その翌年の1969年のことです。

おそらく高校か大学の頃、
読んだ記憶があります。
講談社文庫にはいった頃だと思います。
恥ずかしい話ですが
そのほとんどを忘れてしまっています。
その『苦海浄土』は1970年に第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれますが
作者の石牟礼道子さんは辞退されています。
賞とは関係なく
この作品の圧倒的な力は多くの人たちの心を
ゆさぶりました。
最近になって驚かせたのは
作家の池澤夏樹さんが個人編集をされた
「世界文学全集」30巻の一冊に
この作品がはいったことです、
池澤夏樹さんは
石牟礼道子さんのことを「戦後日本文学でいちばん大事な作家」とまで
言っています。
だから、
何度でも読み返さないといけない作品なんだろうと思います。

来週の9月5日の月曜が第1回で
「小さきものに宿る魂の言葉」
つづいて「近代の闇、彼方の光源」、
「いのちと歴史」。
「終わりなき問い」と
続きます。
これから一カ月にわたり
『苦海浄土』を読んでいくのですが
できれば原作に読み直さないといけませんよね。
そういう覚悟を持ちながら
見ていきたいと思います。

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09/02/2016 白岡あさ・新次郎語録(大森 美香):書評「いまだに「あさが来た」の余熱」

NHKの朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」も
あと一か月になりましたね。
主演の高畑充希さんもがんばっているのですが
私は三女役の杉咲花さんがいいですね。
彼女、まだ若いのに
うまい。
それと早くも次回作の「べっぴんさん」を楽しみにしています。
脚本はアナウンサーの羽鳥慎一さんの奥さんでもある
渡辺千穂さん。
さてどんな作品になるのか。
今日紹介するのは
朝ドラ前作で大変な人気作となった
「あさが来た」から
ドラマの名場面、名語録集。
『白岡あさ・新次郎語録』。
また思い出して
泣いて下さい。
じゃあ、読もう。

NHKの朝の連続テレビ小説、通称朝ドラを見始めたのは、2011年の後半期の第85作となる「カーネーション」からだ。
この作品が私の故郷大阪岸和田を舞台にしていたのがきっかけだった。
これは渡辺あやさんの脚本もよかったし、作品の出来も素晴らしかった。これがよかった。
この作品から朝ドラにはまった。
現在放映中の第94作の「とと姉ちゃん」まで欠かさず見ている。
「カーネーション」から「とと姉ちゃん」までその時々にはまる要素はあるし、どうしても一番のお気に入りは「カーネーション」は揺るがないとしても、第93作の「あさが来た」にもかなり夢中になった。
大森美香さんの脚本もいいし、主演の波留さんもそのご主人役の玉木宏さんも好演だった。
そういう視聴者が多いのだろう、だから、こういう「語録」まで登場するのである。
しかも、放送場面の写真が多数そえられていて、後追いではあるが、思い出のアルバム的に楽しめるようになっている。
「あさが来た」はまさに朝ドラの王道のような作品に仕上がっていた。主人公の名前に「あさ」なんて、素敵ではないか。
きっと多くの視聴者は毎朝あさの行動に溜飲を下げ、新次郎の愛にどきまぎしていたのではないだろうか。
しかし、朝ドラは半年の放送である。
どんなに視聴率がよくてもそれ以上伸びることはない。
まして、「あさが来た」のように一人の女性の一生を描いたのであるから、長くはならない。
また新しいドラマが始まるのだ。そして、しばらくすれば、その新しいドラマに夢中になっていく。
切ないものだが、なんともうまくできているシステムだ。
(2016/09/02 投稿)

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09/01/2016 八月の濡れた砂、みたいに - 濃溝の滝と南房の海に行ってきました。

少しずつ秋めいてくるのでしょうか。
書肆の灯にそぞろ読む書も秋めけり 杉田 久女
台風10号が東北にまた大きな悲しみをもたらした
8月最後の昨日、
関東は台風一過の青空になりました。
夏休み最後の思い出ではないですが
高校時代の友人たちと
今話題の人気スポット
濃溝の滝に行ってきました。

濃溝と書いて「のうみぞ」と読みます。
千葉の君津市の清水渓流公園の中にある小さな滝です。
東京からだと1時間ほどで着きます。

なんとも神秘な雰囲気があって
「ジブリの世界」という人もいるようです。
もともとは一人の人がインスタグラムに投稿した写真がきっかけになったようです。
この日もバスツアーの観光客も大勢
訪れていました。
見る角度によって、
そしておそらくは見る時間によって
その表情が変わるのでしょうね。
自分が見たからいう訳ではありませんが、
あまり人気にならずに
そっとしておいてあげたい
そんなスポットです。

南房総の海に出ました。
まだ台風の余波でしょうか、
海はまだ結構波も高かったですが
その色のあまりの素晴らしさに
しばし声をなくしました。

写真ではなかなか出ていませんが
エメラルドグリーンというのでしょう、
持って帰りたくなるほどの海でした。。
ここには名勝仁右衛門島があります。
昔からこの島には所有者の平野仁右衛門さんが一戸だけ住んでいるそうです。
だから、仁右衛門島と呼ぶそうです。


イラストレーターの安西水丸さんの故郷
千倉を通りました。
安西水丸さんが大好きだった町です。

私たちの夏は終わっていきました。
秋めくや濃溝の滝水澄みて 夏の雨

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