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プレゼント 書評こぼれ話

  417年前の今日、
  すなわち1600年9月15日
  天下分け目の関ケ原の戦いが起こりました。
  今、この時間に
  石田三成が、徳川家康
  丁々発止の戦いをしていたと思うと
  不思議な気分になります。
  先日、今ロードショー公開されている
  原田眞人監督の「関ケ原」を
  観てきました。
  原作は、もちろん、司馬遼太郎さん。
  石田三成を岡田准一さん、
  徳川家康を役所広司さん、
  伊賀の女忍者初芽を有村架純さん
  といった配役で
  戦闘場面などは見応えがありました。
  ただ、人間関係が多岐にわたるので
  二時間あまりの映画では
  難しいようにも思えました。
  NHKの大河ドラマで
  「関ケ原」やってくれないかなぁ。
  今日は「関ケ原」の日なので
  司馬遼太郎さんの『関ケ原・下』を再録で。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  いよいよ決戦、そして三成は                   

 司馬遼太郎が描く関ケ原の戦いも、ついにこの下巻で戦闘が始まる。
 時に慶長5年(1600年)9月15日。東西合わせて10万の兵が美濃関ケ原で天下をかけての一戦が始まる。
 小説であるから文字だけによる表現ではあるが、まるで映像を見ているかの如く、司馬の文章は小気味よい。
 形勢が動くたびに西の将石田三成、東の将徳川家康の感情が動くさまを見事に描いている。

 ひと昔前、徳川家康は経営者に人気の武将の一人だった。
 調略により秀吉恩顧の大名を次々と自陣の味方につける様など現代の経営に通じるところがあるのだろうが、三成の「義」がどうして評価されないのか切なくなる。
 もちろん人間の営みが「義」や「規則」だけで出来上がっているわけではないだろう。
 だから多くの大名から三成が嫌われるのもわからない訳ではない。
 しかし、天下分け目の戦いに自身の憎だけで東軍についた福島正則などの大名には一体どんな未来が見えていたのであろう。
 もっとも未来が見える人間だけが時代を動かすのではないだろう。
 未来も見えない有象無象の衆こそが時代を作っていくのであろうか。

 敗残の将となって自領に逃げた三成をお咎めの罰を覚悟しながらかくまう農民与次郎。
 彼を配することで司馬は三成の「義」を否定しない。
 与次郎が生きる世界こそが司馬が願ったものかもしれない。
 天下を狙っていたもう一人の武将黒田如水を最後に登場させることで、三成の戦った意味が明らかになって、長い物語は完結する。
  
(2016/11/19 投稿)

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