04/30/2017 14ひきのせんたく(いわむら かずお):書評「心を洗いましょう」

今日で4月もおしまい。
俳句の世界では
尽という言葉を使って
そんな気分を表わします。
あまき音のチェロが壁越し四月尽 秋元 不死男
今日は
いわむらかずおさんの
『14ひきのせんたく』を
紹介します。
この絵本を手にとった時、
まさに今のような季節にぴったりの作品だと
思ったのですが
読むと夏の物語でした。
きっと
書評にも書いたように
薄緑の色調が
風の感じに見えたのでしょうね。
じゃあ、読もう。

いわむらかずおさんの「14ひき」シリーズはとても人気の絵本です。
森に暮らす野ネズミの家族、おとうさん、おかあさん、おじいさん、おばあさん、そして10ぴきのきょうだい、全員で14ひき。
この作品の素晴らしいところは、季節きせつのストーリーとその景色と色彩。
野ねずみたちの視点が低いので、まるで読者も小さくなって森の中で遊んでいるかのような気分になります。
この作品でいえば、季節は夏。
雨がやんで森に夏の太陽が差し込んできたところ。
家族の大せんたくが始まります。
全体的に薄い緑が基調になった色彩になっていますから、読むには初夏あたりでも大丈夫。
雨のあとのせんたくほど、気分がすっきりします。
本当にこの巻ではきれいな緑が美しい。
彼らがせんたくをする谷川の風景も、緑が映えます。
普通だったら、水色あたりを使うような気がしますが、いわむらさんはそうはしなかった。
緑色を使うことで、風の気分に満ちた世界になっているように感じます。
14ひきは野ねずみですから本当によく似ています。
よくよく見ると、それぞれに特徴があります。
シャツの柄やパンツの色、帽子のかぶりかたとか。
だから、時々文章のなかに名前をいれることで、読んでいる子どもたちは絵に釘づけになります。
そして、名前のはいった野ねずみを見つけると、うれしくてたまらない表情をすることでしょう。
いわむらかずおさんの「14ひき」シリーズは、心をせんたくする絵本なのです。
(2017/04/30 投稿)

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04/29/2017 たとへば君 四十年の恋歌(河野 裕子/永田 和宏):書評「うたに抱かれて」

今日は昭和の日。
私達のような昭和世代でいえば
昭和天皇誕生日の祝日。
今日から何連休だろうと
指折っている人もいるでしょうが
ゴールデンウィークのはじまりです。
まあ遠出はできなくても
弁当持って
近くの公園に出かけるのもいいではないか。
そんなささやかな幸せの単位のような
家族も
いいですよね。
この季節、そんな瑞々しい
若い家族が似合います。
そんな人たちにも読んでもらいたい歌集めいた一冊を
今日は紹介しましょう。
河野裕子さんと永田和宏さんが編んだ
『たとへば君 四十年の恋歌』。
歌でも詠み合ってみるのも
いいではないか。
じゃあ、読もう。

人がその姿かたち、性格とさまざまであるように、家族のありようもさまざまだ。
昭和と呼ばれた時代の家族像と平成のそれでも違うだろう。
それでも、家族は生活のひとつの単位ではある。
そのもとになるのが夫婦だろう。
大学の時の出会いから伴侶のガン死まで四十年にわたる夫婦が残してきたもの。
それは夥しい数の歌であった。
特異ではあるが、それもまたひとつの夫婦像、家族像なのだ。
本書は、2010年8月に乳がんで亡くなった歌人河野(かわの)裕子とその夫である同じく歌人永田和宏の、その出会いから別れまでの長い期間に互いに詠み合った相聞歌ともいえる短歌の数々と、二人のその時々のエッセイを抜粋して出来上がっている。
タイトルにもなっている「たとへば君」は、まさに二人の出会いの頃に河野が詠んだこんな歌からとられている。
「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてくれぬか」。
そういう若い愛を詠んだ歌を好きな読者もあるだろうが、やはり私は河野の短歌の代名詞ともいえる、家族を詠ったそれの方が好きだ。
「たつたこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる」。
この歌のあとに、「これからも私は、たったこれだけの家族にかかずらわって歌を作ってゆく」、河野のこんな文章を添えて、エッセイも残している。
それでいて、河野は療養中何度も狂気のふちを歩くことになる。
家族はそんな妻をそんな母を受け入れるしかない。
そういう凄惨な事実を家族という殻で包み込むのもまた、家族なのだ。
河野はそれさえもすべてわかって、この世を旅立ったにちがいない。
(2017/04/29 投稿)

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04/28/2017 キリンの子 鳥居歌集(鳥居):書評「歌よ、すくえ。」

今日は歌集の紹介です。
俳句の本もそうですが
短歌も歌集となれば
なかなか読む機会が少ない。
今日紹介するのは
鳥居さんの歌集『キリンの子』。
書評にも書きましたが
彼女の経歴はすさまじくて
それで話題になった歌人でもあります。
もちろん短歌そのものも
壮絶で
特にいじめを受けた歌はすごい。
鳥居さんの歌を読んで
涙を流す若い人もいるのだろう。
そういう人たちに
救いがあればいいと
願わずにはいられない。
じゃあ、読もう。

文学で、作品と作者はどのように切り離せばいいのだろうか。
芥川賞の第1回で、候補にあがった太宰治に対して選考委員の川端康成が「作者目下の生活に厭な雲ありて」と評して落選した話は有名だ。
そのあとも太宰治に関していえば、彼の生活そのものが作品に大きく影響しているから、太宰ファンというのは作品だけでなく彼の私生活も知ること大である。
作品だけを純粋に評価すべきだろうが、どうしても作者の顔が引き剥がせない。
小説だけではない。
この歌集も作品だけの良し悪しだけでいえば、これほど話題にはならなかっただろう。
ともかく、これらの歌を詠んだ歌人鳥居のプロフィールがすごい。
引用すると、「2歳の時に両親が離婚、小学5年の時には目の前で母に自殺され」と凄まじい。そのあとも養護施設での虐待やホームレス生活など目を覆いたくなる。
「義務教育もまともに受けず」、そのことを表現するためにセーラー服を着ているという。
拾った新聞で文字を覚え、短歌は独学で勉強した。
こういうプロフィールを先に読むべきか、それともまずは作品が先にあるべきか。
私は作品が先だと思うが、ここまで話題になれば、そういう歌人が詠った歌はどんなものかと作品があとになるのも仕方がない。
そういう鑑賞を良しとすべきか。
少なくともこれらの歌を詠うことで一人の女性が救済されてことは間違いないし、鳥居の歌に救われた人たちがいることも想像がつく。
歌よ、すくえ。
作者を、読者を。
(2017/04/28 投稿)

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04/27/2017 墨汁一滴(正岡 子規):書評「子規三大随筆はここからはじまる」

ずっと気になっていたことがあります。
正岡子規のこの本、
『墨汁一滴』のこと。
子規の三大随筆と呼ばれる三作のうち
『仰臥漫録』『病床六尺』は
ずっと以前に読んでいたのですが
何故かこの『墨汁一滴』だけは
今まで読む機会を逸していました。
子規生誕150年の今年、
ようやく読むことができました。
生誕何年とか
没後何年とか
よく言いますが、
読めなかった本を手にするには
そういうこともあって
いいのかもしれません。
じゃあ、読もう。

今年(2017年)生誕150年を迎える正岡子規。
友人夏目漱石の方が有名なので、同じ年の生まれながら、漱石に比して大きく取り上げられることも少ない。
けれど、子規が残した功績は漱石よりも大きいかもしれない。
俳句という世界において。短歌という世界において。そして、何よりも近代の日本語という世界において。
子規には三大随筆と呼ばれる作品がある。
最初に書かれたのがこの作品(1901年)で、続けざまに『仰臥漫録』を発表、次の年に『病床六尺』を書いた。
もっとも、子規の命はそこで尽きる。
1902年9月19日。34年の短くも濃い人生であった。
この作品の執筆時にはすでに病魔は深く入り込んで、しばしばその苦痛を綴っている。
連載始まって間もない1月23日に「病床苦痛の堪へずあがきつうめきつ身も世もあらぬ心地なり」とある。
4月23日には「盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少しく痛が減じる」と綴る。
この日の記述は短いから苦痛は余程であったのだろうが、短いながらも文章のリズムがすこぶるいい。
子規にはその病ながら妙に明るいところがある。そして、そのあたりが漱石とは違う、人気の源泉だと思う。
その漱石のことをこの随筆の中で何度か綴っている。
1月30日には漱石の滑稽趣味を褒め、それは真面目な性格に起因しているとしている。
あるいは、5月30日には漱石は米の苗を知らなかったと暴露している。
色々な読み方ができるのも、子規の随筆の特長でもあり、その萌芽はすでにここにある。
(2017/04/27 投稿)

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04/26/2017 TVドラマが好きだった(岡田 惠和):書評「「ひよっこ」を育てるのは、私たち」

NHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」を
楽しみにしている。
面白いし内容もいいのに
視聴率がなかなか伸びないのに
イライラしている。
まあ、私がイライラすることもないのだが。
そのドラマの脚本を書いているのが
今日紹介する本
『TVドラマが好きだった』を書いた
岡田惠和さん。
岡田惠和さんの作品歴をみると
凄すぎる作品がずらりと並んでいるのでびっくりする。
中でも一番驚いたのが
菅野美穂さん主演でドラマ化された「イグアナの娘」(1996年)。
あの作品を熱心に観たわけではないが
チラリと観ただけで熱気が出ていたのを
覚えている。
これからも「ひよっこ」のことは
書いていきますよ、きっと。
じゃあ、読もう。

この本の著者岡田惠和(よしかず)は人気脚本家である。
監督や出演俳優の名前で映画館に行ったりテレビのチャンネルをあわすことは多いが、脚本家の名前で映画やドラマを観ようという人は希少価値がある。
ひと昔前、まさにこの本で紹介されている有名なドラマでテレビが賑わっていた頃なら山田太一とか倉本聰、あるいは向田邦子といったビッグネームが綺羅星の如く輝いていたから、脚本家の名前でドラマを観た人も多かったはずだ。
最近でいえば三谷幸喜とか宮藤官九郎あたりであろうか。
岡田の名前をあげる人もいるだろう。
何しろ岡田は今放送中のNHK朝の連続ドラマ「ひよっこ」の脚本を担当していて、この作品が朝ドラ3本めというから、いかに信用されている脚本家だということがわかる。
なかでも、2001年に放映された「ちゅらさん」の人気は高く、岡田はこの作品で橋田壽賀子賞と向田邦子賞のW受賞を獲っている。
この本はその勢いで書かれたものなのだろう、2003年に岩波書店の「図書」に連載され、その後2005年に書籍化された。
実はこの時には朝ドラ2作めの「おひさま」はまだ作られていない。(2011年放映)
そんな時期にこの本にある「21世紀の「朝ドラ」」は作り手岡田の創作心理を知る上で興味をひく。
岡田はテレビと過ごす背景が大きく変化している点をあげ、「朝ドラ」が難しい時代と書いている。
その一方で、「朝ドラ」の魅力も書いている。それは「明るさ」である。
そして、「朝ドラ」は「視聴者が育てるドラマ」だと。
こういう書き手だからこそ、「ひょっこ」はもっと面白くなるにちがいない。
(2017/04/26 投稿)

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04/25/2017 だから、うまくいく 日本人の決まりごと(広田 千悦子):書評「いい大人でいよう」

先週の木曜は
二十四節気のひとつ、穀雨でした。
まさに晩春の候です。
二十四節気をさらに区分して
七十二候というくくりもあって
今は「霜止んで苗出づる」候に
あたります。
奥ゆかしい。
このことは
今日紹介する
広田千悦子さんの
『だから、うまくいく 日本人の決まりごと』に
全部載っています。
この本、
いつもの書評サイト「本が好き!」さんからの
献本です。
こういう本こそ
手元に置いておきたいですね。
じゃあ、読もう。

先日亡くなった詩人の大岡信さんの数多くの業績の中でも、朝日新聞に長期に渡って連載された「折々のうた」の功績は一番大きかったのではないかしら。
日本の短詩型のうたを広めたというだけでなく、日本語の美しさをあの短いコラムで教えられることしばしばあったと、今改めて思い出している。
新書となったこの作品の、その続編のあとがきに大岡信さんは「ある季節のものは、その時節にわが身を置いていないと書けなかったし、書く気もなかった」と記しているが、それがこの国がそもそも大切にしてきたしきたりのようなものであったのではないだろうか。
大岡信さんはそのことを「折々のうた」で書き留めてくれたのであるが、日本の行事や歳時に造詣の深い広田千悦子さんのこの本は別の方法ではあるが、忘れてはいけない大事なことを書き留めてくれている。
なんといっても広田さんの絵がいい。でしゃばらず、しとやかで、水のように緩やかなイラスト。それがなんともいい。
その最初の章が「人をつなぐことばの力。」というのが、まるで大岡信さんのやってきたこととつながるようでもある。
そういえば、この本ではカタカナでしか表現されないような外来語はほとんど出てこない。
章立てでページを追う。
次の章が「場の整え方とおもてなし。」、それから「気づかいのあるふるまい。」「食卓を囲むお付き合い。」「贈り物をすること。」「和の心を尊ぶ儀礼と行事。」「自然とのお付き合い。」、そして最後が「神さまとのお付き合い。」となる。
今は少し消えかかっているたしなみもあるが、やはりきちんと記録しておきたいものだ。
(2017/04/25 投稿)

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04/24/2017 麦青し - わたしの菜園日記(4月23日)

まだまだ暦の方が先行して
「暦の上では春ですが…」なんて
よくいいます。
ところが、立夏の頃は
気候の方がどんどん早くなって
立夏まではもう少しですが
なんだか初夏を思わせる日和だったりします。

今時分の街は
たくさんの花が咲き乱れて
足をとめることもしばしばです。
こちらは
道路脇に咲いていた藤。

藤は春の季語です。
藤房の盛り上がらむとしては垂れ 鷹羽 狩行

野菜によっては
こちらにするかあちらにするか
選択することもあります。
例えばムギも選択野菜だったので
わたしは選びませんでした。
何軒かの菜園は
麦を選んでおられて
いい感じで成長しています。
春の季語に「麦青む」という美しい言葉があります。
青麦に沿うて歩けばなつかしき 星野 立子
そんな光景を写してみました。

葉桜と青麦の競演です。

スナップエンドウの実が
大きくなってきました。

もうすぐ収穫できそう。
イチゴはごらんの通り。

赤くなるまで
がまん、がまん。

今栽培している畝です。

手前の畝に
イチゴにニンニク、それとトウモロコシ。
その上の畝に
スナップエンドウとキヌサヤ、そしてニンジン。

来週はいよいよ
夏野菜三銃士、
トマト、ナス、ピーマン、
それにキュウリの植え付けです。
畑もこれから本格化です。

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04/23/2017 チャーちゃん(保坂 和志/小沢 さかえ):書評「絵本の書き手の、なんと幅広いことか」

今日はこども読書の日。
そして、今日から5月12日まで
こどもの読書週間となります。
今年の標語は、
小さな本の大きなせかい
![17poster800-1133[1]_convert_20170422115725](https://blog-imgs-102-origin.fc2.com/h/o/n/hontasu/20170422115822ec6.jpg)
確かに本のページを開くと
そこにはとっても大きな世界が
広がっています。
これから気候がいいので
ぜひお気に入りの本を持って
公園のベンチとかで
本を広げてみて下さい。
今日は紹介するのは
芥川賞作家保坂和志さんが書いた絵本
『チャーちゃん』。
ここにも
大きなせかいがありますよ。
じゃあ、読もう。

絵本は、書き手を選ばない。
通常は絵本作家が文も絵も描くことが多いが、時に絵本作家同士が互いに文を担当したり絵を描いたりすることもある。
絵本作家だけが絵本を書くことはない。
特にそれは文の方だが、詩人も書く。漫画家も書く。映画監督も書く。俳優も書く。落語家も書く。アナウンサーも書く。
小説家ももちろん書く。直木賞作家も芥川賞作家も書く。
文学の世界では漫才師が小説書いたって驚天動地していたが、絵本の世界では驚かない。
絵本はとても寛容なのだ。
この絵本の文を書いたのは、『この人の閾』で第113回芥川賞を受賞(1995年)した保坂和志さん。(絵は、小沢さかえさん)
芥川賞そのものがストーリー性よりも文章の巧さに一目を置くところがある文学賞だが、その文体が絵本に合うかどうかは作者次第であろう。
どちらといえば、詩人の、一行一行刻むような散文があっているような感じがする。
この作品の場合、「チャーちゃん」という一匹の猫が主人公だ。
しかし、この猫は死んでいる。
死んでいるのだが、踊っているのだという。
この猫がいる世界は死後の世界であるが、そちらではかつて生きていたものたちが楽しそうに踊っているという。
だから、生きていた世界ではパパもママも泣いているけれど、チャーちゃんのいる死の世界ではみんな楽しく踊っているのだ。
そう思っている(想像している)のは、きっと生きている世界にいるものたちだろう。
こういう深い作品も、絵本は平気な顔をして受け入れてしまう。
(2017/04/23 投稿)

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04/22/2017 風のかたみ(葉室 麟):書評「設定は面白いのだが」

先日
「上意討ち 拝領妻始末」という映画を
テレビで観ました。
昭和42年のキネマ旬報日本映画ベストテン1位の作品だけあって
とても面白かった。
監督は小林正樹で
脚本は橋本忍。
主演は三船敏郎、脇を仲代達也、加藤剛が固めています。
どうしてこんな話から書いたかというと
今日紹介する葉室麟さんの
『風のかたみ』は
「上意討ち」から始まる物語だから。
「上意討ち」とは
主君の命を受けて罪人を討つこと、です。
さて、この物語は
そこから動きだす
ミステリー仕立てになっています。
じゃあ、読もう。

葉室麟のミステリー仕立ての時代小説。
ここでいくつか注釈をつければ、時代小説であるから作者の想像の翼が広げやすい。さらにこの作品では犯人あてのような側面もある。
しかも、女人ばかりの館が舞台というのも珍しい。
舞台は九州豊後の安見藩。
藩主に逆らい「上意討ち」にあった佐野了禅とその息子2人。一族が連座する危機にあるが、それを予測し了禅は妻や息子の嫁などを別の屋敷に移していた。
もしかすると、藩主につながる世継ぎの子が懐妊されているかもしれないため、藩の役人たちも手が出せない。
そこで女医の伊都子が監視を兼ねて送り込まれる。
しかし、女人たちの館に怪しい影が…。
封建社会は男社会でもあるから、この物語の女たちも男たちの都合に揺り動かされていく。ただ、主人公ともいえる伊都子のキャクターが弱すぎる。
芯がありそうで、自分から動こうとはしない。館の女人たちに動かされているにすぎない。
やはりこういう作品であれば、伊都子をもっとうまく立ち回らせないと、最後の解決にしてもなんだかすっきりとしない。
それと出てくる男たちがすべて不甲斐ないのはどうしたことか。
あれでは女たちが思いを寄せるといわれても、本当だろうかと思いたくなる。
別にスーパーマンが欲しい訳ではないが、血の通った男たち女たちを読みたい。
(2017/04/22 投稿)

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04/21/2017 ぼくの死体をよろしくたのむ(川上 弘美):書評「春の昼寝に見る夢」

今日は
川上弘美さんの『ぼくの死体をよろしくたのむ』という
短編集を紹介します。
書評で「村上春樹的」と書きましたが
そういえば
この短編集の中に
「大聖堂」という作品があります。
このタイトルでピン! と来た人は
村上春樹さんのファンですね、きっと。
この作品の中に
この「大聖堂」がカーヴァーの短編集と
書かれています。
村上春樹さんの翻訳の
初めの頃に
出た作品でもあります。
まあ、あんまり関係がないですが。
じゃあ、読もう。

本の批評やり感想を書くとすれば、ここのこういうところがよかったとかこれでは辻褄が合わないのじゃないかとか、きちんといえないといけないのだろうが、どうも川上弘美の作品はそういうことを拒んでいるような感じがしないでもない。
「ほのぼの」なんていうのは感想になるだろうか。
「ほっこり」が批評になるだろうか。
けれど、そういう言葉しか言えない時がある。特に川上弘美が描く小説では。
ここには18篇の短編小説が収録されている。
表題作の「ぼくの死体をよろしくたのむ」は58歳の女性と25歳年下の女性の不思議な関係を描いている。
58歳の女性は若い女性の父親が恩義になったというが、それがどういうことかよくわからない。その父が書き残していた文章に「ぼくの死体をよろしくたのむ」が入っていたのだ。
これは何かのメタファー(暗喩)なのか。
そういえば、どことなく村上春樹的ではあるが。
あるいは映画「君の名は。」的な「バタフライ・エフェクト」は思わず初出の年月を確認したくらい。(川上作品の方が古い)
まるで内容も違うのに、それでもそれはよく似ている。
「五年後に二人が出会う時、二人とも手帳の名前のことは、すっかり忘れている。どこかで聞いた名前だ、とも思うことすら、ない」。
ねじれた時間なんて、案外よくある話かもしれない。
そうだ、川上弘美のこの短編集は春の昼寝に見る夢のようだ、といえば、感想になるだろうか。
(2017/04/21 投稿)

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04/20/2017 ヨーコさんの"言葉" わけがわからん(佐野 洋子/北村 裕花):書評「人生の「間」」

今日紹介する
『ヨーコさんの"言葉" わけがわからん』は
シリーズの三作めで
今年になって出たばかりの新刊です。
この中に収められているのは、
「神の手」「言葉」「カラオケセットと井戸端会議」
「お月さま」「うるさいわね」
「私はどちらも選べなかった」「真二つの結婚」
「わけがわからん」「二〇〇八年冬」の
9篇.
最後の「二〇〇八年冬」なんかは
しみじみします。
ところで、この番組、
こちらのサイトから動画配信で見ることができます。
ご興味のある方は、こちらから。
何回見ても
いいものはいい。
じゃあ、読もう。

NHKEテレの人気番組の書籍化も、この本が第3弾。
原作は絵本作家の佐野洋子さんのエッセイ。
例えば、この本に収録されている9つの作品でいえば、『がんばりません』とか『ふつうがえらい』といった7冊のエッセイ集から採られている。
もちろん、エッセイそのものは長いものではないが、この番組のようには短くもない。
云ってみれば抜き書きのようになっているのだが、それは抜群にいい。
この本あるいはこの番組を楽しむなら、もとになったエッセイを読むことをお勧めする。
話には「間」が大事といわれる。
文章にもそれはあるのだろうが、言葉となって出てきた時により鮮明になる。
まして、年を経てくれば、「間」を意識しなくても、話し方はゆっくりとなる。
佐野洋子さんのエッセイはそれなりに勢いがあると思うが、この本あるいはこの番組ではなんともいえない「間」がいい。
この本がどんな読者に読まれているのか、この番組がどんな視聴者に人気があるのか知らないが、おそらくある程度の年月を重ねた人が多いのではないか。
いったい何を急ぐことがあるというのか。
それは、北村裕花さんの絵にもある。
この本あるいはこの番組は絵本のように、佐野さんの文章に北村さんの絵がそえられているのだが、北村さんの絵はどこかに逃げ道がある、緩やかともいえる。
それは絵の「間」だろうか。
だから、見ていても、つい何かを許している。
それが、いい。
(2017/04/20 投稿)

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04/19/2017 ラクラク年金生活入門(横山 光昭):書評「ラクラクも人それぞれ」

今日の書評にも書きましたが
先日発表された日本の人口推計で
さまざまなことを考えさせられました。
自分の年齢がまだ生産年齢の枠内だとは
知りませんでした。
60歳定年とどうリンクするのでしょう。
今日は横山光昭さんの
『ラクラク年金生活入門』という本を
紹介します。
この本のいいところは
読んで怖くなることがないことかもしれません。
それでも、
「使えるお金には限りがあります」とあります。
そりゃあ、その通り。
そのためには、
「見栄をはらない」ことも大事。
とあります。
人生の後半にさしかかってなお、人の目を意識しすぎるのは残念
肝に銘じておきます。
じゃあ、読もう。

先日2016年の日本の人口推計が発表された。
その中で興味を引いたのが、労働の担い手である「生産年齢人口」の減少である。
総人口に占める割合が60.3%で、これは1951年に次ぐ低さだという。戦争で若い人たちがあれだけ亡くなったあとの水準並みというのが驚く。
ちなみに「生産年齢人口」とは、国内で行われている生産活動に就いている中核の労働力となるような年齢の人口で、15歳~64歳までの人口を指す。
つまり、64歳までは働けるということである。
65歳以上の人は老齢人口という。なんと27%以上となり、少子高齢化が鮮明になっている。
つまり、年金を受給している人は人口の4分の1以上ということになる。
しかもその多寡は人それぞれだし、生活水準も違う。
老後破産とか孤独死といわれ、老後には1億円が必要、なんていう途方もない数字がまことしやかにささやかれ、だから、「実はそんなに怖くない!!」というこの本がよく売れるということになる。
基礎年金の受給開始が65歳であるなら、「生産年齢」といわれる64歳まではやはり働く方がいいのだろうか。
そのことについて著者は「働けるうちは働くというスタンスは現代社会にぴったりといえるでしょう」と書いている。
ただし、「体調や体力に合わせた働き方で十分」としている。
この点は働くという意味をどう見つけるかということになる。
することがないから、働くかではつまらない。
まあ、お金がないから働くというのも、切ないですが。
(2017/04/19 投稿)

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今日紹介するのは
毛利大一郎さんの
『仕事にやりがいを感じている人の働き方、考え方、生き方。』という本。
いつもの書評サイト「本が好き!」さんから
献本頂きました。
しかも、今回はあなたに書評を書いてもらいたいという
指名献本というのですから
ありがたい。
確かにビジネス書はたくさん読んできましたが
もう仕事やめて
ビジネス書ももういいかと思っているのですが。
ただ、ビジネス書といっても
本当は生き方の本なんですよね。
だから、これからもビジネス書は読むことに
なるのでしょうね。
この本のタイトルでいえば
働き方<考え方<生き方
になります。
じゃあ、読もう。

稲盛和夫さんの著作名を並べたような贅沢なタイトルですが、ここに描かれているのは稲盛和夫さんや松下幸之助さんのような偉大な経営者ではありません。
どちらかといえば、どこにでもいる普通の働き手かもしれません。
もしかしたら、この本で紹介された人よりもっと業績をあげた人も世の中にはいっぱいいるでしょう。
それでも、この本で紹介された人は、その人なりの仕事観を持っています。
もっといえば、人生観かもしれません。
ビッグネームでないけれど、普通の人でもここまで人生を語れるということに感心して、この本を読み終えました。
この本には10人のビジネスマンが紹介されています。
恥ずかしながら、私はこの10人の人たちの名前を知りませんでした。
この人たちだけではありません。
この人たちが働いている会社名すら聞いたことがありませんでした。
私たちが普段目にしたり耳にする会社はそれだけで一流なのでしょう。でも、この世界は無名か一部の人だけが知っている、その他大勢の会社で出来上がっているのです。
一流のビジネスマンは名のある会社にだけいるのではない。
その他大勢の会社にも、いる。
「仕事は、自分を育ててくれるもの」、この言葉は稲盛和夫さんの言葉ではありません。
この本で紹介されている信用金庫で働く女性の言葉です。
自信があるからここまでいえるのでしょう。
この世界はたくさんの彼ら彼女らでできあがっているにちがいありません。
この本はそのことをしっかり教えてくれます。
(2017/04/18 投稿)

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04/17/2017 夏野菜の準備で溝施肥をしました - わたしの菜園日記(4月15日)

開花から散るまで長かったですから
じっくり楽しめたのでは
ないでしょうか。
私の菜園の脇を流れる鴻沼川は
まさに今落花で埋めつくされています。

鳥のさす櫂に道開く花筏 夏の雨

こちらも花屑に囲まれました。

ジャガイモの畝ですが
だんだん暖かくなってきて
成長も早いようです。
一週間であっという間に
ここまで。

芽を伸ばし始めました。

それでも発芽率でいえば
4分の3くらいでしょうか。

夏野菜のトマトやナス、ピーマンの畝の準備に
畑に行ってきました。
この畝は
溝施肥を行います。
30cmくらいの溝を掘って
そこに元肥をいれます。

そのあと埋め直して
畝をこしらえます。
少し風が強かったので
黒マルチを張るのは大変でした。
できあがりはごらんのとおり。

下から2つめが
この日の作業でこしらえた畝です。

絹さやとスナップエンドウが
茂りにしげっています。

こちらが絹さやの可憐な花。

マメの花は
品種によって色合いが違います。
それらを鑑賞できるのも
畑ならではの楽しみですね。

シェア畑のHPで
絵本の紹介記事の4回めをアップして頂きました。
今回はルース・クラウスの『にんじんのたね』。


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04/16/2017 かがみのなか(恩田 陸/樋口 佳絵):書評「恩田陸さんのこわーい絵本」

直木賞にしても
本屋大賞にしても
新たに受賞作が出ると
やはり本屋さんの売上げに
影響するものだと思います。
先日2017年本屋大賞が発表され
恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』に決定しました。
この作品で
恩田陸さんは第156回直木賞も受賞しているので
史上初のW受賞となりました。
おめでとうございます。
でも、本屋さんの売上としては
どうなんでしょうね。
それでなくても
恩田陸さんはすでに人気のある作家ですから
それだけでいい売上が作れるはずですもの。
まあ、それは本屋さんの事情ということで
読者は純粋に喜びましょう。
今日は恩田陸さんのW受賞を祝して
恩田陸さんの絵本『かがみのなか』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

絵本というのは、なんとも幅広い世界を網羅する出版のジャンルだ。
この絵本は東雅夫さん編による「怪談えほん」で、絵本というのは子どもたちが眠りにつく前にお母さんが読んであげるというイメージがあるが、こういう怖い絵本を読んだら眠るに眠れないのではないかと思う。
それでも人気シリーズであって、すでに何冊も刊行されている。
しかも、書き手がすごい。
これまでにも宮部みゆきさん(『悪い本』)や京極夏彦さん(『いるの いないの』)などが執筆している。
そして、この本は恩田陸さん。
といっても、直木賞を受賞する前の2014年の作品ではあるが。
恩田陸さんの魅力は絵本に似たところがあって、さまざまなジャンルの作品を描けるとこともそのひとつだろう。
この絵本にしても「怪談えほん」というだけあって、とっても怖い。
鏡というもの自体、摩訶不思議なところがあって、それをたくみに使って怖さを演出している。
そこは絵本だから恩田さんの文章だけでなく、絵を担当している樋口佳絵さんの見せる怖さの要素も大きいのだが。
なんといっても、主人公の女の子が怖い。
鏡の中の女の子は当然怖いのだが、それ以上にこちら側の女の子の扁平な表情の方がもっと怖い。
もっともどちらがこちら側かそれはパラレルでもあるのだが。
女の子は家や学校という日常を逸脱しない。しないが、そこここに鏡の世界が広がっている。
日常ゆえの怖さといっていい。
今夜は眠れそうにない。
(2017/04/16 投稿)

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04/15/2017 直木賞物語/文春文庫版(川口 則弘):書評「川口則弘さんは直木賞が大好き」

芥川賞関連の本が続いたので
今日は
直木賞関連で
川口則弘さんの『直木賞物語』。
文春文庫で
先の『芥川賞物語』に続いて
文春文庫化されました。
それでも芥川賞の方が先。
ここでも直木賞はあと。
もう、ぐれちゃう。
と、直木賞はいわない。
何故なら直木賞の良さを
わかってくれる人はいるのですから。
川口則弘さんのように。
でも、今回の
恩田陸さんにしても
前回の荻原浩さんにしても
今更直木賞じゃないよね。
じゃあ、読もう。

この文庫本のもととなるバジリコ版の単行本が出版されたのは2014年の1月で、書かれているのが日本でもっとも有名な文学賞である芥川賞の対となる直木賞の歴代受賞劇にかかる悲喜劇事情である。
当然そのあとも直木賞は営々と続いているわけで、今回の文庫化にあたっては単行本化のあとの第150回から第155回分が追記されている。
とここまでは、この文庫本に先立って刊行された『芥川賞物語』とほぼ同じ。
それにしても直木賞というのは常にこんな位置にある。
同じ日に生まれた双生児のようでありながら、常にお兄さんがほめられ注目を浴びている兄弟みたいなもの。
同じような関連物語ながら単行本でも一年早く、文庫本でも『芥川賞物語』の方が先に出てしまう。
それでもいじけないのが、直木賞らしいといえば、いえる。
単行本刊行のあと芥川賞は又吉直樹氏の『火花』とか耳目を集めた作品が何作かあったが、直木賞といえばどうもいけない。
特にここ何回かの受賞作はどうだろう。荻原浩氏と恩田陸氏の受賞である。
直木賞といえば新人賞だとばかり思っていたが、どうもそうではないらしい。
じゃあ、中堅かといえばそれをも通り越してしっかり名の通った人であっても受賞の対象となるようだ。
エンターテイメントな作品が対象といいつつ、受賞に至るそれが少しも血が騒ぎ肉踊らない。
この本の著者の川口氏はそれでも律儀に直木賞を応援しているようだが、この出版不況の中、まず直木賞が消えてしまわないか、それが心配だ。
(2017/04/15 投稿)

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04/14/2017 芥川賞の偏差値(小谷野 敦):書評「文学の評価は難しい」

昨日第156回芥川賞受賞作
山下澄人さんの『しんせかい』を
紹介したので
今日は芥川賞関連の一冊を。
小谷野敦さんの
『芥川賞の偏差値』。
毒舌という言葉がありますが
この本の小谷野敦さんも
ズバズバ書いております。
思わず、
こんなこと書いちゃって怒られないのって
心配するくらい。
まあズバズバ書いたから
正しいということはないですが。
小気味いいことは
間違いない。
私もこんな風に
云ってみたいけど…。
じゃあ、読もう。

「偏差値」というのは、「集団の平均値よりもどれくらい上または下に偏っているかを、標準偏差を目盛りとして表すものである」と調べると出てくる。
わかったようなわからないような説明だが、そういう「偏差値」に悩まされて人は成長していくともいえる。
この本でいえば、芥川賞の「受賞作の中での偏差値」とある。
点数の方がわかりやすいと思うが、文学には似合わないと著者はいう。
じゃあ、「偏差値」が合うかというと、さてどうだろう。
著者の小谷野敦氏は比較文学者だが、小説家でもある。
かつて2度芥川賞の候補にもあがっているが、受賞には至っていない。
そういう感情って、「偏差値」に影響しないのだろうか。
それは措くとして、この本のいいところは一番近い第156回芥川賞の、山下澄人氏の『しんせかい』(偏差値は48だが)まで網羅していることと、受賞作の表紙画像が初書籍化当時のものを使っている点だろう。
なんといっても表紙画像を見るだけで、帯に「芥川賞受賞」という文字が躍っているのが目につく。
この本で見ると、第10回受賞作『密猟者』(寒川光太郎)で、すでにその文字が見える。
そういう点では、芥川賞という賞が宣伝効果を持っていることは事実だし、読書をするかどうかの判断基準のひとつとして、芥川賞に限らず賞の効果はあるのだろう。
芥川賞と直木賞の人気の差であるが、小谷野氏は受賞発表の掲載誌の違いをあげている。
文学なんかに興味もない人も雑誌「文藝春秋」は読む。一方の「オール讀物」は読まない。
なるほど。そうかもしれない。
(2017/04/14 投稿)

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04/13/2017 しんせかい(山下 澄人):書評「川上弘美は「口ごもる」と評価している」

この春から始まった
NHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」は
人気脚本家岡田惠和さんの作品で
ナレーションが
女子マラソンの増田明美さんには
びっくりしました。
東京オリンピック前の
昭和39年の東京。
楽しみにしています。
そして、
もう一つ話題なのが
倉本聰さんが脚本を書いた「やすらぎの郷」。
こちらは未見なので
なんともいえないのですが
話題を集めているようです。
そして、
今日紹介するのは
第156回芥川賞受賞の
山下澄人さんの『しんせかい』。
山下澄人さんは
倉本聰さんの富良野塾2期生なのです。
そういうつながりで
今日のこぼれ話を書きました。
じゃあ、読もう。

第156回芥川賞受賞作。(2017年)。
受賞の報道などで周知だろうが、作者の山下澄人氏は脚本家倉本聰氏が主宰した「富良野塾」の2期生で、そうなるとこの作品に出てくる【先生】は倉本氏のはずで、どこまでが実体なのか興味はあるが、それが作品の評価に当然ならない。
ただ、読む前の興味としてはすごくあった。
ここに書かれているのが事実なのか、山下氏は受賞後のインタビューで「記憶にあることを使ったというよりは、ないことを足がかりにした」と述べている。
この作品の評価はすこぶる低い。
選考委員が十人になって伯仲したかというとどうもそうではないようだ。
「今回はまったく刺激がなかった」と選評で書き起こした村上龍委員は、この作品の受賞が「熱烈な支持も、強烈な拒否もな」かったと書いている。その上で、「つまらない」と断じている。
さらに宮本輝委員は主人公の青年の寡黙さは語彙不足で「それはじつは作者その人の語彙不足なのではないか」とまで書いている。
私はそれでもこの作品は面白く読んだ。
19歳の、なんの目標もない、浮遊物のような青年がひょんなことから演劇の道にはいっていく。その【谷】での生活は、あの青春という時期でしかたどり着けない空間であったと思う。
その点では吉田修一委員の「一流の青春小説」という評価に近い。
ただ、文体のあちこちに【先生】である倉本氏の代表作「北の国から」の主人公純の口ぶりのようなものがあって、いささか苦笑してしまった。
(2017/04/13 投稿)

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04/12/2017 図書館徹底活用術(寺尾 隆 監修):書評「図書館は私の書斎」

今日は『図書館徹底活用術』という本を
紹介するのですが
この記事も図書館の中で書いています。
ここはさいたま市立中央図書館の一角にある
無線LANが通じているコーナーで
ここにパソコンを持ち込んでいます。
この中央図書館では
書斎のように間仕切りで仕切られたコーナーや
電源のついたコーナーなどもあります。
社会人のこういう席も
土日になればいっぱいになります。
疲れたら
ぶらりと書架に足を伸ばせば
もうそこは本の森。
飽きるということがありません。
じゃあ、読もう。

図書館の利用ガイドでもあるこの本に「ブラウジング」という言葉が出てくる。
「背表紙を漠然と眺めたり、資料を手に取って拾い読みしたりすること」で、図書館の世界ではこのことを「ブラウジング」と呼んで、重要視しているとある。
そういえば、最近図書館で「ブラウジング」をしていない。
理由がある。
かつてよく利用していた図書館がそれほど大きな施設ではなく、今利用している図書館は大きすぎて「ブラウジング」には適さないということ。
図書館にも自分に合ったサイズがあるのだろう。
その目安として「ブラウジング」できるかどうかではないか。
もう一つ。
本を探すことにもいつの間にか効率を求めてしまっている。
今ほとんどの図書館ではOPACと呼ばれる蔵書検索機が常備されている。
これで検索し、予約をすれば、図書館内を歩き回る必要がない。
効率的にはいいが、図書館を楽しむということではどうだろう。
自身図書館にはいつもお世話になっているが、本当の楽しみを忘れてしまっているような気がする。
私は今3つの図書館の貸し出しカードを持っている。
この本でも複数の図書館の利用を薦めている。まずはいつも利用するメインの図書館、そして気分転換や所蔵本の違いで別の図書館も自分のものにしてしまう。
少なくともどこにどんな図書館があるのか知っておくのもいい。
この本ではいくつかの専門図書館のことも掲載されていて、役に立つ。
今の生活に図書館がなくなるなんて考えようもない。
これからも新しいサービスができてくるだろう。それがどんなものなのか、想像するのもまた楽しい。
(2017/04/12 投稿)

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04/11/2017 大学4年間の経営学が10時間でざっと学べる(高橋 伸夫):書評「しっかり勉強しなくちゃ」

入学式も終わって
昨日から授業が始まったという
学生さんも多いでしょうね。
期待と不安。
どちらの方が大きいかな。
私が大学にはいったのは
もう40年以上も前ですが
初めての東京生活ということで
不安の方が大きかった気がします。
今から思うと
もっとしっかり勉強すればよかったし、
はっきりと目標を持っていたらよかった。
今頃になって
『大学4年間の経営学が10時間でざっと学べる』なんて読んでも遅いかな。
この本の著者の高橋伸夫先生なら
なんていうかな。
じゃあ、読もう。

長い書名だが、インパクトが強い。
なんといっても「大学4年間」で勉強する内容が、たった「10時間」で学べるというのがいい。本当かいな、と本屋さんの店頭で一人つっこみを入れたくなる。
しかも、その大学が「東京大学」というのだからすごい。
これがどこかの地方大学というより、引きつける力は数段に違うはずだ。
すでに「経済学」とか「哲学」とかシリーズ化しているが、この本では「経営学」を学ぶ。
新しく会社に就職した人にとって、自身の将来の姿はどう映っているのわからないが、一生その会社で過ごすことになるのかという意識は昭和世代と違って少ないのかもしれない。
まして、自分が就職した会社がこれからどんな風に発展していくのかわからない中で、生活の大部分を過ごすことになる不安も大きいだろう。
著者の高橋信夫先生は「はじめに」の最後に、「大学の経営学をざっと学んで、幸せな企業社会を築く第一歩にしましょう」とさりげなく書いてはいるが、「幸せな企業社会」って案外見えないものかもしれない。
「経営学」を学んだわけではないが、会社生活を送っていく中で昇格試験などがあってこの本に書かれている「多角化」や「コア・コンピタンス」あるいは「SWOT分析」といったことは勉強してきた。
そこからすると、大学の4年間でこれらのことを勉強して社会に出ることの意味は大きい。
もし、そんな機会がなくても、この本があれば「10時間」で学べる。
ただし、書名をよく読むと、「ざっと」とついているのだが。
(2017/04/11 投稿)

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04/10/2017 桜も満開で、畑は大賑わい - わたしの菜園日記(4月8日)

散り始めたところもあるでしょうが
先週は桜ウィークでしたね。
そこでまずは桜三景。



最後は畑から撮った桜並木です。
桜は満開の時ももちろんいいですが
散りかけの時もいいですね。
一片のまた加はりし花筏 上野 章子
水面に浮かんだ花びらを
花筏(はないかだ)といいます。
とってもきれいな日本語です。

黒マルチを押し上げてきたので
そこをそっとあけると
ジャガイモの芽が顔を出しました。
この写真は
散った桜の花びらとの2ショット。




こちらはかわいい花が咲いた
スナップエンドウ。

よく見ると
小さな実がつきはじめています。


イチゴの花もおわれば
こんな風にいかにもこれからイチゴになりますみたいな
かわいい子どもが顔を覗かせています。

うまく赤くなってくださいね。

畑はいっそう賑やかに
なってきそうです。
4月8日には
こんなに大きなレッドレタスも
収穫しました。


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新学期が始まって
クラス替えとか担任の先生が変わったり
友達とは別のクラスになって
いやだなと思っている子も
新しい生活に
胸はずませている子も
いるでしょうね、この時期。
自分はどうだったかと思い出そうとしても
さすがにちっとも
思い出せない。
まして
今日紹介する益田ミリさんの絵本
『月火水木金銀土日 銀曜日になにしよう?』のような
銀曜日を夢見ることもなかったと思います。
まあ、今の私としては
これ以上曜日が増えても
もてあましそうですが。
じゃあ、読もう。

金があれば、銀だって。
オリンピックのメダルもそうだし、将棋にもある。
童話の、池に沈めた斧だって、確か妖精は金の斧も銀の斧も見せてくれたはず。
だったら、金曜日があるのだから、銀曜日があってもいいのではないか。
それにそもそもそんな曜日はあるはずもないのだから、「なにしよう?」って考えたら、一層誰も考えそうもないことを考えてみるのがいいのではないか。
作者の益田ミリさんがそう思ったかどうか知らないが、「銀曜日にはおおきなクリームソーダ」はまだありそうで、それが「やきそばプール」になるともうシュールとしかいいようがない。
それでいて、銀曜日があったらいいなと思う程度に「やきそばプール」もあったらいいなと思ってしまう。
「お風呂バス」なんかは温泉の街別府なんかで走ってそうだけど。
益田ミリさんといえば『すーちゃん』シリーズで若い女性にも人気の漫画家だが、大阪生まれというだけあって、絵本作家長谷川義史さんにつながるはちゃめちゃ感がなんともいえない。
絵は益田ミリさんとの絵本を何作か描いている平澤一平さんで、平澤さんの絵がおちついているから、ナンセンスな話なのだが、けっしてそうは見えないというのもいい。
でも、本当に銀曜日があったら、きっと、もっと勉強しなくちゃいけないのだろう。
(2017/04/09 投稿)

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04/08/2017 覇王の家・下(司馬 遼太郎):書評「天下を取る人、家康」

今日は
司馬遼太郎さんの『覇王の家・下巻』を
紹介します。
この長編の最後は
書評にも書いたように
家康の最後で
章のタイトルは「その最期」になっています。
これが断然面白い。
天ぷらにあたったというエピソードもそうだけど
秀忠や主だったものたちに言い残して
ざっと済みたり。
といったという家康。
その最期に福島正則を恫喝する場面など
うまい。
それにしても
司馬遼太郎さんは
徳川家康が嫌いだった気配ですが
私は秀吉より好きだな。
じゃあ、読もう。

司馬遼太郎さんの徳川家康を描いた長編小説は、新潮文庫版で上下2冊の長さである。
その下巻にあたるこの巻では、本能寺の変からのち、秀吉の時代への潮目が変わる頃から描かれている。
年表のように記すと本能寺の変が起こったのは1582年。この時から再び戦国時代の様相になるのだが、関ケ原の戦いが1600年だということを重ね合わせると、秀吉の天下はわずか20年に足らない。
その後の徳川家の長期政権を考えると、あまりにも獏としている。
つまり、信長の亡きあと、家康にとってはじっと耐えたとしてもわずかな歳月でしかない。これより以前の困難な期間を思えば、何程のことかと思っていたのではないか。
この下巻はそんな時期の戦さ、小牧・長久手の戦い(1584年)がメインに描かれている。
戦さを描きながら人をも描くというのは司馬さんが得意とするところで、ここでも安藤直次や石川数正など章タイトルにもつけられて描かれている。
この戦いは秀吉が家康に敗れた戦いとして有名であるが、実際には秀吉が主戦場にいたわけではないから勝敗という点ではどうだろう。
もちろん軍として秀吉軍は敗れたのであるが、もしそのまま戦いが続いていれば最終的にはどうなったであろう。
司馬さんはこの戦いが「無形ながら家康のその後の生涯にとって最大の資産」になったとみている。
その戦いを描いたあと、司馬さんが興味をなくしたかのように、家康の最後の場面を描いているが、作品的には『関ケ原』『城塞』をはさむとちょうどいい。
そういう読み方をおすすめする。
(2017/04/08 投稿)

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04/07/2017 94歳の百姓道楽(井原 隆一):書評「道楽どころかまだまだ現役」

本との出会いとは
まさに偶然。
今日紹介する井原隆一さんの
『94歳の百姓道楽』は
その典型のようにして
出会いました。
総合誌「文藝春秋」3月号に掲載されていた
日本ハムファイターズの栗山英樹監督の取材記事
「日ハム監督の自主トレは読書です」の中に
井原隆一さんの名前が登場。
それまでは全然知りませんでした。
それで
図書館にどんな本が所蔵されているか調べると
この本にあたったのです。
3年めの「百姓道楽」をしている私に
ピピッときた一冊でした。
この本にこんな言葉がでてきます。
幸福というものは、他人が与えてくれるものではない。
幸福な人間になろうとしないからなれないのです。
あるいは。
幸福の種は自分でとり、自分でまかなければ芽生えてこない。
けっして道楽の本ではありません。
じゃあ、読もう。

まずは本作の著者井原隆一氏について書く。
井原隆一氏は1910年埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれた。
14歳の時に埼玉銀行(現・りそな銀行)に入行して、働きながら夜学に通い、父が残した大きな借金を返済。のち、銀行の専務までのぼりつめる。
その後傾きかけた会社に移り、見事に再建を果たして、名経営者との評判も高い。
この本を書いた時(2004年)、94歳であったが、のち2009年に99歳で亡くなっている。
井原氏には中国の故事を語った著作も多く、現日本ハムファイターズの栗山監督もそのファンとして有名である。
そんな井原氏の「百姓道楽」の日々を綴ったのが、この本である。
畑は「駐車場の余白地」で幅1メートル、長さ40メートルの「ウナギの寝床畑」と記されているが、畑以外にもリンゴとか葡萄といった果樹もあったりして、広さはあくまで謙遜と思える。
それでもこの土地は父親の借金返済で売ることもできたが、売らずにひたすら苦労して返済に努めた結果、美田が残ったのだろう。
井原氏は二十歳の時に生涯設計を定め、60歳以降は「晴耕雨読」と決めていたらしいのですが、実際には経営再建などの尽力し、70歳を過ぎてから「百姓道楽」となる。
ただ井原氏の場合、銀行に勤めながら畑や田の「百姓」もしていたのだから、「道楽」にはあてはまらないかもしれない。
この本は仕事を退いて家庭菜園を楽しんでいる人にも読めるだけでなく、まだ仕事に熱中している人にも至言がたくさん散りばめられている。
「手抜きをすれば、しただけの成果しか与えてくれない。逆に、手を尽くせば尽くしただけの成果で報いてくれる」。
これなどはどちらでも使える。
(2017/04/07 投稿)

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04/06/2017 追悼・大岡信さん - 自選 大岡信詩集:再録書評「詩人とは」

昨日(4月5日)の夕刻、
詩人の大岡信(まこと)さんの訃報が
速報で流れました。
86歳だったそうです。
私にとって
大岡信さんは詩人であるよりは
朝日新聞朝刊に連載していた
「折々のうた」の著者としてありました。
1979年1月25日、
この日から連載が始まりました。
このコラムで
日本の短詩の魅力にはまった人も多かったと思います。
連載が岩波新書としてまとめられて
第一集が刊行されたのが
1980年3月です。
その「あとがき」で大岡信さんは
新書予告の一文を再掲しています。
和歌も漢詩も、歌謡も俳諧も、今日の詩歌も、ひっくるめてわれわれの詩、
万人に開かれた言葉の宝庫。
この常識を、わけても若い人々に語りたい。
日本語の美しさはこの本から
教えてもらったように
今更ながら感謝しています。
今日は追悼の意を込めて
昨年7月に書いた
『自選 大岡信詩集』を再録書評で
掲載します。
心からご冥福をお祈りします。
大岡信さん ありがとうございました。

詩人大岡信(まこと)に注目したのは、昭和54年(1979年)から朝日新聞で始まった「折々のうた」以降だ。
そういう人は多いだろう。
短詩に大岡による短いコメントが付記されたこの連載は好評を博し、2007年まで連載された。新聞連載のあとには1年分がまとめられて岩波新書で出版された。
そういう啓蒙的な活動に注目が集まってが、大岡は詩人である。
こうして岩波文庫で、自選となるぶ厚い詩集が出るくらいであるから。
しかし、正直にいえば大岡の詩はほんのいくつかを除いてほとんど今回が初めてといっていい。
最近岩波文庫になった詩人でいえば、谷川俊太郎や茨木のり子、あるいは石垣りんといった戦後の詩人に比べて聞き知った詩は断然少ない。
彼らの詩が時に平易すぎるような言葉で紡がれている一方、大岡の詩は極めて真面目な印象を受ける。
それは、この文庫の解説を書いた三浦雅士の文章から引用すれば、「まず批評家として登場」したことが原因しているのだろうか。
批評家としての言葉と詩人としての言葉のありようが違うのかもしれない。
教科書的な、という感じさえする。
けれど、そんな大岡がいなければ、現代の日本語はもっと小さな世界になっていたかもしれない。
自ら歌うことはなかったが「折々のうた」で大岡が為したことの意味は大きい。
詩人はただ歌うのではなく、詩のこころを広めることも使命である。
最後に書き留めておくと、大岡の詩では「はる なつ あき ふゆ」がいい。
(2016/07/15 投稿)

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04/05/2017 みすず書房旧社屋(潮田 登久子):書評「街角にふと」

仕事を辞めて
もう2年が過ぎました。
3年めの無所属の時間になって
気がつけば
散歩がうまくなった。
そこかしこに季節の樹木があって
驚くことばかり。
こちらはつい先日見つけた
木蓮。

あまりの見事さに足がとまった。
いまのところに住んで20年になるが
この木蓮のおうちは歩いてわずか2、3分。
気がつかないものだ。
家もそうで
こんなところにこんなお家がという発見も
路地裏散歩の面白さ。
今日紹介する潮田登久子さんの『みすず書房旧社屋』も
まるで散歩で見つけたような一冊。
じゃあ、読もう。

みすず書房といえば、フランクルの『夜と霧』を思い浮かべる人も多いと思う。
良きにつけ悪しきにつけ、少し固めの出版社という印象はある。
またその装幀は白を基調して、本としての美しさには定評がある。
歴史をさかのぼれば、終戦間もない昭和21年3月に創業された、戦後の出版社である。
この本はそんな出版社の社屋を写した写真集ということになるが、ここに記録された本郷3丁目には昭和23年秋に移転している。
設計したのは芦原義信。最初は平屋立ての建物だった。
その後、何度かの増築を行い、2階も作られていく。
しかし、写真で見るかぎりでは、どこから見ても古色蒼然としたアパートにしか見えない。
失礼な言い方にはなるが、こんなところでベストセラーや話題作が生み出されていたのかと、うっとりとする。
屋内に入れば、さらに魔界が広がる。
編集部の机、あるいは倉庫、いたるところに本や資料が氾濫している。
雑然という言葉がかわいく感じるほどである。
そんな場所で人が集い、議論する。
躍動というのはこういうことをいうのだろうか。
カメラは記録するための道具でありながら、ここに納められた写真は記憶の情感ともいえる。
時代というより、人がまずあった。
そう思わせる写真ばかりだ。
ひとつの出版社の社屋の写真でありながら、どこまでもドラマティックであり、感情がわきあがる気分である。
その社屋も平成8年解体された。
解体現場には8月の空が広がっていた。
(2017/04/05 投稿)

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04/04/2017 今月の「100分 de 名著」 - 三木清『人生論ノート』:旅は絶えず過程である

清明(せいめい)。
この頃万物が溌剌としてくるというところから。
清明や壺に満ちゆく水の音 片山 由美子
そもそも清明は
漢字で示されているように
清く明るいさまのことで
清浄明潔という言葉からとられたものらしい。
同じ人生なら
清明な日々でありたいもの。

昨日の月曜から始まりましたから
すでにご覧になった方もいるかと思いますが、
哲学者三木清の『人生論ノート』。
私が高校生大学生の頃
1970年代ですが
新潮文庫の100冊にもラインナップされていたと
うっすらとした記憶にあるので
書名だけは
知っていました。
残念ながら読んだことはありません。

三木清という人は
岩波文庫の創刊にも関わった哲学者で
この『人生論ノート』が刊行されたのは
1941年.
1954年には新潮文庫に入ったようです。
今回の指南役は
アドラーで一躍評判となって岸見一郎さんです。
岸見一郎さんは
本来は哲学者ですから
うってつけの人選ではないでしょうか。

「真の幸福とは何か」でしたが
以降、
「自分を苦しめるもの」
「「孤独」や「虚無」と向き合う」
「「死」を見つめて生きる」と
続きます。

あるそうです。
出発点が旅であるのではない。
到達点が旅であるのでもない。
旅は絶えず過程である。
人生という旅も
また同じ。

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04/03/2017 花を愛でながらカレーを食する - わたしの菜園日記(4月2日)

3月の最後の日、
満開の桜が見れるだろうと
高校時代の友人たちと千鳥ヶ淵に出かけたが
冷たい春の雨には降られるし
桜はまだチラホラ。
兼好法師の「徒然草」には
「花は満開の時だけをめでるものだろうか。
近く咲きそうな枝先や、花びらが散っている庭も見どころが多い」と
書かれているそうで、
確かにその通りなのですが
やっぱり満開の桜が見たい。

菜園の花見イベントも
雨のために翌日曜日に延期になったのですが
それでも桜は満開とはいきませんでした。

菜園の横を流れているのは
鴻沼川という川で
その護岸に桜がずらりと並んでいて
それはそれはきれいなのですが、
まだ咲ききっていません。



お花見のカレー大会をしました。

100人ほどの人が参加して
皆さん楽しくカレーを召し上がっていました。
この日は
溝施肥とか葉物栽培の講習会もあって
いよいよ農作業も本番。

顔を出しました。

ニンジンも出てきたのですが
まだまだかわいすぎて
写真にも写らないほど。

こんな花を見つけました。
何の花かわかります?

これは、ダイコンの花。
そういえば
ダイコンの花で春の季語になります。
大根の花や青空色足らぬ 波多野 爽波

三年めにはいります。
兼好法師ではありませんが
収穫だけでなく
育てる時間もまた愉し、です。

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今日は
なかやみわさんの『やさいのがっこう とまとちゃんのたびだち』という
絵本を紹介します。
なかやみわさんといえば
「そらまめくん」シリーズなどで人気の
絵本作家です。
今日の絵本でもそうですが
野菜の特長をうまくとらえて
しかもなんともかわいいやさいに
仕上げています。
この絵本には
付録として「食育しんぶん」が付いていて
今回はトマトの情報が満載です。
こういう絵本を子どもたちが親しむことで
野菜がたくさん食べられるようになれば
いいですよね。
じゃあ、読もう。

この絵本を最初に見つけた時、「やさいのがっこう」って何だろうと考えました。
表紙にはトマト、キャベツ、ダイコン、ナス、その他馴染みの野菜たちがかわいいイラストで描かれています。
野菜たちは「やさいのがっこう」で何を勉強してるのだろう。
その答えはすぐに解けました。
最初に書いてあります。
「おいしいやさいになるために」彼らは「がっこう」に通っているのです。
そして、「つやよし!」「いろよし!」「かたちよし!」の三つに合格すれば、「ごうかくシール」を貼ってもらって、「やさいのがっこう」を旅立つというわけです。
つまり、卒業。
勉強もしないで卒業できる学校とは大違い。
野菜たちはこの「ごうかくシール」を憧れにしているのです。
この絵本のタイトルに「とまとちゃんのたびだち」とあるように、この巻でとまとちゃんが「ごうかくシール」を貼ってもらえるまでの苦労が描かれています。
どうしてとまとちゃんは苦労したのでしょう。
それはお天気でした。
合格間近のいい色にまで成長したとまとちゃんですが、あと少しで天候がよくありません。
毎日曇りとか雨。
野菜を育てるのに一番難しいのが、天候です。
暑かったり寒かったり、雨がたくさん降ったり、全然降らなかったり。
とまとちゃんだけでなく、たくさんの野菜にも影響します。
このとまとちゃんを助けるのがみょうがちゃんとクレソンくん、というのが渋い。
子どもたちに読んであげるときにはこれらの野菜の現物を用意してあげるのもいいかもしれません。
(2017/04/02 投稿)

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04/01/2017 生き方(稲盛 和夫):書評「「生きる」という意味

今日から4月。
新しい生活をスタートさせる人も
たくさんいると思います。
先日、ナンシー・マイヤーズ監督の
「マイ・インターン」(2015年)という映画を
レンタルして観ました。
ロバート・デ・ニーロが初老の男性を好演。
経験豊富な彼に若い経営者アン・ハサウェイが助けられるというストーリー。
冒頭、ロバート・デ・ニーロの独白のような場面があって
ここがいい。
その中で彼はこんなことを言っています。
毎日通う場所ができる。
人と接し、刺激を受け、挑戦し -
誰かに必要とされたい。
ロバート・デ・ニーロ演じる男性は
70歳の退職者の設定です。
あるいは、こうも。
音楽家の引退は自分の中に音楽が消えた時。
私の中にはまだ音楽があります。
今日から仕事を退く人もいるかと思います。
そんな人にも
この映画は胸を打つでしょう。
そして、この一冊を。
稲盛和夫さんの『生き方』。
じゃあ、読もう。

京セラの創業者でKDDIを設立、あるいはJALを再建と、現代の経営者として抜群の人気を誇る稲盛和夫氏のこの本は、2004年8月に初版が出、その後何度も刷を重ねて、今も読み継がれている一冊である。
おそらくビジネス書にジャンル分けされるのだろうが、高齢化社会になって、仕事をしている世代だけでなく、仕事を終えた世代にも読まれていくべき本だといえる。
もちろんここに書かれている内容が宗教臭いと嫌う人もいるかもしれない。
けれど、そういうことも含めて、ここに書かれていることは大事なことのような気がする。
まだ現役で働いている時にも読んだ。
今はお金を生み出す、働くという現場から退いたが、どうにもこのタイトルが気になって再度読むことにした。
そして気づくことは、ここに書かれていることは「生きる」ことであり、その大きな枠組みの中で、「働く」という意味をとらえていることだ。
稲盛氏は「生きる」ということを、そのプロセスそのものを磨き砂にして自分を生まれてきた時よりも高い次元で終わることだと書いている。
私たちは時に「生きる」意味を喪うものだ。
稲盛氏はまずそのことを明確に記すことから論理を展開していく。
また、こんなことも書いている。
「その人の心の持ち方や求めるものが、そのままその人の人生を現実に形づくっていく」と。
これもまた先ほどの大きな前提である「生きる」意味そのものを思うのであれば、この言葉もその大きな意味するところに導かれていくということだろう。
何度でも読み返さないといけない自分というのも情けないが、これからもそうしていくしかない。
(2017/04/01 投稿)

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