05/16/2017 東京の下町(吉村 昭):書評「「日の暮るるを忘る里」の話」

今日紹介する
吉村昭の『東京の下町』を読むきっかけは
5月5日の日本経済新聞朝刊の
一面コラム「春秋」にこの本のことが
紹介されていたからです。
一冊まるごと、昭和戦前期の子どもたちの生活誌である。
と、冒頭に書かれています。
こどもの日に合わせてコラムだったのでしょう。
その最後に
地域が備えていた巧まざる教育力と、おおらかさである。
(中略)
大人たちが子どもと社会について自問する日でもあろう。
とあります。
このコラムがなければ
きっと読むことのなかった本だったかもしれません。
出会いとは
不思議な偶然です。
じゃあ、読もう。

2017年3月にオープンした東京・荒川区にある「吉村昭記念文学館」の開館に寄せて、吉村昭の妻である作家津村節子さんが記した文章の冒頭にこうある。
「吉村昭は、荒川区東日暮里に生まれた。ふるさとをこよなく愛しており、折々に訪ね歩いていた」。
そんな吉村が編集者から少年時代の生活を書いたらと勧められて、五十代なかば「戦前なら故老の末席に入ろうという年齢になったことを考え」、雑誌「オール讀物」で18回にわたって連載したのが、このエッセイである。
その第一回めに日暮里のことを「風光を眺めていると「日の暮るるを忘る里」とされ、それによって「日暮しの里」「にっぽり」となった」と記している。
吉村はそこで少年時代を過ごし、空襲で焼き出されることになる。
吉村が生まれたのが昭和2年であるからここに描かれたのは昭和前期の「東京の下町」の生活であり、その当時の子どもたちの風景である。
その当時の町のことを吉村は「町の中だけで十分に生活できる機能をそなえていた」と書いている。今風にいえばコンパクトシティである。きっと町自体が成長し膨張して破裂したのが現代なのだろう。だから、吉村が生活した時代のところに戻ろうとしている。
また当時は「周囲の人への配慮をしながら日をすごす」ということが当たり前であったという。その理由は「家が密集しているので、住民は互いにゆずり合わなければ暮してゆけない」という。
こういうこともまた私たちは失ってきた、日本の良さだろう。
吉村昭はエッセイながら、実にいい本を残してくれた。
(2017/05/16 投稿)

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